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カンボジア太郎の備忘録 https://note.com/cambodiataro

人生の半分以上をカンボジアで過ごし、セミリタイヤした今もカンボジアで暮らすおじさんの備忘録。 カンボジアについて、ふと興味を持ったことを書き記します。歴史、文化、食、流行などなど。

カンボジア太郎
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住所
カンボジア
出身
東京都
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2022/12/25

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  • 【カンボジアグルメ情報】豚ご飯の名店 チャエオーン

    カンボジア人の朝食の1つ、豚ご飯(バイサッチュル)。シエムリアプで食べるなら、隠れた名店チャエ・オーンចែអូនがお勧めです。 2年前まではこんなのどかな雰囲気でした朝は地元民で大賑わい現在は少し都会っぽくなってこんな様子です 朝ご飯だけやっているお店でしたが、最近はメニューを増やして夕方まで営業しています。 豚の肩ロースを特製の甘めのタレにつけて、炭火でじっくりと焼いた、カンボジアで定番の朝ごはんメニューです。 豚ご飯のセット豚肉大盛りで頼むとこんな感じ 味付け卵がついた豚ご飯に、スープと漬物がついて6000リエルと物価高騰の中、いまだに庶民的な値段を維持しています。 ちなみ

  • 【ニュース】ポイペト新国境の暫定使用を開始

    タイ国境ポイペトのカジノでの大火による国境道路への影響を受け、両国当局は本日30日朝よりストゥンボット新国境の暫定使用を開始しました。 ストゥンボット国境にかかる新しい橋手前が燃えたカジノ、奥の黄色い門がカンボジア国境、その奥に見えるのがタイ国境新国境では仮設事務所を設置

  • 【カンボジアグルメ情報】幻の高級淡水魚パーシイー

    キロあたり100ドル以上と高級本マグロのような値段がついている、幻の淡水魚パーシイー。年に二回ある旬の時だけ少量獲れるそうです。 この魚はメコン川上流のストゥントレン付近でのみ生息しています。昔は地元でしか食べれなかったそうですが、道路が整備され、プノンペンに運ばれるようになりました。その影響で、価格も高騰しています。 パーシイーの丸焼きパーシイーのスガウチュル カンボジア人的には、慣れ親しんだ淡水魚の味わいなのに、稀有な淡い脂が乗った味が評価されていますが、残念ながら海の魚のそれには遠く及ばないなというのが私の感想です。因みにこの魚だけは、淡水魚なのにはらわたも食べるそうです。 パ

  • 【昔のカンボジア】17 野党大躍進の選挙運動(2017年)

    2017年地方選挙の野党の選挙運動の光景です。この選挙での躍進を受けて、政治的な圧力が強まり、野党は非合法化されました。会見風景の写真は、選挙前日の国家選挙管理委員会による事前総括の会見です。政府から参加した内務省高官が最前列に座っているのがわかります。

  • 【昔のカンボジア】16 オルセイ市場付近

    プノンペン中心部、111通りです。画面左の空き地は現在のオルセイ市場です。この時期は改築準備中で、オリンピックスタジアムの敷地内(現在のオリンピアシティー)で、仮設営業中でした。まだまだ新しい建造物がなく、内戦前からの古い町並みが残っていました。1995年。

  • 【昔のカンボジア】15 地雷原に住む子供。

    地雷原に住む子供。バッタンバン州。1994年。

  • 【昔のカンボジア】14 伝統音楽と子供の踊りで、おひねりを狙う村人(1994年)

    伝統音楽と子供の踊りで、観光客からのおひねりを狙う村人。アンコール遺跡群、タプロム遺跡です。遺跡での物売りやこういった活動は禁止されましたが、障害者によるこういった伝統音楽は、現在も、市内中心部のパブストリートなどで散見されます。1994年。 

  • シエムリアプ市内中心部の道路封鎖情報 12月30日から1月1日まで

    すでに、昨日28日からシバタ通りの一部封鎖が始まっています。

  • カンボジア伝統の絹絵絣「ピダン」

    カンボジア伝統の絹絵絣「ピダン」 無病息災と家族の安寧を仏に祈願する為、製作をお願いした我が家のピダン(カンボジア伝統の絹絵絣)をご紹介します。 家庭用のピダンは、寺院において仏像を守る覆いとなるのと同様に、仏が自分や家族を守ってくれるようにとの想いで織られる、三枚綾織の緯絣です。この絹絵絣がピダンと呼ばれるのは、寺院の天井に飾られることが多く、カンボジア語で天井をピダンと呼ぶことに由来します。 内戦前には、人々は寺院にピダンを奉納してお盆、結婚式、葬式などの仏教儀礼の時に飾ったり、家で仏教儀礼をする時に飾ったりしました。寺院では本堂の内陣を囲むように、あるいは、正面の天井や仏像

  • 【ニュース】昨晩、ポイペト国境のカジノで火事

    昨晩、ポイペト国境のカジノで火事が発生しました。人身売買や強制労働を伴う犯罪の取り締まり強化が行われる中、関係性も注目されます。

  • 【昔のカンボジア】13 国内避難民キャンプの寺小屋(1995年)

    内戦下の国内避難民キャンプに作られた寺小屋です。どんな状況でも次世代のために子供の教育は大事だと、誰もがわかっていました。バタンバン州。1995年。

  • 【昔のカンボジア】12バッタンバンの街角(1995年)

    バッタンバンの街角。ゆったりと時間が流れていた。1995年

  • 【昔のカンボジア】11 アンコール遺跡群の物売り(1994年)

    当時アンコールの遺跡群には、近隣の村から土産物を売りにくる子供たちが沢山いました。遺跡の中で、飲み物やカメラのフィルムを売る子も。大勢の観光客が暑さで喉が渇いたり、予想以上に撮影をしてしまい、それなりの売り上げだったと思います。 1994年

  • 【昔のカンボジア】10 何も無かったベトナム国境バベット(1995年)

    ベトナム国境バベットの様子です。カジノや工場どころか、建物が一切無ありませんでした。手前の赤い門がカンボジア、奥の白い門がベトナムです。プノンペンからホーチミンへのバスは1日1便だけオルセイ市場付近から出ていました。1995年。

  • 【昔のカンボジア】9 バッタンバン市内の川辺

    バッタンバン市内の川辺。長閑な街並みに見えるが、国境での内戦は続いており、後方支援基地の役割を担っていた。1994年。

  • 【昔のカンボジア】8 最後のノーリー

    カンボジアで最後のノーリーです。独特の歴史的経緯や環境から生まれ、劣悪な道路の補助手段として役立ってきたカンボジア式トロッコのことをノーリーと呼びます。現在は観光客向けの再現アトラクションとして、バッタンバンに残存するのみです。道路の急速な改良と鉄道の再整備で、絶滅の危機にあった2014年にポーサット州にて撮影。

  • 【昔のカンボジア】7 ダイヤモンドホテル屋上から北を望む(1994年)

    ダイヤモンドホテル屋上から北を望む。モニボン通りにはまだ中央分離帯はありません。左奥には、まだ埋め立てられる前のバンカック(カック湖)が見えます。この周辺が、内戦前からのプノンペンの商業エリアで、これでも都内有数の高層建築でした。2000年頃。

  • 【カンボジアグルメ情報】Pizzeria Matteo

    マッテオでは、ピッツァ誕生の地と言われるナポリで4世代に渡って続く小麦粉メーカー、カプート社のサンコロッソ粉を主に使用しています。一番精製度が高い00粉を使用しており、香りが強く風味が感じられます。本来であれば、発酵がよりスムーズに進むのですが、マッテオでは通常のイーストより発酵の遅いビール酵母を使っているので、そこから独特の風味が生まれるようです。練りは最低限に、熟成でグルテンを生み出す。生地を冷水で練ってから2日以上じっくり寝かせた、手の込んだマッテオ独特の生地。塩味を抑えて小麦本来の風味を引き出しています。 他の料理については、後日加筆します。 ピッザリア マッテオ

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  • 【カンボジアグルメ情報】The Oyster Bar by Ostra

    カンボジア随一のオイスター卸問屋の直販直営店。店で食べる他、少量から購入もできます。オイスター以外の海産物も冷凍でいろいろ販売しています。 手前はメニューではトッテン・インレットとなっていましたが、貴重なトッテン・インレット・ヴァージニカではなく、種としては恐らくパシフィックではと思われるアメリカ産。奥がカンボジア(もしくはベトナム)で一般的なやはりパシフィック。値段は倍違いますが、恐らく同じ種なのに、それ以上に濃厚さが際立って異なりました。 プノンペンだけでなく、シエムリアプにも出店しています。 Ostra Fine Foods (Seafood

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  • 【昔のカンボジア】6 王宮前の川辺(1994年)

    王宮前のサップ川の川辺です。奥にはカンボジアーナホテルの前に係留されていたカジノ船ナガが見えます。この頃は、王宮前でも釣りをしたり、洗濯したり、水浴びする人もいました。1994年。

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  • プノンペン空港でのラウンジとプライオリティーパス利用について

    プノンペン空港の国際線ラウンジはプライオリティーパスが利用できましたが、昨年ラウンジ運営会社との契約が切れ、現在は使用できません。 アメリカンエクスプレスのグローバルラウンジセレクションは引き続き対象ですので、該当するAMEXカードをお持ちの方と同伴者1名については、従来どおり無料で利用できます。 その代わり、プライオリティパスは新たに点心皇と契約を結んでいます。カードを提示することで無料での飲食が可能です。私が利用した際には、無制限に注文することができましたが、注文するアイテム数の制限があったとの情報もありますのでご留意ください。また、コロナの影響で、現在は国内線搭乗時も国際線タ

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  • 【昔のカンボジア】5 1998年のデモ

    7月事変の翌年、1998年の第2回国民議会選挙の際の野党支持者のデモ行進です。国民の政治参加へのエネルギーが強い時期でした。

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  • 【昔のカンボジア】4 シークレットサービス@平和宮殿

    ASEAN首脳会議で警戒化の平和宮殿。アメリカからはオバマ大統領も参加。屋上には、アメリカのシークレットサービスの狙撃手。奥には、建設途中のワタナクタワー。2012年。 今年はまたプノンペンで開催され、バイデン大統領や岸田総理が参加するなど、国際的な注目を集めました。

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  • 【昔のカンボジア】3

    戦火から逃れてきた国内避難民のキャンプ。バッタンバン州。1994年。

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  • 【昔のカンボジア】2

    タイ国境付近、バッタンバンからパイリンに向かう前線「キロ38」地点の近く。日本の歌を聴かせてくれと言われ、私の歌にあわせて踊る兵士。生きて街に戻って、女の子と踊りたいと言っていた。1994年。

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  • 【昔のカンボジア】1

    まずはこれから。アチャミン通りがモニボン通りに名前が変わった頃の写真です。ニアックポアンホテルから撮影。右側にCanonの看板がかかっている雑居ビルは、今は大手財閥となっているRoyal Groupの当時の本社です。 1994年。

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  • カンボジア王国の道路交通法(クメール語&英語訳全文あり)

    カンボジアの道路交通法は基本的には国際スタンダードですが、125 CC以下の二輪に関しては免許制度から除外する改定が行われるなど、日本と異なる点もあります。 2017年改定の道路交通法の英語訳を公開します。(カンボジア語は最新版が手元にありませんでしたので一つ古く2015年のもの、英訳は最新の2017年のものですのでご留意ください。) New Road Traffic Law Cambodia 2015.pdf 14.1 MB ファイルダウンロードについて ダウンロード

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  • カンボジアのクリスマス/シエムリアプ・パブストリートの様子

    アフターコロナで観光客が徐々に回復しつつあるシエムリアプ。夜に観光客で賑わうメインスポットである、オールドマーケット脇のパブストリート。この界隈での商売の最大手であるテンプルさんが、デコレーションに協力するなどして、このように賑わっていました。

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  • 1955年(昭和30年)、シアヌーク殿下の国賓としての訪日写真

    日程は12月4日〜12月10日。 日本滞在中の様子を、時系列で掲載する。 羽田空港到着羽田空港での出迎えの様子羽田空港でのスピーチ首相官邸で鳩山総理と会談迎賓館で記者会見 続く

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  • 国交の無かったカンボジアのフンセン首相の日本入国と治療とカンボジア和平

    1991年4月、日本政府が承認していない政権の首相の病気療養という人道目的での訪日招待は、渡辺美智雄代議士等の働きかけもあり極秘裏に行われ、フンセン首相は山内一郎の偽名で順天堂病院に入院しました。山内は当時の順天堂病院長の姓を利用したものです。 首相は3泊4日の日程で入院しましたが、この2年後に皇太子妃となられた雅子様の父君、小和田恆外務審議官(当時)が、「偶然にも」同期間首相の病室のすぐ上の部屋に入院しました。 退院したその日には首相を招いた夕食会が開催され、膠着していたカンボジア和平の進め方が話し合われました。アメリカからは日本の独自の動きに不満の声が上がる中、冷戦後の国連主導

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  • 終戦後のシアヌーク国王の訪日とその背景について

    まだ使い勝手が分かっていませんが、はじめての投稿です。来年の日本カンボジア国交樹立70周年記念に向けて、両国間の隠れた交流や歴史などいろいろ調べていますが、まずは終戦後のシアヌーク国王の訪日とその背景について簡略にまとめてみました。 1952年の春に、ラ・マルセイユ号で観光客として初めて日本を訪れています。残念ながら、どこに行かれたのか、詳しい資料はまだ見つかっていません。 2回目の訪問は、1953年4月23日から5月13日にかけて、独立十字軍運動のため、「微行」の資格で日本に滞在しました。フランスとの独立交渉の様子を伺い、日本滞在を延期したと言われています。外交自主権を回復したば

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