2020年9月にアメリカ人の旦那を脳腫瘍(膠芽腫)で亡くしました。 闘病生活はたったの6ヶ月ですが、言葉通り闘った6ヶ月でした。 闘病生活のこと、アメリカでアラフィフ未亡人になったこれからのことを、ブログに書いて行きたいと思います。
夜が寝れない・・・、夜中に起きる・・・、 それは闘病中も闘病後も、よくあります。でも、辛いからこそ、悲しいからこそ、精神的に疲れるからこそ、ちゃんと睡眠を取ることが大切!・・・って思うんです・・・。こー言う時だからこそ、規則正しい生活を送らなくちゃいけな
第3の人生第3の人生 パート2第3の人生 パート3・・・からの続きです。第3の人生・・・、1人旅、趣味をして楽しむか?それとも、第3の人生・・・、仕事に燃えるべきか?運よく、私の「ピアノ教師」って仕事は、とーってもやりがいがある!!!小さい時に初めて、大
最近、夜中に起きることが、少なくなって来てたのに、昨晩は夜中に起きて・・・、それから寝れなかった。一番辛い時間。色んなことを思い出して、涙が溢れてくる。そうすると、余計に寝れなくなる・・・。昨晩も涙がいっぱい出てしまった。喧嘩もいっぱいしたし、お互いの価
「第3の人生」「第3の人生 パート2」の続きです。 さて、第3の人生・・・、新しい趣味でも持つべきでしょうか?第2の人生では、色んな趣味にトライしてきました。トールペイントや、シャドーボックス。木目込人形や生花。あまりこだわるタイプじゃないので、趣味もな
「第3の人生 パート2」を書いてて、2019年の夏に、プーさんと憧れのイギリスに旅行したことを、思い出しました。あれが、一緒に行った最後の大旅行。海外旅行に行くなんて、考えてなかったのに、K太郎の晴れ舞台を見に、急遽イギリスに行くことに!!実は、私が学生時
全然想像がつかない、私の第3の人生・・・。一体、私は何がやりたいのかな??今日、一緒に散歩に行った友達に、「旅行したら? 色んな所に行ってみたら?」・・・って言われました。もちろん、コロナが落ち着かないとできないことですが・・・。旅行は、まず最初に、お金
K太郎に、「お母さんの第3の人生、好きなように生きて良いんだよ!」・・・って言ってもらえた。第1の人生はプーさんと結婚するまでの人生第2の人生はプーさんと結婚して、K太郎を育てた人生そして、プーさんがいない第3の人生・・・。好きなように生きて良いって言われ
6年前に、うちに貰われてきたひなちゃん。1匹、空き家の庭に取り残されてた所を、保健所がレスキューして、その保健所から、人間慣れしてないひなちゃんを、プーさんと私とでアダプトしました。保健所では、ボーダーコリーのミックスとのことでしたが、DNAを調べた所・・・
音大時代から、シューマンの歌曲ミルテの花より「献呈」を、歌ってくれる人じゃないと、 結婚しない・・・って私は言ってました。そして・・・、プーさんは私らの結婚式で、ちゃーんと、この「献呈」を歌ってくれました。↑プーさんの声と似てるので、フィッシャーディスカ
プーさんは、歌うのが大好きだった。とーーーっても良い声の持ち主。私は・・・、プーさんも、歌う声に惚れたようなものでした。プーさんの声は、バリトンとテノールの間。声楽を習ったことが1度もないのですが、生まれ持った綺麗な声で、クワイアーやミュージカルでよくソ
今日は、とてつもなく、何もやる気が起こらない。まぁ、こー言う日もあるってこと♪闘病生活から、闘病生活後から・・・、なんかずっと走ってきたような気がする。疲れが溜まってきてる??よーし、思いっきりぐーたら主婦しよう!!思いっきり何もしないで、ぼーっとしよう
「最高の父親」の続きです。とても良い父親だったからこそ、病気でプーさんが変貌してしまったことは、K太郎にとってもショックでした。何度も何度も・・・怒鳴られ、首を絞められ・・・殺されそうに・・・。大切な息子(K太郎)を傷つけるなんて、今までのプーさんじゃ、絶
プーさんは、世界最高のおじいちゃんになれるだけじゃなく、実際に、最高の父親でした。ありがたいことに、子育ては、本当にいっぱい手伝ってくれたのです。どんなに疲れて帰って来ても、K太郎との時間をちゃんと作ってくれたプーさん・・・。K太郎が赤ちゃんの時は、オムツ
「喪に服す」・・・って、アメリカにはない風習。調べてみると、故人を偲ぶために、お祝い事や旅行を控えて、遺品を整理したり、静かに時を過ごすことらしい・・・。アメリカに住む私は、クリスマスもお祝いしちゃったし、友達とも出かけまくってます・・・。「喪に服す」っ
今日はプーさんの、4回目の月命日。まだ、4ヶ月・・・もう、4ヶ月・・・、。亡くなった日のことは、まだまだ鮮明に覚えてる。息をしてなかった、プーさんの顔も・・・。プーさんが亡くなってすぐ、プーさんが大好きだった曲の1つ、マーラーの交響曲2番「復活」の5楽章
病気で性格が変貌してしまったプーさん。読書好きの大人しい性格だったのが、自己中で、被害妄想を持ち、いつもイライラ、1つのことを考えたら、それしか考えられない人になってしまいました。そんな病気のプーさんに、ある日、言われたんです。「お前は悪い人間だから、天
「Texas, here I come! ①」を読んでくれた方は、なんでTexas? なんでお試し2年?・・・って思うかもしれませんね。 Texasを選んだのは、「メッセージなのかな?」の義母の優しさに、心を動かされたのが、1番の理由かなぁ?ここには友達がいるって言っても、引っ越し
同じ街に住む・・・、大切な日本人友達が、うずらの卵とプチトマトを持って来てくれました。この田舎街に住む日本人。めちゃくちゃ貴重な友達です。さすが田舎に住んでるだけあって、うずらを飼育して、お野菜を作って・・・、彼女のおうちは自給自足。いつも感心してるんで
「天国に電話したい!」の記事の続きになります。この家を売って、引っ越すことに決めました。前々から、それが一番かなぁ?って考えてましたが、やっぱりそうすると決断しました!!よく言われるんです。旦那が亡くなってから、1年間は大きな決断をしない方が良い!・・・
息子自慢になってしまいますが、K太郎は本当に肯定的で前向きな子です。「子」って使うのは、23歳の息子には失礼な言い方ですね。プーさんの病気で、辛いこともいっぱいだった・・・。でも、K太郎がいてくれて、どれだけ救われたか・・・。どれだけ頼ったか・・・。どれだ
今日はプーさんの59歳のお誕生日!プーさん、おめでとうーチャイニーズのケーキ屋さんで、ケーキを買って、K太郎と、プーさんの楽しい思い出を話しながら、お祝いしました。アメリカは、IRA(Individual Retirement Account)って言う、個人退職金口座に積み立てしていく人
数年前に、とっても安い一眼レフを購入。それから、写真を撮るのが趣味でした。毎日撮っては、撮ったものを夕食後に、プーさんに見せるのが日課。「これいいねー!」「可愛いねー!!」・・・ってプーさんに言ってもらえるのが嬉しくって、自己流にいっぱい撮り続けました。
よく感動ものの映画やドラマで、亡くなった人のメモを家の中で見つかって、そこに、「I love you!」・・・みたいな感動的な言葉が書いてあって、 それを見て残された者が涙する・・・ってシーンがある。本当の世界は、そんなことはありえない?きっと、そう言う場合もあるの
ちょっと落ち込み気味だった私に、K太郎が言いました。「海に一緒に行こう!」K太郎はサーフィンを楽しみ、私はぼーっとうちのワンと、海を眺めてました。 海風が本当に気持ちよかったー!!!こんな綺麗な夕焼けを見ると・・・、辛かったことも、どっかに行ってしまいそう
「孫の顔を見るまでは、死ねない!!!」手術を受ける前に、プーさんが言ってた言葉です。プーさんは、おじいちゃんになりたかった。おじいちゃんになることを、夢見てました。そして、プーさんは世界で一番のおじいちゃんになる素質があった。 K太郎に子供が出来て、プーさ
プーさんからの、テキスト(携帯メール)を受け取らなくなったのは、去年の4月。手術して退院した後は、携帯で連絡を取り合うこともなかった・・・。・・・って言うか、プーさんが上手に携帯を使えなくなってた。私の携帯に残ってる、プーさんの最後のテキスト(携帯メール
「日本に帰ろう!」・・・って何度もプーさんが亡くなってから、考えました。「年老いた母と同居して、今度こそ親孝行してあげよう!!」・・・って。でも、そこに飛び込む勇気がありません。実は・・・、実母にプーさんが亡くなったことを言えてません。それどころか、病気
今日はオーストリア人のママ友が、遊びに来てくれました♪K太郎と同年代の男の子2人のママで、K太郎が幼稚園時代からのママ友。K太郎も、彼女の息子くん2人と、いまだに大親友です。彼女は、プーさんが病気中に、ディナーをいっぱい持って来てくれたり、プーさんが大変な時
今日、戦友の義母と電話で、「天国に電話したい!」で記事にした悩みを、話しました。この家を売るべきか?日本に帰るべきなのか?それとも、どっか違う所に引っ越しするべきなのか?そしたら、「私と一緒に・・・、テキサスの長男の家に行って、一緒に住みましょう!!」・
死別から立ち直れることって、あるのかなぁ?・・・って最近思う。まだまだ別れて4ヶ月弱の私が、立ち直れてないのは、当たり前・・・。私の場合、立ち直れてない部分が、プーさんが亡くなったことよりも、プーさんの人格が変わってしまって、怖い思いをしたところ。プーさ
この家を売ると思う・・・。21年住んだこの家は、息子が育った家だし、プーさんの思い出もいっぱい!!!何よりも、都会までそこまで遠くないのに、めちゃくちゃ田舎・・・って所が気に入ってる。海も山も遠くない・・・、自然いっぱいのこの小さなこの街は、子育てするに
プーさんが天国に行ってから、今日、初めて・・・、お仕事をしてみました。私の仕事はピアノ教師。アメリカで20年以上、ピアノ教師をしてきました。このアメリカで、「先生」と生徒たちに慕われる職業につけたこと、お金がかかったけど、音大にいかせてくれた日本の親には
余命宣告を受けてから、一緒に同居して、プーさんの看病を手伝ってくれた、高齢の義母。病気前、義母とは仲良くもなく、仲悪くもなく・・・。結婚して間もない頃は、義母の日本を馬鹿にした、おバカ発言に、ムッとくることが何度もありましたが、国際結婚なら、「あるある!
実はプーさん、10年前に死にそうになったことがありました。K太郎と一緒に始めたサーフィンを、カリフォルニアの有名サーファンビーチでしてる時、サーフィンのフィンで、太ももの大腿動脈をバッサリ切ってしまい、海の中で失神。13歳のK太郎に助けられ、砂浜に引き上げ
「後悔したくない!」結婚生活においても、子育てにおいても、私は・・・いつもそう思ってる。もちろん、全てを完璧に行うことが、後悔しないってわけじゃない。人からしたら、そんなに大したことじゃなくても、自分ができる範囲で、自分なりのベストを尽くせて、それを自分
一気に亡くなるまでのことを、書いてみました。まだ、プーさんが亡くなって3ヶ月半。今でも胸が締め付けられるぐらい、辛いので、書くのは本当に辛かったです。最近、泣くことが減ってきてましたが、このブログを書いてて、やっぱり涙が出ました。でも、遠い過去のことにな
プーさんが亡くなった時、悲しい、辛い、寂しい・・・って気持ちよりも、ホッとした気持ちの方が多かった。私も、K太郎も、義母も義姉も、短かかったけど、とっても醜い癌との闘いが、やっと終わってくれたって、安堵した・・・。病気が見つかった4月から、亡くなった9月2
脳腫瘍が見つかってから、「痛い!」って言った事がなかったプーさん。ホスピスになって、錯乱したようになって、悲鳴を上げるのと同時に、目を押さえてたのです。 「痛いの?」・・・ってプーさんに聞いても、もう質問を理解して答えることができません。すぐにホスピス2
「ベンジャミン・バトン/数奇な人生」って言う、ブラッドピット主演の映画・・・。おじいちゃんの姿で生まれて来た子供が、どんどんと若返って、赤ちゃんになって死んで行く・・・って言う映画です。プーさんが亡くなって行く姿を見てて、その映画を思い出しました。もちろん
ホスピスの人たちは、本当に優しかった・・・・。最初は1週間に2度の訪問予定だった、看護師さんたち。 24時間電話できる番号に電話すると、ちょっとしたことでも、来てくれたので、ほぼ毎日から1日起きに来てくれてる状態でした。最初は他人行儀に話してましたが、そ
痙攣発作を起こして、最後のアバスチンを受けた頃には、プーさんは話すことが難しくなってて、右手、右足が不自由になってました。確かに、どんどん悪くなってる・・・。それでも、まだトイレにも行けて、2階にもゆっくりですが上がれた状態。(2階が寝室でした)そんな中
2回目のアバスチンの治療を終えた頃から、TR先生が言ってように、病気前のプーさんに少し戻って来ました。それまでは、⑨朝になれば・・・の記事に書いたように、一回「こう!」と思ったら、その考えを変える事ができなかったのですが、アバスチンを受けるようになってから
脳腫瘍のプーさん、とっても体は元気でした。頭が痛いと苦しむこともなく、亡くなる1ヶ月前までは、犬の散歩にも行けたし、外で庭仕事もできました。苦しむのを見るのは辛いですよね。それを考えたら、プーさんは幸せ者だったのかも?これはアバスチンの前に起きた出来事で
TR先生が紹介してくれた、オンコロジストのD先生、ロシア人のおじいちゃんで、とっても面白い人でした。D先生の診察を受けたとき、D先生がこう話してくれたんです。「プーさんが海軍の船の船長さんだとする。残念ながら周りの敵船があまりにも強すぎて、プーさんの船は絶対に
TR先生に、アバスチンと言う治療をすることを、すすめられました。プーさんは遺伝子検査の結果で、抗がん剤治療と放射線治療の効き目はない事が、わかってたのですが、アバスチンと言う治療で、延命治療はできないが、性格を落ち着かせる事が出来るかもしれない・・・っと言
プーさんは今までに、私にも、K太郎にも手をあげた事がありません。もともと、のんびりした性格で、趣味は読書。それが、脳腫瘍を患ってからは、夜も寝ないで、家を直し、庭仕事をし、いつもカリカリイライラ。こんなにも性格が変わってしまうものかと、家族の方がついていけ
ちょっと古い映画ですが、ロードオブザリング。パワーを持つ1つの指輪をめぐって、悪の心が生み出され、戦い、奪い合いが繰り返される。たかが1つの指輪で・・・。それが我が家では、たかがコンピューターで、戦い、奪い合いが起こってしまったのです。その日、プーさんの
退院1週間後の、電話でのお医者様とのお話。この時は、外科医のA先生ではなく、癌の専門医T先生。T先生は、戸惑いなしの口調で、「プーさんの脳腫瘍は、グレード4の膠芽腫です。治る見込みはほぼ100%ありません。余命は2ヶ月から9ヶ月です。抗がん剤などの治療で、少
手術が終わった夜中、なんとプーさんから電話が入りました。「もう、電話ができるぐらい元気なんだ!」・・・と嬉しい気持ちで電話に出ると、聞こえてくるのはプーさんの叫び声。「痛いの?」・・・って聞くのですが、看護師たちの態度が悪いとか、病院の音がうるさいとか、
コロナで在宅勤務だった旦那のプーさん。病院での心療内科の診察の前日、どうしても会社に行かなくちゃいけませんでした。もう1日中、泣いてる状態で、会社なんかに行って大丈夫なわけない!・・・って思いましたが、プーさんは「行く!」と一点張り。運転中に自殺するんじ
旦那のプーさんの最初の症状は、ズバリ・・・「鬱」でした。「鬱は病気じゃない! 気の持ちようだ!」・・・って言ってたプーさんが、部屋に閉じこもって泣いたり、食事を取らなくなったり、すぐにイライラしたり・・・、言葉数が少なくなりました。食事を取るときも、まる
2020年4月、コロナで世界が大変なことになってる時、旦那が脳腫瘍になりました。脳腫瘍の中でも、一番悪性度が高い膠芽腫。9月22日に旦那は永眠。闘ったって言葉がぴったりだった、半年のアメリカでの闘病生活。そして、アラフィフでアメリカで未亡人になって、感じ
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