亡き母へ膨らむ思ひ養花天 母が亡くなって一年半以上が経つが、母への思いは増すばかりだ。愛しさ、懐かしさ、感
亡き母へ膨らむ思ひ養花天 母が亡くなって一年半以上が経つが、母への思いは増すばかりだ。愛しさ、懐かしさ、感
車椅子の母と小春を慈しむ 自分の足で歩けなくなり、車椅子での暮らしとなって、家の中ばかりでいる母
母の忌に切なく柿を食ひにけり 母が最後に口にしたのは柿だった。しばらく食が細く、特にご飯はほとん
更衣なほ在りし日の母と生く 母が亡くなって、着物も洋服もほとんどの物は処分してしまったけれど、ク
われもまた見えざるものに介けられ護られ母を介護してゐる 以前も記したことがあったかも知れぬが、私
菜の花や夕日の国に逝きし母 「菜の花や月は東に日は西に」という与謝蕪村の句や、「菜の花の中へ大きな入日かな
寝息なくも布団かすかに上下せり 父が亡くなってから、母が亡くなるまでずっと母の隣で眠った。夜中に
秋風を見てをり眠る母に添ひ 認知症になった母を、父と姉と三人で支えながら生活していた。だが、母よ
梅雨寒や父の忌に飲む燗の酒 亡くなった父は酒が好きで、中でも日本酒が一番好きだった。亡くなった2
不整脈持ちたる母が逝きしいま暑さ寒さも吾のみのこと この歌は昨年の二月五日に詠んだ。毎年九月の彼
朧夜や見えざる人と話す母 母はときどきそこに存在しない人と会話していた。認知症だと解っていても、最初は正直
葱食ひぬ亡き母に似て喉弱く 私と母は血液型が同じO型で、体質もよく似ている。特に風邪を引くときは
介護負ふ子もありと聞く草紅葉 介護という行為には「臨む」や「挑む」という述語より、「負う」や「担
汗だくの介助も母の尿ちよろり 「おしっこがしたい」と言われてトイレに連れていくのだが、いざトイレ
かなしくてかなしくつてかなしいとかなしいときの母はひぐらし 折に触れて母は「かなしい」と言った。
はじめての母なき春や星潤む 季節はめぐるもので、今年還暦となった私は、もう春夏秋冬を何十回となく
寒卵転がればまた子に戻る 母はしばしば私のことをわすれた。父が亡くなってから、わたしのことを父と
ただ独り逃ぐる身となり震災忌 つい最近も青森県で大きな地震があった。戦争や災害の報道に接するたび
老母にも汗かかせたき薄暑かな 不整脈のある母には温度差がよいと考えて、わが家では春、秋のある時期
人生で何も成し遂げられぬともただただ優しき人になりたし noteに掲載中の、母が認知症になってか
春灯やこの椅子に母ここに父 父が亡くなって五年余り、母が亡くなって一年、いまだに二人の死を乗り越
鍵開くる音響きけり寒き家 母が亡くなって一年余り。いまだに一人暮らしに慣れない。中学校入学と同時
もう良きかと尋ねて母は秋に逝く 2024年9月30日に母は旅立った。その二週間ほど前だったか、姉
水打たむ母在らざらむ日のわれも 母が生きていたときにこの句を詠んだ。往診の医師を迎えるとき、母に
姉憎し母の介護をするわれを助けてやると言はんばかりの 一人っ子は別として、親の介護は兄弟姉妹全員
お母さんと咲ける菫に語りかけ いつの頃からか、私はすみれの花のイメージを母に重ねるようになった。
介護終え皹のなきわが手かな ここ四、五年あまり、冬になると毎年のように皹が出来ていた。私の場合、
ピーマンのやさしさ種をくつろがす 一昔前、ピーマンという語は「中身が空っぽ」という比喩で使われた
明易し夜通し喋る母手強 いま母親を施設に入れて介護している友がいる。ところが、ご母堂からは時間か
五グラムでも十グラムでもと食細き老母の口に差し出す小匙 9月は母にとって鬼門であった。87歳・8
亡き母の夢見し朝や薄氷 亡き父の夢はよく見るのに、亡き母の夢を見ることは少ない。むしろ母が生きて
冬銀河われの使命のまだ見えず 私は、生まれてきた以上は人にはなんらかの使命があるのではないかと思っている。
病む母に添ひてこころは旅の秋 父が亡くなってから、姉が来てくれない日曜・祝日は買い物など短い時間
客の菓子食うて涼しき顔の母 訪問看護師さんや訪問リハビリの理学療法士さんが来てくれる日は、一段落
病みてことば発せられざる父の脇に体温計はさめば冷たしといふ顔 昨年の11月末からnoteというメ
菜の花や母不治なれば明るき家 実はこの句は母を詠んだものではない。水田の中の一角に鮮やかな菜の花
冴ゆる夜や音立てたるは吾のみにて 父が亡くなってから母が亡くなるまでの四年余り、一日も欠かさず母の介護ベッ
露の夜や亡き人ばかり母呼びて 母が眠ってくれているときが自分の時間だった。一人では起き上がること
岸見えぬ遠泳のごと介護とは 親の介護をしていて心が折れそうになるときは、終わりが見えないと感じる
体温計の音待ちをれる初音かな 毎朝母の体温と血圧と脈を測りそれを記録するということを約5年続けた
出づるより母思はるる寒さかな 不整脈のある母の心臓の負担をすこしでも減らそうと、わが家は春や秋の一、二ヵ
平凡に生きられぬ世や稲の花 戦後八十年。日本の国内では戦争はなかった。第二次世界大戦後も、国内で
涼風の夢を見ている寝顔かな もう姉のことも私のことも、もしかしたら自分が誰かさえもはっきり分から
盗られしと一度たりとも訴へず母は財布を無くせしといふ 母はこころの美しい人であった。わたしがそう
この日々の手触りいとし豆の花 11月8日に、まったく同じモチーフの短歌を掲載したので、二番煎じの
母と子で名告り合ひたる朝の霜 母がいつも目覚めたときに、わたしを知らない人だと思って驚いたり、怖
葛の花われに心の根なる母 葛を見るたび、地下に広がる膨大な根を想う。山の斜面を覆い尽くすほど蔓や
初のつく物みな母に初鰹 「初物を食べると寿命が延びる」といわれている。だから、できる限りわが家で
丁寧に暮らしてをればそのうちに何か変はると夏落葉掃く 玄関の飾り棚に花を飾れた日、私は自分に言い
病む母に添へば桜も聞くばかり この春、姉と7年ぶりに花見に行った。父と母と姉と4人で海南市の小野
数の子を食ふたび父の逸話かな いまnoteという媒体で、『私の 母の 物語』という小説を毎日書き続けて
爽やかに母来し方をわすれけり 四十年来のペンフレンドであるイラストレーターの永田萠さんと先日10
菫程な小さき人とはわが母のことなり母が笑めば春なり 「菫程な小さき人に生まれたし」という夏目漱石
朧夜の母には淡きものばかり 亡くなる前の1年から2年、母には、この世界がどう見えていたのだろう。
千金の老母の数歩日脚伸ぶ 亡くなる前の一年ほどは、訪問リハビリに来てもらっても、車椅子やベッドか
子に尻を拭かるる母や蓼の花 母が亡くなる前の2,3ヶ月はほぼ毎日のように母の便の処理をしていた。
ところてん母転んでも笑へた頃 いまnoteというweb媒体で、『私の 母の 物語』という小説を連
おもかげをわするることが二度目の死われ在るかぎり父母を詠む 母が生きていたときは、俳句や短歌を詠
黒文字の花幸せに単位なく 幸せとは、一つ二つと数えるものなのだろうか。それとも、一時間二時間とか
母逝きて年改まる冬すみれ 母が亡くなってから初めての新年を迎えた。父が亡くなって迎えた初めての新年には
朝顔の萎める咲けるまた一日 母の介護がいつまで続くのか、明日にも終わるかもしれないと思うと切なか
蛍火や母も明滅するいのち ちょっとしたことが命取りになる。とくに不調らしい不調がなくても、いのち
やはらかに衰へてゆく老母との日々の暮らしの手触りいとし 認知症にくわえて、糖尿病・不整脈・脊椎間
退屈を母と分け合ふ日永かな 私が仕事に行く平日は、いつも姉が来て母の世話をしてくれた。それは義
抱ふれば冬の匂ひの老母かな ここにいう匂いとは嗅覚で感じる、いわゆる香りとは違う。ある種の風情と
病む母の笑みこそわれの小春かな 高齢者を在宅で介護している家というのは、季節でいえば常に冬のよう
一葉落つ仏のやうに母笑めば 微笑んだ母の顔がとてもやさしいときがあって、そんなとき私は、なぜか母
母の日はやさしく母の尻を拭く 母が立てなくなってから、もっぱら排泄は紙おむつとパット頼みとなった
長生きをさせてしまつてごめんなさい われといふ子を産みしばかりに ほんとうは5年前に危篤になっ
つれづれと母に添ひ寝の春の雨 亡くなる前の1、2年ほどは毎日、訪問入浴が来てくれる水曜日以外は、
母と在るいまこの時や雪降れり この句を詠んだとき、もちろんいつか母が旅立つ日がくることを意識はし
九月尽母のいのちの尽きにけり 昨日、2024年9月30日、母が死んでしまった。母の死がいずれ来る
九月尽母のいのちの尽きにけり 昨日、2024年9月30日、母が死んでしまった。母の死がいずれ来る
溶けてゆくアイスクリームと母の語彙 認知症になってことばをわすれる。これはある程度想像はついた。
ふとわれは姥捨をせし人間の生まれ変はりと思ふ夕暮 夏目漱石の『夢十夜』に、背中に負ぶった子どもが
遠き日や土筆よろこぶ母ありき 子どものころ、土筆を摘んで帰ると母は喜んでくれた。もっとも料理をす
母食はぬ雑炊汁を失へる 母はだんだんとご飯が食べられなくなってきた。咀嚼はするが飲み込むのが難し
食事介助して新米のほの温し 箸での食事が無理となり、スプーンでの食事も無理となった。箸は持てない
柿の花咲いて正岡律の忌や 正岡子規を母・八重とともに介護した妹・律の忌日は昭和16年5月24日で
知れる人なきが悲しとつぶやきて母は食事に手をつけざりき このときは私もかなしかった。いくら私は息
頬に餡つけたる老母春めきぬ 母を詠んだ俳句には、パンを手にしたまま眠ってしまったり、菓子を握りし
父逝きて余るおでんの腹立たし 父も私も酒飲みであて食いである。酒があれば料理がすすむし、料理があ
痛してふ母のさびしさ撫づる秋 母の「痛い」にはどうも三つある。本当に腕や足などが痛むときの痛い。
母と姉と父の位牌と昼寝かな 往診に訪問看護、訪問リハビリ、訪問入浴と家にいながらにしてサービスを
わすれをる演技を母はしをるやも過ち多き息子おもひて 本当に母は認知症なのだろうか。いや、認知症に
水温む老母の嗽ががががぺ 母の歯磨きは私がしている。歯を磨くという行為そのものをわすれてしまって
母の咳そろそろおむつ替へ時か 毎日決まった時刻に起こしたほうがよいのだろうが、気持ち良さそうに眠
星合の母の寝息の静かなり 七夕近くになると、母の訪問入浴に来てくださるスタッフの方が短冊をくださ
わが科や腐草蛍となりぬとも 私はいつか認知症にならなければならない。そして私からつらいことばをか
暁に吾を父と見て母言へり「いろいろしてくれてありがとう」 あれには驚いた。父が亡くなって、二、三
われに無き花盗人になる覚悟 母が外出するのは、病院の検査のときだけとなった。車椅子から車への移乗
茶の花や灯ともさず父と母 もともと父も母もかなり暗くなるまで電灯を点けなかった。父の家に電気が通
露草が濡れてゐるからもう泣けぬ 父が死んでから4年。もう幾度となく泣いているが、まだ思い切り泣け
父偲ぶ待宵草の咲くやうに 宵待草のことを月見草と混同している人が多いという。実は私もそうで、歳時
病みてことば発せられざる父の脇に体温計はさめば冷たしという顔 父はことばが発せられなくなっていた
母の名はすべて代筆啄木忌 母はもう文字を書くことが出来ない。だから、書類に母の名前を書くときはい
老母が雑煮食ふとき姉弟会話止む 注視するとき、自然と口は閉じる。さっきまで姉と話をしていても、母
老父母の気づけば遠き花野かな あれで良かったのかと今でも考える。亡くなるまでの2,3年は、活動的
父逝きてもの言ひたげな蛇出でし 生まれ育った山間と違い、いま住んでいる場所ではほとんど蛇を見かけ
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亡き母へ膨らむ思ひ養花天 母が亡くなって一年半以上が経つが、母への思いは増すばかりだ。愛しさ、懐かしさ、感
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母の忌に切なく柿を食ひにけり 母が最後に口にしたのは柿だった。しばらく食が細く、特にご飯はほとん
更衣なほ在りし日の母と生く 母が亡くなって、着物も洋服もほとんどの物は処分してしまったけれど、ク
われもまた見えざるものに介けられ護られ母を介護してゐる 以前も記したことがあったかも知れぬが、私
菜の花や夕日の国に逝きし母 「菜の花や月は東に日は西に」という与謝蕪村の句や、「菜の花の中へ大きな入日かな
寝息なくも布団かすかに上下せり 父が亡くなってから、母が亡くなるまでずっと母の隣で眠った。夜中に
秋風を見てをり眠る母に添ひ 認知症になった母を、父と姉と三人で支えながら生活していた。だが、母よ
梅雨寒や父の忌に飲む燗の酒 亡くなった父は酒が好きで、中でも日本酒が一番好きだった。亡くなった2
不整脈持ちたる母が逝きしいま暑さ寒さも吾のみのこと この歌は昨年の二月五日に詠んだ。毎年九月の彼
朧夜や見えざる人と話す母 母はときどきそこに存在しない人と会話していた。認知症だと解っていても、最初は正直
葱食ひぬ亡き母に似て喉弱く 私と母は血液型が同じO型で、体質もよく似ている。特に風邪を引くときは
介護負ふ子もありと聞く草紅葉 介護という行為には「臨む」や「挑む」という述語より、「負う」や「担
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かなしくてかなしくつてかなしいとかなしいときの母はひぐらし 折に触れて母は「かなしい」と言った。
はじめての母なき春や星潤む 季節はめぐるもので、今年還暦となった私は、もう春夏秋冬を何十回となく
寒卵転がればまた子に戻る 母はしばしば私のことをわすれた。父が亡くなってから、わたしのことを父と
ただ独り逃ぐる身となり震災忌 つい最近も青森県で大きな地震があった。戦争や災害の報道に接するたび
老母にも汗かかせたき薄暑かな 不整脈のある母には温度差がよいと考えて、わが家では春、秋のある時期
人生で何も成し遂げられぬともただただ優しき人になりたし noteに掲載中の、母が認知症になってか
病む母に添へば桜も聞くばかり この春、姉と7年ぶりに花見に行った。父と母と姉と4人で海南市の小野
数の子を食ふたび父の逸話かな いまnoteという媒体で、『私の 母の 物語』という小説を毎日書き続けて
爽やかに母来し方をわすれけり 四十年来のペンフレンドであるイラストレーターの永田萠さんと先日10
菫程な小さき人とはわが母のことなり母が笑めば春なり 「菫程な小さき人に生まれたし」という夏目漱石
朧夜の母には淡きものばかり 亡くなる前の1年から2年、母には、この世界がどう見えていたのだろう。
千金の老母の数歩日脚伸ぶ 亡くなる前の一年ほどは、訪問リハビリに来てもらっても、車椅子やベッドか
子に尻を拭かるる母や蓼の花 母が亡くなる前の2,3ヶ月はほぼ毎日のように母の便の処理をしていた。
ところてん母転んでも笑へた頃 いまnoteというweb媒体で、『私の 母の 物語』という小説を連
おもかげをわするることが二度目の死われ在るかぎり父母を詠む 母が生きていたときは、俳句や短歌を詠
黒文字の花幸せに単位なく 幸せとは、一つ二つと数えるものなのだろうか。それとも、一時間二時間とか
母逝きて年改まる冬すみれ 母が亡くなってから初めての新年を迎えた。父が亡くなって迎えた初めての新年には
朝顔の萎める咲けるまた一日 母の介護がいつまで続くのか、明日にも終わるかもしれないと思うと切なか
蛍火や母も明滅するいのち ちょっとしたことが命取りになる。とくに不調らしい不調がなくても、いのち