23日夜、タイ陸軍はカンボジアのすべての国境において、車両及び外国人も含めた旅客の移動を禁止する措置について発表しました。 当ブログは「にほんブログ村」のランキングに参加中です。1日1回のクリックにご協力ください。
人生の半分以上をカンボジアで過ごし、セミリタイヤした今もカンボジアで暮らすおじさんの備忘録。 カンボジアについて、ふと興味を持ったことを書き記します。歴史、文化、食、流行などなど。
【カンボジア生活】住み良い街づくり、日本人会シエムリアプ支部の新たな取り組み
カンボジア日本人会シエムリアプ支部は、住み良い街づくりを目指し、日本の暴力団排除運動を踏襲したステッカーを作成し、1月30日から在留邦人への配布を始めました。 会員の皆様 この度シェムリアップ 支部では企業様や店舗様などに貼っていただける会員ステッカーを作成しました。必要な会員様には無料でお配りしておりますので是非お声がけください。 まだ会員でないという方でも在庫数に応じて対応可能ですのでご相談ください。 カンボジア日本人会シェムリアップ支部 jacamsr@gmail.com Posted by カンボジア日本
1月30日付でカンボジア政府から観光業の回復を目的として、新たな継続救済措置がガイドラインとして発表されました。主な内容は、以下の通りです。 ホテル、ゲストハウス、旅行業に関して、2023年3月まで、付加価値税(VAT)を除く全ての税金を免除するとともに、コロナ前の2019年までの税金の滞納等の負債の凍結を継続する。 当ブログは「にほんブログ村」のランキングに参加中です。1日1回のクリックにご協力ください。
【カンボジアニュース】シアヌークビルのジュリアナ東京で火事、2人死亡
カンボジアの大手メディアFresh News等によると、シアヌークビルにある日本風の名前をつけたJulie&AnnaTokyoという女性を斡旋するクラブで30日夜8時頃に火事が発生し、男性2人が死亡したとの報道です。シアヌークビル州警察のチュン・ナリン長官によると、2人は溶接工で火花が延焼をして火事になったとのことです。通常は営業中のはずですが、なぜ2人が夜に作業をしていたのかは不明です。事件当時は客も従業員も一切おらず、死亡した2人以外への被害はなく、オーナーによると店は全焼したとの事ですが、現場写真からは外観に異常は確認できません。 当ブログは「にほんブログ村」のランキン
シエムリアプのこだわりの土産はAndkow & Co.をオススメ
オールドマーケット近くのカンダールビレッジ。小さな裏通りですが、雰囲気のある個性的なお店が集まっているエリアです。カンボジアでものづくりブランドの立上げと職人の育成をしているシンくんのこだわりのお店がそこにあります。 私の愛用している革製のメガネ入れや財布、そして真鍮の家の看板?等は彼が作ってくれています。お土産を探すだけではなく、自分が長く使っていきたいこだわりのアイテムを探す、或いはオーダーメイドのお願いをするのに最適なお店だと思います。レザー製品や真鍮製品を全て自分でデザインし、手作りで製作しています。 我が家の名札?愛用のメガネケースお店のディスプレイもおしゃれ プノンペン
28、29日開催されていた臨時総会の終了後に発表された声明によると、人民党党首であるフン・セン首相が、今年7月の国民議会選挙の首相候補として再任され、長男のフン・マネット氏が、父親が引退した後の、党の将来の首相候補として選任されました。 声明によると、第6期国民議会の過去5年間において、 カンボジアにおいては平和と政治的安定が守られ、民主主義が社会に根付いたと自賛しています。またCOVID-19のパンデミックにも適切に対処し、昨年はアセアン首脳会議及びその関連会合において、大きな外交的成果を収めたとしています。会議は、今後5年間の5つの戦略的目標を設定しました。2030年には上位中所
プノンペンで3週末にわたって実施された日本映画祭は、昨日終了しました。来る週末2月3日〜5日はシエムリアプの2/3~5Major Cineplexでも開催されます。 初日の最初の上映作品、「そしてバトンは渡された」(2/3、17:00~)の上映開始にあたり、領事事務所の川口所長からのご挨拶も予定されています。今回の上映作品は、以下の8作品です。 2/3(金) 17:00 そして、バトンは渡された 20:00 一度死んでみた 2/4(土) 15:00 えんとつ町のプペル 17:20 ライアー×ライアー 20:00 死刑にいたる病 2/5(日) 15:00 ハケンアニメ! 17:4
【カンボジアニュース】パスポートの強さ、カンボジアは世界89位にランク上昇
世界各国のパスポートの強さをランク付けするヘンリーパスポートインデックス2023で、カンボジアは199カ国・地域中89位となり、前回調査の95位からランクが上昇しました。 同インデックスでは、各国・地域のパスポート保持者が事前にビザ(査証)を取得せずに短期滞在できる国・地域の数を計算して発表されます。カンボジアのパスポートがビザなしで短期入国を認められるのは、227カ国・地域中の54カ国・地域となっています。 世界トップは193カ国・地域にビザなしで渡航可能な日本です。2位はシンガポールでビザなしで渡航できるのは192カ国・地域です。 東南アジア各国のランキングは以下の通りです。
タイのムエタイとして世界的に有名なキックボクシングの一種ですが、ムエタイとコンクマエ、この2つのスポーツは基本的にほぼ同じものです。同種のスポーツは、ラオスやミャンマーにも存在しています。 ムエタイは世界的に認知されていますが、残念ながらコンクマエの認知度はまだまだ低く、タイはコンクマエは国際的な競技ではなく、SEA Gamesの競技名として認められないと非難しています。しかしながらカンボジアでは少なくとも2016年当時から国際連盟が存在しており、カンボジアだけではない国際的な競技でした。2019年には、11カ国が参加して第3回コンクマエ世界大会が開催されています。 第3回コンクマエ
2013年の日本とカンボジアの国交樹立60周年記念にあわせてアンコールワットでのコンサートでが企画されました。ソク・アン副首相をはじめ文化芸術大臣や情報大臣等のカンボジア政府高官隣席のもと、盛大なイベントが開催され、その後、Sofitelホテルではレセプションも開催されました。 Sofitelホテルでのレセプション。左から隈丸大使、ソク・アン副首相ら。アンコールワットでのイベント、会場の様子 10年後の今年は70周年です。カンボジア日本人会役員を中心とした有志では、日本カンボジア友好70周年文化交流事業実行委員会を立ち上げ、過去の経験を生かして、アンコールワットでのイベントの踏襲を含め
プノンペンの日本人町はどこかを調べている際に、古地図で偶然発見した第一次世界大戦の記念碑ですが、昨年フンセン首相が再建を発表したのは、以前記載した通りです。 1月25日にプノンペンのフランス大使館で開催された像の起工式にはチア・ソパラ副首相兼国土管理都市計画建設大臣とオリビエ・ベクー仏外務大臣付き大臣代表が参加しました。 この碑は第一次世界大戦中にフランスのために亡くなった 184 人のカンボジア人とフランス人に捧げる慰霊碑です。カンボジアは1914年から1918年の大戦当時フランスの保護
2022年12月20日に外務省は、海外在留邦人数調査統計の結果を発表しました。この統計は在外公館が2022年10月1日現在で、それぞれの管轄区域内に在留する邦人数を在留届ベースで推計したものです。 2022年のカンボジア在留邦人数は、世界29位の3363人となりました。前年度は世界27位の4502人でしたので、25.3%の大幅減少です。上位50カ国中でカンボジアはロシア、パラグアイに次いで世界3番目の大幅減少となり、その理由について注目されてます。 在外邦人の総数は130万8515人で、前年より3万6385人(約2.7%)の減少です。日本人のほぼ100人に1人が海外に在住しています
【カンボジアニュース】外務省カンボジア安全情報が本日内容更新
本日1月27日、カンボジアの危険情報について、危険レベル継続と共に内容の更新が行われました。新たに付け加えられた項目は以下の通りです。 ●カンボジアで好条件の仕事があるとして勧誘された外国人が監禁状態に置かれ不法行為に強制的に従事させられる事案が発生しています。就労のための渡航に際しては就労先の情報などを十分に確認してください。 本日、2023年1月27日付の内容は以下の通りです。 【危険レベル】 ●全土 レベル1:十分注意してください。(継続) 【ポイント】 ● 過去の内戦の時期等に国内に持ち込まれ、いまだ残存する一部の銃火器を使用した強盗事件が度々発生するなど、日本や他の東
カンボジア日本人会が設立されたのは、1991年の7月のことです。当時のマジョリティーはNGO関係者で、その他には国連職員、旅行会社、製材業者等が少数いて在留邦人は合計20人程度でした。当時はパイリンホテル1階のインターナショナルレストランが、日本人の集いの場所だったそうです。 その当時復活が計画されていた水祭りのボートレースに参加したいとの話が出て、またそれ以外にも行事をやろうと言う思いから、日本人会を設立する流れとなりました。世話役は日本国際ボランティアセンター(JVC)の馬さん、曹洞宗ボランティア会の手束さん、PITトラベルの谷川さんでした。バンコク駐在の報道関係者や商社の方にも
昨日26日、カンボジア内務省のキュー・ソペアック報道官は、入国管理局はシアヌークビルのホテルに20人の日本人が監禁されているとの通報を捜査したが、問題は見つからなかったとコメントしました。 報道官によると火曜日に、20 人の日本人がシアヌークビルのメアリービーチホテルに監禁されているという匿名の通報を受け取り、同日ホテルを捜査したところ、疑わしきものは何も見つからなかったそうです。現場では19人の日本人を見つけたが、問題は発見されず、彼らは普通に滞在していたとのこと。滞在を許可したが、現場の監視は続けているとも述べています。19人の日本人のグループが、何を目的に滞在してるかについては
1994年2月に初めてカンボジアに来た際、ポチェントン空港(現プノンペン空港)で取得したカンボジアのアライバルビザです。バンコクやホーチミンから1日数便だけが飛来していて、空港ターミナルは平屋の小さいものでした。2月26日入国で発行番号が11162。1日あたり200人程度しか到着ビザを発行していなかったことがわかります。1994年。
【カンボジアニュース】「ムエタイ」ではなく「コンクマエ」 タイと対立
世界的にはタイ伝統の格闘技「ムエタイ」として知られるスポーツの名称を巡って、カンボジアとタイが対立しています。カンボジアで5月に開催される東南アジア競技大会(SEA GAMES)で、カンボジアでの呼称「コン・クマエ」を競技名に採用することに反発し、タイはボイコットする方針を発表しました。 ムエタイはキックボクシングの源流とされる格闘技で、タイの国技に指定されています。一方、カンボジアは同国が発祥であるとして、東南アジア版のオリンピックのような同大会でコンクマエの名称を使うことを決定しています。 タイの宮廷舞踊も元はカンボジアのアプサラ舞踊、タイの文字はクメール文字を原型に簡略化した
シアヌーク殿下の日本人移民計画の一部であった、幻のキリロム高原都市計画。関係資料を入手しましたので、こちらについても書いていきたいと思いますが、まずは写真を数枚ご紹介します。 資料によりますと、調査団は1956年3月16日から4月15日までの1ヵ月間カンボジアに滞在し、日本大使館との接点としては、3月16日には吉岡大使主催のレセプション、19日には調査団と大使の打ち合わせがありました。また興味深いのは27日には植村使節レセプションが吉岡大使公邸において開かれたとされています。 この植村氏が何者であるかというのは、前年シアヌーク首相(当時)が国賓として訪日した際に撮影された写真からわ
農村地帯の小さな市場です。当時ののどかな空気感が伝わってきます。場所不明。1994年。 当ブログは「にほんブログ村」のランキングに参加中です。1日1回のクリックにご協力ください。
開発前のバンカック埋立地です。既に街は拡大しつつあり、ツールコック一帯から中心部へのバイパス道路として利用されていました。まだまだ交通マナーが浸透していなかった様子が窺えます。2014年。 当ブログは「にほんブログ村」のランキングに参加中です。1日1回のクリックにご協力ください。
外務省賓客として1月21日から24日にかけて訪日したプラック・ソコン・カンボジア王国副首相兼外務国際協力大臣は、1月24日18時30分から約45分間、林芳正外務大臣と会談を行い、その後に夕食会が開催されました。 ソコン副首相と林外相 林大臣は、日本カンボジア外交関係樹立70周年及び日ASEAN友好協力50周年という記念すべき年の訪日、並びに両国関係の「包括的戦略的パートナーシップ」への格上げを歓迎する旨述べ、二国間関係の強化や地域・国際情勢への対応での連携を一層強化させていきたい旨発言しました。 これに対し、プラック・ソコン副首相は、今回の日本側の招待及びもてなしに謝意を表明するとと
プノンペン空港の入口の目の前にあった、韓国料理店「独島」の写真です。隣にはマルハングループの看板が見えます。広告を出す前に気づかなかったのか不思議です。2014年。
カンボジアの政権与党であるカンボジア人民党は、1月28日と29日に特別総会を開催予定です。来る総選挙に向け国民議会議員候補の選出や、選挙後の新内閣人事も注目されます。 両日ともに午前7時から開催予定で、午前5時から総会の終了まで周辺道路が封鎖されます。 総会の日程は、午前6時から12時までと、午後2時30分から6時までが予定されています。 プノンペン都からの通達 当ブログは「にほんブログ村」のランキングに参加中です。1日1回のクリックにご協力ください。
インドネシア等で300人を超える死者が出ている咳止めシロップ問題ですが、インドのMarion Biotech PVT. Ltd製品が含まれるようです。 また、Quramax (Cambodia) Limited. がカンボジアに輸入したAmbronol SyrupのロットナンバーAAS2203がリコールされたとの未確認情報があります。 当ブログは「にほんブログ村」のランキングに参加中です。1日1回のクリックにご協力ください。
新生カンボジア王国の設立当初、プノンペン都内中心部オルセイ市場付近での検問の様子です。クメールルージュのスパイが入り込んでいないか、街の各所に検問がありました。夜間には賄賂を請求する違法検問も多くありました。年配のカンボジア人の判断には、こういった時代の経験も影響しているのかもしれません。1994年。
【カンボジアニュース】咳止めシロップで死亡多発、カンボジアでも注意
各国の報道やWHO発表によると、インドネシアやウズベキスタン、アフリカ諸国などで、咳止めシロップを飲んだ子供が、昨年8月以来少なくとも300人以上死亡している模様です。 昨日(1月23日)のWHO発表によると、有毒で急性腎障害につながる恐れのあるジエチレングリコールなどが許容量を超えて検出されています。いずれも不凍液などに使われ、「少量でも致命的で、医薬品に含まれるべきでない」安価な化学物質が大量に含まれていたようです。 いずれの医薬品製造会社も、その嫌疑を否定していますが、少なくともそのうちの一部はインド製だったとみられており、 それらの医薬品が流通している可能性のある国の1つと
空き缶や銅線などの資源ゴミを回収する親子です。プノンペン中心部にも、まだスラム化しているエリアが複数ありました。皆が貧しかった時代が終わり、この頃から貧富の格差が顕在化してきたように思います。2005年頃。 当ブログは「にほんブログ村」のランキングに参加中です。1日1回のクリックにご協力ください。
プノンペンの通称日本橋、正式には日本カンボジア友好橋です。1枚目の写真右奥がプノンペン中心部です。高層ビルはまだ1つも見えません。日本の無償援助で修復するときに歩道に休息スペースが作られました。平和になって、橋の途中で景色を愛でれますようにとの思いを込めたものだったと聞いていますが、その後潰され、警備小屋が作られてしまいました。今はどうなっているのでしょうか。 あれから四半世紀が経ち、交通量も増えて、隣にはもう一つ、中国の支援による中国カンボジア友好橋が並んでいます。 2枚目写真は、若い頃の著者も映っていて恐縮ですが、その奥には、当時流行っていた船上ディスコが複数見えます。まだまだ土
先日、南野陽子さんが親善大使に任命され、今年1年日本においてカンボジアを多くの方に知っていただくことが期待されます。 実は、外務大臣から委嘱された親善大使は、過去にもう1人いました。2011年に任命された向井理さんです。テレビ番組の「ウルルン滞在記」でのホームステイを2回も行ったり、映画「僕たちは世界を変えることができない」や蜷川実花さん撮影の写真集「月刊向井理」など、当時とてもカンボジアとのご縁が深い俳優でした。 2007年と2011年、ウルルン滞在記でカンボジアに2回長期ホームステイしています。この大ヒット映画、今では4人ともに主役級ですね 向井さんの親善大使任命には私も深く関
【日本とカンボジア】ウクライナ向け地雷除去訓練を協力して支援
1月20日に谷内臨時代理大使は、地雷除去活動を視察し、ウクライナの将校に対する地雷除去技術訓練の閉会式に出席しました。 日本政府は昨年11月の岸田総理とフンセン首相の発表の通り、ウクライナの復興に両国が協力して貢献することを発表しており、その一環として日本が支援しているカンボジア地雷対策センター(CMAC)と協力してウクライナの地雷除去活動を支援しています。 谷内公使は、日本の支援により、カンボジアとウクライナの地雷犠牲者が一日も早くなくなることを希望すると述べています。
シアヌーク国王が監督・主演の映画「ボコールの薔薇」についての考察
1969年に当時のシアヌーク殿下によって制作されたボコールの薔薇という映画があります。殿下自身が監督し、そして主人公の長谷川大佐を演じました。恋に落ちるヒロイン役は、モニク王妃です。 ボコールの薔薇のタイトル画面 中国韓国を始めとしてアジア各国で製作された、第二次世界大戦当時を描いた映画では、極悪非道な日本人がよく登場します。自身でメガホンを持ち、日本軍の大佐の役を演じても日本を悪し様に表現しなかったシアヌーク殿下の想いはどこにあったのでしょうか。 2000年に小渕総理がカンボジアに来られた際には、シアヌーク国王主催の晩餐会での小渕総理の挨拶でも、この映画について触れられています。
【日本とカンボジア】林外務大臣から南野陽子さんに親善大使委嘱
何度も投稿していますが、今年は日本カンボジアの国交樹立70周年を記念して「日本カンボジア友好70周年」です。 9日に在カンボジア日本国大使公邸において開催された式典において発表されておりましたが、18日に外務省において林芳正外務大臣は、日本とカンボジアとの間の交流を一層促進することを目的として、歌手・女優として活躍する南野陽子さんに対し、親善大使を委嘱しました。 南野陽子さんのコメント: 「私は1989年と2013年にカンボジアを訪問し、それ以来ずっとカンボジアに特別な想いを抱いてきました。私にとって特別な国カンボジアと日本の友好70周年の年に親善大使を務められることを嬉しく思い
先に書いた、ベトナム航空での阿波丸表記についての投稿には、いろいろな方からのご意見をいただきました。その後、2000人を超える民間人が犠牲になった所謂阿波丸事件にもカンボジアとの関連があったことがわかったので、こちらでご紹介します。 この写真は、太平洋戦争末期に阿波丸の船上で撮影されたものです。写っているのは北京大使館からプノンペン領事館に転勤で、サイゴンまで乗船していた外交官の三宅一郎さんです。 1945年の2月17日に門司を出航した阿波丸は、南方地域で日本の捕虜になっている連合国兵士への支援物資を満載しており、その安全が保障されていました。実際に九州を離れてすぐに、敵の潜水艦が
【日本とカンボジア】白菜の別名はボコー菜なのは何故か、日本との知られざるつながり
スペイ(菜)ソー(白)のことを、スペイ(菜)ボコーとも呼ぶのは何故か。そこには日本人が関係していました。 熱帯高原農業の専門家だった磯村勝さんは、1957年にコロンボ計画でボコー(ル)のシアヌーク殿下の農場に招かれました。1961年にコロンボ計画は打ち切られましたが、磯村さんは帰国せずに、東京農業大学で勉強中の息子勉さんを呼びよせ、シアヌーク殿下が提供したボコール高原の約10ヘクタールの森林を開墾し、トマトやメロンなどを含む様々な野菜や果物の栽培を始めます。 開拓後間もない磯村農場を訪れ握手を交わすシアヌーク殿下。1962年頃。 その数年前の1955年に国賓として日本を訪問し、独立後
第二次世界大戦において、プノンペンが日本軍による空爆を受け被害者が出たとの伝承を聞き、怪訝に思っていました。昨年2022年5月には、王宮やソカーホテルの付近の水中から、その当時の不発弾が見つかっています。 2022年に発見されたAN-M66爆弾 以前投稿した内容の通り、日本軍の南部仏印進駐は武力衝突なく平和裡に行われました。1945年の明号作戦においては、仏印駐屯のフランス軍との交戦もありましたが、日本軍による空爆は行われていません。 どのような時期や状況で空爆が行われたのかを調べてみたところ、ヴィシー政権が崩壊し、シアヌーク国王が独立を宣言した後の1945年に、イギリス軍が爆撃をし
収集したプノンペンの地図資料を使って田中久一中将が「日本人町之跡」の碑を建立した運河跡について考証してみたいと思います。 第21師団長、田中久一中将1931年のプノンペン地図にはまだ水運と連携しているはずの鉄道駅は無いが、運河は既に存在しています。この運河の埋め立てた跡地に田中中将が碑を建立しています。これは17世紀の日本によく見られた堀割で、湿地を盛り土して洪水を防ぎ、水運により物流を強化し、日本人が異国で生きていくため住みやすい環境へと整えたのではないかとの仮説を立ててみました。1928年の地図にも運河は存在します。それどころか、後に鉄道駅ができる場所から北に向けてさらに運河が延伸
1942年前後、プノンペンには日本人町之跡の碑がありました。田中久一中将の名前が確認できます。 そのほぼ同じ場所で撮影したと推測される1890年頃の写真が見つかりました。運河は鉄道駅を作った際に掘ったのか、あるいはもっと昔からあったのでしょうか。もしかすると17世紀に日本人が堀って、ここが日本人町だった可能性もあるのかもしれません。 当ブログは「にほんブログ村」のランキングに参加中です。1日1回のクリックにご協力ください。
昨年脳卒中を患った後に、療養していた宿の中庭で出会った鳥がサイチョウ、その時に撮影した写真です。体長1メートル前後ある大きな鳥で、準絶滅危惧種に認定されています。この鳥のカンボジア名はケンコン。昔はこの鳥が生息していたから、沼(バン)の名前になって、埋め立てられた後も、今では日本人も多く居住するプノンペン都中心部の地名(バンケンコン)として残ったと言われています。 昨日ワットプノムの近くでこの鳥が10匹以上と大量に飛び交っているのを見て、ふと思い出しました。この鳥はここ数年、大都会となったプノンペンに多く飛来しており、地元民がSNS等で多く投稿していますが、都会への飛来或いは生息がだ
メコン川ではなく日本川?(カンボジアの日本人町はどこにあったか2 )
プノンペンにあった日本人町之跡の碑 第1回で掲載した写真の全体像です。撮影場所はサップ川沿い、後世フランス人が鉄道駅まで運河を掘った道路沿いの公園に見えます。その根拠については不明です。運河を掘った時期についてはまだ調べていませんが、もしかすると鉄道とは関係なく17世紀に日本人が運河を掘っていた可能性もあるのかもしれません。 日本は江戸時代の鎖国に入ったため、資料がほとんど残っていませんが、オランダなどヨーロッパ諸国はカンボジアを含む東南アジア一帯でも活発な貿易活動を続けていました。日本も長崎の出島でオランダとの交易を続けていましたが、そういった商船がここカンボジアにも寄港した記録が
日本軍の南部仏印への進駐直後の記録写真を入手したので紹介します。 1941年9月29日、日本軍の南部仏印進駐後のカンボジア。 左から小林歩兵団長、飯田祥二郎第25軍司令官、西村琢磨近衛師団長。飯田は前近衛師団長であり、開戦を想定した演習を視察するために、カンボジアに。メコン川のジャングルを抜け、カンボジアに物資を運ぶ近衛輜重兵連隊。近衛第5と偵察連隊はカンボジアへ駐屯した。1941年9月9 日プノンペンに進駐していた近衛第五連隊。この写真の撮影時期や場所については不確定だが、おそらく1941年9月頃のプノンペンではないかと推測される。その後12月にはタイ進出、そして開戦と共
【カンボジア生活】ひと房だけ髪を残して坊主な子供たち。その理由。
カンボジアで見かける、髪をひと房だけ残して残りが坊主の子供たち。最近では都会だけでなく、農村でも見かけることが少なくなったような気がします。なぜこのような風習があるのか、まとめてみました。 選択肢の少ない中でのおしゃれ。 子供がひと房、あるいは2房残していた髪束のことを、チュク或いはコムパオイと呼びます。最近はこのような髪型の女の子を見かける事はなくなりましたが、伝統的には男女を問わず行われていた風習です。男の子も今では偶に見ることがあっても小学校入学前の小さい子供だけで、あまり大きな子供は見かけることがほとんどありません。伝統としては3歳頃から始め、11歳や13歳で髪束を剃り落とすま
日本で飲んだ後の〆と言えば、ラーメンなどが思い浮かびますが、カンボジアではお粥を食べることが多いです。そんな時、プノンペンでお勧めの店をご紹介します。 実はモニボン通り沿いに昔なじみの店があったのですが、最近は客層が変わって雰囲気が悪くなり値段も高騰、あまり好ましくない状況です。今回は原点に返り、若い頃よく利用していた、お粥を含めた屋台街があったカンプチアクロム通り沿いにある、昔ながらの老舗店ソク・リムをご紹介します。店構えは立派になりましたが、外国語が飛び交うこともなく、今でも落ち着いた雰囲気です。 白いお粥は、特筆すべきことがないので、カンボジアならではの白粥のトッピングをご紹
カンボジア全土における今後3日間の降水量予測です。ここ数日、季節外れの雨が続いていますが、あと数日我慢が続くようです。
日本カンボジア友好70周年の親善大使が南野陽子さんになることが発表されました。 日本カンボジア友好70周年のテーマソングでもある、南野陽子さんが歌う「明日への虹」をご紹介します。 「明日への虹」 https://www.facebook.com/JapanEmbassyCambodia/videos/480200256843446/ 1989年に日本テレビの「24時間テレビ-愛は地球を救う」のメインパーソナリティでカンボジアを訪問したときの映像も使われています。その際に孤児院で出会った女の子達とは、2013年に同じく日本テレビの「アナザースカイ」でカンボジアを再訪し、再会してい
再開されたタイ入国時規制について、日本からの渡航者には免除との新たな通達
9日から再開されたタイ入国時規制について、当局から航空会社に対して新たな通達が出た模様です。「日本からタイ」に移動する場合、ワクチン接種証明や保険の義務的加入は必要ありません。通常通りに渡航し入国できます。 最新情報については、利用される国を会社にご確認ください。 (トランジットでタイに入国しない場合は、出発国に関係なく必要ありません。)
【昔のカンボジア】22 プノンペンの日本カンボジア友好橋(1994年)
プノンペンの日本カンボジア友好橋です。写真右奥がプノンペン中心部ですが、高層ビルは1つも見えません。カンボジアの戦後賠償の放棄を受けて、日本が支援したプロジェクトの1つです。内戦により壊れていた橋を、1990年代に日本の無償援助で修復しました。その際に、平和になったカンボジアで橋の上からのんびり街を眺めてほしいとの思いから、休息スペースがデザインされました。残念ながらその後潰され、警備小屋が作られてしまいました。そして今は…。1994年。 当ブログは「にほんブログ村」のランキングに参加中です。1日1回のクリックにご協力ください。
1月9日午後、日本大使公邸において、日本カンボジア友好70周年の開幕式がとり行われました。 谷内臨時代理大使と、キムタ―外務次官の挨拶の後は、岸田総理とフンセン首相、また林外相とプラック・ソコン副首相兼外務国際協力相の間で、祝辞が交換されました。 キムター外務次官の挨拶谷内臨時代理大使の挨拶谷内臨時代理大使と、キムタ―外務次官による岸田総理とフンセン首相の祝辞の交換 また70周年にあたっての親善大使は、日本側は南野陽子さん、カンボジア側はローラ・マムさんであることが公式に発表されました。南野洋子さんは、残念ながら式典には参加できませんでしたが、ビデオメッセージが届けられました。198
国交樹立70周年記念の公式ロゴ どのタイミングで外交関係樹立か諸説ありますが、日本政府としては1953年1月9日が日本とカンボジアの外交関係が樹立された日とされています。今日でちょうど70年になります。 歴史を紐解いてみますと、太平洋戦争末期の1945年3月には、明号作戦により帝国陸軍の歩兵第二師団がフランス軍の武装解除にあたり、12日にはシアヌーク国王がフランスからのカンプチア王国の独立を宣言しています。新政府においては久保田総領事が国王顧問になる等、当時の日本政府も協力していた事実が確認できます。翌13日には勅令第5号でグレゴリオ暦からカンボジア暦(仏暦)への復帰、14日には勅
タイ航空当局から各航空会社に通知された内容は以下の通りです。1月9日(月)以降タイへの入国を予定されている方は、ご注意ください。必要に応じて、搭乗予定の航空会社のホームページ等をご確認ください。航空機乗り継ぎのみで、タイに入国しない乗客は、ワクチン証明や保険は必要ありません。 タイに渡航する乗客への入国時の必要事項 1. 新型コロナワクチンに関する書類 18歳以上の乗客は、以下のいずれかを提示する必要がある。 -新型コロナワクチン接種完了証明 -新型コロナ感染から回復して6か月 (180日)以内であ
アンコールワットより地元参拝客の多い祠とカンボジアの数奇な物語
外国人観光客が訪れる事はほとんどありませんが、アンコールワット入口のヴィシュヌ神と並んで、シエムリアプで最も信仰されているのがプレア・アンチェーク、プレア・アンチョム祠です。シエムリアプの中心部、王宮の斜め前にその祠はあります。 これからちょっと長旅になりそうなので、私も今日参拝して旅の安全を祈願してきました。 この2体の像には数奇な物語がありますので、こちらでご紹介します。 プレア・アンチェーク、プレア・アンチョムの姉妹は、捧げものをする人々の祈りに応えてくれると信じられています。この2人は、アンコールワットを建立したスーリヤヴァルマン 2 世の
1月7日に、シエムリアプ市で賀詞交換会が開催されました。 有志の皆さんのご協力でこんな素晴らしいお節も食べれました。ご提供いただいたワンダーズのフライドチキンと大のチーズハムカツが美味しくて、エンドレスに飲み過ぎました。 様々な場所で活躍している日本人の方が旧交を温め、また新しい出会いの場となりました。
【昔のカンボジア】21 シアヌーク国王の車列を待つ群衆(1994年)
日本のODAで修復したプノンペン港での式典に臨席する、シアヌーク国王の車列を待つ群衆。写真左側の塀の中が港です。待ち受ける中には、北朝鮮から派遣された警護官の姿もあります。 現在は中国の支援でプノンペン郊外のメコン下流に新港が作られ、この旧港の敷地は中国企業によって多数の高層ビルが建設されることになっています。1994年。
アンコール遺跡群のタプロム遺跡です。ポル・ポト派のゲリラ活動に備え、遺跡の中には武装して警備する兵士がいました。東洋のモナリザとして有名なバンテイスレイ遺跡には、まだ警備の部隊を手配しないと訪ねることができず、シエムリアプの街中でも、夜には砲声が聞こえる時代でした。1994年。 当ブログは「にほんブログ村」のランキングに参加中です。クリックにご協力ください。
【昔のカンボジア】19 第一次政権退任後の安倍総理カンボジア訪問(2008年3月)
フンセン首相の長男への首相世襲批判に対して、首相の口から日本での先例として名前を出された安倍総理。最初の首相退陣から数ヶ月後、2008年3月の退任後初の外遊は議連の議員を引き連れてのカンボジア訪問でした。 政治的にまだ健在であるとアピールしたい事務所からの働きかけもあり、何とかメディアへの露出を図ったのも良い思い出です。まさかその後、2度目の総理となり、このような長期政権を担うことになるとは想像もしませんでした。 大使公邸においてお時間を頂戴し、インタビューもさせていただきましたが、総理大臣の重責から離れた気楽さからか、北朝鮮情勢など様々な面白いお話を伺いました。そういった発言の前
UNTAC国連暫定統治下の初回総選挙で、新生カンボジア王国が誕生してから4年、人民党が連立与党だったフンシンペックを排除した7月事変から1年。国民議会選挙での野党支援の選挙ラリーです。現在の選挙運動の原型が窺えます。1998年。 当ブログは「にほんブログ村」のランキングに参加中です。クリックにご協力ください。
航空会社によっては、フライトマップの「日本海」表記を自粛することもあったりするご時世のようですが、ベトナム航空は、驚くべき表記をしていました。日本人としてはありがたいお話です。 成田からホーチミンに向かう飛行機に搭乗中に気づきました。ベトナム航空のフライトマップでは台北すら表記してないのに、台湾沖合でアメリカにより撃沈された阿波丸1945年の表記があります。 ベトナム航空のフライトマップ 日米間の協定で安全航行を保障されていた非武装、緑十字の阿波丸は、太平洋戦争中の1945年4月1日にシンガポールから日本へ向けて航行中、アメリカ海軍の潜水艦クイーンフィッシュの雷撃により撃沈され、民間
アンコールワットには、17世紀初頭に訪れた日本人の墨書が少なくとも14箇所確認されています。その墨書を見てきました。鎖国前の朱印船貿易で栄えたこの時代、プノンペンとピニャールー(当時の王都ウドンの近郊の港)には、日本人町が存在しました。 墨書に書かれた内容からは、肥後、京都、大坂、堺などから、武士商人を問わず、単独だけでなく団体や夫婦で多くの日本人が、ここを祇園精舎と信じて参拝していたことがわかります。 最も有名なのが、十字回廊の柱に残された森本右近大夫の墨書です。ポルポト時代に汚損されたとも言われており、現在は判読ができなくなっています。ただ1994年に初めてカンボジアを訪れた私
【カンボジアと日本】日本人町はどこにあったのか。これは証拠写真?
17世紀のカンボジアには、プノンペンとピニャールーの2カ所に日本人町があったと言われています。具体的にどこなのか長年調べていましたが、新たな資料が手に入りました。仏印進駐をした日本軍が1942年頃に建立した碑です。この写真撮影場所は判ったのですが、本当にここなのかどうか、或いは適当な場所に立てたのかの判断が難しいところです。 当ブログは「にほんブログ村」のランキングに参加中です。クリックにご協力ください。
数ヶ月前より、アンコール遺跡群での違法建築の撤去が進んでいます。遺跡の内部だけではなく、広範囲が対象です。チア・ソパラ副首相(兼国土整備・都市化・建設大臣)が陣頭指揮をとっての住民説明会等の動きも見られました。 退去対象の土地。緑は既に退去に同意。 遺跡の保護のためには仕方のないことなのかもしれませんが、数十年もしくは数百年にわたって生活してきた人々が引っ越しを余儀なくされるのは、残念でもあります。 のどかだったアンコール遺跡群では、すぐ側に村人の生活があったり、今は禁止されている物売りの子供がいること自体が風景の一部でしたが、これも時代の変化なのでしょう。 土産物売りの子供たち、タケ
昨年、中国企業によりシアヌークビルへの高速道路が開通し、カンボジア初の高速道路と認識されている方も多いと思います。実は「高速道路(highway)」と名付けられたカンボジア最初の道路は、1959年に開通していました。 開通直後、1960年頃のクメール・アメリカ友好高速道路の様子開通直後、1960年頃のクメール・アメリカ友好高速道路の様子 今回の中国企業と同じく、首都プノンペンからシアヌークビルまでの道路がアメリカの支援で開通し、「クメール・アメリカ友好高速道路」と名付けられています。国連暫定統治により新生カンボジア王国となった後には、アメリカの支援により再整備され国道4号線となり、交通
新年早々、連日アンコールワットを訪れています。様々な伝承や学説を拝聴しつつ、自分の考えも取り入れて、現在企画中の番組で今までにない表現ができないか、苦慮しています。 アンコールワットに2300体程度あると言われる天女の彫刻をコンプリートすべく徘徊しています。その一部は天女ではなく、当時の王様に仕えた女官とも言われています。 こちらのお腹の線は実在した女官をモチーフにした、太っている表現か或いは妊娠線なのではないかと思えてきて、どこかに先人の学説は無いでしょうか…。 当ブログは「にほんブログ村」のランキングに参加中です。クリックにご協力ください。
【日本とカンボジア】プノンペンに領事館開設、南部仏印に日本軍進駐、そしてアメリカの対日制裁(1942年)
1942年6月16日に、仏領インドシナのプノンペンに日本領事館が開設されました。日本軍がビシー政権下の南部仏印に進駐を開始するのは、この後すぐ後の7月28日でした。進駐を前提としての動きと考えられます。この当時外務大臣は豊田貞次郎 だったはずですが、この年の10月に外務大臣を引き継ぐ東郷茂徳の名前が記されているのが不思議です。 外務省報第494号(昭和17年7月1日)/省令 この南部仏印進駐の直前7月25日、ワシントンでは野村大使とルーズヴェルト大統領の間で会談が行なわれていました。アメリカは仏領インドシンナをイギリス、オランダ、中国、日本、アメリカによって「中立化」させる
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23日夜、タイ陸軍はカンボジアのすべての国境において、車両及び外国人も含めた旅客の移動を禁止する措置について発表しました。 当ブログは「にほんブログ村」のランキングに参加中です。1日1回のクリックにご協力ください。
はじめに 6月20日、元赤シャツ運動リーダーで反タクシン派に転向したジャトゥポン・プロムパン氏らは、「大規模な反政府デモが6月28日午後4時に戦勝記念塔で予定されている」と発表しました。 このニュースを見て感じたのは、戦勝記念塔をデモの象徴的な場所として利用する事により、カンボジア国民や政府への挑発と捉えられるのではないかとの危惧でした。バンコクにある戦勝記念塔は1941年のタイ・仏領インドシナ紛争での勝利を記念して建設されたものです。その歴史的背景について記してみます。 タイ・バンコクの戦勝記念塔タイ・バンコクの戦勝記念塔 現在のカンボジア・タイ国境の概略 近世に入り、カンボジ
昨日21日午後、タイ軍はカンボジアに対する強硬な言動で知られる第2軍管区司令官のブンシン・パグドラン将軍の署名で通達(写真①)を出し、「タイの主権と領土を守り、タイ国民の生命と財産の安全を維持し、国境地域での任務の適切性とタイの安全を確保するため」としてブリラム県バンクルアット郡チャンタブリー地区チョンサイタクーの国境を閉鎖しました。 写真① カンボジア側はこれを受け、カンボジア側のジュプコウキー検問(オドーメンチェイ州バンテイ・アンピル郡アンピル集合村ジュプコウキー・レック村)を閉鎖することを決定しました。更にカンボジア側は、オドーメンチェイ州アンロンベン郡トラペアンプライ集合村のチ
与党人民党のフン・セン党首は、昨日20日深夜に自身のSNSを通じて、タイの野党がカンボジアへの石油販売を禁止する提案をしたと批判した上で、タイが国境での規制を撤廃しない場合、対抗措置としてタイからの輸入規制を拡大することを示唆しました。対象としては、具体的にアルコール飲料とエナジードリンク、缶詰製品が挙げられています。 以下、フン・セン上院議長の発信全文です。 --- 自滅につながる危険なゲームです! 本日、タイの野党は、カンボジアを屈服させようと、タイ政府に対しカンボジアへの石油販売を停止するよう提案しました。これに対し、私たちはタイから石油を輸入しないからといってカンボジアが崩
タイの政治危機が深刻化する中、タイ陸軍は昨晩午後9時頃、Facebookページで不可解な声明を発表しました。以下全文です。 「いかなる状況であろうとも…陸軍は立ち上がる準備ができています。主権を全力で守ります。 # 兵士は主権を守るために存在します」 コメント欄には、カンボジアに対する強硬な言動を繰り返している、第2軍管区司令官に賛同する声が溢れています。この投稿は今朝までに1.5万回シェアされ、11.5万のいいねがついています。 昨晩、タイ陸軍がFacebookアカウントで発表した声明第2軍管区司令官を賛美する声で溢れているコメント欄第2軍管区司令官を賛美する声で溢れているコメン
6月18日、国境情勢が緊迫する中、カンボジアのフン・セン上院議長とタイのペートンタン首相の電話会談の音声が流出しました。 ペートンタン首相はフン・セン議長に対し、タイ軍の政府への不服従を含む、タイ政府が現在直面している国内からの圧力を「理解」するよう3度にわたり求め、さらには国境検問の調整を独断的に決定したタイ陸軍第2軍管区ブンシン司令官を「狂人」「タイ政府の敵」と非難しています。ペートンタン首相はフン・セン議長を「おじさん」と呼び、自身の困難を理解し両国間の現状緩和に協力するよう繰り返し求めています。また、タイ国内で反政府感情が高まっていると説明し、タイ外務省が電力とインターネット
バンテイイ・メンチェイ州のオム・ラタイ知事は、「タイ軍がタイ国民に対し、ポイペト国際国境を通ってカンボジアに日常業務目的で入国することを禁止する追加措置を課した」と発表しました。 タイ大手紙カオソッドの報道によると、タイ軍ブラパ部隊は、サケオ県のすべての検問所において、本日朝8時以降、ポイペトのカジノで働くために国境を越えるタイ人に対する厳格な措置を強化すると決定しました。ブラパ部隊は、国境沿いの治安対策を強化するため、常設及び臨時国境検問所の管理措置についてサケオ県入国管理局長に書簡を送付し、ポイペト市のカジノおよびあらゆる娯楽施設で働くタイ人従業員が、サケオ県のすべての検問所から
フン・セン上院議長は今朝9時半から、国境問題に関しての特別メッセージを発表しました。今日中に国境が開放されなければ、明日からカンボジアはタイとの国境をすべて閉鎖すると警告しています。 詳細は確認できていませんが、これは貨物に限っての話と思われます。また演説中のコメントからは、実際には果物や野菜など品目を限定しての対応となる可能性も否定できません。 議長はこの措置について、本来は今日までにすべての国境を閉鎖するはずだったが、マネット首相との電話会談においてタイ首相が懇願したため、期限を延期していたとの交渉の経緯を暴露しました。 また、議長は、「タイ当局が以前のように午前6時から午後
プノンペンで合同国境委員会が開催される数時間前、国境地域を管轄するタイ第2軍管区司令官のブンシン・パドクラン中将は、チュラチョームクラオ王立陸軍士官学校で「3つの石造寺院とチョンボク」をテーマに特別講義し、タイが国際司法裁判所(ICJ)に提訴することは決してないと述べました。「ICJが事件を審理するには双方の合意で、一方がICJの管轄権を受け入れない場合、裁判所は事件を審理できません。だから、ICJを心配する必要はありません。私はすでに政府にICJに行く必要はないと伝えました。関係ありません。」と発言しています。また、「この土地はずっと前から我々のものでした。もし彼らがそれを欲しがるな
本日13日、パエトンターン・シナワット首相は「カンボジアはタイ政府が間もなく電力供給とインターネットを遮断すると誤解していたが、それは事実ではない」と述べ、外務省に対しカンボジア側にこの件を説明するよう指示しました。 その数時間後に、アヌティン・チャーンウィラクン副首相兼内務大臣が「関係治安機関の勧告次第でカンボジア国境地域への電力供給を停止する用意がある。カンボジアの6つの措置はタイ国民に影響を与えない」と発言しており、タイ政府内の足並みが揃っていない様子が窺えます。 労働者問題でも両国の動きがありました。タイのピパット・ラチャキットプラカーン労働大臣は本日13日「カンボジア政府
本日13日午前、カンボジア当局はバッタンバン州カムリエン郡のドーン国際国境が突然閉鎖され、その後内務省国家警察出入国総局から、閉鎖についての発表がありました。 13日朝、ドーン国境が閉鎖する様子出入国総局からの発表 その後本日13日13時にフン・セン上院議長が、当該国境の閉鎖を支持するコメントを発出しています。コメント全文は、以下の通り。 --- 私は、バッタンバン州にあるカンボジア・タイ国境検問所を閉鎖するというカンボジア政府の動きを支持します。タイは毎日何百台ものトラックでベトナムに果物を輸送していますが、カンボジアが国境を閉鎖したため、現在国境は渋滞しています。農産物を生産してい
本日13日朝に発表された、与党カンボジア人民党のフン・セン党首の発言全文は以下の通りです。 --- 昨晩、私はメッセージを発し、今朝、与党党首として再びカンボジア政府に演説いたします。 タイ側が一方的に閉鎖した国境検問所の再開を拒否した場合、カンボジアは以下の措置を講じなければなりません。 1. カンボジア市場へのタイ製品の輸入停止を発表する。これは、タイ製品の使用を中止し、国内製品またはタイ以外の国からの製品に置き換えることを意味する。 2. カンボジア国民がかつてタイに輸出していた製品(主に農産物)の購入準備を整え、国内外で積極的に市場開拓を行う。 3. 以前タイで治療を
本日12日深夜、カンボジア上院議長のフン・セン氏は自身のソーシャルネットワークのアカウントを通じて、カンボジア政府に対しタイドラマの放送停止とタイ製品のカンボジアへの輸入停止を検討するよう提案しました。 上院議長は投稿の中で「戦争を願う軍閥に支援されたタイの過激派グループが、カンボジアの電力とインターネットを遮断すると脅迫してきた。しかし、カンボジアはタイの電力にさえ依存していない。また、カンボジアには既に十分なインターネットアクセスがあるのに、一体何を遮断するというのだろうか」と述べています。 また「私は、ある地域における軍事的緊張が他の地域や異なる分野に波及すべきではないと一貫
タイ政府がカンボジアへの電力とインターネットの供給を遮断することを検討しているとの動きを受け、本日12日夜にマネット首相は自身のSNSアカウントを通じて「タイ側が供給を停止するかどうか、またいつ停止するかの判断に遅延や困難を生じさせないよう、カンボジアは自国の電力とインターネットの供給を確保することを決定した」と発表しました。 その投稿によると「チア・ヴァンディット郵政電気通信大臣は、カンボジアには十分なインターネットサービスを提供できる能力があるため、本日深夜0時以降、カンボジアのすべての光ファイバーネットワーク会社およびインターネット事業者は、タイからのインターネット帯域の購入を
本日11日、警察庁組織犯罪対策部長の江口有隣警視監らの代表団はカンボジア国家警察本部にディ・ヴィチア国家警察副長官を表敬し、サイバー犯罪対策における協力について協議し、情報交換を行いました。 先月5月30日、実務訪問賓客として訪日したフン・マネット首相は石破総理と首脳会談を行い、特殊詐欺を含む越境犯罪への対応において、警察当局間の協力を強化していくことが合意されています。 また、訪日直前の5月27日には、タイ国境のポイペトで特殊詐欺拠点が摘発され、日本人29人が拘束されています。これは今年1月に、警察庁から情報を受けた日本大使館から、カンボジア当局に要請されていた事案の一つです。
暴力団員であることを隠して、反社組織の宿泊を禁止しているホテルと不正に利用契約を締結し施設を使用した詐欺容疑などで、警視庁暴力団対策課は9日、指定暴力団住吉会系「二代目武州伊勢野一家」総長の田島和幸容疑者(53)=埼玉県草加市、別の2次団体幹部の松木秀美容疑者(62)=埼玉県戸田市=ら男5人を逮捕しました。 同時に逮捕されたのは、中国残留孤児2世らで構成される準暴力団「チャイニーズドラゴン」幹部で東京・赤羽グループトップの白井宇太郎(53)=東京都西東京市と、その弟の白井加次郎(51)=北区、中国籍の陳華雄(46)=港区の各容疑者です。 2023年3月に山梨県山中湖村にあるホテルの
カンボジア国防省報道官は、「2025年6月8日にカンボジア軍とタイ軍が会談し、対立を軽減するために双方の部隊を適切な地域に帰還させるよう調整することを決定したことを国民に通知します」と発表しました。 関係者によると両国軍は週3回、銃撃事件が発生したモム・ベイ地区の軍関係者が武器を持たずにそれぞれ7人ずつ出向いて会合を行うことで合意した模様です。 当ブログは「にほんブログ村」のランキングに参加中です。1日1回のクリックにご協力ください。
本日7日午後4時過ぎ、ポイペトのタイ側アランヤプラテート国境が閉鎖されました。 7日16時半ごろの国境の様子 地元当局によると、帰宅できない大勢のカンボジア人がいることから、今日に限り夜8時まで国境を再開させる調整を行っている模様です。この国境については完全な閉鎖ではなく、明日からは午前8時から午後4時までに時短して国境の開放は続けるとの確認を、タイ当局から得ているとしています。 タイ側アランヤプラテートで渋滞。急な国境閉鎖でカンボジア人の帰宅難民 タイ政府は国境閉鎖についての判断を国軍に移譲しており、現場指揮官が国境の閉鎖、あるいは再開についての措置、基準、手順、 条件、または時間枠
タイ王国サケオ県のカンボジア総領事館は、本日7日朝にタイ国軍からの一方的な国境閉鎖の通告を受け、外務大臣に報告したとカンボジア政府系カンプチアトメイが報じました。 国境紛争について、タイが合同国境委員会(JBC)における二国間交渉を求める中、カンボジアが国際司法裁判所に提訴したことが要因であると発表されていますが、閉鎖される国境の範囲については明らかになっていません。 タイ政府は1960年以降の新たな係争について、国際司法裁判所による審理に同意していません。タイ国内では一連の政府の対応を「弱腰」と批判する声が強まっており、バンコクでは昨日5日に首相府や国防省、カンボジア大使館の前な
防衛省の発表によると、インド洋及び東南アジア方面における航空路及び地域の特性を把握するとともに、輸送機(C-130H)運航要員の国外任務遂行能力を維持及び向上させ、在外邦人等の輸送、国際平和協力活動等の運航に対応できる態勢を確保することを目的に、本日23日から29日にかけて第1輸送航空隊による長距離洋上航法訓練が実施されます。 目的地はカンボジア(シェムリアップ・アンコール)のほか、インド(ビアー・サバーカー)、ラオス(ルアンパバーン)です。小牧基地の第1輸送航空隊からC-130Hが1機、隊員約20名が参加します。 海上自衛隊艦船のシアヌークビル港への寄港は、2000年代になってか
6月21日に行われたプノンペン都警察長官の会見によると、ソー・テット国家警察長官の指示のもと6月16日〜17日にかけて行われた作戦において、ケタミンを主とする145kgの麻薬を押収し5人を逮捕したとの発表がありました。 21日に行われたプノンペン都警察長官による記者会見(警察発表) 容疑者のうち4人は台湾人で、1人が日本人です。国家警察からクメール語表記で発表された日本人容疑者の名前は直訳するとノムラ・ソキジ(76歳)となります。ソキジはクメール語に記載する際に誤記があった可能性があります。逮捕当時の写真からは腕に刺青が確認できます。 摘発現場での記録写真。恒例の日本人の胸にも刺青か?
敗戦後に残留日本兵としてカンボジアの独立紛争に関わり、(1954年当時には既に日本に帰国していた)只熊元大尉のような特殊な事例は抜きにすると、ご兄弟でカンボジアに滞在されていた鈴木さんが最初の在留邦人のようです。この兄弟とカンボジアの不思議な関係についても、後日改めて書こうと思います。 ---- 初代吉岡大使の寄稿(1966)より以下抜粋 日本とカンボジアの国交が開かれてから最初の日本の使臣として、カンボジア王国駐在を命ぜられ、1954年3月19日バンコクを経て任国に向かい(中略)機上から降りて、カンボジア政府の代表者や、当時カンボジアにただ2人しかいなかった日本人(現在は140人
公共事業運輸省鉄道局によると、ロイヤル鉄道が日本から輸入しシアヌークビル港で改修工事を行なっていたキハ183系の試運転を、本日8日に南線シアヌークビルからプノンペンの区間で行いました。 本日の試運転でもかなりのスピードが出たようですが、旅客輸送においては南線(プノンペン=シアヌークビル)では最高時速を80キロに設定し、現状より大幅に高速化される模様です。 本日の試運転の車窓の様子改修が終わりシアヌークビル港内の引き込み線を走るキハ183系 従来の車両と比較して客席環境が格段に改善されることから、隣国タイ・バンコクに繋げる企画を期待したいところですが、プノンペンからタイ国境ポイペトに
タイで日本人男性の切断された遺体が見つかった事件で、男性を殺害したとして逮捕状が出ている男2人が、隣国ラオスで身柄を拘束された模様です。 暴力団関係者の加藤拓也容疑者(50)と鈴木浩斗容疑者(27)は3月、タイの首都バンコク近郊で椛島良介さん(47)を殺害し、遺体を切断して遺棄した疑いが持たれています。加藤容疑者らは逃亡していましたが、ラオスの首都ビエンチャンで現地警察によって身柄を拘束されたということです。この後、2人はタイに移送され、逮捕される見通しです。 被害者の椛島さんは、日本からタイに移動する際には、SNSに、ファーストクラスを利用している投稿を載せるなど、経済的に潤沢
カンボジア西部バッタンバン州の住宅に大量の武器が隠されているとの情報があり、4日午後に州警察が押収した。 南部シアヌークビル州の当局からの情報提供を受け、州警察はバッタンバン州サンカエ郡タポン集合村サムダッチュ村の住宅を家宅捜索し、銃器40丁や銃器改造に使用される器具を発見し、カンボジア人女性を逮捕した。バッタンバン州裁判所のトゥック・ヴィニット次席検事の指揮のもとに、バッタンバン州警察だけでなく、シアヌークビル州警察のノップ・パニャ副長官らが現場での捜査に参加しているところが注目される。 押収した銃器にはAK-47自動小銃11丁、M16アサルトライフル4丁、M4カービン銃2丁など
国際交流基金のオンライン日本映画祭 Japanese Film Festival Online 2024が、本日から始まりました。 カンボジアでは映画22作品、テレビドラマ2番組が無料(要アカウント登録)で無制限に視聴できます。 映画 22作品 ・銀河鉄道の父 (2023) ・ハケンアニメ! (2022) ・メタモルフォーゼの縁側 (2022) ・そばかす (2022) ・線は、僕を描く (2022) ・梅切らぬバカ (2021) ・騙し絵の牙 (2021) ・マイ・ブロークン・マリコ (2022) ・土を喰らう十二ヵ月(2022) ・劇場版 おいしい給食 卒業 (2022) ・ベ
5月17日に、シアヌークビル州知事らが参列のもと、Grand La Vogueホテル&カジノの開業式典が開催され、正式にオープンしました。このカジノホテルは日本人経営とのことです。 現地報道によると、ヤマモトコウジ最高経営責任者(CEO) は、「私たちの使命は、伝統的な日本のおもてなしとモダンなシティリゾートを組み合わせ、世界中からの観光客を惹きつけるユニークな体験を提供することです」と、プロジェクトについて説明しています。 また同氏は「ラ・ヴォーグは2018年にオープンしており、グランド・ラ・ヴォーグも同じビジョンを持っています。私たちラ・ヴォーグ・グループは、お客様はも
「タニの呪い」を引き起こしたイエイ・マウについて、頭の片隅で気になっていたのですが、そういえば過去にその名前を聞いたことがあったかもと、ふと思い出したことがあります。 一昨年、中国企業の投資による高速道路が開設される以前は、プノンペンからシアヌークビルに向かう人々は、国道4号線を利用していました。その国道沿いで、プノンペンから丁度100キロメートルに山越えをする地点があり、その周辺はピックニルと呼ばれており、峠を越す前の路肩には多くの祠が建てられていました。多くのドライバーが休息地として利用しており、道中の安全を祈願してから旅を続けていましたが、その時の思い出が蘇りました。確かあの場
シンガポール政府入国管理庁(ICA)が6月2日に発表したところによると、シンガポール最大の30億ドルのマネーロンダリング事件で有罪判決を受けた犯人のうち、更に3人の男性が国外追放されました。3人はいずれも中国福建省出身で、複数の国のパスポートを持ち、シンガポールへの再入国を禁止されています。カンボジア国籍のSu Baolin(42歳)とキプロス国籍のSu Haijin(41歳)は、それぞれ5月25日と28日にカンボジアへ強制送還されました。また、トルコ国籍のVang Shuiming(43歳)は6月1日に日本に強制送還されています。 左から順にSu Baolin、Su Haijin、V
第6回プノンペンのど自慢日本人大会が、6月23日に開催予定です。出場枠はあと残り僅かのようです。 出場者、スポンサーいずれも募集中ですので、興味のある方は実行委員会までご連絡ください。 当ブログは「にほんブログ村」のランキングに参加中です。1日1回のクリックにご協力ください。
カンボジア王国の南部のカンポット州タニに、地元の人に日本平原(ヴィール・チャポン)と呼ばれる場所があります。先月訪問した際に、ここは太平洋戦争当時に日本軍が建設した飛行場跡であることがわかりました。現地で聞き取りを行う中でタニの古老から、「日本軍の駐留していた時代に、この辺りに住んでいた多くの人が、イエイ・マウに呪い殺された」との伝承を聞きました。 現在の日本平原日本平原に残る建物の基礎の跡 地形を弄ったことに怒ったイエイ・マウ(黒いお婆さん)と呼ばれる強力なニアック・ター(土地の精霊)が、日本軍に徴用され空港建設作業に従事した多くのカンボジア人を呪い殺したのだそうです。「日本に雇われ
5月29日、タイ天然資源環境省国立公園野生動植物局は、カンボジア国境に近い東北部ブリラム県のドンヤイ野生保護区で撮影された51頭のゾウの群れの写真を公開した。 残念ながら保護区はタイ側だけで、カンボジア側は国境ギリギリまで開墾され、農地になっている。 当ブログは「にほんブログ村」のランキングに参加中です。1日1回のクリックにご協力ください。
カンボジアを縦断する大河メコン川は、ラオスとの国境地帯において、数十キロに渡って渓流や滝が続く。 コーンの滝として知られるこの滝幅は10,783mで世界1位、流水量は11,600m3/sで世界5位(雨季のピークには世界トップクラスかも)。仏領インドシナだった19世紀後半、中国までの航路を開発しようと何度も試みられたが、いずれも失敗に終わっている。そのため、ラオス側デット島 (Don Det) とコーン島 (Don Khon) との間に連水陸路となる鉄道が敷設された。 私が訪れたこの場所は、コーンの滝のカンボジア側の一部分で、ソペアクミット滝或いはプレアニミット滝として知られている。
カンボジア政府は、プノンペン都外周の第3環状道路を「習近平通り」に正式に改名しました。改名式典は28日にプノンペンの平和宮殿で開催され、フン・マネット首相と王文天駐カンボジア中国大使が出席しました。 フン・マネット首相と王文天駐カンボジア中国大使 首相は「習主席のカンボジアの発展への歴史的貢献に感謝する」と述べ、「中国の支援はカンボジアの社会経済発展に寄与するだけではなく、政治的独立も強化する」と、国防長官が近日訪問予定のアメリカを意識したとも思われる評価もしています。因みに、中国大使は近日中に離任の予定で、後任には中国外交部の報道官で、日本のニュースでもお馴染みだった汪文斌氏が着任の
料理の名前はカットナー・トゥックプネー(ខាត់ណាទឹកភ្នែក)。直訳すると、カットナーの涙です。カットナーは日本語ではカイランと呼ばれる野菜です。生あるいは半生の牛肉と一緒に食べます。まさに涙が出ました。 当ブログは「にほんブログ村」のランキングに参加中です。1日1回のクリックにご協力ください。
カンボジアの地方の食堂に来ると、高級な木製のテーブルをよく目にする。庶民的なお店でも、重厚なものが無造作に使われている。古来、森の国だったカンボジアだが、残された森林はもう少ない。 当ブログは「にほんブログ村」のランキングに参加中です。1日1回のクリックにご協力ください。
国道の整備に伴い、空港が閉鎖されて久しい。街の急速な発展とともに周囲には建物が増え、滑走路には小さな独立記念塔が建設中だった。空港がこの場所で再開される事は無さそうだ。 空港の滑走路に、建設中の独立記念塔 昔はプノンペンから陸路だと2泊3日の旅だったので、空路が一般的だった。道路は街中でも極めて劣悪で、舗装されてない赤土の滑走路だけが町で唯一、平らだった。飛行機から降りた私の前を子供たちが横切り、滑走路を通学路にしていたのを思い出す。 当時の空港の上空写真。赤土の滑走路が見える。最後に使われていた新しい空港ターミナル当時のプノンペンからのフライトの機中 当ブログは「にほんブログ村」の
カンボジアではドリアンの収穫期がやってきました。果物の王様とも呼ばれますが、その強烈な匂いでも有名です。実は臭くなるのは時間を経てからなので、収穫直後に食べてみると匂いは殆ど無く、仄かな香りと美味しさだけを味わえます。 収穫したてのドリアンの山ドリアン農園ドリアンはこんな感じで木になります採りやすい低い枝に、こんなに密集して成ることも 当ブログは「にほんブログ村」のランキングに参加中です。1日1回のクリックにご協力ください。
明日はヴィサックボーチア(仏誕節)で、カンボジアの祝日です。釈迦が生誕、大悟、入滅した重要な日であるとされており、仏舎利塔のあるここ古都ウドンでも、同じ日に起こった3つの奇跡へ想いを馳せ、釈迦の徳に対して礼拝するための儀式が行われます。日本では、灌仏会や花祭りとして馴染みがあるかもしれません。 (写真1)山頂に仏舎利塔のある、ウドン山の夕焼け ウドンに近接するピニャールーには、17世紀当時に日本人町があり、朱印船貿易によって多くの日本人が往来していました。ちょっとしたフィールドワークをしてみましたが、古からの日本との繋がりにも想いを馳せたいと思います。 (写真2)ウドン近郊ピニャール