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妙法寺、須磨区の地名ともなるほどの歴史深く、行基に清盛の息のかかった場所でもある。
光源氏が侘び住まいをした場所と言われ、そのことから源氏寺、源光寺などと呼ばれていた。芭蕉に子規の句碑など素敵なポイントがいくつもあって大興奮だった
最強の厄除け神社と検索して出会った場所は、なんと我が町神戸市にあった。奈良時代/770年に、疫病を鎮める儀式をした場所が今も現役で、ここにはってある水にひな形を浮かべると厄や災いを除け、穢れを祓えるという。
役行者や神々は山々を自由に飛び回ったと伝えられているが、巨大な石に乗って飛び回っていたとも聞いたことがある。誰が何の目的でどのように作ったかはわかっていない巨大な石造物、日本三奇のひとつ石の宝殿・生石神社へ
空海が開き、法然が再興、そして境内には高砂の歴史が色濃く残る。特筆すべきは建築物と黒松の圧倒的な存在感。しばし立ち止まり見とれてしまった。
武蔵の弟子であり養子の宮本伊織が1653年に改築した全社殿、寄贈の三十六歌仙図絵馬、灯篭がある。起源は天岩戸の話に関連した出来事が伝承されている。
初代明石藩主の小笠原忠政、後の忠真が創建した能舞台、そして播磨灘はすぐ目の前。何度も何度も足を運びたくなる、そんな場所だった。
巨岩が頭の上に覆いかぶさり、恐怖の念におそわれます_ と解説板にある神秘的かつ恐ろしい磐座がある天狗岩稲荷神社へ。そこは三田市の最北端母子。
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歴史深く皇室とのつながりも歴史に残る、また時代劇のロケ地として有名な北面の神社<北向きに建つ神社>摩氣神社二度目の参拝。
余りに大きくて遠くから森に見えることから甚七森との別名を持つ。同エリアの住吉神社の末社貴船大名神をこの1本が覆っている。
猛暑の午後、植物園は大きく育った木々がしっかりと日陰をつくってくれている。木漏れ日と癒しのマイナスイオン、そして圧倒的な紫陽花の艶色の世界。
平安時代中期~末期頃の作と見られる神像3躯<国の重要文化財>がある。また社殿後方には宮山と呼ばれる高さ約30メートルの丘、その頂上付近には霊岩/みたまいわがあり、古代祭祀の名残を今に伝える。
源氏ゆかりの頼光寺、紫陽花はもちろんだが、境内を覆いつくすような新緑の木々も実に美しい。
この春に夜桜を見た夙川の第二幕、紫陽花。この日は阪神香櫨園駅から歩き出した
神功皇后の凱旋の折、大己貴命を祀り創建された。能・謡曲の高砂の舞台の一つ。境内には三代目相生の松、五代目の相生の松をはじめ野生的な枝ぶりの松が点在、そして圧巻なのは樹齢千年を超えるいぶきだ。
淡路国二宮にして、かつて天皇が畏れた荒ぶる神が祀られている。倭大国魂神は大国主神と同神とする説、大和国の地主神とする説などがある。奈良県天理市の大和神社の分祀とされている。
岩屋神社より分霊を受け六柱の神を祀ったのが創始であると推定されている。伊和志津神社<宝塚>水堂須佐男神社<尼崎>高砂神社<高砂>と合わせて兵庫スサノオ四社とされる。
江戸時代の平和な時期、農村にまで広がった芸能を今に残す貴重な場所。すぐ近くの下谷上農村歌舞伎舞台と合わせて行ってみた
国の重要文化財の農村歌舞伎舞台、1840年/天保11年再建の棟札があり、大きさ設備も全国的にみても比類ないもの。そして今も現役なのだ
当初は六甲山地のひとつの丹生山にあり、山田全体の鎮守だった。丹生山と言えば清盛が福原遷都の際に比叡山になぞらえて日吉山王権現を勧請した場所だ。
日本の古代史を紐解いていくと何度もぶち当たる秦氏、神戸市北区の八多町もかつて秦氏の居住区だったのではとの説がある。物部守屋が創建したとされる八多神社を中心にいくつかの歴史ある神社が点在する。
境内のほぼ全域が弥生後期の水堂古墳と呼ばれる前方後円墳に立つ神社。狛犬は室町時代作、兵庫スサノオ4社のひとつ。2024年正月、2日に参拝した
2024年の桜とコバノミツバツツジ、この上なく感動的なタイミングで見ることができた。今も何度も思い出す幸せな一日だったな
藤の開花時期と合わせて開園され、藤まつりが開催される。最長1m45㎝にもなる藤の花房、白・紫・ピンクなどの花が、谷風に揺らぐ、そして魔性の香り
多井畑厄除八幡宮のすぐそば、本来なら海岸付近に生息するウバメガシの広がる大きな枝の傘の下、猿田彦神社に2024年最初の参拝。
8世紀後半から伊蘇志臣/いそしのおみが拠点としていた地に立つ式内の大社。祭神は須佐之男命、宝塚随一の古社で、兵庫スサノオ四社のひとつ
行者山などが連なる山脈の端に位置し祭神は大山祇尊、境内にある恵比寿神社社殿は元清荒神清澄寺にて三宝大荒神が祀られていた社殿、見事な天保年間<1831-1845年>の作。
源氏ゆかりの頼光寺、紫陽花はもちろんだが、境内を覆いつくすような新緑の木々も実に美しい。
この春に夜桜を見た夙川の第二幕、紫陽花。この日は阪神香櫨園駅から歩き出した
神功皇后の凱旋の折、大己貴命を祀り創建された。能・謡曲の高砂の舞台の一つ。境内には三代目相生の松、五代目の相生の松をはじめ野生的な枝ぶりの松が点在、そして圧巻なのは樹齢千年を超えるいぶきだ。
淡路国二宮にして、かつて天皇が畏れた荒ぶる神が祀られている。倭大国魂神は大国主神と同神とする説、大和国の地主神とする説などがある。奈良県天理市の大和神社の分祀とされている。
岩屋神社より分霊を受け六柱の神を祀ったのが創始であると推定されている。伊和志津神社<宝塚>水堂須佐男神社<尼崎>高砂神社<高砂>と合わせて兵庫スサノオ四社とされる。
江戸時代の平和な時期、農村にまで広がった芸能を今に残す貴重な場所。すぐ近くの下谷上農村歌舞伎舞台と合わせて行ってみた
国の重要文化財の農村歌舞伎舞台、1840年/天保11年再建の棟札があり、大きさ設備も全国的にみても比類ないもの。そして今も現役なのだ
当初は六甲山地のひとつの丹生山にあり、山田全体の鎮守だった。丹生山と言えば清盛が福原遷都の際に比叡山になぞらえて日吉山王権現を勧請した場所だ。
日本の古代史を紐解いていくと何度もぶち当たる秦氏、神戸市北区の八多町もかつて秦氏の居住区だったのではとの説がある。物部守屋が創建したとされる八多神社を中心にいくつかの歴史ある神社が点在する。
境内のほぼ全域が弥生後期の水堂古墳と呼ばれる前方後円墳に立つ神社。狛犬は室町時代作、兵庫スサノオ4社のひとつ。2024年正月、2日に参拝した
2024年の桜とコバノミツバツツジ、この上なく感動的なタイミングで見ることができた。今も何度も思い出す幸せな一日だったな
藤の開花時期と合わせて開園され、藤まつりが開催される。最長1m45㎝にもなる藤の花房、白・紫・ピンクなどの花が、谷風に揺らぐ、そして魔性の香り
多井畑厄除八幡宮のすぐそば、本来なら海岸付近に生息するウバメガシの広がる大きな枝の傘の下、猿田彦神社に2024年最初の参拝。
8世紀後半から伊蘇志臣/いそしのおみが拠点としていた地に立つ式内の大社。祭神は須佐之男命、宝塚随一の古社で、兵庫スサノオ四社のひとつ
行者山などが連なる山脈の端に位置し祭神は大山祇尊、境内にある恵比寿神社社殿は元清荒神清澄寺にて三宝大荒神が祀られていた社殿、見事な天保年間<1831-1845年>の作。
樹齢600年のさざんか、花の時期に遅かったのだがその雄姿を見たくて立ち寄ってみた。
法道仙人千日の行法の地、葛野庄/かどののしょうの総氏神、主祭神は神武天皇の父、咩咩草葺不合尊/ウガヤフキアヘズノミコト
牛馬の守護神舟城の天王さん、そして身を護る不思議の4文字サムハラの御神札授与とある。神仏習合の名残りたっぷり
兵主神社/ひょうずじんじゃ、は日本に19社ある兵庫/つわものぐらの鎮守、奈良時代、天平18年/746年の創建。疱瘡の守護神として広く知られる。
1960年以降埋め立て以前は大鳥居周辺は砂浜であり、文字通り「海の神社」であった。伊和神社・粒坐天照神社とともに播磨三大社とされる。