所在地東京都港区芝公園4丁目2−8祭 神天照皇大神由 緒1977年、日本電波塔株式会社が創立20周年を記念して創建された神社です。事業の繁栄と来塔者の安全を祈願して伊勢神宮より御分霊を勧請。この地の氏神・幸稲荷神社の境外末社とのことです。H
全国の寺社と御朱印を紹介。 参拝記と御朱印情報を中心に、寺社の歴史や仏像・日本神話のことなどを書いています。
霧島岑神社の御朱印|霧島六社権現の総本社かも?|(宮崎県小林市)
所在地宮崎県小林市細野4937祭 神・瓊々杵尊・木花咲耶姫命・彦穂々出見尊・豊玉姫命・鵜葺草葺不合尊・玉依姫命由 緒創建年は不詳。しかし平安時代初期の続日本後紀に日向国諸県郡霧島岑神と記されていることから、それ以前には存在していた神社と思わ
陰陽石神社の御朱印情報|人に言うなよ、語るなよ|(宮崎県小林市)
所在地宮崎県小林市真方6081祭 神・天照皇大神・伊邪那岐大神・伊邪那美大神・大山積大神・豊受大神・神産大神・浜明見稲荷大神由 緒説明板によると、その昔、美女に見惚れた竜が天から降りてきて、そのまま石になったのが陰陽石の始まりといいます。古
横浜神社の御朱印情報|ベイスターズの必勝祈願をしてきました|(山口県山口市秋穂)
所在地西黒潟北3016祭 神市杵島姫命・多紀理姫命・多紀律姫命由 緒853年、安芸・厳島神社の御分霊を勧請し、六本松という海辺に創建したのがこの神社の始まりといいます。 創建当初は、海上安全の守護神として祀っていましたが、1698年に黒潟が
浄福寺の御朱印|圧巻!紅頗梨色阿弥陀如来坐像|密教版・阿弥陀如来を見仏|(山口県山口市)
所在地山口県山口市嘉川265宗 派高野山真言宗札 所山口十八不動三十六童子霊場 第11番由 緒701年、役小角が開創したお寺といいます。創建当初は青冷山 長福寺 成就院と呼ばれていたそうです。その後の由緒は不明ですが、1394~1427年に
戒定院の御朱印|秋穂八十八ヶ所霊場 第78番|(山口県山口市)
所在地山口県山口市秋穂二島上田729宗 派真言宗御室派札 所秋穂八十八ヶ所霊場 第78番由 緒創建年は不詳。創建当初は仁光寺という寺号だったそうです。1223~1311年、仁和寺菩提院の僧・了遍が中興開山。その後、一時衰退して無住のお寺にな
所在地山口県山口市秋穂西1987宗 派真言宗御室派札 所秋穂八十八ヶ所霊場 第6・7・8番由 緒746年、行基が開基したのが始まり。その後、長らく荒廃していましたが、1486年に行順和尚が復興。そして1492年に堂宇を再建したそうです。しか
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所在地東京都港区芝公園4丁目2−8祭 神天照皇大神由 緒1977年、日本電波塔株式会社が創立20周年を記念して創建された神社です。事業の繁栄と来塔者の安全を祈願して伊勢神宮より御分霊を勧請。この地の氏神・幸稲荷神社の境外末社とのことです。H
所在地東京都港区高輪2丁目11−1宗 派曹洞宗由 緒1612年、徳川家康が幼少期に人質として身を寄せていた今川義元の菩提を弔うため、江戸城に近接する外桜田に創建したのが始まり。しかし1641年に寛永の大火で焼失。その後、1604〜1651年
所在地東京都豊島区巣鴨3丁目35−2宗 派曹洞宗札 所関東百八地蔵霊場 第108番由 緒1596年、萬頂山 集福寺(埼玉県)の扶嶽太助和尚が江戸の神田明神同朋町に創建したのが始まり。その後、1657年に明暦の大火で全焼し、下谷車坂下に移転し
所在地東京都豊島区巣鴨3丁目21−21宗 派真言宗豊山派札 所・御府内八十八ヶ所 第33番・江戸六地蔵尊 第3番・豊島八十八ヶ所 第33番由 緒創建年は不詳ですが、聖武天皇の勅願により行基が開いたお寺と伝わっています。その後、1615年に祐
所在地東京都豊島区巣鴨4丁目35祭 神・天津祖 庚申猿田彦大神・地津主 甲子大己貴神・人津霊 己巳少彦名神由 緒1502年に高さ2.4mの庚申塔を建立したのが始まり。しかし、1653年に材木が倒れて5つに砕けてしまったという。そんなこんなで
所在地東京都杉並区高円寺北2丁目38−12由 緒1716年、高円寺村の講中10人が悪病退散・村民安全を願って建立したのが始まり。当初は真南に向って建っていましたが、1923年の関東大震災で横転してしまい、その後、西向きに建立されたという。ま
所在地東京都世田谷区代沢3丁目27−1宗 派浄土宗由 緒1608年、結城秀康が帰依した越前国・一乗寺の万世和尚に一寺の創建を依頼。そして万世和尚の弟子・孫公和尚が結城秀康の位牌所として創建したのがこのお寺の始まりといいます。明治時代の神仏分
所在地東京都世田谷区代沢3丁目25−3祭 神応神天皇・比売神・神功皇后・仁徳天皇由 緒1469〜1487年、世田谷城の城主・吉良頼康が世田谷城の鬼門にあたるこの地に創建したのが始まり。そして創建後、吉良氏の家臣がこの地に住みつき、下北澤村(
所在地東京都豊島区巣鴨3丁目21−21宗 派真言宗豊山派札 所・御府内八十八ヶ所 第33番・江戸六地蔵尊 第3番・豊島八十八ヶ所 第33番由 緒創建年は不詳ですが、聖武天皇の勅願により行基が開いたお寺と伝わっているそうです。その後、1615
所在地東京都台東区上野4丁目6−2宗 派日蓮宗由 緒1624〜1644年、慈光院の日遣上人が創建。奉安する摩利支天像は、京都で霊夢感得された聖徳太子が自刻と伝わる像で、1708年に徳大寺に安置されたそうです。もともと摩利支天は戦国時代の武将
尾道七佛めぐりとは?尾道市街地には25ヶ寺のお寺さんがあります。そのうちの7ヶ寺が宗派を越えて繋がり、尾道七佛めぐりが誕生しました。そんなこんなで満願成就を目指して、その7ヶ寺を全て巡る。それが尾道七佛めぐりです。●尾道七佛めぐり①持光寺(
住 所広島県尾道市東久保町22−8宗 派真言宗泉涌寺派札 所中国地蔵尊霊場 第9番由 緒1245年、備後国大田庄の荘官・和泉法眼渕信が曼茶羅寺(曼荼羅堂)を建立したのが始まり。1298年、西国巡教をしていた定證上人が曼茶羅寺に住み、荒廃して
所在地広島県尾道市東久保町20ー28宗 派真言宗泉涌寺派寺 格大本山札 所・中国三十三観音霊場 第9番・備後西国三十三観音霊場 第5番・百八観音霊場 第11番由 緒616年に聖徳太子が開基したお寺といわれています。1336年、足利尊氏が九州
所在地広島県尾道市西久保町29−27宗 派真言宗醍醐派寺 格大本山札 所・中国三十三観音霊場 特別霊場・中国四十九薬師霊場 第16番・山陽花の寺二十四か寺 第19番・備後三十三観音霊場 第6番・百八観音霊場 第12番由 緒729〜749年、
所在地広島県尾道市長江1丁目11−11宗 派真言宗醍醐派札 所中国地蔵尊霊場 第10番由 緒創建年は不詳。一説によると、平安時代初期に空海(弘法大師)が入唐した頃にはすでに創建されていたお寺といわれています。901年、菅原道真が大宰府へ左遷
所在地広島県尾道市東土堂町15−1宗 派真言宗単立札 所・中国三十三観音霊場 第10番・山陽花の寺二十四か寺 第20番・備後西国三十三観音霊場 第7番・百八観音霊場 第13番由 緒806年、弘法大師によって開かれたお寺といわれています。その
所在地広島県尾道市東土堂町17−29宗 派曹洞宗由 緒1367年、尾道の道円が発願。そして京都五山の指導者・普明国師を開山とし、室町幕府第2代将軍・足利義詮の寄進で創建されたお寺といいます。創建当初は東西三町の寺領に七堂伽藍を有する大寺院だ
所在地広島県尾道市西土堂町9−2宗 派浄土宗西山禅林寺派由 緒834〜848年、伝教大師(最澄)の高弟・持光上人が天台宗のお寺として創建したのが始まり。創建当初は日輪山 天禅寺と号し、御本尊は聖観世菩薩立像だったそうです。1382年、沙門善
建立900年特別展 中尊寺金色堂本日は東京国立博物館、略してトーハクで開催されている建立900年特別展 中尊寺金色堂を拝観してきました。中尊寺金色堂が丸ごとトーハクにくるのか!?と期待していましたが、中尊寺金色堂の中央壇に安置されている国宝
所在地広島県尾道市長江1丁目3−5祭 神・天照大神・須佐之男命・伊邪那岐命・吉備津彦命由 緒806年に創建。もともとは多氣遠宮・建遠神社と称し、素戔男命を祀る神社だったそうです。976年に吉備津彦命が合祀され、1200年頃に幣多賀宮と2社合
所在地山口県光市室積8丁目6−1宗 派臨済宗建仁寺派由 緒1006年に書写山・円教寺の性空上人が創建したお寺といわれています。創建当初は室積湾を見下ろす山中にあったそうです。その後、室町時代後期に現在地へ移転し、天台宗から臨済宗へ改宗。江戸
所在地山口県柳井市伊陸宮ケ原5441祭 神・木花咲耶姫命・応神天皇・仲哀天皇・神功皇后・大山祇神・中山祇神・麓山祇神・罔象女神・菅原道真由 緒711年、氷室岳の8合目・堂屋敷に奉斎したのが始まり。創建当初は伊賀地と祖生の氏神として崇拝され氷
所在地山口県柳井市姫田4宗 派黄檗宗由 緒創建年は不明。明治の文豪・国木田独歩が、柳井在住時代に自宅(現・独歩旧宅)から光台寺へ向かう道を好んで散策していたといわれています。境内入口と楼門(山門)●境内入口柳井市の人気観光スポット・白壁の町
所在地山口県柳井市柳井3058−1宗 派曹洞宗由 緒飛鳥時代、豊後国(大分県)の真名野長者の娘・ 般若姫が、橘豊日皇子(聖徳太子の父、後の用明天皇)の后となるために上京中、この地に立ち寄り湧き出る清水で喉を潤したそうです。そして般若姫はお礼
所在地山口県熊毛郡平生町宇佐木1166宗 派真言宗御室派札 所・中国三十三観音霊場 特別霊場・周防国三十三観音霊場 第6番・山陽花の寺二十四か寺 第3番・百八観音霊場 第19番・熊毛王国 極楽巡り(閻魔大王)由 緒約1400年前、用明天皇の
所在地山口県大島郡周防大島町日見奥田中973宗 派真言宗御室派札 所・周防大島八十八ヶ所 第19番・周防大島八十八ヶ所 第45番(明星院)・山口県十八不動・三十六童子霊場の第16番・中国楽寿三十三ヶ所観音霊場 第14番由 緒807年、唐から
所在地山口県周南市皿山町7−45宗 派金峯山修験本宗札 所中国四十九薬師霊場 第24番由 緒昭和時代、戦後の動乱期に無常を感じた高塚覚道師が吉野山に修行の場を求めて入峯。そして霊験を得て一宇を購入したのが始まりといいます。HPブログを始めま
所在地山口県周南市遠石2丁目3−1祭 神応神天皇・神功皇后・宗像三女神由 緒622年、宇佐八幡大神のお告げにより神霊を奉安したのが始まり。その後、708年に社殿を造営。平安時代からは石清水八幡宮の別宮となり、本朝四所八幡の1つと称されたとい
所在地山口県周南市鹿野上2872宗 派臨済宗南禅寺派札 所・中国三十三観音霊場 第15番・山陽花の寺二十四か寺 第4番由 緒1374年、大内家11代当主・大内盛見が用堂明機禅師を招いて開山したお寺といいます。明治時代初期まで臨済宗用堂派の本
所在地山口県下松市中市1丁目10−15宗 派真言宗御室派札 所・山口県十八不動三十六童子霊場 第18番・中国楽寿三十三観音霊場 第15番・周南七福神(大黒天)由 緒595年、青柳浦の松に星が降臨し、7日7夜輝き続けて琳聖太子の来朝を擁護する
所在地山口県下松市河内1984番地祭 神天之御中主尊由 緒595年、青柳浦の松に星が降臨し、七日七夜輝き続けて琳聖太子の来朝を擁護するようにとお告げがあったという。597年、百済国の王子・琳聖太子が来日し、桂木山に社殿を建立。そして、鷲頭の
所在地山口県下松市末武上398宗 派真言宗御室派札 所・周防国三十三観音霊場 第12番・周南七福神(寿老神)由 緒閼伽井坊は、709年に豊前国・宇佐八幡宮の御分霊を勧請した花岡八幡宮の社坊9ヶ寺の内、現存する唯一のお寺とのことです。花岡八幡
所在地山口県下松市末武上400祭 神・応神天皇・神功皇后・姫大神(市杵島姫命・田心姫命・湍津姫命)由 緒709年、豊前国・宇佐八幡宮の御分霊を勧請したのが始まり。鎌倉時代、重源上人が社殿を再建。室町時代には大内義隆が社領を寄進。安土桃山時代
所在地山口県美祢市大嶺町東分1620祭 神・天照皇大神・蛭子命・応神天皇・神功皇后・田心姫命・湍津姫命・市杵嶋姫命由 緒その昔、この地は四方を山で囲まれており、中央部には沼が多く存在していたそうです。そんなこんなで、この地の農民が山を伐採し
所在地山口県美祢市大嶺町東分1744祭 神主祭神・天照大神・蛭子大神配祀神・応神天皇・神功皇后・宗像三女神由 緒社伝によると、孝霊天皇の時代に創建。創建当初は、宇周宮または磨能峰宮という社号だったそうです。鎌倉時代、石清水八幡宮の御分霊を合
所在地山口県美祢市伊佐町南原宗 派真言宗御室派札 所・長門三十三観音霊場 第17番・十八不動三十六童子霊場 第7番・西日本ぼけ封じ観音霊場 第23番由 緒神功皇后が創始、聖徳太子が開基、花山法皇が中興した山口県内最古の真言宗寺院。寺伝による
所在地山口県山陽小野田市有帆1867宗 派曹洞宗札 所中国四十九薬師霊場 第30番由 緒1428年、瑞松庵の4代住職・仲翁守邦大和尚が隠居所として創建したのが始まり。創建当初は大休庵という寺号だったそうです。その後、火災で焼失しますが、16
所在地山口県山陽小野田市有帆1377−2祭 神主祭神・応神天皇・仲哀天皇・神功皇后配祀神・多紀理毘売命・多岐都毘売命・市杵島毘売命由 緒770年、和気清麻呂が豊前国・宇佐神宮から御分霊を勧請したのが始まり。室町時代〜戦国時代、この地を治めて
所在地山口県山陽小野田市有帆325−1祭 神・伊邪那美大神・事解之神・速玉之男神・伊邪那岐大神・家津美御子大神・天照皇大神・忍穂耳命・瓊々杵命・彦穂々出見命・鵜葺草葺不合命・軻遇突智命・埴山姫命・弥都波能売命・稚産霊命・月讀命由 緒この神社
所在地山口県宇部市善和210宗 派真言宗単立寺院札 所中国楽寿観音霊場 第17番由 緒1974年、天照大神厄除けお守鏡の考案者・隅井妙典住職が開創したお寺です。HP大本山宇部観音-千佛寺(千仏寺)境内入口と参道●境内入口中国楽寿...