23日夜、タイ陸軍はカンボジアのすべての国境において、車両及び外国人も含めた旅客の移動を禁止する措置について発表しました。 当ブログは「にほんブログ村」のランキングに参加中です。1日1回のクリックにご協力ください。
人生の半分以上をカンボジアで過ごし、セミリタイヤした今もカンボジアで暮らすおじさんの備忘録。 カンボジアについて、ふと興味を持ったことを書き記します。歴史、文化、食、流行などなど。
カンボジア人の朝食の1つ、豚ご飯(バイサッチュル)。シエムリアプで食べるなら、隠れた名店チャエ・オーンចែអូនがお勧めです。 2年前まではこんなのどかな雰囲気でした朝は地元民で大賑わい現在は少し都会っぽくなってこんな様子です 朝ご飯だけやっているお店でしたが、最近はメニューを増やして夕方まで営業しています。 豚の肩ロースを特製の甘めのタレにつけて、炭火でじっくりと焼いた、カンボジアで定番の朝ごはんメニューです。 豚ご飯のセット豚肉大盛りで頼むとこんな感じ 味付け卵がついた豚ご飯に、スープと漬物がついて6000リエルと物価高騰の中、いまだに庶民的な値段を維持しています。 ちなみ
タイ国境ポイペトのカジノでの大火による国境道路への影響を受け、両国当局は本日30日朝よりストゥンボット新国境の暫定使用を開始しました。 ストゥンボット国境にかかる新しい橋手前が燃えたカジノ、奥の黄色い門がカンボジア国境、その奥に見えるのがタイ国境新国境では仮設事務所を設置
キロあたり100ドル以上と高級本マグロのような値段がついている、幻の淡水魚パーシイー。年に二回ある旬の時だけ少量獲れるそうです。 この魚はメコン川上流のストゥントレン付近でのみ生息しています。昔は地元でしか食べれなかったそうですが、道路が整備され、プノンペンに運ばれるようになりました。その影響で、価格も高騰しています。 パーシイーの丸焼きパーシイーのスガウチュル カンボジア人的には、慣れ親しんだ淡水魚の味わいなのに、稀有な淡い脂が乗った味が評価されていますが、残念ながら海の魚のそれには遠く及ばないなというのが私の感想です。因みにこの魚だけは、淡水魚なのにはらわたも食べるそうです。 パ
2017年地方選挙の野党の選挙運動の光景です。この選挙での躍進を受けて、政治的な圧力が強まり、野党は非合法化されました。会見風景の写真は、選挙前日の国家選挙管理委員会による事前総括の会見です。政府から参加した内務省高官が最前列に座っているのがわかります。
プノンペン中心部、111通りです。画面左の空き地は現在のオルセイ市場です。この時期は改築準備中で、オリンピックスタジアムの敷地内(現在のオリンピアシティー)で、仮設営業中でした。まだまだ新しい建造物がなく、内戦前からの古い町並みが残っていました。1995年。
地雷原に住む子供。バッタンバン州。1994年。
【昔のカンボジア】14 伝統音楽と子供の踊りで、おひねりを狙う村人(1994年)
伝統音楽と子供の踊りで、観光客からのおひねりを狙う村人。アンコール遺跡群、タプロム遺跡です。遺跡での物売りやこういった活動は禁止されましたが、障害者によるこういった伝統音楽は、現在も、市内中心部のパブストリートなどで散見されます。1994年。
シエムリアプ市内中心部の道路封鎖情報 12月30日から1月1日まで
すでに、昨日28日からシバタ通りの一部封鎖が始まっています。
カンボジア伝統の絹絵絣「ピダン」 無病息災と家族の安寧を仏に祈願する為、製作をお願いした我が家のピダン(カンボジア伝統の絹絵絣)をご紹介します。 家庭用のピダンは、寺院において仏像を守る覆いとなるのと同様に、仏が自分や家族を守ってくれるようにとの想いで織られる、三枚綾織の緯絣です。この絹絵絣がピダンと呼ばれるのは、寺院の天井に飾られることが多く、カンボジア語で天井をピダンと呼ぶことに由来します。 内戦前には、人々は寺院にピダンを奉納してお盆、結婚式、葬式などの仏教儀礼の時に飾ったり、家で仏教儀礼をする時に飾ったりしました。寺院では本堂の内陣を囲むように、あるいは、正面の天井や仏像
昨晩、ポイペト国境のカジノで火事が発生しました。人身売買や強制労働を伴う犯罪の取り締まり強化が行われる中、関係性も注目されます。
【昔のカンボジア】13 国内避難民キャンプの寺小屋(1995年)
内戦下の国内避難民キャンプに作られた寺小屋です。どんな状況でも次世代のために子供の教育は大事だと、誰もがわかっていました。バタンバン州。1995年。
バッタンバンの街角。ゆったりと時間が流れていた。1995年
【昔のカンボジア】11 アンコール遺跡群の物売り(1994年)
当時アンコールの遺跡群には、近隣の村から土産物を売りにくる子供たちが沢山いました。遺跡の中で、飲み物やカメラのフィルムを売る子も。大勢の観光客が暑さで喉が渇いたり、予想以上に撮影をしてしまい、それなりの売り上げだったと思います。 1994年
【昔のカンボジア】10 何も無かったベトナム国境バベット(1995年)
ベトナム国境バベットの様子です。カジノや工場どころか、建物が一切無ありませんでした。手前の赤い門がカンボジア、奥の白い門がベトナムです。プノンペンからホーチミンへのバスは1日1便だけオルセイ市場付近から出ていました。1995年。
バッタンバン市内の川辺。長閑な街並みに見えるが、国境での内戦は続いており、後方支援基地の役割を担っていた。1994年。
カンボジアで最後のノーリーです。独特の歴史的経緯や環境から生まれ、劣悪な道路の補助手段として役立ってきたカンボジア式トロッコのことをノーリーと呼びます。現在は観光客向けの再現アトラクションとして、バッタンバンに残存するのみです。道路の急速な改良と鉄道の再整備で、絶滅の危機にあった2014年にポーサット州にて撮影。
【昔のカンボジア】7 ダイヤモンドホテル屋上から北を望む(1994年)
ダイヤモンドホテル屋上から北を望む。モニボン通りにはまだ中央分離帯はありません。左奥には、まだ埋め立てられる前のバンカック(カック湖)が見えます。この周辺が、内戦前からのプノンペンの商業エリアで、これでも都内有数の高層建築でした。2000年頃。
マッテオでは、ピッツァ誕生の地と言われるナポリで4世代に渡って続く小麦粉メーカー、カプート社のサンコロッソ粉を主に使用しています。一番精製度が高い00粉を使用しており、香りが強く風味が感じられます。本来であれば、発酵がよりスムーズに進むのですが、マッテオでは通常のイーストより発酵の遅いビール酵母を使っているので、そこから独特の風味が生まれるようです。練りは最低限に、熟成でグルテンを生み出す。生地を冷水で練ってから2日以上じっくり寝かせた、手の込んだマッテオ独特の生地。塩味を抑えて小麦本来の風味を引き出しています。 他の料理については、後日加筆します。 ピッザリア マッテオ
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【カンボジアグルメ情報】The Oyster Bar by Ostra
カンボジア随一のオイスター卸問屋の直販直営店。店で食べる他、少量から購入もできます。オイスター以外の海産物も冷凍でいろいろ販売しています。 手前はメニューではトッテン・インレットとなっていましたが、貴重なトッテン・インレット・ヴァージニカではなく、種としては恐らくパシフィックではと思われるアメリカ産。奥がカンボジア(もしくはベトナム)で一般的なやはりパシフィック。値段は倍違いますが、恐らく同じ種なのに、それ以上に濃厚さが際立って異なりました。 プノンペンだけでなく、シエムリアプにも出店しています。 Ostra Fine Foods (Seafood
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王宮前のサップ川の川辺です。奥にはカンボジアーナホテルの前に係留されていたカジノ船ナガが見えます。この頃は、王宮前でも釣りをしたり、洗濯したり、水浴びする人もいました。1994年。
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プノンペン空港でのラウンジとプライオリティーパス利用について
プノンペン空港の国際線ラウンジはプライオリティーパスが利用できましたが、昨年ラウンジ運営会社との契約が切れ、現在は使用できません。 アメリカンエクスプレスのグローバルラウンジセレクションは引き続き対象ですので、該当するAMEXカードをお持ちの方と同伴者1名については、従来どおり無料で利用できます。 その代わり、プライオリティパスは新たに点心皇と契約を結んでいます。カードを提示することで無料での飲食が可能です。私が利用した際には、無制限に注文することができましたが、注文するアイテム数の制限があったとの情報もありますのでご留意ください。また、コロナの影響で、現在は国内線搭乗時も国際線タ
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ASEAN首脳会議で警戒化の平和宮殿。アメリカからはオバマ大統領も参加。屋上には、アメリカのシークレットサービスの狙撃手。奥には、建設途中のワタナクタワー。2012年。 今年はまたプノンペンで開催され、バイデン大統領や岸田総理が参加するなど、国際的な注目を集めました。
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タイ国境付近、バッタンバンからパイリンに向かう前線「キロ38」地点の近く。日本の歌を聴かせてくれと言われ、私の歌にあわせて踊る兵士。生きて街に戻って、女の子と踊りたいと言っていた。1994年。
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まずはこれから。アチャミン通りがモニボン通りに名前が変わった頃の写真です。ニアックポアンホテルから撮影。右側にCanonの看板がかかっている雑居ビルは、今は大手財閥となっているRoyal Groupの当時の本社です。 1994年。
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カンボジアの道路交通法は基本的には国際スタンダードですが、125 CC以下の二輪に関しては免許制度から除外する改定が行われるなど、日本と異なる点もあります。 2017年改定の道路交通法の英語訳を公開します。(カンボジア語は最新版が手元にありませんでしたので一つ古く2015年のもの、英訳は最新の2017年のものですのでご留意ください。) New Road Traffic Law Cambodia 2015.pdf 14.1 MB ファイルダウンロードについて ダウンロード
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アフターコロナで観光客が徐々に回復しつつあるシエムリアプ。夜に観光客で賑わうメインスポットである、オールドマーケット脇のパブストリート。この界隈での商売の最大手であるテンプルさんが、デコレーションに協力するなどして、このように賑わっていました。
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1955年(昭和30年)、シアヌーク殿下の国賓としての訪日写真
日程は12月4日〜12月10日。 日本滞在中の様子を、時系列で掲載する。 羽田空港到着羽田空港での出迎えの様子羽田空港でのスピーチ首相官邸で鳩山総理と会談迎賓館で記者会見 続く
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国交の無かったカンボジアのフンセン首相の日本入国と治療とカンボジア和平
1991年4月、日本政府が承認していない政権の首相の病気療養という人道目的での訪日招待は、渡辺美智雄代議士等の働きかけもあり極秘裏に行われ、フンセン首相は山内一郎の偽名で順天堂病院に入院しました。山内は当時の順天堂病院長の姓を利用したものです。 首相は3泊4日の日程で入院しましたが、この2年後に皇太子妃となられた雅子様の父君、小和田恆外務審議官(当時)が、「偶然にも」同期間首相の病室のすぐ上の部屋に入院しました。 退院したその日には首相を招いた夕食会が開催され、膠着していたカンボジア和平の進め方が話し合われました。アメリカからは日本の独自の動きに不満の声が上がる中、冷戦後の国連主導
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まだ使い勝手が分かっていませんが、はじめての投稿です。来年の日本カンボジア国交樹立70周年記念に向けて、両国間の隠れた交流や歴史などいろいろ調べていますが、まずは終戦後のシアヌーク国王の訪日とその背景について簡略にまとめてみました。 1952年の春に、ラ・マルセイユ号で観光客として初めて日本を訪れています。残念ながら、どこに行かれたのか、詳しい資料はまだ見つかっていません。 2回目の訪問は、1953年4月23日から5月13日にかけて、独立十字軍運動のため、「微行」の資格で日本に滞在しました。フランスとの独立交渉の様子を伺い、日本滞在を延期したと言われています。外交自主権を回復したば
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23日夜、タイ陸軍はカンボジアのすべての国境において、車両及び外国人も含めた旅客の移動を禁止する措置について発表しました。 当ブログは「にほんブログ村」のランキングに参加中です。1日1回のクリックにご協力ください。
はじめに 6月20日、元赤シャツ運動リーダーで反タクシン派に転向したジャトゥポン・プロムパン氏らは、「大規模な反政府デモが6月28日午後4時に戦勝記念塔で予定されている」と発表しました。 このニュースを見て感じたのは、戦勝記念塔をデモの象徴的な場所として利用する事により、カンボジア国民や政府への挑発と捉えられるのではないかとの危惧でした。バンコクにある戦勝記念塔は1941年のタイ・仏領インドシナ紛争での勝利を記念して建設されたものです。その歴史的背景について記してみます。 タイ・バンコクの戦勝記念塔タイ・バンコクの戦勝記念塔 現在のカンボジア・タイ国境の概略 近世に入り、カンボジ
昨日21日午後、タイ軍はカンボジアに対する強硬な言動で知られる第2軍管区司令官のブンシン・パグドラン将軍の署名で通達(写真①)を出し、「タイの主権と領土を守り、タイ国民の生命と財産の安全を維持し、国境地域での任務の適切性とタイの安全を確保するため」としてブリラム県バンクルアット郡チャンタブリー地区チョンサイタクーの国境を閉鎖しました。 写真① カンボジア側はこれを受け、カンボジア側のジュプコウキー検問(オドーメンチェイ州バンテイ・アンピル郡アンピル集合村ジュプコウキー・レック村)を閉鎖することを決定しました。更にカンボジア側は、オドーメンチェイ州アンロンベン郡トラペアンプライ集合村のチ
与党人民党のフン・セン党首は、昨日20日深夜に自身のSNSを通じて、タイの野党がカンボジアへの石油販売を禁止する提案をしたと批判した上で、タイが国境での規制を撤廃しない場合、対抗措置としてタイからの輸入規制を拡大することを示唆しました。対象としては、具体的にアルコール飲料とエナジードリンク、缶詰製品が挙げられています。 以下、フン・セン上院議長の発信全文です。 --- 自滅につながる危険なゲームです! 本日、タイの野党は、カンボジアを屈服させようと、タイ政府に対しカンボジアへの石油販売を停止するよう提案しました。これに対し、私たちはタイから石油を輸入しないからといってカンボジアが崩
タイの政治危機が深刻化する中、タイ陸軍は昨晩午後9時頃、Facebookページで不可解な声明を発表しました。以下全文です。 「いかなる状況であろうとも…陸軍は立ち上がる準備ができています。主権を全力で守ります。 # 兵士は主権を守るために存在します」 コメント欄には、カンボジアに対する強硬な言動を繰り返している、第2軍管区司令官に賛同する声が溢れています。この投稿は今朝までに1.5万回シェアされ、11.5万のいいねがついています。 昨晩、タイ陸軍がFacebookアカウントで発表した声明第2軍管区司令官を賛美する声で溢れているコメント欄第2軍管区司令官を賛美する声で溢れているコメン
6月18日、国境情勢が緊迫する中、カンボジアのフン・セン上院議長とタイのペートンタン首相の電話会談の音声が流出しました。 ペートンタン首相はフン・セン議長に対し、タイ軍の政府への不服従を含む、タイ政府が現在直面している国内からの圧力を「理解」するよう3度にわたり求め、さらには国境検問の調整を独断的に決定したタイ陸軍第2軍管区ブンシン司令官を「狂人」「タイ政府の敵」と非難しています。ペートンタン首相はフン・セン議長を「おじさん」と呼び、自身の困難を理解し両国間の現状緩和に協力するよう繰り返し求めています。また、タイ国内で反政府感情が高まっていると説明し、タイ外務省が電力とインターネット
バンテイイ・メンチェイ州のオム・ラタイ知事は、「タイ軍がタイ国民に対し、ポイペト国際国境を通ってカンボジアに日常業務目的で入国することを禁止する追加措置を課した」と発表しました。 タイ大手紙カオソッドの報道によると、タイ軍ブラパ部隊は、サケオ県のすべての検問所において、本日朝8時以降、ポイペトのカジノで働くために国境を越えるタイ人に対する厳格な措置を強化すると決定しました。ブラパ部隊は、国境沿いの治安対策を強化するため、常設及び臨時国境検問所の管理措置についてサケオ県入国管理局長に書簡を送付し、ポイペト市のカジノおよびあらゆる娯楽施設で働くタイ人従業員が、サケオ県のすべての検問所から
フン・セン上院議長は今朝9時半から、国境問題に関しての特別メッセージを発表しました。今日中に国境が開放されなければ、明日からカンボジアはタイとの国境をすべて閉鎖すると警告しています。 詳細は確認できていませんが、これは貨物に限っての話と思われます。また演説中のコメントからは、実際には果物や野菜など品目を限定しての対応となる可能性も否定できません。 議長はこの措置について、本来は今日までにすべての国境を閉鎖するはずだったが、マネット首相との電話会談においてタイ首相が懇願したため、期限を延期していたとの交渉の経緯を暴露しました。 また、議長は、「タイ当局が以前のように午前6時から午後
プノンペンで合同国境委員会が開催される数時間前、国境地域を管轄するタイ第2軍管区司令官のブンシン・パドクラン中将は、チュラチョームクラオ王立陸軍士官学校で「3つの石造寺院とチョンボク」をテーマに特別講義し、タイが国際司法裁判所(ICJ)に提訴することは決してないと述べました。「ICJが事件を審理するには双方の合意で、一方がICJの管轄権を受け入れない場合、裁判所は事件を審理できません。だから、ICJを心配する必要はありません。私はすでに政府にICJに行く必要はないと伝えました。関係ありません。」と発言しています。また、「この土地はずっと前から我々のものでした。もし彼らがそれを欲しがるな
本日13日、パエトンターン・シナワット首相は「カンボジアはタイ政府が間もなく電力供給とインターネットを遮断すると誤解していたが、それは事実ではない」と述べ、外務省に対しカンボジア側にこの件を説明するよう指示しました。 その数時間後に、アヌティン・チャーンウィラクン副首相兼内務大臣が「関係治安機関の勧告次第でカンボジア国境地域への電力供給を停止する用意がある。カンボジアの6つの措置はタイ国民に影響を与えない」と発言しており、タイ政府内の足並みが揃っていない様子が窺えます。 労働者問題でも両国の動きがありました。タイのピパット・ラチャキットプラカーン労働大臣は本日13日「カンボジア政府
本日13日午前、カンボジア当局はバッタンバン州カムリエン郡のドーン国際国境が突然閉鎖され、その後内務省国家警察出入国総局から、閉鎖についての発表がありました。 13日朝、ドーン国境が閉鎖する様子出入国総局からの発表 その後本日13日13時にフン・セン上院議長が、当該国境の閉鎖を支持するコメントを発出しています。コメント全文は、以下の通り。 --- 私は、バッタンバン州にあるカンボジア・タイ国境検問所を閉鎖するというカンボジア政府の動きを支持します。タイは毎日何百台ものトラックでベトナムに果物を輸送していますが、カンボジアが国境を閉鎖したため、現在国境は渋滞しています。農産物を生産してい
本日13日朝に発表された、与党カンボジア人民党のフン・セン党首の発言全文は以下の通りです。 --- 昨晩、私はメッセージを発し、今朝、与党党首として再びカンボジア政府に演説いたします。 タイ側が一方的に閉鎖した国境検問所の再開を拒否した場合、カンボジアは以下の措置を講じなければなりません。 1. カンボジア市場へのタイ製品の輸入停止を発表する。これは、タイ製品の使用を中止し、国内製品またはタイ以外の国からの製品に置き換えることを意味する。 2. カンボジア国民がかつてタイに輸出していた製品(主に農産物)の購入準備を整え、国内外で積極的に市場開拓を行う。 3. 以前タイで治療を
本日12日深夜、カンボジア上院議長のフン・セン氏は自身のソーシャルネットワークのアカウントを通じて、カンボジア政府に対しタイドラマの放送停止とタイ製品のカンボジアへの輸入停止を検討するよう提案しました。 上院議長は投稿の中で「戦争を願う軍閥に支援されたタイの過激派グループが、カンボジアの電力とインターネットを遮断すると脅迫してきた。しかし、カンボジアはタイの電力にさえ依存していない。また、カンボジアには既に十分なインターネットアクセスがあるのに、一体何を遮断するというのだろうか」と述べています。 また「私は、ある地域における軍事的緊張が他の地域や異なる分野に波及すべきではないと一貫
タイ政府がカンボジアへの電力とインターネットの供給を遮断することを検討しているとの動きを受け、本日12日夜にマネット首相は自身のSNSアカウントを通じて「タイ側が供給を停止するかどうか、またいつ停止するかの判断に遅延や困難を生じさせないよう、カンボジアは自国の電力とインターネットの供給を確保することを決定した」と発表しました。 その投稿によると「チア・ヴァンディット郵政電気通信大臣は、カンボジアには十分なインターネットサービスを提供できる能力があるため、本日深夜0時以降、カンボジアのすべての光ファイバーネットワーク会社およびインターネット事業者は、タイからのインターネット帯域の購入を
本日11日、警察庁組織犯罪対策部長の江口有隣警視監らの代表団はカンボジア国家警察本部にディ・ヴィチア国家警察副長官を表敬し、サイバー犯罪対策における協力について協議し、情報交換を行いました。 先月5月30日、実務訪問賓客として訪日したフン・マネット首相は石破総理と首脳会談を行い、特殊詐欺を含む越境犯罪への対応において、警察当局間の協力を強化していくことが合意されています。 また、訪日直前の5月27日には、タイ国境のポイペトで特殊詐欺拠点が摘発され、日本人29人が拘束されています。これは今年1月に、警察庁から情報を受けた日本大使館から、カンボジア当局に要請されていた事案の一つです。
暴力団員であることを隠して、反社組織の宿泊を禁止しているホテルと不正に利用契約を締結し施設を使用した詐欺容疑などで、警視庁暴力団対策課は9日、指定暴力団住吉会系「二代目武州伊勢野一家」総長の田島和幸容疑者(53)=埼玉県草加市、別の2次団体幹部の松木秀美容疑者(62)=埼玉県戸田市=ら男5人を逮捕しました。 同時に逮捕されたのは、中国残留孤児2世らで構成される準暴力団「チャイニーズドラゴン」幹部で東京・赤羽グループトップの白井宇太郎(53)=東京都西東京市と、その弟の白井加次郎(51)=北区、中国籍の陳華雄(46)=港区の各容疑者です。 2023年3月に山梨県山中湖村にあるホテルの
カンボジア国防省報道官は、「2025年6月8日にカンボジア軍とタイ軍が会談し、対立を軽減するために双方の部隊を適切な地域に帰還させるよう調整することを決定したことを国民に通知します」と発表しました。 関係者によると両国軍は週3回、銃撃事件が発生したモム・ベイ地区の軍関係者が武器を持たずにそれぞれ7人ずつ出向いて会合を行うことで合意した模様です。 当ブログは「にほんブログ村」のランキングに参加中です。1日1回のクリックにご協力ください。
本日7日午後4時過ぎ、ポイペトのタイ側アランヤプラテート国境が閉鎖されました。 7日16時半ごろの国境の様子 地元当局によると、帰宅できない大勢のカンボジア人がいることから、今日に限り夜8時まで国境を再開させる調整を行っている模様です。この国境については完全な閉鎖ではなく、明日からは午前8時から午後4時までに時短して国境の開放は続けるとの確認を、タイ当局から得ているとしています。 タイ側アランヤプラテートで渋滞。急な国境閉鎖でカンボジア人の帰宅難民 タイ政府は国境閉鎖についての判断を国軍に移譲しており、現場指揮官が国境の閉鎖、あるいは再開についての措置、基準、手順、 条件、または時間枠
タイ王国サケオ県のカンボジア総領事館は、本日7日朝にタイ国軍からの一方的な国境閉鎖の通告を受け、外務大臣に報告したとカンボジア政府系カンプチアトメイが報じました。 国境紛争について、タイが合同国境委員会(JBC)における二国間交渉を求める中、カンボジアが国際司法裁判所に提訴したことが要因であると発表されていますが、閉鎖される国境の範囲については明らかになっていません。 タイ政府は1960年以降の新たな係争について、国際司法裁判所による審理に同意していません。タイ国内では一連の政府の対応を「弱腰」と批判する声が強まっており、バンコクでは昨日5日に首相府や国防省、カンボジア大使館の前な
防衛省の発表によると、インド洋及び東南アジア方面における航空路及び地域の特性を把握するとともに、輸送機(C-130H)運航要員の国外任務遂行能力を維持及び向上させ、在外邦人等の輸送、国際平和協力活動等の運航に対応できる態勢を確保することを目的に、本日23日から29日にかけて第1輸送航空隊による長距離洋上航法訓練が実施されます。 目的地はカンボジア(シェムリアップ・アンコール)のほか、インド(ビアー・サバーカー)、ラオス(ルアンパバーン)です。小牧基地の第1輸送航空隊からC-130Hが1機、隊員約20名が参加します。 海上自衛隊艦船のシアヌークビル港への寄港は、2000年代になってか
6月21日に行われたプノンペン都警察長官の会見によると、ソー・テット国家警察長官の指示のもと6月16日〜17日にかけて行われた作戦において、ケタミンを主とする145kgの麻薬を押収し5人を逮捕したとの発表がありました。 21日に行われたプノンペン都警察長官による記者会見(警察発表) 容疑者のうち4人は台湾人で、1人が日本人です。国家警察からクメール語表記で発表された日本人容疑者の名前は直訳するとノムラ・ソキジ(76歳)となります。ソキジはクメール語に記載する際に誤記があった可能性があります。逮捕当時の写真からは腕に刺青が確認できます。 摘発現場での記録写真。恒例の日本人の胸にも刺青か?
敗戦後に残留日本兵としてカンボジアの独立紛争に関わり、(1954年当時には既に日本に帰国していた)只熊元大尉のような特殊な事例は抜きにすると、ご兄弟でカンボジアに滞在されていた鈴木さんが最初の在留邦人のようです。この兄弟とカンボジアの不思議な関係についても、後日改めて書こうと思います。 ---- 初代吉岡大使の寄稿(1966)より以下抜粋 日本とカンボジアの国交が開かれてから最初の日本の使臣として、カンボジア王国駐在を命ぜられ、1954年3月19日バンコクを経て任国に向かい(中略)機上から降りて、カンボジア政府の代表者や、当時カンボジアにただ2人しかいなかった日本人(現在は140人
公共事業運輸省鉄道局によると、ロイヤル鉄道が日本から輸入しシアヌークビル港で改修工事を行なっていたキハ183系の試運転を、本日8日に南線シアヌークビルからプノンペンの区間で行いました。 本日の試運転でもかなりのスピードが出たようですが、旅客輸送においては南線(プノンペン=シアヌークビル)では最高時速を80キロに設定し、現状より大幅に高速化される模様です。 本日の試運転の車窓の様子改修が終わりシアヌークビル港内の引き込み線を走るキハ183系 従来の車両と比較して客席環境が格段に改善されることから、隣国タイ・バンコクに繋げる企画を期待したいところですが、プノンペンからタイ国境ポイペトに
タイで日本人男性の切断された遺体が見つかった事件で、男性を殺害したとして逮捕状が出ている男2人が、隣国ラオスで身柄を拘束された模様です。 暴力団関係者の加藤拓也容疑者(50)と鈴木浩斗容疑者(27)は3月、タイの首都バンコク近郊で椛島良介さん(47)を殺害し、遺体を切断して遺棄した疑いが持たれています。加藤容疑者らは逃亡していましたが、ラオスの首都ビエンチャンで現地警察によって身柄を拘束されたということです。この後、2人はタイに移送され、逮捕される見通しです。 被害者の椛島さんは、日本からタイに移動する際には、SNSに、ファーストクラスを利用している投稿を載せるなど、経済的に潤沢
カンボジア西部バッタンバン州の住宅に大量の武器が隠されているとの情報があり、4日午後に州警察が押収した。 南部シアヌークビル州の当局からの情報提供を受け、州警察はバッタンバン州サンカエ郡タポン集合村サムダッチュ村の住宅を家宅捜索し、銃器40丁や銃器改造に使用される器具を発見し、カンボジア人女性を逮捕した。バッタンバン州裁判所のトゥック・ヴィニット次席検事の指揮のもとに、バッタンバン州警察だけでなく、シアヌークビル州警察のノップ・パニャ副長官らが現場での捜査に参加しているところが注目される。 押収した銃器にはAK-47自動小銃11丁、M16アサルトライフル4丁、M4カービン銃2丁など
国際交流基金のオンライン日本映画祭 Japanese Film Festival Online 2024が、本日から始まりました。 カンボジアでは映画22作品、テレビドラマ2番組が無料(要アカウント登録)で無制限に視聴できます。 映画 22作品 ・銀河鉄道の父 (2023) ・ハケンアニメ! (2022) ・メタモルフォーゼの縁側 (2022) ・そばかす (2022) ・線は、僕を描く (2022) ・梅切らぬバカ (2021) ・騙し絵の牙 (2021) ・マイ・ブロークン・マリコ (2022) ・土を喰らう十二ヵ月(2022) ・劇場版 おいしい給食 卒業 (2022) ・ベ
5月17日に、シアヌークビル州知事らが参列のもと、Grand La Vogueホテル&カジノの開業式典が開催され、正式にオープンしました。このカジノホテルは日本人経営とのことです。 現地報道によると、ヤマモトコウジ最高経営責任者(CEO) は、「私たちの使命は、伝統的な日本のおもてなしとモダンなシティリゾートを組み合わせ、世界中からの観光客を惹きつけるユニークな体験を提供することです」と、プロジェクトについて説明しています。 また同氏は「ラ・ヴォーグは2018年にオープンしており、グランド・ラ・ヴォーグも同じビジョンを持っています。私たちラ・ヴォーグ・グループは、お客様はも
「タニの呪い」を引き起こしたイエイ・マウについて、頭の片隅で気になっていたのですが、そういえば過去にその名前を聞いたことがあったかもと、ふと思い出したことがあります。 一昨年、中国企業の投資による高速道路が開設される以前は、プノンペンからシアヌークビルに向かう人々は、国道4号線を利用していました。その国道沿いで、プノンペンから丁度100キロメートルに山越えをする地点があり、その周辺はピックニルと呼ばれており、峠を越す前の路肩には多くの祠が建てられていました。多くのドライバーが休息地として利用しており、道中の安全を祈願してから旅を続けていましたが、その時の思い出が蘇りました。確かあの場
シンガポール政府入国管理庁(ICA)が6月2日に発表したところによると、シンガポール最大の30億ドルのマネーロンダリング事件で有罪判決を受けた犯人のうち、更に3人の男性が国外追放されました。3人はいずれも中国福建省出身で、複数の国のパスポートを持ち、シンガポールへの再入国を禁止されています。カンボジア国籍のSu Baolin(42歳)とキプロス国籍のSu Haijin(41歳)は、それぞれ5月25日と28日にカンボジアへ強制送還されました。また、トルコ国籍のVang Shuiming(43歳)は6月1日に日本に強制送還されています。 左から順にSu Baolin、Su Haijin、V
第6回プノンペンのど自慢日本人大会が、6月23日に開催予定です。出場枠はあと残り僅かのようです。 出場者、スポンサーいずれも募集中ですので、興味のある方は実行委員会までご連絡ください。 当ブログは「にほんブログ村」のランキングに参加中です。1日1回のクリックにご協力ください。
カンボジア王国の南部のカンポット州タニに、地元の人に日本平原(ヴィール・チャポン)と呼ばれる場所があります。先月訪問した際に、ここは太平洋戦争当時に日本軍が建設した飛行場跡であることがわかりました。現地で聞き取りを行う中でタニの古老から、「日本軍の駐留していた時代に、この辺りに住んでいた多くの人が、イエイ・マウに呪い殺された」との伝承を聞きました。 現在の日本平原日本平原に残る建物の基礎の跡 地形を弄ったことに怒ったイエイ・マウ(黒いお婆さん)と呼ばれる強力なニアック・ター(土地の精霊)が、日本軍に徴用され空港建設作業に従事した多くのカンボジア人を呪い殺したのだそうです。「日本に雇われ
5月29日、タイ天然資源環境省国立公園野生動植物局は、カンボジア国境に近い東北部ブリラム県のドンヤイ野生保護区で撮影された51頭のゾウの群れの写真を公開した。 残念ながら保護区はタイ側だけで、カンボジア側は国境ギリギリまで開墾され、農地になっている。 当ブログは「にほんブログ村」のランキングに参加中です。1日1回のクリックにご協力ください。
カンボジアを縦断する大河メコン川は、ラオスとの国境地帯において、数十キロに渡って渓流や滝が続く。 コーンの滝として知られるこの滝幅は10,783mで世界1位、流水量は11,600m3/sで世界5位(雨季のピークには世界トップクラスかも)。仏領インドシナだった19世紀後半、中国までの航路を開発しようと何度も試みられたが、いずれも失敗に終わっている。そのため、ラオス側デット島 (Don Det) とコーン島 (Don Khon) との間に連水陸路となる鉄道が敷設された。 私が訪れたこの場所は、コーンの滝のカンボジア側の一部分で、ソペアクミット滝或いはプレアニミット滝として知られている。
カンボジア政府は、プノンペン都外周の第3環状道路を「習近平通り」に正式に改名しました。改名式典は28日にプノンペンの平和宮殿で開催され、フン・マネット首相と王文天駐カンボジア中国大使が出席しました。 フン・マネット首相と王文天駐カンボジア中国大使 首相は「習主席のカンボジアの発展への歴史的貢献に感謝する」と述べ、「中国の支援はカンボジアの社会経済発展に寄与するだけではなく、政治的独立も強化する」と、国防長官が近日訪問予定のアメリカを意識したとも思われる評価もしています。因みに、中国大使は近日中に離任の予定で、後任には中国外交部の報道官で、日本のニュースでもお馴染みだった汪文斌氏が着任の
料理の名前はカットナー・トゥックプネー(ខាត់ណាទឹកភ្នែក)。直訳すると、カットナーの涙です。カットナーは日本語ではカイランと呼ばれる野菜です。生あるいは半生の牛肉と一緒に食べます。まさに涙が出ました。 当ブログは「にほんブログ村」のランキングに参加中です。1日1回のクリックにご協力ください。
カンボジアの地方の食堂に来ると、高級な木製のテーブルをよく目にする。庶民的なお店でも、重厚なものが無造作に使われている。古来、森の国だったカンボジアだが、残された森林はもう少ない。 当ブログは「にほんブログ村」のランキングに参加中です。1日1回のクリックにご協力ください。
国道の整備に伴い、空港が閉鎖されて久しい。街の急速な発展とともに周囲には建物が増え、滑走路には小さな独立記念塔が建設中だった。空港がこの場所で再開される事は無さそうだ。 空港の滑走路に、建設中の独立記念塔 昔はプノンペンから陸路だと2泊3日の旅だったので、空路が一般的だった。道路は街中でも極めて劣悪で、舗装されてない赤土の滑走路だけが町で唯一、平らだった。飛行機から降りた私の前を子供たちが横切り、滑走路を通学路にしていたのを思い出す。 当時の空港の上空写真。赤土の滑走路が見える。最後に使われていた新しい空港ターミナル当時のプノンペンからのフライトの機中 当ブログは「にほんブログ村」の
カンボジアではドリアンの収穫期がやってきました。果物の王様とも呼ばれますが、その強烈な匂いでも有名です。実は臭くなるのは時間を経てからなので、収穫直後に食べてみると匂いは殆ど無く、仄かな香りと美味しさだけを味わえます。 収穫したてのドリアンの山ドリアン農園ドリアンはこんな感じで木になります採りやすい低い枝に、こんなに密集して成ることも 当ブログは「にほんブログ村」のランキングに参加中です。1日1回のクリックにご協力ください。
明日はヴィサックボーチア(仏誕節)で、カンボジアの祝日です。釈迦が生誕、大悟、入滅した重要な日であるとされており、仏舎利塔のあるここ古都ウドンでも、同じ日に起こった3つの奇跡へ想いを馳せ、釈迦の徳に対して礼拝するための儀式が行われます。日本では、灌仏会や花祭りとして馴染みがあるかもしれません。 (写真1)山頂に仏舎利塔のある、ウドン山の夕焼け ウドンに近接するピニャールーには、17世紀当時に日本人町があり、朱印船貿易によって多くの日本人が往来していました。ちょっとしたフィールドワークをしてみましたが、古からの日本との繋がりにも想いを馳せたいと思います。 (写真2)ウドン近郊ピニャール