天を向く薔薇神神しとぞ思ふバラ科バラ属の総称。野生種は世界に約二百種、日本に約十種がある。薔薇といえば豊穣で香り高い花を咲かせる西洋薔薇をさす。一年中栽培されるが、花時の最盛期は初夏の五月。秋咲きのものもある。天に向かって薔薇が高々と咲いていた。その様を神神しいと思った。取り取りの薔薇囲む家羨しとも薔薇
風船葛夕日眩しき川堤ムクロジ科の蔓性多年草。熱帯に広く分布。日本では一年草として栽培。七月頃、白色の小花をつける。秋、次々と中空の風船のような若草色の蒴果をつける。風が吹くとかろやかに揺れる。¥川堤に風船葛が垂れ下がっていた。当たる夕日が眩しかった。寺の鐘撞かれ風船葛かな風船葛
晴れ渡る朝日に濃しや紅芙蓉アオイ科の落葉低木。暖地に生え、観賞用に栽培される。初秋の頃、上部の葉腋に径約13センチの五弁花をつける。紅芙蓉は芙蓉の中でも紅色の花を開く芙蓉をいう。よその家の塀の上に紅芙蓉が咲いていた。晴れ渡った空から朝日が差して、紅芙蓉が一層色濃く見えた。晨(あした)より人に会ふ用紅芙蓉紅芙蓉
畑の上を惜しむかに舞ふ帰燕かな春に渡ってきた燕が、秋に南方へ帰ってゆくことをいう。秋に、電線や蘆原などに燕の一群が集まっているのを見かける。これは、南方へ帰る準備なのである。「燕帰る」等はその燕を見送る気持ちを感じさせる季語である。燕の群れがいつの間にかいなくなると、淋しく感じられる。数羽の燕が畑の上を惜しむかのように舞っていた。正に帰燕であった。電線に胸の白さの秋燕燕帰る
幼稚園の上に見つけぬ秋の虹秋に立つ虹のことをいう。虹は四季に見られるが、ことに夕立の後に見られるものが色鮮やかなため、夏の季語とされている。それに比べると、秋の虹は色が淡く、はかなげである。散歩をしていて幼稚園の前に来たとき、その上に秋の虹が出ているのを見つけた。その美しさにわくわくした。秋の虹畑に立てばまだ見えて秋の虹
夕暮の川を離れぬ蜻蛉かなトンボ目の昆虫の総称。大きな複眼の頭部と左右二組計四枚の網模様の翅のつく細長い胴、腹部を持つ昆虫。夏から秋遅くまで様々な種類が見られる。成虫、幼虫ともに肉食で他の昆虫を捕食する。日本の古称「あきつしま」は蜻蛉の古名「あきつ」に因む。夕方の川には蜻蛉が沢山群れをなして飛んでいた。そして、川から離れる様子はなかった。我が回りまはる蜻蛉や畑道蜻蛉
鶏頭の畑に夕日を浴びてをりヒユ科の一年草。熱帯アジア原産。日本には古く中国を経て渡来した。観賞用に庭に植えられることが多い。夏から秋にかけてビロードのような花をつけ、花の色は真紅、赤、橙、黄、白など。鶏の鶏冠を思わせることからこの名がついた。園芸品種が多く、茎の上部に鶏冠状、球状、羽毛状などの帯化した花序をつける。仏花や生け花用としても用いられる。花汁をうつし染めに使ったことから古名を「韓藍」という。畑に色鮮やかな鶏頭が咲いていた。鶏頭は夕日を浴びて色濃く見えた。鶏頭に茫然自失とは如何に鶏頭
肩に触れ用水沿ひの藪枯らしブドウ科の蔓性多年草。他の草木に絡みつき繁茂する。藪でも枯らすというところからこの名がついた。夏、黄赤色を帯びた小花を群がりつけ、秋に小さな漿果を結ぶ。全草特異な異臭をもち、根絶やしの困難な厄介な害草とされる。別名「貧乏かづら」。植物名は「ヤブガラシ」。用水沿いの狭い道に、木に絡みついた藪枯らしがあった。通るとき肩に触れるほど繁茂していた。強さ欲し貧乏かづら引き寄せて藪枯らし
道端の真葛に力貰ひけりマメ科の蔓性多年草。山野に自生する。地を覆い、木や電柱に絡みつくなど繁殖力が旺盛である。葉の裏が白く風に吹かれるとそれが目立つことから「裏見葛の葉」と称し、和歌では「恨み」に掛けて詠まれた。道端に真葛がはびこっていた。その葛に力を貰った。川風に葛の葉裏のまぶしかり葛
初秋の雲を見上げて歩きけり秋の初めで、立秋を過ぎた八月にあたる。丁度残暑の頃で、日中はまだまだ暑い。だが、日差しや朝夕に吹く風、空の色などに秋の気配を感じるようになる。初秋の白雲が浮かんでいた。その雲を見上げながら川堤を歩いた。雲の影抜けし遊具や秋はじめ初秋
いきなりの秋の村雨川堤「村雨」はひとしきり強く降ってやむ雨をいう。強くなったり弱くなったりを繰り返して降る雨で、「にわか雨」「驟雨」ともいう。驟雨は夏の季語。驟雨は秋にもあり、これを「秋の村雨」という。川堤を散策していると、いきなり雨が降ってきて、どんどん激しくなってきた。緩急があり、秋の村雨であった。寂蓮の秋の村雨とはなりぬ秋の村雨
屋敷森鉄道草の奥にありキク科の越年草。北アメリカ原産の帰化植物。正式名はヒメムカシヨモギ。明治初年に渡来し、道路や鉄道に沿って広がった。「御維新草」「明治草」「鉄道草」とも呼ばれる。八~十月頃、茎頂の大形の円錐花序に白色の小さい頭状花を密につける。道端に鉄道草が群生していた。その奥に屋敷森があるのが見られた。ひめむかしよもぎ青空どこまでも鉄道草
猫じやらし輝く夕日得たりけりイネ科の一年草。野原や道端など至る所に見られる。夏から秋にかけてつける花穂は緑色で毛に覆われ、小犬の尾を思わせるためこの名がある。その穂で子猫をじゃらつかせることから「猫じゃらし」ともいう。猫じゃらしが群生していた。夕日を得て、逆光に輝いていた。生き生きと狗尾草や道端に狗尾草
珊瑚樹の実や裏道の華やぎてスイカズラ科の常緑小高木。関東南部以西沿岸の山地に自生する。生け垣、防風林、防火樹などとして栽培される。夏、枝端に白色の小花を円錐状に多数つけ、秋、楕円形の小さな実が鮮やかに赤く熟す。珊瑚樹の赤い実がたわわに生っていた。裏道で通る人もほとんどいないが、そこだけ華やいで見えた。珊瑚樹や乙女といふ語懐かしき珊瑚樹
芋の葉の風に葉裏を見せてをり芋といえば俳句では里芋をさす。里芋はサトイモ科の多年生作物。東南アジア原産。根茎に生じた芽は地上に出て長い柄を持った、先のとがった心臓形の葉を形成する。栽培種は通常花をつけない。十月上旬頃、地中より球茎を掘り上げて食用とする。芋の葉に風が吹いてきた。すると芋は難なく葉裏を見せていた。子守唄聞え夕べの芋畑芋の葉
畑隅に燃ゆるカンナや誰もゐずカンナ科の多年草。中南米原産。日本には江戸時代に渡来した。明治時代に欧州で品種改良されたものが、観賞用としてもたらされた。六~十一月、円柱状の太い茎の先端に鮮やかな筒形の花をつける。花色は紅、橙、黄、白など多彩。畑隅の道端に燃えるように鮮やかなカンナが咲いていた。辺りにはカンナを見る者は誰もいなかった。菜園の夕べとなりぬ花カンナカンナ
みんみん蟬秋蟬の声の強きが哀れなり油蟬立秋を過ぎても鳴く蟬のことで、特定の種類をさすものではない。油蟬法師蟬や蜩は秋になって鳴くので秋の蟬とされているが、夏から引き続き鳴く油蟬やみんみん蟬などもまだ多い。にいにい蝉秋の蟬は季節を感じ取るのか、澄んだ響きのある声で鳴く。みんみん蟬秋の蟬は鳴き方が淋し気になると言われているが、まだ秋になったばかりなので、最後の力を振り絞るかのように大きな声で鳴いていた。それがかえって哀れであった。法師蟬文人の兼好が好き法師蟬秋の蟬
桔梗や生くることとは歩くこと秋の七草の一つ。キキョウ科の多年草。山野の日当たりのよい草地に自生する。観賞用に庭などに植えられる。六月下旬~九月頃、茎頂に青紫色、淡紫色または白色の五裂の鐘形花を数個つける。古くは、桔梗を「きちこう」と呼び、「ききょう」はその転訛といわれる。菜園に桔梗が咲いていた。桔梗を見ながら、自分にとって歩いているときこそ、生きているということが実感された。抹茶には練菓子壺に桔梗かな桔梗
唐黍を渡る風あり散歩道イネ科の大型一年生作物。中南米原産で、日本には十六世紀に渡来した。明治初年から本格的に栽培されるようになった。穂は雌雄別々で、雄花穂(ゆうかすい)は茎頂に、雌花穂(しかすい)は葉腋につく。雌花穂が受精し、太い軸を中心に30センチほどのトーチ状にびっしりと実をつける。「玉蜀黍」といえば、その実をさす。黄色の粒々の実は澱粉に富み、焼いたり茹でたりする。秋の代表的な味覚の一つである。ただし、最近は六月下旬頃から熟し、夏でも食べられるようになった。玉蜀黍を少しざわつかせて風が渡ってきていた。そんな散歩道であった。娘売る玉蜀黍の甘かりき玉蜀黍
匂へるは臭木の花と気づきけりクマカズラ科の落葉小高木。山野の日当たりのよいところに自生する。八月頃、枝先に芳香のある白い花を群がりつける。花は先の五裂した筒状花で、蕊が外に長く突き出る。赤い蕚とのコントラストが美しい。枝や葉を傷つけると悪臭がするのでこの名がある。橋を渡ると甘い匂いがしてきた。見ると臭木の花が咲いているのに気づいた。夕日受け川の上なる花臭木臭木の花
散策の晴るれば楽し花木槿アオイ科の落葉低木。中国、インド原産。生垣に用いられる。夏から秋にかけて咲き続ける。葉腋から短い花柄を伸ばし、五弁花をつける。普通は赤紫色だが、園芸種には白、桃色、絞りなどもある。八重咲きの種類もある。朝に開き、夜にはしぼむため「槿花(きんか)一日(いちじつ)の栄(えい)」という言葉があり、栄華のはかなさにたとえられる。散策をするときは晴れているのが一番で、楽しい。木槿の花が咲いていればなおさらである。猫が貌覗かせてをり木槿垣木槿
秋暑し馬の親子の像てかり立秋を過ぎてもなお残る暑さのことをいう。八月から九月中旬頃までは、厳しい暑さがまだ続く。一度涼しさを感じた後にぶり返す暑さには、やりきれないものがある。公園に馬の親子の像があり、てかてかと光っていた。秋になっても暑さを感じた。滑り台カラフルにして残暑かな残暑
底紅や瀬音に耳を澄ましゐてアオイ科の落葉低木。中国、インド原産。生垣や庭木に用いられる。「底紅」は木槿の別名で、五弁花の中央の底が紅色のものをいう。晩夏から秋にかかて咲き、一日でしぼむ。川沿いに底紅が咲いていた。その美しい花を見ながら瀬音に耳を澄ましていた。夕日差す乙女の如き底紅に底紅
矢印を下りて狐の剃刀へヒガンバナ科の多年草。山野の明るい所に自生する。春にやや幅の狭い葉が出る。この葉が剃刀に見立てられてこの名がついた。初秋、約40センチの花茎を立て、黄赤色で漏斗形の六弁花を数個横向きにつける。「きつねのかみそりが咲き始めました」という標識があり、矢印がついていた。その矢印の斜面の道を下りると、狐の剃刀が群生していた。鳥の声美(は)しやきつねのかみそりに狐の剃刀
立秋の夕日差したる川辺かな二十四節気の一つで、八月七日頃に当たる。今年は八月八日。暦の上ではこの日から秋に入るが、実際にはまだ暑さが厳しい。だが、ふとしたときに秋の気配を感じ取ることができる。今日は曇っていたが、夕方に川堤を歩いていると雲間から日が差してきた。立秋の日照雨(そばへ)となりし川面かな立秋
雲の上(へ)に富士の頭を出し夏の果夏の終りをいう。厳しい暑さの続く立秋前後ではまだ実感が乏しい。春秋と同様に夏もまた行動的な季節であり、海山のシーズンが去ることを惜しむ気持ちから、「夏惜しむ」という季語も生まれた。夏が終わる今日、雲の上に富士山が頭を出しているのが望まれた。夏惜しむ上流に立つ雲を見て夏の果
帚木の挙れば声のある如しアカザ科の一年草。ユーラシア大陸原産。中国を経て日本に渡来した。細い枝に小さな葉が出て丸く円錐状に茂り、一メートルほどになる。緑色をしているが、時間を経て赤色に変わる。茎、枝は干して箒を作る。実は「とんぶり」と称し、酢の物や佃煮にする。帚木が整然と植えられていた。沢山集まっていると、声を上げているようであった。ジョギングの人の疎らや箒草帚木
緑蔭に憩へば精気もどりけり夏の強い日差しの中での緑の木陰をいう。木下闇は鬱蒼とした暗さがあるが、緑蔭は語感も明るい。その下の椅子で読書をしたり、会話を楽しんだり、食卓を広げたくなるような快い場所である。一時間ほど歩いてきて、緑蔭の下のベンチに腰かけて休んだ。しばらくすると、元気が戻ってきた。ボール蹴る子や緑蔭の遊び場に緑蔭
畑の上(へ)に浮かぶ夏雲近かりき夏空に現れる雲をいう。積雲と積乱雲が代表的な夏の雲である。積雲は綿雲ともいわれ、積乱雲は入道雲(雲の峰)のこと。雲の峰は聳え立つ入道雲の威容を山並みにたとえていう。各地には積乱雲の発生しやすい地形があり、愛称をつけて、「坂東太郎」、「丹波太郎」、「信濃太郎」、「安達太郎」などと呼ばれる。畑の上に夏雲が浮かんでいた。雲は手が届きそうなほど近くにあった。葉書手に向かふポストや雲の峰夏の雲・雲の峰
夏草の照る川堤歩きけり夏に青々と生い茂った草をいう。夏の日差しのもと、山野、土手、路傍、空地などで盛んに繁茂する。刈ってもすぐに伸び、自然の生命力を感じさせる。川堤の斜面には夏草が茂って日を返していた。その川堤を歩いた。夏草を渡りし風に吹かれけり夏草
空蟬の武蔵の太刀を浴びしかと蟬の脱け殻のことをいう。地下に数年間棲息していた蟬の幼虫は、生長して蛹となり、夏、地上に這い出してきて、樹の幹や枝にしっかりと止まって脱皮する。この成虫が抜けたあとの殻を、空蟬、蟬の殻などという。種類によって、色も形も異なる。殻には眼や肢などがそのまま残っている。空蟬を見ると、背中がスパッと割れていた。あたかも宮本武蔵の太刀を浴びたのかと思った。空蟬や吾も脱殻となることも空蟬
窓閉めてよりた走れる雷雨かな雷をともなった激しい雨をいう。雷は空中に上昇気流が発生するとき、雲の上方と下方の間で起こる放電により、発光と音響を発生する自然現象をいう。上空が冷え、地表付近が高温多湿のとき上昇気流が発生しやすいので、夏に多い。雷がゴロゴロと鳴ったと思ったら雨が降り出した。ピカッ、ゴロゴロと近くに聞こえると、雨は地面を打ちつけるように降り、風も激しくなった。正に雷雨であった。玻璃戸より見てゐるのみや大雷雨雷雨
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天を向く薔薇神神しとぞ思ふバラ科バラ属の総称。野生種は世界に約二百種、日本に約十種がある。薔薇といえば豊穣で香り高い花を咲かせる西洋薔薇をさす。一年中栽培されるが、花時の最盛期は初夏の五月。秋咲きのものもある。天に向かって薔薇が高々と咲いていた。その様を神神しいと思った。取り取りの薔薇囲む家羨しとも薔薇
バス避けて茅花流しを見てをりぬ五月頃吹く、湿気を含み雨を伴うことの多い南風を「流し」という。「茅花流し」は、茅花、すなわちチガヤの花穂が白い絮をつける頃に吹く湿気を含んだ南風をいう。梅雨の先触れとなる季節風につけた美しい名である。歩道のない道を歩いていると、バスがやって来た。バスを避けるために野原の方に向きを変えると、そこには茅花流しが見られた。百均に菓子買ひ茅花流しかな茅花流し
文士とふ言葉聞かずや鉄線花キンポウゲ科の落葉蔓性木本。中国原産。江戸時代初期に渡来。五~六月に葉のつけ根から長い柄を出し、白または薄紫の六弁花を開くが、花弁に見えるのは蕚片が変形したもの。クレマチスは、鉄線と風車などを交配して作られた園芸品種。俳句では鉄線花ともいう。最近は小説家はいても文士という言葉は聞かない。あるお宅に、文士の家に咲いているような鉄線花が咲いていた。教会の亭午の鐘やクレマチス鉄線花
青無花果部活生徒ら走り抜けクワ科の落葉小高木。小アジア原産。日本には江戸時代に伝来。果実の成熟は年二回で、夏果、秋果がある。夏果は前年についた幼果が越冬して夏熟するもので、その熟する前の青い実が青無花果である。秋果は秋に熟するもの。花が花托のなかに隠れていて見えないまま実になるので、「無花果」と書かれる。川堤の脇に青無花果が生っていた。その前を部活の生徒たちが走り抜けて行った。詩に詠めど青無花果の食べられず青無花果
散策の道の曲りや花柘榴ザクロ科の落葉小高木。イランからアフガニスタンにかけての地域が原産。日本には、平安時代に中国から渡来。五~六月頃、枝先に多肉で筒状の蕚をもつ朱赤色の六弁花を多数つける。花びらは薄くて皺がある。実のならない八重咲きの園芸品種を花石榴と呼び、花色は白、淡紅、朱、絞りなどさまざま。緑道という散策の道がある。道は曲がりくねっていて、その傍らに柘榴が咲いていた。川沿ひの家よりピアノ花ざくろ石榴の花
卯の花やジャージ下校の学生ら空木の花のこと。空木はユキノシタ科の落葉低木。山野に自生する。初夏、白色五弁花を円錐花序につける。枝が中空なので空木とも。谷空木、箱根空木はスイカズラ科で、ユキノシタ科の空木とは別種。道端に卯の花が咲いていた。その前をジャージ姿の中学生たちがぞろぞろと帰って行った。万葉の歌が好きなり花うつぎ卯の花
馬鈴薯の花に大空広ごれりナス科の一年生作物。南アメリカのアンデス高地原産。日本にはインドネシアからジャガタラを経て慶長年間にオランダ人によってもたらされたことから、じゃがたらいもの名がついた。初夏、上部の葉腋に花枝を出し、浅く五裂した数個の白または淡紫色の花をつける。畑一面に花が咲く光景は、ひなびた美しさがある。馬鈴薯の花が畑一面に咲いていた。その上には大空がどこまでも広がっていた。じやがいもの咲きしや庭の一角に馬鈴薯(じゃがいも)の花
日の差せば彩散りばめて飛燕草キンポウゲ科の二年草。南ヨーロッパ原産。デルフィニウムの一種。初夏、直径三センチほどの小花を茎頂に総状につける。花弁状の蕚に距があり、その形から飛燕が連想され、この名がある。花色は青、青紫、淡紅、白など。別名、千鳥草。雲っていたが、日が差してきた。飛燕草が彩を散りばめたように、様々な色に輝いていた。カンツォーネ聴きたくなりぬ飛燕草飛燕草
足止めぬ定家葛の花の香にキョウチクトウ科の蔓性常緑木本。山野に自生し、庭木にもされる。茎は地をはい、また気根を出して樹や岩に絡む。初夏、枝先および葉腋に芳香のある白い花を集散花序につけ、後に黄色に変わる。花冠は五裂し、風車状にねじれる。茎、葉は民間薬として鎮痛、解熱などに利用される。鎌倉時代、式子(しょくし)内親王に恋をした歌人藤原定家が、死後定家葛に生まれ変わり、内親王の墓に絡みついたという伝説からこの名がついた。古名は「柾(まさき)の葛」。長い坂道を下りて街路の歩道を歩いていると、いい香りがした。立ち止まって見ると、ある家の垣根に花を咲かせていた定家葛であった。歌にある柾の葛花つけぬ定家葛
草苺幼の記憶誰にでもバラ科イチゴ属の小低木。本州以南の山野に自生する。春、枝先に白色の五弁花をつける。初夏に球形の実が赤く熟し、食すことができる。道端に草苺が生っていた。幼い頃食べた記憶があり、誰にでも幼い頃の記憶というものがあるのだろうと思った。昼の日の強くなりけり草苺草苺
野火止の小流れ今も忍冬スイカズラ科の蔓性常緑低木。山野に自生する。子供たちが花の蜜を吸って遊ぶところから「吸葛」と呼ばれ、枝葉が冬も枯れないので「忍冬」と名づけられた。初夏に、葉腋に二つずつ並んで細い筒形の合弁花をつける。花は二裂し甘い芳香を放つ。花は初めは白く、後に淡黄色に変わるので金銀花ともいう。野火止用水は江戸時代以降今も流れている。その流れの上に忍冬が咲いていた。忍冬といへば波郷を想ひけり忍冬(すいかずら)の花
散策に日の傾きぬ柿の花柿はカキノキ科の落葉高木。五月頃、葉腋に黄緑色の合弁花をつける。花弁は壺状で、緑色の蕚片がある。開花後、花弁は黄色となって落ち、その頃には樹上にすでに幼い青柿を結んでいる。散策でかなりの時間歩いていると、日がすでに傾いていた。夕日が柿の花に当たっていた。未来読むことは難しや柿の花柿の花
薫風や一万歩越す一休み青葉を吹く風が緑の香りを運ぶ心地よい風をいう。和歌では、花や草の香りを運ぶ春風の意であったが、連歌で初夏の風として意識され始めた。元禄時代になって俳句の季語として使われ、以後今日まで伝わっている。三夏いつでも吹いているが、「風薫る五月」というように、初夏の五月にこそふさわしい季語といえる。歩いていて一万歩を越したところで、自動販売機のジュースを買い、ベンチで一休みした。その間も薫風は吹き渡っていた。風薫る木の間に覗く昼の月風薫る
青空に煙るがごとし花樗センダン科の落葉高木。楝は栴檀の古名。暖地の海岸近くに自生するが、庭園に植えられもする。初夏に、白または淡紫色の五弁花を円錐花序につける。「栴檀は双葉より芳し」の栴檀は、香木の白檀のことで別種。樗の花が満開となっていた。それはままるで青空に煙っているかのように見えた。栴檀の花に川風強かりし楝の花
アイリスや晴るれば歩く日課にてアヤメ科アヤメ属の多年草。ジャーマンアイリス、ダッチアイリス、イングリッシュアイリスなどの総称。アイリスはギリシャ神話の虹の神で、その伝説から「恋のメッセージ」が花言葉。初夏に花菖蒲より少し小さい花をつける。色は白、黄、藍、紫など多彩。主に園芸種として栽培されている。道沿いにアイリスが咲いていた。これを見られるのも、晴れれば歩くという日課のお陰である。アイリスや恋の一語の遥かなるアイリス
竹皮を脱ぐや無言を押しとほし筍は伸びるにしたがって、下方の節から順に皮を脱いでいく。真竹や孟宗竹の皮には黒い斑点があるが、淡竹の皮にはない。真竹の皮には防腐作用があり、古くから食材を包むために用いられてきた。竹林に竹が皮を脱ぐのが多く見られた。静まり返っているので、まるで竹が無言を押し通して皮を脱いでいるようであった。小流れの音に竹皮脱ぎにけり竹の皮脱ぐ
遠くまで足を伸ばしぬ柿若葉柿の若葉は,、新鮮さを感じさせる明るい萌黄色である。葉はつやつやとして柔らかい。柿の木は庭木として植えられることも多く、家々の庭は初夏らしい明るさとなる。散策の足を遠くまで伸ばしてきた。すると、そこには萌黄色の柿若葉が見られた。自転車のペダルの軽し柿若葉柿若葉
令和はや六年となり棕櫚の花ヤシ科の常緑高木。庭に植えられるが、暖地では自生化している。雌雄異株。初夏の頃、葉のつけ根から黄白色の粒状の花を房状に垂れる。幹は柱、皿、鉢、盆などにされ、花は食用にもなる。葉は棕櫚笠、団扇、敷物などに使用される。令和はコロナ禍や地震など重い出来事が多かったが、早や六年となった。公園にはぼってりと重そうな棕櫚の花咲いていた。むくむくとこの世に現れて棕櫚の花棕櫚の花
ショパン聴きたし矢車草に立ちキク科の一・二年草。矢車草は矢車菊の通称。ヨーロッパ原産。四~五月頃、長い枝先に菊に似た頭状花をつける。花弁に深い切込みがあり、矢車の形に似ているところからこの名がある。花色は青のほかに、白、赤、紫、桃色などがある。矢車草が沢山咲いていた。その前に佇んでいると、なぜかショパンのピアノ曲が聞きたくなった。矢車草群生にあり風の道矢車草
下校児と一時歩く清和かな初夏の気候が清らかで穏やかなことをいう。中国では陰暦四月朔日を清和節という。古くは「和清の天」として詠まれている。今日は久しぶりに晴れて、五月らしい気持ちのよい日となった。歩いていて、一時下校児たちと一緒に歩くこととなった。天清和橋の上にて深呼吸清和
ふふみたき色と仰ぎて桜の実桜の花のあと、初夏につく果実をいう。青い小粒から太るにつれて赤変し、熟して黒紫色となる。「さくらんぼ」と違い、酸味と渋味でうまくはないが、鳥は好んで啄む。桜の実がつややかに赤く熟していた。食べてみたい色だと思い、仰ぎ見ていた。鈴生りの実桜を風煽ぎけり桜の実
畑向かう卯月曇の屋敷森五月(陰暦四月、卯月)頃の、降るでもなく晴れるでもない曇りがちな天候をいう。丁度、卯の花の咲く頃合いに当たるので「卯の花曇」ともいう。晴れると気持ちのよい初夏の候であるが、一度天気がくずれるとなかなか回復せず、梅雨の走りを思わせる。畑の向こう側に屋敷森が見られた。空は卯月曇であった。自転車の下校に卯月曇かな卯月曇
鉄線花薄日なりしが晴れてきてキンポウゲ科の落葉蔓性木本。中国原産。日本には江戸時代初期に渡来した。蔓が鉄線のように細く硬いのでこの名がある。五~六月頃、中心に暗紫色の蕊が密集する六弁化を開くが、花弁に見えるのは蕚片が変形したものである。クレマチスは鉄線と風車などを交配して作られた園芸品種。園内に鉄線が咲いていた。最初は薄日が差していたが、やがてよく晴れて、強い日が差してきた。をみならの撮り合ふ声やクレマチス鉄線花
入りたし薔薇のアーチの喫茶店バラ科バラ属の総称。薔薇といえば豊麗で香り高い西洋薔薇をさす。薔薇は一年中栽培されるが、花時は本来五月頃。花の色も形も多種多様。近代の薔薇は改良を重ね、国際的に登録された名花だけでも二万種に及び、芳香とともに鑑賞花の王座を独占している。入り口に、薔薇がアーチ状に咲いている喫茶店があった。美しいので入ってみたいと思った。薔薇園に童心となる人ばかり薔薇
薫風や歩きて分かること多く夏、木々の緑の香りを運ぶ心地よい風をいう。和歌では、花や草の香りを運ぶ春風の意であったが、連歌時代になり、初夏の風として意識され始めた。三夏いつでも吹いているが、「風薫る五月」というように初夏の五月にこそふさわしい季語である。薫風が吹いていた。風の香りなど、外を歩いてこそわかることが多くある。人をらぬ児童公園風薫る薫風
繍線菊や声懐かしき電話ありバラ科の落葉低木。山野に自生するが、観賞用に庭園に植えられる。五~六月頃、枝先に五弁の小花を傘状に群がりつける。花色は濃紅、淡紅、白、紅白の咲き分けなどがある。下野(栃木県)で初めて見つかったところからこの名がついたという。下野草はバラ科の多年草で別種。繍線菊が咲いていた。そういえば今日は懐かしい声の電話があった。繍線菊に放課後の声届きけり繍線菊(しもつけ)
咲き出でて瀬音に近き海芋かなサトイモ科の多年草。南アフリカ原産。和名はオランダ海芋。カラーともいう。四~五月頃、長い花茎を出し、先端に白い漏斗状の仏焔苞に囲まれた黄橙色の肉穂花序をつける。観賞用に鉢花や切り花用として栽培される。川堤の道に海芋が咲き出していた。そこへ近くの瀬音が響いていた。からーに合ふ硝子花瓶を選びけり海芋
散策の夕日に向かひ銭葵アオイ科の二年草。ヨーロッパ原産。古くから観賞用に栽培されてきた。五月頃、葉腋に五弁花を数個ずつつける。葉弁は淡紫色で、紫色の脈がある。夕日に向かって歩いていた。その散策路に銭葵が夕日を受けて咲いていた。銭葵信号待ちの傍らに銭葵
すひかづら武蔵野に雨上がりけりスイカズラ科の蔓性半常緑木本。山野に自生する。五月頃、葉腋に甘い香りのする筒形の花を二個ずつ並んでつける。花は初めは白く、後に黄色に変わる。そこから「金銀花」の名がある。道端の藪に忍冬の花が咲いていた。その武蔵野に降っていた雨が上がってきた。佇みて缶珈琲や金銀花忍冬の花
矢車草しやがんで猫を呼ぶをみなキク科の一年草または二年草。ヨーロッパ原産。正式名は「矢車菊」。四~七月、細い枝先に菊に似た頭状花をつける。花弁に深い切込みがあり、矢車の形に似るところからこの名がある。花色は紫、赤、白、桃などさまざま。矢車草が群生しているところがあった。その横の道に入り込んだ猫を、若い女性がしゃがんで呼んでいた。矢車草まちまちに揺れ風の道矢車草
今生の濁世に白しえごの花エゴノキ科の落葉小高木。林野に自生するが、庭園などに植栽もされる。五月頃、長い花柄の先に白い漏斗状の五弁花を下垂する。果皮が喉を刺激し、えごいところからこの名がある。サポニンという毒があり、かつては洗濯に用いたり、搾り汁を川に流して魚を捕らえるのに使われた。えごは山苣(やまぢさ)ともいう。今生きているにごった世の中に、えごの花が真っ白に咲いていた。えごの花散つたりレンタサイクルにえごの花
のけ反つて退りて土手の朴の花モクレン科の落葉高木。山地に自生し、高さは二十メートルを越える。五月頃、枝先に香気の強い黄白色の六~九弁の大輪の花をつける。下からは見えにくい。「朴散華」と傍題にあるが、実際は散華せず、そのまましおれて落ちる。川堤の道に朴の花が咲いていた。のけ反って見上げたがよく見えず、後ろへ下がって仰いで見た。天上の誰彼見るや朴の花朴の花
竹皮を脱ぐや散策路の脇に筍は伸びるにつれて、その皮を一枚ずつ落としていく。真竹や孟宗竹の皮には斑点があるが、淡竹の皮にはない。竹の皮は葉鞘が変化したもので、自然に脱落するころに採取し、食材を包むのに用いる。散策をしていると、篁があった。その中で竹が皮を脱いでいた。竹の皮散つて微かな音したり竹の皮脱ぐ
自転車に乗つてポストへ柿若葉柿の若葉のこと。新鮮さを感じさせる萌黄色である。いかにも若々しく明るくて力強い感じである。葉は艶があり、柔らかである。青空に柿若葉が輝いていた。その脇を通って、自転車でポストへと走った。柿若葉腹ごなしとふ散歩して柿若葉
花いばら晴るれば足の軽くなりバラ科の落葉低木。日本全土の山野に自生する。五月頃、枝先に芳香のある白い五弁花を円錐状に多数つける。果実は球形で、秋には赤く熟し、薬用とされる。散策していると道端に茨の花が咲いていた。晴れると茨の花が生き生きとしているように、こちらも足が軽くなったように感じられた。川堤下りて野茨眩しみぬ茨の花
草苺ふふみてありぬ日の温みバラ科の小低木。本州以南の山野や藪などに自生する。四月頃、枝先に白色の五弁花をつけ、花のあと夏に球形の赤い実を生らせる。実は食すことができる。道端に草苺が熟して真っ赤になっていた。美味しそうなので一つ摘んで食べてみた。すると、その草苺には日の温みがあった。宝石のごと坂道の草苺草苺
橋めざし歩いてをれば紫蘭かなラン科の多年草。関東以西から朝鮮半島、中国の湿原や草原に自生するが、観賞用に庭に植えられもする。四~六月頃、三十~五十センチの花茎を伸ばして、紅紫色の花を五、六個つける。遠くにある橋を目指して川沿いを歩いていた。すると道端に紫蘭が美しく咲いていた。紫蘭咲く前をじやれ合ふ犬二匹紫蘭
葉桜や釣人いつも一人ゐて桜の若葉をいう。桜は花が散ると若葉が出始め、五月には青葉となり、葉は緑色を深めてゆく。「花は葉に」ともいうが、夏の季語であり、春の季語ではない。日の光に透けた葉桜はことに美しい。川堤の道の桜が葉桜となっていた。その下の川にいつも一人の釣り人がいた。葉桜の下を自転車抜けにけり葉桜
丘に日の降り注ぎゐる牡丹かなボタン科の落葉低木。中国原産。日本には平安時代初期に薬用植物として渡来し、寺院に植えられた。江戸時代の頃より庭園で栽培し、一般に鑑賞されるようになった。江戸時代には百六十種以上の品種が知られていたが、現在栽培されているのは四、五十種である。四~五月頃、十~二十センチの大輪の花をつける。花色は、白、紅、淡紅、真紅、黄、黒紫、絞りなどさまざま。花びらは一重、八重、千重など。丘の開けたところに牡丹園がある。その牡丹に日が降り注いでいた。乾きたる風心地よし牡丹園牡丹
川沿ひを歩くのが好き桐の花ゴマノハグサ科の落葉高木。中国原産。有用植物として導入、栽培され、各地に野生化している。五月上旬、枝先に大型の円錐花序を直立させ、紫色の唇形花を多数つける。だが、今年は四月下旬に満開となった。材は軽く、箪笥、琴、下駄などになる。川沿いの道を散歩するのが好きである。その道に桐の花が満開になっていた。散つてなほ曼荼羅なせり桐の花桐の花