5回目のネパールトレッキング(ゴーキョ・ピーク往復)は終了しましたが、ネパールへのトレッキングを計画されている方のために、種々の情報を掲載しておきます。お役に立てていただければ幸いです(2024年6月)。
日本名山登頂の達成記念にブログを立ち上げました。他のブログと違って、全部登った後に、体験をベースとして日本百名山の比較分析をしています。現在挑戦中の人、または、これから目指す人の参考になるような情報を掲載しています。
日本百名山は、毎回登頂できたわけではなく、何回かは途中で撤退したこともありました(2回名以降の登山も含む)。私は景色を楽しむことを重視していますので、天気が悪くなりそうな場合にはできるだけ登山を開始しませんので、積雪や時間切れによる撤退が多かったです。
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5回目のネパールトレッキング(ゴーキョ・ピーク往復)は終了しましたが、ネパールへのトレッキングを計画されている方のために、種々の情報を掲載しておきます。お役に立てていただければ幸いです(2024年6月)。
昨晩はチュモア2950mに泊まった。標高が低いと、一呼吸で沢山の酸素が吸えたような感覚になる。ルクラからカトマンズの飛行機は明日の午前中発なので、今日中にルクラに着いておく必要がある。老齢でポーターを雇っていない私にはきつい。疲れも溜まっている。今の私の一日のトレッキングとしては、ここチュモアからルクラまでが適切であろう。
本日はクムジュン3708mからナムチェ3440mを経由してチュモア2950mまで下った。転んで怪我をしないように慎重に下った。下りはなんと楽なのであろうか。上りで苦しんだことが思い出される。チュモアのロッジからはジャガイモ畑が見えていて、まだ小さいが育っている。下界に降りてきた感じがする。
モン・ラから2時間弱でクムジュンに到着。ナムチェと比べれば、広い範囲に建物が散在している。どれも20年以内に建てられたような新しいものである。メインストリートにはロッジや土産物屋が並び、観光で潤っているのであろう。ロッジに荷物を置いて、歩いて15分位のところにあるゴンパに行ってみた。
今日からは安全にルクラまで戻ることが目標。モデルコースでは、帰りはマッチェルモからナムチェまで一日で行くことになっている。しかし、下りばかりではなく、ポルツェ・テンガからモン・ラまで、標高差300mの急な上りがある。疲れた老体にこの坂を上る気力は残っておらず、日程に余裕があることもあり、本日はポルツェ・テンガ泊まりとした。
ゴーキョ・ピークからの眺めは、これまでに見た山の絶景の中で間違いなくベスト1。南の眼下には青いドゥ―ドゥ・ポカリ、東には立派なゴジュンバ氷河、東方にエベレスト、その南にはローツェ、遠くにマカルー、北方にはチョー・オユ―と8000m超えが4座。エベレストはひと際高く、ヒマラヤの盟主たる風格を漂わせていた。
北にチョー・オユー、南にカンテガとタムセルクが見える。周りのヒマラヤの山を見ながら、休み休みゆっくり進んだ。ゴーキョに近づくと谷が浅くなり、左手に湖が現れた。2つ目と3つ目はそれなりの大きさがあり、日本では見たことがないような深い青色の水をたたえている。特に3つ目の湖ドゥードゥ・ポカリには、対岸に切り立った山が鎮座していて、湖の神秘性を増強している。
今日は高地順応のための休養日とした。昨日のルザのロッジにWi-Fiが無かったのでマッチェルモまで短距離だが移動をした。歩いている人はまばら。寒くはなく、風は強くはない。天気は良く、空気は澄んでいて、遠くの雪山が見える。こんないい所なのに、どうしてトレッカーが少ないのだろう。1時間くらいでマッチェルモに到着。
日が昇ってきて窓の外を見ると、昨日は霞んでいたタムセルク6608mの山頂辺りがくっきりと見える。朝だからなのか、それとも今日は空気が澄んでいるのか。道の方を見ると、キジのような鳥のつがいがいる。ネパールの国鳥のダフェであった。雄は色鮮やかで、雌は地味。ここに来るまでにネパールの国花のシャクナゲを見たが、ダフェの方が希少価値がある。
ナムチェより北側はラバの隊列は少なくなり、代わって高山に強いヤクの隊列が主流となる。2時間ほどでキャンヅマ Kyanjuma に到着。その先に、エベレストとゴーキョ分岐点(三叉路)があった。ほとんどのトレッカーがエベレスト方面に向かう(恐らく8割以上だろう)。
道を間違えたせいで余計な体力を使ってしまいました。この疲れと老齢と重い荷物のためか、本日の難所のナムチェ Namche 3440m 手前の約600mの急坂では、休憩を頻繁に取り、多くのトレッカーに抜かれながら、約3時間ほどかけて(標準時間は2時間くらいだと思います)ようやく登り切りました。
ネパールのトレッキング5回目です。ルクラ→ナムチェ→ゴーキョ往復のコースを選びました。最高地点はゴーキョ・ピークの5360mで、中級者向き。私のトレッキングスタイルは単独で、ガイドもポーターも雇いません。高齢(65才)で、年々体力が劣ってきていますので、今回がラストチャンスだと思って挑みました。
日本百名山は、毎回登頂できたわけではなく、何回かは途中で撤退したこともありました(2回名以降の登山も含む)。私は景色を楽しむことを重視していますので、天気が悪くなりそうな場合にはできるだけ登山を開始しませんので、積雪や時間切れによる撤退が多かったです。
北海道と東北の日本百名山の一般的なルートには7月でも残雪が普通に見られますが、これまでに7月に残雪が氷結していたことは記憶にありません。北海道は顕著な梅雨がありませんので、7月が狙い目です。ほとんどのルートでは雪渓対策の装備(チェーンスパイク、アイゼン、ピッケルなど)は必須ではないと思います(私見です)。
数日後には暖かくなるという天気予報ですので、寒い時期にしか見ることができない、赤城山小沼の小滝氷瀑を見てきました。氷瀑は堅牢なつららが幾束も重なっているようで、とても見事でした。一見の価値は十分あります。雪山初心者の方でも比較的簡単にアクセスできます。以前に訪れた別の氷瀑についても記します
浅間山は火山活動のため山頂(2568m)への立ち入りは禁止になっていて、500mほど南にある外輪山の前掛け山(2524m)が到達できる最高地点です(しかしながら2023年3月23日からはここも立ち入り禁止になっています)。この外輪山とは別に
山頂は一般論では最も高い地点です。実は崩落や噴火のために、最も高い地点に行けない日本百名山もあります。それぞれについて記します。ちなみに、深田久弥が登山した時には規制はなく、下記のいずれの山の最高地点も訪れています。利尻岳 南峰(1721m
近年、シカが増えすぎて植物を食い荒らす食害が増えていると言われています。日本百名山およびその付近に自生する高山植物も例外ではありません。私が知っている日本百名山の食害について記します。いずれも保護柵が設置して対策が施されていました。
日本百名山は2度目以上になりますので、別のコースやその山の特徴が表れる時期を選んでいます。朝日連峰の紅葉の美しさをNHK「にっぽん百名山朝日岳~錦に染まる美しき峰」で知り、紅葉の時期に同じコース(一泊二日で、日暮沢小屋ー竜門小屋(泊)ー大朝日岳ー日暮沢)を辿ってみました。
当ブログのアクセス数が多い順に3つのコンテンツを記します(2023年9月23日時点)。この3つは日本百名山を目指している方の興味を引くコンテンツではないかと思っています。当ブログは、1山のみの登山記というよりは、日本百名山を通した分析を含めているコンテンツが多く、この3つはその典型例です
なだらかな谷合の道をゆっくり進む。左手後方にアンナプルナⅡ峰とⅣ峰、それにテンギを過ぎてから現れたアンナプルナⅢ峰、今日の朝に雲がすっきり取れてはっきり見えだしたガンガプルナを見ながらのトレッキング。今日はとても天気が良く、風が弱く、暖かく、快適なトレッキングをした。
360度に雪山が見えてきた。頂上には雲がかかっている。左手にはアンナプルナⅡ峰、Ⅳ峰とガンガプルナ(アンナプルナⅢ峰は手前の山に隠れていて、マナンを過ぎないと見えない)がずっと見えていて、さすがのヒマラヤのスケールである。街道にはチベットのストゥーパーやマニ車があり、雪山と調和している。
今日からトレッキング開始。8時20分に出発。昨日の車酔いが少し残っていたが、ゆっくりペース。天気は良く、ロッジから雪山のラムジュンが見えている。主に車道(一部トレッキング道もあった)を辿って、14時25分にアッパーピサンに到着。
ベシサハール(標高823m)からチャーメ(標高2713m)までジープで来た。小雨が降っていて、寒い。この先はもっと寒くなるので、上着を購入しないといけない。アイゼンは持ってこなかったが、トロンパスは凍結しているかもしれない。トロンバス越えに黄色信号が灯った感じがした。
アンナプルナのトレッキングの集大成として、アンナプルナ・サーキット(アンナプルナ外周)のトレッキングを試みました。このコースのハイライトは5416mのトロン・パス越えで、高山病が懸念されます。1983年の初回ネパールトレッキングのころから、いつか越えてみたいと志してからの40年越しの夢でした。
日本百名山に挑戦中の方の中には、アクセスしやい経路での登頂を優先されている方が多いと思います。深田久弥が辿った経路を選ぶのが、本来の日本百名山の品格を感じるための近道だと考えますが、明確になっていない場合もあります。私が辿った経路で、山の景観が最もアクセスしやすい経路と大きく違っていると感じた2例について記します。
これまでに難しい日本百名山について書いてきましたが、比較的登りやすい百名山もあります。深田久弥が日本百名山を選定した頃と比べると、現在では、道路が開通したり、リフトやロープウエイが建設されています。最短コースを辿る場合、山頂へのアクセスが便利になっています。
体力が残っていないので、ポカラへの最短コースを選んだ。チョムロンから急坂を下って吊橋を渡り(ここまでは行きと同じ)、 Matkyuまで2時間40分ほどで着いた。(ここで今回のトレッキングは終了です。Matkyuは吊橋とガンドルンの間にある村で、ポカラからのバスの終点です。)
朝日に輝くアンナプルナI峰の写真を撮り、大満足。日本からはるばる時間とお金と体力をかけてやって来た甲斐があった。ここはネパールにおいて一般の人(特別な装備は必要がないという意味です)が楽しめることができる山岳風景では屈指の名所とのことである。
6時に外に出ると、西側に新たな雪山が見えた。これから朝日が出るので、200mくらい、ABC方面に登った。朝日に輝くヒマラヤは今もゲストハウスから見えているが、荘厳で神々が宿っているといっても過言ではない。迫りくるものがある。
昨日の夜は喉がとても痛く、途中で引き返すことも考えたが、朝になると出発できるまでになっていた。高地で空気が薄い中、ゆっくり登った。谷が深いため、雪山はあまり見えない。途中でネパール人から、「あなたは60歳にしては元気だ」と褒められた。日本で2番目に高い北岳3192mより高いところに来ている。
ヒマラヤホテルに15時に着いた。こんなハードワークはもう耐えられない。喉が痛く(山歩きで痛くなり、睡眠でましになる)、疲労で寒気がし、お腹が少し痛い。なんとか高山病にはなっていないようだが、時間の問題かもしれない。今の気分は明日休養で、ここに滞在したい。
今日はヒマラヤの山が見えた。アンナプルナサウス(7219m)とヒウンチュリ(6441m)だろう。大きくて、気高くて、ここで暮らしてみたいという気持ちにしてくれる。ネパール人はゆっくりとしていて、素朴で、僕が小さい頃の日本人と似ているのか、懐かしさを感じ、ここにいると落ち着く。
ローカルバスでフェディ(1220m)まで行き、ダンプス(1799m)目指して約600mの急坂を1時間半かけて登った。ダンプスの茶屋からはマチャプチャレ(フィッシュテール(魚の尾)と呼ばれている)の頂上付近が見えた。ダンプスまでは車が通っているので、これからが本当のトレッキング。
2019年10月~11月に第3回ネパールトレッキングを実施し、アンナプルナベースキャンプ(内院)を往復しました。このコースはアンナプルナを間近に見ることができる人気のコースで、いつか行ってみたいと思っていたました。
36年前にウレリで写真を撮った少女達に再会することができた。当時の写真を見せたが、僕が写真を撮ったことも、僕のリュックを持ってくれたことも覚えていなかった。当時はたくさんのトレッカーがいて、写真をたくさん撮られたとのこと。
飛行機は強風で飛ばず、ポカラまでインド人とジープを相乗りすることにした。悪路なので気乗りはしなかった。車に酔いそうになりながら、これまで歩いた道のりを逆行した。トゥクチェで写真休憩した。レテを過ぎてからは景色は良くなく、傾斜がきつく、こんなところをよく歩いたなと自分でも感心した。
天候に恵まれて(風は少なく、気温は暖かく、富士山が見えました)すばらしい山の景色を堪能することができました。平日に関わらず、登山者は概算で40名ほどおられました。一方、剣ガ峰付近(山頂は雪道の幅が1mmくらい)などで少なからず滑落の恐怖を感じました。
カグベニに別れを告げ、荒涼とした大地と川と雪山を見ながら、車道を2時間半かかって歩いてジョムソンに着いた。これでトレッキングは無事終了した。荷物は約10Kgで平地でも疲れる。ここのホテルでは一昨日に会った主人がよくしてくれる。
8時に出発してキンガを経てジャルコットまで約2時間半。ジャルコットは外から見ると美しい。更に1時間ほど行くとムクチナートに着いた。ここはホテルと土産物屋がひしめいている。ムクチナートはチベット仏教とヒンズー教の聖地。インドから巡礼者が多数訪れる。お寺に参って、健康を祈った。