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不思議活性 https://blog.goo.ne.jp/fushigikaxtusei/e/9e1b2aad16c5ef22bef0086ebfdd55d3

ちょっとした幸せを感じられたらな

ホームページとして、『太陽とともに・ふしぎかっせい』を作っています。 https://www5d.biglobe.ne.jp/~fushigi/ です。

ふー
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2022/01/25

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  • 老子道徳教 35

    第三十五章仁徳(仁の徳)大象を執りて天下に往く。往いて害せず、安平大なり。餌と与に楽しめば、過客止まる。道の口に出ずるは淡として、其れ味わい無し。之を視れども見ることを足ず。之を聴けども聞くことを足ず。之を用いて既(つ)くすべからず。この章は、言葉で言い表すと、淡泊なものとなって、世人の魅力を引かないものであるが、その用い方によって、道の果す役割は無限であることを説く。大象は道のことを指しているのである。天下に往くは、道をもって天下にのぞむ意。音楽と御馳走とは、人を楽しませ、喜ばせることの多いものであるから、通りすがりの人も心をひきつけられて、足を止めることになるのである。これに比べると、道によって行われることは、見ても、華やかなところがなく、聞いても、快ものとは、一般の人には感じられない。しかし、道を用...老子道徳教35

  • トアール星と地球 9 地球と星たち

    地球にて。『地球と星たち』はるか昔、地球と姉妹星であるトアール星から、地球にやってきたトアール星人。そう、神の如きトアール星人が、この物質体である肉体をまとうことによって地球人となったのですが、次第に物質体である肉体に愛着をおぼえるようになったのが不運のはじまりだったのです。物質界のもろもろの現象は何ひとつとして永続するものはないのですから。わたしたち地球人は、あまりにも長い歳月にわたってこの物質界の主人公として肉体人間として生きているうちに、自己の本質が何であるか忘れてしまったのです・・・・。いつか、さなぎが蝶になるように、進化した地球人はこの宇宙の星々の世界の仲間としてこの地球を離れるようになるのでしょうか。ぼくは、ときどき、星たちに話しかけます・・・・。「ぼくが、この物質世界に生まれてきたのはなぜか...トアール星と地球9地球と星たち

  • 老子道徳教 34

      第三十四章任成(成るに任せる)大道は氾として、其れ左右すべし。万物之を恃(たの)みて、生じて辞せず。功成りて、名あらずして有す。万物を愛養して、主と為らず。常に欲無く、小と名づくべし。万物焉(これ)に帰して、主と為らず。名づけて大と為すべし。是を以て聖人は終に大を為さず。故に能く其の大を成す。この章は、聖人は、道の偉大なる働きに基づいて、常に世のため、人のために尽くし、それを、みずからの功としないので、遂には偉大なる働きをすることになるということを説く。道は、無欲であって、その形象をも示さないものであるから、その存在の分り難いもの、すなわち、小と、名づけるべきものである。しかし、道は、万物に対して大きな働きをなし、それらを自らの功ともせず、主宰もせず、万物は、誰によって生育せしめられ、保護されているか...老子道徳教34

  • 老子道徳教 33

    第三十三章弁徳(徳を弁(わきま)える)人を知る者は智なり。自ら知る者は明なり。人に勝つ者は力有り。自ら勝つ者は強し。足ることを知る者は富めり。強いて行なう者は志(こころざし)有り。其の所を失わざる者は久し。死(や)めて妄(みだ)りならざる者は寿(いのちなが)し。この章は、如何なる知識や、力や、富を得るよりも、道に志して、それを貫き通すことは永遠の生命を得ることであって、最も優れたことであることを説く。自己の他にどういう人がいるか、その人の学識、才能、性格等を知ることのできるのは、知識があるからできることであって、知者というべきである。知者は人から尊重せられ、また、人があこがれるところのものであるが、それだけでは賢明ということはできないのである。自分が外界のことに対してどれくらいのことを知っているか、自分は...老子道徳教33

  • 瞑想について 4 ⑦サハスララチャクラの目覚め

    ⑦サハスララチャクラの目覚め小周天法によって、クンダリニーを吸気と共に脊柱内のスシュムナを通して頭頂まであげ、次にアジナにまわし、そこにとどめて二、三秒間止息し、呼気と共にアジナ、鼻端を経て体前面の正中線に沿って下降させ、スワディスタナ、ムーラダーラにクンダリニーシャクティをおろします。この 小周天法によって、スシュムナが次第に浄化され、クンダリニーシャクティが、ムーラダーラ→頭頂→ムーラダーラと周天法を繰り返すうちに、スシュムナの内、各チャクラの二、三のものや、頭頂のサハスララが光って見えるようになります。ヨーガ行を始めて半年か一年経ったころ、金色に輝く光が頭頂を出たり入ったりするようになりました。               このサハスララチャクラから自分が外に出られるようになったのは、ヨーガ行を始め...瞑想について4⑦サハスララチャクラの目覚め

  • 老子道徳教 32

    第三十二章聖徳(聖徳の至り)道は常に名無し。樸は小なりと雖も天下敢えて臣とせず。侯王若し能く之を守れば、万物将に自ずから賓せんとす。天地相合して以て甘露を降(くだ)す。民、之に令すること莫くして自ずから均し。始めて制して名有り。名亦既くに有り。天亦将に之を知る。之を知るは殆(あや)うからざる所以なり。譬えば道の天下に在るは猶川谷(せんこく)と江海とのごとし。この章は、常の道が行なわれている理想的の国柄と、富貴と、貧賤の身分に差別の生じている国柄とについて述べ、最後に、有道者は、この社会情勢に、いかに対処して行くものであるかを説く。常の道は、人に対して、このようにしなければいけない、そういうことをしてはいけない、というように、人を束縛するようなことはない。人は自由で、平等であるのを最善としているのである。樸...老子道徳教32

  • 瞑想について 4 ⑥アジナチャクラの目覚め

    ⑥アジナチャクラの目覚め会陰に意識を集中し、吸気と共に会陰を収縮させ、呼気と共に弛緩させることを繰り返しているうちに、会陰が熱くなります。そして微妙に振動しはじめます。そのとき、同時に眉間のところが振動するのをよく感じます。その眉間の振動するところがアジナチャクラなのです。その眉間のアジナチャクラに意識を集中して、吸気と共にオームを心の中で唱えながら、神気(プラナ)を宇宙から吸収していると強く念じます。次に、呼気と共にオームを唱えながら、プラナを宇宙に拡散させていると念じます。このようなアジナへの集中を一日一時間ほど、数ヶ月の間繰り返して行っていると、尾骶骨からクンダリニーが脊柱のなかを通して上昇し、身体が熱くなります。そして、スワディスタナのあたり、下腹部が鉄のように固くなります。呼吸が楽になって、しな...瞑想について4⑥アジナチャクラの目覚め

  • 瞑想について 4 ⑤ヴィシュダチャクラの目覚め

    ⑤ヴィシュダチャクラの目覚めプラナヤーマの後、数ヶ月は喉のところに精神集中を続けましたが、はじめは喉がいがらっぽくなったり、セキが出たりして、呼吸がしにくくなったりしました。それをガマンして精神集中を続けていると、深いスミレ色、または淡く暗い紫色のような光が、首から上、または額の前に見え、それがしだいにひろがり、身体の意識も消え、落ちついた、とても安らかな状態になり、それから一切が消え去ったような無の状態になりました。これを私は、ヨーガの行を始めて四、五年目の後に、何回か経験しました。ヴィシュダが目覚めて、無執着、自由になってから、過去、現在、未来のことが、その区別を越えた同一次元のものとして見えるようになりました。また、ヴィシュダが目覚めると、聴覚が鋭くなるといわれます。私は幼い頃から中耳炎を病み、どち...瞑想について4⑤ヴィシュダチャクラの目覚め

  • 瞑想について 4 ④アナハタチャクラの目覚め

    ④アナハタチャクラの目覚めヨーガ行を始めて二年ほど経ったころから、心臓の上や両乳首を結んだ線と体中心線とが交差するところに、ある種の痛みを感じたり、心悸亢進がみられたりするようになりました。といって病気ではなく、人一倍に活動をし、睡眠時間が短くても平気でした。その頃も、毎年冬の寒の間の一週間、朝六時に起きて冷水をかぶる水行を一時間ほどしていたのです。ある朝、水行をしていると、母(優れた霊能者)がじーっと私を見ながらお祈りをしてくれました。そのとき、私は自分の心臓が金色に光り輝くのを超感覚的に見ました。クンダリニーから熱い力が脊柱を登り、心臓に入って、胸のあたりが熱くなり、心臓が金色に光り輝くのが見えたのです。クンダリニーは心臓から再び脊柱を登り、頭頂に至り、さらに白色に光り輝いているように見えました。そし...瞑想について4④アナハタチャクラの目覚め

  • 老子道徳教 31

    第三十一章偃武(えんぶ)(武勇を偃(や)める)夫れ兵を飾る者は不祥の器なり。物之を悪(にく)むこと有り。故に有道の者は処らず。君子居るときは則ち左を貴ぶ。兵を用いるときは則ち右を貴ぶ。故に、兵は不祥の器にして君子の器に非ず。已むことを得ずして之を用いるときは恬淡(てんたん)を上と為す。勝ちて而も美しとせず。而るに之を美しとする者は、是れ人を殺すことを楽しむなり。夫れ人を殺すことを楽しむ者は、則ち以て志を天下に得べからず。吉事には左を上とし、凶事には右を上とす。偏将軍は左に居り、上将軍は右に居る。上勢に居れば則ち葬礼を以て之に処すを言う。人を殺すことの衆ければ以て悲哀して之に泣く。戦い勝ちては葬礼を以て之に処す。この章も前章と同様に、兵は狂器であることを説き、狂器を用いなければならない戦争は、あくまでも避く...老子道徳教31

  • 瞑想について 4 ③マニプラチャクの目覚め

    ③マニプラチャクの目覚めヨーガ行をはじめて半年ほどたつと、胃腸の調子が大変よくなり、食欲も旺盛となり、特に天ぷらをたべたりすると前にはよく下痢をしていたのが、いつのまにかしなくなりました。その前後の二、三ヵ月間に、ちょうどヘソから胃にかけてのあたりで、マニプラチャクが目覚める体験をしました。それは、ヘソを中心にして、腹部の内で、スワディスタナチャクラのときのように、やはり赤い光がさまざまに見えるのですが、その光の輝きが強烈に増してきて、太陽が千個も一度に輝いたかのような、真赤というよりはむしろ真白な目もくらむような光がみえました。その後十分あまりの間は、目がくらんだのでしょう。何も見えませんでした。その前後の何習慣かは、紫色の光が、眉間の前や、腹の前によく見えたことをよく覚えています。私は幼い頃から、よく...瞑想について4③マニプラチャクの目覚め

  • 瞑想について 4 ②スワディスタナチャクラの目覚め

    ②スワディスタナチャクラの目覚め熱心にプラナヤーマを行い、ヘソの下の丹田に心を集中している間に腹中が熱くなり、白い水蒸気がたちこめるのが見えるようになりました。その後、一~二ヶ月して、真赤な、やはり丸い火の玉のようなものが腹のなかに見えました。このころからしだいに、正夢をよく見たり、自然発生的にテレパシーのようなESP能力が働いたり、自分の願望が、いつとはなしに叶えられたりするようになりました。下腹部に白い水蒸気や丸い赤い光をみてから、下腹に気力が充実し、精力が旺盛になったように思います。スワディスタナチャクラが私の中で動きやすいのは、幼少の頃からよく水行をしたせいでしょう。霊能者でよく水行をする人には、このチャクラが目覚めている人をよく見受けます。このスワディスタナチャクラが目覚めたころから、些細な物音...瞑想について4②スワディスタナチャクラの目覚め

  • 瞑想について 4 ①ムーラダーラチャクラの目覚め

    瞑想について4今回から、瞑想の実際・制感(プラティハーラ)・集中(ダラーナ)・禅定(ディアーナ)となるのですが、その結果どのようなことが起きるのか、本山博先生のチャクラの目覚めについて(『密教ヨーガ』本山博著より)紹介いたします。①ムーラダーラチャクラの目覚めプラナヤーマは、左鼻孔から4秒間で息を下腹部まで吸い入れ8秒間腹をふくらませて息を保ち、次の8秒間で、尾骶骨の中にあるクンダリニーを、思念によって下腹部(スワディスタナチャクラ)まで上昇させ、同時に腹をへこませて吸い入れて保持していたプラナとクンダリニーを混ぜて一つにすると強く思念しながら息を保ち、次に右鼻孔から息を4秒間で出します。これを14回~21回やりました。一ヶ月、二ヶ月と経つうちに、息を止めておくクンバカの時間が、1分、1分30秒という具合...瞑想について4①ムーラダーラチャクラの目覚め

  • 老子道徳教 30

    第三十章倹武(武勇を倹(つつし)む)道を以て佐くる人主(じんしゅ)は、兵を以て天下に強からず。其の事は還すことを好む。師の処る所、荊棘(けいきょく)生ず。大軍の後には必ず凶年有り。善者は果たすのみ。敢えて以て強を取らず。果たして、矜ること勿れ。果たして、伐ること勿れ。果たして、驕(あざむ)くこと勿れ。果たして、已(や)むことを得ざれ。果たして、強きこと勿れ。物壮んなるときは老ゆ。是を道にあらずと謂う。道にあらざれば早く已む。この章は、兵を強くするということは、国に凶事を招くことになり、物を壮んにするということは、老衰を招くことになり、何れも天地自然の道に反するものであることを説く。道を以て君主を補佐しようとする者は、兵備を厚くして天下を威圧するようなことはしない。隣国を刺激しないように、国内が静かに治まる...老子道徳教30

  • 老子道徳教 29

    第二十九章無為(無為によって天下を治める)将に天下を取らんと欲して之を為せば、吾、其の得ざるを見るのみ。天下の神器は為すべからざるなり。為す者は則ち之を敗り、執る者は之を失う。故に物、或いは行き、或いは随う。或いは呴(あたた)かく、或いは吹(さむ)し。或いは強く、或いは羸(よわ)し。或いは載く、或いは堕(あやう)し。是を以て、聖人は甚を去り、奢(しゃ)を去り、泰を去る。この章は、政治的権力を行使するということは、天地自然は万物に平等である、という法則と、常に関連をもつものであるということを説く。天下の政権を、自らが獲得しようと作動し、成功した者を、吾は観たことがないと老子はいう。天下というものは、何人の自由にもならないところの、神聖ともいうべきものである。従って、天下の政権に種々の種段を弄するものは失敗し...老子道徳教29

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