山吹や昔水車のありしとふバラ科ヤマブキ属の落葉低木。渓流沿いなどのやや湿った山地に生えるが、観賞用としても広く植えられる。四月頃、黄色い五弁花をつける。八重山吹は重弁の園芸品種。白花山吹は変種だが、白山吹はシロヤマブキ属のもので、白い花弁は四片しかなく、黒い実を結ぶ。川沿いに山吹が咲いていた。昔、この川には水車が設けられていたという。自転車の下校学生濃山吹山吹
山吹や昔水車のありしとふバラ科ヤマブキ属の落葉低木。渓流沿いなどのやや湿った山地に生えるが、観賞用としても広く植えられる。四月頃、黄色い五弁花をつける。八重山吹は重弁の園芸品種。白花山吹は変種だが、白山吹はシロヤマブキ属のもので、白い花弁は四片しかなく、黒い実を結ぶ。川沿いに山吹が咲いていた。昔、この川には水車が設けられていたという。自転車の下校学生濃山吹山吹
平林寺堀に沿ふ径二輪草キンポウゲ科アネモネ属の多年草。山地や林などの湿った土地に自生する。四~五月頃、普通二本の長花柄を出し、白い花をつける。地面を埋め尽くすように群生するところが、一輪草と異なる。実際は三輪つけることも、一輪しかつけないこともある。野火止用水から分水した平林寺堀に沿って小径が通っている。その脇に二輪草が群生し、花をつけていた。二輪草歩き疲れの心地よき二輪草
蒲公英を踏むまじと野に遊びけりキク科タンポポ属の多年草。早春から初夏にかけて小さな花の集まった頭花をつける。東日本に黄、西日本に白花が多いとされてきたが、帰化種が殖えるにつれて黄花の方が普通とされるようになった。実は白い冠毛を持ち風に乗って飛ぶ。これが蒲公英の絮である。野原に蒲公英があちあらこちらに咲いていた。そこで、蒲公英を踏まないようにして遊んだ。蒲公英の絮の乗る風とはなりぬ蒲公英・蒲公英の絮
満天星躑躅風切つて人走りけりツツジ科の落葉低木。日本原産。庭木や垣に植えられる。「どうだん」は三叉状の枝が松明を燃やす結び灯台の脚に似ているので、また「満天星」の字は白い小花を満点の星にたとえ名付けられた。四~五月頃、若葉を上向きに開き、その下に鈴蘭に似た白色壺状の小花を放射状に吊り下げる。満天星躑躅が満開となっていた。その前を、ジギングをする人が風を切って走って行った。満天星の花に夕日の家路かな満天星の花
桜蘂降るや犬らの遊び場に桜の花びらの散った後、萼についている細かい蘂や茎が降ることをいう。地面を赤紫に染める桜蘂は、落花とはまた違った晩春の情趣がある。風や雨に降りしきる蘂の褪せた色には、花の時が過ぎ去ってしまった一抹の寂しさがある。広場に何匹もの犬がじゃれたり走ったりして遊んでいた。その広場に桜蘂がたくさん降っていた。大股や桜蘂降る川堤桜蘂降る
チューリップ犬座らせて撮る男ユリ科チューリップ属の球根植物。小アジア原産。オランダで品種改良が進んだ。日本には江戸時代後期に渡来した。四~五月頃、花茎の頂に黄・赤・白・ピンクやしぼりなどの鐘形の六弁花をつける。八重咲き、フリル状、枝咲きなどがある。日本では富山、新潟の砂丘地帯などで輸出用の球根が育成されている。花壇、鉢植、切り花などにして鑑賞する。チューリップがたくさん咲いていた。その前に犬を座らせて、男の人が写真を撮っていた。犬も人間のようにポーズを取って、可愛かった。教会の昼の鐘なりチューリップチューリップ
花青木用水沿ひの森にきてミズキ科の常緑低木。雌雄異株。山地に自生するが、庭木ともされ、園芸品種も多い。四月頃、枝先に紫褐色の小さな四弁花をつける。冬に、棗形の美しい赤い実が生る。用水沿いを歩いて来ると、森の入口の所に青木が花を沢山つけていた。憧れは世捨て人なり花青木青木の花
歩くとは何か得ること花榠樝バラ科の落葉高木。中国原産。庭木、盆栽、果実目的で植栽される。四~五月に、新葉とともに径三センチほどの紅色または淡紅色の五弁花をつける。榠樝の実は毎年見てきたが、花は注意して見たことがなかった。今回歩いて初めて榠樝の花を見た。花数が少なく目立たないが、楚々とした可愛らしい花であった。歩いていると、何か得ることがあると思った。花くわりん晴るれば心愉しかり榠樝の花
話しかけ林檎の花と知られけりバラ科の落葉中・高木。アジア西部からヨーロッパ南西部原産。四~五月に、ほのかに紅を帯びた径五センチの白色五弁花を傘状につける。日本の林檎の産地は北海道、青森県、長野県など冷涼な地である。毎年この木の前を通っているが、何の木かわからなかった。まだ若木なので、昨年実をつけても小さくて、何の実だろうと思っていた。今年は特にたくさんの花が咲き、写真を撮っていると、中年の女性もきて写真を撮っていた。話しかけると、「何の花でしょうか」という話になり、「梨でしょうか」というと、「林檎の花ではないでしょうか」という。別れてからGoogleで調べると、確かに林檎の花であった。この辺では林檎の木は珍しいので、花が見られてよかった。花林檎午後より気温上がりけり林檎の花
境内に貸自転車や八重桜バラ科の落葉高木。サトザクラの八重咲き品種の通称で、ボタンザクラともいう。四月中旬から下旬に大型の花をつける。ぼってりとした花房は、普通淡紅色で濃淡があり、白色もある。八重咲の花びらは雄蕊の変化したもので、普通は結実しないが、奈良の八重桜は実のなることで知られている。寺の境内に、今はやりのレンタサイクルが数台置かれていた。その上に八重桜が満開となっていた。八重桜下校児童の話しごゑ八重桜
菜の花の黄に溺るるもよかりけりアブラナ科の越年草のアブラナの花。春、高く薹を立て、黄色の四弁花を傘状に密集させてつける。菜の花が一面に咲き続いている景色は明るく、いかにも春らしい光景といえる。菜の花がびっしりと咲いていた。その黄色の花に溺れるのもよいと思った。常ならぬ道菜の花の川堤菜の花
御衣黄を仰ぐ仕合せ得たりけりバラ科サクラ属の落葉高木。オオシマザクラを基に生まれた日本原産の栽培品種のサトザクラ軍のサクラ。名前の由来は、貴族の衣服の萌黄色に近いためという。染井吉野の桜が散る頃に咲き出す。八重咲で、色は白色から淡緑色。緑色に見えるのは、緑色のクロロフィルを多量に含むためと考えられている。次第に中心部から赤みが増してきて、散る頃にはかなり赤くなる。歳時記には載っていないが、桜の一種なので試しに詠ってみた。ようやく御衣黄が咲いているのを見つけた。今年もこの桜を仰ぐことができるという好運に恵まれた。御衣黄や京の仁和寺想はれて御衣黄
池あれば池に映れる柳かなヤナギ科の落葉高木または低木。雌雄異株。庭木または街路樹として植栽される。北半球北部を中心に約400種、日本には約90種。シダレヤナギ、コリヤナギ、カワヤナギなどが代表的。柳は春一番に芽吹くため、古くから長寿や繁栄の呪力をもつ神聖な木とされてきた。池のほとりに柳が青々と垂れていた。池があれば、その池に柳が映っていた。大空の風を誘ひし柳かな柳
夕日受け燃ゆる紅木瓜の花バラ科の落葉低木。中国原産。鑑賞用に庭に植えられる。春、葉に先立って紅、淡紅、白色または絞りなどの五弁花をつける。紅白の混じったものを更紗木瓜という。八重咲もある。山野に咲く日本古来の草木瓜は、しどみの花として別の季語。緋木瓜が咲いていた。夕日を受けて更に燃え上がったような紅色となった。人の世に色あるならば更紗木瓜木瓜の花
犬を見る目の優しかり桃の花バラ科サクラ属のモモ亜属に属する落葉小高木。中国原産。日本には弥生時代に渡来した。四月頃、淡紅または白色の五弁花をつける。果樹として栽培されることが多いが、観賞用の花桃には八重、白、緋、紅白咲き分けの源平もある。桃源郷の説話も中国から伝わり、桃の花はのどかな理想郷の象徴になった。桃の花が咲いていた。その前を散歩をしている犬に近づいた女性が犬を撫で始めた。その目が優しかった。境内の源平桃を拝しけり桃の花
提灯の灯り夜桜とはなりぬ夜の桜の花、あるいは夜に桜の花を見物することをいう。桜の回りに灯篭や雪洞をともしたり、篝火を焚いたりする。近来では、ライトアップすることが多い。光に照らし出されて夜空に浮かび上がる桜は、昼間とは違った妖艶な美しさを見せる。東京都板橋区の中板橋から加賀までの石神井川沿いの夜桜を楽しんだ。暗くなると、最初のところはライトアップではなく提灯が点灯した。それより夜桜となった。夜桜や橋あるごとに橋の上夜桜
川中の鷺にも春の光あり春光は本来、春の景色や春の有り様をいう言葉だが、麗かな春の眺めが、明るい日差しの降りそそぐなかにあるところから、狭義の春の日光の意に用いられることが多くなった。春の訪れを待つ心に、明るい空の光こそ最も春を感じさせるからであろう。春色、春の色、春の匂、春望などという言葉もある。埼玉県本庄市の若泉公園を訪れた。満開の桜を観るためである。そこには、「春光」と呼ぶにふさわしい春の景色が広がっていた。桜並木の川には白鷺がいて、白鷺にも春の光が降りそそいでいた。春光や子を抱く人が川岸に春光
散策の足伸ばしけり夕桜夕方に眺める桜の花をいう。桜はバラ科サクラ属の落葉高木または低木の一部の総称。春、白色・淡紅色から濃紅色の花をつける。八重咲きの品種もある。日本の国花とされ、俳句で「花」といえば桜を指す。夕日の当たった桜は、花の色が少し濃くなり、桜特有の艶なる趣が感じられる。川沿いの満開の桜を辿って歩いていると、その先まで見たくなり、足を伸ばした。夕桜がえも言われぬ美しさであった。息をのむほど対岸の夕ざくら夕桜
手招きのごと呼ばれたる糸桜姥彼岸から作られた園芸品種。細枝を長く垂らした様子から糸桜ともいう。三月下旬から四月頃、葉に先立って細く垂れた枝に淡紅色の花をつける。白色や八重咲きもある。神社などの境内や庭園に植えられることが多く、京都平安神宮神苑の紅枝垂桜や三春の滝桜などが有名。大きな糸桜が満開になっていた。風で枝が揺れ、手招きされているように感じ、呼ばれるままに近づいて行った。人寄せて池畔のしだれ桜かな枝垂桜
声高に話す人なき花見かな桜の花を鑑賞し、楽しむことをいう。桜の花を愛でる習慣は平安時代に起こったものであるが、当時はもっぱら貴族の行楽とされた。秀吉の醍醐の花見は有名だが、庶民の行楽となったのは江戸も元禄以降のことである。昭和記念公園の桜が満開となり、その下に花見客がシートやテントで陣取って花を楽しんでいた。多くの人がいるにもかかわらず、皆静かに行儀よく、声高に話す人などいなかった。千年も続く花見をしてゐたり花見
人の世を清めむかとも朝桜朝に咲いている美しい桜をいう。桜は開花が待たれ、そして満開が待たれる。各地で満開が告げられ、日本列島を西から東へ、南から北へと移って行く。朝の桜はことに清々しく美しい。朝桜を観に多くの人が集まり、生きる力をもらう。誰も来ないようなところにも立派な朝桜が観られた。その姿はまるで人の世を清めるかのようにも思われた。後ろより感嘆のこゑ朝桜朝桜
清明の畑の上なる空青し二十四節季の一つで、陰暦三月の節。春分から十五日目で、陽暦四月五日頃に当たる。今年は四月四日。清浄明潔を略したものといわれている。その意味は、天地がすがすがしく明るい空気に満ちてくることをいう。雨や曇りの日々が長く続いたが、今日は久々に晴れて清明の日らしくなった。畑の上には青空が広がっていた。清明や雑木の道のふかふかと清明
高台を統ぶるがごとし山桜バラ科の落葉高木。関東以西の山地に自生する。四月上旬、飴色や黄緑色の新葉とともに、一重の淡紅色または白色の花をつける。山桜は独立した一品種であるが、句や歌では必ずしも特定種をいってはおらず、山に咲く桜を山桜として詠むことが多い。高台に山桜が咲いていた。それはまるで辺りを支配しているようであった。横たはる雑木の道や山桜山桜
春泥を歩かねば明日見えてこず春のぬかるみのことをいう。春雨に限らず、凍解け、雪解けなどによって、道路、畑道など人の通る道に生じる。都会では舗装道路が増え、泥の道を行き悩む光景はほとんど見られないが、少し外れた郊外ではまだ見られる所が残っている。用水沿いを歩いていると、細い道が昨日の雨で春泥と化していた。ここを歩かなければ明日は見えてこないと思った。足取られゐても好きなり春の泥春泥
長靴を履いてポストへ花の雨桜の咲く頃に降る雨をいう。また、眼前に見上げる桜の花に降りそそいでいる雨をいう場合もある。これから花見を楽しもうとする人には、「花を散らさないでほしい」と祈りたくなる雨でもある。今日は、花の雨となった。水溜りが多いので、長靴を履いてポストへと向かった。誰(た)もをらぬ道も楽しや花の雨花の雨
花冷や人まばらなる公園に桜が咲き、春らしくなったと思っているところに、思いがけなく戻ってきた寒さをいう。様々な花が咲き、のどかな時節であるが、天候が変わりやすく、その寒さは一段と身に応える。花冷えはどこの地域でも起こるが、特に京都の花冷えが有名である。体感温度五度という花冷えとなった。公園に桜を見に行ったが、この冷え込みで人はまばらであった。花冷の小雨となりぬ散策路花冷
我が町の川に今年も初燕春に初めて見かける燕をいう。燕は、ツバメ科の鳥の一種。日本には小洞燕、腰赤燕、岩燕など。春に南方から日本各地に飛来し、人家の軒先などに営巣して子を育て、秋に南方へ帰ってゆく。翼がよく発達し、飛びながら昆虫を捕食する益鳥。今日、川堤に行くと初燕が川の上を飛んでいた。今年も我が町の川にやってきたと安堵した。ジャージーの若きふたりや初燕初燕
連翹や瀬音明るくなつてきしモクセイ科の落葉低木。中国原産。鑑賞用に栽培される。三月頃、葉に先立って鮮黄色の四弁の筒状花をつける。いたちぐさ、いたちはぜともいうが、俗称。川堤に連翹が咲いていた。その前の瀬音は、次第に明るい音になってきた。連翹の頭上より垂れ切通し連翹
猫歩く堤のなぞへ花曇桜が咲く頃の曇天をいう。桜の咲く頃、冬と夏の季節風の変わり目にあたり、小低気圧が次々と移動する。なま暖かい曇りの日々が続くと、愁いがちな気分になる。養花天は雲が花を養う日和のこと。花曇と同義語。花曇の暗い空となっていた。そんな川堤の斜面の草地を、猫がゆっくりと歩いていた。養花天夢追ふことを大切に花曇
風誘ふ用水沿ひの初桜春になって初めて咲いた桜の花のことをいう。「初花」ともいう。桜の咲く時期は品種や地域、気候などによって異なる。そのため、咲き始めの早い彼岸桜など特定な桜の品種を指すものではない。寒い季節から暖かい季節へと移る中で、やっと目にした桜の開花は、それまで待ち望んできたことで、大きな感動がある。用水沿いの道に初桜が見られた。初桜が風を誘うかのように、風が吹いてきた。初花や用水に鷺下りてきて初桜
白木蓮空青ければ際立ちてモクレン科の落葉高木。中国原産。鑑賞用に植えられる。三月頃、白色の大形花をつける。花被は花弁・萼片を合わせて九枚。六枚の辛夷より多く、肉質で香りがよい。散策の道に白木蓮が咲いていた。空が青かったので、白い花が際立って美しかった。はくれんや命惜しまむ老いずとも白木蓮
空恋ふかどれも上向き落椿散り落ちた椿の花をいう。落花は山茶花のように花びらが散るのではなく、一花がポトリと落ちる。椿は落ちた姿も美しく、俳人は好んで詠んできた。椿の木の回りに円を描くように椿の花が落ちていた。花は空を恋しがっているのだろうか、皆上向きであった。落椿雑木の道にひつそりと落椿
中学校裏門乙女椿かなツバキ科の常緑高木。ツバキの園芸品種。2~3月頃、葉腋に桃色の重弁花をつける。庭木として普通に栽培される。歩いていると、中学校の裏門に乙女椿が沢山の花をつけていた。中学校にふさわしい花と思った。川堤乙女椿に癒されぬ乙女椿
夕暮の畑に農夫や黄水仙ヒガンバナ科の多年草。南ヨーロッパ原産。日本には江戸時代末期に渡来し、観賞用に栽培された。三~四月頃、葉の間から伸びた茎の頂に黄色の六弁花をつける。黄色の花は中央に盃型の副花冠をもつ。香りが高いものもある。夕暮れになっても畑に農夫が働いていた。その畑の隅に黄水仙が咲いていた。毛筆の手紙に俳画黄水仙黄水仙
川沿いひを歩けば彼岸桜かな桜の中でも開花が早く、彼岸の頃、他の桜に先駆けて咲くのでこの名がある。花は小さく、一重の淡紅色。全国的に観賞用に植えられているが、本州中部から西の方に多い。大木にはならず、小高木のとどまる。数日ぶりに川沿いを歩くと、今日は彼岸桜が咲いていた。小さい花ながらも美しかった。彼岸桜に足を止めたる翁かな彼岸桜
郊外の天空広き彼岸かな春分の日を中日とする前後三日の七日間をいう。仏教語の「到彼岸」からきていて、凡俗の生死流転の世界(此岸)から悟りの境地、涅槃(彼岸)に到るの意。単に彼岸といえば春の彼岸をさす。「暑さ寒さも彼岸まで」といわれるように、この頃から春らしい暖かさとなる。郊外の墓地に墓参りに行った。彼岸の青空は限りなく広がっていた。何鳥の鳴くや彼岸の奥つ城に彼岸
春分の日の菜園や人あまた「自然をたたえ生物をいつくしむ」日として「国民の祝日に関する法律」により定められた。二十四節季の一つで、太陽暦の三月二十一日前後に当たる。今年は三月二十日。この日は彼岸の中日にあたり、先祖ををまつり、行楽を兼ねた墓参も行われる。また、この日の太陽は真東から昇り真西に沈む。そして、昼夜の長さがほぼ等しい。今日は春分の日。少し暖かくなり、菜園には多くの人が農仕事を楽しんでいた。遅々としてあり春分の日の夕日春分の日
畑隅の鶯神楽夕日浴ぶスイカズラ科の落葉低木。山野に自生する。春、淡紅色の漏斗状で先端が五裂した花を下垂する。鶯が鳴く頃に咲き出すので、この名がある。畑の隅の道側に鶯神楽が咲いていた。花は夕日を浴びていた。城跡の傍の鶯神楽かな鶯神楽
喇叭水仙川沿ひ歩くこと楽しヒガンバナ科の多年草。ヨーロッパ原産。明治末年に渡来。鑑賞用に広く栽培される。花の中央の副冠が発達し、喇叭状をしているのでこの名がある。他の水仙より大型で、花は一茎に一花つけ、花弁と副冠が同色のものと異なるものとがある。花色は黄色が主だが、白、ピンク、クリーム色など新種もある。喇叭水仙が川堤に咲いていた。それを見て川沿いを歩くことが楽しくなった。喇叭水仙アルハンブラへ行きたしと喇叭水仙
赤き声出してゐるよな椿かなツバキ科の常緑高木。本州以西の全土に自生する。日本に自生していたのは藪椿であり、それをもとに園芸種が多数作られた。春、白や紅の五弁花をつける。楚々とした風情が古来日本人に愛されてきた。紅椿が咲いていた。それは。まるで赤い声を出しているように感じられた。風はまだ温くはあらず白椿椿
散策の老夫婦きて花辛夷モクレン科の落葉高木。日本原産。日本全土に自生する。春、葉に先立って芳香のある白色の六弁花をつける。蕾が赤子の辛夷の形に似ていることからこの名がついたといわれる。だが、蕾よりも実の方が赤子の拳に似ていると思うが、いかがだろうか。一本の辛夷の大木に白い花がびっしりと咲いていた。その近くへ散策の老夫婦がやってきて眺めていた。昼下がり辛夷に薄日差してきぬ辛夷
句座急ぐ百人町の沈丁花ジンチョウゲ科の常緑低木。中国原産。庭木として植えられる。三~四月頃、赤い小花を球状に集め、開花すると四裂の白い内側を見せる。星型の花弁のように見えるのは萼片。甘く強い香りが特徴。漢名は「瑞香」で、「沈丁花」は和名。沈香と丁字の香りを併せ持つからとも、香りは沈香で花の形は丁字であるからともいわれる。新宿の百人町で句会があり、急いだ。その道に沈丁花が朝日を受けて咲いていた。沈丁の香や霊園の門の辺に沈丁花
時折の風音ありぬ春の月古来、秋の月はさやけさを愛で、春の月は朧なるを愛でる。ただ、朧にならなくとも、親しみやすい明るさと艶なる風情がある。窓を開けると明るい春満月が出ていた。だが、時折、天空を渡る夜風の音が聞えた。寝る前のボッケリーニや春月夜春の月
休耕の畑の一角花なづなアブラナ科ナズナ属の二年草。春の七草の一つ。道端、田畑、野原、庭などどこにでも見られる。春、直立した茎の先に白い小さな四弁花を多数つける。果実が倒三角形で三味線のばちに似ているところから三味線草、ぺんぺん草とも呼ばれる。今まで畑だったが、少し休んでいるところがあった。そこがあっという間に薺の花の群落となってしまった。気散じにぺんぺん草を振つてみむ薺の花
薬草園に小さき花屋やシクラメンサクラソウ科の多年草。シリアからギリシアにかけての地域原産。温室鉢物として鑑賞される。ハート形の葉を叢生し、そこから立つ花茎に蝶形の篝火のような花をつける。花色は濃い赤色が多いが、白、桃、赤紫などさまざま。薬草園の一角に小さな花屋がある。そこにシクラメンが沢山売られていた。シクラメン郵便受を見るならひシクラメン
水温む鯉の後ろに鯉蹤きて寒さが去り、河川や湖沼の水が温かくなるさまをいう。水草が芽を出し、底に沈んでいた魚が動き出す。生き物が躍動するさまも「水温む」の背後にはある。暖かくなって川の水が温んできた。浅瀬には鯉がゆっくりと泳いでいた。その後ろをほかの鯉が蹤いてきていた。用水を歩む鷺をり水温む水温む
東京都薬用植物園春園に浮かぶ白雲見て飽かずものの芽の出始める早春から、花々が咲き、緑が濃くなる晩春までの公園や庭園をいう。樹木を植え、石などを配した築山や池などのある日本庭園、噴水や彫刻などを据えた洋風庭園などがある。手入れの行き届いた樹木が芽吹き、花壇の色とりどりの花が人々の目を楽しませる。春の園を訪れ散策した。そこでは、青空に浮かぶ白雲を見ていて飽きなかった。四阿に腰を下ろさむ春の園春園
山茱萸に近づけば躁兆しけりミズキ科の落葉小高木。中国、朝鮮半島原産。早春、葉の出る前の枝先に、黄色の小さな四弁花を球状に集まってつける。和名を春黄金花という。古くから薬用として用いられたが、現在ではその美しさから観賞用に栽培される。久しぶりに東京都薬用植物園を訪れた。何本かの山茱萸が見事に咲いていた。近づいて黄色い花を見上げていると、何となく気分が高揚してきた。晴天の山茱萸の花独り占め山茱萸の花
青麦の一直線を愛すなり麦はイネ科の一、二年草。穂の出る前の葉や茎が青々としている麦のことをいう。秋蒔きで発芽し、厳しい寒さに耐えて冬を越した麦は、春に勢いよく若葉を成長させる。畑は緑一色で覆いつくされるが、その明るい彩りは命の萌え出る春を強く印象づける。青麦の畑があった。一直線に続く青麦は気持ちよく、好きである。むさしのの雑木抜くれば麦青む青麦
昼月の高々とあり木の芽晴春に木々が芽吹く頃の晴天をいう。木の芽立ちは木の種類、寒暖の違いにより遅速がある。庭や雑木林などの木々が明るい日差しの中に色鮮やかに芽生えるとき、確かな春の伊吹を感じる。昼の半月が高々と昇っていた。空は昨日までと打って変わって、木の芽晴となった。久々に野を歩きけり木の芽晴木の芽晴
春陰や温かきもの自販機に春の曇りがちな天候をいう。漢詩に由来する漢語だが、近代以降、季語として使われるようになった。春は明るいイメージがあるが、「春陰」は憂いを帯びた陰りを感じさせる。空はどんよりと曇り、春陰となった。何か温かいものを求め、自動販売機へ向かった。春陰やアンテナに鳥一羽きて春陰
止むはずがやまぬ春雨散策す春に降るしっとりとした趣のある雨をいう。『三冊子』は陰暦の正月、二月初めの雨を「春の雨」とし、二月末から三月に小止みなく降り続く雨を「春雨」として区別している。だが、現代ではそこまで厳密には分けられていないようである。雨はもともと暗いものであるが、「春雨」「春の雨」には「春」という季節特有の華やぎが感じられる。天気予報ではもうじき雨が止んで曇りになるはずであった。そこで散策に出たのであるが、なかなか止まず細かい雨に変わっただけであった。畑土の黒々として春の雨春雨
マイバッグに郵便物や寒戻る立春後、ようやく暖かくなりかけたころにまた寒さが戻ってくることをいう。「冴返る」の傍題で、同じような意味であるが、「寒」を思い出させるほどの寒さが感じられる。再びの寒気によって身が引き締まる思いがする。マイバッグにレターパックなどの郵便物を入れて、郵便局のポストへ歩いて行った。寒が戻り、雨が霙となり、すぐに春の雪となった。気温は四度だが、体感温度は二度であった。寒戻る口一文字に結びゐて寒戻る
喜ぶを慎みゐたり春の雪春になってから降る雪のことをいう。太平洋岸の関東以西では、春先になってから思わぬ雪が降ることが多い。冬の雪と違って解けやすく、多少積もってもすぐに消えてゆく。冬には降らず、春になって初めて雪らしい雪が降った。春の雪を喜びたかったが、豪雪地帯の苦しみを思うとそうもいかなかった。春雪の畑に鴉や茫として春の雪
飾られて遠く見つむるひひなの目三月三日に女児の息災を祈って行われる雛祭のために飾られる人形をいう。その起源は、形代で身体を撫で、穢れを移したものを川に流す上巳の日の祓の行事と、貴族の子女の雛遊びの風習が結びついたものとされる。江戸中期以降、紙雛にかわって内裏雛が多く作られるようになり、豪華な段飾りへと発展した。段飾りの雛人形があった。飾られたその雛の目は、遠くを見つめていた。あどけなき内裏雛なり目礼す雛
春の川モーツアルトを奏でをり春になって雨や雪解けで水かさを増した川、田畑の間を縫うように流れる小川など、春の川には様々な表情がある。野川や町を流れる川は、どことなくのんびりとしている。春光を浴びて流れる川は、人にも旅心を誘うものがある。春の川の瀬音が聞えてきた。その軽やかな音は、あたかもモーツァルトの曲を奏でているかのようであった。音もなし学校脇の春の川春の川
菠薐草覆ひ外せば緑濃しアカザ科の一・二年草。コーカサス原産。菠薐とはペルシャの意味。根元の赤い在来種は江戸時代に渡来し、丸葉で根の白い西洋種は明治時代に渡来した。現在は両者の雑種、改良種が多い。菠薐草の麻婆春雨葉はビタミンCや鉄分を含み、お浸し、和え物、煮物などに広く使われる。畑の菠薐草に白い覆いがなされていたのが外されていた。緑が濃かった。菠薐草の白和え肴とす菠薐草の白和へを菠薐草
春めくや犬連れ多き川堤寒さがゆるみ、いかにも春らしくなってきたと感じられる頃をいう。「早春」「春浅し」とも時期がある程度重なるが、もう少し後のより春らしさが増した頃のことと考えた方が妥当であろう。気温が上がり、生きとし生けるものが動き出す感じがある。少し暖かくなり、川堤を歩いていると、犬を連れて散歩する人が多く見られrた。藪中に白きの咲きて春めきぬ春めく
聴きとめぬ犬ふぐりてふ女声ゴマノハグサ科の越年草。普通、ヨーロッパ原産の帰化植物であるオオイヌノフグリをさす。早春、道端や野原に這うように広がって群生し、瑠璃色の花をつける。果実の形が犬の睾丸に似ているところからこの名がある。日のよく当たる丘を歩いていると、「犬ふぐりが咲いている」という女性の声がした。そちらの方へ行ってみると、果たして犬ふぐりが群生していた。屈めるも犬のふぐりを踏むまいぞ犬ふぐり
盆梅に午後の日差しの回りきぬ梅を盆栽仕立てに作ったものをいう。鑑賞用に作るため、正面から見て形のよいように工夫されている。江戸時代から始まったもので、大きさや花の色などは様々。盆梅だけの展示会や品評会などもある。盆梅が一列に展示されていた。午前中は欅の陰になっていたが、午後になって日が回り、盆梅に遍く差していた。盆梅の老木に花多かりき盆梅
月影白梅や丘より青き山見えて甲州最小バラ科サクラ属ウメ亜属の落葉小高木。中国原産。日本には、古代、漢方薬(烏梅(うばい))として伝来した。雪月花早春、香り高い白色の五弁花をつける。花は桜よりやや小ぶりで、八重もある。梅といえば白梅をさす。玉牡丹白梅は清楚な気品があり、桜とともに古くから日本人に愛されてきた花である。一重緑萼丘に白梅が咲いていた。そこからは青い山並みが望まれた。新茶青一休の禅機の話梅真白梅
紅千鳥紅梅や人集まりて姦しく鹿児島紅紅梅も種類が多く、色の濃さも様々である。一重があり、八重咲きのものもある。唐梅(とうばい)紅梅は白梅より咲くのが少し遅いとどの歳時記にも書かれているが、実際には白梅と同時期に咲いている。むしろ、鹿児島紅のように早く咲くものもある。唐梅紅梅には白梅のような気品は感じられないが、あでやかさがあるところが魅力である。八重寒紅紅梅が咲いていた。そこに年配の女性たちが寄ってきて賑やかに話していた。佐橋紅紅梅や夕べはほのと人恋し紅梅(2)
枝垂薄紅梅薄紅梅万葉歌碑を傍にして道知辺(みちしるべ)バラ科の落葉小高木。中国原産。紅梅の花の色の薄いものをいう。早春、薄紅色の五弁花をつけ、八重咲きもある。枝垂れもあり、万灯のようで美しい。雛曇薄紅梅は紅梅よりも明るく、気品があるように思われる。枝垂れの薄紅梅が咲いていた。その近くに万葉歌碑があった。呉羽枝垂れ薄紅梅ベンチに本を読むをみな薄紅梅
小流れの飛び石渡り野梅かなバラ科サクラ属の落葉高木。中国原産。早春、葉に先立って五弁花を開き、香気が高く、平安時代以降、特に香を愛で、詩歌に詠まれている。野梅は野生の梅、または野に咲く梅をいう。野生化し、白色一重の花をつける野梅は、最も多く分布しており、庭園にも植えられる。八重野梅小流れに大きな飛び石があり、その石を渡って高台へ上って行くと、野梅が咲いていた。遅き昼とせむか野梅を後にして野梅
冴返る空を幾度も仰ぎゐてようやく春めいてきた頃、また寒さが戻ってくることをいう。「余寒」「春寒」と同じだが、「冴える」という言葉からは、寒気を感じさせる色や光が鮮やかとなり、より感覚的な表現になる。再びの寒気により、心身の引き締まるような感覚がよみがえる。寒い風が吹き、冴返る日となった。歩いていても幾度も空を見上げて、雲の状態を確かめた。用水に沿ふ路は土冴返る冴返る
下萌や風まだ荒き川堤早春、地中から草の芽が萌え出ることをいう。草萌と同じ意味。早春には、冬枯れの地面のそこここから萌え出た草の芽を見ることができる。雪国では、残雪の下から草の新芽が見えると、春の到来を実感する。川堤に下萌が見られた。だが、風はまだ荒かった。草萌ゆる喉飴口に入れもして下萌
一万歩超しゐて春の入日かな春の日はうららかな明るい太陽、その入日をいう。二月は春といっても依然として寒さが厳しく、日本海側や北日本では豪雪となることもある。太平洋側では晴れることが多いが、春の日らしくなるのは三月に入ってからであろう。春の入日には春の一日への愛惜の気持ちがある。散策で二時間近く歩き、一万歩を超した頃、春の入日となった。春入日坂の上より山見えて春の入日
シナマンサクまんさくや夕べにも風収まらずマンサク科の落葉小高木。日本各地の山野に自生し、庭木にもする。早春、他の花に先立って花をつける。花は、線形の縮れた黄色い四つの花弁が特徴。金縷梅の名は、早春、他に先駆けて「まず咲く」が訛って「まんさく」に、また、紐状の黄色い四弁花が稲穂を思わせ、「豊年満作」につながるからともいわれる。樹林公園に金縷梅ガ咲いていた。今日は風が強く吹いていたが、夕べになっても収まらず、金縷梅の花びらを揺らしていた。アカバナマンサクまんさくの前ををみなの走りけり金縷梅(まんさく)
魚は氷に上りて人は歩くのみ七十二候の一つ、立春の第三候。水が温んで、氷の割れ目から魚が氷の上に躍り出る季節をいう。二月十四日頃から十八日頃までの約五日間に当たる。一説に、魚が氷に沿って川を遡る意味ともいう。魚氷に上る季節となり、少し暖かくなった。そうなると、人は歩くだけである。氷に上る魚や川面は木を映し魚氷(ひ)に上(のぼ)る
紅梅や母を呼ぶ子が橋の上紅色の花をつける梅をいう。白梅のもつ高貴な雰囲気はないが、親しみが感じられる。一般に花期は白梅よりもやや遅いといわれているが、早く咲くものもある。川堤の脇に紅梅が咲いていた。橋の上から子供が、紅梅の近くにいた母親を盛んに呼んでいた。紅梅に母の面影ありにけり紅梅
翡翠川縁の細枝にをり春の鳥唐椋鳥春に見かける鳥をいう。目白春には種々の鳥が家の近くや野山に姿を見せる。多くの鳥が繁殖期に入ることから活動が活発になる。雉鳩縄張り宣言や恋歌とも聞える囀りをするので賑やかになる。また、羽を換えて美しく装う鳥も多く、飾り羽の生える雄鳥もいる。翡翠川堤を歩いていると、川縁に生えている木の細枝に翡翠が止まっていた。翡翠は夏の鳥となっているが、今は春の鳥として見入った。尉鶲春禽に足止めて我忘れけり春の鳥
早春やジョギングコース歩く人立春以後、だいたい二月末頃までをいう。春になったとはいえ、まだ冬の名残の寒さが目立つ。「春浅し」に近く、春早々の気配と、また凛とした空気も感じられる季語である。早春の気が漂っていた。そんな中、公園のジョギングコースを歩く人がいた。鷺下りてきぬ早春の用水路早春
気がつけば真夜となりけり朧月朧に霞んだ春の月をいう。ヴェールのような薄雲が広がる夜には、月は雲を通して朧に見え、暈がかかることも多い。宵には春満月が綺麗に見えていたが、後で写真を撮ろうと思ってすっかり忘れてしまった。真夜中に気づいて見上げたら、薄雲があっという間に広がり、朧月になってしまった。ファックスは訃報なりしよ月おぼろ朧月
春の日や農家に隣る霊園も「春の日」には春の太陽をさす場合と、春の一日をいう場合とがある。俳句で「春の日」と詠むと、そのどちらか明確でない場合があるが、春の日差しは明るくうららかであり、春の一日は永くのどかなものとして詠まれているようである。「春日影」は春の日差しをいう。農家の隣に霊園があった。その園霊園にも春の日が遍く差していた。明日も生きむ春の夕日に向ひゐて春の日
歩いても先ある道や春の雲春は気圧の谷や低気圧が次々と通過するため、雲が発生しやすい。春の雲の代表には、淡い白色のベール状の巻層雲、やや濃い灰色の高層雲があるが、いずれも薄く広がる。また、春らしいふんわりとした綿雲が浮かぶことがある。歩いても歩いてもその先に道がある。歩いてきた空、向かう先の空に春の白雲が浮かんでいた。春の雲没日に染まり始めけり春の雲
春北風や鴉十羽の流されて春になっても低気圧の影響により、一時的に西高東低の冬型の気圧配置に戻ることがある。俳句では、この時に吹く北西風を「春北風(はるきた)」と呼ぶ。「ならい」は、東日本の太平洋側、特に関東地方で吹く冬の季節風の呼び名であるが、春先にも吹き、これを「春北風(はるならい)」という。春北風が強く吹いていた。寺の森に棲む鴉たちが、その春北風に流されていた。薄墨の夕べの富士や春ならひ春北風(はるきた)
金縷梅の芽半月のすでに上がれる木の芽かな紫木蓮の芽春になって様々な木々の芽が吹くことをいう。木の芽立ちは樹種や寒暖の違いにより時期も色合いも異なる。紫陽花の芽「きのめ」は木の芽和え、木の芽田楽のように特に山椒をさす場合が多い。辛夷の芽歩いていると木の芽が見られた。その上の空にはすでに半月が昇っていた。栃の芽栃の芽や三角屋根の保育園木の芽(このめ)
春寒し公園にきて所在なく立春後の寒さをいう。「余寒」とほぼ同意の季語であるが、「春寒」は春になった気分が強い。さらに早春の景の空間的な広がりが背後に感じられる。公園にやってきた。だが、春になっても寒く、どことなく所在なさを感じた。春寒や夕景すでに定まりて春寒(はるさむ)
くつきりと何の足跡春の土寒冷地でも春になると土の凍てがゆるみ、雪が解けて黒々とした土が現れる。雪国や北国の「土恋し」がもとになった比較的新しい季語。雪国でなくとも、暖かな日差しを受けた春の土に、春の訪れを感じる。春の土にくっきりとした足跡が続いていた。何の足跡だろうと思った。山見ゆるところに広し春の土春の土
藪椿下校児通る路地裏にツバキ科の常緑高木。日本の暖地、特に太平洋側の海岸近くの丘陵に自生する。数多くの園芸品種のもととなった品種である。早春、枝先に一個ずつ紅色の五弁花をつける。秋、果実が熟すと、この種子から椿油をとる。路地裏の静かな道に藪椿が咲いていた。その道を下校児たちが帰って行った。大島に行きしは一度藪椿藪椿
春浅し甲斐の山並み確と見え立春以後の春とは名ばかりの頃をいう。春になったものの、春色はまだ整わず、降雪もあり、木々の芽吹きにはまだ間がある頃である。「早春」と似通った季語であるが、「春浅し」は季節の推移を肌で感じる意識がより強いように思われる。春になったばかりで空気はまだ冬のように澄んでいた。そのため、甲斐の山並みがくっきりと見られた。浅春や雑木の道の明るくて春浅し
立春や猫の過れる川堤節分の翌日にあたり、二十四節季の一つで陽暦二月四日頃。ただし、今年は二月三日。暦の上ではこの日から春になる。実際には寒気はまだ厳しい。だが、そのなかにもかすかな春の兆しが感じられるようになる。立春の川堤を歩いた。すると、猫がその川堤の道を横切って行った。掛け声は野球練習春立ちぬ立春
節分の雨後の月夜となりにけり四季それぞれの節の変わり目のことで、年に四回あるが、現在は立春の前日のみをいう。陽暦二月三日頃にあたるが、今年は二日。この夜、寺社では邪鬼を追い払い春を迎える追儺が行われる。民間でも豆を撒いたり、門に柊の枝や鰯の頭を挿したりして邪気を祓う風習がある。節分の今日は雨が降ったが、午後には雨も上がり、月夜となった。味噌ヒレカツ恵方巻豆撒の声は聞えず恵方巻節分
川堤歩きに歩き冬終る初冬・仲冬・晩冬が終わることをいう。長かった寒い冬が去っていくという安堵感がある。「春近し」と同じような季語であが、「冬」という一字があるため、冬が終わる方に重点がある。川堤を二時間に渡って歩いた。冬がもう終わるんだという喜びがあった。冬去るや橋の上より鷺眺め冬終る
春近し林の中に日の届き春がすぐそこまで来ていることをいう。寒い冬も終わりに近くなり、寒さの緩む日もあり、日の光にも春の気配が漂う。同種の季語に「春待つ」があるが、こちらは主観的で、春を待ちわびる気持ちが強い。林の中に日差しが届いていた。春が近いことが感じられた。犬二匹連るるをみなや春隣春近し
寒梅や女子大生の出入り門寒中に咲く梅をいう。花の少ない時期だけに、寒梅を見ると春が近いことが感じられる。塀の上に寒梅が咲いていた。そこは女子大生が出入りする門の近くであった。寒梅や歩くといふは生くること寒梅
桑枯れて畑の夕日を集めけり冬の枯れ果てた桑をいう。養蚕地の桑畑は、冬になると北風により葉をことごとく落として裸木になる。桑の枯れつくした姿は寒々としている。畑の真ん中に桑の木が枯れていた。枯桑は畑への夕日を集めているようであった。枯桑や養蚕すでになけれども枯桑
若きらの話し声する寒暮かな寒の内の夕方をいう。日が落ちるとともに急に冷え込み、家々の灯がともり、星が瞬き始める。冬の暮と同義だが、言葉の響きがより硬く感じられる。寒暮の道を歩いていると若い人たちとすれ違った。彼らの話し声が聞えた。少年ら寒暮の川に遊びをり寒暮
散策の一歩一歩や冬木立冬に群がって生えている木をいう。立ち並んで葉の落ちた寒々とした冬木の群れである。道沿いに立ち並んだり、ひとかたまりをなした、枝の間に空が透けて見えるような木々の群れをいう。散策は一歩一歩の積み重ね。歩いていると冬木立があった。冬木立は一本一本が凛として生きていた。夕富士の透けて見えけり冬木立冬木立
寒紅梅艶めく午後となりにけり寒梅は寒中に咲く梅をいい、寒紅梅は紅色の梅で、多く八重である。花の少ない時期だけに珍重され、庭木のほか盆栽にも仕立てられる。公園に寒紅梅が咲いていた。それを観てから艶っぽい午後となった。夫婦来て寒紅梅を愛でにけり寒紅梅
寒木に夕日あたれば仄仄と寒々とした寒中の木のことをいう。落葉樹、常緑樹どちらのこともいうが、いかにも寒木らしいのは、葉をすっかり落とした落葉樹であろう。冬木というより寒木といった方が、より寒さが身に染みる。大きな欅である寒木に夕日があたっていた。それを見て心が温かくなるような気がした。冬木影芝の起伏に曲がりけり寒木
臘梅の青空に黄を濃くしたりロウバイ科の落葉低木。中国原産。一~二月、葉に先立って芳香のある黄色い花を下向きまたは横向きにつける。蝋細工のように半透明で光沢があるので蝋梅というが、臘月(陰暦十二月)に咲くことから臘梅とも書く。川沿いの道端に臘梅が咲いていた。青空を背景に花の黄色をより濃くしていた。臘梅を日の離れたる匂ひかな臘梅
日脚伸ぶ黒山羊柵に貌寄せて冬至を過ぎると日一日と日照時間が伸びて、昼が長くなる。一日に畳の目一つずつ日脚が伸びる、というたとえもある。それを実感するのは、一月も半ばを過ぎてからであり、春が確実に近づいているという喜びがある。保育園の黒山羊が柵に貌を近づけてきた。その様子に、日脚が伸びたことが実感された。子供らの遊ぶ遊具や日脚伸ぶ日脚伸ぶ
用水に沿うて冬枯道行きぬ冬が深まり草木が枯れ果て、野山が枯一色となった荒涼とした景をいう。この季語は古俳諧でも多く読まれている。近代以降は単に「枯る」の形でも詠まれ、自然の風景だけでなく、心理的な表現にも使われるようになった。用水に沿う道は冬枯道となっていた。その道を歩いて行った。バス停の後ろの草地枯れにけり冬枯
燃ゆるてふこと寒夕焼にもありぬ寒中の夕焼をいう。冬は日没も早く寒くもあるので、外で夕焼を楽しむことはあまりない。寒の夕焼にも鮮やかな美しさがあり、西空を燃え立たせて短時間で薄れてしまう。夕焼は夏の季語であるが、寒の夕焼にも燃えるということがあった。散策の果てに仰ぎぬ寒夕焼寒夕焼
大寒の夕日の道を歩きけり二十四節季の一つ。太陽の黄経が300度のとき。陽暦一月二十日頃にあたる。一年で最も寒い時期である。ただし、今年は日中の気温が13度で、それほど寒くはならなかった。大寒の今日散策したが、散策路は赤い夕日の当たる道となっていた。大寒や夕暮多きシルエット大寒
川沿ひの道暮れてきぬ寒雀寒中は食物が少なくなるので、雀は一層人家の近くに棲む。寒気を防ぐために全身の羽毛を膨らませている姿をふくら雀という。寒雀は食用としても薬効があるとされるが、多くはその姿を詠むことが多い。川沿いの道を歩いていると寒雀の群に出会った。その時はすでに暮れてきていた。夕空へ群れ翔ちにけり寒雀寒雀
寒雲の光りて富士を隠しけり凍てついた冬空の雲をいう。寒雲にはどんよりと垂れこめた雲が多い。ただ、晴れると積雲や層積雲などの美しい雲が見られることもある。寒雲が夕日に光っていた。その輝く雲は富士山を隠してしまった。寒雲や明日のために夢をもち寒雲
水仙や明日見る如く前向きてヒガンバナ科の多年草。地中海沿岸原産。関東以西の海岸近くに自生するが、観賞用として庭に植えられ、切り花としても用いられる。葉の間から花茎が伸び、その先に数個の白花を横向きにつける。花の中心に黄色い副花冠がある。福井県の越前岬や静岡県伊豆の爪木崎は群生地として有名である。水仙が咲いていた。その花は明日を見つめるかのように、しっかりと前を向いていた。人影のなき水仙に夕日かな水仙
侘助や歩幅崩さず歩ききて唐椿の一品種。秀吉が朝鮮出兵をした文禄・慶長の役の際、日本にもたらされたとされる。花は小振りの一重咲きで、椿よりも気品がある。古くから茶花として好まれている。花色は、白、桃、紅など。花言葉は「控え目」「簡素」。一定の歩幅を保ちながら歩いてきた。すると垣根に侘助が咲いていた。侘助の茶房に休みゐたりけり侘助
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山吹や昔水車のありしとふバラ科ヤマブキ属の落葉低木。渓流沿いなどのやや湿った山地に生えるが、観賞用としても広く植えられる。四月頃、黄色い五弁花をつける。八重山吹は重弁の園芸品種。白花山吹は変種だが、白山吹はシロヤマブキ属のもので、白い花弁は四片しかなく、黒い実を結ぶ。川沿いに山吹が咲いていた。昔、この川には水車が設けられていたという。自転車の下校学生濃山吹山吹
平林寺堀に沿ふ径二輪草キンポウゲ科アネモネ属の多年草。山地や林などの湿った土地に自生する。四~五月頃、普通二本の長花柄を出し、白い花をつける。地面を埋め尽くすように群生するところが、一輪草と異なる。実際は三輪つけることも、一輪しかつけないこともある。野火止用水から分水した平林寺堀に沿って小径が通っている。その脇に二輪草が群生し、花をつけていた。二輪草歩き疲れの心地よき二輪草
蒲公英を踏むまじと野に遊びけりキク科タンポポ属の多年草。早春から初夏にかけて小さな花の集まった頭花をつける。東日本に黄、西日本に白花が多いとされてきたが、帰化種が殖えるにつれて黄花の方が普通とされるようになった。実は白い冠毛を持ち風に乗って飛ぶ。これが蒲公英の絮である。野原に蒲公英があちあらこちらに咲いていた。そこで、蒲公英を踏まないようにして遊んだ。蒲公英の絮の乗る風とはなりぬ蒲公英・蒲公英の絮
満天星躑躅風切つて人走りけりツツジ科の落葉低木。日本原産。庭木や垣に植えられる。「どうだん」は三叉状の枝が松明を燃やす結び灯台の脚に似ているので、また「満天星」の字は白い小花を満点の星にたとえ名付けられた。四~五月頃、若葉を上向きに開き、その下に鈴蘭に似た白色壺状の小花を放射状に吊り下げる。満天星躑躅が満開となっていた。その前を、ジギングをする人が風を切って走って行った。満天星の花に夕日の家路かな満天星の花
桜蘂降るや犬らの遊び場に桜の花びらの散った後、萼についている細かい蘂や茎が降ることをいう。地面を赤紫に染める桜蘂は、落花とはまた違った晩春の情趣がある。風や雨に降りしきる蘂の褪せた色には、花の時が過ぎ去ってしまった一抹の寂しさがある。広場に何匹もの犬がじゃれたり走ったりして遊んでいた。その広場に桜蘂がたくさん降っていた。大股や桜蘂降る川堤桜蘂降る
チューリップ犬座らせて撮る男ユリ科チューリップ属の球根植物。小アジア原産。オランダで品種改良が進んだ。日本には江戸時代後期に渡来した。四~五月頃、花茎の頂に黄・赤・白・ピンクやしぼりなどの鐘形の六弁花をつける。八重咲き、フリル状、枝咲きなどがある。日本では富山、新潟の砂丘地帯などで輸出用の球根が育成されている。花壇、鉢植、切り花などにして鑑賞する。チューリップがたくさん咲いていた。その前に犬を座らせて、男の人が写真を撮っていた。犬も人間のようにポーズを取って、可愛かった。教会の昼の鐘なりチューリップチューリップ
花青木用水沿ひの森にきてミズキ科の常緑低木。雌雄異株。山地に自生するが、庭木ともされ、園芸品種も多い。四月頃、枝先に紫褐色の小さな四弁花をつける。冬に、棗形の美しい赤い実が生る。用水沿いを歩いて来ると、森の入口の所に青木が花を沢山つけていた。憧れは世捨て人なり花青木青木の花
歩くとは何か得ること花榠樝バラ科の落葉高木。中国原産。庭木、盆栽、果実目的で植栽される。四~五月に、新葉とともに径三センチほどの紅色または淡紅色の五弁花をつける。榠樝の実は毎年見てきたが、花は注意して見たことがなかった。今回歩いて初めて榠樝の花を見た。花数が少なく目立たないが、楚々とした可愛らしい花であった。歩いていると、何か得ることがあると思った。花くわりん晴るれば心愉しかり榠樝の花
話しかけ林檎の花と知られけりバラ科の落葉中・高木。アジア西部からヨーロッパ南西部原産。四~五月に、ほのかに紅を帯びた径五センチの白色五弁花を傘状につける。日本の林檎の産地は北海道、青森県、長野県など冷涼な地である。毎年この木の前を通っているが、何の木かわからなかった。まだ若木なので、昨年実をつけても小さくて、何の実だろうと思っていた。今年は特にたくさんの花が咲き、写真を撮っていると、中年の女性もきて写真を撮っていた。話しかけると、「何の花でしょうか」という話になり、「梨でしょうか」というと、「林檎の花ではないでしょうか」という。別れてからGoogleで調べると、確かに林檎の花であった。この辺では林檎の木は珍しいので、花が見られてよかった。花林檎午後より気温上がりけり林檎の花
境内に貸自転車や八重桜バラ科の落葉高木。サトザクラの八重咲き品種の通称で、ボタンザクラともいう。四月中旬から下旬に大型の花をつける。ぼってりとした花房は、普通淡紅色で濃淡があり、白色もある。八重咲の花びらは雄蕊の変化したもので、普通は結実しないが、奈良の八重桜は実のなることで知られている。寺の境内に、今はやりのレンタサイクルが数台置かれていた。その上に八重桜が満開となっていた。八重桜下校児童の話しごゑ八重桜
菜の花の黄に溺るるもよかりけりアブラナ科の越年草のアブラナの花。春、高く薹を立て、黄色の四弁花を傘状に密集させてつける。菜の花が一面に咲き続いている景色は明るく、いかにも春らしい光景といえる。菜の花がびっしりと咲いていた。その黄色の花に溺れるのもよいと思った。常ならぬ道菜の花の川堤菜の花
御衣黄を仰ぐ仕合せ得たりけりバラ科サクラ属の落葉高木。オオシマザクラを基に生まれた日本原産の栽培品種のサトザクラ軍のサクラ。名前の由来は、貴族の衣服の萌黄色に近いためという。染井吉野の桜が散る頃に咲き出す。八重咲で、色は白色から淡緑色。緑色に見えるのは、緑色のクロロフィルを多量に含むためと考えられている。次第に中心部から赤みが増してきて、散る頃にはかなり赤くなる。歳時記には載っていないが、桜の一種なので試しに詠ってみた。ようやく御衣黄が咲いているのを見つけた。今年もこの桜を仰ぐことができるという好運に恵まれた。御衣黄や京の仁和寺想はれて御衣黄
池あれば池に映れる柳かなヤナギ科の落葉高木または低木。雌雄異株。庭木または街路樹として植栽される。北半球北部を中心に約400種、日本には約90種。シダレヤナギ、コリヤナギ、カワヤナギなどが代表的。柳は春一番に芽吹くため、古くから長寿や繁栄の呪力をもつ神聖な木とされてきた。池のほとりに柳が青々と垂れていた。池があれば、その池に柳が映っていた。大空の風を誘ひし柳かな柳
夕日受け燃ゆる紅木瓜の花バラ科の落葉低木。中国原産。鑑賞用に庭に植えられる。春、葉に先立って紅、淡紅、白色または絞りなどの五弁花をつける。紅白の混じったものを更紗木瓜という。八重咲もある。山野に咲く日本古来の草木瓜は、しどみの花として別の季語。緋木瓜が咲いていた。夕日を受けて更に燃え上がったような紅色となった。人の世に色あるならば更紗木瓜木瓜の花
犬を見る目の優しかり桃の花バラ科サクラ属のモモ亜属に属する落葉小高木。中国原産。日本には弥生時代に渡来した。四月頃、淡紅または白色の五弁花をつける。果樹として栽培されることが多いが、観賞用の花桃には八重、白、緋、紅白咲き分けの源平もある。桃源郷の説話も中国から伝わり、桃の花はのどかな理想郷の象徴になった。桃の花が咲いていた。その前を散歩をしている犬に近づいた女性が犬を撫で始めた。その目が優しかった。境内の源平桃を拝しけり桃の花
提灯の灯り夜桜とはなりぬ夜の桜の花、あるいは夜に桜の花を見物することをいう。桜の回りに灯篭や雪洞をともしたり、篝火を焚いたりする。近来では、ライトアップすることが多い。光に照らし出されて夜空に浮かび上がる桜は、昼間とは違った妖艶な美しさを見せる。東京都板橋区の中板橋から加賀までの石神井川沿いの夜桜を楽しんだ。暗くなると、最初のところはライトアップではなく提灯が点灯した。それより夜桜となった。夜桜や橋あるごとに橋の上夜桜
川中の鷺にも春の光あり春光は本来、春の景色や春の有り様をいう言葉だが、麗かな春の眺めが、明るい日差しの降りそそぐなかにあるところから、狭義の春の日光の意に用いられることが多くなった。春の訪れを待つ心に、明るい空の光こそ最も春を感じさせるからであろう。春色、春の色、春の匂、春望などという言葉もある。埼玉県本庄市の若泉公園を訪れた。満開の桜を観るためである。そこには、「春光」と呼ぶにふさわしい春の景色が広がっていた。桜並木の川には白鷺がいて、白鷺にも春の光が降りそそいでいた。春光や子を抱く人が川岸に春光
散策の足伸ばしけり夕桜夕方に眺める桜の花をいう。桜はバラ科サクラ属の落葉高木または低木の一部の総称。春、白色・淡紅色から濃紅色の花をつける。八重咲きの品種もある。日本の国花とされ、俳句で「花」といえば桜を指す。夕日の当たった桜は、花の色が少し濃くなり、桜特有の艶なる趣が感じられる。川沿いの満開の桜を辿って歩いていると、その先まで見たくなり、足を伸ばした。夕桜がえも言われぬ美しさであった。息をのむほど対岸の夕ざくら夕桜
手招きのごと呼ばれたる糸桜姥彼岸から作られた園芸品種。細枝を長く垂らした様子から糸桜ともいう。三月下旬から四月頃、葉に先立って細く垂れた枝に淡紅色の花をつける。白色や八重咲きもある。神社などの境内や庭園に植えられることが多く、京都平安神宮神苑の紅枝垂桜や三春の滝桜などが有名。大きな糸桜が満開になっていた。風で枝が揺れ、手招きされているように感じ、呼ばれるままに近づいて行った。人寄せて池畔のしだれ桜かな枝垂桜
声高に話す人なき花見かな桜の花を鑑賞し、楽しむことをいう。桜の花を愛でる習慣は平安時代に起こったものであるが、当時はもっぱら貴族の行楽とされた。秀吉の醍醐の花見は有名だが、庶民の行楽となったのは江戸も元禄以降のことである。昭和記念公園の桜が満開となり、その下に花見客がシートやテントで陣取って花を楽しんでいた。多くの人がいるにもかかわらず、皆静かに行儀よく、声高に話す人などいなかった。千年も続く花見をしてゐたり花見
水戸藩邸跡の近しや花水木ミズキ科の落葉小高木。北アメリカ原産。花が同属のヤマボウシに似るので、アメリカ山法師ともいう。四月頃、葉の出る前に沢山の花をつける。白と紅があり、四枚の花びらの先に切り込みがある。街路樹や庭木として植えられる。京都市上京区に水戸藩邸跡がある。その近くに花水木が咲いていた。川沿ひを歩けば楽し花水木花水木
蹲踞に寄り添うてをり錨草メギ科の多年草。丘陵や山麓などの雑木林に自生する。四月頃、茎の先に淡紫色の四弁花を下向きにつける。四枚の花弁には距という管状の突出部があり、その形が船の錨に似ているところからこの名がある。変種が多くあり、淡黄色の黄花碇草、日本海側には白色の常盤碇草などがある。源光庵では、蹲踞に寄り添うように白い錨草が咲いていた。開梆(かいぱん)も雲版(うんぱん)もあり錨草錨草
五芒星提灯下の躑躅かなツツジ科ツツジ属の常緑または落葉低木の総称。晴明神社山野に自生し、また観賞用のため庭園に植えられる。野生は二十種以上、園芸品種は数百種にのぼる。晩春から初夏にかけて、紅、緋、紫、白、絞りなど漏斗状の合弁花で先が五~八裂した花をつける。京都市上京区の晴明神社を訪れた。魔除けのしるしで社紋である五芒星の書かれた提灯が、門に掛かけられていた。その下に躑躅が咲いていた。忘れめや初心の色の白つつじ躑躅
撫で牛の夕日に照るや松の芯松はマツ科マツ属の常緑針葉高木。「若緑」「初緑」は晩春に松の枝から出る松の新芽のことをいう。細い新芽は蠟燭のような形をしている。生長が早く、生命力旺盛な感じがする。北野天満宮の撫で牛に夕日が当たり、照っていた。脇の松に芯が立っていた。一日中京の青空松の芯若緑
花楓御土居の上の道広し北野天満宮楼門楓はムクロジ科の落葉高木の総称で、種類は多い。北野天満宮本殿四月頃、新葉とともに花をつける。雄花と両性花があり、小さくて紅色。鶯橋・御土居(左側の斜面)蕚も花弁も五片で、八本の雄蕊がある。御土居は、豊臣秀吉が1591年(天正19)京都の周囲に築いた惣構(そうがまえ)。台形の土塁と堀からなり、総延長22.5kmにも及ぶ。北野天満宮の西側に御土居があり、沢山の楓が植わっている。楓が花をつけていた御土居の上の道は、かなり広かった。花楓下の方より瀬音して楓の花
晩春や悟りの窓は円き窓源光庵(京都市北区)春を三分した初春、仲春、晩春の三番目のこと。源光庵本堂二十四節気の清明(四月五日頃)から立夏(五月五日頃)の前日まで、陽暦の四月に相当する。四月も半ばを過ぎると、春もそろそろ終りという気分が強くなる。源光庵本堂内の血天井「春深し」は桜の季節を過ぎると、風物の様子にどことなく春も盛りを過ぎたと感じられる頃のことをいう。写真は、伏見桃山城の遺構であり、慶長五年七月(1600年)徳川家康の忠臣・鳥居彦右衛門元忠一党千八百余人が、石田三成の軍勢と交戦したが、武運拙く討死し、残る三百八十余人が自刃して相果てたときの恨跡。(源光庵のリーフレットより)源光庵の円形の窓は「悟りの窓」といい、角形の窓は「迷いの窓」という。それぞれ円型は大宇宙を表現し、角型は人間の生老病死の四苦八苦...晩春・春深し
蘖や用水の道鳥鳴きて春になって樹木の切株や根元から続々と萌え出てくる新芽をいう。多くは断ち切られるが、里山の櫟や小楢などの場合は、建材や薪炭用に育てられる。「ひこばゆ」と動詞として用いることもある。用水沿いの道端の切株から蘖が出ていた。樹木の上では鳥が鳴いていた。人を見ぬ米軍基地や蘖ゆる蘖(ひこばえ)
歩くときイヤホン耳朶に八重桜八重咲きの桜の総称。山桜から変化したもの。花期は四月中旬から五月上旬と、桜のなかで最も遅い。ぼってりとした花房は、普通淡紅色で濃淡があり、白色もある。散歩で歩くときはいつも耳にイヤホンをつけ、音楽を聴いている。八重桜を仰ぐときもそうであった。用水の上(へ)を風に揺れ八重桜八重桜
散策の彩一つ花蘇枋マメ科の落葉小高木。中国原産。日本には江戸時代に伝わった。庭木として栽植されている。四月頃、葉に先立って枝のあちこちに赤紫の小さな蝶形花をびっしりとつける。花の色が染料の蘇枋の色に似ているところからこの名がある。散策をしていると、ある家の塀の上に彩のある花を見つけた。花蘇枋であった。忘るるもしあはせのうち紫荊紫荊(はなずおう)
園児らのゐて蒲公英の百二百キク科タンポポ属の多年草。道端、空地、土手などで普通に見られる。日本にはエゾタンポポ、カントウタンポポ、カンサイタンポポ、シロバナタンポポなどの在来種が分布するが、いずれも帰化したセイヨウタンポポに圧倒されている。三~五月頃、黄色または白色の頭花を花茎に一つつける。花のあとに形成される実は白い冠毛を持ち、風に乗って飛ぶ。これを蒲公英の絮と呼ぶ。草地で保育園の園児たちが遊んでいた。そこには蒲公英が百も二百も咲いていた。たんぽぽの絮吹くところ見られけり蒲公英・蒲公英の絮
半月を落さむばかり春疾風春の強風、突風をいう。前線を伴った低気圧が日本海を通過するときに吹く南寄りの暖かい風で、荒れ模様の天気となることが多い。涅槃西風、彼岸西風などの季語に比べ、より身近で実感のある季語である。昼下がりの空に上弦の月が出ていた。その半月を落さんばかりに、一日中、春疾風が吹き渡っていた。武蔵野の雑木林や春嵐春疾風
川の上に揺れて御衣黄桜かなバラ科サクラ属の落葉高木。オオシマザクラを基に生まれた日本原産のサトザクラ群のサクラ。名前の由来は、貴族の衣服の萌黄色に近いため。別名は「ミソギ(御祓)」。四月頃、緑色の八重咲きの花をつけ、最盛期を過ぎると淡緑色から白色となり、次第に中心部が赤くなる。川岸に御衣黄桜が咲いていた。風が吹くと、川の上で毬状の花が揺れていた。遠回り御衣黄桜見るために御衣黄桜
草苺の花や坂なる切通しバラ科の木本状多年草。山野の疎林中に自生する。四月頃、新しい枝の頂に野茨に似た白色五弁花をつける。切通しが急な坂になっていた。その法面に草苺の花が咲いていた。一万歩花草苺まで来(きた)る草苺の花
山吹やアスレチックに子も親もバラ科の落葉低木。日本原産で渓流沿いなどのやや湿った山地に自生する。観賞用としても広く植えられている。四月頃、黄色の五弁花をつける。一重の山吹は実をつけるが、八重山吹は実をつけない。山吹がこんもりと咲いていた。近くのアスレチックでは子は勿論、親も一緒になって遊んでいた。山吹や小銭入れのみポケットに山吹
踏み入りし林の道や諸葛菜アブラナ科の一年草。中国原産。日本には江戸時代に渡来した。耐寒性が強く、野生化して庭の隅や空地に自生する。三~五月頃、茎の先に大根の花に似た薄紫の四弁花をつける。三国時代に飢饉の際、諸葛孔明が栽培を奨励したことからこの名がついたという。「花大根」と呼ばれることもあるが、花大根は別種で「大根の花」をさす。林の中の道に踏み入った。その道端には諸葛菜が群れて咲いていた。雨後の濁る用水諸葛菜諸葛菜
夜桜を眺むる人を見て足りぬ夜に観賞する桜の花をいう。桜の名所では、開花中夜にライトアップをして、昼とは異なる桜の表情を見せてくれる。人々がライトアップされた桜を愛でるのは、昔からの日本的情緒である。六本木のミッドタウンに夜桜を見に行った。まだ満開で、ライトアップされた夜桜を人々が座って眺め、歩きながら眺めていた。この平穏なひとときを、そんな人たちを見ることで満足した。夜桜や高層ビルも景として夜桜
朝桜園児預けし自転車来朝に眺める清らかな桜をいう。特に晴れて青空のもとの桜は神々しくさえある。人々は朝桜の初々しい美しさと清新さに心打たれるのである。保育園に子供を預けてきた自転車が、朝桜の下の道を急ぐようにしてやってきた。朝桜境内すでに掃かれゐて朝桜
安寧の世なればこその花見かな桜の花を観賞し、楽しむことをいう。桜花を愛でる習慣は、平安時代に起こったが、後に武家の間にも広まった。豊臣秀吉の「醍醐の花見」は有名。江戸時代も元禄以降になると、庶民の間にも広まった。華やかで自由な気分から、四季の行楽として最も親しまれた。花見に行った。人々が自由に花見ができるのも、世の中が平穏無事だからこそと思った。その下を歩く楽しさ花見人花見
打ちつ放しゴルフの音や山桜バラ科の落葉高木。宮城県以西の山野に自生し、栽植もされる。四月上旬から中旬に、紅褐色の艶やかな新葉とともに、一重の淡紅色または白色の五弁花をつける。奈良の吉野山の山桜が最も有名である。高台にゴルフ練習場があり、近くに山桜が咲いていた。打ちっ放しのゴルフの音がそこまで聞えていた。散策のひとりとなりて山桜山桜
帯なせり川面に映る夕桜バラ科の落葉高木。桜は日本の国花。現在全国に広まっている染井吉野は、明治初期に東京の染井村(豊島区)で作られた品種。夕方に眺める桜を「夕桜」といい、夕日に染まった桜には得も言われぬ趣がある。静かな流れの川面に夕桜が映っていた。それは連なって帯を成していた。川に出て句座の帰りの夕桜夕桜