(Op.20250524/Studio31,TOKYO) 現在、『gooblog』の運営終了に伴い、運用は『amebablog』にて再開しております。https://ameblo.jp/lonesomewriter/で、お目にかかれます。 【TheByrds-We'llMeetAgain】✳️We'llMeetAgain
このサイトは "Creative Writing" の個人的なワークショップです。テキストは過去に遡り、随時補筆・改訂を行うため、いずれも『未定稿』です。
みなさんに感謝: アラン・ロブ=グリエ アルベール・カミュ 伊藤整 岩科小一郎 エリック・ホッファー 尾崎喜八 金子光晴 クロード・シモン ジャック・ケルアック 田村隆一 辻邦生 辻村伊助 永井荷風 久生十蘭 フィリップ・ソレルス 船知慧 ブルース・チャトウィン ポール・ヴァレリー ミシェル・ビュトール 森鷗外 森茉莉 吉田健一 ル・クレジオ ロラン・バルト
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(op.20250228-2/Studio31,TOKYO) ドラッグストアは、昨今、若い人の間では、「ドラストと呼ばれてるのよ、知ってた?」とイチ子さんが言う。「だったらフライド・ポテトはどうでしょう」と重ねて聞くから、「ポテト」と答えると、「それじゃあフライド・ポテトとポテト・サラダの区別がつかないから、フラポテ、ポテサラと言い分けるらしいわよ」と言う。今に始まったことではないが、『思考・知識が、文化的に現代的かどうか』は言葉遣いに現れる。小説家が若い世代について書いたとき、確かに会話部分の言葉遣いに違和感・不自然さを感じることがある——「今時、そんな言い方しないだろう!」と言うことだ。 【WynonnaJudd-TellMeWhy】 今時、そんな言い方しないだろう!
(op.20250228/Studio31,TOKYO) 今朝は風がないので、防波堤の下の陽だまりにしゃがんでいると身を切るような寒さはない。「湘南では南風が吹きはじめると、直ぐにツクシの季節よ」とイチ子さんが言う。続けて、「でも、ちょっと油断してると、すぐに摘み頃を過ぎちゃうから、よーく見てないとね」とも。「時機をウッカリ逸して、ツクシの先が硬くなってしまったならまだしも、気付いたら既にスギナなんつーのも、よくある笑い話だ」とぼく。*煮付けておくと、副菜としての使い道は多い。フキノトウ同様、少しほろ苦いところが春の大人の味。子供の頃は、どこにでも生えていた。 【TheShadows-SpringIsNearlyHere】 ほろ苦いところが春の大人の味
(op.20250227/Studio31,TOKYO) 古い話だ。その五つか六つ年上の女の人の愛車は、葉山に住む彼女の叔父さんからのお下がりという古いアルファ・ロメオのジュリエット・スパイダー——どこか昔の日野コンテッサに似ている。車が車だけにメンテナンスに費用がかさむらしく、普段の彼女からは、結構な節約のオーラが出ていた。最早、日本では手に入らない部品は、知り合いの鋳物工場に頼んで一点ものとして作ってもらっているらしい——小さな部品でもひとつ十万円は下らないと噂で聞いた。ところが、お金がないという割りには、車のダッシュボードにコクトーの『ポトマック』の原書なんかが雑に放り出してあったりするから、ぼくらとはお金の使い道が違うのは明らかだった。あの頃、週末に森戸のドライブインシアターへ行けば、彼女の車は必...週末、森戸のドライブインシアターで
(op.20250226/Studio31,TOKYO) 宮古島にあるリゾート・ホテルで結婚式をするという友人に請われて一泊で出かけた。お祝いは一切いらないから、体だけ運んできてくれという要望だった。ホテルは島の南岸にあり、空港からは7キロ程。空港とホテル間は送迎巡回バスがある。東京を早朝に発ち、昼から始まった式に参列。帰京は翌日の昼の飛行機。24時間の滞在ではあったが、それなりに南国のリゾート気分を味わえ、良い一泊二日だった。が、帰りの飛行機に乗って気付いた——島の繁華街は空港の北側、ホテルがあるのは南側。つまり、見た風景は、空港とホテルとその間のサトウキビ畑だけ。それ以外は何も見ていないのだった。 何も見ていない
(op.20250225/Studio31,TOKYO) 低気圧が近く、次第に波が高くなる予報。サーフィン日和になるか。ふたりで、学校帰りに浜へ様子を見に寄った。多少心配はしていたが、弓ヶ浜の西の外れ、積まれた消波ブロックの陰で、イチ子は砕けた波しぶきを頭から被る。たまにある事例ではあるが...。『やられたぁー』感が記念写真の背中に滲む。 【TheBeachBoys-HonkyTonk】 『やられたぁー』感が記念写真の背中に滲む
(op.20250224-2/Studio31,TOKYO) 府中の森公園内、府中市美術館から続くプロムナード。<palign="center"><fontcolor="#ff9900">*</font></p>府中市美術館は、後に近代明治日本の西洋画を牽引することになる画塾『不同舎』同人の習作(歴史的コレクション)を多数所蔵している。 <ahref="https://blogmura.com/profiles/11138716?p_cid=11138716"><imgsrc="https://blogparts.blogmura.com/parts_image/user/pv11138716.gif"alt="PVアクセスランキングにほんブログ村"/></a>歴史的コレクション
(op.20250224/Studio31,TOKYO) 京浜運河。午前10時。予報通り、夜半からの雨が止んで、空が明るくなってきた。5分間隔のモノレールも、待ち構えているとなかなか来ない。 【TheLadyShelters-BurningLove】 京浜運河。午前10時。
(op.20250223-3/Studio31,TOKYO) 好きな作家の作品に自分の人生を重ね合わせたいとする事例は少なくない——例えばドストエフスキーやプルーストなどが、そういう作家であったりする——つまり、自分の目標とする人生の方向性が、作品中に疑いもなく示されていると信じるに足りているということだ。 <ahref="https://blogmura.com/profiles/11138716?p_cid=11138716"><imgsrc="https://blogparts.blogmura.com/parts_image/user/pv11138716.gif"alt="PVアクセスランキングにほんブログ村"/></a>好きな作家の作品に自分の人生を重ね合わせたい
(op.20250223-2/Studio31,TOKYO) 作品を作ることと、それをネットにアップすることとは別次元のもの——創作そのものが目的なのか、作品を人の目に晒すのが目的なのかの相違は大きい。人目に晒すまでの手順が半ば義務になって、『自ら設定した締切に間に合わない』というストレスが生じるなら、本来の目標の『創作』そのものにとっては障害だ。J.D.サリンジャーは著名になった以降、出版する事にストレスに感じ、執筆はするが出版はしない人生を選択する。 執筆はするが出版はしない人生
(op.20250223/Studio31,TOKYO) カメラ・テスト。増感現像。駿河台の朝——坂の途中を裏道に折れれば、存在する静謐な日常。 【BobDylan-StuckInsideofMobilewiththeMemphisBluesAgain】 カメラ・テスト
(op.20250222-2/Studio31,TOKYO) イチ子、2分の1の賭け。 【アカシアオルケスタ-星のかけらを探しに行こうAgain】 イチ子、2分の1の賭け
(op.20250222/Studio31,TOKYO) 何をするわけでもなく、原宿から表参道を青山へ。冬らしい、底冷えするいち日。 【The5thDimension-Up,UpandAway】 原宿から青山へ底冷えするいち日
(op.20250221/Studio31,TOKYO) あるカフェのこのサンドウィッチは、お決まりの種類の野菜の他、卵焼きとボイルド・チキンに加え、ハンバーグやベーコン・ソテー、ロース・ハムなどをその日の有り合わせが挟まれる。野菜とハム以外は、店側で調理。このサンドウィッチのランチ・セットには、スープと珈琲が付く。スープは、チキンの茹で汁にコンソメ・キューブを加えて作られる。スープはセット・メニューで、品書にスープ単品は無い。ハムは、市販されているパックされたものが随時使えて便利そうだが——買ったその日に消費できるなら——スーパーの売場もしくは精肉店の店頭でブロックからスライスしてもらう方が旨いし、特売日によっては安いこともある。ハムのパック品は、乾燥を防ぐためか、水っぽい。【TheChiffons-O...トースト・サンドウィッチ
(op.20250220/Studio31,TOKYO) 家から鎌倉は近いので、その気になれば気楽に出掛ける。しかし、さすがに週末の人混みは敬遠したいので行くのはもっぱら週日だが、その上でも多少は場所を選ぶ。妙本寺——鎌倉駅から歩いて数分の寺——常々、見物客も少なく、気に入っていたが、最近はテレビの時代劇で扱われてから多少知名度が上がったようで、現地は、なかなか落ち着いた雰囲気でも無くなってしまった。*年一、二回は立ち寄るお寺だが、しばらくの間、田村隆一の墓があるのを知らなかった。希有な存在だった詩人は、埋葬される墓の場所にも『こだわり』があったようだ。 【TheBuffaloSpringfield-ForWhatIt'sWorth】 しばらくの間、田村隆一の墓があるのを知らなかった
(op.20250219-3/Studio31,TOKYO) アイルランドは緯度が北海道よりも高い割りに、取り巻く暖流のお陰で、想像するより過ごし易い。しかし、断トツな量の馬鈴薯が耕作されているところを見ると耕作万能の土地柄ではなさそうだ。大半を国内消費してしまうという馬鈴薯の消費量は、一人あたり年間約150キロ。日本のおよそ八倍、世界一級の消費量である。それからすれば、この国の人は『ポテト・イーター』と呼んで構わない。パンの地位は、通常、スターターの付け合わせ程度。パン皿は、スターターの皿が下げられる時に一緒に下げられてしまうという扱われ方。当然、馬鈴薯料理の種類の豊富さは、他国に類を見ない。一日一回は必ず食べられる料理——と言っても付け合わせなのだが——コルキャノン。馴染み深い言い方をすれば『マッシュ...コルキャノン
(op.20250219-2/Studio31,TOKYO) 林檎の品種で旬の長い『王林』や『ふじ』でさえ、そろそろ収穫はお仕舞い。夏に次の早生種が出回るまで、林檎好きには寂しい半年間となる。*二月。雨の安息日。(恐らく)今年最後になるかも知れない林檎を食べながら、イチ子さんは、好きな歌を聴きながら朝を過ごす。【RexOrangeCounty-LovingisEasy】好きな歌を聴きながら朝を過ごす
(op.20250219/Studio31,TOKYO)夏冬で気候的に本当に厳しいのは、それぞれ半月ほど。この合わせて四週間さえ凌げれば、過ごしやすさでは日本は天国。*都市の冬のビル風は侮れず、雪国出身者ですら、東京のこの寒風には一目置くという。*個人的には夏より冬の方が好きだが、それでもさすがにこの時期だけは、多少、夏が恋しい。【OPUS-TAKEYOUTOTHESKYHIGH】天国
(op.20250218-2/Studio31,TOKYO)「今までで、自分が大人になったなぁって、どんな時に感じた?」とイチ子さんが唐突に聞く。今までされたことのない質問で、ぼくにはしばらく考える時間が必要だった。「疲れ易くなっただの、眠りが浅くなっただののようなマイナスの要因では、そんなこと考えたことないけど、かと言って、お小遣いに不自由しなくなった時、なんていう物質的なことでもないなぁ」とぼく。「う~ん、今のところ、予想どおりの答えだね」とイチ子さん。「そうだなぁ、例えば、夫婦もんがやってるような街の小さな居酒屋で、安いアジフライを頼んで、それにウスターソースをイッパイかけて、それをかじりながらハイボールなんか飲んだりしている時に同じことを聞かれたら、『今!』って答えるかも知れない」とぼく。「へ~、...どんな時?
(op.20250218/Studio31,TOKYO) 中国文化圏にあるアジアの多くの国が正月を旧暦で祝う。日本は、明治大帝政府の維新政策により、鎖国期間中の三百年の遅滞をわずか数十年で取り戻して、欧米の習慣に沿ったわけだが、東アジアの気候を考えれば多少無理があったのは否めない。水口イチ子が、ある時、「旧正月があるんだから、旧クリスマスがあっても良いんじゃない?」と言ったことがあった。クリスマスが二度あったら楽しいという意味だろう。そりゃあ、何もかも新旧二度あれば楽しいことも二度あるわけで、みんながみんなそれを迷惑がるわけでもあるまい。海開きも二度あれば、夏が二度来たと思えるかも知れない。遊ぶ話ばかりで申し訳ないが...。 【BonnieTyler-SittingOnTheEdgeOfTheOcea...夏が二度来たと思えるかも知れない
(op.20250217-3/Studio31,TOKYO)祖父の世代の方がもっと上手に英語を話したと、インド系の混血に見える魅力的な深い眼差しの、その浅黒い肌の色の若いウエイトレスがはにかみながら話してくれたのは、彼女のそそぐミネラル・ウォーターの瓶が昼近い木漏れ日を受けて、ぼくの目にはまぶしかった。もうすぐランチ・タイムと言ってもいい時間に遅い朝食を注文したにも関わらず、快い返事でわがままな客に食事を出してくれたのは、ここが単にリゾート地のホテルということだけのことではあるまい。地物の魚介を使ったチャウダーに始まり、プレーン・オムレツにソーセージ、付け合わせの焼トマトがいかにも英国風だった。ライ麦麺麭のトーストにオレンジ・ジュースと珈琲、デザートに西瓜とパイナップルが並ぶ。*その夏の午後——お構いなし...きみの影がゆっくりと動いて行くのを...
来る日も来る日も一連の夢の続きを見ているように思われたものだ 【メスティソ/ 堀内茂男】
(op.20250217-2/Studio31,TOKYO)チャプルテペク公園の緑の中で一日のばしにしている夏の滞在。奥深い木陰の水鳥が住む池のほとりには、メキシコシティの典雅な時間が眠っていて、来る日も来る日も一連の夢の続きを見ているように思われたものだ。混血娘の笑顔は大輪の花に似ていて...。 【メスティソ/堀内茂男】 【ちさのとみらい-恋のアドバイス】 来る日も来る日も一連の夢の続きを見ているように思われたものだ【メスティソ/堀内茂男】
パリの雨が日暮れにあがると 【夜霧のピガール / 堀内茂男】
(op.20250217/Studio31,TOKYO)静かに降り続いたパリの雨が日暮れにあがると霧になった。クリッシーの盛り場に赤や青のネオンがにじみ、歩道や建物のぬれた顔が薄紅色に上気している。水銀灯の光をさし入れた街路樹の緑が、木の下道を染め、恋人遠の散歩が夜霧にひたされている。びっしりと並んだ駐車の列に、更に割り込もうとする車や押しのけて出ようとする車のエンジンの音が、盛り場の騒ぎに輪をかけている。濡れた歩道を七色に染めて、どれだけの人を飲み込んだネオンか、人いきれで充電し、更に新しいお客さんを誘い込み、霧の中で妖しい光を放つ、欲望の胸飾りのように見えたが…。【夜霧のピガール/堀内茂男】 パリの雨が日暮れにあがると【夜霧のピガール/堀内茂男】
(op.20250216-4/Studio31,TOKYO)『休暇の間、私は七時に起き、降りていって、窓を開け、お茶をいれ、庭で待っている小鳥たちのためにパンを細かく砕いてやり、顔を洗い、仕事机の上のホコリを払い、その上の灰皿の中身を捨て、バラの花を一輪切り、七時半のニュースを聞く。八時になると、母が降りてくる番だ。私は母と一緒に、朝食に、半熟の卵をふたつ、焼いたパンの丸い一切れを食べ、砂糖を入れないブラック・コーヒーを飲む。私は十時にベッドに横になって、そのまま二冊の本をちょっと読む。一方はきわめて文学的な言語による作品(ラマルティーヌの『打ち明け話』、ゴンクールの『日記』など)で、もう一方は推理小説(どちらかと言うと古いもの)か、イギリスの(流行遅れの)小説か、ゾラである』ロラン・バルト『彼自身による...彼自身によるロラン・バルト
(op.20250216-3/Studio31,TOKYO) 誰にでも好きなモノは沢山あるが、それらに触れる頻度は、なぜかそれぞれ異なる。つまり、頻繁に触れていたいモノと、たまに触れれば気の済むモノとがあるということだ。だが、後者を無くしてしまっても良いかというと、全くそうではないところが不思議で、また面白い。たまにしか気にかけないくせに、『好き』という実態には変わりが無いモノがあると言うことだ。 【CarlySimon&JamesTaylor-DevotedtoYou】 七番目に好きなもの、かも知れない
(op.20250216-2/Studio31,TOKYO) 伝統ある仙台伊達藩御用酒(つまり、同じ蔵から出た酒を伊達政宗公も飲んだということだ)。売れるからといって増産しないどころか、品質維持のために減産までする蔵元の『勝山酒蔵』。他県で入手するには多少のテクニックが要る。味は、名人域に達した日本酒好き同士でのみ通用する表現——『スッキリした、旨口』。スッキリせず、濃厚だと『飲み飽きてしまう』。それは、味の方向として、江戸時代の酒がそうだったように、(飲むには加水しないわけにはいかないほど)甘い味醂の味に近付いていってしまう。江戸時代、上方から来た下りものの原酒は、江戸で半分強、加水されて甘みが減じられた。ちょうど良い飲み易さになると、今度はアルコール度も下がって、凡そビールほどになったらしい。江戸の...同じ蔵から出た酒を伊達政宗公も飲んだということだ
(op.20250216/Studio31,TOKYO) 「なぜ?」 【TheIveys-MaybeTomorrow】 なぜ?
(op.20250215/Studio31,TOKYO) 旅の画帖は行き先ごとに分けられることは無く、一冊の頁が尽きるまで描き続けられる。だから、作品ごとに備忘のメモを残しておかないとロケーションが分からなくなる。さて、以前、プエルトリコを皮切りに、カリブ海を島伝いに旅したことがあった。島を移動するごとにパスポートで出入国管理をされるような地域柄。今日はアメリカ、明日は英国、その次はフランスだったり...。この海域で自由なのは潮流だけ。というわけで、この眠りかけている水口イチ子が描かれた海岸は、メモが無いため特定できないが、恐らくケイマン諸島だったか。頁の右下に『暑い!華氏90度くらい?』のエンピツ書き。 【AlyssaMilano-BestintheWorld】 華氏90度、海流の中の島々
(op.20250214/Studio31,TOKYO) 予測不可。増殖する水口イチ子の夢。 【KarlaBonoff-AllMyLife】 増殖する水口イチ子の夢
このジンのラベルに描かれている赤い服を着た人は、ロンドン塔の門番——左手に鍵束を携えているところが、さもそれらしい。彼等がなぜビーフィーター(ビーフ-イーター/肉喰い)と呼ばれるかというと、日本のお侍さんが殿様から給料を現金ではなく、お米で頂いていたことと似て、牛肉でもらっていたのがそのワケ。現金化する必要があるときは、それぞれ、米屋や肉屋に現物を売っていた。*酒好きには、口に合った好みの銘柄がある。このビーフィーター、シンプルでスッキリしているのが気に入っている理由。今夜は、これをリプトンで割って、ぬる燗程度の温度でヤッている。 ロンドン塔の門番
(op.20250213/Studio31,TOKYO) かつて愛した人の面影を追って旅した日々があったという。*すっかり人気の絶えた夕暮れのビーチ。遙か南の海で生まれた風が、優雅に大王椰子の葉陰を揺らす。あの頃、耳元で聞こえていた甘いささやきと吐息に、心も弾んだ朝があったではないか。だから今、夜が来る度、ポツンと取り残された甘美な想いが、孤独なうちにも夢見心地なひとときを求めて止まないのかも知れない。橙色よりはわずかに白い、トーチの灯火色の太陽が、ハイビスカスの真っ赤な花の色にも似た夕映えの水平線に落ちて、これから始まる宵が、ひょっとして新しい恋の予感に満ちあふれたものになるかも、と思ったのは、ストロー・ハットのつばの先に、波の音がぶら下がるように聞こえていたわずか数分前のこと...。*常夜灯代わりに...かつて愛した人の面影を追って旅した日々があったという
(op.20250212-2/Studio31,TOKYO)ぼくはと言えば、夜中に起きてわずかばかりの仕事をして、夜が明けて午睡で寝不足を補うという浮き世離れした生活。たまたま仕事がはかどらず、まったく眠れそうにもない夜は、部屋から歩いてすぐの『BarShade』で、睡魔が遅い猫の足取りでやって来るのをじっと待つことにしている。【KeithJarrettTrio-MyBackPages】遅い猫の足取りで
(op.20250212/Studio31,TOKYO) 今は一年で一番寒い二週間だが、三月下旬から四月上旬の桜が咲いて散り始める頃になれば、決まって今年最初の汗ばむ午后がくる。毎度お馴染みの波遊びの仲間内では、今年は誰が最初に半袖に腕を通すかが重要になってくる。 【TheBeachBoys-YourSummerDream】 誰が最初に半袖に腕を通すか
1939年のある日、ロラン・バルトは、とある食堂の奥まったテーブルで梨を食べながら本を読んでいるジッドに遭遇する
(op.20250211/Studio31,TOKYO) 『恐らく、《作家である》という幻想の中で青春を過ごす若者などもういないのだろう』とロラン・バルトは、『幻想としての作家(1975)』に書く。ロラン・バルトの言う青春とは、『敬愛する作家の文体を模倣しながら作家へと成長していくきみ』以前のきみが過ごす時間——つまり、その作家の仕事ぶり、その姿勢を模倣する時代を指す。ポケットに手帳を忍ばせ、次に書かれるべき文章を頭に思い浮かべながら街を行く、あのスタイルのことだ。今時、そういう若者にとって、その生活までも模倣したいと思うに足る作家はいるのだろうかとバルトは疑う。*バルトにとって青春時代の憧れの作家はアンドレ・ジッド。バルトはジッドを模倣する——ジッドが、ロシアからコンゴまで歩きまわり、気に入った古典を...1939年のある日、ロラン・バルトは、とある食堂の奥まったテーブルで梨を食べながら本を読んでいるジッドに遭遇する
イタリア好きにとって、ローマ(レオナルド・ダ・ヴィンチ空港)着便は、使い勝手がそれほど良いわけではない。そして、ANA(コールサインALLNIPPON)好きにとっては、ローマ便以外が追加されるのは大歓迎。祝ミラノ直行便就航。 祝ミラノ直行便就航
(op.20250210/Studio31,TOKYO) 羽田〜関空〜熊取町(法事)〜関空〜羽田——弾丸日帰り(四万五千円)。「なんやて!?ほんまけ!?」——せわしないいち日、写真撮影一枚もなし! <ahref="https://blogmura.com/profiles/11138716?p_cid=11138716"><imgsrc="https://blogparts.blogmura.com/parts_image/user/pv11138716.gif"alt="PVアクセスランキングにほんブログ村"/></a>なんやて!?ほんまけ!?
(op.20250208/Studio31,TOKYO) 写真を撮りながら大分歩かせてしまった。「今日のモデル料は安く済まないわよ」「何がご要望ですか」「秋谷の南葉亭でスープカレー...」近いっちゃあ近いが、遠いっちゃあ遠い。「車で行きますか。歩き疲れて、今日はもう自転車は無理!」 【WeFive-YouWereOnMyMind】 近いっちゃあ近いが、遠いっちゃあ遠い
(op.20250207-2/Studio31,TOKYO) 今までで、人生最悪のいち日って、いつだったろう...。すぐに思い出せないという『幸せ』。【TheDivineComedy-MakeItEasyOnYourself】 すぐに思い出せないという『幸せ』
(op.20250207/Studio31,TOKYO)『仕事が押して約束に遅れそう』と、水口イチ子から慌てた様子のLINE。ということで、イチ子は三十分の遅刻。「ゴメンナサイ、ゴメンナサイ、ゴメンナサイ...」でも、今日は木枯らしが吹いて、交通機関に少し遅れが出ていた。「ぼくだって遅れて、さっき着いたばっかりだよ」「嘘ばっかり...」とイチ子。 【TomPettyAndTheHeartbreakers-INeedYou】 嘘ばっかり...
(op.20250206-3/Studio31,TOKYO) 雨が近いみたい...。 【FrancisLai-Hello-Goodbye(OriginalMotionPictureSoundtrack)】 低気圧
(op.20250206-2/Studio31,TOKYO)きみは最高さ——ぼくが初めて知った、いちばん『カッコよくて』、いちばん『どうかしてる』女だった。 クールでクレイジー
(op.20250206/Studio31,TOKYO) 旧知がたまに集まってご飯を食べたりするとき、何故か理由付けしがち。適当なものが見つからないと、ムリヤリ『祝旧正月』など、(笑ってしまいそうだが)どうでもいい理由を付ける。成り行きで、早めに出かけ、旧正月の初詣。 ムリヤリどうでもいい理由を付ける
(op.20250205-4/Studio31,TOKYO) 写真は、撮りたいと心から願う対象がないと、なかなか上手くならないもの...。写真理論は学校で習わずとも学べるが、トリミングとシャッターチャンスは生まれながらのセンス——どちらも、きみの心同様、なかなか思いどおりにはならない。 なかなか思いどおりにはならない
(op.20250205-3/Studio31,TOKYO) 30年くらい昔の写真。マリブのパラダイスコーブへ行きたいと言う。ビーチボーイズのアルバム写真が撮影されたという案内板は、本当に立っているんだろうかと確かめる気いっぱい。日本では、湾ほど大きくないが小さな湾を入江と呼んで、ナントカヶ浜とかナントカヶ浦のような名称が付けられていることが多い。英語圏ではBayより規模の小さい湾はcoveと呼ばれ、日本語訳でも小湾、入江とされている。 <ahref="https://blogmura.com/profiles/11138716?p_cid=11138716"><imgsrc="https://blogparts.blogmura.com/parts_image/user/pv11138716.gif...パラダイスコーブ
(op.20250205-2/Studio31,TOKYO)ある日閃いた言葉は”ShortStory”と題された小さなノートに書き留められる。単語であることもあれば、フレーズであることもある。それらは言わば種子、言わば苗。生育の早いものもあれば、何年もかかるものもある。中には発芽しないものも多い。例えば、この言葉”CrimsonClover”——これが発芽して、どのように育つかは、土壌たる作家の精神風土、正にその質に関わっている。 CrimsonClover
(op.20250205/Studio31,TOKYO) 『継続は力なり』と古い人達から耳にタコができるくらい聞かされてきたが、それだけ周知のことなのに励行されている例は言われているほど多くは見かけない。まず、『継続』の意味の普遍的な認識が正しく為されていないのだろう。『週イチ』は週一であって継続とは言い難い。『月イチ』は月一であって、同じく継続とは言い難い。每朝の洗面のように行うのが『継続』的な意味であって、特に芸術分野では、そうしないと必須のテクニックが維持できない。 每朝の洗面のように行うのが『継続』的な意味
(op.20250204-3/Studio31,TOKYO) 日暮れ間近。西日差す、茅ヶ崎の海で...(今日は四分の三絞りオーバー)。帰って、夕飯の後、何か短いものを読み聞かせしてあげましょうか、とイチ子さん。 【BuffaloSpringfield-OntheWayHome】 四分の三絞りオーバー
(op.20250204-2/Studio31,TOKYO) 如何なる創作物(人が作るもの)には必ず出来不出来があるもので、その振り幅を少なくするのが作る人の腕の見せ所——しかし、それを実現できる人は、ほんのわずか。 必ず出来不出来がある
(op.20250204/Studio31,TOKYO) ”ShortStory”の頁に停まる言葉——春、木蓮、連翹、花水木...。【BelleandSebastian-AnotherSunnyDay】 頁に停まる言葉
(op.20250203-3/Studio31,TOKYO) 白波が浅く砕けるリーフの一角に幅三ヤード程の狭い水路が切ってあって、本島からは小型のボートでその島に渡ることが出来た。島と言っても引き潮の時にテニスコート四面程の白い砂地が顔を見せるだけだから、厳密にはやはり珊瑚礁なのだろう。今朝、食事の後、ホテルのテラスでムーアヘッドの『恐るべき空白』を読んでいたら、少し顔見知りになった年配のウエイターが、比較的聞き取りやすいコックニー英語で話しかけてきた。「フロント・デスクに言えばフィンとボードを貸してくれますから、リーフまで遊びに行ってこられたらいかがですか。風も穏やかですし、それに今日は、ちょうど昼過ぎから引き潮になるのでタイミングも良いです。送り迎えは、ホテルがボートを用意しますから...」*そう言わ...珊瑚礁を吹く風
(op.20250203-2/Studio31,TOKYO) 推敲...。1.選択、採用した言葉の点検、確認。2.語尾の音の重複回避。3.文章、論理、ともに『無理な省略がなされていないか』吟味。4.さらに『音読した時のセンテンスの長さが不自然なバランスではないか』の調整。つまりこういうプロセスを経て、初稿に手を入れることにより失う、純粋な真実がある。これを取り戻す手段は、テキストのバックアップがない限り、方法はない。となれば、さっさとそのこだわりを忘れてしまうか、あきらめるかしかない。*ただ『好きだ』と言えばすむところを、美文を連ねたばかりに不格好になる真実——それは、下手に刈り込まれた庭木を鑑賞するのに似ている。「じゃあ、うまく刈り込めば良いじゃないかって?そりゃあそうだ。だけど、切り落としてしまって...誰も答えてくれない
(op.20250203/Studio31,TOKYO) デジカメは勝手に被写体にピントを合わせてしまうので、なかなかピンボケ写真にはお目にかかれない。ならばマニュアル撮影でわざとピントを甘くして撮ればいい——次にそれを絵画に起こす場合、ピンボケのまま描くのはどうすればいいかと迷っていた時期があった。結局、無駄にクッキリ描こうと努力しなければいいだけのことだったのだが、それに気付くまでには、結構な時間がかかった。 【PaulYoung-EverytimeYouGoAway】 いつもピンボケ
(op.20250202-4/Studio31,TOKYO) この海岸段丘は、静岡か千葉か、はたまた沖縄だったか。 【TheLadyShelters-ISayaLittlePrayer】 海岸段丘
(op.20250202-3/Studio31,TOKYO) 葡萄をギューッと絞ったのが葡萄ジュース。蜜柑なら蜜柑ジュース。麦なら麦ジュース。米ならお米ジュースと言うことになる。神社のお作法に詳しい方なら『日本の神様が一番好み、かつ貴重なのがお米ジュース』なのはよくご存知だろう。お祭りでは、神社をお神輿が出発するときに、神前に供えたお米のジュースのお下がりを神社委員、神輿会一同で頂き、神様の加護を請う。*さて、酒好きの歌人若山牧水は、日々の生きるカロリーをお米のジュースから得ていたが(そうとしか思えない)、それで空腹を覚えないなら民族的に理想的な栄養摂取方法だ。必要なビタミン・繊維質は、ツマミの漬物があれば良かったのだろう。ところで、文章というものは、事象を表現するとき、条件としての字数が少なければ少な...若山牧水とお米のジュース
(op.20250202-1-2/Studio31,TOKYO) 年ごとの夏の終わり、ふと心に沸き立ち、何度も繰り返されてきた想い。それは、夕暮れの避暑地の古いホテルのテラスだったり、はたまた早朝、狭小な海峡を見下ろす急な坂道を降っていた時だったり、あるいは、陽が落ちて街に火が灯り、どこからかロッシーニの序曲でも聴こえてきそうな南欧のとある湖畔でのことであったり...。晩夏、きみのその白いリゾート・ドレスの襟元から覗く、日焼け跡のマーブル模様の肌が、そろそろ吹くだろうこの秋最初の風を予感させる。振り向きざまに、「この夏もこれでお終いね」ときみが言い出しでもしないかと、ぼくは少し緊張するのだった。 【JuiceNewton/Love'sBeenALittleBitHardOnMe】 ぼくは少し緊張するのだった
午后、イチ子さんと恵方巻を食べながら『フェルメールの謎~ティムの名画再現プロジェクト~(2013)』を観る。フェルメールは、写真が発明される150年前にレンズと鏡を使った『カメラ』のようなものを進化させ、実験していた、という説の証明ドキュメント。ただし、そのフェルメールもフイルムまでは発明できず、現代の『フィルム+印画紙』の役割を『描写技術+キャンバス』に代行させた、を検証。絵描きでもないアメリカの発明家ティム・ジェニソンは、この実験において人生初めての油絵で、フェルメールの『音楽の稽古』を完璧に再現する。絵描きだけではなく、写真小僧にも面白い作品だろう。 <ahref="https://blogmura.com/profiles/11138716?p_cid=11138716"><imgsrc...フェルメールの謎
(op.20250202/Studio31,TOKYO)また喧嘩した。【TheBandPerry-GentleOnMyMind】ピーナッツバターを買い忘れた日
(op.20250201-2/Studio31,TOKYO) 夏の夕立が走り抜けたあとに漂う匂い——随分長いあいだ —— 激しい雨脚に舞い上がった、ただの土埃の臭いだとばかり思い込んでいた。実は、ペトリコールという、れっきとした学術的な名称があるというのだ。【CillaBlack-MakeItEasyOnYourself】 随分長いあいだ
(op.20250201/Studio31,TOKYO) この半世紀、イチゴの生産主力が露地物からハウス物にシフトしたために、旬が早まった。味や香りは露地物の方が良いが、お正月に合わせ、高価な初物として出荷したい業界の作戦だから仕方がない。ハウス物は酸味が強くなりがち。だから、補糖して美味しく頂きたい。昔はコンデンスミルクをかけたりもしたが、イチ子さんは、それ用にもっぱらガムシロップを作る。 【TheFlyingMachine-SmileALittleSmileForMe】 ガムシロップ
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(Op.20250524/Studio31,TOKYO) 現在、『gooblog』の運営終了に伴い、運用は『amebablog』にて再開しております。https://ameblo.jp/lonesomewriter/で、お目にかかれます。 【TheByrds-We'llMeetAgain】✳️We'llMeetAgain
(Op.20250521-4/Studio31,TOKYO) 夏休みの間、弓ヶ浜は海水浴客とワカメ漁師優先になるので、マリンスポーツをする者は浜の西の隅に追いやられた。天候の良し悪しに関わらず、消波ブロックと防波堤に区切られた ——— 午後は日陰になる——— 角地へ行けば必ず数人の顔見知りのロコに会えた。とりわけ、ぼくと水口イチ子は皆勤でないにしろ、精勤賞をもらえるほどにはそこにいた。 【DickBakkerOrchestra-Godonlyknows】 必ず数人の顔見知りのロコに会えた
(Op.20250521-3/Studio31,TOKYO) 東京銀座五丁目三越前。中央に写るRICOHのサインボードに、デビューしたての最新鋭主力機種GRの広告が見える。故に撮影データを見なくても2013年とわかる。なんとなく古めかしく感じる写真だが、これが12年という時間の差なのだろう。水口イチ子と歌舞伎座の前で待ち合わせた日の撮影かもしれない。 中央に写るRICOHのサインボードに、デビューしたての最新鋭主力機種GRの広告が見える
(Op.20250521-2/Studio31,TOKYO) それは、ふたつの長尾根の間に渡された吊り橋だった。下は深い谷。長い時間をかけ、隆起と浸食により刻み込まれたようだ。橋は歩いて一分ほどで渡りきれるが、橋が架かる以前 ——— 随分昔のことだ ——— は、谷を降り、沢を渡り、急斜面を登り、きっと一時間以上かかったことだろう。梅雨入りも近い六月初めのある晴れた週末の午後、いつエンジンが動かなくなるかも知れない、古いアルファ・ロメオで出かけたドライブの道すがらのことであった。 【CliffRichard-Angel】 六月初めのある晴れた週末の午後
(Op.20250521/Studio31,TOKYO) スミレ科のビオラ ——— ぐい吞みや煎茶茶碗に移植して、部屋に飾る趣味人も少なくない。駐車場にある防火水槽のコンクリートの割れ目から咲いていると言って、イチ子がこの間から喜んで話題にする。 防火水槽のコンクリートの割れ目から咲いている
(Op.20250520-3/Studio31,TOKYO) トルーマン・カボーティの或るエッセイの部分に『預けられた叔母さんの家の近所の、野原や小川のほとりを散歩していた時に閃きがあり、急いで帰って、お尻に消しゴムの付いた鉛筆を何本かと黄色いレポート用紙を持ってベッドに潜り込み、最初の一行を書いた』というのがある。この『最初の一行』とは『遠い声遠い部屋』の、あの有名な書き出しの一行のことだ。あのような閃きが来るのを何ヶ月も待ち続ける作家もいれば、何年も待ち続ける者も、あるいは一生待ち続ける人もいる。もしかして、ぼく達が待ち続けているのは、単なる最初の一行ではなく、Godotなのかもしれない。 【TheBeatleslivesessionenEstudiosParaiso-DayTripper】 ぼく達が待ち続けているのは...
(Op.20250520-2/Studio31,TOKYO) 暑い休日だった。富士見坂の切り通しを下った商店街の外れにある、今はすっかりめずらしくなった萬年筆屋に愛用の古い一本を修理に出した帰り道のことだ。笛木の商店街には東京では一、二軒しかないという獣肉屋があって、店の前に『鹿肉入りました』と貼り紙がしてあるのを見つけた。そう言えば来週の土曜日はきみの誕生日だから、鹿肉のコンフィかアイリッシュ・シチューのどちらかを作ってあげられるなと思った。当日、バタバタとシチューを用意するより、コンフィなら予め作り置きが出来る利点と、この間のぼくの誕生日に叔父さんがくれたシャトー・ラトゥールもあることだし、メニューは鹿肉のコンフィに決定。ただ、コンフィに必要な鴨の脂身が禁猟中で手に入らないから、まあ、賛否両論ある...『鹿肉入りました』と貼り紙がしてあるのを見つけた
(Op.20250520/Studio31,TOKYO) 南の島の海辺にある粗末な小屋掛けみたいなレストランで ——— この国には開業に保健所の検査はないんだろうか ——— 焼いた豚足にBBQソースを掛けただけの料理にかじりついていたら、突然、スコールがやって来た。しばらく海を見ていると、沖合を、スタートしたばかりのマラソン・ランナー達のように、雨と雲が一団になって遠ざかっていくのが見えた。手前は晴れ、背景は雨というめずらしい景色があった。 【JoeSample&RandyCrawford-Everybody'sTalking】 焼いた豚足にBBQソースを掛けただけの料理にかじりついていたら
(Op.20250519-3/Studio31,TOKYO) 「好きなことは何ですか」と聞かれたら、「言葉をいじることです」と答えよう。何かを表現したい、主張したいなどということは二の次、三の次。増して、商売にしたいなどとは思わない。それは、滅多に釣りに出かけることもないのに、自室で釣り竿を磨いたり、仕掛けを作ったりするのが好きな釣り師に似ている。『それって楽しいんですかだって?』実は釣り師の目的は魚を釣ることばかりではないのですよ。『無の時間の中で自分と向き合うことを楽しむ』 ——— これも釣りの重要な楽しみだと知るべきです。それは、なにも水辺でなくてもいい。もし、何かについて書きたくなったら、例えばいわゆる恋愛小説のように登場人物の名前が違うだけで、他は大して変わり映えのしない話は出来れば書きたくな...文学趣味
(Op.20250519-2/Studio31,TOKYO) 驟雨。雨のち晴れ。 雨のち晴れ
(Op.20250519/Studio31,TOKYO) 五月の風は、初夏の光に透けて、溶け、紛れていく。 【EdisonLighthouse-LoveGrows】 五月の風は、初夏の光に透けて、溶け、紛れていく
(Op.20250518-3/Studio31,TOKYO) イチ子の永遠の夏。 【TheBeachBoys-AllSummerLong】 イチ子の永遠の夏
(Op.20250518-2/Studio31,TOKYO) 江ノ電の駅へは、ここからなら長谷より由比ヶ浜の方が少しだけ近いかもしれない。ここからなら長谷より由比ヶ浜の方が少しだけ近いかもしれない
(Op.20250518/Studio31,TOKYO)「今のショートボードってポリスター樹脂でできてるんだけど、ぼくが今でもたまに乗ってるロングボードって、昔はバルサ材を削り出して、それにガラス繊維を合成樹脂でコーティング...」もう、完全に聞いているとは思えない。 もう、完全に聞いているとは思えない
1950年代まで日本の英語高等教育の重要なテキストであったチャールズ・ラム(CharlesLamb1775-1834)の『エリア随筆(EssaysofElia)』も、今となっては、その知名度も含め、随分様変わりした。理由は、その文体に負うところが多い。『エリア随筆』中、珠玉の一篇とされる『古陶器(OldChina)』の文末近くの例えばこの一文、 Yetcouldthosedaysreturn —— couldyouandIoncemorewalkourthirtymilesa-day —— couldBannisterandMrs.Blandagainbeyoung,andyouandIyoungtoseethem —— couldthegoodoldoneshillinggallerydaysre...今時の『エリア随筆』
(Op.20250517-3/Studio31,TOKYO) 東京を立つまでは、HotelWhiteBeachという名前に、初めはサマー・リゾートらしい、やたらモダンな響きを感じていた。しかし、後で聞けば、網元が以前営んでいた白浜荘という鄙びた旅館を和洋折衷のプチ・ホテルに改築するに際して改名したというから、古い屋号をただ英訳したに過ぎなかったようだ。浜も白浜とは名ばかりで岩場が多く、海流の浸食で水深は波打ち際から急に落ちみ、それが理由か、浜は全面遊泳禁止になっていた。だから、泳ごうという者は嫌でもホテルのプールを使うしかなく、日光浴は浜辺で、泳ぐのはプールでというのがここでの作法らしかった。水口イチ子は、ここに来て以来、食事の、その妙な洋風の味付けに飽きたのか、「何か他においしいものって、この辺にはない...7センチの足先
(Op.20250517-2/Studio31,TOKYO) 写真や絵画のようにヴィジュアル分野の創作をする作家達の中には、昔から、加えて、文章で説明できたら良いのにと思う人は多かった。また、その逆に文学をする人達の中には、挿絵などヴィジュアル的な手法を取り入れられたら便利だと思う作家も少なくなかった。半ば希望を叶えられる人もいれば、旧来の伝統的な方法を強いられ、あるいはこだわる人もいる。出版の世界では、編集者や版元に資金と柔軟性がないと、今も叶えるにはなかなか難しい案件である。 【TheWalkerBrothers-MakeItEasyOnYourself】 今も叶えるにはなかなか難しい案件
(Op.20250517/Studio31,TOKYO) 「泳がないの?」「眠いの...」 眠いの...
(Op.20250516-2/Studio31,TOKYO) この夏の思い出が、ゆっくりと胸の底に溜まっていく。 この夏の思い出が、ゆっくりと胸の底に溜まっていく
(Op.20250516/Studio31,TOKYO) 「その優しさは、いったい、いつまで続くのかしら?」ときみに聞かれて以来、ぼくの愛は、ダーウィンが驚くほどの進化を続けている。 【R.E.M-NearWildHeaven】 ダーウィンが驚くほどの進化
その思い出し笑いは、なに? 別段興味があるってわけじゃないけど、少しは気になるよ。それにぼくは関わってるの?いったい何を思い出したの?<ahref="https://blogmura.com/profiles/11138716?p_cid=11138716"><imgsrc="https://blogparts.blogmura.com/parts_image/user/pv11138716.gif"alt="PVアクセスランキングにほんブログ村"/></a>思い出し笑い
今朝、里山に今年初めてのウグイスを聴く――繁殖期の証し。 彼等は、早くも夏を生きる。<ahref="https://blogmura.com/profiles/11138716?p_cid=11138716"><imgsrc="https://blogparts.blogmura.com/parts_image/user/pv11138716.gif"alt="PVアクセスランキングにほんブログ村"/></a>夏を生きる
きみの誕生日の夜。取って置きのスプマンテに酔って、イチ子さんは気持ち良さそうにテーブルで眠ってしまった。*初夏、きみにノースリーブが似合う季節。ノースリーブの季節
ふたりで過ごす、初めての夏時間。<ahref="https://blogmura.com/profiles/11138716?p_cid=11138716"><imgsrc="https://blogparts.blogmura.com/parts_image/user/pv11138716.gif"alt="PVアクセスランキングにほんブログ村"/></a>初めての夏時間
【深夜ギャラリー】例えば、二人の夏は…。<ahref="https://blogmura.com/profiles/11138716?p_cid=11138716"><imgsrc="https://blogparts.blogmura.com/parts_image/user/pv11138716.gif"alt="PVアクセスランキングにほんブログ村"/></a>例えば、二人の夏は…
夏。午睡の夢。大汗をかいて目覚める。傍らの時計を見れば、昼寝に費やした時間は小一時間ほど。短いながら、不思議な次元を生きたようだ。<fontcolor="#ff9900">*</font>きみの肌の色はぼくと違って、スペインとインディオのハーフ・ブラッドらしいカフェ・オ・レ色。きみは、その豊満な褐色の太ももを作業台代わりにしてハバナ葉の葉巻を巻いていた——まだ、きみの体温が残っているよう。その巻き立ての一本をぼくに手渡しながら、「お昼、何か作りますか?」なんて日本語で聞いてくれたりする。傍らの開け放った窓から、レースのカーテンを大きく揺らして、熱く湿った南風が吹き込んでいた。あれはきっとカリブの風だったのだろう。遠く、街の喧噪も聞こえていた。<ahref="https://blogmura.com/pro...午睡の夢——カリブの風
英領ヴァージン諸島。首都ロードタウン郊外のホテル。プール・サイドに張られた白いキャンバス地のオーニングの下。赤く染められた手織りの麻のテーブル・クロスの上に、アジアからの旅人らしきその女性は、クラッシュド・アイスを入れたジン・ソーダのハイボール・グラスを置き、時折、それを陽の光にかざして見るのだが一向に口に運ぼうとはしない。ラジオから聞こえているのはジャマイカ・クレオール語の時報——トルトーラ・ショッピングモールが午後2時をお知らせします。カリブ海の湿気を含んだ風がゆったりと吹き抜ける午后。「日本の方ですか?」と彼女に声をかけるなど訳のないことではあったのだが…。<ahref="https://blogmura.com/profiles/11138716?p_cid=11138716"><imgsrc="...英領ヴァージン諸島
あるプロフェッショナルのバンドマンを知っている。ビッグバンドの花形テナーサックス吹きだった。彼の話では、テナーサックス奏者として、ある曲のあるフレーズを一息で吹けなくなったら、プロとして一線を退くという不文律があるそうだ。また、楽器ごとにそういったフレーズがあるとも聞いた。引退し、写真集配の仕事を得て夫婦暮らしを支えた。車持ち込みでルートをいち日ふた回り。渋滞がなければ九時五時の仕事で、早々と大好きな家飲みが始められたようだ。ウイスキーを水割りで毎日ボトル半分弱。一週間に二本以上飲む計算になる。つまみは、飽きるまで同じものを通すのがスタイルで、例えば大きくなくてもいいから、ステーキと決めたらズーッとステーキ。ふた月でもみ月でも続く。口に合ったのか、とりわけその期間が長かったのが豚足だったとか...。「普通...スポット・ライト
朝の雨が上がって、薄日が差し始めていた。庭のテラスに続く縁側のガラス戸が開け放つ音が遠くで聞こえる。 「チューリップも、もう見納めよー」と呼ぶようなイチ子さんの声。 洗面所の窓から庭を見遣ると、さっきまでの雨の雫が至るところで乱反射している。<ahref="https://blogmura.com/profiles/11138716?p_cid=11138716"><imgsrc="https://blogparts.blogmura.com/parts_image/user/pv11138716.gif"alt="PVアクセスランキングにほんブログ村"/></a>乱反射
今日は二十四時間、久々に何も書いていないいち日。恐らく、今週は何も書かないような気がする。無理して書くと、やっ付け仕事になる予感。年に何回かは思い返すことがある。それは、『重要なのは量よりクォリティ!』<fontcolor="#ff9900">*</font>何をブツブツ言ってるの、と振り向きざまにイチ子さん。<ahref="https://blogmura.com/profiles/11138716?p_cid=11138716"><imgsrc="https://blogparts.blogmura.com/parts_image/user/pv11138716.gif"alt="PVアクセスランキングにほんブログ村"/></a>量よりクォリティ!
『蜜月楼』という、その中華料理店のような屋号のレストランは都会なら兎も角、この海沿いの田舎道にポツンとあるのも場違いな景観で、増してや看板の『フランス田園料理』とあるのには、どこか怪しさがあった。これには用心深い食道楽でなくても、足を運ぶには多少の勇気がいるだろう。日本では滅多にメニューに見ない『トリッパ(牛の二番目の胃で日本ではハチノスという)のパン粉焼き』が食べられるかも知れないと思った。<ahref="https://blogmura.com/profiles/11138716?p_cid=11138716"><imgsrc="https://blogparts.blogmura.com/parts_image/user/pv11138716.gif"alt="PVアクセスランキングにほんブログ村"...蜜月楼
今日もまた、朝からアップルパイ。 白黒フィルム時代のアメリカ西部劇映画(時代背景は今から200年位前か)で、未だに印象深い台詞がある。若い、まだ子のない夫婦が営む小さな牧場に通りすがりの来客。農場主が言う。「今、アップルパイが焼き上がったところだ。どうだい、食べていくかい。こう見えても林檎の季節にゃ、パイぐらい食べられる身分なんだぜ」文献に当たると、当時の米国庶民の平均的な経済状況を示す目安は、林檎の実る季節にパイを焼けるかどうか辺りだったようだ。江戸時代の日本人に例えるなら、「こんな百姓家でも、正月だけは、腹一杯餅を食えるんだぜ」と言ったところか。<ahref="https://blogmura.com/profiles/11138716?p_cid=11138716"><imgsrc="https:/...朝からアップルパイ
あるひとつのイメージがあって、その内容の要約は平易な文章で説明し得る。しかし、それは芸術作品ではない。それを芸術の領域に止揚するのが文学的行為。作家のスランプは『書くことが見つからない』のではなく、『納得がいく表現方法が見つけられない』というのが的確だ——陳腐な表現方法を採用するくらいなら『書かない』、というのも『書けない』と同じ範疇にされているが、このふたつは全く別物。文学的スランプを前者の意味で使うなら、文業を突然中止したランボーやメルヴィル、或いはサリンジャーやピンチョンなどの寡作の理由も説明できる。<ahref="https://blogmura.com/profiles/11138716?p_cid=11138716"><imgsrc="https://blogparts.blogmura.co...ランボーやメルヴィル、或いはサリンジャーやピンチョン
きみのために、丁寧に髭を剃った朝。<ahref="https://blogmura.com/profiles/11138716?p_cid=11138716"><imgsrc="https://blogparts.blogmura.com/parts_image/user/pv11138716.gif"alt="PVアクセスランキングにほんブログ村"/></a>朝
日本では、文筆家が、何かしら思い詰めて執筆しない期間を思慮もなく単にスランプと呼ぶが、英語圏ではWriter'sBlockといって研究対象である。これについては、Wikipedia日本語版がよく書けている。ちゃんとお勉強して、しっかり研究した人が書いてくれているようだ。<ahref="https://blogmura.com/profiles/11138716?p_cid=11138716"><imgsrc="https://blogparts.blogmura.com/parts_image/user/pv11138716.gif"alt="PVアクセスランキングにほんブログ村"/></a>今日は、書かないの?
『蓮(れん)』は伝統的に粋な名前で、自分が女なら仮にでも普段から名乗りたいほどだ。昨今、『教養ある時代錯誤の粋人』もいなくなったのか、そんな名は次第に命名されることも減り、遂には廃れたようだ。 人生で今のところ、ぼくは、たったひとりしか知らない。<ahref="https://blogmura.com/profiles/11138716?p_cid=11138716"><imgsrc="https://blogparts.blogmura.com/parts_image/user/pv11138716.gif"alt="PVアクセスランキングにほんブログ村"/></a>蓮(れん)という名の女
生涯続く、好きな音楽の傾向や色、食べもの——異性の好みもそうかもしれない——などは、いずれも十代から二十二、三歳までの間の生活環境・経験に基づくという。あの人のどこがいいの、なんて聞かないで❗️アタシの趣味なんだから…。<ahref="https://blogmura.com/profiles/11138716?p_cid=11138716"><imgsrc="https://blogparts.blogmura.com/parts_image/user/pv11138716.gif"alt="PVアクセスランキングにほんブログ村"/></a>あの人のどこがいいの、なんて聞かないで❗️
深夜画廊『なんだか夜更かししたいカンジ#3』——「お酒は弱くないけど、恋には弱いの」<ahref="https://blogmura.com/profiles/11138716?p_cid=11138716"><imgsrc="https://blogparts.blogmura.com/parts_image/user/pv11138716.gif"alt="PVアクセスランキングにほんブログ村"/></a>恋には弱いの
ほぼ創作物全般に言えることだが、作家本人が好きな作品と、受け手側が評価する人気作品とは必ずしも一致しない。また、受け手側の評価も一作に集中することはなく、複数作に分かれるのが通例。その違いは、人それぞれに過去の行動や行為、記憶や思い出の差からくる、言わば感受性の土台が異なるからに他ならない。<fontcolor="#ff9900">*</font>この梅雨明け直後の終業式帰りのスナップ・ショット——明日から夏休みという、この場面、この一枚が、我ながら何故か見飽きない。明日から夏休みという日は、誰にも年にたったいち日しか巡ってこない——貴重な喜びのいち日の記憶が、ぼくの頭の中では、余りにも濃厚なのに違いない。<ahref="https://blogmura.com/profiles/11138716?p_c...誰にも年にたったいち日しか巡ってこない
当てにならない天気予報…。怪しい雲行きながら、時折、陽射しが乱反射する。 朝の風——長者ヶ崎を越えて来る。 今、今年初めてカシスのジェラートを食べたい気持ち。<ahref="https://blogmura.com/profiles/11138716?p_cid=11138716"><imgsrc="https://blogparts.blogmura.com/parts_image/user/pv11138716.gif"alt="PVアクセスランキングにほんブログ村"/></a>カシスのジェラート