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本抄の前半から本人並び看取りの人達の臨終において用心しなければならない御指南が続きますが、『臨終用心抄』の後半には「臨終の相」についての御指南が書かれています。一、臨終の相に依つて後の生所を知る事。と最初に「臨終の相」によって故人の死後の境涯を知ることができると言われています。つまり「臨終の相」が善相であるか悪相であるかで故人の成仏・不成仏が見て取れるということですが次では、一、他宗謗法の行者は縦ひ善相有りとも地獄に堕つ可き事。と他宗謗法の人がたとえ臨終の時に善相を示したとしても堕地獄であるといわれています。その理由を【師は是れ針の如し弟子檀那は糸の如し、其の人命終して阿鼻獄に入るとは此れ也云…
臨終正念の妨げとなる原因である、1断末魔の苦、2魔の所為、3妻子財宝への執着に対する心得として日寛上人は次のようにご指南されています。 一、問ふ断末魔の時心乱れざる用心如何。答ふ、平生覚悟すべき事也。一には顕宗論の意に准ぜば他人を譏刺すべからず、人心を傷切すべからず、此れ常の用心也。二には玄四廿三に云く身本と鳴有ならず、先世の妄想、今の四天を招く、虚空を囲むを仮りに名けて身と為す文。(中略)死ぬる苦しきは家を槌にて頽るが如く四大の板柱材木面々に取り離す故に苦るしむ也、断末魔とは之れを云ふ。此の離散の五陰と云ふ如く離散の四大也。すはさればこそと読たるは苦なり、驚きたる処なり。解れば本の野原と読る…
今年の2月に母が亡くなりましたが、母が余命を宣告されホスピスに入院した時に日寛上人の『臨終用心抄』を何度も読み返していましたので、本抄について書いてみたいと思います。本抄は臨終に関しての心掛けを日寛上人が示された書で自分自身もまた看取る側にとっても重要な内容が書かれています。 一、祖判卅二十一に云く、夫れ以みれば日蓮幼少の時より仏法を学し候しが、念願すらく、人の寿命は無常也、出る気は入る気を待つ事なし、風の前の燈尚譬にあらず、かしこきもはかなきも老たるも若きも定めなき習ひ也、されば先づ臨終の事を習ふて後に他事を習ふべしと云云。 まず冒頭に大聖人の「妙法尼御前御返事」の一節を引用されています。仏…