ところどころ文字が消えている看板を発見する。 自転車運転者の方へ 学童に注意して下さい だよね。 たぶん。発見日 2025年7月7日
街探索で見つけた、時代とともに徐々に、また、いつの間にか、しかし確実に街から消えつつある町名看板、旧町名や看板建築、銅板葺き、出桁造り、長屋門の建物等、気になったものを紹介します。
特に珍しい電力プレートではないのだが、意外なところに設置されていたのを発見したので、紹介したくなった。 発見日 2023年3月30日 発見場所 東京都新宿区西新宿五丁目23-5 意外なところというのはこちらである。 淀橋庚申堂である。 この庚申堂は、寛文4年(1664年)に造られたのだが、戦時中の空襲で焼けてしまい、昭和29年(1954年)に淀橋庚申講の方々によって建て替えられたもの。 それでは、ここに設置されている電力プレートを見ていこう。 上は新宿支社、下は中野(中㙒?)と刻まれている。 腐食しているのか、欠けてしまっているところがある。 別な場所に設置されている電力プレート こちらは新宿…
最近、旧町名「中野区東郷町」の目撃情報が上がっていたので、久しぶりに都内の旧町名探索に出向いた。 事前調査では確認できていたが、現地に着くまでは、消滅していないか不安だった。 無事発見することができたので、以前発見したものと合わせて紹介することにしよう。 ①中野區東郷町十三番地 発見日 2021年6月21日 発見場所 東京都中野区本町二丁目 区名が右書きで區になっているので、戦前のものかもしれない。 ②中野区東郷町三十八番地 発見日 2023年3月30日 発見場所 東京都中野区本町三丁目 モジャハウスなので、春から秋にかけては、葉っぱで隠れていて、冬にならないと現れてくれなそうな季節限定の表札…
元々立ち寄る予定がなかった隅田公園を後にして、次の目的地に向かう途中、スカイツリーが映えて撮れそうな橋があった。 初回訪問後、記事を書くために調べていると見落としがいくつかあり、隅田公園の桜も時期によって見れる種類が変わるため、何回か再訪問することになってしまった。 まだ開花前の桜もあるため、もしかしたら、それを見にまた再訪問するかもしれない。 訪問日 2023年2月27日、3月20、24日 訪問場所 東京都墨田区向島 枕橋 源森橋 ゆらぎツリー 枕橋 隅田川に注ぐ北十間川(もと源森川)に架かる橋。 枕橋の街灯は色を塗り替えられたようだ。以前の方がよかったような。 「隅田川八景 枕はし夜雨」の…
かっぱ橋本通り付近に生息している河童たちを探す in 東京都台東区 Part1
記憶があいまいだが、小学生のころかっぱと呼ばれていたことがあったような。どのような理由だったか全然覚えていないが、かっぱに似ていたのかもしれない。それしかないだろう。 そんな縁?もあり、かっぱを探してきた。 訪問日 2023年3月18、20日 2023年3月18日 雨(最高気温 9.2 最低気温7.8)2023年3月20日 晴(最高気温19.2 最低気温6.1) かっぱ橋本通り付近を18日は上野駅方面から、20日は浅草方面から探索する。 スカリツリーが通りの正面に見える。 曹源寺 かっぱ河太郎 東光院 曹源寺 まずはかっぱ寺として有名な曹源寺から かつぱ寺 三毘沙門天 河童大明神 出世地藏尊と…
北本市で大字○○だけのものはいくつか発見しているが、小字が付いているものは初めてだった。 発見日 2023年3月27日 発見場所 埼玉県北本市荒井四丁目 北本市大字荒井字中岡 歴史 1889年(明治22年)4月1日町村制施行。下石戸上村・下石戸下村・石戸宿村・荒井村・高尾村が合併し、石戸村になる。 石戸村大字荒井 1943年(昭和18年)2月11日中丸村と石戸村が合併、北足立郡北本宿村になる。 北本宿村大字荒井 1959年(昭和34年)11月3日町制施行に伴い、名称変更。北本宿村から北本町になる。 北本町大字荒井 1971年(昭和46年)11月3日市制施行 北本市大字荒井(一部) 1973年(…
以前発見した時に記事を書くつもりでいたのだが、すっかり忘れていた。 久しぶりに鳥越神社を訪れたところ、そういえばあったなと思い出し、ようやく記事を書くことができた。 発見日 2022年2月19日(再訪日2023年3月24日) 鳥越神社 一礼 鳥居をくぐり、突き当りの正面に設置されている。 玉垣の上に寄付者奉名板が設置されている。 その隙間から写真を撮る。 正面 土地區劃整理測量基本標 このようなものは初めて見た。 ネットで「土地區劃整理測量基本標」や「土地区画整理測量基本標」という名称のものを調べてみたが、ここにしか存在していないようだ。 右側面 東經 百三十九度四十一分十九秒九一 北緯 三十…
隅田公園を訪問したのはたぶん初めてだった。 東京23区内はかなり探索しているつもりだが、まだまだ未訪問のところがあるのだなぁ。 発見日 2023年2月27日、3月20日 当ブログでは、できるだけ他の方が紹介されていないものを紹介したいのだが、都内にはそのようなものはほとんどないのかもしれない。 でも、隅田公園を訪問して、他に見所がいろいろある中、これをメインに紹介する変人はあまりいないかもしれない。 3本あるのだが、わかるだろうか? 桜が満開に近く、花見客が多かった。 この写真では2本 1本目 2本目 これが一番身長が高かった。 よく探していないので、まだあるのかもしれない。 気になったので、…
「-関東大震災から100年-同潤會アパートと澁谷」展 PartⅠ
渋谷の白根記念渋谷区郷土博物館で同潤会の青山アパートと代官山アパートの資料などを展示する「同潤會アパートと澁谷」展が2023年1月21日から2023年3月26日まで開催されている。(投稿日が最終日の3月26日になってしまった・・・。) 白根記念渋谷区郷土博物館ホームページより 同潤会アパートは、関東大震災復興のために設立された㈶同潤会により建てられた、日本最古のRC 造の公共共同住宅です。渋谷区では、当時最先端の住まいとして青山と代官山に建設されました。このアパートは、質の高い共同体を形成するための工夫や高いデザイン性など、長らく日本の集合住宅の頂点とされてきました。 今回の展示では、震災復興…
旧町名「千代田区三年町」のプレートが設置されていた伊藤ビルの今
以前下記の記事で旧町名「千代田区三年町」を紹介したことがある。 citywalk2020.hatenablog.com 伊藤ビルが解体される途中までは追っていたのだが、その後は足が遠のいていた。 2023年3月22日、近くに来たので、立ち寄ってみた。 ビルでも建設中なのかなと思っていたが、駐車場になっていた。 あのプレートは産業廃棄物になってしまったのだろう。 もう少し頑張れば、救出できたかもしれない。 残念なことをした。
すみだ郷土文化資料館を訪問する予定で着いたら、令和5年3月28日まで休業中とのことであった。 なんてこった。 そんなこと事前に調べておくように。 仕方ないので、近くを歩いていたら、三囲神社という神社があった。 訪問日 2023年2月23日 訪問場所 東京都墨田区向島2-5-17 なんて読むんだ? 「みつかこい」? 全然違っていた。 「みめぐり」だった。 現在、東京都にある三越のライオン像は、日本橋に2頭と銀座に1頭生息しているのだが、今回訪問した場所でかつて三越池袋店にあったライオン像の生息を確認することができた。 日本橋と銀座の三越も再訪して、写真を撮り直してきたので、今回はそれらも併せて紹…
今回は桶川市にいる鍾馗様を紹介することにしよう。 訪問日 2023年2月28日 旧中山道沿いに設置されていた案内板 こちらにも書かれている。 桶川市観光協会のパネル というように桶川市では有名な鍾馗様のようだ。 藤倉家 昭和6年(1931)に建てられた建物は取り壊されてしまったが、鍾馗様は新たな家に迎えられ、屋根の上から睨みを利かしている。 鍾馗様 鍾馗様ではないと思うのだが、蔵の屋根の上に見つけた。
特に探していたわけではないが、今回も偶然発見することができた。 旧与野市内では初だ。 この日は「一粒万倍日」「天赦日」「寅の日」といった開運日が重なる超ラッキーデー。まさに最強開運日ともいえるすごい日と言われている日だった。 超ラッキーデーというほどの大発見ではなかったが、今まで気が付くことができなかったものに出会えたので、ラッキーデーだった。 発見日 2023年3月21日 発見場所 埼玉県さいたま市中央区大戸五丁目 ブロック塀に設置されていた。 たまにブロック塀に設置されているのを見かけるが、設置場所の基準はあったのだろうか? 中央に穴があけられている。 102soさん著の「旧町名さがしてみ…
下谷神社は何度も訪問しているのだが、今まで気が付かなかったものがあった。 発見日 2023年1月25日 発見場所 東京都台東区東上野三丁目29-8 定め書 定一 車馬ヲ乗入ルコト一 樹木ヲ伐ルコト一 建物ヲ汚損スルコト一 火氣ヲ弄ブコト一 悪戯ヲ爲スコト右境内二於二禁止ス昭和八年十二月二十六日東 京 府 東京府とある。 裏面にも注目してほしい。 氏子域内と思われる尋常小学校名が記載されている。 この定め書を奉納したのは、近隣5校の尋常小学校の職員・生徒だったのだろうか? 開校年月等わかるものを調べてみた。 学校名 開校 閉校 現在 下谷尋常小学校 明治8年11月 平成2年3月 上野小学校 西町…
彩の国 平成の道標「中山道 北本宿」と案内板「北本の歴史」」と現町名「北本宿」
桶川駅から北本駅に向かって旧中山道を歩いていると本宿交差点付近に「中山道 北本宿」の道標があった。(訪問日 2023年3月9、14日) 『彩の国平成の道標について』中山道は、その昔人々が行き交い活気ある宿場町として栄えた歴史を持っています。 近年になり、近代化が進み当時の面影はほとんど失われています。この様なことから、中山道の宿場町を主な題材として歴史とロマンをテーマに各宿場町の道路沿いにある残地等を利用して、平成の道標を設置し、21世紀に向けて宿場の歴史を残すと共に、さらに発展することを目指し設置するものです。長期的には、地域の魅力ある彩の国平成の道標を、数多く設置しネットワーク化をはかり、…
菊屋橋公園と孫三稲荷で発見した旧町名 浅草菊屋橋と浅草阿部川町
この日(2023年3月18日)は、冷たい雨の日だった。 今まで暖かかったのに、急に寒くなった。(最高気温9.2℃) 家を出た時はそれほど降っていなかったのだが、上野駅に着いた時は、普通に降っていた。そのうち止むのかなと思っていたが、止む気配がなく、たまに風が吹いたりで、足元はびしょびしょ、靴の中も水が入り込んで冷たくなってしまった。でも、よくあることなので、このくらいで探索は中止しない。 掲示板の下に「阿部川町会」と書かれていた。 この辺りは探索したことがあるのだが、今まで気が付かなかった。 旧町名由来案内 本町は、昭和十一年(1936)年に江戸・明治時代からの浅草栄久町の北半分、同阿部川町の…
現在、埼玉県上尾市で確認できている鍾馗様は4体ある。 以前も撮っていたのだが、ブログの記事にするため、再訪して撮り直すことにした。 訪問日 2023年2月20、28日 ①おしゃれ工房 新井屋 当店の瓦製の鍾馗様は中山道上尾宿脇本陣の細井家より明治35年に屋敷事引き継いだものです。中山道上尾宿では、万延元年(1860年)・慶応4年(1868年)・翌明治2年と幕末から明治初期にかけて3度の『上尾大火』があり、まちのほとんどが消失し疲弊してしまいました。このため、上尾宿では、厄除け・火災除けに鬼瓦の鬼より強い鍾馗様を鬼瓦と向かい合わせにして、睨みを利かせるように屋根に上げるようになりました。又、鍾馗…
北本市は桜やトマト以外の情報はあまり取り上げられないかもしれない(自分の思い込みなので、読者に市民の方がいたら申し訳ない)が、北本市を探索した時に、自分目線で気になったものを紹介しよう。 北本駅構内に設置されていた。 こんな格好はしていないが、自分の業務も不審者と思われても仕方ないことをしているので、周囲を更に気を付けることにしよう。 閉店のお知らせが貼ってあった。 長い間ご苦労様。 若い頃の石川佳純選手のポスターが貼ってあった。 イカのおすし 住宅地に設置されていた。 キリスト看板 公園に設置されている遊具 見たことがないものばかりだ。一番右の猿の頭だけの椅子は不気味だ。 幼稚園に設置されて…
訪問日 2023年2月11日 八重洲北口を出た辺りのロータリー脇の植え込みの中に石垣があった。 これを気にかける人は誰もいない。 たぶん自転車置き場位にしか思っていなかったのだろう。 放置自転車除けの為か、柵に覆われており、近寄ることができない。 上部は緑化ウォールで覆われている。 隙間を見てみると厚さがない。 石垣の表面だけ再現したようだ。薄さを草で隠している。 この石垣は、鍛冶橋門北方の江戸城外堀を発掘調査した際に出土したものを移築再現しました。もともと江戸城外堀は、外堀通り沿いにあり、江戸時代には道路と交差する地点に呉服橋門、鍛冶橋門、数寄屋橋門といった城門が配置され、江戸城の守りとなっ…
今回は埼玉県北本市に現存する旧町名の痕跡の一部を紹介することにしよう。 北本市は旧中山道の桶川宿と鴻巣宿の間にあるのだが、旧中山道付近にはほとんど古い建物が残っていないので、思ったより発見することはできなかった。 発見日 2023年3月9日 北本町の家屋調査済証 発見日 2023年3月14日 北本町立中丸小学校 発見日 2023年3月9日 1887年(明治20年)開校 校内に開校百周年記念の碑が見えた。
靖国神社にある東京の桜(ソメイヨシノ)の標本木が開花し、3月14日、気象庁による開花宣言が行われた。3月14日の開花宣言は、観測史上最速の開花宣言となった2020年、2021年と同日の記録。平年より10日早い開花となった。 ということで桜が市の木になっている北本市から、花の便り。 訪問日 2023年3月9、14日 北本市には、日本五大桜の名木の一つで、国の天然記念物に指定され、源範頼の伝説にも名高い樹齢約800年と推定される「石戸蒲ザクラ」をはじめ、桜並木が見事な「城ヶ谷堤」や全国から30種約200本の桜を集めた「高尾さくら公園」などの、桜の名所がある。 日本五大桜福島県三春の滝桜、山梨県山高…
旧町名マニアならご存じだと思うが、102souさんが「旧町名さがしてみました in 東京」という本をつい先日(2023年3月13日)出版された。 今回はその本にも掲載されている「浅草公園六区」の痕跡を紹介することにしよう。 まず以前に発見した電力プレートから。 発見場所 東京都台東区浅草二丁目 発見日 2021年4月5日 この日(2023年2月27日)は月曜日の平日なのに浅草はめちゃ混みだった。 ほとんど若い子たちと外人さん。 おじさんには訪れにくい場所になってしまった。 上の電力プレートを再確認するために近寄った。 その下にプレートが3枚あった。 たぶん見たことがない種類のプレートだと思うの…
横殴りの雨が降る中、伊東駅前でゴールドポストを見かけた。(2023年2月13日) 「このポストは、東京2020大会のゴールドメダリストの功績をたたえる記念ゴールドポストです。」 東京パラリンピック ボッチャ 混合 個人 BC2において金メダルを獲得した杉村英孝選手の功績をたたえ、2022年2月23日、静岡県伊東市のJR伊東駅前に記念のゴールドポスト(第76号)が設置された。 ゴールドポストは、内閣官房東京オリンピック・パラリンピック推進本部事務局が日本郵便株式会社と協力して実施している東京オリンピックで金メダルを獲得した日本人選手と、選手が関わる地域を盛り上げる「ゴールドポストプロジェクト」に…
川口市を探索していたら、レトロな電柱を発見した。 自分が探索したところでは、千葉県松戸市で多く見かけたが、そのほかではあまり見かけたことはない。目立たないものが多いので、たぶん、気が付かなかっただけだと思う。 あっ、そうだ! 結構頑張って撮ってきたのに、まだ、千葉県松戸市にあるレトロ電柱の記事をかいていなかった。そのうちに書くことにしよう。 ① 発見日 2023年2月9日 発見場所 埼玉県川口市本町一丁目 少し右に傾いている。 現役を引退したようだ。でも撤去されずに残っていてくれているのはうれしいことだ。 現役ではないので、街灯はないが、飾りの形が曲線を描いていて、ユニークだ。 よく見ると何か…
以前、東京都板橋区に現存している琺瑯住所プレートを書きで紹介したことがある。 citywalk2020.hatenablog.com 東京都板橋区を再訪し、上で発見した以外のものを発見したので、今回は、それらをまとめて紹介しよう。 発見日 2022年2月21日 2023年2月6日 ①板橋区泉町21番地 ②板橋區大山東町7番地 ③板橋區東山町8番地 ④板橋區双葉町44番地 ⑤板橋區大谷口上町41番地 ⑥板橋區大谷口北町71番地
久しぶりに桶川市を訪問した。駅前の通りの開発が更に進んでいるような感じだった。 以前訪問した時は気が付かなかったが、国登録有形文化財になっている建物に変わった町名の電力プレートが設置されていて、ビックリした。前回はなぜ気が付かなかったんだろう? 発見日 2023年2月28日 発見場所 埼玉県桶川市寿一丁目 「オケサカ」? 「オケサ」と「カ」ではないよね。 「オケ」と「サカ」だろう。 「オケ」は「桶川」が省略されたものだろう。 「サカ」は何の略だ? 2023年3月6日、桶川市観光協会(中山道宿場館)を再訪した。 窓口に女性の職員の方がいたので旧町名に関する地図などの資料がないかどうか聞いてみるこ…
旧町名 小田原町の住所プレートと電力プレート in 東京都中央区
以前下記の記事で「小田原町」に触れたことがある。 citywalk2020.hatenablog.com それで以前確認しに行ったことがあるものが今どうなっているのか気になり、2023年3月4日、旧小田原町の痕跡の状況を確認しに築地を訪問した。 以前発見した痕跡はすべて無事だったが、気がかりなこともあった。 ①中央區小田原町一丁目三番地七 発見日 2019年12月7日 ②京橋區小田原町二丁目一番地三 発見日 2019年10月28日 ③オダワラ1-23 発見日 2022年5月25日 再訪日 2023年3月4日 以前訪問した時と違う姿になっていた。 電力プレートが設置されている銅板葺きの看板建築は…
伝鎌倉街道と道標「これより石と舟とみち」と満開のカワヅサクラ in 埼玉県北本市
事前調査不足で北本駅に着くまで存在を知らなかったので、訪問する予定はなかったのだが、北本駅の駅前にあった観光案内図を見ていたら、訪問したくなってしまった。 駅からまっすぐ行けば早かったようなのだが、いつものように寄り道ばかりしていたのでここまで到着するのにかなり時間がかかってしまった。 地図にはなかったので、伝鎌倉街道があるとは現地に着くまで知らなかった。 訪問日 2023年3月9日 訪問場所 埼玉県北本市新井一丁目付近 伝鎌倉街道 鎌倉幕府の成立とともに整備された鎌倉街道は鎌倉と関東諸国・信濃・陸奥とを結んだ歴史の道として知られています。かつての鎌倉街道には、上道・中道・下道の幹線とそこから…
青いポストは「速達専用ポスト」として作られ、最初は速達の需要が高いオフィス街の限られた地域だけに設置され、東京都内では千代田区、中央区、港区に35本設置されたらしい。 青いポストの青色は戦前にできた青緑色の航空郵便専用ポストから引き継がれ、「航空」から空をイメージして青色になったといわれている。 速達専用の青ポストの正式名称は、「郵便差出箱 四号(特四号)」 本体の高さ約81cm、幅約38cm(脚部の高さ約58cm、直径約14cm)で、大よそ400通の郵便物が投函できるような設計になっている。 情報が少し古いが2021年3月時点で現存しているのは全国に35本。うち大阪に26本、東京に6本、神戸…
登録有形文化財「松本家住宅主屋」と電力プレート「タチヨ2-6」 in 東京区千代田区
多町の町名案内板はもう発見していたと思ったのだが、まだ発見していなかったので、旧町名の痕跡である電力プレートを紹介するために写真を撮ってきた。 撮影日 2023年3月4日 撮影場所 東京都千代田区神田多町2-9-3 千代田区ホームページより 大工棟梁・松尾栄太郎の設計施工で昭和6年に建築された、神田多町問屋街に残る震災復興町家です。神田に残る元青果物問屋の店舗兼住宅。多町大通りに面した角地に東面して建っているため、狭い間口と長い奥行きの対比がよく見えるところもポイントです。木造三階建、切妻造、平入で、正面は特徴的な「出桁造」の構えをとり、北妻面は窓の少ない防火に配慮した造りとなっており、東京の…
2023年2月28日、上尾駅から旧中山道を歩いて、桶川町の道路元標を確認するために訪れた。 なかった! なんと工事中だった。 折角来たのに。 と書いたが、実は事前に調査をしていたので、このことは知っていたのだった。 現在は川田谷村道路元標とともに桶川市川田谷2839付近にある施設にブルーシートに覆われて保管されているようだ。 これでは道路元標の記事が書けないので、桶川市内の旧中山道を歩いていたら、気になることがいくつかあり、それを記事にすることにした。 その気になったこととは、"桶川市にあるすべての案内には「桶川町道路起点標」とあること"である。 案内図① 案内図② 記事を書いている時気が付い…
歩いていたら、今まで気が付かなかった小さな公園があった。 訪問日 2023年3月2、4日 訪問場所 東京都千代田区神田錦町三丁目 錦三会児童遊園(錦三会子供遊び場) 片隅にいろいろ気になるものが並んでいた。 正面 錦三会子供遊び場 1949年(昭和24年)5月3日 右側面 よい子 強い子 役立つ子 左側面 ごじいんがはら跡 ひらがなで彫られているが何だろう? 筑波山神社の別当(神宮寺)に信吾知足院中禅寺があり、その別院として湯島に江戸別院が存在した。元禄元年(1688)徳川綱吉のとき、この地に護持院として移転され、五万坪の敷地に七堂伽藍が造営された。享保二年(1717)大火により焼失し、江戸城…
旧千代田区立今川中学校の「二宮金次郎像」と「鉄骨」と「ぶどう園」
学校等で二宮金次郎像を見かけると大体写真を撮っている。 探索途中にたまに見かけるがそれほど多くはない。 特に東京23区内では、絶滅危惧種のひとつであろう。 発見日 2023年2月25日、3月4日 発見場所 東京都千代田区鍛冶町2-4 このように大体正面から撮ることはできない。 ほとんどの二宮金次郎像は道路から背を向けて校庭の方を向いている。 うしろ姿 左側に説明板があるようなのだが、見えない。 道路側から見ると土台の右側面に皇紀二千六百年記念とある。 皇紀二千六百年は1940年(昭和15年)だから、この中学校が開校する前だ。 2023年3月4日、再訪したところ、校庭で東京マラソンの準備をしてい…
旧町名「銀座東」は下記の記事で紹介したことがある。 citywalk2020.hatenablog.com そこに紹介していなかった痕跡を昭和通り沿いで発見したので、今回はそれらを紹介することにしよう。 貴重なものなどないが、実際に歩かないと見つけられないものだ。 交差点と歌舞伎座 昭和通りの地図 銀座東一丁目 歩道橋の上にタイル絵があった。 銀座東二丁目 銀座東三丁目 銀座東四丁目はなかった 銀座東五丁目 銀座東六丁目はなかった 銀座東七丁目 銀座東八丁目 ランキング参加中写真・カメラランキング参加中路上観察
福井松平藩邸跡と旧福井中学校と旧町名「浅草福井町」「浅草新福井町」
「~跡」や「~発祥の地」については、今までも書いたことがあるかもしれないが、あまり積極的には取り上げていなかったかもしれない。 説明板を発見するたびに撮っているのだが、他の記事を優先させてしまうため、時間経過とともに自分の記憶の中から飛んで行って、日の目を見ることが少ない。 そのように埋もれさせてしまっているものも、今後は取り上げていこう。 「ヒューリック浅草橋ビル」 片隅に何か記念碑のようなものが見えた。 発見日 2023年2月18日 発見場所 東京都台東区浅草橋一丁目22-16 それは福井松平藩邸跡の石碑だった。 下には福井中学校の歴史が書かれていた。 福井中学校の歴史 明治36年(190…
2023年3月2日、日本教育会館で神田法人会主催の決算説明会があったので出席してきた。 変わりがなくてよかった。 発見日 2020年12月28日(再訪日2023年3月2日) 発見場所 東京都千代田区一ツ橋二丁目 旧教育会館の門柱→1928(昭和3)年創設この門柱は、1928(昭和3)年、当時の帝国教育会によって建設された旧教育会館に附設する教育図書館と教職員の東京宿泊所であった「一ツ橋寮」の入口の門柱である。当時、 教育図書館は東京市からの補助を受け、一時期東京市立神田簡易図書館となり、今日の 千代田図書館に引き継がれていった。その後再び教育会館附設図書館として現在にいたっている。この由緒ある…
「桶川市指定文化財 松山以奈り道の道しるべ」と「二宮金次郎像」 in 桶川市立桶川小学校
桶川小学校の敷地内に設置されているものがある。 発見日 2021年11月23日(再訪日2023年2月28日) 発見場所 埼玉県桶川市西一丁目4-29 桶川市指定文化財 松山以奈り道の道しるべ 右側面 天保七年三月 左側面 當駅世話人 松山以奈り道 (魚) 魚の字が図案化されている。 本小田原町 種別 民俗文化財(有形民俗) 平成八年五月二十九日指定 この道しるべは、東松山市にある箭弓稲荷神社への道を示すもので、中山道桶川宿の北のはずれから分岐していた「松山道」の入り口に、天保七年(一八三六)三月に建てられたものです。松山道は、桶川宿の上の木戸付近から西に折れて、畑や林の間を通り、下石戸村(現北…
言問橋を渡ったところ、道路沿いに東郷平八郎元帥謹書の「牛島神社」の碑があった。 碑が建っている下の石を見ると「松倉町」と彫られている。 裏側に何か彫られているのが見えた。 それを見るために入口と思われる細い隙間を入って、灯籠の間を通るとたどり着くことができた。 この写真だと左奥が入口となる。 裏面 右側面 町会創立発起人が彫られている。 左側面 昭和五年十月建之 裏面 上に松倉町沿革とある。 文学博士 吉田静致 明治5年7月25日(1872年8月28日)~ 昭和20年(1945年)10月4日 1898年東京帝国大学哲学科卒業。1899年文部省留学生となり、ドイツ、イギリスで倫理学を学び、192…
ちょっと変わっている郵便ポストを探すのが面白くなってきた。 探すと言っても、多くの方が情報を提供されているので、それを見に行くだけだが、写真で見るのと実際自分で訪れてそれを見るのでは全然違う。 "変わった郵便ポスト探してみたいな"マニアになりつつある。 というか、もうなっている。 訪問日 2023年2月24日 東京駅丸の内駅舎南口構内 丸形庇(ひさし)付ポスト 高さ :約130.5cm(ボツ含む)直径 :約36.4cm鏡筒直径:約28cm 根石直径:約74cm根石高さ:約20cm 明治41年の回転式ポストは、故障が多いこと、手紙の投入に不便なこと等から明治45(1912)年に回転板を取りはずし…
よく覚えていないが、この通りは歩いたことがなかったかもしれない。 たぬき通りは、かつて新仲見世通りができるまでは雷門通りから浅草六区映画街を抜ける唯一の道として賑わいを極めたという。 この通りはよく人力車が通っている。 最近は女性の俥夫も増えているそうだ。健脚とおしゃべりが上手じゃないと務まらない仕事だよね。 あっ!人力車に踏まれているタイルのたぬきの写真を撮ってくるのを忘れた。 俥夫(しゃふ)は人力車をひく人、車夫(しゃふ)、もしくは車力(しゃりき)とも呼ぶ。 提灯がぶら下がっているのが見える。以前は狸のイラストが描かれたバナーが掛かっていたらしいのだが、雨風に晒されて、ボロボロになってしま…
次の目的地に向かうため、歩いていると桜の説明板があったが、まだ花が咲く季節には早すぎた。 荘川桜 この桜は、 岐阜県荘川村 (現: 高山市)の御母衣ダム湖畔に移植された「荘川桜」の実生から育てた二世桜です。「荘川桜」は昭和35年、J-POWER (電源開発株式会社)の御母衣 ダム建設によって湖底に沈む運命にあった樹齢400余年のアズマヒガンの巨桜2本を、高碕達之助 初代J-POWER 総裁が、ふるさとを失う人々の心のよすがにとの思いから移植を発案し、多くの関係者の協力を得て世界の植樹史上例を見ない大移植を行ない、奇跡的に活着を果たしたものです。 移植後も、J-POWERが荘川桜の手入れを行って…
チェコスロヴァキア大使館?と旧久邇宮邸(聖心女子大学) 正門
撮影日 2023年2月7日 撮影場所 東京都渋谷区広尾一丁目 渋谷区立臨川小学校付近に古い住居表示街区案内図がある。 その案内図に「チェコスロヴァキア大使館」があった。 いつの時代だ? 歴史を簡単にたどってみた。 1920年チェコスロバキア共和国(第一共和国)成立。 1938年チェコ=スロバキア共和国(第二共和国)成立。 1939年スロバキア共和国(第一共和国)とカルパト・ウクライナ共和国が独立して第二共和国は解体。 1940年チェコスロバキア共和国亡命政府が成立。 1945年スロバキア第一共和国政府消滅。チェコスロバキア共和国(第三共和国)が復活。 1960年国名をチェコスロバキア社会主義共…
近くを探索していると必ず立ち寄って現状を確認することにしている。 2023年1月21日訪問時、ちょっと気になったことがあった。 一番上のビスが浮いているように見える。 右側全体に隙間が空いている。 正面を確認してみる。 ビス穴は上から2、2、2、2となっているが、実際に止められているのは、上から両側2、左側1、左側1、右側1となっている。 そう、全部が止められているのではなかった。 止める下の木材が古くてゆがみがあり、うまく止められなかったのだと思うが、少し心配だ。 違う長さのビスが必要だったと思われるが、用意がなかったのだろう。 すぐ落ちてしまうようなことはないと思われるが、今後も定期観察を…
中央区から両国橋を渡って墨田区へ。 もう随分前に訪問した気になっていたのだが、撮った写真が見つからなかったので、訪問するのを忘れていたようだ。 記憶が超あいまいな自分だった。 目的のものを道路の反対側から見る。 横断歩道は少し離れた所にあり、歩道橋を渡ったほうが早かった。 歩道橋の上からパチリ。 発見日 2023年2月25日 発見場所 東京都墨田区両国三丁目 ここに旧町名の痕跡が残っている。 正面 本所松坂町趾 ? 「本所松坂町跡」ではなく「本所松坂町趾」となっている。 ネットでこの石碑のことを調べてみると「本所松坂町跡」と書かれているのがほとんどだった。 「跡」と「趾」に違いがあるのか調べて…
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ところどころ文字が消えている看板を発見する。 自転車運転者の方へ 学童に注意して下さい だよね。 たぶん。発見日 2025年7月7日
2025年7月18日、Google マップを見ていたら、右下の人型のアイコンが女の子?になっているのに気が付いた。 今までは黄色い人形だったのに。 この人形のことを「ペグマン」という名前ということを初めて知った。 正面 後ろ姿 横向き 動かしている時 右手に持っているのは何? 調べてみると、BLACKPINKとのコラボらしい。 Googleマップを動かしてみると、東京23区以外では、普通の形になる様だ。3月8日の国際婦人デーにあわせて女性のアイコン、「Pegwoman」(ペグウーマン) に変更されたことがあったそうだ。 イギリスのネス湖に行ってみたら、ネッシーらしいアイコンが出てきた。
JR宇都宮線自治医大駅を降り、徒歩で下野薬師寺へ向かう。 寺院の跡だけと思っていたが、寺院が建てられていた。国指定史跡 日本三大東戒壇 下野薬師寺 下野薬師寺は天武天皇白鳳八(六八〇)年に皇后(後の持統天皇)の病気平癒を祈念して建立されました。天平宝字五(七六一)年に戒壇院が置かれると、奈良東大寺、筑紫観世音寺とともに日本三戒壇といわれ、坂東十か国の僧侶となる人は下野薬師寺で修業を積み受戒しなければならない定めになっていました。暦応二(一三三九)年、足利尊氏は国ごとに安国寺を建てましたが、下野国では新たに寺院を設けることなく下野薬師寺の寺名を安国寺に改称しました。元亀元(一五七〇)年、小田原の…
2025年5月12日、根岸駅を降り、大通りを越え、細い道を歩いていると、木製電柱に出会った。 色々なものがくっついている電柱もあった。 これは、支柱に支えられている。 マンションの前にもあった。 子育地蔵尊の横にもあった。 横の道にもあったので、合わせると10本近くあったかもしれない。 細い木製のものだが、この短い距離の間にこれだけ集中しているのを見たのは、初めてかもしれない。
旧番地「大田区羽田」関連の痕跡は、下記のふたつの記事で紹介したことがある。 citywalk2020.hatenablog.com citywalk2020.hatenablog.com 今回は別目的で、羽田を再訪したのだが、町内を改めて探索したところ、新たに旧番地時代の痕跡(現在と丁目が異なる)を発見することが出来た。 ① 発見日 2025年7月12日 町名の後が消されているが、文字が薄く残っている。 ② 発見日 2025年7月14日 歴史 1907年(明治40年)町制を施行し、羽田町となった。 1932年(昭和7年)蒲田區が成立する。羽田町域は羽田一丁目から三丁目等に編入される。 1958…
2025年6月5日、最高気温29度の中、坂道を上って、日野市郷土資料館(日野市程久保550)を訪問する。 常設展示物の中で今まで見たことのないものを発見した。 獅子印ライオン歯磨と右書きで書かれている。 小林商店? あのライオンと関係あるのか? その時はまだわからなかった。 住所らしきものも書いてあったのだが、老眼の自分の目では確認できなかったので、写真だけ撮って、家に帰ってから調べることにした。家に帰って、調べてみたところ、やはりあのライオンと関係があることが分かった。 ライオンの年表を見てみると、 1891年(明治24年)初代小林富次郎、東京神田柳原河岸に石鹸およびマッチ(燐寸)の原料取次…
2025年6月19日、群馬県館林市を探索していたところ、電力プレートを発見した。東京電燈? マークも何もないが、形状から判断。 東京電燈が館林に進出していた歴史を調べてみた。 1908年(明治41年)12月利根発電株式会社は創業当時は上毛水力電気株式会社と名乗り東京市京橋区で創立された。 1910年(明治43年)前橋市への供給を開始した。 1911年(明治44年)10月群馬県佐波郡伊勢崎町、太田町、館林町へ翌11月に渋川町に供給を開始。 1921年(大正10年)4月1日利根発電株式会社は東京電燈に合併し消滅した。関東配電 1942年(昭和17年)国家総動員法に基づく配電統制令により、東京電燈、…
今回ターゲットとした自治体は、千葉県の地図を見ていて、行ったことがないし、それほど遠くもないし、旧町名の未開拓地ということで決定した千葉県鎌ケ谷市。 旧町名については何の情報もなかったので、探索しながら探すしかない。 でも、探索していれば何かしら見つかるだろう。 きっと。 諦めないことが大事。2025年7月5日、新鎌ヶ谷駅から探索開始。 駅前の観光案内を見ていたら、駅から近いところに、行ってみたいところが見つかる。 それらを見学していたら、道を間違えてしまい、とんでもないところまで来てしまった。 軌道修正をしなけれならない。 そんな途中で、旧町名を無事発見することが出来た。鎌ヶ谷町時代の表札 …
今回の横須賀市訪問は、琺瑯町名看板探索がメインだったので、そのほかのものについては、ほとんど事前調査してこなかった。 なので、偶然出会ったものには新鮮味を感じする。 逆に事前調査をしてこなかったため、見つけたものに対して家に帰って調べていると再訪問の必要を感じることも多々あり、悩ましい。 タイトルを「路上文化遺産」としたのは、複数紹介したいものがあったので、ひとくくりにするためである。と、わざわざ断りを入れる必要もないのだろうけれど、使ってみたかったこ・と・ば。 発見日 2025年5月22日 「市」の文字だけの境界石と道界 自治体名が入っているものが多いので、"市"だけというのは珍しいかも。自…
滝坂道という名称は後で知ることになるのだが、この日(2025年3月18日)は道玄坂から裏渋谷通りを進む。 この通りに表面が摩耗していてマニア以外は誰も気が付かないと思われる蓋があった。 渋谷町水道時代のものとのこと。 歴史1889年(明治22年)町村制施行により南豊島郡渋谷村が誕生。 1909年(明治42年)町制施行、渋谷町となる。 1923年(大正12年)渋谷町水道、給水開始。 1932年(昭和7年)東京市へ編入され、渋谷区の一部となる。 続いて、"新榮會"と書かれている旗竿ボックスの存在をネットで知る。 大体の場所は書かれていたので、ストリートビューで確認してみると、最新が2022年10月…
JR成田線滑河駅前の道を進んでいくと、下総郵便局があり、そこに金色に光るポストがあった。 誰のだろうと思ったら、体操の橋本大輝選手だった。 何でこんな片田舎(失礼)にあるんだろう? 調べてみると、成田市立高岡小学校出身とのこと。 1995年(昭和30年)2月11日下総町が誕生し、校名を「下総町立高岡小学校」と改称。 2006年(平成18年)3月27日下総町・大栄町・成田市の市町合併に伴い、校名を「成田市立高岡小学校」と改称。 とあった。 彼の生年月日は2001年8月7日、まだ千葉県香取郡下総町だった頃だ。 それでここにあるんだ。 合点承知の助。撮影日 2025年6月24日
探索を終え、石橋駅で電車を待っていたところ、下り線ホームの向こうにイノシシの形に見える植木を発見。 自然とこうなったのか、刈り込んで形を似せたのかわからないが、イノシシが立たずんでいるような姿に見える木だった。撮影日 2025年7月3日
発見日 2026年6月19日 発見場所 群馬県館林市西本町 ① ② 旧町名標示板 古墳や一里塚のことを塚と呼び、塚が多く存在したことか塚場町と呼ばれたと考えられている。歴史 1969年(昭和44年)11月1日第二次住居表示が実施され、大字館林字鞘町・塚場町・木挽町と、代官町の一部が合併し西本町となった。
2025年6月7日、石神井公園ふるさと文化館を訪れると、尾張殿鷹場碑が展示してあった。 尾張徳川家の鷹場の範囲を示すために設置されたもの。41か村にわたり83本の杭が建てられていました。 これは、大正2年ごろまで南大泉に建っていたものらしい。これをきっかけに練馬区の鷹場碑のことを調べていたら、大泉第一小学校にもあることが分かった。この日の東京の最高気温は34.8℃、風があるが、熱風だ。 日傘は風に翻弄され、すぐひっくり返る。 暑い上に、日傘のコントロールに疲れ、探索意欲をそぐ一因となる。 そんな中、大泉公園駅から、歩いて来て、ヘロヘロ、ヨロヨロになりながら、ようやくたどり着いた。 下校時間前に…
発見日 2020年11月12日 発見場所 神奈川県横浜市磯子区森 ①表札 ②琺瑯町名看板 歴史 1868年(慶応4年)6月17日廃藩置県により神奈川府を設置。神奈川府久良岐郡森村となる。 1868年(明治元年)9月1日神奈川府が神奈川県となり、神奈川久良岐郡森村となる。 1889年(明治22年)4月1日森中原村、杉田村、磯子村、岡村、滝頭村と合併し、久良岐郡屏風浦村大字森となる。 1927年(昭和2年)4月1日屏風浦村が横浜市に編入。横浜市森町となる。 1927年(昭和2年)10月1日区制施行で磯子区誕生。横浜市磯子区森町となる。同時に鶴見区・神奈川区・中区・保土ケ谷区が発足し、市内5区となる…
2025年6月23日、宇都宮駅を降りて結構すぐに見つけた家屋調査済証。 帰ってから調べてみると旧町名のものだった。 この付近は、大きく蛇行する田川と上河原町(かみがわらまち)とにはさまれた半月形の袋小路になっていたので、小袋町の名が付けられた。江戸時代には、大工・車細工・紺屋(こんや)などが軒を並べていた。現町名:宇都宮市大通り三―四丁目・駅前通一―二丁目
入ったことがないと思われる路地があり、あまり見かけない大きな仏堂があるのに気が付いた。 文京区指定有形文化財 銅造地蔵菩薩立像 所在 千駄木一丁目22番22号 専念寺指定 平成25年3月1日本像は、江戸時代に東都六地蔵の第二番・宝珠地蔵として有名であった地蔵尊である。高さ233.6cmを測る鋳造仏である。東都六地蔵とは空無上人が元禄4年(1691)頃に建立したものであり、いわゆる「始めの六地蔵」といわれるものである。建立場所は、一番駒込瑞泰寺(文京区向丘二丁目36番1号、昭和61年再建)、二番千駄木専念寺(本像)、三番日暮里浄光寺(荒川区西日暮里三丁目)、四番池之端心行寺(もと台東区池之端。府…
今年ももう残り半分だ。早いのう。2025年7月1日、宇都宮線小金井駅がある栃木県下野市に初上陸。ところで「下野市」は何と読むが知っているだろうか? たぶん歴史で「下野国」という古い国名を習ったと思うが、覚えているだろうか? 「しものし」と読んでしまいそうだが、「しもつけし」が正解。小金井駅で宇都宮線開業140周年だったことを知る。 当駅以外に「小金井」が付く駅名は、武蔵小金井駅と東小金井駅、新小金井駅(以上東京都小金井市)、花小金井駅(東京都小平市)がある。小金井駅で下車した目的はふたつある。 ひとつ目は日光街道の小金井宿の痕跡を探すこと。 ふたつ目は、旧町名を発見すること。国分寺町が石橋町・…
2025年5月29日、次の目的地に向かうため、県道28号本町山中線を歩いていると、逸見駅を越え、国道16号線と交差する辺りに出桁造りの建物がいくつかあることに気が付いた。出桁造りの建物は横須賀市でいくつか出会っているが、ファサードが改修されていて、当時の面影があるものがほとんどない。そんな中、プレートがいくつか残る元商家らしい出桁造りの建物があった。 その建物に待望のものが付いていた。 残念ながら、旧町名のものではなかった。 「東逸町」? 「東逸見町」が正しいはずだが、"見"が抜けている。 "逸見"は"いつみ"と読むのかな? 違った。 "へみ"だった。 読めへん、ばってん。歴史 明治元年神奈川…
2025年6月2日の11時半頃、ランチにはまだ早いが、平日とはいえ、人気店のカフェなので、混むかもしれないので、入店することにした。 cafe Hackberry 満席とのことで、入口にあった予約機で順番を取る。"001"だった。 店の中で待っていると、予約客がどんどん来る。 壁を見ていたところ、映画のポスターが貼ってあることに気が付いた。 ポスター ロケ地マップ ここで、初めて、今井町が『わたしの幸せな結婚』のロケ地になっていたことを知る。事前に今井町とこの店のことを調査してきたつもりだが、視点が違っていたのか、気が付かなかった。雑誌の記事 撮影は京都の舞鶴市、奈良の間原市今井町でも行われた…
今回が清瀬市の旧町名初投稿となる。 「上清戸」「中清戸」とも現存している町名なのだが、「清瀬町」時代のものなので、旧町名扱いとしている、という断りは不要だと思うが、一応断っておこう。①東京都清瀬町上清戸 発見日 2024年7月11日 発見場所 東京都清瀬市元町二丁目 ②清瀨町中清戸六三六番地 発見日 2024年7月11日 発見場所 東京都清瀬市中清戸 「瀬」の旧字体「瀨」、よろし。③北多广郡清瀬町中清戸875番地 発見日 2024年7月18日 発見場所 東京都清瀬市中清戸 「北多广郡」よろし。④清瀬町中清戸五三八 発見日 2024年7月18日 発見場所 東京都清瀬市中清戸 日枝神社に柊の木が植…
今回は、現在位置に書かれている栄から西ヶ原二丁目に向かう人道橋からの眺めを紹介する。 以前も撮ったことがあるのだが、橋の名称が分からなかったので、再訪することにした。 記事を書くにあたって、撮った場所で写真を検索したのだが、以前撮った写真が見当たらない。 位置情報の設定を解除してしまった時に撮ったのかもしれない。 前回撮った写真と今回撮った写真を組み合わせて紹介する予定だったのだが、仕方ない、今回撮ったものだけで紹介することにしよう。撮影日 2024年6月10日橋名は上る途中に設置されていたプレートで確認することができた。 分かりやすい場所にあったのに、前回は気が付かなかったなあ。 栄側の上り…
今日(2024年7月16日)は、所用で月一回代官山へ出かける日。 赤羽で降りるつもりが、寝過ごし、王子で起き、赤羽まで戻る。 赤羽で埼京線に乗るつもりでいたが、2本続けて新宿止まり。掲示板を見るとちょうど湘南新宿ラインが5分遅れになっていた。 ラッキー! と思ったのもつかの間。 更に遅れるということと新宿までの折返し運転になるとの放送あり。 仕方ない。 埼京線で新宿まで行き、山手線に乗り換え、恵比寿まで。 恵比寿駅を出たところで雨。 いつも傘を持ってきているのだが、ついていないことが重なる。 この日に限って忘れてしまった。 結構降ってきたが、コンビニもない。(セ○○イ○○○は無視。) 濡れなが…
鎌倉町時代のマンホール蓋について、下記の記事で紹介したことがある。 citywalk2020.hatenablog.com そのマンホール蓋にある鎌倉町の町章「星月」の由来は鎌倉十井の一つの星月夜の井からと言われている。 星月夜は秋の季語で、星が月のように明るい夜をいうそうだが、鎌倉の枕言葉でもある。 制定されたのは1901年(明治34年)1月1日、立案者は鎌倉小学校の職員とのこと。 2024年5月24日、その由来地を訪ねた。 星月夜ノ井ハ一ニ星ノ井トモ云ウ鎌倉十井ノ一ナリ坂ノ下ニ属ス往時此附近ノ地老樹蓊鬱トシテ昼尚暗シ故ニ称シテ星月谷ト曰フ後転ジテ星月夜トナル井名蓋シ此ニ基ク里老言ウ古昔此井…
『ぎょうだいさま』については下記の記事で簡単に触れた。 citywalk2020.hatenablog.com この時は、何も知らなかったので、ほとんど写真を撮らなかった。 2024年5月20日、再訪し、いろいろな角度から撮らせていただいた。蒲生茶屋通り この通りの途中に木の祠がある。後ろの建物はテレビ番組や舞台の小道具などを扱っている会社の倉庫らしい。 窓からのぞく。 お顔は見えない。足元の両側に鬼が二匹いた。 右は前鬼(ぜんき。斧をもった夫、赤鬼)、左は後鬼(ごき。水瓶を持ち笈〔おい〕を 背負っている妻、青鬼)という鬼らしい。見えないがさらにその下には「砂利道供養」と刻まれているらしい。右…
以前下記の記事で紹介したが、現状どのようになっているのかが気になり、訪問してきた。 citywalk2020.hatenablog.com 撤去工事のお知らせが貼られていた。 堀合通り側 入口は閉ざされていたが、まだ解体は始まっていなかった。橋の下 電車庫通り側 解体が始まっていた。 三鷹市が設置した太宰治の案内板はまだ残っていた。 橋脚の古レールに刻印があるのに初めて気が付いた。 DICK.KERR SANDBERG. D.K 1911 100年以上前のものだ。残念ながらここは解体されてしまうが、このような古レールを利用したものが都内の駅や橋にまだ結構残っている。 探しに行くことにしよう!
2024年6月27日、板橋区へ向かうため、池袋駅を降り、豊島区池袋を歩いていた。 この辺りは以前歩いたことはあるはずだが、以前歩いた時と探索眼が変わっているはず、以前とは別視点になっているはずの自分。 経由地をただ歩くだけではつまらないので、細い道、つまり路地を探し求め探索することにした。 池袋に路地などないと思っていたが、結構あるのである。 探索していると、行き止まりの路地があり、その一番奥に気になるものが見えた。 石のアプローチを進んでいく。 えっ? 何と木製電柱だった。 ペンシル型だが。 ここは豊島区なんだけれど。 まあ、他の都心のブランド区でもこんなところにこんなものがと思うものがある…
浦安市当代島は現存しているので、厳密に言うと旧町名ではなく旧自治体名と言うことになるのだろうけれど、現存していない小字も紹介しているので、旧町名扱いにしてもいいだろう。 シンプルなもの、フルバージョンに近いもの、小字付のもの、"区"と"組"が付いているものといろいろバリエーション豊かなものが発見できた。発見日 2024年7月6日①浦安町当代島 ②千葉県東葛飾郡浦安町当代島 ③浦安町当代島北境 現「北栄(きたざかえ)」 北部土地改良事業前は、耕地で29の字があったが、事業後5字(元割・新中宿・辰己・砂田・北境)になり、さらに昭和56年、住居表示で「北栄」になった。字名(地区名)「北栄」は、旧字名…
以前、池袋駅に止まっていた清瀬駅100周年記念のラッピング電車を見かけたことがある。写真を撮っていたところ、ほとんど撮れないまま、発車してしまった。もう一度見て、撮りたいなと思い、ネットで清瀬駅を検索窓に入れて検索しようとしたところ、候補に「中森明菜」が出てきた。 何でと思って、調べていると、西武池袋線清瀬駅(東京都清瀬市)の開業100周年を記念し、清瀬市が市出身の歌手中森明菜のメッセージパネルを駅構内に設置したとのこと。 パネルは開業100年の2024年6月11日、市が改札近くに設置。大きさは縦2メートル、横3メートルで、中森明菜直筆の「清瀬駅100周年 おめでとうございます」のメッセージと…
2024年7月4日、練馬駅から探索しながら、中村橋駅近くにある練馬区立美術館に向っていた。 中村橋駅北口。 ここを通るのは初めてかもしれない。 街灯が並んでいた。 何だろう? 賞状があった。 佳作 モニュメント「軌条燈(レールランプ)」 西武鉄道株式会社殿 あなたは「日本の鉄道ーパブリックアート大賞」において優秀な成績を収められましたので これを賞します 平成十五年十月十四日 「日本の鉄道ーパブリックアート大賞」運営委員会委員長 清家 清 「日本の鉄道ーパブリックアート大賞」審査委員会委員長 澄川 喜一 財団法人日本交通文化協会理事長 瀧 久雄「パブリックアート大賞」は、「地域の顔」である駅や…
愛用している「東京23区便利情報地図」の145ページの地図を見ると、練馬区に「仲町」の付箋が貼ってあった。 いつ貼ったのかは覚えていないが、チェックしていなかったので、まだ未発見なものに違いない。 「仲町」、地味な町名であるが、現存していない。 同じように地味だが、消滅してしまった旧町名「練馬区南町」は下記の記事で紹介した。 citywalk2020.hatenablog.com 地味であるが旧町名であることには変わりない。 どこに痕跡が残っているのだろう。 2024年7月2日、探しに行った。 そして、無事いくつかの痕跡を発見することができた。① 発見場所 東京都練馬区錦一丁目 ② 発見場所 …
探索中に住居表示街区案内図を見つけると確認したくなる。 今回は結構レアかなと思われるものを発見した。 鎌倉市では珍しくないものかもしれないが、他の自治体では見たことがなかった。 発見日 2024年5月24日 「田楽辻子の道」も気になるよね? えっ! 気にならない? 嘘でしょ! 当ブログにたどり着いた方なら、気にならないはずはない。 しかし、それは別な記事にするつもり。 いつになったら、書けるかわからないが・・・。案内図をアップしてみよう。 そこにはワンダーランドが広がっていた。 痣、じゃない、字だらけ。 丁目ごとに調べてみよう。 浄明寺一丁目・字釈迦堂 浄明寺二丁目・字宅間・字犬懸 浄明寺三丁…
今日はどこを探索しようかなと東京都江戸川区付近の地図を見ていたら、地図に浦安市の一部が載っていた。東京ディズニーリゾートには行ったことはあるが、今まで探索したことはなかった。地図で見ると江戸川区のすぐ隣、市川市の下だった。両方共探索したことがあるし、思ったほどに遠くないし、探索してみることにした。 浦安市、そういえば、以前勤めていた会社で浦安市に住んでいる人がいて、地震の時、液状化で大変だったと言っていたことを電車の中で思い出した。どの辺だったのだろう? 浦安駅を降りる。 どこから探索を開始するかも決めていなく、まず駅前からテキトーに探索を開始するが、駅から近いところだからかアパートやマンショ…
イベントによって変わるロゴ、気が付くこともあるし、気が付かないこともある。 今回は気が付いた!
紫陽花狩りで鎌倉市内を探索していたのだが、宿泊先は市内のホテルではなく、葉山にあるホテル(2024年6月29日放送の旅サラダを見ていると、何と自分達が泊まる何日か前に牧瀬里穂が泊まっていた。)にしていた。 鎌倉駅から逗子駅に向かう。 夕食の時間が早かったので、ホテルへ急いでいた。 向かうにはバス、次の日の帰りの日は大雨だったので、タクシーで逗子駅まで向かう。 そのため、逗子駅付近をゆっくり探索する時間は取れなかった。 ということで、逗子市は東口駅前だけしか立ち寄ることはなかった。 鎌倉市内は何回か探索したことがあるので、隣の市だし、ひとつ先の一駅だし、折角だから、探索してみようという気になった…
2024年7月1日、練馬小学校付近を探索していると、路地の奥に石柱が見えた。 何だろう? 水たまりに気を付けながら歩く。 曲がり角近くにくると、前から自転車が2台続けてきた。 ヒヤッとしたが、幸いなことに、正面衝突することはなかった。 それぞれに「ごめんなさい。」と言われる。 こんなところから人が出てくるとは思っていなかったのだろう。 自分もまさか自転車が来るとは思ってもいなかった。 路地、路地裏が大好きな自分への忠告。 見えない曲がり角は気を付けよう。 気を取り直して、通りに出る。見えた石柱は、小学校の校門だった。 大理石、御影石? 大きくて立派、歴史ありそうな門だ。右側の門をよく見ると「北…
新国立競技場方面からスタジアム通りの右側の歩道を歩いていると、青山高校がある。 校門の先の道を右へ曲がり、道沿いに歩いていく。 右側は青山高校のテニスコート。 突き当りの電柱の右下に石柱が覗いていた。 正面 右側面 真上 左側面 ここに文字が刻まれているはずなのだが、読めない。電柱の隙間から撮ってみる。 左半分しか撮れず、なおかつボケていて、判読不能。 撮れないのかなあ。 この日は、次の予定があり、切り上げて、先を急ぐ。家に帰ってから一人で作戦会議。作戦は決まった。2024年6月6日、別件で近くに来たので、再チャレンジすることにした。 青山高校では体育祭が開催されていた。 開催の様子を撮るわけ…
琺瑯看板マニアなら、知っているかと思うが、と言う自分はこの存在をごく最近知ったのだが、板橋区の熊野町交差点付近に琺瑯看板を含む昭和レトロのものが多数展示されているそうだ。2024年6月27日、現地訪問する。 カンカン照りの中写真撮影に夢中になる。 通行人も撮っている人がいたようだが、周りの視線は気にならなかった。全景 一面看板だらけ。 圧倒される。右半分 左半分 看板類だけではない、仏像、車、大砲なども展示されている。 これだけ収集するのには、かなりの時間とお金がかかったことだろう。壁に展示されている看板類をもう少し細かく見ていこう。 よく見かけるものもあるし、初めて見るものも多い。 看板だけ…
2024年6月17日、初めて普通車グリーン車に乗る。グリーン券を購入すれば必ず座れると思っていたのだが、乗車駅では満員ですぐに座れなく、デッキで立っていた。 係員が回ってきて、新宿駅から空くので座れますと言われたが、ひと駅前の池袋駅から座れた。 グリーン車は快適だのう。 どこかに満席表示されていればいいと思うのだが、そういうサービスはないようだ。最初の目的地は北鎌倉駅近くにある明月院。 だが、通り過ぎて、スーツケースを預けるだけのために鎌倉駅に降りる。幸いなことにコインロッカーがいくつか空いていた。 預けた後、北鎌倉駅まで戻る。 ネットの情報によると、混んでいると北鎌倉駅付近まで行列がつながっ…
2024年6月27日、池袋駅から板橋区を経由して練馬区へ向かう予定を立てていた。 しかし、途中色々なもの(路地が多すぎ)があり、見るものに嬉々としてしまい、中々山手通りを越えて板橋区へ行くことができなかった。 この辺りは探索したことがあるはずなのだが、見落としていたのもあったので、かなり足止めを食らってしまったのだ。 結果、最終目的地の練馬区に全然たどり着くことができなかったのだけれど、それなりの成果があったので、よかったことにしている。街区表示板 ①豊島区池袋二丁目1687 ②豊島区池袋二丁目 肝心の番地の部分が切られてしまっていた。 日陰にあったおかげか①より色が残っている。 広告主の帝都…