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小さな山門から幽玄な石段に導かれ、開放的な境内へと登りゆく。そこでは遠くの山並みが実に美しい眺めだった。
宝塚の波豆八幡神社に行った折、石造鳥居の解説板で県下一古い石造鳥居のある三田市藍本の酒垂神社も波豆石で構造形式も同じだとのことを知った。⊳波豆八幡神社の記録
創建は神功皇后元年/201年と言われる古社、古代では南に突き出した岬、美しい海岸を持つ西国街道の要所であった。その海岸は昭和初期に埋め立てされてしまった。
平安時代より由緒ある場所、上豊富地域の総社だった島田神社は平成21年の修復工事によって500年前の姿に蘇った。福知山市内で最古の木造建築である。
室町時代の留学僧である愚中周及/ぐちゅう しゅうきゅうが開山。栄華を極めている京都五山へ対抗し厳格な禅風を守り、中国様式色濃く残す臨済宗妙心寺派の禅宗寺院である。福知山十景に選ばれている。
車でのアプローチ、スロープの途中のゲートを自分で開けて入る。そして帰るときにまた閉めておく。少し不安を感じたが紫陽花は実に見事だった。特に仁王門から左右の紫陽花の間をを縫って登る石段は素晴らしい参道だ。地元のNPOが育てるまさに穴場。
花は小さな仏さま、そう書かれた入山券が気に入っている。関西花の寺第一番札所。花浄土とも言われる境内の仏たちとあじさいを満喫した。究極の癒し、そんな数時間だった。
僅か3年3か月、未完の都、恭仁京あとを訪れた。平城京の大極殿が恭仁宮へ移築、そのあと難波宮、近江紫香楽宮、そして再度平城京と目まぐるしく都は変わっていったが大極殿はそのままこの地に残され天平18年/746年山城国分寺の金堂となって生まれ変わった。
岩船寺で紫陽花を満喫したあと、山門の西にある石段を登り、かつては岩船寺鎮守、今は岩船地区の氏神、重要文化財の白山神社と春日神社へ。そして当尾石仏の里ウォーキングのいくつかのポイントを巡ってみた。
京都府の南端、奈良県境に近い当尾/とうのの里、多くの石仏や石塔があることで有名な場所にあじさいを観にでかけた。関西花の寺 第十五番 岩船寺。
第53代淳和天皇の第四妃(後の如意尼)が空海の力を借りて開いた真言宗御室派の別格本山。秘仏如意輪観音像は空海が山頂の巨大な桜の木を妃の体の大きさに刻んで作った。
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歴史深く皇室とのつながりも歴史に残る、また時代劇のロケ地として有名な北面の神社<北向きに建つ神社>摩氣神社二度目の参拝。
余りに大きくて遠くから森に見えることから甚七森との別名を持つ。同エリアの住吉神社の末社貴船大名神をこの1本が覆っている。
猛暑の午後、植物園は大きく育った木々がしっかりと日陰をつくってくれている。木漏れ日と癒しのマイナスイオン、そして圧倒的な紫陽花の艶色の世界。
平安時代中期~末期頃の作と見られる神像3躯<国の重要文化財>がある。また社殿後方には宮山と呼ばれる高さ約30メートルの丘、その頂上付近には霊岩/みたまいわがあり、古代祭祀の名残を今に伝える。
源氏ゆかりの頼光寺、紫陽花はもちろんだが、境内を覆いつくすような新緑の木々も実に美しい。
この春に夜桜を見た夙川の第二幕、紫陽花。この日は阪神香櫨園駅から歩き出した
神功皇后の凱旋の折、大己貴命を祀り創建された。能・謡曲の高砂の舞台の一つ。境内には三代目相生の松、五代目の相生の松をはじめ野生的な枝ぶりの松が点在、そして圧巻なのは樹齢千年を超えるいぶきだ。
淡路国二宮にして、かつて天皇が畏れた荒ぶる神が祀られている。倭大国魂神は大国主神と同神とする説、大和国の地主神とする説などがある。奈良県天理市の大和神社の分祀とされている。
岩屋神社より分霊を受け六柱の神を祀ったのが創始であると推定されている。伊和志津神社<宝塚>水堂須佐男神社<尼崎>高砂神社<高砂>と合わせて兵庫スサノオ四社とされる。
江戸時代の平和な時期、農村にまで広がった芸能を今に残す貴重な場所。すぐ近くの下谷上農村歌舞伎舞台と合わせて行ってみた
国の重要文化財の農村歌舞伎舞台、1840年/天保11年再建の棟札があり、大きさ設備も全国的にみても比類ないもの。そして今も現役なのだ
当初は六甲山地のひとつの丹生山にあり、山田全体の鎮守だった。丹生山と言えば清盛が福原遷都の際に比叡山になぞらえて日吉山王権現を勧請した場所だ。
日本の古代史を紐解いていくと何度もぶち当たる秦氏、神戸市北区の八多町もかつて秦氏の居住区だったのではとの説がある。物部守屋が創建したとされる八多神社を中心にいくつかの歴史ある神社が点在する。
境内のほぼ全域が弥生後期の水堂古墳と呼ばれる前方後円墳に立つ神社。狛犬は室町時代作、兵庫スサノオ4社のひとつ。2024年正月、2日に参拝した
2024年の桜とコバノミツバツツジ、この上なく感動的なタイミングで見ることができた。今も何度も思い出す幸せな一日だったな
藤の開花時期と合わせて開園され、藤まつりが開催される。最長1m45㎝にもなる藤の花房、白・紫・ピンクなどの花が、谷風に揺らぐ、そして魔性の香り
多井畑厄除八幡宮のすぐそば、本来なら海岸付近に生息するウバメガシの広がる大きな枝の傘の下、猿田彦神社に2024年最初の参拝。
8世紀後半から伊蘇志臣/いそしのおみが拠点としていた地に立つ式内の大社。祭神は須佐之男命、宝塚随一の古社で、兵庫スサノオ四社のひとつ
行者山などが連なる山脈の端に位置し祭神は大山祇尊、境内にある恵比寿神社社殿は元清荒神清澄寺にて三宝大荒神が祀られていた社殿、見事な天保年間<1831-1845年>の作。
源氏ゆかりの頼光寺、紫陽花はもちろんだが、境内を覆いつくすような新緑の木々も実に美しい。
この春に夜桜を見た夙川の第二幕、紫陽花。この日は阪神香櫨園駅から歩き出した
神功皇后の凱旋の折、大己貴命を祀り創建された。能・謡曲の高砂の舞台の一つ。境内には三代目相生の松、五代目の相生の松をはじめ野生的な枝ぶりの松が点在、そして圧巻なのは樹齢千年を超えるいぶきだ。
淡路国二宮にして、かつて天皇が畏れた荒ぶる神が祀られている。倭大国魂神は大国主神と同神とする説、大和国の地主神とする説などがある。奈良県天理市の大和神社の分祀とされている。
岩屋神社より分霊を受け六柱の神を祀ったのが創始であると推定されている。伊和志津神社<宝塚>水堂須佐男神社<尼崎>高砂神社<高砂>と合わせて兵庫スサノオ四社とされる。
江戸時代の平和な時期、農村にまで広がった芸能を今に残す貴重な場所。すぐ近くの下谷上農村歌舞伎舞台と合わせて行ってみた
国の重要文化財の農村歌舞伎舞台、1840年/天保11年再建の棟札があり、大きさ設備も全国的にみても比類ないもの。そして今も現役なのだ
当初は六甲山地のひとつの丹生山にあり、山田全体の鎮守だった。丹生山と言えば清盛が福原遷都の際に比叡山になぞらえて日吉山王権現を勧請した場所だ。
日本の古代史を紐解いていくと何度もぶち当たる秦氏、神戸市北区の八多町もかつて秦氏の居住区だったのではとの説がある。物部守屋が創建したとされる八多神社を中心にいくつかの歴史ある神社が点在する。
境内のほぼ全域が弥生後期の水堂古墳と呼ばれる前方後円墳に立つ神社。狛犬は室町時代作、兵庫スサノオ4社のひとつ。2024年正月、2日に参拝した
2024年の桜とコバノミツバツツジ、この上なく感動的なタイミングで見ることができた。今も何度も思い出す幸せな一日だったな
藤の開花時期と合わせて開園され、藤まつりが開催される。最長1m45㎝にもなる藤の花房、白・紫・ピンクなどの花が、谷風に揺らぐ、そして魔性の香り
多井畑厄除八幡宮のすぐそば、本来なら海岸付近に生息するウバメガシの広がる大きな枝の傘の下、猿田彦神社に2024年最初の参拝。
8世紀後半から伊蘇志臣/いそしのおみが拠点としていた地に立つ式内の大社。祭神は須佐之男命、宝塚随一の古社で、兵庫スサノオ四社のひとつ
行者山などが連なる山脈の端に位置し祭神は大山祇尊、境内にある恵比寿神社社殿は元清荒神清澄寺にて三宝大荒神が祀られていた社殿、見事な天保年間<1831-1845年>の作。
樹齢600年のさざんか、花の時期に遅かったのだがその雄姿を見たくて立ち寄ってみた。
法道仙人千日の行法の地、葛野庄/かどののしょうの総氏神、主祭神は神武天皇の父、咩咩草葺不合尊/ウガヤフキアヘズノミコト
牛馬の守護神舟城の天王さん、そして身を護る不思議の4文字サムハラの御神札授与とある。神仏習合の名残りたっぷり
兵主神社/ひょうずじんじゃ、は日本に19社ある兵庫/つわものぐらの鎮守、奈良時代、天平18年/746年の創建。疱瘡の守護神として広く知られる。
1960年以降埋め立て以前は大鳥居周辺は砂浜であり、文字通り「海の神社」であった。伊和神社・粒坐天照神社とともに播磨三大社とされる。