初めての道きて蛍袋かなキキョウ科の多年草。山野や林の陰などに自生する。五~六月頃、淡紅紫色または白色で釣鐘形の花を下向きにつける。内面に紫斑がある。この花の中に蛍を入れて遊んだことから、この名がついたといわれる。初めて歩く道を辿ってきた。すると、道端に蛍袋が咲いていた。蛍袋夕風立てば伏すやうに蛍袋
楊梅を見るが楽しみ川堤ヤマモモ科の常緑高木。暖地に自生する。雌雄異株。四月頃花が咲き、六月頃実が暗紅紫色に熟す。直径一~二センチの球形で、甘酸っぱい。実は生食のほか、ジャムや果実酒に利用される。川堤を歩いていると、楊梅が生っていた。その後、ここを通るたび、色づくのを見るのが楽しみになった。楊梅の鈴生りどれも届かざる楊梅(やまもも)
木洩れ日の花合歓に差す夕べかなマメ科の落葉高木。川原や里近くに自生する。六~七月頃、夕暮近く、淡紅色の長い雄蕊の花をつけ、紅刷毛のようで美しい。葉は非常に多数の小葉からなり、この小葉が閉じて眠るので、この名がある。合歓の花が咲いていた。木の間から夕日が差して合歓の花にあたり、鮮やかな色になった。学生の帰る堤や合歓の花合歓の花
若竹の一気に高し風受けてその年に生え出た竹をいう。「今年竹」ともいう。皮を脱いだ筍はたちまち成長して、青い幹を伸ばし、緑色の若葉を広げる。若竹のみずみずしい緑は、竹林の中でもすぐにそれと分かるほどである。若竹が生えたと思ったら、あっという間に高いところまで成長した。そして、早くも風を受けて揺れていた。坂道を下る自転車今年竹若竹
南天の花用水の水豊かメギ科の常緑低木。インドおよび中国原産。暖地に自生し、また難を転ずる、火災を避けるといわれる縁起のよい木として庭に植えられる。六月頃、白い六弁花を円錐状につける。冬に熟す赤い実は、正月飾りとして用いられる。用水には水が豊かに流れていた。その用水沿いに南天の花が満開になっていた。花南天わが道を行くほかはなし南天の花
バス停の傍の木苺熟れてをりバラ科の落葉低木。山野に自生する。紅葉苺、梶苺、深山苺など多くの種類がある。四月頃小さな白い五弁花をつけ、五~六月頃、黄色または紅色に熟す。そのまま食することもあるが、ジャムや苺酒にすることもある。バス停のすぐ傍に木苺の実が生っていた。実は赤く熟れていた。木苺を食めば少年なりし頃木苺
捩花を踏むまいと行く芝生かなラン科の多年草。芝地・草原などに自生する。六~七月頃、花茎の上方に筒状で淡紅色の小花を螺旋状に密生してつける。花色は淡紅色のほか、白色、緑色のものもある。花序も茎もねじれ巻いているので、この名がある。右巻と左巻がある。芝生をよく見ると捩花があちらこちらに咲いていた。そんな捩花を踏まないように歩いた。文字摺に心を乱すことあらず捩花
背を越して青空にあり立葵アオイ科の多年草。地中海沿岸、中国原産。観賞用に栽培される。五~六月頃、茎が二メートル位伸び、葉腋ごとに大型の五弁花をつける。花は下から開花してゆく。花色は紅、桃、白、黄、紫などがある。人の背丈を越して立葵が咲いていた。背景の青空によく映えていた。立葵時折背筋伸ばしけり立葵
放課後の少年野球金糸梅オトギリソウ科の半落葉小低木。中国原産。日本には江戸中期に渡来し、観賞用に栽培される。五~六月頃、枝先につややかな黄色の五弁花をつける。雄蕊が金糸のようで美しい。ヒペリクム‘ヒドコート’大輪金糸梅は園芸品種であるが、こちらも金糸梅として詠まれることがある。小学校の放課後の校庭では少年野球が行われていた。学校前の道端には金糸梅が咲いていた。金糸梅ベンチにいつも媼ゐて金糸梅
枇杷熟れて散策の空楽しかりバラ科の常緑高木。山野に自生するが、改良品種が栽培される。冬に白い小花をつけ、翌年の五~六月頃倒卵形の果実が黄橙色に熟する。半透明の内果皮を食べるが、少し酸味があり、甘味も強い。実の割に大きな黒褐色の種子がある。散策をしていると、枇杷が生っていた。青空に熟した枇杷を眺めるのは、彩があって楽しかった。枇杷すする薩摩を訪ひしこと思ひ枇杷
青空の覗いて夏至の夕べかな二十四節気の一つで、太陽の黄経が九〇度に達したときをいう。陽暦六月二十一日頃にあたる。北半球では昼間の長さが一年中で最も長い。夏至の今日は曇っていたが、夕方になって青空が覗いてきた。その夕方がなかなか暮れなかった。瀬音聞くばかりや夏至の川堤夏至
梅雨晴の川沿ひ足の軽かりし梅雨の最中に晴れ上がることを梅雨晴といい、梅雨晴間ともいう。五月晴も同じ意味で、これは新暦五月の晴天ではない。また、梅雨が明けて何日か晴天が続くことをいう場合もある。陰鬱な梅雨が続いたある日、綺麗に晴れ上がると、青空を懐かしく思い、嬉しくなる。梅雨晴の今日、川沿いを歩いた。久しぶりの晴れに足が軽かった。遠き木に目を休めをり梅雨晴間梅雨晴
未央柳川沿ひの道細くしてオトギリソウ科の半落葉低木。中国原産。庭や公園などに植栽される。五~六月頃、黄色の五弁花をつける。多数の長い雄蕊は金糸のようで美しい。川沿いの道は細い。人とすれ違う時は避けなければならない。そんなところに未央柳が咲いていた。明るく感じられ、癒された。雲割れて日の差す未央柳かな未央柳(びようやなぎ)
孔雀草車の風に煽られぬキク科の一年草。北アメリカ原産。日本には明治初期に渡来した。六月頃、細長い茎の先にコスモスに似た、黄色で真ん中が赤褐色の頭状花をつける。花が蛇の目模様であることから「蛇の目草」、また「波斯菊(はるしゃぎく)」の別名がある。原種も品種も異なるマリーゴールドも孔雀草と呼ばれている。車道脇に孔雀草が咲いていた。車が通るたび、孔雀草は煽られて揺れていた。アメリカを訪ひしは一度波斯菊孔雀草
生きてゐることが奇跡や沙羅の花ツバキ科の落葉高木。日本を含む東南アジア原産。北海道を除く日本各地の山中に自生するが、観賞用に庭園に栽培される。六月頃、葉腋に椿に似た白色五弁花をつける。朝咲いて、夕方には散る。本来の名は「夏椿」。「沙羅」の名は釈尊がその樹下で涅槃に入ったというインド産フタバガキ科の沙羅樹と間違えたことによる。涅槃図に描かれている沙羅樹は日本にはない。生きているということは当たり前のように思えるが、それは決して当たり前ではなく、有難いことなのである。毎日生きていることが、実は奇跡的なことなのだと沙羅の花を見て思った。踏むまいぞ散策路なる沙羅落花沙羅の花
菩提樹の花やぼだい樹とふ旅籠シナノキ科の落葉高木。中国原産。庭園や特に寺院に植えられる。六月頃、淡黄色で芳香のある五弁花を葉腋から出る集散花序につける。釈尊が悟りを開いたと伝えられるのはインド菩提樹で、クワ科の常緑高木。リンデンバウムは近縁の別種、欧州菩提樹。石山寺へ詣でる途中に菩提樹の花が咲いていた。そこは「ぼだい樹」という旅館の庭であった。菩提樹の咲きて天気の持ちにけり菩提樹の花
旅疲れとは贅なるよ額の花ユキノシタ科の落葉低木。紫陽花の母種で、関東南部、伊豆七島の海岸近くの山地に自生し、観賞用に栽培もされる。六~七月頃、枝先の散房花序に多数の小花をつけ、周囲を蕚である装飾花が取り巻く。それが額縁に似るのでこの名がある。花色は、青紫、紫、紅、淡紅、白などがある。梅雨空のもと、しっとりと咲くところに風情がある。大津への旅から帰って少し旅疲れが出た。だが、今は旅行者が増えたとはいえ、旅疲れはまだ贅沢のように思われた。外では、額の花が雨に濡れていた。昨夜(よべ)の雨宿してゐたり額の花額の花
義仲寺五月雨や蕉翁の墓苔むして釣瓶井戸陰暦五月に降る長雨をいう。芭蕉真筆句碑「行春をあふミの人とおしみける芭蕉桃青」五月(さつき)の「さ」と水垂(みだ)れの「みだれ」を結んだ意といわれる。巴塚梅雨がその時候を含むのに対し、五月雨は雨そのものをさす。芭蕉翁の墓五月雨の降る中、大津の義仲寺を訪れた。入ると、奥の方に芭蕉の墓があり、墓石は少し苔むしていた。ザック負ひ大津の街やさみだるる五月雨
紫陽花や石山寺の参道にユキノシタ科の落葉低木。額紫陽花を原形とする日本原産種。梅雨入りの頃から咲き始め、梅雨明けとともに花期は終わる。花弁のように見えるのは蕚片で、花はその中にある細かい粒のようなもの。ここから「四葩」の名がある。咲き始めは白で、次第に緑、青、紫、桃色などに変化することから「七変化」ともいう。石山寺へ向かう参道に紫陽花が咲いていた。淡い色で、これもいいなあと思った。グランドに人の声する四葩かな紫陽花
三井寺金堂三井寺の上鳶の笛梅雨曇梅雨時のはっきりしない曇天をいう。石山寺東大門日本付近に横たわる梅雨前線のうごきにより暗雲が低く垂れこめる。石山寺多宝塔ときにはうっすらと雲が切れて、一時弱々しい日差しが洩れることもある。三井寺の金堂の上を鳶が鳴きながら輪を描いていた。空は梅雨曇であった。石山寺光堂梅雨曇石山寺の坂上り梅雨曇
しあはせは蛍袋の中にありキキョウ科の多年草。山野や林の陰などに自生する。五~六月頃、淡紅紫色または白色で、内側に紫斑のある鐘状の花を下向きにつける。この花筒の中に蛍を入れて遊んだところからこの名があるという。花壇に蛍袋が咲いていた。下から覗かないと中が見えない蛍袋には、きっと幸せが入っているのだろうと思った。白ければ蛍袋に亡き人を蛍袋
風あらば軽々と揺れ小判草イネ科の一年草。ヨーロッパ原産。日本には明治初年に渡来し、観賞用に栽培された。五~六月頃、茎の先に緑色の小判形の小さな花穂を多数垂らし、熟すと黄褐色になる。花穂が俵の形に似ているので、「俵麦」ともいわれる。鉢植えにして、穂が風に揺れる風情を鑑賞する。道端に小判草が群生していた。風が吹くと軽々と揺れた。貧窮の財の一つや小判草小判草
川音の届く虫取撫子にナデシコ科の一年草。地中海地方原産。日本には江戸時代末に渡来し、観賞用に栽培されたが、現在は野生化している帰化植物。五~六月頃、茎の先に濃紅色の小さな五弁花を散房状につける。茎の上方の節の間から粘液を分泌するため、小虫が付着することからこの名がついた。だが、食虫植物ではない。虫取撫子が群生しているところがあった。そこまで川音が聞えていた。紅を得て小町草とはゆかしき名虫取撫子
散策のまづ香に気づき栗の花ブナ香の落葉高木。山野に自生し、また、果実収穫用に人家や畑で栽培される。六月頃、黄白色の細長い雄花をやや上向きにつけ、緑色の雌花をその基部に固まってつける。大房になると八方に垂れ、独特の青臭い匂いを漂わせる。雌雄同株。雌雄異花で、虫媒花。受粉が終わると雄花は褐色に変色して落ちる。散策をしていると、あの独特な香が漂ってきた。見上げると栗の花が咲いていた。夕暮は人恋ふときよ栗の花栗の花
葉隠れに青梅数多生つてをり熟す前の青緑の梅の実をいう。五~六月に梅の実はふくらみ、やがて黄熟して甘酸っぱい香を放つ。青梅のうちに落して梅酒にしたり、梅干にしたりする。葉に隠れて青梅が生っていると思い、近づいてよく見ると、手前にも奥の方も、また上の方にもかなりの数の青梅が生っていた。青梅や薄日を歩く川堤青梅
遥かにも見渡してをり菖蒲園花菖蒲をたくさん植えてある庭園をいう。菖蒲田には三大品種(江戸系・伊勢系・肥後系)別に植えられていることが多く、普通、名札が差されている場合が多い。菖蒲田の間の木道などを歩きながら花菖蒲を鑑賞する。花菖蒲まつりの間には、多くの人が観に訪れる。菖蒲園は非常に広かった。遥か彼方を見渡していた。休むこと忘れてゐたり菖蒲園菖蒲園
江戸系大盃札あるもなきも撮りけり花菖蒲黄花菖蒲アヤメ科の多年草。野花菖蒲の栽培変種。水辺などの湿地に栽培される。原種の野花菖蒲は山野の湿地に自生する。江戸系水の光六月頃、抜きん出た花茎の頂に鮮麗な花をつける。花弁のもとの黄色い目型模様に特徴がある。長井系麗人江戸時代から多数の品種が作られ、広く栽培された。そのらめ花色、形は千差万別。品種は江戸系、伊勢系、肥後系に大別される。長井系は山形県長井市で改良されたもの。江戸系吉野太夫東京の東村山菖蒲園を訪れた。曇りの予報だったが晴れてきて、色鮮やかな花菖蒲がより一層美しく見られた。花菖蒲には、名札があるものとないものがあったが、どれも美しいので区別なく写真を撮った。江戸系友白髪晴れたれば心も晴れて白菖蒲花菖蒲
羊蹄の花や自転車土手走りタデ科の多年草。野原、路傍の湿地あるいは水辺に自生する。五~六月頃、茎の上部で分枝し、枝先の節々に淡緑色の小花を総状につけ、全体で細い円錐状をなす。六枚の蕚片があるだけで花弁はない。根は民間で皮膚病の薬とされる。川辺に羊蹄の花がたくさん見られた。その土手の上を自転車が走り抜けて行った。羊蹄の花に雀の止りけり羊蹄の花
軽のきぬ定家葛の畑道をキョウチクトウ科の蔓性常緑木本。山野に自生し、ときに庭木とされる。茎は地を這い、また気根を出して樹木や岩に絡む。五月~六月頃、枝先および葉腋に芳香のある白い花を集散花序につける。のちに淡黄色に変わる。花冠は五裂し、風車状にねじれる。式子(しょくし)内親王に恋をした藤原定家が、死後定家葛に生まれ変わり、内親王の墓に絡みついたという伝説からこの名がついた。古名は柾(まさき)の葛。畑道に農家の軽自動車が入ってきた。その畑の垣根に絡みついた定家葛が、びっしりと花をつけていた。見上ぐれば定家葛の香なりけり定家葛
桑の実や草踏み分けて川堤クワ科の落葉高木。五月頃、果実の集まった穂をつけ、初めは赤色で、熟すと紫黒色を呈し、甘味を増す。実は生食のほか、ジャムや果実酒などの原料として利用される。草を踏み分けながら川堤を歩いた。すると、桑の実がたくさん生っていた。桑の実に届かぬことが歯痒かり桑の実
曇り日の畑垣にあり花うつぎユキノシタ科の落葉低木。空木の花のこと。山野に自生するが、古くから垣根や田畑の境界に植えられた。五月頃、枝先に白色五弁花を密に総状につける。旧暦四月を「卯月」と呼ぶのは、この花からきたという。幹が空洞になっていることから「空木(うつぎ)」とも呼ぶ。この時季、卯月曇というように曇る日が多い。その曇り日を歩いた。すると、畑の垣根の中に卯の花が咲いていた。卯の花や郵便バイク細道を卯の花
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初めての道きて蛍袋かなキキョウ科の多年草。山野や林の陰などに自生する。五~六月頃、淡紅紫色または白色で釣鐘形の花を下向きにつける。内面に紫斑がある。この花の中に蛍を入れて遊んだことから、この名がついたといわれる。初めて歩く道を辿ってきた。すると、道端に蛍袋が咲いていた。蛍袋夕風立てば伏すやうに蛍袋
繍線菊や万葉集に恋の歌バラ科の落葉低木。山野の日当たりのよい土地に自生するが、観賞用に庭園に植えられる。五~六月頃、枝先に淡紅色の五弁の小花を傘状に群がりつける。花色は淡紅色のほかに、白色、紅白の咲き分けなどがある。最初に発見されたのが下野(栃木県)であったところからついた名といわれる。繡線菊の花が道路脇に咲いていた。この花を見て、万葉集に恋の歌が多いのを思い出した。坂上る白繍線菊を愛でながら繍線菊(しもつけ)
青梅の見るたび太りきたりけり熟す前の青緑色の梅の実のことをいう。五~六月に梅の実はふくらみ、やがて黄熟して甘酸っぱい香を放つ。青梅のうちに枝を打って広げたシートに落とす。梅干にしたり梅酒にしたりする。川沿いの道の脇に梅の実が生っていた。散歩に来るたびに青梅が太ってきていた。青梅を数へ訝しがられけり青梅
栗咲くやたまに人来て用水路ブナ科の落葉高木。山野に自生し、畑などに栽培もされる。五~六月頃、黄白色の花穂を枝先に上向きにつけるが、大房になると八方に垂れ、独特の青臭い匂いを漂わせる。雌雄同株。雄花は穂状の部分に密生し、緑色の雌花は基部につく。受粉が終わると、雄花は褐色に変色して落ちる。用水路に面した畑に栗の花が咲いていた。用水路沿いの道には人がたまにやってくる程度であった。久々の青空眩し栗の花栗の花
十薬や丘陵の道ひたすらにドクダミ科の多年草。五~六月頃、湿った日陰や庭隅などに密集して生える。白い四枚の花弁のように見えるのは苞で、その真ん中に、淡黄色の小さな花を穂状につける。特異な臭気を持ち、乾かして利尿、緩下剤など民間薬として用いられる。薬効が多いことから「十薬」の名がついた。別名「どくだみ」。丘陵の道をアップダウンを繰り返してひたすら歩いた。すると、その道の傍らに十薬が群生して花をつけていた。どくだみの花や走るは学生ら十薬
切通し通つてきたり銭葵アオイ科の二年草。ヨーロッパ原産。古くから観賞用に栽培されてきた。五~六月頃、葉腋に五弁花を数個ずつつける。花弁は淡紫色で紫色の脈がある。切通しを通って坂を下りてきた。すると、そこに銭葵が沢山咲いていた。暇さうな猫が伸びして銭葵銭葵
ヘリコプターの急旋回や山法師ミズキ科の落葉高木。本州以西の山野に自生する。庭木や街路樹にもされる。五~六月頃、枝の先に花をつける。白い四枚の花びらに見えるのは苞で、芯に緑黄色の細かい花を球状に密生する。その頭状花序を法師に、苞を頭巾に見立てて山法師という。また、秋に実る果実が球状で紅色のため「山桑」ともいう。山法師が満開となっていた。その上をヘリコプターが飛んで来て、急旋回して行った。山法師いのちながをば願いゐて山法師の花
牛乳に垂らすリキュール麦の秋五月下旬から六月にかけて、麦が黄熟し刈り入れ時となる頃をいう。オオムギ、コムギ、ライムギ、ハダカムギ、エンバクなど、麦の種類によって、若干のずれがある。米は秋に収穫するが、麦は夏が麦刈りの時である。麦秋の頃は暑くなるので、冷たいものが飲みたくなる。そこで、牛乳にリキュールを垂らして飲むと美味しかった。麦秋やフルート校舎より聞え麦の秋
川縁の桑の実に手を伸ばしけりクワ科クワ属の落葉高木。実は初め赤色で、やがて熟すと紫黒色に変じる。味は多汁で甘い。昔は子供が積んで食べ、唇を紫に染めた。現在は生食のほか、ジャムや果実酒などの原料として利用されている。桑の実や少年なりし頃の味桑の実
参拝す卯月曇の村社陰暦四月、卯の花の咲く頃の、降るでもなく晴れるでもない曇り空をいう。晴れれば気持ちのよい初夏だが、一度天気がくずれるとなかなか回復せず、梅雨の走りを思わせる。卯の花の咲く頃合いにあたるので、「卯の花曇」ともいう。今日は卯月曇であった。そんな中、北多摩の村社を訪れ、参拝した。団子屋の小窓も卯月曇かな卯月曇
ジョギングコース歩いてゐたり桜の実桜は花が終わると、初夏に実をつける。青い小粒から太るにつれて赤変し、熟して黒紫色となる。鳥はよく啄むが、酸味と渋味でうまくはない。さくらんぼは西洋実桜の実である。公園に赤いジョギングコースがある。そこを走らずに歩いていると、桜の木に赤や黒の実が沢山生っていた。実桜や丸くなることむつかしく桜の実
天を向く薔薇神神しとぞ思ふバラ科バラ属の総称。野生種は世界に約二百種、日本に約十種がある。薔薇といえば豊穣で香り高い花を咲かせる西洋薔薇をさす。一年中栽培されるが、花時の最盛期は初夏の五月。秋咲きのものもある。天に向かって薔薇が高々と咲いていた。その様を神神しいと思った。取り取りの薔薇囲む家羨しとも薔薇
バス避けて茅花流しを見てをりぬ五月頃吹く、湿気を含み雨を伴うことの多い南風を「流し」という。「茅花流し」は、茅花、すなわちチガヤの花穂が白い絮をつける頃に吹く湿気を含んだ南風をいう。梅雨の先触れとなる季節風につけた美しい名である。歩道のない道を歩いていると、バスがやって来た。バスを避けるために野原の方に向きを変えると、そこには茅花流しが見られた。百均に菓子買ひ茅花流しかな茅花流し
文士とふ言葉聞かずや鉄線花キンポウゲ科の落葉蔓性木本。中国原産。江戸時代初期に渡来。五~六月に葉のつけ根から長い柄を出し、白または薄紫の六弁花を開くが、花弁に見えるのは蕚片が変形したもの。クレマチスは、鉄線と風車などを交配して作られた園芸品種。俳句では鉄線花ともいう。最近は小説家はいても文士という言葉は聞かない。あるお宅に、文士の家に咲いているような鉄線花が咲いていた。教会の亭午の鐘やクレマチス鉄線花
青無花果部活生徒ら走り抜けクワ科の落葉小高木。小アジア原産。日本には江戸時代に伝来。果実の成熟は年二回で、夏果、秋果がある。夏果は前年についた幼果が越冬して夏熟するもので、その熟する前の青い実が青無花果である。秋果は秋に熟するもの。花が花托のなかに隠れていて見えないまま実になるので、「無花果」と書かれる。川堤の脇に青無花果が生っていた。その前を部活の生徒たちが走り抜けて行った。詩に詠めど青無花果の食べられず青無花果
散策の道の曲りや花柘榴ザクロ科の落葉小高木。イランからアフガニスタンにかけての地域が原産。日本には、平安時代に中国から渡来。五~六月頃、枝先に多肉で筒状の蕚をもつ朱赤色の六弁花を多数つける。花びらは薄くて皺がある。実のならない八重咲きの園芸品種を花石榴と呼び、花色は白、淡紅、朱、絞りなどさまざま。緑道という散策の道がある。道は曲がりくねっていて、その傍らに柘榴が咲いていた。川沿ひの家よりピアノ花ざくろ石榴の花
卯の花やジャージ下校の学生ら空木の花のこと。空木はユキノシタ科の落葉低木。山野に自生する。初夏、白色五弁花を円錐花序につける。枝が中空なので空木とも。谷空木、箱根空木はスイカズラ科で、ユキノシタ科の空木とは別種。道端に卯の花が咲いていた。その前をジャージ姿の中学生たちがぞろぞろと帰って行った。万葉の歌が好きなり花うつぎ卯の花
馬鈴薯の花に大空広ごれりナス科の一年生作物。南アメリカのアンデス高地原産。日本にはインドネシアからジャガタラを経て慶長年間にオランダ人によってもたらされたことから、じゃがたらいもの名がついた。初夏、上部の葉腋に花枝を出し、浅く五裂した数個の白または淡紫色の花をつける。畑一面に花が咲く光景は、ひなびた美しさがある。馬鈴薯の花が畑一面に咲いていた。その上には大空がどこまでも広がっていた。じやがいもの咲きしや庭の一角に馬鈴薯(じゃがいも)の花
日の差せば彩散りばめて飛燕草キンポウゲ科の二年草。南ヨーロッパ原産。デルフィニウムの一種。初夏、直径三センチほどの小花を茎頂に総状につける。花弁状の蕚に距があり、その形から飛燕が連想され、この名がある。花色は青、青紫、淡紅、白など。別名、千鳥草。雲っていたが、日が差してきた。飛燕草が彩を散りばめたように、様々な色に輝いていた。カンツォーネ聴きたくなりぬ飛燕草飛燕草
足止めぬ定家葛の花の香にキョウチクトウ科の蔓性常緑木本。山野に自生し、庭木にもされる。茎は地をはい、また気根を出して樹や岩に絡む。初夏、枝先および葉腋に芳香のある白い花を集散花序につけ、後に黄色に変わる。花冠は五裂し、風車状にねじれる。茎、葉は民間薬として鎮痛、解熱などに利用される。鎌倉時代、式子(しょくし)内親王に恋をした歌人藤原定家が、死後定家葛に生まれ変わり、内親王の墓に絡みついたという伝説からこの名がついた。古名は「柾(まさき)の葛」。長い坂道を下りて街路の歩道を歩いていると、いい香りがした。立ち止まって見ると、ある家の垣根に花を咲かせていた定家葛であった。歌にある柾の葛花つけぬ定家葛
川音の届く虫取撫子にナデシコ科の一年草。地中海地方原産。日本には江戸時代末に渡来し、観賞用に栽培されたが、現在は野生化している帰化植物。五~六月頃、茎の先に濃紅色の小さな五弁花を散房状につける。茎の上方の節の間から粘液を分泌するため、小虫が付着することからこの名がついた。だが、食虫植物ではない。虫取撫子が群生しているところがあった。そこまで川音が聞えていた。紅を得て小町草とはゆかしき名虫取撫子
散策のまづ香に気づき栗の花ブナ香の落葉高木。山野に自生し、また、果実収穫用に人家や畑で栽培される。六月頃、黄白色の細長い雄花をやや上向きにつけ、緑色の雌花をその基部に固まってつける。大房になると八方に垂れ、独特の青臭い匂いを漂わせる。雌雄同株。雌雄異花で、虫媒花。受粉が終わると雄花は褐色に変色して落ちる。散策をしていると、あの独特な香が漂ってきた。見上げると栗の花が咲いていた。夕暮は人恋ふときよ栗の花栗の花
葉隠れに青梅数多生つてをり熟す前の青緑の梅の実をいう。五~六月に梅の実はふくらみ、やがて黄熟して甘酸っぱい香を放つ。青梅のうちに落して梅酒にしたり、梅干にしたりする。葉に隠れて青梅が生っていると思い、近づいてよく見ると、手前にも奥の方も、また上の方にもかなりの数の青梅が生っていた。青梅や薄日を歩く川堤青梅
遥かにも見渡してをり菖蒲園花菖蒲をたくさん植えてある庭園をいう。菖蒲田には三大品種(江戸系・伊勢系・肥後系)別に植えられていることが多く、普通、名札が差されている場合が多い。菖蒲田の間の木道などを歩きながら花菖蒲を鑑賞する。花菖蒲まつりの間には、多くの人が観に訪れる。菖蒲園は非常に広かった。遥か彼方を見渡していた。休むこと忘れてゐたり菖蒲園菖蒲園
江戸系大盃札あるもなきも撮りけり花菖蒲黄花菖蒲アヤメ科の多年草。野花菖蒲の栽培変種。水辺などの湿地に栽培される。原種の野花菖蒲は山野の湿地に自生する。江戸系水の光六月頃、抜きん出た花茎の頂に鮮麗な花をつける。花弁のもとの黄色い目型模様に特徴がある。長井系麗人江戸時代から多数の品種が作られ、広く栽培された。そのらめ花色、形は千差万別。品種は江戸系、伊勢系、肥後系に大別される。長井系は山形県長井市で改良されたもの。江戸系吉野太夫東京の東村山菖蒲園を訪れた。曇りの予報だったが晴れてきて、色鮮やかな花菖蒲がより一層美しく見られた。花菖蒲には、名札があるものとないものがあったが、どれも美しいので区別なく写真を撮った。江戸系友白髪晴れたれば心も晴れて白菖蒲花菖蒲
羊蹄の花や自転車土手走りタデ科の多年草。野原、路傍の湿地あるいは水辺に自生する。五~六月頃、茎の上部で分枝し、枝先の節々に淡緑色の小花を総状につけ、全体で細い円錐状をなす。六枚の蕚片があるだけで花弁はない。根は民間で皮膚病の薬とされる。川辺に羊蹄の花がたくさん見られた。その土手の上を自転車が走り抜けて行った。羊蹄の花に雀の止りけり羊蹄の花
軽のきぬ定家葛の畑道をキョウチクトウ科の蔓性常緑木本。山野に自生し、ときに庭木とされる。茎は地を這い、また気根を出して樹木や岩に絡む。五月~六月頃、枝先および葉腋に芳香のある白い花を集散花序につける。のちに淡黄色に変わる。花冠は五裂し、風車状にねじれる。式子(しょくし)内親王に恋をした藤原定家が、死後定家葛に生まれ変わり、内親王の墓に絡みついたという伝説からこの名がついた。古名は柾(まさき)の葛。畑道に農家の軽自動車が入ってきた。その畑の垣根に絡みついた定家葛が、びっしりと花をつけていた。見上ぐれば定家葛の香なりけり定家葛
桑の実や草踏み分けて川堤クワ科の落葉高木。五月頃、果実の集まった穂をつけ、初めは赤色で、熟すと紫黒色を呈し、甘味を増す。実は生食のほか、ジャムや果実酒などの原料として利用される。草を踏み分けながら川堤を歩いた。すると、桑の実がたくさん生っていた。桑の実に届かぬことが歯痒かり桑の実
曇り日の畑垣にあり花うつぎユキノシタ科の落葉低木。空木の花のこと。山野に自生するが、古くから垣根や田畑の境界に植えられた。五月頃、枝先に白色五弁花を密に総状につける。旧暦四月を「卯月」と呼ぶのは、この花からきたという。幹が空洞になっていることから「空木(うつぎ)」とも呼ぶ。この時季、卯月曇というように曇る日が多い。その曇り日を歩いた。すると、畑の垣根の中に卯の花が咲いていた。卯の花や郵便バイク細道を卯の花
ネクタイをせぬ暮しなり花柘榴ザクロ科の落葉小高木。イランからインドにかけての原産。五~六月頃、枝先に多肉で筒状の蕚をもつ朱赤色の六弁花をつける。実のならない八重咲きのものを「花石榴」といい、白、淡紅、朱、しぼりなどの種類がある。散策していると、道端に柘榴が咲いていた。柘榴を見て、なぜか、長い間ネクタイをしない暮しをしているなあと思った。夕影に映ゆる柘榴となりにけり石榴の花
青空に白際立ちぬ山法師ミズキ科の落葉高木。本州以西の山野に自生する。庭木や街路樹にもされる。五~六月頃、小枝の先に花をつける。白い四枚の花弁のように見えるのは苞で、その真ん中に緑黄色の頭状花をつける。山法師がたくさんの花をつけていた。青空に白い苞が際立って見えた。ゆつくりと媼の散歩山法師山法師の花
ふふみたき色と仰ぎて桜の実桜の花のあと、初夏につく果実をいう。青い小粒から太るにつれて赤変し、熟して黒紫色となる。「さくらんぼ」と違い、酸味と渋味でうまくはないが、鳥は好んで啄む。桜の実がつややかに赤く熟していた。食べてみたい色だと思い、仰ぎ見ていた。鈴生りの実桜を風煽ぎけり桜の実
畑向かう卯月曇の屋敷森五月(陰暦四月、卯月)頃の、降るでもなく晴れるでもない曇りがちな天候をいう。丁度、卯の花の咲く頃合いに当たるので「卯の花曇」ともいう。晴れると気持ちのよい初夏の候であるが、一度天気がくずれるとなかなか回復せず、梅雨の走りを思わせる。畑の向こう側に屋敷森が見られた。空は卯月曇であった。自転車の下校に卯月曇かな卯月曇
鉄線花薄日なりしが晴れてきてキンポウゲ科の落葉蔓性木本。中国原産。日本には江戸時代初期に渡来した。蔓が鉄線のように細く硬いのでこの名がある。五~六月頃、中心に暗紫色の蕊が密集する六弁化を開くが、花弁に見えるのは蕚片が変形したものである。クレマチスは鉄線と風車などを交配して作られた園芸品種。園内に鉄線が咲いていた。最初は薄日が差していたが、やがてよく晴れて、強い日が差してきた。をみならの撮り合ふ声やクレマチス鉄線花
入りたし薔薇のアーチの喫茶店バラ科バラ属の総称。薔薇といえば豊麗で香り高い西洋薔薇をさす。薔薇は一年中栽培されるが、花時は本来五月頃。花の色も形も多種多様。近代の薔薇は改良を重ね、国際的に登録された名花だけでも二万種に及び、芳香とともに鑑賞花の王座を独占している。入り口に、薔薇がアーチ状に咲いている喫茶店があった。美しいので入ってみたいと思った。薔薇園に童心となる人ばかり薔薇
薫風や歩きて分かること多く夏、木々の緑の香りを運ぶ心地よい風をいう。和歌では、花や草の香りを運ぶ春風の意であったが、連歌時代になり、初夏の風として意識され始めた。三夏いつでも吹いているが、「風薫る五月」というように初夏の五月にこそふさわしい季語である。薫風が吹いていた。風の香りなど、外を歩いてこそわかることが多くある。人をらぬ児童公園風薫る薫風
繍線菊や声懐かしき電話ありバラ科の落葉低木。山野に自生するが、観賞用に庭園に植えられる。五~六月頃、枝先に五弁の小花を傘状に群がりつける。花色は濃紅、淡紅、白、紅白の咲き分けなどがある。下野(栃木県)で初めて見つかったところからこの名がついたという。下野草はバラ科の多年草で別種。繍線菊が咲いていた。そういえば今日は懐かしい声の電話があった。繍線菊に放課後の声届きけり繍線菊(しもつけ)
咲き出でて瀬音に近き海芋かなサトイモ科の多年草。南アフリカ原産。和名はオランダ海芋。カラーともいう。四~五月頃、長い花茎を出し、先端に白い漏斗状の仏焔苞に囲まれた黄橙色の肉穂花序をつける。観賞用に鉢花や切り花用として栽培される。川堤の道に海芋が咲き出していた。そこへ近くの瀬音が響いていた。からーに合ふ硝子花瓶を選びけり海芋
散策の夕日に向かひ銭葵アオイ科の二年草。ヨーロッパ原産。古くから観賞用に栽培されてきた。五月頃、葉腋に五弁花を数個ずつつける。葉弁は淡紫色で、紫色の脈がある。夕日に向かって歩いていた。その散策路に銭葵が夕日を受けて咲いていた。銭葵信号待ちの傍らに銭葵
すひかづら武蔵野に雨上がりけりスイカズラ科の蔓性半常緑木本。山野に自生する。五月頃、葉腋に甘い香りのする筒形の花を二個ずつ並んでつける。花は初めは白く、後に黄色に変わる。そこから「金銀花」の名がある。道端の藪に忍冬の花が咲いていた。その武蔵野に降っていた雨が上がってきた。佇みて缶珈琲や金銀花忍冬の花