これまでに解明されてゐる量子の特質を挙げるなら、次の2つでせうか。 ① 粒子でもあり、波動でもある ② 位置と運動量とを同時に確定することはできない これらはいづれも、日常生活の感覚から見ると、かなり理解し難い。しかしそれは、我々がこの世を物質的な側面から見ることに慣れ過ぎてゐるからであり、我々自身の意識から見れば、「量子=意識」と言つてもいゝほどに符号してゐるやうに思へます。 身近なところから考へ...
数日前のことだが、おかしな夢を見た。 「OSに気をつけろ。OSを見せないやうにして、アプリが勝手に動いてゐると思はせる何者かがゐる」 と、誰かが言ふのです。 OSとは、Operating System。パソコンやスマホを動かしてゐる基本ソフトのことです。主要なものとして、Windows、macOS、Androidなどがある。 しかし、夢の中の言葉は、意味がよく分からない。言葉を反芻してゐるうちに目が冴えてきて、枕もとのスマホを取り出してYo...
『これからやってくる素晴らしい世界の話』(ヒロカズマ)の第5章に「世界を回って知った幸せな生き方」が9つ提示されてゐます。すべてがコンドル族から得たアイデアです。その中のいくつかを紹介します。 ① 多く歩く、少なく食べる、良く眠る コンドル族の優位性は、その「体力」にあります。アチュアル族は1OKg、20㎏の荷物を背負つて、ぬかるんだジャングルの中を半日以上楽々と歩く。ネパールの山岳民族も、30㎏近い荷物を...
『これからやってくる素晴らしい世界の話』(ヒロカズマ)の基調テーマは、 「コンドルとイーグルはどうしたら同じ空を飛べるか」 といふことです。 元々一つだつた人類が、あるとき2つに分かれた。一つは「自然との調和」を選択したコンドル族。もう一つが「思考と科学」を選択したイーグル族です。 ところが、この2つがともに危機を迎へるときが来る。そのとき、2つがうまく融合できれば、人類は再び一つとなつて新しい世界を...
『これからやってくる素晴らしい世界の話』の著者、ヒロカズマさんは、なかなかの自由人といふ印象を受けます。大学の卒業記念に数か月間オーストラリアを旅行したのを皮切りに、南米アマゾン、南インド、北極圏、アンデス、ヒマラヤ、ブータン王国、アリゾナ州セドナなどをかなり長期に亘つて経巡つてゐるのです。 本書はその旅の体験談をベースに、一つのテーマを追求してゐます。そのテーマとは、 コンドルとイーグルはどうし...
アマゾンのシャーマンが実践し、教示してくれるテクニックがあるさうです。 自分の人生の中で重要な課題、例へば、 「私はこれからどんな仕事をすればいいのか」 「私はどのやうに生きていけばいいのか」 などといつたことを知りたいときに使ふテクニックです。 まづ、その質問を自分自身に投げかけ、そのまま答へを考へないで、放置します。答へを探らない。ただ質問だけをするのです。そしてそれを毎日続けます。 テクニッ...
20年前に妻が聖和してから、ときどき 「これは今、この世なのか、あの世なのか」 と思ふことがあつた。 天気の良い日。明るい日差しが眩しい。そんなとき、 「この日の光は、この世なのか、それともあの世なのか」 どちらともはつきり分からなくなるのです。 また、洗面所で蛇口から水を流しながら、 「今私はこの世で顔を洗つてゐるのか、それともあの世で洗つてゐるのか」 と判別がつかない気持ちになる。 人と話してゐても、...
ハワイ出身のセラピスト、イハレアカラ・ヒューレン博士が講演会の中で、こんな体験談を証ししてゐます。 あるとき、飛行機に乗つてゐると、急に激しく揺れ出した。何が起こつたのだらうと心配になり、窓から外を覗いてみたりする。気をもんでゐると、彼の師であつたモーナ女史(そのときすでに亡くなつてゐた)の声が聞こえてきたのです。 「もしもし、(揺れてゐるのは)あなたの中ですよ」 それで彼はハッとした。 小さな証...
私が何かを見るとは、どういふことか。それについて考えてみようと思ひます。 例へば、外に出て遠くを眺めると山が見える。山のところどころは霧がかかつて霞んでゐる。今は雨が降つてゐないが、山の上には灰色の雨雲が垂れ込めてゐる。 この景色をデジタルカメラで撮つたとします。すると液晶画面には、目で見たとほぼ同じに見える画像が映る。 ところが、この画像は何かと言ふと、小さな画素の集まりです。山も霧も雲もそのや...
誰でもみな例外なく「幸福」を求めてゐることは、間違ひない。ただ、その求め方は千差万別で人によつて異なる。それらを『原理講論』では大きく2つに分類してゐます。 一つは、物質的結果的な現象世界に「幸福」を求めようとする方法であり、もう一つが霊的原因的な本質世界に「幸福」を求めようとする方法です。 前者の人たちは、極度に発達した科学を頼りとし、その万能と物質的な「幸福」を誇りとしてゐる。一方後者の人たち...
「中田敦彦のYouTube大学」で紹介された『年収90万円で東京ハッピーライフ』(大原扁理)を読んでみた。かなり極端なミニマリストとでも言ふべき人だが、その人の思想は私には面白かつた。 だいぶ前に「断捨離」が世に出て以来、ミニマリズム的生活志向はかなり広がつてゐるのかも知れない。私も昨年退職を機に、家の中のものを多分3分の1くらゐ整理した。お蔭で屋内空間はずいぶんすつきりした。 ところが大原さんは、並みのミ...
「これを聴け!」と孫悟空は言った。 「われわれがさんざん苦労して中国からここまでやって来て、おまけにわれわれに経巻を与えるようにとあんたが言いつけておいたというのに、阿難(アナン)と迦葉(カショウ)はまがいものをよこした。何も書いてない巻物をよこしたのだ。お訊きするが、そんなものがわれわれにとって何の足しになるのか」 (『西遊記』) 中国の有名な白話小説『西遊...
日本人の中には本当に根強い「人間保守主義」といふものがあつて、これには誰も逆らへない。皇室と言へども、その上にあるのではないといふことをつくづく感じた。 脳科学者の茂木健一郎さんのこの言葉。鋭い感性による洞察だなと思ふので、考へてみます。 茂木さんがかういふ感想を言ふいきさつは、秋篠宮家における眞子内親王の結婚問題にある。 この問題については、婚約候補者の男性について「...
このところ、おばあちやんの日常はまあまあ平穏に流れてゐる。 認知症はもはや行くところまで行つて、これ以上悪くはならないやうに見える。昨日今日のことはほぼ覚えてゐないが、過去の断片的な記憶は繰り返し蘇つてくる。会話が成立するのは、そのあたりの思ひ出を喋るときです。 いろいろ喋る中で、繰り返す言ひ回しがある。 「周りがみんな優しいから、てつこは本当に幸せだ。役に立たない90のおばあちやんを誰も大切にして...
心理学者の故河合隼雄さんが 「日本神話の中空構造」 といふ説を立てゐます。 日本神話にはたくさんの神々がおられる。八百万の神です。ところが、中心に立つ神様がおられず、真ん中が空いてゐる。さういふ説です。 日本神話で重要な神様は天照大御神とスサノウの尊。ふつうの神話なら、天照が勝つてスサノオを追ひ出せば、天照の天下になつて天照を中心に回るやうになる。 ところが、スサノオは追ひやられても、出雲あたりで結...
前回の記事でご紹介した『意識のかたち』を読みながら、「身体性」について考へる。 著者の高岡英夫さんは、身体性において「達人」と呼べる人として、次のやうな人たちを挙げてゐます。 まづ、歴史き手に最も有名な達人として、剣豪宮本武蔵。彼の剣捌きを目の当たりにすることはできないが、彼の立ち姿を描いた絵が残されてゐます。 両手に剣を握つて立つてゐるその姿は、一見するとだらりとして緊迫感がないやうに見える...
今、名古屋場所の最中だが、ここ数年あまり相撲を見なくなつた。何だかあまり魅力を感じない。どうしてだらう。 子どもの頃と言へば、何と言つても大鵬が至高の英雄だつた。毎日学校から帰ると、場所の15日間はテレビにくぎ付けだつた。 大鵬の時代が過ぎると、続いてきたのが千代の富士時代。その後さらに、若貴時代。一番一番が見逃せなかつた。 あんなに面白かつた大相撲になぜ魅力を感じなくなつたのか。いろいろな不祥事も...
「この世」「あの世」といふ言葉があります。「あの世」は「死後の世界」とも呼ばれたりします。 「あの世」は「この世」で生きた人が、死んでから行く世界。「この世」は空間と時間に制約されるのに対して、「あの世」は空間を超越した永遠の世界である。大体そんなふうに考へられてゐるでせう。 さて、それでは「あの世」は一体どこにあるのか。死んだ人は一体どこに行つてしまふのか。 愛する身近な人に先立たれた人の中には...
神は自己創造を土台として物理的実体としての宇宙(と霊的実体としての霊界)を創造された。人間はその造られた宇宙の一部として存在しながら、自分の内部に自分を中心とした宇宙を構築(再創造)する。かういふ観点から、神と人間の創造性には類似性がある。 前回の記事で、そのやうに考へました。 人間の創造性の核心は、自分の中に宇宙を再創造することだ。さういふ考へです。 分かり易い所から、もう少し深く入つてみませう...
我々人間が創造主・神の創造性に似ることができるとすれば、その内実は何であるか。前回の記事から、もう少し続けます。 人間には科学的真理を探究して新しいものを発明する能力がある。自分の子どもを生み育てて、神の人間創造の喜びを追体験するといふ創造性もある。 それも貴重な創造性には違ひない。しかし、もつとその奥にある根本的な創造性が隠れてゐるのではないか。 自己創造能力。 これを考へてみる必要があるといふ...
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これまでに解明されてゐる量子の特質を挙げるなら、次の2つでせうか。 ① 粒子でもあり、波動でもある ② 位置と運動量とを同時に確定することはできない これらはいづれも、日常生活の感覚から見ると、かなり理解し難い。しかしそれは、我々がこの世を物質的な側面から見ることに慣れ過ぎてゐるからであり、我々自身の意識から見れば、「量子=意識」と言つてもいゝほどに符号してゐるやうに思へます。 身近なところから考へ...
30年以上も前のものですが、1990年に公開されてヒットした米映画「Ghost - ニューヨークの幻」の中に、印象的なシーンが出てきます。 不本意に殺された男性(サム)がその真相を伝えたくて、元恋人に接触を試みる。ところが、サムにはもはや肉体がない。彼からは彼女が見えるが、彼女には彼が見えない。呼びかけても声が届かない。触らうとしても感じられない。 どうしたものかと思ひ悩んでゐるとき、地下鉄のホームで彼の前に一...
ここにおいて、カインとアベルの献祭に相通ずるいくつかの実例を挙げてみよう。 我々の個体の場合を考えてみると、善を指向する心はアベルの立場であり、罪の律法に仕える体はカインの立場である。したがって、体は心の命令に従順に屈伏しなければ、私たちの個体は善化されない。しかし、実際には体が心の命令に反逆して、ちょうどカインがアベルを殺したような立場を反復するので、我々の個体は悪化されるのである。 (『原理講論...
少なくとも目が覚めてゐる間、「思考」といふものから離れられないのが私たちです。その「思考」を2つに分けてみます。 ひとつは、「自動思考」。 もうひとつが、「自主思考」です。 「自動思考」とは、ふと気がついたら、 「自分はこんなことを考へてゐたのか。いつから、どうして、こんなことを考へてゐたんだらう」 と思ふやうな思考です。 だから「自動思考」は、無自覚的な「思考」と言つてもいゝでせう。 それに対して「...
地動説が科学的な真理だと学んで育つた現代の私たちは、球体の地球が球体の太陽の周りを超高速で周回し続けてゐることを疑はないでせう。しかし、向かうの森を眺めて、かすかに風に揺れてゐる木々の枝を見るとき。あるいは、川岸に立つて、小さく波立ちながら流れていく川面を見るとき。私たちは、これらの土台である地球が猛烈な勢ひで回転してゐるといふことなど、すつかり忘れてゐるに違ひない。 自分の人生を振り返つて、後悔...
今日の科学は、物質の最低単位を素粒子と見なしているが、素粒子はエネルギーからなっている。… 物質世界を構成している各段階の個性真理体の存在目的を、次元的に観察してみると、エネルギーは素粒子の形成のために、素粒子は原子の構成のために、… (『原理講論』創造原理 第二節) 素粒子は物質の最小単位であり、一方、量子はエネルギーの最小単位ですね。素粒子はきわめて極小とは言へ、粒子のやうなものとし...
悪霊人たちの業が、みな再臨復活の恵沢を受けられるような結果をもたらすのではない。その業が、結果的に神の罰として、地上人の罪を清算させるような蕩減条件として立てられたときに、初めてその悪霊人たちは、再臨復活の恵沢を受けるようになるのである。(『原理講論』復活論第二節) こゝに「神の罰」「地上人の罪」といふ表現が出てきます。これらは、我々が神に対する概念を作るうえで、...
昔から、会議といふものが苦手です。苦手だから、当然好きでもない。 会議と言へば、最低3人以上、多ければ10人を越すものもあるでせう。その参加者それぞれが、一つのテーマに対して自分なりの意見を持つてゐる。強く主張する人もゐれば、控へ目な人もゐる。 さうすると、あちらも見て、こちらも見る。バリエーションのある意見の中で、自分はどの辺にゐて、どのやうに言へば、自分の意見が言ふだけの意義を持つか。さういふ見...
ときどき、大きな不安に覆はれるやうな感じに襲はれることがあります。これは多分、私だけではない。多くのかたが経験されることではないでせうか。 なぜ不安が生じるのか。 未来において、自分に危害が及ぶやうな気がする。その危害の原因と確実性がある程度明確なときには、恐怖が生まれる。一方、不安といふのはそれらが漠然としてゐる。原因も確実性もはつきりとは見えない。それこそが不安の正体でせう。 そして考へてみる...
誰かと出会い、その人の弱点を非難するとき、私は自分で自分の中の高次の認識能力を奪っている。愛を持ってその人の長所に心を向けようと努めるとき、私はこの能力を蓄える。繰り返し、繰り返し、あらゆる事柄の中の優れた部分に注意を向けること、そして批判的な判断を控えること、このような態度がどれほど大きな力を与えてくれるか。(『いかにして超感覚敵世界の認識を獲得するか」ルドルフ・シュタイナー) ...
「宇宙とは太陽系のことである」 といふ、とても風変りな思想があります。 ヌーソロジー(Noosology)といふ、非常に新しい思考の試みです この思想によれば、太陽系の外に宇宙はない。 いやいや、太陽系の外には銀河系があるのではないか。アンドロメダ星雲もあるし、無数の恒星が宇宙全体に散らばつて存在してゐるのではないか。我々はさう、現代科学によつて教へられてきたでせう。 それでもヌーソロジーは、 「それらはす...
こゝ数年、毎年春になると、花屋から花の苗を買つてきて鉢に植ゑ、玄関先に並べてみる。しかし我ながらセンスがないなと思ふ。なかなかうまく見栄えのする景観を作ることができないでゐます。 それでも、植ゑたときにはまだ固い蕾だつたものが、しばらくするとだんだん開いてきて、小さな花を広げ始める。それを見ると、赤ん坊が一所懸命に立ち上がらうとしてゐるやうで、「健気だなあ」と思ふ。 植物も動物も、人間のやうに言葉...
一体誰が世界を見てゐるか、といふことについて考へてみようと思ひます。 世界と言ふと、ふつうは時空間の広がりだと捉へるでせう。部屋の中にゐれば、部屋の広さの空間がある。そして、部屋の外は見えないとしても、外にはさらに広い空間が広がつてゐる(はずだ)と考へてゐる。 自分に見えてゐるごく小さな一部分の空間と、見えてゐない残りの広大な空間。これらを合はせて「世界」と考へてゐるでせう。さて、この世界を見てゐ...
夕方、スマホをズボンのポケットに入れてYoutubeを聞きながら草取りをしてゐると、女性の声で、 「自分を好きになるつていふのは、人生でイ~ッチバン難しいこと。それをまづ頭に入れておいてほしい」 といふ話をし始める。 これは私自身、日頃からよく考へるテーマなのですが、改めて、 「一番難しいといふほど、難しいかな?」 と自問することに。 そして、あまり思案する間もなく、 「さうに違ひなささうだなあ」 と思ふ。 ...
じっと見つめていると、全体におけるそのものの位置が「わかる」。そうすると、意義が分かるのであります。その後も心をそこから放さないでいますと、次第にそのものの内容がその人の感情に取り入れられてゆく。体得されて、感情となって本当にその人の中に入ったものは、だんだん素朴化されることによって、次第に深く入り、ついに情緒の中心に達する。(『紫の火花』岡潔 前回の記事で「目の前のも...
鶯の鳴き声を聞いて、昨年のちやうど今頃、鶯の話題を記事に書いたことを思ひ出しました。 鶯の鳴き声を聞くと、私にはどうしてもそれが、 「ホーホケキョ」 と聞こえる。■ 鶯はなぜ「ホーホケキョ」と鳴くのか 一説によると、浄土真宗中興の祖、蓮如上人が鶯の鳴き声を聞いて、 「あゝ、あれは『法、法華経』と鳴いてゐるなぁ」 と言はれたといふ。 その話を聞いた人たちは、鶯の声を聞くたびにだんだんとそれが 「ホーホケキ...
呼吸は無意識に行なつてゐて途切れないやうに、私たちの頭にも無意識の裡に途切れずに生じる思考があります。 たとへば、二つの選択肢があれば、 「どちらかが正しく、どちらかが間違つてゐる」 と考へたり、 「どちらかがもう一方より正しい」 と、無意識の裡に考へる。 あるいは、自分の考へと違ふ人がゐると、 「この人を変へないと」 と、相手を自分に合ふやうに変へようとする。 これも、ほぼ無意識の思考です。自律神経が...
ある切つ掛けがあつて、ふとこんなことを思つた。 「仕事とお金の関係を、一度切り離して考へてみてはどうか」 今の世の常識では、お金は基本的に仕事を通して手に入る。それが商売であらうと会社勤務であらうと、仕事なしにお金を手に入れることはできない。(こゝでは、詐欺とか不正株取引などは同列に述べないことにします) 特に時給換算の仕事なら、1時間働いていくら、1週間に5日働いていくらといふふうに、仕事(体を動...
そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」人々はイエスの着物をくじ引きで分け合った。(「新約聖書」ルカによる福音書23:34) イエス様を十字架で殺害することが、一体どういふことであるのか。それを当時の人々は誰も分からずにゐた。そして、イエス様の着物をくじ引きで分け合ふなどといふ、話にもならない愚かな行為に耽つ...
もう30年近くも昔のことです。携帯もスマホも、もちろんない。ポケベルもまだなかつたと思ふ。 教会長をしてゐた。東西に長い県で、東の端の教会から県の真ん中あたりまで、月に1回くらゐ、夕方出かけて家庭礼拝をする慣はしだつた。 距離にすれば、約80キロ。高速道路もないから、ふつうに走れば1時間半はかゝる。礼拝が終はれば、もう8時半か9時になる。それから家まで帰る。夜でもあり、ぶつ飛ばして、大抵は1時間少しで自宅...
LGBTQに関する法案をG7サミット前に国会に提出するかどうかで、自民党内が紛糾してゐる様子を見ながら、改めてこの問題に意識が向きます。 世間では、 「LGBTQの人々を差別するな」 といふ論調や 「この法案を通せば、社会が却つて混乱する」 などといふ論調がほとんどのやうに見受けられます。 それも確かに問題ではあるけれど、私としてはもう少し基本的なところ、つまり、 「なぜ、LGBTQといふやうな人々が存在するのか」 と...
我々の中には「良心」があります。そして、この「良心」は「私だけの第二の神」であるといふ。 現在、世界に80億の人々が生きてゐるなら、80億の「良心」があるといふことであり、それはつまり80億の「第二の神」がゐるといふことにもなります。日本では「八百万の神」と言ひますが、その100倍の神がおられるとは、驚くべき多神教です。 さらに考へてみると、神は宇宙のどこにも存在する遍在神でもあるといふ神観もあります。そ...
村上春樹の小説『アフターダーク』の中で、男が女にこんな話を教へる場面がある。男は「ハワイに伝はる神話だ」と言ひますが、実際は村上の創作のやうです。 3人の若い兄弟が漁に出て嵐にあひ、流されて、島に漂着する。美しい島で、真ん中に高い山が聳えてゐる。 漂着した夜、3人が同じ夢を見て、神様のお告げを聞く。 「少し離れた海岸に3つの大きな岩がある。それを転がして、好きなところへ行き...
「自我とは、考へる生き物である」 さう言つてもいゝほどに、自我は朝から晩まで考へ続けてゐます。 「自我」とは、ふつうに「私」と思つてゐる意識です。その「私」がどうしてそんなに考へ続けてゐるかと言へば、「私」を守るためだと思ふ。 「私」がちやんと生きていくためには、「私」を環境に適応させなくてはいけない。どうやつて食料を過不足なく確保するか。それは今だけでなく、将来にわたつても考へなくてはいけない。...
「分からう、としない。分かつたと思つた瞬間、神との関係が断たれる」 といふことについて、考へてみようと思ひます。 例へば、今私が隣人との人間関係の問題を抱えてゐたとします。 細かな問題でよくぶつかり、その都度ひどく文句を言はれる。どうしてこんなに性に合はない人が目の前に現れてくるのか。どうしたらその悩みを解決できるのか。それを私は知らうとするでせう。知つて、対処してこそ、その問題から脱却できると思...
インターネットで偶々出会つた動画。わづか5分あまりの短いものですが、その間、づつとバイクで走り続けてゐます。 若い男性が運転し、女性が後ろに座って、必死に男性にしがみついてゐます。そのバイクを後ろからづつと追ひかけてゐるのは、多分白バイでせう。動画はその白バイから撮つてゐます。 どんな悪事を働いたのかは分かりませんが、とにかく白バイに捕まらないやうに、凄いスピードで逃げ続ける。かなり巧みなハンドル...
「思ひ通りでなくても、大丈夫」 といふアファメーションがあります。 夫が家庭のことを顧みてくれない。 子どもが期待通りに育つてくれない。 いくら頑張つても、仕事で実績が出ない…。 人生には、思ひ通りににいかないことがいくらでも起こる。むしろ、ほとんど思ひ通りにいかないと言つたほうがいゝかもしれないほどです。 だから、さういふときに 「思ひ通りにいかなくても、大丈夫」 と自分自身に言ひ聞かせることで、自分...
以前の記事「天国人にならうとする人」で、 「天国を創らうとする人は、天国を創れない」 と書いたことがあります。 その理由も書いたのですが、今回は少し違ふ観点から、改めて理由を考へてみようと思ひます。 我々の霊性は、段階的に成長していくと言つていゝでせう。全体的にもさうだし、個人的にもさうです。 一段階上がるとき、最も重要な切つ掛けは「気づき」だと思ふ。それまで見えてゐなかつたものが、何かの切つ掛けで...
児童虐待がエスカレートして、遂には我が子を死に至らしめたといふやうなニュースが、最近は珍しくない。 さういふニュースを聞くと、我々はたいてい、 「そんなひどい、残酷な親がゐるものか!」 と驚くし、マスコミもそれが異常だと思ふからこそニュースにするわけでせう。 しかし、そこまではいかない虐待といふものなら、世間にいくらでも溢れてゐると思ふ。 言ふことを聞かなければ、大声で叱る、時には殴る。イライラが募...
先日、「天国実現私案」なる記事をアップしたのですが、書きあげてみると、我ながら何だかおかしい。この方法では天国実現はかなり難しい、むしろだんだん遠のいていくやうな気がしてきたのです。 それで、どこをどう修正したらいゝのかと考へてゐると、ハッと、あることに思ひ至りました。何のことはない、元のアイデアを全部そつくりそのまゝひつくり返してみたらどうか。そのことに気づいたのです。 つまり、かういふことにな...
我々誰もが、例外なく、身の内に持つてゐる堕落性。これが、いろいろな状況に遭遇するたびに出てきて、私を苦悶させます。 なぜ出てくるのか。 その性質を直してほしいと思つて、出てくる。私を苦しめようなどといふ意図はないのです。さう考へてみてはどうかと思ふ。 性質はどのやうに作られるかといふと、その構成要素は「記憶」ではないか。それが私の一つのアイデアです。 過去の体験と、そのときに抱いた思ひが、記憶とし...
我々はいかにして天国をこの地上に建設していくか。そのための基本理念と基本的実践方案を合はせて、簡略ながら、こゝでまとめて提示してみたいと思ひます。 まづもつて一番重要な基本前提は、 「我々こそが、教祖の教説を正しく受け継ぐ、唯一の正統であることを確信し、それを宣布すること」 です。 従ひまして、我々の理解といさゝかでも食ひ違ふと思はれる者たちのグループには、「異端」あるいは「霊的グループ」とのレッテ...
前の記事「概念の人」で、 「(概念の人は)見えないものを見る」 と書きました。 これは言ひ替へると、 「信じるものを見る」 とも言へますね。 例へば、今自分の目の前の人に困らせられるとき、 「私は意地悪な人を見てゐる」 と思ひます。 しかし実は、目の前に「意地悪な人」はゐないのです。さうではなく、私がその人を「意地悪な人」と信じるので、その人が意地悪に見える。それが真実でせう。 あるいは、「世間体」とい...
神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。 (創世記1:27) 人を創造した神を「創造主」と言ひ、神に創造された人を「被造物」と呼んだりします。ところで、「神のかたち」に創造された人は、どういふ「被造物」と言つたらいゝのでせうか。 神を「創つた神」と呼ぶなら、人は「創られた神」と言へるのではないか。人は「神のかたち」なのだから、神と言つておか...
「概念」といふのは、人間独特のものだと思ふ。それなしには人間らしく生きていけないが、同時に、生きづらくもしてゐる。 この、一見すると矛盾するやうに見える「概念」の2つの特徴的要素を挙げてみませう。 一つ目は、「見えないものを見る」といふ特徴です。「ないものをあると考へる」と言つてもいゝ。 見えないものとは、例へば、境界線です。元々地球には何も境界線もなかつたのに、人間が国家といふもの(これも一種の...
個人であれ、家庭であれ、組織であれ、何か問題が起きると、その解決方法を考へるやうになります。問題の原因を探り、その対策を思案する。そのとき、先頭に立つて働いてゐるのは脳であり、その脳が頼りにするのは過去のデータです。 この脳の働きを見て、仏教はそれを「小我」と名づけた。そして、本当に問題を解決したいなら、この「小我」を抑へるべきだと考へたのです。(「小我」は、心理学で言へば「自我」、あるいは「理性...
スーパーのレジでの体験。これは私の実体験ではなく、動画による体験なのですが、実体験と同様な感覚を味はひます。 80歳を過ぎた高齢の男性がレジに並び、いざ会計となつたとき、財布から小銭ばかりを取り出す。十数ドルの買ひ物なのに、お札は1枚もありません。 男性は覚束ない手つきで、ゆつくりと小銭を数へる。一番イライラしたのは、レジの女性です。 「どうして銀行に行かないの?」 と、今さら言つても仕方ないことを...
昔、 「真の愛は、与へて忘れる」 といふフレーズをよく聞きました。 ふつうには、何かを与へたら、何らかの見返りがあるだらうと期待する。しかし、その期待を放棄しなさいといふものです。 どんなことであれ、我々が自分のエネルギーを何かに投入するとき、念頭には必ず結果を想定すると思ふ。例へば、報酬を期待しないボランティアなどでも、せめて感謝されることくらゐは期待するものでせう。 しかし本来は、それさへも期待...
第二もこれと同様である。 「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」。 これら二つのいましめに、律法全体と預言者とが、かかっている。 (マタイ福音書22:39) この第二の戒めにおいて、強調されてゐるのは 「隣り人を愛せ」 といふことであるやうに見えます。 しかし本当に大事なのは、前半の 「自分を愛する」 のほうではないかと、つねづね思ふのです。 といふのは、「自分を愛する」ことなしに「隣り...
お釈迦様が悟りを得られたあと、最初の弟子になつたのは5人の比丘だつたと言はれます。 その5人は、もともとお釈迦様と一緒に修業をしてゐた人たちです。彼らは長い間、とても厳しい修業に明け暮れてゐたが、お釈迦様はあるとき「苦行では悟りを得られない」と考へられた。それで苦行をやめて、菩提樹のもとで瞑想を始められたのです。 それを見た、同行者であつた5人の比丘は最初、 「ゴータマは苦行から脱落した」 と思ひ、見...