九月場所の番付が発表された。千秋楽と同じ 8月である。関脇小結は順当である。関脇は 正代・御嶽海と詰まっていた。だが、小結で 11勝をあげた大栄翔が関脇に昇進するのは 当然であった。ここまではいい。
相撲部屋の盛衰は世の常で、一代で大きく した部屋やかつては名門だったが、閉鎖して 消滅してしまった部屋もある。現代の相撲 部屋は44部屋ある。新興の部屋もあれば伝統 の部屋もある。部屋は何代に渡って継
横綱鶴竜はベテランの域に入り、今度の九月 場所で幕内生活14年になる。もっともこの間 2場所中止になっている。それでも鶴竜の 対戦50回以上を超えた力士は3人いる。その うち2人は現役である。 なお、
横綱の始まり。相撲史家が明らかにしてきた のは、地鎮祭の際の地踏み(四股と同じ動作) が横綱の始まりのきっかけであった。これを 発展させたのが、相撲の家元吉田司家であっ た。この儀式を土俵で行い、上覧
七月場所は横綱鶴竜、大関貴景勝、横綱白鵬 と相次いで休場した。あまり深刻に受け止め られなかった面があるが、看板倒れの場所と なってしまった。 思い起こすのが昭和56年の三月場所である。 この場所は、
東西南北のいずれか1字がつく四股名を調べ てみた。読み方は問わず、対象は江戸・東京 の幕内力士とした。 江戸時代において東西南北の字がつく力士は わずかしかいない。西国と東関である。西国 は、さいごく
白鵬に最も迫った力士、それが日馬富士で ある。日馬富士が横綱白鵬と最初に優勝を 争ったのが2008年十一月場所、まだ安馬と いっていたときである。白鵬は既に8回の 優勝をしていた。安馬は関脇であった。
三月場所、無観客で開催されたあと、五月 場所中止。七月場所は開催時期を2週間ずら しての東京開催となった。変則的なこの間 随分多くの力士の引退があった。 ・3月 蒼国来が引退した。これは師匠である荒汐
北の湖時代から千代の富士時代へ。昭和56年 十一月場所、千代の富士は横綱初優勝した 場所から時代は千代の富士へと移った。この 千代の富士と短期間ながら対抗した力士が 遅れて来た男隆の里である。隆の里と
七月場所、鶴竜1敗後休場。白鵬10連勝2連 敗後休場。最近の横綱は負けるさっさと休場 を決め込む。なんとも耐えられない存在の 軽さである。横綱は本来土俵を締めるもので ある。大関・横綱が枕を並べて敗れ
柏戸は苦悩していた。大鵬と抱き合わせで 横綱になったものの、横綱昇進時は優勝が なかった。それだけではない。横綱に昇進 しても優勝がなかった。それどころかケガで 休場を余儀なくされ、4場所連続休場とな
無観客で行われるものと思われていた七月 場所が、急遽初日の6日前に変更された。 1日2500人限定で観客を入れて行われる ことになった。少ない人数とはいえ、本場所 が観戦できる。どのようにすればチケッ
時代を築いた横綱で栃錦・若乃花ほど拮抗 したライバルはいない。その両横綱の対戦が、 頂点に達したのが昭和35年三月場所であった。 東の正横綱栃錦。先場所14勝1敗で10回目の 優勝。その勢いのまま三月
七月場所休場した白鵬は35歳に、鶴竜も現時 点では35歳になった。まだ、現役とはいえ、 相当高齢横綱になったことは間違いない。 横綱が実質地位化した常陸山以降の東京横綱 の引退年齢と比較してどれくらい
優勝争いの最大のハイライトは全勝同士が 千秋楽に激突することである。これは当然 ながらめったにみられることではない。優勝 制度が正式に協会認定としてスタートした 大正15年以降片手で数えるほどしかない
引き続き後半の相撲内容を採点してみよう。 【9日目 隠岐の海】 朝乃山立った瞬間右四つ。どんどん前に攻め 立て、隠岐の海がまきかえにくるところを 鮮やかな上手投げで決めた。 5点 <隠岐の海戦> 【1
七月場所、新大関の朝乃山は12勝3敗と次点 の成績を残した。まずまずの成績だが、2 横綱・1大関が休場したなかなので優勝して 当然という見方がある。そこで七月場所、 朝乃山はどのような相撲をとったのか
6人目は栃東である。栃東はカド番が8度 ある。2回関脇に降格して関脇で10勝、11勝 して復帰している。平成19年一月場所が最後 のカド番だが、翌三月場所8勝4敗3休での り切っている。だが五月場所前
七月場所、白鵬は快調に白星を重ねて初日 から10連勝。相撲内容、安定性から優勝候補 ナンバー1と思われたが、11日目小結大栄翔 の押しに敗退。この時は「ガイにしやがっ て」のような顔だったが、翌12日
勝ち越して休場した大関2人目は栃ノ海で ある。昭和38年三月場所8勝2敗5休で大関 5場所目のことだった。栃ノ海の大関在位は 10場所だが、負け越しはない。昭和38年三月 場所は新大関豊山が不調、横綱
七月場所、大関貴景勝は休場した。大関在位 6場所で3度目の休場である。ただ、8勝 4敗3休と既に勝ち越して、カド番を脱出 しての休場であった。勝ち越ししながら、 休場した大関は珍しいが、これまでいない
4人目は魁傑である。初優勝は昭和49年十一 月場所、小結のときであった。2敗の横綱 北の湖が千秋楽輪島に屈して3敗になり、 魁傑と優勝決定戦になった。輪島の敗戦を 引きずり、優勝決定戦への気負いという
七月場所は幕尻の照ノ富士が約5年ぶり2回 目の優勝を成し遂げた。最初の優勝は関脇の ときで両方とも関脇以下での優勝である。 大関のときは優勝同点が2回あるが、惜しく も優勝決定戦で敗退している。照ノ富
新型コロナウイルスの影響で集団移動ができ ない状況下のため、七月場所は東京で開催 された。七月場所はあくまで七月場所のため、 取組表以外に読物がついていた。また千秋楽 の表彰に従来の名古屋場所でしか行
七月場所中に阿炎が師匠の指示で休場した。 理由は協会が一丸となって不要な外出を自粛 するなか、会食にでかけたからだという。 その後外出がキャバクラだということが判明 した。2回ということだったが、これ
今年、五月場所の中止のため、七月場所で 3場所が終了した。現時点で年間最多勝レー スはどのような展開になっているのか。3 場所までの途中経過をまとめてみた。それが 次の表である。なお、対象は3場所幕内
2年2場所ぶりの幕内の照ノ富士。その照ノ 富士の優勝は驚きと賞賛と感動をもって受け 取られた。復活劇、約5年ぶりの優勝だが、 照ノ富士は具体的にどのような転落街道と 復活街道を歩んできたのか、改めてふ
★開催6日前有観客開催になったことに関して 2500人限定で決まった。プロ野球、Jリーグ の有観客開催に影響されてのことと思われる。 ただ、短期間でかなりあわただしかった。 仕組み、内容を理解すること
2敗照ノ富士対3敗御嶽海 3敗同士朝乃山対正代 優勝の行方は千秋楽結び前の一番及び結びの 一番にかかってきた。国技館に入る前、相撲 仲間と談義した。相撲仲間は巴戦になると 予想した。その場合、巴戦では
場所は大詰めだけど、取組は寂しい。上位に 急遽下位からの組み合わせである。 豊山3勝10敗対前8石浦4勝9敗 御嶽海10勝3敗対前16琴恵光9勝4敗 朝乃山11勝2敗対前7照強7勝6敗 朝乃山は白鵬戦
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3日目、幕下の取組は1敗同士の対戦が目立った。当然4日目はその裏返しで1勝同士の取組が大部分を占めた。なぜ、こうも極端になったのか。幕下の取組といえどもバランスがあったほうがいい。 先場所優勝した大の
本日も序ノ口炎鵬が登場した。今日は寄り切って勝ったと見た方に聞いた。「年寄株があれば炎鵬に引退をさせたい」との声があった。空き株はないわけではない。元寺尾、元木村山は定年前に亡くなられた。元大徹の湊川
2日目、愛知の相撲仲間と出会った。彼から様々な情報を得ることができた。2日目は客足が早かった。理由は炎鵬が序ノ口に登場するからである。応援空しく敗れたという。首はこわい。体が不自由になる恐れがあった木
七月場所が始まった。初日は幸い危険な猛暑とはいかず、霧雨がいくぶんあったほどであった。 先場所優勝した大の里は新関脇として登場した。対戦相手は番付を成績以上に大きくアップ下御嶽海である。御嶽海はここの
土俵の目撃者をいつもご愛読いただき誠にありがとうございます。足を使い、この目で見た生の大相撲をお届けするために、七月場所の初日から千秋楽まで愛知県体育館で観戦します。 <七月場所の案内> 名古屋で観戦
14日から酷暑の七月場所が始まる。第2日曜として最も遅い日になった。そのためオリンピックと重なる日が出てくる珍しい興行となった。あくまで予定だが、愛知県体育館が会場となるのは今年が最後である。 <大の
■難敵引き続き3人目以降の難敵をみていこう。 11(××〇×××)10高安かなり接近した対戦成績である。貴景勝が初優勝したときははずみで負けている。もつれると貴景勝は危ない。 1(××××〇●)1平戸
令和元年は五月場所から始まり、現在30場所を経過した。令和2年に1場所中止になっている。開催したものの無観客が1場所ある。また13時入場の場所もあった。 令和の関脇以下の優勝力士キラーは誰か。ただし、
■三賞獲得9回 鶴竜 殊2・技7鶴竜は志願兵だった。大相撲の入門志願をしたため日本語がわかる教授に翻訳してもらい、それを日本相撲振興会に送った。受け取った会長は会員と相談後井筒(元逆鉾)に託して入門が
貴景勝は3場所連続休場中である。三月場所角番だったが、七月場所再び角番である。こうした状況は貴景勝の角番が容易ならざるものにしている。貴景勝の具体的な対戦相手から角番脱出がなるか、検討してみよう。 ■
先場所優勝した大の里。場合によっては七月場所の成績・相撲内容次第では大関もあり得る。実現したら入幕5場所目に大関という年6場所制では驚異の記録になる。 これは大の里がすごいのか。筆者は長年大相撲をみて
■三賞獲得9回今回取り上げる力士は偶然横綱までいった方々である。 旭富士 殊2・敢2・技5立浪(元安念山=2代目羽黒山)部屋の分家大島(元旭國)部屋出身。近大に進学したが、2年のとき中退。柔軟な体で津
大関の座を開け渡した霧島が復帰にむけて始動している。首の痛みが引き、優勝を目指すつもりで10勝以上をあげるという。大関から落ちた直後の場所、10勝以上で復帰できる規定によるものである。 6場所制ととも
照ノ富士の一人横綱が続いている。照ノ富士が新横綱のとき白鵬はコロナ部屋ごと休場だった。場所後引退した。照ノ富士の一人横綱は番付上きたる七月場所で17場所に及ぶ。その照ノ富士は休場がちである。すでに晩年
■三賞獲得9回 大麒麟 殊5・技4体が柔軟でもろざしから吊り。うっちゃりもあった。四つは右四つで素質・素材はすばらしかった。ここ一番に弱く大関のチャンスを2度逃し、3度目で手中にした。優勝はついになか
プロレスの本を読んでいると、相撲につながる知られざる面が多々ある。本は闘魂と王道というタイトルで副題として昭和プロレスの16年戦争としている。著者は堀江ガンツ氏で株式会社ワニブックスより発行された。5
7月に入って、七月場所の番付が発表された。1横綱3大関と寂しくなった。先場所優勝した大の里は新関脇となった。入幕から4場所目のことであるから驚異の新人である。 <大の里(右)> 平戸海が小結に昇進した
阿炎阿炎が優勝したのは2022年十一月場所である。優勝決定巴戦を制しての結果であった。その後の阿炎は73勝62敗である。大関戦は8勝10敗である。負け越しは1場所しかない。阿炎としてはよくやっている、
■三賞獲得8回引き続き三賞8回獲得者をみていこう。 黒姫山 殊4・敢3・技1幕下にいる黒姫山の祖父である。立ち合いの強烈なぶちかましからの突き押しでD51と呼ばれた。再入幕2場所目に敢闘賞を受賞した。
照ノ富士混迷の時代、照ノ富士は3回優勝している。7回目、8回目、9回目の優勝である。それだけ聞くとよくやっていると思いがちだが、つぶさに検討すると、そうはいかない。7回目の優勝後の成績は58勝25敗9