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The LORD is my portion 哀歌の詩人は、絶望の中にすべての知恵と力と企てを失う経験について述べている。心の存在そのものが裸にされてしまう、いたたまれない悲しみと絶望の経験を私たちも味わうことがあるかもしれない。しかし苦難が私たちから何かすべてを奪ったとしても、なお奪うことのできないものがあることをこの詩人はそして聖書全体は指し示しているといえる。 それは意味を求める力。なぜこの出来事は私の上に起こったのか。なぜ今でなければならないのか。その答えはすぐに見出されることもあれば、何年かかってもそれを見出すことができないこともあるだろう。「聖書は我が心の鏡である。」私たちはその苦…