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きみの靴の中の砂 https://blog.goo.ne.jp/disinfectant1953

このサイトはWeblogの体裁を採っていますが、実際は "Creative Writing" の個人的なワークショップです。テキストは過去に遡り、随時補筆・改訂を行うため、いずれも『未定稿』です。

みなさんに感謝: アラン・ロブ=グリエ アルベール・カミュ 伊藤整 岩科小一郎 エリック・ホッファー 尾崎喜八 金子光晴 クロード・シモン ジャック・ケルアック 田村隆一 辻邦生 辻村伊助 永井荷風 久生十蘭 フィリップ・ソレルス 船知慧 ブルース・チャトウィン ポール・ヴァレリー ミシェル・ビュトール 森鷗外 森茉莉 吉田健一 ル・クレジオ ロラン・バルト

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多摩市
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杉並区
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2022/04/07

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  • 80点以下になることなどあり得ない

    ①授業が始まる前までに、教科書のその日学ぶ予定範囲に目を通す(読むだけだから五分もかからない)。読みながら直感的に大事そうな行(沢山付けることはなく、精々数箇所)にマーカーを付ける。②授業が始まったら、ノートは取っても取らなくてもどちらでもいいが、先生が話の中で強調しているように感じた部分(話だけはちゃんと聞いていないとイケない)に相当する教科書の行に予習の時とは違う色でマーカーを付ける。③試験の前日、『講義中に教科書に付けたマーカーのある行の総て』と『予習時に自分で付けたマーカーとそれが重なっている部分』とをノートに書き写す。二、三度書き写せば充分。これだけでテストが80点以下になることなどあり得ない。勉強時間は短いくせに、これでいつもクラスで上から五番以内の成績。余った時間は、晴れていればボードを抱え...80点以下になることなどあり得ない

  • ベーカリー・ハーヴェイズのイングリッシュ・マフィン

    「ノースダコタ州の州都を答えなさい、と質問されるのと、ビスマルクはアメリカのどこの州の州都か答えなさい、と質問されるのとでは、どっちがクイズらしく感じる?」とイチ子さん。どういう事情からの質問なのか謎だが、「あとの方かな」とぼく。「やっぱりそうよね…」と思案顔。さて今は、どんな仕事を引き受けているのやら。旅行作家のイチ子さんとしては、一応、その仕事の範疇だとは思うのだが...。 時計を見れば、間もなく十六時。ベーカリー・ハーヴェイズで、明日の朝食用のイングリッシュ・マフィンが焼き上がる頃。 ハンガーフックからアウターを取ると、ぼくは、「マフィンを買いに行ってくる」と言ってアパートメントを出る。 2ブロック先(日本の感覚だと二百メートルと言ったところか)まで歩く間に、昨夜、イチ子さんが、モーツァルトの『ジュ...ベーカリー・ハーヴェイズのイングリッシュ・マフィン

  • 人参畑が続く道

    温かな、遅い春の雨が降った翌朝に蒔かれた種は、初夏に白い花をつける。 * 今はまだ誰もいない、人参畑が続く道。人参畑が続く道

  • 見渡す限り家一軒ない土地ではあったものだから...

    アリゾナ州をアルバカーキから国道40号線で西海岸へ向かう途中、コロラド川を渡る手前の湖水地帯に添ってオートマン=トポック・ハイウェイを北上する。全くなにもない荒野の一本道。日中の気温が摂氏43度にもなる風土だ。途中、置き忘れられたかのようにポツンと小さなドライブインが一軒——給油所を兼業する食堂『トポック・マリーナ』とサインボードにある。ランチ・タイム。メキシコ料理ケサディーヤ、11ドル61セント。メニューによると、それはビーフのミンチをチーズと共にトルティーヤで二つ折りにして挟み、よくわからない少量の油で焼いてある。言わば、お好み焼きに似た挟み焼きである。若いウエイトレスのAmberさんにミンチの部位を尋ねるとリブ・ロースだと言う。ついでに、彼女が、この砂漠のような職場にどこから通ってくるのかも聞きたい...見渡す限り家一軒ない土地ではあったものだから...

  • そんな夜のことだ

    このところの夜半にトッキョキョカキョク(特許許可局)とやかましく鳴いていたホトトギスは、なんの気まぐれからか河岸を変えたようで、入れ替わりに近くの土手の茂みでウシガエルが鳴きはじめた。そんな夜のことだ。いつものように浅い眠りから何度か覚め、枕頭の富永太郎詩画集をパラパラとめくっていて、ふと思った——この詩人は、詩も書いたから詩人に分類されているけど、一度は絵描きを目指してもいたし、本質的には画家なのかもしれないと…。そんな夜のことだ

  • アボガドの種

    農協の売店に野菜の種を買いに来た帰りに寄った、と言う。最近、人に話したくなるような事って、何かあった❓と聞くと、遊び半分でアボガドの種を鉢にいけといたら芽が出て、今、30センチ位に伸びたと嬉しそうに話す。アボガドの種

  • カレーライス

    「昔、フランスでコニャック地方へ行った時、街のビストロで、隣にいた酔っぱらって鼻が赤いおじさんに、この辺で一番人気のあるコニャックの飲み方って何ですかって聞いたの。そうしたら、若い奴等はコカコーラで割って飲んでるよ、だって。びっくりしちゃった」 それには、ふたりとも笑った。 「まあ、好きなように飲めばいいってことだよ。日本なら高価な大吟醸酒でも、少しくらい加水して飲む人がいてもいいってことじゃないかな」<fontcolor="#ff9900">*</font> 「お昼はカレーライスよ」お盆休みにどこにも行かない代わりに、今日の日曜日は、もう昼からパーティー気分。 カレーライス——なぜだか急に遠藤賢司を思い浮かべた。初めて聴いたのはいつだったっけ...。1968年12月の渋谷公会堂だったような気がする。そん...カレーライス

  • 三差路、五差路のある街

    なんで渋谷の街が好きなのか...。いつだったか水口イチ子に尋ねたことがある。 答えは、都会らしく区画整理された規則正しい街並みに、突然、それに則らない三差路、五差路が出現するところだという。できるなら、そくな街に住んでみたいとも言う。 確かに三差路、五差路などはには、古い街の歴史が染み込んでいるようだ。そんなところには、昔は地蔵尊などが祀られていて、行く人が手を合わせていたに違いない。三差路、五差路のある街

  • 誰も起きてなさそうな日曜午前三時

    絵のストックはあっても、適当なテキストのストックが無いときの深夜絵画館『なんだか夜更かししたいカンジ#1』——誰も起きてなさそうな日曜午前三時。誰も起きてなさそうな日曜午前三時

  • Once Upon a Time

    OnceUponaTime——遙か昔にあった夏休み中のでごとを思い出してみないか。OnceUponaTime

  • 葉山港近くの海岸で読書する水口イチ子

    図書館で日本文学史を手に取り(勿論買ってもいい)、昭和時代以降、詩人として認定を受けた人は数十人いるが、詩人自らによる朗読を聴いたことのある一般人はそんなに多くないだろう。YouTubeの無かった時代は、詩人の自作朗読を聴くには肉声しかなく(極めて稀にレコード)、朗読会も仲間内に限定されたもの以外は存在しない時代背景があった。一般人が交通費や会費を払ってわざわざ詩の朗読を聴きに行くことなどあり得なかったわけだ。ぼくは、大学の詩歌論の最初の講義で神保光太郎先生が自作詩、もうひとつ、音源で尾崎喜八が自作『ある晴れた安息日の夕暮れに』の朗読を聴いたことがある。それらの朗読は、テレビなどで『プロの歌手』が歌うのと『シロウトがカラオケで歌う』のとほど違いがあった。具体的には抑揚、強弱があり、まさに歌い上げるような音...葉山港近くの海岸で読書する水口イチ子

  • 随分長い間疑うことはなかった

    水口イチ子は、以前から自分の背が高いことを気にしていた。例えば雑踏で他人の視線に曝されるときなど、彼女には、それをことさら気にする様子がうかがえた。 そんな時だ、少しでも背を低く見せようと、屈み加減に少し背中を丸めるという悪い癖が出るのは...。 そんなこともあって、彼女が踵の高い靴を履いたのをこれまで見たことはなかったし、ロウ・ヒールの靴しか持っていないのだとぼくは随分長い間疑うことはなかった。 ところが今、目の前で「お待たせしました」と笑うイチ子の足もとにはハイ・ヒール。それに加え、服装もシンプルではあるがHipな色使いで、以前にも増して晴れやかなチョイス——だから、とりわけ目をひく。 水口イチ子は、なぜにイメージを変えるに至ったのか。随分長い間疑うことはなかった

  • 国家太平、家内安全を祈願す

    令和六年初午の日(20240212)、東京ドームシティ内鎮座、錦秋稲荷社に陶製稲荷神を奉納。国家太平、家内安全を祈願す。国家太平、家内安全を祈願す

  • One Too Many Mornings

    OneTooManyMornings——たくさんの朝の、ひとつOneTooManyMornings

  • ローマまで二十六時間

    昔、水口イチ子とイタリアへ初めて旅したときのことだ。「あの頃、(ぼく達にはお金がなくて)アリタリアの直行便には乗れなくて、オール・ニッポンだったかジャパン・エアだったかは忘れたけど、それで羽田からニューデリーまで行って、そこから確かエア・インディアのハンブルク行きに乗り継いだんじゃなかったっけ?それでもまだローマは遠くて、ハンブルクからさらにルフトハンザでやっとローマ。直行便なら十七時間くらいで行けたんじゃなかったかなぁ。ぼく達は、二十六時間くらいかかっちゃったけど…」「そうそう、それに航空会社にも段取りの良し悪しとかがあるのか、すぐに乗換便に乗せてくれることもあれば、三時間くらいほったらかしにされて、積み残して行かれちゃったのかと思ったこともあったよね」ローマまで二十六時間

  • 夜が更ける頃

    空腹を感じたら、それを満たすだけのなるたけ少量の粗食を摂り、陽の高いうちに眠くなれば、しばし居眠りをする。目覚めていれば、こぢんまりした一文をどこからか見つけてきて、ノートに書き写し、幾度か声に出して読み上げてみる。画家で言うデッサンのようなものだろうか…。 そうするうちに夜が更ける。 その過程でなにか閃くものがあって、なにかできそうな予感がしたら、チューブ入り生ワサビのように、きみのための新たな一行をギューッと搾り出す。夜が更ける頃

  • 好きな歌を聴いて過ごす朝

    春。 雨の安息日。 スーパーで見つけた季節はずれの林檎——旬に一番よくできたものを選別して、翌年の収穫まで地道に保存販売されたと聞いた(たいした保存技術!)。って言うわけで、こんな季節はずれにも林檎が食べられる。*好きな歌を聴いて過ごすイチ子さんの朝。好きな歌を聴いて過ごす朝

  • その理由

    人を好きになったり嫌いになったりする理由は、精々ひとつかふたつあれば充分という説もあれば、それは全く不要で直感だけでいい!という現実もある。その理由

  • 港近く —— 横浜市中区海岸通り

    横浜市中区海岸通り——まだ携帯電話なんてない頃のきみから来た封書にあった住所だ。 その頃、そこをぼくは一度だけ訪ねたことがある。 住所にあった建物——砂岩造りの古い三階建てのビルは、既に割と瀟洒なオフィスビルに内装が改められ、きみのフラットがあったはずの三階の一角は、洋酒を輸入する商社がこぢんまりとした事務所を構えていた。 きみがもう住んでいるはずもないのを知りながら、もしかしたら…という妄想が頭の中を漂う。 * ふと立ち止まった大岡川にかかる小さな橋の上で耳をすますと、桜木町の駅も近く、辺りの騒音が川筋に反響している。 あの日、きみは世界のどこかにいて、ぼくのことなどとっくに忘れてしまっていたかもしれない。 振返れば、港湾事務所の屋上に掲げられた大きな電光掲示板に『F』のサイン——港湾内異常なく、船舶は...港近く——横浜市中区海岸通り

  • その夏へ向けて

    浜松町から羽田行のモノレールが目黒川と京浜運河の合流点を過ぎ、水面にその姿を映しながら対岸に八潮北公園が見えてくれば、モノレールが北部陸橋の上を通過するのは間もない。  自転車で家を出て、運河まで七、八分のサイクリング。  日曜の朝の午前七時、水口イチ子はコンクリートの堤防にあがり、久し振りに穏やかな運河を見おろしていた。初夏の熱気が早くも水面に漂うのがわかる。  就職もしなければ進学もしない。この決定ついて父は「オレに金があるうちだけだぞ」と笑ってはくれるのだが…。 この春が終ろうとしていた頃、進路指導の先生は、こんな調子の父娘を前にして、ただただ呆れていた顔が記憶に残る。 イチ子にとって知りうる大人の世界は、まだ想像の域を出るものではなかったが、自分の行動に責任を感じながら顔を上げて生きていく自信があ...その夏へ向けて

  • 敗者復活戦

    きみは何でも一番が好きだったから、ぼくはそこのところをきみに譲って、これからはずっと二番でいいと思った。ところがそれは思い違いで、ふたりしかいないから二番は常に敗者で、その日以来、ぼくは毎日、敗者復活戦を戦うことになった。敗者復活戦からゴールド・メダリストになった話は、ぼくは今のところ聞いたことがない。敗者復活戦

  • 337キロメートル

    夏の初め、久しぶりに帰省したというきみを、偶然、街で見かけた。 「しばらく会わないうちに太ったでしょ」ときみ。「そう?」とぼく。「二十代の頃は、お腹だってペッタンコだったの、あなた、よく知ってるじゃない」きみが気になる辺りをさすりながら言う。 この四半世紀、きみは、たった一度の結婚に失敗して、今も嫁いだ先の街に一人で暮らしていると言った。 小柄なきみに見上げられながら、結婚しているのかと小声で聞かれ、縁が薄いようでまだだと明かす——この四半世紀、ぼくは、結婚に至らない恋愛を三回した。 わずかな時間の立ち話——連絡先も聞かないまま彼女と別れて、またしてもそれっきり。 昔、きみが、煮え切らないぼくをあきらめて他の人と結婚したあとも、ぼくは時折、申し訳ない気持ちできみを思い出しては無性に会いたくなることがあった...337キロメートル

  • 人生を多少変えてもいい

    好きな人の趣味や生き方、芸術家なら好きな作家の作風などを真似したくなるのは自然な行為らしい。心理学ではモデリングと呼ぶそうだ。 さて、恋したら、気になる人のために自分の人生を多少変えてもいいと思うのも、実はそんなことなのかもしれない。人生を多少変えてもいい

  • 朝から夏の陽射し...

    朝から夏の陽射し...朝から夏の陽射し...

  • 角砂糖

    海から上がるたびに、タオルや着替えを入れたバッグに隠した(家の台所からタッパーに分けて持ってきた)角砂糖を、ランチ代わりに二つ三つ口に放り込むくらいで、今にして思えば、あの夢のような夏の時代は、お昼を食べる時間も惜しがって遊んでたっけ。角砂糖

  • この石の階段をのぼった先

    最早、ジャン・コクトーの全集は古書肆からしか手に入らない。上梓された全集は、今から半世紀程前の東京創元社版が最後だったと思う。もっとも、主要作品さえ読めればいいというなら今でも文庫に数多ある。なにしろ日本では1920年代から翻訳されているほどの人気者。 日本の翻訳者も錚々たるもので、これだけの陣容であれば彼の墓参りをしたことのあるのはひとりやふたりで済むはずはない。*フランス、ミィイ=ラ=フォレにあるサン=ブレーズ=レ=サンプル礼拝堂。そこにある彼の墓には、”Jeresteavecvous”と刻まれている。 それはもう、この石の階段をのぼった先のこと。この石の階段をのぼった先

  • 一本のペーパーナイフを買おうかと決めかけているのだが...

    広い公園の一角にある赤いレンガ積みの図書館の大窓を額縁にして、落ち葉をかぶったパティオに水の止まった噴水の天使が寒そうに立ち尽くす。 今はもうここに来る必要がなくなったと見えるきみの面影を、今も閲覧室のあちらこちらに探すのだが、どうやら徒労に終わるばかりのこの頃。 きみを初めて見かけたのはいつだったか。 きみが調べものの合間に、時折、書棚から選んでいたのと同じ本を今こうして手に取ると、突然きみの手に触れたような錯覚を覚える。レイモン・ラディゲ、『肉体の悪魔』——きみはこの本のどこを拾い読みしていたのだろう。はたまた、それを知りたいと願うこの気持ちは、いったいどこからやって来るのか。 ぼくは今、この想い出の記念に、ラディゲが書いたように、一本のペーパーナイフを買おうかと決めかけているのだが...。一本のペーパーナイフを買おうかと決めかけているのだが...

  • 自分で読みたくなるような文章

    かつてキャリフォルニアのアルコール漬けのイカレたライター(ここだけの話だがチャールズ・ブコウスキー)が言っていた——自分の文章に自信が持てなくなったら誰か他人の文章を読むといい、そうすると自信が甦ってくる、だって。 <fontcolor="#ff9900">*</font>自分で読みたくなるような文章を書くことを目差す——これは地味な意見だが大切なこと。自分で読みたくなるような文章

  • それを撮った場所は覚えていて

    部屋の本棚を整理。偶然、高校生の頃に使っていた教科書の頁の間に、写真が一枚挟んであるのを見つけた。いつ挟んだのか記憶にはないけれど、それを撮った場所は覚えていて、撮ったその日の午後の出来事もまた去年の夏の事のように思い出せた。それを撮った場所は覚えていて

  • 何が起きているか

    世間で何が起きているかなんて興味がなくなって以来、煩わしさを感じることが減った。最近は、ニュースもネットの見出しを一瞥する程度。総理大臣が替わったっていうくらいのことしか記憶に残らない。<fontcolor="#ff9900">*</font>知らないで済むニュースが世の中には多すぎる。何が起きているか

  • 鳥のように空へ向かう?

    昔、鳥を神と崇めた人達がいた——彼等には、死がひとつの憧れだったことを裏付ける痕跡があるという。 人は死んでから後、鳥のように空へ向かう?*『天国や極楽、或いは、あの世』なんていうよく分からない場所よりも、『空』の方が具体的で分かり易く、行ってみたくもなる。鳥のように空へ向かう?

  • 遅い猫の足取りで…

    昔、横浜で買ったのだとイチ子さんが言う。その猫の柄を見てたらサンドバーグの詩の一節を思い出したと言うと、彼女はそれを遮るように、「『霧が来る、遅い猫の足取りで…』って言うやつでしょ!?」正解!これまたイチ子さんの謎の読書体験。遅い猫の足取りで…

  • 晴れて西風の吹かない日

    四月初旬の菜種梅雨が終わって、本格的な梅雨に入るまでのふた月程が一年で一番好きだ。湿度が高くないのがいい。晴れて西風の吹かない日の、カリフォルニアの陽気のようだ。晴れて西風の吹かない日

  • 35万画素

    35万画素のデジカメで撮った写真で現存するのは三枚(多分)。元の画素数が画素数だけに、どんなに手を施しても画質はこの程度止まり。35万画素

  • 妄想癖のある人

    写真と絵画の決定的な違いは、文章芸術同様、絵画は実在しないものを描ける点。妄想癖のある人には絵画は持って来いだ。目の前にモデルも必要なければ、ロケに出かける手間もいらない。妄想癖のある人

  • 五月の乾いた風

    五月の初め、庭に咲いた林檎の白い可憐な花を見つけ、イチ子さんが桜と見間違えたのも無理はなかった。ゴールデン・ディリシャスとインド林檎の間に生まれた品種が桜に似た花を付けたのだ。 「毎年秋には収穫できるんでしょ?」とイチ子さん。 「よほど丹精しないと収穫までは漕ぎ着けられない。養生を怠れば残らず害虫や野鳥のランチ。観賞用として眺めているのが一番気楽かな」と説明すると、きみは、いささか不満げに唇をとがらせてたっけ。 余程収穫したい様子だった。 気持ちはわかるけど...。いざ、袋掛けとなるとぼくがやることになるから、ここで不用意なことは言えない。 * サマーニットの可愛いらしいワンピースに早々と袖を通したイチ子さんが漆喰の張り出し窓に腰掛け、庭先を眺めていたのは、五月の乾いた風が颯爽と部屋に吹き込む朝のことだっ五月の乾いた風

  • えっ? 飲み込んだの?

    「朝ごはん食べた?」「ガム食べただけ」「えっ?飲み込んだの?」えっ?飲み込んだの?

  • 上には上がいる

    芸術系の大学がいいのは、季節休暇が長いところ。入学してみて驚いたのは、(選択科目にもよるが)ぼくの最初の夏休みは、6月の最終週から始まって9月初旬まで続いた。休みが長いといっても、ただ長いだけではなく、宿題と言うか課題が昔の小学生のようにあった。例えば『文芸創作』を選択すると、四百字詰め原稿用紙40枚程度の短編小説のプロットを三十作分考えて提出、とか。これなど、中途半端な気持ちで入学してきた者(クラスのほとんど)には死にたくなるような分量だ。もっとも、一学年百人ほどいる学生のうち二人くらいは三十作に留まらずに四、五十作を捻り出し、そのうち出来のいいものを三十作選んで提出する、というようなレベルの学生もいる——どんな分野にも上には上がいるもんだ。上には上がいる

  • 雨が似合う人

    気象学の定義にピッタリの今の天候――『気温が低く、雨がちの日々が続く』、これが菜種梅雨。更に古くは催花雨と称す。長雨は好かないが、呼称はいずれも雅で好ましい。快晴が似合う人は多いが、雨が似合う人もいい。雨が似合う人

  • イチ子、透かさず欲張る

    「いつまでも若い頃の気分でいられる方法ってあるんだろうか。勿論、歳を取れば容姿が劣化するのは仕方ないにしても、気の持ち方くらいはどうにかならないもんかな」ぼくが言うのをイチ子は頷きながら聞いている。ぼくは続けて、「今の人が持つ疑問や悩みへの解答とか対処方法は、二千年前のギリシアやローマの哲学者が既に著作に書いてるって読んだことがあるけど、この問題についてはどうなんだろう」「そうね、あたし達が知らないだけで既に誰か偉い人が書いてるかもね。そう言えば、さっき聴いていたクリストファー・クロスの歌にもなんかそんな感じの歌詞があったような気がするけど...。確か有名な映画主題歌だったやつよ」「"ARTHUR"かな?」「そう、それ!」 iPhoneで検索した歌詞の中に、それらしいところを見つけてイチ子に示しながら言っ...イチ子、透かさず欲張る

  • 海を着てるみたいだ

    この夏、腰越の家で見つけた古写真。そのうちの一枚…。「干したTシャツは、潮風の匂いがして海を着てるみたいだ」と言って、庭先できみがはしゃいでいたのを思い出す。海を着てるみたいだ

  • 古い8ミリフィルムに映るコップの水の向こう

    気温が上がるに連れて、飲物も次第に温かいものから冷たいものに移っていく。そうするうちに夏。アイスティーも飲み飽きた頃、やっぱり冷たい水が美味しいと思う瞬間が来る。体重の60%は水だというから、一番馴染みある水分が”Water”というのは理屈に合う。<fontcolor="#ff9900">*</font>古い8ミリフィルムに映るコップの水の向こうにきみが映っていたら、一気に飲み干してしまいたくなるだろうな。古い8ミリフィルムに映るコップの水の向こう

  • どの靴を履いていくかも決められないのに...

    今週末、食事に誘われている――しかも三人から。 手が空かないのを理由に、まだ誰にも返事をしていない。第一、どの靴を履いていくかを決められないのに、どうすれば食事の相手を決められるのか。どの靴を履いていくかも決められないのに...

  • あと8秒あるかなしか...

    ところで、太陽は時速160万キロメートルという、ちょっと想像し難いスピードで銀河系宇宙を楕円を描きながら回っていると言われている。でも、そんな速さでも一周するのに2億年もかかるとか…。*人が宇宙を研究する時、そのままの数字では桁が膨大で扱いづらい。そこで偉い人達が、その2億年を2億分の1にスケールダウンして、1宇宙年と呼んでいること聞いた。大雑把な計算をすれば、1宇宙秒は、およそ6.3年。例えば西暦零年は、たった5分30秒前ということになる。 ぼくが水口イチ子を知ったのは、宇宙秒に換算すると、今からおよそ5秒前。この先50年一緒にいたとしても、残りは、あと8秒あるかなしか…。 つまり、人生はそう長くはないということだ。あと8秒あるかなしか...

  • 1991年の夏が始まった頃

    「外国に身を置いて初めて見えてくるものってあるよ」と水口イチ子が言った場面を、ぼくは、今も覚えている。それは、ふたりして横浜の本牧ストリートにある"MOONCafe"に出没しはじめた年のことだから、1991年の夏が始まった頃のことだ。1991年の夏が始まった頃

  • 七の倍数で生まれ変われる

    人間の細胞って六、七年で全部入れ替わるって聞いた。だからそれ以来、人は、もちろんアタシも含めて、七の倍数で生まれ変われるって信じてるんだけど...。七の倍数で生まれ変われる

  • わからない

    違うふたつの話題を交互に話すから、どっちの話題に相づちを打っているのかわからない。わからない

  • 黄色い浮き袋

    夏の想い出1994黄色い浮き袋

  • とにかく黄色好き

    ぼく達の黄色好きは、いったい、いつの頃からだったか。 古い記憶をたどれば、黄色好きの本家はぼくで、イチ子は確かショッキング・ピンクなんかを好んでいたような覚えがある。 高校に入って気付くと、イチ子は進んで黄色を身に付けるようになっていて、以来、彼女は自称黄色好きを通しているけれど、もしかして『好み』をぼくに合わせているのかも知れない。確かめることもないまま、ぼく達は、今日も黄色を身に付ける。とにかく黄色好き

  • 海棠、そしてアヤメ、花菖蒲...

    「鎌倉の駅から歩いてほんの数分のところに、こんな静かな花のお寺があるのをどうしてみんな知らないのかしらね」言い終わると水口イチ子は山門をくぐって、ひとりで先に行ってしまった。 「ここはね、桜が終わるとすぐに海棠、そしてアヤメ、花菖蒲...」とぼくが言いかけたのもろくに聞かないまま…。 ここ妙本寺に咲く海棠は、四月半ば過ぎからが見頃。その花の柔らかな色は、毎年、中世の、日本の春の情景をぼくに思い描かせる。 * 「ねぇー、ランチは材木座へ行きましょうよ!海の見えるテラス席のあるレストランが沢山あるわよ」離れた本堂の一段上がった外縁から、イチ子の声は、妙に暖かく境内に響いた。海棠、そしてアヤメ、花菖蒲...

  • 相づちを打つはずもなく

    珊瑚をあしらい、南海に見立てたウォーター・タンク(水槽)の中で、熱帯魚が昇降運動を繰り返すのをふたりで見詰めていた。 「きみたちは、なぜ水平に泳ぐのが嫌いなのかな?」とイチ子さんが硝子越しにクマノミに話しかける。「大昔から珊瑚礁のイソギンチャクと仲がいいから、横方向に行動範囲を広げる必要がなかったからじゃないか!?」 ぼくのいい加減な答えに、きみが相づちを打つはずもなく…。相づちを打つはずもなく

  • いつまでもここに居られそう

    「右手が豊後水道、その先はもう太平洋よ」とイチ子さん。「それと、霞んでしまってるけど、向こうに長~く見えるのが佐田岬...」湿った夏の大気がのし掛かる昼下がり。かすかに軽飛行機のエンジン音が聞こえる。「夏の旅もそろそろオシマイだね」とぼく。「仕事はテレワークだし、支払いはiDで済んじゃうし、居ようと思えばいつまでもここに居られそうよ」と言ってイチ子さんは笑う。いつまでもここに居られそう

  • 古いカセットテープ

    昔、自分が倉庫代わりに使っていた階段下の物置部屋で、何を詰め込んだか、もうすっかり忘れてしまったダンボール箱を見つけた。開けてみると、分解された現像機やトランジスタラジオ、赤い小さなラジカセなど、古道具が詰め込んである。四十年くらい前のもののようだ。見れば、ラジカセにテープが一本入ったまま...。見覚えがある。当時、乗っていた中古のアルファ・ロメオにはラジオしか付いてなく、遠出のときなど好きな曲を聴きたいときは、好きな曲をカセットテープにダビングして、ラジカセを車に持ち込んで聴いていたのが懐かしい。ラジカセのハンドルに結んだままのコードをほどいてコンセントに繋いでみる。ラジカセも中のテープも、まだ生きているだろうか...。スイッチを入れる——最初の曲が聞こえてきた。このテープをいつ、誰のために作ったのか、...古いカセットテープ

  • バナナチップス日和

    ところで、首都ワシントンD.C.のコロンビア・ハイツに、太古に隆起した海岸段丘があって、昔そこに暮らしたインディアン達は自分達の部落をマンナハッタと呼んだそうだ。それが所を移し、なまって、今日のニューヨーク・マンハッタンになったという。さて、今日、休日の午後、ピクニックがてらセントラルパークまで足を伸ばした。先週、アパートメントの隣に住む、ロシアの文豪トルストイ似の爺さんが自ら揚げたという『バナナのチップス』と、アメリカン航空でパイロットをしている友人コールくんのフライト土産、ケニヤ産の『緑のお茶』という名前ながら煮出せば真っ赤な色のお茶をサーモスに入れて持ってきた。味から推測するに南アフリカの一部に自生するルイボスを移植したもののようだ。多少酸味は抑えられている。セントラルパークもこの辺りには、マンナハ...バナナチップス日和

  • 少女がパン屋の店先に姿を見せようかという朝の時間

    イチ子さんの今月は、フランスで取材。画家でエコール・デ・ボザールの学生でもある女友達のパリのアパルトマンを頼って、モンマルトルでひと月に渡り滞在中。*アパルトマンの筋向かいには伝統あるパン屋。イチ子さんがパリに着いてこの方、年の頃なら十二、三歳の、金色の髪が朝日に美しく映える少女が、毎日早い時間にパンを買いに来るとメールにあった——イチ子さんが階上の窓辺に起き抜けのカフェ・オ・レを飲む頃、その少女は現れるという——メールに添付された写真には、友人が描いたという朝のパン屋の店先の絵。壁の時計に目をやれば、東京は午後二時。パリとの時差は東京がプラス七時間。モンマルトルでは、そろそろ例の少女がパン屋の店先に姿を見せようかという朝の時間である。少女がパン屋の店先に姿を見せようかという朝の時間

  • 止めなさい!

    イチ子さんの手のひらにヤドカリ。ぼくが、そのヤドカリになりたいと念じているのを知ってか知らずか(知るわけないよね)、イチ子さんは、(こともあろうに)それを海へ帰そうとしている様子——止めなさい!止めなさい!

  • ポテトフライでアクセル全開

    ポテトを素揚げにしただけのチップスやフレンチフライじゃなく、それを櫛形に切って下茹でしたものにパン粉をまぶして揚げ、そしてそれにウースターソースをかけて食べる——いわゆるポテトフライ(フライドポテトとは違う!)が気に入ってしまい、この春は二日と空けずにて食べていた。ペンフレンドクラブの"NewYork'sALonelyTown"をエンドレスで聴きながら、揚げ立て熱々、たっぷりのポテトフライとビールで済ませた夕食は何度もあった。ポテトフライでアクセル全開

  • どこかに書いてあったかも知れない

    いつもの年のように春が来るとキジバトの夫婦が庭先にやって来る。この一種は生涯ツガイを維持するそうだ。以前はそのまま庭木の葉陰に巣をかけて子作りしていたが、木が高く伸びた今は、天敵の猛禽類に見つかる懸念が生じたか(近所に猛禽類をペットにしている人が二人もいるのだ)、春の挨拶を済ますとどこか別のところに巣作りに行くようになってしまった。ところで、鳥にはそれぞれの鳴き方の一般的な表記法がある。例えば街中にいるハトは、ポッポーと鳴くなどだが、キジバトのそれは異なる。だが、表記された文字を未だ目にしたことがない。先日やっと、尾崎喜八が書いた古いコラムの切り抜き(東京新聞1962年3月29日夕刊)にそれを見つけた。『デデッポッポー』と鳴いているという。言われてみれば確かにそうだが、デデッの部分を『デ』だか『ベ』だか聞...どこかに書いてあったかも知れない

  • サーフ・ポイントの端っこ

    ここはハワイ諸島、加えて観光客も疎らな小島。更には、とある弱小サーフ・ポイントの端っこ。穏やかな天気が続いていて、海を眺めるだけなら今日も最高のいち日になるに違いない。このビーチに出没するサーファーのほとんどはロコで、他にはFMで波のコンディションを聞いて車で遠征して来る者がわずかにいるだけ。5フィート程までの波は中級者にはいい練習になるが、それ以上の高波中毒者となると全く物足りず、今週のように波待ちの日々になる。*アルコールを飲んだら波には乗らないので、そうと決めたら、いつものビーチ屋台で飲みながら海を見て過ごす。聞こえる音は、潮騒と屋台のラジオ、他には客がいれば彼等の会話だけ。サーフ・ポイントの端っこ

  • 風の日曜日

    ハナスミレの季節が終わると初夏。イチ子さんがクロスグリのジャムを作った。デザートスプーン二杯のそれをコップ半分のお湯に溶かし、それに氷を入れて冷やして飲む。ポアロの好物・カシスシロップというのは、きっとこんな味なんだろう。***今日は風の日曜日。江ノ島まで透きとおったように見える。*イチ子さんは、なにがおかしいのか。風の日曜日

  • イチ子と春の一瞬

    十年前の今日のような春のいち日、ぼく達はなにをして過ごしていたっけ——思い出すには、過去と直感的に関われる端緒が必要。例えばこんな220mm×220mmの正方形1号のキャンバスに描いた『イチ子と春の一瞬』のようなものが...。イチ子と春の一瞬

  • 学校は好きだったよ

    学校は好きだったよ。もう一度通えって言われるなら、また同じ制服着て、同じ高校がいい。学校は好きだったよ

  • なにかが足りない!

    なにかが足りると、なにかが足らなくなる。だからアタシ達は、いつもなにかが足りない。なにかが足りない!

  • なおも上昇中

    夏休みも、部活とプール管理で登校の要アリ。*本日、水銀柱は気圧1000ヘクトパスカルをアッサリ超えて、なおも上昇中——ジリジリと陽射しの音すら聞こえてきそう。なおも上昇中

  • 黄水仙の花言葉

    というわけで、昼と夜が同じ長さだと世間で取りざたされていたその日も過ぎ、いつ植えたものかも忘れてしまった庭の黄水仙の株から、今年最初の一輪が咲きました。茎がまだしっかりしないうちに大きな蕾をつけたせいで、その重さから、大地に横たわったままに花咲く運命を選択したようです。かつて、別れた人は、黄水仙を愛して止みませんでした——花言葉は、何でしたっけね?黄水仙の花言葉

  • 画家高間筆子、享年二十一歳

    かつて、京王線明大前駅から歩いてすぐのところに、とある私設美術館があった。資金の都合からか、今は、もう無い。間口が狭く、見過ごしてしまう人も多かったに違いない。さて、そこは、もはやこの世にいない、ある女流画家の『絵のない美術館』——なぜ絵がないかというと、関東大震災で、そのすべてが焼けてしまったから...。彼女の画業は、その詩画集出版のために版元が撮影した数枚の天然色写真と白黒写真に残るのみである。画家の名は、高間筆子。資料によると兄は、大正から昭和にかけて少なからず名の売れた鳥類画家・高間惣七。余談だが、そんな兄の作品も今はもう簡単に観ることはできない。東京芸術大学が同大美術館で卒業制作の自画像展を開催する機会に、注意していれば辛うじて見つけられるだろう。さて、その高間筆子は不運にも大正中期に世界的に流...画家高間筆子、享年二十一歳

  • ハーヴェイ君、惨敗

    東京、19時。タワーが間近に見えるホテルの15階のバー"KangarooHop"にぼくはいて、いつものペルノを注文していた。実は、このホテルのメイン・バーとダイニングは3階にあるのだが、夜景の美しさと肩の張らない雰囲気が気に入って、ぼくは、もっぱら、このセカンド・バーの方をよく利用していた。いつもバー・カウンターの定位置に立ち、国籍は不明だが(恐らくマレーシア界隈か)、ここ数年、都内で十指に入ると噂されるようになったバーテンダーのテリー・Bに、未だたどたどしい日本語で「もしかしたらフランスの方よりも、ペルノがお好きかもしれませんねェ」と感心され、「な~に、ただの通風予防ですよ」などと、この夜も与太な返答をしている時のことだった。きわめて目もと涼しい大人の女性がひとり、カウンターのスツールに腰を掛けた。テリ...ハーヴェイ君、惨敗

  • アリゲータ・ペア

    知った当初は、鰐梨という果実の容姿が想像できなかったし、ましてやそれをワニナシとカタカナで表記するものだから、必要以上に混乱した。のちにそれはアボガドの和名だと知って——なんてイカさない訳語なのかと思った。調べてみると、アボガドの皮がワニの皮膚に似ているところから英語では別名アリゲータ・ペア(AlligatorPear)とも言い、ワニナシは、まさにその直訳に過ぎなかったのだ。もっと気の利いた訳語を当てられなかったものかと残念に思った。でも、ダウン・タウンを下町と訳した、日本翻訳史上最大の誤訳と比べたら、ワニナシの件など取るに足りない。アリゲータ・ペア

  • まだ少し眠い、午前五時

    潮騒か。明け方、目覚めかけた耳の奥で聞こえている——日中、海やプールで耳に水が入った日に、たまにある現象だ——頭を動かすと、ゴミだか耳垢だか、耳の中でゴソゴソ動く。潮騒より断続的な音だから、ヤドカリが地面を這っているようにも聞こえる。起きて活動すれば、そのうちに聞こえなくなるから、それまで大人しくしていよう。まだ少し眠い、午前五時。まだ少し眠い、午前五時

  • 古いロンドン訛り

    ポートモレスビー・ジャクソン国際空港でジャンボ・ジェットを国内線の古い双発プロペラ機に乗り継いで一時間。そして、行き着く島の港からフェリーに揺られて半時間。ようやく上陸したのが、環礁に囲まれた周囲三キロにも満たない離れ小島。唯一のホテルも客室はツイン・ルームがたったの三つ。フェリーは一日一度か二度の往復だけだから、宿泊客を含めても、日々、島の人口が1ダースを超えることはないという。<fontcolor="#ff9900">*</font>仕事続きの合間に、幸運にも手に入った短期休暇、思い切って足を伸ばしたのだと水口イチ子がメールで知らせてきたのは、『日本の春に秋の収穫を迎え、日本の秋に春の花咲く南半球の国』からであった。ホテルを営む老齢の白人夫妻は、見事なまでに古いロンドン訛りで彼女をしばしば戸惑わせると古いロンドン訛り

  • 珊瑚礁を吹く風

    白波が浅く砕けるリーフの一角に幅三ヤード程の狭い水路が切ってあって、本島からは小型のボートでその島に渡ることが出来た。島と言っても引き潮の時にテニスコート四面程の白い砂地が顔を見せるだけだから、厳密には、やはり珊瑚礁なのだろう。今朝、食事の後、ホテルのテラスでムーアヘッドの『恐るべき空白』を読んでいたら、少し顔見知りになった年配のウエイターが、比較的聞き取りやすいコックニー英語で話しかけてきた。「フロント・デスクに言えばフィンとボードを貸してくれますから、リーフまで遊びに行ってこられたらいかがですか。風も穏やかですし、それに今日は、ちょうど昼過ぎから引き潮になるのでタイミングも良いでしょう。送り迎えは、ホテルがボートを用意しますから...」*そう言われて、やって来て、本当に良かった。五人の客を上陸させると...珊瑚礁を吹く風

  • 半袖

    半袖にしようかな...と思う最初の春の日が、もうすぐ来る。半袖

  • 懐かしいじゃありませんか

    学校のプール掃除は、高校だと水泳部が担う。学校によっては、掃除は春休み中にも済ませてしまうらしいが、うちの学校はゴールデン・ウィーク明けがプール開きだから掃除計画は多少悠長。懐かしいじゃありませんか、高校二年生の頃のイチ子さん。*さて、パステル画は出来上がると、定着液をスプレーしてストック。後から探し易いように写真に撮ってデジタル化して整理しておく。懐かしいじゃありませんか

  • フォール=ド=フランスの飛行場の匂い

    カリブ海のフランス領、西インド諸島マルティニーク産のダークラム——現地のオジサン達がするようにお砂糖を入れて飲む。壜に蓋をし忘れ、そのままソファで眠ってしまったら、翌朝、部屋の中はフォール=ド=フランスの飛行場の匂い。フォール=ド=フランスの飛行場の匂い

  • 大事なものを無くした時

    「とっても大事なものを無くした時ってどうするのが一番だと思う?」とイチ子さんが聞く。「探すか、もう一度手に入れるかとか...」「ここでは、二度と手に入らないものとしての話よ」「う〜ん、なんだろう。わからない。どうするの?」「簡単な話よ。いさぎよく、あきらめるのよ!」大事なものを無くした時

  • 本気でそう言った夏もあったのだから...

    国際列車の窓を透かして遠くヨーロッパ・アルプスの山並みを数えた旅もあった。スイスのバーゼルを立って七時間余り...。車列は、かつて、戦争があるたびに国境線が何度も引き直されたという大地を進む。今、風のように流れていく風景は、ルクセンブルクかベルギー辺りか。車内では、もう何時間もドイツ語とフランス語が聞こえていて、時折、それに英語が混じる。列車は途中いくつかの国を経て、あと一時間もすれば、終着駅アムステルダム中央。車中で見た午睡の夢に出てきた人は、昔、激しい恋のさなかにあった頃のままの笑顔だ。「広大な湿地帯を望むアムステル河の河口にダムを築いて、すっかり乾燥させた土地に作った街がアムステルダム...」「それ、すごい話ね」と明るく笑う。目覚めれば、それから何億秒をも過ぎた今という現実。未練がましくてもいいじゃ...本気でそう言った夏もあったのだから...

  • そんな予感もひと際な朝

    春分の日も近い、とあるいち日のはじまりの時間...。夜明け頃に通り過ぎた驟雨は、舗道の陽向で陽炎になり、道行く人波に揺れる。アメリカヤマボウシの並木道の向こう側、『メイフェア』という名のベーカリーの若夫婦が、ふたりして夜中に仕込んだパン生地を朝イチで焼けた窯から出し終え——砂糖とたっぷりのミルクを注いだ紅茶で——一息つくのもこの時間。「毎年、暖かくなって来ると、なぜかパンがよく売れ出すんですよ」と店主が不思議がっていたのは、つい先日のこと。誰とはなしに陽気に誘われ、公園のパーゴラの下でランチでも企てようというのか。新しい季節が一気に押し寄せてくる...。そんな予感もひと際な朝。そんな予感もひと際な朝

  • 突然、気付いたこと

    わたしは、少なくとも九割の平凡から成り立っている。突然、気付いたこと

  • Graduation Day

    GraduationDay.GraduationDay

  • 麦藁帽子とカルピス・ソーダ

    夏の日、きみが傍らのテーブルに置いたカルピス・ソーダ。『仁丹の広告燈、すべての詞華集やカルピスソーダ水』を嫌いだと言ったのは、中也だったか富永太郎だったか。*話しかけるのがためらわれ、ぼくは、斜め後ろのデッキ・チェアから、きみの麦藁帽子の陰で見え隠れする、その日焼けした首筋をただぼんやりとながめていた。氷が溶けてグラスが寂しげな音を立てると、きみはきみで、海に向けて寂しげな視線を送っているかもしれない、昼下がりのこんな時間。麦藁帽子とカルピス・ソーダ

  • ついこの間のことだとばかり思っていた

    「とうとう、三十になっちゃった」ときみが苦笑したのは、ついこの間のことだとばかり思っていた。ところが今日、街中で久し振りに出会ったきみが「もう三十八よ」とささやく。今を生きる人の時間感覚って、こんなものなんだろうか。ついこの間のことだとばかり思っていた

  • 聞いたことある?

    今年もまた桜の頃。<fontcolor="#ff9900">*</font>だいぶ昔、神田川に掛かる橋の上で撮った水口イチ子のお花見写真は後ろ姿。「桜餅は関東と関西で違うっていうの聞いたことある?」とイチ子。「桜の葉っぱでくるんであれば、全部桜餅かと思ってた」とぼく。聞いたことある?

  • イチ子さんは俄かに緊張する

    庭にマメザクラの木が一本あって、近くの川端のソメイヨシノより毎年数日早く咲く。その由緒は古く、イチ子さんのおばあさんが若い頃に甲州のお友達から送られたものだという。*六月になるとサクランボが黒く熟す。味は、甘さの中にスッキリとした酒精のような芳香が混じる。収穫時期が迫ると、野鳥との取り合いになり、イチ子さんは俄かに緊張する。イチ子さんは俄かに緊張する

  • PRELUDE / 前奏曲

    プレリュードは、はじまったばかり。PRELUDE/前奏曲

  • あの夏、由比ヶ浜で

    湘南。十六歳の夏。永遠の水口イチ子。あの夏、由比ヶ浜で

  • 果たして水口イチ子とは誰か

    果たして水口イチ子とは何者なのか。『水口イチ子』をこの字面でネット検索すると、出てくるのは当"Studio31"所属キャラクターで実態のよくわからない水口イチ子さんのみだから、日本には他に同姓同名はいないのかもしれない。余計な迷惑がかからないから、偶然とは言え、これはいい塩梅だ。では、水口イチ子にモデルはいるのか。下手なタイトル・ピクチュアにあるように、どれをとっても同一人物とは思えず、凡そ『日々、街中ですれ違う多くの女子のひとり』と言うしかない。【TheLadyShelters-MaggieMay】果たして水口イチ子とは誰か

  • そちらはどうですか

    晴れてきましたそちらはどうですかそちらはどうですか

  • マンサクの花

    傘をさしてもささなくても済むような雨の朝だ。近所にある市の健康センターの庭の植え込みに、最近はめずらしくなったマンサクの木があって、この間花が咲きかけていたから、「もうそろそろ見頃かも」とイチ子が言う。薄暗い雨の日に黄色い花が鮮やかなはずだから、写真を撮りに行こうとぼくを誘う。*行きの道すがら、「三月だし、菜種梅雨の走りって言ってもいいような雨ね」とイチ子が嬉しそうに言う。マンサクの花

  • Summer Breeze

    午前6時。iPhoneが、每朝、目覚ましの音楽を鳴らす。"SummerBreeze"飽きずに何年も同じ曲。季節など関係ない。オールシーズン。浅井慎平が録音してきたジャマイカの波の音を持っているから、いつかダビングして曲に重ねようと計画しているが、二十年以上経つのに実現する気配も無い。実は頭の中ではもうできあがっていて、脳には、そんなふうに聞こえているのかも知れない。【NiagaraFallOfSoundOrchestral-SummerBreeze】SummerBreeze

  • 暑い日である

    海が近い鎌倉の古くからの住宅のほとんどは、潮風やそれが運んでくる砂を避けるために海岸通りから少し距離を置き、周囲を灌木の林で囲んで建てられているのが普通であった。砂の飛散を避けるため、庭一面に芝を貼る家が多いのも特徴と言える。戦前にお金をかけてしっかり建てられた屋敷が多く、うちのように戦後間もなく建てた家など、どちらかと言えば新しい方であった。空調が一般的でない時代、夏の防暑と湿気対策のために家の周囲の窓や縁側を解放して風が通るように設計されているため、後にエアコンを設置しても、隙間の多い構造上、逆にその効果は薄いのが通り相場だった。つまり、夏は扇風機と蚊帳、冬は厚着と火鉢・炬燵という、いわゆる昔の習慣と生活様式に則って建てられた和風の木造家屋であった。***高校最後の夏休みのある日、母が用事で出かけてい...暑い日である

  • たんぽぽのお酒

    夜半の東京の雪は、夜が明けたら消えてしまったが、春はこうして近づいてくる。日本ほど種類はないにせよ、世界中どこにでも、季節の到来を告げる動植物がある。とりわけ口に入るものに人はこだわりがある。フランスでは『タンポポのサラダ』が食卓にのぼると春を感じるという記述が、昔の文献に見える。日本には、明治の開拓期に和種だけでは足りず、洋種のタンポポの種が北海道に輸入された記録がある。切り拓いた原野に堆肥代わりに用いられた他、飢饉の救荒食にも充てられたらしい。サラダや御浸しにすれば副植物としても心強い。今の日本では、ホームレスのおじさん達が食に困って鋪道にはえたタンポポを食べているという話は聞かないから、こんな時代でも、まだまだ余裕があるんだろう。ところで、レイ・ブラッドベリの著作に有名な『たんぽぽのお酒』があるが、...たんぽぽのお酒

  • サラマンカの手帖から

    夏休み中の課題のひとつが読書感想文。本の分野やその長短などに条件はない。ただ、四百字詰原稿用紙の必ず十枚目に〈完〉の字を打つ必要がある。この条件を満たしていれば課題は完成かというとそれは正しくなく、ちゃんと起承転結で構成されていない場合は、主旨不明として書き直させられるらしい。それも二学期初頭二週間以内に、だとか。先生が読んだことのない本でも課題がよく書けていれば、先生にも理解できて全く問題ない、というのが理屈らしい。イチ子に、本を決めたかと聞くと、辻邦生の『サラマンカの手帖から』にしようと思うという。人というものは、相手より理解のいっているものには、ついつい上から目線で意見しがちだが、『サラマンカの手帖から』は何回も読んではいるけれど、未だ理解するには程遠く、素直に読んだことがあるとは言い辛い。夏休みと...サラマンカの手帖から

  • 河津桜

    河津桜河津桜

  • 鉛筆

    人生は鉛筆のよう。使って先が丸くなっても、削れば気分一新。しかし、削った分だけ、確実に短くなる。さて、生まれた時に一人一本与えられた鉛筆で何を書くか。だけど、なにを書こうが、どう使おうが、やがてチビて、使い潰して、ゴミになるのもまたみんな一緒。その後のことは、本人にはわからない。鉛筆

  • ワーズワース

    「毎年成人の日ぐらいに咲くウチの水仙がね、今年はやっと今頃になって蕾を膨らませてきたから、咲き揃うと早咲きのソメイヨシノと重なっちゃうかも」とイチ子さんが笑っている。「水仙は、日本だと冬の季語だけど、イギリスでは春は黄水仙が連れてくるようだよ」「知ってる!ワーズワースね」ワーズワース

  • 初午(はつうま)

    昼もだいぶまわった頃、初午だから佐助稲荷に散歩がてらお参りに行こう、とイチ子に誘われ、多少重い腰を上げることになった。*佐助ヶ谷(さすけがやつ)——貴人伝説のある隠里の谷筋は、着けば早くも陽の落ちかかる時刻。参拝客の足も絶えはじめていて、小さな境内はひっそり。冷たい風が谷戸を吹く。ぼくが石段を上がった奥社へ参っている間、イチ子は下の社務所で陶製の小さな稲荷神を買い、それを拝殿にかしこまって奉納しているのが見える。*帰り道。どこかで稲荷寿司を買おうとイチ子が言う。初午(はつうま)

  • 目が離れない

    日曜。雨の昼下がり。待ち合わせ中。サインボードの波。とあるブライダルのコピーから目が離れない。『キスはうまくなるでも恋はうまくならない』 目が離れない

  • 腰越、午前九時

    八月、腰越の午前九時——窓越しに、吹きはじめた風が既に熱そう。「シー・ブリーズとかサマー・ブリーズとかって、どんな風のことをいうのかしらね」とイチ子が歯ブラシにチューブを搾りながら言う。「夕凪の前に釈迦堂の切り通し辺りへ行くと、海からの風もだいぶ涼しくなって、ああいうのをシー・ブリーズって言うのかも知れない」聞こえているのかどうか、イチ子は窓の外を見ながら歯磨きをはじめている。【TheBeatles/NoReply(2024WallOfSoundExtendedVersion)】腰越、午前九時

  • 知ってか知らでか

    オセロゲームでは『隅を取るのが有利』とあの頃既に知っていたから、ぼくはイチ子と対戦するとき出来るだけそうしないようにしていた。イチ子も『隅を取れば有利』を知ってか知らでか、わざとそれを避けているようにも見て取れた。だからぼくは、否が応にもイチ子が隅を取らざるを得ないよう、更に念のいったテクニックを駆使する必要があった。その結果、惨敗十四という、ぼくの偉業は達成された。知ってか知らでか

  • 赤道まで120km

    赤道まで120km。イチ子は、この三日間、ひたすらハングテンの練習に励んでいる。*『6.11ft』は島にいくつかあるサーフィン・ショップの中で一番小さく、間口は3ヤードほどだろうか。店主は、ローカル・サーファーの間でポウと呼ばれている七十代なのか八十代なのか見た目ではよくわからない潮焼けした爺さんで、赤いロングボードに乗るイチ子を見て大層めずらしがり、「まったくオレたちがガキの頃を思い出すぜ」と顔をクシャクシャにして喜んでいた。島の周りには、わずかにリーフがあり、ハイタイドでサウス・ショアから波がリーフを越えて来ると、そこがライディング・ポイントになった。所々サンドバーがあって、島に来たばかりの頃、イチ子はそのうちのひとつでフィンを折り、凹みきっているところをポウ爺さんにリペアしてもらい、救われたことがあ...赤道まで120km

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