私の妻は2人の子どもを生んだのですが、下の子が5歳になる前に他界した。それで子どもの養育には母の手を随分借りた。 もし妻が生きてゐたら、どんなふうに子育てをしただらうかと、ときどき考へます。母親がゐないせいで、平均的な父親よりはいくらか、子どもたちと関はる時間が多かつたかなとも思ふ。しかし、どんなに頑張つても、母親のやうには子どもを愛せないとも思ふ。 母親は子どもに対してどんな愛を持つのでせうか。 ...
生物学者の福岡伸一博士は「動的平衡」といふコンセプトを自身の研究の中心に据ゑてゐる。これは非常に興味深いコンセプトです。 「生命」とは何か。往々にして「自己の複製をコピーするシステム」などと考へます。「新しいものを創り出す」といふ面ばかりを考へがちなのですが、実際には「古いものを破壊する」といふ側面も生命にはあるのです。 破壊がなければ新しい創造がない。破壊しながら創造する。それが生命の最も大きな...
昨日「学習して忘れる」を書いたすぐ後、面白いことに、関連するテーマを扱つた記事に出会ひました。 「学習して進化するAIに”忘れさせる”ことは可能なのか」 といふ記事です。 英語では「学習」を「Learning」と言ひ、その反対語として「Unlearning」といふ言ひ方があるやうです。直訳すれば「反学習」でせうが、それまでに学んだことを「消去」するといふ意味合ひになります。 コンピューター用語で言へば、 「機械学習で積み...
為末大さんが「限界の正体」といふセミナーの中で、 「学習は破壊でもある」 と、自分の体験と絡めながら話してゐます。 スポーツの種目に拘らず、どんなアスリートも自分の技量を上げるために練習を繰り返す。最初はぎこちなかつた動きも、練習を繰り返すうちに段々とスムーズになる。 これはどういふことかといふと、初めは自分の体の動きを一々意識してゐる。ところが練習を重ねるうちに、意識せずとも体が動くやうになる。体...
ニール・ドナルド・ウォルシュは『神との対話2』の中で、自分が子どもの頃から教はつたカトリック教会の教へについて、神に説明してゐます。その一部を要約して紹介してみます。 ★★★ 我々人類は例外なく誰でもが罪人である。私自身には身に覚えがなくても、アダムとイヴの子孫である。彼らが禁断の木の実を食べたといふ罪(原罪)を、その子孫としてみんなが分け合つてゐる。 我々が選択の自由を与へられた理由もそこにある。...
あなたの身体は精神と魂のためにあり、あなたはわたしの精神と魂のためにある。したがって…。わたしはすべてを、あなたを通して経験する。 さて、これよりももっと大きな真実があるが、いずれあなたはそれを知るだろう。あなたはわたしの身体であるが、わたしもまた、ある者の身体だからだ。 (『神との対話』ニール・ドナルド・ウオルシュ) 神とニールとの第一段階の対話も、いよいよ...
何かで「在ること」と「行動すること」には違いがあり、たいていのひとは後者に力点を置いているということだ。… 言い換えれば、あなたが発達することを――魂の発達を――選ぶなら、身体の世間的な活動によって達成することはできない。 「行動すること」は身体の働きである。「在ること」は魂の働きである。 (『神との対話』ニール・ドナルド・ウオルシュ) 魂は「在り」、体は「動く」...
人間関係が神聖なのは、最も気高い自分をとらえて実現する経験ができる、つまり自分を創造する最大の機会 ―― それどころか、唯一の機会 ―― を与えてくれるからだ。逆に、相手の最も気高い部分をとらえて経験する、つまり他者との経験のための最大の機会だと考えると、失敗する。… 人間関係では、それぞれが他者について心をわずらわせるのではなく、ただただ自分について心をくだくべきだ。 (『神との対話』ニール・ドナルド・ウ...
ひとつ説明しておこう。あなたは、神が姿を現す方法はひとつしかないと思っている。そういう考え方は、非常に危険だよ。そう考えていては、あらゆるところに神を見ることはできない。神の現れ方はひとつしかないとか、語り方はひとつしかない、神の在り方はひとつしかないと思っていると、毎日わたしを見ていても気づかないだろう。 (『神との対話』ニール・ドナルド・ウオルシュ) ここで説明してゐ...
さて、皮肉なことに、あなたがたは神の言葉ばかりを重視し、経験をないがしろにしている。経験をないがしろにしているから、神を経験しても、それが神について教えられていることと違うと、たちまち経験を捨てて言葉のほうをとる。ところが、ほんとうは逆であるべきなのだ。 (『神との対話』ニール・ドナルド・ウォルシュ) 自動書記を通じてニールと対話してゐる「神」によると、神は...
今から20数年前、私が牧会者であつた頃、『神との対話』(ニール・ドナルド・ウォルシュ)といふ本を書店の店頭で見つけた。 「神と対話したとは、何だかいかがわしい。一体どんな人物だ?」 と思ひながらも、対話の中身に興味を覚えて、買つて読んでみたのです。 対話の進行は、著者による自動書記に基づいてゐた。自動書記自体は昔体験したことがあつたので、さほど違和感はない。あり得ないことではないと思つたのです。 体...
前の記事「喜んで受け容れる」の続きです。 「問題」はそれが現れることによつて、「問題」が私に潜在してゐることに気づかせ、それを解決(蕩減=帳消し)するチャンスを与へる。それゆゑに、「問題」は有り難い。 頭(理論)ではさう考へるのですが、実際に心からさう思ふことは難しい。ほとんど本能に逆らふやうなものです。そのことは私も実感してゐます。 そこで私は、かう考へるやうにするのです。 「最初から『感謝』が...
前の記事「『問題』といふ福音」からの続きです。 一見、おかしなタイトルのやうですが、「問題」はその対応さへ間違はなければ、私にとつて有益であり得るといふ意味です。その対応において、「甘受」がキーワードだと見ました。 「甘受」とは 「(問題を)当然のこととして、喜んで受け容れる」 といふことです。 「当然」とは、どういふことでせうか。「問題」の原因は「自分」にあるといふことです。 過去数回の記事で書い...
前回の記事「『現象』と『問題』」の続きです。私の周辺で絶えず生起し続ける無数の「現象」のうち、わづかなものだけが私の「問題」として認識されます。「問題」といふのは、悩みであつたり、懸念や苦痛であつたりします。 大多数の「現象」は無意識が処理して、私には意識されない。日常生活を円滑に送るにはそれでいゝのですが、ごく少数のものが私の心に引つかかる。それが「問題」です。 なぜ特定のものが「問題」になるの...
「現象」と「問題」について考へます。 我々はよく、自分の人生にはいろいろな「問題」があると感じたり、考へたりするものです。 例へば、 「夫(あるいは妻)は、私の言ふことをちつとも聞いてくれない」 といふやうな身近な問題(悩み)もある。 あるいは、 「ニューヨークの株価が急落したらしい。日本経済は大丈夫かしら」 といふやうな、かなりかけ離れた問題(懸念)もある。 いづれにしても、「問題」とは何か。一言で...
鳥の中には「托卵(たくらん)」といふ行動をする鳥がゐます。 例へば、郭公(カッコウ)。百舌鳥(モズ)とか鶯(ウグイス)など自分よりも柄の小さな鳥の巣に、こつそりと自分の卵を産みつける。10日余りで孵化すると、同じ巣の中にゐるモズならモズの卵やひなを巣から放り出す。 ところが、おかしなことにモズの親はそのことに気がつかない。段々と自分より大きくなつたカッコウのひなに、せつせと餌を運び続ける。 カッコウ...
気象予報士は今やニュース番組に欠かせない専門職ですね。 この前、ある番組で紹介された予報士は、良く言へばプロ、別の言ひ方をすればオタクといふ感じで、興味をそそられました。彼は何しろ「雲」に憑りつかれた「雲オタク」なのです。 暇さへあれば、空を見上げる。ちょつとでも面白い形の雲を見つけるとスマホで撮つて、すぐSNSにアップする。初めから終はりまで雲ばかりの彼のサイトに数万(数十万だつたかな?)のフォロ...
ビジネスの世界で今一番困ってゐるのは、情報をデリートする方法が分からない、ということです。つまり、ビジネスの中で問題を消去することが非常に難しくなっているのです。 (『豊かに成功するホ・オポノポノ』イハレアカラ・ヒューレン) ビジネスは時代の変化に即応して新しい戦略を立て、生産計画、販売計画を立てていくのが成功のカギでせう。しかし実は、過去の情報をデリート(...
心情の誘発が、原理的か非原理的かが問題です。それによって、蕩減条件をつくるか、讒訴条件をつくるかが決まるのです。 蕩減条件を積んでいなければ、何年たっても、理論的知識はもてても、霊的には成長できません。 (『心情開拓』李耀翰) 我々が絶えず霊的に成長するためには、理論的知識は役に立たない。私の生活が蕩減条件を積む生活でなければならないといふのです。 それなら...
今我々が住んでゐる社会にはいくつもの仮想があると告発する人がゐます。実際にはその仮想が仮想と見えず、いかにも事実らしく装つてゐると言ふのです。 例へば、日本は民主主義の国で、主権は国民にあるといふ仮想。本当にさうなら、我々は自分の代理(代議士)を選んで国政を動かすことができるはずなのに、実際には今の小選挙区制では代議士ではなく政党を選ぶしかない。代議士は所属党の利益を無視できない。それが現実です。...
「隣り人を愛し、敵を憎め」と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。しかし、私はあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。 (マタイによる福音書5:43-44) イエス様の有名な教への一つです。ここで言ふ「敵」とはどういふ人でせうか。 「迫害する人」が典型的な「敵」ではないかと思はれます。例へば、 虐める人。 暴力を振るふ人。 無視する人。...
「ふと思ふ」といふことが、日常生活の中で結構しばしばあるものです。思ひもかけない考へやアイデアが、どこからともなくふと湧いてくるといふ体験です。 私の体験では、例へば昨年の早春3月の初め、朝方愛犬を連れて散歩をしてゐると、ウグイスの鳴き声が聞こえる。「もうすぐ春だなあ」と思つてゐると、今までなら「ホー、ホケキョ」と聞こえてゐたのに、その朝に限つて「ジューイチジョ―」と聞こえる。 「ホー、ホケキョ(法...
科学論文というものは90%の研究結果と10%の推論から構成されると考えてよい。問題はその推論部分にある。推論は研究結果から導いたものでなければ科学論文とは言えない。誰かが推論したことに対して、さらに自分なりに考えを発展させて推論を述べることを「飛躍」といい、それは理論として認められず、「思想」と呼ばれる。(「量子医学」なかよし医院 院長 藤田徳人) 科学の基本は実験です。実験をし、その結...
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私の妻は2人の子どもを生んだのですが、下の子が5歳になる前に他界した。それで子どもの養育には母の手を随分借りた。 もし妻が生きてゐたら、どんなふうに子育てをしただらうかと、ときどき考へます。母親がゐないせいで、平均的な父親よりはいくらか、子どもたちと関はる時間が多かつたかなとも思ふ。しかし、どんなに頑張つても、母親のやうには子どもを愛せないとも思ふ。 母親は子どもに対してどんな愛を持つのでせうか。 ...
母親「娘は幸せでした」 牧師「(葬儀で)さう話します」 父親「では、どうも」(と、牧師と握手) 牧師(母親に手を差し出しながら)「娘さんは今でも幸せですよ。神と共におられますから」 母親(帰りかけて振り向き)「それの何がいゝの?」 父親「行かう」 母親「なぜそれがいゝのか、教へて!」 牧師「人生には苦難もある。子どもを失ふ、なんと残酷なことでしょう。だが、信仰が希望を与へます。そして、人生に輝きを見出し…...
気の置けない者同士が数人集まつて思ひのまゝに話してゐるときでも、急に正論を述べ始める人が、ときどきゐるものです。 「さういふ考へはもう古いよ。こんなふうに変へたほうがいゝと思ふ」 たとへば、こんな正論が出てくると、話してゐる人はとたんに話の腰が折られたやうで、二の句が継げなくなる。それ以上、自分の素直な気持ちを話したいといふ思ひが萎えてしまふ。 正論を述べる人には、たいてい悪気はないのです。相手の...
人生に問題はつきもので、問題には苦痛が伴ふ。苦痛はつらいから、早く何とか解決したい。 病気の兆候。経済的な不安。人間関係の摩擦。さういふものはないほうがいゝので、何とか早く取り除きたい。 そんなふうに思ふのは、当然ですね。 しかし、苦痛を取り除かうとするのは、対症療法でせう。熱が出たら解熱剤を飲むやうなものです。一時的には楽になつても、熱が出た原因そのものは解決されてゐません。 そこで、苦痛が生じ...
何かを成し遂げようとして、上手くいかないことがある。むしろ、そのほうが多いかもしれません。 そのとき、私たちは 「失敗した」 と言ふに違ひない。 上手くいつた場合は、「成功した」と言ひ、上手くいかなければ「失敗した」と言ふ。成功は良いことであり、失敗は良くないことである。だから誰でも成功したいと思ひ、失敗は避けたいと思ふ。まあ、当たり前ですね。 いや、本当に当たり前でせうか。 「私は失敗を許可する」...
「不安でないと落ち着かない」 といふやうな気分になることが、しばしばあります。 これはいかにも変ですね。ふつうなら、「不安で落ち着かない」とか「不安がないから落ち着く」と言ふべきでせう。 たとへば、朝起きると、すぐに一抹の不安が生じる。子どもたちのことが頭に浮かんで、何だか不安になることがあるのです。 「あんなふうだけど、大丈夫かなあ?」 といつた不安。 かなり漠然としてゐるのですが、だからこそ何と...
先日の記事「日常を量子論的に考へる」の中で、 「もし生まれる前に人生を設計して生まれてくるとしても、その計画は確率として存在するのではないか。実人生で選択をすることで確率が現実になる」 と考へてみました。 見方によつては、人生は小さなことから大きなことまで、選択の連続だとも言へます。 今日の昼食は天丼にするか、ラーメンにするか。飲み会に誘はれたとき、行くか、断るか。 学校を受験するなら、どの学校にす...
息子の勧めで「すずめの戸締り」を観た。 私はあまりアニメは観ないし、公開されて2年近くたつてもゐます。ところがNetflixで観始めると、なかなか面白くて、最後まで一気に観終へた。アニメの名手、新海誠監督の作品です。 観終へたあとで、息子に感想を聞かれたので、 「すずめを助けるのは、ほとんど女性ばかりだつたね」 と答へると、息子は、 「そんな観点、思ひもしなかつたけど、さう言はれゝば、確かにさうだな。どうし...
これまでに解明されてゐる量子の特質を挙げるなら、次の2つでせうか。 ① 粒子でもあり、波動でもある ② 位置と運動量とを同時に確定することはできない これらはいづれも、日常生活の感覚から見ると、かなり理解し難い。しかしそれは、我々がこの世を物質的な側面から見ることに慣れ過ぎてゐるからであり、我々自身の意識から見れば、「量子=意識」と言つてもいゝほどに符号してゐるやうに思へます。 身近なところから考へ...
30年以上も前のものですが、1990年に公開されてヒットした米映画「Ghost - ニューヨークの幻」の中に、印象的なシーンが出てきます。 不本意に殺された男性(サム)がその真相を伝えたくて、元恋人に接触を試みる。ところが、サムにはもはや肉体がない。彼からは彼女が見えるが、彼女には彼が見えない。呼びかけても声が届かない。触らうとしても感じられない。 どうしたものかと思ひ悩んでゐるとき、地下鉄のホームで彼の前に一...
ここにおいて、カインとアベルの献祭に相通ずるいくつかの実例を挙げてみよう。 我々の個体の場合を考えてみると、善を指向する心はアベルの立場であり、罪の律法に仕える体はカインの立場である。したがって、体は心の命令に従順に屈伏しなければ、私たちの個体は善化されない。しかし、実際には体が心の命令に反逆して、ちょうどカインがアベルを殺したような立場を反復するので、我々の個体は悪化されるのである。 (『原理講論...
少なくとも目が覚めてゐる間、「思考」といふものから離れられないのが私たちです。その「思考」を2つに分けてみます。 ひとつは、「自動思考」。 もうひとつが、「自主思考」です。 「自動思考」とは、ふと気がついたら、 「自分はこんなことを考へてゐたのか。いつから、どうして、こんなことを考へてゐたんだらう」 と思ふやうな思考です。 だから「自動思考」は、無自覚的な「思考」と言つてもいゝでせう。 それに対して「...
地動説が科学的な真理だと学んで育つた現代の私たちは、球体の地球が球体の太陽の周りを超高速で周回し続けてゐることを疑はないでせう。しかし、向かうの森を眺めて、かすかに風に揺れてゐる木々の枝を見るとき。あるいは、川岸に立つて、小さく波立ちながら流れていく川面を見るとき。私たちは、これらの土台である地球が猛烈な勢ひで回転してゐるといふことなど、すつかり忘れてゐるに違ひない。 自分の人生を振り返つて、後悔...
今日の科学は、物質の最低単位を素粒子と見なしているが、素粒子はエネルギーからなっている。… 物質世界を構成している各段階の個性真理体の存在目的を、次元的に観察してみると、エネルギーは素粒子の形成のために、素粒子は原子の構成のために、… (『原理講論』創造原理 第二節) 素粒子は物質の最小単位であり、一方、量子はエネルギーの最小単位ですね。素粒子はきわめて極小とは言へ、粒子のやうなものとし...
悪霊人たちの業が、みな再臨復活の恵沢を受けられるような結果をもたらすのではない。その業が、結果的に神の罰として、地上人の罪を清算させるような蕩減条件として立てられたときに、初めてその悪霊人たちは、再臨復活の恵沢を受けるようになるのである。(『原理講論』復活論第二節) こゝに「神の罰」「地上人の罪」といふ表現が出てきます。これらは、我々が神に対する概念を作るうえで、...
昔から、会議といふものが苦手です。苦手だから、当然好きでもない。 会議と言へば、最低3人以上、多ければ10人を越すものもあるでせう。その参加者それぞれが、一つのテーマに対して自分なりの意見を持つてゐる。強く主張する人もゐれば、控へ目な人もゐる。 さうすると、あちらも見て、こちらも見る。バリエーションのある意見の中で、自分はどの辺にゐて、どのやうに言へば、自分の意見が言ふだけの意義を持つか。さういふ見...
ときどき、大きな不安に覆はれるやうな感じに襲はれることがあります。これは多分、私だけではない。多くのかたが経験されることではないでせうか。 なぜ不安が生じるのか。 未来において、自分に危害が及ぶやうな気がする。その危害の原因と確実性がある程度明確なときには、恐怖が生まれる。一方、不安といふのはそれらが漠然としてゐる。原因も確実性もはつきりとは見えない。それこそが不安の正体でせう。 そして考へてみる...
誰かと出会い、その人の弱点を非難するとき、私は自分で自分の中の高次の認識能力を奪っている。愛を持ってその人の長所に心を向けようと努めるとき、私はこの能力を蓄える。繰り返し、繰り返し、あらゆる事柄の中の優れた部分に注意を向けること、そして批判的な判断を控えること、このような態度がどれほど大きな力を与えてくれるか。(『いかにして超感覚敵世界の認識を獲得するか」ルドルフ・シュタイナー) ...
「宇宙とは太陽系のことである」 といふ、とても風変りな思想があります。 ヌーソロジー(Noosology)といふ、非常に新しい思考の試みです この思想によれば、太陽系の外に宇宙はない。 いやいや、太陽系の外には銀河系があるのではないか。アンドロメダ星雲もあるし、無数の恒星が宇宙全体に散らばつて存在してゐるのではないか。我々はさう、現代科学によつて教へられてきたでせう。 それでもヌーソロジーは、 「それらはす...
こゝ数年、毎年春になると、花屋から花の苗を買つてきて鉢に植ゑ、玄関先に並べてみる。しかし我ながらセンスがないなと思ふ。なかなかうまく見栄えのする景観を作ることができないでゐます。 それでも、植ゑたときにはまだ固い蕾だつたものが、しばらくするとだんだん開いてきて、小さな花を広げ始める。それを見ると、赤ん坊が一所懸命に立ち上がらうとしてゐるやうで、「健気だなあ」と思ふ。 植物も動物も、人間のやうに言葉...
茂木健一郎さんがツイッターで 「ジャニーズは学芸会、BTSは完成度の高い学芸会」 と評したことについて、Youtubeでその真意を説明してゐます。 私自身はジャニーズにもBTSにも特別な関心がないし、彼らが学芸会であらうとなからうと正直どうでもいゝが、茂木さんがこの問題を取り上げる着眼点に惹かれる。何にどう惹かれるか、私の感じるところを、少し書いてみようと思ひます。 「学芸会」の意味は、 「演者たちは熱心で真剣だ...
欠かせぬ日課となつてゐる買ひ物をしながら、先日、ハッと気づいたことがある。 「私の買ひ物は思考と言葉に頼つた買ひ物だな」 と思つたのです。 例へば、醤油を買はうとする。最初に目が行くのは値札です。値段はもちろんサイズによつても違ふし、種類によつても違ふ。あまりに多くの醤油が並んでゐるので、まづは値段で絞り込むのです。 値段が近ければ、次は成分表を見る。大豆は国産か外国産か。有機栽培の表示があるか。...
信仰者を自認する人は、自分が神を信じてゐると思つてゐる。 それで例へば、孫がガンに罹つたときには、 「この子を若くして死なせないでください」 と神に祈る。 神は私の祈りを聞いてくださるはずだと信じるからです。ところが、その祈りもむなしく、孫は死んでしまふ。 そのとき、おばあさんは 「どうして神は私の祈りを聞いてくださらなかつたのか」 と、問はずにはゐられないでせう。 しかし、救命の祈りさへ聞いてくださ...
LGBTQ問題について、また、徒然に考へてみます。今回は、少し科学的に。(尤も、素人ですから、厳密ではありません) 自然現象でも社会現象でも、それが正規分布を示すことが多い。グラフにすると、平均値を中心として、左右対称の釣り鐘型になる分布ですね。 例へば、日本人の身長。最新のデータによると、男性の平均は170㎝、女性が158㎝です。しかし言ふまでもなく、その平均値を中心としてもつと高い人もゐれば、低い人もゐ...
「甘受」といふことについて考へるやうになつて、もうかれこれ8年になる。この概念は『原理講論』の「復活論」に短く、わづか1項ほどで扱われてゐるに過ぎないのですが、考へれば考へるほど、人生において重要なキーワードだと思はれてきます。 これがどういふシステムなのかについては、私の過去の記事を参考にしてください。 「許可を出したのは私である」 「なぜ『甘受』がベストなのか」 今回は 「甘受するとは、何を甘受す...
鬼といふのは形相は怪異、人を痛めつけ、人の財産を強奪して島に溜め込む悪辣な輩。さういふイメージもあります。 しかしその一方で、「鬼神」とも言ひ、神と並び称される超自然な力の持ち主でもある。「鬼滅の刃」では、いくら切られても死なない不死身の存在です。 鬼についての、かういふ寓話を聞いたことがあります。 鬼は神から造られたが、初め、神のことが嫌ひであつた。どうしても虫が好かない。良い奴か悪い奴か分から...
私は昔から相当に観念の強い人間で、 「このことは、かうでなければいけない」 といふ思ひが強い。 観念の人は、現実を観念に合はせようとするので、ものごとの微妙な変化に気がつきにくい。そして、自分自身も変はるのが難しい。 ところがそんな私でも、この2、30年で世の中の空気がずいぶん変はつてきたのを感じるのです。そしてその空気を吸いながら、私自身の変化も感じる。私が感じるくらゐだから、よほどの変化だら...
神は何でも「受け入れる」。存在するものを神が受け入れないはずはない。拒否するというのは、その存在を否定することだ。 (『神との対話』ニール・ドナルド・ウォルシュ) 存在するものは、どんなものでもすべて受け入れる。それが神の性稟のやうです。本当でせうか。 存在するものを受け入れることを「肯定」、受け入れないことを「否定」とすれば、我々の態度にはどんな場合も「肯定」か「否定」かの二択しか...
およそ2年ぶりくらゐで訪ねてみると、男の子はずいぶん成長したやうな声に変はつてゐた。Youtubeのチャンネル「神様が見える子供たち」です。 神様から聞いた話だと言ふ彼の話がとても興味深い。 「人間関係なんていらない。友だちなんていらない」 と言ふのです。 しかも、 「無理して友だちを作らなくてもいゝ」 といふやうな話ではなく、 「友だちはないほうがいゝ」 と言ふのです。 本当に神様の話だらうか。少なくとも、...
昨秋から母の介護を動画にしてYoutubeにアップしてゐるのですが、先日、動画のひとつにかういふコメントがつきました。 こういうのやめてくれないかしら? 世界では虐待とよびます。 「虐待」といふ言葉を見た瞬間、ドキリとしました。 「私が一体いつ、どんなふうに、てつこさんを虐待したのだらうか?」 と、不意を突かれたやうな気がしたのです。 動画は、「ぐるぐる動き回る...
先日、知り合ひの婦人と話してゐると、娘が妊娠中だといふ。 「初孫になりますか。無事に生まれるといゝですね」 と言ふと、その婦人は少し眉を曇らせて、 「つわりがひどくて、仕事も休んで、今家に帰つてきてるんですが、すごく甘えるんです」 と言ふ。 体がしんどいから、背中をさすつてほしいとか、あれしてほしい、これほしいと、しきりにねだつてくる。 「つわりは大変でせうから、それくらゐしてあげたらいゝぢやないで...
本当にうまく質問することができたら、もう答えは要らないのですよ。僕は本当にそうだと思う。ベルグソンもそう言っていますね。僕ら人間の分際で、この難しい人生に向かって、答えを出すこと、解決を与えることはおそらくできない。ただ、正しく訊くことはできる。 (『学生との対話』小林秀雄) 昭和49年(1974年)に、小林は鹿児島で学生相手の講義を行なひ、そのあとの質疑応答で、冒頭のやうな答へをしてゐま...
河合隼雄の『とりかへばや、男と女』。タイトルの「とりかへばや」は平安朝に書かれたとされる物語『とりかえばや』に由来してゐます。 権大納言に息子と娘があつた。ところが息子は控えめで優しく、女の子の遊びを好み、娘は反対に、大胆で、男の子のやうに振る舞ふ。父はそのうち変はるだらうと思つてゐたが、ふたりの振る舞ひは変はらない。仕方なく、娘は男として、息子は女として育てると決意するのです。 物語のテーマとし...
LGBTQに関する法案をG7サミット前に国会に提出するかどうかで、自民党内が紛糾してゐる様子を見ながら、改めてこの問題に意識が向きます。 世間では、 「LGBTQの人々を差別するな」 といふ論調や 「この法案を通せば、社会が却つて混乱する」 などといふ論調がほとんどのやうに見受けられます。 それも確かに問題ではあるけれど、私としてはもう少し基本的なところ、つまり、 「なぜ、LGBTQといふやうな人々が存在するのか」 と...
我々の中には「良心」があります。そして、この「良心」は「私だけの第二の神」であるといふ。 現在、世界に80億の人々が生きてゐるなら、80億の「良心」があるといふことであり、それはつまり80億の「第二の神」がゐるといふことにもなります。日本では「八百万の神」と言ひますが、その100倍の神がおられるとは、驚くべき多神教です。 さらに考へてみると、神は宇宙のどこにも存在する遍在神でもあるといふ神観もあります。そ...
村上春樹の小説『アフターダーク』の中で、男が女にこんな話を教へる場面がある。男は「ハワイに伝はる神話だ」と言ひますが、実際は村上の創作のやうです。 3人の若い兄弟が漁に出て嵐にあひ、流されて、島に漂着する。美しい島で、真ん中に高い山が聳えてゐる。 漂着した夜、3人が同じ夢を見て、神様のお告げを聞く。 「少し離れた海岸に3つの大きな岩がある。それを転がして、好きなところへ行き...
「自我とは、考へる生き物である」 さう言つてもいゝほどに、自我は朝から晩まで考へ続けてゐます。 「自我」とは、ふつうに「私」と思つてゐる意識です。その「私」がどうしてそんなに考へ続けてゐるかと言へば、「私」を守るためだと思ふ。 「私」がちやんと生きていくためには、「私」を環境に適応させなくてはいけない。どうやつて食料を過不足なく確保するか。それは今だけでなく、将来にわたつても考へなくてはいけない。...
「分からう、としない。分かつたと思つた瞬間、神との関係が断たれる」 といふことについて、考へてみようと思ひます。 例へば、今私が隣人との人間関係の問題を抱えてゐたとします。 細かな問題でよくぶつかり、その都度ひどく文句を言はれる。どうしてこんなに性に合はない人が目の前に現れてくるのか。どうしたらその悩みを解決できるのか。それを私は知らうとするでせう。知つて、対処してこそ、その問題から脱却できると思...
インターネットで偶々出会つた動画。わづか5分あまりの短いものですが、その間、づつとバイクで走り続けてゐます。 若い男性が運転し、女性が後ろに座って、必死に男性にしがみついてゐます。そのバイクを後ろからづつと追ひかけてゐるのは、多分白バイでせう。動画はその白バイから撮つてゐます。 どんな悪事を働いたのかは分かりませんが、とにかく白バイに捕まらないやうに、凄いスピードで逃げ続ける。かなり巧みなハンドル...
「思ひ通りでなくても、大丈夫」 といふアファメーションがあります。 夫が家庭のことを顧みてくれない。 子どもが期待通りに育つてくれない。 いくら頑張つても、仕事で実績が出ない…。 人生には、思ひ通りににいかないことがいくらでも起こる。むしろ、ほとんど思ひ通りにいかないと言つたほうがいゝかもしれないほどです。 だから、さういふときに 「思ひ通りにいかなくても、大丈夫」 と自分自身に言ひ聞かせることで、自分...