2025年6月16日、練馬区を探索していたところ、中野区のものを見つけた。練馬区の街区表示板 その下に中野区役所の文字が。 どうしてこんなことに? 考えられるのは、 中野区で利用していた電柱を練馬区に移設した。 誰かが中野区のシールをこの電柱に貼った。 くらいかな。
街探索で見つけた、時代とともに徐々に、また、いつの間にか、しかし確実に街から消えつつある町名看板、旧町名や看板建築、銅板葺き、出桁造り、長屋門の建物等、気になったものを紹介します。
特に珍しい電力プレートではないのだが、意外なところに設置されていたのを発見したので、紹介したくなった。 発見日 2023年3月30日 発見場所 東京都新宿区西新宿五丁目23-5 意外なところというのはこちらである。 淀橋庚申堂である。 この庚申堂は、寛文4年(1664年)に造られたのだが、戦時中の空襲で焼けてしまい、昭和29年(1954年)に淀橋庚申講の方々によって建て替えられたもの。 それでは、ここに設置されている電力プレートを見ていこう。 上は新宿支社、下は中野(中㙒?)と刻まれている。 腐食しているのか、欠けてしまっているところがある。 別な場所に設置されている電力プレート こちらは新宿…
最近、旧町名「中野区東郷町」の目撃情報が上がっていたので、久しぶりに都内の旧町名探索に出向いた。 事前調査では確認できていたが、現地に着くまでは、消滅していないか不安だった。 無事発見することができたので、以前発見したものと合わせて紹介することにしよう。 ①中野區東郷町十三番地 発見日 2021年6月21日 発見場所 東京都中野区本町二丁目 区名が右書きで區になっているので、戦前のものかもしれない。 ②中野区東郷町三十八番地 発見日 2023年3月30日 発見場所 東京都中野区本町三丁目 モジャハウスなので、春から秋にかけては、葉っぱで隠れていて、冬にならないと現れてくれなそうな季節限定の表札…
元々立ち寄る予定がなかった隅田公園を後にして、次の目的地に向かう途中、スカイツリーが映えて撮れそうな橋があった。 初回訪問後、記事を書くために調べていると見落としがいくつかあり、隅田公園の桜も時期によって見れる種類が変わるため、何回か再訪問することになってしまった。 まだ開花前の桜もあるため、もしかしたら、それを見にまた再訪問するかもしれない。 訪問日 2023年2月27日、3月20、24日 訪問場所 東京都墨田区向島 枕橋 源森橋 ゆらぎツリー 枕橋 隅田川に注ぐ北十間川(もと源森川)に架かる橋。 枕橋の街灯は色を塗り替えられたようだ。以前の方がよかったような。 「隅田川八景 枕はし夜雨」の…
かっぱ橋本通り付近に生息している河童たちを探す in 東京都台東区 Part1
記憶があいまいだが、小学生のころかっぱと呼ばれていたことがあったような。どのような理由だったか全然覚えていないが、かっぱに似ていたのかもしれない。それしかないだろう。 そんな縁?もあり、かっぱを探してきた。 訪問日 2023年3月18、20日 2023年3月18日 雨(最高気温 9.2 最低気温7.8)2023年3月20日 晴(最高気温19.2 最低気温6.1) かっぱ橋本通り付近を18日は上野駅方面から、20日は浅草方面から探索する。 スカリツリーが通りの正面に見える。 曹源寺 かっぱ河太郎 東光院 曹源寺 まずはかっぱ寺として有名な曹源寺から かつぱ寺 三毘沙門天 河童大明神 出世地藏尊と…
北本市で大字○○だけのものはいくつか発見しているが、小字が付いているものは初めてだった。 発見日 2023年3月27日 発見場所 埼玉県北本市荒井四丁目 北本市大字荒井字中岡 歴史 1889年(明治22年)4月1日町村制施行。下石戸上村・下石戸下村・石戸宿村・荒井村・高尾村が合併し、石戸村になる。 石戸村大字荒井 1943年(昭和18年)2月11日中丸村と石戸村が合併、北足立郡北本宿村になる。 北本宿村大字荒井 1959年(昭和34年)11月3日町制施行に伴い、名称変更。北本宿村から北本町になる。 北本町大字荒井 1971年(昭和46年)11月3日市制施行 北本市大字荒井(一部) 1973年(…
以前発見した時に記事を書くつもりでいたのだが、すっかり忘れていた。 久しぶりに鳥越神社を訪れたところ、そういえばあったなと思い出し、ようやく記事を書くことができた。 発見日 2022年2月19日(再訪日2023年3月24日) 鳥越神社 一礼 鳥居をくぐり、突き当りの正面に設置されている。 玉垣の上に寄付者奉名板が設置されている。 その隙間から写真を撮る。 正面 土地區劃整理測量基本標 このようなものは初めて見た。 ネットで「土地區劃整理測量基本標」や「土地区画整理測量基本標」という名称のものを調べてみたが、ここにしか存在していないようだ。 右側面 東經 百三十九度四十一分十九秒九一 北緯 三十…
隅田公園を訪問したのはたぶん初めてだった。 東京23区内はかなり探索しているつもりだが、まだまだ未訪問のところがあるのだなぁ。 発見日 2023年2月27日、3月20日 当ブログでは、できるだけ他の方が紹介されていないものを紹介したいのだが、都内にはそのようなものはほとんどないのかもしれない。 でも、隅田公園を訪問して、他に見所がいろいろある中、これをメインに紹介する変人はあまりいないかもしれない。 3本あるのだが、わかるだろうか? 桜が満開に近く、花見客が多かった。 この写真では2本 1本目 2本目 これが一番身長が高かった。 よく探していないので、まだあるのかもしれない。 気になったので、…
「-関東大震災から100年-同潤會アパートと澁谷」展 PartⅠ
渋谷の白根記念渋谷区郷土博物館で同潤会の青山アパートと代官山アパートの資料などを展示する「同潤會アパートと澁谷」展が2023年1月21日から2023年3月26日まで開催されている。(投稿日が最終日の3月26日になってしまった・・・。) 白根記念渋谷区郷土博物館ホームページより 同潤会アパートは、関東大震災復興のために設立された㈶同潤会により建てられた、日本最古のRC 造の公共共同住宅です。渋谷区では、当時最先端の住まいとして青山と代官山に建設されました。このアパートは、質の高い共同体を形成するための工夫や高いデザイン性など、長らく日本の集合住宅の頂点とされてきました。 今回の展示では、震災復興…
旧町名「千代田区三年町」のプレートが設置されていた伊藤ビルの今
以前下記の記事で旧町名「千代田区三年町」を紹介したことがある。 citywalk2020.hatenablog.com 伊藤ビルが解体される途中までは追っていたのだが、その後は足が遠のいていた。 2023年3月22日、近くに来たので、立ち寄ってみた。 ビルでも建設中なのかなと思っていたが、駐車場になっていた。 あのプレートは産業廃棄物になってしまったのだろう。 もう少し頑張れば、救出できたかもしれない。 残念なことをした。
すみだ郷土文化資料館を訪問する予定で着いたら、令和5年3月28日まで休業中とのことであった。 なんてこった。 そんなこと事前に調べておくように。 仕方ないので、近くを歩いていたら、三囲神社という神社があった。 訪問日 2023年2月23日 訪問場所 東京都墨田区向島2-5-17 なんて読むんだ? 「みつかこい」? 全然違っていた。 「みめぐり」だった。 現在、東京都にある三越のライオン像は、日本橋に2頭と銀座に1頭生息しているのだが、今回訪問した場所でかつて三越池袋店にあったライオン像の生息を確認することができた。 日本橋と銀座の三越も再訪して、写真を撮り直してきたので、今回はそれらも併せて紹…
今回は桶川市にいる鍾馗様を紹介することにしよう。 訪問日 2023年2月28日 旧中山道沿いに設置されていた案内板 こちらにも書かれている。 桶川市観光協会のパネル というように桶川市では有名な鍾馗様のようだ。 藤倉家 昭和6年(1931)に建てられた建物は取り壊されてしまったが、鍾馗様は新たな家に迎えられ、屋根の上から睨みを利かしている。 鍾馗様 鍾馗様ではないと思うのだが、蔵の屋根の上に見つけた。
特に探していたわけではないが、今回も偶然発見することができた。 旧与野市内では初だ。 この日は「一粒万倍日」「天赦日」「寅の日」といった開運日が重なる超ラッキーデー。まさに最強開運日ともいえるすごい日と言われている日だった。 超ラッキーデーというほどの大発見ではなかったが、今まで気が付くことができなかったものに出会えたので、ラッキーデーだった。 発見日 2023年3月21日 発見場所 埼玉県さいたま市中央区大戸五丁目 ブロック塀に設置されていた。 たまにブロック塀に設置されているのを見かけるが、設置場所の基準はあったのだろうか? 中央に穴があけられている。 102soさん著の「旧町名さがしてみ…
下谷神社は何度も訪問しているのだが、今まで気が付かなかったものがあった。 発見日 2023年1月25日 発見場所 東京都台東区東上野三丁目29-8 定め書 定一 車馬ヲ乗入ルコト一 樹木ヲ伐ルコト一 建物ヲ汚損スルコト一 火氣ヲ弄ブコト一 悪戯ヲ爲スコト右境内二於二禁止ス昭和八年十二月二十六日東 京 府 東京府とある。 裏面にも注目してほしい。 氏子域内と思われる尋常小学校名が記載されている。 この定め書を奉納したのは、近隣5校の尋常小学校の職員・生徒だったのだろうか? 開校年月等わかるものを調べてみた。 学校名 開校 閉校 現在 下谷尋常小学校 明治8年11月 平成2年3月 上野小学校 西町…
彩の国 平成の道標「中山道 北本宿」と案内板「北本の歴史」」と現町名「北本宿」
桶川駅から北本駅に向かって旧中山道を歩いていると本宿交差点付近に「中山道 北本宿」の道標があった。(訪問日 2023年3月9、14日) 『彩の国平成の道標について』中山道は、その昔人々が行き交い活気ある宿場町として栄えた歴史を持っています。 近年になり、近代化が進み当時の面影はほとんど失われています。この様なことから、中山道の宿場町を主な題材として歴史とロマンをテーマに各宿場町の道路沿いにある残地等を利用して、平成の道標を設置し、21世紀に向けて宿場の歴史を残すと共に、さらに発展することを目指し設置するものです。長期的には、地域の魅力ある彩の国平成の道標を、数多く設置しネットワーク化をはかり、…
菊屋橋公園と孫三稲荷で発見した旧町名 浅草菊屋橋と浅草阿部川町
この日(2023年3月18日)は、冷たい雨の日だった。 今まで暖かかったのに、急に寒くなった。(最高気温9.2℃) 家を出た時はそれほど降っていなかったのだが、上野駅に着いた時は、普通に降っていた。そのうち止むのかなと思っていたが、止む気配がなく、たまに風が吹いたりで、足元はびしょびしょ、靴の中も水が入り込んで冷たくなってしまった。でも、よくあることなので、このくらいで探索は中止しない。 掲示板の下に「阿部川町会」と書かれていた。 この辺りは探索したことがあるのだが、今まで気が付かなかった。 旧町名由来案内 本町は、昭和十一年(1936)年に江戸・明治時代からの浅草栄久町の北半分、同阿部川町の…
現在、埼玉県上尾市で確認できている鍾馗様は4体ある。 以前も撮っていたのだが、ブログの記事にするため、再訪して撮り直すことにした。 訪問日 2023年2月20、28日 ①おしゃれ工房 新井屋 当店の瓦製の鍾馗様は中山道上尾宿脇本陣の細井家より明治35年に屋敷事引き継いだものです。中山道上尾宿では、万延元年(1860年)・慶応4年(1868年)・翌明治2年と幕末から明治初期にかけて3度の『上尾大火』があり、まちのほとんどが消失し疲弊してしまいました。このため、上尾宿では、厄除け・火災除けに鬼瓦の鬼より強い鍾馗様を鬼瓦と向かい合わせにして、睨みを利かせるように屋根に上げるようになりました。又、鍾馗…
北本市は桜やトマト以外の情報はあまり取り上げられないかもしれない(自分の思い込みなので、読者に市民の方がいたら申し訳ない)が、北本市を探索した時に、自分目線で気になったものを紹介しよう。 北本駅構内に設置されていた。 こんな格好はしていないが、自分の業務も不審者と思われても仕方ないことをしているので、周囲を更に気を付けることにしよう。 閉店のお知らせが貼ってあった。 長い間ご苦労様。 若い頃の石川佳純選手のポスターが貼ってあった。 イカのおすし 住宅地に設置されていた。 キリスト看板 公園に設置されている遊具 見たことがないものばかりだ。一番右の猿の頭だけの椅子は不気味だ。 幼稚園に設置されて…
訪問日 2023年2月11日 八重洲北口を出た辺りのロータリー脇の植え込みの中に石垣があった。 これを気にかける人は誰もいない。 たぶん自転車置き場位にしか思っていなかったのだろう。 放置自転車除けの為か、柵に覆われており、近寄ることができない。 上部は緑化ウォールで覆われている。 隙間を見てみると厚さがない。 石垣の表面だけ再現したようだ。薄さを草で隠している。 この石垣は、鍛冶橋門北方の江戸城外堀を発掘調査した際に出土したものを移築再現しました。もともと江戸城外堀は、外堀通り沿いにあり、江戸時代には道路と交差する地点に呉服橋門、鍛冶橋門、数寄屋橋門といった城門が配置され、江戸城の守りとなっ…
今回は埼玉県北本市に現存する旧町名の痕跡の一部を紹介することにしよう。 北本市は旧中山道の桶川宿と鴻巣宿の間にあるのだが、旧中山道付近にはほとんど古い建物が残っていないので、思ったより発見することはできなかった。 発見日 2023年3月9日 北本町の家屋調査済証 発見日 2023年3月14日 北本町立中丸小学校 発見日 2023年3月9日 1887年(明治20年)開校 校内に開校百周年記念の碑が見えた。
靖国神社にある東京の桜(ソメイヨシノ)の標本木が開花し、3月14日、気象庁による開花宣言が行われた。3月14日の開花宣言は、観測史上最速の開花宣言となった2020年、2021年と同日の記録。平年より10日早い開花となった。 ということで桜が市の木になっている北本市から、花の便り。 訪問日 2023年3月9、14日 北本市には、日本五大桜の名木の一つで、国の天然記念物に指定され、源範頼の伝説にも名高い樹齢約800年と推定される「石戸蒲ザクラ」をはじめ、桜並木が見事な「城ヶ谷堤」や全国から30種約200本の桜を集めた「高尾さくら公園」などの、桜の名所がある。 日本五大桜福島県三春の滝桜、山梨県山高…
旧町名マニアならご存じだと思うが、102souさんが「旧町名さがしてみました in 東京」という本をつい先日(2023年3月13日)出版された。 今回はその本にも掲載されている「浅草公園六区」の痕跡を紹介することにしよう。 まず以前に発見した電力プレートから。 発見場所 東京都台東区浅草二丁目 発見日 2021年4月5日 この日(2023年2月27日)は月曜日の平日なのに浅草はめちゃ混みだった。 ほとんど若い子たちと外人さん。 おじさんには訪れにくい場所になってしまった。 上の電力プレートを再確認するために近寄った。 その下にプレートが3枚あった。 たぶん見たことがない種類のプレートだと思うの…
横殴りの雨が降る中、伊東駅前でゴールドポストを見かけた。(2023年2月13日) 「このポストは、東京2020大会のゴールドメダリストの功績をたたえる記念ゴールドポストです。」 東京パラリンピック ボッチャ 混合 個人 BC2において金メダルを獲得した杉村英孝選手の功績をたたえ、2022年2月23日、静岡県伊東市のJR伊東駅前に記念のゴールドポスト(第76号)が設置された。 ゴールドポストは、内閣官房東京オリンピック・パラリンピック推進本部事務局が日本郵便株式会社と協力して実施している東京オリンピックで金メダルを獲得した日本人選手と、選手が関わる地域を盛り上げる「ゴールドポストプロジェクト」に…
川口市を探索していたら、レトロな電柱を発見した。 自分が探索したところでは、千葉県松戸市で多く見かけたが、そのほかではあまり見かけたことはない。目立たないものが多いので、たぶん、気が付かなかっただけだと思う。 あっ、そうだ! 結構頑張って撮ってきたのに、まだ、千葉県松戸市にあるレトロ電柱の記事をかいていなかった。そのうちに書くことにしよう。 ① 発見日 2023年2月9日 発見場所 埼玉県川口市本町一丁目 少し右に傾いている。 現役を引退したようだ。でも撤去されずに残っていてくれているのはうれしいことだ。 現役ではないので、街灯はないが、飾りの形が曲線を描いていて、ユニークだ。 よく見ると何か…
以前、東京都板橋区に現存している琺瑯住所プレートを書きで紹介したことがある。 citywalk2020.hatenablog.com 東京都板橋区を再訪し、上で発見した以外のものを発見したので、今回は、それらをまとめて紹介しよう。 発見日 2022年2月21日 2023年2月6日 ①板橋区泉町21番地 ②板橋區大山東町7番地 ③板橋區東山町8番地 ④板橋區双葉町44番地 ⑤板橋區大谷口上町41番地 ⑥板橋區大谷口北町71番地
久しぶりに桶川市を訪問した。駅前の通りの開発が更に進んでいるような感じだった。 以前訪問した時は気が付かなかったが、国登録有形文化財になっている建物に変わった町名の電力プレートが設置されていて、ビックリした。前回はなぜ気が付かなかったんだろう? 発見日 2023年2月28日 発見場所 埼玉県桶川市寿一丁目 「オケサカ」? 「オケサ」と「カ」ではないよね。 「オケ」と「サカ」だろう。 「オケ」は「桶川」が省略されたものだろう。 「サカ」は何の略だ? 2023年3月6日、桶川市観光協会(中山道宿場館)を再訪した。 窓口に女性の職員の方がいたので旧町名に関する地図などの資料がないかどうか聞いてみるこ…
旧町名 小田原町の住所プレートと電力プレート in 東京都中央区
以前下記の記事で「小田原町」に触れたことがある。 citywalk2020.hatenablog.com それで以前確認しに行ったことがあるものが今どうなっているのか気になり、2023年3月4日、旧小田原町の痕跡の状況を確認しに築地を訪問した。 以前発見した痕跡はすべて無事だったが、気がかりなこともあった。 ①中央區小田原町一丁目三番地七 発見日 2019年12月7日 ②京橋區小田原町二丁目一番地三 発見日 2019年10月28日 ③オダワラ1-23 発見日 2022年5月25日 再訪日 2023年3月4日 以前訪問した時と違う姿になっていた。 電力プレートが設置されている銅板葺きの看板建築は…
伝鎌倉街道と道標「これより石と舟とみち」と満開のカワヅサクラ in 埼玉県北本市
事前調査不足で北本駅に着くまで存在を知らなかったので、訪問する予定はなかったのだが、北本駅の駅前にあった観光案内図を見ていたら、訪問したくなってしまった。 駅からまっすぐ行けば早かったようなのだが、いつものように寄り道ばかりしていたのでここまで到着するのにかなり時間がかかってしまった。 地図にはなかったので、伝鎌倉街道があるとは現地に着くまで知らなかった。 訪問日 2023年3月9日 訪問場所 埼玉県北本市新井一丁目付近 伝鎌倉街道 鎌倉幕府の成立とともに整備された鎌倉街道は鎌倉と関東諸国・信濃・陸奥とを結んだ歴史の道として知られています。かつての鎌倉街道には、上道・中道・下道の幹線とそこから…
青いポストは「速達専用ポスト」として作られ、最初は速達の需要が高いオフィス街の限られた地域だけに設置され、東京都内では千代田区、中央区、港区に35本設置されたらしい。 青いポストの青色は戦前にできた青緑色の航空郵便専用ポストから引き継がれ、「航空」から空をイメージして青色になったといわれている。 速達専用の青ポストの正式名称は、「郵便差出箱 四号(特四号)」 本体の高さ約81cm、幅約38cm(脚部の高さ約58cm、直径約14cm)で、大よそ400通の郵便物が投函できるような設計になっている。 情報が少し古いが2021年3月時点で現存しているのは全国に35本。うち大阪に26本、東京に6本、神戸…
登録有形文化財「松本家住宅主屋」と電力プレート「タチヨ2-6」 in 東京区千代田区
多町の町名案内板はもう発見していたと思ったのだが、まだ発見していなかったので、旧町名の痕跡である電力プレートを紹介するために写真を撮ってきた。 撮影日 2023年3月4日 撮影場所 東京都千代田区神田多町2-9-3 千代田区ホームページより 大工棟梁・松尾栄太郎の設計施工で昭和6年に建築された、神田多町問屋街に残る震災復興町家です。神田に残る元青果物問屋の店舗兼住宅。多町大通りに面した角地に東面して建っているため、狭い間口と長い奥行きの対比がよく見えるところもポイントです。木造三階建、切妻造、平入で、正面は特徴的な「出桁造」の構えをとり、北妻面は窓の少ない防火に配慮した造りとなっており、東京の…
2023年2月28日、上尾駅から旧中山道を歩いて、桶川町の道路元標を確認するために訪れた。 なかった! なんと工事中だった。 折角来たのに。 と書いたが、実は事前に調査をしていたので、このことは知っていたのだった。 現在は川田谷村道路元標とともに桶川市川田谷2839付近にある施設にブルーシートに覆われて保管されているようだ。 これでは道路元標の記事が書けないので、桶川市内の旧中山道を歩いていたら、気になることがいくつかあり、それを記事にすることにした。 その気になったこととは、"桶川市にあるすべての案内には「桶川町道路起点標」とあること"である。 案内図① 案内図② 記事を書いている時気が付い…
歩いていたら、今まで気が付かなかった小さな公園があった。 訪問日 2023年3月2、4日 訪問場所 東京都千代田区神田錦町三丁目 錦三会児童遊園(錦三会子供遊び場) 片隅にいろいろ気になるものが並んでいた。 正面 錦三会子供遊び場 1949年(昭和24年)5月3日 右側面 よい子 強い子 役立つ子 左側面 ごじいんがはら跡 ひらがなで彫られているが何だろう? 筑波山神社の別当(神宮寺)に信吾知足院中禅寺があり、その別院として湯島に江戸別院が存在した。元禄元年(1688)徳川綱吉のとき、この地に護持院として移転され、五万坪の敷地に七堂伽藍が造営された。享保二年(1717)大火により焼失し、江戸城…
旧千代田区立今川中学校の「二宮金次郎像」と「鉄骨」と「ぶどう園」
学校等で二宮金次郎像を見かけると大体写真を撮っている。 探索途中にたまに見かけるがそれほど多くはない。 特に東京23区内では、絶滅危惧種のひとつであろう。 発見日 2023年2月25日、3月4日 発見場所 東京都千代田区鍛冶町2-4 このように大体正面から撮ることはできない。 ほとんどの二宮金次郎像は道路から背を向けて校庭の方を向いている。 うしろ姿 左側に説明板があるようなのだが、見えない。 道路側から見ると土台の右側面に皇紀二千六百年記念とある。 皇紀二千六百年は1940年(昭和15年)だから、この中学校が開校する前だ。 2023年3月4日、再訪したところ、校庭で東京マラソンの準備をしてい…
旧町名「銀座東」は下記の記事で紹介したことがある。 citywalk2020.hatenablog.com そこに紹介していなかった痕跡を昭和通り沿いで発見したので、今回はそれらを紹介することにしよう。 貴重なものなどないが、実際に歩かないと見つけられないものだ。 交差点と歌舞伎座 昭和通りの地図 銀座東一丁目 歩道橋の上にタイル絵があった。 銀座東二丁目 銀座東三丁目 銀座東四丁目はなかった 銀座東五丁目 銀座東六丁目はなかった 銀座東七丁目 銀座東八丁目 ランキング参加中写真・カメラランキング参加中路上観察
福井松平藩邸跡と旧福井中学校と旧町名「浅草福井町」「浅草新福井町」
「~跡」や「~発祥の地」については、今までも書いたことがあるかもしれないが、あまり積極的には取り上げていなかったかもしれない。 説明板を発見するたびに撮っているのだが、他の記事を優先させてしまうため、時間経過とともに自分の記憶の中から飛んで行って、日の目を見ることが少ない。 そのように埋もれさせてしまっているものも、今後は取り上げていこう。 「ヒューリック浅草橋ビル」 片隅に何か記念碑のようなものが見えた。 発見日 2023年2月18日 発見場所 東京都台東区浅草橋一丁目22-16 それは福井松平藩邸跡の石碑だった。 下には福井中学校の歴史が書かれていた。 福井中学校の歴史 明治36年(190…
2023年3月2日、日本教育会館で神田法人会主催の決算説明会があったので出席してきた。 変わりがなくてよかった。 発見日 2020年12月28日(再訪日2023年3月2日) 発見場所 東京都千代田区一ツ橋二丁目 旧教育会館の門柱→1928(昭和3)年創設この門柱は、1928(昭和3)年、当時の帝国教育会によって建設された旧教育会館に附設する教育図書館と教職員の東京宿泊所であった「一ツ橋寮」の入口の門柱である。当時、 教育図書館は東京市からの補助を受け、一時期東京市立神田簡易図書館となり、今日の 千代田図書館に引き継がれていった。その後再び教育会館附設図書館として現在にいたっている。この由緒ある…
「桶川市指定文化財 松山以奈り道の道しるべ」と「二宮金次郎像」 in 桶川市立桶川小学校
桶川小学校の敷地内に設置されているものがある。 発見日 2021年11月23日(再訪日2023年2月28日) 発見場所 埼玉県桶川市西一丁目4-29 桶川市指定文化財 松山以奈り道の道しるべ 右側面 天保七年三月 左側面 當駅世話人 松山以奈り道 (魚) 魚の字が図案化されている。 本小田原町 種別 民俗文化財(有形民俗) 平成八年五月二十九日指定 この道しるべは、東松山市にある箭弓稲荷神社への道を示すもので、中山道桶川宿の北のはずれから分岐していた「松山道」の入り口に、天保七年(一八三六)三月に建てられたものです。松山道は、桶川宿の上の木戸付近から西に折れて、畑や林の間を通り、下石戸村(現北…
言問橋を渡ったところ、道路沿いに東郷平八郎元帥謹書の「牛島神社」の碑があった。 碑が建っている下の石を見ると「松倉町」と彫られている。 裏側に何か彫られているのが見えた。 それを見るために入口と思われる細い隙間を入って、灯籠の間を通るとたどり着くことができた。 この写真だと左奥が入口となる。 裏面 右側面 町会創立発起人が彫られている。 左側面 昭和五年十月建之 裏面 上に松倉町沿革とある。 文学博士 吉田静致 明治5年7月25日(1872年8月28日)~ 昭和20年(1945年)10月4日 1898年東京帝国大学哲学科卒業。1899年文部省留学生となり、ドイツ、イギリスで倫理学を学び、192…
ちょっと変わっている郵便ポストを探すのが面白くなってきた。 探すと言っても、多くの方が情報を提供されているので、それを見に行くだけだが、写真で見るのと実際自分で訪れてそれを見るのでは全然違う。 "変わった郵便ポスト探してみたいな"マニアになりつつある。 というか、もうなっている。 訪問日 2023年2月24日 東京駅丸の内駅舎南口構内 丸形庇(ひさし)付ポスト 高さ :約130.5cm(ボツ含む)直径 :約36.4cm鏡筒直径:約28cm 根石直径:約74cm根石高さ:約20cm 明治41年の回転式ポストは、故障が多いこと、手紙の投入に不便なこと等から明治45(1912)年に回転板を取りはずし…
よく覚えていないが、この通りは歩いたことがなかったかもしれない。 たぬき通りは、かつて新仲見世通りができるまでは雷門通りから浅草六区映画街を抜ける唯一の道として賑わいを極めたという。 この通りはよく人力車が通っている。 最近は女性の俥夫も増えているそうだ。健脚とおしゃべりが上手じゃないと務まらない仕事だよね。 あっ!人力車に踏まれているタイルのたぬきの写真を撮ってくるのを忘れた。 俥夫(しゃふ)は人力車をひく人、車夫(しゃふ)、もしくは車力(しゃりき)とも呼ぶ。 提灯がぶら下がっているのが見える。以前は狸のイラストが描かれたバナーが掛かっていたらしいのだが、雨風に晒されて、ボロボロになってしま…
次の目的地に向かうため、歩いていると桜の説明板があったが、まだ花が咲く季節には早すぎた。 荘川桜 この桜は、 岐阜県荘川村 (現: 高山市)の御母衣ダム湖畔に移植された「荘川桜」の実生から育てた二世桜です。「荘川桜」は昭和35年、J-POWER (電源開発株式会社)の御母衣 ダム建設によって湖底に沈む運命にあった樹齢400余年のアズマヒガンの巨桜2本を、高碕達之助 初代J-POWER 総裁が、ふるさとを失う人々の心のよすがにとの思いから移植を発案し、多くの関係者の協力を得て世界の植樹史上例を見ない大移植を行ない、奇跡的に活着を果たしたものです。 移植後も、J-POWERが荘川桜の手入れを行って…
チェコスロヴァキア大使館?と旧久邇宮邸(聖心女子大学) 正門
撮影日 2023年2月7日 撮影場所 東京都渋谷区広尾一丁目 渋谷区立臨川小学校付近に古い住居表示街区案内図がある。 その案内図に「チェコスロヴァキア大使館」があった。 いつの時代だ? 歴史を簡単にたどってみた。 1920年チェコスロバキア共和国(第一共和国)成立。 1938年チェコ=スロバキア共和国(第二共和国)成立。 1939年スロバキア共和国(第一共和国)とカルパト・ウクライナ共和国が独立して第二共和国は解体。 1940年チェコスロバキア共和国亡命政府が成立。 1945年スロバキア第一共和国政府消滅。チェコスロバキア共和国(第三共和国)が復活。 1960年国名をチェコスロバキア社会主義共…
近くを探索していると必ず立ち寄って現状を確認することにしている。 2023年1月21日訪問時、ちょっと気になったことがあった。 一番上のビスが浮いているように見える。 右側全体に隙間が空いている。 正面を確認してみる。 ビス穴は上から2、2、2、2となっているが、実際に止められているのは、上から両側2、左側1、左側1、右側1となっている。 そう、全部が止められているのではなかった。 止める下の木材が古くてゆがみがあり、うまく止められなかったのだと思うが、少し心配だ。 違う長さのビスが必要だったと思われるが、用意がなかったのだろう。 すぐ落ちてしまうようなことはないと思われるが、今後も定期観察を…
中央区から両国橋を渡って墨田区へ。 もう随分前に訪問した気になっていたのだが、撮った写真が見つからなかったので、訪問するのを忘れていたようだ。 記憶が超あいまいな自分だった。 目的のものを道路の反対側から見る。 横断歩道は少し離れた所にあり、歩道橋を渡ったほうが早かった。 歩道橋の上からパチリ。 発見日 2023年2月25日 発見場所 東京都墨田区両国三丁目 ここに旧町名の痕跡が残っている。 正面 本所松坂町趾 ? 「本所松坂町跡」ではなく「本所松坂町趾」となっている。 ネットでこの石碑のことを調べてみると「本所松坂町跡」と書かれているのがほとんどだった。 「跡」と「趾」に違いがあるのか調べて…
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2025年6月16日、練馬区を探索していたところ、中野区のものを見つけた。練馬区の街区表示板 その下に中野区役所の文字が。 どうしてこんなことに? 考えられるのは、 中野区で利用していた電柱を練馬区に移設した。 誰かが中野区のシールをこの電柱に貼った。 くらいかな。
汗をかきかきしながら、一山超える勢いの急坂の路地を上り下りしていると、木製電柱が立っていた。 こんなところにも木製電柱があるんだと、感心ながら観察していると、電力プレートの存在に気が付いた。 いや、実際は、木製電柱を見た瞬間に気が付いていたのだが、こう書いてしまった。 横須賀市で初めて発見した電力プレートは、やはり木製電柱に付いていた。 カンドー!! 期待も全然していないのに突然出会ってしまったら、この言葉が出るのは当然のことだ。 目撃情報もない。 たぶん。 こんな道は、迷い込まないとたどり着けないだろう。 そんなところにあったのだ。 俺は今、猛烈に感動している。 誰の言葉だったっけ? 電柱の…
ネットで「吉片」の名がある旗竿ボックスの存在を知り、探してみることにした。 所在地は書かれていないので、自分で探すしかない。 「吉片」だから、"駒込吉祥寺町"と"駒込片町"があったあたりだろうと当たりを付ける。 下記の地図に町会の範囲が書かれていた。 ここのどこにあるのだろう? でも、全域を探してもそれほど時間がかからないだろう。 問題は現存しているかどうかだ。2025年5月26日、現地調査を開始する。 すぐ見つかると思っていなかったが、本郷通りの歩道を歩いていると、ちょうど下記の地図の現在地付近にあるのに気が付いた。 下の写真だと下の方。 本駒込地域センターの真ん前。 良く残っていた! 現物…
2025年5月23日たまたま通りがかったら、「2k540 11のヒミツ」が開催されていたので、このイベントの様子をレポートすることにしよう。 その1と2 高架下も、職人のまちかつて御徒町周辺は、伝統工芸職人のまちでした。工房が多く、クリエイターが増えている地域柄を反映しものづくりの街に。見えないところに実は工房が併設されているショップも多数! 周辺の街並みとの調和昔は東西を分断する壁がたちはだかっていた。開発後は、周辺の建物となじむように小さなスケールの棟が並んでいる。 秋葉原駅本屋 その3と4 二つの高架橋が一つになって、2k540になっている山手線・京浜東北線が走る鉄骨鉄筋コンクリート高架…
神辺土建コレクション この大量な琺瑯看板のコレクションの中に旧町名の痕跡がいくつかあった。発見日 2025年4月22日 発見場所 埼玉県入間郡越生町 消えている大字名はサンズイが見えているので、「津久根」か?発見日 2025年5月5日 発見場所 埼玉県入間郡越生町小杉 "梅園"が入っているので、旧町名扱い。ここからは2025年5月5日のこと。 予定では越生駅から50分くらいで行けるはずだったが、例のごとく寄り道してしまったため、1時間半くらいかかってしまった。駅からバスを乗る選択もあったのだが、20分後だった。待ったしても、結果的にバスの方が早く着くのだが、待つのは嫌なので、歩くことにした。越…
発見日 2020年11月12日 発見場所 神奈川県横浜市磯子区杉田 ① ② 歴史 1868年(明治元年)6月17日廃藩置県により神奈川府を設置。神奈川府久良岐郡杉田村となる。 1868年(明治元年)9月1日神奈川府が神奈川県となり、神奈川久良岐郡杉田村となる。 1889年(明治22年)4月1日杉田村、森中原村、磯子村、滝頭村、岡村が合併し、久良岐郡屏風浦村大字杉田となる。 1927年(昭和2年)4月1日屏風浦村が横浜市に編入。横浜市杉田町となる。 1927年(昭和2年)10月1日区制施行、横浜市磯子区杉田町となる。 1964年(昭和39年)3月24日新杉田町を埋立編入。 1978年(昭和53年…
2025年4月10日早朝探索中に偶然発見したもの "京都市""境界キスマーク"で検索してみたところ、ヒットしないので、京都市初かもしれない。 自治体の境界と違って、見つけようとして見つかるものでもないのかもしれない。 京都市と国鉄(工マーク) 境界で石材の材質が違うのが面白い。京都市と法務局 「京都市」の"都"のフォントがユニーク。それぞれの近くにある円形の「法第14条地図」って何だ? 不動産登記法第14条第1項に基づいて作成された地図のことで、法的には「地図」と呼ばれる。これは、正確な測量に基づいて作成されており、土地の筆界(法的な境界)を示す公式なもの。 とのこと。
今回の奈良観光の目的のひとつは、橿原市今井町を散策することだった。 「るるぶ奈良」を見ていたら、「江戸時代に栄えた豪商の町 今井町」と書かれているページが目に留まった。 今井町は平成5年に全国で37番目の重要伝統的建造物群保存地区として選定された。今井町重要伝統的建造物群保存地区は、東西約600メートル、南北約310メートル、面積にして約17.4ヘクタールの規模となっており、地区内には伝統的建造物として、建築物が501件、工作物が119件、環境物件が69件あり、全国で最も多い地区となっている。 そんな町を訪ねてみたくなった。 本来は2日目に訪問する予定だったが、雨が確定していたので、1日目に訪…
大崎駅改札を出たところに展示してあった。おおさき今昔MAP 左側 01 茶室のテーマパーク「大崎苑」江戸時代、現在の北品川五丁目付近には、松江藩松平家(島根県)の江戸下屋敷「大崎苑」がありました。ここには千利休が造った「独楽庵」など11もの茶室があり、七代藩主・松平治郷(不昧公)が居を構えました。不昧公は茶禅一味を追求し、「不昧流」と呼ばれる大名茶を完成させた江戸を代表する茶人でした。 02 日本初のベアリング製造「日本精工」日本精工は、大正3年、現在の大崎に本社工場を構え、家電から人工衛星まで支えるベアリング技術を世界に届けてきました。当時の大崎は田園地帯で、隣には屠牛場と牛舎がある…
朝ドラ「らんまん」の放送(2023年4月3日から9月29日)はすでに終わってしまっているが、2025年6月9日初めて訪問。 目的は、この時期ならではの"あじさい"鑑賞。 東京都指定名勝及び史跡牧野記念庭園(牧野富太郎宅跡) 園内には人はちらほら。 所在地 練馬区東大泉六丁目34番4号 指定 今和二年三月一六日 牧野記念庭園は植物分類学の父といわれる植物学者牧野富太郎(一八六二-一九五七)が大正一五年(一九二六)から昭和三二年(一九五七)に逝去するまでのおよそ三〇年間居住し、研究の場としたところです。大正一二年(一九二三)の関東大震災を受け、牧野の採集した標本や収集資料が失われることを危惧した妻…
たばこ住所プレートと書いていたが、前回からたばこ住所看板になっていたので、継承することにしよう。 これがある歩道は何度か歩いたことがあるはずだが、2025年5月26日、今回初めてこの存在に気が付いた。 文京区では初だった。 これを取り上げている方は少ないと思うが、これはこれで、個人的には貴重なものだと思っている。 図体が大きいので、居場所がなくなり、撤去されていてもおかしくないのだが、たまにだが、新たなものを発見すると、よく残っていてくれたと愛おしくなる。 たばこの臭いは大嫌いだが・・・。
平塚市のライオンズマンションで、金色のライオン像に出会う。 正面 右側面 左側面 裏側 この色のものは初めて見るかもしれない。 色あせているように見えるが、元からこうだったのか、元は金色に輝いていたのか、 大京が手掛けている「ライオンズマンション」の第1号が発売されたのは東京都赤坂で1968年のことだった。その時には、ライオン像はなく、初めて置かれたのは、9年後の1977年で、名古屋市のライオンズマンション唐山)だった。その後は各支店ごとの判断によってライオン像は設置されたので、ライオン像も一様ではなくデザインは様々だそうだ。竣工:1988年06月撮影日 2025年4月25日 撮影場所 神奈川…
2025年5月20日は30度越えの真夏日だったので、最近買ったオニューの日傘を利用。 「入間郡坂戸町」時代の痕跡を、下の案内図付近で探察する。 無事、いくつか発見することが出来たので、その成果を披露することにしよう。 ①埼玉県入間郡坂戸町大字塚越 門から少し離れた所にあり、自分のスマホではこれが限界。②埼玉県入間郡坂戸町大字石井 ③埼玉県入間郡坂戸町大字片柳 他にも怪しいものがいくつかあったのだが、それらの表札は門からかなり離れた玄関付近に設置されており、自分のスマホのカメラでは、撮れなかった。表札は道路から見えやすい位置にないと意味がないと思うのだが、農家などではよくあるケース。望遠を使えば…
国府津駅ホームから海が見える。 ホームにあった何か。 ホームにあるのは珍しい?珍しくない?改札を出たところにあまり立派とは言えない木製の板に写真などが提示されていた。 国府津商工振興会ご挨拶日頃、国府津商工振興会をご利用いただきまして、誠にありがとうございます。国府津商工振興会とは、JR国府津駅周辺広域に位置し、みかん山と相模湾に囲まれた風光明媚な土地柄で育まれた商業・ 農業・漁業・工業を営んでいる会です。古くは、大隈重信をはじめとする著名人の別荘地として愛され、また多くの神社仏閣も現存している中、昔ながらの懐かしいお店から、最近では、お洒落な飲食店がオープンしております。皆様方に足を運んでい…
一通りこの日の目的のものは収穫できたので、帰りの駅を調べてみると、都立大学が一番近い駅だった。大体いつもこんな感じだ。いつも帰りの駅は特に決めていなく、基本的には、一番近いJRの駅まで歩き、私鉄や地下鉄は利用しないことにしている。ただ、時間の関係や最寄りにJRの駅がない場合は、仕方なく私鉄や地下鉄を利用することもある。 都立大駅に向かう途中、「平町」という初めて訪れるかもしれない町域を通る。そこで、偶然、旧町名を発見! 「平町」は現存している町名だが、区名が右書きで、「區」が旧字体なので、戦前のものかもしれない。 発見日 2025年5月27日 発見場所 東京都目黒区平町 歴史 現在の平町・大岡…
北区を探索中に見慣れぬものを発見した。 ①北区郷7-5 発見日 2025年5月23日 発見場所 東京都北区中里三丁目 ネットで調べてみたところ、上のものとは違う目撃情報がひとつだけ見つかったので、探しに行くことにした。どこにあるのかわからなかったが、無事発見することが出来た。②北区郷9-1 発見日 2025年5月26日 発見場所 東京都北区田端三丁目 中央に鋲があるから基準点だと思うが、これが基準点だと書かれているものが見つからなかった。 「郷」についても調べてみたが、旧町名ではないようだし、これも? 数字からするとまだ他にもありそうだが、それぞれ付近を探して見たが、見つからなかった。
東京電力パワーグリッドがあるビルに、サッカーボールの塊みたいな彫刻が建っていた。 なんと! その前に道路元標があった。 調査不足で、その存在を知らなかった。秩父町道路原標 正面 真上 説明板 秩父町道路原標 この地点は秩父盆地の中央に位置し、古くは町名を大宮郷中町と称した。中町を南北に走ることの道路は、秩父往還または中仙道の裏街道とも呼ばれ、札所巡礼や甲州・信州への旅人の往来を見てきた。大宮郷は明治二十二年大宮町と改め、さらに大正五年には秩父町と改称し、ここに「秩父町道路原標 」が設置された。 近年道路交通事情の発展にともない原標としての役割を終えたが、中町を象徴する記念碑としてかけがえのない…
2025年1月7日、五日市街道を歩いていたところ、何かの説明書が立っていることに気が付いた。 個人の方が書かれたもののようだ。 読めなくなってしまった文字もあるが、他の方が撮ったものも参考にして、書き起こしてみた。 樹齢参百五拾年(昭和五十六年十月二十九日伐木) 武蔵国豊多摩郡高井戸村大字大前新田字北本村四百五十〇番地 尾崎家 屋敷林 この欅は、五日市街道の北側に位する尾崎家の常口に聳立して居ました。近来都市化が進むにつれて、上下水道の工事、区道の整備などによって、南側西側の二面の大事な根幹が切断され、剰え、交通量の激増による排ガス、スモッグに冒され、枯死寸前の状態に立ち至り、惜しまれて伐樹さ…
通常は上に伸びるものだと思うが、この植物は横に伸びているのが珍しいと思い、被写体対象になった。 上に伸びている葉もあるけど、根本は地面とほぼ平行になっているように見える。水路ギリギリに生えているので、そのうち水路に落ちてしまわないか心配である。撮影日 2025年5月29日 撮影場所 神奈川県横須賀市
2025年4月17日探索中にオオムラサキと大きく書かれた看板に目を奪われた。 見れるのかな? まだまだ早かった。 ここは伊藤記念公園 台田の杜という公園だった。 住所 東京都清瀬市中里六丁目66番地ほか この代田の杜は、約一万九千平方米の広さを有し、この地に先祖代々から生活していた伊藤家の長女ヨシさんが平成十七年に清瀬市に寄贈した公園です。 伊藤ヨシさんは、清瀬市みどりのモニターなどをし、植物には大変造詣が深く、この地で、晴耕雨読の傍ら、維木林や花を愛し、さらには絵画や短歌を詠むなど悠々自適の生活を送ってきました。 この雑木林をできるだけこのままの状態で保全してほしいという達っての要望に従い、…
北区堀船を探索していたところ、レトロ感あふれる案内図を見かけた。 発見日 2024年6月10日 こういうものでもスイッチが入ってしまう。 「都営住宅堀船二丁目団地」で検索するがヒットしない。 あるのに、なんで? 令和4年3月31日現在の都営住宅団地一覧には、「堀船二丁目アパート」となっていた。 だからか。 建設年度 1968面積 33間取り 2DK管理戸数 40公園にレトロな感じがする水飲み場があった。 今は56歳かな。 正面 側面 案内図を見ると遊園地もあるようだ。 気が付かなかったな。団地の外だが、今まで見たことがない標識が設置されていた。 顔が逆三角形で手があり、手を口に当て何か言ってい…
2024年6月11日、東十条駅へ向かうため、岸町二丁目に入る。 何回も歩いたことがあるし、電車からもよく見える。崖側は行き止まりの坂道や階段だらけ、その中で行き止まりではなさそうな坂があった。 行ってみよう。 突き当りの右側、先が見えない階段 突き当りの左側、先が見えない坂道(芝坂という名前らしい) どちらを行く? 帰る途中で、この日は失望感に打ちのめされていたので、どちらも上がってみる気力がわかず、道を戻る。東十条駅へ向かう階段を上ると案内板がある。 いつもは気にしないのだが、この日は見入ってしまった。さっき上ろうとしなかった坂の場所を確認する。 この辺かな?他に「八五号線予定地」と「トンネ…
いきいき浅草あじさい祭に昨年初めて訪問し、下記の記事で紹介した。 citywalk2020.hatenablog.com 紫陽花の美しさに目を奪われた昨年の感動が忘れられず、今年も早速行ってきた。 東京の最高気温は29.9℃。 東京都心では、12日午後1時39分に、最高気温30.1℃を観測し、今年初の真夏日となったが、それに匹敵する気温だった。訪問日 2024年6月15日訪問場所 東京都台東区千束3-19-6 甘茶香の大香炉 お釈迦さまの御降誕会(花まつり)で知られる甘茶は、甘茶あじさいというガクアジサイの変種から作られるお茶で、古来より健康増進の生薬として親しまれてまいりました。この香炉のお…
2024年6月10日、北区豊島を探索していたところ、大好物な古き良きものをいくつか発見した。電力プレート ①トシマ-27 ②トシマ-39 「シマ」に見えるかもしれないが「トシマ」、「ト」の一部見えている。住所プレート これも住所プレートのひとつ。 北区と番地の文字くらいしか読めなくなっているが、このタイプが残っているということは結構貴重なのだ。非琺瑯町名看板 豊島1丁目20 広告主はよく見かける「川村動物病院」。歴史 1889年(明治22年)の町村制施行時点では北豊島郡王子村大字豊島であった。 1908年(明治41年)8月8日王子村は町制施行し王子町になる。 1932年(昭和7年)10月1日王…
この辺りは探索したことがあるので、やはり以前も撮っていた。 まだ紹介してはいなかったので、改めて撮ってきたことだし、今回紹介することにしよう。 発見日 2024年6月8日 発見場所 東京都北区上中里一丁目 普通の人だったら、これを見て、太い木の棒にくっついている錆びた得体のしれないものとなるだろう。 もっともそう思ってくれるだけましで、存在自体気にしないのが一般的。 読者の方もこんなのが記事になるんかいと思っている方がほとんどだろう。 それがなるんだなあ。 書くから。ここは上中里1丁目30 車にこすられた跡や錆びだらけで痛々しい。 広告主は動物病院であることはわかるが、病院名が読めない。 以前…
2024年3月11日、探索を終え、久しぶりに水道橋駅から帰ることにした。 階段を上がると2番線ホームの左側に下記の説明板があることに気が付いた。 水道橋駅一、開業年月日 明治三十九年十月二十四日 二、水道橋の由来 神田川に架かり、三崎町と小石川・本郷と結ぶ橋であり橋上から神田川に架かった神田上水の万年樋が眺められたことから水道橋と呼ばれるようになった。この風景は江戸の名所に数えられ、「江戸名所図会」など多くの絵に残されている。 三、駅の構造物 駅の柱は、明治時代にドイツから輸入され使用後の古いレールによって組立てられている線路間の柱、ホーム上のアーチ形の柱などレールの芸術作で大変美しい。平成三…
かなり古い情報だが、駅からマンホールさんの王子町 - 路上文化遺産データベースによると王子町時代のマンホール蓋が下記の場所に残っているらしい。 ①堀船3丁目丸蓋1枚 ②十条周辺丸蓋3枚 ③王子本町2丁目丸蓋11枚、角蓋2枚 ④荒川区南千住2丁目丸蓋1枚 合計18枚。 大量だ! 見つかれば大漁だ!それぞれ現存しているか確認に出かけた。訪問日 2024年6月10、11、13日①堀船3丁目 撤去されていた! ②十条周辺 ②-1 中十条二丁目 紫陽花が咲くこの先にそれはあった(⋈◍>◡<◍)。✧♡ ジャジャジャジャーン! 2枚現存を確認。 この調子だ。②-2 十条仲原一丁目 事前にストリートビューで確…
鎌倉市になってからの小字付きの旧町名を発見した。 発見日 2024年5月23日 発見場所 神奈川県鎌倉市扇ヶ谷一丁目 前提知識がないので、扇ヶ谷今小路という町名があると思ってしまい、通り過ぎてしまうところだが、当然違和感があった。 下のアパートの紹介に現町名が書かれていたので、旧町名であることを確認できた。 扇ヶ谷と今小路の間に字が入って「鎌倉市扇ヶ谷字今小路」となる。 個人で住んでいる方はいないようだ。今小路通り 今小路通りとは・・・「新編鎌倉志」では、寿福寺門前にある鎌倉十橋の一つ「勝ノ橋」 から南行し、東側の巽荒神社前までの通りを指しています。「大日本地名辞書」には、「扇ヶ谷の谷口より南…
雨の日の翌日、紫陽花で有名な飛鳥の小径を訪問。 ひとつの花びらから雫が落ちそうになっているところを撮ったら、その中にも紫陽花が写っていた。撮影日 2024年6月10日 撮影場所 東京都北区王子一丁目
2024年6月10日の早朝、そう、歳なので目が早く覚める。 そして、スマホをひらき、前日のアクセス状況を確認する。 布団の中の日課になってしまった。 お知らせを見ると、こんな朝早くから、スターを付けてくださる方がおり、読者になっていただいた方も複数人いた。 何事だ? もしかしたら・・・。 スマホでは確認できない(できるのかもしれないが、方法を知らない)ので、少し早めに起きてパソコンに向かう。 やっぱりそうだ。 「きょうのはてなブログ」に当ブログの記事が載っていた。 右上の記事がそうだ。 今回で3回目になる。 数多くある記事の中から、細々と営業している当ブログの記事を3回も選んでくれるなんて、本…
北区中里を当てもなく彷徨っていたら、路地に入り込んでしまった。 たぶんこの辺りは探索した記憶がない。 と書いたが、いつも書いている通り、自分の記憶はあてにならない。 よく探索しているところでさえ、来たことがないと思ってしまうことがあるのだから。 そんな、来たことがあるのか、ないのかよくわからないところで、見たことのないプレートを発見した。 ということは、本当に初探索地域なのか?発見日 2024年6月8日 発見場所 東京都北区中里 税の赤い文字と東京市章のバランスがどうなのかなと思ってしまうが、そんなのは重要ではない。 東京市のものが存在していること自体が重要なのだ。 東京市と書かれているから、…
横断歩道を歩いていると、近くに警察官がいるにもかかわらず、道路に出て写真を撮っているおじさんがいた。 何を撮っているのだろう? これか。 この交差点は何回も渡っているのに初めて気が付いた。発見日 2024年6月1日 発見場所 東京都港区赤坂二丁目これは、たぶんガス灯だ。 それぞれの部分に美しい装飾が施されている。 それぞれの模様に名前があるのだろうけれど、わからない。 でも、なぜこんなところに? 周りを見回して見るがガス灯らしきものは見当たらない。 帰ってから、ネットで調べてみたが、情報は見当たらなかった。 このガス灯はいつ頃設置されたものなのだろうか? 今も現役なのだろうか?東京都小平市にあ…
東京葛西用水路散策案内 川のまるごと再生プロジェクト「川の国 埼玉」をめざして埼玉県は、県土に占める河川の面積の割合が3.9%で日本一という水辺空間を有しています。この日本一の地域資源を生かすため、県では100箇所の川の再生を進める「水辺再生100プラン」を平成20年度に開始しました。平成24年度からは、さらに市町のまちづくりと一体となり、一つの川の上流から下流までをまるごと再生する「川のまるごと再生プロジェクト」に移行し、県民誰もが川に愛着をもち、ふるさとを実感できる「川の国埼玉」の実現に取り組んでいます。越谷市、草加市及び八潮市を流れる「東京葛西用水地区」においても、各市の申請を踏まえ、こ…
PartⅠでは、入口にいたホラー感漂う「マネキンかかし」と「城島アルミ像」をメインに紹介した。 citywalk2020.hatenablog.com PartⅡではガラスケースの中に展示されている自分も含めたコアのファンしか喜びそうもないものばかりになるかもしれないが、それらをひとつひとつ紹介していくことにしよう。訪問日 2024年6月1、6日それでは、早速右側奥にあるものから紹介していくことにしよう。 ①無人島の宝 漂着物 取れる資源が限られる無人島での開拓。浜に流れ着く漂着物は、時に役立つ貴重アイテムとなる。一見ゴミに見える物でも使い道は様々で、長時間、海を漂って傷んだ結果放つその悪臭は…
2024年5月26日(日)に放送された「ザ!鉄腕!DASH!!~DASH島・電力化計画、電話プロジェクト~」で紹介されていたので、訪問してみようと思い立った。 以前も敷地の周りは探索したことがあるのだが、今まで入館したことはなかった。 思い立ったが吉日と思ったが、開館しているのが、木曜日と金曜日だけだった。北門に着く。 ここから入れると思ったが、警備員に「入口はここではなくて、次の信号を右に曲がって、まっすぐ行って、信号を右に曲がってください。」と言われる。 言われた通り進む。 ようやくたどり着いた。 随分遠回りをしてしまった。 ロスタイム10分以上か?2024年5月30日(木)初めて入館する…
を歩いていたところ、確かこの階段のどこかにカエルがいるはずだということを思い出した。登って確認してみよう。 訪問日 2023年10月5、14日 訪問場所 東京都港区赤坂五丁目 こんなところにいた。 階段の一番上から下を見下ろしたところ こちらは2022年9月27日に訪問した時に撮ったもの。 公園附近沿革案內 この公園の附近は、江戸時代、広島藩松平(本姓浅野)家の下屋敷であった。一ツ木の地名は、むかし、奥州街道がこの地を通過し、人馬の往来が絶えない。 それで人継村といったのを鎮守氷川神社の神木が一本の銀杏の大木であったことから、 一ツ木と読み改めたという説などがある。この高燥の台地には、維新後、…
すっかり忘れていたが、「田無町下向台」はすでに紹介済だった。 citywalk2020.hatenablog.com 今回、田無町時代の旧町名「上向台」を発見したので、紹介することにしよう。発見日 2024年6月4日 発見場所 東京都西東京市向台四丁目 ちょっと文字が薄くなっているが、まだましな方だ。 この薄さが歴史を物語っている。田無町下向台の記事でも記載したが、同じものを載せておこう。田無市の歴史 1878年(明治11年)7月22日北多摩郡に編入される。 1889年(明治22年)4月1日町村制施行に伴い、田無町が発足。 1893年(明治26年)北多摩郡が東京府へ移管され、東京府北多摩郡の所…
2024年5月24日、旧鎌倉町のマンホール蓋がメインくらいに極楽寺付近を探索していたのだが、駅、トンネル、木製電柱、ポストと見どころ満載で、このマンホール蓋のことはすっかり忘れてしまった。 家に帰ってから、あっ、行くの忘れた・・・と思い出す。 もっとも、どこにあるかはっきりと調査していなかったので、見つからなかった可能性もある。 ネットでは詳細な場所の情報は見つからなかったので、ストリートビューで探してみた。 所在地は確認できた。 さて、どうする? しばらくたってから再訪しようと思ったのだが、いてもたってもいられず、翌日再訪することにした。稲村ケ崎小学校が見えた。 学校名の文字がいい感じ。そろ…
日比谷公園 季節によっていろいろな花が咲くので、季節毎に訪れている。 そして、訪れると新しい気づきがあることがある。訪問日 2023年12月16日、2024年6月1日中幸門脇にあるクスノキ 中幸門 『以幸橋門舊礎建造明治三十五年六月』と刻まれているが、この門は明治35年6月の日比谷公園開園時には存在しなかったらしい。手すりがクスノキに飲み込まれていた。 このようになったのはいつ頃からなのだろうか? 自然の力はすごい。 何十年後かには完全に飲みこまれ、姿が見えなくなってしまうのかもしれない。
2024年5月28日、蒸し暑い、これからいやな季節が始まる。 代官山で所用を済ませ、恵比寿駅へ向かうため、たまたま通った代官山公園でタイル絵を発見した。 旧同潤会代官山アパート 文化湯 タイル絵 昭和2年(1927)、この地に旧同潤会代官山アパートが建てられました。アパート内には銭湯もあり「文化湯」と呼ばれ、アパートの住人だけでなく、近隣の多くの人々に利用され、親しまれてきました。このタイル絵は、昭和30年頃「文化湯」が改装された際、壁面に飾られたものです。九谷焼で、客がたくさん「来い」という願いが込められ、鯉が描かれています。長く愛され続けた「文化湯」をいつまでも後世に伝えたいと、ここに移設…