2025年5月12日、根岸駅を降り、大通りを越え、細い道を歩いていると、木製電柱に出会った。 色々なものがくっついている電柱もあった。 これは、支柱に支えられている。 マンションの前にもあった。 子育地蔵尊の横にもあった。 横の道にもあったので、合わせると10本近くあったかもしれない。 細い木製のものだが、この短い距離の間にこれだけ集中しているのを見たのは、初めてかもしれない。
街探索で見つけた、時代とともに徐々に、また、いつの間にか、しかし確実に街から消えつつある町名看板、旧町名や看板建築、銅板葺き、出桁造り、長屋門の建物等、気になったものを紹介します。
奥多摩街道を歩いていたところ、電柱の前に石柱があることに気が付いた。 こりようなものにはすぐ反応してしまう。 いい癖ではないだろうか。 でも守備範囲が広くなりすぎてしまい、記事に中々まとめられないことも多くなってきた。 この道一筋が大成するのかもしれないが、ここまで来てしまったら、後戻りできない。 自分の場合は"広く浅く"でいこう。発見日 2023年10月25日 発見場所 東京都羽村市羽中三丁目正面 消防用貯水池の下の文字が写真だと確認できない。 「東十石」かな? 違うと思うのだが、解読できない。 右側面 昭和十五年五月建設 第四分團 是ヨリ先三十米 30m先は左方面(下り方面)だと思うのだが…
風情のある町名の表札を見つけた。 秋川市? ここは羽村市ではないのか? 羽村市を探索していたつもりだったが、通りの反対側があきる野市だった。 すぐ裏が山だ。 なんでこんな細長いところだけあきる野市になっているんだ。 調べてみたところ、詳細は分からなかったが、江戸時代、この辺りは下草花村で、下草花村と周辺の村で多摩川の河原境争いや漁業紛争があったことがあるらしい。もしかしたら、このあたりもそのような争いがあって境界が決まったのかもしれない。 発見日 2023年10月25日 発見場所 東京都あきる野市草花 歴史 1921年(大正10年)4月1日草花村、菅生村、瀬戸岡村、原小宮村が合併し多西村(たさ…
朝日新聞「be」の連載「街のB級言葉図鑑」ではないが、街を歩いていて、自分がB級だと思った言葉を今後紹介していきたい。発見日 2023年4月25日 発見場所 東京都千代田区神田佐久間町3丁目探索していたら、見たことがない文字を発見した。 シャンプーとかハンドソープのボトルに見える文字だ。ポンプがついていて、上から押すと液体が出てくるような形をしている。「卣」は漢字なのか?記号なのか? 「さかつぼ」とふりがながふってあるので、漢字かな?調べてみよう。 画数:7表外漢字。音読み:ユウ、 ユ訓読み:さけつぼ 「さかつぼ」ではなく「さけつぼ」と読むらしい。文化遺産オンラインでは、提梁(ていりょう)(提…
石碑を見つけると、必ず立ち止まり、裏面に何が書いてあるのかなとじっくりと観察したくなってしまう。発見日 2023年6月1日 発見場所 埼玉県加須市本町6県道152号線の伊勢屋と折原佛師店の間の道を少し行くと石碑があった。 昭和十二年二月十一日 正三位勲一等永井柳太郎書 永井柳太郎 1881年(明治14年)4月16日 〜1944年 (昭和19年)12月4日明治38(1905)年早稲田大学政経学部卒。39~42年英国留学。帰朝後、早稲田大学教授として植民政策及び社会政策を教え、また、大隈重信主宰の雑誌『新日本』の主筆を兼ねる。大正9(1920)年衆議院議員となり、憲政会へ入党し、普通選挙法成立に尽…
以前、「国立市中区」時代のものは下記の記事で紹介したことがある。 citywalk2020.hatenablog.com 今回は、「国立町中区」時代のものを発見したので、紹介することにしよう。発見日 2023年10月28日 発見場所 東京都国立市中二丁目 もう帰る時間になってきたので、国立駅へ向かっていた。一橋大学の横をまっすぐ歩いていたのだが、オバサン二人組が前を歩いていて、ずっと後ろを歩いている形になりそうだったので、左に曲がり、帰るつもりだったが、探索を始めてしまった。表札が木の葉の間から見え、あれっと思い、少し戻ると「中区」の文字が目に入った。 このあと「国立町」時代のものを発見したの…
はてなブログから本日2023/10/28 12:39に下記のメールが届いていた。 はてなブログ/id: citywalk2020 さま、歩・探・見・感を開設して3年が経ちました 初投稿は2021年8月20日なのだが、そんな前に開設していたことをすっかり忘れていた。 なぜこの日に開設したのだろう? 調べてみると「大明日」となっていた。すみずみまで太陽が照らす吉日。結婚、旅行、引越しなどは吉、新しいことを始めるにも良い日とある。「大明日」というのを今回調べていて初めて知ったので、その日だからこの日にしたというわけでもないと思われる。結局この日にした理由がわからない。 まっいいか。 ついでだ、記念日…
子供が小さいとき、羽村市動物公園に来たことがあるが、羽村市を訪問するのはそれ以来かもしれない。 まず、観光案内所に寄ってみよう。 なんと平日なのに休みだった。 仕方ない、郷土博物館に向かおう。 しばらく探索していたが、無いなあと思っていたら、探索に夢中になり、随分先の方に行ってしまっていた。 地図を見ると戻って橋を渡らないといけないことが分かった。 しばらく前に橋の近くを歩いていたのだが、右に行くところを左に行ってしまっていたのに気が付く。 地図をよく見なかったので、奥多摩街道沿いにあると思っていたのが敗因であった。 まあ、急ぐこともないので、遠回りしても問題ないし、そのおかげで発見できたもの…
浦和駅開業140周年記念イベント ~ 浦和PARCO編 ② ~
今回は残りの写真パネル⑧~⑭までの7枚を紹介しよう。 今回紹介する列車は以下の通り。 ⑧寝台特急「あけぼの」、急行 「おが」 ➈寝台特急「北斗星」「エルム」、臨時特急「カートレイン北海道」 ⑩寝台特急「はくつる」、急行「八甲田」 ⑪特急「あいづ」、特急「つばさ」 ⑫特急「やまびこ」、特急「いなほ」、特急「はつかり」 ⑬急行「みやぎの」、「新幹線リレー号」 ⑭急行「津軽」、 浦和駅に停車していた列車たち⑧ 寝台特急「あけぼの」「あけぼの」は1970(昭和45)年に上野~青森間を東北本線、奥羽本線経由で結ぶ寝台特急として運転を開始。その後増発され上野~青森間2往復、上野~秋田間1往復で運転され、「…
さいたま市岩槻駅周辺観光マップ 木製サインを探す(3)37~54
シリーズ最終回の3回目の今回は37~54を紹介しよう。 37時の鐘 37渋江小路 昔の武家屋敷 38天神小路 昔の武家屋敷 39諏訪小路 昔の武家屋敷 40消滅? 41諏訪神社の小径 城址公園 42岩槻駅跡(武州鉄道) 43消滅? 大構の小径 44丹過通り 昔の町屋 45丹過通り 昔の町屋 時の鐘 城址公園 46愛宕神社 47大工町通り 昔の町屋 大工町通り 昔の町屋 48龍門寺 久伊豆神社 49消滅? 50日光御成道 龍門寺 51久伊豆神社 52日光御成道 龍門寺 久伊豆神社 53武州鉄道の小径 54武州鉄道の小径 武州鉄道の小径 御成道 渋江通り 昔の町屋 37時の鐘 37渋江小路 昔の武…
2023年10月23日、武蔵村山市の探索を終え、玉川上水駅に向かう途中、旧町名を発見した。しかし、その家の前には車が止まっており、向かいの家からは人声が聞こえる。 近くに寄れなかったので、離れたところから撮ったら、ボケボケだった。 写真を拡大しても読み取れないし、なんて書かれていたかも思い出せない。翌日の2023年10月24日、玉川上水駅を降り、付近を探索後、前日うまく撮れていなかったので、再訪することにした。近くまできた。向かいの家の物干しに人影が見えた・・・オジサンがいた。目が合ってしまった。そさくさと立ち去る。 帰りに寄れるだろうか?立ち去った後、近くで別のものを発見した。 ①武蔵村山市…
加美上水橋を渡ったところに公園があったので、立ち寄ってみた。 訪問日 2023年8月28、29日 多摩川八景 玉川上水 ●玉川上水は、羽村から新宿区の四谷大木戸まで約43kmにわたり、多摩川台地を掘り進んで作られた人工の水路です。●江戸時代の初期、承応3年(1654)に玉川清右衛門、庄右衛門の兄弟が、いろいろな困難とたたかいながら完成させました。●江戸の水不足を解消したこの上水は、現在でも都民の水道の一部に利用されています。●水路の両岸にはたくさんの木が植えられ、美しいグリーンベルトを形作っています。特に取水堰そばの羽村堰下公園は桜の名所として有名です。新堀橋そばの福生加美上水公園には自然林が…
武蔵村山市で「村山町」時代の旧町名の痕跡をいくつか発見した。 発見日 2023年10月23日 発見場所 東京都武蔵村山市中藤四丁目 ①村山町大字中藤字谷ツ 「谷ツ」と書いてあると思ったが、そんなカタカナが付くのはないと思って「谷川」だと思ったが、調べていたら「谷ツ(やつ)」ということがわかった。 「谷ツ」は丘陵地が浸食された谷地形のことを指し、「谷戸」「谷津」「谷地」などとも呼ばれている。②北多摩郡村山町中藤 ③北多摩郡村山町中藤 歴史 1889年4月1日神奈川県北多摩郡中藤村・横田村・三ツ木村・岸村の4村で、中藤村外三ヶ村組合が設立される。この年に、野口村、廻田村、大岱村、久米川村、南秋津村…
ひたちなか市を探索していたところ、旧町名の標示柱を5本発見した。発見日 2023年10月17日 発見場所 茨城県ひたちなか市 発見したものを50音順に紹介していこう。 ①泉町 もと「部田野新田」、「新田」、あるいは「新田町」ともいったが、たびたびの火災のため、文政十年(一八二七)に「泉町」と改めた。 ②北水主町(きたかこまち) 元禄十一年(一六九八)、水戸藩主徳川光圀は、藩船の管理と海防の任に当る「水主組」を那珂奏に置いた。水主町は、藩から拝領した水主士の屋敷地である。 ③三丁目 元禄十一年(一六九八)、水戸藩主徳川光圀の命によって「通り町」のうちから三町目が町割りされた。明治三十四年(一九〇…
この薬医門がある裏の道を通ってきたのだが、左側にこの薬医門が見えたので、立ち寄ってみることにした。 門の左側に説明板があった。 市指定有形文化財指田日記当初指定 昭和五十一年四月五日 追加指定 平成十五年六月二十七日指田日記は、指田攝津正藤詮(当指田家の祖)が天保五年(一八三四)から明治四年までの三十八年間にわたって記録した全十六巻の日記である。日記は、政治・産業・世俗・慣習・行事・事件などについて克明に記録され、その範囲は当市のみでなく近隣村落にまで及んでおり、当時の歴史を知る貴重な資料である。指田日記の形状(第一冊から第十五冊)縦 二十三センチメートル 横 十六・五センチメートル製本 堅帳…
甲州街道の歩道を歩いていたところ、谷保天満宮付近で「東京府」と刻まれている境界石を発見した。 左側のコンクリートの擁壁の上に頭を出していた。右側に谷保地下歩道が見えるのだが、歩道橋ではなく、地下歩道というのは珍しくないだろうか? 発見日 2023年10月21日 発見場所 東京都国立市谷保 正面 上部 もしかしたら、裏面にも何か刻まれていたかもしれないが、確認するのを忘れてしまった。 東京23区内では何本か発見しているが、まさか、こんなところで東京府時代のものに出会うことができたなんて感動的であった。このようなものを発見して感動、感激する方は多くないと思うが、人それぞれであろう。
最近は多摩地区探索がマイブームのひとつとなっている。それは、東京23区内と比較して探索されている方があまりいないからという単純な理由である。 しかし、多摩地区の旧町名を調べていたところ、主に東京23区内で活躍されていたこの道の先駆者の方が、多摩地区にも進出してきていて、自分が発見済のものもあるが、自分が未開発地域も含め、まだ出会っていない旧町名をいくつも発見されていることがわかってしまった。最強、超強力なライバルの出現だ。なんてね。そう、自分は自分でGoing my wayだ。 と言っても気になる。その方が発見したものだけではないが、多摩地区で自分が未発見のものを後追いしたくなってきた。という…
今回は、茨城県ひたちなか市で発見した2枚目の電力プレートを紹介しよう。 偶然とはいえ、短時間の間に2枚も発見できるとは思っていなかった。発見日 2023年10月17日 発見場所 茨城県ひたちなか市 モトカコ? どこで切るんだ? モトとカコか? そうした場合、「カコ」を漢字するとどうなるんだ? 「加古」? 違っていた。 「水主」だった。 読めないね。 難読地名のため、町名変更により「加古町」と表記する場合があるそうだ。ということは「加古」でもあながち間違いではない。 「水主町」は長崎県大村市、佐賀県唐津市など各地にあり、海なし県の岐阜県にもあるそうだ。 水主の意味を辞書で調べてみると、船頭・楫(…
東京1964オリンピック 国旗掲揚ポール in 東京都東大和市
奈良橋市民センターにあるモニュメントを撮った後、後ろを振り返ったところ、ポールの下に何か書いてある説明板のようなものが目に入った。 発見日 2023年10月19日 発見場所 東京都東大和市奈良橋4丁目 このポールは、昭和39年(1964年)に開催された東京1964オリンピ ックで使用された国旗掲揚ポールです。大会終了後、旧大和町(現在の東大和市)に寄贈され、当時、町役場のあったこの地に設置されました。昭和40年(1965年)2月1日に発行された「大和町広報」にそのことが記されています。前回の東京大会の貴重な遺構です。 昭和40年2月1日発行 大和町広報 今月のお知らせ 庁舎前にたてられた国旗掲…
夜中の2時頃、目が覚めてその後中々眠れない。 大体ホテルや旅館では、よく眠れないことが多い。 早朝、ホテルのベランダから海を見た。 まだ、5時半前。 この日の日の出は5時46分。 まだ、夜明け前だった。 徒歩だと時間がかかりそうなので、宿泊先の大洗町から車でひたちなか市へ向かう。 車で移動するなんて当たり前のことかもしれないが、自分の探索では初の移動方法であった。 事前調査で、ひたちなか市に湊町道路元標が存在していることが分かっていた。しかし、現地に着いたら、そんなことをすっかり忘れていて、すぐそばを通ったのだが、見過ごしてしまった。これは、家に帰ってから、調べ物をしていた時に気が付いたことな…
琺瑯看板 塩小売所とたばこ販売店+α in 茨城県東茨城郡大洗町
大洗町の海沿いにあるホテルに16時頃と早めに着いた。夕食(17:30)までに時間があるので、暗くなる前にホテル付近を探索してみることにした。 事前調査もしていなく、短時間の探索であったが、収穫がいくつかあった。発見日 2023年10月16日塩小売所 たばこ販売店 旧町名ではなく現存している町名なのが、残念だった。 清酒 松籟 合資会社 古川酒造店 所在地 茨城県東茨城郡大洗町磯浜町363慶応年間(1865年~1868年)創業1999年(平成11年)廃業2019年(平成31年)「株式会社古川酒造店」として新たに起業 事業内容は「イベント企画・制作・運営」となっていた。キリンビール
東大和市の大和町時代の旧町名はいくつか紹介しているが、サブ町名という物というのかわからないが、2段書きになっているものをいくつか発見した。 発見日 2023年10月12日 ①大和町大字蔵敷 光ヶ丘 発見場所 東京都東大和市蔵敷 次からのものは東大和市になってからのものだが、「光ヶ丘」が付けられているもの。②東京都東大和市奈良橋 光ヶ丘 発見場所 東京都東大和市南街 奈良橋は現存している町名だが、発見場所が南街なので、当ブログでは旧町名としている。 ③東大和市南街 㐧1光ヶ丘 発見場所 東京都東大和市南街 現町名であるが、光ヶ丘が付いており、更に「㐧一」が付いている。 町内に下記の案内図があった…
大日坂を登っていく。 右側の説明板 「・・・坂のなかばに大日の堂あればかくよべり」(改選江戸志)。この「大日堂」とは寛文年中(1661~73)に創建された天台宗覚王山妙足院の大日堂のことである。坂名はこのことに由来するが、別名「八幡坂」については現在小日向神社に合祀されている田中八幡神社があったことによる。この一円は寺町の感のする所である。左側の説明板 文字が薄くなっていて読めないが、下記のことが書かれているようだ。 坂の名の由来は、坂の途中に大日堂があったことから里俗に呼ばれるようになったものであろう。堂のあるこの寺は天台宗で、覚王山妙足院と号し、開祖は浩善尼上人(紀州家の奥女)で、堂廟の創…
ドラマが放映中の間に『VIVANT』のモニュメントを見に行くつもりだったのだが、忘れてしまっていた。撤去されていないかなと調べてみたところ、まだ撤去されていないことが分かったので、赤坂サカスを訪問することにした。訪問日 2023年9月25日、10月5日TBS放送センター VIVANTのモニュメント 一文字づつ見ていこう。 「V」 「I」 「V」 「A」 「N」 「T」 ご存じのことだと思うが、出演者のサインが書かれている。左から一つ一つ見ていこう。「V」の左側 ・内野謙太・檀れい・井上肇・内村遥・今井柊斗・高木勝也「V」の右側 ・渡辺邦斗・ブルース・飯沼愛・林泰文・水谷果穂・山田キヌヲ「I」 …
以前「浦和駅開業140周年記念イベント 浦和駅編」は、下記の記事で紹介したことがある。 citywalk2020.hatenablog.com 作品展 Gakkenほいくえん 浦和駅 140周年 おめでとうございます今回、浦和駅から作品依頼を頂き、クラスでどんな物を作りたいか話し合ってきました。作りたいものは、電車と浦和駅を作りたい!となり、次は何を使って作るか?となり、今、園ではSDGsを取り入れながら保育、遊びを展開しております。自然に子どもたちから、普段園で飲んでいる麦茶の出涸らし、牛乳パック、おやつで食べたトウモロコシのヒゲ、お菓子の袋、配膳で使う手袋を使って作れると、材料が決まりまし…
2023年10月13日13時頃、当ブログの累計アクセス数が、50,000アクセスを達成しました。 当ブログにアクセスしていただいた方、ありがとうございます。 3万アクセスから5万アクセスまでの達成期間は、 3万アクセス達成 2023年5月3日 129日間 citywalk2020.hatenablog.com 4万アクセス達成 2023年8月7日 96日間 5万アクセス達成 2023年10月13日 67日間 となっています。次の1万アクセスの期間がだんだん短くなってきました。4万から5万までは約2ヶ月となっていますが、当ブログの内容が内容だけに、2ヶ月で1万アクセス、このくらいが限度でしょう。…
この日は小字が付いている旧町名を発見することができた。 発見日 2023年10月12日 発見場所 東京都東大和市南街五丁目 "南街栄"の痕跡が何かないかと探していたところ、自治会の掲示板に発見した。 "南街"に"栄"がついている。これが気になり、ネットで調べたみたが、「南街栄3丁目に1957年(昭和32年)12月、第1次町営住宅(15戸)できる。」というのがあるくらいであった。 図書館で「新しいまち南街」という本を見つけた。この中に町名のことなどが書かれていたのだろうけれど、老眼鏡を持ってこなかったので、読むことができなかった。 以前はいつも老眼鏡をリュックに入れておいたのだが、100均のもの…
鬼子母神大門欅並木にあった(たぶん)掲示板を見ていたところ、小学生が書いた記事が載っていた。 その中に雑司ヶ谷霊園の「御鷹部屋と松」のことについて書かれていた。 雑司ヶ谷霊園付近は何回も探索したことがあるが、霊園内を探索したことはなかったので、行ってみることにした。訪問日 2023年10月7日1種4A号6側ってどこ? すぐ見つかると思っていたのだが、遠回りをしてしまった。 ここはさっき通った所だったはずだが、その時は気が付かなかったようだ。 結構目立つところにあった。 さっきはここを通らなかったのかもしれない。 う~ん。 通ったのかなあ? 通っていない? 読者にはどうでもいいことだが、どうだっ…
今回は東京都東大和市で発見した「北多摩郡大和町」時代の旧町名を紹介することにしよう。発見日 2023年10月10日①北多摩郡大和町大字蔵敷 発見場所 東京都東大和市南街六丁目 「蔵敷」も「南街」も読みにくい。 「蔵敷」は「ぞうしき」、「南街」は「なんがい」と読む。 ②東京都北多摩郡大和町清水 発見場所 東京都東大和市新堀二丁目 「蔵敷」も「清水」も現存している町名だが、北多摩郡大和町時代のものなので、旧町名扱いとしている。 歴史 1889年4月1日町村制施行に伴い、神奈川県北多摩郡清水村、狭山村、高木村、奈良橋村、蔵敷村、芋窪村が町村組合を結成し、高木村外五ヶ村組合が発足。 1893年4月1日…
日本橋一丁目中地区第一種市街地再開発事業の仮囲いの写真パネル
探索中に工事中の仮囲いに掲示されている写真や絵画などパネルを見るのも楽しみのひとつとなりつつある。 訪問日 2023年9月25日 訪問場所 東京都中央区日本橋一丁目 中央通り側 人 空 川 昭和通り側① 昭和通り一帯の明治以降の変遷 -時代を経ても変わらない人々の賑わい- 昭和通り側② 昭和通り一帯の明治以降の変遷 -時代を経て変わりゆく街並み-
雑司ヶ谷霊園にある花屋に設置されていたもの。この店の前は何度も通ったことがあるが、今回初めて気が付いた。発見日 2023年10月8日 発見場所 東京都豊島区南池袋四丁目 木の板で左上部が覆われて、更に劣化しており、現地では何が書いてあるか全く読みとれなかった。家で撮った写真を確認してみたところ、「高田町」と書いてあるように読める。ただし、自分が読めるというだけで、違うかもしれないので、自信がない。 中央は桜の花の模様の中に「高」の文字があるように見える。 こうなったらもう思い込みなので違うかもしれない。高田町の歴史は以下のようになっている。 1889年(明治22年)5月1日市制町村制により、北…
目白警察署の防犯連絡所のニューバージョンと思われるものを発見した。 発見日 2023年10月7日 発見場所 東京都豊島区雑司が谷 右 目白警察署 中央 防犯連絡所 左 緊急電話は110番 目白防犯協会 目白警察署の防犯連絡所は4つのバージョンが知られているが、このパターンのものは未発見だった、と思われる。 自分の思い違いかもしないので、断定はしないでおこう。
浦和駅開業140周年記念イベント ~ 浦和PARCO編 ① ~
展示されていた写真パネル①~⑦までを紹介しよう。番号はついていなかったので、紹介順に勝手につけたものである。 今回紹介する列車は以下の通り。 ①特急「新特急なすの」、185系「普通」②特急「白山」、寝台特急 「北陸」③特急「とき」、特急「ひばり」④特急「新特急草津」、特急 「新特急谷川」⑤寝台特急「鳥海」、寝台特急「出羽」⑥臨時特急「サロンエクスプレスそよかぜ」、臨時急行「レインボー信州」⑦特急「あさま」、急行「能登」 浦和駅に停車していた列車たち① 特急「新特急なすの」「なすの」という列車名が登場したの1959(昭和34)年、上野~黒磯間を走る臨時準急が「なすの」として運転を開始したのが始ま…
道路に工事の車が止まっていて、何か長い線を道路に伸ばしていた。撮りづらいなあ、あきらめるしかないかなと思って先に行きかけたが、折角見つけたチャンスを逃すわけにはいかない。表札ならあきらめるが、アパートのプレートなので、撮る決断をした。ちょうど伸ばし終わった頃を見計らって邪魔にならないように撮った。 発見日 2023年8月29日 発見場所 東京都福生市福生 B棟のものは住所の一部が抜け落ちていた。 これには字名が付いていなかった。
右のものは先日訪問した時に発見していたのだが、庭に住民、更に少し離れたところだが、ゴミ捨てをして、こちらに向かっている人が見えたので、撮るのを控えた。発見日 2023年10月3日 発見場所 埼玉県北足立郡伊奈町 同じタイプのものだが、左のものを新たに発見したので、両方載せておこう。「悠久の思い出」さんに掲載されていなかったので、ちょっとレアものかも。 もっとも「悠久の思い出」さん掲載されていたら、投稿しないけれど。
以前下記の記事で旧今川中学校のぶどう園を紹介したことがある。 citywalk2020.hatenablog.com 都会のど真ん中にあるぶどう園だ。 ぶどうの生育状況が気になったので訪問してみた。 随分成長していた。 袋を被せてあるエリートたちのぶどうたち。 でも、これは下の方があまり粒がついていない。 袋を被せてもらっていないぶどうも熟していた。 緑色が半分くらいのぶどうの房。 シャインマスカットみたいな緑のぶどう。 まだ成長過程?のぶどう 「神田をワインの街にしようの会(通称 神田de和飲)」さんのブロクがあるのだが、更新されていないよう。調べていたら、Facebookがあることがわかっ…
鶴ヶ島市は以前別目的で探索したことがあるが、旧町名関連に興味を持ってからは初となる。 鶴ヶ島町から市制施行して鶴ヶ島市になったのが1991年(平成3年)9月1日なので、鶴ヶ島町時代のものが結構残っていた。 しかし、字名が残っていたものは今のところこれだけ。 ざっとしか探索していないので、ちゃんと探せば、もっと見つられるかもしれない。 いつも初めて探索するところはざっとというか、テキトーに探索することが多いのだが、いくつも見つかる時もあるし、なかなか見つからない時もある。"旧町名発見運"とでもいう"運"をその時持っているか持っていないかによるのではないかとつくづく感じる次第である。「大字脚折」「…
東小金井駅の改札を出たところにあるラックの中に184magazine(いちはちよん マガジン)という下記のフリーペーパーを発見した。 この存在に気が付いた自分はすごいと自分を褒めるとともに、フリーペーパーとしては秀逸の出来ではないだろうかとこのフリーペーパーを褒めることも忘れていない。 最近この中に書かれている仙川沿いをところどころ探索している。小金井市内の仙川沿いをすべて歩いたとしてもたいした距離ではないと思われるが、興味が湧いたところだけをピックアップして、探索をしているのだ。結果的に全部を踏破することになるかもしれない。上貫橋跡が載っていた。 ネットで調べてみたところ、2021年(令和3…
西町公園があることは知っていたが、今回初めてちゃんと中に入ったかもしれない。 その中には色々興味深いものが設置されていた。訪問日 2023年6月12日、9月7、17日 訪問場所 東京都台東区東上野2丁目23-3西町公園 西町公園は、関東大震災からの復興でつくられた小学校と公園が一体となった学校公園の名残を残す公園。1街区の北半分に西町小学校、南半分に西町公園という形で建てられたのだが、平成に入ってから西町小学校が統廃合でなくなり、跡地には永寿総合病院が建っている。 西町小学校之跡 これは公園内ではなく、永寿総合病院にあったもの。公園内に西町小学校にあったものと思われるものが、園路沿い設置されて…
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2025年5月12日、根岸駅を降り、大通りを越え、細い道を歩いていると、木製電柱に出会った。 色々なものがくっついている電柱もあった。 これは、支柱に支えられている。 マンションの前にもあった。 子育地蔵尊の横にもあった。 横の道にもあったので、合わせると10本近くあったかもしれない。 細い木製のものだが、この短い距離の間にこれだけ集中しているのを見たのは、初めてかもしれない。
旧番地「大田区羽田」関連の痕跡は、下記のふたつの記事で紹介したことがある。 citywalk2020.hatenablog.com citywalk2020.hatenablog.com 今回は別目的で、羽田を再訪したのだが、町内を改めて探索したところ、新たに旧番地時代の痕跡(現在と丁目が異なる)を発見することが出来た。 ① 発見日 2025年7月12日 町名の後が消されているが、文字が薄く残っている。 ② 発見日 2025年7月14日 歴史 1907年(明治40年)町制を施行し、羽田町となった。 1932年(昭和7年)蒲田區が成立する。羽田町域は羽田一丁目から三丁目等に編入される。 1958…
2025年6月5日、最高気温29度の中、坂道を上って、日野市郷土資料館(日野市程久保550)を訪問する。 常設展示物の中で今まで見たことのないものを発見した。 獅子印ライオン歯磨と右書きで書かれている。 小林商店? あのライオンと関係あるのか? その時はまだわからなかった。 住所らしきものも書いてあったのだが、老眼の自分の目では確認できなかったので、写真だけ撮って、家に帰ってから調べることにした。家に帰って、調べてみたところ、やはりあのライオンと関係があることが分かった。 ライオンの年表を見てみると、 1891年(明治24年)初代小林富次郎、東京神田柳原河岸に石鹸およびマッチ(燐寸)の原料取次…
2025年6月19日、群馬県館林市を探索していたところ、電力プレートを発見した。東京電燈? マークも何もないが、形状から判断。 東京電燈が館林に進出していた歴史を調べてみた。 1908年(明治41年)12月利根発電株式会社は創業当時は上毛水力電気株式会社と名乗り東京市京橋区で創立された。 1910年(明治43年)前橋市への供給を開始した。 1911年(明治44年)10月群馬県佐波郡伊勢崎町、太田町、館林町へ翌11月に渋川町に供給を開始。 1921年(大正10年)4月1日利根発電株式会社は東京電燈に合併し消滅した。関東配電 1942年(昭和17年)国家総動員法に基づく配電統制令により、東京電燈、…
今回ターゲットとした自治体は、千葉県の地図を見ていて、行ったことがないし、それほど遠くもないし、旧町名の未開拓地ということで決定した千葉県鎌ケ谷市。 旧町名については何の情報もなかったので、探索しながら探すしかない。 でも、探索していれば何かしら見つかるだろう。 きっと。 諦めないことが大事。2025年7月5日、新鎌ヶ谷駅から探索開始。 駅前の観光案内を見ていたら、駅から近いところに、行ってみたいところが見つかる。 それらを見学していたら、道を間違えてしまい、とんでもないところまで来てしまった。 軌道修正をしなけれならない。 そんな途中で、旧町名を無事発見することが出来た。鎌ヶ谷町時代の表札 …
今回の横須賀市訪問は、琺瑯町名看板探索がメインだったので、そのほかのものについては、ほとんど事前調査してこなかった。 なので、偶然出会ったものには新鮮味を感じする。 逆に事前調査をしてこなかったため、見つけたものに対して家に帰って調べていると再訪問の必要を感じることも多々あり、悩ましい。 タイトルを「路上文化遺産」としたのは、複数紹介したいものがあったので、ひとくくりにするためである。と、わざわざ断りを入れる必要もないのだろうけれど、使ってみたかったこ・と・ば。 発見日 2025年5月22日 「市」の文字だけの境界石と道界 自治体名が入っているものが多いので、"市"だけというのは珍しいかも。自…
滝坂道という名称は後で知ることになるのだが、この日(2025年3月18日)は道玄坂から裏渋谷通りを進む。 この通りに表面が摩耗していてマニア以外は誰も気が付かないと思われる蓋があった。 渋谷町水道時代のものとのこと。 歴史1889年(明治22年)町村制施行により南豊島郡渋谷村が誕生。 1909年(明治42年)町制施行、渋谷町となる。 1923年(大正12年)渋谷町水道、給水開始。 1932年(昭和7年)東京市へ編入され、渋谷区の一部となる。 続いて、"新榮會"と書かれている旗竿ボックスの存在をネットで知る。 大体の場所は書かれていたので、ストリートビューで確認してみると、最新が2022年10月…
JR成田線滑河駅前の道を進んでいくと、下総郵便局があり、そこに金色に光るポストがあった。 誰のだろうと思ったら、体操の橋本大輝選手だった。 何でこんな片田舎(失礼)にあるんだろう? 調べてみると、成田市立高岡小学校出身とのこと。 1995年(昭和30年)2月11日下総町が誕生し、校名を「下総町立高岡小学校」と改称。 2006年(平成18年)3月27日下総町・大栄町・成田市の市町合併に伴い、校名を「成田市立高岡小学校」と改称。 とあった。 彼の生年月日は2001年8月7日、まだ千葉県香取郡下総町だった頃だ。 それでここにあるんだ。 合点承知の助。撮影日 2025年6月24日
探索を終え、石橋駅で電車を待っていたところ、下り線ホームの向こうにイノシシの形に見える植木を発見。 自然とこうなったのか、刈り込んで形を似せたのかわからないが、イノシシが立たずんでいるような姿に見える木だった。撮影日 2025年7月3日
発見日 2026年6月19日 発見場所 群馬県館林市西本町 ① ② 旧町名標示板 古墳や一里塚のことを塚と呼び、塚が多く存在したことか塚場町と呼ばれたと考えられている。歴史 1969年(昭和44年)11月1日第二次住居表示が実施され、大字館林字鞘町・塚場町・木挽町と、代官町の一部が合併し西本町となった。
2025年6月7日、石神井公園ふるさと文化館を訪れると、尾張殿鷹場碑が展示してあった。 尾張徳川家の鷹場の範囲を示すために設置されたもの。41か村にわたり83本の杭が建てられていました。 これは、大正2年ごろまで南大泉に建っていたものらしい。これをきっかけに練馬区の鷹場碑のことを調べていたら、大泉第一小学校にもあることが分かった。この日の東京の最高気温は34.8℃、風があるが、熱風だ。 日傘は風に翻弄され、すぐひっくり返る。 暑い上に、日傘のコントロールに疲れ、探索意欲をそぐ一因となる。 そんな中、大泉公園駅から、歩いて来て、ヘロヘロ、ヨロヨロになりながら、ようやくたどり着いた。 下校時間前に…
発見日 2020年11月12日 発見場所 神奈川県横浜市磯子区森 ①表札 ②琺瑯町名看板 歴史 1868年(慶応4年)6月17日廃藩置県により神奈川府を設置。神奈川府久良岐郡森村となる。 1868年(明治元年)9月1日神奈川府が神奈川県となり、神奈川久良岐郡森村となる。 1889年(明治22年)4月1日森中原村、杉田村、磯子村、岡村、滝頭村と合併し、久良岐郡屏風浦村大字森となる。 1927年(昭和2年)4月1日屏風浦村が横浜市に編入。横浜市森町となる。 1927年(昭和2年)10月1日区制施行で磯子区誕生。横浜市磯子区森町となる。同時に鶴見区・神奈川区・中区・保土ケ谷区が発足し、市内5区となる…
2025年6月23日、宇都宮駅を降りて結構すぐに見つけた家屋調査済証。 帰ってから調べてみると旧町名のものだった。 この付近は、大きく蛇行する田川と上河原町(かみがわらまち)とにはさまれた半月形の袋小路になっていたので、小袋町の名が付けられた。江戸時代には、大工・車細工・紺屋(こんや)などが軒を並べていた。現町名:宇都宮市大通り三―四丁目・駅前通一―二丁目
入ったことがないと思われる路地があり、あまり見かけない大きな仏堂があるのに気が付いた。 文京区指定有形文化財 銅造地蔵菩薩立像 所在 千駄木一丁目22番22号 専念寺指定 平成25年3月1日本像は、江戸時代に東都六地蔵の第二番・宝珠地蔵として有名であった地蔵尊である。高さ233.6cmを測る鋳造仏である。東都六地蔵とは空無上人が元禄4年(1691)頃に建立したものであり、いわゆる「始めの六地蔵」といわれるものである。建立場所は、一番駒込瑞泰寺(文京区向丘二丁目36番1号、昭和61年再建)、二番千駄木専念寺(本像)、三番日暮里浄光寺(荒川区西日暮里三丁目)、四番池之端心行寺(もと台東区池之端。府…
今年ももう残り半分だ。早いのう。2025年7月1日、宇都宮線小金井駅がある栃木県下野市に初上陸。ところで「下野市」は何と読むが知っているだろうか? たぶん歴史で「下野国」という古い国名を習ったと思うが、覚えているだろうか? 「しものし」と読んでしまいそうだが、「しもつけし」が正解。小金井駅で宇都宮線開業140周年だったことを知る。 当駅以外に「小金井」が付く駅名は、武蔵小金井駅と東小金井駅、新小金井駅(以上東京都小金井市)、花小金井駅(東京都小平市)がある。小金井駅で下車した目的はふたつある。 ひとつ目は日光街道の小金井宿の痕跡を探すこと。 ふたつ目は、旧町名を発見すること。国分寺町が石橋町・…
2025年5月29日、次の目的地に向かうため、県道28号本町山中線を歩いていると、逸見駅を越え、国道16号線と交差する辺りに出桁造りの建物がいくつかあることに気が付いた。出桁造りの建物は横須賀市でいくつか出会っているが、ファサードが改修されていて、当時の面影があるものがほとんどない。そんな中、プレートがいくつか残る元商家らしい出桁造りの建物があった。 その建物に待望のものが付いていた。 残念ながら、旧町名のものではなかった。 「東逸町」? 「東逸見町」が正しいはずだが、"見"が抜けている。 "逸見"は"いつみ"と読むのかな? 違った。 "へみ"だった。 読めへん、ばってん。歴史 明治元年神奈川…
2025年6月2日の11時半頃、ランチにはまだ早いが、平日とはいえ、人気店のカフェなので、混むかもしれないので、入店することにした。 cafe Hackberry 満席とのことで、入口にあった予約機で順番を取る。"001"だった。 店の中で待っていると、予約客がどんどん来る。 壁を見ていたところ、映画のポスターが貼ってあることに気が付いた。 ポスター ロケ地マップ ここで、初めて、今井町が『わたしの幸せな結婚』のロケ地になっていたことを知る。事前に今井町とこの店のことを調査してきたつもりだが、視点が違っていたのか、気が付かなかった。雑誌の記事 撮影は京都の舞鶴市、奈良の間原市今井町でも行われた…
現町名のものばかりだが、成田山へ向かう参道などでいくつか出会うことが出来た。 ①カミマチ-5 下のような町名プレートが電柱に貼られていた。 電力プレートには「カミマチ」となっているが、町名プレートのように「カミチョウ」が正しい読み。②サイワイ-1 ③ハナサキ-2 「ハナサキチョウ」だと思っていたが「ハナザキチョウ」と濁るんだね。 歴史 成田山新勝寺の日記には、台町・仲町・本町・田町の4町の地名が見られる。 江戸時代末期には台町から横町(幸町)が分かれ、台町は上町になる。 明治時代になって本町から砂田(東町)が分離した。明治22(1889)年、成田町ができた当時はほとんどが山林だった場所に、明治…
現在もネタ探しに日々奔走中だが、最近、過去撮った写真からもネタ探しを始めた。 そうしたところ、下記の記事で紹介した仲間が川崎市にいることが分かった。 citywalk2020.hatenablog.com それがこれ。 緑のおばさん?婦人警察官?の頭がなくなっていた。 どうして取れてしまったのだろう これはこれで恐怖だ。 上の記事の頭がある状態の写真 頭がある方が怖いかもしれない。発見日2020年10月23日
横浜市電保存館 2025年5月12日は、月曜日なので、閉館していると思ったら、開館していた。 入館しようと思ったら、現金のみだった。 あまり現金を持っていることはないので、入館できず。 常に小銭入れは持参すると誓ったのだった。 少額とはいえ、他の支払い方法も検討してほしいものだ。 入館できなかったが、入口途中にポールが立っているのに気が付いた。 横浜市電最後のポールだった。 このポールは、1928(昭和3)年の横浜市電生麦線開業時に建てられた架線用のポールです。かつては、市電沿線に列をなして建てられました。横浜の市電は、1904(明治37)年に横浜電気鉄道㈱によって発足しましたが、1921(大…
鎌倉町時代のマンホール蓋について、下記の記事で紹介したことがある。 citywalk2020.hatenablog.com そのマンホール蓋にある鎌倉町の町章「星月」の由来は鎌倉十井の一つの星月夜の井からと言われている。 星月夜は秋の季語で、星が月のように明るい夜をいうそうだが、鎌倉の枕言葉でもある。 制定されたのは1901年(明治34年)1月1日、立案者は鎌倉小学校の職員とのこと。 2024年5月24日、その由来地を訪ねた。 星月夜ノ井ハ一ニ星ノ井トモ云ウ鎌倉十井ノ一ナリ坂ノ下ニ属ス往時此附近ノ地老樹蓊鬱トシテ昼尚暗シ故ニ称シテ星月谷ト曰フ後転ジテ星月夜トナル井名蓋シ此ニ基ク里老言ウ古昔此井…
『ぎょうだいさま』については下記の記事で簡単に触れた。 citywalk2020.hatenablog.com この時は、何も知らなかったので、ほとんど写真を撮らなかった。 2024年5月20日、再訪し、いろいろな角度から撮らせていただいた。蒲生茶屋通り この通りの途中に木の祠がある。後ろの建物はテレビ番組や舞台の小道具などを扱っている会社の倉庫らしい。 窓からのぞく。 お顔は見えない。足元の両側に鬼が二匹いた。 右は前鬼(ぜんき。斧をもった夫、赤鬼)、左は後鬼(ごき。水瓶を持ち笈〔おい〕を 背負っている妻、青鬼)という鬼らしい。見えないがさらにその下には「砂利道供養」と刻まれているらしい。右…
以前下記の記事で紹介したが、現状どのようになっているのかが気になり、訪問してきた。 citywalk2020.hatenablog.com 撤去工事のお知らせが貼られていた。 堀合通り側 入口は閉ざされていたが、まだ解体は始まっていなかった。橋の下 電車庫通り側 解体が始まっていた。 三鷹市が設置した太宰治の案内板はまだ残っていた。 橋脚の古レールに刻印があるのに初めて気が付いた。 DICK.KERR SANDBERG. D.K 1911 100年以上前のものだ。残念ながらここは解体されてしまうが、このような古レールを利用したものが都内の駅や橋にまだ結構残っている。 探しに行くことにしよう!
2024年6月27日、板橋区へ向かうため、池袋駅を降り、豊島区池袋を歩いていた。 この辺りは以前歩いたことはあるはずだが、以前歩いた時と探索眼が変わっているはず、以前とは別視点になっているはずの自分。 経由地をただ歩くだけではつまらないので、細い道、つまり路地を探し求め探索することにした。 池袋に路地などないと思っていたが、結構あるのである。 探索していると、行き止まりの路地があり、その一番奥に気になるものが見えた。 石のアプローチを進んでいく。 えっ? 何と木製電柱だった。 ペンシル型だが。 ここは豊島区なんだけれど。 まあ、他の都心のブランド区でもこんなところにこんなものがと思うものがある…
浦安市当代島は現存しているので、厳密に言うと旧町名ではなく旧自治体名と言うことになるのだろうけれど、現存していない小字も紹介しているので、旧町名扱いにしてもいいだろう。 シンプルなもの、フルバージョンに近いもの、小字付のもの、"区"と"組"が付いているものといろいろバリエーション豊かなものが発見できた。発見日 2024年7月6日①浦安町当代島 ②千葉県東葛飾郡浦安町当代島 ③浦安町当代島北境 現「北栄(きたざかえ)」 北部土地改良事業前は、耕地で29の字があったが、事業後5字(元割・新中宿・辰己・砂田・北境)になり、さらに昭和56年、住居表示で「北栄」になった。字名(地区名)「北栄」は、旧字名…
以前、池袋駅に止まっていた清瀬駅100周年記念のラッピング電車を見かけたことがある。写真を撮っていたところ、ほとんど撮れないまま、発車してしまった。もう一度見て、撮りたいなと思い、ネットで清瀬駅を検索窓に入れて検索しようとしたところ、候補に「中森明菜」が出てきた。 何でと思って、調べていると、西武池袋線清瀬駅(東京都清瀬市)の開業100周年を記念し、清瀬市が市出身の歌手中森明菜のメッセージパネルを駅構内に設置したとのこと。 パネルは開業100年の2024年6月11日、市が改札近くに設置。大きさは縦2メートル、横3メートルで、中森明菜直筆の「清瀬駅100周年 おめでとうございます」のメッセージと…
2024年7月4日、練馬駅から探索しながら、中村橋駅近くにある練馬区立美術館に向っていた。 中村橋駅北口。 ここを通るのは初めてかもしれない。 街灯が並んでいた。 何だろう? 賞状があった。 佳作 モニュメント「軌条燈(レールランプ)」 西武鉄道株式会社殿 あなたは「日本の鉄道ーパブリックアート大賞」において優秀な成績を収められましたので これを賞します 平成十五年十月十四日 「日本の鉄道ーパブリックアート大賞」運営委員会委員長 清家 清 「日本の鉄道ーパブリックアート大賞」審査委員会委員長 澄川 喜一 財団法人日本交通文化協会理事長 瀧 久雄「パブリックアート大賞」は、「地域の顔」である駅や…
愛用している「東京23区便利情報地図」の145ページの地図を見ると、練馬区に「仲町」の付箋が貼ってあった。 いつ貼ったのかは覚えていないが、チェックしていなかったので、まだ未発見なものに違いない。 「仲町」、地味な町名であるが、現存していない。 同じように地味だが、消滅してしまった旧町名「練馬区南町」は下記の記事で紹介した。 citywalk2020.hatenablog.com 地味であるが旧町名であることには変わりない。 どこに痕跡が残っているのだろう。 2024年7月2日、探しに行った。 そして、無事いくつかの痕跡を発見することができた。① 発見場所 東京都練馬区錦一丁目 ② 発見場所 …
探索中に住居表示街区案内図を見つけると確認したくなる。 今回は結構レアかなと思われるものを発見した。 鎌倉市では珍しくないものかもしれないが、他の自治体では見たことがなかった。 発見日 2024年5月24日 「田楽辻子の道」も気になるよね? えっ! 気にならない? 嘘でしょ! 当ブログにたどり着いた方なら、気にならないはずはない。 しかし、それは別な記事にするつもり。 いつになったら、書けるかわからないが・・・。案内図をアップしてみよう。 そこにはワンダーランドが広がっていた。 痣、じゃない、字だらけ。 丁目ごとに調べてみよう。 浄明寺一丁目・字釈迦堂 浄明寺二丁目・字宅間・字犬懸 浄明寺三丁…
今日はどこを探索しようかなと東京都江戸川区付近の地図を見ていたら、地図に浦安市の一部が載っていた。東京ディズニーリゾートには行ったことはあるが、今まで探索したことはなかった。地図で見ると江戸川区のすぐ隣、市川市の下だった。両方共探索したことがあるし、思ったほどに遠くないし、探索してみることにした。 浦安市、そういえば、以前勤めていた会社で浦安市に住んでいる人がいて、地震の時、液状化で大変だったと言っていたことを電車の中で思い出した。どの辺だったのだろう? 浦安駅を降りる。 どこから探索を開始するかも決めていなく、まず駅前からテキトーに探索を開始するが、駅から近いところだからかアパートやマンショ…
イベントによって変わるロゴ、気が付くこともあるし、気が付かないこともある。 今回は気が付いた!
紫陽花狩りで鎌倉市内を探索していたのだが、宿泊先は市内のホテルではなく、葉山にあるホテル(2024年6月29日放送の旅サラダを見ていると、何と自分達が泊まる何日か前に牧瀬里穂が泊まっていた。)にしていた。 鎌倉駅から逗子駅に向かう。 夕食の時間が早かったので、ホテルへ急いでいた。 向かうにはバス、次の日の帰りの日は大雨だったので、タクシーで逗子駅まで向かう。 そのため、逗子駅付近をゆっくり探索する時間は取れなかった。 ということで、逗子市は東口駅前だけしか立ち寄ることはなかった。 鎌倉市内は何回か探索したことがあるので、隣の市だし、ひとつ先の一駅だし、折角だから、探索してみようという気になった…
2024年7月1日、練馬小学校付近を探索していると、路地の奥に石柱が見えた。 何だろう? 水たまりに気を付けながら歩く。 曲がり角近くにくると、前から自転車が2台続けてきた。 ヒヤッとしたが、幸いなことに、正面衝突することはなかった。 それぞれに「ごめんなさい。」と言われる。 こんなところから人が出てくるとは思っていなかったのだろう。 自分もまさか自転車が来るとは思ってもいなかった。 路地、路地裏が大好きな自分への忠告。 見えない曲がり角は気を付けよう。 気を取り直して、通りに出る。見えた石柱は、小学校の校門だった。 大理石、御影石? 大きくて立派、歴史ありそうな門だ。右側の門をよく見ると「北…
新国立競技場方面からスタジアム通りの右側の歩道を歩いていると、青山高校がある。 校門の先の道を右へ曲がり、道沿いに歩いていく。 右側は青山高校のテニスコート。 突き当りの電柱の右下に石柱が覗いていた。 正面 右側面 真上 左側面 ここに文字が刻まれているはずなのだが、読めない。電柱の隙間から撮ってみる。 左半分しか撮れず、なおかつボケていて、判読不能。 撮れないのかなあ。 この日は、次の予定があり、切り上げて、先を急ぐ。家に帰ってから一人で作戦会議。作戦は決まった。2024年6月6日、別件で近くに来たので、再チャレンジすることにした。 青山高校では体育祭が開催されていた。 開催の様子を撮るわけ…
琺瑯看板マニアなら、知っているかと思うが、と言う自分はこの存在をごく最近知ったのだが、板橋区の熊野町交差点付近に琺瑯看板を含む昭和レトロのものが多数展示されているそうだ。2024年6月27日、現地訪問する。 カンカン照りの中写真撮影に夢中になる。 通行人も撮っている人がいたようだが、周りの視線は気にならなかった。全景 一面看板だらけ。 圧倒される。右半分 左半分 看板類だけではない、仏像、車、大砲なども展示されている。 これだけ収集するのには、かなりの時間とお金がかかったことだろう。壁に展示されている看板類をもう少し細かく見ていこう。 よく見かけるものもあるし、初めて見るものも多い。 看板だけ…
2024年6月17日、初めて普通車グリーン車に乗る。グリーン券を購入すれば必ず座れると思っていたのだが、乗車駅では満員ですぐに座れなく、デッキで立っていた。 係員が回ってきて、新宿駅から空くので座れますと言われたが、ひと駅前の池袋駅から座れた。 グリーン車は快適だのう。 どこかに満席表示されていればいいと思うのだが、そういうサービスはないようだ。最初の目的地は北鎌倉駅近くにある明月院。 だが、通り過ぎて、スーツケースを預けるだけのために鎌倉駅に降りる。幸いなことにコインロッカーがいくつか空いていた。 預けた後、北鎌倉駅まで戻る。 ネットの情報によると、混んでいると北鎌倉駅付近まで行列がつながっ…
2024年6月27日、池袋駅から板橋区を経由して練馬区へ向かう予定を立てていた。 しかし、途中色々なもの(路地が多すぎ)があり、見るものに嬉々としてしまい、中々山手通りを越えて板橋区へ行くことができなかった。 この辺りは探索したことがあるはずなのだが、見落としていたのもあったので、かなり足止めを食らってしまったのだ。 結果、最終目的地の練馬区に全然たどり着くことができなかったのだけれど、それなりの成果があったので、よかったことにしている。街区表示板 ①豊島区池袋二丁目1687 ②豊島区池袋二丁目 肝心の番地の部分が切られてしまっていた。 日陰にあったおかげか①より色が残っている。 広告主の帝都…
紫陽花の季節はもう終わりだが、当ブログではまだ続いている。撮影日 2024年6月8、10、11日 紫陽花の季節なので、人出が多い日もあったので、他の探索と組み合わせて、3日間も通ってしまった。 他の紫陽花の名所に行けばよかったかもしれない。 でも、このような橋と紫陽花が一緒に撮れる場所はここだけなので、結果こうなってしまった。飛鳥の小径 飛鳥山下こ線人道橋王子駅ホームから 橋の上の構造 アーチが美しい。 東京都北区王子1丁目でJR東日本東北本線および東北貨物線を跨ぐ人道橋である。京浜東北線王子駅南口と隣接する飛鳥山公園を結ぶ。1925年(大正14年)竣工で、日本国内に現存する数少ない古レールを…
初訪問日 2020年3月23日(再訪日2024年5月2、9、14日)槐戸橋から 対岸から 藤助河岸跡 蒲生の一里塚 綾瀬川右岸 舟遊び 綾瀬の月を 領しけり 俳人 高浜虚子 この句は高浜虚子が綾瀬川を舟で下った時の作品と言われている。虚子の句が掲げられている反対側のプレート そうかふるさと歩道 川が培ったふるさとのまち 綾瀬川コース(5.5km) 左岸 蒲生大橋「日光道中分間延絵図(文化三年一八〇六年完成)」によると、この橋は、大橋土橋と記されており、長さ一二間四尺、幅二間一尺、綾瀬川に架けられた土橋で、御普請場。足立郡と埼玉郡の境と解説されている。昭和五一年八月に永久橋に架替された時の橋歴書…
都電荒川線の架線柱の中に、柱が緑色に塗られ、先端にタマネギ型の装飾が付いたものがあるらしい。 知ったからには探してみたくなるというのは当たり前のことだろう。訪問日 2024年6月13日それらは荒川二丁目駅周辺にあるらしい。 ①荒川区役所東交差点付近の踏切 架線柱 荒区30号 あっ、これね。 確かにタマネギ型になっている。 カワ(・∀・)イイ!!~、かも。②荒川二丁目駅の先 2本並んでいる。 荒川自然公園の坂の上からちょうどよく見える。 荒二 8号 荒二 6号 荒川七丁目駅から荒川区役所前駅までの間を探してみた。 緑色の柱は何本かあるのだが、先端があるものは紹介した3本しか見つからなかった。荒川…