何かを成し遂げようとして、上手くいかないことがある。むしろ、そのほうが多いかもしれません。 そのとき、私たちは 「失敗した」 と言ふに違ひない。 上手くいつた場合は、「成功した」と言ひ、上手くいかなければ「失敗した」と言ふ。成功は良いことであり、失敗は良くないことである。だから誰でも成功したいと思ひ、失敗は避けたいと思ふ。まあ、当たり前ですね。 いや、本当に当たり前でせうか。 「私は失敗を許可する」...
人間がそれ自身の責任分担を完遂して初めて完成されるように創造されたのは、人間が神も干渉できない責任分担を完遂することによって、神の創造性までも似るようにし、… (『原理講論』創造原理第5節) この中の「神の創造性までも似る」といふ一節が、昔から分かるやうで分からないままできてゐます。神に似て人間が持てる「創造性」とは一体何だらうか。 神ご自身の創造性については...
幸福は常に私たちを待っています。それでも私たちが幸福を探しだすことができない理由は、欲望が行く道を阻むからです。欲に眩(くら)んだ目は前を見ることができません。 たったいま地面に落ちかけた黄金のかけらを拾おうとして、その先にある大きな黄金の山を見ることができず、ポケットに入れることにあくせくし、ポケットが破れたことも分かりません。 (『平和を愛する世界人として』文鮮明) ...
『Rei 出口はいつも入り口にある。』(さとうみつろう)に、かういふエピソードが出てきます。 北海道の小学生たちが修学旅行で北陸にやつて来た。そこへちやうど季節外れの台風が近づいてきたといふ天気予報。明日は兼六園やその他数ヵ所を観光する予定になつてゐるのに、台風なら中止になる。 小学生の1人がツアー・コンダクターのところにやつて来て、 「僕、てるてる坊主を作つた。これを外に吊るさうと思ふんだ」 と言ふの...
養老孟司先生がある講演会の中で、虐めの体験を書いた本を紹介して、 「読んでみると、この中に書いてないことが一つあるのに気がついた」 と言つてゐます。 大体、「在ること」に気づくのは容易でも、「無いこと」に気づくのは難しいものです。先生が「無い」と気づいたのは何か。 「花鳥風月」 体験談の中に、これが一つも出てこないといふのです。どういふことか。 辛かつた、不幸だつたといふ体験のほぼすべてが、人間関係...
ここ数日、井上尚弥の試合映像を観続けてゐる。井上については、最近初めて知つた。 井上は今年28歳のプロボクサー。とにかく強い。そしてそのボクシングは美しい。アマチュアからプロに転向し、6戦目で世界王座戦に挑戦し、見事に王座を獲得した。 圧倒的な実力と完璧とも言へるボクシングスタイルから「日本ボクシング史上の最高傑作」とも呼ばれる。「モンスター」との異名も持つが、それは彼のパワーをこそ表現してゐるものの...
先日、親しい知人の誘ひで昼食を食べながらいろいろ話をした。雑談に終はつたなと思ふ。知人はそんなことで満足したかどうか判らないが、私はその雑談が楽しかつた。 AI技術が進んできてはゐるものの、少なくとも今のところ、雑談はAIにはできない。人間だけが堪能できる、極めて高度な楽しみだと思ふ。 AIになぜ雑談ができないかといふと、雑談では先が読めない。私がかう言つたら、相手がどう返すか。予測がつかない。その予測...
昨日は父の日だつたが、それに先立つ数日前、娘が会社の休みを取つて買ひ物に誘つてくれた。父の日のプレゼントをしてくれるといふのです。 地元には大きなモールもないから、車でわざわざ2時間以上かかる遠出と相成つた。その道々、娘がこんなことを話してくれる。 「この前、お兄ちやんと話したのよ」 息子は今、東京にゐる。コロナ禍で1年以上帰つて来れてゐない。ラインででも話したのだらう。 「お兄ちやんがね、『お父さ...
積み上げてきたと思つてゐたものが眼の前から突然消えたやうに思へたときに、彼女は初めて「自分自身」に出会つたのではないか。それまでは「努力」と「結果」が「自分自身」だと思つてゐたのに、さうではなかつた。 しばらく前に書いた記事「ただの池江璃花子」の中の一節です。 いよいよ東京五輪は開かれさうだなと考へてゐると、 「池江さんは白血病になるまで『我泳ぐ、ゆゑに我あ...
おばあちやんは徐々にろれつが回りにくくなつてゐる。ある程度波があつて、喋つてゐる言葉がほとんど聞き取れないときもあれば、割りと流暢に話せるときもある。 今朝は口が滑らかな日で、食事を終へたあとしばらく昔の思ひ出話を聞いた。大抵は同じエピソードの繰り返しだが、今日は初耳の話があつたのです。 今日も話は学生時代の思ひ出から始まる。 おばあちやんの世代としては決して多数派ではない女学校に進んだ。家から5...
2人の禅僧の逸話があります。一方を僧A、他方を僧Bとしませう。 2人は豪雨のあと、ひどくぬかるんだ田舎道を歩いてゐた。ある村の近くまで来ると、1人の若い娘に出会つた。 娘は道を渡らうとするが、水たまりが深くてなかなか渡れないでゐる。そこで僧Aはすぐに娘をさつと抱き上げて、水たまりを渡してやつた。 そのあと、2人の僧は村を過ぎて黙々と歩き続けた。5時間ほどもたつた頃、夜の宿になる寺が見えてきた。そのとき、僧...
私自身は催眠術といふものをかけてもらつたことはないが、催眠状態になると、例へば、かういふことが起こるらしい。 催眠術をかけておいて、その手に割り箸を押しつける。そのとき、 「はい、これからあなたの手に焼けた箸を押しつけますよ」 と告げるのです。 すると、催眠術にかかつてゐる人は 「ぎゃっ、熱い!」 と叫んで催眠術から目を覚ます。 目が覚めた後、 「あゝ、熱かつた。一体何を押しつけたの?」 と聞くので、 ...
「静寂は神の言葉で、他はすべてその下手な翻訳に過ぎない」という言葉がある。静寂とは、実は空間を表すもう一つの言葉だ。 (『ニュー・アース』エックハルト・トール) 良く晴れた日。見上げると、雲がいくつか浮かんで流れてゐる。その雲を存在せしめてゐるのは何だらうか。 ふつうには「空(そら)」と呼んでゐます。「空」とは何だらう。どれほどの広がりがあり、どれほどの奥行...
私が実際に生きてゐる世界はこの世なのかどうか。それについて最近考へることを記します。 夕焼け空は茜色。陽が傾くと、西の空が暗赤色に染まる。天候が怪しくなると、天からゴロゴロといふ不気味な音が響いてくる。ピカッと光ると、とたんにドカーンといふ大音声が天地を震はす。 この世には夕焼けの赤といふ「色」があるし、雷鳴といふ「音」がある。我々はふつうさう思つて生きてゐます。 しかし本当にこの世には「色」や「...
酒豪で鳴らした創業社長が、40歳を境に酒を一滴も飲まなくなつた。酒を飲まなくなると、1日が2日の伸びたと語つてゐます。 社長は「禁酒」と「断酒」を意識的に区別する。「禁酒」は他の誰かから言はれて止めたといふニュアンスがあるのに対して、「断酒」は断固たる自分の意志が感じられる。だから社長は「断酒」なのです。「やめる」と決めて以来、一滴も飲んでゐないといふ。 「断酒」を決意したには、切つかけがある。周囲の...
脳科学者・茂木健一郎さんのyoutubeサイトをよく訪ねてゐます。私にとつて茂木さんは結構好感度が高いのです。 どういふところに好感を持つてゐるか。そのポイントを2つほど挙げてみようと思ひます。 ① 「茂木はバカだと思はれてゐるほうが気が楽だ」と考へてゐる。 実際茂木さんが相当頭脳優秀なのは疑ひない。専門知識が深いばかりでなく、視野も広い。分析力も際立つてゐる。 それでも「茂木はバカだ」と批判されることが...
祝福の子女(二世、三世)は、ある意味で「新人類」と呼んでもいゝでせうか。見た目では旧人類と区別はできないが、目に見えない内面がかなり違ふ可能性があります。それらしく言へば、細胞のDNAに何らかの変化が起こつてゐるかも知れない。 教会では「原理」と「信仰」が強調される。だから新人類の教育においてもその2つが持ち込まれ、 「原理教育と信仰教育が重要だ」 と考へられてきた。 しかしこれには一長一短があつたなと...
「私」という個性体はどこまでも復帰摂理歴史の所産である。したがって、「私」はこの歴史が要求する目的を成就しなければならない「私」なのである。 それゆえに「私」は歴史の目的の中に立たなければならないし、また、そのようになるためには、復帰摂理歴史が長い期間を通じて、縦的に要求してきた蕩減条件を、「私」自身を中心として、横的に立てなければならない。 (『原理講論』緒論) ...
娘と買ひ物に出かけた帰り道、娘が運転しながら 「昨夜、ちょつとしたことがあつたのよ」 と話し始める。 大学時代、4年生になつて卒論も仕上がり、いよいよ最後の教官査定が始まるといふ頃になつて、突然姿を消した1人の友だちがゐる。就職先も内定してゐたのに、卒業もせずに行方知れずになつた。 すぐにLINEをしたが、いつまで経つても既読にもならない。以来2年余り、ときどき思ひ出しては「どうしてゐるかなあ」と心配して...
千葉の森の中に猫9匹が暮らすバラガーデンのカフェがあるらしい。NHKの「もふもふモフモフ」を見てゐて知りました。 初老の夫婦が老後の楽しみにと思つて作り始めたガーデンが、広くて奇麗になつていくと、「ここは何だらう?」と思つて迷ひ込む人がポツポツと現れるやうになつた。それだつたらと夫婦が相談して、そのガーデンを開放し、訪ねて来る人がゆつくり過ごせるやうにカフェを開いた。 9匹の猫はみんな元は迷ひ猫。ガリ...
「大坂なおみ現象」がかなりの広がりを見せてゐます。 5月末からフランスで開かれてゐた「全仏オープン」に出場した大坂なおみ選手は1回戦を快勝した。ところがその後の記者会見を拒否。続いて、2回戦以後を棄権するとSNSで表明した。 これに対して大会の主催者側は、規約に反する行為だとして1万5千ドルの罰金を科した。その上で、「今後ともかういふ違反を続けるなら、大会追放やより多額の罰金、将来の四大大会への出場停止処...
2週間ほど前ですが、国際政治学者の三浦瑠璃さんが尾身会長を評して 「まるで宗教指導者みたい。科学者らしくない」 と発言したことがある。 尾身会長とは、言ふまでもなく、目下国家的に重要な役割を担ふ「新型コロナウイルス感染症対策分科会」の会長。同氏は医科大学院を出た医学者であり、世界保健機関の感染症対策部長を務めた前歴もある。 今回会長に任じられたのも、その専門性や経歴を買はれてのことでせう。ところが今...
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何かを成し遂げようとして、上手くいかないことがある。むしろ、そのほうが多いかもしれません。 そのとき、私たちは 「失敗した」 と言ふに違ひない。 上手くいつた場合は、「成功した」と言ひ、上手くいかなければ「失敗した」と言ふ。成功は良いことであり、失敗は良くないことである。だから誰でも成功したいと思ひ、失敗は避けたいと思ふ。まあ、当たり前ですね。 いや、本当に当たり前でせうか。 「私は失敗を許可する」...
「不安でないと落ち着かない」 といふやうな気分になることが、しばしばあります。 これはいかにも変ですね。ふつうなら、「不安で落ち着かない」とか「不安がないから落ち着く」と言ふべきでせう。 たとへば、朝起きると、すぐに一抹の不安が生じる。子どもたちのことが頭に浮かんで、何だか不安になることがあるのです。 「あんなふうだけど、大丈夫かなあ?」 といつた不安。 かなり漠然としてゐるのですが、だからこそ何と...
先日の記事「日常を量子論的に考へる」の中で、 「もし生まれる前に人生を設計して生まれてくるとしても、その計画は確率として存在するのではないか。実人生で選択をすることで確率が現実になる」 と考へてみました。 見方によつては、人生は小さなことから大きなことまで、選択の連続だとも言へます。 今日の昼食は天丼にするか、ラーメンにするか。飲み会に誘はれたとき、行くか、断るか。 学校を受験するなら、どの学校にす...
息子の勧めで「すずめの戸締り」を観た。 私はあまりアニメは観ないし、公開されて2年近くたつてもゐます。ところがNetflixで観始めると、なかなか面白くて、最後まで一気に観終へた。アニメの名手、新海誠監督の作品です。 観終へたあとで、息子に感想を聞かれたので、 「すずめを助けるのは、ほとんど女性ばかりだつたね」 と答へると、息子は、 「そんな観点、思ひもしなかつたけど、さう言はれゝば、確かにさうだな。どうし...
これまでに解明されてゐる量子の特質を挙げるなら、次の2つでせうか。 ① 粒子でもあり、波動でもある ② 位置と運動量とを同時に確定することはできない これらはいづれも、日常生活の感覚から見ると、かなり理解し難い。しかしそれは、我々がこの世を物質的な側面から見ることに慣れ過ぎてゐるからであり、我々自身の意識から見れば、「量子=意識」と言つてもいゝほどに符号してゐるやうに思へます。 身近なところから考へ...
30年以上も前のものですが、1990年に公開されてヒットした米映画「Ghost - ニューヨークの幻」の中に、印象的なシーンが出てきます。 不本意に殺された男性(サム)がその真相を伝えたくて、元恋人に接触を試みる。ところが、サムにはもはや肉体がない。彼からは彼女が見えるが、彼女には彼が見えない。呼びかけても声が届かない。触らうとしても感じられない。 どうしたものかと思ひ悩んでゐるとき、地下鉄のホームで彼の前に一...
ここにおいて、カインとアベルの献祭に相通ずるいくつかの実例を挙げてみよう。 我々の個体の場合を考えてみると、善を指向する心はアベルの立場であり、罪の律法に仕える体はカインの立場である。したがって、体は心の命令に従順に屈伏しなければ、私たちの個体は善化されない。しかし、実際には体が心の命令に反逆して、ちょうどカインがアベルを殺したような立場を反復するので、我々の個体は悪化されるのである。 (『原理講論...
少なくとも目が覚めてゐる間、「思考」といふものから離れられないのが私たちです。その「思考」を2つに分けてみます。 ひとつは、「自動思考」。 もうひとつが、「自主思考」です。 「自動思考」とは、ふと気がついたら、 「自分はこんなことを考へてゐたのか。いつから、どうして、こんなことを考へてゐたんだらう」 と思ふやうな思考です。 だから「自動思考」は、無自覚的な「思考」と言つてもいゝでせう。 それに対して「...
地動説が科学的な真理だと学んで育つた現代の私たちは、球体の地球が球体の太陽の周りを超高速で周回し続けてゐることを疑はないでせう。しかし、向かうの森を眺めて、かすかに風に揺れてゐる木々の枝を見るとき。あるいは、川岸に立つて、小さく波立ちながら流れていく川面を見るとき。私たちは、これらの土台である地球が猛烈な勢ひで回転してゐるといふことなど、すつかり忘れてゐるに違ひない。 自分の人生を振り返つて、後悔...
今日の科学は、物質の最低単位を素粒子と見なしているが、素粒子はエネルギーからなっている。… 物質世界を構成している各段階の個性真理体の存在目的を、次元的に観察してみると、エネルギーは素粒子の形成のために、素粒子は原子の構成のために、… (『原理講論』創造原理 第二節) 素粒子は物質の最小単位であり、一方、量子はエネルギーの最小単位ですね。素粒子はきわめて極小とは言へ、粒子のやうなものとし...
悪霊人たちの業が、みな再臨復活の恵沢を受けられるような結果をもたらすのではない。その業が、結果的に神の罰として、地上人の罪を清算させるような蕩減条件として立てられたときに、初めてその悪霊人たちは、再臨復活の恵沢を受けるようになるのである。(『原理講論』復活論第二節) こゝに「神の罰」「地上人の罪」といふ表現が出てきます。これらは、我々が神に対する概念を作るうえで、...
昔から、会議といふものが苦手です。苦手だから、当然好きでもない。 会議と言へば、最低3人以上、多ければ10人を越すものもあるでせう。その参加者それぞれが、一つのテーマに対して自分なりの意見を持つてゐる。強く主張する人もゐれば、控へ目な人もゐる。 さうすると、あちらも見て、こちらも見る。バリエーションのある意見の中で、自分はどの辺にゐて、どのやうに言へば、自分の意見が言ふだけの意義を持つか。さういふ見...
ときどき、大きな不安に覆はれるやうな感じに襲はれることがあります。これは多分、私だけではない。多くのかたが経験されることではないでせうか。 なぜ不安が生じるのか。 未来において、自分に危害が及ぶやうな気がする。その危害の原因と確実性がある程度明確なときには、恐怖が生まれる。一方、不安といふのはそれらが漠然としてゐる。原因も確実性もはつきりとは見えない。それこそが不安の正体でせう。 そして考へてみる...
誰かと出会い、その人の弱点を非難するとき、私は自分で自分の中の高次の認識能力を奪っている。愛を持ってその人の長所に心を向けようと努めるとき、私はこの能力を蓄える。繰り返し、繰り返し、あらゆる事柄の中の優れた部分に注意を向けること、そして批判的な判断を控えること、このような態度がどれほど大きな力を与えてくれるか。(『いかにして超感覚敵世界の認識を獲得するか」ルドルフ・シュタイナー) ...
「宇宙とは太陽系のことである」 といふ、とても風変りな思想があります。 ヌーソロジー(Noosology)といふ、非常に新しい思考の試みです この思想によれば、太陽系の外に宇宙はない。 いやいや、太陽系の外には銀河系があるのではないか。アンドロメダ星雲もあるし、無数の恒星が宇宙全体に散らばつて存在してゐるのではないか。我々はさう、現代科学によつて教へられてきたでせう。 それでもヌーソロジーは、 「それらはす...
こゝ数年、毎年春になると、花屋から花の苗を買つてきて鉢に植ゑ、玄関先に並べてみる。しかし我ながらセンスがないなと思ふ。なかなかうまく見栄えのする景観を作ることができないでゐます。 それでも、植ゑたときにはまだ固い蕾だつたものが、しばらくするとだんだん開いてきて、小さな花を広げ始める。それを見ると、赤ん坊が一所懸命に立ち上がらうとしてゐるやうで、「健気だなあ」と思ふ。 植物も動物も、人間のやうに言葉...
一体誰が世界を見てゐるか、といふことについて考へてみようと思ひます。 世界と言ふと、ふつうは時空間の広がりだと捉へるでせう。部屋の中にゐれば、部屋の広さの空間がある。そして、部屋の外は見えないとしても、外にはさらに広い空間が広がつてゐる(はずだ)と考へてゐる。 自分に見えてゐるごく小さな一部分の空間と、見えてゐない残りの広大な空間。これらを合はせて「世界」と考へてゐるでせう。さて、この世界を見てゐ...
夕方、スマホをズボンのポケットに入れてYoutubeを聞きながら草取りをしてゐると、女性の声で、 「自分を好きになるつていふのは、人生でイ~ッチバン難しいこと。それをまづ頭に入れておいてほしい」 といふ話をし始める。 これは私自身、日頃からよく考へるテーマなのですが、改めて、 「一番難しいといふほど、難しいかな?」 と自問することに。 そして、あまり思案する間もなく、 「さうに違ひなささうだなあ」 と思ふ。 ...
じっと見つめていると、全体におけるそのものの位置が「わかる」。そうすると、意義が分かるのであります。その後も心をそこから放さないでいますと、次第にそのものの内容がその人の感情に取り入れられてゆく。体得されて、感情となって本当にその人の中に入ったものは、だんだん素朴化されることによって、次第に深く入り、ついに情緒の中心に達する。(『紫の火花』岡潔 前回の記事で「目の前のも...
鶯の鳴き声を聞いて、昨年のちやうど今頃、鶯の話題を記事に書いたことを思ひ出しました。 鶯の鳴き声を聞くと、私にはどうしてもそれが、 「ホーホケキョ」 と聞こえる。■ 鶯はなぜ「ホーホケキョ」と鳴くのか 一説によると、浄土真宗中興の祖、蓮如上人が鶯の鳴き声を聞いて、 「あゝ、あれは『法、法華経』と鳴いてゐるなぁ」 と言はれたといふ。 その話を聞いた人たちは、鶯の声を聞くたびにだんだんとそれが 「ホーホケキ...
私は昔から相当に観念の強い人間で、 「このことは、かうでなければいけない」 といふ思ひが強い。 観念の人は、現実を観念に合はせようとするので、ものごとの微妙な変化に気がつきにくい。そして、自分自身も変はるのが難しい。 ところがそんな私でも、この2、30年で世の中の空気がずいぶん変はつてきたのを感じるのです。そしてその空気を吸いながら、私自身の変化も感じる。私が感じるくらゐだから、よほどの変化だら...
神は何でも「受け入れる」。存在するものを神が受け入れないはずはない。拒否するというのは、その存在を否定することだ。 (『神との対話』ニール・ドナルド・ウォルシュ) 存在するものは、どんなものでもすべて受け入れる。それが神の性稟のやうです。本当でせうか。 存在するものを受け入れることを「肯定」、受け入れないことを「否定」とすれば、我々の態度にはどんな場合も「肯定」か「否定」かの二択しか...
およそ2年ぶりくらゐで訪ねてみると、男の子はずいぶん成長したやうな声に変はつてゐた。Youtubeのチャンネル「神様が見える子供たち」です。 神様から聞いた話だと言ふ彼の話がとても興味深い。 「人間関係なんていらない。友だちなんていらない」 と言ふのです。 しかも、 「無理して友だちを作らなくてもいゝ」 といふやうな話ではなく、 「友だちはないほうがいゝ」 と言ふのです。 本当に神様の話だらうか。少なくとも、...
昨秋から母の介護を動画にしてYoutubeにアップしてゐるのですが、先日、動画のひとつにかういふコメントがつきました。 こういうのやめてくれないかしら? 世界では虐待とよびます。 「虐待」といふ言葉を見た瞬間、ドキリとしました。 「私が一体いつ、どんなふうに、てつこさんを虐待したのだらうか?」 と、不意を突かれたやうな気がしたのです。 動画は、「ぐるぐる動き回る...
先日、知り合ひの婦人と話してゐると、娘が妊娠中だといふ。 「初孫になりますか。無事に生まれるといゝですね」 と言ふと、その婦人は少し眉を曇らせて、 「つわりがひどくて、仕事も休んで、今家に帰つてきてるんですが、すごく甘えるんです」 と言ふ。 体がしんどいから、背中をさすつてほしいとか、あれしてほしい、これほしいと、しきりにねだつてくる。 「つわりは大変でせうから、それくらゐしてあげたらいゝぢやないで...
本当にうまく質問することができたら、もう答えは要らないのですよ。僕は本当にそうだと思う。ベルグソンもそう言っていますね。僕ら人間の分際で、この難しい人生に向かって、答えを出すこと、解決を与えることはおそらくできない。ただ、正しく訊くことはできる。 (『学生との対話』小林秀雄) 昭和49年(1974年)に、小林は鹿児島で学生相手の講義を行なひ、そのあとの質疑応答で、冒頭のやうな答へをしてゐま...
河合隼雄の『とりかへばや、男と女』。タイトルの「とりかへばや」は平安朝に書かれたとされる物語『とりかえばや』に由来してゐます。 権大納言に息子と娘があつた。ところが息子は控えめで優しく、女の子の遊びを好み、娘は反対に、大胆で、男の子のやうに振る舞ふ。父はそのうち変はるだらうと思つてゐたが、ふたりの振る舞ひは変はらない。仕方なく、娘は男として、息子は女として育てると決意するのです。 物語のテーマとし...
LGBTQに関する法案をG7サミット前に国会に提出するかどうかで、自民党内が紛糾してゐる様子を見ながら、改めてこの問題に意識が向きます。 世間では、 「LGBTQの人々を差別するな」 といふ論調や 「この法案を通せば、社会が却つて混乱する」 などといふ論調がほとんどのやうに見受けられます。 それも確かに問題ではあるけれど、私としてはもう少し基本的なところ、つまり、 「なぜ、LGBTQといふやうな人々が存在するのか」 と...
我々の中には「良心」があります。そして、この「良心」は「私だけの第二の神」であるといふ。 現在、世界に80億の人々が生きてゐるなら、80億の「良心」があるといふことであり、それはつまり80億の「第二の神」がゐるといふことにもなります。日本では「八百万の神」と言ひますが、その100倍の神がおられるとは、驚くべき多神教です。 さらに考へてみると、神は宇宙のどこにも存在する遍在神でもあるといふ神観もあります。そ...
村上春樹の小説『アフターダーク』の中で、男が女にこんな話を教へる場面がある。男は「ハワイに伝はる神話だ」と言ひますが、実際は村上の創作のやうです。 3人の若い兄弟が漁に出て嵐にあひ、流されて、島に漂着する。美しい島で、真ん中に高い山が聳えてゐる。 漂着した夜、3人が同じ夢を見て、神様のお告げを聞く。 「少し離れた海岸に3つの大きな岩がある。それを転がして、好きなところへ行き...
「自我とは、考へる生き物である」 さう言つてもいゝほどに、自我は朝から晩まで考へ続けてゐます。 「自我」とは、ふつうに「私」と思つてゐる意識です。その「私」がどうしてそんなに考へ続けてゐるかと言へば、「私」を守るためだと思ふ。 「私」がちやんと生きていくためには、「私」を環境に適応させなくてはいけない。どうやつて食料を過不足なく確保するか。それは今だけでなく、将来にわたつても考へなくてはいけない。...
「分からう、としない。分かつたと思つた瞬間、神との関係が断たれる」 といふことについて、考へてみようと思ひます。 例へば、今私が隣人との人間関係の問題を抱えてゐたとします。 細かな問題でよくぶつかり、その都度ひどく文句を言はれる。どうしてこんなに性に合はない人が目の前に現れてくるのか。どうしたらその悩みを解決できるのか。それを私は知らうとするでせう。知つて、対処してこそ、その問題から脱却できると思...
インターネットで偶々出会つた動画。わづか5分あまりの短いものですが、その間、づつとバイクで走り続けてゐます。 若い男性が運転し、女性が後ろに座って、必死に男性にしがみついてゐます。そのバイクを後ろからづつと追ひかけてゐるのは、多分白バイでせう。動画はその白バイから撮つてゐます。 どんな悪事を働いたのかは分かりませんが、とにかく白バイに捕まらないやうに、凄いスピードで逃げ続ける。かなり巧みなハンドル...
「思ひ通りでなくても、大丈夫」 といふアファメーションがあります。 夫が家庭のことを顧みてくれない。 子どもが期待通りに育つてくれない。 いくら頑張つても、仕事で実績が出ない…。 人生には、思ひ通りににいかないことがいくらでも起こる。むしろ、ほとんど思ひ通りにいかないと言つたほうがいゝかもしれないほどです。 だから、さういふときに 「思ひ通りにいかなくても、大丈夫」 と自分自身に言ひ聞かせることで、自分...
以前の記事「天国人にならうとする人」で、 「天国を創らうとする人は、天国を創れない」 と書いたことがあります。 その理由も書いたのですが、今回は少し違ふ観点から、改めて理由を考へてみようと思ひます。 我々の霊性は、段階的に成長していくと言つていゝでせう。全体的にもさうだし、個人的にもさうです。 一段階上がるとき、最も重要な切つ掛けは「気づき」だと思ふ。それまで見えてゐなかつたものが、何かの切つ掛けで...
児童虐待がエスカレートして、遂には我が子を死に至らしめたといふやうなニュースが、最近は珍しくない。 さういふニュースを聞くと、我々はたいてい、 「そんなひどい、残酷な親がゐるものか!」 と驚くし、マスコミもそれが異常だと思ふからこそニュースにするわけでせう。 しかし、そこまではいかない虐待といふものなら、世間にいくらでも溢れてゐると思ふ。 言ふことを聞かなければ、大声で叱る、時には殴る。イライラが募...
先日、「天国実現私案」なる記事をアップしたのですが、書きあげてみると、我ながら何だかおかしい。この方法では天国実現はかなり難しい、むしろだんだん遠のいていくやうな気がしてきたのです。 それで、どこをどう修正したらいゝのかと考へてゐると、ハッと、あることに思ひ至りました。何のことはない、元のアイデアを全部そつくりそのまゝひつくり返してみたらどうか。そのことに気づいたのです。 つまり、かういふことにな...
我々誰もが、例外なく、身の内に持つてゐる堕落性。これが、いろいろな状況に遭遇するたびに出てきて、私を苦悶させます。 なぜ出てくるのか。 その性質を直してほしいと思つて、出てくる。私を苦しめようなどといふ意図はないのです。さう考へてみてはどうかと思ふ。 性質はどのやうに作られるかといふと、その構成要素は「記憶」ではないか。それが私の一つのアイデアです。 過去の体験と、そのときに抱いた思ひが、記憶とし...
我々はいかにして天国をこの地上に建設していくか。そのための基本理念と基本的実践方案を合はせて、簡略ながら、こゝでまとめて提示してみたいと思ひます。 まづもつて一番重要な基本前提は、 「我々こそが、教祖の教説を正しく受け継ぐ、唯一の正統であることを確信し、それを宣布すること」 です。 従ひまして、我々の理解といさゝかでも食ひ違ふと思はれる者たちのグループには、「異端」あるいは「霊的グループ」とのレッテ...
前の記事「概念の人」で、 「(概念の人は)見えないものを見る」 と書きました。 これは言ひ替へると、 「信じるものを見る」 とも言へますね。 例へば、今自分の目の前の人に困らせられるとき、 「私は意地悪な人を見てゐる」 と思ひます。 しかし実は、目の前に「意地悪な人」はゐないのです。さうではなく、私がその人を「意地悪な人」と信じるので、その人が意地悪に見える。それが真実でせう。 あるいは、「世間体」とい...