社会情勢や異常気象など自分の身に降りかかるであろうリスクをしっかりと見据え、自分はどのように生きていくかを実践していくブログです。
始めたときは、それがどれほど善意から発したことであったとしても、時が経てば、そうではなくなる。
よかれと思って始めたことも、時が経つと悪しき慣例となる可能性があるという意味らしい。 背景としては、ローマである陰謀事件が起こった際、元老院たちは容疑者の処刑を主張したのに対し、カエサルは証拠もなく罰するべきではないと言い、ここで疑わしきを罰する先例を作ってしまうと、後の世もそうなりかねないということで上記の言葉となった。 感情的になっている人を諭すにはこの上ない説得力のある言葉である。
ポントス王国ファルナケス2世が小アジアに侵攻してきた。 迎え撃つは、この地域を守備していたカエサルの副将格のグナエウス・ドミティウス・カルウィヌス。敗残兵を中核とした一個師団。(二個師団をエジプトのカエサルからの救援に応じて送っていた。)当然、守り切れずシリアに逃げ帰ることに。 カエサルはクレオパトラとともに長期休暇。ナイル川の源流を探す旅にでたり、暦の研究をしだしたりとエジプトを満喫する。 存分にエジプトを楽しんだ後、やっとカエサルがポントスにやって来る。 四時間ほどで撃破して、「来た、見た、勝った」となった。
「そのとき、カエサルは、「進もう」と言い、「神々の前兆と政敵たちの敵意が呼び寄せるところへ。 サイコロは投げられたのだ」と言った。」
人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない
「人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない」 ユリウス・カエサル
グルが「自分は知っている」と言うやいなや、あなたは彼が知らないと思ってまちがいありません。なぜなら、彼が知っていることは過去の何かだからです、明らかに。知識は過去(のもの)です。
「(森田療法では)不安さえなくなれば仕事もできんのにとか考えが逆だって言うんですよね。そんな不安なんかなくなってからじゃ何もできないよと。不安のままやる以外ないんじゃないのっていう。ここが心髄なんですけども。」
マドモアゼル・愛 「無数の周波数がこの世には存在するわけですよね。それは、周波数としての表現なんです。ラジオやテレビと同じように、私たちが、ふっと同調すれば、その周波数帯を体験できる。 だから、「罪を憎んで人を憎まず」と同じように、罪は「人」ではくて、「周波数」なんです。 どんな良い人であろうが、その周波数帯と共振すれば、そういう思いが起きてしまう。 だから、「良い」も「悪い」も基本的にはないということなんですね。
子供はみんな無邪気で楽しそうにやっている。 親が来ると月の映しの世界を持ってくるから、それに呼応しなければならない。 そして、7歳までに子供たちの月化が完成していってしまう。
しかし脳は、思考によって、感覚的反応、生物的、心理的条件づけによって限定されています。それは宗教によって、教育、社会によって条件づけられています。さて社会は、限定されたものである思考を用いる人間によって作り上げられたものです。ですから、心理的・外面的活動の複合体としての社会は、思考によって形作られたものなわけです。思考は記憶、知識、経験から生まれたものなのですから、それは限定されています。経験なしにはなんの知識も起こりません。全科学分野は、経験と知識に基づいています。
だから、人は多くの場合、外に飽きるんじゃなくて、自分に飽きてくるんですよ。本当は。自分という常に「対応が同じ自分」に飽きているんですよ
「私は本当に知らない。私はこれしか知らない、ここ以外のところで思考が働けるかどうか本当に知らない。本当に知らない。「私は知らない」と私が言うとき、それは私が知ることを期待していることを意味しているのではありません。「私は本当に知らない」と言うとき、何が起こるのでしょう?私は梯子を降ります。私、精神、は完全に謙虚になるのです。さて、その「不知(知らない)の状態が英知(インテリジェンス)なのです。するとそれは既知の領域内で働き、もし望めば、どこか他の場所でも自在に働けるのです。」
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