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あの世には天国も地獄もないってホント⁉~「安心して死ぬために」を読んで
今日のお題は久しぶりにスピリチュアル。目に見えない領域のお話です。 東京大学名誉教授、矢作直樹氏の著書「安心して死ぬために」を読みました。 矢作氏は医師として救急・集中医療に携わり多くの人の死と向き合うことで、死後の世界や魂の存在に興味をも
知らずにいると亡くなってから大変かもしれない。そんな僧侶の老婆心から2回にわたって記事にしてみました。お盆のひと時、目を通して頂ければと思います。
7月に盆というところもあり、今回は「あの世」について少しお話ししています。読まれた方が、少し自分の人生について、振り返るきっかけにでもなったら幸甚です。
地獄の永遠性(2)「地獄(第二の死と云われる永遠の滅び)」『煉獄と地獄』
マキシム・プイサン神父「地獄(第二の死と云われる永遠の滅び)」『煉獄と地獄』岸和田天主会教会、1925年29.地獄の永遠性(2)誤り得ざる公教会は福音に基づくから、第五回の公会議にて「地獄に於ての悪魔の罰、あるいは、罪人の苦しみは唯しばらくの間である。いずれ限りがあると、口に云うまでもなく、唯心に思う者あれば、その者は破門すべし」と。地獄の苦しみが永遠でないとすれば、天主は造物主とは云われぬ。何となれば、無害に天主を嘲弄する事が出来るからである。罪は永遠であるから、地獄は永遠でなければならず、霊肉分離の際から永遠、そのままおかれる。即ち善者なれば天主に背く事の出来ぬように善に固定すると同様、罪人は永遠に悔い改めをする事が出来ぬ悪に固定する。とにかく、わかるわからぬにかかわらず、明白かつ確固たるイエズス・キ...地獄の永遠性(2)「地獄(第二の死と云われる永遠の滅び)」『煉獄と地獄』
27.地獄の罰はその罪に相似する「地獄(第二の死と云われる永遠の滅び)」『煉獄と地獄』
マキシム・プイサン神父「地獄(第二の死と云われる永遠の滅び)」『煉獄と地獄』岸和田天主会教会、1925年27.地獄の罰はその罪に相似する又、聖トマ博士の説明によれば、罪人は地獄に於てその嘆きは肉体的に非ず、霊性的であり、その理由は世の終りに当って霊魂と肉体とは永遠の償罪を得るために、再び合併して、今の世界に於て現在我々が持っているのと同じ肉体を所有し、その肉体は総ての感覚と本質を備え、真の人体でありながらある種の行為作用をする事が出来ぬのである。したがって、生理的分秘作用によっておこる涙は無く、世の終り復活の後には、我々の不滅なる体を養う物質的栄養はいらぬが故に地獄に於ける痛嘆の涙は霊的涙であろう。(永遠に衰えぬこの不滅の火)……罪に応じて活動する火が、復活した体を焼くまでに、すでに罪の重さに応じて、霊魂...27.地獄の罰はその罪に相似する「地獄(第二の死と云われる永遠の滅び)」『煉獄と地獄』
聖テレジアの見た地獄「地獄(第二の死と云われる永遠の滅び)」『煉獄と地獄』
マキシム・プイサン神父「地獄(第二の死と云われる永遠の滅び)」『煉獄と地獄』岸和田天主会教会、1925年26.聖テレジアの見た地獄聖テレジアはある日非常に精神的に楽しみを感じていたら、み主が御現われになってもしテレジァが今までどおりよく天主につかえ、よく天主を愛するならば、永遠の幸福を得うるる保証をされ、なお一層罪の憎むべきこと、及地獄の罰の恐るべき事を感じさせるために、地獄の光景を目のあたりに見せしあられた。「ある日のこと、自分は祈祷の最中、わずかの間肉身と霊魂と共に地獄に落されていた。自分が行を改めず、罪を犯して死んだならば、悪魔が準備した所へ行かねばならぬことを天主がお見せ下さるのであるとわかった。それは如くわずかの時間であったが、その記憶は何年たっても決して忘れることが出来ぬ。この地獄の入口はきわ...聖テレジアの見た地獄「地獄(第二の死と云われる永遠の滅び)」『煉獄と地獄』
23、地獄の火は物質的火「地獄(第二の死と云われる永遠の滅び)」『煉獄と地獄』
マキシム・プイサン神父「地獄(第二の死と云われる永遠の滅び)」『煉獄と地獄』岸和田天主会教会、1925年23、地獄の火は物質的火聖トマ及び一般神学博士らは「地獄の火は真の火、消えざる火、永遠の火、であって、物を焼けどもその物は灰化せず無にならない、霊肉にかかわらずしみとおる烈火である。」と云っている。これは天主より教えられて教会が伝える信仰箇条であるところで、この火は我々がこの世に於て平常に使用する火と同じものであるが、聖者トマは先づ古い昔の哲学者について「彼らは未信者のこととて肉身のよみがえりを信ぜねども一般人類の伝えるの如く、来世に於て復讐の火があり、それは霊魂の性質と等しく霊的火である云云」と云っておる。肉体を苦しめるがそれを無にせぬ、在にもせぬ、しかも霊魂まで復讐するとの意味で、地獄の火は現世の火...23、地獄の火は物質的火「地獄(第二の死と云われる永遠の滅び)」『煉獄と地獄』
高利貸とその三人の息子「地獄(第二の死と云われる永遠の滅び)」『煉獄と地獄』
マキシム・プイサン神父「地獄(第二の死と云われる永遠の滅び)」『煉獄と地獄』岸和田天主会教会、1925年22、高利貸とその三人の息子ある高利貸が病にかかり、肉体は全く腐敗してしまったが、しほりとった金は返却しようとはしなかった。このところの教会の霊父は、この高利貸に病気をなおしてあげるが高いです、と云えば病人はこれを聞いて「価は千円、万円※でもかまいませんから早く教えて下さい」と云った。※当時の1円は、今(2023年)の貨幣価値で5000円くらい「教えましょう。それは生きた人間の肉を火であぷり、肉より出る脂肪を採って傷に塗るのです。沢山は入らぬ、唯一人、一万円貰うため、わずか十五分程、手を火の上に置くのを承知すればよろしい。」病人は愁然として「禍いなるかな。十五分間、その苦しみをしのぐ者はあるまい」と深い...高利貸とその三人の息子「地獄(第二の死と云われる永遠の滅び)」『煉獄と地獄』
20、地獄に墜ちた親子・家族「地獄(第二の死と云われる永遠の滅び)」『煉獄と地獄』マキシム・プイサン神父著
マキシム・プイサン神父「地獄(第二の死と云われる永遠の滅び)」『煉獄と地獄』岸和田天主会教会、1925年20、地獄に墜ちた親子・家族十八世紀の終りにフランス中いたるところで天主を信ずる者の首をはねさせた惨虐者の一人コロ・デルボアは、後に告訴されて終身の刑に処せられ、千七百九十五年(寛政七年)四月にカヤンヌ島に流された。そこで彼はこの島に於て地獄に於ける苦痛を受けたのである。彼は絶えず自分は地獄に居る苦痛を受けていると叫ぷので、病院の最も奥まった部屋に入れておいたが、彼の苦しみは少しも減じなかったので、幾分か火の苦しみを柔らげるために、冷い土の中に首のところまで埋めたのである。しばらくして見れば彼はそのまま、死んでいた。即ち彼はこの世に於て不思議な火により、焼死んだのである。しかしながらこの世の火がどれ程恐...20、地獄に墜ちた親子・家族「地獄(第二の死と云われる永遠の滅び)」『煉獄と地獄』マキシム・プイサン神父著
「地獄(第二の死と云われる永遠の滅び)」『煉獄と地獄』マキシム・プイサン神父著、19、エジプトの青年の例
マキシム・プイサン神父「地獄(第二の死と云われる永遠の滅び)」『煉獄と地獄』岸和田天主会教会、1925年19、エジプトの青年の例天主に服従へば永遠の幸福を受け、背けば永遠の罰を受ける。公教歴史に第三世紀の頃、エジプトの有名なるアレキサンドリアの学校に学んでいた二人の青年のことが伝えられていた。二人の青年は教会へいった、あたかも司祭は地獄の火の苦しみのことを説明しておられた。一人の青年はその説教を聞いて大いに嘲けっていたが、他の一人の青年は非常に感動して後悔したばかりでなく、なお一層救霊の道を全うするために修士になった。その後、間もなく、先に司祭の説教を嘲けった青年は、突然死んでしまった。天主は修士になった青年に先に死んだ青年があらわれることをお許しになった。「教会が地獄の火の苦しみのことを教えるのは真実で...「地獄(第二の死と云われる永遠の滅び)」『煉獄と地獄』マキシム・プイサン神父著、19、エジプトの青年の例
地獄の罰の大きさ(マキシム・プイサン神父)「地獄(第二の死と云われる永遠の滅び)」『煉獄と地獄』
マキシム・プイサン神父「地獄(第二の死と云われる永遠の滅び)」『煉獄と地獄』岸和田天主会教会、1925年18、地獄の罰の大きさこれを悟らせる一つの例えを語ろう。地獄の底より天の最高点まで達する数百億万里の長き大鉄柱が立っていてその柱全体に剣や針の様な鋭いものがすき間もなくついてあるのみならず、柱は炎々と燃えている、それが天国に登る梯で之に取付けば無論五体はずたずたになり、かつ焼けただれる。しかし生命があると仮定して、地獄の罪人に向い、この恐ろしい柱より天国に往くには幾億万年の年を重ねる。しかして最も高い所へつきて、天主の美善、美徳を唯一目見ただけですぐ地獄の底まで落ちる。一瞬間でも天主を見たいならば長い苦しみを受けてこの火柱を登らねばならぬが、どうするか?と尋ねたら地獄の罪人どもは嬉しさの余り雀踊して幾度...地獄の罰の大きさ(マキシム・プイサン神父)「地獄(第二の死と云われる永遠の滅び)」『煉獄と地獄』
今日も朝から大学病院の診察でした今日は婦人科ゆううつ~🥺な気分のままもう3ヶ月経っちゃったの!?いつもこれだけは信じがたい 時間をワープしたんじゃない?と思えてくる嫌な事は早くやって来るそう思ってるから、『早い』と感じたものは