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津田左右吉「明治維新の研究」王政の復古は、”実現せられず、また実現し得られることでもなかった”
前稿で、尊王攘夷急進派を主導し、明治の元勲された木戸、大久保、岩倉らが、当時のヨーロッパにおける「民権論」を受け入れようとしなかったことを、津田左右吉の「明治維新の研究」で、確認しました。彼らは、国王が、国家統治の実権をもたないイギリスなどの制度は”学ぶべからず”とし、天皇を現人神(現御神)として、”天皇自ら政治の実務を執られることが国体の精神である”としたのです。そして、王政復古の目標であった「天皇親政」を装い、「大日本帝国憲法」や「軍人勅諭」、「教育勅語」などを発布するとともに、諸制度を整えて、自らに都合のよい国家主義的な日本を確立したということです。しかしながら、国王や天皇の”御一存”で、国家統治ができるものではないことは、津田左右吉のいう通りだと思います。そして何より、現実に、明治維新以後の日本の政治は...津田左右吉「明治維新の研究」王政の復古は、”実現せられず、また実現し得られることでもなかった”