(Op.20250524/Studio31,TOKYO) 現在、『gooblog』の運営終了に伴い、運用は『amebablog』にて再開しております。https://ameblo.jp/lonesomewriter/で、お目にかかれます。 【TheByrds-We'llMeetAgain】✳️We'llMeetAgain
このサイトは "Creative Writing" の個人的なワークショップです。テキストは過去に遡り、随時補筆・改訂を行うため、いずれも『未定稿』です。
みなさんに感謝: アラン・ロブ=グリエ アルベール・カミュ 伊藤整 岩科小一郎 エリック・ホッファー 尾崎喜八 金子光晴 クロード・シモン ジャック・ケルアック 田村隆一 辻邦生 辻村伊助 永井荷風 久生十蘭 フィリップ・ソレルス 船知慧 ブルース・チャトウィン ポール・ヴァレリー ミシェル・ビュトール 森鷗外 森茉莉 吉田健一 ル・クレジオ ロラン・バルト
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久し振りに映画『秋津温泉(1962)』を観る。この作品のモチーフ——『男の煮え切らない・優柔不断な性格が災いし、十七年という永きにわたり静かに燃え続け、遂に成就することなく破滅へと向かう愛』。原作者は、直木賞作家・藤原審爾(ふじわら・しんじ)——受賞作は昭和二十七年・上期の『罪な女』——その年の直木賞選考委員会はもめにもめた。委員のうちの何人かが「今さら、(藤原の)こんな作品(『罪な女』)に直木賞をやるくらいなら、なぜ、(藤原の)昭和二十四年(候補作)の『秋津温泉』に芥川賞をやっておかなかったんだ!」と言って退席してしまったという。芥川賞に五回もノミネートされながらとうとう受賞出来なかつた川上宗薫が、純文学をあきらめてポルノ小説を書き始めた事にも似て、藤原審爾も『秋津温泉』で芥川賞を逃して以来、純文学か...秋津温泉
一階の南側、つまりプールのある庭に面して二部屋、二階と三階にそれぞれ四部屋あり、すべて十五畳程の1LDKであった。住人の年齢に多少開きはあったが、みんな等しく一人暮らしであった。 【CliffRichard-Constantly】 みんな等しく一人暮らしであった
映画会社『日映』が、江ノ島から少し離れた由比ヶ浜に『ビーチホテル』というリゾートホテルを建設し、観光事業に進出したのは戦前のことだった。敗戦後しばらくは、保養施設として米軍に接収され、数年後に返還されるとホテル業を再開した。その後、半世紀程たって映画産業が衰退すると、それは、地元の名士である不動産業者の所有に移り、『ビーチサイド・レジデンス』と名を改め、賃貸のアパートメントに様変わりした。ぼくの部屋は一階の玄関ホールのすぐ上、海の見える二階の角部屋だった。 【LarryLee-Don'tTalk】 ビーチサイド・レジデンス
長い旅のために買った革のトランクだったが、丁度、手近に置ける小さな本箱を探していたこともあって、普段も仕舞い込まず、そういう使い方をすることにした。*文筆に携わる人がよく、手近な資料をまとめておく本棚を机周りに据える。しかし、ぼくの目的はちょっと違っていて、胸を患って自由に起き上がれなくなった晩年の堀辰雄が、いつも身近に置いておきたい愛読書を集めた本箱を枕元に用意した——まさに枕頭の書!——あの真似をしてみたいとかねてから目論んでいたのだった。トランクはいきなり一杯にはならず、とりあえず今のところの収蔵書を書き抜いてみる。『スウィス日記』『ハイランド』辻村伊助『ロラン・バルトによるロラン・バルト』ロラン・バルト『鳴り響く星のもとに---ヴィルヘルム・ケンプ自伝』ヴィルヘルム・ケンプ『写真の秘密』ロジェ...革のトランク
三浦半島をポートサイドに見た夏。(op.20241129-1/Studio31,TOKYO) 【TheBeachBoys-AllSummerLong】 1975
その物件は、国道134号線を挟んで海に面した、三階建ての古い石造りのアパートメントだった。仲介業者によると以前は戦前から歴史を重ねたリゾートホテルだったという。言われてみれば、往時を偲ぶ造作が玄関ホールや廊下を初めとして建物の随所に見られた。ぼくが兎に角気に入ったのは、部屋でも靴を脱がずに済む、その洋式の造作だった。だから、他の条件や環境に頓着なく、月の家賃を確認しただけで契約を済ませたのも、あながち衝動的なことではなかった。 【PercyFaithOrchestra-ThemeFrom"ASummerPlace"】 古いリゾートホテル
北鎌倉。名もなき谷戸の奥。時間の流れる音しか聞こえない。(op.20241128-1/Studio31,TOKYO) 【TheByrds-Turn!Turn!Turn!】 名もなき谷戸の奥
英詩人ワーズワースの代表作『草原の輝き(SplendorintheGrass)』は、米国の高校では生徒に暗唱させるほど一般教養化している。それを端緒に米劇作家ウィリアム・インジが原作脚本を書き、エリア・カザンが映画化。後の映画評ではカザンの演出の陳腐さが取り沙汰されたが、インジの構成は素晴らしく、人生の一典型の縮図として、多くの若い作家達のテキストとなった。原作者インジは、晩年、後進の育成に尽くしたが、ある日、最早、絶頂期のレベルでは創作できないことを悟ると、日本人には馴染み深い一酸化炭素の吸引を選択した。 <ahref="https://blogmura.com/profiles/11138716?p_cid=11138716"><imgsrc="https://blogparts.blogmura.c...草原の輝き
今年の『読書週間』のポスターにあった標語は、久々に口に合った——『この一行に逢いにきた』—— 美味しくて、何度も読み返した。 美味しい一行
水口イチ子が、ある古書店のショーケースの前で目を凝らしている。「その『ヨーロッパの道徳の歴史』っていう本、なんでそんなにいい値段なの?」と言う。「とってもめずらしい本なのかしらね」と重ねて聞く。「レッキー著、いや、書名も著者も聞いたことないなぁ」とぼく。「しかも、書き込みや下線まで引いてあるわよ」とイチ子は更にいぶかしげだ。日本の葉書より多少小振りな厚紙に短い解説文がタイプされている。「ははぁ、なるほどね。わかった!その本が貴重なのは、その余白の書き込みのようだよ。『書き込み多数あり』ってタイプしてあるところの一番最後の行に書いてある...」「えっ?一体どういうこと?」「重要なのは、余白に書き込みをした人が普通の人じゃないってことだよ」「?????」「マーク・トゥウェインだよ!マーク・トゥウェインが自筆で...マーク・トウェインの書き込み
最後は思い出に生きる。(op.20241127-1/Studio31,TOKYO) 【KimSuyoung-Wave】 最後は思い出に生きる
ビート・ジェネレーションの末期からヒッピーが始動する頃にかけて、時代の寵児となった作家ブローティガンも、そのブームが去った後、気のいい日本人の間で読み継がれていることを除けば、本国アメリカでは『バス・タブにお湯のように張られていたブームが、栓を抜かれた途端、中で遊んでいたブローティガンも一緒に流れてしまった』と表現したのは、いったい誰だったか?リチャード・ブローティガン(1935-84)に『西瓜糖の日々』という作品がある。『西瓜糖(WatermelonSugar)』というイメージの『村』での出来事を長短の詩、もしくは散文詩で綴った風変わりな著作。大学生だったぼくは興味津々で、その藤本和子の翻訳文体を盛んに真似したものだった。【TheLovin'Spoonful-DoYouBelieveinMagic?】 ...西瓜糖の日々
平成二十八年は2016年...。時間は呆気なく過ぎるということだ。この八年を人は一生に十回ほどしか繰り返せない。(op.20241126-1/Studio31,TOKYO) 【WildHoneyOrchestra,featuringSusanCowsill-YouDidn'tHaveToBeSoNice】 中には十二回繰り返す人もいる
最近の書評家やライターは、作家に敬意を表してか、或いはおだててか、安易に『文豪』の敬称を送る。文豪の『豪』は、富豪(超々金持ち)の豪と同じ価値を持つ必要がある——例えば数百億円持っている人を富豪と呼ぶなら兎も角、百万円や二百万円の貯金の一般人を富豪とは呼ぶのは間違っている。まあ、馬鹿にして呼ぶなら話は別だが。文豪とは、国民の多くが、彼の作品を読んだことはなくても、作品の題名のひとつやふたつ覚えていて、なおかつ『執筆総量が膨大』な作家を指す。明治以降ならば鷗外、漱石、荷風は問題ないにしろ(分厚いハードカバーの全集が四十巻前後をもって編まれている)、戦後は、超ベストセラーがあっても、まだ作品数自体が少ない若い作家を文豪とは呼称しないのが教養というものだ。かつて、大学生の頃、指導教授と雑談で、「戦後売り出し...富豪と文豪なら富豪になりたい
上京区今出川通りあたり——西陣書院京都書店アオキ書店澤田書店森安心堂書店etc.etc.【TheDaveClarkFive-CatchUsIfYouCan】 上京区今出川通りあたり
今どきは、どんな商品にも『使用上の注意』が明記されている。正しく使わないと『予定どおり・期待どおり』の結果を得られませんよ、というわけだ。例えば、このフィルムには『撮影後は現像が終了するまで、適温下で暗い所に置いておいて』とある。これに反して『明るい所』に置いておくと、出来上がりが白くなる。こういう結果を敢えて望む撮影者はことのほか多い。女子の扱い方も間違えると期待どおりの結果は得られない。 【CliffRichard&TheShadows-OnTheBeach】 扱い方も間違えると期待どおりの結果は得られない
ジャック=アンリ・ラルティーグ(Jacques-HenriLartigue,1894-1986)からは、写真の技術以外のテクニックを学んだ。(op.20241124-2/Studio31,TOKYO) 【TheSeekers-I'llNeverFindAnotherYou】 ジャック=アンリ・ラルティーグ
十二月になると時間が急に速くなる。日々の生活に普段の月とは違った手数が増えるからだろうか。(op.20241124-1/Studio31,TOKYO) 【SylvieVartan-LaPlusBellePourAllerDanser】 パーティで注目される人
「本当はパクチー、好きじゃないんでしょ?」「そんなことないよ。残したことなんて無いじゃない」「我慢してたのよ、きっと...。あなたって昔から、そんなふうにできる人だったから...」【金月真美-トワイライト・アヴェニュー】 そんなふうにできる人だったから...
今日は久し振りに何の仕事も無い、純粋な休日。少し遅く起きて、昼からコークハイを飲んだり昼寝をしたり...。昼下がり、DVDで映画を観る——伝記映画『アルベール・カミュ(2010)』と『写真家ソール・ライター急がない人生で見つけた13のこと(2015)』の2本。夜、Workshopで使えそうな写真をライブラリーから選んで遊ぶ。 【TriniLopez-IfIHadAHammer】 カミュやソール・ライターと一緒
「サンラータンって言うのが正しいのかスーラータンて言うのが正しいのか発音が良く分からないけど、あの酸っぱ辛いスープの麺がとっても美味しいお店があるのよ」とふたりで出かけた市民芸術祭の帰り道にイチ子が言う。「それって酸っぱいって言う字に、ラー油の辣にお湯と書くやつね。あれって好き好きがあるみたいだけど、好きな人はトコトンはまるらしいよ」とぼく。「普通、辣油は好みで垂らすらしいんだけど、私が知ってるそのお店のは、スープの表面が辣油で初めっから真っ赤っかよ。それにお酢が好きじゃない人だと湯気でむせちゃって、息も出来ないくらいよ。それでもお店のオバチャンに聞くと、本場の四川には、もっとすごいのがあるそうよ」にわかに話が面白くなってきた。「そのお店って、これから行けるようなところにあるの?」とぼく。「そう言うと思っ...酸辣湯麺(サンラータンメン)
他言語を流暢に、つまり、淀みなく話すというのは、発音のスピードの問題のように思うが、実は、動詞や名詞を適格に選択できていることを含んでいる。 例えば英語で『美しい』と言うとき、日本人一般の頭に浮かぶ単語は"beautiful"だが、英語を堪能に操る人は、脳が無意識に、瞬時に、以下の単語の中から適格なものを選択している。 beautiful・・・「美しい」を意味する最も一般的な語;精神的・理想的な美についてもいう.lovely・・・感情的に心が動かされるほど愛らしく美しい.handsome・・・やや文語的で,均斉がとれ形が端整で立派に見える;特に男性的な美点についていうことが多い.pretty・・・特に女性について,繊細優美さがあってかわいらしい.good-looking・・・男女ともに用いられ,han...同じ原理
もはや観ることの出来ない映画——その最大の理由は、駄作だからとしか分析のしようがない。あえてもうひとつ理由を挙げるなら、今の時代がその作品を資料として以外、必要としていないから...。上に掲げたスチル写真は、その作品『午前中の時間割り(1972)』のロケ中のスナップである。中央がドキュメンタリー作家である監督の羽仁進。左右が主演女優。右が国木田独歩の曽孫・国木田アコ(今木草子・いまきくさこ役)、左がシャウ・スーメイ(山中玲子役)。御伽草子の草子に通じる役名・草子(くさこ)と玲子は、8ミリ・カメラを持って、十七才の夏休みに二人で旅に出る。しかし、戻ってきたのは玲子だけ。草子は謎の死を遂げる。残された証拠らしい証拠は、草子が撮影していたと思われる8ミリ・フィルム以外にない。果たして草子の死の理由は明かされるの...午前中の時間割り
深夜の2時とか3時にネットに記事をアップすると(結構良くする)、たまにニューヨーク辺りの文学系ポータルサイトから『イイネ!』をもらう。世界時計を見ると、この頃ニューヨークはちょうどランチタイム。昼休みに外国からの投稿を読むって(自動翻訳だろうが)、好きな人は好きなんだろうなという感想。翻訳精度のいい、即時自動翻訳ソフトが常時立ち上がっていれば不可能な趣向ではない(アメリカにはそんな進んだアプリがあるのか?他国と共同軍事作戦を行うなら必須だから、既に民間に公開されているのかもしれない)。SNSには、まだまだ無限の可能性があるということだ。 【TheYoungAnalogues-SheLovesYou】 こちらニューヨークはランチタイム
雨のいち日。とりわけ為すこともなく退屈な午后。人けの絶えたカフェで熱いお茶を飲む。*今朝、ベルナール版の古いラディゲの詩集『燃える頬』と『休暇中の宿題』を読む。二十歳で逝ったラディゲをひとつ年下の堀辰雄が敬愛した気持ちがわかる気がした。*日本文学の系統に分類するとき、堀を規定しきれず、規格外に置こうとする批評家が時折いる。堀の文学を『小説ではない・素人臭い』などと言う。それは堀を計るに足る物差しを評者が持ち合わせていないからだろう。堀を評するには彼用の特別な物差しが必要だ。当時の日本の若い詩人達が、ランボーの韻文の影響下に作品を書いたのに比べ、堀が目指したのは、ラディゲの散文詩やコクトーの作品のイメージに即した創作だった。*雨脚は、先程よりは穏やかに映る。案山子や天使、テニス・ボウル、そして背の高い向日葵...とりわけ為すこともなく退屈な午后
同じような写真を撮ったり、同じような絵を描いたりしていてマンネリにならないのか、とイチ子さんに聞かれたことがある。どう答えたかハッキリ覚えてないが、『人もマグロと同じで、生きるために常に動いている必要がある』のようなことを言ったと思う。マグロは寝るとき、尾ビレをゆっくり動かして運動量を落とすが、決して静止はせずに泳ぎ続けている、という感動的なことを子供の頃に知ったのは、今にすれば随分有り難い知識だった。*写真学校の先生は、『(テクニックが何だのと)四の五の言わずに、とにかく撮って撮って撮りまくれ』と諭す。偉大な経験則だ。 【SugarBabe-Darlin'】 マグロは泳ぎ続ける
水口イチ子と伊豆七島には何度か出かけた。どこの島で撮った写真かは思い出せない。この時期、エクタクローム64を使っていた記憶がある。ストロボをシンクロさせたつもりなのだが、「そんなに光を当てたら正面に太陽があるみたいでしょ!?」なんてイチ子に言われたのを覚えている。1977年頃のことだろうか。油彩にしてみた。絵もいまだ巧くなれない。フォト・リアリズムには程遠く、思い出同様にぼやけている。【MottTheHoople-RollAwayTheStone】 エクタクローム64
カリブ海の島々の酒飲みは、日本の飲み屋によくあるキリンやサッポロなどのビール会社名が白文字で刷られた宣伝用コップ程の大きさのグラスに、地産のラム酒をドボドボっと入れ、あろう事かそこにカレーライスのスプーンで山盛り一杯の白砂糖を入れる。(二杯入れる輩もいないことはないらしい)。多少はかき混ぜるが、確実に飽和状態だから底に大層な沈殿が残る。そういうものを何十年にもわたって飲み続けるので、カリブの酒飲みはみんな虫歯で、中高年までにはほとんどの歯を失うらしい。どうして虫歯の治療をしないのかというと、そういうお金があれば、再び又、砂糖が飽和状態のラム酒を飲んでしまうからだとか。水口イチ子はぼくがラム酒好きなのを知っていて、いつかフロリダ経由でカリブ海に浮かぶ、赤道近くの小島のバーに地酒のラムを飲みに行かないかと誘う...砂糖が飽和状態のラム酒
明治が終わろうという頃、若い詩人達は、それ以前の日本の伝統的な定型詩の規範から抜け出し、欧米の自由詩を目指した。しかし、それは、西欧の詩のような語法、用法を持たず、外観だけを似せたものに過ぎなかった。日本の近代詩は、こういった風土から、模索し、試行錯誤を始めることとなった。『詩は言葉以上の言葉である(自由詩は言葉以上に意味を持った言葉で書かれる)』——これは『月に吠える(1917)』の序の一節である——センテンスの圧縮に心血を注ぐとき、誰もがこの問題に立ち止まり、考える。この朔太郎の言葉は、日本の近代詩が胎動を始めた直後に示された永遠のスローガンである。【Donovan-Changes】 永遠のスローガン
ランチに、サンドウィッチふた切れと林檎のパイをひと切れ食べた。*気圧が下がりつつある——まるで、曇天のドームの中にいるよう——ラジオは、もう丸二日聴いていない。「嵐が来るよ。干潮なのに海が近いから...」と水口イチ子。「部屋に戻って熱いお茶を飲もう」とぼく。*うまくすれば、気の利いた文章を一行か二行書けるかもしれない。【ChristianGratz-ManInTheMiddle】 ラジオは丸二日聴いていない
ダンス・パーティーの夜。(op.20241118-1/Studio31,TOKYO) 【永澤ヨーコ(OnDrums)-I'mHappyJustToDanceWithYou】 ダンス・パーティーの夜
東京郊外の旧郡部では、渡り鳥と言うと、いくつかある分類の中でも冬鳥を思い浮かべる——冬鳥は、本来の生息地は北方なのに『寒い地域での繁殖を嫌って』、秋が深まる頃に南下してくる一団を指す。この辺りの多摩川沿いの水辺は、冬鳥にとってはパーキングエリアに過ぎず、彼等は、餌捕りが容易な場所へと更に南下、また春が来ると北へ帰る。*冬鳥の呼称は、英語圏ではスノーバード。避寒地のリゾートに通年暮らす人達は、暖かくなると去って行ってしまう避寒客も同様に(口語で)スノーバードと呼ぶ。人間の『スノーバード』は、芽生えた恋をそのまま残して去って行くこともあって、冬鳥を題材にした歌には失恋を扱うものが多い。 スノーバード
ポー(EdgarAllanPoe1809-1849)の『大鴉(おおがらす、TheRaven)』を読んだことがあるかと聞かれても、あとあと面倒だから素直に「あります」とは答えない。もっとも、そんなことを聞く人はいないが...。TheRaven・・・音読して耳に美しい言葉の選択。日本では散文詩に分類されるのだろうか。ポーのデオキシリボ核酸は、彼以降の米国の散文家すべての教養に含まれる。 【AnneMurray-Snowbird】 音読して耳に美しい言葉の選択
浅間山の裾野を追分の郵便局へ下った帰り、ぼくは駅前の商店に自転車を駐め、井戸からタライに汲み上げられた浅間山の雪解け水に、壜ごとどっぷり浸けられたサイダーに手を伸ばそうとしていたときのことだ。見上げる夏空には、立ち上がった王様のような巨大な積乱雲。*今し方停まっていた信濃鉄道の列車から降り立ったのだろう、駅頭に立つ、姉妹と見える二人の少女に偶然にも目が止まった。どちらも初めて見る顔で、それぞれに籐で編んだ白いバスケットを携え、お揃いの白い帽子をかぶっていた。服装は旧軽あたりの観光客とは異なり、村の別荘で避暑する人達同様、洗濯の行きとどいた何気ない夏の普段着姿が目に馴染んだ。背の高い方はぼくと同い年くらい、妹には、まだ中学生らしい幼さがあった。*半世紀も前のある年の夏休みの出来事...。【TimothyB....半世紀も前のある年の夏休みの出来事
絵画の基本は写生。文章のそれも、やはり普段のスケッチ——情景を短い文章で簡単に書きとめること。また、その文章。小品文。【広辞苑第六版】——が大切。ぼくが愛用する赤い表紙の小さな手帖があって、イチ子さんにまつわる出来事が折に触れて走り書きしてある——ロアルド・ダールの創作備忘録もこんな大きさの手帖だったようだ。それで、その赤い手帖だが、先日、頁を開いたままデスク脇の小机に置いて出掛け、タイミング良く掃除に入ったイチ子さんが発見。その存在が知れた。もっとも、凡そイチ子さんのことしか書いていない手帖だから見られてなにも不都合なことはないのだが、普段からイチ子さんをスケッチしている事実が露見して、多少照れ臭かった。【TheVentures-IFeelFine】 <ahref="https://blogmura....赤い手帖
そんなこともあった。(op.20241115/Studio31,TOKYO) 【YerinBaek-SeeYouAgain】 そんなこともあった
Ah! Rimbaud!さて、その詩人は、十九歳で最後の一篇『地獄の季節——UneSaisonenEnfer(1873)』を書いて以降、詩的表現に関心を示すことは全くなかった。それは『書くべきことがあるにも関わらず書くのを放棄した』のではなく、その歳にして『最早、自分が表現すべき全てを書き尽くした、もしくは、あらゆる詩的技法を試し尽くしてしまい、詩作への興味を失った』というのが学界の定説となっている。 【ThePenFriendClub-一本の音楽】 Ah! Rimbaud!
あれは馬籠か妻籠、いずれの宿場でのことだったか...。端切れで作られたいくつもの照る照る坊主が竹の枝先にぶら下げられ、古い建物の軒先で風に揺れている。その昔、『木曽路はすべて山の中である』と島崎藤村が書いたその地形では、天気など当てになるはずもなく、晴れて霞んだ山並みが、たちまち厚い雲の中で息をひそめることもめずらしくなかったことだろう。一日に一組二組しか宿泊客を取らないその古い旅籠の若い女将が、自らの客に加え、町を通り過ぎて行くだけの見知らぬ旅人の安泰をも祈りつつ、それら軒先の人形を作ったのではないかと思ったのは、秋も深い旅の夕暮れのことであった。【Captain&Tennille-Muskratlove】 いずれの宿場でのことだったか...
大人でも、(恋に)タバスコを掛け過ぎることは良くある。(op.20241114/Studio31,TOKYO) 【Sylvia-Nobody】 HotSauce
早朝六時半からレア・チーズケーキでお茶ができる店は、コロナ・ウイルス騒動以降、葉山では海縁の『カフェV.』だけになってしまった。以前は開店早々からサーファーでほぼ満席になったこの店も、かつての三密回避はどこへやら...。散歩の途中に立ち寄り、午前九時に朝食代わりのアールグレイとケーキを食べる男客など、週日の今朝は、どこを見まわしてもぼく以外には見当たるはずもない。【TheBeachBoys-HelpMeRhonda】 葉山の『カフェV.』で
「丸の内の売店じゃいつも売り切れよ。いったい誰が買い占めてるのかって思うわよ。でも、どこで買えたの、これ」とイチ子さん。「昨日。正確には15時間くらい前かな。デュッセルドルフで、飛行機に乗る前に空港の売店で慌てて買った」とぼく。【TheAssociation-Windy】 昨日、デュッセルドルフで...
昼間からの度の過ぎた飲酒は世界中どこでもヒンシュクを買うが、どうしても飲みたいなら、透明な蒸留酒をオレンジジュースで割るというのが定番。レシピは無視で、端から見てオレンジジュースに見えさえすれば、他に何を加えようが混ぜようが自由。ヘミングウェイもキューバの馴染みのバーでは、午前中は大人しく、そんなのを飲んでいたという証言・目撃情報あり。でもまあ、ここは東京南青山五丁目、裏通りのカフェ。表通りに面してないというところが昼間酒には持って来いだ。ジンは、しっかりダブルで作ってもらってある。 【LouRawls-Scotch&Soda】 東京南青山五丁目、裏通りのカフェ
秋。都市の夕暮れ。雑踏には公園の落ち葉よりも多くの孤独が潜む。今日いち日、誰かと話をしただろうか。【BelleandSebastian-LazyLinePainterJane】 都市の夕暮れ
蔵王連峰は主峰に熊野岳を頂き、山形県と宮城県にまたがって君臨する大山地である。主に山形県側の観光開発が進んでいて、特にスキーをやる人達にとっては、蔵王といえば山形蔵王を指すようだ。その反対側の宮城蔵王は、東北本線白石駅が玄関口——新幹線なら白石市郊外の白石蔵王駅となる。白石は小さいながらも古い城下町で、名産がある。温麺——これは『うーめん』と発音する。分かり易く言えば、素麺よりも幾分太い、冷や麦の乾麺を半分の長さに切った『うどん』と考えてもらって差し支えない。さて、温麺の来歴だが、もはや地元では有名な語り草で、昔、城下に胃の悪い父親を持つ孝行息子がいて、父の胃の容態を案じていた彼は、旅の僧侶——今となっては謎の僧侶だが——から、消化に良いよう、素麺のように油は使わず、出来るだけ細くて短く、消化の良い饂飩を...白石うーめん
イチ子は、先週あったクラブの写真展の後片付けを仲間に丸投げして、今はベトナム中部の街ダナンへ取材旅行。ベトナムは縦長だから、南部・中部・北部と、季節が日本同様少しずつずれる。この時期、天気が安定しているのは北部と南部で、中部は年末まで雨期。毎日夕方近くは大雨になるので、撮影仕事は昼過ぎまで。と言うことで中部の旅は、今が安くてお得とか。気温は三十度をチョット超えるが、日本の今年の夏を経験していれば、然程苦にはならなさそう。送られてきた写真では、ビーチリゾートが海岸線に沿って長く続いている。今回は、インターネットで送られてきたインスタックスの写真をオイルパステルで描くという手間暇掛けた画法だが、京都の創業以来三、四百年のお茶屋さん、団扇屋さん、筆屋さんだのに比べれば全く取るに足らない工程数。 【Steph...ベトナムのビーチリゾート
キャベツは、夏場も冬場もいち年中が旬。「キャベツとアンチョビのパスタだったら一年中作れるわよ」(op.20240731-1/Studio31,TOKYO) 【Sheila-Toujourslesbeauxjours(ICouldEasilyFall)】 キャベツとアンチョビのパスタ
午睡の夢・・・三十年前の水口イチ子の夏を見つけに行く。(op.20241110-1/Studio31,TOKYO) 【LesleyGore-MyFoolishHeart】 イチ子の夏
いいタイミングで振り向いた。(op.20241109-2/Studio31,TOKYO) 【PhilCollins-YouCan'tHurryLove】 いいタイミング
茅ヶ崎公園に撮影に行ったときの写真かもしれない。今時の女子高生のよそ行きのカッコとは違う気がする。(op.20241109-1/Studio31,TOKYO) 【TheNolanSisters-StuckOnYou】 水口イチ子のよそ行きのカッコ
季節の移り変わりは、その変わり目に当たる、ほんの数日に感じられるだけなのかもしれない、とイチ子は考えた。*朝方、着て出て良かったと思ったコートも、昼近くには、シッカリ汗をかかせてくれた。(op.20241108/Studio31,TOKYO) 【TheBrothersFour-Changes】 イチ子の後悔
普通にAUTOで撮ればイイものを何故普通に撮らないのか、と水口イチ子が聞く。(op.20241008/Studio31,TOKYO) 【TheLadyShelters-MaggieMay】 水口イチ子の疑問
撮影場所を思い出せない古い写真。中央図書館の辺りのような気もする。(op.20241107-8/Studio31,TOKYO) 【Fastbacks-GoAllTheWay】 思い出せない
子供の頃は写真は撮るばかりで、現像した写真もネガも箱に放り込んでおくだけだった。何度か引っ越すたびに箱は失われていき、偶然にも残ったものが今手元にある。今頃になって整理するのは良い暇つぶしになるし、思い出の点検にもなる。何故この箱が残っているのか定かではない。点検してみると、ちょうどティーン・エイジャーの頃の写真が入っていた。退色はしているが、写真右奥に桜の花盛りが見える。四月初旬、学校の裏山にある公園で、高校入学したての水口イチ子が写っている。それを裏付けるように、イチ子の鞄は下ろしたてでピカピカだ。 【Maroon5-IfIFell】 下ろしたてでピカピカの鞄
静止画にも時間は流れる。(op.20241106/Studio31,TOKYO) 【YushiNakajima-AllIWantForChristmasIsYou】 静止画にも時間は流れる
日中の風景から夏の色彩が消えて、公園の吹き溜りには、早くも落ち葉が厚い。この辺りまで来ると、湘南の潮騒はまるで聞こえない。今週末、明け方の気温が漸く一桁になるという。 【TheByrds-Turn!Turn!Turn!】 潮騒はまるで聞こえない
十一月。ある日の午前六時。窓越しに、水晶のように透きとおった朝。お早うと呼びかけても、まだ起きそうにもないぼくの南風。【TheRonettes-ICanHearMusic】 ぼくの南風
一般的に英国人は、なぜかこのように、さほど大きくない皿に食べ物を積み重ねて盛るのが好きだ。日本人にとっては、最初に食べたいと思ったものが下の方にあると困惑する。しかし、彼の地の人々は、上から順番に黙って摘んでいくのである。<ahref="https://blogmura.com/profiles/11138716?p_cid=11138716"><imgsrc="https://blogparts.blogmura.com/parts_image/user/pv11138716.gif"alt="PVアクセスランキングにほんブログ村"/></a>上から順番に
『パリは4月である。雨もひと月前ほど冷たくはない』これは英国の作家ギャビン・ライアルの代表作『深夜プラス1(MidnightPlusOne)』の書き出しである。この作品は、ミステリーファンの総合的な評価では、『必読の古典的名作』に分類されるらしい。確かに冒頭の訳文一行をとっても、この原作者らしいレトリック——文章のひねり方の妙を感じる。詰まるところ、ハメットやチャンドラー程度には読まれて良い作家ということなのだろう。それ故、この特別魅力的なタイトルにインスピレーションを誘発された読書人は多く、例えば『読まずに死ねるか!』でライターとしても名を売った『日本冒険小説協会(JapanAdventureFictionsAssociation)』会長故内藤陳は、その協会の本部たる自分が経営する飲み屋の屋号に『深夜+...深夜プラス1
イチ子さんが、東京駅の地下街でないと手に入らないお菓子があるというので出かけた。天気のいい休日は、羽田空港同様、駅地下も新丸ビルも観光スポット化していて点景も多く、写真は撮り辛い。カラーで撮ると在り来たりの場面もモノクロだと、収まりが良くなることがある。カラー写真は、それだけ余計なものを撮っていると言うことだ。AWkitchenTOKYOで、チョット遅いランチをして帰った。 【TheBootlegBeatles-IDon'tWantToSpoilTheParty】 チョット遅いランチ
今夜あたり、そろそろ、どこかで夜香花が香り始めているかも知れない。 【TheVelvets-Tonight】 香り始めているかも知れない
夏の終わり季節最後の風が吹くいつかまた戻って来よう緑の想いとともに...【TheHollyridgeStrings-I'llFollowtheSun】 緑の想い
「もっと困らせていい?」***『ある意味では、人が言おうとしていることを「本当に理解する」ことは、だれもできない。(略)だが、実際問題として、作家の芸術的技巧いかんによっては、その文体の難しさに反比例して、かなり多くの人たちが、その作家の言っていることを概ね理解する。(『六十九の問答』ノーマン・メイラー)』山西英一訳、昭和四十四年、新潮社刊『ぼく自身のための広告』より【MiamiSoundMachine-BadBoy】 もっと困らせていい?
人生は予定どおりにはならず、時折踏みはずすことがある。だからと言って、その成り行きが取り返しのつかないことになることは稀で、事態は概ね心配するほど悪化しないようだ。そのワケは、例えば神社などで引くおみくじの運巡りが時計の文字盤に似て、正午の左右に午前11時と午後1時があるように、大凶の隣には『凶・末吉』、反対側に『大吉・中吉』が並んでいて、努力次第では運が左右にひとつふたつずれる可能性があり、『転じて福となす』ことを示していて心強い。 転じて福となす
秋の夕暮れ、イチ子さんが、庭の硬い無花果の実を小籠に収穫していた。例年、油断をしていると、鳥に収穫の先を越され残念な気持ちになるのだが、運良く今年は野鳥に先んじた。司馬遷の史記にあるが如く、先んずれば即ち鳥を制すというわけだ。*硬い実はイチ子さんに一晩中砂糖で煮られ、翌日、デザートとなって、ぼく達のささやかな夕餉の最後を飾った。【ThePeppermintRainbow-WillYouBeStayingAfterSunday】 <ahref="https://blogmura.com/profiles/11138716?p_cid=11138716"><imgsrc="https://blogparts.blogmura.com/parts_image/user/pv11138716.gif"alt="P...無花果
ローマ証券取引所。ひとりの、若いストックブローカー(株式仲買人)がいて...。その日、彼が愛し始めたのは、婚約を解消して間もない『年上の女』。男と女、ふたりは互いに何を求めたのか...。【CollettoTempiaandHisOrchestra-L'Eclisse】 <ahref="https://blogmura.com/profiles/11138716?p_cid=11138716"><imgsrc="https://blogparts.blogmura.com/parts_image/user/pv11138716.gif"alt="PVアクセスランキングにほんブログ村"/></a>太陽はひとりぼっち
湘南デイズ2005・夏(op.20241101/Studio31,TOKYO) 【LeRoux-Rock'nRollWoman】 湘南デイズ2005・夏
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(Op.20250524/Studio31,TOKYO) 現在、『gooblog』の運営終了に伴い、運用は『amebablog』にて再開しております。https://ameblo.jp/lonesomewriter/で、お目にかかれます。 【TheByrds-We'llMeetAgain】✳️We'llMeetAgain
(Op.20250521-4/Studio31,TOKYO) 夏休みの間、弓ヶ浜は海水浴客とワカメ漁師優先になるので、マリンスポーツをする者は浜の西の隅に追いやられた。天候の良し悪しに関わらず、消波ブロックと防波堤に区切られた ——— 午後は日陰になる——— 角地へ行けば必ず数人の顔見知りのロコに会えた。とりわけ、ぼくと水口イチ子は皆勤でないにしろ、精勤賞をもらえるほどにはそこにいた。 【DickBakkerOrchestra-Godonlyknows】 必ず数人の顔見知りのロコに会えた
(Op.20250521-3/Studio31,TOKYO) 東京銀座五丁目三越前。中央に写るRICOHのサインボードに、デビューしたての最新鋭主力機種GRの広告が見える。故に撮影データを見なくても2013年とわかる。なんとなく古めかしく感じる写真だが、これが12年という時間の差なのだろう。水口イチ子と歌舞伎座の前で待ち合わせた日の撮影かもしれない。 中央に写るRICOHのサインボードに、デビューしたての最新鋭主力機種GRの広告が見える
(Op.20250521-2/Studio31,TOKYO) それは、ふたつの長尾根の間に渡された吊り橋だった。下は深い谷。長い時間をかけ、隆起と浸食により刻み込まれたようだ。橋は歩いて一分ほどで渡りきれるが、橋が架かる以前 ——— 随分昔のことだ ——— は、谷を降り、沢を渡り、急斜面を登り、きっと一時間以上かかったことだろう。梅雨入りも近い六月初めのある晴れた週末の午後、いつエンジンが動かなくなるかも知れない、古いアルファ・ロメオで出かけたドライブの道すがらのことであった。 【CliffRichard-Angel】 六月初めのある晴れた週末の午後
(Op.20250521/Studio31,TOKYO) スミレ科のビオラ ——— ぐい吞みや煎茶茶碗に移植して、部屋に飾る趣味人も少なくない。駐車場にある防火水槽のコンクリートの割れ目から咲いていると言って、イチ子がこの間から喜んで話題にする。 防火水槽のコンクリートの割れ目から咲いている
(Op.20250520-3/Studio31,TOKYO) トルーマン・カボーティの或るエッセイの部分に『預けられた叔母さんの家の近所の、野原や小川のほとりを散歩していた時に閃きがあり、急いで帰って、お尻に消しゴムの付いた鉛筆を何本かと黄色いレポート用紙を持ってベッドに潜り込み、最初の一行を書いた』というのがある。この『最初の一行』とは『遠い声遠い部屋』の、あの有名な書き出しの一行のことだ。あのような閃きが来るのを何ヶ月も待ち続ける作家もいれば、何年も待ち続ける者も、あるいは一生待ち続ける人もいる。もしかして、ぼく達が待ち続けているのは、単なる最初の一行ではなく、Godotなのかもしれない。 【TheBeatleslivesessionenEstudiosParaiso-DayTripper】 ぼく達が待ち続けているのは...
(Op.20250520-2/Studio31,TOKYO) 暑い休日だった。富士見坂の切り通しを下った商店街の外れにある、今はすっかりめずらしくなった萬年筆屋に愛用の古い一本を修理に出した帰り道のことだ。笛木の商店街には東京では一、二軒しかないという獣肉屋があって、店の前に『鹿肉入りました』と貼り紙がしてあるのを見つけた。そう言えば来週の土曜日はきみの誕生日だから、鹿肉のコンフィかアイリッシュ・シチューのどちらかを作ってあげられるなと思った。当日、バタバタとシチューを用意するより、コンフィなら予め作り置きが出来る利点と、この間のぼくの誕生日に叔父さんがくれたシャトー・ラトゥールもあることだし、メニューは鹿肉のコンフィに決定。ただ、コンフィに必要な鴨の脂身が禁猟中で手に入らないから、まあ、賛否両論ある...『鹿肉入りました』と貼り紙がしてあるのを見つけた
(Op.20250520/Studio31,TOKYO) 南の島の海辺にある粗末な小屋掛けみたいなレストランで ——— この国には開業に保健所の検査はないんだろうか ——— 焼いた豚足にBBQソースを掛けただけの料理にかじりついていたら、突然、スコールがやって来た。しばらく海を見ていると、沖合を、スタートしたばかりのマラソン・ランナー達のように、雨と雲が一団になって遠ざかっていくのが見えた。手前は晴れ、背景は雨というめずらしい景色があった。 【JoeSample&RandyCrawford-Everybody'sTalking】 焼いた豚足にBBQソースを掛けただけの料理にかじりついていたら
(Op.20250519-3/Studio31,TOKYO) 「好きなことは何ですか」と聞かれたら、「言葉をいじることです」と答えよう。何かを表現したい、主張したいなどということは二の次、三の次。増して、商売にしたいなどとは思わない。それは、滅多に釣りに出かけることもないのに、自室で釣り竿を磨いたり、仕掛けを作ったりするのが好きな釣り師に似ている。『それって楽しいんですかだって?』実は釣り師の目的は魚を釣ることばかりではないのですよ。『無の時間の中で自分と向き合うことを楽しむ』 ——— これも釣りの重要な楽しみだと知るべきです。それは、なにも水辺でなくてもいい。もし、何かについて書きたくなったら、例えばいわゆる恋愛小説のように登場人物の名前が違うだけで、他は大して変わり映えのしない話は出来れば書きたくな...文学趣味
(Op.20250519-2/Studio31,TOKYO) 驟雨。雨のち晴れ。 雨のち晴れ
(Op.20250519/Studio31,TOKYO) 五月の風は、初夏の光に透けて、溶け、紛れていく。 【EdisonLighthouse-LoveGrows】 五月の風は、初夏の光に透けて、溶け、紛れていく
(Op.20250518-3/Studio31,TOKYO) イチ子の永遠の夏。 【TheBeachBoys-AllSummerLong】 イチ子の永遠の夏
(Op.20250518-2/Studio31,TOKYO) 江ノ電の駅へは、ここからなら長谷より由比ヶ浜の方が少しだけ近いかもしれない。ここからなら長谷より由比ヶ浜の方が少しだけ近いかもしれない
(Op.20250518/Studio31,TOKYO)「今のショートボードってポリスター樹脂でできてるんだけど、ぼくが今でもたまに乗ってるロングボードって、昔はバルサ材を削り出して、それにガラス繊維を合成樹脂でコーティング...」もう、完全に聞いているとは思えない。 もう、完全に聞いているとは思えない
1950年代まで日本の英語高等教育の重要なテキストであったチャールズ・ラム(CharlesLamb1775-1834)の『エリア随筆(EssaysofElia)』も、今となっては、その知名度も含め、随分様変わりした。理由は、その文体に負うところが多い。『エリア随筆』中、珠玉の一篇とされる『古陶器(OldChina)』の文末近くの例えばこの一文、 Yetcouldthosedaysreturn —— couldyouandIoncemorewalkourthirtymilesa-day —— couldBannisterandMrs.Blandagainbeyoung,andyouandIyoungtoseethem —— couldthegoodoldoneshillinggallerydaysre...今時の『エリア随筆』
(Op.20250517-3/Studio31,TOKYO) 東京を立つまでは、HotelWhiteBeachという名前に、初めはサマー・リゾートらしい、やたらモダンな響きを感じていた。しかし、後で聞けば、網元が以前営んでいた白浜荘という鄙びた旅館を和洋折衷のプチ・ホテルに改築するに際して改名したというから、古い屋号をただ英訳したに過ぎなかったようだ。浜も白浜とは名ばかりで岩場が多く、海流の浸食で水深は波打ち際から急に落ちみ、それが理由か、浜は全面遊泳禁止になっていた。だから、泳ごうという者は嫌でもホテルのプールを使うしかなく、日光浴は浜辺で、泳ぐのはプールでというのがここでの作法らしかった。水口イチ子は、ここに来て以来、食事の、その妙な洋風の味付けに飽きたのか、「何か他においしいものって、この辺にはない...7センチの足先
(Op.20250517-2/Studio31,TOKYO) 写真や絵画のようにヴィジュアル分野の創作をする作家達の中には、昔から、加えて、文章で説明できたら良いのにと思う人は多かった。また、その逆に文学をする人達の中には、挿絵などヴィジュアル的な手法を取り入れられたら便利だと思う作家も少なくなかった。半ば希望を叶えられる人もいれば、旧来の伝統的な方法を強いられ、あるいはこだわる人もいる。出版の世界では、編集者や版元に資金と柔軟性がないと、今も叶えるにはなかなか難しい案件である。 【TheWalkerBrothers-MakeItEasyOnYourself】 今も叶えるにはなかなか難しい案件
(Op.20250517/Studio31,TOKYO) 「泳がないの?」「眠いの...」 眠いの...
(Op.20250516-2/Studio31,TOKYO) この夏の思い出が、ゆっくりと胸の底に溜まっていく。 この夏の思い出が、ゆっくりと胸の底に溜まっていく
(Op.20250516/Studio31,TOKYO) 「その優しさは、いったい、いつまで続くのかしら?」ときみに聞かれて以来、ぼくの愛は、ダーウィンが驚くほどの進化を続けている。 【R.E.M-NearWildHeaven】 ダーウィンが驚くほどの進化
その思い出し笑いは、なに? 別段興味があるってわけじゃないけど、少しは気になるよ。それにぼくは関わってるの?いったい何を思い出したの?<ahref="https://blogmura.com/profiles/11138716?p_cid=11138716"><imgsrc="https://blogparts.blogmura.com/parts_image/user/pv11138716.gif"alt="PVアクセスランキングにほんブログ村"/></a>思い出し笑い
今朝、里山に今年初めてのウグイスを聴く――繁殖期の証し。 彼等は、早くも夏を生きる。<ahref="https://blogmura.com/profiles/11138716?p_cid=11138716"><imgsrc="https://blogparts.blogmura.com/parts_image/user/pv11138716.gif"alt="PVアクセスランキングにほんブログ村"/></a>夏を生きる
きみの誕生日の夜。取って置きのスプマンテに酔って、イチ子さんは気持ち良さそうにテーブルで眠ってしまった。*初夏、きみにノースリーブが似合う季節。ノースリーブの季節
ふたりで過ごす、初めての夏時間。<ahref="https://blogmura.com/profiles/11138716?p_cid=11138716"><imgsrc="https://blogparts.blogmura.com/parts_image/user/pv11138716.gif"alt="PVアクセスランキングにほんブログ村"/></a>初めての夏時間
【深夜ギャラリー】例えば、二人の夏は…。<ahref="https://blogmura.com/profiles/11138716?p_cid=11138716"><imgsrc="https://blogparts.blogmura.com/parts_image/user/pv11138716.gif"alt="PVアクセスランキングにほんブログ村"/></a>例えば、二人の夏は…
夏。午睡の夢。大汗をかいて目覚める。傍らの時計を見れば、昼寝に費やした時間は小一時間ほど。短いながら、不思議な次元を生きたようだ。<fontcolor="#ff9900">*</font>きみの肌の色はぼくと違って、スペインとインディオのハーフ・ブラッドらしいカフェ・オ・レ色。きみは、その豊満な褐色の太ももを作業台代わりにしてハバナ葉の葉巻を巻いていた——まだ、きみの体温が残っているよう。その巻き立ての一本をぼくに手渡しながら、「お昼、何か作りますか?」なんて日本語で聞いてくれたりする。傍らの開け放った窓から、レースのカーテンを大きく揺らして、熱く湿った南風が吹き込んでいた。あれはきっとカリブの風だったのだろう。遠く、街の喧噪も聞こえていた。<ahref="https://blogmura.com/pro...午睡の夢——カリブの風
英領ヴァージン諸島。首都ロードタウン郊外のホテル。プール・サイドに張られた白いキャンバス地のオーニングの下。赤く染められた手織りの麻のテーブル・クロスの上に、アジアからの旅人らしきその女性は、クラッシュド・アイスを入れたジン・ソーダのハイボール・グラスを置き、時折、それを陽の光にかざして見るのだが一向に口に運ぼうとはしない。ラジオから聞こえているのはジャマイカ・クレオール語の時報——トルトーラ・ショッピングモールが午後2時をお知らせします。カリブ海の湿気を含んだ風がゆったりと吹き抜ける午后。「日本の方ですか?」と彼女に声をかけるなど訳のないことではあったのだが…。<ahref="https://blogmura.com/profiles/11138716?p_cid=11138716"><imgsrc="...英領ヴァージン諸島
あるプロフェッショナルのバンドマンを知っている。ビッグバンドの花形テナーサックス吹きだった。彼の話では、テナーサックス奏者として、ある曲のあるフレーズを一息で吹けなくなったら、プロとして一線を退くという不文律があるそうだ。また、楽器ごとにそういったフレーズがあるとも聞いた。引退し、写真集配の仕事を得て夫婦暮らしを支えた。車持ち込みでルートをいち日ふた回り。渋滞がなければ九時五時の仕事で、早々と大好きな家飲みが始められたようだ。ウイスキーを水割りで毎日ボトル半分弱。一週間に二本以上飲む計算になる。つまみは、飽きるまで同じものを通すのがスタイルで、例えば大きくなくてもいいから、ステーキと決めたらズーッとステーキ。ふた月でもみ月でも続く。口に合ったのか、とりわけその期間が長かったのが豚足だったとか...。「普通...スポット・ライト
朝の雨が上がって、薄日が差し始めていた。庭のテラスに続く縁側のガラス戸が開け放つ音が遠くで聞こえる。 「チューリップも、もう見納めよー」と呼ぶようなイチ子さんの声。 洗面所の窓から庭を見遣ると、さっきまでの雨の雫が至るところで乱反射している。<ahref="https://blogmura.com/profiles/11138716?p_cid=11138716"><imgsrc="https://blogparts.blogmura.com/parts_image/user/pv11138716.gif"alt="PVアクセスランキングにほんブログ村"/></a>乱反射
今日は二十四時間、久々に何も書いていないいち日。恐らく、今週は何も書かないような気がする。無理して書くと、やっ付け仕事になる予感。年に何回かは思い返すことがある。それは、『重要なのは量よりクォリティ!』<fontcolor="#ff9900">*</font>何をブツブツ言ってるの、と振り向きざまにイチ子さん。<ahref="https://blogmura.com/profiles/11138716?p_cid=11138716"><imgsrc="https://blogparts.blogmura.com/parts_image/user/pv11138716.gif"alt="PVアクセスランキングにほんブログ村"/></a>量よりクォリティ!
『蜜月楼』という、その中華料理店のような屋号のレストランは都会なら兎も角、この海沿いの田舎道にポツンとあるのも場違いな景観で、増してや看板の『フランス田園料理』とあるのには、どこか怪しさがあった。これには用心深い食道楽でなくても、足を運ぶには多少の勇気がいるだろう。日本では滅多にメニューに見ない『トリッパ(牛の二番目の胃で日本ではハチノスという)のパン粉焼き』が食べられるかも知れないと思った。<ahref="https://blogmura.com/profiles/11138716?p_cid=11138716"><imgsrc="https://blogparts.blogmura.com/parts_image/user/pv11138716.gif"alt="PVアクセスランキングにほんブログ村"...蜜月楼
今日もまた、朝からアップルパイ。 白黒フィルム時代のアメリカ西部劇映画(時代背景は今から200年位前か)で、未だに印象深い台詞がある。若い、まだ子のない夫婦が営む小さな牧場に通りすがりの来客。農場主が言う。「今、アップルパイが焼き上がったところだ。どうだい、食べていくかい。こう見えても林檎の季節にゃ、パイぐらい食べられる身分なんだぜ」文献に当たると、当時の米国庶民の平均的な経済状況を示す目安は、林檎の実る季節にパイを焼けるかどうか辺りだったようだ。江戸時代の日本人に例えるなら、「こんな百姓家でも、正月だけは、腹一杯餅を食えるんだぜ」と言ったところか。<ahref="https://blogmura.com/profiles/11138716?p_cid=11138716"><imgsrc="https:/...朝からアップルパイ
あるひとつのイメージがあって、その内容の要約は平易な文章で説明し得る。しかし、それは芸術作品ではない。それを芸術の領域に止揚するのが文学的行為。作家のスランプは『書くことが見つからない』のではなく、『納得がいく表現方法が見つけられない』というのが的確だ——陳腐な表現方法を採用するくらいなら『書かない』、というのも『書けない』と同じ範疇にされているが、このふたつは全く別物。文学的スランプを前者の意味で使うなら、文業を突然中止したランボーやメルヴィル、或いはサリンジャーやピンチョンなどの寡作の理由も説明できる。<ahref="https://blogmura.com/profiles/11138716?p_cid=11138716"><imgsrc="https://blogparts.blogmura.co...ランボーやメルヴィル、或いはサリンジャーやピンチョン
きみのために、丁寧に髭を剃った朝。<ahref="https://blogmura.com/profiles/11138716?p_cid=11138716"><imgsrc="https://blogparts.blogmura.com/parts_image/user/pv11138716.gif"alt="PVアクセスランキングにほんブログ村"/></a>朝
日本では、文筆家が、何かしら思い詰めて執筆しない期間を思慮もなく単にスランプと呼ぶが、英語圏ではWriter'sBlockといって研究対象である。これについては、Wikipedia日本語版がよく書けている。ちゃんとお勉強して、しっかり研究した人が書いてくれているようだ。<ahref="https://blogmura.com/profiles/11138716?p_cid=11138716"><imgsrc="https://blogparts.blogmura.com/parts_image/user/pv11138716.gif"alt="PVアクセスランキングにほんブログ村"/></a>今日は、書かないの?
『蓮(れん)』は伝統的に粋な名前で、自分が女なら仮にでも普段から名乗りたいほどだ。昨今、『教養ある時代錯誤の粋人』もいなくなったのか、そんな名は次第に命名されることも減り、遂には廃れたようだ。 人生で今のところ、ぼくは、たったひとりしか知らない。<ahref="https://blogmura.com/profiles/11138716?p_cid=11138716"><imgsrc="https://blogparts.blogmura.com/parts_image/user/pv11138716.gif"alt="PVアクセスランキングにほんブログ村"/></a>蓮(れん)という名の女
生涯続く、好きな音楽の傾向や色、食べもの——異性の好みもそうかもしれない——などは、いずれも十代から二十二、三歳までの間の生活環境・経験に基づくという。あの人のどこがいいの、なんて聞かないで❗️アタシの趣味なんだから…。<ahref="https://blogmura.com/profiles/11138716?p_cid=11138716"><imgsrc="https://blogparts.blogmura.com/parts_image/user/pv11138716.gif"alt="PVアクセスランキングにほんブログ村"/></a>あの人のどこがいいの、なんて聞かないで❗️
深夜画廊『なんだか夜更かししたいカンジ#3』——「お酒は弱くないけど、恋には弱いの」<ahref="https://blogmura.com/profiles/11138716?p_cid=11138716"><imgsrc="https://blogparts.blogmura.com/parts_image/user/pv11138716.gif"alt="PVアクセスランキングにほんブログ村"/></a>恋には弱いの
ほぼ創作物全般に言えることだが、作家本人が好きな作品と、受け手側が評価する人気作品とは必ずしも一致しない。また、受け手側の評価も一作に集中することはなく、複数作に分かれるのが通例。その違いは、人それぞれに過去の行動や行為、記憶や思い出の差からくる、言わば感受性の土台が異なるからに他ならない。<fontcolor="#ff9900">*</font>この梅雨明け直後の終業式帰りのスナップ・ショット——明日から夏休みという、この場面、この一枚が、我ながら何故か見飽きない。明日から夏休みという日は、誰にも年にたったいち日しか巡ってこない——貴重な喜びのいち日の記憶が、ぼくの頭の中では、余りにも濃厚なのに違いない。<ahref="https://blogmura.com/profiles/11138716?p_c...誰にも年にたったいち日しか巡ってこない
当てにならない天気予報…。怪しい雲行きながら、時折、陽射しが乱反射する。 朝の風——長者ヶ崎を越えて来る。 今、今年初めてカシスのジェラートを食べたい気持ち。<ahref="https://blogmura.com/profiles/11138716?p_cid=11138716"><imgsrc="https://blogparts.blogmura.com/parts_image/user/pv11138716.gif"alt="PVアクセスランキングにほんブログ村"/></a>カシスのジェラート