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当山は、両部神道のお寺ですので、毎月、神道と仏教のまつりごとを執り行っております。明日は、午前11時より命光秘流鳴釜神事祭が行われます。月の初めに行われる神道のまつりごと命光秘流鳴釜神事祭で参拝者全員のお清め、お祓いを受けられます。月の中頃に行われる仏教のまつりごと命光秘流不動護摩供で、炎での浄化、祈願を祈念することができます。どちらの祭りごともご神示を頂くことができ、困り事は、解決の方法をご指導させていただきます。尚、ホームページでもお知らせしておりますが1月のみ行事日程に変更がございます。命光秘流鳴釜神示祭1月8日第二日曜命光秘流不動護摩供1月22日第四日曜お間違えのないようにお参りください。再拝明日は、命光秘流鳴釜神示祭が厳修されます。
現在の生き方は、霊界からみれば悪業だらけのように見えているのでは。食べ物の怨みとは、全てを食べずに捨ててしまう人間どもへの怨み。賞味期限が一日でもす過ぎれば、ゴミ箱行き。我々の食べている物は、生きていたのです。もし、私たちが、猛獣の餌食になるのであればきれいに食べつくして欲しいと思いませんか?我々が食べ物と称しているものは、我々に食べてもらうために生きていたわけではないのです。残すことなく、美味しく食べ切る。それが、命を成仏させるということ。合掌食べ物の怨みとは
以前にお不動様が申されたお言葉です。命光遮羅明王様よりお叱りのお言葉を頂戴いたしました。皆、お願いごとをしているのに、願い事が叶わないだの病気や怪我をするだのを言っている者がおるが、それは、汝らが信じるという気持ちが足りないのじゃ。どのような願いごとでもお願いされれば、我が専属は一心に願い事が叶うように動いておる。願い事を変えるには、それなりに時間もかかる。根回しもが必要な場合もある。それは、人間の世界でも同じじゃろう。神仏と言えども頭を下げてお願いしているのじゃ。それを、直ぐに叶わないなどど文句を言う。願いごとをするなら、叶うまでお願いし信じきることじゃ。また、怪我をする場合でも大きな事故を起こす前に、事前に小さな災難で済ませておるぞ。感謝が足りんわ。合掌命光阿遮羅明王様のお叱りのお言葉です。
生きるということは、日々のその時に自分の生きた証(あかし)を残している。それが積もり積もって人間性となる。本当の生きた証とは、ご先祖様や親が残してくれた地位や財産ではありません。父や母、祖父や祖母が、生きていた中で培った知恵や知識を我々が受け継ぎ又、子孫に残すそれが良い因縁を残すことにより繋がります。智恵は万代の宝(ちえはばんだいのたから)というコトワザがございます。(お釈迦さまの言葉)その人が身についた智恵はその人の宝だけではなく、後(のち)の世までの受け継がれる宝である。「仏陀」南無大師遍照金剛生きた証を残れるか?
人間を一本の木に例えると花が咲き実を支える枝これは後継ぎの子であり孫やな枝を支える幹これは父母や幹を支える根根は見えんけど人にとっては根っこはご先祖さんやそやけど、根っこが腐ってたら、花も実もつきまへんわなーええ花咲くようご先祖さん大事にしいやぁ!合掌ご先祖様との縁は切れません
明日、20日の日曜日は、11時より開運招福命光秘流不動護摩供を厳修いたします。真言密教の秘法中の秘法である護摩修行皆様の諸願成就をご祈念いたします。皆様、お揃いでお参りください。護摩木1本300円当日は命光不動尊山主による皆様方の御祈願の「護摩木」1本、1本に真剣加持刀にて秘法の「おくじ」の打ち込みがおこわれ願い事の成否が頂かれます。また、皆様方お一人おひとりのお身魂を一願成就札にうつして直接に吉凶のご神示が頂けます。ご加護を頂いて下さい。明日は、命光秘流不動護摩供が行われます
本日は、雨も止み秋晴れの清々しい日よりになりました。今日の護摩供は県外から初めて参拝される方、家族で参拝の方、お友達とご一緒の参拝の方など沢山お参りいただきました。当山の祭事には近畿圏からお越しになる方がほとんどですが、中には関東からのお参りされる方もいらっしゃいます。当山の護摩を初めてご覧になられた方が、「これほど近くで大きな護摩を見たことはありません」と言われます。改装後の本堂での初めての護摩でございました。これまで脇でお祀りされていた仏様は、前の祭壇でお祀りされており、護摩の炎が高く燃え上がりますと、本尊をはじめ全ての仏様が光り輝き信者様も一心に手を合わせていらっしゃいました。弟子の寶禅師も副山主に続いて護摩を焚かれましたが、真夏の灼熱のような護摩に感じたようです(本人談)。ある信者様の御神示では「...本日、命光秘流不動護摩供が焚かれました。
早くも4月2日です。3月でお二方が四家先祖供養をおやめになられましたが、新しいお二方が四家先祖供養をお申込みくださいました。お二方とも長い間、ブログをご覧くださってたそうで、今回、四家先祖供養をお申込みくださいました。お一人の方は、違うと都道府県で検索しているにも関わらず和歌山県の命光不動尊寳来寺が検索で出て来られたとか。「不思議です。なんかご縁を感じて…」ということでございました。こういう場合は、ご先祖様からのご縁だと思います。四家先祖供養の各家の姓を拝見しておりますと、四家のうちに同じ姓の家が何回も出てきます。特に佐藤家は、全国的にも多い姓なのでしょね。何軒か、ご供養の中で出て来られる姓です。皆さん、遠い親戚なのでしょうか?合掌ご縁で集まって来る?