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すでに朝乃山、尊富士の休場が発表されている。尊富士は先場所の優勝者である。初日前日の優勝額贈呈式には師匠伊勢ヶ濱親方が代理出席した。当然ながら盛り上がらない優勝額贈呈式になった。もっとも5月1日の地元
照ノ富士 8回貴景勝 2回霧島 1回2琴櫻 1回豊昇龍 0回 これは何の数字かおわかりだろうか。実は幕内における13勝以上の成績である。照ノ富士はさすがに多いが、大関は数少ない。貴景勝は20
先場所優勝した尊富士。新入幕で優勝したことが大きく取り上げられた。それは当然といえば当然である。場所は予想しない方向で盛り上がった。 <尊富士優勝> だが、尊富士はそれだけではなかった。序ノ口から9場
きたる五月場所、照ノ富士が出場するか否かは不明である。三月場所はやすやすともろ差しをゆるし、もろい相撲が目立った。巡業ではそれなりに稽古をしたが、万全とまではいかない。稽古総見では土俵にあがらなかった
時疾風は小学生から相撲を取る相撲少年であった。ほかのスポーツもやっいぇいたが、中学・高校は相撲に専念していた。大学は東農大に進学した。卒業後は時津風部屋に入門した。 前相撲からのスタートだった。四股名
現代は元大関が花盛りである。高安・朝乃山・御嶽海・正代と顔をそろえている。その中で大関復帰を思わせる力士はいない。大関復帰は簡単な話ではない。 <朝乃山> 大関から落ちた直後10勝以上で大関に復帰した
誰が優勝するか場所前から予想が立たない。時には思いがけない力士が優勝を争う。まさに混迷の時代である。 しかし、これが思いがけない事態をもたらした。大相撲人気を高めているのである。昨年の九月場所、今年の
琴櫻が登場したとき将来相撲一家になるとは想像できなかった。弟子の琴ノ若が娘婿となり、その子が現在大関の琴ノ若改め2代目琴櫻である。祖父・父は関取であった。王鵬も父貴闘力、祖父大鵬である。ただ、父は指導
メモリアルホールは占領軍に接収された。それだけではない。日本人立ち入り禁止の立て札が立った。 大相撲は開催場を求めてジプシーの状態がしばらく続いた。東京場所は明治神宮外苑、浜町仮説国技館で興行した。大
公開稽古総見にいってきた。季節的にはいまが一番いいかもしれない。6時半ごろ両国に着いた。2列に並んでいて南門より少し前に並んだ。 7時半ごろ入場し始めた。いつも通り東西の出入り口から入った。相撲仲間の
欧勝馬はモンゴル及び学生出身である。日本体育大学出身で4年のときに学生横綱になっている。その前に高校に元朝青竜のすすめで留学している。日本の生活は学生時代で7年に及ぶ。 プロでは元琴欧洲の鳴戸部屋に入
五月場所の番付が発表された。予定通り琴ノ若が琴櫻に改名した。全体的に成績以上のアップ・ダウンは少ない幕内番付となった。上位は関脇以上がないのでつまり気味ではある。 小結に入幕3場所目の大の里がすわった
昭和は東京大相撲と大阪大相撲の合併場所として始まった。昭和2年から7年まで年4場所で半分は名古屋を含み西日本で開催された。常ノ花は横綱として大正13年夏場所から旧両国国技館の土俵にあがった。大阪横綱の
現在は年6場所制ある。6場所になって給料や退職金が安定した。七月は暑すぎるので年5場所にというわけにはいかなくなっている。場所の名称は、協会は一月場所、三月場所と開催月を名称としている。土俵の目撃者も
照ノ富士の一人横綱が続く大相撲界。その照ノ富士もは2歳になり、休場が目立ってきた。様相は昭和47年七月場所以降に似てきた。 昭和47年七月場所から大鵬は一人横綱になった。この場所から大鵬の晩年は始まっ
3代目若乃花は引退した場所後年寄藤島を襲名したが、短期間で協会を離職している。現在は日刊スポーツに「若乃花の目」を掲載している。貴乃花が協会を離職したときは「相撲界を離れるほうがたいへんなんだよ」とコ
高砂(元朝赤龍)部屋の分家は錦戸(元水戸泉)部屋だけである。その錦戸部屋は弟子が少なく、部屋としては危うい状態である。広い意味では高砂部屋出身の初代西ノ海の流れを組む錣山(元豊真将)部屋、音羽山(元鶴
大相撲の常設館ができたことは画期的なことであった。天候に左右されないで興行ができることは日程の安定にもつながる。それまでは晴天〇日興行であった。なかには天候が回復しないでそのまま中止になった場所がある
大相撲の幕内は夕方中継している。通常なら勤務時間であり、ほとんどの方は休日以外みることはできない。でもブルーレイで留守録設定しておかばみることができる。それだけ便利で大相撲を楽しめる時代になっている。
大関は横綱に次ぐ地位で協会の看板である。昇進が決まると使者が部屋に赴き、新大関は口上を述べるセレモニーがある。最高位大関の優勝はそれほど多くない。ただし、横綱の大関時代を加えると様相は違ってくる。そこ