ところどころ文字が消えている看板を発見する。 自転車運転者の方へ 学童に注意して下さい だよね。 たぶん。発見日 2025年7月7日
街探索で見つけた、時代とともに徐々に、また、いつの間にか、しかし確実に街から消えつつある町名看板、旧町名や看板建築、銅板葺き、出桁造り、長屋門の建物等、気になったものを紹介します。
今回新たに電力プレートを発見したので、以前発見していた旧町名の痕跡と共に紹介しよう。 ①浅草花川戸二丁目 発見日 2021年4月5日 発見場所 東京都台東区花川戸 ②ハナカワ-3 発見日 2023年2月27日 発見場所 東京都台東区花川戸二丁目 これもペンキを塗られていた。 剥がさないで、ペンキを塗って、残してくれていることに感謝。 ハナカワ? ああ、花川戸か、と近くにあった街区表示板を見て分かった。 旧町名由来案内 本町は、昭和九年(一九三四)、この地にあった町を整理統合し誕生した。浅草花川戸一丁目は、浅草花川戸町大部、同馬道町四丁目東部、同馬道町六丁 目南側一部、山ノ宿町南隅を合した。浅草…
以前も宮原駅から上尾駅の間は歩いたことはあった。 これから紹介するものは、その時はまだ関心がなく、写真を撮っていなかったもの達だ。 当然、道中旧中山道に関係するものもいくつか撮っているのだが、今回紹介するものの中には、旧中山道に関係するものは何もない。 散歩日 2023年2月20日 旧大宮市の街区表示板 現さいたま市北区宮原町 旧中山道沿いにあったものだけなので、ちゃんと探せばもっと見つかるだろう。 非琺瑯町名看板 (さいたま市北区)宮原町4丁目 (上尾市)愛宕1丁目 こんなの撮る人はいないだろう。 錆びていてほとんど読めない。 広告主を知りたかった。 白毛染いたします パオン 「白髪染」では…
京都市内では数多くの鍾馗様を見ることができるが、今のところ東京都内では数体しか発見できていない。 発見日 2021年9月25日(再訪日2023年2月18日) 発見場所 東京都中央区日本橋人形町一丁目 鍾馗様 「にほんばし人形町 VOL.131 春号 Ningyocho 2014」よりうちのお店の前の路が、芸者さんが住んでいたということで「小菊通り」と呼ばれています。その昔はうちのお店も含め、路の左側半分が置屋さんでした。趣味のある方の住まいだったらしく。 魔除けの鍾馗様が二体あったんです。剣を持った怖い鍾馗様と怖くない鍾馗様があり、それを今もうちの店の入口と裏口の屋根に守り神として残してありま…
身近なところにも史跡は残っていた。 この存在は以前から知っていたが、記事に書いてみようと思ったのは最近のことだ。 興味が湧くものがだんだんと増えてくる。 訪問日 2023年2月4、24日 訪問場所 東京都千代田区外神田4-14-1 秋葉原UDXの築堤石垣 発掘石垣の再利用 秋葉原UDXの建設に先立ち、平成13年に東京都埋蔵文化財センターによる発掘が行われました。旧神田青果市場の基礎の下からは60mに及ぶ江戸時代中頃の石垣が姿を現し、解体調査のうえその一部を当ビルのランドスケープデザインとして再び生かすこととなりました。ひとつひとつ丁寧にクサビ状に加工されたこれらの石は重厚なもので当時この地にあ…
日本橋室町は以前下記の記事で紹介したことがあったことをすっかり忘れていた。 citywalk2020.hatenablog.com 記事を投稿した後、別件で調べていたら発覚した。 以前紹介したことがないものだったので、良しとしよう。 発見日 2023年2月24日 発見場所 東京都中央区日本橋室町 どちらが正しい? 「13-11」が正しいはずだが・・・ 町名の由来(中央区ホームページより) 京都の室町にならったという説と商家が多く集まっており、その土蔵(室)が立ち並んでいたためという説があります。
恵比寿駅と用賀駅を結ぶ東急バス[恵32]系統のバス停に「下通り5丁目」がある。 駒沢通りはよく歩いていたのだが、この日(2023年2月21日)初めてこのバス停に気が付いた。 このバス停名を見て思い出した。 渋谷区下通の表札があったことを。 それがこれだ。 もう少し近寄ってみよう。 柵に覆われていたので、これ以上は近寄れなかった。 左側の板が表札なのだが、離れた所から撮ったため、ただの板切れとしか見えないかもしれない。 しかし、よく見ると文字が書かれているのが確認できる。 この表札が設置されていた建物はかなり前から撮っていた。 この界隈では有名な物件だった。 廃屋だと思っていたのだが、住人がいた…
川口市は何回か探索をしており、古い建物も残っているのだが、電力プレートは今まで発見することができなかった。 この度ようやく発見することができたが、またもやペンキまみれのものだった。 発見日 2023年2月16日 発見場所 埼玉県川口市幸町三丁目 幸町は現存している町名であるが、これは住居表示実施前のものと思われる。 歴史 1935年(昭和10年)6月1日幸町一丁目〜三丁目、青木町三丁目、並木町一丁目から幸町一丁目〜三丁目が成立。 1937年(昭和12年)大字下青木の一部を幸町一丁目に編入する。 1973年(昭和48年)住居表示の実施に伴い、地区の一部が中青木二丁目の一部となる。
宮原駅を降りて旧中山道を歩いていたら珍しいものを発見した。 見たのはたぶん初めてだと思う。 発見日 2023年2月20日 発見場所 埼玉県さいたま市北区宮原町 当初「ゆうパック」は郵政省が販売する包装用品の愛称であったが、1987年(昭和62年)6月1日からは、郵便小包そのものの愛称となった。 郵政省が毎年発行していた『通信白書』(『情報通信白書』の前身)資料編に掲載された統計表では、1993年版まで「小包郵便物取次所」の名称が用いられていたが、1994年版からは「ゆうパック取次所」に改められている。 郵便小包ナンバーくん 裏にフジカラーの看板ともう一枚くっついていたので、何かなと見ようとした…
2023年2月21日、代官山T-SITEを訪問したところ、河津桜が咲いていた。 IVY PLACEは改装中で、明日、2/23 11:30から営業再開するそうだ。 代官山T-SITEの店内でフェアが開催されていた。 蔦屋書店3号館 1階 料理フロア2023年02月13日(月) - 03月13日(月) あそんで、笑える、あみぐるみ By NekoKnit 動物や人、絵画など、幅広いモチーフを手編みで表現しているNekoKnit。今回は「あそんで、笑える あみぐるみ」をテーマに、遊び心のあるちょっとした仕掛けが施されている作品を制作いただきました。作品のストーリーを思い浮かべ、ユーモアのある仕掛けで…
設置されている所在地は分かっていた。 「7-10」はどこだ。 道路を渡って、探すがすぐに見つからず、日本橋人形町一丁目7番を一周してしまった。あっ、あった! と思ったら、老夫婦がパンプレット片手にこの碑を見ていた。 早くどいてくれないかなあ。 発見日 2023年2月18日 発見場所 東京都中央区日本橋人形町一丁目7-10 所在地 中央区日本橋人形町一ー七ー一〇谷崎潤一郎(一八八六~一九六五)は、明治十九年七月二十四日、この地にあった祖父経営の谷崎活版所で生まれました。同二十五年、阪本尋常高等小学校に入学しました。その後、父の事業の失敗により、近くを転々としました。若くして文筆にすぐれ、東京帝国…
発見日 2023年2月7日 発見場所 東京都渋谷区代官山町 この道は坂になっているのだが、上ると左側にLOG ROAD DAIKANYAMA(ログロードだいかんやま)がある。 その途中の右側(当たり前だが、下ってくる場合は左側)に片方だけになってしまっているが、橋の痕跡が残っている。 この橋の存在は以前から知っていた。(よく通っているので、たぶん・・・。) 今まであまり気に留めていなかったのだが、説明板が設置されていることに気がついた。 この坂の名前は、新坂というのだと思ったが、ないらしい。 無名坂だ。 橋の裏は柵に囲まれており、自治会などの物置が置かれている。 分かりにくいが、更にその奥には…
この日(2023年2月10日)は朝から雪だった。 それほど降っていなかったので、長靴を履き、徒歩でさいたま新都心へ。 用事を済ませ、歩行者デッキの上から広場に目をやると・・・。 えっ! あれは何だ? 正体を知っていくせに白々しい。 中々雪のタイミングで撮れることがないので、激写してきた。 とても大きいのだ。 雪化粧しているのだが、写真だと伝わりにくい。 階段の上から① 階段の上から② 横から 斜め前から 顔のどアップ この視線に耐えられるか? 正面 後ろ姿 右前足「2000 1.20 MITSUAKI TANABE」 右後足「BIO DIVERSITY」 右後足「WILD」 左後足「CRISI…
吹上町(ふきあげまち)は、かつて埼玉県北足立郡にあった町だ。 現在は鴻巣市になっている。 発見日 2020年3月13日 発見場所 埼玉県鴻巣市 「縣」と「郡」と「町」と「大字」がいいねえ。 エモい! 歴史 1889年(明治22年)4月1日町村制施行により、北足立郡吹上村・榎戸村・大芦村が合併し、新たに吹上村となる。 1934年(昭和9年)4月29日町制施行により、吹上町となる。 1954年(昭和29年)7月1日北足立郡吹上町・小谷村が合併し、新たに吹上町となる。 1955年(昭和30年)10月1日北足立郡吹上町・北埼玉郡下忍村が合併し、新たに北足立郡吹上町となる。 2005年(平成17年)10…
発見日 2023年2月18日 発見場所 東京都中央区日本橋兜町11−5 中央区を探索していたら、ブルドックソースの本社があった。 「ブルドック」、「ブルドッグ」どっちが正しいのだ? ホームページにはブルドックソースの名前の由来として、ソース発祥の地であるイギリスではブルドッグはシンボル犬として愛されていました。また、ソースが日本の家庭に馴染んできた大正末期に、ブルドッグがペットとして人気を集めていました。そこで、ソースのおいしさもこのペット同様に人々に広く愛されるようにと、商品名に「ブルドック」として採用、マークとしました。 とあった。 英語表記はBULL-DOGであるが、社名はブルドッグでは…
前日は雨と強風で、折り畳み傘がひっくり返るくらいだったので早々にホテルへ。 朝起きたら、雨が止んでいたので、早朝、朝食までの短い時間、伊東市内を探索をすることにした。 ①発見日 2023年2月14日 発見場所 静岡県伊東市和田 雨上がりの玖須美温泉通り。 まだ路面が濡れている。 早朝なので、歩いている人はほとんどいなかった。 玖須美温泉通りの東端に銅板葺き看板建築があった。 えっ! こんなところに 心が躍った。 大川洋品店と玉屋洋菓子店 次に紹介するのは、撮った時は気が付かなかったが、これも銅板葺き看板建築だった。 ②発見日 2023年2月14日 発見場所 静岡県伊東市竹ノ内 鈴木歯科医院 以…
熱海市で電力プレートを発見した。 静岡県は中部電力が管轄だと思っていたので、なぜ電力プレートがあるのだろうと思ったが、調べてみると、富士川以東は東京電力が管轄だった。 家庭用の電気は交流で、日本は静岡県の富士川と新潟県の糸魚川あたりを境にして、東側は50ヘルツ、西側は60ヘルツの電気が送られている。 電気を作る発電機は、明治時代に輸入された。輸入当初、関東にはドイツから50ヘルツの発電機が、関西にはアメリカから60ヘルツの発電機が輸入されたことから、現在も当時の流れをくむ形で2つの周波数が存在している。 発見日 2023年2月14日 発見場所 静岡県熱海市上宿町 熱海市に「本町」という町名はな…
ペンキで塗りたくられている電力プレートを発見した。 周りと同化しているが、この形状のものは遠くからでも見かけるとロックオンしてしまい、吸い寄せられてしまう。 発見日 2023年2月5日 発見場所 東京都板橋区富士見町 双葉町は現存している町名であるが、富士見町で発見した。 歴史 1932年(昭和7年)10月1日東京府内市郡併合による板橋区発足に伴い、東京府東京市板橋区(旧)板橋町八丁目、十丁目および(旧)上板橋町二丁目となる。 1943年(昭和18年)8月1日東京都制施行。 1956年(昭和31年)4月1日地番整理により、(旧)板橋町八丁目、十丁目の一部地域と(旧)上板橋町二丁目の一部地域が双…
中央商店街を歩いていたところ、居酒屋の横に琺瑯看板が貼られているのを発見した。前日もこの商店街を歩いていたのだが、反対方面から来たので右横にあるものは気が付かなかった。 見たことがないものもいくつかあったので、ひとりで興奮してしまった。 発見日 2023年2月13,14日 発見場所 静岡県伊東市松川町 串揚げ・地魚料理の店らしい。 外見は昭和風の店づくりのような感じはしない。 「強力殺虫剤 ハイアース」と「かとり線香 アース渦巻」 「強力殺虫剤 ハイアース」 水原弘 「かとり線香 アース渦巻」 由美かおる オロナイン軟膏 肝心の顔など一部が葉っぱで隠れてしまっている。 単独で撮るのを忘れた。 …
垂氷? たるひと読む。 つららを漢字変換したら出てきた。 氷柱とも書く。 氷柱というと大きなものを想像してしまう。 線路沿いを歩いていたら、ツララを発見した。 久しぶりにツララを見た気がする。 発見日 2023年1月29日 発見場所 東京都台東区秋葉原4番地 こんな立派なものが都会にあるなんて、ちょっと感激。 金網に沿って氷が折り曲がるように付いている。 不思議な自然の芸術作品。
板橋区で初の「たばこ住所プレート」を発見した。 これで「たばこ住所プレート」の発見は六つ目となった。 現町名のものだが、発見できると嬉しい。 発見日 2023年2月6日 発見場所 東京都板橋区宮本町 歴史 1871年(明治4年)11月廃藩置県で所属していた浦和県(現埼玉県)から東京府に編入。大区小区制実施。 1878年(明治11年)郡区町村編制法により北豊島郡が設置され、東京府北豊島郡前野村となる。 1889年(明治22年)4月1日市制町村制施行により志村と合併、東京府北豊島郡志村大字前野となる。 1932年(昭和7年)10月1日東京府内市郡併合による板橋区発足に伴い、東京府東京市板橋区志村清…
加須市指定有形文化財 石敢當 in 千方神社(ちかたじんじゃ)
2023年1月19日、加須市を探索していると神社があった。 何と言う神社なんだろう? 一礼をして、北側鳥居から入る。 千方神社だった。 社務所に貼られていた「千方神社 境内のご案内」を見る。 えっ! 何と石敢當があるではないか! 沖縄だけに存在するものだと思っていた。 石敢當 加須市文化財 石敢當とは中国古代の力士の名だといわれ、中国では町や村の境や辻に建てられ、災害や疫病の守護神として祀ったものといわれている。表面には石敢當・文化十四年丁牛冬十一月長至日、鵬斉陳人興国と刻されている。この石敢當は文化・文政時代の六斎市(五・十の市)即ち毎月五日・十日・十五日・二十日・二十五日・三十日の六日間開…
赤山街道を散策途中立ち寄った。 いつ見ても素晴らしい! 発見日 2023年1月31日 発見場所 埼玉県さいたま市緑区大間木1889 享保12年(1727年)、鈴木家は高田家とともに井沢弥惣兵衛に従って、見沼干拓事業に参加しました。享保16年の見沼通船堀の完成と同時に鈴木・高田両家は幕府から差配役に任じられ、江戸の通船屋敷で通船業務をつかさどり、八丁堤などには通船会所を持っていました。鈴木家は、各船に対する積荷や船頭の割り振りなどの船割りを行い、文政年間以降は八丁会所において船割りにあたり、住まいも八丁に移しました。現在残る鈴木家住宅は、この頃の建立となり、見沼通船の船割り業務を担った役宅として…
随分前に発見したものだが、今まで北乗物町の千代田区町名由来板があるのに気が付かなかった。 昨日(2023年2月11日)、神田北乗物町付近を歩いていたらたまたま町名由来板を発見することができたので、今更であるが紹介することした。 ①北乗物町5 発見日 2019年9月14日 ②北乗物町8 発見日 2019年11月30日 千代田区町名由来板 神田(かんだ)駅の東側には、古い町人町(ちょうにんまち)の面影(おもかげ)を残す町名が目につく。鍛冶町(かじちょう)、紺屋町(こんやちょう)、北乗物町(きたのりものちょう)。そしていまは消えたが、塗師町(ぬしちょう)、鍋町(なべちょう)なんていうのも戦前の頃まで…
まだこのブログを始める前の約2年前のことになるが、②は①を探しに来た時に発見した。 その時は①は発見できず、ひとつ見つかったからいいやと思い、そのまま存在を忘れていた。 先日、渋谷区の旧町名で見落としがないかを再調査している時に、まだ発見できていなかったことを思い出した。 ストリートビューで事前調査するが、入り込めないところにあるようだったので、確認することはできなかったが、この辺だろうとあたりを付けた。 初探索から随分経ってしまっていたが、幸いなことに消滅しておらず、現地ではすぐ発見することができた。 ①澁谷区豊分町二番地 発見日 2023年2月7日 発見場所 東京都渋谷区広尾二丁目 ②渋谷…
発見日 2023年2月4日 発見場所 東京都中央区銀座六丁目6-7 銀座で歩道を歩いていた時に、反対側の歩道に鳥の彫刻があるのに気が付いた。 キツツキ? 道路を渡って近寄ってみると木の幹の形をした石川啄木の歌碑だった。 この道は歩いたことがあるはずだが、今まで気が付かなかった。 京橋の瀧山町の 新聞社 灯ともる頃のいそがしさかな 啄木 この歌の「京橋の瀧山町」が気になった。 京橋區時代の旧町名なのだろうか? 裏側に回答があった。 京橋の瀧山町の由来 京橋の名は維新後の明治十一年に新たに制定された区名で昭和二十二年に現在の中央区に改められるまで七十年の間都民にしたしまれてきた区名です。瀧山町の名…
以前下記の記事で台東区の旧町名「練塀町」のことに触れたことがある。 citywalk2020.hatenablog.com 今回は千代田区の神田練塀町について調べてみよう。 きっかけはライオンズマンションに設置されているプレートだった。 同じ建物に違う町名のプレートが設置されている。 ライオンズマンション秋葉原は「神田練塀町」 東全ゴム工業株式会社は「神田松永町」 どうなってるんだ? 東全ゴム工業株式会社創業は1921年(大正10年)10月で、2021年に創業100周年を迎えたそうだ。 他にもあった。 練塀町とかっこ書きで松永町と書かれている表札だ。 建築計画のお知らせ ここにも神田松永町と神…
久しぶりに旧町名「元広尾町」の痕跡の現存を確認するために広尾五丁目付近を訪れた(2023年2月7日)。 広尾散歩通りは平日にもかかわらず賑やかだった。 創業100年超の銭湯もある。 なんと牧場もあったそうだ。 七星舍牧場跡地 1887(明治20)年、志村峯吉がこの地に七星舎牧場を開設しました。大変先見性のあった人で、1902(明治35) 年に当時渋谷村と言われた田舎の地に大きな二階建ての木造洋館を建設しました。 屋根の上には大きな看板があり一面に「七星舎」の文字が描かれ、両側に小さく「牛」「乳」と描かれていました。洋館の裏には450坪(1485㎡) の牧場に乳牛が 約15頭飼育されており、その…
まだ紹介していないが、最近、赤山街道巡りをしている。 赤山街道とは、江戸時代に関東地方発展の礎を築いた伊奈氏が、土木工事を推進する中で、拠点とした足立郡赤山(現埼玉県川口市赤山)の赤山陣屋と現地との連絡や物資の輸送を目的として設けた道路のことだ。 この日(2023年1月31日)は、赤山陣屋跡へ行ってみることにした。 自宅から目的地までの距離をYahoo!地図で調べたところ、約10kmだった。予定だと徒歩で2時間ちょっとのはずだが、寄り道ばかりしていたので、2時間オーバーの約4時間もかかってしまった。 赤山街道については、まとめるのには時間がかかりそうなので、今回は、探索途中で出会った風景のいく…
訪問日 2023年1月25日 訪問場所 東京都台東区台東三丁目 えっ!ここにあったはずのあれがない! 解体される前はこうだった。 ここには看板建築が並んでいた。 2019年11月5日 右側から撮ったもの 2020年2月1日 左側から撮ったもの 一番右の建物に付いているものをご存じだろうか? そう、あれの正体、タイトルにあるマミーショップ(森永牛乳が展開している販売店)の球体看板だ。球体、球形、丸形、円形、土星型のどれが正式名称かわからないが、当ブログでは球体にしておく。 フォルダーを確認したが、看板を至近距離で撮ったものが見つからなかったので、建物メインの写真になってしまった。 いつか解体され…
現町名「秋葉原」とその旧町名「練塀町」そして「長者町一丁目」と『練塀架道橋』
恥ずかしい話だが、結構最近まで「秋葉原」という町名の存在を知らなかった。 旧町名の痕跡が現存していないところの現町名については疎かった。 何時だったか忘れたが、初めて見た時の反応は、 えっ! 「台東区秋葉原」? 秋葉原は千代田区ではないのかい。 「オタ区」でもなかった。(そんな区があるわけない!) JR東日本の秋葉原駅の所在地は外神田一丁目で、秋葉原ではなかった。 「台東区秋葉原」は秋葉原駅から少し離れているところにある。 秋葉原駅と御徒町駅のちょうど真ん中あたりにある。 京浜東北線、山手線や新幹線等の線路と公園、それにいくつかのビルがあるだけだ。 電気店、メイドカフェ、ゲームショップもない。…
新たに「浦和市大字田島字北」時代のものを発見したので、以前発見したものと合わせて紹介することにしよう。 ①浦和市田島北1465 発見日 2020年12月7日 発見場所 埼玉県さいたま市桜区田島四丁目 ②浦和市田島北1 4 番地 発見日 2023年1月17日 発見場所 埼玉県さいたま市桜区田島四丁目 「北」の文字は消されてしまっているようだが、うっすらと見える。 自分の老眼の目で見えるのだから、若い人は、絶対、きっと、たぶん、おそらく、心の目を使わなくて見えるだろう。 歴史 もとは江戸期より存在した武蔵国足立郡与野領に属する田島村であった。 1889年(明治22年)4月1日町村制施行に伴い周辺1…
レトロな木製電柱とそこに巻き付いているもの in 東京都台東区谷中
今回紹介する谷中幼稚園前にある木製電柱には、電力プレートが付いているのだが、それについては次の記事で紹介した。 citywalk2020.hatenablog.com 今回の主役は、気が付いただろうか。 まず、昭和を感じさせる木製電柱だ。 谷中に木製電柱、似合うとは思わないだろうか? ただ場所が商店街ではなく、谷中幼稚園の前。 裸電球が付いているが、残念ながら現役ではないようだ。 次は巻き付いているものについて 巻き付いているものとは何だと思うだろうか? ワト舎(雑貨屋さん)の看板じゃないの? 幼稚園の注意書きかな? ではない。 そう、木だ。 棚があるのでフジの木だと思うが、まるで大蛇が絡みつ…
郵便創業100年記念ポストは、東京都に日本橋郵便局前と本郷郵便局前に、大阪府に日本銀行大阪支店前にと3基しかないらしい。 日本銀行大阪支店(大阪府大阪市北区中之島2丁目1)は当面訪問する予定はないので、東京都にあるふたつのポストを紹介しよう。 ①本郷郵便局 撮影日 2023年1月21日 撮影場所 東京都文京区本郷6丁目1-15 人と車がいないところを狙って撮るのだが、それがなかなか大変だ。 この写真も近くに人がいるのだが、見えない角度を探して撮ったもの。 たかが1枚の写真であるが、出来栄えはともかくとして、結構苦労して撮っているのである。 右側 郵便創業100年記念郵便ポスト 左側 通常の郵便…
ネットで調べていたら面白い看板を発見したので、探してみよう。 発見日 2023年1月21日 発見場所 東京都文京区千駄木二丁目 この電柱の両側には何があると思うだろうか? 想像もつかない。 その通りだろう。 右側 緑バージョン 左側 こちらは赤バージョンだった。 初めて見た。 上下はかなり劣化しているが、絵ははっきりしている。 一輪車人間? 何というユニークなデザインだろう。 この後ろにある家から人が出てきた。 何か言われると思ったが、大丈夫だった。 どこかに出かけるために出てきただけだったようである。 他にもないかと周辺を探したみた。 あった! 裏を見たが、赤バージョンはなかった。 こちらは…
ネットで調べていたら、旧町名の発見情報があった。 いつも参考にさせて頂いている方の発信だった。 この辺りは探索したことがあるはずなのだが、この旧町名の痕跡の存在は、今まで気が付かなかった。 発見日はすべて2022年12月17日。 ①表札 発見場所 東京都文京区千石三丁目 すぐ近くで解体工事をしている人が数人いたので彼らの目が気になった。こちらを見ていないだろうと思われる時を見計らって、さっと写真を撮り、伏目がちにその場を立ち去った。 急いで撮ったが、ちゃんと撮れていてよかった! ②電力プレート 発見場所 東京都文京区千石二丁目 劣化が進んでいるが、遠目でもこの形ですぐわかった。 ③町会員プレー…
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ところどころ文字が消えている看板を発見する。 自転車運転者の方へ 学童に注意して下さい だよね。 たぶん。発見日 2025年7月7日
2025年7月18日、Google マップを見ていたら、右下の人型のアイコンが女の子?になっているのに気が付いた。 今までは黄色い人形だったのに。 この人形のことを「ペグマン」という名前ということを初めて知った。 正面 後ろ姿 横向き 動かしている時 右手に持っているのは何? 調べてみると、BLACKPINKとのコラボらしい。 Googleマップを動かしてみると、東京23区以外では、普通の形になる様だ。3月8日の国際婦人デーにあわせて女性のアイコン、「Pegwoman」(ペグウーマン) に変更されたことがあったそうだ。 イギリスのネス湖に行ってみたら、ネッシーらしいアイコンが出てきた。
JR宇都宮線自治医大駅を降り、徒歩で下野薬師寺へ向かう。 寺院の跡だけと思っていたが、寺院が建てられていた。国指定史跡 日本三大東戒壇 下野薬師寺 下野薬師寺は天武天皇白鳳八(六八〇)年に皇后(後の持統天皇)の病気平癒を祈念して建立されました。天平宝字五(七六一)年に戒壇院が置かれると、奈良東大寺、筑紫観世音寺とともに日本三戒壇といわれ、坂東十か国の僧侶となる人は下野薬師寺で修業を積み受戒しなければならない定めになっていました。暦応二(一三三九)年、足利尊氏は国ごとに安国寺を建てましたが、下野国では新たに寺院を設けることなく下野薬師寺の寺名を安国寺に改称しました。元亀元(一五七〇)年、小田原の…
2025年5月12日、根岸駅を降り、大通りを越え、細い道を歩いていると、木製電柱に出会った。 色々なものがくっついている電柱もあった。 これは、支柱に支えられている。 マンションの前にもあった。 子育地蔵尊の横にもあった。 横の道にもあったので、合わせると10本近くあったかもしれない。 細い木製のものだが、この短い距離の間にこれだけ集中しているのを見たのは、初めてかもしれない。
旧番地「大田区羽田」関連の痕跡は、下記のふたつの記事で紹介したことがある。 citywalk2020.hatenablog.com citywalk2020.hatenablog.com 今回は別目的で、羽田を再訪したのだが、町内を改めて探索したところ、新たに旧番地時代の痕跡(現在と丁目が異なる)を発見することが出来た。 ① 発見日 2025年7月12日 町名の後が消されているが、文字が薄く残っている。 ② 発見日 2025年7月14日 歴史 1907年(明治40年)町制を施行し、羽田町となった。 1932年(昭和7年)蒲田區が成立する。羽田町域は羽田一丁目から三丁目等に編入される。 1958…
2025年6月5日、最高気温29度の中、坂道を上って、日野市郷土資料館(日野市程久保550)を訪問する。 常設展示物の中で今まで見たことのないものを発見した。 獅子印ライオン歯磨と右書きで書かれている。 小林商店? あのライオンと関係あるのか? その時はまだわからなかった。 住所らしきものも書いてあったのだが、老眼の自分の目では確認できなかったので、写真だけ撮って、家に帰ってから調べることにした。家に帰って、調べてみたところ、やはりあのライオンと関係があることが分かった。 ライオンの年表を見てみると、 1891年(明治24年)初代小林富次郎、東京神田柳原河岸に石鹸およびマッチ(燐寸)の原料取次…
2025年6月19日、群馬県館林市を探索していたところ、電力プレートを発見した。東京電燈? マークも何もないが、形状から判断。 東京電燈が館林に進出していた歴史を調べてみた。 1908年(明治41年)12月利根発電株式会社は創業当時は上毛水力電気株式会社と名乗り東京市京橋区で創立された。 1910年(明治43年)前橋市への供給を開始した。 1911年(明治44年)10月群馬県佐波郡伊勢崎町、太田町、館林町へ翌11月に渋川町に供給を開始。 1921年(大正10年)4月1日利根発電株式会社は東京電燈に合併し消滅した。関東配電 1942年(昭和17年)国家総動員法に基づく配電統制令により、東京電燈、…
今回ターゲットとした自治体は、千葉県の地図を見ていて、行ったことがないし、それほど遠くもないし、旧町名の未開拓地ということで決定した千葉県鎌ケ谷市。 旧町名については何の情報もなかったので、探索しながら探すしかない。 でも、探索していれば何かしら見つかるだろう。 きっと。 諦めないことが大事。2025年7月5日、新鎌ヶ谷駅から探索開始。 駅前の観光案内を見ていたら、駅から近いところに、行ってみたいところが見つかる。 それらを見学していたら、道を間違えてしまい、とんでもないところまで来てしまった。 軌道修正をしなけれならない。 そんな途中で、旧町名を無事発見することが出来た。鎌ヶ谷町時代の表札 …
今回の横須賀市訪問は、琺瑯町名看板探索がメインだったので、そのほかのものについては、ほとんど事前調査してこなかった。 なので、偶然出会ったものには新鮮味を感じする。 逆に事前調査をしてこなかったため、見つけたものに対して家に帰って調べていると再訪問の必要を感じることも多々あり、悩ましい。 タイトルを「路上文化遺産」としたのは、複数紹介したいものがあったので、ひとくくりにするためである。と、わざわざ断りを入れる必要もないのだろうけれど、使ってみたかったこ・と・ば。 発見日 2025年5月22日 「市」の文字だけの境界石と道界 自治体名が入っているものが多いので、"市"だけというのは珍しいかも。自…
滝坂道という名称は後で知ることになるのだが、この日(2025年3月18日)は道玄坂から裏渋谷通りを進む。 この通りに表面が摩耗していてマニア以外は誰も気が付かないと思われる蓋があった。 渋谷町水道時代のものとのこと。 歴史1889年(明治22年)町村制施行により南豊島郡渋谷村が誕生。 1909年(明治42年)町制施行、渋谷町となる。 1923年(大正12年)渋谷町水道、給水開始。 1932年(昭和7年)東京市へ編入され、渋谷区の一部となる。 続いて、"新榮會"と書かれている旗竿ボックスの存在をネットで知る。 大体の場所は書かれていたので、ストリートビューで確認してみると、最新が2022年10月…
JR成田線滑河駅前の道を進んでいくと、下総郵便局があり、そこに金色に光るポストがあった。 誰のだろうと思ったら、体操の橋本大輝選手だった。 何でこんな片田舎(失礼)にあるんだろう? 調べてみると、成田市立高岡小学校出身とのこと。 1995年(昭和30年)2月11日下総町が誕生し、校名を「下総町立高岡小学校」と改称。 2006年(平成18年)3月27日下総町・大栄町・成田市の市町合併に伴い、校名を「成田市立高岡小学校」と改称。 とあった。 彼の生年月日は2001年8月7日、まだ千葉県香取郡下総町だった頃だ。 それでここにあるんだ。 合点承知の助。撮影日 2025年6月24日
探索を終え、石橋駅で電車を待っていたところ、下り線ホームの向こうにイノシシの形に見える植木を発見。 自然とこうなったのか、刈り込んで形を似せたのかわからないが、イノシシが立たずんでいるような姿に見える木だった。撮影日 2025年7月3日
発見日 2026年6月19日 発見場所 群馬県館林市西本町 ① ② 旧町名標示板 古墳や一里塚のことを塚と呼び、塚が多く存在したことか塚場町と呼ばれたと考えられている。歴史 1969年(昭和44年)11月1日第二次住居表示が実施され、大字館林字鞘町・塚場町・木挽町と、代官町の一部が合併し西本町となった。
2025年6月7日、石神井公園ふるさと文化館を訪れると、尾張殿鷹場碑が展示してあった。 尾張徳川家の鷹場の範囲を示すために設置されたもの。41か村にわたり83本の杭が建てられていました。 これは、大正2年ごろまで南大泉に建っていたものらしい。これをきっかけに練馬区の鷹場碑のことを調べていたら、大泉第一小学校にもあることが分かった。この日の東京の最高気温は34.8℃、風があるが、熱風だ。 日傘は風に翻弄され、すぐひっくり返る。 暑い上に、日傘のコントロールに疲れ、探索意欲をそぐ一因となる。 そんな中、大泉公園駅から、歩いて来て、ヘロヘロ、ヨロヨロになりながら、ようやくたどり着いた。 下校時間前に…
発見日 2020年11月12日 発見場所 神奈川県横浜市磯子区森 ①表札 ②琺瑯町名看板 歴史 1868年(慶応4年)6月17日廃藩置県により神奈川府を設置。神奈川府久良岐郡森村となる。 1868年(明治元年)9月1日神奈川府が神奈川県となり、神奈川久良岐郡森村となる。 1889年(明治22年)4月1日森中原村、杉田村、磯子村、岡村、滝頭村と合併し、久良岐郡屏風浦村大字森となる。 1927年(昭和2年)4月1日屏風浦村が横浜市に編入。横浜市森町となる。 1927年(昭和2年)10月1日区制施行で磯子区誕生。横浜市磯子区森町となる。同時に鶴見区・神奈川区・中区・保土ケ谷区が発足し、市内5区となる…
2025年6月23日、宇都宮駅を降りて結構すぐに見つけた家屋調査済証。 帰ってから調べてみると旧町名のものだった。 この付近は、大きく蛇行する田川と上河原町(かみがわらまち)とにはさまれた半月形の袋小路になっていたので、小袋町の名が付けられた。江戸時代には、大工・車細工・紺屋(こんや)などが軒を並べていた。現町名:宇都宮市大通り三―四丁目・駅前通一―二丁目
入ったことがないと思われる路地があり、あまり見かけない大きな仏堂があるのに気が付いた。 文京区指定有形文化財 銅造地蔵菩薩立像 所在 千駄木一丁目22番22号 専念寺指定 平成25年3月1日本像は、江戸時代に東都六地蔵の第二番・宝珠地蔵として有名であった地蔵尊である。高さ233.6cmを測る鋳造仏である。東都六地蔵とは空無上人が元禄4年(1691)頃に建立したものであり、いわゆる「始めの六地蔵」といわれるものである。建立場所は、一番駒込瑞泰寺(文京区向丘二丁目36番1号、昭和61年再建)、二番千駄木専念寺(本像)、三番日暮里浄光寺(荒川区西日暮里三丁目)、四番池之端心行寺(もと台東区池之端。府…
今年ももう残り半分だ。早いのう。2025年7月1日、宇都宮線小金井駅がある栃木県下野市に初上陸。ところで「下野市」は何と読むが知っているだろうか? たぶん歴史で「下野国」という古い国名を習ったと思うが、覚えているだろうか? 「しものし」と読んでしまいそうだが、「しもつけし」が正解。小金井駅で宇都宮線開業140周年だったことを知る。 当駅以外に「小金井」が付く駅名は、武蔵小金井駅と東小金井駅、新小金井駅(以上東京都小金井市)、花小金井駅(東京都小平市)がある。小金井駅で下車した目的はふたつある。 ひとつ目は日光街道の小金井宿の痕跡を探すこと。 ふたつ目は、旧町名を発見すること。国分寺町が石橋町・…
2025年5月29日、次の目的地に向かうため、県道28号本町山中線を歩いていると、逸見駅を越え、国道16号線と交差する辺りに出桁造りの建物がいくつかあることに気が付いた。出桁造りの建物は横須賀市でいくつか出会っているが、ファサードが改修されていて、当時の面影があるものがほとんどない。そんな中、プレートがいくつか残る元商家らしい出桁造りの建物があった。 その建物に待望のものが付いていた。 残念ながら、旧町名のものではなかった。 「東逸町」? 「東逸見町」が正しいはずだが、"見"が抜けている。 "逸見"は"いつみ"と読むのかな? 違った。 "へみ"だった。 読めへん、ばってん。歴史 明治元年神奈川…
2025年6月2日の11時半頃、ランチにはまだ早いが、平日とはいえ、人気店のカフェなので、混むかもしれないので、入店することにした。 cafe Hackberry 満席とのことで、入口にあった予約機で順番を取る。"001"だった。 店の中で待っていると、予約客がどんどん来る。 壁を見ていたところ、映画のポスターが貼ってあることに気が付いた。 ポスター ロケ地マップ ここで、初めて、今井町が『わたしの幸せな結婚』のロケ地になっていたことを知る。事前に今井町とこの店のことを調査してきたつもりだが、視点が違っていたのか、気が付かなかった。雑誌の記事 撮影は京都の舞鶴市、奈良の間原市今井町でも行われた…
今回が清瀬市の旧町名初投稿となる。 「上清戸」「中清戸」とも現存している町名なのだが、「清瀬町」時代のものなので、旧町名扱いとしている、という断りは不要だと思うが、一応断っておこう。①東京都清瀬町上清戸 発見日 2024年7月11日 発見場所 東京都清瀬市元町二丁目 ②清瀨町中清戸六三六番地 発見日 2024年7月11日 発見場所 東京都清瀬市中清戸 「瀬」の旧字体「瀨」、よろし。③北多广郡清瀬町中清戸875番地 発見日 2024年7月18日 発見場所 東京都清瀬市中清戸 「北多广郡」よろし。④清瀬町中清戸五三八 発見日 2024年7月18日 発見場所 東京都清瀬市中清戸 日枝神社に柊の木が植…
今回は、現在位置に書かれている栄から西ヶ原二丁目に向かう人道橋からの眺めを紹介する。 以前も撮ったことがあるのだが、橋の名称が分からなかったので、再訪することにした。 記事を書くにあたって、撮った場所で写真を検索したのだが、以前撮った写真が見当たらない。 位置情報の設定を解除してしまった時に撮ったのかもしれない。 前回撮った写真と今回撮った写真を組み合わせて紹介する予定だったのだが、仕方ない、今回撮ったものだけで紹介することにしよう。撮影日 2024年6月10日橋名は上る途中に設置されていたプレートで確認することができた。 分かりやすい場所にあったのに、前回は気が付かなかったなあ。 栄側の上り…
今日(2024年7月16日)は、所用で月一回代官山へ出かける日。 赤羽で降りるつもりが、寝過ごし、王子で起き、赤羽まで戻る。 赤羽で埼京線に乗るつもりでいたが、2本続けて新宿止まり。掲示板を見るとちょうど湘南新宿ラインが5分遅れになっていた。 ラッキー! と思ったのもつかの間。 更に遅れるということと新宿までの折返し運転になるとの放送あり。 仕方ない。 埼京線で新宿まで行き、山手線に乗り換え、恵比寿まで。 恵比寿駅を出たところで雨。 いつも傘を持ってきているのだが、ついていないことが重なる。 この日に限って忘れてしまった。 結構降ってきたが、コンビニもない。(セ○○イ○○○は無視。) 濡れなが…
鎌倉町時代のマンホール蓋について、下記の記事で紹介したことがある。 citywalk2020.hatenablog.com そのマンホール蓋にある鎌倉町の町章「星月」の由来は鎌倉十井の一つの星月夜の井からと言われている。 星月夜は秋の季語で、星が月のように明るい夜をいうそうだが、鎌倉の枕言葉でもある。 制定されたのは1901年(明治34年)1月1日、立案者は鎌倉小学校の職員とのこと。 2024年5月24日、その由来地を訪ねた。 星月夜ノ井ハ一ニ星ノ井トモ云ウ鎌倉十井ノ一ナリ坂ノ下ニ属ス往時此附近ノ地老樹蓊鬱トシテ昼尚暗シ故ニ称シテ星月谷ト曰フ後転ジテ星月夜トナル井名蓋シ此ニ基ク里老言ウ古昔此井…
『ぎょうだいさま』については下記の記事で簡単に触れた。 citywalk2020.hatenablog.com この時は、何も知らなかったので、ほとんど写真を撮らなかった。 2024年5月20日、再訪し、いろいろな角度から撮らせていただいた。蒲生茶屋通り この通りの途中に木の祠がある。後ろの建物はテレビ番組や舞台の小道具などを扱っている会社の倉庫らしい。 窓からのぞく。 お顔は見えない。足元の両側に鬼が二匹いた。 右は前鬼(ぜんき。斧をもった夫、赤鬼)、左は後鬼(ごき。水瓶を持ち笈〔おい〕を 背負っている妻、青鬼)という鬼らしい。見えないがさらにその下には「砂利道供養」と刻まれているらしい。右…
以前下記の記事で紹介したが、現状どのようになっているのかが気になり、訪問してきた。 citywalk2020.hatenablog.com 撤去工事のお知らせが貼られていた。 堀合通り側 入口は閉ざされていたが、まだ解体は始まっていなかった。橋の下 電車庫通り側 解体が始まっていた。 三鷹市が設置した太宰治の案内板はまだ残っていた。 橋脚の古レールに刻印があるのに初めて気が付いた。 DICK.KERR SANDBERG. D.K 1911 100年以上前のものだ。残念ながらここは解体されてしまうが、このような古レールを利用したものが都内の駅や橋にまだ結構残っている。 探しに行くことにしよう!
2024年6月27日、板橋区へ向かうため、池袋駅を降り、豊島区池袋を歩いていた。 この辺りは以前歩いたことはあるはずだが、以前歩いた時と探索眼が変わっているはず、以前とは別視点になっているはずの自分。 経由地をただ歩くだけではつまらないので、細い道、つまり路地を探し求め探索することにした。 池袋に路地などないと思っていたが、結構あるのである。 探索していると、行き止まりの路地があり、その一番奥に気になるものが見えた。 石のアプローチを進んでいく。 えっ? 何と木製電柱だった。 ペンシル型だが。 ここは豊島区なんだけれど。 まあ、他の都心のブランド区でもこんなところにこんなものがと思うものがある…
浦安市当代島は現存しているので、厳密に言うと旧町名ではなく旧自治体名と言うことになるのだろうけれど、現存していない小字も紹介しているので、旧町名扱いにしてもいいだろう。 シンプルなもの、フルバージョンに近いもの、小字付のもの、"区"と"組"が付いているものといろいろバリエーション豊かなものが発見できた。発見日 2024年7月6日①浦安町当代島 ②千葉県東葛飾郡浦安町当代島 ③浦安町当代島北境 現「北栄(きたざかえ)」 北部土地改良事業前は、耕地で29の字があったが、事業後5字(元割・新中宿・辰己・砂田・北境)になり、さらに昭和56年、住居表示で「北栄」になった。字名(地区名)「北栄」は、旧字名…
以前、池袋駅に止まっていた清瀬駅100周年記念のラッピング電車を見かけたことがある。写真を撮っていたところ、ほとんど撮れないまま、発車してしまった。もう一度見て、撮りたいなと思い、ネットで清瀬駅を検索窓に入れて検索しようとしたところ、候補に「中森明菜」が出てきた。 何でと思って、調べていると、西武池袋線清瀬駅(東京都清瀬市)の開業100周年を記念し、清瀬市が市出身の歌手中森明菜のメッセージパネルを駅構内に設置したとのこと。 パネルは開業100年の2024年6月11日、市が改札近くに設置。大きさは縦2メートル、横3メートルで、中森明菜直筆の「清瀬駅100周年 おめでとうございます」のメッセージと…
2024年7月4日、練馬駅から探索しながら、中村橋駅近くにある練馬区立美術館に向っていた。 中村橋駅北口。 ここを通るのは初めてかもしれない。 街灯が並んでいた。 何だろう? 賞状があった。 佳作 モニュメント「軌条燈(レールランプ)」 西武鉄道株式会社殿 あなたは「日本の鉄道ーパブリックアート大賞」において優秀な成績を収められましたので これを賞します 平成十五年十月十四日 「日本の鉄道ーパブリックアート大賞」運営委員会委員長 清家 清 「日本の鉄道ーパブリックアート大賞」審査委員会委員長 澄川 喜一 財団法人日本交通文化協会理事長 瀧 久雄「パブリックアート大賞」は、「地域の顔」である駅や…
愛用している「東京23区便利情報地図」の145ページの地図を見ると、練馬区に「仲町」の付箋が貼ってあった。 いつ貼ったのかは覚えていないが、チェックしていなかったので、まだ未発見なものに違いない。 「仲町」、地味な町名であるが、現存していない。 同じように地味だが、消滅してしまった旧町名「練馬区南町」は下記の記事で紹介した。 citywalk2020.hatenablog.com 地味であるが旧町名であることには変わりない。 どこに痕跡が残っているのだろう。 2024年7月2日、探しに行った。 そして、無事いくつかの痕跡を発見することができた。① 発見場所 東京都練馬区錦一丁目 ② 発見場所 …
探索中に住居表示街区案内図を見つけると確認したくなる。 今回は結構レアかなと思われるものを発見した。 鎌倉市では珍しくないものかもしれないが、他の自治体では見たことがなかった。 発見日 2024年5月24日 「田楽辻子の道」も気になるよね? えっ! 気にならない? 嘘でしょ! 当ブログにたどり着いた方なら、気にならないはずはない。 しかし、それは別な記事にするつもり。 いつになったら、書けるかわからないが・・・。案内図をアップしてみよう。 そこにはワンダーランドが広がっていた。 痣、じゃない、字だらけ。 丁目ごとに調べてみよう。 浄明寺一丁目・字釈迦堂 浄明寺二丁目・字宅間・字犬懸 浄明寺三丁…
今日はどこを探索しようかなと東京都江戸川区付近の地図を見ていたら、地図に浦安市の一部が載っていた。東京ディズニーリゾートには行ったことはあるが、今まで探索したことはなかった。地図で見ると江戸川区のすぐ隣、市川市の下だった。両方共探索したことがあるし、思ったほどに遠くないし、探索してみることにした。 浦安市、そういえば、以前勤めていた会社で浦安市に住んでいる人がいて、地震の時、液状化で大変だったと言っていたことを電車の中で思い出した。どの辺だったのだろう? 浦安駅を降りる。 どこから探索を開始するかも決めていなく、まず駅前からテキトーに探索を開始するが、駅から近いところだからかアパートやマンショ…
イベントによって変わるロゴ、気が付くこともあるし、気が付かないこともある。 今回は気が付いた!
紫陽花狩りで鎌倉市内を探索していたのだが、宿泊先は市内のホテルではなく、葉山にあるホテル(2024年6月29日放送の旅サラダを見ていると、何と自分達が泊まる何日か前に牧瀬里穂が泊まっていた。)にしていた。 鎌倉駅から逗子駅に向かう。 夕食の時間が早かったので、ホテルへ急いでいた。 向かうにはバス、次の日の帰りの日は大雨だったので、タクシーで逗子駅まで向かう。 そのため、逗子駅付近をゆっくり探索する時間は取れなかった。 ということで、逗子市は東口駅前だけしか立ち寄ることはなかった。 鎌倉市内は何回か探索したことがあるので、隣の市だし、ひとつ先の一駅だし、折角だから、探索してみようという気になった…
2024年7月1日、練馬小学校付近を探索していると、路地の奥に石柱が見えた。 何だろう? 水たまりに気を付けながら歩く。 曲がり角近くにくると、前から自転車が2台続けてきた。 ヒヤッとしたが、幸いなことに、正面衝突することはなかった。 それぞれに「ごめんなさい。」と言われる。 こんなところから人が出てくるとは思っていなかったのだろう。 自分もまさか自転車が来るとは思ってもいなかった。 路地、路地裏が大好きな自分への忠告。 見えない曲がり角は気を付けよう。 気を取り直して、通りに出る。見えた石柱は、小学校の校門だった。 大理石、御影石? 大きくて立派、歴史ありそうな門だ。右側の門をよく見ると「北…
新国立競技場方面からスタジアム通りの右側の歩道を歩いていると、青山高校がある。 校門の先の道を右へ曲がり、道沿いに歩いていく。 右側は青山高校のテニスコート。 突き当りの電柱の右下に石柱が覗いていた。 正面 右側面 真上 左側面 ここに文字が刻まれているはずなのだが、読めない。電柱の隙間から撮ってみる。 左半分しか撮れず、なおかつボケていて、判読不能。 撮れないのかなあ。 この日は、次の予定があり、切り上げて、先を急ぐ。家に帰ってから一人で作戦会議。作戦は決まった。2024年6月6日、別件で近くに来たので、再チャレンジすることにした。 青山高校では体育祭が開催されていた。 開催の様子を撮るわけ…
琺瑯看板マニアなら、知っているかと思うが、と言う自分はこの存在をごく最近知ったのだが、板橋区の熊野町交差点付近に琺瑯看板を含む昭和レトロのものが多数展示されているそうだ。2024年6月27日、現地訪問する。 カンカン照りの中写真撮影に夢中になる。 通行人も撮っている人がいたようだが、周りの視線は気にならなかった。全景 一面看板だらけ。 圧倒される。右半分 左半分 看板類だけではない、仏像、車、大砲なども展示されている。 これだけ収集するのには、かなりの時間とお金がかかったことだろう。壁に展示されている看板類をもう少し細かく見ていこう。 よく見かけるものもあるし、初めて見るものも多い。 看板だけ…
2024年6月17日、初めて普通車グリーン車に乗る。グリーン券を購入すれば必ず座れると思っていたのだが、乗車駅では満員ですぐに座れなく、デッキで立っていた。 係員が回ってきて、新宿駅から空くので座れますと言われたが、ひと駅前の池袋駅から座れた。 グリーン車は快適だのう。 どこかに満席表示されていればいいと思うのだが、そういうサービスはないようだ。最初の目的地は北鎌倉駅近くにある明月院。 だが、通り過ぎて、スーツケースを預けるだけのために鎌倉駅に降りる。幸いなことにコインロッカーがいくつか空いていた。 預けた後、北鎌倉駅まで戻る。 ネットの情報によると、混んでいると北鎌倉駅付近まで行列がつながっ…
2024年6月27日、池袋駅から板橋区を経由して練馬区へ向かう予定を立てていた。 しかし、途中色々なもの(路地が多すぎ)があり、見るものに嬉々としてしまい、中々山手通りを越えて板橋区へ行くことができなかった。 この辺りは探索したことがあるはずなのだが、見落としていたのもあったので、かなり足止めを食らってしまったのだ。 結果、最終目的地の練馬区に全然たどり着くことができなかったのだけれど、それなりの成果があったので、よかったことにしている。街区表示板 ①豊島区池袋二丁目1687 ②豊島区池袋二丁目 肝心の番地の部分が切られてしまっていた。 日陰にあったおかげか①より色が残っている。 広告主の帝都…