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雨霞 あめがすみ https://amegasumi.hatenablog.com/

そろそろ人生黄昏ですので、過去に書き溜めた様々なジャンルの小説や散文を公開します。

雨霞 あめがすみ
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2020/06/15

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  • 水色の日傘--54

    「ぼんはもう二年生か」 ちょっとの間中空を睨んで何か考えていた工場長が無関係な話でもするように訊いた。 「そうです」 「やったら大丈夫かな」 「なにがです」 工場長はしばらく考えながらタコ焼きを呑み込んでからおもむろに語り始めた。 「実はな、わしはあのかき氷のお母さん知ってるんや」 「え、ほんまですか」 「見覚えあるなとあの時も思うたけどな」 工場長が語るには、どうやらママさんは私が一時住んでいた安アパートに夫婦で住んでいたらしい。 「あの辺に割と大きな広場を抱えたアパートがあってな、元は軍関係の何かの部品作ってる工場やったと聞いてるけど、そこを戦後アパートに改造したんや。屋根が工場やった当時…

  • 水色の日傘--53

    私はママさんのことが気になったから、もしかしてまた来ていないだろうかと、その後も篠田と公園を訪れたが姿を見ることは遂になかった。そのまま夏が終わった。 こんなことがあったのに篠田とも以後特に親密になることもなく極普通の付き合いになった。元々クラスが違っていたしそれまでは言葉を交わしたこともろくになかったから、それは普通の成り行きだったろう。 この夏を最後に、私の小学生時代の夏の記憶はほぼなくなっている。多分、平凡な日常になってパッとしない日々を過ごしたのだろう。特別記憶に残るようなこともなかったのだと思われる。 中学生になると、もうこの夏の記憶は普段の頭になかった。中学校では私が通った学校とも…

  • 水色の日傘--52

    興行的に大成功だった。その時だけできっと三日分くらいの売り上げがあったのではないだろうか。それを思うと嬉しかった。明日はまた会えるのだ。私は、多分篠田もそうに違いないが、ママさんに生意気にも無邪気な恋心を抱いていたのだった。齢と言っても、多分まだ二十歳代だった。スラッとした細面で、今でははっきりしないが、髪を後ろで束ねていた。少なくとも同年齢当時の私のお袋よりは遥かに美人だった。 篠田とは昼一時過ぎに待ち合わせていた。私は明日の情景を勝手に思い受かべて眠った。ワクワクしてなかなか寝付けなかった。どこに住んでいるのかも知れない。きっと昼食を摂ってから出て来るのだろう。他の公園を回ったりしているの…

  • 水色の日傘--51

    氷を最後までガリガリやって、結局払いはドンブリ勘定になった。事実上余分に食った奴も居たが、それはもう問わない。主将である萩野と浅丘が「はい集金集金」と言って一人ずつ集めた。悟君と田中君のグループはそっちで払った。十円玉を持たないで出てきた奴も居たが適当に個人間で調整した。 「いやあ、きょうはようけ売れて嬉しいわ、ほんまにありがとうね」 ママさんは子供の頭を撫でながらニコニコしていた。 悟君が弾むように言った。 「楽しかったできょうは、田中と君ちゃんが思いがけんとこで出てきたし」 余計なお世話だと田中君は言い、君ちゃんは空を向いていた。 ママさんはそろそろ帰り支度を始めた。もうちょっと見ててねと…

  • 水色の日傘--50

    来たきたと皆でママさんを迎えた。ママさん戻ってきたよと篠田が子供に語り掛けて一緒にママさんの元に歩み寄った。子供はママさんのスカートをしっかり掴んでちょっと泣き出しそうにしていたが、篠田がそれをしきりになだめていた。 「やっぱりママさんとちょっとでも離れてると寂しいんやな」 篠田はそう言ってママさんの様子を窺った。小学生ばかりと言っても大勢だし中学生も混じっている。それ程の心配はしていなかったろうが、子供の頭を何度か撫でて安心の表情だった。 「ちょっと人数減ったんか」 そのように見えたので篠田に尋ねたら、試合も終わったしで、ママさんを待っている間に女子どものかなりは帰ったらしい。ちょっと残念だ…

  • 水色の日傘--49

    ハアハアと走りながら萩野は私に訊いた。 「あっちの市場、いっちゃん行きやすいのはどの道や」 公園の前のバス停から二つ目の停留所の前に市場がある。自分たちは普段利用しない市場だが、何度かは訪れたことがある。 「どうでも行けるがな。どこ回っても似たようなもんや」 「ほな、どう回るんや」 町内を升目に仕切って道路が走っているからどこを行っても距離は同じだ。しかし道の採りようによってはママさんと入れ違えになる可能性もあった。 「乳母車を押してるんやからいきなりバス通りには出やへんやろ」 「ええ推理や、それくらい頭働かせたらお前の成績ももうちょっと上がるんや」 「よけいなお世話や」 走りながら嫌なことを…

  • 水色の日傘--48

    篠田が弾んで言った。 「ママさん良かったね、氷なくなってしもたけどそれだけ売れたんやもんね」 私は思わず言った。 「あほ、ここからが商売やないけ」 「そやな、予想外の売れ行きやけど、どないしょ」 私は全員を見渡した。女子たちの何人かは、それだったら私たちはもういいとグループになって帰る者も居た。しかし男子が全員残っているしそれに関係する女子たちも残っていた。中学生の田中君と君ちゃんが居るし悟君と水口も居る。まだ結構な人数だ。 ママさんが問いかけるように言った。 「ごめんね、でもみんな食べてくれるんやったら今から氷買ってくるけど、どうないしょう」 篠田が素っ頓狂な声をあげた。 「え、今から買いに…

  • 水色の日傘--47

    皆ゾロゾロとかき氷の売り場の周りに集まってきた。私は篠田の近くに歩み寄りママさんにコックリと頭を下げた。ママさんは、きょうもやはり大人しい女の子に寄り添うように植え込みの縁に座っていた。 「聞いてるよ、二人で色々やってくれたんやね、ようけ集まってくれておおきに」 私は篠田の顔を横目でちろっと見た。言わぬでも良いのにママさんに手柄話をしたようだ。篠田はえっへっへと頭を掻いた。 女子たちの中にはとっくに食べている者や既に食べ終わった者も居る気配だった。 私は篠田に小声で訊いた。 「いくつ売れたんや」 「五つくらいやな」 しかし氷はまだたっぷりある。これが溶けぬうちに売ってしまわねば。 篠田はここと…

  • 水色の日傘--46

    子供のジャンケンでいちいち先を読む者は居ない。あっても少数だろう。最初に何を出すかくらいは決めるものだが後は条件反射のようなものだ。二人がタイミングを揃えてパッと出したら二人ともパーだった。不思議なものだが、何故か最初はパーを出すことが多いのだった。 あいこで…ショッと出したら偶然か読んだの二人ともグーだった。全員がもう一度掛け声をあげた。あいこで…ショッと、今度は橋田がパー。馬場はまたもグーだった。 私は大きな声で宣した。 「パーの勝ち!四組の橋田君の勝ちです」 馬場は思わず崩れ落ち、橋田は両手を挙げて「やったー!」と叫んだ。 四組女子たちから一斉に歓声があがった。三組女子たちからは一旦はた…

  • ちょっとだけお知らせ

    思いつくままのまとまりのない駄文を書いてきましたが、短編だけにして置くつもりでしたがいつの間にかダラダラとした長辺になってしまって現在に至っております。 しかし更新は続けるつもりで、一カ月に一度もない極少の更新でしたが遅れ遅れでも頑張っていました。 ところが最近になってちょっとしたアクシデントに見舞われまして、以後は更に更新が滞ると思います。アクシデントは、今のところはまだ全体が見通せない状態でして、落ち着くまでにはそれなりに時間がかかりそうです。 止めてしまう訳ではありません。少なくとも現在進行中のものだけは最後まで続けたいと思っています。 時々立ち寄って頂いている方には申し訳ありません。m…

  • 水色の日傘--45

    走ってきた吉田とキャッチャーの萩野がもつれ合って転んだ。転んでも萩野はしっかりボールを保持していた。際どいが、私には萩野のタッチが一瞬早いように感じた。 「アウト!アウトアウト!!」 右拳を二度三度突き上げて私はアウトを宣した。ここで躊躇すると信頼をなくすのだ。ワーッと四組女子たちから声援が巻き起こった。 「えーっ!嘘やーん」 吉田が起き上がりつつ、叫んで抗議した。三組のメンバーも一斉に駆け寄ってきた。主将の浅丘も詰め寄ってきた。打った高田も二塁に達していたが様子を見に戻ってきた。 浅丘は私の顔を睨んだ。「俺には殆ど同時に見えたで、お前にはっきりわかったんか」 萩野がニヤニヤして起き上がりつつ…

  • 水色の日傘--44

    打球はセンター方向に高く上がった。体格のある長谷川の自力だろうか。大根切りにしては不思議な打球の上がり方だ。しかも大きい。センターの森が懸命に追った。吉田はためらい走りで飛んでいく打球を目で追った。 突然浅丘が叫んだ。 「抜けるぞ、走れ!」 吉田は指示を信頼して走った。しかし意外にも打球が高く上がり過ぎていた。深いところまで走った森が捕れそうな気配を見せた。 浅丘がまた叫んだ。 「あかん、戻れ!」 「そんな…殺生な」 吉田は息を吐きながら慌ててファーストへ戻った。森からの返球を一旦福永が受けて振り向いたが吉田は無事にファーストに戻っていた。ツーアウトランナー一塁。 「惜しい、もうちょっとやった…

  • 水色の日傘--43

    橋田は一球目外に投げた。はっきりとわかるボール球で、徳田はまったく動く気配なく見送った。 「おいおい、歩かせるつもりやないやろな」 徳田はチロッと萩野に視線を送った。萩野は返球しながらも徳田を刺激するように言う。 「さあな、お前に馬鹿にされた橋田や。勝負せんわけないやろと思うで」 徳田はちょっとムッとした。今になってそのことは気になっている。調子に乗って余計なことを言ったかも知れない。しかし敢えて言われるとむかつくのだった。 二球目、橋田はわざとフワリとした球をインコースに投げた。殆ど徳田に当たりそうだったが球が緩いので揉め事にはならない。徳田は馬鹿にしたように余裕を見せて避けた。ボールツー。…

  • 水色の日傘--42

    コースは真ん中だがやや低め。高さは吉田のつもりとはちょっと違った。しかし出かかったなにかみたいな話で、もう止まらない。普通なら見送るだろう球を、吉田は腰を屈めるようにして短く持ったバットを鋭くぶっ叩くような感じで振った。 パコン!と音がして球は橋田をめがけて飛んだ。低い弾道で一瞬橋田には見えなかった。その僅か手前で一旦バウンドした球は橋田の左肩ををめがけて飛んできた。 うわっ!と叫んで橋田が咄嗟に突き出したグラブに当たった球は弾んでファースト側に転がった。 「走れぇ!」 三組全員が叫んだ。ファールグランドまで転がった球を井筒が追いかける間、吉田は尻に火が着いたように走った。 よろけた橋田が体制…

  • 水色の日傘 41

    振り返ると、差した日傘の水色の陰のなかでママさんは穏やかな笑顔を浮かべていた。商売道具を乗せた乳母車を片手で押して、子供がスカートの裾をしっかり握っている。そのすぐ横に篠田がまるで兄貴のような顔をして一緒に歩いてくるではないか。 ぬぬ!っという気持ちに一瞬なるのだった。その険しさとママさんを見る嬉しさとが微妙に混じった複雑な表情だったに違いない。 私はそばに駆け寄ってママさんにちょこっと首を傾げて挨拶をした。 「おおきに、待っててくれたん」 ママさんの涼しい声がした。 「はい、もうすぐ試合終わります。そしたら皆でかき氷食べます」 私の声は弾んでいた。この時のためにすべてのことを企んだのだ。そし…

  • 水色の日傘--40

    「おう篠田、ママさんきたか。それにしてもゆっくりやな」 「贅沢言うたらあかん。子供連れてんねやで、そないスタスタ歩けるかいや」 「それもそや」 私は相槌を打った。 「それにな、氷がどんどん溶けて、一旦買いに行かはったんや」 「成る程、そんなこっちゃったんか。けど、お陰でちょうどええとこや、最終回やがな」 「どっち勝ってるんや」 どうでも良いけれど一応訊いて置こうという感じで目つきだけは真剣なのだった。 「うちが勝ってるで、ありえんこっちゃろ」 私がそう答えても篠田は頷くだけであまり関心はない。何があっても七回で終わりだが、下手に同点、或いは逆転などになって四組の攻撃があるよりもこのまま終わった…

  • 水色の日傘--39

    徳田は、ややためらいを含みつつ語り掛けてきた浅丘の目を見た。 「きょうはええ試合やで」 わざわざ寄ってきて何の話かと思いつつも徳田は頷く。「そやな…」 「こんなええ試合は滅多にないで」 「俺もそう思う。四組も前とは大違いや。こんなに点取りよるとはな。けどそれがどないしてん」 「それやがな、きょうみたいな試合はもう勝ち負けやない。記念もんやな」 徳田は訝る。「なに言うてんねんお前」 「いや、そやからな、こんな試合は全員参加で終わりたいもんやがな」 「全員参加…」 「吉田が補欠のままやがな、この前の試合もそうやった。きょうはあいつにも出てもらおうやないか」 徳田はチラッと吉田の方を見た。吉田は地べ…

  • 水色の日傘--38

    「浜田!」 プレーをかけようとした時突然後ろから呼ばれた。 「お、篠田」 走ってきたのだろう、篠田は息弾ませて言った。 「ママさんくるで」 ひとつ手柄を立てたような得意顔をしている。 「おおそうか、良かった。今どこに居てはんねん」 「こっちへ向かってる。もうそろそろ見えるはずや」 私は女子たちの集まりを見た。ほとんどがそのまま観戦している。全部とは言わぬでも半分でも買えばかなりの売り上げになるはずだ。計算は鈍いが一人五円としても何人居るのか。 篠田は言った。 「俺な、ママさん来はったら女子に言い含めるで。宣伝やがな。氷喰いとうなるように仕向けるんや」 私は頷いた。 「もちろんや、頑張ってくれ。…

  • 水色の日傘--37

    呼ばれた萩野が駆け寄って問うた。 「なんやどないした」 いつものように井筒は小声で答える。 「うちに補欠はなかったんかな」 「そうや、前に岸下がおらんかったから浜田が入ってたんや。浜田はあの通り今日は主審や」 「ああそうやった、それやったらええんや」 「なんや、どないしてん」 「補欠があったら代走で出てもらおうかと思うて」 「代走…」 「あのな、今日は滅多にないええ試合やと思うねん。もしかしたらええ思い出になるかも知れん。そやから、みんな出られた方がええと思うねん」 「ああなるほど。折角出てきとるんやからな」 「そやけど、何か切っ掛けがないと交代も変やろし」 「手、痛むんか」 「全然…」 「そ…

  • 水色の日傘--36

    五回裏の四組の攻撃は五番の黒田からだった。黒田は当たり外れが多くて楽しめる人物だったが野球に於いてもそうだった。先程はまぐれのホームランをかっ飛ばして一躍本日の有名人になったが、そんな時でも打席にはあまり真剣に立っているように見えない。いつも眉を波打たせて--しょうもないわほんまに--とも読める顔をしているのでそこを先生に叱られたこともあったが今は皆が性格を理解している。 そんな黒田だから意外にまた打つぞとそれなりに期待され、さすがの黒田も良い気分なったのか打つ気がみなぎっているようだった。ところが大振りが目立って球に当たらない。来る球皆振って三球三振に終わった。

  • 水色の日傘--35

    徳田が二塁に居るところから試合再開。高田はそこそこは打てるので一応は得点のチャンスだ。 萩野が腰を下ろして構えながら一声発した。 「ようやく秘密会議終了や、気い入れ直すでえ」 二三回バットをユラユラさせて、ヤレヤレと言う感じで高田もジョークを垂れた。 「篠田と浜田のひそひそ話て、想像もできんな、何が起きるんや」 私はさり気なく躱した。 「ええからええから、そのうち素晴らしいことが起きるで」 高田はニヤニヤしながら首を傾げた。 橋田はグルグルと二三度腕を回して、例の金田ポーズで手首をクラクラさせて萩野の構えを見た。サインなどという上等なものはない。ただミットの位置とカーブか直球。 高田が茶化す。…

  • 水色の日傘--34

    篠田が思わせぶりに言うから、もしかしてママさんになにかあったのかとドキッとした。 「待て待て慌てるな。あのな、俺、心配になってママさんほんまにきょう来てくれるやろか、いったいどこから来るんやろか、ちょっと心配になったんや。一旦そう思うたら気になってしょうがないがな。別に固い約束してる訳やないからな。それで、商売になりそうなその辺走って偵察してきたんや」 篠田は両手で半ば遮るようにしながら詰め寄るような私の腕に手をまわしてその場からちょっと離れるように即した。 従いながらも私は構わず訊いた。 「その辺て、その辺でママさん店出してるんか」 「それが普通やろ、幾つか回るのが商売やで。寄ったとこで商売…

  • 水色の日傘 33

    色々としたことがそれなりにありまして、随分更新をさぼりました。もうどこまで書いたのか忘れてしまいました。無事に続くのかもあやしくなりました。 本編どうぞ。 ----------------------------------- 徳田は二塁にあってバッターは長谷川だ。本当の要注意は長谷川だと私は感じていた。身体は大きくのっそりしているが必要な時には鋭く動く。バッティングにもセンスを感じさせて、それを自慢するところがない。全てが性格なのだろう。もう一点取られるのは覚悟だ。きっと萩野もそう思っていただろう。 しかし意外にも橋田の投じた高めを打ち損じて高いキャッチャーフライになった。長谷川の打球なので…

  • 水色の日傘 32

    現時点で四組は二点のリードがある。主将の萩野はこの現実に自信を持っていた。井筒の参加によって前回とは練習の質も量も違っている。更なる加点も充分に見込めた。多少のゆとりを感じつつの四回裏の四組攻撃だ。 しかし先頭の橋田はサードフライ、二番福永はセカンドゴロ、三番の桜井がレフトにヒットを放ったが四番の萩野が詰まり気味のレフトフライになった。レフト新井が難なく捕っスリーアウト。 三組主将の浅丘が福田に合図を送った。「ええどええど」 徳田も福田に声をかけた。「ナイスピッチングや」 福田も手を挙げてこれに答えた。先ほどまでとはまるで違う三組の雰囲気だ。 四組にとっては冴えない回だったが野球はこれが普通だ…

  • 水色の日傘 31

    徳田は福田に駆け寄って肩を叩いた。 「気合入ってたがな、ええピッチングやった」 こんな掛け声など、徳田にしてはないことだった。先ほどの福田の態度から、徳田の内面にはちょっとした変化が生じていた。 「そうか、おおきに。結局打たれたけどな」 打たれたと言いつつも福田の声は弾んでいた。 「ええんやそれは、それ言うてたら野球にならへん、野球は取ったり取られたりや。今度はこっちがやり返す番や」 そんな徳田を浅丘がやや離れたところから見ていた。あいつどないしたんや、人当たりが急に…。

  • 水色の日傘 30 中間のご挨拶

    中間のご挨拶 水色の日傘は、元々は簡単な短編でまとめるつもりでした。しかしダラダラといつの間にか随分な展開になってしまいました。成り行きのまま思い出しつつ書いていますので、なにがどうなっていたのか思い出せないこともあります。情けないですがこんな状態で進めております。よろしくご容赦ください。 ----------------------------------------- 本編です。 「おいええか、プレーかけるで」 ひと声かけて、私はプレーを宣した。 福田には意外な面があったようだ。それほど親しい間柄ではないのだが、私も彼にそんな面があることを知らなかった。私から見ても福田は青春ドラマのイメー…

  • 水色の日傘 29

    井筒を迎える前に徳田が福田のところに駆け寄った。長谷川も安井も主将の浅丘も駆け寄ってきた。徳田は毎度の如くしたり顔で言った。 「お前らにはピンとこんかも知れんけど、どうもあいつはな、ちょっと用心したほうがええで」 わかってるがなそんなもん、何回おんなじこと言うとんねん----腹の中で皆そう思った。やれやれとばかり、長谷川は視線を空に泳がせた。 構わず徳田は続けた。 「どうもあいつは、知らんとこでだいぶん練習しとるで、もしかしたらどっかのチームに入ってるか誰か上手いやつが専門に教えとるかも知れん。バッティングはともかく、守備はまぐれが通じひんのや」 一応は理屈なのでなんとなく皆は頷く。 「福田に…

  • 水色の日傘 28

    長谷川のホームランでついに同点になった。橋田はガックリだったが、それでも六番の高田をファーストフライ、七番岸下をサードゴロに討ち取ってどうにか三組の攻撃を凌いだ。サードゴロは際どい位置で櫻井が捕ったが成り立ての田中塁審がフェアを宣し櫻井が遠い位置から投げてギリギリでアウトになった。こっちも際どかったが悟ちゃんがアウトを宣した。もうちょっとでワンバウンドの球をこともなげに捕る井筒の守備が光った。 萩野が橋田の肩を叩いて励ます。 「ええがなええがなドンマイや、取ったり取られたりは当たり前や、こっちも点取ったるがな」 橋田は黙って頷く。長谷川に打たれても徳田にだけは絶対に打たれたくないと改めて思うの…

  • 水色の日傘 27

    ほんまに油断も隙もないな----私は腹の中でそう思った。徳田の視線は成り行きに注目しているようでチロチロと水口の背中やお尻付近を移動するばかりだ。女子たちは皆夏物の薄着だ。頭の中で何を考えてやがる…。こういうのを見るとやっぱり嫌な奴だと思わざるを得ないのだった。 三組主将の浅丘は他のメンバーと傍観を決め込み、萩野も半ば成り行きを面白がっているようだった。徳田に喧嘩を売られた形の当初のあの怒りはいったいどこにあるのやら。 中学生同士が顔見知りなら二人の話に任せておいた方が良いかも知れない、しかし形だけだとは言えやっぱり私は主審だ。もしかしたら出番かも知れないと思った。早く言えば女子たちの前で自分…

  • 水色の日傘 26

    勿論、萩野にそれ程の悪気があった訳ではない。どんな関係か知らないが、いっしょに居る中学生女子は想像するにどうやら彼女だ。その前だから多少の威勢を張っている。 しかし小学生とはいえ他の女子たちが大勢来たら、その前であまり怒りを見せていてはみっともない。だから適当に形が着く----そんな考えだった。なにより、こっそり逢っている関係が噂になるのはちょっとまずいだろう。相手が小学生でも、その内誰が知り合いか知れたものじゃない。怒ってばかりいるとイメージだって悪くする。それに本音を言えば、あちらの中学生がドギマギするのも、それなりに見ものでもあった。 「君、びっくりさせて悪いな、どっか当たったんか」 こ…

  • 水色の日傘 25

    高く上がったボールは、それを見上げて追いかける太田の遥か頭上を飛んで、公園の周囲に設置されている植え込みの中に飛び込んだ。一瞬、キャッという悲鳴らしきが聞こえた。植え込みにはちょっとしたギリシャ風のテラスが構えられていて、茂みに囲まれるように椅子代わりのオブジェが幾つか点在していた。きっと座っていた誰かの近くにボールが落ちたのだろう。 ノーバウンドでここに飛び込めばホームランの取り決めだ。中学生はその決まりを知らないが想像はつく。一応はレフト側に走りつつ、ぐるぐると大きなジェスチャーでホームランを宣した。水口の前でええかっこしたいのはこの中学生も同じなのだった。わかっては居るが、意外にわざとら…

  • 水色の日傘 24

    色々と雑事があって、ついつい間延びしました。どこまで書いていたのかも忘れてしまいました。思い出しながら書いております。 ------------------- 中学生は塁審をしている。本来の企みであれば徳田の前で水口とイチャイチャさせて徳田の集中力を削ぐつもりだった。このままだとそれはうまく行かない。 しかしここに至って、それはそれで良いじゃないかという気がしてきた。いざここに来てみるとそれはフェアじゃないという気がしてきたのだ。 水口はそこに居て四組を応援しているが、そっちに徳田の気が散るのはしょうがない。仕組んでも仕組まなくても同じことだ。だから、敢えてあれこれを策す必要はない。成り行きの…

  • 水色の日傘 23

    四組は得点は入ったがその後の攻撃に失敗した。普通にあることだからどうということはないが惜しいチャンスだった。こんな後はやられる可能性が高い。 萩野が橋田にひと声かけた。 「相手は一番からや、仕切り直してきよるやろ、気い付けや」 「わかってるがな、俺は残りの回全部で三点までに抑えるつもりや」 橋田にしては知性のあることを言った。 「よしよし、それくらい柔らかい方がええな」 萩野はポンと橋田の肩を叩いてキャッチャーの位置に戻った。 しかし一回目の打席と違ってバッター新井は今度はしつこかった。四組のバッティングを観察したのだろう、しぶとく当てるバッティングになっていた。結局ツーストライクを取られてか…

  • 水色の日傘 22

    三組は既に白けムードだった。徳田がこの態度では如何ともし難い。あまり動じない雰囲気の長谷川はともかく浅丘と福田はかなりムカついた。安井も呆れ顔だ。 それでもけじめを付けようと浅丘が福田の尻を叩いた。 「よし、気い入れ直すで、ビシッといこ」 福田は何度も頷いた。それぞれ守備位置に戻ろうとしたとき、浅丘が振り返って今一度福田に歩み寄った。 「あんな奴ほっとけ、あんまり気にすんな、それより、四組はどっかでコツを見つけたみたいやな、もしかしたらあいつかも知れん」 浅丘はボックス付近でバットを持って突っ立っている井筒をチロッと見た。福田も井筒を見た。何故か左ボックスに居る。運動音痴の筈だった奴がメンバー…

  • 水色の日傘 21

    ツーストライクとっているので、なるべくなら橋田は福田で終わらせたい。一球遊んでも良いが福田にそれ程の打力はない。二球カーブを振らせているが、今度はインコースに力の入ったストレートを投げた。 福田は待っていたのか、これを力任せに振った。しかし打球はやや詰まり気味のサードライナーになった。櫻井がこれを難なく捕ってスリーアウト。ランナー二人居たが残塁に終わった。 三組女子からため息が漏れた。徳田から始まった好打順だったが無得点。ここまでの展開は橋田にしては上出来と言えた。 戻ってきた橋田の尻を萩野がポンと叩いた。「ええがな橋田、きょうは行けるで」 「いや、まだ一回二回や…」言いつつ、橋田もまんざらで…

  • 水色の日傘 20

    強いライナー性の打球がライン上を飛んだ。誰もがヒットだと思った。しかし井筒は咄嗟にライン側に移動し、ジャンプしてこれを捕った。動作が事も無げだったので、あまり動いたようには見えなかった。しかしこれまで守っていた黒田であったら、打球の勢いに押されてグラブを出すのが遅れたかも知れない。 徳田は走りかけて止まった。そんなはずはないとでも言いたげな顔をして、戻るときも一度二度振り返って井筒を見た。先程の守備もある。きょうまで一度も見かけたことがなかったあいつは、ちょっと違うなと、そんな認識を持ったに違いない。井筒は井筒で、徳田はアウトコースも弱くなさそうだと判断を切り替えたかも知れない。 「アウト、ワ…

  • 水色の日傘 19

    橋田は腰を曲げて、膝に手をついたまま何事か考えているのかしばらく動かない。 萩野も構えたままじっと動かない。 徳田が焦れた。タイム! 「長いやんけ」言いつつ徳田は私を睨んだ。 私は橋田に向かって叫んだ。「早く投げるように」 「焦らせてもあかんで、俺には通じひんで」 徳田は言いつつ、ボックスから外れて二度三度素振りをくれた。いかにも格好を決めていて、水口の前だとは言え、いよいよ嫌らしい感じだ。 「プレー!」 徳田は構え直した。橋田はようやく振りかぶって投げた、と思ったら徳田の頭の上を行くような暴投。徳田は「うわっ!」と悲鳴をあげてしゃがみ、萩野が飛び上がってどうにかこれを捕った。 徳田は起き上が…

  • 水色の日傘 18

    少々雑事があって間延びしました。きっと誰も読んでいないだろうと思っていたのですが、応援マークが付いていたりして意外に思っており、感謝しております。 ではお読みください。 -------------------------------------------------- 私は少々意地悪く盗み見るように徳田を観察した。 チロチロと水口の方を見ているようでもある。何を思っているだろう。もしかしたらの遭遇を期待して毎日店に牛乳を飲みに行くほど水口にメロメロだ。坊主頭の中学生と思われる男となんであんなにベッタリくっついているのか、あれは誰なのか、内心落ち着かないに決まっている。 私はこの後の徳田の打席…

  • 水色の日傘 17

    三組のキャッチャー長谷川は、体が平均より一回り以上大きい。しかも太り気味だ。あれこれと言葉を発する性格でなく、私からも距離のある存在だった。同じクラスになったこともなく、あまり言葉を交わしたこともない。 そんなのがどうして野球チームに入ってキャッチャーをやっているのか不思議だった。能動的な性格には見えないから、彼が投球を組み立てているようには見えないが、キャッチングは意外にうまく、なかなか後ろに逸らさない。そんな彼だから何が来てもストライクに見える。そこを計算に入れて置かねばと私は思った。 長谷川は更にバッティングも上手い。体が体だから距離も出る。太っていて足が遅いのでホームランにはならなかっ…

  • 水色の日傘 16

    一番バッターの橋田は、いつもよりバットを短く持っているように思えた。しかし三組の誰もそれに気付かない。 ピッチャーの福田は初級から悠々とストライクをとってきた。ほぼ真ん中だったが、橋田は見逃した。どことなく前回より余裕があるように見えた。 福田は前回と同じように投げていればそれ程打たれることはないと感じている。そうなるかどうかは、なかなかの見ものだと、私は思った。 二球目は大きく高めに外れて、三球目は初級と似たようなところに来た。橋田はバットを叩きつけるような感じで振って、ライナー性の打球がセカンドを超えたところで落ちた。 一見まぐれにしか見えない橋田のヒットだった。始まったばかりだが、それで…

  • 水色の日傘 15

    年が明けました。頻繁な更新ではありませんので、遅れ馳せながら、令和三年おめでとうございます。 以下本文です。今年も宜しくお願いします。 ---------------------------------------------------------- 三組のメンバーは、徳田を抜きにしても以前から四組の実力を上回っていたが、その上に徳田が乗っかったから、前回は四組がボロ負けした。 三組の打順。 一番 レフト新井 徳田を茶化して揉めた奴だ。割としぶといらしい。 二番 セカンド安井 四組のセカンド福永と似たタイプ。 三番 ファースト浅丘 主将 四番 サード徳田。転校してきて打力があるのですぐに四番…

  • 水色の日傘 14

    いよいよ遂にその時がきた。 私は学校から戻って昼食もそこそこに、家にようやく一本ある古びた兄のバットを持って公園に駆け出した。 マネージャーの最も大事な役割は場所取りだ。もし誰かに先んじられていたら、その連中が試合を終えるまで待たねばならない。 公園は割と広く、対角線上にホームベースを置いて二チームが試合できるが、時と場合によってすぐに塞がってしまうことがあった。また、二チームが試合をした場合、外野が交差する格好になる。よそのチームのセンターがこっちのセンターより近くに居たりして、その間を買い物籠をぶら下げた主婦が斜め横断したりするので危なっかしいのだが、当時はこれが普通で、誰も問題にしなかっ…

  • 水色の日傘 13

    井筒は投げても凄いのだった。右投げ左打ち。それでけでも小学生とは思えないが、ストレートも伸びるしカーブもちゃんと曲がって見える。 現在の少年野球では変化球は禁止のようだが、当時は近所に少年野球チームなどなかった。あるのはクラス単位でできる草野球チームだったからそんなルールなどある訳がない。年長者に教えてもらったりして投げられる者は勝手に投げていたと思う。 しかし大人の球とは所詮違う。山なりが事実上のカーブだった。しかし井筒のはかなりはっきりと曲がってくるカーブだった。 私も兄とよくキャッチボールをしたが、兄が得意になってカーブを投げるので、ああ曲がるものだなという認識はあった。その兄だって、別…

  • 水色の日傘 12

    篠田が声をかけてきた。「チーム、どんな具合や」 「空き地で練習してるがな、結構気合入ってるで」 「そうかいな、結構なこっちゃ」 篠田ははははと笑った。聞けば三組は全然練習していないという。 「大丈夫なんかそれで」 「ええんや別に、ムキになってるのは徳田だけや。それに一週間どっかで練習しても変わらんやろ」 そんなことはない----かも知れないと言いかけて、私は黙った。今度の試合は勝ち負けよりもママさんの売上貢献なのだ。 篠田の話では、三組はそれほど勝負にこだわっていない。いきり立っているのは徳田だけで、徳田自身、試合の勝ち負けよりも自身のメンツの問題だった。 しかし四組は違った。これは徳田に売ら…

  • 水色の日傘 11

    誰も知らなかったが、井筒には四つか五つ違いの兄がいて、これが甲子園も望める有力高校の選手だった。 教え魔で、しょっちゅう高校の練習グランドへ井筒を連れ出して教えまくった。それが結構厳しく時には泣かされるので井筒は上手くはなったが野球にはすっかり嫌気がさした。家でもナイター中継すら見ることもなく、学校でも野球など関心もない風をずっと装っていたようだ。 余程うんざりしていたのだろう、でなければエエカッコシイが普通の子供時代で自分の能力を隠すなど珍しいことだった。 「わからんもんや」わっはっはと、萩野は豪快に笑った。「灯台元暗しや」 「ピッチャーもいけるんか」橋田が言った。 「今度は絶対に勝たなあか…

  • 水色の日傘 10

    それにしても上手すぎる成り行きだ。いったい篠田はどうやったのだろうか。 訊いてみると、ことの成り行きは意外だった。 「あのな、俺も思うてもみんかったわ」 篠田はしかめっ面でもなく笑うでもない顔を浮かべて唸るように呟いた。 「あいつな、他のメンバーを馬鹿にしとるやろ、元々反感持たれとるし、それで新井がぼやきよったんや」 あんなのはまぐれや、ええカッコしよってからに----とまあそんなことを言ったらしい。新井は外野を守っていたが、徳田にしょっちゅう注文を付けられていた。 聞こえていないはずの徳田が詰め寄った。新井は慌てて四組から聞こえてきた噂だと言ってごまかそうとしたが収まらない。それで浅丘が間に…

  • 水色の日傘 9

    ☆今回は少し長いです。お付き合いください。☆ ------------------------------------------------------- 篠田に影響された訳ではないが、噂と言ってもアリバイは作っておかねばならない。幼い頭脳で健気にも考えた私は、月曜日の休み時間、直ちにピッチャーの橋田に接近した。 「橋田、お前、土曜日は散々やったな」 嫌味でも言いに来たのかと、最初橋田は嫌な顔をしていた。 「それにしてもよう打ちよったなあいつ、噂通りのことはあるわな」 橋田は横を向いて鼻で吹いた。「ふん!」 ちょっと間をおいて、誘うように私は言った。 「お前、ほんとは調子悪かったんとちゃうん…

  • 水色の日傘 8

    ママさんと子供の姿が見えなくなっても、篠田と私は揃ってベンチに腰を下ろしてぼんやりとしていた。すぐに帰る気にはなれなかった。 私は眉毛がママさんを見たときに一瞬何かを考える風だったのを思い出した。あれは何だったのか。誰かに似てるとか、どこかで見かけたとか、或いは美人のママさんに一瞬見惚れたとか、精々そんなことだったのだろうか。

  • 水色の日傘 7

    「このごろあかんわ、身体が動かへん、明日は大変やで」 「ミットもないからみっともないわ~」 「そんなしょうもない洒落、誰が笑うかいな」 あれこれ言いながら集まってきたメンバーを見ると、遠くで眺めるのとは違って皆それなりに歳をとっていた。余計なことだが、男前は一人も居ない。野球をするのだから当然だろうが、皆よれた服を着て、如何にも労働者の風采だった。

  • 水色の日傘 6

    「おっちゃーん、おっちゃんらどこから来たん」 私は、ゲームの成り行きを見守っている四角い体型の男の後ろから声をかけた。工場の作業着のようなのを着たその人は守備にも攻撃にも着いていないようで、どうやら見るだけの付き合いのようだった。 男は振り向いて私達をジロッと見た。私達は一瞬吹き出しそうになるのを寸でのところで堪えた。もの凄く太い眉毛が真ん中で繋がっていて将棋の駒のような顔をしていたのだ。体型と顔の形が同じだ。しかし決して怖い系の顔ではなかった。

  • 水色の日傘 5

    私は帰宅してからも、それが気になって仕方がなかった。もし自分の母親が家計を支えるために外でかき氷などを売り始めたらどう思うかと。 大体私の母は、常日ごろお嬢さん育ちを自慢していてことあるごとにそれが出る。他にも待っててくれた人が沢山いたのに何でこんなお父ちゃんにとか、そんな話を何度か聞いた。 俄かに信じられないが、それが本当なら来るところを間違えたとしか思えない。父はパッとしない小さな会社勤めでとても裕福とは思えない家柄。母がもし他へ片付いていたなら自分はどこで産まれたのだろうかとぼんやりと思うこともあったがそれはまあ良い。

  • 水色の日傘 4

    「どこから来てるんやろ」 既にママさんの姿も見えなくなった公園の出入り口を眺めながら、私は呟いた。 「さあな、遠いとことしか言わなんだけど、小さい女の子連れてるからな」 乳母車を引いてバスに乗ることは多分ない。だいいち帰って行った方向はバス停のある方とは逆だった。小さな女の子の歩ける範囲であれば、充分私たちの行動範囲に違いないのだった。 私は篠田の顔を見つめながら言った。 「方角からすると、古市の方やろか」(註、大阪市城東区古市) 篠田は腕組みし、片手で顎をさすりながら呟いた。 「関目かも知れんしな」 「どこから来てるのか確かめてみたい気もするけど、やめといた方がええな」 篠田は無言だったが、…

  • 水色の日傘 3

    「ごめんね、ちょっと味が変わってるでしょ」 私たちの視線を感じたママさんは、味に関して、ちょっと申し訳なさそうな表情をした。私たちの視線を、清潔に深読みしたようだった。 「そんなことないよ、ごっつうまいわ、なあ」 私は篠田に同意を即した。篠田はもぐもぐとほおばりながら二度三度頷いた。 実際味は少し変わっていた。イチゴというけど、赤い色をしていただけでイチゴの味はしなかった。恐らくどこかの花を搾って色を加え、砂糖を混ぜていたのだろう。 なぜそれがわかるかというと、実は私の父が一度似たようなことをやったことがあったからだ。どこかの雑誌などで、そうやってジュースを作ると美味しいとか、そんな記事でもあ…

  • 水色の日傘 2

    近寄って見ると、とても外でカキ氷売りをするようには見えない品の良さそうな若いママさんが、幼い女の子と並んでベンチに座っていた。揃えで作ったのか、よく似た水色の花柄のノースリーブのワンピースを着ていた。 すぐ横に乳母車が置かれていて、淡い水色の日傘が乳母車にまたがるようにして置かれてあった。乳母車にはあれこれと乗せられているようで、商売道具一切が入っていたのだろう。乳母車は、子供がもっと小さかった時に使っていたものに違いない。女の子の歳は、多分四つか五つくらいだったろうか。 篠田が声を弾ませながら訊いた。 「おばちゃんが売ってんのん」 「そうよ、食べてくれる?」 「なんぼすんのん」 「ちっちゃい…

  • 水色の日傘 1

    私が小学生だったころ、放課後の遊びといえば、専ら付近に点在していた池でのザリガニ釣りや公園での草野球だった。 私はザリガニ(当時関西ではエビガニといっていた)釣りは割りと上手かったのだが、どういうわけか魚釣りは苦手で、他人と同じことをやっているつもりでも自分の竿には全然かからない。得手不得手はあるものだとその頃から認識していた。 球技と名の付くものは全然ダメで、野球は勿論、ドッジボールやバスケットもダメ。運動神経は鈍いようだった。だから、たまに人数が足りなくて公園での野球にお呼びがかかるのを内心恐れていた。 野球は本当にまったくの苦手で、いささか弁解めくが、私は子供の頃から上を向いたまま歩くと…

  • 水色の日傘 梗概

    小学生当時、苦手な公園野球のメンバーに無理やり組み入れられて適当に恥をかいた。 試合後、相手チームの篠田と愚痴った。篠田もやはり運動音痴だ。愚痴を切っ掛けに親しくなれそうだった。 すると、公園の端っこに子連れの若いおママさんがかき氷の店を広げるのを見つけた。二人で食べようということになった。 近寄ってみると、女の子はまだ四つか五つ、ママさんも若くて遠くから眺めるよりずっと綺麗だった。私たちはこの若いママさんに惹かれるものを感じた。 篠田は言う。あのママさんはそれなりの事情があってかき氷を売っている。だから、それを手助けしてやろうではないか。 私は同意した。二人で一計を案じた。互いの組で試合をや…

  • 鉛色の出来事 終章 後記

    奇妙なのだが、長谷に関する私の記憶はここで全く途絶えている。そこからまるで、刃物で切られた糸のようにぷっつりと、以後はまったく、かけらのような記憶もない。 暑い時期に差し掛かって、プールの授業も始まったが、長谷が水に浸かっている姿を、私は見たことがない。そもそも長谷の水着姿など、私には想像も着かない。

  • 鉛色の出来事 本編 十二

    自分から接近して置いて遭遇はないだろうが、私にしても長谷という得体の知れない未知のものに初めて遭遇したようなものだった。 以後の成り行きはもう覚えていないが、後はもう話すこともなく無言で適当な絵を描いたに違いない。 絵は後で必ず先生に講評されるのだが、それもまったく覚えていない。以前のように悪い見本として後ろに展示されることもなかった。

  • 鉛色の出来事 本編 十一

    まったく意外と言うしかなかった。 井植は、この家の前で長谷の姿を何度か目撃したと言う。住んでいるのだと思ったらしい。 すると我が家は長谷一家と入れ替わるように入ってきたのだろうか。 私は思わず井植に問うた。 「それ、いつ頃の話なん」 「いつ頃言うて…でも、ここ半年くらいは見いひんな」 「それやったら引っ越すときにも居ったやろ」 「いや、見てへん。気いつかんかったわ」 「俺らが越してくるんやから、その前に出て行ったんとちゃうんか」 「いや、見てない。お前らが来る前に誰かが出て行った様子はないな」 すると長谷一家はいつの間にかどこかへこっそりと越して行った。その後は空き家になっていた。そういうこと…

  • 鉛色の出来事 本編 十

    結局私は大風邪をひいて寝込んでしまった。 落っことしたサバの泥を母が苦労して取って、帰宅した父の食事の用意もそこそこに、私は一度潜り込んだ布団から這い出て、母に付き添われて医者へ行った。 なにかあると近所の子供は大方そこに行くことになっているような病院があって、診察時間をやや過ぎていたが、元々子供専門病院でもあったので受け入れてもらえた。 ドクター・ペッパーのような薬をもらったような記憶があるが、どんな治療をされたか、もうはっきりと覚えていない。きっと、どこへ行っても似たようなものだったろう。

  • 鉛色の出来事 本編 九

    私は教諭に一礼して教室を出た。教諭はまだ座ったままでいた。残務整理があったのだろう。 その方が良かった。教諭と一緒に廊下を歩くなんてまっぴらだった。 廊下か、もしかしたらその辺に中森が居るかも知れないと思ったが、居なかった。さっきは気のせいだったか。ずいぶん時間が経っているので、無理せず帰ってくれて良かったと思った。 とぼとぼと正門を出て歩き出した時、おい、と声をかける者があった。中森だった。 「待っててくれたんかやっぱり」 中森は、もし虹教諭に見つかったらまずいと思ってすぐに隠れたのだと言う。下手すると自分が男性教諭を呼んできたように思われかねないと思ったという。 扉の後ろに見かけたのは気の…

  • 鉛色の出来事 本編 八

    ようやく席に戻されたとき、授業終了のベルが鳴った。 終了の挨拶をした後、数人の掃除当番だけが残って、掃除を始めた。 私は当番ではなかったが、教諭は私にも掃除を手伝うように命じた。 教諭は何故か職員室に戻らずに机に座ったままだった。 息をするのが嫌に苦しかった。掃除が終わったら、また嫌な苦しい時間が待っている。 それを思うと、余計に息苦しい。過呼吸というものを当時知らなかったが、あるいは、そんなものだったかも知れない。 一旦教諭から離れたかった私は、ゴミを集積所まで運ぶことを申し出た。 たまたま当番だった中森が一緒に着いてくれた。 中森は割と仲の良い友達だった。プラモ仲間だったのだ。授業が終われ…

  • 鉛色の出来事 本編 七

    虹教諭は問うた。表情を変えずに、普通の声よりも低く抑えて、それがむしろ前段階を楽しんでいるような嫌らしさが、私には感じられた。 「素振りとは、どんな素振りですか」 「どんなって…」 戸惑っていると、教諭は焦れた。顔にも険しさが漂った。 私はうつむきながらもチロチロとその嫌を窺った。 「しょうがありませんね、先生は期待していたのですよ、勇気を持って自らの誤りが認められることを」 皆はシーンとしていた。私はじっと立っている他なかった。 「じゃ、ちょっと前に出てきなさい。ここでそのときの素振りを皆の前でやってみなさい」 予想はしていた。多分そうなるだろうと。 私はここで初めて長谷の方を見遣った。長谷…

  • 鉛色の出来事 本編 六

    毎週水曜日の午後、週に一時間だけ設けられている道徳の授業があった。 私は知らぬが、一部の人たちがどのような理由か廃止論を叫んだことがあるようだが、授業は今も存続しているのだろうか。 簡単に言えば正しい行いとか努力とか、日常の出来事対する考え方などの類を生徒と教諭が一緒に考えると、そんなことだったような気がする。 気がする----というのは、精々そんな程度の認識でしかなかったからだ。授業はどれも退屈だったが、道徳の授業は他の授業よりは気が楽だった。私にしてみれば、ただぼんやりしていれば済んでいく程度の授業だった。 しかし、その日の授業は違った。思いもかけないことが展開したのだ。 教諭の発言は、唐…

  • 鉛色の出来事 本編 五

    正門前には学校指定の文具屋があって、登校時にはわざわざ店の前にテーブルを置いて商売をしていた。毎朝子供たちでいっぱいだった。 しかし私は、ここでは買うことはあまりなかった。どちらかといえば、道路の向かいの、もうひとつあった小さな文具屋で買っていた。 昔からそういう性格だった。 お婆さんと、その娘なのか嫁なのかは知れないが、小さな家の玄関を利用してつましい店を二人でやっていた。 僅かなものを買っても手製のくじを引かせてくれて、外れがなかった。いつも買った物よりも多いくらいの景品をくれて、こちらが申し訳ない程だった。 そんな工夫までしていたのに、私以外がここで買うのを目撃したことがない。 文具屋は…

  • 鉛色の出来事 本編 四

    虹教諭が、何故私に反感を持つようになっていたのか、歩きつつ、ぼんやりとそんなことを考えた。 小学校四年生は、先生がああだと言えばそれに逆らえないガキタレでしかない。悪ガキでさえなかった私に、外部から学校に苦情を持ち込まれたこともない。 そんな子供に反感などあろうはずがないのだ。 反感でないとすれば、私自身に意地悪をしかけたくなるような要素でもあったのだろうか。それとも単純な理解不能な相性なのか。

  • 鉛色の出来事 本編 三

    久しぶりに訪れた大阪は、街そのものが圧縮されたような、押し詰められた箱庭のような感じを受けた。 オフィス街や新しく開発された街並みは別として、古いまま残っている住宅街は、狭い道路を挟んで肩を寄せ合って並んでいるような、やや大袈裟に言えばプラモデルのジオラマのような感じさえ受ける。 子供だった私から見れば、街は相対的に大きかったのだが、東京に比べると大阪というところは何かこう、濃いのだなと、そんな気がするのだった。 もっとも、成人してからも数年は大阪住まいだったし、今さらそんな感触を抱くのも変なのだが、高校生以後は郊外の団地に越してしまったし、この街に住んでいた当時はその密度を意識することなはな…

  • 鉛色の出来事 本編 二

    長谷をはっきりと認識したのはいつだったろうか。 そうだ、あの時…。 長谷まり子。はっきりとしないが、四年生になった時のクラス替えで多分いっしょになった。 長い間洗ったこともなさそうな汚れた服を毎日着続け、目ばかり大きくてキョトンとして、可愛いとはお世辞にも言えぬ顔立ちで、多分風呂にも滅多に入らず、毎朝顔も洗わず歯さえ磨いていない雰囲気で登校してきていた。 本音では、誰もが彼女の隣に座るのを嫌がっていただろう。身なりが身なりだし、笑うことがほとんどなかった。いやむしろ、喜怒哀楽そのものがないのだ。 成績は恐らくびりっけつの方だったろう。 どこに住んでいるのかも知れず、どんな家庭環境かも知れず、ク…

  • 鉛色の出来事 本編 一

    キチっとまとめていませんが、ちょっと腱鞘炎気味なので、本編を少しずつ公開して行きます。 お読みください。 鉛色の出来事 本編 一 ある日ひょっこりと、小学校の同窓会の案内が舞い込んだ。住所など教えた記憶はないが、たまに連絡を取っているのがひとりふたりは居るので、多分その辺から辿ったのだろう。 卒業三十周年の見出しがあって、その後に簡単な挨拶と参加を即す文面が続いていた。 大阪を離れて長い。楽しいことなどほとんどなかったし、大阪に多少の懐かしさはあっても愛着はなかった。増して子供の頃は、自身できぬこともあって、毎日が重苦しかった。 参加する理由など見当たらなかった。 それでも一通の葉書は、日頃は…

  • 鉛色の出来事 梗概

    始めたばかりで、はてなの感触がまだもう少しというところです。しかし記事は書けますので、ボチボチ行こうと思います。 これは長編の一部として書いたものですが、短編としても構成できますので、これを関する梗概を取り合えず最初に公開します。 鉛色の出来事 梗概 小学校の同窓会の知らせがあった。子供の頃に良い思い出などまったくない。行く理由もないが、何故かふとそのつもりになった。不愉快な思い出は、それ故にむしろ私を引き寄せるのものがあった。 久しぶりに訪れた小学校の校庭は、建物は概ね建て替わっているが、古い体育館とソテツのある植え込みはそのままだった。石組で囲われて大きなソテツが植わっていて、それは今も同…

  • ブログ開設のご挨拶

    始めまして。 恐る恐るブログをはじめました。 過去に、別段小説家を目指すでもなく思いついたことや小説めいたものを書いていました。どこへの発表も考えませんでしたが、そろそろ人生も黄昏であり、ネット上のどこかに、誰読むことを期待するでなく、書庫のような形で公開しようと思いました。 書いているものは小説めいていても、それは細かくストーリーを設定したものでもなく、単に楽しみとして書いていたものです。従って辻褄の合わない部分も出てくるかと思いますが、充分にそれを承知で公開します。 勿論、勝手に立ち消えたりします。多分…。 自分にストレスをかけないことを条件に作業しますので、部分的にでも、もし楽しめるよう…

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