(Op.20250524/Studio31,TOKYO) 現在、『gooblog』の運営終了に伴い、運用は『amebablog』にて再開しております。https://ameblo.jp/lonesomewriter/で、お目にかかれます。 【TheByrds-We'llMeetAgain】 We'llMeetAgain
このサイトは "Creative Writing" の個人的なワークショップです。テキストは過去に遡り、随時補筆・改訂を行うため、いずれも『未定稿』です。
みなさんに感謝: アラン・ロブ=グリエ アルベール・カミュ 伊藤整 岩科小一郎 エリック・ホッファー 尾崎喜八 金子光晴 クロード・シモン ジャック・ケルアック 田村隆一 辻邦生 辻村伊助 永井荷風 久生十蘭 フィリップ・ソレルス 船知慧 ブルース・チャトウィン ポール・ヴァレリー ミシェル・ビュトール 森鷗外 森茉莉 吉田健一 ル・クレジオ ロラン・バルト
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(Op.20250521-4/Studio31,TOKYO) 夏休みの間、弓ヶ浜は海水浴客とワカメ漁師優先になるので、マリンスポーツをする者は浜の西の隅に追いやられた。天候の良し悪しに関わらず、消波ブロックと防波堤に区切られた ——— 午後は日陰になる——— 角地へ行けば必ず数人の顔見知りのロコに会えた。とりわけ、ぼくと水口イチ子は皆勤でないにしろ、精勤賞をもらえるほどにはそこにいた。 【DickBakkerOrchestra-Godonlyknows】 必ず数人の顔見知りのロコに会えた
中央に写るRICOHのサインボードに、デビューしたての最新鋭主力機種GRの広告が見える
(Op.20250521-3/Studio31,TOKYO) 東京銀座五丁目三越前。中央に写るRICOHのサインボードに、デビューしたての最新鋭主力機種GRの広告が見える。故に撮影データを見なくても2013年とわかる。なんとなく古めかしく感じる写真だが、これが12年という時間の差なのだろう。水口イチ子と歌舞伎座の前で待ち合わせた日の撮影かもしれない。 中央に写るRICOHのサインボードに、デビューしたての最新鋭主力機種GRの広告が見える
(Op.20250521-2/Studio31,TOKYO) それは、ふたつの長尾根の間に渡された吊り橋だった。下は深い谷。長い時間をかけ、隆起と浸食により刻み込まれたようだ。橋は歩いて一分ほどで渡りきれるが、橋が架かる以前 ——— 随分昔のことだ ——— は、谷を降り、沢を渡り、急斜面を登り、きっと一時間以上かかったことだろう。梅雨入りも近い六月初めのある晴れた週末の午後、いつエンジンが動かなくなるかも知れない、古いアルファ・ロメオで出かけたドライブの道すがらのことであった。 【CliffRichard-Angel】 六月初めのある晴れた週末の午後
(Op.20250521/Studio31,TOKYO) スミレ科のビオラ ——— ぐい吞みや煎茶茶碗に移植して、部屋に飾る趣味人も少なくない。駐車場にある防火水槽のコンクリートの割れ目から咲いていると言って、イチ子がこの間から喜んで話題にする。 防火水槽のコンクリートの割れ目から咲いている
(Op.20250520-3/Studio31,TOKYO) トルーマン・カボーティの或るエッセイの部分に『預けられた叔母さんの家の近所の、野原や小川のほとりを散歩していた時に閃きがあり、急いで帰って、お尻に消しゴムの付いた鉛筆を何本かと黄色いレポート用紙を持ってベッドに潜り込み、最初の一行を書いた』というのがある。この『最初の一行』とは『遠い声遠い部屋』の、あの有名な書き出しの一行のことだ。あのような閃きが来るのを何ヶ月も待ち続ける作家もいれば、何年も待ち続ける者も、あるいは一生待ち続ける人もいる。もしかして、ぼく達が待ち続けているのは、単なる最初の一行ではなく、Godotなのかもしれない。 【TheBeatleslivesessionenEstudiosParaiso-DayTripper】 ぼく達が待ち続けているのは...
(Op.20250520-2/Studio31,TOKYO) 暑い休日だった。富士見坂の切り通しを下った商店街の外れにある、今はすっかりめずらしくなった萬年筆屋に愛用の古い一本を修理に出した帰り道のことだ。笛木の商店街には東京では一、二軒しかないという獣肉屋があって、店の前に『鹿肉入りました』と貼り紙がしてあるのを見つけた。そう言えば来週の土曜日はきみの誕生日だから、鹿肉のコンフィかアイリッシュ・シチューのどちらかを作ってあげられるなと思った。当日、バタバタとシチューを用意するより、コンフィなら予め作り置きが出来る利点と、この間のぼくの誕生日に叔父さんがくれたシャトー・ラトゥールもあることだし、メニューは鹿肉のコンフィに決定。ただ、コンフィに必要な鴨の脂身が禁猟中で手に入らないから、まあ、賛否両論ある...『鹿肉入りました』と貼り紙がしてあるのを見つけた
焼いた豚足にBBQソースを掛けただけの料理にかじりついていたら
(Op.20250520/Studio31,TOKYO) 南の島の海辺にある粗末な小屋掛けみたいなレストランで ——— この国には開業に保健所の検査はないんだろうか ——— 焼いた豚足にBBQソースを掛けただけの料理にかじりついていたら、突然、スコールがやって来た。しばらく海を見ていると、沖合を、スタートしたばかりのマラソン・ランナー達のように、雨と雲が一団になって遠ざかっていくのが見えた。手前は晴れ、背景は雨というめずらしい景色があった。 【JoeSample&RandyCrawford-Everybody'sTalking】 焼いた豚足にBBQソースを掛けただけの料理にかじりついていたら
(Op.20250519-3/Studio31,TOKYO) 「好きなことは何ですか」と聞かれたら、「言葉をいじることです」と答えよう。何かを表現したい、主張したいなどということは二の次、三の次。増して、商売にしたいなどとは思わない。それは、滅多に釣りに出かけることもないのに、自室で釣り竿を磨いたり、仕掛けを作ったりするのが好きな釣り師に似ている。『それって楽しいんですかだって?』実は釣り師の目的は魚を釣ることばかりではないのですよ。『無の時間の中で自分と向き合うことを楽しむ』 ——— これも釣りの重要な楽しみだと知るべきです。それは、なにも水辺でなくてもいい。もし、何かについて書きたくなったら、例えばいわゆる恋愛小説のように登場人物の名前が違うだけで、他は大して変わり映えのしない話は出来れば書きたくな...文学趣味
(Op.20250519-2/Studio31,TOKYO) 驟雨。雨のち晴れ。 雨のち晴れ
(Op.20250519/Studio31,TOKYO) 五月の風は、初夏の光に透けて、溶け、紛れていく。 【EdisonLighthouse-LoveGrows】 五月の風は、初夏の光に透けて、溶け、紛れていく
(Op.20250518-3/Studio31,TOKYO) イチ子の永遠の夏。 【TheBeachBoys-AllSummerLong】 イチ子の永遠の夏
(Op.20250518-2/Studio31,TOKYO) 江ノ電の駅へは、ここからなら長谷より由比ヶ浜の方が少しだけ近いかもしれない。ここからなら長谷より由比ヶ浜の方が少しだけ近いかもしれない
(Op.20250518/Studio31,TOKYO)「今のショートボードってポリスター樹脂でできてるんだけど、ぼくが今でもたまに乗ってるロングボードって、昔はバルサ材を削り出して、それにガラス繊維を合成樹脂でコーティング...」もう、完全に聞いているとは思えない。 もう、完全に聞いているとは思えない
1950年代まで日本の英語高等教育の重要なテキストであったチャールズ・ラム(CharlesLamb1775-1834)の『エリア随筆(EssaysofElia)』も、今となっては、その知名度も含め、随分様変わりした。理由は、その文体に負うところが多い。『エリア随筆』中、珠玉の一篇とされる『古陶器(OldChina)』の文末近くの例えばこの一文、 Yetcouldthosedaysreturn —— couldyouandIoncemorewalkourthirtymilesa-day —— couldBannisterandMrs.Blandagainbeyoung,andyouandIyoungtoseethem —— couldthegoodoldoneshillinggallerydaysre...今時の『エリア随筆』
(Op.20250517-3/Studio31,TOKYO) 東京を立つまでは、HotelWhiteBeachという名前に、初めはサマー・リゾートらしい、やたらモダンな響きを感じていた。しかし、後で聞けば、網元が以前営んでいた白浜荘という鄙びた旅館を和洋折衷のプチ・ホテルに改築するに際して改名したというから、古い屋号をただ英訳したに過ぎなかったようだ。浜も白浜とは名ばかりで岩場が多く、海流の浸食で水深は波打ち際から急に落ちみ、それが理由か、浜は全面遊泳禁止になっていた。だから、泳ごうという者は嫌でもホテルのプールを使うしかなく、日光浴は浜辺で、泳ぐのはプールでというのがここでの作法らしかった。水口イチ子は、ここに来て以来、食事の、その妙な洋風の味付けに飽きたのか、「何か他においしいものって、この辺にはない...7センチの足先
(Op.20250517-2/Studio31,TOKYO) 写真や絵画のようにヴィジュアル分野の創作をする作家達の中には、昔から、加えて、文章で説明できたら良いのにと思う人は多かった。また、その逆に文学をする人達の中には、挿絵などヴィジュアル的な手法を取り入れられたら便利だと思う作家も少なくなかった。半ば希望を叶えられる人もいれば、旧来の伝統的な方法を強いられ、あるいはこだわる人もいる。出版の世界では、編集者や版元に資金と柔軟性がないと、今も叶えるにはなかなか難しい案件である。 【TheWalkerBrothers-MakeItEasyOnYourself】 今も叶えるにはなかなか難しい案件
(Op.20250517/Studio31,TOKYO) 「泳がないの?」「眠いの...」 眠いの...
(Op.20250516-2/Studio31,TOKYO) この夏の思い出が、ゆっくりと胸の底に溜まっていく。 この夏の思い出が、ゆっくりと胸の底に溜まっていく
(Op.20250516/Studio31,TOKYO) 「その優しさは、いったい、いつまで続くのかしら?」ときみに聞かれて以来、ぼくの愛は、ダーウィンが驚くほどの進化を続けている。 【R.E.M-NearWildHeaven】 ダーウィンが驚くほどの進化
(Op.20250515-3/Studio31,TOKYO)夏の霧ヶ峰。強清水。聞こえるのはグライダーの風切る音と鳥のさえずりだけ。『池のくるみ』へ降ろう———あそこはね、きっと誰もいない。 あそこはね、きっと誰もいない
いくつになっても、いつまでたっても、慣れることができないもの
(Op.20250515-2/Studio31,TOKYO) いくつになっても、いつまでたっても、慣れることができないものがある。 <ahref="https://blogmura.com/profiles/11138716?p_cid=11138716"><imgsrc="https://blogparts.blogmura.com/parts_image/user/pv11138716.gif"alt="PVアクセスランキングにほんブログ村"/></a>いくつになっても、いつまでたっても、慣れることができないもの
(Op.20250515/Studio31,TOKYO) 漁港の朝。顔見知りの漁師さんからアジなど手に入るかも。 漁港の朝
(Op.20250514-3/Studio31,TOKYO) 海開きまで、あと四十五日。 海開きまで、あと四十五日
(Op.20250514-2/Studio31,TOKYO) 夏の妹(三浦半島観音崎)。 【Crosby,Stills&Nash-LadyoftheIsland】 夏の妹(三浦半島観音崎)
(Op.20250514/Studio31,TOKYO) 今すぐ逢いたい人。 【RobbieWilliams·NicoleKidman-Somethin'Stupid】 今すぐ逢いたい人
ダンテのベアトリーチェへの想いをひたすら焼き直しているに過ぎない
(Op.20250513-3/Studio31,TOKYO) 恋愛に関わる典型的ないくつかの事柄を読物に仕立てている人達は、総じて、ダンテのベアトリーチェへの想いをひたすら焼き直しているに過ぎない。 【GilbertO'Sullivan-IGuessIllAlwaysLoveYou】 ダンテのベアトリーチェへの想いをひたすら焼き直しているに過ぎない
(Op.20250513-2/Studio31,TOKYO) 映像の時代———秒18フレームの世界に生きる水口イチ子。 秒18フレームの世界に生きる水口イチ子
(Op.20250513/Studio31,TOKYO) 推移するシアワセの基準。 【TheBeatles-NoReply(2024WallOfSoundExtendedVersion)】 推移するシアワセの基準
(Op.20250512-3/Studio31,TOKYO) 今時のオートフォーカスのカメラでは絶対に撮れない、アウトフォーカスの水口イチ子。だから、この一枚は、ぼくだけの一枚。 【RuneLarsenogFriskLuft-I'llNeverFindAnotherYou】 アウトフォーカスの水口イチ子
(Op.20250512-2/Studio31,TOKYO) 続けること。ふくらませる場面であっても尚、小さくまとめることに努める。より音読に馴染むスタイルの模索。 【TheBeatOrchestra-TheNightBefore】 エクリチュール
(Op.20250512/Studio31,TOKYO) ミネルヴァの夏、またはそのプレリュード。雨の匂い?足踏み式のオルガン。虫歯とビスケット。 【RitaCoolidge-I'dRatherLeaveWhileI'mInLove】 ミネルヴァの夏、またはそのプレリュード
『茅ヶ崎の家 1984』と『水口イチ子、高校二年の夏休みの部活』
(Op.20250511-4/Studio31,TOKYO) 仕事机に座ると右側の壁にストーリーボード ——— ピンで留めてあるのは『茅ヶ崎の家1984』と『水口イチ子、高校二年の夏休みの部活』というタイトルの二枚のカット。今年の夏もデスクに頬杖ついて、昔描いたこんなカットを飽きずに眺めて日を送るのもいいではないかと思いはじめている。 【CliffRichard&TheShadows-DoYouWannaDance】 『茅ヶ崎の家1984』と『水口イチ子、高校二年の夏休みの部活』
(Op.20250511-3/Studio31,TOKYO) 昨日まで食卓の花瓶に生けられていたアヤメは、今朝から紫蘭と選手交代していた。庭に続くウッドデッキには、早くも夏らしいイチ子のサンダル。 【TheSearchers-LovePotionNumberNine】 庭に続くウッドデッキには、早くも夏らしいイチ子のサンダル
(Op.20250511-2/Studio31,TOKYO)恋はホット・ココアのようにすぐ冷める。<palign="center">【ザ・ハプニングス・フォー-あなたがほしい】</p><ahref="https://blogmura.com/profiles/11138716?p_cid=11138716"><imgsrc="https://blogparts.blogmura.com/parts_image/user/pv11138716.gif"alt="PVアクセスランキングにほんブログ村"/></a>恋はホット・ココアのようにすぐ冷める
(Op.20250511/Studio31,TOKYO)トラベローグ ———旅の記憶 ——— はがし忘れた付箋のようなもの。 【LuisMiguel-CuandoCalientaelSol】はがし忘れた付箋のようなもの
(Op.20250510-3/Studio31,TOKYO) 曽祖父が昔住んだという芝白金は坂の多い街。*清正公の方から来たバスのエンジン音が、今、坂の下から聞こえている。初夏のいち日、長い石の階段を吹き上がってくる風に、不思議な懐かしさがある。 【TheZombies-GoingOutofMyHead】 バスのエンジン音が、今、坂の下から聞こえている
(Op.20250510-2/Studio31,TOKYO) 最初は、好きなもの・好きな作家を真似するところからはじまる ——— これを何年か続けようとするクリエーターは無数にいる。そんなことをしているうちに、慣れて、飽きて、面白くなくなってきて、このままじゃいけないなと思うあたりからようやく自分の形(スタイル)ができあがっていく。しかし、ものを作る人の多くは、ここに至る前にリタイアしてしまう ——— 才能がないという以前に根気がないのだろう。 【南佳孝-憧れのラジオガール】 才能がないという以前に根気がないのだろう
(Op.20250510/Studio31,TOKYO) 痩身の家系で、昔着ていた服を今も着られる人(初夏の福源山明月院)。 【PaulSimon-LeavesThatAreGreen】 昔着ていた服を今も着られる人(初夏の福源山明月院)
(Op.20250509-2/Studio31,TOKYO)なにかを失うと、後からあれをしておくんだった、これもしておくんだったと悔やまれることがほとんど ——— 無くしたものの大切さに気付くのもそんな時。湯むきしたトマトをふんだんに使って煮込んだソースで、ポルペッティーネを作ろうと思う ——— 食べるのは、ひとりぼっちになってしまったけれど...。【ElkieBrooks-Don'tCryOutLoud】 食べるのは、ひとりぼっちになってしまったけれど...
(Op.20250509/Studio31,TOKYO) 例えば、それは、上着の肩先に付いた糸くずのようなもので、気付いて、取ってあげようかどうかと迷うことと似ている ——— つまり、それは、どうでもいいことか否かと同じ判断を求められる場面なのだ。 【そこに鳴る–ダイアモンド】 上着の肩先に付いた糸くずのようなもの
(Op.20250508-2/Studio31,TOKYO 夏の妹(カメラテスト)。 【須藤薫–涙のステップ】 夏の妹(カメラテスト)
(Op.20250508/Studio31,TOKYO) 残念ながら白昼夢でしかなかったのだが...。 【TheCrystals–There'sNoOtherLikeMyBaby】 残念ながら白昼夢でしかなかったのだが...
(Op.20250507-2/Studio31,TOKYO) 焼いた塩鮭の身より皮の方が好きな人。 【microstar–夕暮れガール】 焼いた塩鮭の身より皮の方が好きな人
(Op.20250507/Studio31,TOKYO) 観光客向けに売られている写真はがき ——— 赤く焼けた娘の肌がビーチパラソルの色によく馴染んでいる ——— を水口イチ子がわざわざ送ってくれたのは、フライト先のタイのカオラックビーチからだったろうか、それともジャマイカのネグリルリゾートからだったろうか。「次の交代が来るまでの合間に遊ぶ二日間だから、人が思うほどリラックスはできないのよ」なんて言い訳のような走り書きがしてあった。 【AlStewart–SandInYourShoes】 赤く焼けた娘の肌がビーチパラソルの色によく馴染んでいる
(Op.20250506-3/Studio31,TOKYO) コレクションに整理は必須。後日、その一群を検索できないようではコレクションの価値が勿体ないものになる。これは、1984年の7月か8月の写真。七里ヶ浜。 1984年の7月か8月七里ヶ浜
(Op.20250506-2/Studio31,TOKYO) 「早く食べないと干からびちゃうわよ」。柑橘類は収穫後、時間を置くほど酸味が減るもので、其れによって糖度と酸味が食べ頃になるのを調整できる。とは言っても、デスクの端で食べ忘れられていたデコポンが未だ食べ頃どうかは食べてみないとわからない。 【Poco-Pickin'UpThePieces】 早く食べないと干からびちゃうわよ
(Op.20250506/Studio31,TOKYO) 夏の岬は、西南の風が吹く。*簡易舗装こそされてはいたものの、その先の緩い上り坂は道幅が狭く、父のコテージの前庭へは小さな車しか乗り入れられなかった。止むなく父は、その家の200メートル手前・坂下の蜜柑畑の片隅を駐車場として借りた。その春、免許をとったばかりのぼくが手に入れた、ボロボロの中古トライアンフもまた、そこに一緒に停め置かれることとなった。*夏休みに入ると近所に住む旧知の水口イチ子がその小学低学年の弟を連れて頻繁に遊びに来るようになった——この間まで中学生だとばかり思っていたイチ子は、来年はもう大学受験だという。*ぼく達三人がトライアンフで遊びに出かける時、当初は駐車場までの下り坂を三人揃って黙々と歩いていたが、ある日を境にイチ子は、その片道...その先の200メートルとスケートボード
(Op.20250505-2/Studio31,TOKYO) 夏の妹(由比ヶ浜)。 【TheBeachBoys-DoYouWannaDance?】夏の妹(由比ヶ浜)
庭に洗濯物を干しに行くイチ子さんと廊下ですれ違った。SNSでぼくの古いツィートがリポストされてたという。リツイートされたテキストを調べてみると、『日本では大ヒット映画『エクソシスト(1973)』の監督として記憶に残るウィリアム・フリードキンが1970年に撮った『真夜中のパーティ』について思い出したように書くのは、さっき自分のライブラリーでポスターを見つけたから。この手の問題についても、日本はアメリカと比べて未だ五十年以上遅れているのがわかる。』懐かしい記事だった。日本の当時の時代背景を考えれば、輸入した配給会社も配給会社だった。邦題を付けるにも往生しただろうが...。*ある週末に『気の合う仲間達』がバーティに集った。だから無理矢理の『真夜中のパーティ』 ——— しかし、この『気の合う仲間達』、実は全...気の合う仲間達
(Op.20250505/Studio31,TOKYO) 五月の初め、庭に咲いた林檎の白い可憐な花を見つけ、イチ子さんが桜と見間違えたのも無理はなかった ——— ゴールデン・ディリシャスとインド林檎の間に生まれた品種が桜に似た花を付けたのだ。「秋にはちゃんと収穫できるんでしょ?」とイチ子さん。「よほど丹精しないと収穫までは漕ぎ着けられないと思う。養生を怠れば残らず害虫や野鳥のランチになってしまう...。観賞用として眺めてるのが一番気楽かな」と説明すると、きみは、いささか不満げに唇をとがらせてたっけ。余程収穫したい様子だった。気持ちはわかるが、いざ、袋掛けとなるとぼくがやることになるから、ここで不用意なことは言えない。*サマーニットの可愛いらしいワンピースに早々と袖を通したイチ子さんが漆喰の張り出し窓に腰掛...五月の乾いた風
(Op.20250504-4/Studio31,TOKYO) ぼくとイチ子さんがキッチンに立つと、普段から比較的よく作る、スコットランド料理のスコッチ・ブロスという具沢山のスープがある。彼の国ではいち年を通じて最もよく食べられるそうだ ——— 解り易く説明すると ——— トマトを使わないミネストローネのようなもので(北のスコットランドでは夏野菜のトマトは栽培に不向きなのかもしれない)、そこに普段は鶏肉ととろみ付けにオートミールを加えて煮込むだけ。休日など、簡単に食事を済ます際には、他にスコーンかパンがあればご馳走となる。【Haircut100-MilkFilm】 スコッチ・ブロス
(Op.20250504-3/Studio31,TOKYO) 神田神保町の路上。ムーンドッグ氏など佇んでいそうな夏の夕暮れ。 ムーンドッグ氏など佇んでいそうな夏の夕暮れ
(Op.20250504-2/Studio31,TOKYO) 年の瀬に鮮やかな紅い実をつける南天が、今年もこの初夏に白い花の蕾を膨らませはじめる。 【TheHollyridgeStrings-Wendy】 今年もこの初夏に白い花の蕾を膨らませはじめた
(Op.20250504/Studio31,TOKYO) デジタル動画には出来ない ——— 8mmフィルムの映写音と画質のみに巻き戻せる時間がある。 【ThePenFriendClub-Darlin'】 8mmフィルムの映写音と画質のみに巻き戻せる時間
(Op.20250503-4/Studio31,TOKYO) 夏の妹(稲村ヶ崎)。 【TheVentures-StrangerOnTheShore】夏の妹(稲村ヶ崎)
(Op.20250503-3/Studio31,TOKYO)砂の道を中浜へ下る。八月最後の週末———白波ばかり、もう誰もいない。 【TimothyB.Schmit-SoMuchinLove】 もう誰もいない
(Op.20250503-2/Studio31,TOKYO) 新潟県津川から福島県会津へ峠道を車で越えた時のことだ。気付けば車は日当たりの良い台地状の広い畑の一角を走っていて、ちょうどサトウキビのように人の背丈よりも高く、里芋のように葉ばかりがやたら大きな作物が見渡す限りに植えられている場所だった。それは、今までに遭遇したことのない風景だった。「何を作っているのかしら」イチ子が言う。農道が交差する角の畑の一本の作物の幹に白いプレートが結びつけられているのをイチ子が見つけ、ぼくは面倒がることなく、車をゆっくり後戻りさせた。車を停めて二人で読む文字———初めてその一帯一面の耕作物が何であるのかようやく判明した。と、その時だ———梅雨の晴れ間の陽射しが急に強烈さを取り戻し、それまでに台地が含んでいた水分を陽炎に...ある年の夏の初めのことであった
(Op.20250503/Studio31,TOKYO)夏の妹(茅ヶ崎)。 【NancyBoyd&TheCapello's-Let'sHangOn】夏の妹(茅ヶ崎)
(Op.20250502-4/Studio31,TOKYO)夏の妹(千代田区)。 【TheBeachBoys-Don'tHurtMyLittleSister】夏の妹(千代田区)
(Op.20250502-2/Studio31,TOKYO) 夏日の週末。イチ子がキッチンで呼ぶので行ってみると焼き上がったばかりのパイとアイスコーヒーがあって、ランチにしようと言う。パイは新作の『茸のアヒージョ味のミートパイ』でアイスコーヒーは、めずらしくてどうだと言わんばかりのソーダ割り。どちらのレシピも今日のところは『秘密にしておく』のだと言う。「茸のアヒージョ味のミートパイって、そりゃあ食べたい。聞いただけじゃ味が想像できないもの」コーヒーのソーダ割りも濃いコーヒーを炭酸水で割ればいいんだろうというような安易なものじゃないらしく、いろいろ試して編み出すのに三日もかかったという————三日という日数が努力の賜かどうかは当事者じゃないので評価は出来ない。ところで、さっき三階の張り出しから鯨の風見を...イチ子のビーチサイド・スタイルのランチ
(Op.20250502/Studio31,TOKYO) 沖縄県国頭郡東村宮城の具志堅さんのパイナップル畑からは、海は見えない。*収穫されたパインが、農道際にいくつもの小山に積み上げられていく。東京生まれ、東京育ちのぼくが、なぜ具志堅さんの畑で働くことになったのか...。大学二年の夏休みに沖縄を旅した時のことだ。たまたま宜野座村の『民宿玉城』に泊まった。そこの主人は、毎年、パインの収穫時期になると、琉大農学部で同級だった具志堅さんの畑に収穫を手伝いに行っていたのだったが、今年は痛風の具合が悪く、動けなくて困っていたところに————『飛んで灯にいる夏の虫』————旅程の自由な学生のぼくが客として民宿に転がり込んだのだった。勿論、慣れないので作業能率は悪いのは分かりきっていたけれど、玉城さんが、東京から来た...『てぃびち』とカチャーシー
(Op.20250501-4/Studio31,TOKYO)遙か昔、世の中でウインド・サーフィンがブームになりはじめていた頃のことだ。そんな時代のことだから、ましてやディンギーのインターナショナル・レーザーやシーホッパーなどで海に出るのは道楽息子、道楽お嬢の類と思われていたようだが、実際はオートバイや車など、より高価な趣味は他にも沢山あって、誤解の多くは海で遊ぶという些かブルジョア的な背景が大きく加担していたようだ。ある夏の朝、由比ヶ浜のフリートに着くと、すでに強風注意報が出ていて、ぼくと仲間達は早々と出艇を諦めた。しかし、塩っ気の多い連中ばかりなので、さすがにそそくさと帰ることはなく、みんな今日いち日を海のそばでどう過ごすかと早くも相談を始めていた。結局、長谷駅の近くの酒屋から生葡萄酒を買ってきて、海を...海鳴りと浜風とスバル360
(Op.20250501-3/Studio31,TOKYO) 『レンタル落ち』という言葉が、もはや死語かどうかは知らない。しかし、そんなDVDでも手に入っただけ幸運とは言うべし。というこのDVDもコレクションに加わって早くも15年程。夏に観たい映画というよりも、観ないと夏が来ない映画と言える。 波の数だけ抱きしめて
(Op.20250501-2/Studio31,TOKYO) カラのインク壜を透かして見ればたわんだ硝子面の向こう側に真新しい夏不均一な光の屈折で季節の色取りがWatercolorのように滲む休日の午後緑陰のこちら側もまた誰もいない楽園 【AcousticBeatlesBand-IDon'tWantToSpoilTheParty】 真新しい夏
(Op.20250501/Studio31,TOKYO) 英語圏の文芸にWordSenseという言葉がある————『話したり書いたりして表現するときに使う最適な言葉を選び出す能力』のことだ。将棋に例えるなら、次の一手を長考して探る行程に等しい。しかし、文芸の場合は将棋と違い、長考した割には意味が理解されにくい表現にたどり着くことも少なくない。 【TheLa's-ThereSheGoes】 避暑地の女-夏の軽井沢・万平ホテル
(Op.20250430-3/Studio31,TOKYO) サザンビーチカフェで、たった一度見かけただけの人に、もう一度会いたいなんて思う方が無理な話なのだが...。 サザンビーチカフェで見かけた人
(Op.20250430-2/Studio31,TOKYO) それから数日後の或る朝のことだった。夏らしい色を帯た美しい空を背景に、ハナミズキの白い小さな花が揺れているのに初めて気付いた。 それから数日後の或る朝のことだった
(Op.20250430/Studio31,TOKYO) 七月の終わり。美しい夏。月曜の朝。 七月の終わり美しい夏月曜の朝
水口イチ子を巡るエクリチュール(文体)は、美学的な問題ではなく...
(Op.20250429-3/Studio31,TOKYO) 水口イチ子を巡るエクリチュール(文体)は、美学的な問題ではなく、構造的な(時間を掛けて文章を推敲してゆく職人的なエクリチュールの)問題である————内容よりも書く苦労自体に価値を認め、音読するときの文章のリズムによって魔力的に陶酔させられる。 【TheRollingStones-RollOverBeethoven】 水口イチ子を巡るエクリチュール(文体)は、美学的な問題ではなく...
(Op.20250429-2/Studio31,TOKYO)遠く何億年もの昔、わたし達の祖先は海で暮らしていたという——まだ人の形をしていない頃のことだ —— 日長、波の音にうつらうつらしながら、きっと、生きたアンモナイトも見たことだろう。【TheHollyridgeStrings-Wendy】 きっと、生きたアンモナイトも見たことだろう
ユベール・ロベールの廃墟画 —— 廃墟と点景は共に長い時間軸の上にあって...
(Op.20250429/Studio31,TOKYO) 中学・高校と美術部だった割りには、ぼくは、どちらかと言えば絵は下手くそだし、美術史も西洋の宗教画を多少理解する程度で、それ以上の知識は至ってお粗末と言っていい。そんな状況にあって、なぜユベール・ロベールのいわゆる廃墟画にここまで惹かれるのか我ながらその理由を見出すのにしばしの熟考を要するほどだ —— そもそもいつから好きだったのかも今ではもう思い出せない。2012年にフランス大使館の後援でロベールの作品が日本を巡回した時のカタログ——副題『時間の庭』—— が今手元にあって、それを自分でも呆れるくらい飽きずに眺めるときがある。石造りの家屋の歴史の長い国々では、廃墟と言っても日本建築の廃墟とは違い、完全に土に帰ることはない。後世の人たちがその石の廃墟...ユベール・ロベールの廃墟画——廃墟と点景は共に長い時間軸の上にあって...
(Op.20250428-2/Studio31,TOKYO) とうとう、パターソンのスリーフィンを買ってしまったんだね。 パターソンのスリーフィン
(Op.20250428/Studio31,TOKYO) ランチタイム。鎌倉七里ガ浜。海の見えるテラス。イチ子が椅子にかけたまま背筋を伸ばす——江ノ島がちょうどイイ大きさに見えると言う。 江ノ島がちょうどイイ大きさに見える
(Op.20250427-3/Studio31,TOKYO) まるで、天使が身をやつしているかのような人がいる。 天使が身をやつしているかのような人
(Op.20250427-2/Studio31,TOKYO)今は、もう、あの夏の日々ではないのだ。【TheAnitaKerrSingers-AloneAgain(Naturally)】 今は、もう、あの夏の日々ではないのだ
(Op.20250427/Studio31,TOKYO) 普段、好きで飲むカクテルなら自室で手を伸ばせばいつでも作れる。昨夜は、ドライ・ジンとプロ用のストレート・オレンジジュースにシュガーシロップを加えてオレンジ・ブロッサムを作った。午前三時に急にソルティー・ドッグを飲みたくなって作った。グレープフルーツジュースはノン・シュガー——ソルティー・ドッグに塩を使うのは、日本人がスイカに塩を振る発想と同じだろう。音楽も、急に思い出したようにJazzSamba。ズーッとイチ子の写真を整理していた。 【StanGetz·CharlieByrd-ELuxoSo】 ズーッとイチ子の写真を整理していた
(Op.20250426-2/Studio31,TOKYO) さて、朝食の卵料理は何にしようか。トーストには何を付けよう——いつものピーナッツ・バターとフルーツ・ジェリーか?今日の天気なら、シャツとソックスは、どれにしよう...。靴は?etc.、etc. 人はいち日に、六万回思考するという。いったい今日、ぼくはきみを五万回くらい思い浮かべられるだろうか...。 【TheDoors-LightMyFire】 いったい今日、ぼくは...
(Op.20250426/Studio31,TOKYO) 砂と潮風に曝される海浜の風土では、普段着の洗濯回数も自然に増え、結果、生地は良い具合にこなれ、馴染んでくる——古着であっても、その手入れの行き届いた服装は、海辺に住む人達らしいファッションとなる。 海辺に住む人達らしいファッション
(Op.20250425-3/Studio31,TOKYO) 日本の8mmフィルムの現像は、2000年代に終了してしまった。というわけで、この1995年撮影のフィルムは存在自体も貴重で、二十歳の動く水口イチ子が写っている。 【SeanLennon-ThisBoy】 二十歳の動く水口イチ子が写っている
(Op.20250425-2/Studio31,TOKYO) 右の二の腕の肌が乾燥して痒かった。当初、歳のせいかと思ったが、試しに冬の保湿剤を塗ったら治まった。カサカサは歳のせいではなく、エアコンが原因かもしれない。ぼくの痒みは歳のせいと言ってイチ子さんは聞かないが...。 ぼくの痒みは歳のせいと言ってイチ子さんは聞かないが...
(Op.20250425/Studio31,TOKYO) G.W.——観光客の雑踏に紛れ込まずに町内を移動する。 G.W.——観光客の雑踏に紛れ込まずに町内を移動する
(Op.20250424-3/Studio31,TOKYO) イチ子のおじいさんが、東京オリンピック(1964)のヨット競技種目『インターナショナル・ドラゴン級』で世界と競ったのが、この葉山沖。 『インターナショナル・ドラゴン級』で世界と競った
(Op.20250424-2/Studio31,TOKYO) 南の海の、赤道をまっしぐらに越えた、とある島影の向こう —— そのコバルト・ブルーの海に、かつて、見果てぬ夢を追った人達がいたことを我々は今も忘れずにいるだろうか。*「この写真の機体は、ゼロ戦ですかね?」とカメラマン。「確かにゼロ戦に似てはいるけど、垂直尾翼と方向舵がゼロ戦より大きいという特徴がある。それとプロペラが曲がっていないところを見ると、フロート付きの水上機が正しく着水したと推測できる。つまり、この写真の機体は、ゼロ戦を水上戦闘機に改修した二式水上戦闘機と踏んだね。フロートは木製だから、もはや朽ちて、失われてしまってるけど...」「パイロットは、どうなったと思います?」と彼。「こういうふうにきれいに機体が残っているということは、撃墜され...プロペラ音まで聞こえてくるようだ
(Op.20250424/Studio31,TOKYO) 人生の転機は、それまでの生活パターンを一変するタイミングでやって来る——就学、卒業、受験、就職、結婚、転職、退職などが普遍的なそれだ。それぞれに別れ道があり、どれを選べば良いかは同時に試せないので厄介——中にはロスを取り返し辛い選択ミスもあるから人生は大変。*ところで、結婚相手が人生最初のお付き合いの相手という例は少ないから、過去のそれぞれの別れに後悔が残る。男の場合、『女のように心の清算の踏ん切りが良くない』から、過去の別れの後悔を一生引きずることもある——年をとって『自分が生涯で一番好きだった人は』と考えたとき、遙か過去の人だったりするのは極めて良くある話。 【木暮"shake"武彦×三国義貴×TheLadyShelters-Jumpin'...清算の踏ん切りが良くない
(Op.20250423-2/Studio31,TOKYO) ここでは、ゆっくり呼吸が出来る。 【CraigRuhnke-KeepTheFlame】 ここでは、ゆっくり呼吸が出来る
(Op.20250423/Studio31,TOKYO)街路を圧した界雷は遠ざかり街角には名残の西風が吹くああ五月の初め...*タイムズスクエア42丁目停止信号の交差点目前の路面に綿雲の影気温華氏七十度...いつもと変わらないノイジーな朝【TheFastbacks-GoAllTheWay】 いつもと変わらないノイジーな朝
(Op.20250422-3/Studio31,TOKYO)冬は、あきらめきって寒さに甘んじていましたが、昨日今日のように少し暖かいと、次の季節への期待が高まります。これは、いつの年だかの『梅雨明け十日』の思い出。【TheAnimals-BoomBoom】 いつの年だかの『梅雨明け十日』の思い出
(Op.20250422-2/Studio31,TOKYO) 1500万年前に海底火山から噴出した、固い溶岩塊の表面を流れ落ちる、袋田の滝 —— 規模は幅70メートル以上、落差120メートルに至るという。昔より領内で名瀑の噂高いこの滝を一度見ようと、かつて水戸黄門も訪れたとか。 1500万年前、ここは海底だった
(Op.20250422/Studio31,TOKYO) その島を地図で適確に指し示すのは、イタリア人にもたやすいことではないらしい —— 詰まるところ、観光ビジネスとは縁が無いようだ。宿泊には小さなホテルが数軒、日本でいうなら、昔、旅商いの人が泊まった宿のようとでも言おうか。すこぶる美味しい白ワインは地産地消で島から出ることは稀だ。*さて、彼女を最初に見かけたのは、あまねく晴れた午後の時間だったか —— 地肌の想像の色と体付きから、極東からの旅人を直感した。 【TheStyleCouncil-MyEverChangingMoods】 地中海、その鄙びた小島にて
(Op.20250421/Studio31,TOKYO) 凪 —— 風が止まる時間。座りこむ夏。海鳴りだけが聞こえる。*一度だけでも、きみに触れたかった。 【松尾清憲-ロング・ロング・ビーチ】 凪 —— 風が止まる時間
(Op.20250420-3/Studio31,TOKYO)古くは代々村長を務めた家系だという。今は民宿を営むその家の門構えは、島で、ひと際重厚な趣がある。本来、魔除けが目的という屏風(ひんぷん)を正面に見て、両側がガジュマルの大木、石垣に沿って雑草のようなアカバナーの群生があり、夏から秋にかけ、それらが白砂を敷き詰めた小道に濃い影を落として燃えるように咲くのに出会えば、ここが日本ではなく、どこか遠い、もっと南方の異国にいるかのような夢も見られたに違いない。宿の古老の話す、ガジュマルの古木に住む妖怪マーザ・カムラーマ(キジムナー)のことなどに旅人たちが耳を傾けたのは、あちらこちらの民宿の晩餐の席から、やおら三線の音も聴こえてこようという、琉球の小島の夏の宵のこと。*チャンプルーと泡盛とカチャーシーに縁取ら...さらなる南の島影への熱い想い
(Op.20250420-2/Studio31,TOKYO)作家・水上瀧太郎(みなかみ・たきたろう1887-1940)のデビュー作『山の手の子』の一節...。『きらきらと暑い初夏の日がだらだら坂の上から真直ぐに流れた往来は下駄の歯がよく冴えて響く。日に幾たびとなく撤水車が町角から現われては、商家の軒下までも濡らして行くが、見る間にまた乾ききって白埃になってしまう。酒屋の軒には燕の子が嘴を揃えて巣に啼いた。氷屋が砂漠の緑地のようにわずかに涼しく眺められる。一日一日と道行く人の着物が白くなって行くと柳屋の縁台はいよいよ賑やかになった。』この作家、後年の評価では小説よりも文明批評絡みのエッセイの方が質が高いというのが定説で、それらは岩波文庫の一冊『貝殻追放抄』で読むことができる。『山の手の子』は明治四十四年の作...日本の初夏を描く
(Op.202504020/Studio31,TOKYO) 手間を掛ければ掛けるほど、現実からかけ離れていく。 【しまむらテーマソング】 手間を掛ければ掛けるほど、現実からかけ離れていく
(Op.20250419-2/Studio31,TOKYO) 数年ぶりに訪れた場所などが、かつての印象とかけ離れて開発が進んでいたりすることが多い——近代では、人が住む、ほとんどの街がそうだ——ということは、進化発展するよりも過去の古い時代を留めておくことの方がどれだけ大変かが想像できる。かつて、稲村ヶ崎駅前の細い路地が、夏休みに入ると原宿のような大変な人混みになっていたのが懐かしい。海岸は、最早、海水浴場というよりサーフ・ポイントとしてのイメージの方が強くなった。 稲村ヶ崎
(Op.20250419/Studio31,TOKYO)大学では第二外国語として独逸語を選択した。理由は、当時の読書傾向がフランスよりドイツの作家に馴染みがあったというに過ぎない。当時読み込んでいた鴎外や堀辰雄の影響が大きかったと思う。だから、ハウプトマンやリルケ、ヘッセなどの作品には思い入れが深い。さて、そのドイツ語履修最初の時間のことだ。それまで講師の名前など気にも留めなかったが、その時初めて、それがマツモト・ツルオという人であると知った。それは、聞いたことが有るような無いような名前だった。何度かその名を頭の中で繰り返すうち、覚えのある、ひとりの文芸批評家が記憶の端に浮かんだ。しかし、その人の経歴からして、大学で語学教師をするような人にはとても思えなかった。自ら経歴を語るわけでもない、その四十代の寡黙...きみ、ぼくを知ってるの?
(Op.20250418-2/Studio31,TOKYO)だいぶ昔の話だ。ある年の春、那覇でレンタカーを借りて一週間程沖縄を旅した。海岸線に沿って反時計回りに本島を一周した最終日の夕方、右手に米軍キャンプ・キンザーを見ながら58号線を南下、勢理客(じっちゃく)の交差点を右折して国立劇場の方へ回り込んだ先に、最後の目的地『エフエム沖縄』はあった。大学時代の友人の与那嶺くんが、そこでプロデューサーをしていて、久し振りに会って飲もうじゃないかという約束になっていた。約束の時間に受付で待つと、間もなく背の低い、太い眉毛に例の浅黒い顔の、五十過ぎにしては比較的若く見える彼が現れた。「まだ、収録中なんだ。二本録りで、あと少しで終わるから、良かったらサブコンに来て、待たないか」と言う。副調整室など学生時代の番組製作演...魔法のビート
強い陽射しがギラリと濡れたアスファルトに弾んでいよいよ眩しい
(Op.20250418/Studio31,TOKYO) 四月も半ばを過ぎて『菜種梅雨』の終わりを予感させる、突然の晴れ間。強い陽射しがギラリと濡れたアスファルトに弾んでいよいよ眩しい——その刹那だ——そろそろ半袖のシャツでもいいなとイチ子は思った。 【Bridge-PoolSideMusic】 強い陽射しがギラリと濡れたアスファルトに弾んでいよいよ眩しい
(Op.20250417-4/Studio31,TOKYO) 街角に立って決してやってこない人を待つのがパワーなんだJackKerowac キング・オブ・ザ・ビート
(Op.20250417-3/Studio31,TOKYO)三月最終週の午前中、北鎌倉・円覚寺の境内を水口イチ子と巡った。その後、寺領の北のはずれを接する浄智寺脇の山道を登って葛原岡神社に至り、さらに銭洗い弁財天を経て鎌倉駅へと下った。途中、葛原岡神社に祀られている十四世紀の文人・日野俊基卿に、イチ子は、いたく感心したようだった。*昼を大分過ぎた頃、ぼく達は、鎌倉駅前商店街のとある食堂に座っていた。イチ子は生シラスを食べるのを楽しみにしていたのだが、一月から三月までは禁漁期間だと店で聞かされ、少なからずガッカリした。でも、その代わりに注文した冷凍シラスの釜揚げが揚げたてだったことを喜んだ。シラスを味わいながら、ぼく達は麦酒を飲んだ。そして今日いち日のことを話し、そしてまた麦酒を飲んだ。帰途、鎌倉駅前の豊島...鳩サブレー
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(Op.20250524/Studio31,TOKYO) 現在、『gooblog』の運営終了に伴い、運用は『amebablog』にて再開しております。https://ameblo.jp/lonesomewriter/で、お目にかかれます。 【TheByrds-We'llMeetAgain】 We'llMeetAgain
(Op.20250521-4/Studio31,TOKYO) 夏休みの間、弓ヶ浜は海水浴客とワカメ漁師優先になるので、マリンスポーツをする者は浜の西の隅に追いやられた。天候の良し悪しに関わらず、消波ブロックと防波堤に区切られた ——— 午後は日陰になる——— 角地へ行けば必ず数人の顔見知りのロコに会えた。とりわけ、ぼくと水口イチ子は皆勤でないにしろ、精勤賞をもらえるほどにはそこにいた。 【DickBakkerOrchestra-Godonlyknows】 必ず数人の顔見知りのロコに会えた
(Op.20250521-3/Studio31,TOKYO) 東京銀座五丁目三越前。中央に写るRICOHのサインボードに、デビューしたての最新鋭主力機種GRの広告が見える。故に撮影データを見なくても2013年とわかる。なんとなく古めかしく感じる写真だが、これが12年という時間の差なのだろう。水口イチ子と歌舞伎座の前で待ち合わせた日の撮影かもしれない。 中央に写るRICOHのサインボードに、デビューしたての最新鋭主力機種GRの広告が見える
(Op.20250521-2/Studio31,TOKYO) それは、ふたつの長尾根の間に渡された吊り橋だった。下は深い谷。長い時間をかけ、隆起と浸食により刻み込まれたようだ。橋は歩いて一分ほどで渡りきれるが、橋が架かる以前 ——— 随分昔のことだ ——— は、谷を降り、沢を渡り、急斜面を登り、きっと一時間以上かかったことだろう。梅雨入りも近い六月初めのある晴れた週末の午後、いつエンジンが動かなくなるかも知れない、古いアルファ・ロメオで出かけたドライブの道すがらのことであった。 【CliffRichard-Angel】 六月初めのある晴れた週末の午後
(Op.20250521/Studio31,TOKYO) スミレ科のビオラ ——— ぐい吞みや煎茶茶碗に移植して、部屋に飾る趣味人も少なくない。駐車場にある防火水槽のコンクリートの割れ目から咲いていると言って、イチ子がこの間から喜んで話題にする。 防火水槽のコンクリートの割れ目から咲いている
(Op.20250520-3/Studio31,TOKYO) トルーマン・カボーティの或るエッセイの部分に『預けられた叔母さんの家の近所の、野原や小川のほとりを散歩していた時に閃きがあり、急いで帰って、お尻に消しゴムの付いた鉛筆を何本かと黄色いレポート用紙を持ってベッドに潜り込み、最初の一行を書いた』というのがある。この『最初の一行』とは『遠い声遠い部屋』の、あの有名な書き出しの一行のことだ。あのような閃きが来るのを何ヶ月も待ち続ける作家もいれば、何年も待ち続ける者も、あるいは一生待ち続ける人もいる。もしかして、ぼく達が待ち続けているのは、単なる最初の一行ではなく、Godotなのかもしれない。 【TheBeatleslivesessionenEstudiosParaiso-DayTripper】 ぼく達が待ち続けているのは...
(Op.20250520-2/Studio31,TOKYO) 暑い休日だった。富士見坂の切り通しを下った商店街の外れにある、今はすっかりめずらしくなった萬年筆屋に愛用の古い一本を修理に出した帰り道のことだ。笛木の商店街には東京では一、二軒しかないという獣肉屋があって、店の前に『鹿肉入りました』と貼り紙がしてあるのを見つけた。そう言えば来週の土曜日はきみの誕生日だから、鹿肉のコンフィかアイリッシュ・シチューのどちらかを作ってあげられるなと思った。当日、バタバタとシチューを用意するより、コンフィなら予め作り置きが出来る利点と、この間のぼくの誕生日に叔父さんがくれたシャトー・ラトゥールもあることだし、メニューは鹿肉のコンフィに決定。ただ、コンフィに必要な鴨の脂身が禁猟中で手に入らないから、まあ、賛否両論ある...『鹿肉入りました』と貼り紙がしてあるのを見つけた
(Op.20250520/Studio31,TOKYO) 南の島の海辺にある粗末な小屋掛けみたいなレストランで ——— この国には開業に保健所の検査はないんだろうか ——— 焼いた豚足にBBQソースを掛けただけの料理にかじりついていたら、突然、スコールがやって来た。しばらく海を見ていると、沖合を、スタートしたばかりのマラソン・ランナー達のように、雨と雲が一団になって遠ざかっていくのが見えた。手前は晴れ、背景は雨というめずらしい景色があった。 【JoeSample&RandyCrawford-Everybody'sTalking】 焼いた豚足にBBQソースを掛けただけの料理にかじりついていたら
(Op.20250519-3/Studio31,TOKYO) 「好きなことは何ですか」と聞かれたら、「言葉をいじることです」と答えよう。何かを表現したい、主張したいなどということは二の次、三の次。増して、商売にしたいなどとは思わない。それは、滅多に釣りに出かけることもないのに、自室で釣り竿を磨いたり、仕掛けを作ったりするのが好きな釣り師に似ている。『それって楽しいんですかだって?』実は釣り師の目的は魚を釣ることばかりではないのですよ。『無の時間の中で自分と向き合うことを楽しむ』 ——— これも釣りの重要な楽しみだと知るべきです。それは、なにも水辺でなくてもいい。もし、何かについて書きたくなったら、例えばいわゆる恋愛小説のように登場人物の名前が違うだけで、他は大して変わり映えのしない話は出来れば書きたくな...文学趣味
(Op.20250519-2/Studio31,TOKYO) 驟雨。雨のち晴れ。 雨のち晴れ
(Op.20250519/Studio31,TOKYO) 五月の風は、初夏の光に透けて、溶け、紛れていく。 【EdisonLighthouse-LoveGrows】 五月の風は、初夏の光に透けて、溶け、紛れていく
(Op.20250518-3/Studio31,TOKYO) イチ子の永遠の夏。 【TheBeachBoys-AllSummerLong】 イチ子の永遠の夏
(Op.20250518-2/Studio31,TOKYO) 江ノ電の駅へは、ここからなら長谷より由比ヶ浜の方が少しだけ近いかもしれない。ここからなら長谷より由比ヶ浜の方が少しだけ近いかもしれない
(Op.20250518/Studio31,TOKYO)「今のショートボードってポリスター樹脂でできてるんだけど、ぼくが今でもたまに乗ってるロングボードって、昔はバルサ材を削り出して、それにガラス繊維を合成樹脂でコーティング...」もう、完全に聞いているとは思えない。 もう、完全に聞いているとは思えない
1950年代まで日本の英語高等教育の重要なテキストであったチャールズ・ラム(CharlesLamb1775-1834)の『エリア随筆(EssaysofElia)』も、今となっては、その知名度も含め、随分様変わりした。理由は、その文体に負うところが多い。『エリア随筆』中、珠玉の一篇とされる『古陶器(OldChina)』の文末近くの例えばこの一文、 Yetcouldthosedaysreturn —— couldyouandIoncemorewalkourthirtymilesa-day —— couldBannisterandMrs.Blandagainbeyoung,andyouandIyoungtoseethem —— couldthegoodoldoneshillinggallerydaysre...今時の『エリア随筆』
(Op.20250517-3/Studio31,TOKYO) 東京を立つまでは、HotelWhiteBeachという名前に、初めはサマー・リゾートらしい、やたらモダンな響きを感じていた。しかし、後で聞けば、網元が以前営んでいた白浜荘という鄙びた旅館を和洋折衷のプチ・ホテルに改築するに際して改名したというから、古い屋号をただ英訳したに過ぎなかったようだ。浜も白浜とは名ばかりで岩場が多く、海流の浸食で水深は波打ち際から急に落ちみ、それが理由か、浜は全面遊泳禁止になっていた。だから、泳ごうという者は嫌でもホテルのプールを使うしかなく、日光浴は浜辺で、泳ぐのはプールでというのがここでの作法らしかった。水口イチ子は、ここに来て以来、食事の、その妙な洋風の味付けに飽きたのか、「何か他においしいものって、この辺にはない...7センチの足先
(Op.20250517-2/Studio31,TOKYO) 写真や絵画のようにヴィジュアル分野の創作をする作家達の中には、昔から、加えて、文章で説明できたら良いのにと思う人は多かった。また、その逆に文学をする人達の中には、挿絵などヴィジュアル的な手法を取り入れられたら便利だと思う作家も少なくなかった。半ば希望を叶えられる人もいれば、旧来の伝統的な方法を強いられ、あるいはこだわる人もいる。出版の世界では、編集者や版元に資金と柔軟性がないと、今も叶えるにはなかなか難しい案件である。 【TheWalkerBrothers-MakeItEasyOnYourself】 今も叶えるにはなかなか難しい案件
(Op.20250517/Studio31,TOKYO) 「泳がないの?」「眠いの...」 眠いの...
(Op.20250516-2/Studio31,TOKYO) この夏の思い出が、ゆっくりと胸の底に溜まっていく。 この夏の思い出が、ゆっくりと胸の底に溜まっていく
(Op.20250516/Studio31,TOKYO) 「その優しさは、いったい、いつまで続くのかしら?」ときみに聞かれて以来、ぼくの愛は、ダーウィンが驚くほどの進化を続けている。 【R.E.M-NearWildHeaven】 ダーウィンが驚くほどの進化
ふたりで過ごす、初めての夏時間。<ahref="https://blogmura.com/profiles/11138716?p_cid=11138716"><imgsrc="https://blogparts.blogmura.com/parts_image/user/pv11138716.gif"alt="PVアクセスランキングにほんブログ村"/></a>初めての夏時間
【深夜ギャラリー】例えば、二人の夏は…。<ahref="https://blogmura.com/profiles/11138716?p_cid=11138716"><imgsrc="https://blogparts.blogmura.com/parts_image/user/pv11138716.gif"alt="PVアクセスランキングにほんブログ村"/></a>例えば、二人の夏は…
夏。午睡の夢。大汗をかいて目覚める。傍らの時計を見れば、昼寝に費やした時間は小一時間ほど。短いながら、不思議な次元を生きたようだ。<fontcolor="#ff9900">*</font>きみの肌の色はぼくと違って、スペインとインディオのハーフ・ブラッドらしいカフェ・オ・レ色。きみは、その豊満な褐色の太ももを作業台代わりにしてハバナ葉の葉巻を巻いていた——まだ、きみの体温が残っているよう。その巻き立ての一本をぼくに手渡しながら、「お昼、何か作りますか?」なんて日本語で聞いてくれたりする。傍らの開け放った窓から、レースのカーテンを大きく揺らして、熱く湿った南風が吹き込んでいた。あれはきっとカリブの風だったのだろう。遠く、街の喧噪も聞こえていた。<ahref="https://blogmura.com/pro...午睡の夢——カリブの風
英領ヴァージン諸島。首都ロードタウン郊外のホテル。プール・サイドに張られた白いキャンバス地のオーニングの下。赤く染められた手織りの麻のテーブル・クロスの上に、アジアからの旅人らしきその女性は、クラッシュド・アイスを入れたジン・ソーダのハイボール・グラスを置き、時折、それを陽の光にかざして見るのだが一向に口に運ぼうとはしない。ラジオから聞こえているのはジャマイカ・クレオール語の時報——トルトーラ・ショッピングモールが午後2時をお知らせします。カリブ海の湿気を含んだ風がゆったりと吹き抜ける午后。「日本の方ですか?」と彼女に声をかけるなど訳のないことではあったのだが…。<ahref="https://blogmura.com/profiles/11138716?p_cid=11138716"><imgsrc="...英領ヴァージン諸島
あるプロフェッショナルのバンドマンを知っている。ビッグバンドの花形テナーサックス吹きだった。彼の話では、テナーサックス奏者として、ある曲のあるフレーズを一息で吹けなくなったら、プロとして一線を退くという不文律があるそうだ。また、楽器ごとにそういったフレーズがあるとも聞いた。引退し、写真集配の仕事を得て夫婦暮らしを支えた。車持ち込みでルートをいち日ふた回り。渋滞がなければ九時五時の仕事で、早々と大好きな家飲みが始められたようだ。ウイスキーを水割りで毎日ボトル半分弱。一週間に二本以上飲む計算になる。つまみは、飽きるまで同じものを通すのがスタイルで、例えば大きくなくてもいいから、ステーキと決めたらズーッとステーキ。ふた月でもみ月でも続く。口に合ったのか、とりわけその期間が長かったのが豚足だったとか...。「普通...スポット・ライト
朝の雨が上がって、薄日が差し始めていた。庭のテラスに続く縁側のガラス戸が開け放つ音が遠くで聞こえる。 「チューリップも、もう見納めよー」と呼ぶようなイチ子さんの声。 洗面所の窓から庭を見遣ると、さっきまでの雨の雫が至るところで乱反射している。<ahref="https://blogmura.com/profiles/11138716?p_cid=11138716"><imgsrc="https://blogparts.blogmura.com/parts_image/user/pv11138716.gif"alt="PVアクセスランキングにほんブログ村"/></a>乱反射
今日は二十四時間、久々に何も書いていないいち日。恐らく、今週は何も書かないような気がする。無理して書くと、やっ付け仕事になる予感。年に何回かは思い返すことがある。それは、『重要なのは量よりクォリティ!』<fontcolor="#ff9900">*</font>何をブツブツ言ってるの、と振り向きざまにイチ子さん。<ahref="https://blogmura.com/profiles/11138716?p_cid=11138716"><imgsrc="https://blogparts.blogmura.com/parts_image/user/pv11138716.gif"alt="PVアクセスランキングにほんブログ村"/></a>量よりクォリティ!
『蜜月楼』という、その中華料理店のような屋号のレストランは都会なら兎も角、この海沿いの田舎道にポツンとあるのも場違いな景観で、増してや看板の『フランス田園料理』とあるのには、どこか怪しさがあった。これには用心深い食道楽でなくても、足を運ぶには多少の勇気がいるだろう。日本では滅多にメニューに見ない『トリッパ(牛の二番目の胃で日本ではハチノスという)のパン粉焼き』が食べられるかも知れないと思った。<ahref="https://blogmura.com/profiles/11138716?p_cid=11138716"><imgsrc="https://blogparts.blogmura.com/parts_image/user/pv11138716.gif"alt="PVアクセスランキングにほんブログ村"...蜜月楼
今日もまた、朝からアップルパイ。 白黒フィルム時代のアメリカ西部劇映画(時代背景は今から200年位前か)で、未だに印象深い台詞がある。若い、まだ子のない夫婦が営む小さな牧場に通りすがりの来客。農場主が言う。「今、アップルパイが焼き上がったところだ。どうだい、食べていくかい。こう見えても林檎の季節にゃ、パイぐらい食べられる身分なんだぜ」文献に当たると、当時の米国庶民の平均的な経済状況を示す目安は、林檎の実る季節にパイを焼けるかどうか辺りだったようだ。江戸時代の日本人に例えるなら、「こんな百姓家でも、正月だけは、腹一杯餅を食えるんだぜ」と言ったところか。<ahref="https://blogmura.com/profiles/11138716?p_cid=11138716"><imgsrc="https:/...朝からアップルパイ
あるひとつのイメージがあって、その内容の要約は平易な文章で説明し得る。しかし、それは芸術作品ではない。それを芸術の領域に止揚するのが文学的行為。作家のスランプは『書くことが見つからない』のではなく、『納得がいく表現方法が見つけられない』というのが的確だ——陳腐な表現方法を採用するくらいなら『書かない』、というのも『書けない』と同じ範疇にされているが、このふたつは全く別物。文学的スランプを前者の意味で使うなら、文業を突然中止したランボーやメルヴィル、或いはサリンジャーやピンチョンなどの寡作の理由も説明できる。<ahref="https://blogmura.com/profiles/11138716?p_cid=11138716"><imgsrc="https://blogparts.blogmura.co...ランボーやメルヴィル、或いはサリンジャーやピンチョン
きみのために、丁寧に髭を剃った朝。<ahref="https://blogmura.com/profiles/11138716?p_cid=11138716"><imgsrc="https://blogparts.blogmura.com/parts_image/user/pv11138716.gif"alt="PVアクセスランキングにほんブログ村"/></a>朝
日本では、文筆家が、何かしら思い詰めて執筆しない期間を思慮もなく単にスランプと呼ぶが、英語圏ではWriter'sBlockといって研究対象である。これについては、Wikipedia日本語版がよく書けている。ちゃんとお勉強して、しっかり研究した人が書いてくれているようだ。<ahref="https://blogmura.com/profiles/11138716?p_cid=11138716"><imgsrc="https://blogparts.blogmura.com/parts_image/user/pv11138716.gif"alt="PVアクセスランキングにほんブログ村"/></a>今日は、書かないの?
『蓮(れん)』は伝統的に粋な名前で、自分が女なら仮にでも普段から名乗りたいほどだ。昨今、『教養ある時代錯誤の粋人』もいなくなったのか、そんな名は次第に命名されることも減り、遂には廃れたようだ。 人生で今のところ、ぼくは、たったひとりしか知らない。<ahref="https://blogmura.com/profiles/11138716?p_cid=11138716"><imgsrc="https://blogparts.blogmura.com/parts_image/user/pv11138716.gif"alt="PVアクセスランキングにほんブログ村"/></a>蓮(れん)という名の女
生涯続く、好きな音楽の傾向や色、食べもの——異性の好みもそうかもしれない——などは、いずれも十代から二十二、三歳までの間の生活環境・経験に基づくという。あの人のどこがいいの、なんて聞かないで❗️アタシの趣味なんだから…。<ahref="https://blogmura.com/profiles/11138716?p_cid=11138716"><imgsrc="https://blogparts.blogmura.com/parts_image/user/pv11138716.gif"alt="PVアクセスランキングにほんブログ村"/></a>あの人のどこがいいの、なんて聞かないで❗️
深夜画廊『なんだか夜更かししたいカンジ#3』——「お酒は弱くないけど、恋には弱いの」<ahref="https://blogmura.com/profiles/11138716?p_cid=11138716"><imgsrc="https://blogparts.blogmura.com/parts_image/user/pv11138716.gif"alt="PVアクセスランキングにほんブログ村"/></a>恋には弱いの
ほぼ創作物全般に言えることだが、作家本人が好きな作品と、受け手側が評価する人気作品とは必ずしも一致しない。また、受け手側の評価も一作に集中することはなく、複数作に分かれるのが通例。その違いは、人それぞれに過去の行動や行為、記憶や思い出の差からくる、言わば感受性の土台が異なるからに他ならない。<fontcolor="#ff9900">*</font>この梅雨明け直後の終業式帰りのスナップ・ショット——明日から夏休みという、この場面、この一枚が、我ながら何故か見飽きない。明日から夏休みという日は、誰にも年にたったいち日しか巡ってこない——貴重な喜びのいち日の記憶が、ぼくの頭の中では、余りにも濃厚なのに違いない。<ahref="https://blogmura.com/profiles/11138716?p_c...誰にも年にたったいち日しか巡ってこない
当てにならない天気予報…。怪しい雲行きながら、時折、陽射しが乱反射する。 朝の風——長者ヶ崎を越えて来る。 今、今年初めてカシスのジェラートを食べたい気持ち。<ahref="https://blogmura.com/profiles/11138716?p_cid=11138716"><imgsrc="https://blogparts.blogmura.com/parts_image/user/pv11138716.gif"alt="PVアクセスランキングにほんブログ村"/></a>カシスのジェラート
今日、風のいち日。<ahref="https://blogmura.com/profiles/11138716?p_cid=11138716"><imgsrc="https://blogparts.blogmura.com/parts_image/user/pv11138716.gif"alt="PVアクセスランキングにほんブログ村"/></a>風のいち日
一瞬すれ違ったような出会いではあったが、今にして思えば、せめて名前くらいは聞いておけばよかったと思う——今更そんなことを言っても仕方の無いことなのだが...。紅茶のアールグレイが好きだと聞いた(ベルガモットの薫りは気持ちを落ち着かせるのだとか)——そんな些細なことを覚えているのに肝心な面影だけが次第に薄れていくような気がして...。まあ、それも仕方のないことか、何しろ今から三十年も前の話なのだから。<ahref="https://blogmura.com/profiles/11138716?p_cid=11138716"><imgsrc="https://blogparts.blogmura.com/parts_image/user/pv11138716.gif"alt="PVアクセスランキングにほんブロ...今から三十年も前の話なのだから
イチ子さんが休日のブランチに用意するサラダは、いつもパイナップル入り。それと、この頃じゃめずらしくなくなったけれど、モヤシの妹分のような豆野菜アルファルファも...。かつては、どこででも手に入らなかったらしく、出かけたついでに例えば麻布十番あたりのマーケットで買ってきていたようだ。ドレッシングは、決まってサワークリーム。それがダイエットのためなのか健康のためなのかは、まだ尋ねたことはない。 サワークリームは日本人の味覚からすれば酸っぱいだけで甘くなく、なんとも味気ないけれど、ぼくはイチ子さんの前で美味しくなさそうに食べたことはないと思っている——もちろん、美味しそうに食べたこともなかっただろうけれど...。 以前、なにが切っかけだったか「アメリカにはサワークリーム好きが沢山いるわよ」とイチ子さんがキッパリ...いつもパイナップル入り