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  • 系図:初期天皇家系図①:耳王家

    初代神武天皇から四代懿徳天皇までは名の最後がミミ、ミとなっている。 初期天皇家系図 ※系図作成上の基本的な考え方は「上古の時代の系図の作成 - 上古への情熱」及び「世代を修正した系図を作ってみる - 上古への情熱」を参照。 名のさいごがミ、ミミとなっている耳王家は彦ホホデミ神武天皇から始まり最後が磯城津彦の子のワチツミとなる。四代スキツミ懿徳天皇の世代までは、すべて男で姫がいない特徴がある。(正確には男女不明であるが、明確な姫がいない。) ワチツミの父は、三代磯城津彦タマテミ安寧天皇の子で、安寧天皇と同じ磯城津彦であるが名前が伝わらない。また「世代を修正した系図を作ってみる - 上古への情熱」…

  • 系図:迦具漏比売に関する不思議な系図の解釈について

    古事記には景行天皇の6世孫である迦具漏比売(カグロ姫)が景行天皇の妃となり忍熊王の祖父を産む、さらには応神天皇の妃となり允恭天皇皇后の忍坂大中姫を産むという極めて不可解な系図がある。 筆者もどう解釈したらいいか長年悩んでいたが、ある程度説明可能な解を見つけたので、紹介する。 景行天皇6世孫カグロ姫に至る人物は以下の通り ⓪景行天皇 ①ヤマトタケル ②息長田別王 ③河派仲彦王(杙俣長彦王) ④飯野真黒姫(若建王妃) (若建王は走水海で入水して果てた弟橘姫の子) ⑤スメイロ大中彦王 (天皇の弟という意味でここでは「皇大中彦王」と漢字を当てた) ⑥カグロ姫 となる。 ここで⑤皇大中彦王であるが、天皇…

  • 系図:和珥氏 息長氏 彦坐王家

    崇神天皇の時代の『彦坐王』以来、代々「王」を称する家系について。 概要 ミマツ彦カエシネ(第五代孝昭天皇)の子で倭足彦(第六代孝安天皇)の兄である天足彦から派生する和珥氏から出た皇族は、彦坐王以来、代々「王」を称する家系となっている 最終的には、継体天皇を出し、敏達天皇を経由して、舒明皇極、天智天武に繋がり、現代へ続く天皇家として勝ち残る。 以下に天足彦、彦坐王から皇極天皇に至る系図を示す。(なお黒帯の数字は「世代を修正した系図を作ってみる - 上古への情熱」の系図と同じく誕生年を示す。) 神功皇后までの経緯 彦坐王は大和盆地北部を拠点としていたが、子の佐保彦王は垂仁天皇に滅ぼされる。 ただ佐…

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