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2020/05/22

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  • 心のバランスと「光だけの世界はない!」って話

    コインには表と裏があります。 裏だけを削り取ったら、その時点ですでにコインではなくなります。表だけ削り取ってもそれは同じです。夜が明けたら朝になる雨が上がって晴れになる光があれば闇がある片翼だけの飛行機はどうやったって飛べないのです。光の中に闇を見る人は、闇の中にも光を見い出せる人です。光だけ見て闇を見ようとしない人はマヤカシにやられて闇に取り込まれる人です。闇の何たるか知ろうとすれば闇に近付くしかありません。ただ、闇に近付けば近付くほど否応なく闇に触ることになります。その闇は退廃的な甘美さみたいなモノも持ち合わせています。何時もおぞましいばかりではないのです。闇に近づきすぎて、その退廃的な甘…

  • 不確実性の世界と分離する人間社会

    この世はどう転んだところで不確実性の世界です。 どこまで行っても不確かな状況の中で何とかかんとかバランスを取って生きていくしか道はないのです。 でも、不確実性というのは同時に流動性であり、それは自由の源でもあります。 安定と自由は反比例するってことです。 或いは不安定と自由は比例するとも言えます。 なので、安定した状態を突き詰めると最終的には『不自由』になります。 すべてが決められている(という設定の)世界には自由はありません。 ただ、あれこれ迷う必要がないので、不安もありません。 すべてが決められている(という設定の)世界というのは、宿命論の世界です。 例えばそれは「聖書には過去・現実・未来…

  • 自由と平等と競争社会の最果て

    現在の社会では「人間は本質的に競争しなくちゃ生きていけないようにできているのだ!」みたいな感じの刷り込みが子どもの頃から繰り返し行われています。 ここでいう刷り込みってのは教育という名のマインドコントロールのことです。 その教育とは、競争という概念に疑いを抱かせず、社会的な生産性をあげるための歯車としての『いわゆる社会人』を作り上げる作業です。 実際「競争原理こそがこの世界の『絶対的な基準』だ!」的な考え方が、今の人間たちの心に深く強く叩き込まれていて、疑う人の方が圧倒的に少ない気がします。 それくらい競争というモノが『当たり前の真実』のように世間的に扱われているのです。 競争を成立させるため…

  • 人生の落とし穴と『運命を選ぶ』ということ

    過ぎ去りし日の一時期、スピリチュアルな世界の暗黒面の一端に予期せず触れてしまい、見境なくノボセ上がって暴走してしまったことがあります。 とあるヒーリングの『セクシャルハラスメント』や『マインドコントロール』といったものに否応なくガッツリ関わってしまったことが切っ掛けでした。 当時他者からのマインドコントロールによる煽りや物の怪からの波動的な干渉の影響がバンバンあったのも事実です。 ただ、結局自分自身の心が無防備で、あまりに隙があり過ぎたのだと思います。 激しいショックを受けていましたし… 妄想が妄想を呼び、膨れ上がった末に「自分は世界すべてを相手に戦っているサイキックな戦士だ」くらいの精神的に…

  • 親ガチャとは前世から続く出会いと選択の結果である

    人生は絶え間ない『出会い』と『選択』の連続によって成り立っています。 『出会い』と『選択』があればこそ自ずから禍福が糾える縄の如く現れてくるのです。 それが一般にいう『運』と呼ばれるモノです。 つまり、『運』とは「人・モノ・場所との出会いとその際における選択から生まれるモノ」を指します。 そうやって生まれた『運』は巨大なジグソーパズルのピースのように繋がっていきます。 一見繋がって無いようなピースも何処かで繋がって一つの途轍もなく大きな絵となるのです。 その途轍もなく大きな絵が、この世界の『運命』っていうヤツなのでしょう。 日々刻々様々な場面で『何か』を選び取ることで人の運命は進んでいきます。…

  • 独断と偏見による憑きモノの傾向

    人外のモノが人間に憑く場所というものには一定の傾向が存在します。 すべてのケースに必ず適合する法則みたいなものがあるかどうかは分かりませんが、経験からいって推測出来る傾向みたいなものはあったりします。物の怪であるヘビは人の身体でいえば大半は上半身より下半身に付いています。生殖器や泌尿器関連などお臍より下にいることが圧倒的に多いです。なので、ヘビがいると腹痛を起こす場合が少なくありません。 クモは頭の付近に乗っかっていることが多いです。 頭でなくても首や背中の上の方にいたりします。 どうも人の髪を使って仕掛けを作るのが得意みたいです。で、ヘビならヘビ、クモならクモといった種類別の傾向とは別に特定…

  • 「世界には物より大切なモノがある!」という考え方

    今のご時世「生きてる間にどれだけ良い想いをして、死というゴールまで無事逃げ切れるか?」が人生の勝ち組を目指す人々の『関心の中心』を成しているように見えます。 「どんな手を使ってでも社会的にのし上がり、地位や名声や権力などを手に入れた者の勝ち!」って発想がそこにはあるんじゃないでしょうか? そういう世俗的な成功哲学みたいなモノが全面的に良くないとは思いません。 人間霞を食って生きてはいけませんのでね。ただ、そういう世俗的な成功を求めるようとする欲望が肥大化して行き着いた果てが、「今だけ・金だけ・自分だけ」ってヤツなんだろうとは感じるのです。 ある意味それって唯物論の極北じゃないでしょうか? 人間…

  • 波動エネルギーの集まりやすいところ

    心霊スポットなどどこかの場所で目に見えない霊的なモノに憑かれてお持ち帰りするという話があります。 その手の怪談というのは古くから散々語られてきたので「特定の場所には何か居て憑いてくる」という話には割合みんな拒否感は少ない気がします。 それは「場所から人へエネルギー体が乗り移る」という事柄に関して違和感があまりないということです。ただ、ここで語られる場所というのは大体が如何にも曰くありげな特別な場所です。ありふれた日常でそういうことがあるとはあまり思われてません。それに近い話があるとしたら「住居の引っ越し先が所謂出る所だった」というようなものですが、それも結局は「曰く付きの特別な場所に引っ越して…

  • 時の波動の変化のポイントとこれから起こる時代の変化

    時間の流れは単に気候の変化だけではなく、眼に見えない様々な変化を生みます。 その変化は片時も同じことはありません。 一瞬一瞬すべて違うってことです。 同じ4月でも去年と今年では当然気候の移ろいは違うし、眼に見えないエネルギーの流れもまた違います。 時間の流れによって起こるエネルギー的な変化は人間にも有形無形の影響を与えていきます。 人間は常に時の波動というエネルギーの影響を受けているってことです。まあ、それは人間だけではなく、この世界全体が影響を受けているって意味ですけどね。 春分と秋分は、時の波動の大きな変化のポイントになっています。そのあたりの時点が、時の波動の分岐点になることが多いです。…

  • 離間の罠と人を支配したがるモノたち

    生きてる限り『邪魔』は憑きモノです。 ここでいう『邪魔』というのは生きていく上で現れるあらゆる負荷のことです。場合によってはマイナス要素や生きづらさと言い換えることも可能かも知れません。なので、『邪魔』といっても色々あります。眼に見える形のある物から眼に見えないエネルギー的なモノまで様々です。とはいえ眼に見えるものも眼に見えないモノも別々にあるわけではなく、絡み合い関わりあって存在します。心と身体と魂が繋がっているようにね…邪魔の中には人と人を離間させるためのモノがあります。 仲違いさせるための罠と疑心暗鬼の種を仕掛けるのです。所謂縁切りってヤツです。詳しくはシェークスピアの『オセロ』でも読ん…

  • 出会いと選択をちゃんとしないと運がすり減っていく

    人生は絶え間ない出会いと選択の連続によって成り立っています。 出会いと選択があればそこには自ずから吉凶禍福が糾える縄の如く現れてきます。 それを人は運といいます。つまり、運とは人・モノ・場所との出会いとその際における選択から生まれるのです。 そうやって生まれた『運』が巨大なジグソーパズルのピースのように繋がっていきます。一見繋がって無いようなピースも何処かで繋がって一つの絵になるのです。それが所謂『運命』っていうやつなんだろうなと思います。 しかもそのパズルは一人の人間だけで完結するものではありません。人の一生という小さなパズルはもっとずっと巨大な世界というパズルのささやかなワンピースに過ぎな…

  • 「絶対揺らぐことのない安定と安心」を求めると心が『魔境』に囚われる

    主によく語られる魔境の意味は『神秘体験などに囚われ、意識の拡張により自分のエゴが肥大し、精神のバランスを崩した状態である』といわれている。簡単に説明すると現実世界では通常体験出来ない現象や思想を感じた時「特別な何かを得た、感じた」と思い、その出来事・物事にとらわれてしまう、のめり込んでしまうといった状態になることではないだろうか。 「魔境に入った人」というのは十中八九浮かれています。 ここでいう「浮かれている」というのは高揚感や万能感に支配された状態のことです。 「神秘体験をする→価値観のコペルニクス的転回が起こる→高揚感や万能感に支配される」という道筋を辿る人って少なくない気がします。 万能…

  • この世界は良くも悪くもあっという間に変わるモノ

    昔ある人に付いて整体を習いました。 その人が新たに立ち上げたお店で働かせていただく前提で習ったのです。 その時は生まれて初めて『師匠』と呼べる人が出来たと喜びました。 でもねぇ、そこにある『世界』はあまりにドロドロぐちょぐちょし過ぎていて、その人を『師匠』とは呼べなくなるまではあっという間のことでした。 別に相手に聖人君子のようなメンタルを求めていたわけではないのですがね… (ー ー;)次に習いに行くことになったヒーリングには足掛け6年余り関わっておりました。 「本当に良いものに出会った!」とその時は感じたものです。 当時そのヒーリングの主宰者の方を自分の『師匠』だと本気で考えておりました。 …

  • 想像力が乏しいほど心のバランスが取れなくなる

    人間というのは本質的に無知な生き物です。 でも、知らない部分は何かで補わなきゃなりません。 その何かとは簡単にいえば『想像力』です。 ここでいう『想像力』とは知らないなら知らないなりに一生懸命察したり慮ったりしようとする心の働きのことです。 『人間らしさ』の根っこには『想像力』があります。 ここでいう『人間らしさ』とは簡単に言えば「ゴリゴリの自己中ではない」ということです。 分からないなら分からないなりに察したり慮ったりしようとする心の働きが、『人間らしさ』の素となります。 『人間らしさ』は、他者の痛みや苦しみまた喜びや希望などに対する敏感さに裏打ちされているからです。 慮るチカラが弱いという…

  • いわゆる式神の話と現実世界の光と影

    今まで式神というモノについて何度も述べてまいりました。 ただ、このブログの所謂『式神』というのは本来の意味とは大分ズレたものになっております。 他に適当な言葉もなかったものですからね… なので、以下に改めてその内容を定義しておきます。 「ここでいう式神とは特定の人間や集団などが何らかの霊的・呪術的な方法を用いて意図的に使役することの出来るエネルギー体全般のことである」 当然「そんなバカバカしいことあるもんか!」と考える人もいらっしゃるでしょう。目に見える世界ばかりに囚われているとそうとしか思えないのも理解できます。それでも、この現代においても呪術的な方法によって何らかのエネルギー体を使役しよう…

  • 競争社会と「スタートラインは揃っている」という虚構

    現在の社会では「人間は本質的に競争しなくちゃ生きていけないようにできているのだ!」みたいな感じの刷り込みが子どもの頃から繰り返し行われています。 ここでいう刷り込みってのは教育という名のマインドコントロールのことです。 その教育とは、競争という概念に疑いを抱かせず、社会的な生産性をあげるための歯車としての『いわゆる社会人』を作り上げる作業です。 個人的には何事にも競争原理と自然淘汰が付いて回るという進化論的な価値観にはずっと違和感があるんです。 実は弱肉強食なんて、人類が見聞してきた『世界のカケラ』のそのまたほんの一部分に過ぎないんじゃないでしょうか? そもそも生き物を種という『単位』で見たら…

  • 心と身体と魂のバランスと人類の黄昏の時代

    世の中のすべてのモノは原子レベルから動き続けています。 そして、動くことで必ず劣化します。それでも、波動的なバランスが上手く取れていればその分劣化は遅くなるのです。心も身体も魂もこの世に存在する限りバランスを取ることは必須です。では、人がバランスを取らなくても大丈夫という価値観に支配されるとどうなるでしょう?例えば「コレさえあれば大丈夫! 一々バランスなど取らなくても楽して生きていける!」という『魔法の道具』がどこかに有って、それを手に入れることは十分可能だという価値観にね…そういう価値観に心が染まると当然劣化は早まります。それだけでなくバランスが崩れれば崩れるだけ、バランスを測るための平衡感…

  • 最近上から目線の高圧的な態度の人が増えている気がします

    目の前に100人の人がいれば100通りの「正しい!」が存在します。 みんな自分が正しいと思っているからです。 もしそのの中の1人が自分の「正しい!」を何処までも妥協なく押し通そうとすれば最終的に何らかのチカラを行使して相手を捩じ伏せるしかなくなります。 万人が心から納得する「正しい!」なんて何処にもないからです。知力・暴力・権力…それが如何なるチカラであれ、チカラを年がら年中行使し続けることを是とするならば、遅かれ早かれ他者に対する『オラついた気持ち』が染み付いていくでしょう。『正しいの比べっこ』というのは本質的に「やってやられて」の世界ですので、心は殺伐とせざるを得ません。じゃあ、『正しいの…

  • 不安と恐怖と人外のモノによる甘い誘い

    森羅万象すべてのモノには波動があります。 波動があるというのは常に動いているということです。 動き続ければブレやらズレやらユガミやらが必ず現れます。 そのブレやらズレやらユガミやらを毎日のようにコツコツ修正する作業がある意味『生きる』ということなんじゃないでしょうか? なので、生あるものにとって『不変』とはすなわち『劣化』を意味します。 時空のある一点に踏みとどまろうとする行為はブレやズレやユガミを助長する行為に他なりません。 生きている限り止まらずに進んでいくしか道はないのです。 けれど、進めばやっぱりブレやらズレやらユガミやらは出てきます。 そして、ブレやらズレやらユガミやらが大きくなれば…

  • 所謂式神と眼に見えない危険が増えた世界

    式神(しきがみ、しきじん、識神)とは、陰陽師が使役する鬼神のことで、人心から起こる悪行や善行を見定める役を務めるもの。式の神ともいい、文献によっては式鬼(しき)、式鬼神ともいう。 一般に式神を使っていたと言われているのは中世の陰陽師です。 ただ、現代でも魔術的な方法によって出来る何らかのエネルギー体を使役出来るという方は存在します。 少なくともそういうモノを使おうとする意志のある人々は実際にいるのです。 それは何も日本だけとは限りません。洋の東西を問わずそういったことをしたがる人間は昔から存在してきました。アラビアンナイトにも「所有者となった者がランプを擦ると魔神が現れ、様々な願いを叶えてくれ…

  • 不確実性の世界に付きまとう不安と思考停止による安定の甘い誘い

    この世はどう転んだところで不確実性の世界です。 どこまで行っても不確かな状況の中で何とかかんとかバランスを取って生きていくしか道はないのです。 でも、不確実性というのは同時に流動性であり、それは自由の源でもあります。安定と自由は反比例するってことです。 或いは不安定と自由は比例するとも言えます。 なので、安定した状態を突き詰めると最終的には『思考停止』になります。 余計なことを考えなければグラグラと迷う必要もないからです。 ここでいう思考停止とは簡単にいえば「盲信すること」です。 精神的にナニカに負んぶに抱っこの状態になるのです。 そのナニカとは特定のの思想・宗教とそれを象徴する人間・集団とか…

  • 眼に見えない大きな存在と『この世のコトワリ』の変わり目

    ここでいう所謂カミサマってのは何かと申しますと「これまで世界のどこかで人間によって崇め奉られてきた眼に見えない存在全般」を指します。 今回に限らず私がカミサマって言う時はそういうモノのことを想定しているとお考えください。 簡単にいえば「時代や地域に関わらず誰かが神さまって呼んできた眼に見えない存在はとりあえず丸ごと全部カミサマという『ジャンル』に分類しますよ」ってことです。 じゃあ何故そんな風に神を規定するのか?というと、そもそも見えない『何か』に神という名を与えたのは他ならぬ人間だからです。 「神というのはあれでそれでこれで、こういうモノなんだ!」みたいな『設定』を考えたのが人間だってことで…

  • 呪詛と予言と祈り

    ここでいうところの『呪詛』というのは「誰かに対してエネルギー的に眼に見えないカタチでネガティヴな影響を与えようとする方法または手段の全て」とお考えください。 マジナイ・ノロイ・呪術・念送りなどと呼ばれる類いのモノもすべて含みます。 世間一般でいう呪いの類いっていうのは「古くから行われていた呪術を伴うモノ」として認識されているんじゃないでしょうか?丑の刻参りみたいな特殊でオドロオドロしい独特な儀式を伴うようなものとしてです。ていうかそういう『儀式ありき』でしか成り立たないモノと思われている節があります。呪詛を行う場合、技術や方法論が何より一番大事と考えられているのです。でも、実際は呪いの方法が古…

  • 心の視野の広さと感情の起伏の激しさの関係性

    世の中には自分の機嫌を自分で取れない人ってのが結構いらっしゃいます。 そういう人は自分の機嫌を他人に取らせるのが日常的になっているようです。 自分の機嫌を他人に取らせるのってのは、自分のためのサンドバッグなる人間を作り、八つ当たり等をして憂さを晴らすみたいなことです。 会社のような上下関係がハッキリした関係性の中で、下の者に当たり散らす人とかがその典型です。 いわゆるパワハラってヤツです。 また家庭でそれと同じようなことを行えば肉体的または言語的なDVとなるでしょう。 どちらにしても他人に機嫌を取らせる場合の他人はその人から見て格下の人間ということになります。 例えば最近よくお見受けする、SN…

  • 『今だけ・金だけ・自分だけ』の世界観と大和魂の復活

    現在この国には、世界中のあちこちから様々な波動エネルギーがリアルタイムでやって来ています。 亡くなったヒト、物の怪、オニ、式神、蟲、生きてる人の想念エネルギーなどなど多種多様なモノがいます。また様々な種類の所謂『呪詛』も存在します。ここでいうところの『呪詛』というのは「誰かに対してエネルギー的に眼に見えないカタチでネガティヴな影響を与えようとする方法または手段の全て」とお考えください。それらのエネルギーは人に憑いてくるモノもいれば、人外のモノが関わっているモノもあります。どちらにしろその多くは意図的かつ計画的に仕掛けられたモノです。 何が言いたいかというと、「眼に見えないアチラ側の出来事は、半…

  • 空気を読むことと『距離感を測る』ということ

    最近また耳鳴りがひどくなってきました。 キーンって音がBGMみたいなモノです。 そうなると「また何かあるのかなぁ(~_~;)」と思ってしまいます。 単なる気のせいならその方が良いのですが… 波動的な変化を知るための一つのサインとして『耳鳴り』があります。 もちろんそれが何時でも必ず波動的な変化を表すモノだとは限りません。 また誰にでも同じように感じるモノでもないでしょう。 単なる身体的不調のサインであるかも知れないですしね… ただ、「いつもと違う」ってことはそれが何であろうと「変化の兆し」として気に掛けていた方がいいでしょう。 そこんところを「単なる気のせいにしてしまうか、それとも少しでも気に…

  • バランス感覚と乱世に心が惑う人々

    人間生きてれば笑いもすれば泣きもします。 怒ったりも羨んだりもするものです。快楽もあれば苦痛もあります。そうした身体や心に起こる大波小波を日々乗り越え、また乗り越えてゆくのが『人間の日常』なのではないでしょうか?そういった『人間の日常』に根ざしたありふれたバランス感覚を先ず大切にすることが、心がオカシげな方向を向いて突っ走らないようにするための最終的な羅針盤になるのです。それは例えば「(理由は分からないけど) 何だかこれ食べたら危ないぞ⁉︎」という所謂『勘』や「(特に何があったわけではないけど) この店何か良くないなぁ(ー ー;)」という感覚のことです。生きるためにこの世の動物に遍く与えられた…

  • 不確実性の世界と絶対的な依存

    この世はどう転んだところで不確実性の世界です。 どこまで行っても不確かな状況の中で、何とかかんとかバランスを取りながら生きていく道しか人には用意されていないのです。 でも、不確実性というのは同時に流動性であり、それは自由の源でもあります。 安定と自由は反比例するってことです。 或いは不安定と自由は比例するとも言えます。 なので、安定した状態を突き詰めると最終的には『思考停止』になります。 自由に考えれば考えるほど不確実性の世界を認識せざるを得ないからです。 『思考停止』するためには絶対的な真理のようなモノの設定が前提となります。 簡単にいえば、聖書のような創造主等が語ったという絶対無謬が前提の…

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