葛の花われに心の根なる母 葛を見るたび、地下に広がる膨大な根を想う。山の斜面を覆い尽くすほど蔓や
葛の花われに心の根なる母 葛を見るたび、地下に広がる膨大な根を想う。山の斜面を覆い尽くすほど蔓や
初のつく物みな母に初鰹 「初物を食べると寿命が延びる」といわれている。だから、できる限りわが家で
丁寧に暮らしてをればそのうちに何か変はると夏落葉掃く 玄関の飾り棚に花を飾れた日、私は自分に言い
病む母に添へば桜も聞くばかり この春、姉と7年ぶりに花見に行った。父と母と姉と4人で海南市の小野
数の子を食ふたび父の逸話かな いまnoteという媒体で、『私の 母の 物語』という小説を毎日書き続けて
爽やかに母来し方をわすれけり 四十年来のペンフレンドであるイラストレーターの永田萠さんと先日10
菫程な小さき人とはわが母のことなり母が笑めば春なり 「菫程な小さき人に生まれたし」という夏目漱石
朧夜の母には淡きものばかり 亡くなる前の1年から2年、母には、この世界がどう見えていたのだろう。
千金の老母の数歩日脚伸ぶ 亡くなる前の一年ほどは、訪問リハビリに来てもらっても、車椅子やベッドか
子に尻を拭かるる母や蓼の花 母が亡くなる前の2,3ヶ月はほぼ毎日のように母の便の処理をしていた。
ところてん母転んでも笑へた頃 いまnoteというweb媒体で、『私の 母の 物語』という小説を連
おもかげをわするることが二度目の死われ在るかぎり父母を詠む 母が生きていたときは、俳句や短歌を詠
黒文字の花幸せに単位なく 幸せとは、一つ二つと数えるものなのだろうか。それとも、一時間二時間とか
母逝きて年改まる冬すみれ 母が亡くなってから初めての新年を迎えた。父が亡くなって迎えた初めての新年には
朝顔の萎める咲けるまた一日 母の介護がいつまで続くのか、明日にも終わるかもしれないと思うと切なか
蛍火や母も明滅するいのち ちょっとしたことが命取りになる。とくに不調らしい不調がなくても、いのち
やはらかに衰へてゆく老母との日々の暮らしの手触りいとし 認知症にくわえて、糖尿病・不整脈・脊椎間
退屈を母と分け合ふ日永かな 私が仕事に行く平日は、いつも姉が来て母の世話をしてくれた。それは義
抱ふれば冬の匂ひの老母かな ここにいう匂いとは嗅覚で感じる、いわゆる香りとは違う。ある種の風情と
病む母の笑みこそわれの小春かな 高齢者を在宅で介護している家というのは、季節でいえば常に冬のよう
一葉落つ仏のやうに母笑めば 微笑んだ母の顔がとてもやさしいときがあって、そんなとき私は、なぜか母
母の日はやさしく母の尻を拭く 母が立てなくなってから、もっぱら排泄は紙おむつとパット頼みとなった
長生きをさせてしまつてごめんなさい われといふ子を産みしばかりに ほんとうは5年前に危篤になっ
つれづれと母に添ひ寝の春の雨 亡くなる前の1、2年ほどは毎日、訪問入浴が来てくれる水曜日以外は、
母と在るいまこの時や雪降れり この句を詠んだとき、もちろんいつか母が旅立つ日がくることを意識はし
九月尽母のいのちの尽きにけり 昨日、2024年9月30日、母が死んでしまった。母の死がいずれ来る
九月尽母のいのちの尽きにけり 昨日、2024年9月30日、母が死んでしまった。母の死がいずれ来る
溶けてゆくアイスクリームと母の語彙 認知症になってことばをわすれる。これはある程度想像はついた。
ふとわれは姥捨をせし人間の生まれ変はりと思ふ夕暮 夏目漱石の『夢十夜』に、背中に負ぶった子どもが
遠き日や土筆よろこぶ母ありき 子どものころ、土筆を摘んで帰ると母は喜んでくれた。もっとも料理をす
母食はぬ雑炊汁を失へる 母はだんだんとご飯が食べられなくなってきた。咀嚼はするが飲み込むのが難し
食事介助して新米のほの温し 箸での食事が無理となり、スプーンでの食事も無理となった。箸は持てない
柿の花咲いて正岡律の忌や 正岡子規を母・八重とともに介護した妹・律の忌日は昭和16年5月24日で
知れる人なきが悲しとつぶやきて母は食事に手をつけざりき このときは私もかなしかった。いくら私は息
頬に餡つけたる老母春めきぬ 母を詠んだ俳句には、パンを手にしたまま眠ってしまったり、菓子を握りし
父逝きて余るおでんの腹立たし 父も私も酒飲みであて食いである。酒があれば料理がすすむし、料理があ
痛してふ母のさびしさ撫づる秋 母の「痛い」にはどうも三つある。本当に腕や足などが痛むときの痛い。
母と姉と父の位牌と昼寝かな 往診に訪問看護、訪問リハビリ、訪問入浴と家にいながらにしてサービスを
わすれをる演技を母はしをるやも過ち多き息子おもひて 本当に母は認知症なのだろうか。いや、認知症に
水温む老母の嗽ががががぺ 母の歯磨きは私がしている。歯を磨くという行為そのものをわすれてしまって
母の咳そろそろおむつ替へ時か 毎日決まった時刻に起こしたほうがよいのだろうが、気持ち良さそうに眠
星合の母の寝息の静かなり 七夕近くになると、母の訪問入浴に来てくださるスタッフの方が短冊をくださ
わが科や腐草蛍となりぬとも 私はいつか認知症にならなければならない。そして私からつらいことばをか
暁に吾を父と見て母言へり「いろいろしてくれてありがとう」 あれには驚いた。父が亡くなって、二、三
われに無き花盗人になる覚悟 母が外出するのは、病院の検査のときだけとなった。車椅子から車への移乗
茶の花や灯ともさず父と母 もともと父も母もかなり暗くなるまで電灯を点けなかった。父の家に電気が通
露草が濡れてゐるからもう泣けぬ 父が死んでから4年。もう幾度となく泣いているが、まだ思い切り泣け
父偲ぶ待宵草の咲くやうに 宵待草のことを月見草と混同している人が多いという。実は私もそうで、歳時
病みてことば発せられざる父の脇に体温計はさめば冷たしという顔 父はことばが発せられなくなっていた
母の名はすべて代筆啄木忌 母はもう文字を書くことが出来ない。だから、書類に母の名前を書くときはい
老母が雑煮食ふとき姉弟会話止む 注視するとき、自然と口は閉じる。さっきまで姉と話をしていても、母
老父母の気づけば遠き花野かな あれで良かったのかと今でも考える。亡くなるまでの2,3年は、活動的
父逝きてもの言ひたげな蛇出でし 生まれ育った山間と違い、いま住んでいる場所ではほとんど蛇を見かけ
缶詰が父より届くそのたびに共に入りたる缶切り増ゆる 父は気遣いの人であった。進学して一人暮しを始
納骨を終えたる友や花の雨 昨年の1月、友人のお父上が他界された。群馬のご実家で、認知症の奥様(友
降る雪を父と歩めるごと歩む ふとした折に父の気配を感じることがある。亡くなった4年前のお盆は、故
掃苔や墓石に遺る父の文字 失敗したなあ……。墓参りをするたびごとに父は、刻まれた「井原家先祖代々
ゆく蛍天に昇るを見届けず ドラマのようにはいかないものだ。NHKの連続ドラマ『ごちそうさん』のヒ
ミニトマト母のいのちの糧となれと赤く熟るるを三つ四つ捥げる 母の食べられるものが少なくなってきた
母を看る子どもを照らす春の月 家族の介護を担う子どもたちがいることを知ったのは、数年前だったと記
枯草も遺品とあれば遺品なり 父の遺品を整理していたら、書類の入った段ボール箱に枯草が一本入ってい
これ以上帰る場所なき秋の暮 旅の楽しさ、喜びを支えているものは、帰る場所があるということではない
時鳥絶えたる父の身は熱く 息絶えて間もなかったのだろう。未明に父の体温を測り、「ああまだ熱が38
池田小事件の日ごと歳一つとりたる母ととらぬ子ども等 あの日、70歳になった母は、あれから23年生
わが母をフジコヘミングさんと比 何か変はらん宿命生くるに なんと不遜なことを言う奴だと思われるか
枕元すこし上げたる介護ベツドを老母眠れば平にもどす 土曜の夜に来てくださるヘルパーさんは、母の清
竹の秋失語の父に問へる母 父のベッドの端にちょこんと母が腰掛けている。「おとちゃん、和子やで」「
木枯やこころの家をさがす母 「帰りたいよぉ」泣きそうな声で母が言う。「ここがお母さんの家やで」と
台風の備へいつしか父に似る 父はかなり慎重で周到な人であった。台風が近づいてくるとの予報があれば
筍の季ごとに母を見舞ふ叔母 母は四人姉妹の次女だ。一つ上の姉も、二つか三つ下の妹ももういないので
人のほか老いを労る生き物を知らざるわれは人でありたし どんな生き物も子どもは大切にする。では、老
桜餅母ひと口に食へるかな 動きはスローモーだが、食べ方は腕白だ。今日はコントロールよろしく、桜餅
姉焼けるパンやはらかく冬に入る 姉はパン作りが趣味だ。毎週2回、パンを焼いて持ってきてくれたので
るる、らるる、老母の見ゐる小鳥かな 「る」「らる」は受身の文語助動詞である。口語の「れる」「られ
夕暮に庭掃く父や蟇の声 父の仕事を私が取り上げてしまった。父の負担を減らそうという考えからだった
はつなつの苺香れるわが家のくさかんむりは今も父なり 母が話しかけたり、呼んだりする相手は、断トツ
葱坊主病めるものみな一括り 認知症とのつき合いも長くなった。母があと何年生きるかは分からないが、
夢の世を母生きわれは葱作る 不思議だ……。なんて明瞭に喋るのだろう。一人で幻と喋っているとき、寝
床擦れは耳にもありや穴惑 ある夜、耳が痛いと言う。脊椎間狭窄症の後遺症で腕や足の痛みを訴えること
父退院帰路は葉桜ばかりなり これを退院というのだろうか。やせ衰え、立つこともできず、ことばもほと
何者といふべきものになれぬまま かはたれのわれ たそかれのわれ 「かはたれ」「たそかれ」。どちら
死してより父とは言葉ひこばゆる 父はことばの人であったと思う。若い頃から仕事にも家事にも本当にま
問うておき話を聞かず餅食ふか 母は以前ほど喋らなくなった。ことばが出てこないせいもあるのだろうが
母の便摘まんで出せる秋日かな 出た便の処理はまだいい。下痢便で大惨事ということもないわけではない
母に摘む今年の苺匂ひたる 苺は秋に苗を植えて、翌年の春に収穫する。一度苗を買うと、そこから蔓(ラ
今日はぼくの誕生日だよと母に言へば掛けてくれたことばは「おはよう」 母の語彙が痩せていく。それに
春の星にじめる人を母とおもふ 努力をする母を見た記憶はない。口癖は「しんどいよ。せんよ」だった。
遠からぬこと思ひつつ毛布掛く 父や母が80歳を過ぎた頃、一緒にいられるのもせいぜいあと7、8年だ
野分めく母より逃ぐる二メートル 珍しく母が怒った。機嫌の悪い日はあっても、他人に対して激しい口調
虹出でて老母の便も出でにけり 母の便が出ると、機嫌が直る。母ではなく私の。介護生活の喜・怒・哀・
菓子握りしめたる老母桃の花 母は糖尿病である。毎日私がインスリン注射をうつ。当然、医者からは「甘
寒卵老母の糧の限られて いまの母は、肉と魚はほとんど食べない。うまく飲み込めないらしく、たいてい
子規の忌のもう一献は律さんへ もし子規の時代に介護ベッドがあったら……。あるいは車椅子があったら
ようこそ、俳介護のページへ ご訪問いただき、ありがとうございます。 本サイトは、老母を介護する日
老母まだおとぎの国に合歓の花 母が寝言をつぶやいている。その顔が笑っている。きっと楽しい夢を見て
やはらかな目覚めの顔で「幸彦か……」とつぶやく母よこの人が好きだ 幸せよりも幸いがいい。もちろん
春曙エンドレスなる母の問ひ 主語も目的語もない。曙に目覚めた母が、「1にしたらどうなる?」と問い
雪女出でぬか母狂へるいま とは言え雪女にも都合はあろうが、母をどう宥めても収まらない日などは、い
さみしさが母から香る星月夜 身体がさみしさを発している。その夜、ベッドに三日月のような形で眠って
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葛の花われに心の根なる母 葛を見るたび、地下に広がる膨大な根を想う。山の斜面を覆い尽くすほど蔓や
初のつく物みな母に初鰹 「初物を食べると寿命が延びる」といわれている。だから、できる限りわが家で
丁寧に暮らしてをればそのうちに何か変はると夏落葉掃く 玄関の飾り棚に花を飾れた日、私は自分に言い
病む母に添へば桜も聞くばかり この春、姉と7年ぶりに花見に行った。父と母と姉と4人で海南市の小野
数の子を食ふたび父の逸話かな いまnoteという媒体で、『私の 母の 物語』という小説を毎日書き続けて
爽やかに母来し方をわすれけり 四十年来のペンフレンドであるイラストレーターの永田萠さんと先日10
菫程な小さき人とはわが母のことなり母が笑めば春なり 「菫程な小さき人に生まれたし」という夏目漱石
朧夜の母には淡きものばかり 亡くなる前の1年から2年、母には、この世界がどう見えていたのだろう。
千金の老母の数歩日脚伸ぶ 亡くなる前の一年ほどは、訪問リハビリに来てもらっても、車椅子やベッドか
子に尻を拭かるる母や蓼の花 母が亡くなる前の2,3ヶ月はほぼ毎日のように母の便の処理をしていた。
ところてん母転んでも笑へた頃 いまnoteというweb媒体で、『私の 母の 物語』という小説を連
おもかげをわするることが二度目の死われ在るかぎり父母を詠む 母が生きていたときは、俳句や短歌を詠
黒文字の花幸せに単位なく 幸せとは、一つ二つと数えるものなのだろうか。それとも、一時間二時間とか
母逝きて年改まる冬すみれ 母が亡くなってから初めての新年を迎えた。父が亡くなって迎えた初めての新年には
朝顔の萎める咲けるまた一日 母の介護がいつまで続くのか、明日にも終わるかもしれないと思うと切なか
蛍火や母も明滅するいのち ちょっとしたことが命取りになる。とくに不調らしい不調がなくても、いのち
やはらかに衰へてゆく老母との日々の暮らしの手触りいとし 認知症にくわえて、糖尿病・不整脈・脊椎間
退屈を母と分け合ふ日永かな 私が仕事に行く平日は、いつも姉が来て母の世話をしてくれた。それは義
抱ふれば冬の匂ひの老母かな ここにいう匂いとは嗅覚で感じる、いわゆる香りとは違う。ある種の風情と
台風の備へいつしか父に似る 父はかなり慎重で周到な人であった。台風が近づいてくるとの予報があれば
筍の季ごとに母を見舞ふ叔母 母は四人姉妹の次女だ。一つ上の姉も、二つか三つ下の妹ももういないので
人のほか老いを労る生き物を知らざるわれは人でありたし どんな生き物も子どもは大切にする。では、老
桜餅母ひと口に食へるかな 動きはスローモーだが、食べ方は腕白だ。今日はコントロールよろしく、桜餅
姉焼けるパンやはらかく冬に入る 姉はパン作りが趣味だ。毎週2回、パンを焼いて持ってきてくれたので
るる、らるる、老母の見ゐる小鳥かな 「る」「らる」は受身の文語助動詞である。口語の「れる」「られ
夕暮に庭掃く父や蟇の声 父の仕事を私が取り上げてしまった。父の負担を減らそうという考えからだった
はつなつの苺香れるわが家のくさかんむりは今も父なり 母が話しかけたり、呼んだりする相手は、断トツ
葱坊主病めるものみな一括り 認知症とのつき合いも長くなった。母があと何年生きるかは分からないが、
夢の世を母生きわれは葱作る 不思議だ……。なんて明瞭に喋るのだろう。一人で幻と喋っているとき、寝
床擦れは耳にもありや穴惑 ある夜、耳が痛いと言う。脊椎間狭窄症の後遺症で腕や足の痛みを訴えること
父退院帰路は葉桜ばかりなり これを退院というのだろうか。やせ衰え、立つこともできず、ことばもほと
何者といふべきものになれぬまま かはたれのわれ たそかれのわれ 「かはたれ」「たそかれ」。どちら
死してより父とは言葉ひこばゆる 父はことばの人であったと思う。若い頃から仕事にも家事にも本当にま
問うておき話を聞かず餅食ふか 母は以前ほど喋らなくなった。ことばが出てこないせいもあるのだろうが
母の便摘まんで出せる秋日かな 出た便の処理はまだいい。下痢便で大惨事ということもないわけではない
母に摘む今年の苺匂ひたる 苺は秋に苗を植えて、翌年の春に収穫する。一度苗を買うと、そこから蔓(ラ
今日はぼくの誕生日だよと母に言へば掛けてくれたことばは「おはよう」 母の語彙が痩せていく。それに
春の星にじめる人を母とおもふ 努力をする母を見た記憶はない。口癖は「しんどいよ。せんよ」だった。
遠からぬこと思ひつつ毛布掛く 父や母が80歳を過ぎた頃、一緒にいられるのもせいぜいあと7、8年だ