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不思議活性 https://blog.goo.ne.jp/fushigikaxtusei/e/9e1b2aad16c5ef22bef0086ebfdd55d3

ちょっとした幸せを感じられたらな

ホームページとして、『太陽とともに・ふしぎかっせい』を作っています。 https://www5d.biglobe.ne.jp/~fushigi/ です。

ふー
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2022/01/25

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  • 老子道徳経 71

    第七十一章知病(強知の病)知りて、知らずというは上なり。知らずして、知るというは病なり。夫唯(ただひと)り病を病む。是を以て病まず。聖人の病まざることは、其の病を病むを以て、是を以て病まず。知らないことを、知っているように言ったり、知っているように装ったりすることの多いのは、古から今日に至るまで変らないようであるが、これは、自分を物識だと思われたいたいとか、知らないと恥だとか、知らないと軽視されるとか、何れも強い競争心から起こっていることである。しかし、このことは、人を欺き、自分をも欺くことであって、いつかは偽がわかり、信用を失うことになるのは免れ難いことである。誰でも悪いことだと知りながら、知らないことを知っているように装うのであるから、これは万人に共通にある、心の病とも言うべきものである。以上に述べた...老子道徳経71

  • 老子道徳経 70

    第七十章知難(世に知り難い)吾が言は甚だ知り易く、甚だ行ない易し。天下能く知ること莫く、能く行なうこと莫(な)し。言に宗有り、事に君有り。夫唯(よのひと)知ること無し。是を以て、我を知らず。我を知る者は希なし。我に則る者は貴し。是を以て、聖人は褐(かつ)を被(き)て玉を懐(ふところ)にす。言葉には主となるもの、基となるものがあるのである。道の言葉の主となるものは、無である。無は無の心、私心のないことを現わすのであって、無私の心に生ずるものは、慈愛の心である。慈愛の心から、すべてのものを大切にする、倹の心が生じ、すべてのものと争わない、譲るという心も生ずるのである。第一章と第六十二章において述べたように、無欲になって座るということを習慣とすれば、無の心になることは容易であって、老子の言うことは解りやすく、行...老子道徳経70

  • 青春の旅・・・ 3

    3人間は鏡の前に立ち自分自身が映っているのを、反射されているのを見るそれだけじゃない彼は鏡の前に立ち自分の反射を見そして自分自身が自分の反射を見ているのを見るそれが限りなく続いてゆくこれがために<自意識>が起こるこれがために<自我>が生まれるこれがために人間は現実よりも映像のほうに興味を持つようになるあなた自身の心を見つめてごらん!あなたは本当の女よりもポルノ写真のほうに興味を持つ写真は人間の心をすさまじい力でつかむそれがゆえに、人間は虚構の中に生きているのだそして、<自己知>はフィクションの中では不可能だあなたは<映像>よりももっと<本物>のほうに興味を持たなくてはならない<鏡>が壊されなくてはならないあなたは<わが家>に帰って来なくてはならないのださもなければ、あなたはどんどんと自分自身から遠ざかるば...青春の旅・・・3

  • 青春の旅・・・ 2

    2〇足跡を見つける“川べりの木々の下に私は足跡を発見する!かぐわしい草のもとにさえ彼の足跡はある人里離れた山奥深くにもその足跡は見つかるこれらの足跡はもう天を見上げる自分の鼻づらほどにも隠れてはいない”*****まず第一に理解すべきことは“なぜ”を落とすということだたちまちにして、あなたは宗教的になる“なぜ”とつき合い続けてごらんあなたは哲学的なままだ質問をし続けてごらんあなたは頭から抜けられない“質問すること”を落としなさい突如として、エネルギーが新しい次元へ動いてゆくハートの次元__ハートには一つの質問もないそして、そこにこそ<解答>が隠れている*****仏陀は彼の弟子たちに「形而上学的な質問をしないこと実存的な質問をしなさい」と言うのをつねとしていたあなたがここにいるあなたは誰か?そして、その質問は...青春の旅・・・2

  • 老子道徳経 69

    第六十九章玄用(玄を用いる兵法)兵を用いるに言えること有り。吾、敢えて主為らず、而して客為(かくた)り。敢えて寸に進まず、而して尺に退くと。是を、行くに行無く、攘(かか)ぐるに臂(ただむき)無く、仍(ひ)くに敵無く、執るに兵無し、と謂う。禍は敵を軽んずるより大なるは莫(な)し。敵を軽んずるは吾が宝を喪うに幾し。故に、兵を抗げて相加(あいのぞ)むに、哀れむ者は勝つ。古の兵家の言葉として、次のようなことが伝えられている。もし兵を用いなければならぬことがあるときは、我からは決して兵を挙げてはいけない。先方から仕向けられたときに、やむことを得ず受けて立つようにせよ。一寸と雖も進むことは、いやしくもしてはいけないが、退くことならば、何尺にても退くようにせよ、と。故に、やむを得ずして兵を挙げたならば、敵を軽視すること...老子道徳経69

  • 老子道徳経 68

    第六十八章配天(天に配列すべき高い徳)善く士為(た)る者は武(たけ)からず。善く戦う者は怒らず。善く敵に勝つ者は与(くみ)せず。善く人を用いる者は之が下を為す。是を不争の徳と謂う。是を人の力を用いると謂う。是を天に配すと謂う。古の極まりなり。この章は、謙下の徳と、不争の徳は、自然に、人の力を用いるようになるものであって、これは天の道に適った極意であるということを説く。武ならざること、怒らざること、ともに戦わざること、人の下となることは、私の心、対立する心、争う心がないからできるので、以上の徳は、不争の徳である。不争の徳も、謙譲の徳も、その根本は私心がないから成立つのである。そこへは、百谷の水が、紅海へ向って流れるように、自然に引きつけられて行って、その力を奪いたい、というようになるのである。故に、不争の徳...老子道徳経68

  • 老子道徳経 67

    第六十七章三宝(三つの宝)天下皆、我を大にして不肖に似たりと謂う。夫れ、唯大なり。故に不肖に似たり。肖なるものの若きは久し。其の細(くわ)しければなり。夫れ、我に三宝有り、持して之を宝とす。二に曰く、倹。三に曰く、敢えて天下の先と為らず。慈あり、故に能く勇なり。倹あり、故に能く広し。敢えて天下の先と為らず、故に能く成器(せいき)の長たり。今、慈を舎てて且だ勇に、倹を舎てて且(た)だ広く、後を舎てて且だ先んずれば、死せん。夫れ、慈以て戦えば則ち勝ち、仁以て守れば則ち固し。天将に之を救わんとして、慈を以て之を衛(まも)る。我には三宝があって、宝としてこれを守っているのである。その一は慈である。他の一は倹である。もう一つの他のものは、敢て天下の先とならない、ということである。慈は柔和であるが、勇を生ずるものであ...老子道徳経67

  • 青春の旅・・・ 1

    『青春の旅・・・』はじめに道を求めて・・・・。私の青春は、1970年頃からでした・・・・。その前の1960年代を調べてみると、ヒッピーは、1960年代のカウンターカルチャーに関連する人々のことで、もともとは1960年代半ばに米国で始まり、世界各国に広がった若者たちのムーブメントで、ヒッピーは独自のコミュニティを作り、サイケデリックな音楽を聴き、性の革命を受け入れ、多くの人がマリファナやLSDなどの薬物を使用して変性意識状態を探求した。また、ビートルズ中期には、ドラッグとインド音楽の影響から、幻想的でサイケデリック色の強い作品が増える。インドレストランで聞いた民族楽器シタールの音色に惹かれたジョージ・ハリスン。1966年7月にスタートしたツアーでビートルズは初めてインドの地を踏む。その際にインドの思想に影響...青春の旅・・・1

  • 老子道徳経 66

    第六十六章後己(己を後にする)江海の能く百谷(ひゃっこく)の王為る所以(ゆえん)の者は、其の能く之に下るを以ての故なり。故に能く百谷の王為(た)り。是を以て聖人は、人に上たらんと欲すれば、必ず言を以て之に下る。民に先んぜんことを欲すれば、必ず身を以て之に後(おく)る。是を以て聖人は、上に処れども民は重しとせず、前に処(お)れども民は害せず。是を以て、天下推すことを楽しみて厭わず。其の争わざるを以てなり。故に天下能く之と争うこと莫し。江海は、天下のすべての谷の水を下り来らしめ、無限の水をたたえている有様は、天下のすべての谷に対して、王者と万民の関係をなしているのである。江海が、何故に王者の地位に居ることになるかというと、それは、紅海が、どの谷よりも低い位置にあるからである。聖人は、いつも謙下の態度でいるから...老子道徳経66

  • 老子道徳経 65

    第六十五章淳徳(淳朴の徳)古の善く道を為す者は、以て民を明らかにせんとには非ず、将に以て之を愚かにせんとす。民の治め難きは其の智の多きを以てなり。智を以て国を治むるは国の賊なり。智を以て国を治めざるは国の福なり。此の両者を知る、亦楷式(かいしき)なり。常に楷式を知る、是を玄徳と謂う。玄徳は深し、遠し、物と反す。乃ち大順に至る。才知の勝れたものは、互いに競争をするようになるものである。才知や才能の勝れたものは、利害関係に明るいから、自分が利益を得るように、損をしないようにと、競争をするようになるものである。従って、これ等の者が多くいるところにおいては、不平を言わさぬようにすることは、非常に難しいこととなるわけである。民が功利的になるように刺激することは、国を害うことになり、いつまでも、民を淳朴であるようにし...老子道徳経65

  • 老子道徳経 64

    第六十四章守微(微を守る)其の安かなるは持ち易く、其の未だ兆さざるは謀り易(やす)し。其の脆きは破り易く、其の微なるは散じ易し。之を未だ有らざるに為し、之を未だ乱れざるに治めよ。合抱の木も毫末(ごうまつ)より生(な)り、九層の台(うてな)も累土より起こり、千里の行も足下より始まる。為す者は之を敗り、執(と)る者は之を失う。聖人は為すこと無し、故に敗ること無し。執ること無し、故に失うこと無し。民の事を従(な)すこと、常に幾(ようや)く成るに於いて之を敗る。終わりを慎むこと始めの如くすれば、則ち事を敗ること無し。是を以て、聖人は欲せざるを欲し、得難きの貨を貴(たっと)ばず。学ばざるを学びて、衆人の過(あやま)つ所を復す。以て万物の自然を輔けて、而して敢えて為さず。一抱もあるような大木も、兎の毛のような細い短い...老子道徳経64

  • 私と銅版画 2

    『私と銅版画』2作品№10『〇△□』1998年(平成10年)・これと言った意味はない〇△□の作品です。作品№11『かぼちゃととんぼ』1998年(平成10年)・初めて色を使った版画作品『かぼちゃととんぼ』です。作品№12『想い出』1998年(平成10年)・ロマンチックな気分を描いてみました。作品№13『アトリエ』1999年(平成11年)・描くということに行き詰った頃の、1999年の作品です。作品№14『少女』2000年(平成12年)・かわいい少女を描いた作品です。作品№15『小さな世界』2001年(平成13年)・この『小さな世界』は、私の銅版画、最後の作品です。このほかにも、数点の作品がありますが、『私と銅版画』の紹介でした。(その時にしか描けない作品があるように、私はもう銅版画はやらないので、どれも小さな...私と銅版画2

  • 私と銅版画 1

    『私と銅版画』1私が初めて版画を制作したのは、小学生のときの彫刻刀を使っての木版画でした。次に中学生のときのドライポイントが思い出されます。で、四十歳になった頃、なぜか、『銅版画』についての本に出会い、独学で、幾つかの銅版画を制作してみました。もう、再び、銅版画を制作することはないのですが、今回、その頃の作品を振り返ってみました。拙い作品ですが、ご覧いただけたら幸いです。作品№1『浅間山』1995年(平成7年)・初めての銅版画で、ふるさとの浅間山をなんとか表現してみました。作品№2『太陽の詩』1995年(平成7年)・この作品は、画家ゴッホの影響から、ふるさとの太陽と向日葵と田園風景を描いてみました。作品№3『再生の詩』1995年(平成7年)・この作品は、画家ホアン・ミロの作品からインスピレーションを得て、...私と銅版画1

  • 小倉百人一首 15

    第十五首君がため春の野に出でて若菜つむわが衣手に    雪はふりつつ  光孝天皇      (830-887)仁明天皇の皇子。陽成天皇廃位の後、五十五歳で即位した。温厚な性格で学問を好んだ。部位四季(春)出典古今集 主題雪に降られながら若菜を摘む、相手へのまごころ 歌意あなたに差し上げるために、春の野原に出て若菜を摘んでいる。その私の着物の袖に雪がしきりに降りかかっている。天皇が、まだ時康親王と申しあげていたころ、ある人に若菜を贈られるにつけて、添えられた歌であるが、雪に降られながらつんだのだというところに、まごころがこもっているのである。春の若菜を食することは、邪気を払うものとされていて、この歌の、いかにもすがすがしい春のしらべがふさわしいものとなっている。仁明天皇第三皇子。元慶八年、藤原基経に迎えられ...小倉百人一首15

  • 小倉百人一首 14

    第十四首陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに乱れそめにし  われならなくに       かわらのさだいじん    河原左大臣    源融(822-895)嵯峨天皇の皇子。賀茂川西岸に広大な邸宅・河原院を造営。光源氏のモデルとも。部位恋出典古今集 主題相手のために乱れてしまった心の強い高ぶり 歌意陸奥のしのぶもじずりの乱れ模様のように、私の心は忍ぶ恋のために乱れています。このように乱れはじめたのは誰のせいでしょうか。私ではなくて皆あなたのせいなのですよ。女から疑いを受け、それに答えて詠んだものと思われる。私のこころは乱れているが、それはあなたよりほかの誰のためにも乱れそめてしまった私ではないのだ。あなた一人のためなのに。世に河原院、河原左大臣などと呼ばれた。また、宇治に別荘を営んだが、これが後の平等院となる。陸奥の...小倉百人一首14

  • 小倉百人一首 13

    第十三首つくばねの峰より落つるみなの川こひぞつもりて淵となりぬる       ようぜいいん   陽成院 (868-949)清和天皇の皇子。幼くして即位したが精神を患って退位。晩年は和歌に没頭した。部位恋出典後撰集 主題ひそかな恋心が積もり深い物思いに悩んでいること 歌意筑波山の峰から流れ落ちる男女川は、流れ行くとともに水量が増して淵(深み)となるように、私の恋心も、時とともに思いは深まり、今は淵のように深い恋になってしまった。釣殿のみことよばれた綏子(すいし)内親王(光孝天皇の皇女)に恋情をうったえられた歌で、ほのかに思いそめたことが、深い思いとなったことを、かすかな水がつもって淵となるのにたとえて、一気によみきったところに、狂気にわずらわされて数奇な生活を送った院の心のたかぶりが見える。院の歌は勅撰集に...小倉百人一首13

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