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2022/07/14

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  • 秋の朝

    御溝水(みかはみづ)清清(すがすが)として秋の朝蛤御門立秋以後、しばらくすると朝は爽涼な気分を感じるようになる。京都御苑朝の空気は澄み、ひんやいと肌に感じられる。清水谷家の椋秋が深まるにつれて、冷やかさが増してゆく。建礼門京都御所の回りの塀に沿って御溝水(みかわみず)が流れている。秋の朝そこを歩くと、さらさらと澄んだ水が流れていた。土御門第跡秋の朝木陰に入ればひんやりと秋の朝

  • 名月

    幾度も仰ぎ雲間のけふの月陰暦八月十五日の月をいう。いわゆる仲秋の名月である。今年は十五夜と望月が重なり、次回は七年後という。一年中でこの月が最も澄んで美しいとされる。穂芒を指し、月見団子や新芋などを供えて月をまつる。今夜は仲秋の名月。だが、雲が張り出して流れ、雲間から時々顔を出す月を拝した。今度は見られるかと、何度も窓から空を仰いだ。名月を小樽のひとも見をらむか名月

  • 秋日影

    東福寺方丈八相の庭方丈の庭の砂紋や秋日影秋の日の光、日差しをいう。通天橋秋の日は澄んでいて明るい。だが、秋分を過ぎると日差しは次第に衰えてくる。東福寺の方丈にある八相の庭には、海を表す砂紋が見られる。その砂紋に秋の日が差していた。東福寺開山堂(常楽庵)の伝衣閣(でんねかく)秋日濃し常楽庵の伝衣閣秋日影

  • 大文字草

    大文字草に七堂伽藍かなユキノシタ科の多年草。山中の湿った岩の上などに自生する。八~九月頃、白色またはやや紅色を帯びた五弁花を円錐花序につける。五弁のうち二枚がほかよりも長く、「大」の字に似るところからこの名がある。東福寺三門東福寺には日本最古で大きな伽藍がある。東福寺本堂東福寺の広い境内には七堂伽藍が聳え建っていた。その中央部に薄紫色の大文字草が咲いていた。禅寺の大文字草朝日受け大文字草

  • 芙蓉

    東福寺南門の紅芙蓉かなアオイ科の落葉低木。中国、日本南西部原産。八~九月頃、朝、淡紅色の五弁花をつけ、夕方にはしぼむ。観賞用には白芙蓉、八重咲き芙蓉、酔芙蓉などがある。酔芙蓉は朝のうちは白いが、午後にはピンク色になり、夕方にはさらに赤くなるのでこの名がある。東福寺南門京都の東福寺を訪れた。南門の方から入ろうとすると、その道の両側に紅芙蓉が咲いていた。京の路地歩いてきたり酔芙蓉芙蓉

  • 秋風

    千本鳥居参道に異国語あまた秋の風伏見稲荷大社秋に吹く風のことをいう。本殿秋の訪れを告げる「秋の初風」から、晩秋の蕭条とした風まで、秋の風にはしみじみとした趣がある。千本鳥居京都の伏見稲荷大社を訪れた。千本鳥居を一度潜ってみたかったからである。千本鳥居は、奥社から奥社奉拝所までの約400mほどの間に立ち並んでいる鳥居のことをいうそうである。その先に道はまだ続き、稲荷山の頂上にかけて一周できるようになっており、その道にも鳥居は設置されている。山全体では一万本ほどあるといわれている。今回、何も知らずに登ったが、山頂までの往復、一時間四十五分ほどかかった。参道には日本人より外国人の方がずっと多く、様々な言語が飛び交っていた。登りがきつい所もあったが、時折吹く爽やかな秋の風に救われた。秋風や喘ぎ登りし頂上に秋風

  • 秋の川

    釣人の一人の黙や秋の川秋になって冷やかに澄んで流れる川をいう。晴れた日には秋の日差しが水底まで届き、魚影などがよく見える。ひんやりとした水が流れる川は、いかにも秋らしい風景である。秋の川に釣人が一人竿を垂らしていた。そこには一人の黙(もだ)があった。秋川の浅瀬に幼子のふたり秋の川

  • 切株に宿つてゐたる茸かな大型の菌類の俗称。多くは傘状をなし、裏に多数の胞子を持つ。食用部分は胞子を作るための子実態。色や形も様々。古くは「たけ」「くさびら」と呼ばれ、「きのこ」が季語になったのは江戸時代初期からである。猛毒の茸も存在する。茸を見つけるとそのどれもが切株に宿っていた。どうしてなのか不思議である。茸の名どれも分からず愛でにけり茸

  • 石榴

    雨雲の張りても赤き柘榴かなザクロ科の落葉高木。秋に果実が熟す。西アジア原産。日本には平安時代に薬用として渡来した。実は熟すと裂けて種子が現れる。種子を取囲む半透明の仮種皮は淡紅色で甘酸っぱく、食用や果実酒にされる。柘榴の実が生っていた。雨雲が張り出してきたが、柘榴は曇らず、真っ赤であった。実柘榴や滑らかに川流れゐて石榴

  • 笑栗

    笑栗に足取り軽くなりにけり栗はブナ科の落葉高木。北海道中部以南の山地に自生し、果樹として栽培もされる。栗の毬は初秋の頃は薄い緑色をしているが、成熟するにつれて褐色となり、裂け目が生じ実が弾けて落ちる。「笑栗」は毬が裂け始め、少し口を開けて笑っているように見えるところから名づけられた。歩いていると、栗林の毬栗が裂け始め、いくつかが笑栗となっていた。それを見て、足取りが軽くなった。笑栗や歯科検診の帰り道笑栗

  • 曼殊沙華

    川堤夕日に染まる曼殊沙華ヒガンバナ科の多年草。中国原産の帰化植物。彼岸頃、鱗茎から30~50センチの花茎を伸ばし、真っ赤な花を輪状につける。そのため、彼岸花の別称がある。人家に近い田畑の縁、路傍や墓地などに群生する。有毒植物で、特に鱗茎はアルカロイドを含む。近縁に白花曼殊沙華がある。川堤に曼殊沙華が咲いていた。夕方になって夕日に染まり、花の色がより鮮やかになっていた。曼殊沙華牧野庭園にも群れて曼殊沙華

  • 秋の夕焼

    戸を閉めむとて一時の秋夕焼「夕焼」は夏の季語。夏には夕焼が最も鮮やかで大きいからである。だが、「秋の夕焼」は夏ほどの激しさや大きさはなく、色も淡く、たちまち消えて行く。芒のなびく山野などに佇んで見上げる秋夕焼は、どことなく寂しく感じられる。夕方、戸を閉めようとして障子を開けると、秋の夕焼の最中であった。一時、秋夕焼を眺めていた。秋夕焼明日の良き日を祈りけり秋の夕焼

  • 秋の蝶

    ツマグロヒョウモン(雄)川縁の草に執して秋の蝶モンキチョウ(雌)秋に見られるすべての蝶をさしていう。秋にはせせり蝶や蜆蝶など、地味な蝶が多く目につく。晩秋になると蝶の数も減り、飛び方も弱々しくなる。秋の蝶が飛び回っていた。その蝶は時々川縁の草の花に止まり、執しているように見えた。モンキチョウ(雌)秋蝶の草に隠るることもよし秋の蝶

  • 秋晴

    秋晴や農婦が畑にラジオかけ秋空が青く澄んで、高々と晴れ渡っていることをいう。ハイキングや旅行などの行楽、スポーツ、農産物の収穫など秋晴の季節は遊ぶことも働くことも多い。しかし、移動性高気圧のもたらす秋晴は長くは続かず、天気は変わりやすい。秋晴となっていた。畑では農婦がラジオをかけながら農作業をしていた。秋晴やマレットゴルフする一人秋晴

  • 小式部

    小式部や京を旅する夢を見てクマツヅラ科の落葉低木。山中の湿地に生え、庭木ともする。七~八月頃、葉腋に淡紫色の小花を多数つけ、九~十月頃、紫色の実を結ぶ。小紫のこと。紫式部は近縁の別種。小式部の実が沢山生っていた。この実を見て、京都を旅する夢を見たことを思い出した.小紫夕日を欲しいまま受けて小式部

  • 新松子(しんちぢり)

    新松子犬に曳かるる男ゐてその年新しくできた松毬をいう。卵形で青々としている。初めは鱗片を固く閉ざしているが、やがて木質化して松ぼっくりとなり、開いた鱗片から種をこぼす。緑道の松に新松子が生っていた。その下を犬に曳かれながら男の人が散歩していた。夕暮の川面眩しや新松子新松子(しんちぢり)

  • 竹の春

    鍔下げて走るは女人竹の春竹は筍の生える四月から五月にかけて栄養分が奪われ、親竹は生気を失う。それが秋になると回復し、緑鮮やかな葉を茂らせる。この状態を「竹の春」という。秋になって、あたり一帯の草木が色づいてくる頃であるだけに、竹の葉の緑は一層新鮮に感じられる。篁は青々として竹の春となっていた。その下を、帽子の鍔を下げてジョギングして来るのは女性であった。。晴れ渡る竹春の川堤かな竹の春

  • 仙人草

    仙人草下校生らと行き交ひてキンポウゲ科の多年草。山野に自生する。九月頃、葉腋に白色の花を多数つける。四枚の蕚片が白色花弁状で十文字状に開く。花弁を欠き、中央に多数の雄蕊と雌蕊がある。実の白毛を仙人の白髪に見立ててこの名がある。有毒だが、葉や根は鎮痛、利尿剤として利用する。仙人草は季語にはなっていないが、真っ白い花が美しく、よく見かけるので、ちなみに詠んでみた。仙人草が連なって咲いている所があった。その前の道を下校する中学生達と行き交った。仙人草そぞろ歩きをしてをれば仙人草

  • 相撲草

    相撲草抜く子もをらぬ野原かなイネ科の一年草。日当たりのよい路傍や野原に自生する。日本名は雄日芝。根が強くて抜き難いことから「力草」とも呼ばれる。子供がこの穂の茎を絡み合わせて引っ張る遊びをするところから、「相撲草」「相撲取草」の名がある。相撲草が群生している野原があった。昔はこの草で子供が遊んだが、今はそんな遊びを知る子もおらず、野原にはこの草を抜く子はいなかった。小走りをすることもあり力草相撲草

  • 夕べには光る芒となりにけり秋の七草の一つ。イネ科の大型多年草。日当たりのよい山野、土手、荒地などに自生する。秋、稈頭に中軸から多数の枝を広げ、黄褐色か紫褐色の花穂を出す。花穂が開くと白い獣の尾を思わせるような形となり、尾花と呼ばれる。十寸穂(ますほ)の芒は十寸(約30センチ)もあるもの。真赭(まそほ)の芒は穂が赤みを帯びて輝いているもの。縞芒、鷹の羽芒は葉に白い模様がある。芒が固まって穂を出していた。夕方になるとその穂が夕日に光っていた。ジョギングコース脇の芒の吹かれをり芒

  • 秋日

    用水の秋日の道を歩きけり秋の太陽、あるいはその日差しをいう。立秋を過ぎても日差しは衰えず残暑厳しい日が続く。秋の入日は照り方が特に激しく、華やかな感じさえする。用水沿いに道がある。秋日に照らされたその道を歩いた。一生のなかの一瞬秋没日秋日

  • 藤の実

    藤の実の下にて息を整へぬ藤はマメ科の蔓性落葉樹の総称。春から夏にかけての花のあと、細長く扁平な莢果を結ぶ。緑色の莢は全体が細かい毛で覆われており、晩秋になってから完熟し、果皮は硬い灰緑色となる。歩いてきて藤の実の下に来た。そこで息を整えて休んだ。藤の実に貌上げ東男かな藤の実

  • 秋茄子

    秋茄子紺の深さの闇に似ぬ秋になって生る茄子をいう。特別な品種があるわけではない。形は夏のものよりも小振りになることが多いが、種が少なく実が締まって美味とされる。秋茄子は紺色が深い。それは闇のようであった。秋茄子の煮浸しに酒進みけり秋茄子

  • 秋曇

    橋渡り川沿ひ歩き秋ぐもり秋の曇りがちな天候をいう。「春陰」に対して「秋陰」ともいう。移動性高気圧や低気圧の影響を受けて、秋の空は変わりやすい。北東の風を伴い、冷たい雨が降り出す。曇った日が二、三日続くと、気分も暗く沈みがちになる。橋を渡って川沿いを歩いた。空は陰鬱な秋曇であった。秋陰や夕べの畑に農夫ゐて秋曇

  • 雌日芝

    雌日芝や子供の遊ぶ姿なくイネ科の一年草。空地や路傍に自生する。高さ約50センチメートル。まばらに分枝し、広線形の柔らかい葉を互生する。夏から秋に、枝先に淡緑色の小穂をつける。めひじわ、じしばり、雌芝などとも呼ばれる。雌日芝が空地に群生していた。昔は子供たちが走ったりして遊んでいたが、今は子供は誰も遊んでいなかった。めひじわの夕べの道を帰りけり雌日芝

  • 葛の花

    甘き香に止まり果たして葛の花マメ科の蔓性多年草。秋の七草の一つ。八月末頃、葉腋から十数センチの花序を出して、紫赤色の蝶形の花を下から密につける。花は葉陰に咲き、芳香がある。花が終わると、扁平なマメ科特有な実が生る。散歩していると甘い香りがした。止って、道端の葛の葉をめくってみると、果たして葛の花が咲いていた。霊園へ続くなぞへや葛の花葛の花

  • 白粉花

    おしろいや子共と犬と飼い主とオシロイバナ科の多年草。熱帯アメリカ原産。庭に植えられる。八~九月頃、夕方からラッパ状の小花を開き、翌朝しぼむ。花色は。紅、白、黄、絞りなどで、芳香がある。黒く硬い種子のなかにある白い粉の胚乳が白粉に似ているのでこの名がある。夕方、白粉花が遊具の近くに咲いていた。その前を子共と犬を連れた飼い主が楽しそうに通って行った。雲間より夕日白粉花にかな白粉花

  • 猿の腰掛

    街道の槻の切株猿茸担子菌類ヒダナシタケ目サルノコシカケ亜目の木質多年生のきのこの総称。朽木や古木に生え、半円形や棚状に生長する。年々成長して、数十年のものは径一メートルにもなる。霊芝と呼ばれ、滋養強壮や鎮静に効果がある漢方薬で、栽培品もある。街道沿いの欅並木の中に欅の切株があり、そこに猿の腰掛が数個ついていた。猿の腰掛雑木林に風通り猿の腰掛

  • 青蜜柑

    人通りなき昼下がり青蜜柑ミカン科ミカン属の常緑低木。まだ未熟で濃い緑色の蜜柑をいう。また、初秋から仲秋にかけて店頭に出る表皮のまだ青いものもいう。十月になると、わずかに色づいた露地栽培早生種が出回る。昼下がりの路地裏は人通りがなくしんとしている。そこに青蜜柑が生っていた。散策の口の渇きや青蜜柑青蜜柑

  • 二百十日

    草傾げ吹く風二百十日かな立春から数えて二百十日目で、九月一日頃に当たる。この頃は台風の襲来しやすい時期とさている。またこの時期は稲の開花期にも当たる頃で、農家は「厄日」として恐れた。今日は二百十日。台風は来ておらずよく晴れたが、川では草を傾げるほどの風が吹いていた。左岸沿ひ除草作業の厄日かな二百十日

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