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  • 継体持統㉖:有間vs斉明

    658年1月に左大臣巨勢徳太が薨去した。右大臣大伴長徳は孝徳天皇生前に他界しており、有間皇子は有力な後ろ盾を失った形だ。 日本書紀記載の経緯 658年10月に斉明天皇と中大兄皇子は有間皇子の勧めた紀伊温湯に行幸した。 11月に入って蘇我赤兄が斉明天皇の悪口を言って有間皇子をそそのかす。 有間皇子が謀反の相談を持ちかけたところで、蘇我赤兄は有間皇子を逮捕し紀伊温湯へ連行。 中大兄皇子は有間皇子を絞首刑にした。 日本書紀の歴史観 日本書紀は蘇我入鹿悪者歴史観に見られるように特定の人物を悪く書くことがある。 有間皇子事件で随分と卑怯者な描かれ方をしている蘇我赤兄もその被害者の一人で、日本書紀は壬申の…

  • 継体持統㉕:祭祀王と執政王

    日本書紀は孝徳朝の皇太子は中大兄皇子といいつつ、斉明紀では何の説明もなく中大兄皇子を差し置いて、斉明天皇が重祚している。 祭祀の皇極と執政の孝徳 乙巳の変に際し、皇極天皇は孝徳天皇に譲位したとされるが、孝徳天皇は執政権を得ただけで、皇極天皇から祭祀を引き継いではいない。 皇極天皇は祭祀王としての天皇位を手放していない。 というか、天皇位を手放すときは、死んで、後継者に殯をさせて位を移し、陵に葬られる必要がある。 孝徳天皇は律令国家という全く新しい国家の建設を目指していたのであって、祭祀旧俗には興味がなかったとみられる。乙巳の変で大極殿から逃げ切った皇極天皇を追うことはしなかった。 祭政分離 6…

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