初めての道きて蛍袋かなキキョウ科の多年草。山野や林の陰などに自生する。五~六月頃、淡紅紫色または白色で釣鐘形の花を下向きにつける。内面に紫斑がある。この花の中に蛍を入れて遊んだことから、この名がついたといわれる。初めて歩く道を辿ってきた。すると、道端に蛍袋が咲いていた。蛍袋夕風立てば伏すやうに蛍袋
御溝水(みかはみづ)清清(すがすが)として秋の朝蛤御門立秋以後、しばらくすると朝は爽涼な気分を感じるようになる。京都御苑朝の空気は澄み、ひんやいと肌に感じられる。清水谷家の椋秋が深まるにつれて、冷やかさが増してゆく。建礼門京都御所の回りの塀に沿って御溝水(みかわみず)が流れている。秋の朝そこを歩くと、さらさらと澄んだ水が流れていた。土御門第跡秋の朝木陰に入ればひんやりと秋の朝
幾度も仰ぎ雲間のけふの月陰暦八月十五日の月をいう。いわゆる仲秋の名月である。今年は十五夜と望月が重なり、次回は七年後という。一年中でこの月が最も澄んで美しいとされる。穂芒を指し、月見団子や新芋などを供えて月をまつる。今夜は仲秋の名月。だが、雲が張り出して流れ、雲間から時々顔を出す月を拝した。今度は見られるかと、何度も窓から空を仰いだ。名月を小樽のひとも見をらむか名月
東福寺方丈八相の庭方丈の庭の砂紋や秋日影秋の日の光、日差しをいう。通天橋秋の日は澄んでいて明るい。だが、秋分を過ぎると日差しは次第に衰えてくる。東福寺の方丈にある八相の庭には、海を表す砂紋が見られる。その砂紋に秋の日が差していた。東福寺開山堂(常楽庵)の伝衣閣(でんねかく)秋日濃し常楽庵の伝衣閣秋日影
大文字草に七堂伽藍かなユキノシタ科の多年草。山中の湿った岩の上などに自生する。八~九月頃、白色またはやや紅色を帯びた五弁花を円錐花序につける。五弁のうち二枚がほかよりも長く、「大」の字に似るところからこの名がある。東福寺三門東福寺には日本最古で大きな伽藍がある。東福寺本堂東福寺の広い境内には七堂伽藍が聳え建っていた。その中央部に薄紫色の大文字草が咲いていた。禅寺の大文字草朝日受け大文字草
東福寺南門の紅芙蓉かなアオイ科の落葉低木。中国、日本南西部原産。八~九月頃、朝、淡紅色の五弁花をつけ、夕方にはしぼむ。観賞用には白芙蓉、八重咲き芙蓉、酔芙蓉などがある。酔芙蓉は朝のうちは白いが、午後にはピンク色になり、夕方にはさらに赤くなるのでこの名がある。東福寺南門京都の東福寺を訪れた。南門の方から入ろうとすると、その道の両側に紅芙蓉が咲いていた。京の路地歩いてきたり酔芙蓉芙蓉
千本鳥居参道に異国語あまた秋の風伏見稲荷大社秋に吹く風のことをいう。本殿秋の訪れを告げる「秋の初風」から、晩秋の蕭条とした風まで、秋の風にはしみじみとした趣がある。千本鳥居京都の伏見稲荷大社を訪れた。千本鳥居を一度潜ってみたかったからである。千本鳥居は、奥社から奥社奉拝所までの約400mほどの間に立ち並んでいる鳥居のことをいうそうである。その先に道はまだ続き、稲荷山の頂上にかけて一周できるようになっており、その道にも鳥居は設置されている。山全体では一万本ほどあるといわれている。今回、何も知らずに登ったが、山頂までの往復、一時間四十五分ほどかかった。参道には日本人より外国人の方がずっと多く、様々な言語が飛び交っていた。登りがきつい所もあったが、時折吹く爽やかな秋の風に救われた。秋風や喘ぎ登りし頂上に秋風
釣人の一人の黙や秋の川秋になって冷やかに澄んで流れる川をいう。晴れた日には秋の日差しが水底まで届き、魚影などがよく見える。ひんやりとした水が流れる川は、いかにも秋らしい風景である。秋の川に釣人が一人竿を垂らしていた。そこには一人の黙(もだ)があった。秋川の浅瀬に幼子のふたり秋の川
切株に宿つてゐたる茸かな大型の菌類の俗称。多くは傘状をなし、裏に多数の胞子を持つ。食用部分は胞子を作るための子実態。色や形も様々。古くは「たけ」「くさびら」と呼ばれ、「きのこ」が季語になったのは江戸時代初期からである。猛毒の茸も存在する。茸を見つけるとそのどれもが切株に宿っていた。どうしてなのか不思議である。茸の名どれも分からず愛でにけり茸
雨雲の張りても赤き柘榴かなザクロ科の落葉高木。秋に果実が熟す。西アジア原産。日本には平安時代に薬用として渡来した。実は熟すと裂けて種子が現れる。種子を取囲む半透明の仮種皮は淡紅色で甘酸っぱく、食用や果実酒にされる。柘榴の実が生っていた。雨雲が張り出してきたが、柘榴は曇らず、真っ赤であった。実柘榴や滑らかに川流れゐて石榴
笑栗に足取り軽くなりにけり栗はブナ科の落葉高木。北海道中部以南の山地に自生し、果樹として栽培もされる。栗の毬は初秋の頃は薄い緑色をしているが、成熟するにつれて褐色となり、裂け目が生じ実が弾けて落ちる。「笑栗」は毬が裂け始め、少し口を開けて笑っているように見えるところから名づけられた。歩いていると、栗林の毬栗が裂け始め、いくつかが笑栗となっていた。それを見て、足取りが軽くなった。笑栗や歯科検診の帰り道笑栗
川堤夕日に染まる曼殊沙華ヒガンバナ科の多年草。中国原産の帰化植物。彼岸頃、鱗茎から30~50センチの花茎を伸ばし、真っ赤な花を輪状につける。そのため、彼岸花の別称がある。人家に近い田畑の縁、路傍や墓地などに群生する。有毒植物で、特に鱗茎はアルカロイドを含む。近縁に白花曼殊沙華がある。川堤に曼殊沙華が咲いていた。夕方になって夕日に染まり、花の色がより鮮やかになっていた。曼殊沙華牧野庭園にも群れて曼殊沙華
戸を閉めむとて一時の秋夕焼「夕焼」は夏の季語。夏には夕焼が最も鮮やかで大きいからである。だが、「秋の夕焼」は夏ほどの激しさや大きさはなく、色も淡く、たちまち消えて行く。芒のなびく山野などに佇んで見上げる秋夕焼は、どことなく寂しく感じられる。夕方、戸を閉めようとして障子を開けると、秋の夕焼の最中であった。一時、秋夕焼を眺めていた。秋夕焼明日の良き日を祈りけり秋の夕焼
ツマグロヒョウモン(雄)川縁の草に執して秋の蝶モンキチョウ(雌)秋に見られるすべての蝶をさしていう。秋にはせせり蝶や蜆蝶など、地味な蝶が多く目につく。晩秋になると蝶の数も減り、飛び方も弱々しくなる。秋の蝶が飛び回っていた。その蝶は時々川縁の草の花に止まり、執しているように見えた。モンキチョウ(雌)秋蝶の草に隠るることもよし秋の蝶
秋晴や農婦が畑にラジオかけ秋空が青く澄んで、高々と晴れ渡っていることをいう。ハイキングや旅行などの行楽、スポーツ、農産物の収穫など秋晴の季節は遊ぶことも働くことも多い。しかし、移動性高気圧のもたらす秋晴は長くは続かず、天気は変わりやすい。秋晴となっていた。畑では農婦がラジオをかけながら農作業をしていた。秋晴やマレットゴルフする一人秋晴
小式部や京を旅する夢を見てクマツヅラ科の落葉低木。山中の湿地に生え、庭木ともする。七~八月頃、葉腋に淡紫色の小花を多数つけ、九~十月頃、紫色の実を結ぶ。小紫のこと。紫式部は近縁の別種。小式部の実が沢山生っていた。この実を見て、京都を旅する夢を見たことを思い出した.小紫夕日を欲しいまま受けて小式部
新松子犬に曳かるる男ゐてその年新しくできた松毬をいう。卵形で青々としている。初めは鱗片を固く閉ざしているが、やがて木質化して松ぼっくりとなり、開いた鱗片から種をこぼす。緑道の松に新松子が生っていた。その下を犬に曳かれながら男の人が散歩していた。夕暮の川面眩しや新松子新松子(しんちぢり)
鍔下げて走るは女人竹の春竹は筍の生える四月から五月にかけて栄養分が奪われ、親竹は生気を失う。それが秋になると回復し、緑鮮やかな葉を茂らせる。この状態を「竹の春」という。秋になって、あたり一帯の草木が色づいてくる頃であるだけに、竹の葉の緑は一層新鮮に感じられる。篁は青々として竹の春となっていた。その下を、帽子の鍔を下げてジョギングして来るのは女性であった。。晴れ渡る竹春の川堤かな竹の春
仙人草下校生らと行き交ひてキンポウゲ科の多年草。山野に自生する。九月頃、葉腋に白色の花を多数つける。四枚の蕚片が白色花弁状で十文字状に開く。花弁を欠き、中央に多数の雄蕊と雌蕊がある。実の白毛を仙人の白髪に見立ててこの名がある。有毒だが、葉や根は鎮痛、利尿剤として利用する。仙人草は季語にはなっていないが、真っ白い花が美しく、よく見かけるので、ちなみに詠んでみた。仙人草が連なって咲いている所があった。その前の道を下校する中学生達と行き交った。仙人草そぞろ歩きをしてをれば仙人草
相撲草抜く子もをらぬ野原かなイネ科の一年草。日当たりのよい路傍や野原に自生する。日本名は雄日芝。根が強くて抜き難いことから「力草」とも呼ばれる。子供がこの穂の茎を絡み合わせて引っ張る遊びをするところから、「相撲草」「相撲取草」の名がある。相撲草が群生している野原があった。昔はこの草で子供が遊んだが、今はそんな遊びを知る子もおらず、野原にはこの草を抜く子はいなかった。小走りをすることもあり力草相撲草
夕べには光る芒となりにけり秋の七草の一つ。イネ科の大型多年草。日当たりのよい山野、土手、荒地などに自生する。秋、稈頭に中軸から多数の枝を広げ、黄褐色か紫褐色の花穂を出す。花穂が開くと白い獣の尾を思わせるような形となり、尾花と呼ばれる。十寸穂(ますほ)の芒は十寸(約30センチ)もあるもの。真赭(まそほ)の芒は穂が赤みを帯びて輝いているもの。縞芒、鷹の羽芒は葉に白い模様がある。芒が固まって穂を出していた。夕方になるとその穂が夕日に光っていた。ジョギングコース脇の芒の吹かれをり芒
用水の秋日の道を歩きけり秋の太陽、あるいはその日差しをいう。立秋を過ぎても日差しは衰えず残暑厳しい日が続く。秋の入日は照り方が特に激しく、華やかな感じさえする。用水沿いに道がある。秋日に照らされたその道を歩いた。一生のなかの一瞬秋没日秋日
藤の実の下にて息を整へぬ藤はマメ科の蔓性落葉樹の総称。春から夏にかけての花のあと、細長く扁平な莢果を結ぶ。緑色の莢は全体が細かい毛で覆われており、晩秋になってから完熟し、果皮は硬い灰緑色となる。歩いてきて藤の実の下に来た。そこで息を整えて休んだ。藤の実に貌上げ東男かな藤の実
秋茄子紺の深さの闇に似ぬ秋になって生る茄子をいう。特別な品種があるわけではない。形は夏のものよりも小振りになることが多いが、種が少なく実が締まって美味とされる。秋茄子は紺色が深い。それは闇のようであった。秋茄子の煮浸しに酒進みけり秋茄子
橋渡り川沿ひ歩き秋ぐもり秋の曇りがちな天候をいう。「春陰」に対して「秋陰」ともいう。移動性高気圧や低気圧の影響を受けて、秋の空は変わりやすい。北東の風を伴い、冷たい雨が降り出す。曇った日が二、三日続くと、気分も暗く沈みがちになる。橋を渡って川沿いを歩いた。空は陰鬱な秋曇であった。秋陰や夕べの畑に農夫ゐて秋曇
雌日芝や子供の遊ぶ姿なくイネ科の一年草。空地や路傍に自生する。高さ約50センチメートル。まばらに分枝し、広線形の柔らかい葉を互生する。夏から秋に、枝先に淡緑色の小穂をつける。めひじわ、じしばり、雌芝などとも呼ばれる。雌日芝が空地に群生していた。昔は子供たちが走ったりして遊んでいたが、今は子供は誰も遊んでいなかった。めひじわの夕べの道を帰りけり雌日芝
甘き香に止まり果たして葛の花マメ科の蔓性多年草。秋の七草の一つ。八月末頃、葉腋から十数センチの花序を出して、紫赤色の蝶形の花を下から密につける。花は葉陰に咲き、芳香がある。花が終わると、扁平なマメ科特有な実が生る。散歩していると甘い香りがした。止って、道端の葛の葉をめくってみると、果たして葛の花が咲いていた。霊園へ続くなぞへや葛の花葛の花
おしろいや子共と犬と飼い主とオシロイバナ科の多年草。熱帯アメリカ原産。庭に植えられる。八~九月頃、夕方からラッパ状の小花を開き、翌朝しぼむ。花色は。紅、白、黄、絞りなどで、芳香がある。黒く硬い種子のなかにある白い粉の胚乳が白粉に似ているのでこの名がある。夕方、白粉花が遊具の近くに咲いていた。その前を子共と犬を連れた飼い主が楽しそうに通って行った。雲間より夕日白粉花にかな白粉花
街道の槻の切株猿茸担子菌類ヒダナシタケ目サルノコシカケ亜目の木質多年生のきのこの総称。朽木や古木に生え、半円形や棚状に生長する。年々成長して、数十年のものは径一メートルにもなる。霊芝と呼ばれ、滋養強壮や鎮静に効果がある漢方薬で、栽培品もある。街道沿いの欅並木の中に欅の切株があり、そこに猿の腰掛が数個ついていた。猿の腰掛雑木林に風通り猿の腰掛
人通りなき昼下がり青蜜柑ミカン科ミカン属の常緑低木。まだ未熟で濃い緑色の蜜柑をいう。また、初秋から仲秋にかけて店頭に出る表皮のまだ青いものもいう。十月になると、わずかに色づいた露地栽培早生種が出回る。昼下がりの路地裏は人通りがなくしんとしている。そこに青蜜柑が生っていた。散策の口の渇きや青蜜柑青蜜柑
草傾げ吹く風二百十日かな立春から数えて二百十日目で、九月一日頃に当たる。この頃は台風の襲来しやすい時期とさている。またこの時期は稲の開花期にも当たる頃で、農家は「厄日」として恐れた。今日は二百十日。台風は来ておらずよく晴れたが、川では草を傾げるほどの風が吹いていた。左岸沿ひ除草作業の厄日かな二百十日
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初めての道きて蛍袋かなキキョウ科の多年草。山野や林の陰などに自生する。五~六月頃、淡紅紫色または白色で釣鐘形の花を下向きにつける。内面に紫斑がある。この花の中に蛍を入れて遊んだことから、この名がついたといわれる。初めて歩く道を辿ってきた。すると、道端に蛍袋が咲いていた。蛍袋夕風立てば伏すやうに蛍袋
繍線菊や万葉集に恋の歌バラ科の落葉低木。山野の日当たりのよい土地に自生するが、観賞用に庭園に植えられる。五~六月頃、枝先に淡紅色の五弁の小花を傘状に群がりつける。花色は淡紅色のほかに、白色、紅白の咲き分けなどがある。最初に発見されたのが下野(栃木県)であったところからついた名といわれる。繡線菊の花が道路脇に咲いていた。この花を見て、万葉集に恋の歌が多いのを思い出した。坂上る白繍線菊を愛でながら繍線菊(しもつけ)
青梅の見るたび太りきたりけり熟す前の青緑色の梅の実のことをいう。五~六月に梅の実はふくらみ、やがて黄熟して甘酸っぱい香を放つ。青梅のうちに枝を打って広げたシートに落とす。梅干にしたり梅酒にしたりする。川沿いの道の脇に梅の実が生っていた。散歩に来るたびに青梅が太ってきていた。青梅を数へ訝しがられけり青梅
栗咲くやたまに人来て用水路ブナ科の落葉高木。山野に自生し、畑などに栽培もされる。五~六月頃、黄白色の花穂を枝先に上向きにつけるが、大房になると八方に垂れ、独特の青臭い匂いを漂わせる。雌雄同株。雄花は穂状の部分に密生し、緑色の雌花は基部につく。受粉が終わると、雄花は褐色に変色して落ちる。用水路に面した畑に栗の花が咲いていた。用水路沿いの道には人がたまにやってくる程度であった。久々の青空眩し栗の花栗の花
十薬や丘陵の道ひたすらにドクダミ科の多年草。五~六月頃、湿った日陰や庭隅などに密集して生える。白い四枚の花弁のように見えるのは苞で、その真ん中に、淡黄色の小さな花を穂状につける。特異な臭気を持ち、乾かして利尿、緩下剤など民間薬として用いられる。薬効が多いことから「十薬」の名がついた。別名「どくだみ」。丘陵の道をアップダウンを繰り返してひたすら歩いた。すると、その道の傍らに十薬が群生して花をつけていた。どくだみの花や走るは学生ら十薬
切通し通つてきたり銭葵アオイ科の二年草。ヨーロッパ原産。古くから観賞用に栽培されてきた。五~六月頃、葉腋に五弁花を数個ずつつける。花弁は淡紫色で紫色の脈がある。切通しを通って坂を下りてきた。すると、そこに銭葵が沢山咲いていた。暇さうな猫が伸びして銭葵銭葵
ヘリコプターの急旋回や山法師ミズキ科の落葉高木。本州以西の山野に自生する。庭木や街路樹にもされる。五~六月頃、枝の先に花をつける。白い四枚の花びらに見えるのは苞で、芯に緑黄色の細かい花を球状に密生する。その頭状花序を法師に、苞を頭巾に見立てて山法師という。また、秋に実る果実が球状で紅色のため「山桑」ともいう。山法師が満開となっていた。その上をヘリコプターが飛んで来て、急旋回して行った。山法師いのちながをば願いゐて山法師の花
牛乳に垂らすリキュール麦の秋五月下旬から六月にかけて、麦が黄熟し刈り入れ時となる頃をいう。オオムギ、コムギ、ライムギ、ハダカムギ、エンバクなど、麦の種類によって、若干のずれがある。米は秋に収穫するが、麦は夏が麦刈りの時である。麦秋の頃は暑くなるので、冷たいものが飲みたくなる。そこで、牛乳にリキュールを垂らして飲むと美味しかった。麦秋やフルート校舎より聞え麦の秋
川縁の桑の実に手を伸ばしけりクワ科クワ属の落葉高木。実は初め赤色で、やがて熟すと紫黒色に変じる。味は多汁で甘い。昔は子供が積んで食べ、唇を紫に染めた。現在は生食のほか、ジャムや果実酒などの原料として利用されている。桑の実や少年なりし頃の味桑の実
参拝す卯月曇の村社陰暦四月、卯の花の咲く頃の、降るでもなく晴れるでもない曇り空をいう。晴れれば気持ちのよい初夏だが、一度天気がくずれるとなかなか回復せず、梅雨の走りを思わせる。卯の花の咲く頃合いにあたるので、「卯の花曇」ともいう。今日は卯月曇であった。そんな中、北多摩の村社を訪れ、参拝した。団子屋の小窓も卯月曇かな卯月曇
ジョギングコース歩いてゐたり桜の実桜は花が終わると、初夏に実をつける。青い小粒から太るにつれて赤変し、熟して黒紫色となる。鳥はよく啄むが、酸味と渋味でうまくはない。さくらんぼは西洋実桜の実である。公園に赤いジョギングコースがある。そこを走らずに歩いていると、桜の木に赤や黒の実が沢山生っていた。実桜や丸くなることむつかしく桜の実
天を向く薔薇神神しとぞ思ふバラ科バラ属の総称。野生種は世界に約二百種、日本に約十種がある。薔薇といえば豊穣で香り高い花を咲かせる西洋薔薇をさす。一年中栽培されるが、花時の最盛期は初夏の五月。秋咲きのものもある。天に向かって薔薇が高々と咲いていた。その様を神神しいと思った。取り取りの薔薇囲む家羨しとも薔薇
バス避けて茅花流しを見てをりぬ五月頃吹く、湿気を含み雨を伴うことの多い南風を「流し」という。「茅花流し」は、茅花、すなわちチガヤの花穂が白い絮をつける頃に吹く湿気を含んだ南風をいう。梅雨の先触れとなる季節風につけた美しい名である。歩道のない道を歩いていると、バスがやって来た。バスを避けるために野原の方に向きを変えると、そこには茅花流しが見られた。百均に菓子買ひ茅花流しかな茅花流し
文士とふ言葉聞かずや鉄線花キンポウゲ科の落葉蔓性木本。中国原産。江戸時代初期に渡来。五~六月に葉のつけ根から長い柄を出し、白または薄紫の六弁花を開くが、花弁に見えるのは蕚片が変形したもの。クレマチスは、鉄線と風車などを交配して作られた園芸品種。俳句では鉄線花ともいう。最近は小説家はいても文士という言葉は聞かない。あるお宅に、文士の家に咲いているような鉄線花が咲いていた。教会の亭午の鐘やクレマチス鉄線花
青無花果部活生徒ら走り抜けクワ科の落葉小高木。小アジア原産。日本には江戸時代に伝来。果実の成熟は年二回で、夏果、秋果がある。夏果は前年についた幼果が越冬して夏熟するもので、その熟する前の青い実が青無花果である。秋果は秋に熟するもの。花が花托のなかに隠れていて見えないまま実になるので、「無花果」と書かれる。川堤の脇に青無花果が生っていた。その前を部活の生徒たちが走り抜けて行った。詩に詠めど青無花果の食べられず青無花果
散策の道の曲りや花柘榴ザクロ科の落葉小高木。イランからアフガニスタンにかけての地域が原産。日本には、平安時代に中国から渡来。五~六月頃、枝先に多肉で筒状の蕚をもつ朱赤色の六弁花を多数つける。花びらは薄くて皺がある。実のならない八重咲きの園芸品種を花石榴と呼び、花色は白、淡紅、朱、絞りなどさまざま。緑道という散策の道がある。道は曲がりくねっていて、その傍らに柘榴が咲いていた。川沿ひの家よりピアノ花ざくろ石榴の花
卯の花やジャージ下校の学生ら空木の花のこと。空木はユキノシタ科の落葉低木。山野に自生する。初夏、白色五弁花を円錐花序につける。枝が中空なので空木とも。谷空木、箱根空木はスイカズラ科で、ユキノシタ科の空木とは別種。道端に卯の花が咲いていた。その前をジャージ姿の中学生たちがぞろぞろと帰って行った。万葉の歌が好きなり花うつぎ卯の花
馬鈴薯の花に大空広ごれりナス科の一年生作物。南アメリカのアンデス高地原産。日本にはインドネシアからジャガタラを経て慶長年間にオランダ人によってもたらされたことから、じゃがたらいもの名がついた。初夏、上部の葉腋に花枝を出し、浅く五裂した数個の白または淡紫色の花をつける。畑一面に花が咲く光景は、ひなびた美しさがある。馬鈴薯の花が畑一面に咲いていた。その上には大空がどこまでも広がっていた。じやがいもの咲きしや庭の一角に馬鈴薯(じゃがいも)の花
日の差せば彩散りばめて飛燕草キンポウゲ科の二年草。南ヨーロッパ原産。デルフィニウムの一種。初夏、直径三センチほどの小花を茎頂に総状につける。花弁状の蕚に距があり、その形から飛燕が連想され、この名がある。花色は青、青紫、淡紅、白など。別名、千鳥草。雲っていたが、日が差してきた。飛燕草が彩を散りばめたように、様々な色に輝いていた。カンツォーネ聴きたくなりぬ飛燕草飛燕草
足止めぬ定家葛の花の香にキョウチクトウ科の蔓性常緑木本。山野に自生し、庭木にもされる。茎は地をはい、また気根を出して樹や岩に絡む。初夏、枝先および葉腋に芳香のある白い花を集散花序につけ、後に黄色に変わる。花冠は五裂し、風車状にねじれる。茎、葉は民間薬として鎮痛、解熱などに利用される。鎌倉時代、式子(しょくし)内親王に恋をした歌人藤原定家が、死後定家葛に生まれ変わり、内親王の墓に絡みついたという伝説からこの名がついた。古名は「柾(まさき)の葛」。長い坂道を下りて街路の歩道を歩いていると、いい香りがした。立ち止まって見ると、ある家の垣根に花を咲かせていた定家葛であった。歌にある柾の葛花つけぬ定家葛
川音の届く虫取撫子にナデシコ科の一年草。地中海地方原産。日本には江戸時代末に渡来し、観賞用に栽培されたが、現在は野生化している帰化植物。五~六月頃、茎の先に濃紅色の小さな五弁花を散房状につける。茎の上方の節の間から粘液を分泌するため、小虫が付着することからこの名がついた。だが、食虫植物ではない。虫取撫子が群生しているところがあった。そこまで川音が聞えていた。紅を得て小町草とはゆかしき名虫取撫子
散策のまづ香に気づき栗の花ブナ香の落葉高木。山野に自生し、また、果実収穫用に人家や畑で栽培される。六月頃、黄白色の細長い雄花をやや上向きにつけ、緑色の雌花をその基部に固まってつける。大房になると八方に垂れ、独特の青臭い匂いを漂わせる。雌雄同株。雌雄異花で、虫媒花。受粉が終わると雄花は褐色に変色して落ちる。散策をしていると、あの独特な香が漂ってきた。見上げると栗の花が咲いていた。夕暮は人恋ふときよ栗の花栗の花
葉隠れに青梅数多生つてをり熟す前の青緑の梅の実をいう。五~六月に梅の実はふくらみ、やがて黄熟して甘酸っぱい香を放つ。青梅のうちに落して梅酒にしたり、梅干にしたりする。葉に隠れて青梅が生っていると思い、近づいてよく見ると、手前にも奥の方も、また上の方にもかなりの数の青梅が生っていた。青梅や薄日を歩く川堤青梅
遥かにも見渡してをり菖蒲園花菖蒲をたくさん植えてある庭園をいう。菖蒲田には三大品種(江戸系・伊勢系・肥後系)別に植えられていることが多く、普通、名札が差されている場合が多い。菖蒲田の間の木道などを歩きながら花菖蒲を鑑賞する。花菖蒲まつりの間には、多くの人が観に訪れる。菖蒲園は非常に広かった。遥か彼方を見渡していた。休むこと忘れてゐたり菖蒲園菖蒲園
江戸系大盃札あるもなきも撮りけり花菖蒲黄花菖蒲アヤメ科の多年草。野花菖蒲の栽培変種。水辺などの湿地に栽培される。原種の野花菖蒲は山野の湿地に自生する。江戸系水の光六月頃、抜きん出た花茎の頂に鮮麗な花をつける。花弁のもとの黄色い目型模様に特徴がある。長井系麗人江戸時代から多数の品種が作られ、広く栽培された。そのらめ花色、形は千差万別。品種は江戸系、伊勢系、肥後系に大別される。長井系は山形県長井市で改良されたもの。江戸系吉野太夫東京の東村山菖蒲園を訪れた。曇りの予報だったが晴れてきて、色鮮やかな花菖蒲がより一層美しく見られた。花菖蒲には、名札があるものとないものがあったが、どれも美しいので区別なく写真を撮った。江戸系友白髪晴れたれば心も晴れて白菖蒲花菖蒲
羊蹄の花や自転車土手走りタデ科の多年草。野原、路傍の湿地あるいは水辺に自生する。五~六月頃、茎の上部で分枝し、枝先の節々に淡緑色の小花を総状につけ、全体で細い円錐状をなす。六枚の蕚片があるだけで花弁はない。根は民間で皮膚病の薬とされる。川辺に羊蹄の花がたくさん見られた。その土手の上を自転車が走り抜けて行った。羊蹄の花に雀の止りけり羊蹄の花
軽のきぬ定家葛の畑道をキョウチクトウ科の蔓性常緑木本。山野に自生し、ときに庭木とされる。茎は地を這い、また気根を出して樹木や岩に絡む。五月~六月頃、枝先および葉腋に芳香のある白い花を集散花序につける。のちに淡黄色に変わる。花冠は五裂し、風車状にねじれる。式子(しょくし)内親王に恋をした藤原定家が、死後定家葛に生まれ変わり、内親王の墓に絡みついたという伝説からこの名がついた。古名は柾(まさき)の葛。畑道に農家の軽自動車が入ってきた。その畑の垣根に絡みついた定家葛が、びっしりと花をつけていた。見上ぐれば定家葛の香なりけり定家葛
桑の実や草踏み分けて川堤クワ科の落葉高木。五月頃、果実の集まった穂をつけ、初めは赤色で、熟すと紫黒色を呈し、甘味を増す。実は生食のほか、ジャムや果実酒などの原料として利用される。草を踏み分けながら川堤を歩いた。すると、桑の実がたくさん生っていた。桑の実に届かぬことが歯痒かり桑の実
曇り日の畑垣にあり花うつぎユキノシタ科の落葉低木。空木の花のこと。山野に自生するが、古くから垣根や田畑の境界に植えられた。五月頃、枝先に白色五弁花を密に総状につける。旧暦四月を「卯月」と呼ぶのは、この花からきたという。幹が空洞になっていることから「空木(うつぎ)」とも呼ぶ。この時季、卯月曇というように曇る日が多い。その曇り日を歩いた。すると、畑の垣根の中に卯の花が咲いていた。卯の花や郵便バイク細道を卯の花
ネクタイをせぬ暮しなり花柘榴ザクロ科の落葉小高木。イランからインドにかけての原産。五~六月頃、枝先に多肉で筒状の蕚をもつ朱赤色の六弁花をつける。実のならない八重咲きのものを「花石榴」といい、白、淡紅、朱、しぼりなどの種類がある。散策していると、道端に柘榴が咲いていた。柘榴を見て、なぜか、長い間ネクタイをしない暮しをしているなあと思った。夕影に映ゆる柘榴となりにけり石榴の花
青空に白際立ちぬ山法師ミズキ科の落葉高木。本州以西の山野に自生する。庭木や街路樹にもされる。五~六月頃、小枝の先に花をつける。白い四枚の花弁のように見えるのは苞で、その真ん中に緑黄色の頭状花をつける。山法師がたくさんの花をつけていた。青空に白い苞が際立って見えた。ゆつくりと媼の散歩山法師山法師の花
ふふみたき色と仰ぎて桜の実桜の花のあと、初夏につく果実をいう。青い小粒から太るにつれて赤変し、熟して黒紫色となる。「さくらんぼ」と違い、酸味と渋味でうまくはないが、鳥は好んで啄む。桜の実がつややかに赤く熟していた。食べてみたい色だと思い、仰ぎ見ていた。鈴生りの実桜を風煽ぎけり桜の実
畑向かう卯月曇の屋敷森五月(陰暦四月、卯月)頃の、降るでもなく晴れるでもない曇りがちな天候をいう。丁度、卯の花の咲く頃合いに当たるので「卯の花曇」ともいう。晴れると気持ちのよい初夏の候であるが、一度天気がくずれるとなかなか回復せず、梅雨の走りを思わせる。畑の向こう側に屋敷森が見られた。空は卯月曇であった。自転車の下校に卯月曇かな卯月曇
鉄線花薄日なりしが晴れてきてキンポウゲ科の落葉蔓性木本。中国原産。日本には江戸時代初期に渡来した。蔓が鉄線のように細く硬いのでこの名がある。五~六月頃、中心に暗紫色の蕊が密集する六弁化を開くが、花弁に見えるのは蕚片が変形したものである。クレマチスは鉄線と風車などを交配して作られた園芸品種。園内に鉄線が咲いていた。最初は薄日が差していたが、やがてよく晴れて、強い日が差してきた。をみならの撮り合ふ声やクレマチス鉄線花
入りたし薔薇のアーチの喫茶店バラ科バラ属の総称。薔薇といえば豊麗で香り高い西洋薔薇をさす。薔薇は一年中栽培されるが、花時は本来五月頃。花の色も形も多種多様。近代の薔薇は改良を重ね、国際的に登録された名花だけでも二万種に及び、芳香とともに鑑賞花の王座を独占している。入り口に、薔薇がアーチ状に咲いている喫茶店があった。美しいので入ってみたいと思った。薔薇園に童心となる人ばかり薔薇
薫風や歩きて分かること多く夏、木々の緑の香りを運ぶ心地よい風をいう。和歌では、花や草の香りを運ぶ春風の意であったが、連歌時代になり、初夏の風として意識され始めた。三夏いつでも吹いているが、「風薫る五月」というように初夏の五月にこそふさわしい季語である。薫風が吹いていた。風の香りなど、外を歩いてこそわかることが多くある。人をらぬ児童公園風薫る薫風
繍線菊や声懐かしき電話ありバラ科の落葉低木。山野に自生するが、観賞用に庭園に植えられる。五~六月頃、枝先に五弁の小花を傘状に群がりつける。花色は濃紅、淡紅、白、紅白の咲き分けなどがある。下野(栃木県)で初めて見つかったところからこの名がついたという。下野草はバラ科の多年草で別種。繍線菊が咲いていた。そういえば今日は懐かしい声の電話があった。繍線菊に放課後の声届きけり繍線菊(しもつけ)
咲き出でて瀬音に近き海芋かなサトイモ科の多年草。南アフリカ原産。和名はオランダ海芋。カラーともいう。四~五月頃、長い花茎を出し、先端に白い漏斗状の仏焔苞に囲まれた黄橙色の肉穂花序をつける。観賞用に鉢花や切り花用として栽培される。川堤の道に海芋が咲き出していた。そこへ近くの瀬音が響いていた。からーに合ふ硝子花瓶を選びけり海芋
散策の夕日に向かひ銭葵アオイ科の二年草。ヨーロッパ原産。古くから観賞用に栽培されてきた。五月頃、葉腋に五弁花を数個ずつつける。葉弁は淡紫色で、紫色の脈がある。夕日に向かって歩いていた。その散策路に銭葵が夕日を受けて咲いていた。銭葵信号待ちの傍らに銭葵
すひかづら武蔵野に雨上がりけりスイカズラ科の蔓性半常緑木本。山野に自生する。五月頃、葉腋に甘い香りのする筒形の花を二個ずつ並んでつける。花は初めは白く、後に黄色に変わる。そこから「金銀花」の名がある。道端の藪に忍冬の花が咲いていた。その武蔵野に降っていた雨が上がってきた。佇みて缶珈琲や金銀花忍冬の花