ときどき、大きな不安に覆はれるやうな感じに襲はれることがあります。これは多分、私だけではない。多くのかたが経験されることではないでせうか。 なぜ不安が生じるのか。 未来において、自分に危害が及ぶやうな気がする。その危害の原因と確実性がある程度明確なときには、恐怖が生まれる。一方、不安といふのはそれらが漠然としてゐる。原因も確実性もはつきりとは見えない。それこそが不安の正体でせう。 そして考へてみる...
生物学者の福岡伸一博士は「動的平衡」といふコンセプトを自身の研究の中心に据ゑてゐる。これは非常に興味深いコンセプトです。 「生命」とは何か。往々にして「自己の複製をコピーするシステム」などと考へます。「新しいものを創り出す」といふ面ばかりを考へがちなのですが、実際には「古いものを破壊する」といふ側面も生命にはあるのです。 破壊がなければ新しい創造がない。破壊しながら創造する。それが生命の最も大きな...
昨日「学習して忘れる」を書いたすぐ後、面白いことに、関連するテーマを扱つた記事に出会ひました。 「学習して進化するAIに”忘れさせる”ことは可能なのか」 といふ記事です。 英語では「学習」を「Learning」と言ひ、その反対語として「Unlearning」といふ言ひ方があるやうです。直訳すれば「反学習」でせうが、それまでに学んだことを「消去」するといふ意味合ひになります。 コンピューター用語で言へば、 「機械学習で積み...
為末大さんが「限界の正体」といふセミナーの中で、 「学習は破壊でもある」 と、自分の体験と絡めながら話してゐます。 スポーツの種目に拘らず、どんなアスリートも自分の技量を上げるために練習を繰り返す。最初はぎこちなかつた動きも、練習を繰り返すうちに段々とスムーズになる。 これはどういふことかといふと、初めは自分の体の動きを一々意識してゐる。ところが練習を重ねるうちに、意識せずとも体が動くやうになる。体...
ニール・ドナルド・ウォルシュは『神との対話2』の中で、自分が子どもの頃から教はつたカトリック教会の教へについて、神に説明してゐます。その一部を要約して紹介してみます。 ★★★ 我々人類は例外なく誰でもが罪人である。私自身には身に覚えがなくても、アダムとイヴの子孫である。彼らが禁断の木の実を食べたといふ罪(原罪)を、その子孫としてみんなが分け合つてゐる。 我々が選択の自由を与へられた理由もそこにある。...
あなたの身体は精神と魂のためにあり、あなたはわたしの精神と魂のためにある。したがって…。わたしはすべてを、あなたを通して経験する。 さて、これよりももっと大きな真実があるが、いずれあなたはそれを知るだろう。あなたはわたしの身体であるが、わたしもまた、ある者の身体だからだ。 (『神との対話』ニール・ドナルド・ウオルシュ) 神とニールとの第一段階の対話も、いよいよ...
何かで「在ること」と「行動すること」には違いがあり、たいていのひとは後者に力点を置いているということだ。… 言い換えれば、あなたが発達することを――魂の発達を――選ぶなら、身体の世間的な活動によって達成することはできない。 「行動すること」は身体の働きである。「在ること」は魂の働きである。 (『神との対話』ニール・ドナルド・ウオルシュ) 魂は「在り」、体は「動く」...
人間関係が神聖なのは、最も気高い自分をとらえて実現する経験ができる、つまり自分を創造する最大の機会 ―― それどころか、唯一の機会 ―― を与えてくれるからだ。逆に、相手の最も気高い部分をとらえて経験する、つまり他者との経験のための最大の機会だと考えると、失敗する。… 人間関係では、それぞれが他者について心をわずらわせるのではなく、ただただ自分について心をくだくべきだ。 (『神との対話』ニール・ドナルド・ウ...
ひとつ説明しておこう。あなたは、神が姿を現す方法はひとつしかないと思っている。そういう考え方は、非常に危険だよ。そう考えていては、あらゆるところに神を見ることはできない。神の現れ方はひとつしかないとか、語り方はひとつしかない、神の在り方はひとつしかないと思っていると、毎日わたしを見ていても気づかないだろう。 (『神との対話』ニール・ドナルド・ウオルシュ) ここで説明してゐ...
さて、皮肉なことに、あなたがたは神の言葉ばかりを重視し、経験をないがしろにしている。経験をないがしろにしているから、神を経験しても、それが神について教えられていることと違うと、たちまち経験を捨てて言葉のほうをとる。ところが、ほんとうは逆であるべきなのだ。 (『神との対話』ニール・ドナルド・ウォルシュ) 自動書記を通じてニールと対話してゐる「神」によると、神は...
今から20数年前、私が牧会者であつた頃、『神との対話』(ニール・ドナルド・ウォルシュ)といふ本を書店の店頭で見つけた。 「神と対話したとは、何だかいかがわしい。一体どんな人物だ?」 と思ひながらも、対話の中身に興味を覚えて、買つて読んでみたのです。 対話の進行は、著者による自動書記に基づいてゐた。自動書記自体は昔体験したことがあつたので、さほど違和感はない。あり得ないことではないと思つたのです。 体...
前の記事「喜んで受け容れる」の続きです。 「問題」はそれが現れることによつて、「問題」が私に潜在してゐることに気づかせ、それを解決(蕩減=帳消し)するチャンスを与へる。それゆゑに、「問題」は有り難い。 頭(理論)ではさう考へるのですが、実際に心からさう思ふことは難しい。ほとんど本能に逆らふやうなものです。そのことは私も実感してゐます。 そこで私は、かう考へるやうにするのです。 「最初から『感謝』が...
前の記事「『問題』といふ福音」からの続きです。 一見、おかしなタイトルのやうですが、「問題」はその対応さへ間違はなければ、私にとつて有益であり得るといふ意味です。その対応において、「甘受」がキーワードだと見ました。 「甘受」とは 「(問題を)当然のこととして、喜んで受け容れる」 といふことです。 「当然」とは、どういふことでせうか。「問題」の原因は「自分」にあるといふことです。 過去数回の記事で書い...
前回の記事「『現象』と『問題』」の続きです。私の周辺で絶えず生起し続ける無数の「現象」のうち、わづかなものだけが私の「問題」として認識されます。「問題」といふのは、悩みであつたり、懸念や苦痛であつたりします。 大多数の「現象」は無意識が処理して、私には意識されない。日常生活を円滑に送るにはそれでいゝのですが、ごく少数のものが私の心に引つかかる。それが「問題」です。 なぜ特定のものが「問題」になるの...
「現象」と「問題」について考へます。 我々はよく、自分の人生にはいろいろな「問題」があると感じたり、考へたりするものです。 例へば、 「夫(あるいは妻)は、私の言ふことをちつとも聞いてくれない」 といふやうな身近な問題(悩み)もある。 あるいは、 「ニューヨークの株価が急落したらしい。日本経済は大丈夫かしら」 といふやうな、かなりかけ離れた問題(懸念)もある。 いづれにしても、「問題」とは何か。一言で...
鳥の中には「托卵(たくらん)」といふ行動をする鳥がゐます。 例へば、郭公(カッコウ)。百舌鳥(モズ)とか鶯(ウグイス)など自分よりも柄の小さな鳥の巣に、こつそりと自分の卵を産みつける。10日余りで孵化すると、同じ巣の中にゐるモズならモズの卵やひなを巣から放り出す。 ところが、おかしなことにモズの親はそのことに気がつかない。段々と自分より大きくなつたカッコウのひなに、せつせと餌を運び続ける。 カッコウ...
気象予報士は今やニュース番組に欠かせない専門職ですね。 この前、ある番組で紹介された予報士は、良く言へばプロ、別の言ひ方をすればオタクといふ感じで、興味をそそられました。彼は何しろ「雲」に憑りつかれた「雲オタク」なのです。 暇さへあれば、空を見上げる。ちょつとでも面白い形の雲を見つけるとスマホで撮つて、すぐSNSにアップする。初めから終はりまで雲ばかりの彼のサイトに数万(数十万だつたかな?)のフォロ...
ビジネスの世界で今一番困ってゐるのは、情報をデリートする方法が分からない、ということです。つまり、ビジネスの中で問題を消去することが非常に難しくなっているのです。 (『豊かに成功するホ・オポノポノ』イハレアカラ・ヒューレン) ビジネスは時代の変化に即応して新しい戦略を立て、生産計画、販売計画を立てていくのが成功のカギでせう。しかし実は、過去の情報をデリート(...
心情の誘発が、原理的か非原理的かが問題です。それによって、蕩減条件をつくるか、讒訴条件をつくるかが決まるのです。 蕩減条件を積んでいなければ、何年たっても、理論的知識はもてても、霊的には成長できません。 (『心情開拓』李耀翰) 我々が絶えず霊的に成長するためには、理論的知識は役に立たない。私の生活が蕩減条件を積む生活でなければならないといふのです。 それなら...
今我々が住んでゐる社会にはいくつもの仮想があると告発する人がゐます。実際にはその仮想が仮想と見えず、いかにも事実らしく装つてゐると言ふのです。 例へば、日本は民主主義の国で、主権は国民にあるといふ仮想。本当にさうなら、我々は自分の代理(代議士)を選んで国政を動かすことができるはずなのに、実際には今の小選挙区制では代議士ではなく政党を選ぶしかない。代議士は所属党の利益を無視できない。それが現実です。...
「隣り人を愛し、敵を憎め」と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。しかし、私はあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。 (マタイによる福音書5:43-44) イエス様の有名な教への一つです。ここで言ふ「敵」とはどういふ人でせうか。 「迫害する人」が典型的な「敵」ではないかと思はれます。例へば、 虐める人。 暴力を振るふ人。 無視する人。...
「ふと思ふ」といふことが、日常生活の中で結構しばしばあるものです。思ひもかけない考へやアイデアが、どこからともなくふと湧いてくるといふ体験です。 私の体験では、例へば昨年の早春3月の初め、朝方愛犬を連れて散歩をしてゐると、ウグイスの鳴き声が聞こえる。「もうすぐ春だなあ」と思つてゐると、今までなら「ホー、ホケキョ」と聞こえてゐたのに、その朝に限つて「ジューイチジョ―」と聞こえる。 「ホー、ホケキョ(法...
科学論文というものは90%の研究結果と10%の推論から構成されると考えてよい。問題はその推論部分にある。推論は研究結果から導いたものでなければ科学論文とは言えない。誰かが推論したことに対して、さらに自分なりに考えを発展させて推論を述べることを「飛躍」といい、それは理論として認められず、「思想」と呼ばれる。(「量子医学」なかよし医院 院長 藤田徳人) 科学の基本は実験です。実験をし、その結...
「ブログリーダー」を活用して、kitasendoさんをフォローしませんか?
ときどき、大きな不安に覆はれるやうな感じに襲はれることがあります。これは多分、私だけではない。多くのかたが経験されることではないでせうか。 なぜ不安が生じるのか。 未来において、自分に危害が及ぶやうな気がする。その危害の原因と確実性がある程度明確なときには、恐怖が生まれる。一方、不安といふのはそれらが漠然としてゐる。原因も確実性もはつきりとは見えない。それこそが不安の正体でせう。 そして考へてみる...
誰かと出会い、その人の弱点を非難するとき、私は自分で自分の中の高次の認識能力を奪っている。愛を持ってその人の長所に心を向けようと努めるとき、私はこの能力を蓄える。繰り返し、繰り返し、あらゆる事柄の中の優れた部分に注意を向けること、そして批判的な判断を控えること、このような態度がどれほど大きな力を与えてくれるか。(『いかにして超感覚敵世界の認識を獲得するか」ルドルフ・シュタイナー) ...
「宇宙とは太陽系のことである」 といふ、とても風変りな思想があります。 ヌーソロジー(Noosology)といふ、非常に新しい思考の試みです この思想によれば、太陽系の外に宇宙はない。 いやいや、太陽系の外には銀河系があるのではないか。アンドロメダ星雲もあるし、無数の恒星が宇宙全体に散らばつて存在してゐるのではないか。我々はさう、現代科学によつて教へられてきたでせう。 それでもヌーソロジーは、 「それらはす...
こゝ数年、毎年春になると、花屋から花の苗を買つてきて鉢に植ゑ、玄関先に並べてみる。しかし我ながらセンスがないなと思ふ。なかなかうまく見栄えのする景観を作ることができないでゐます。 それでも、植ゑたときにはまだ固い蕾だつたものが、しばらくするとだんだん開いてきて、小さな花を広げ始める。それを見ると、赤ん坊が一所懸命に立ち上がらうとしてゐるやうで、「健気だなあ」と思ふ。 植物も動物も、人間のやうに言葉...
一体誰が世界を見てゐるか、といふことについて考へてみようと思ひます。 世界と言ふと、ふつうは時空間の広がりだと捉へるでせう。部屋の中にゐれば、部屋の広さの空間がある。そして、部屋の外は見えないとしても、外にはさらに広い空間が広がつてゐる(はずだ)と考へてゐる。 自分に見えてゐるごく小さな一部分の空間と、見えてゐない残りの広大な空間。これらを合はせて「世界」と考へてゐるでせう。さて、この世界を見てゐ...
夕方、スマホをズボンのポケットに入れてYoutubeを聞きながら草取りをしてゐると、女性の声で、 「自分を好きになるつていふのは、人生でイ~ッチバン難しいこと。それをまづ頭に入れておいてほしい」 といふ話をし始める。 これは私自身、日頃からよく考へるテーマなのですが、改めて、 「一番難しいといふほど、難しいかな?」 と自問することに。 そして、あまり思案する間もなく、 「さうに違ひなささうだなあ」 と思ふ。 ...
じっと見つめていると、全体におけるそのものの位置が「わかる」。そうすると、意義が分かるのであります。その後も心をそこから放さないでいますと、次第にそのものの内容がその人の感情に取り入れられてゆく。体得されて、感情となって本当にその人の中に入ったものは、だんだん素朴化されることによって、次第に深く入り、ついに情緒の中心に達する。(『紫の火花』岡潔 前回の記事で「目の前のも...
鶯の鳴き声を聞いて、昨年のちやうど今頃、鶯の話題を記事に書いたことを思ひ出しました。 鶯の鳴き声を聞くと、私にはどうしてもそれが、 「ホーホケキョ」 と聞こえる。■ 鶯はなぜ「ホーホケキョ」と鳴くのか 一説によると、浄土真宗中興の祖、蓮如上人が鶯の鳴き声を聞いて、 「あゝ、あれは『法、法華経』と鳴いてゐるなぁ」 と言はれたといふ。 その話を聞いた人たちは、鶯の声を聞くたびにだんだんとそれが 「ホーホケキ...
呼吸は無意識に行なつてゐて途切れないやうに、私たちの頭にも無意識の裡に途切れずに生じる思考があります。 たとへば、二つの選択肢があれば、 「どちらかが正しく、どちらかが間違つてゐる」 と考へたり、 「どちらかがもう一方より正しい」 と、無意識の裡に考へる。 あるいは、自分の考へと違ふ人がゐると、 「この人を変へないと」 と、相手を自分に合ふやうに変へようとする。 これも、ほぼ無意識の思考です。自律神経が...
ある切つ掛けがあつて、ふとこんなことを思つた。 「仕事とお金の関係を、一度切り離して考へてみてはどうか」 今の世の常識では、お金は基本的に仕事を通して手に入る。それが商売であらうと会社勤務であらうと、仕事なしにお金を手に入れることはできない。(こゝでは、詐欺とか不正株取引などは同列に述べないことにします) 特に時給換算の仕事なら、1時間働いていくら、1週間に5日働いていくらといふふうに、仕事(体を動...
そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」人々はイエスの着物をくじ引きで分け合った。(「新約聖書」ルカによる福音書23:34) イエス様を十字架で殺害することが、一体どういふことであるのか。それを当時の人々は誰も分からずにゐた。そして、イエス様の着物をくじ引きで分け合ふなどといふ、話にもならない愚かな行為に耽つ...
もう30年近くも昔のことです。携帯もスマホも、もちろんない。ポケベルもまだなかつたと思ふ。 教会長をしてゐた。東西に長い県で、東の端の教会から県の真ん中あたりまで、月に1回くらゐ、夕方出かけて家庭礼拝をする慣はしだつた。 距離にすれば、約80キロ。高速道路もないから、ふつうに走れば1時間半はかゝる。礼拝が終はれば、もう8時半か9時になる。それから家まで帰る。夜でもあり、ぶつ飛ばして、大抵は1時間少しで自宅...
4年前に退職し、それと同時に母の自宅介護が始まつた。その介護は3年半続いたが、私は再就職もせず、それにほぼ専念した。 専念したと言つても、週に3日はデイサービスに行く。月に1週間はショートステイのお世話になる。デイサービスに行き、ショートステイで家を空ければ、家に残つた私には取り立ててすることがない。往々、時間を持て余すことも多かつた。 こんな生活は、私の人生でほぼ初めてのことだつた。家に独りでゐれば...
Amazon Primeで「沈黙の艦隊」シーズン1を観てゐます。8話まである。しかもそれをひと通りではない。多分もうすでに6回は繰り返し観てゐる。それほど面白い。 魅力の要素は、いろいろ思ひ当たります。 VFX(ビジュアルエフェクト)技術が相当高い。主役である最新鋭原潜「やまと」の戦闘ぶり、米国第3艦隊、第7艦隊の偉容など、何度観ても感嘆する。 突飛なストーリー。日本と米国が極秘裏に共同で開発した原潜を、日本人クルー...
アニータ・ムアジャーニは臨死体験とそこからの奇跡的な生還を機に、意識が大きく変容し、それに伴つて生活も一変した。彼女の発言は徐々に広がつて人々の注目するところとなり、有力な後援者の力で本の出版にまで発展した。その後は、世界各地を講演旅行するやうになつた。 ある講演会での出来事です。 講演の最中、一人の若い女性が立つて質問をした。ついこの前、最愛の一人息子を亡くしたといふのです。自分はシングルマザー...
それは、身体的にどこか別の場所へ行ったというよりも、むしろ目覚めたような感覚でした。おそらく、悪夢からやっと目覚めたのかもしれません。私の魂は、その真のすばらしさをやっと悟ったのです。(『喜びから人生を生きる』第7章) 私はまだ、無条件の愛と、受け入れられた雰囲気に包まれていました。自分のことを新しい目で見ることができ、宇宙の美しい存在に思えたのです。私は存...
このごろの物知りといふのは、もう大変なもんですな。しかしものを知るといふのは、自分の知恵は何にも働かさないといふことです。学問は独学です。独学は質問することです。(小林秀雄の講演録より) 昔も今も「文士」と呼ばれる人は星の数ほどもゐるが、その人の作品を100回以上も読み直すほどのファンを持つ文士は、滅多にゐないでせう。しかし、小林はさういふ稀有な文士の一人です。私はさすがに...
さして特別な体験ではなくても、自分自身をよく見つめる機会を得たので、少し書いてみます。 5日ほど前のことです。玄関で呼ぶ女性の声がする。 誰かと思つて出てみると、見知らぬ人で、 「給湯器を使つておられますよね」 といふ話を始める。 給湯器を勧める電話はときどきあるが、直接訪ねて来る人は珍しい。少し説明を聞いたあとで、「詳しい上司」と紹介された男性が現れる。彼がパンフレットを示しながら、懇切に説明して...
我々の内なる良心は、ガリレオの望遠鏡に似てゐると思ふ。良心は神を見る望遠鏡と言つてもいゝし、レンズと言つてもいゝ。 ガリレオは実験と観察を重んじる人で、望遠鏡による観察を通して地動説を確信するに至つたと言つていゝでせう。 たとへば彼は、望遠鏡によつて、木星には4つの衛星があることを見つけた。これは、地球を中心に廻つてゐない天体があることを意味してゐる。天動説への反証になる観察結果を得たわけです。 ...
「未来の記憶を思ひ出す」 といふのは、言葉自体に矛盾を孕んでゐるやうな感じですね。 「未来」と「思ひ出す」は時制が合はない。「未来」なら「夢想する」であり、「思ひ出す」のは「過去の記憶」でせう。 これは言葉の問題もあるので、「記憶」の代はりに「思ひ」としませう。すると、「未来の思ひを思ひ出す」となります。「思ひ」は過去にもあるし、未来にもあるものです。 たとへば、旅行の計画を立てるとします。 地図...
神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。 (創世記1:27) 人を創造した神を「創造主」と言ひ、神に創造された人を「被造物」と呼んだりします。ところで、「神のかたち」に創造された人は、どういふ「被造物」と言つたらいゝのでせうか。 神を「創つた神」と呼ぶなら、人は「創られた神」と言へるのではないか。人は「神のかたち」なのだから、神と言つておか...
「概念」といふのは、人間独特のものだと思ふ。それなしには人間らしく生きていけないが、同時に、生きづらくもしてゐる。 この、一見すると矛盾するやうに見える「概念」の2つの特徴的要素を挙げてみませう。 一つ目は、「見えないものを見る」といふ特徴です。「ないものをあると考へる」と言つてもいゝ。 見えないものとは、例へば、境界線です。元々地球には何も境界線もなかつたのに、人間が国家といふもの(これも一種の...
個人であれ、家庭であれ、組織であれ、何か問題が起きると、その解決方法を考へるやうになります。問題の原因を探り、その対策を思案する。そのとき、先頭に立つて働いてゐるのは脳であり、その脳が頼りにするのは過去のデータです。 この脳の働きを見て、仏教はそれを「小我」と名づけた。そして、本当に問題を解決したいなら、この「小我」を抑へるべきだと考へたのです。(「小我」は、心理学で言へば「自我」、あるいは「理性...
スーパーのレジでの体験。これは私の実体験ではなく、動画による体験なのですが、実体験と同様な感覚を味はひます。 80歳を過ぎた高齢の男性がレジに並び、いざ会計となつたとき、財布から小銭ばかりを取り出す。十数ドルの買ひ物なのに、お札は1枚もありません。 男性は覚束ない手つきで、ゆつくりと小銭を数へる。一番イライラしたのは、レジの女性です。 「どうして銀行に行かないの?」 と、今さら言つても仕方ないことを...
昔、 「真の愛は、与へて忘れる」 といふフレーズをよく聞きました。 ふつうには、何かを与へたら、何らかの見返りがあるだらうと期待する。しかし、その期待を放棄しなさいといふものです。 どんなことであれ、我々が自分のエネルギーを何かに投入するとき、念頭には必ず結果を想定すると思ふ。例へば、報酬を期待しないボランティアなどでも、せめて感謝されることくらゐは期待するものでせう。 しかし本来は、それさへも期待...
第二もこれと同様である。 「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」。 これら二つのいましめに、律法全体と預言者とが、かかっている。 (マタイ福音書22:39) この第二の戒めにおいて、強調されてゐるのは 「隣り人を愛せ」 といふことであるやうに見えます。 しかし本当に大事なのは、前半の 「自分を愛する」 のほうではないかと、つねづね思ふのです。 といふのは、「自分を愛する」ことなしに「隣り...
お釈迦様が悟りを得られたあと、最初の弟子になつたのは5人の比丘だつたと言はれます。 その5人は、もともとお釈迦様と一緒に修業をしてゐた人たちです。彼らは長い間、とても厳しい修業に明け暮れてゐたが、お釈迦様はあるとき「苦行では悟りを得られない」と考へられた。それで苦行をやめて、菩提樹のもとで瞑想を始められたのです。 それを見た、同行者であつた5人の比丘は最初、 「ゴータマは苦行から脱落した」 と思ひ、見...
よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。この幼な子のように自分を低くする者が、天国でいちばん偉いのである。 (マタイ福音書18:3-4) 幼な子が天国では一番偉いといふ、よく知られた聖句です。 この聖句の前後の文脈を見ると、弟子たちがイエス様に 「天国で一番偉いのは誰ですか」 と尋ねたのに対して、答へておられる。 弟子たちが言ふ「偉い」...
先日の記事「どの子に死に水を取ってもらふか」に、コメントを寄せてくださつたかたがゐます。 斎藤一人さんの 「子どもには可愛い子どもと可愛くない子どもがゐて、たいていの親は可愛がらなかつたほうの子に世話になつて死んでいくんだよ」 といふ言葉を紹介したところ、 「自分のお腹を痛めて生んだ子に、可愛いとか可愛くないとかはありません」 と言はれるのです。 多分女性のかたでせう。実感かもしれません。 改めて自分...
「謝罪」といふことが、最近気にかかります。 人は「謝罪」に何を求めてゐるのか。誰が誰に「謝罪」を求めるのか。「謝罪」で何が解決するのか。さう言つたことを、改めて考へます。 気になるきつかけは、最近話題の所謂「小西問題」です。 立民参議院議員の小西洋之氏が、憲法審査会の開催について、 「サルのやること」 「蛮族の所業だ」 などと発言。 それに対して関係者は相当気分を害したが、その中でも維新の馬場代表は...
【ニール】でも、わたしは善と悪が存在すると教えられて育ちました。善と悪は対立すると教えられてきました。神の目には、あるものはまずい、いけない、受け入れられないと教えられてきました。 【神】神は何でも「受け入れる」。存在するものを神が受け入れないはずはない。拒否するというのは、その存在を否定することだ。 (『神との対話』ニール・ドナルド・ウォルシュ) ニールが最初に「でも」と言つて、神...
インドの伝統哲学ベーダーンタ学派(「ベーダ聖典の極意」の意)の言葉に、次のやうなものがあるさうです。 「理由」のある幸福は、形を変へた不幸である。なぜなら、その「理由」はいつでもたやすく取り去られる可能性があるから。 「理由」は「条件」と言ひ替へてもいゝでせう。 つまり、 「これこれでないと、私は幸福ではない」 といふのが、「理由」のある幸福です。 「お金が...
Youtubeのショート動画で、斎藤一人さんがこんなことを話してゐます。 子どもには可愛い子どもと可愛くない子どもがゐて、たいていの親は可愛がらなかつたほうの子に世話になつて死んでいくんだよ。 統計的な根拠があるのかどうかしらないが、面白い着眼点だと思ふ。 親も子も、行く末がどうなるかなど、分かりはしない。親は何人かの子どもを育てながら、どうしても可愛い子と可愛く...
私が自分の生涯で最も長く深く付き合ふ人と言へば、それはもちろん自分自身に違ひない。しかし、その自分をどれくらゐ知悉してゐるかと自問すれば、かなり心許ないでせう。 なぜ心許ないか。我々の目も意識も、自分自身を見ることに長けてゐないのです。 顔に埋め込まれた目は、直に自分の顔を見ることができない。どうしても見ようとすれば、鏡を覗くか、カメラの目を通して写してもらふかしかない。 意識も、これと似たところ...
自分に何かの問題が起こつたとき、我々はまづその問題を解決しようとする。当たり前ですね。問題があるまゝでは支障があつてつらいし、放つておいてこぢれたらますます困る。だから、問題は一刻も早く解決しなければと思ふのです。 解決するためには、原因は何か、そしてそれにどう対処したらいゝかと考へなければならない。しかし我々は、「考へる」ことによつて問題を解決しようとは思つても、「考へ方を変へる」ことで問題を解...
新約聖書の「へブル人への手紙」の中に、有名な聖句があります。 信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。 (へブル人への手紙11:1) 「望んでいる事がらを確信」する。これをふつう、我々は「信仰」と考へるでせう。「私が願つてゐることは必ず実現するはずだ」と確信するその度合ひが強ければ強いほど、その人は「信仰が強い(篤い)」と見...
あなたがジレンマに陥らないよう、言っておこう。わたしの言うことを信じるな。ただ、そのとおりに生きてごらん。経験してごらん。それから、何でもいいから、ほかの生き方をしてみなさい。そのあとに、経験を見つめて真実を探しなさい。 (『神との対話1』ニール・ドナルド・ウォルシュ) この神は、一風変はつた神です。神なら「わたしの言ふことを信じよ」と言ひそうなのに、反対に「信じるな」と言ふのです。...
『原理講論』の「総序」には、「真理」といふ言葉が繰り返し出てきます。 宗教とは何か。内的無知を克服して内的知に至るため、内的真理を探究してきたものである。 科学とは何か。外的無知を克服して外的知に至るため、外的真理を探究してきたものである。 しかし、その2つの真理がバラバラではいけない。いつかはそれらが統合され、一つになる必要がある。そしてそれを「新しい真理」と呼ぶ。 ク...
神はあなたがたの人生すべての創造者であり、決定者であると信じているなら、それは誤解だ。 神は観察者であって、創造者ではない。神はあなたがたの人生を助けるが、あなたが期待しているような助け方はしない。 (『神との対話1』ニール・ドナルド・ウォルシュ) 「神は観察者であって、創造者ではない」 これはちよつとショッキングな自己紹介ですね。「神が観察者」だと言ふのは、何だかあまりによそよそし...
「改革」について、少し考へを進めてみようと思ひます。取つ掛かりとして参考にするのは、ネットの「まいどなニュース」にあつた記事です。 そのタイトルは、 「主婦が始めた投稿で(スーパーマーケットの)投稿コーナーが激変」 といふもの。 どのスーパーにもその一角に必ずあるのが「お客様の声」コーナーです。買ひ物客が意見や要望などを投稿すると、スーパー側からの返答とセットになつて掲示される。 投稿には、批判やク...