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2009/10/24

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  • 生命の動的平衡

    生物学者の福岡伸一博士は「動的平衡」といふコンセプトを自身の研究の中心に据ゑてゐる。これは非常に興味深いコンセプトです。 「生命」とは何か。往々にして「自己の複製をコピーするシステム」などと考へます。「新しいものを創り出す」といふ面ばかりを考へがちなのですが、実際には「古いものを破壊する」といふ側面も生命にはあるのです。 破壊がなければ新しい創造がない。破壊しながら創造する。それが生命の最も大きな...

  • 神の健忘プログラム

    昨日「学習して忘れる」を書いたすぐ後、面白いことに、関連するテーマを扱つた記事に出会ひました。 「学習して進化するAIに”忘れさせる”ことは可能なのか」 といふ記事です。 英語では「学習」を「Learning」と言ひ、その反対語として「Unlearning」といふ言ひ方があるやうです。直訳すれば「反学習」でせうが、それまでに学んだことを「消去」するといふ意味合ひになります。 コンピューター用語で言へば、 「機械学習で積み...

  • 学習して忘れる

    為末大さんが「限界の正体」といふセミナーの中で、 「学習は破壊でもある」 と、自分の体験と絡めながら話してゐます。 スポーツの種目に拘らず、どんなアスリートも自分の技量を上げるために練習を繰り返す。最初はぎこちなかつた動きも、練習を繰り返すうちに段々とスムーズになる。 これはどういふことかといふと、初めは自分の体の動きを一々意識してゐる。ところが練習を重ねるうちに、意識せずとも体が動くやうになる。体...

  • 神学の正論

    ニール・ドナルド・ウォルシュは『神との対話2』の中で、自分が子どもの頃から教はつたカトリック教会の教へについて、神に説明してゐます。その一部を要約して紹介してみます。 ★★★ 我々人類は例外なく誰でもが罪人である。私自身には身に覚えがなくても、アダムとイヴの子孫である。彼らが禁断の木の実を食べたといふ罪(原罪)を、その子孫としてみんなが分け合つてゐる。 我々が選択の自由を与へられた理由もそこにある。...

  • あなたは神ではないのですか?

    あなたの身体は精神と魂のためにあり、あなたはわたしの精神と魂のためにある。したがって…。わたしはすべてを、あなたを通して経験する。 さて、これよりももっと大きな真実があるが、いずれあなたはそれを知るだろう。あなたはわたしの身体であるが、わたしもまた、ある者の身体だからだ。 (『神との対話』ニール・ドナルド・ウオルシュ) 神とニールとの第一段階の対話も、いよいよ...

  • 魂は「在り」、体は「動く」

    何かで「在ること」と「行動すること」には違いがあり、たいていのひとは後者に力点を置いているということだ。… 言い換えれば、あなたが発達することを――魂の発達を――選ぶなら、身体の世間的な活動によって達成することはできない。 「行動すること」は身体の働きである。「在ること」は魂の働きである。 (『神との対話』ニール・ドナルド・ウオルシュ) 魂は「在り」、体は「動く」...

  • 気高い自分を愛する

    人間関係が神聖なのは、最も気高い自分をとらえて実現する経験ができる、つまり自分を創造する最大の機会 ―― それどころか、唯一の機会 ―― を与えてくれるからだ。逆に、相手の最も気高い部分をとらえて経験する、つまり他者との経験のための最大の機会だと考えると、失敗する。… 人間関係では、それぞれが他者について心をわずらわせるのではなく、ただただ自分について心をくだくべきだ。 (『神との対話』ニール・ドナルド・ウ...

  • あらゆるところに神を見る

    ひとつ説明しておこう。あなたは、神が姿を現す方法はひとつしかないと思っている。そういう考え方は、非常に危険だよ。そう考えていては、あらゆるところに神を見ることはできない。神の現れ方はひとつしかないとか、語り方はひとつしかない、神の在り方はひとつしかないと思っていると、毎日わたしを見ていても気づかないだろう。 (『神との対話』ニール・ドナルド・ウオルシュ) ここで説明してゐ...

  • 神が現れるところ

    さて、皮肉なことに、あなたがたは神の言葉ばかりを重視し、経験をないがしろにしている。経験をないがしろにしているから、神を経験しても、それが神について教えられていることと違うと、たちまち経験を捨てて言葉のほうをとる。ところが、ほんとうは逆であるべきなのだ。 (『神との対話』ニール・ドナルド・ウォルシュ) 自動書記を通じてニールと対話してゐる「神」によると、神は...

  • 20数年ぶりの「神との対話」

    今から20数年前、私が牧会者であつた頃、『神との対話』(ニール・ドナルド・ウォルシュ)といふ本を書店の店頭で見つけた。 「神と対話したとは、何だかいかがわしい。一体どんな人物だ?」 と思ひながらも、対話の中身に興味を覚えて、買つて読んでみたのです。 対話の進行は、著者による自動書記に基づいてゐた。自動書記自体は昔体験したことがあつたので、さほど違和感はない。あり得ないことではないと思つたのです。 体...

  • 絶えず祈りなさい

    前の記事「喜んで受け容れる」の続きです。 「問題」はそれが現れることによつて、「問題」が私に潜在してゐることに気づかせ、それを解決(蕩減=帳消し)するチャンスを与へる。それゆゑに、「問題」は有り難い。 頭(理論)ではさう考へるのですが、実際に心からさう思ふことは難しい。ほとんど本能に逆らふやうなものです。そのことは私も実感してゐます。 そこで私は、かう考へるやうにするのです。 「最初から『感謝』が...

  • 「喜んで」受け容れる

    前の記事「『問題』といふ福音」からの続きです。 一見、おかしなタイトルのやうですが、「問題」はその対応さへ間違はなければ、私にとつて有益であり得るといふ意味です。その対応において、「甘受」がキーワードだと見ました。 「甘受」とは 「(問題を)当然のこととして、喜んで受け容れる」 といふことです。 「当然」とは、どういふことでせうか。「問題」の原因は「自分」にあるといふことです。 過去数回の記事で書い...

  • 「問題」といふ福音

    前回の記事「『現象』と『問題』」の続きです。私の周辺で絶えず生起し続ける無数の「現象」のうち、わづかなものだけが私の「問題」として認識されます。「問題」といふのは、悩みであつたり、懸念や苦痛であつたりします。 大多数の「現象」は無意識が処理して、私には意識されない。日常生活を円滑に送るにはそれでいゝのですが、ごく少数のものが私の心に引つかかる。それが「問題」です。 なぜ特定のものが「問題」になるの...

  • 「現象」と「問題」

    「現象」と「問題」について考へます。 我々はよく、自分の人生にはいろいろな「問題」があると感じたり、考へたりするものです。 例へば、 「夫(あるいは妻)は、私の言ふことをちつとも聞いてくれない」 といふやうな身近な問題(悩み)もある。 あるいは、 「ニューヨークの株価が急落したらしい。日本経済は大丈夫かしら」 といふやうな、かなりかけ離れた問題(懸念)もある。 いづれにしても、「問題」とは何か。一言で...

  • カッコウは騙すのか

    鳥の中には「托卵(たくらん)」といふ行動をする鳥がゐます。 例へば、郭公(カッコウ)。百舌鳥(モズ)とか鶯(ウグイス)など自分よりも柄の小さな鳥の巣に、こつそりと自分の卵を産みつける。10日余りで孵化すると、同じ巣の中にゐるモズならモズの卵やひなを巣から放り出す。 ところが、おかしなことにモズの親はそのことに気がつかない。段々と自分より大きくなつたカッコウのひなに、せつせと餌を運び続ける。 カッコウ...

  • 雨滴声

    気象予報士は今やニュース番組に欠かせない専門職ですね。 この前、ある番組で紹介された予報士は、良く言へばプロ、別の言ひ方をすればオタクといふ感じで、興味をそそられました。彼は何しろ「雲」に憑りつかれた「雲オタク」なのです。 暇さへあれば、空を見上げる。ちょつとでも面白い形の雲を見つけるとスマホで撮つて、すぐSNSにアップする。初めから終はりまで雲ばかりの彼のサイトに数万(数十万だつたかな?)のフォロ...

  • 情報を消去する

    ビジネスの世界で今一番困ってゐるのは、情報をデリートする方法が分からない、ということです。つまり、ビジネスの中で問題を消去することが非常に難しくなっているのです。 (『豊かに成功するホ・オポノポノ』イハレアカラ・ヒューレン) ビジネスは時代の変化に即応して新しい戦略を立て、生産計画、販売計画を立てていくのが成功のカギでせう。しかし実は、過去の情報をデリート(...

  • 判断しない私

    心情の誘発が、原理的か非原理的かが問題です。それによって、蕩減条件をつくるか、讒訴条件をつくるかが決まるのです。 蕩減条件を積んでいなければ、何年たっても、理論的知識はもてても、霊的には成長できません。 (『心情開拓』李耀翰) 我々が絶えず霊的に成長するためには、理論的知識は役に立たない。私の生活が蕩減条件を積む生活でなければならないといふのです。 それなら...

  • バーチャルとリアル

    今我々が住んでゐる社会にはいくつもの仮想があると告発する人がゐます。実際にはその仮想が仮想と見えず、いかにも事実らしく装つてゐると言ふのです。 例へば、日本は民主主義の国で、主権は国民にあるといふ仮想。本当にさうなら、我々は自分の代理(代議士)を選んで国政を動かすことができるはずなのに、実際には今の小選挙区制では代議士ではなく政党を選ぶしかない。代議士は所属党の利益を無視できない。それが現実です。...

  • 最初の「敵」はどこにゐるのか

    「隣り人を愛し、敵を憎め」と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。しかし、私はあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。 (マタイによる福音書5:43-44) イエス様の有名な教への一つです。ここで言ふ「敵」とはどういふ人でせうか。 「迫害する人」が典型的な「敵」ではないかと思はれます。例へば、 虐める人。 暴力を振るふ人。 無視する人。...

  • 「ふと」の謎

    「ふと思ふ」といふことが、日常生活の中で結構しばしばあるものです。思ひもかけない考へやアイデアが、どこからともなくふと湧いてくるといふ体験です。 私の体験では、例へば昨年の早春3月の初め、朝方愛犬を連れて散歩をしてゐると、ウグイスの鳴き声が聞こえる。「もうすぐ春だなあ」と思つてゐると、今までなら「ホー、ホケキョ」と聞こえてゐたのに、その朝に限つて「ジューイチジョ―」と聞こえる。 「ホー、ホケキョ(法...

  • 科学的な「私の思想」

    科学論文というものは90%の研究結果と10%の推論から構成されると考えてよい。問題はその推論部分にある。推論は研究結果から導いたものでなければ科学論文とは言えない。誰かが推論したことに対して、さらに自分なりに考えを発展させて推論を述べることを「飛躍」といい、それは理論として認められず、「思想」と呼ばれる。(「量子医学」なかよし医院 院長 藤田徳人) 科学の基本は実験です。実験をし、その結...

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