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カンボジア太郎の備忘録 https://note.com/cambodiataro

人生の半分以上をカンボジアで過ごし、セミリタイヤした今もカンボジアで暮らすおじさんの備忘録。 カンボジアについて、ふと興味を持ったことを書き記します。歴史、文化、食、流行などなど。

カンボジア太郎
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住所
カンボジア
出身
東京都
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2022/12/25

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  • 【カンボジア生活】住み良い街づくり、日本人会シエムリアプ支部の新たな取り組み

    カンボジア日本人会シエムリアプ支部は、住み良い街づくりを目指し、日本の暴力団排除運動を踏襲したステッカーを作成し、1月30日から在留邦人への配布を始めました。 会員の皆様 この度シェムリアップ 支部では企業様や店舗様などに貼っていただける会員ステッカーを作成しました。必要な会員様には無料でお配りしておりますので是非お声がけください。 まだ会員でないという方でも在庫数に応じて対応可能ですのでご相談ください。 カンボジア日本人会シェムリアップ支部 jacamsr@gmail.com Posted by カンボジア日本

  • 【カンボジアニュース】観光業に対する継続救済措置が発表

    1月30日付でカンボジア政府から観光業の回復を目的として、新たな継続救済措置がガイドラインとして発表されました。主な内容は、以下の通りです。 ホテル、ゲストハウス、旅行業に関して、2023年3月まで、付加価値税(VAT)を除く全ての税金を免除するとともに、コロナ前の2019年までの税金の滞納等の負債の凍結を継続する。 当ブログは「にほんブログ村」のランキングに参加中です。1日1回のクリックにご協力ください。

  • 【カンボジアニュース】シアヌークビルのジュリアナ東京で火事、2人死亡

    カンボジアの大手メディアFresh News等によると、シアヌークビルにある日本風の名前をつけたJulie&AnnaTokyoという女性を斡旋するクラブで30日夜8時頃に火事が発生し、男性2人が死亡したとの報道です。シアヌークビル州警察のチュン・ナリン長官によると、2人は溶接工で火花が延焼をして火事になったとのことです。通常は営業中のはずですが、なぜ2人が夜に作業をしていたのかは不明です。事件当時は客も従業員も一切おらず、死亡した2人以外への被害はなく、オーナーによると店は全焼したとの事ですが、現場写真からは外観に異常は確認できません。 当ブログは「にほんブログ村」のランキン

  • シエムリアプのこだわりの土産はAndkow & Co.をオススメ

    オールドマーケット近くのカンダールビレッジ。小さな裏通りですが、雰囲気のある個性的なお店が集まっているエリアです。カンボジアでものづくりブランドの立上げと職人の育成をしているシンくんのこだわりのお店がそこにあります。 私の愛用している革製のメガネ入れや財布、そして真鍮の家の看板?等は彼が作ってくれています。お土産を探すだけではなく、自分が長く使っていきたいこだわりのアイテムを探す、或いはオーダーメイドのお願いをするのに最適なお店だと思います。レザー製品や真鍮製品を全て自分でデザインし、手作りで製作しています。 我が家の名札?愛用のメガネケースお店のディスプレイもおしゃれ プノンペン

  • 【カンボジアニュース】与党人民党の臨時総会で首相候補選出

    28、29日開催されていた臨時総会の終了後に発表された声明によると、人民党党首であるフン・セン首相が、今年7月の国民議会選挙の首相候補として再任され、長男のフン・マネット氏が、父親が引退した後の、党の将来の首相候補として選任されました。 声明によると、第6期国民議会の過去5年間において、 カンボジアにおいては平和と政治的安定が守られ、民主主義が社会に根付いたと自賛しています。またCOVID-19のパンデミックにも適切に対処し、昨年はアセアン首脳会議及びその関連会合において、大きな外交的成果を収めたとしています。会議は、今後5年間の5つの戦略的目標を設定しました。2030年には上位中所

  • 【カンボジアニュース】2月3日からシエムリアプで日本映画祭

    プノンペンで3週末にわたって実施された日本映画祭は、昨日終了しました。来る週末2月3日〜5日はシエムリアプの2/3~5Major Cineplexでも開催されます。 初日の最初の上映作品、「そしてバトンは渡された」(2/3、17:00~)の上映開始にあたり、領事事務所の川口所長からのご挨拶も予定されています。今回の上映作品は、以下の8作品です。 2/3(金) 17:00 そして、バトンは渡された 20:00 一度死んでみた 2/4(土) 15:00 えんとつ町のプペル 17:20 ライアー×ライアー 20:00 死刑にいたる病 2/5(日) 15:00 ハケンアニメ! 17:4

  • 【カンボジアニュース】パスポートの強さ、カンボジアは世界89位にランク上昇

    世界各国のパスポートの強さをランク付けするヘンリーパスポートインデックス2023で、カンボジアは199カ国・地域中89位となり、前回調査の95位からランクが上昇しました。 同インデックスでは、各国・地域のパスポート保持者が事前にビザ(査証)を取得せずに短期滞在できる国・地域の数を計算して発表されます。カンボジアのパスポートがビザなしで短期入国を認められるのは、227カ国・地域中の54カ国・地域となっています。 世界トップは193カ国・地域にビザなしで渡航可能な日本です。2位はシンガポールでビザなしで渡航できるのは192カ国・地域です。 東南アジア各国のランキングは以下の通りです。

  • コンクマエ騒動の考察

    タイのムエタイとして世界的に有名なキックボクシングの一種ですが、ムエタイとコンクマエ、この2つのスポーツは基本的にほぼ同じものです。同種のスポーツは、ラオスやミャンマーにも存在しています。 ムエタイは世界的に認知されていますが、残念ながらコンクマエの認知度はまだまだ低く、タイはコンクマエは国際的な競技ではなく、SEA Gamesの競技名として認められないと非難しています。しかしながらカンボジアでは少なくとも2016年当時から国際連盟が存在しており、カンボジアだけではない国際的な競技でした。2019年には、11カ国が参加して第3回コンクマエ世界大会が開催されています。 第3回コンクマエ

  • 【カンボジアと日本】国交樹立60周年記念イベントから10年

    2013年の日本とカンボジアの国交樹立60周年記念にあわせてアンコールワットでのコンサートでが企画されました。ソク・アン副首相をはじめ文化芸術大臣や情報大臣等のカンボジア政府高官隣席のもと、盛大なイベントが開催され、その後、Sofitelホテルではレセプションも開催されました。 Sofitelホテルでのレセプション。左から隈丸大使、ソク・アン副首相ら。アンコールワットでのイベント、会場の様子 10年後の今年は70周年です。カンボジア日本人会役員を中心とした有志では、日本カンボジア友好70周年文化交流事業実行委員会を立ち上げ、過去の経験を生かして、アンコールワットでのイベントの踏襲を含め

  • 【カンボジアニュース】第一次大戦の記念碑の再建

    プノンペンの日本人町はどこかを調べている際に、古地図で偶然発見した第一次世界大戦の記念碑ですが、昨年フンセン首相が再建を発表したのは、以前記載した通りです。 1月25日にプノンペンのフランス大使館で開催された像の起工式にはチア・ソパラ副首相兼国土管理都市計画建設大臣とオリビエ・ベクー仏外務大臣付き大臣代表が参加しました。 この碑は第一次世界大戦中にフランスのために亡くなった 184 人のカンボジア人とフランス人に捧げる慰霊碑です。カンボジアは1914年から1918年の大戦当時フランスの保護

  • 【カンボジアニュース】カンボジア在留邦人数は大幅に減少

    2022年12月20日に外務省は、海外在留邦人数調査統計の結果を発表しました。この統計は在外公館が2022年10月1日現在で、それぞれの管轄区域内に在留する邦人数を在留届ベースで推計したものです。 2022年のカンボジア在留邦人数は、世界29位の3363人となりました。前年度は世界27位の4502人でしたので、25.3%の大幅減少です。上位50カ国中でカンボジアはロシア、パラグアイに次いで世界3番目の大幅減少となり、その理由について注目されてます。 在外邦人の総数は130万8515人で、前年より3万6385人(約2.7%)の減少です。日本人のほぼ100人に1人が海外に在住しています

  • 【カンボジアニュース】外務省カンボジア安全情報が本日内容更新

    本日1月27日、カンボジアの危険情報について、危険レベル継続と共に内容の更新が行われました。新たに付け加えられた項目は以下の通りです。 ●カンボジアで好条件の仕事があるとして勧誘された外国人が監禁状態に置かれ不法行為に強制的に従事させられる事案が発生しています。就労のための渡航に際しては就労先の情報などを十分に確認してください。 本日、2023年1月27日付の内容は以下の通りです。 【危険レベル】 ●全土 レベル1:十分注意してください。(継続) 【ポイント】 ● 過去の内戦の時期等に国内に持ち込まれ、いまだ残存する一部の銃火器を使用した強盗事件が度々発生するなど、日本や他の東

  • 【日本とカンボジア】日本人会の生い立ち

    カンボジア日本人会が設立されたのは、1991年の7月のことです。当時のマジョリティーはNGO関係者で、その他には国連職員、旅行会社、製材業者等が少数いて在留邦人は合計20人程度でした。当時はパイリンホテル1階のインターナショナルレストランが、日本人の集いの場所だったそうです。 その当時復活が計画されていた水祭りのボートレースに参加したいとの話が出て、またそれ以外にも行事をやろうと言う思いから、日本人会を設立する流れとなりました。世話役は日本国際ボランティアセンター(JVC)の馬さん、曹洞宗ボランティア会の手束さん、PITトラベルの谷川さんでした。バンコク駐在の報道関係者や商社の方にも

  • 【カンボジアニュース】日本人の集団強制労働疑惑

    昨日26日、カンボジア内務省のキュー・ソペアック報道官は、入国管理局はシアヌークビルのホテルに20人の日本人が監禁されているとの通報を捜査したが、問題は見つからなかったとコメントしました。 報道官によると火曜日に、20 人の日本人がシアヌークビルのメアリービーチホテルに監禁されているという匿名の通報を受け取り、同日ホテルを捜査したところ、疑わしきものは何も見つからなかったそうです。現場では19人の日本人を見つけたが、問題は発見されず、彼らは普通に滞在していたとのこと。滞在を許可したが、現場の監視は続けているとも述べています。19人の日本人のグループが、何を目的に滞在してるかについては

  • 【昔のカンボジア】28 カンボジアのビザ 1994年

    1994年2月に初めてカンボジアに来た際、ポチェントン空港(現プノンペン空港)で取得したカンボジアのアライバルビザです。バンコクやホーチミンから1日数便だけが飛来していて、空港ターミナルは平屋の小さいものでした。2月26日入国で発行番号が11162。1日あたり200人程度しか到着ビザを発行していなかったことがわかります。1994年。

  • 【カンボジアニュース】「ムエタイ」ではなく「コンクマエ」 タイと対立

    世界的にはタイ伝統の格闘技「ムエタイ」として知られるスポーツの名称を巡って、カンボジアとタイが対立しています。カンボジアで5月に開催される東南アジア競技大会(SEA GAMES)で、カンボジアでの呼称「コン・クマエ」を競技名に採用することに反発し、タイはボイコットする方針を発表しました。 ムエタイはキックボクシングの源流とされる格闘技で、タイの国技に指定されています。一方、カンボジアは同国が発祥であるとして、東南アジア版のオリンピックのような同大会でコンクマエの名称を使うことを決定しています。 タイの宮廷舞踊も元はカンボジアのアプサラ舞踊、タイの文字はクメール文字を原型に簡略化した

  • 【日本とカンボジア】幻のキリロム高原都市計画

    シアヌーク殿下の日本人移民計画の一部であった、幻のキリロム高原都市計画。関係資料を入手しましたので、こちらについても書いていきたいと思いますが、まずは写真を数枚ご紹介します。 資料によりますと、調査団は1956年3月16日から4月15日までの1ヵ月間カンボジアに滞在し、日本大使館との接点としては、3月16日には吉岡大使主催のレセプション、19日には調査団と大使の打ち合わせがありました。また興味深いのは27日には植村使節レセプションが吉岡大使公邸において開かれたとされています。 この植村氏が何者であるかというのは、前年シアヌーク首相(当時)が国賓として訪日した際に撮影された写真からわ

  • 【昔のカンボジア】27 農村地帯の小さな市場

    農村地帯の小さな市場です。当時ののどかな空気感が伝わってきます。場所不明。1994年。 当ブログは「にほんブログ村」のランキングに参加中です。1日1回のクリックにご協力ください。

  • 【昔のカンボジア】26 開発前のバンカックの埋立地

    開発前のバンカック埋立地です。既に街は拡大しつつあり、ツールコック一帯から中心部へのバイパス道路として利用されていました。まだまだ交通マナーが浸透していなかった様子が窺えます。2014年。 当ブログは「にほんブログ村」のランキングに参加中です。1日1回のクリックにご協力ください。

  • 【カンボジアニュース】プラック・ソコン副首相の公式訪問

    外務省賓客として1月21日から24日にかけて訪日したプラック・ソコン・カンボジア王国副首相兼外務国際協力大臣は、1月24日18時30分から約45分間、林芳正外務大臣と会談を行い、その後に夕食会が開催されました。 ソコン副首相と林外相 林大臣は、日本カンボジア外交関係樹立70周年及び日ASEAN友好協力50周年という記念すべき年の訪日、並びに両国関係の「包括的戦略的パートナーシップ」への格上げを歓迎する旨述べ、二国間関係の強化や地域・国際情勢への対応での連携を一層強化させていきたい旨発言しました。
 これに対し、プラック・ソコン副首相は、今回の日本側の招待及びもてなしに謝意を表明するとと

  • 【昔のカンボジア】25 独島という名の韓国料理店

    プノンペン空港の入口の目の前にあった、韓国料理店「独島」の写真です。隣にはマルハングループの看板が見えます。広告を出す前に気づかなかったのか不思議です。2014年。

  • 【カンボジアニュース】人民党の臨時総会開催

    カンボジアの政権与党であるカンボジア人民党は、1月28日と29日に特別総会を開催予定です。来る総選挙に向け国民議会議員候補の選出や、選挙後の新内閣人事も注目されます。 両日ともに午前7時から開催予定で、午前5時から総会の終了まで周辺道路が封鎖されます。 総会の日程は、午前6時から12時までと、午後2時30分から6時までが予定されています。 プノンペン都からの通達 当ブログは「にほんブログ村」のランキングに参加中です。1日1回のクリックにご協力ください。

  • 【カンボジアニュース】咳止めシロップ続報

    インドネシア等で300人を超える死者が出ている咳止めシロップ問題ですが、インドのMarion Biotech PVT. Ltd製品が含まれるようです。 また、Quramax (Cambodia) Limited. がカンボジアに輸入したAmbronol SyrupのロットナンバーAAS2203がリコールされたとの未確認情報があります。 当ブログは「にほんブログ村」のランキングに参加中です。1日1回のクリックにご協力ください。

  • 【昔のカンボジア】24 プノンペン中心部での検問の様子

    新生カンボジア王国の設立当初、プノンペン都内中心部オルセイ市場付近での検問の様子です。クメールルージュのスパイが入り込んでいないか、街の各所に検問がありました。夜間には賄賂を請求する違法検問も多くありました。年配のカンボジア人の判断には、こういった時代の経験も影響しているのかもしれません。1994年。

  • 【カンボジアニュース】咳止めシロップで死亡多発、カンボジアでも注意

    各国の報道やWHO発表によると、インドネシアやウズベキスタン、アフリカ諸国などで、咳止めシロップを飲んだ子供が、昨年8月以来少なくとも300人以上死亡している模様です。 昨日(1月23日)のWHO発表によると、有毒で急性腎障害につながる恐れのあるジエチレングリコールなどが許容量を超えて検出されています。いずれも不凍液などに使われ、「少量でも致命的で、医薬品に含まれるべきでない」安価な化学物質が大量に含まれていたようです。 いずれの医薬品製造会社も、その嫌疑を否定していますが、少なくともそのうちの一部はインド製だったとみられており、 それらの医薬品が流通している可能性のある国の1つと

  • 【昔のカンボジア】23 ゴミ拾いの親子

    空き缶や銅線などの資源ゴミを回収する親子です。プノンペン中心部にも、まだスラム化しているエリアが複数ありました。皆が貧しかった時代が終わり、この頃から貧富の格差が顕在化してきたように思います。2005年頃。 当ブログは「にほんブログ村」のランキングに参加中です。1日1回のクリックにご協力ください。

  • 【昔のカンボジア】22 プノンペンの日本橋

    プノンペンの通称日本橋、正式には日本カンボジア友好橋です。1枚目の写真右奥がプノンペン中心部です。高層ビルはまだ1つも見えません。日本の無償援助で修復するときに歩道に休息スペースが作られました。平和になって、橋の途中で景色を愛でれますようにとの思いを込めたものだったと聞いていますが、その後潰され、警備小屋が作られてしまいました。今はどうなっているのでしょうか。 あれから四半世紀が経ち、交通量も増えて、隣にはもう一つ、中国の支援による中国カンボジア友好橋が並んでいます。 2枚目写真は、若い頃の著者も映っていて恐縮ですが、その奥には、当時流行っていた船上ディスコが複数見えます。まだまだ土

  • 【日本とカンボジア】過去にもいた親善大使は向井理さん!

    先日、南野陽子さんが親善大使に任命され、今年1年日本においてカンボジアを多くの方に知っていただくことが期待されます。 実は、外務大臣から委嘱された親善大使は、過去にもう1人いました。2011年に任命された向井理さんです。テレビ番組の「ウルルン滞在記」でのホームステイを2回も行ったり、映画「僕たちは世界を変えることができない」や蜷川実花さん撮影の写真集「月刊向井理」など、当時とてもカンボジアとのご縁が深い俳優でした。 2007年と2011年、ウルルン滞在記でカンボジアに2回長期ホームステイしています。この大ヒット映画、今では4人ともに主役級ですね 向井さんの親善大使任命には私も深く関

  • 【日本とカンボジア】ウクライナ向け地雷除去訓練を協力して支援

    1月20日に谷内臨時代理大使は、地雷除去活動を視察し、ウクライナの将校に対する地雷除去技術訓練の閉会式に出席しました。 日本政府は昨年11月の岸田総理とフンセン首相の発表の通り、ウクライナの復興に両国が協力して貢献することを発表しており、その一環として日本が支援しているカンボジア地雷対策センター(CMAC)と協力してウクライナの地雷除去活動を支援しています。 谷内公使は、日本の支援により、カンボジアとウクライナの地雷犠牲者が一日も早くなくなることを希望すると述べています。

  • シアヌーク国王が監督・主演の映画「ボコールの薔薇」についての考察

    1969年に当時のシアヌーク殿下によって制作されたボコールの薔薇という映画があります。殿下自身が監督し、そして主人公の長谷川大佐を演じました。恋に落ちるヒロイン役は、モニク王妃です。 ボコールの薔薇のタイトル画面 中国韓国を始めとしてアジア各国で製作された、第二次世界大戦当時を描いた映画では、極悪非道な日本人がよく登場します。自身でメガホンを持ち、日本軍の大佐の役を演じても日本を悪し様に表現しなかったシアヌーク殿下の想いはどこにあったのでしょうか。 2000年に小渕総理がカンボジアに来られた際には、シアヌーク国王主催の晩餐会での小渕総理の挨拶でも、この映画について触れられています。

  • 【日本とカンボジア】林外務大臣から南野陽子さんに親善大使委嘱

    何度も投稿していますが、今年は日本カンボジアの国交樹立70周年を記念して「日本カンボジア友好70周年」です。 9日に在カンボジア日本国大使公邸において開催された式典において発表されておりましたが、18日に外務省において林芳正外務大臣は、日本とカンボジアとの間の交流を一層促進することを目的として、歌手・女優として活躍する南野陽子さんに対し、親善大使を委嘱しました。 南野陽子さんのコメント: 「私は1989年と2013年にカンボジアを訪問し、それ以来ずっとカンボジアに特別な想いを抱いてきました。私にとって特別な国カンボジアと日本の友好70周年の年に親善大使を務められることを嬉しく思い

  • 阿波丸とカンボジア

    先に書いた、ベトナム航空での阿波丸表記についての投稿には、いろいろな方からのご意見をいただきました。その後、2000人を超える民間人が犠牲になった所謂阿波丸事件にもカンボジアとの関連があったことがわかったので、こちらでご紹介します。 この写真は、太平洋戦争末期に阿波丸の船上で撮影されたものです。写っているのは北京大使館からプノンペン領事館に転勤で、サイゴンまで乗船していた外交官の三宅一郎さんです。 1945年の2月17日に門司を出航した阿波丸は、南方地域で日本の捕虜になっている連合国兵士への支援物資を満載しており、その安全が保障されていました。実際に九州を離れてすぐに、敵の潜水艦が

  • 【日本とカンボジア】白菜の別名はボコー菜なのは何故か、日本との知られざるつながり

    スペイ(菜)ソー(白)のことを、スペイ(菜)ボコーとも呼ぶのは何故か。そこには日本人が関係していました。 熱帯高原農業の専門家だった磯村勝さんは、1957年にコロンボ計画でボコー(ル)のシアヌーク殿下の農場に招かれました。1961年にコロンボ計画は打ち切られましたが、磯村さんは帰国せずに、東京農業大学で勉強中の息子勉さんを呼びよせ、シアヌーク殿下が提供したボコール高原の約10ヘクタールの森林を開墾し、トマトやメロンなどを含む様々な野菜や果物の栽培を始めます。 開拓後間もない磯村農場を訪れ握手を交わすシアヌーク殿下。1962年頃。 その数年前の1955年に国賓として日本を訪問し、独立後

  • 太平洋戦争末期のプノンペン空爆

    第二次世界大戦において、プノンペンが日本軍による空爆を受け被害者が出たとの伝承を聞き、怪訝に思っていました。昨年2022年5月には、王宮やソカーホテルの付近の水中から、その当時の不発弾が見つかっています。 2022年に発見されたAN-M66爆弾 以前投稿した内容の通り、日本軍の南部仏印進駐は武力衝突なく平和裡に行われました。1945年の明号作戦においては、仏印駐屯のフランス軍との交戦もありましたが、日本軍による空爆は行われていません。 どのような時期や状況で空爆が行われたのかを調べてみたところ、ヴィシー政権が崩壊し、シアヌーク国王が独立を宣言した後の1945年に、イギリス軍が爆撃をし

  • カンボジアの日本人町はどこにあったのか 4

    収集したプノンペンの地図資料を使って田中久一中将が「日本人町之跡」の碑を建立した運河跡について考証してみたいと思います。 第21師団長、田中久一中将1931年のプノンペン地図にはまだ水運と連携しているはずの鉄道駅は無いが、運河は既に存在しています。この運河の埋め立てた跡地に田中中将が碑を建立しています。これは17世紀の日本によく見られた堀割で、湿地を盛り土して洪水を防ぎ、水運により物流を強化し、日本人が異国で生きていくため住みやすい環境へと整えたのではないかとの仮説を立ててみました。1928年の地図にも運河は存在します。それどころか、後に鉄道駅ができる場所から北に向けてさらに運河が延伸

  • カンボジアの日本人町はどこにあったのか 3

    1942年前後、プノンペンには日本人町之跡の碑がありました。田中久一中将の名前が確認できます。 そのほぼ同じ場所で撮影したと推測される1890年頃の写真が見つかりました。運河は鉄道駅を作った際に掘ったのか、あるいはもっと昔からあったのでしょうか。もしかすると17世紀に日本人が堀って、ここが日本人町だった可能性もあるのかもしれません。 当ブログは「にほんブログ村」のランキングに参加中です。1日1回のクリックにご協力ください。

  • プノンペン中心部の地名バンケンコンの由来

    昨年脳卒中を患った後に、療養していた宿の中庭で出会った鳥がサイチョウ、その時に撮影した写真です。体長1メートル前後ある大きな鳥で、準絶滅危惧種に認定されています。この鳥のカンボジア名はケンコン。昔はこの鳥が生息していたから、沼(バン)の名前になって、埋め立てられた後も、今では日本人も多く居住するプノンペン都中心部の地名(バンケンコン)として残ったと言われています。 昨日ワットプノムの近くでこの鳥が10匹以上と大量に飛び交っているのを見て、ふと思い出しました。この鳥はここ数年、大都会となったプノンペンに多く飛来しており、地元民がSNS等で多く投稿していますが、都会への飛来或いは生息がだ

  • メコン川ではなく日本川?(カンボジアの日本人町はどこにあったか2 )

    プノンペンにあった日本人町之跡の碑 第1回で掲載した写真の全体像です。撮影場所はサップ川沿い、後世フランス人が鉄道駅まで運河を掘った道路沿いの公園に見えます。その根拠については不明です。運河を掘った時期についてはまだ調べていませんが、もしかすると鉄道とは関係なく17世紀に日本人が運河を掘っていた可能性もあるのかもしれません。 日本は江戸時代の鎖国に入ったため、資料がほとんど残っていませんが、オランダなどヨーロッパ諸国はカンボジアを含む東南アジア一帯でも活発な貿易活動を続けていました。日本も長崎の出島でオランダとの交易を続けていましたが、そういった商船がここカンボジアにも寄港した記録が

  • 【日本とカンボジア】日本軍のカンボジア進駐直後の動勢

    日本軍の南部仏印への進駐直後の記録写真を入手したので紹介します。 1941年9月29日、日本軍の南部仏印進駐後のカンボジア。 左から小林歩兵団長、飯田祥二郎第25軍司令官、西村琢磨近衛師団長。飯田は前近衛師団長であり、開戦を想定した演習を視察するために、カンボジアに。メコン川のジャングルを抜け、カンボジアに物資を運ぶ近衛輜重兵連隊。近衛第5と偵察連隊はカンボジアへ駐屯した。1941年9月9 日プノンペンに進駐していた近衛第五連隊。この写真の撮影時期や場所については不確定だが、おそらく1941年9月頃のプノンペンではないかと推測される。その後12月にはタイ進出、そして開戦と共

  • 【カンボジア生活】ひと房だけ髪を残して坊主な子供たち。その理由。

    カンボジアで見かける、髪をひと房だけ残して残りが坊主の子供たち。最近では都会だけでなく、農村でも見かけることが少なくなったような気がします。なぜこのような風習があるのか、まとめてみました。 選択肢の少ない中でのおしゃれ。 子供がひと房、あるいは2房残していた髪束のことを、チュク或いはコムパオイと呼びます。最近はこのような髪型の女の子を見かける事はなくなりましたが、伝統的には男女を問わず行われていた風習です。男の子も今では偶に見ることがあっても小学校入学前の小さい子供だけで、あまり大きな子供は見かけることがほとんどありません。伝統としては3歳頃から始め、11歳や13歳で髪束を剃り落とすま

  • 【カンボジアグルメ情報】〆のお粥

    日本で飲んだ後の〆と言えば、ラーメンなどが思い浮かびますが、カンボジアではお粥を食べることが多いです。そんな時、プノンペンでお勧めの店をご紹介します。 実はモニボン通り沿いに昔なじみの店があったのですが、最近は客層が変わって雰囲気が悪くなり値段も高騰、あまり好ましくない状況です。今回は原点に返り、若い頃よく利用していた、お粥を含めた屋台街があったカンプチアクロム通り沿いにある、昔ながらの老舗店ソク・リムをご紹介します。店構えは立派になりましたが、外国語が飛び交うこともなく、今でも落ち着いた雰囲気です。 白いお粥は、特筆すべきことがないので、カンボジアならではの白粥のトッピングをご紹

  • カンボジア:季節外れの雨はあと数日続きそうです

    カンボジア全土における今後3日間の降水量予測です。ここ数日、季節外れの雨が続いていますが、あと数日我慢が続くようです。

  • 日本カンボジア友好70周年の親善大使に南野陽子さん

    日本カンボジア友好70周年の親善大使が南野陽子さんになることが発表されました。 日本カンボジア友好70周年のテーマソングでもある、南野陽子さんが歌う「明日への虹」をご紹介します。 「明日への虹」 https://www.facebook.com/JapanEmbassyCambodia/videos/480200256843446/ 1989年に日本テレビの「24時間テレビ-愛は地球を救う」のメインパーソナリティでカンボジアを訪問したときの映像も使われています。その際に孤児院で出会った女の子達とは、2013年に同じく日本テレビの「アナザースカイ」でカンボジアを再訪し、再会してい

  • 再開されたタイ入国時規制について、日本からの渡航者には免除との新たな通達

    9日から再開されたタイ入国時規制について、当局から航空会社に対して新たな通達が出た模様です。「日本からタイ」に移動する場合、ワクチン接種証明や保険の義務的加入は必要ありません。通常通りに渡航し入国できます。 最新情報については、利用される国を会社にご確認ください。 (トランジットでタイに入国しない場合は、出発国に関係なく必要ありません。)

  • 【昔のカンボジア】22 プノンペンの日本カンボジア友好橋(1994年)

    プノンペンの日本カンボジア友好橋です。写真右奥がプノンペン中心部ですが、高層ビルは1つも見えません。カンボジアの戦後賠償の放棄を受けて、日本が支援したプロジェクトの1つです。内戦により壊れていた橋を、1990年代に日本の無償援助で修復しました。その際に、平和になったカンボジアで橋の上からのんびり街を眺めてほしいとの思いから、休息スペースがデザインされました。残念ながらその後潰され、警備小屋が作られてしまいました。そして今は…。1994年。 当ブログは「にほんブログ村」のランキングに参加中です。1日1回のクリックにご協力ください。

  • 日本カンボジア友好70周年の開幕式開催

    1月9日午後、日本大使公邸において、日本カンボジア友好70周年の開幕式がとり行われました。 谷内臨時代理大使と、キムタ―外務次官の挨拶の後は、岸田総理とフンセン首相、また林外相とプラック・ソコン副首相兼外務国際協力相の間で、祝辞が交換されました。 キムター外務次官の挨拶谷内臨時代理大使の挨拶谷内臨時代理大使と、キムタ―外務次官による岸田総理とフンセン首相の祝辞の交換 また70周年にあたっての親善大使は、日本側は南野陽子さん、カンボジア側はローラ・マムさんであることが公式に発表されました。南野洋子さんは、残念ながら式典には参加できませんでしたが、ビデオメッセージが届けられました。198

  • 1月9日は「日本カンボジア国交樹立」の日、その考察

    国交樹立70周年記念の公式ロゴ どのタイミングで外交関係樹立か諸説ありますが、日本政府としては1953年1月9日が日本とカンボジアの外交関係が樹立された日とされています。今日でちょうど70年になります。 歴史を紐解いてみますと、太平洋戦争末期の1945年3月には、明号作戦により帝国陸軍の歩兵第二師団がフランス軍の武装解除にあたり、12日にはシアヌーク国王がフランスからのカンプチア王国の独立を宣言しています。新政府においては久保田総領事が国王顧問になる等、当時の日本政府も協力していた事実が確認できます。翌13日には勅令第5号でグレゴリオ暦からカンボジア暦(仏暦)への復帰、14日には勅

  • COVID-19対策でタイの入国規制が再開

    タイ航空当局から各航空会社に通知された内容は以下の通りです。1月9日(月)以降タイへの入国を予定されている方は、ご注意ください。必要に応じて、搭乗予定の航空会社のホームページ等をご確認ください。航空機乗り継ぎのみで、タイに入国しない乗客は、ワクチン証明や保険は必要ありません。 タイに渡航する乗客への入国時の必要事項   1. 新型コロナワクチンに関する書類      18歳以上の乗客は、以下のいずれかを提示する必要がある。 -新型コロナワクチン接種完了証明 -新型コロナ感染から回復して6か月 (180日)以内であ

  • アンコールワットより地元参拝客の多い祠とカンボジアの数奇な物語

    外国人観光客が訪れる事はほとんどありませんが、アンコールワット入口のヴィシュヌ神と並んで、シエムリアプで最も信仰されているのがプレア・アンチェーク、プレア・アンチョム祠です。シエムリアプの中心部、王宮の斜め前にその祠はあります。 これからちょっと長旅になりそうなので、私も今日参拝して旅の安全を祈願してきました。 この2体の像には数奇な物語がありますので、こちらでご紹介します。  プレア・アンチェーク、プレア・アンチョムの姉妹は、捧げものをする人々の祈りに応えてくれると信じられています。この2人は、アンコールワットを建立したスーリヤヴァルマン 2 世の

  • シエムリアプで令和5年度の賀詞交換会開催

    1月7日に、シエムリアプ市で賀詞交換会が開催されました。 有志の皆さんのご協力でこんな素晴らしいお節も食べれました。ご提供いただいたワンダーズのフライドチキンと大のチーズハムカツが美味しくて、エンドレスに飲み過ぎました。 様々な場所で活躍している日本人の方が旧交を温め、また新しい出会いの場となりました。

  • 【昔のカンボジア】21 シアヌーク国王の車列を待つ群衆(1994年)

    日本のODAで修復したプノンペン港での式典に臨席する、シアヌーク国王の車列を待つ群衆。写真左側の塀の中が港です。待ち受ける中には、北朝鮮から派遣された警護官の姿もあります。 現在は中国の支援でプノンペン郊外のメコン下流に新港が作られ、この旧港の敷地は中国企業によって多数の高層ビルが建設されることになっています。1994年。 

  • 【昔のカンボジア】20 アンコール遺跡の警備兵

    アンコール遺跡群のタプロム遺跡です。ポル・ポト派のゲリラ活動に備え、遺跡の中には武装して警備する兵士がいました。東洋のモナリザとして有名なバンテイスレイ遺跡には、まだ警備の部隊を手配しないと訪ねることができず、シエムリアプの街中でも、夜には砲声が聞こえる時代でした。1994年。 当ブログは「にほんブログ村」のランキングに参加中です。クリックにご協力ください。

  • 【昔のカンボジア】19 第一次政権退任後の安倍総理カンボジア訪問(2008年3月)

    フンセン首相の長男への首相世襲批判に対して、首相の口から日本での先例として名前を出された安倍総理。最初の首相退陣から数ヶ月後、2008年3月の退任後初の外遊は議連の議員を引き連れてのカンボジア訪問でした。 政治的にまだ健在であるとアピールしたい事務所からの働きかけもあり、何とかメディアへの露出を図ったのも良い思い出です。まさかその後、2度目の総理となり、このような長期政権を担うことになるとは想像もしませんでした。 大使公邸においてお時間を頂戴し、インタビューもさせていただきましたが、総理大臣の重責から離れた気楽さからか、北朝鮮情勢など様々な面白いお話を伺いました。そういった発言の前

  • 【昔のカンボジア】18 選挙運動のラリー(1998年)

    UNTAC国連暫定統治下の初回総選挙で、新生カンボジア王国が誕生してから4年、人民党が連立与党だったフンシンペックを排除した7月事変から1年。国民議会選挙での野党支援の選挙ラリーです。現在の選挙運動の原型が窺えます。1998年。 当ブログは「にほんブログ村」のランキングに参加中です。クリックにご協力ください。

  • ベトナム航空のフライトマップに、撃沈された阿波丸の表記

    航空会社によっては、フライトマップの「日本海」表記を自粛することもあったりするご時世のようですが、ベトナム航空は、驚くべき表記をしていました。日本人としてはありがたいお話です。 成田からホーチミンに向かう飛行機に搭乗中に気づきました。ベトナム航空のフライトマップでは台北すら表記してないのに、台湾沖合でアメリカにより撃沈された阿波丸1945年の表記があります。 ベトナム航空のフライトマップ 日米間の協定で安全航行を保障されていた非武装、緑十字の阿波丸は、太平洋戦争中の1945年4月1日にシンガポールから日本へ向けて航行中、アメリカ海軍の潜水艦クイーンフィッシュの雷撃により撃沈され、民間

  • 【日本とカンボジア】アンコールワットに書かれた日本人の墨書

    アンコールワットには、17世紀初頭に訪れた日本人の墨書が少なくとも14箇所確認されています。その墨書を見てきました。鎖国前の朱印船貿易で栄えたこの時代、プノンペンとピニャールー(当時の王都ウドンの近郊の港)には、日本人町が存在しました。 墨書に書かれた内容からは、肥後、京都、大坂、堺などから、武士商人を問わず、単独だけでなく団体や夫婦で多くの日本人が、ここを祇園精舎と信じて参拝していたことがわかります。 最も有名なのが、十字回廊の柱に残された森本右近大夫の墨書です。ポルポト時代に汚損されたとも言われており、現在は判読ができなくなっています。ただ1994年に初めてカンボジアを訪れた私

  • 【カンボジアと日本】日本人町はどこにあったのか。これは証拠写真?

    17世紀のカンボジアには、プノンペンとピニャールーの2カ所に日本人町があったと言われています。具体的にどこなのか長年調べていましたが、新たな資料が手に入りました。仏印進駐をした日本軍が1942年頃に建立した碑です。この写真撮影場所は判ったのですが、本当にここなのかどうか、或いは適当な場所に立てたのかの判断が難しいところです。 当ブログは「にほんブログ村」のランキングに参加中です。クリックにご協力ください。

  • 【カンボジアの歴史と遺跡】アンコール遺跡群での居住者問題

    数ヶ月前より、アンコール遺跡群での違法建築の撤去が進んでいます。遺跡の内部だけではなく、広範囲が対象です。チア・ソパラ副首相(兼国土整備・都市化・建設大臣)が陣頭指揮をとっての住民説明会等の動きも見られました。 退去対象の土地。緑は既に退去に同意。 遺跡の保護のためには仕方のないことなのかもしれませんが、数十年もしくは数百年にわたって生活してきた人々が引っ越しを余儀なくされるのは、残念でもあります。 のどかだったアンコール遺跡群では、すぐ側に村人の生活があったり、今は禁止されている物売りの子供がいること自体が風景の一部でしたが、これも時代の変化なのでしょう。 土産物売りの子供たち、タケ

  • シアヌークビルへの高速道路の今昔

    昨年、中国企業によりシアヌークビルへの高速道路が開通し、カンボジア初の高速道路と認識されている方も多いと思います。実は「高速道路(highway)」と名付けられたカンボジア最初の道路は、1959年に開通していました。 開通直後、1960年頃のクメール・アメリカ友好高速道路の様子開通直後、1960年頃のクメール・アメリカ友好高速道路の様子 今回の中国企業と同じく、首都プノンペンからシアヌークビルまでの道路がアメリカの支援で開通し、「クメール・アメリカ友好高速道路」と名付けられています。国連暫定統治により新生カンボジア王国となった後には、アメリカの支援により再整備され国道4号線となり、交通

  • アンコールワットの天女の妊娠線?

    新年早々、連日アンコールワットを訪れています。様々な伝承や学説を拝聴しつつ、自分の考えも取り入れて、現在企画中の番組で今までにない表現ができないか、苦慮しています。 アンコールワットに2300体程度あると言われる天女の彫刻をコンプリートすべく徘徊しています。その一部は天女ではなく、当時の王様に仕えた女官とも言われています。 こちらのお腹の線は実在した女官をモチーフにした、太っている表現か或いは妊娠線なのではないかと思えてきて、どこかに先人の学説は無いでしょうか…。 当ブログは「にほんブログ村」のランキングに参加中です。クリックにご協力ください。

  • 【日本とカンボジア】プノンペンに領事館開設、南部仏印に日本軍進駐、そしてアメリカの対日制裁(1942年)

    1942年6月16日に、仏領インドシナのプノンペンに日本領事館が開設されました。日本軍がビシー政権下の南部仏印に進駐を開始するのは、この後すぐ後の7月28日でした。進駐を前提としての動きと考えられます。この当時外務大臣は豊田貞次郎 だったはずですが、この年の10月に外務大臣を引き継ぐ東郷茂徳の名前が記されているのが不思議です。 外務省報第494号(昭和17年7月1日)/省令 この南部仏印進駐の直前7月25日、ワシントンでは野村大使とルーズヴェルト大統領の間で会談が行なわれていました。アメリカは仏領インドシンナをイギリス、オランダ、中国、日本、アメリカによって「中立化」させる

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