2025年6月16日、練馬区を探索していたところ、中野区のものを見つけた。練馬区の街区表示板 その下に中野区役所の文字が。 どうしてこんなことに? 考えられるのは、 中野区で利用していた電柱を練馬区に移設した。 誰かが中野区のシールをこの電柱に貼った。 くらいかな。
街探索で見つけた、時代とともに徐々に、また、いつの間にか、しかし確実に街から消えつつある町名看板、旧町名や看板建築、銅板葺き、出桁造り、長屋門の建物等、気になったものを紹介します。
今回新たに電力プレートを発見したので、以前発見していた旧町名の痕跡と共に紹介しよう。 ①浅草花川戸二丁目 発見日 2021年4月5日 発見場所 東京都台東区花川戸 ②ハナカワ-3 発見日 2023年2月27日 発見場所 東京都台東区花川戸二丁目 これもペンキを塗られていた。 剥がさないで、ペンキを塗って、残してくれていることに感謝。 ハナカワ? ああ、花川戸か、と近くにあった街区表示板を見て分かった。 旧町名由来案内 本町は、昭和九年(一九三四)、この地にあった町を整理統合し誕生した。浅草花川戸一丁目は、浅草花川戸町大部、同馬道町四丁目東部、同馬道町六丁 目南側一部、山ノ宿町南隅を合した。浅草…
以前も宮原駅から上尾駅の間は歩いたことはあった。 これから紹介するものは、その時はまだ関心がなく、写真を撮っていなかったもの達だ。 当然、道中旧中山道に関係するものもいくつか撮っているのだが、今回紹介するものの中には、旧中山道に関係するものは何もない。 散歩日 2023年2月20日 旧大宮市の街区表示板 現さいたま市北区宮原町 旧中山道沿いにあったものだけなので、ちゃんと探せばもっと見つかるだろう。 非琺瑯町名看板 (さいたま市北区)宮原町4丁目 (上尾市)愛宕1丁目 こんなの撮る人はいないだろう。 錆びていてほとんど読めない。 広告主を知りたかった。 白毛染いたします パオン 「白髪染」では…
京都市内では数多くの鍾馗様を見ることができるが、今のところ東京都内では数体しか発見できていない。 発見日 2021年9月25日(再訪日2023年2月18日) 発見場所 東京都中央区日本橋人形町一丁目 鍾馗様 「にほんばし人形町 VOL.131 春号 Ningyocho 2014」よりうちのお店の前の路が、芸者さんが住んでいたということで「小菊通り」と呼ばれています。その昔はうちのお店も含め、路の左側半分が置屋さんでした。趣味のある方の住まいだったらしく。 魔除けの鍾馗様が二体あったんです。剣を持った怖い鍾馗様と怖くない鍾馗様があり、それを今もうちの店の入口と裏口の屋根に守り神として残してありま…
身近なところにも史跡は残っていた。 この存在は以前から知っていたが、記事に書いてみようと思ったのは最近のことだ。 興味が湧くものがだんだんと増えてくる。 訪問日 2023年2月4、24日 訪問場所 東京都千代田区外神田4-14-1 秋葉原UDXの築堤石垣 発掘石垣の再利用 秋葉原UDXの建設に先立ち、平成13年に東京都埋蔵文化財センターによる発掘が行われました。旧神田青果市場の基礎の下からは60mに及ぶ江戸時代中頃の石垣が姿を現し、解体調査のうえその一部を当ビルのランドスケープデザインとして再び生かすこととなりました。ひとつひとつ丁寧にクサビ状に加工されたこれらの石は重厚なもので当時この地にあ…
日本橋室町は以前下記の記事で紹介したことがあったことをすっかり忘れていた。 citywalk2020.hatenablog.com 記事を投稿した後、別件で調べていたら発覚した。 以前紹介したことがないものだったので、良しとしよう。 発見日 2023年2月24日 発見場所 東京都中央区日本橋室町 どちらが正しい? 「13-11」が正しいはずだが・・・ 町名の由来(中央区ホームページより) 京都の室町にならったという説と商家が多く集まっており、その土蔵(室)が立ち並んでいたためという説があります。
恵比寿駅と用賀駅を結ぶ東急バス[恵32]系統のバス停に「下通り5丁目」がある。 駒沢通りはよく歩いていたのだが、この日(2023年2月21日)初めてこのバス停に気が付いた。 このバス停名を見て思い出した。 渋谷区下通の表札があったことを。 それがこれだ。 もう少し近寄ってみよう。 柵に覆われていたので、これ以上は近寄れなかった。 左側の板が表札なのだが、離れた所から撮ったため、ただの板切れとしか見えないかもしれない。 しかし、よく見ると文字が書かれているのが確認できる。 この表札が設置されていた建物はかなり前から撮っていた。 この界隈では有名な物件だった。 廃屋だと思っていたのだが、住人がいた…
川口市は何回か探索をしており、古い建物も残っているのだが、電力プレートは今まで発見することができなかった。 この度ようやく発見することができたが、またもやペンキまみれのものだった。 発見日 2023年2月16日 発見場所 埼玉県川口市幸町三丁目 幸町は現存している町名であるが、これは住居表示実施前のものと思われる。 歴史 1935年(昭和10年)6月1日幸町一丁目〜三丁目、青木町三丁目、並木町一丁目から幸町一丁目〜三丁目が成立。 1937年(昭和12年)大字下青木の一部を幸町一丁目に編入する。 1973年(昭和48年)住居表示の実施に伴い、地区の一部が中青木二丁目の一部となる。
宮原駅を降りて旧中山道を歩いていたら珍しいものを発見した。 見たのはたぶん初めてだと思う。 発見日 2023年2月20日 発見場所 埼玉県さいたま市北区宮原町 当初「ゆうパック」は郵政省が販売する包装用品の愛称であったが、1987年(昭和62年)6月1日からは、郵便小包そのものの愛称となった。 郵政省が毎年発行していた『通信白書』(『情報通信白書』の前身)資料編に掲載された統計表では、1993年版まで「小包郵便物取次所」の名称が用いられていたが、1994年版からは「ゆうパック取次所」に改められている。 郵便小包ナンバーくん 裏にフジカラーの看板ともう一枚くっついていたので、何かなと見ようとした…
2023年2月21日、代官山T-SITEを訪問したところ、河津桜が咲いていた。 IVY PLACEは改装中で、明日、2/23 11:30から営業再開するそうだ。 代官山T-SITEの店内でフェアが開催されていた。 蔦屋書店3号館 1階 料理フロア2023年02月13日(月) - 03月13日(月) あそんで、笑える、あみぐるみ By NekoKnit 動物や人、絵画など、幅広いモチーフを手編みで表現しているNekoKnit。今回は「あそんで、笑える あみぐるみ」をテーマに、遊び心のあるちょっとした仕掛けが施されている作品を制作いただきました。作品のストーリーを思い浮かべ、ユーモアのある仕掛けで…
設置されている所在地は分かっていた。 「7-10」はどこだ。 道路を渡って、探すがすぐに見つからず、日本橋人形町一丁目7番を一周してしまった。あっ、あった! と思ったら、老夫婦がパンプレット片手にこの碑を見ていた。 早くどいてくれないかなあ。 発見日 2023年2月18日 発見場所 東京都中央区日本橋人形町一丁目7-10 所在地 中央区日本橋人形町一ー七ー一〇谷崎潤一郎(一八八六~一九六五)は、明治十九年七月二十四日、この地にあった祖父経営の谷崎活版所で生まれました。同二十五年、阪本尋常高等小学校に入学しました。その後、父の事業の失敗により、近くを転々としました。若くして文筆にすぐれ、東京帝国…
発見日 2023年2月7日 発見場所 東京都渋谷区代官山町 この道は坂になっているのだが、上ると左側にLOG ROAD DAIKANYAMA(ログロードだいかんやま)がある。 その途中の右側(当たり前だが、下ってくる場合は左側)に片方だけになってしまっているが、橋の痕跡が残っている。 この橋の存在は以前から知っていた。(よく通っているので、たぶん・・・。) 今まであまり気に留めていなかったのだが、説明板が設置されていることに気がついた。 この坂の名前は、新坂というのだと思ったが、ないらしい。 無名坂だ。 橋の裏は柵に囲まれており、自治会などの物置が置かれている。 分かりにくいが、更にその奥には…
この日(2023年2月10日)は朝から雪だった。 それほど降っていなかったので、長靴を履き、徒歩でさいたま新都心へ。 用事を済ませ、歩行者デッキの上から広場に目をやると・・・。 えっ! あれは何だ? 正体を知っていくせに白々しい。 中々雪のタイミングで撮れることがないので、激写してきた。 とても大きいのだ。 雪化粧しているのだが、写真だと伝わりにくい。 階段の上から① 階段の上から② 横から 斜め前から 顔のどアップ この視線に耐えられるか? 正面 後ろ姿 右前足「2000 1.20 MITSUAKI TANABE」 右後足「BIO DIVERSITY」 右後足「WILD」 左後足「CRISI…
吹上町(ふきあげまち)は、かつて埼玉県北足立郡にあった町だ。 現在は鴻巣市になっている。 発見日 2020年3月13日 発見場所 埼玉県鴻巣市 「縣」と「郡」と「町」と「大字」がいいねえ。 エモい! 歴史 1889年(明治22年)4月1日町村制施行により、北足立郡吹上村・榎戸村・大芦村が合併し、新たに吹上村となる。 1934年(昭和9年)4月29日町制施行により、吹上町となる。 1954年(昭和29年)7月1日北足立郡吹上町・小谷村が合併し、新たに吹上町となる。 1955年(昭和30年)10月1日北足立郡吹上町・北埼玉郡下忍村が合併し、新たに北足立郡吹上町となる。 2005年(平成17年)10…
発見日 2023年2月18日 発見場所 東京都中央区日本橋兜町11−5 中央区を探索していたら、ブルドックソースの本社があった。 「ブルドック」、「ブルドッグ」どっちが正しいのだ? ホームページにはブルドックソースの名前の由来として、ソース発祥の地であるイギリスではブルドッグはシンボル犬として愛されていました。また、ソースが日本の家庭に馴染んできた大正末期に、ブルドッグがペットとして人気を集めていました。そこで、ソースのおいしさもこのペット同様に人々に広く愛されるようにと、商品名に「ブルドック」として採用、マークとしました。 とあった。 英語表記はBULL-DOGであるが、社名はブルドッグでは…
前日は雨と強風で、折り畳み傘がひっくり返るくらいだったので早々にホテルへ。 朝起きたら、雨が止んでいたので、早朝、朝食までの短い時間、伊東市内を探索をすることにした。 ①発見日 2023年2月14日 発見場所 静岡県伊東市和田 雨上がりの玖須美温泉通り。 まだ路面が濡れている。 早朝なので、歩いている人はほとんどいなかった。 玖須美温泉通りの東端に銅板葺き看板建築があった。 えっ! こんなところに 心が躍った。 大川洋品店と玉屋洋菓子店 次に紹介するのは、撮った時は気が付かなかったが、これも銅板葺き看板建築だった。 ②発見日 2023年2月14日 発見場所 静岡県伊東市竹ノ内 鈴木歯科医院 以…
熱海市で電力プレートを発見した。 静岡県は中部電力が管轄だと思っていたので、なぜ電力プレートがあるのだろうと思ったが、調べてみると、富士川以東は東京電力が管轄だった。 家庭用の電気は交流で、日本は静岡県の富士川と新潟県の糸魚川あたりを境にして、東側は50ヘルツ、西側は60ヘルツの電気が送られている。 電気を作る発電機は、明治時代に輸入された。輸入当初、関東にはドイツから50ヘルツの発電機が、関西にはアメリカから60ヘルツの発電機が輸入されたことから、現在も当時の流れをくむ形で2つの周波数が存在している。 発見日 2023年2月14日 発見場所 静岡県熱海市上宿町 熱海市に「本町」という町名はな…
ペンキで塗りたくられている電力プレートを発見した。 周りと同化しているが、この形状のものは遠くからでも見かけるとロックオンしてしまい、吸い寄せられてしまう。 発見日 2023年2月5日 発見場所 東京都板橋区富士見町 双葉町は現存している町名であるが、富士見町で発見した。 歴史 1932年(昭和7年)10月1日東京府内市郡併合による板橋区発足に伴い、東京府東京市板橋区(旧)板橋町八丁目、十丁目および(旧)上板橋町二丁目となる。 1943年(昭和18年)8月1日東京都制施行。 1956年(昭和31年)4月1日地番整理により、(旧)板橋町八丁目、十丁目の一部地域と(旧)上板橋町二丁目の一部地域が双…
中央商店街を歩いていたところ、居酒屋の横に琺瑯看板が貼られているのを発見した。前日もこの商店街を歩いていたのだが、反対方面から来たので右横にあるものは気が付かなかった。 見たことがないものもいくつかあったので、ひとりで興奮してしまった。 発見日 2023年2月13,14日 発見場所 静岡県伊東市松川町 串揚げ・地魚料理の店らしい。 外見は昭和風の店づくりのような感じはしない。 「強力殺虫剤 ハイアース」と「かとり線香 アース渦巻」 「強力殺虫剤 ハイアース」 水原弘 「かとり線香 アース渦巻」 由美かおる オロナイン軟膏 肝心の顔など一部が葉っぱで隠れてしまっている。 単独で撮るのを忘れた。 …
垂氷? たるひと読む。 つららを漢字変換したら出てきた。 氷柱とも書く。 氷柱というと大きなものを想像してしまう。 線路沿いを歩いていたら、ツララを発見した。 久しぶりにツララを見た気がする。 発見日 2023年1月29日 発見場所 東京都台東区秋葉原4番地 こんな立派なものが都会にあるなんて、ちょっと感激。 金網に沿って氷が折り曲がるように付いている。 不思議な自然の芸術作品。
板橋区で初の「たばこ住所プレート」を発見した。 これで「たばこ住所プレート」の発見は六つ目となった。 現町名のものだが、発見できると嬉しい。 発見日 2023年2月6日 発見場所 東京都板橋区宮本町 歴史 1871年(明治4年)11月廃藩置県で所属していた浦和県(現埼玉県)から東京府に編入。大区小区制実施。 1878年(明治11年)郡区町村編制法により北豊島郡が設置され、東京府北豊島郡前野村となる。 1889年(明治22年)4月1日市制町村制施行により志村と合併、東京府北豊島郡志村大字前野となる。 1932年(昭和7年)10月1日東京府内市郡併合による板橋区発足に伴い、東京府東京市板橋区志村清…
加須市指定有形文化財 石敢當 in 千方神社(ちかたじんじゃ)
2023年1月19日、加須市を探索していると神社があった。 何と言う神社なんだろう? 一礼をして、北側鳥居から入る。 千方神社だった。 社務所に貼られていた「千方神社 境内のご案内」を見る。 えっ! 何と石敢當があるではないか! 沖縄だけに存在するものだと思っていた。 石敢當 加須市文化財 石敢當とは中国古代の力士の名だといわれ、中国では町や村の境や辻に建てられ、災害や疫病の守護神として祀ったものといわれている。表面には石敢當・文化十四年丁牛冬十一月長至日、鵬斉陳人興国と刻されている。この石敢當は文化・文政時代の六斎市(五・十の市)即ち毎月五日・十日・十五日・二十日・二十五日・三十日の六日間開…
赤山街道を散策途中立ち寄った。 いつ見ても素晴らしい! 発見日 2023年1月31日 発見場所 埼玉県さいたま市緑区大間木1889 享保12年(1727年)、鈴木家は高田家とともに井沢弥惣兵衛に従って、見沼干拓事業に参加しました。享保16年の見沼通船堀の完成と同時に鈴木・高田両家は幕府から差配役に任じられ、江戸の通船屋敷で通船業務をつかさどり、八丁堤などには通船会所を持っていました。鈴木家は、各船に対する積荷や船頭の割り振りなどの船割りを行い、文政年間以降は八丁会所において船割りにあたり、住まいも八丁に移しました。現在残る鈴木家住宅は、この頃の建立となり、見沼通船の船割り業務を担った役宅として…
随分前に発見したものだが、今まで北乗物町の千代田区町名由来板があるのに気が付かなかった。 昨日(2023年2月11日)、神田北乗物町付近を歩いていたらたまたま町名由来板を発見することができたので、今更であるが紹介することした。 ①北乗物町5 発見日 2019年9月14日 ②北乗物町8 発見日 2019年11月30日 千代田区町名由来板 神田(かんだ)駅の東側には、古い町人町(ちょうにんまち)の面影(おもかげ)を残す町名が目につく。鍛冶町(かじちょう)、紺屋町(こんやちょう)、北乗物町(きたのりものちょう)。そしていまは消えたが、塗師町(ぬしちょう)、鍋町(なべちょう)なんていうのも戦前の頃まで…
まだこのブログを始める前の約2年前のことになるが、②は①を探しに来た時に発見した。 その時は①は発見できず、ひとつ見つかったからいいやと思い、そのまま存在を忘れていた。 先日、渋谷区の旧町名で見落としがないかを再調査している時に、まだ発見できていなかったことを思い出した。 ストリートビューで事前調査するが、入り込めないところにあるようだったので、確認することはできなかったが、この辺だろうとあたりを付けた。 初探索から随分経ってしまっていたが、幸いなことに消滅しておらず、現地ではすぐ発見することができた。 ①澁谷区豊分町二番地 発見日 2023年2月7日 発見場所 東京都渋谷区広尾二丁目 ②渋谷…
発見日 2023年2月4日 発見場所 東京都中央区銀座六丁目6-7 銀座で歩道を歩いていた時に、反対側の歩道に鳥の彫刻があるのに気が付いた。 キツツキ? 道路を渡って近寄ってみると木の幹の形をした石川啄木の歌碑だった。 この道は歩いたことがあるはずだが、今まで気が付かなかった。 京橋の瀧山町の 新聞社 灯ともる頃のいそがしさかな 啄木 この歌の「京橋の瀧山町」が気になった。 京橋區時代の旧町名なのだろうか? 裏側に回答があった。 京橋の瀧山町の由来 京橋の名は維新後の明治十一年に新たに制定された区名で昭和二十二年に現在の中央区に改められるまで七十年の間都民にしたしまれてきた区名です。瀧山町の名…
以前下記の記事で台東区の旧町名「練塀町」のことに触れたことがある。 citywalk2020.hatenablog.com 今回は千代田区の神田練塀町について調べてみよう。 きっかけはライオンズマンションに設置されているプレートだった。 同じ建物に違う町名のプレートが設置されている。 ライオンズマンション秋葉原は「神田練塀町」 東全ゴム工業株式会社は「神田松永町」 どうなってるんだ? 東全ゴム工業株式会社創業は1921年(大正10年)10月で、2021年に創業100周年を迎えたそうだ。 他にもあった。 練塀町とかっこ書きで松永町と書かれている表札だ。 建築計画のお知らせ ここにも神田松永町と神…
久しぶりに旧町名「元広尾町」の痕跡の現存を確認するために広尾五丁目付近を訪れた(2023年2月7日)。 広尾散歩通りは平日にもかかわらず賑やかだった。 創業100年超の銭湯もある。 なんと牧場もあったそうだ。 七星舍牧場跡地 1887(明治20)年、志村峯吉がこの地に七星舎牧場を開設しました。大変先見性のあった人で、1902(明治35) 年に当時渋谷村と言われた田舎の地に大きな二階建ての木造洋館を建設しました。 屋根の上には大きな看板があり一面に「七星舎」の文字が描かれ、両側に小さく「牛」「乳」と描かれていました。洋館の裏には450坪(1485㎡) の牧場に乳牛が 約15頭飼育されており、その…
まだ紹介していないが、最近、赤山街道巡りをしている。 赤山街道とは、江戸時代に関東地方発展の礎を築いた伊奈氏が、土木工事を推進する中で、拠点とした足立郡赤山(現埼玉県川口市赤山)の赤山陣屋と現地との連絡や物資の輸送を目的として設けた道路のことだ。 この日(2023年1月31日)は、赤山陣屋跡へ行ってみることにした。 自宅から目的地までの距離をYahoo!地図で調べたところ、約10kmだった。予定だと徒歩で2時間ちょっとのはずだが、寄り道ばかりしていたので、2時間オーバーの約4時間もかかってしまった。 赤山街道については、まとめるのには時間がかかりそうなので、今回は、探索途中で出会った風景のいく…
訪問日 2023年1月25日 訪問場所 東京都台東区台東三丁目 えっ!ここにあったはずのあれがない! 解体される前はこうだった。 ここには看板建築が並んでいた。 2019年11月5日 右側から撮ったもの 2020年2月1日 左側から撮ったもの 一番右の建物に付いているものをご存じだろうか? そう、あれの正体、タイトルにあるマミーショップ(森永牛乳が展開している販売店)の球体看板だ。球体、球形、丸形、円形、土星型のどれが正式名称かわからないが、当ブログでは球体にしておく。 フォルダーを確認したが、看板を至近距離で撮ったものが見つからなかったので、建物メインの写真になってしまった。 いつか解体され…
現町名「秋葉原」とその旧町名「練塀町」そして「長者町一丁目」と『練塀架道橋』
恥ずかしい話だが、結構最近まで「秋葉原」という町名の存在を知らなかった。 旧町名の痕跡が現存していないところの現町名については疎かった。 何時だったか忘れたが、初めて見た時の反応は、 えっ! 「台東区秋葉原」? 秋葉原は千代田区ではないのかい。 「オタ区」でもなかった。(そんな区があるわけない!) JR東日本の秋葉原駅の所在地は外神田一丁目で、秋葉原ではなかった。 「台東区秋葉原」は秋葉原駅から少し離れているところにある。 秋葉原駅と御徒町駅のちょうど真ん中あたりにある。 京浜東北線、山手線や新幹線等の線路と公園、それにいくつかのビルがあるだけだ。 電気店、メイドカフェ、ゲームショップもない。…
新たに「浦和市大字田島字北」時代のものを発見したので、以前発見したものと合わせて紹介することにしよう。 ①浦和市田島北1465 発見日 2020年12月7日 発見場所 埼玉県さいたま市桜区田島四丁目 ②浦和市田島北1 4 番地 発見日 2023年1月17日 発見場所 埼玉県さいたま市桜区田島四丁目 「北」の文字は消されてしまっているようだが、うっすらと見える。 自分の老眼の目で見えるのだから、若い人は、絶対、きっと、たぶん、おそらく、心の目を使わなくて見えるだろう。 歴史 もとは江戸期より存在した武蔵国足立郡与野領に属する田島村であった。 1889年(明治22年)4月1日町村制施行に伴い周辺1…
レトロな木製電柱とそこに巻き付いているもの in 東京都台東区谷中
今回紹介する谷中幼稚園前にある木製電柱には、電力プレートが付いているのだが、それについては次の記事で紹介した。 citywalk2020.hatenablog.com 今回の主役は、気が付いただろうか。 まず、昭和を感じさせる木製電柱だ。 谷中に木製電柱、似合うとは思わないだろうか? ただ場所が商店街ではなく、谷中幼稚園の前。 裸電球が付いているが、残念ながら現役ではないようだ。 次は巻き付いているものについて 巻き付いているものとは何だと思うだろうか? ワト舎(雑貨屋さん)の看板じゃないの? 幼稚園の注意書きかな? ではない。 そう、木だ。 棚があるのでフジの木だと思うが、まるで大蛇が絡みつ…
郵便創業100年記念ポストは、東京都に日本橋郵便局前と本郷郵便局前に、大阪府に日本銀行大阪支店前にと3基しかないらしい。 日本銀行大阪支店(大阪府大阪市北区中之島2丁目1)は当面訪問する予定はないので、東京都にあるふたつのポストを紹介しよう。 ①本郷郵便局 撮影日 2023年1月21日 撮影場所 東京都文京区本郷6丁目1-15 人と車がいないところを狙って撮るのだが、それがなかなか大変だ。 この写真も近くに人がいるのだが、見えない角度を探して撮ったもの。 たかが1枚の写真であるが、出来栄えはともかくとして、結構苦労して撮っているのである。 右側 郵便創業100年記念郵便ポスト 左側 通常の郵便…
ネットで調べていたら面白い看板を発見したので、探してみよう。 発見日 2023年1月21日 発見場所 東京都文京区千駄木二丁目 この電柱の両側には何があると思うだろうか? 想像もつかない。 その通りだろう。 右側 緑バージョン 左側 こちらは赤バージョンだった。 初めて見た。 上下はかなり劣化しているが、絵ははっきりしている。 一輪車人間? 何というユニークなデザインだろう。 この後ろにある家から人が出てきた。 何か言われると思ったが、大丈夫だった。 どこかに出かけるために出てきただけだったようである。 他にもないかと周辺を探したみた。 あった! 裏を見たが、赤バージョンはなかった。 こちらは…
ネットで調べていたら、旧町名の発見情報があった。 いつも参考にさせて頂いている方の発信だった。 この辺りは探索したことがあるはずなのだが、この旧町名の痕跡の存在は、今まで気が付かなかった。 発見日はすべて2022年12月17日。 ①表札 発見場所 東京都文京区千石三丁目 すぐ近くで解体工事をしている人が数人いたので彼らの目が気になった。こちらを見ていないだろうと思われる時を見計らって、さっと写真を撮り、伏目がちにその場を立ち去った。 急いで撮ったが、ちゃんと撮れていてよかった! ②電力プレート 発見場所 東京都文京区千石二丁目 劣化が進んでいるが、遠目でもこの形ですぐわかった。 ③町会員プレー…
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2025年6月16日、練馬区を探索していたところ、中野区のものを見つけた。練馬区の街区表示板 その下に中野区役所の文字が。 どうしてこんなことに? 考えられるのは、 中野区で利用していた電柱を練馬区に移設した。 誰かが中野区のシールをこの電柱に貼った。 くらいかな。
汗をかきかきしながら、一山超える勢いの急坂の路地を上り下りしていると、木製電柱が立っていた。 こんなところにも木製電柱があるんだと、感心ながら観察していると、電力プレートの存在に気が付いた。 いや、実際は、木製電柱を見た瞬間に気が付いていたのだが、こう書いてしまった。 横須賀市で初めて発見した電力プレートは、やはり木製電柱に付いていた。 カンドー!! 期待も全然していないのに突然出会ってしまったら、この言葉が出るのは当然のことだ。 目撃情報もない。 たぶん。 こんな道は、迷い込まないとたどり着けないだろう。 そんなところにあったのだ。 俺は今、猛烈に感動している。 誰の言葉だったっけ? 電柱の…
ネットで「吉片」の名がある旗竿ボックスの存在を知り、探してみることにした。 所在地は書かれていないので、自分で探すしかない。 「吉片」だから、"駒込吉祥寺町"と"駒込片町"があったあたりだろうと当たりを付ける。 下記の地図に町会の範囲が書かれていた。 ここのどこにあるのだろう? でも、全域を探してもそれほど時間がかからないだろう。 問題は現存しているかどうかだ。2025年5月26日、現地調査を開始する。 すぐ見つかると思っていなかったが、本郷通りの歩道を歩いていると、ちょうど下記の地図の現在地付近にあるのに気が付いた。 下の写真だと下の方。 本駒込地域センターの真ん前。 良く残っていた! 現物…
2025年5月23日たまたま通りがかったら、「2k540 11のヒミツ」が開催されていたので、このイベントの様子をレポートすることにしよう。 その1と2 高架下も、職人のまちかつて御徒町周辺は、伝統工芸職人のまちでした。工房が多く、クリエイターが増えている地域柄を反映しものづくりの街に。見えないところに実は工房が併設されているショップも多数! 周辺の街並みとの調和昔は東西を分断する壁がたちはだかっていた。開発後は、周辺の建物となじむように小さなスケールの棟が並んでいる。 秋葉原駅本屋 その3と4 二つの高架橋が一つになって、2k540になっている山手線・京浜東北線が走る鉄骨鉄筋コンクリート高架…
神辺土建コレクション この大量な琺瑯看板のコレクションの中に旧町名の痕跡がいくつかあった。発見日 2025年4月22日 発見場所 埼玉県入間郡越生町 消えている大字名はサンズイが見えているので、「津久根」か?発見日 2025年5月5日 発見場所 埼玉県入間郡越生町小杉 "梅園"が入っているので、旧町名扱い。ここからは2025年5月5日のこと。 予定では越生駅から50分くらいで行けるはずだったが、例のごとく寄り道してしまったため、1時間半くらいかかってしまった。駅からバスを乗る選択もあったのだが、20分後だった。待ったしても、結果的にバスの方が早く着くのだが、待つのは嫌なので、歩くことにした。越…
発見日 2020年11月12日 発見場所 神奈川県横浜市磯子区杉田 ① ② 歴史 1868年(明治元年)6月17日廃藩置県により神奈川府を設置。神奈川府久良岐郡杉田村となる。 1868年(明治元年)9月1日神奈川府が神奈川県となり、神奈川久良岐郡杉田村となる。 1889年(明治22年)4月1日杉田村、森中原村、磯子村、滝頭村、岡村が合併し、久良岐郡屏風浦村大字杉田となる。 1927年(昭和2年)4月1日屏風浦村が横浜市に編入。横浜市杉田町となる。 1927年(昭和2年)10月1日区制施行、横浜市磯子区杉田町となる。 1964年(昭和39年)3月24日新杉田町を埋立編入。 1978年(昭和53年…
2025年4月10日早朝探索中に偶然発見したもの "京都市""境界キスマーク"で検索してみたところ、ヒットしないので、京都市初かもしれない。 自治体の境界と違って、見つけようとして見つかるものでもないのかもしれない。 京都市と国鉄(工マーク) 境界で石材の材質が違うのが面白い。京都市と法務局 「京都市」の"都"のフォントがユニーク。それぞれの近くにある円形の「法第14条地図」って何だ? 不動産登記法第14条第1項に基づいて作成された地図のことで、法的には「地図」と呼ばれる。これは、正確な測量に基づいて作成されており、土地の筆界(法的な境界)を示す公式なもの。 とのこと。
今回の奈良観光の目的のひとつは、橿原市今井町を散策することだった。 「るるぶ奈良」を見ていたら、「江戸時代に栄えた豪商の町 今井町」と書かれているページが目に留まった。 今井町は平成5年に全国で37番目の重要伝統的建造物群保存地区として選定された。今井町重要伝統的建造物群保存地区は、東西約600メートル、南北約310メートル、面積にして約17.4ヘクタールの規模となっており、地区内には伝統的建造物として、建築物が501件、工作物が119件、環境物件が69件あり、全国で最も多い地区となっている。 そんな町を訪ねてみたくなった。 本来は2日目に訪問する予定だったが、雨が確定していたので、1日目に訪…
大崎駅改札を出たところに展示してあった。おおさき今昔MAP 左側 01 茶室のテーマパーク「大崎苑」江戸時代、現在の北品川五丁目付近には、松江藩松平家(島根県)の江戸下屋敷「大崎苑」がありました。ここには千利休が造った「独楽庵」など11もの茶室があり、七代藩主・松平治郷(不昧公)が居を構えました。不昧公は茶禅一味を追求し、「不昧流」と呼ばれる大名茶を完成させた江戸を代表する茶人でした。 02 日本初のベアリング製造「日本精工」日本精工は、大正3年、現在の大崎に本社工場を構え、家電から人工衛星まで支えるベアリング技術を世界に届けてきました。当時の大崎は田園地帯で、隣には屠牛場と牛舎がある…
朝ドラ「らんまん」の放送(2023年4月3日から9月29日)はすでに終わってしまっているが、2025年6月9日初めて訪問。 目的は、この時期ならではの"あじさい"鑑賞。 東京都指定名勝及び史跡牧野記念庭園(牧野富太郎宅跡) 園内には人はちらほら。 所在地 練馬区東大泉六丁目34番4号 指定 今和二年三月一六日 牧野記念庭園は植物分類学の父といわれる植物学者牧野富太郎(一八六二-一九五七)が大正一五年(一九二六)から昭和三二年(一九五七)に逝去するまでのおよそ三〇年間居住し、研究の場としたところです。大正一二年(一九二三)の関東大震災を受け、牧野の採集した標本や収集資料が失われることを危惧した妻…
たばこ住所プレートと書いていたが、前回からたばこ住所看板になっていたので、継承することにしよう。 これがある歩道は何度か歩いたことがあるはずだが、2025年5月26日、今回初めてこの存在に気が付いた。 文京区では初だった。 これを取り上げている方は少ないと思うが、これはこれで、個人的には貴重なものだと思っている。 図体が大きいので、居場所がなくなり、撤去されていてもおかしくないのだが、たまにだが、新たなものを発見すると、よく残っていてくれたと愛おしくなる。 たばこの臭いは大嫌いだが・・・。
平塚市のライオンズマンションで、金色のライオン像に出会う。 正面 右側面 左側面 裏側 この色のものは初めて見るかもしれない。 色あせているように見えるが、元からこうだったのか、元は金色に輝いていたのか、 大京が手掛けている「ライオンズマンション」の第1号が発売されたのは東京都赤坂で1968年のことだった。その時には、ライオン像はなく、初めて置かれたのは、9年後の1977年で、名古屋市のライオンズマンション唐山)だった。その後は各支店ごとの判断によってライオン像は設置されたので、ライオン像も一様ではなくデザインは様々だそうだ。竣工:1988年06月撮影日 2025年4月25日 撮影場所 神奈川…
2025年5月20日は30度越えの真夏日だったので、最近買ったオニューの日傘を利用。 「入間郡坂戸町」時代の痕跡を、下の案内図付近で探察する。 無事、いくつか発見することが出来たので、その成果を披露することにしよう。 ①埼玉県入間郡坂戸町大字塚越 門から少し離れた所にあり、自分のスマホではこれが限界。②埼玉県入間郡坂戸町大字石井 ③埼玉県入間郡坂戸町大字片柳 他にも怪しいものがいくつかあったのだが、それらの表札は門からかなり離れた玄関付近に設置されており、自分のスマホのカメラでは、撮れなかった。表札は道路から見えやすい位置にないと意味がないと思うのだが、農家などではよくあるケース。望遠を使えば…
国府津駅ホームから海が見える。 ホームにあった何か。 ホームにあるのは珍しい?珍しくない?改札を出たところにあまり立派とは言えない木製の板に写真などが提示されていた。 国府津商工振興会ご挨拶日頃、国府津商工振興会をご利用いただきまして、誠にありがとうございます。国府津商工振興会とは、JR国府津駅周辺広域に位置し、みかん山と相模湾に囲まれた風光明媚な土地柄で育まれた商業・ 農業・漁業・工業を営んでいる会です。古くは、大隈重信をはじめとする著名人の別荘地として愛され、また多くの神社仏閣も現存している中、昔ながらの懐かしいお店から、最近では、お洒落な飲食店がオープンしております。皆様方に足を運んでい…
一通りこの日の目的のものは収穫できたので、帰りの駅を調べてみると、都立大学が一番近い駅だった。大体いつもこんな感じだ。いつも帰りの駅は特に決めていなく、基本的には、一番近いJRの駅まで歩き、私鉄や地下鉄は利用しないことにしている。ただ、時間の関係や最寄りにJRの駅がない場合は、仕方なく私鉄や地下鉄を利用することもある。 都立大駅に向かう途中、「平町」という初めて訪れるかもしれない町域を通る。そこで、偶然、旧町名を発見! 「平町」は現存している町名だが、区名が右書きで、「區」が旧字体なので、戦前のものかもしれない。 発見日 2025年5月27日 発見場所 東京都目黒区平町 歴史 現在の平町・大岡…
北区を探索中に見慣れぬものを発見した。 ①北区郷7-5 発見日 2025年5月23日 発見場所 東京都北区中里三丁目 ネットで調べてみたところ、上のものとは違う目撃情報がひとつだけ見つかったので、探しに行くことにした。どこにあるのかわからなかったが、無事発見することが出来た。②北区郷9-1 発見日 2025年5月26日 発見場所 東京都北区田端三丁目 中央に鋲があるから基準点だと思うが、これが基準点だと書かれているものが見つからなかった。 「郷」についても調べてみたが、旧町名ではないようだし、これも? 数字からするとまだ他にもありそうだが、それぞれ付近を探して見たが、見つからなかった。
東京電力パワーグリッドがあるビルに、サッカーボールの塊みたいな彫刻が建っていた。 なんと! その前に道路元標があった。 調査不足で、その存在を知らなかった。秩父町道路原標 正面 真上 説明板 秩父町道路原標 この地点は秩父盆地の中央に位置し、古くは町名を大宮郷中町と称した。中町を南北に走ることの道路は、秩父往還または中仙道の裏街道とも呼ばれ、札所巡礼や甲州・信州への旅人の往来を見てきた。大宮郷は明治二十二年大宮町と改め、さらに大正五年には秩父町と改称し、ここに「秩父町道路原標 」が設置された。 近年道路交通事情の発展にともない原標としての役割を終えたが、中町を象徴する記念碑としてかけがえのない…
2025年1月7日、五日市街道を歩いていたところ、何かの説明書が立っていることに気が付いた。 個人の方が書かれたもののようだ。 読めなくなってしまった文字もあるが、他の方が撮ったものも参考にして、書き起こしてみた。 樹齢参百五拾年(昭和五十六年十月二十九日伐木) 武蔵国豊多摩郡高井戸村大字大前新田字北本村四百五十〇番地 尾崎家 屋敷林 この欅は、五日市街道の北側に位する尾崎家の常口に聳立して居ました。近来都市化が進むにつれて、上下水道の工事、区道の整備などによって、南側西側の二面の大事な根幹が切断され、剰え、交通量の激増による排ガス、スモッグに冒され、枯死寸前の状態に立ち至り、惜しまれて伐樹さ…
通常は上に伸びるものだと思うが、この植物は横に伸びているのが珍しいと思い、被写体対象になった。 上に伸びている葉もあるけど、根本は地面とほぼ平行になっているように見える。水路ギリギリに生えているので、そのうち水路に落ちてしまわないか心配である。撮影日 2025年5月29日 撮影場所 神奈川県横須賀市
2025年4月17日探索中にオオムラサキと大きく書かれた看板に目を奪われた。 見れるのかな? まだまだ早かった。 ここは伊藤記念公園 台田の杜という公園だった。 住所 東京都清瀬市中里六丁目66番地ほか この代田の杜は、約一万九千平方米の広さを有し、この地に先祖代々から生活していた伊藤家の長女ヨシさんが平成十七年に清瀬市に寄贈した公園です。 伊藤ヨシさんは、清瀬市みどりのモニターなどをし、植物には大変造詣が深く、この地で、晴耕雨読の傍ら、維木林や花を愛し、さらには絵画や短歌を詠むなど悠々自適の生活を送ってきました。 この雑木林をできるだけこのままの状態で保全してほしいという達っての要望に従い、…
北区堀船を探索していたところ、レトロ感あふれる案内図を見かけた。 発見日 2024年6月10日 こういうものでもスイッチが入ってしまう。 「都営住宅堀船二丁目団地」で検索するがヒットしない。 あるのに、なんで? 令和4年3月31日現在の都営住宅団地一覧には、「堀船二丁目アパート」となっていた。 だからか。 建設年度 1968面積 33間取り 2DK管理戸数 40公園にレトロな感じがする水飲み場があった。 今は56歳かな。 正面 側面 案内図を見ると遊園地もあるようだ。 気が付かなかったな。団地の外だが、今まで見たことがない標識が設置されていた。 顔が逆三角形で手があり、手を口に当て何か言ってい…
2024年6月11日、東十条駅へ向かうため、岸町二丁目に入る。 何回も歩いたことがあるし、電車からもよく見える。崖側は行き止まりの坂道や階段だらけ、その中で行き止まりではなさそうな坂があった。 行ってみよう。 突き当りの右側、先が見えない階段 突き当りの左側、先が見えない坂道(芝坂という名前らしい) どちらを行く? 帰る途中で、この日は失望感に打ちのめされていたので、どちらも上がってみる気力がわかず、道を戻る。東十条駅へ向かう階段を上ると案内板がある。 いつもは気にしないのだが、この日は見入ってしまった。さっき上ろうとしなかった坂の場所を確認する。 この辺かな?他に「八五号線予定地」と「トンネ…
いきいき浅草あじさい祭に昨年初めて訪問し、下記の記事で紹介した。 citywalk2020.hatenablog.com 紫陽花の美しさに目を奪われた昨年の感動が忘れられず、今年も早速行ってきた。 東京の最高気温は29.9℃。 東京都心では、12日午後1時39分に、最高気温30.1℃を観測し、今年初の真夏日となったが、それに匹敵する気温だった。訪問日 2024年6月15日訪問場所 東京都台東区千束3-19-6 甘茶香の大香炉 お釈迦さまの御降誕会(花まつり)で知られる甘茶は、甘茶あじさいというガクアジサイの変種から作られるお茶で、古来より健康増進の生薬として親しまれてまいりました。この香炉のお…
2024年6月10日、北区豊島を探索していたところ、大好物な古き良きものをいくつか発見した。電力プレート ①トシマ-27 ②トシマ-39 「シマ」に見えるかもしれないが「トシマ」、「ト」の一部見えている。住所プレート これも住所プレートのひとつ。 北区と番地の文字くらいしか読めなくなっているが、このタイプが残っているということは結構貴重なのだ。非琺瑯町名看板 豊島1丁目20 広告主はよく見かける「川村動物病院」。歴史 1889年(明治22年)の町村制施行時点では北豊島郡王子村大字豊島であった。 1908年(明治41年)8月8日王子村は町制施行し王子町になる。 1932年(昭和7年)10月1日王…
この辺りは探索したことがあるので、やはり以前も撮っていた。 まだ紹介してはいなかったので、改めて撮ってきたことだし、今回紹介することにしよう。 発見日 2024年6月8日 発見場所 東京都北区上中里一丁目 普通の人だったら、これを見て、太い木の棒にくっついている錆びた得体のしれないものとなるだろう。 もっともそう思ってくれるだけましで、存在自体気にしないのが一般的。 読者の方もこんなのが記事になるんかいと思っている方がほとんどだろう。 それがなるんだなあ。 書くから。ここは上中里1丁目30 車にこすられた跡や錆びだらけで痛々しい。 広告主は動物病院であることはわかるが、病院名が読めない。 以前…
2024年3月11日、探索を終え、久しぶりに水道橋駅から帰ることにした。 階段を上がると2番線ホームの左側に下記の説明板があることに気が付いた。 水道橋駅一、開業年月日 明治三十九年十月二十四日 二、水道橋の由来 神田川に架かり、三崎町と小石川・本郷と結ぶ橋であり橋上から神田川に架かった神田上水の万年樋が眺められたことから水道橋と呼ばれるようになった。この風景は江戸の名所に数えられ、「江戸名所図会」など多くの絵に残されている。 三、駅の構造物 駅の柱は、明治時代にドイツから輸入され使用後の古いレールによって組立てられている線路間の柱、ホーム上のアーチ形の柱などレールの芸術作で大変美しい。平成三…
かなり古い情報だが、駅からマンホールさんの王子町 - 路上文化遺産データベースによると王子町時代のマンホール蓋が下記の場所に残っているらしい。 ①堀船3丁目丸蓋1枚 ②十条周辺丸蓋3枚 ③王子本町2丁目丸蓋11枚、角蓋2枚 ④荒川区南千住2丁目丸蓋1枚 合計18枚。 大量だ! 見つかれば大漁だ!それぞれ現存しているか確認に出かけた。訪問日 2024年6月10、11、13日①堀船3丁目 撤去されていた! ②十条周辺 ②-1 中十条二丁目 紫陽花が咲くこの先にそれはあった(⋈◍>◡<◍)。✧♡ ジャジャジャジャーン! 2枚現存を確認。 この調子だ。②-2 十条仲原一丁目 事前にストリートビューで確…
鎌倉市になってからの小字付きの旧町名を発見した。 発見日 2024年5月23日 発見場所 神奈川県鎌倉市扇ヶ谷一丁目 前提知識がないので、扇ヶ谷今小路という町名があると思ってしまい、通り過ぎてしまうところだが、当然違和感があった。 下のアパートの紹介に現町名が書かれていたので、旧町名であることを確認できた。 扇ヶ谷と今小路の間に字が入って「鎌倉市扇ヶ谷字今小路」となる。 個人で住んでいる方はいないようだ。今小路通り 今小路通りとは・・・「新編鎌倉志」では、寿福寺門前にある鎌倉十橋の一つ「勝ノ橋」 から南行し、東側の巽荒神社前までの通りを指しています。「大日本地名辞書」には、「扇ヶ谷の谷口より南…
雨の日の翌日、紫陽花で有名な飛鳥の小径を訪問。 ひとつの花びらから雫が落ちそうになっているところを撮ったら、その中にも紫陽花が写っていた。撮影日 2024年6月10日 撮影場所 東京都北区王子一丁目
2024年6月10日の早朝、そう、歳なので目が早く覚める。 そして、スマホをひらき、前日のアクセス状況を確認する。 布団の中の日課になってしまった。 お知らせを見ると、こんな朝早くから、スターを付けてくださる方がおり、読者になっていただいた方も複数人いた。 何事だ? もしかしたら・・・。 スマホでは確認できない(できるのかもしれないが、方法を知らない)ので、少し早めに起きてパソコンに向かう。 やっぱりそうだ。 「きょうのはてなブログ」に当ブログの記事が載っていた。 右上の記事がそうだ。 今回で3回目になる。 数多くある記事の中から、細々と営業している当ブログの記事を3回も選んでくれるなんて、本…
北区中里を当てもなく彷徨っていたら、路地に入り込んでしまった。 たぶんこの辺りは探索した記憶がない。 と書いたが、いつも書いている通り、自分の記憶はあてにならない。 よく探索しているところでさえ、来たことがないと思ってしまうことがあるのだから。 そんな、来たことがあるのか、ないのかよくわからないところで、見たことのないプレートを発見した。 ということは、本当に初探索地域なのか?発見日 2024年6月8日 発見場所 東京都北区中里 税の赤い文字と東京市章のバランスがどうなのかなと思ってしまうが、そんなのは重要ではない。 東京市のものが存在していること自体が重要なのだ。 東京市と書かれているから、…
横断歩道を歩いていると、近くに警察官がいるにもかかわらず、道路に出て写真を撮っているおじさんがいた。 何を撮っているのだろう? これか。 この交差点は何回も渡っているのに初めて気が付いた。発見日 2024年6月1日 発見場所 東京都港区赤坂二丁目これは、たぶんガス灯だ。 それぞれの部分に美しい装飾が施されている。 それぞれの模様に名前があるのだろうけれど、わからない。 でも、なぜこんなところに? 周りを見回して見るがガス灯らしきものは見当たらない。 帰ってから、ネットで調べてみたが、情報は見当たらなかった。 このガス灯はいつ頃設置されたものなのだろうか? 今も現役なのだろうか?東京都小平市にあ…
東京葛西用水路散策案内 川のまるごと再生プロジェクト「川の国 埼玉」をめざして埼玉県は、県土に占める河川の面積の割合が3.9%で日本一という水辺空間を有しています。この日本一の地域資源を生かすため、県では100箇所の川の再生を進める「水辺再生100プラン」を平成20年度に開始しました。平成24年度からは、さらに市町のまちづくりと一体となり、一つの川の上流から下流までをまるごと再生する「川のまるごと再生プロジェクト」に移行し、県民誰もが川に愛着をもち、ふるさとを実感できる「川の国埼玉」の実現に取り組んでいます。越谷市、草加市及び八潮市を流れる「東京葛西用水地区」においても、各市の申請を踏まえ、こ…
PartⅠでは、入口にいたホラー感漂う「マネキンかかし」と「城島アルミ像」をメインに紹介した。 citywalk2020.hatenablog.com PartⅡではガラスケースの中に展示されている自分も含めたコアのファンしか喜びそうもないものばかりになるかもしれないが、それらをひとつひとつ紹介していくことにしよう。訪問日 2024年6月1、6日それでは、早速右側奥にあるものから紹介していくことにしよう。 ①無人島の宝 漂着物 取れる資源が限られる無人島での開拓。浜に流れ着く漂着物は、時に役立つ貴重アイテムとなる。一見ゴミに見える物でも使い道は様々で、長時間、海を漂って傷んだ結果放つその悪臭は…
2024年5月26日(日)に放送された「ザ!鉄腕!DASH!!~DASH島・電力化計画、電話プロジェクト~」で紹介されていたので、訪問してみようと思い立った。 以前も敷地の周りは探索したことがあるのだが、今まで入館したことはなかった。 思い立ったが吉日と思ったが、開館しているのが、木曜日と金曜日だけだった。北門に着く。 ここから入れると思ったが、警備員に「入口はここではなくて、次の信号を右に曲がって、まっすぐ行って、信号を右に曲がってください。」と言われる。 言われた通り進む。 ようやくたどり着いた。 随分遠回りをしてしまった。 ロスタイム10分以上か?2024年5月30日(木)初めて入館する…
を歩いていたところ、確かこの階段のどこかにカエルがいるはずだということを思い出した。登って確認してみよう。 訪問日 2023年10月5、14日 訪問場所 東京都港区赤坂五丁目 こんなところにいた。 階段の一番上から下を見下ろしたところ こちらは2022年9月27日に訪問した時に撮ったもの。 公園附近沿革案內 この公園の附近は、江戸時代、広島藩松平(本姓浅野)家の下屋敷であった。一ツ木の地名は、むかし、奥州街道がこの地を通過し、人馬の往来が絶えない。 それで人継村といったのを鎮守氷川神社の神木が一本の銀杏の大木であったことから、 一ツ木と読み改めたという説などがある。この高燥の台地には、維新後、…
すっかり忘れていたが、「田無町下向台」はすでに紹介済だった。 citywalk2020.hatenablog.com 今回、田無町時代の旧町名「上向台」を発見したので、紹介することにしよう。発見日 2024年6月4日 発見場所 東京都西東京市向台四丁目 ちょっと文字が薄くなっているが、まだましな方だ。 この薄さが歴史を物語っている。田無町下向台の記事でも記載したが、同じものを載せておこう。田無市の歴史 1878年(明治11年)7月22日北多摩郡に編入される。 1889年(明治22年)4月1日町村制施行に伴い、田無町が発足。 1893年(明治26年)北多摩郡が東京府へ移管され、東京府北多摩郡の所…
2024年5月24日、旧鎌倉町のマンホール蓋がメインくらいに極楽寺付近を探索していたのだが、駅、トンネル、木製電柱、ポストと見どころ満載で、このマンホール蓋のことはすっかり忘れてしまった。 家に帰ってから、あっ、行くの忘れた・・・と思い出す。 もっとも、どこにあるかはっきりと調査していなかったので、見つからなかった可能性もある。 ネットでは詳細な場所の情報は見つからなかったので、ストリートビューで探してみた。 所在地は確認できた。 さて、どうする? しばらくたってから再訪しようと思ったのだが、いてもたってもいられず、翌日再訪することにした。稲村ケ崎小学校が見えた。 学校名の文字がいい感じ。そろ…
日比谷公園 季節によっていろいろな花が咲くので、季節毎に訪れている。 そして、訪れると新しい気づきがあることがある。訪問日 2023年12月16日、2024年6月1日中幸門脇にあるクスノキ 中幸門 『以幸橋門舊礎建造明治三十五年六月』と刻まれているが、この門は明治35年6月の日比谷公園開園時には存在しなかったらしい。手すりがクスノキに飲み込まれていた。 このようになったのはいつ頃からなのだろうか? 自然の力はすごい。 何十年後かには完全に飲みこまれ、姿が見えなくなってしまうのかもしれない。
2024年5月28日、蒸し暑い、これからいやな季節が始まる。 代官山で所用を済ませ、恵比寿駅へ向かうため、たまたま通った代官山公園でタイル絵を発見した。 旧同潤会代官山アパート 文化湯 タイル絵 昭和2年(1927)、この地に旧同潤会代官山アパートが建てられました。アパート内には銭湯もあり「文化湯」と呼ばれ、アパートの住人だけでなく、近隣の多くの人々に利用され、親しまれてきました。このタイル絵は、昭和30年頃「文化湯」が改装された際、壁面に飾られたものです。九谷焼で、客がたくさん「来い」という願いが込められ、鯉が描かれています。長く愛され続けた「文化湯」をいつまでも後世に伝えたいと、ここに移設…