緑道に灯りてゐたり花柘榴ザクロ科ザクロ属の落葉高木。イランからアフガニスタン原産。日本には平安時代に渡来した。五から六月頃、筒状で多肉の萼をもつ朱色または深紅の六弁花を枝先につける。実のならない八重咲のものを花柘榴といい、白・淡紅・朱・絞りなどの種類がある。緑道には花がなかったが、柘榴だけ花をつけていた。その花は赤く、灯っているように見えた。花柘榴小犬先立てをみな来ぬ柘榴の花
緑道に灯りてゐたり花柘榴ザクロ科ザクロ属の落葉高木。イランからアフガニスタン原産。日本には平安時代に渡来した。五から六月頃、筒状で多肉の萼をもつ朱色または深紅の六弁花を枝先につける。実のならない八重咲のものを花柘榴といい、白・淡紅・朱・絞りなどの種類がある。緑道には花がなかったが、柘榴だけ花をつけていた。その花は赤く、灯っているように見えた。花柘榴小犬先立てをみな来ぬ柘榴の花
実桜を見上げひとりの昼下がり桜の花が散ったあとにつく果実をいう。桜は花が散ると青い小さな実を結び、梅雨の前頃に、その実が熟れて赤黒くなる。酸っぱく、渋くて、うまくはない。サクランボ(桜桃)は西洋実桜の果実である。桜の実が沢山生っていた。昼下がりにひとりでその実桜を見上げていた。実桜や遥けくなりし恋心桜の実
小学校前の繡線菊淡かりしバラ科の落葉低木。山野の日当りのよい土地に自生するが、庭園にも植えられる。五~六月頃、新しい枝の先に頂端が平らな複散房形花序に五弁の小花を多数つける。花の色は濃紅色、紅色、薄紅色、稀に白色などがある。最初の発見地が下野(現・栃木県)であったためこの名がついたという。小学校のフェンスの前に繡線菊が咲いていた。花は小学生に優しい淡い色であった。しもつけや近き瀬音に癒されて繡線菊(しもつけ)
足止めぬ定家葛の花の香にキョウチクトウ科の常緑木質の蔓植物。暖地の山地に自生する。茎から気根を出し、木や岩に這い上がる。五~六月頃、芳香のある白色でのちに黄色くなる花をつける。花冠は五裂し、裂片が風車状にねじれる。謡曲「定家」の式子内親王との恋の妄執に由来してこの名がついた。古名はまさきのかずら。散策しているとよい香りがしてきた。足を止めて確かめると、定家葛の花が多数咲いていた。畑道の定家葛の花見上ぐ定家葛
ジャーマン・アイリスアイリスや小犬鳴く声近づきてアヤメ科アヤメ属の植物。単にアイリスと呼ぶ場合、園芸的に栽培する種の総称をさすことが多い。イリスはギリシア語で虹を意味し、虹のように美しい花からつけられた。特にジャーマン・アイリス、ダッチ・アイリス、イングリッシュ・アイリスなどの総称。ダッチ・アイリス四~五月頃、花菖蒲より少し小さい花をつける。花色も白・黄・藍・紫など多種多様。主に園芸種として栽培されている。アイリスの写真を撮っていたら、小犬がワンワン鳴いて近づいてきた。散策の得やアイリス愛づることアイリス
音もなき家のフェンスの鉄線花キンポウゲ科の蔓性植物。中国原産。日本には江戸時代に渡来した。茎が針金のように強いのでこの名がある。五月頃、葉腋に大きな淡青紫色または白色の六弁花を開くが、花弁に見えるのは萼片の変形である。垣根に咲かせたり、鉢植で鑑賞される。カザグルマ・テッセンなどから改良された園芸品種をクレマチスという。音もしない静かな家のフェンスに鉄線花が咲いていた。花を愛する奥ゆかしさが思われた。アヴェ・マリア口遊みをりクレマチス鉄線花
夕暮の川音となり朴の花モクレン科の落葉高木。日本の固有種で山地に自生する。五月頃、芳香のある六~九弁の黄白色の花をつける。材は版木・建築・器具・木炭に用いる。葉は食物を包むのに用いた。樹皮は生薬とする。川堤に朴の花が咲いていた。川は夕暮れの瀬音となっていた。口開けて眠る子のをり朴の花朴の花
夕暮の樗の花や風少しオウチは栴檀の古名。栴檀はセンダン科の落葉高木。日本を含むアジア各地の暖地海辺に自生する。五月頃、枝先に大型の複集散花序をつけ、小形の淡紫色の五弁花を多数つける。材は建材、家具材、楽器材などにされる。樹皮や果実は、駆虫剤、鎮痛剤などに用いられる。夕暮の空に樗の花が咲いていた。風が少しあり、時折花が揺れていた。話し込む媼ふたりや花樗樗の花
ヒロインと紛ふばかりや畑の薔薇バラ科バラ属の鑑賞用植物の総称。いくつかの原種をもとに、19世紀以後に膨大な数の品種が作られ、世界中で栽培される。蔓薔薇と木薔薇とがあり、枝に刺のあるものが多い。切花として年中栽培されるが、花時は本来、初夏の五月である。花色も形も様々だが、薔薇色といえば薄紅色をさす。薔薇は美しい花を開き、香りが高く、古くから香料用、薬用として栽培されてきた。畑隅に薔薇が咲いていた。そのバラが劇中のヒロインかと紛うばかりに美しかった。玄関の薔薇や如何なる人住まむ薔薇
風なくて畑の卯月曇かな卯月は陰暦四月のことで、陽暦ではほぼ五月にあたる。この頃の曇りがちな日和をいう。丁度、卯の花の咲く頃合いにあたるので、卯の花曇ともいう。梅雨に入る前の時節で、卯の花の咲き満ちるときの曇り空である。畑には風もなく人もおらず、空は卯月曇であった。覗き見ぬ卯月曇の菜園を卯月曇
柿若葉近づけば山羊顔出しぬカキノキ科の落葉高木。雌雄同株。初夏らしく明るい萌黄色で、艶があり柔らかい柿の若葉をいう。柿の木は庭木として植えられることが多いため、家々の庭先も明るく、初夏らしい景となる。保育園の前に柿若葉が見られた。その脇に山羊小屋があり、近づくと山羊が顔を出してきた。下校児に道をゆづりぬ柿若葉柿若葉
草苺一つ摘みて坂の途次バラ科キイチゴ属の木本状多年草。本州以南の山野に広く分布する。四月頃、白色の五弁花をつける。花が終わると五月頃、球形の赤い実が生り、食することができる。他の苺類よりも早く熟す。坂の途中に真っ赤な草苺が生っていた。一つ摘んで食べてみた。ほのかな甘みがあり、種のような粒粒があった。葉隠れに草苺あり切通し草苺
芍薬の光まとへる夕べかなボタン科ボタン属の多年草。中国東北部原産。五月頃、茎頂に紅、白または黄の重弁・大形の美しい花をつける。鑑賞用に古くから栽培され、園芸品種が多い。貌佳草(かおよぐさ)ともいう。根を乾燥したものは漢方生薬で、鎮痙・鎮痛・通経薬として煎用される。芍薬が咲いていた。花は夕べの光をまとって美しかった。畑隅の芍薬ひそと暮れてきぬ芍薬
忍冬の花や森への散策路スイカズラ科の常緑蔓性木本。山野に自生する。五月頃、葉のつけ根に二つずつ並んで細い筒形の花をつける。上部が五つに裂け芳香を放ち、吸うと甘いので吸葛(すいかずら)の名がついた。葉は冬も枯れないので「忍冬(にんどう)」とも呼ばれる。花は、初めは白く、のちに淡黄色に変わるので金銀花ともいう。森へ入って行く散策路に忍冬が咲いていた。花は甘い香りを放っていた。用水路沿ひの下校や金銀花忍冬(すいかずら)の花
紫蘭咲く物音一つなき道にラン科シラン属の多年草。関東以西の湿った草原に自生するが、多くは観賞用に庭に植えられる。五月頃、紅紫または白色の美しい花をつける。地下の鱗茎は白及(びゃくきゅう)と称して止血などの薬用になる。道の脇の足元に紫蘭が咲いていた。昼下がりの物音一つしない道であった。夕日受け翳正したる紫蘭かな紫蘭
これよりは野火止の水えごの花エゴノキ科の落葉小高木。林野に自生するが、庭園などにも植えられる。五~六月、小花柄をつけて多数の白い五弁花を下垂する。花はサポニンを含み、水に浸してシャボン玉にした。ヤマジサともいい、これは山の幸の木という意味。エゴの名はこの果皮が喉を刺激し「えごい」ところからつけられた。車道に直角に野火止用水が流れていた。これより野火止用水に沿った道が続き、そこにえごの花が咲いていた。えご散るやひとりの時を求めきてえごの花
葉桜や子供らのゐぬ滑り台桜の若葉のことをいう。桜は花が散ると葉が出始め、五月には美しい緑が広がり、空を覆うようになる。日の光に透けた葉桜はことに美しい。桜は葉桜となっていた。その下には子供たちの遊んでいない滑り台があった。葉桜や川風に背を押されゐて葉桜
石楠花やもの言わぬこと小半日ツツジ科ツツジ属の常緑低木のうち、ツツジ類を除くものの総称。広くはセイヨウシャクナゲ及びその園芸品種なども含むが、狭義にはアズマシャクナゲ、西日本のツクシシャクナゲを指す。高山・亜高山に生え、高さ1~2メートル。五月頃、漏斗状鐘形でツツジに似た5~7弁の合弁花を多数つける。花色は白、淡紅のほか、園芸品種には黄、赤、紫もある。石楠花が咲いていた。この花を見つけるまで、小半日何も話をしていないことに気がついた。明るかり池のほとりの石楠花は石楠花
アカシアの花また花や空広くマメ科の落葉高木。アメリカ原産。アカシアといわれているのは、ハリエンジュ(針槐)と称するニセアカシアのこと。五月頃、白色の蝶形花をフジのように総状に下垂し、芳香がある。街路樹、公園樹、また、砂防・土留めに植栽される。道路脇にアカシアの花がつながるように沢山咲いていた。その空はどこまでも広かった。アカシアの花や夕日に染まりたるアカシアの花
どつしりと生きたしと思(も)ふ棕櫚の花ヤシ科の常緑高木。特に日本原産のワジュロをいう。庭に植えられるが、暖地では野生もみられる。雌雄異株。五月頃、葉の間に太い花軸が出て、小さな黄色い花が集まった肉穂花序を垂れる。幹は毛質の皮が覆い、葉は幹頂につく。棕櫚の花が咲いていた。その大きな花を見て、これからはどっしりと腰を据えて生きたいと思った。夕されば瀬音も暮れて棕櫚の花棕櫚の花
乳母車水木の花の下来りミズキ科の落葉高木。山野に自生する。高さ約10メートルに達する。初夏、枝頂に多数の小白色の四弁花を散形花序に密生してつける。早春芽を吹くとき、地中から多量の水を吸い上げるので有名。樹姿は水平に広く張り出し、ゆったりとしている。アメリカ産のハナミズキは別種。公園に水木の花が咲いていた。その木の下を母親に押されながら乳母車がやってきた。水木咲く畑のほとりの風白く水木の花
夕暮の牡丹に空気和らぎぬボタン科の落葉低木。中国原産。日本には、平安時代初期に薬用植物として渡来し、寺院に植えられた。江戸時代に、庭園で栽培し、一般に観賞されるようになった。四~五月、梢上に径十数センチの五~十弁の花を一つつける。原種は紅紫だが改良が重ねられ、黒紫、淡紅、白、黄、絞りなどがある。重弁、単弁とも品種は多い。牡丹園に様々な色の牡丹が咲いていた。夕暮の牡丹に、あたりの空気が和らいだように感じられた。一巡りして去りがたし牡丹園牡丹
投函のあと畑道へ若葉雨若葉に降る雨をいう。初夏になって晴れると、薫風が吹き気持ちがよいが、天気は変わりやすく、晴と雨を繰り返す。初夏になって初めて降る雨は、草木を潤し、命を輝かせる雨でもある。ポストに郵便物を投函した後、帰路は遠回りをして、若葉雨を楽しみながら畑道を帰ってきた。若葉雨畑に音なく吸はれけり若葉雨
菜園を見つつ歩ける立夏かな二十四節季の一つで、太陽の黄経が四五度の時。陽暦五月五日頃にあたる。日本列島は南北に細長いため、地域により夏の到来を実感する時期に大きな隔たりがある。しかし、暦の上ではこの日から夏が始まるため、活気に満ちた季節の到来を感じさせる。立夏の今日、菜園には晴れたもとに数人の人が農作業をしていた。それを見ながら周りを歩いた。夏に入る森の木洩れ日拾ひつつ立夏
松の花ジョギングロード歩ききてマツ科の常緑高木の黒松、赤松などの花。雌雄同株。四~五月頃、新しい枝の先に二、三個の雌花が咲き、その下部に楕円形の雄花が密生する。花の後、毬果を生じ、翌年の秋、松かさとなる。赤いジョギングロードを歩いて来ると、松の花が咲いていた。早くも晩春となっていたことが知られた。芝の上を歩くをみなや松の花松の花
大藤大藤の下なれば我侏儒のごと栃木県のあしかがフラワーパークを訪れた。ここには大藤、八重藤、大長藤、白藤などが見られ、みな満開で、海外からの観光客も多く訪れていた。大藤の下を歩き、長い藤房を見上げると、自分が小人になったような気分になった。白藤の滝白藤の正に滝なりしぶき見え八重藤八重藤のぼつてりとして情けあり令和はや七とせとなる藤見かな藤(2)
用水の杉菜のみどり横目にすトクサ科の多年生シダ植物。土筆は胞子茎、杉菜は栄養茎と呼ばれる。養分の豊かな場所には杉菜が茂り、乏しいと土筆が多く生える。全体が円錐形で草の状態が杉の木に似ているところからこの名がある。用水路の脇に杉菜が群生していた。その鮮やかな緑を横目に見ながら用水路沿いを歩いた。夕日差し杉菜明りといふべしや杉菜
こでまりの路地を郵便バイクかなバラ科シモツケ属の落葉低木。中国原産。日本には江戸時代中期に渡来したとされる。四月下旬~五月頃、白色五弁の小花を手毬状につける。そのため、小さな毬に見立ててこの名がある。庭や公園に植えられ、切り花としても利用される。路地を入った所にこでまりの花が咲いていた。その路地に郵便バイクが入ってきた。小手毬やまれに人来る散策路こでまりの花
葱坊主平安の世は築くものユリ科の多年草。採種用に畑に残したり、収穫しそびれた葱は、晩春、葉の間から太い茎を立て、その頂に球状の白色花をつける。遠目には坊主頭のように見えるため、葱坊主の名がある。畑に葱坊主が見られた。これを見ていて青年たちを思い出し、今は平和であるが、これは人が心して築いていくものであると思った。葱坊主似てゐて同じものはなし葱坊主
庭園の入口遠し竹の秋春になると、竹は養分を地下の筍に送るため葉が黄ばんだ状態になる。これが他の植物の秋の様子に似ていることから、竹の秋という。陰暦三月の異名ともなっている。辺りの緑の中にひときわ目立つ彩の竹の秋の情景から、静寂と晩春の明るさが伝わってくる。日本庭園の竹が竹の秋になり、黄ばんでいた。だが、庭園の入口は遠かった。用水沿ひを歩いてをれば竹の秋竹の秋
をだまきや大八の道見下ろしてキンポウゲ科の多年草。高山帯に野生するミヤマオダマキを母種とする園芸品種。四~五月頃、茎の先端に一~五個の花を下向きにつける。花びらのような萼片が青紫色で五枚。花弁も五枚あり、萼片と互い違いにつく。花色は、日本のものは青紫と白色があったが、近年欧州産のものは濃紫や淡紅色のものがある。花の形が、紡いだ麻糸を中を空にして丸く巻いた苧環、または苧玉に似ていることからこの名がある。昔、大八車が通った道を、今は苧環の花が見降ろしていた。をだまきや人影のなき昼下がり苧環
芝桜日の高きうち散策にハナシノブ科の多年草。北アメリカ原産。四月頃、直径一センチくらいの深く五裂するサクラに似た小花を、株一面にびっしりとつける。花色は、紅、白、淡青色などがある。道の脇に芝桜が一面に咲いていた。日が高いうちに散策に出て、日差しを遍く受ける芝桜が見られた。信号を待つひとときや芝桜芝桜
藤の花七百年の時超えてマメ科フジ属。野田藤系と山藤系に大別される。ともに山野に自生する蔓性落葉木本で、他の樹木や岩などに巻きついて高く這い上る。四~五月頃、淡紫色または白色の蝶形の花を長い総状花序につけて垂れる。鉢植にしたり、藤棚を作ったり、古くから栽培鑑賞されてきた。埼玉県大宮市にある天然記念物青葉園の藤を見に行ってきた。鎌倉時代末期に発芽した大木で、樹齢七百年になるという。正に七百年の時空を超えて今に咲く藤の花であった。藤房の長しやライトアップされ藤
山吹や昔水車のありしとふバラ科ヤマブキ属の落葉低木。渓流沿いなどのやや湿った山地に生えるが、観賞用としても広く植えられる。四月頃、黄色い五弁花をつける。八重山吹は重弁の園芸品種。白花山吹は変種だが、白山吹はシロヤマブキ属のもので、白い花弁は四片しかなく、黒い実を結ぶ。川沿いに山吹が咲いていた。昔、この川には水車が設けられていたという。自転車の下校学生濃山吹山吹
平林寺堀に沿ふ径二輪草キンポウゲ科アネモネ属の多年草。山地や林などの湿った土地に自生する。四~五月頃、普通二本の長花柄を出し、白い花をつける。地面を埋め尽くすように群生するところが、一輪草と異なる。実際は三輪つけることも、一輪しかつけないこともある。野火止用水から分水した平林寺堀に沿って小径が通っている。その脇に二輪草が群生し、花をつけていた。二輪草歩き疲れの心地よき二輪草
蒲公英を踏むまじと野に遊びけりキク科タンポポ属の多年草。早春から初夏にかけて小さな花の集まった頭花をつける。東日本に黄、西日本に白花が多いとされてきたが、帰化種が殖えるにつれて黄花の方が普通とされるようになった。実は白い冠毛を持ち風に乗って飛ぶ。これが蒲公英の絮である。野原に蒲公英があちあらこちらに咲いていた。そこで、蒲公英を踏まないようにして遊んだ。蒲公英の絮の乗る風とはなりぬ蒲公英・蒲公英の絮
満天星躑躅風切つて人走りけりツツジ科の落葉低木。日本原産。庭木や垣に植えられる。「どうだん」は三叉状の枝が松明を燃やす結び灯台の脚に似ているので、また「満天星」の字は白い小花を満点の星にたとえ名付けられた。四~五月頃、若葉を上向きに開き、その下に鈴蘭に似た白色壺状の小花を放射状に吊り下げる。満天星躑躅が満開となっていた。その前を、ジギングをする人が風を切って走って行った。満天星の花に夕日の家路かな満天星の花
桜蘂降るや犬らの遊び場に桜の花びらの散った後、萼についている細かい蘂や茎が降ることをいう。地面を赤紫に染める桜蘂は、落花とはまた違った晩春の情趣がある。風や雨に降りしきる蘂の褪せた色には、花の時が過ぎ去ってしまった一抹の寂しさがある。広場に何匹もの犬がじゃれたり走ったりして遊んでいた。その広場に桜蘂がたくさん降っていた。大股や桜蘂降る川堤桜蘂降る
チューリップ犬座らせて撮る男ユリ科チューリップ属の球根植物。小アジア原産。オランダで品種改良が進んだ。日本には江戸時代後期に渡来した。四~五月頃、花茎の頂に黄・赤・白・ピンクやしぼりなどの鐘形の六弁花をつける。八重咲き、フリル状、枝咲きなどがある。日本では富山、新潟の砂丘地帯などで輸出用の球根が育成されている。花壇、鉢植、切り花などにして鑑賞する。チューリップがたくさん咲いていた。その前に犬を座らせて、男の人が写真を撮っていた。犬も人間のようにポーズを取って、可愛かった。教会の昼の鐘なりチューリップチューリップ
花青木用水沿ひの森にきてミズキ科の常緑低木。雌雄異株。山地に自生するが、庭木ともされ、園芸品種も多い。四月頃、枝先に紫褐色の小さな四弁花をつける。冬に、棗形の美しい赤い実が生る。用水沿いを歩いて来ると、森の入口の所に青木が花を沢山つけていた。憧れは世捨て人なり花青木青木の花
歩くとは何か得ること花榠樝バラ科の落葉高木。中国原産。庭木、盆栽、果実目的で植栽される。四~五月に、新葉とともに径三センチほどの紅色または淡紅色の五弁花をつける。榠樝の実は毎年見てきたが、花は注意して見たことがなかった。今回歩いて初めて榠樝の花を見た。花数が少なく目立たないが、楚々とした可愛らしい花であった。歩いていると、何か得ることがあると思った。花くわりん晴るれば心愉しかり榠樝の花
話しかけ林檎の花と知られけりバラ科の落葉中・高木。アジア西部からヨーロッパ南西部原産。四~五月に、ほのかに紅を帯びた径五センチの白色五弁花を傘状につける。日本の林檎の産地は北海道、青森県、長野県など冷涼な地である。毎年この木の前を通っているが、何の木かわからなかった。まだ若木なので、昨年実をつけても小さくて、何の実だろうと思っていた。今年は特にたくさんの花が咲き、写真を撮っていると、中年の女性もきて写真を撮っていた。話しかけると、「何の花でしょうか」という話になり、「梨でしょうか」というと、「林檎の花ではないでしょうか」という。別れてからGoogleで調べると、確かに林檎の花であった。この辺では林檎の木は珍しいので、花が見られてよかった。花林檎午後より気温上がりけり林檎の花
境内に貸自転車や八重桜バラ科の落葉高木。サトザクラの八重咲き品種の通称で、ボタンザクラともいう。四月中旬から下旬に大型の花をつける。ぼってりとした花房は、普通淡紅色で濃淡があり、白色もある。八重咲の花びらは雄蕊の変化したもので、普通は結実しないが、奈良の八重桜は実のなることで知られている。寺の境内に、今はやりのレンタサイクルが数台置かれていた。その上に八重桜が満開となっていた。八重桜下校児童の話しごゑ八重桜
菜の花の黄に溺るるもよかりけりアブラナ科の越年草のアブラナの花。春、高く薹を立て、黄色の四弁花を傘状に密集させてつける。菜の花が一面に咲き続いている景色は明るく、いかにも春らしい光景といえる。菜の花がびっしりと咲いていた。その黄色の花に溺れるのもよいと思った。常ならぬ道菜の花の川堤菜の花
御衣黄を仰ぐ仕合せ得たりけりバラ科サクラ属の落葉高木。オオシマザクラを基に生まれた日本原産の栽培品種のサトザクラ軍のサクラ。名前の由来は、貴族の衣服の萌黄色に近いためという。染井吉野の桜が散る頃に咲き出す。八重咲で、色は白色から淡緑色。緑色に見えるのは、緑色のクロロフィルを多量に含むためと考えられている。次第に中心部から赤みが増してきて、散る頃にはかなり赤くなる。歳時記には載っていないが、桜の一種なので試しに詠ってみた。ようやく御衣黄が咲いているのを見つけた。今年もこの桜を仰ぐことができるという好運に恵まれた。御衣黄や京の仁和寺想はれて御衣黄
池あれば池に映れる柳かなヤナギ科の落葉高木または低木。雌雄異株。庭木または街路樹として植栽される。北半球北部を中心に約400種、日本には約90種。シダレヤナギ、コリヤナギ、カワヤナギなどが代表的。柳は春一番に芽吹くため、古くから長寿や繁栄の呪力をもつ神聖な木とされてきた。池のほとりに柳が青々と垂れていた。池があれば、その池に柳が映っていた。大空の風を誘ひし柳かな柳
夕日受け燃ゆる紅木瓜の花バラ科の落葉低木。中国原産。鑑賞用に庭に植えられる。春、葉に先立って紅、淡紅、白色または絞りなどの五弁花をつける。紅白の混じったものを更紗木瓜という。八重咲もある。山野に咲く日本古来の草木瓜は、しどみの花として別の季語。緋木瓜が咲いていた。夕日を受けて更に燃え上がったような紅色となった。人の世に色あるならば更紗木瓜木瓜の花
犬を見る目の優しかり桃の花バラ科サクラ属のモモ亜属に属する落葉小高木。中国原産。日本には弥生時代に渡来した。四月頃、淡紅または白色の五弁花をつける。果樹として栽培されることが多いが、観賞用の花桃には八重、白、緋、紅白咲き分けの源平もある。桃源郷の説話も中国から伝わり、桃の花はのどかな理想郷の象徴になった。桃の花が咲いていた。その前を散歩をしている犬に近づいた女性が犬を撫で始めた。その目が優しかった。境内の源平桃を拝しけり桃の花
提灯の灯り夜桜とはなりぬ夜の桜の花、あるいは夜に桜の花を見物することをいう。桜の回りに灯篭や雪洞をともしたり、篝火を焚いたりする。近来では、ライトアップすることが多い。光に照らし出されて夜空に浮かび上がる桜は、昼間とは違った妖艶な美しさを見せる。東京都板橋区の中板橋から加賀までの石神井川沿いの夜桜を楽しんだ。暗くなると、最初のところはライトアップではなく提灯が点灯した。それより夜桜となった。夜桜や橋あるごとに橋の上夜桜
川中の鷺にも春の光あり春光は本来、春の景色や春の有り様をいう言葉だが、麗かな春の眺めが、明るい日差しの降りそそぐなかにあるところから、狭義の春の日光の意に用いられることが多くなった。春の訪れを待つ心に、明るい空の光こそ最も春を感じさせるからであろう。春色、春の色、春の匂、春望などという言葉もある。埼玉県本庄市の若泉公園を訪れた。満開の桜を観るためである。そこには、「春光」と呼ぶにふさわしい春の景色が広がっていた。桜並木の川には白鷺がいて、白鷺にも春の光が降りそそいでいた。春光や子を抱く人が川岸に春光
散策の足伸ばしけり夕桜夕方に眺める桜の花をいう。桜はバラ科サクラ属の落葉高木または低木の一部の総称。春、白色・淡紅色から濃紅色の花をつける。八重咲きの品種もある。日本の国花とされ、俳句で「花」といえば桜を指す。夕日の当たった桜は、花の色が少し濃くなり、桜特有の艶なる趣が感じられる。川沿いの満開の桜を辿って歩いていると、その先まで見たくなり、足を伸ばした。夕桜がえも言われぬ美しさであった。息をのむほど対岸の夕ざくら夕桜
手招きのごと呼ばれたる糸桜姥彼岸から作られた園芸品種。細枝を長く垂らした様子から糸桜ともいう。三月下旬から四月頃、葉に先立って細く垂れた枝に淡紅色の花をつける。白色や八重咲きもある。神社などの境内や庭園に植えられることが多く、京都平安神宮神苑の紅枝垂桜や三春の滝桜などが有名。大きな糸桜が満開になっていた。風で枝が揺れ、手招きされているように感じ、呼ばれるままに近づいて行った。人寄せて池畔のしだれ桜かな枝垂桜
声高に話す人なき花見かな桜の花を鑑賞し、楽しむことをいう。桜の花を愛でる習慣は平安時代に起こったものであるが、当時はもっぱら貴族の行楽とされた。秀吉の醍醐の花見は有名だが、庶民の行楽となったのは江戸も元禄以降のことである。昭和記念公園の桜が満開となり、その下に花見客がシートやテントで陣取って花を楽しんでいた。多くの人がいるにもかかわらず、皆静かに行儀よく、声高に話す人などいなかった。千年も続く花見をしてゐたり花見
人の世を清めむかとも朝桜朝に咲いている美しい桜をいう。桜は開花が待たれ、そして満開が待たれる。各地で満開が告げられ、日本列島を西から東へ、南から北へと移って行く。朝の桜はことに清々しく美しい。朝桜を観に多くの人が集まり、生きる力をもらう。誰も来ないようなところにも立派な朝桜が観られた。その姿はまるで人の世を清めるかのようにも思われた。後ろより感嘆のこゑ朝桜朝桜
清明の畑の上なる空青し二十四節季の一つで、陰暦三月の節。春分から十五日目で、陽暦四月五日頃に当たる。今年は四月四日。清浄明潔を略したものといわれている。その意味は、天地がすがすがしく明るい空気に満ちてくることをいう。雨や曇りの日々が長く続いたが、今日は久々に晴れて清明の日らしくなった。畑の上には青空が広がっていた。清明や雑木の道のふかふかと清明
高台を統ぶるがごとし山桜バラ科の落葉高木。関東以西の山地に自生する。四月上旬、飴色や黄緑色の新葉とともに、一重の淡紅色または白色の花をつける。山桜は独立した一品種であるが、句や歌では必ずしも特定種をいってはおらず、山に咲く桜を山桜として詠むことが多い。高台に山桜が咲いていた。それはまるで辺りを支配しているようであった。横たはる雑木の道や山桜山桜
春泥を歩かねば明日見えてこず春のぬかるみのことをいう。春雨に限らず、凍解け、雪解けなどによって、道路、畑道など人の通る道に生じる。都会では舗装道路が増え、泥の道を行き悩む光景はほとんど見られないが、少し外れた郊外ではまだ見られる所が残っている。用水沿いを歩いていると、細い道が昨日の雨で春泥と化していた。ここを歩かなければ明日は見えてこないと思った。足取られゐても好きなり春の泥春泥
長靴を履いてポストへ花の雨桜の咲く頃に降る雨をいう。また、眼前に見上げる桜の花に降りそそいでいる雨をいう場合もある。これから花見を楽しもうとする人には、「花を散らさないでほしい」と祈りたくなる雨でもある。今日は、花の雨となった。水溜りが多いので、長靴を履いてポストへと向かった。誰(た)もをらぬ道も楽しや花の雨花の雨
花冷や人まばらなる公園に桜が咲き、春らしくなったと思っているところに、思いがけなく戻ってきた寒さをいう。様々な花が咲き、のどかな時節であるが、天候が変わりやすく、その寒さは一段と身に応える。花冷えはどこの地域でも起こるが、特に京都の花冷えが有名である。体感温度五度という花冷えとなった。公園に桜を見に行ったが、この冷え込みで人はまばらであった。花冷の小雨となりぬ散策路花冷
我が町の川に今年も初燕春に初めて見かける燕をいう。燕は、ツバメ科の鳥の一種。日本には小洞燕、腰赤燕、岩燕など。春に南方から日本各地に飛来し、人家の軒先などに営巣して子を育て、秋に南方へ帰ってゆく。翼がよく発達し、飛びながら昆虫を捕食する益鳥。今日、川堤に行くと初燕が川の上を飛んでいた。今年も我が町の川にやってきたと安堵した。ジャージーの若きふたりや初燕初燕
連翹や瀬音明るくなつてきしモクセイ科の落葉低木。中国原産。鑑賞用に栽培される。三月頃、葉に先立って鮮黄色の四弁の筒状花をつける。いたちぐさ、いたちはぜともいうが、俗称。川堤に連翹が咲いていた。その前の瀬音は、次第に明るい音になってきた。連翹の頭上より垂れ切通し連翹
猫歩く堤のなぞへ花曇桜が咲く頃の曇天をいう。桜の咲く頃、冬と夏の季節風の変わり目にあたり、小低気圧が次々と移動する。なま暖かい曇りの日々が続くと、愁いがちな気分になる。養花天は雲が花を養う日和のこと。花曇と同義語。花曇の暗い空となっていた。そんな川堤の斜面の草地を、猫がゆっくりと歩いていた。養花天夢追ふことを大切に花曇
風誘ふ用水沿ひの初桜春になって初めて咲いた桜の花のことをいう。「初花」ともいう。桜の咲く時期は品種や地域、気候などによって異なる。そのため、咲き始めの早い彼岸桜など特定な桜の品種を指すものではない。寒い季節から暖かい季節へと移る中で、やっと目にした桜の開花は、それまで待ち望んできたことで、大きな感動がある。用水沿いの道に初桜が見られた。初桜が風を誘うかのように、風が吹いてきた。初花や用水に鷺下りてきて初桜
白木蓮空青ければ際立ちてモクレン科の落葉高木。中国原産。鑑賞用に植えられる。三月頃、白色の大形花をつける。花被は花弁・萼片を合わせて九枚。六枚の辛夷より多く、肉質で香りがよい。散策の道に白木蓮が咲いていた。空が青かったので、白い花が際立って美しかった。はくれんや命惜しまむ老いずとも白木蓮
空恋ふかどれも上向き落椿散り落ちた椿の花をいう。落花は山茶花のように花びらが散るのではなく、一花がポトリと落ちる。椿は落ちた姿も美しく、俳人は好んで詠んできた。椿の木の回りに円を描くように椿の花が落ちていた。花は空を恋しがっているのだろうか、皆上向きであった。落椿雑木の道にひつそりと落椿
中学校裏門乙女椿かなツバキ科の常緑高木。ツバキの園芸品種。2~3月頃、葉腋に桃色の重弁花をつける。庭木として普通に栽培される。歩いていると、中学校の裏門に乙女椿が沢山の花をつけていた。中学校にふさわしい花と思った。川堤乙女椿に癒されぬ乙女椿
夕暮の畑に農夫や黄水仙ヒガンバナ科の多年草。南ヨーロッパ原産。日本には江戸時代末期に渡来し、観賞用に栽培された。三~四月頃、葉の間から伸びた茎の頂に黄色の六弁花をつける。黄色の花は中央に盃型の副花冠をもつ。香りが高いものもある。夕暮れになっても畑に農夫が働いていた。その畑の隅に黄水仙が咲いていた。毛筆の手紙に俳画黄水仙黄水仙
川沿いひを歩けば彼岸桜かな桜の中でも開花が早く、彼岸の頃、他の桜に先駆けて咲くのでこの名がある。花は小さく、一重の淡紅色。全国的に観賞用に植えられているが、本州中部から西の方に多い。大木にはならず、小高木のとどまる。数日ぶりに川沿いを歩くと、今日は彼岸桜が咲いていた。小さい花ながらも美しかった。彼岸桜に足を止めたる翁かな彼岸桜
郊外の天空広き彼岸かな春分の日を中日とする前後三日の七日間をいう。仏教語の「到彼岸」からきていて、凡俗の生死流転の世界(此岸)から悟りの境地、涅槃(彼岸)に到るの意。単に彼岸といえば春の彼岸をさす。「暑さ寒さも彼岸まで」といわれるように、この頃から春らしい暖かさとなる。郊外の墓地に墓参りに行った。彼岸の青空は限りなく広がっていた。何鳥の鳴くや彼岸の奥つ城に彼岸
春分の日の菜園や人あまた「自然をたたえ生物をいつくしむ」日として「国民の祝日に関する法律」により定められた。二十四節季の一つで、太陽暦の三月二十一日前後に当たる。今年は三月二十日。この日は彼岸の中日にあたり、先祖ををまつり、行楽を兼ねた墓参も行われる。また、この日の太陽は真東から昇り真西に沈む。そして、昼夜の長さがほぼ等しい。今日は春分の日。少し暖かくなり、菜園には多くの人が農仕事を楽しんでいた。遅々としてあり春分の日の夕日春分の日
畑隅の鶯神楽夕日浴ぶスイカズラ科の落葉低木。山野に自生する。春、淡紅色の漏斗状で先端が五裂した花を下垂する。鶯が鳴く頃に咲き出すので、この名がある。畑の隅の道側に鶯神楽が咲いていた。花は夕日を浴びていた。城跡の傍の鶯神楽かな鶯神楽
喇叭水仙川沿ひ歩くこと楽しヒガンバナ科の多年草。ヨーロッパ原産。明治末年に渡来。鑑賞用に広く栽培される。花の中央の副冠が発達し、喇叭状をしているのでこの名がある。他の水仙より大型で、花は一茎に一花つけ、花弁と副冠が同色のものと異なるものとがある。花色は黄色が主だが、白、ピンク、クリーム色など新種もある。喇叭水仙が川堤に咲いていた。それを見て川沿いを歩くことが楽しくなった。喇叭水仙アルハンブラへ行きたしと喇叭水仙
赤き声出してゐるよな椿かなツバキ科の常緑高木。本州以西の全土に自生する。日本に自生していたのは藪椿であり、それをもとに園芸種が多数作られた。春、白や紅の五弁花をつける。楚々とした風情が古来日本人に愛されてきた。紅椿が咲いていた。それは。まるで赤い声を出しているように感じられた。風はまだ温くはあらず白椿椿
散策の老夫婦きて花辛夷モクレン科の落葉高木。日本原産。日本全土に自生する。春、葉に先立って芳香のある白色の六弁花をつける。蕾が赤子の辛夷の形に似ていることからこの名がついたといわれる。だが、蕾よりも実の方が赤子の拳に似ていると思うが、いかがだろうか。一本の辛夷の大木に白い花がびっしりと咲いていた。その近くへ散策の老夫婦がやってきて眺めていた。昼下がり辛夷に薄日差してきぬ辛夷
句座急ぐ百人町の沈丁花ジンチョウゲ科の常緑低木。中国原産。庭木として植えられる。三~四月頃、赤い小花を球状に集め、開花すると四裂の白い内側を見せる。星型の花弁のように見えるのは萼片。甘く強い香りが特徴。漢名は「瑞香」で、「沈丁花」は和名。沈香と丁字の香りを併せ持つからとも、香りは沈香で花の形は丁字であるからともいわれる。新宿の百人町で句会があり、急いだ。その道に沈丁花が朝日を受けて咲いていた。沈丁の香や霊園の門の辺に沈丁花
時折の風音ありぬ春の月古来、秋の月はさやけさを愛で、春の月は朧なるを愛でる。ただ、朧にならなくとも、親しみやすい明るさと艶なる風情がある。窓を開けると明るい春満月が出ていた。だが、時折、天空を渡る夜風の音が聞えた。寝る前のボッケリーニや春月夜春の月
休耕の畑の一角花なづなアブラナ科ナズナ属の二年草。春の七草の一つ。道端、田畑、野原、庭などどこにでも見られる。春、直立した茎の先に白い小さな四弁花を多数つける。果実が倒三角形で三味線のばちに似ているところから三味線草、ぺんぺん草とも呼ばれる。今まで畑だったが、少し休んでいるところがあった。そこがあっという間に薺の花の群落となってしまった。気散じにぺんぺん草を振つてみむ薺の花
薬草園に小さき花屋やシクラメンサクラソウ科の多年草。シリアからギリシアにかけての地域原産。温室鉢物として鑑賞される。ハート形の葉を叢生し、そこから立つ花茎に蝶形の篝火のような花をつける。花色は濃い赤色が多いが、白、桃、赤紫などさまざま。薬草園の一角に小さな花屋がある。そこにシクラメンが沢山売られていた。シクラメン郵便受を見るならひシクラメン
水温む鯉の後ろに鯉蹤きて寒さが去り、河川や湖沼の水が温かくなるさまをいう。水草が芽を出し、底に沈んでいた魚が動き出す。生き物が躍動するさまも「水温む」の背後にはある。暖かくなって川の水が温んできた。浅瀬には鯉がゆっくりと泳いでいた。その後ろをほかの鯉が蹤いてきていた。用水を歩む鷺をり水温む水温む
東京都薬用植物園春園に浮かぶ白雲見て飽かずものの芽の出始める早春から、花々が咲き、緑が濃くなる晩春までの公園や庭園をいう。樹木を植え、石などを配した築山や池などのある日本庭園、噴水や彫刻などを据えた洋風庭園などがある。手入れの行き届いた樹木が芽吹き、花壇の色とりどりの花が人々の目を楽しませる。春の園を訪れ散策した。そこでは、青空に浮かぶ白雲を見ていて飽きなかった。四阿に腰を下ろさむ春の園春園
山茱萸に近づけば躁兆しけりミズキ科の落葉小高木。中国、朝鮮半島原産。早春、葉の出る前の枝先に、黄色の小さな四弁花を球状に集まってつける。和名を春黄金花という。古くから薬用として用いられたが、現在ではその美しさから観賞用に栽培される。久しぶりに東京都薬用植物園を訪れた。何本かの山茱萸が見事に咲いていた。近づいて黄色い花を見上げていると、何となく気分が高揚してきた。晴天の山茱萸の花独り占め山茱萸の花
青麦の一直線を愛すなり麦はイネ科の一、二年草。穂の出る前の葉や茎が青々としている麦のことをいう。秋蒔きで発芽し、厳しい寒さに耐えて冬を越した麦は、春に勢いよく若葉を成長させる。畑は緑一色で覆いつくされるが、その明るい彩りは命の萌え出る春を強く印象づける。青麦の畑があった。一直線に続く青麦は気持ちよく、好きである。むさしのの雑木抜くれば麦青む青麦
昼月の高々とあり木の芽晴春に木々が芽吹く頃の晴天をいう。木の芽立ちは木の種類、寒暖の違いにより遅速がある。庭や雑木林などの木々が明るい日差しの中に色鮮やかに芽生えるとき、確かな春の伊吹を感じる。昼の半月が高々と昇っていた。空は昨日までと打って変わって、木の芽晴となった。久々に野を歩きけり木の芽晴木の芽晴
春陰や温かきもの自販機に春の曇りがちな天候をいう。漢詩に由来する漢語だが、近代以降、季語として使われるようになった。春は明るいイメージがあるが、「春陰」は憂いを帯びた陰りを感じさせる。空はどんよりと曇り、春陰となった。何か温かいものを求め、自動販売機へ向かった。春陰やアンテナに鳥一羽きて春陰
止むはずがやまぬ春雨散策す春に降るしっとりとした趣のある雨をいう。『三冊子』は陰暦の正月、二月初めの雨を「春の雨」とし、二月末から三月に小止みなく降り続く雨を「春雨」として区別している。だが、現代ではそこまで厳密には分けられていないようである。雨はもともと暗いものであるが、「春雨」「春の雨」には「春」という季節特有の華やぎが感じられる。天気予報ではもうじき雨が止んで曇りになるはずであった。そこで散策に出たのであるが、なかなか止まず細かい雨に変わっただけであった。畑土の黒々として春の雨春雨
マイバッグに郵便物や寒戻る立春後、ようやく暖かくなりかけたころにまた寒さが戻ってくることをいう。「冴返る」の傍題で、同じような意味であるが、「寒」を思い出させるほどの寒さが感じられる。再びの寒気によって身が引き締まる思いがする。マイバッグにレターパックなどの郵便物を入れて、郵便局のポストへ歩いて行った。寒が戻り、雨が霙となり、すぐに春の雪となった。気温は四度だが、体感温度は二度であった。寒戻る口一文字に結びゐて寒戻る
喜ぶを慎みゐたり春の雪春になってから降る雪のことをいう。太平洋岸の関東以西では、春先になってから思わぬ雪が降ることが多い。冬の雪と違って解けやすく、多少積もってもすぐに消えてゆく。冬には降らず、春になって初めて雪らしい雪が降った。春の雪を喜びたかったが、豪雪地帯の苦しみを思うとそうもいかなかった。春雪の畑に鴉や茫として春の雪
飾られて遠く見つむるひひなの目三月三日に女児の息災を祈って行われる雛祭のために飾られる人形をいう。その起源は、形代で身体を撫で、穢れを移したものを川に流す上巳の日の祓の行事と、貴族の子女の雛遊びの風習が結びついたものとされる。江戸中期以降、紙雛にかわって内裏雛が多く作られるようになり、豪華な段飾りへと発展した。段飾りの雛人形があった。飾られたその雛の目は、遠くを見つめていた。あどけなき内裏雛なり目礼す雛
春の川モーツアルトを奏でをり春になって雨や雪解けで水かさを増した川、田畑の間を縫うように流れる小川など、春の川には様々な表情がある。野川や町を流れる川は、どことなくのんびりとしている。春光を浴びて流れる川は、人にも旅心を誘うものがある。春の川の瀬音が聞えてきた。その軽やかな音は、あたかもモーツァルトの曲を奏でているかのようであった。音もなし学校脇の春の川春の川
菠薐草覆ひ外せば緑濃しアカザ科の一・二年草。コーカサス原産。菠薐とはペルシャの意味。根元の赤い在来種は江戸時代に渡来し、丸葉で根の白い西洋種は明治時代に渡来した。現在は両者の雑種、改良種が多い。菠薐草の麻婆春雨葉はビタミンCや鉄分を含み、お浸し、和え物、煮物などに広く使われる。畑の菠薐草に白い覆いがなされていたのが外されていた。緑が濃かった。菠薐草の白和え肴とす菠薐草の白和へを菠薐草
春めくや犬連れ多き川堤寒さがゆるみ、いかにも春らしくなってきたと感じられる頃をいう。「早春」「春浅し」とも時期がある程度重なるが、もう少し後のより春らしさが増した頃のことと考えた方が妥当であろう。気温が上がり、生きとし生けるものが動き出す感じがある。少し暖かくなり、川堤を歩いていると、犬を連れて散歩する人が多く見られrた。藪中に白きの咲きて春めきぬ春めく
聴きとめぬ犬ふぐりてふ女声ゴマノハグサ科の越年草。普通、ヨーロッパ原産の帰化植物であるオオイヌノフグリをさす。早春、道端や野原に這うように広がって群生し、瑠璃色の花をつける。果実の形が犬の睾丸に似ているところからこの名がある。日のよく当たる丘を歩いていると、「犬ふぐりが咲いている」という女性の声がした。そちらの方へ行ってみると、果たして犬ふぐりが群生していた。屈めるも犬のふぐりを踏むまいぞ犬ふぐり
盆梅に午後の日差しの回りきぬ梅を盆栽仕立てに作ったものをいう。鑑賞用に作るため、正面から見て形のよいように工夫されている。江戸時代から始まったもので、大きさや花の色などは様々。盆梅だけの展示会や品評会などもある。盆梅が一列に展示されていた。午前中は欅の陰になっていたが、午後になって日が回り、盆梅に遍く差していた。盆梅の老木に花多かりき盆梅
月影白梅や丘より青き山見えて甲州最小バラ科サクラ属ウメ亜属の落葉小高木。中国原産。日本には、古代、漢方薬(烏梅(うばい))として伝来した。雪月花早春、香り高い白色の五弁花をつける。花は桜よりやや小ぶりで、八重もある。梅といえば白梅をさす。玉牡丹白梅は清楚な気品があり、桜とともに古くから日本人に愛されてきた花である。一重緑萼丘に白梅が咲いていた。そこからは青い山並みが望まれた。新茶青一休の禅機の話梅真白梅
紅千鳥紅梅や人集まりて姦しく鹿児島紅紅梅も種類が多く、色の濃さも様々である。一重があり、八重咲きのものもある。唐梅(とうばい)紅梅は白梅より咲くのが少し遅いとどの歳時記にも書かれているが、実際には白梅と同時期に咲いている。むしろ、鹿児島紅のように早く咲くものもある。唐梅紅梅には白梅のような気品は感じられないが、あでやかさがあるところが魅力である。八重寒紅紅梅が咲いていた。そこに年配の女性たちが寄ってきて賑やかに話していた。佐橋紅紅梅や夕べはほのと人恋し紅梅(2)
枝垂薄紅梅薄紅梅万葉歌碑を傍にして道知辺(みちしるべ)バラ科の落葉小高木。中国原産。紅梅の花の色の薄いものをいう。早春、薄紅色の五弁花をつけ、八重咲きもある。枝垂れもあり、万灯のようで美しい。雛曇薄紅梅は紅梅よりも明るく、気品があるように思われる。枝垂れの薄紅梅が咲いていた。その近くに万葉歌碑があった。呉羽枝垂れ薄紅梅ベンチに本を読むをみな薄紅梅
小流れの飛び石渡り野梅かなバラ科サクラ属の落葉高木。中国原産。早春、葉に先立って五弁花を開き、香気が高く、平安時代以降、特に香を愛で、詩歌に詠まれている。野梅は野生の梅、または野に咲く梅をいう。野生化し、白色一重の花をつける野梅は、最も多く分布しており、庭園にも植えられる。八重野梅小流れに大きな飛び石があり、その石を渡って高台へ上って行くと、野梅が咲いていた。遅き昼とせむか野梅を後にして野梅
冴返る空を幾度も仰ぎゐてようやく春めいてきた頃、また寒さが戻ってくることをいう。「余寒」「春寒」と同じだが、「冴える」という言葉からは、寒気を感じさせる色や光が鮮やかとなり、より感覚的な表現になる。再びの寒気により、心身の引き締まるような感覚がよみがえる。寒い風が吹き、冴返る日となった。歩いていても幾度も空を見上げて、雲の状態を確かめた。用水に沿ふ路は土冴返る冴返る
下萌や風まだ荒き川堤早春、地中から草の芽が萌え出ることをいう。草萌と同じ意味。早春には、冬枯れの地面のそこここから萌え出た草の芽を見ることができる。雪国では、残雪の下から草の新芽が見えると、春の到来を実感する。川堤に下萌が見られた。だが、風はまだ荒かった。草萌ゆる喉飴口に入れもして下萌
一万歩超しゐて春の入日かな春の日はうららかな明るい太陽、その入日をいう。二月は春といっても依然として寒さが厳しく、日本海側や北日本では豪雪となることもある。太平洋側では晴れることが多いが、春の日らしくなるのは三月に入ってからであろう。春の入日には春の一日への愛惜の気持ちがある。散策で二時間近く歩き、一万歩を超した頃、春の入日となった。春入日坂の上より山見えて春の入日
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緑道に灯りてゐたり花柘榴ザクロ科ザクロ属の落葉高木。イランからアフガニスタン原産。日本には平安時代に渡来した。五から六月頃、筒状で多肉の萼をもつ朱色または深紅の六弁花を枝先につける。実のならない八重咲のものを花柘榴といい、白・淡紅・朱・絞りなどの種類がある。緑道には花がなかったが、柘榴だけ花をつけていた。その花は赤く、灯っているように見えた。花柘榴小犬先立てをみな来ぬ柘榴の花
実桜を見上げひとりの昼下がり桜の花が散ったあとにつく果実をいう。桜は花が散ると青い小さな実を結び、梅雨の前頃に、その実が熟れて赤黒くなる。酸っぱく、渋くて、うまくはない。サクランボ(桜桃)は西洋実桜の果実である。桜の実が沢山生っていた。昼下がりにひとりでその実桜を見上げていた。実桜や遥けくなりし恋心桜の実
小学校前の繡線菊淡かりしバラ科の落葉低木。山野の日当りのよい土地に自生するが、庭園にも植えられる。五~六月頃、新しい枝の先に頂端が平らな複散房形花序に五弁の小花を多数つける。花の色は濃紅色、紅色、薄紅色、稀に白色などがある。最初の発見地が下野(現・栃木県)であったためこの名がついたという。小学校のフェンスの前に繡線菊が咲いていた。花は小学生に優しい淡い色であった。しもつけや近き瀬音に癒されて繡線菊(しもつけ)
足止めぬ定家葛の花の香にキョウチクトウ科の常緑木質の蔓植物。暖地の山地に自生する。茎から気根を出し、木や岩に這い上がる。五~六月頃、芳香のある白色でのちに黄色くなる花をつける。花冠は五裂し、裂片が風車状にねじれる。謡曲「定家」の式子内親王との恋の妄執に由来してこの名がついた。古名はまさきのかずら。散策しているとよい香りがしてきた。足を止めて確かめると、定家葛の花が多数咲いていた。畑道の定家葛の花見上ぐ定家葛
ジャーマン・アイリスアイリスや小犬鳴く声近づきてアヤメ科アヤメ属の植物。単にアイリスと呼ぶ場合、園芸的に栽培する種の総称をさすことが多い。イリスはギリシア語で虹を意味し、虹のように美しい花からつけられた。特にジャーマン・アイリス、ダッチ・アイリス、イングリッシュ・アイリスなどの総称。ダッチ・アイリス四~五月頃、花菖蒲より少し小さい花をつける。花色も白・黄・藍・紫など多種多様。主に園芸種として栽培されている。アイリスの写真を撮っていたら、小犬がワンワン鳴いて近づいてきた。散策の得やアイリス愛づることアイリス
音もなき家のフェンスの鉄線花キンポウゲ科の蔓性植物。中国原産。日本には江戸時代に渡来した。茎が針金のように強いのでこの名がある。五月頃、葉腋に大きな淡青紫色または白色の六弁花を開くが、花弁に見えるのは萼片の変形である。垣根に咲かせたり、鉢植で鑑賞される。カザグルマ・テッセンなどから改良された園芸品種をクレマチスという。音もしない静かな家のフェンスに鉄線花が咲いていた。花を愛する奥ゆかしさが思われた。アヴェ・マリア口遊みをりクレマチス鉄線花
夕暮の川音となり朴の花モクレン科の落葉高木。日本の固有種で山地に自生する。五月頃、芳香のある六~九弁の黄白色の花をつける。材は版木・建築・器具・木炭に用いる。葉は食物を包むのに用いた。樹皮は生薬とする。川堤に朴の花が咲いていた。川は夕暮れの瀬音となっていた。口開けて眠る子のをり朴の花朴の花
夕暮の樗の花や風少しオウチは栴檀の古名。栴檀はセンダン科の落葉高木。日本を含むアジア各地の暖地海辺に自生する。五月頃、枝先に大型の複集散花序をつけ、小形の淡紫色の五弁花を多数つける。材は建材、家具材、楽器材などにされる。樹皮や果実は、駆虫剤、鎮痛剤などに用いられる。夕暮の空に樗の花が咲いていた。風が少しあり、時折花が揺れていた。話し込む媼ふたりや花樗樗の花
ヒロインと紛ふばかりや畑の薔薇バラ科バラ属の鑑賞用植物の総称。いくつかの原種をもとに、19世紀以後に膨大な数の品種が作られ、世界中で栽培される。蔓薔薇と木薔薇とがあり、枝に刺のあるものが多い。切花として年中栽培されるが、花時は本来、初夏の五月である。花色も形も様々だが、薔薇色といえば薄紅色をさす。薔薇は美しい花を開き、香りが高く、古くから香料用、薬用として栽培されてきた。畑隅に薔薇が咲いていた。そのバラが劇中のヒロインかと紛うばかりに美しかった。玄関の薔薇や如何なる人住まむ薔薇
風なくて畑の卯月曇かな卯月は陰暦四月のことで、陽暦ではほぼ五月にあたる。この頃の曇りがちな日和をいう。丁度、卯の花の咲く頃合いにあたるので、卯の花曇ともいう。梅雨に入る前の時節で、卯の花の咲き満ちるときの曇り空である。畑には風もなく人もおらず、空は卯月曇であった。覗き見ぬ卯月曇の菜園を卯月曇
柿若葉近づけば山羊顔出しぬカキノキ科の落葉高木。雌雄同株。初夏らしく明るい萌黄色で、艶があり柔らかい柿の若葉をいう。柿の木は庭木として植えられることが多いため、家々の庭先も明るく、初夏らしい景となる。保育園の前に柿若葉が見られた。その脇に山羊小屋があり、近づくと山羊が顔を出してきた。下校児に道をゆづりぬ柿若葉柿若葉
草苺一つ摘みて坂の途次バラ科キイチゴ属の木本状多年草。本州以南の山野に広く分布する。四月頃、白色の五弁花をつける。花が終わると五月頃、球形の赤い実が生り、食することができる。他の苺類よりも早く熟す。坂の途中に真っ赤な草苺が生っていた。一つ摘んで食べてみた。ほのかな甘みがあり、種のような粒粒があった。葉隠れに草苺あり切通し草苺
芍薬の光まとへる夕べかなボタン科ボタン属の多年草。中国東北部原産。五月頃、茎頂に紅、白または黄の重弁・大形の美しい花をつける。鑑賞用に古くから栽培され、園芸品種が多い。貌佳草(かおよぐさ)ともいう。根を乾燥したものは漢方生薬で、鎮痙・鎮痛・通経薬として煎用される。芍薬が咲いていた。花は夕べの光をまとって美しかった。畑隅の芍薬ひそと暮れてきぬ芍薬
忍冬の花や森への散策路スイカズラ科の常緑蔓性木本。山野に自生する。五月頃、葉のつけ根に二つずつ並んで細い筒形の花をつける。上部が五つに裂け芳香を放ち、吸うと甘いので吸葛(すいかずら)の名がついた。葉は冬も枯れないので「忍冬(にんどう)」とも呼ばれる。花は、初めは白く、のちに淡黄色に変わるので金銀花ともいう。森へ入って行く散策路に忍冬が咲いていた。花は甘い香りを放っていた。用水路沿ひの下校や金銀花忍冬(すいかずら)の花
紫蘭咲く物音一つなき道にラン科シラン属の多年草。関東以西の湿った草原に自生するが、多くは観賞用に庭に植えられる。五月頃、紅紫または白色の美しい花をつける。地下の鱗茎は白及(びゃくきゅう)と称して止血などの薬用になる。道の脇の足元に紫蘭が咲いていた。昼下がりの物音一つしない道であった。夕日受け翳正したる紫蘭かな紫蘭
これよりは野火止の水えごの花エゴノキ科の落葉小高木。林野に自生するが、庭園などにも植えられる。五~六月、小花柄をつけて多数の白い五弁花を下垂する。花はサポニンを含み、水に浸してシャボン玉にした。ヤマジサともいい、これは山の幸の木という意味。エゴの名はこの果皮が喉を刺激し「えごい」ところからつけられた。車道に直角に野火止用水が流れていた。これより野火止用水に沿った道が続き、そこにえごの花が咲いていた。えご散るやひとりの時を求めきてえごの花
葉桜や子供らのゐぬ滑り台桜の若葉のことをいう。桜は花が散ると葉が出始め、五月には美しい緑が広がり、空を覆うようになる。日の光に透けた葉桜はことに美しい。桜は葉桜となっていた。その下には子供たちの遊んでいない滑り台があった。葉桜や川風に背を押されゐて葉桜
石楠花やもの言わぬこと小半日ツツジ科ツツジ属の常緑低木のうち、ツツジ類を除くものの総称。広くはセイヨウシャクナゲ及びその園芸品種なども含むが、狭義にはアズマシャクナゲ、西日本のツクシシャクナゲを指す。高山・亜高山に生え、高さ1~2メートル。五月頃、漏斗状鐘形でツツジに似た5~7弁の合弁花を多数つける。花色は白、淡紅のほか、園芸品種には黄、赤、紫もある。石楠花が咲いていた。この花を見つけるまで、小半日何も話をしていないことに気がついた。明るかり池のほとりの石楠花は石楠花
アカシアの花また花や空広くマメ科の落葉高木。アメリカ原産。アカシアといわれているのは、ハリエンジュ(針槐)と称するニセアカシアのこと。五月頃、白色の蝶形花をフジのように総状に下垂し、芳香がある。街路樹、公園樹、また、砂防・土留めに植栽される。道路脇にアカシアの花がつながるように沢山咲いていた。その空はどこまでも広かった。アカシアの花や夕日に染まりたるアカシアの花
どつしりと生きたしと思(も)ふ棕櫚の花ヤシ科の常緑高木。特に日本原産のワジュロをいう。庭に植えられるが、暖地では野生もみられる。雌雄異株。五月頃、葉の間に太い花軸が出て、小さな黄色い花が集まった肉穂花序を垂れる。幹は毛質の皮が覆い、葉は幹頂につく。棕櫚の花が咲いていた。その大きな花を見て、これからはどっしりと腰を据えて生きたいと思った。夕されば瀬音も暮れて棕櫚の花棕櫚の花
ジョギングコース歩いてゐたり桜の実桜は花が終わると、初夏に実をつける。青い小粒から太るにつれて赤変し、熟して黒紫色となる。鳥はよく啄むが、酸味と渋味でうまくはない。さくらんぼは西洋実桜の実である。公園に赤いジョギングコースがある。そこを走らずに歩いていると、桜の木に赤や黒の実が沢山生っていた。実桜や丸くなることむつかしく桜の実
天を向く薔薇神神しとぞ思ふバラ科バラ属の総称。野生種は世界に約二百種、日本に約十種がある。薔薇といえば豊穣で香り高い花を咲かせる西洋薔薇をさす。一年中栽培されるが、花時の最盛期は初夏の五月。秋咲きのものもある。天に向かって薔薇が高々と咲いていた。その様を神神しいと思った。取り取りの薔薇囲む家羨しとも薔薇
バス避けて茅花流しを見てをりぬ五月頃吹く、湿気を含み雨を伴うことの多い南風を「流し」という。「茅花流し」は、茅花、すなわちチガヤの花穂が白い絮をつける頃に吹く湿気を含んだ南風をいう。梅雨の先触れとなる季節風につけた美しい名である。歩道のない道を歩いていると、バスがやって来た。バスを避けるために野原の方に向きを変えると、そこには茅花流しが見られた。百均に菓子買ひ茅花流しかな茅花流し
文士とふ言葉聞かずや鉄線花キンポウゲ科の落葉蔓性木本。中国原産。江戸時代初期に渡来。五~六月に葉のつけ根から長い柄を出し、白または薄紫の六弁花を開くが、花弁に見えるのは蕚片が変形したもの。クレマチスは、鉄線と風車などを交配して作られた園芸品種。俳句では鉄線花ともいう。最近は小説家はいても文士という言葉は聞かない。あるお宅に、文士の家に咲いているような鉄線花が咲いていた。教会の亭午の鐘やクレマチス鉄線花
青無花果部活生徒ら走り抜けクワ科の落葉小高木。小アジア原産。日本には江戸時代に伝来。果実の成熟は年二回で、夏果、秋果がある。夏果は前年についた幼果が越冬して夏熟するもので、その熟する前の青い実が青無花果である。秋果は秋に熟するもの。花が花托のなかに隠れていて見えないまま実になるので、「無花果」と書かれる。川堤の脇に青無花果が生っていた。その前を部活の生徒たちが走り抜けて行った。詩に詠めど青無花果の食べられず青無花果
散策の道の曲りや花柘榴ザクロ科の落葉小高木。イランからアフガニスタンにかけての地域が原産。日本には、平安時代に中国から渡来。五~六月頃、枝先に多肉で筒状の蕚をもつ朱赤色の六弁花を多数つける。花びらは薄くて皺がある。実のならない八重咲きの園芸品種を花石榴と呼び、花色は白、淡紅、朱、絞りなどさまざま。緑道という散策の道がある。道は曲がりくねっていて、その傍らに柘榴が咲いていた。川沿ひの家よりピアノ花ざくろ石榴の花
卯の花やジャージ下校の学生ら空木の花のこと。空木はユキノシタ科の落葉低木。山野に自生する。初夏、白色五弁花を円錐花序につける。枝が中空なので空木とも。谷空木、箱根空木はスイカズラ科で、ユキノシタ科の空木とは別種。道端に卯の花が咲いていた。その前をジャージ姿の中学生たちがぞろぞろと帰って行った。万葉の歌が好きなり花うつぎ卯の花
馬鈴薯の花に大空広ごれりナス科の一年生作物。南アメリカのアンデス高地原産。日本にはインドネシアからジャガタラを経て慶長年間にオランダ人によってもたらされたことから、じゃがたらいもの名がついた。初夏、上部の葉腋に花枝を出し、浅く五裂した数個の白または淡紫色の花をつける。畑一面に花が咲く光景は、ひなびた美しさがある。馬鈴薯の花が畑一面に咲いていた。その上には大空がどこまでも広がっていた。じやがいもの咲きしや庭の一角に馬鈴薯(じゃがいも)の花
日の差せば彩散りばめて飛燕草キンポウゲ科の二年草。南ヨーロッパ原産。デルフィニウムの一種。初夏、直径三センチほどの小花を茎頂に総状につける。花弁状の蕚に距があり、その形から飛燕が連想され、この名がある。花色は青、青紫、淡紅、白など。別名、千鳥草。雲っていたが、日が差してきた。飛燕草が彩を散りばめたように、様々な色に輝いていた。カンツォーネ聴きたくなりぬ飛燕草飛燕草
足止めぬ定家葛の花の香にキョウチクトウ科の蔓性常緑木本。山野に自生し、庭木にもされる。茎は地をはい、また気根を出して樹や岩に絡む。初夏、枝先および葉腋に芳香のある白い花を集散花序につけ、後に黄色に変わる。花冠は五裂し、風車状にねじれる。茎、葉は民間薬として鎮痛、解熱などに利用される。鎌倉時代、式子(しょくし)内親王に恋をした歌人藤原定家が、死後定家葛に生まれ変わり、内親王の墓に絡みついたという伝説からこの名がついた。古名は「柾(まさき)の葛」。長い坂道を下りて街路の歩道を歩いていると、いい香りがした。立ち止まって見ると、ある家の垣根に花を咲かせていた定家葛であった。歌にある柾の葛花つけぬ定家葛
草苺幼の記憶誰にでもバラ科イチゴ属の小低木。本州以南の山野に自生する。春、枝先に白色の五弁花をつける。初夏に球形の実が赤く熟し、食すことができる。道端に草苺が生っていた。幼い頃食べた記憶があり、誰にでも幼い頃の記憶というものがあるのだろうと思った。昼の日の強くなりけり草苺草苺
野火止の小流れ今も忍冬スイカズラ科の蔓性常緑低木。山野に自生する。子供たちが花の蜜を吸って遊ぶところから「吸葛」と呼ばれ、枝葉が冬も枯れないので「忍冬」と名づけられた。初夏に、葉腋に二つずつ並んで細い筒形の合弁花をつける。花は二裂し甘い芳香を放つ。花は初めは白く、後に淡黄色に変わるので金銀花ともいう。野火止用水は江戸時代以降今も流れている。その流れの上に忍冬が咲いていた。忍冬といへば波郷を想ひけり忍冬(すいかずら)の花
散策に日の傾きぬ柿の花柿はカキノキ科の落葉高木。五月頃、葉腋に黄緑色の合弁花をつける。花弁は壺状で、緑色の蕚片がある。開花後、花弁は黄色となって落ち、その頃には樹上にすでに幼い青柿を結んでいる。散策でかなりの時間歩いていると、日がすでに傾いていた。夕日が柿の花に当たっていた。未来読むことは難しや柿の花柿の花
薫風や一万歩越す一休み青葉を吹く風が緑の香りを運ぶ心地よい風をいう。和歌では、花や草の香りを運ぶ春風の意であったが、連歌で初夏の風として意識され始めた。元禄時代になって俳句の季語として使われ、以後今日まで伝わっている。三夏いつでも吹いているが、「風薫る五月」というように、初夏の五月にこそふさわしい季語といえる。歩いていて一万歩を越したところで、自動販売機のジュースを買い、ベンチで一休みした。その間も薫風は吹き渡っていた。風薫る木の間に覗く昼の月風薫る
青空に煙るがごとし花樗センダン科の落葉高木。楝は栴檀の古名。暖地の海岸近くに自生するが、庭園に植えられもする。初夏に、白または淡紫色の五弁花を円錐花序につける。「栴檀は双葉より芳し」の栴檀は、香木の白檀のことで別種。樗の花が満開となっていた。それはままるで青空に煙っているかのように見えた。栴檀の花に川風強かりし楝の花
アイリスや晴るれば歩く日課にてアヤメ科アヤメ属の多年草。ジャーマンアイリス、ダッチアイリス、イングリッシュアイリスなどの総称。アイリスはギリシャ神話の虹の神で、その伝説から「恋のメッセージ」が花言葉。初夏に花菖蒲より少し小さい花をつける。色は白、黄、藍、紫など多彩。主に園芸種として栽培されている。道沿いにアイリスが咲いていた。これを見られるのも、晴れれば歩くという日課のお陰である。アイリスや恋の一語の遥かなるアイリス
竹皮を脱ぐや無言を押しとほし筍は伸びるにしたがって、下方の節から順に皮を脱いでいく。真竹や孟宗竹の皮には黒い斑点があるが、淡竹の皮にはない。真竹の皮には防腐作用があり、古くから食材を包むために用いられてきた。竹林に竹が皮を脱ぐのが多く見られた。静まり返っているので、まるで竹が無言を押し通して皮を脱いでいるようであった。小流れの音に竹皮脱ぎにけり竹の皮脱ぐ
遠くまで足を伸ばしぬ柿若葉柿の若葉は,、新鮮さを感じさせる明るい萌黄色である。葉はつやつやとして柔らかい。柿の木は庭木として植えられることも多く、家々の庭は初夏らしい明るさとなる。散策の足を遠くまで伸ばしてきた。すると、そこには萌黄色の柿若葉が見られた。自転車のペダルの軽し柿若葉柿若葉
令和はや六年となり棕櫚の花ヤシ科の常緑高木。庭に植えられるが、暖地では自生化している。雌雄異株。初夏の頃、葉のつけ根から黄白色の粒状の花を房状に垂れる。幹は柱、皿、鉢、盆などにされ、花は食用にもなる。葉は棕櫚笠、団扇、敷物などに使用される。令和はコロナ禍や地震など重い出来事が多かったが、早や六年となった。公園にはぼってりと重そうな棕櫚の花咲いていた。むくむくとこの世に現れて棕櫚の花棕櫚の花
ショパン聴きたし矢車草に立ちキク科の一・二年草。矢車草は矢車菊の通称。ヨーロッパ原産。四~五月頃、長い枝先に菊に似た頭状花をつける。花弁に深い切込みがあり、矢車の形に似ているところからこの名がある。花色は青のほかに、白、赤、紫、桃色などがある。矢車草が沢山咲いていた。その前に佇んでいると、なぜかショパンのピアノ曲が聞きたくなった。矢車草群生にあり風の道矢車草