当時のお仲間がご夫妻と集まると、福岡パッシブハウス完成までの様々な物語が鮮明に思い出されて話題には事足りません。何よりもこんなに大切に、新築当時とほぼ変わらない状態で暮らし楽しまれているご夫妻の笑顔に出逢うたびに、手がけて本当に良かったフ
いよいよあと数時間で2022年も暮れます。色々思うことの多い一年でした。世情の目まぐるしい変化もそうですが、これからの時代はなかなか大変そうです。ただ、年齢的には世が世なら御隠居さんでも良い時代。おかげさまでまだまだ元気ですが、この元気な
私の憧れの存在だった叔父のあの横顔を思い出すと、人間は生きているうちに本当にやりたいことを全てやって生涯を全うしなければならないなといつも思います。最後に残された時間が、もう少しあれば、世の中のために働きたかったと言われた叔父は、在宅の終
物言うにも、暗黙の圧がかかってくる感じが、じわじわと感じられるようになってきている傾向があります。過敏すぎると言われてしまいそうですが、あらゆる閉塞感と情勢が厳しい時代には、全体主義が正義のような顔をして振る舞いをし始めます。巨大なメディ
伊能忠敬のような大事業をこなす余力や蓄財は私にはないし、介護老人を一人抱えている身でそれほどの自由などないのですが、赤いものを身につけて生まれ変わりだと言われる「還暦」という節目の一年を送りながら、つらつらと漠然と考えてきたのは、残り時間
さて、2022年もあと数日となりました。私の日常はエンドレスに仕事が続いているので、特段変化もなく黙々と日々のルーティンを消化しながら送っておりますが、なんと言っても今年は還暦の年男。身体的には特段変化もなく、お陰様でここまで息災に暮らし
言葉の劣化のお話しや、礼儀なんてお話しをすると、「まさにそれそれ!」と小躍りしてネトウヨ風のおじさん達がワチャワチャと賛同してくれますが、私が言っているのは残念ながら彼らの主張の真反対で、「かつての日本は良かった、礼儀正しく、社会の隅々ま
人の気分などというものは、ちょっとした言葉の掛け合いでどうにでも変容していくもので、例えばその言葉の選択一つで、陰にも陽にも変わりうるものだといつも思います。寒いこんな季節だから余計にそう思うのか、言葉は「てにをは」ひとつ変わっても、全然
私の中に、どんなものがあるのかわかりませんが、幼少の頃に目に触れたオスカーワイルドの児童用の「幸福の王子」という物語に触れる機会があって、そのとき、ひとりショックで号泣したことを鮮明に覚えています。街の広場に立つ王子の像は金箔に覆われ、目
昨日は積雪で交通機関に支障が出るほどに、寒い1日となりました。本日までは同じようなお天気が続くようです。クリスマスイヴ、今宵はホワイトクリスマスになるかもしれませんね。サンタクロースの到来を期待して、ワクワクしながら一夜を明かす子供心を、
昨日の福岡の冬至は、寒波の到来で雪混じりの寒い1日でした。今朝も屋根には雪が残っています。昨日の夕方のニュースで言っていた気温、湿度を体感温度計算に入れてみると、気温5.5℃、湿度38%、風速3m/sとすると、体感温度は-2℃と弾き出され
ふとしたきっかけからリアルに疑問を持ち始めて、どこで誰とどんな暮らしをしていくかということを考える。住まいづくりというものは、そんな原初的なところから思いを巡らせていくと、プロジェクトの大小や予算に関係なく、夢は広がっていくものだなとよく
便利と効率化が進み得た暮らしは、どうもなんとなくモノトーンなイメージで、感動も薄くつまらないのではないだろうかと思うのは私だけでしょうか。以前、映画「マトリックス」で描かれたのは、今あるこの世が実は全て仮想現実空間で、私たちはそれを知らず
尊敬に値する、居住まいの良い方というのはいらっしゃるもので、もっと言えば、俗にいう「粋(iki)」な人は、いつも私の憧れの対象です。なかなかそうはなれませんが、お見かけすると少しでも近づきたいと思います。「カッコいい」ものは、やはり「カッ
突然何の話かと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、いわゆるアクションのための動機づけとして、「カッコつける」って悪くないなぁと思ってお話しを始めました。暮らしのいちいちを、別にどうでもいいやと思ってしまえば、質の部分は一切問わないと
口喧嘩をする時に、お相手に罵詈雑言浴びせかける時に、「カッコつけんな」とか「カッコつけやがって」なんでセリフを耳にします。要は、虚勢をはるなというような意味合いで使うのかもしれませんが、格好をつけることの全てがここに当てはまるわけではなく
もう10年以上前に、ご縁で専門学校の非常勤工事をさせて頂いていた時があります。沢山の学生たちと触れ合いましたが、今から思えば本当に良い子達ばかりでした。時折、立派な社会人になられて、ありがたくも訪ねてくださる方達がいますが、その子達が時折
テクノロジーの進化で、私たちに便利と余暇をくれた近代文明だとすれば、私たちは今、最大限にその恩恵をいただいているのだと思います。しかし、文明がどこまで発達したとしても、人間は情緒の動物です。私たちが心から感じる幸福感というものは、それとは
三次元リアルの「くらし」って、とても雑多で煩雑ですが、そのくらしの「質」というものを考えるとき、「ネット情報」という薄っぺらい、そして十分偏っている可能性を含むものが大きく影響を受けていることは少し警戒しなければならないと最近よく思います
近年の世の中を俯瞰すれば、東北の大震災以降10年余りで、この国の人々は思考停止がどんどん進んでしまっているようでなりません。インターネットの普及と、一人一台のスマホの普及は、カオスな情報の垂れ流しを助長し、そのカオス情報が何のフィルターも
恥ずかしながら学生時代、学年が上がっていくにつれて、私は高等数学の理解度に難があることを自覚し始めていました。なんとなく重たい挫折感を味わいながら工学に進んだ自分を恨めしく思い、次第に図書館に篭り哲学書や文学に耽る時間が増えていくような時
住まいは、これから住まい手の皆さんとって始まる新しい暮らしを具現化し、かたちのあるものにした結晶という言い方もできるかもしれません。ともすると、日常生活のパターンがすごく受動的で、溢れ出てくるカオスな情報に本当に翻弄されてしまいがちな現代
世の中の動きが、高性能な住まいをニーズとして求めは記事めたことは、私たちの悲願であり、とても望ましいと心から思うのです。何十年もそこを想いの中心に据えて仕事をしてきた私たちとしては当然のことです。ただ、最近ずっと言い続けているのですが、理
近年の省エネ、エコ、高性能という一連のキーワードに皆さんが抱く期待は、少し現実離れしているほどに計り知れないと思います。また、それが諸物価の高騰や光熱費の爆上がりに今日の家計に直結する問題でもあるために、皆さんがそこから何とかしようという
バブル崩壊以降のこの国は、何となく過去の栄光にしがみつき、出来ているふりをし続けてきた数十年のような気がしてしまいます。そしてパンとサーカスではないですが、スマホとコンビニにいよいよ与えられるものに翻弄されて、思考するということからどんど
最近強く思うのは、住まいを語るときに、その想いの大切さです。とかく現代社会は、人間を単なる受信装置と化してしてしまって、俗にいう一人一人を思考停止状態にしてしまう毒のようなものを持っていて、なんだか全てが受け身で、しばしばその毒に侵されて
「体感温度」という公式から算出される数字が、部屋の寒暖計やスマホの天気予報の温度などを見ていても、なんとなくずれを感じて、もっと寒いとかもっと暖かいのになぁと思う私たちの???の原因を少し明らかにしてくれる感じがして、今回取り上げてみまし
「体感温度」という物差しを使うと、普段見ている寒暖計と自分の感じる暑さ寒さのずれをなんとなくカバーできるので面白いですね。この公式では、温度、湿度、風速という要素のバランスによって感じ方が変わる体感温度を示していますが、リアルな世界ではそ
体感という意味で言えば、「体感温度」という数式から導き出される値があります。実際に私たちが自分の周囲の空気を何度くらいで感じているかという温度を、気温、湿度、風速の要素を公式に入力して算定することができるのですが、この計算が非常に面白い結
私の北海道のお仲間が、冬に福岡にいらっしゃるとみな口を揃えて「寒い」と言われます。福岡でもごく稀に氷点下になることはありますが、それでも気温としてはほとんどプラスの世界です。マイナス10度以上にもなる北海道に比べれば、温度としてはずいぶん
12月に入りました。今年の福岡はなんとなくずっと秋を引きずっていて、晴天が続いていていつまでも暖かく、いつ冬になるのかなと思っていたら、急に来ました(笑)。福岡の冬は曇天行が多く、日中気温が上がらなくなり、北に海がありますから冬の北風が湿
住まいというものは、その住まい手の暮らしそのものである部分が多く、私は、その暮らしそのものをどうにかする立場ではないのですが、俯瞰して垣間見ることができるその住まい手の暮らしを、ほんの少しでも空間が応援して、より良い方向へ動かすような住ま
社会の状況から鑑みれば、これからもっともっと、一個人の住まいづくりは、多面的に難しいものになっていくような気がして仕方ありません。物価上昇や今後考えられる金利上昇などが反映するコスト面も、許認可の面も性能担保の面でも、これまでより様々な面
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当時のお仲間がご夫妻と集まると、福岡パッシブハウス完成までの様々な物語が鮮明に思い出されて話題には事足りません。何よりもこんなに大切に、新築当時とほぼ変わらない状態で暮らし楽しまれているご夫妻の笑顔に出逢うたびに、手がけて本当に良かったフ
築13年の中古物件と聞けば、連想される世界があると思いますが、福岡パッシブハウスの場合はそのイメージにはほぼ該当しないということができると思います。私も何度かお客様をお連れしていますが、「え、新築ですか?」と言われるほど、建築当初の状態を
13年前に、パッシブハウスジャパン(以下PHJと記載)の森代表理事と共同設計で取り組んだのが、福岡市内に立つ国内3棟目の認定パッシブハウス「福岡パッシブハウス」です。実は、この福岡パッシブハウスが現在売却に出ていて、この木曜日まで
人が、自分の住処に求めるものはなんだろうと考える時、やはりどこに居るよりも心身ともに安らぐ場所であるということが第一に思い浮かぶものではないかなと思います。「心身ともに」と書きましたが、まさに心と身体の両面からの安心というものが要でないか
これまでの私の仕事の主たるところは、まさにお客様の住宅の新築の分野でした。ただ、ここまで社会全体がコスト高になってくると、万人に向けてその方法のみで対応が可能とは言いにくくなってきました。そもそも、いわば、「高性能のための高性能(スペック
どれが正しく、どれが間違っているということではないにしても、バラバラに発信されている各々の得意分野の方達が、独自に多種多様に放っている情報は、無秩序に拾っていくと、いわば食べ合わせが悪いことが起きてしまうことがあります。お客様の中でもネッ
現在のスタイルが始まった頃は、おそらく30年くらい前ですがここ福岡で弊社は稀有な存在だと言えたかもしれません。九州で「断熱・気密」という言葉を多用しただけで、不思議がられる時代でした。むしろ知らないもの怖さであらぬ攻撃すら受けたほどでした
思案していく中で、現状の社会でも建てるべき住まいはあると私も認識しています。ただ、そのために質を落とすことや、法外な資金繰りで築後の暮らしを蔑ろに企画を進めていくわけにはいきません。日々詰将棋のように一手一手を打っていきますが、社会全体の
「建築YA髭のCOLUMN」はまさに、建築YAである私が、35年余り一貫して取り組んでた建築屋としての自らの表現方法のひとつです。一貫して言えることは、愛すべき住まい手たちであるクライアントの皆さんが、長き人生の大半を過ごす「住まい」の創
正直に吐露すれば、「書けなかった」という方が正確かもしれません、十数年の間、毎日来る日も来る日もコラムを続けてきたこの場で、語ることがなんとなくできなくなってきたのです。決定的なことが何かあったということではありませんが、この数年、さまざ
台風10号が過ぎて、少し厳しさが緩みましたが、近年の夏は、宅内の温度の過酷さが宅内熱中症を産み出しているこの国の住まい事情があります。奇しくも昨晩のNHKのクローズアップ現代では、この国の住宅性能によって起こってしまう夏の問題が取り上げら
何だか例年言っていますが、「今年は特に暑い」という言葉が日に日にまして飛び交っている感覚があります。私たちが教育で教え込まれた日本の気候は、「表情豊かで四季があり、湿潤で人間が暮らすには最適な温暖な気候...」というような人に優しい環境を
羨ましくも、沖縄はもう梅雨明け宣言だそうですが、ここ福岡はまだまだ湿り気とムッとする熱気の坩堝の中にあります。今年の夏予報でも、例年通り「酷暑」という言葉が踊りました。いよいよ、暑さが増して来ている感じは年々増して感じる感覚であって、こん
世の中のうねりに、立ち止まりじっとばかりもしていられないけれど、風の時代と言われるようになってきてから既存の価値観がガラガラと崩れ去って、あらゆる事柄がゆらゆらと蠢いている感覚が拭えません。真新しい新築の住宅を住まい手のために生み出すこと
いつの世も、庶民は強かに生きていくものですから、世の流れに従いそれなりのライフスタイルで生きていけば良いということなのかと思いますが、このところの社会状況を見ていると、明らかにもうこれからは、おいそれと新築住宅を建て続けて、いわゆるスクラ
随分、コラムをお休みしてしまいました。書きたいことがないわけではないのですが、激動の社会変化の中にあって、私たちの仕事も大きく様変わりし始めている潮流をなんとか掴みきれないかとも外しているうちに、時が経ってしまったというのが正直なところで
暗い話しばかりしてきましたが、現状把握としては、冷静に俯瞰すれば語ってきたような状況が大きく横たわっています。ただ、「自分の住まいを建てたい」という、人間としての当然の欲求に対して、私たちはこの状況下で冷静に判断し、なんとかニーズに見合う
まず、なんとなくローンが組める年齢のリミットだからとか、周りも建て始めたからという、これまでの社会体制が曲がりなりにも安定していた時代に住まいづくりを模索するケースは減ってくるのではないかと想います。「なんとなく」ではあまりにも大きな投資
高嶺の花と書きましたが、なるべくそうならないように、広く皆さんの衝動として住まいづくりは実現できるものとして今後もあれば良いなと思ったりします。ただ、これまでのおひとりひとりが、住まいを建てることができるという時代も、長い歴史
その上、最近は在宅勤務やオンライン授業などで、自宅滞在時間も大幅に伸びたからなのか、住まいの室内環境に関しての意識が高まるとともに、さらにはエネルギーコストの爆上がりも後押しして、住まいそのものの性能も大きく取り上げられるようになりました
世の中のうねりに、立ち止まりじっとばかりもしていられないけれど、風の時代と言われるようになってきてから既存の価値観がガラガラと崩れ去って、あらゆる事柄がゆらゆらと蠢いている感覚が拭えません。真新しい新築の住宅を住まい手のために生み出すこと
いつの世も、庶民は強かに生きていくものですから、世の流れに従いそれなりのライフスタイルで生きていけば良いということなのかと思いますが、このところの社会状況を見ていると、明らかにもうこれからは、おいそれと新築住宅を建て続けて、いわゆるスクラ
随分、コラムをお休みしてしまいました。書きたいことがないわけではないのですが、激動の社会変化の中にあって、私たちの仕事も大きく様変わりし始めている潮流をなんとか掴みきれないかとも外しているうちに、時が経ってしまったというのが正直なところで
暗い話しばかりしてきましたが、現状把握としては、冷静に俯瞰すれば語ってきたような状況が大きく横たわっています。ただ、「自分の住まいを建てたい」という、人間としての当然の欲求に対して、私たちはこの状況下で冷静に判断し、なんとかニーズに見合う
まず、なんとなくローンが組める年齢のリミットだからとか、周りも建て始めたからという、これまでの社会体制が曲がりなりにも安定していた時代に住まいづくりを模索するケースは減ってくるのではないかと想います。「なんとなく」ではあまりにも大きな投資
高嶺の花と書きましたが、なるべくそうならないように、広く皆さんの衝動として住まいづくりは実現できるものとして今後もあれば良いなと思ったりします。ただ、これまでのおひとりひとりが、住まいを建てることができるという時代も、長い歴史