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(本編はこちら) 1.東條八太夫父子のその後 鈴木藤吉郎と対立し、先手組に左遷された東條八太夫父子はその後どうなったのでしょうか。 万延元(1860)年六月二十日、東條八太夫、八太郎の父子はそろって長崎奉行支配調役並を
江戸は身分社会でしたから、今日よりもずっと軽い命にも軽重がありました。夫婦間の事件を見ていると、しばしばそれを痛感します。 「名奉行」といわれる根岸肥前守(鎮衛)が寛政十二年(1800)に判決を下した事件(※1)もそんな一つでした。新吉原
天保三年(1832)五月九日夜、浜町にある松平宮内少輔(忠恵)の屋敷へ盗みに入った鼠小僧治郎吉が捕らえられ、翌十日、北町奉行榊原主計頭(忠之)組同心大八木七兵衛に門前捕りされました。『甲子夜話』に、治郎吉に関する記録が出ています。&nbs