フィッティングモデル事務所経営 東京都 自身の経験から、アパレルブランド様へフィッティングモデルをご紹介する事務所「YUKI model agency (ユキモデルエージェンシー) 」 を経営して10年。マレーシア現採経験者。
マレーシア就職情報「カスタマーサービスの経験とは電話の仕事に限りませんよ」
さて、リベンジまでした都会の企業について、後日気づいたことを、お話ししておこうと思います。 「カスタマーサービス」=「電話の仕事」とは限りません。 募集がコールセンターで、職務要件に『カスタマーサービスの経験があること』を提示されていたとしても、怯まなくて大丈夫です! 購入前、購入中、購入後という購入ライフサイクルを通して「顧客をサポートする活動」をカスタマーサービスと言います。 電話の仕事に限らないのですから、スーパーのレジや、コーヒーショップ、ケーキ屋さんなどのアルバイト経験でも良いのです。ここで経験したことを、いかにうまく伝えられるかだと思います。 お客様が「本当に必要としていること」を…
しばらく日本とマレーシアを行き来していました。海外での展開をお考えのデザイナーさんや、ブランド様とご縁があり、進めていくところで、このコロナ禍が始まりました。ロックダウンが始まり、日本への減便が始まった頃、2020年4月にマレーシアから日本に戻り、現在に至ります。日本での仕事では、いまだに、社長と呼ばれることに慣れず、モジモジしてしまいます笑 私にとってマレーシアでの日々は宝物です。たくさんの人と出会い、助けられ、貴重な経験をさせてもらいました。2015年のあの時に、マレーシアで働く決断をして本当によかったです。 これから大好きなマレーシアに、どのような恩返しができるのか...時を待ちつつ今の…
マレーシア転職日記2「カスタマーサービスの頂点に、リベンジします!」
さぁ再び、インタビューを受ける為に都会(KL)に出てきました。前回のようなヘマをするワケにはいきません!完全に日本語で面接が進む中、英語で自己紹介をさせていただけるようお願いします。 以前、英語ネイティブの友人に頼んで、チャンカットの飲み屋で何度も練り直し、覚えた自己紹介です。ぜひ披露したい。もちろんします!インタビュー終了後、彼女から優しい笑顔で「なぜ英語で自己紹介しようと思ったの?」と聞かれます。 前回、別部署のインタビューの際に、通訳の方がいらして、その方に甘えてしまったことを、とても反省している旨をお伝えしました。すると「そんなことがあったのね。気にしなくて良かったのに...そうだった…
マレーシア転職日記2「病んでなんていられない。次に目指すは、カスタマーサービスの頂点!」
遡ること、部署移動の話が白紙になった時「通院と投薬で何とかならないか...」と本気で悩みます。都会に住んで勤めれば、通院は可能です。 そんな時、思いがけず、カスタマーサービスの頂点...耳にはしていたし、いずれは行けたらと憧れていた企業への転職チャンスを、前職のお仲間からいただきます。 日本のコールセンターで、カスタマーサービス歴5年。テレビCMが流れると一斉に着信する、オペレーター40人の、チームリーダー業務も経験しました。 夢の国と呼ばれる某テーマパークの「お客様相談室」契約期間1年で「ファイブスターカード」を3回いただいたこともあります。マレーシアに、このカードを貰った経験のある人は、2…
マレーシア就職日記2「またもやトレードのご提案。懲りずにまた乗ろうとします笑」
インタビューをしてくれたマネージャーが、この時期、ちょいちょい私の席に来て「うちのチームに移動しないか。全部日本語だよ!」と声をかけてくれます。そしてチーム内で結婚した人がいるので、そのどちらかのかたと、私をトレードしたいと。チームリーダーから「どうしますか?」と確認されました。 そちらは、激務で有名になってしまったアカウントでしたが、午後出勤や平日休みのある、シフト制の部署なので、都会への通院もできます。これ幸いと、私からも「移動したいです!」と申し出ます。そちらのチームリーダーとの面談で、今では人数も多いので、わからないことを聞ける環境だと伺い安心し、前職のお仲間もいらしたので、喜んで移動…
マレーシア就職日記2「またもや皆辞めていく。増員も無いまま、私もまさかの、、、」
今度の会社での日本語対応チームは5人。インタビュー時にケーキを用意してくれた『日本語完全NGのマネージャー』ものすごくお世話になる日本人の『チームリーダー』と『先輩』(おふたりとも男性、前回と同じ年齢) そして、日本語をとてもキレイにお話しになり、メールも完璧な『マレー人のおふたり』 ところが、この後すぐにマレー人のおふたりは、それぞれ「退職」と「1年の産休」に、、、マネージャーも変わります。残っているのは日本人3人です。 初めにリーダーからの丁寧な研修。先輩がつきっきりでみてくれた、業務デビュー前のコールのテストと進んでゆきます。チャイニーズニューイヤーに差し掛かる為、QAさんも休みに入りま…
マレーシア転職日記「テレビで観た彼女達に会えた喜びも束の間、今度はイミグレで通してもらえない、、、」
イミグレのオフィスには、異国からの出稼ぎで来たと思われる数名が、係員に付き添われて座っています。なんとなく不安になりながらも、呼ばれてカウンターで説明すると、オファーレターに記載された会社の電話番号にかけるよう、確認を求められます。しかし、この番号は使われていませんでした。がーん。 ここで、ミスってしまうと携帯電話を取り上げられて、牢屋に入れられて日本に強制送還されます。実際に身近な人が、この経験をしているので、いきなり頭の中はパニックになります。「落ち着いて、落ち着いて。誰か他に会社で連絡を取れる人はいない?」と聞いてくれます。そこで、インタビューしてくれたリーダーを思い出し、事前に連絡を取…
マレーシア転職日記「インタビューは誕生日。なんとケーキを用意してくれた」
転職先のインタビューは直接お伺いすることになりました。 日本語の筆記試験、電話対応スキルチェック、チームリーダー面接(日本語)、スピーチ、マネージャー面接(英語)と進みます。 この時、私をオフィスの入り口まで迎えに来てくれたのは、あのテレビで見た彼女でした! 何も知らされていなかった私は、あまりの感動に震えます。マレーシアに来て1年、あのお会いしたかった彼女が目の前にいる・・・もうそれだけで、お礼を伝えられるだけで、今日は充分だと思いました笑 来馬理由を私が散々周りに言っていたせいで、もちろん知っていたそうです笑 スピーチではお題が選べたので、おふたりに私の人生を変えてくださったお礼を存分にお…
初代リーダーが退職する際に、ご自身の住んでいた部屋を引き続き借りてくれないかという話しがありました。 リーダーは私がテレビで観たレジデンスに住んでいらっしゃるのです。 「ボンビーガールを観て来たのだから、やはりここに住むべきだ」と...笑 「猫も恐らく大丈夫だろう」と。 寮から歩くより半分の距離と時間で済みます。ただ私はルームシェアも考えていたので、ものすごく悩みました。 リーダーからすれば、私がそのまま借りれば、オーナーから2ヶ月分の家賃が戻ってきます。そして、ご自身で霜取りに失敗し、壊してしまった冷蔵庫も私が買い直すことで解決する。とにかく冷蔵庫を買うように言われ、私の退去時にオーナーに請…
マレーシア就職日記「みんな辞めてしまい、私も他社からのお誘いに乗る日が来た」
そうこうしているうちに、私が入社して半年も経たずにリーダーと先輩が、入社から1年を迎え退職するという非常事態を迎えます。 システム本格始動の前ですよ。え、そんな... 他チームから次のリーダーを迎えることになりました。立ち上げから長年いらっしゃるという他チームの「神様」と呼ばれるそのお方は、私同様、イチからこのシステムを覚えることになります。PC画面を前に、もう固まってしまっています。私にはわかるんです。何がわからないのかすら、わからないのでしょう、、、 読みは当たります。やはり神様は動かしてはいけないのです。 固まっています。ずっと。 今のリーダーと先輩がいるうちに、聞けることを聞けば良いの…
マレーシア就職日記「とうとうトレードの提案がなされることに」
私のポンコツぶりにマネージャーからひとつの提案がなされました。 私が他チームに移動し、他チームの、元プログラマーである「逸材さん」を迎えるというものです。 ところがうちのチームと他チームでは、そもそも採用元が違っており、この垣根は簡単に越えられるものではないとのことで、前任者は時間がかかっているうちに退職してしまったとのことでした。 私は「もう、それはそれはどうかお願いします。」とお願いしたところ、その代わり私は他チームに行ったからといって、そこからまた移動することはできないと釘を刺されました。 その後、チームリーダーから私に対して「厳しくしてしまった。大丈夫だと思っていた。」と態度が軟化し、…
うちのチームは日本人オンリー。「日本に戻っても使える人材に育てる!」がモットー。なぜ私はここに??? 答えは、前任者が「こんなに大変だとは聞いてない!」と他チームへの移動を希望するも、時間がかかり退職してしまい、突然空いてしまったところに私を入れてみた!ということでした。ふう。 このような当初と違う配属になることは決して珍しいことではありません。 だから早めに移動を願い出た方が良いとアドバイスしてくれたのですね。前任者は本当に可哀想だったと... 「未経験にも程がある!」と言われ、ごもっともだと心で泣き、私も採用時から突然の移動にワケがわからず、業務を覚えることに必死です。正直私の場合、他チー…
マレーシア就職日記「インド人上司がカレーを食べながら話してくれたこと」
ある日、マネージャーに「甘い認識で来て申し訳ございませんでした。もう日本に帰ります・・・」と謝りに行くと、翌日のお昼に、もうがっくり落ち込んだ私を、インド人上司が外に連れ出してカレーをご馳走してくれました。 インド人上司がカレーを食べながら私に話してくれたことは、やはりコールセンターの経験で私の採用を決めたこと。私の居た会社のことはよーくご存知で「そこを目指しているから、経験を活かして頑張ってほしい。」と... でもメール業務なんですよ。何でこのチームになったのでしょう...この答えはしばらくして他のチームの方から知らされます。私の様子を心配して(見るに見かねて)他のチームの方々が食事に誘って…
マレーシア就職日記「何で、できないのですか。どうして、できないのですかの嵐」
これから本格的に運用が始まるシステムのサポート立ち上げメンバーに入りました。日本人男性おふたり(私よりずっとお若い...)にこれからお世話になります。 さっそくリーダーに「なぜマレーシアに来ようと思ったのか。」を聞かれ、もう素直に「ボンビーガールを観て来ました笑」と答えると「あのふたりは20代ですよ。」と真顔で言われました。そこでハッとし、気づいた自分の年齢。この瞬間まで考えもしなかったことでした。だからチャレンジできたのかもしれません...笑 遡ること通信会社の内勤時代に、ノートPCの調子が悪くなり困っていると、お隣の私の教育係をしてくれていた方が、社内ヘルプデスクに問い合わせるよう教えてく…
マレーシア就職日記「あぁ私は今マレーシアにいる。いよいよ始まる会社員生活」
初日の夜はさっそく敷地内のレストランで早めの夕食。快適なクーラーの効いた室内よりも、せっかくなので南国の空気を味わうべく、テラス席に座ります。上で回るファンからの風も心地よく、プールを眺めながら完全リゾート気分。 久しぶりにゆっくりとした時間を過ごして、これまでの怒涛の3週間を思い出し「本当に今マレーシアにいるのだなぁ。」としみじみ実感し、また感動に浸るという笑 その夜、熱を出して翌朝「まいったな。」と思いながら、シャフツバリースクエアまで歩いて行き、クンフーという中華料理の店で「ピータン粥」を食べました。すると、すっかり熱は下がり、翌朝には嘘のように体調が良くなりました。私はサイバージャヤに…
マレーシア就職日記「イメージしていた社員寮と全然違う。通勤には専属ドライバー」
クアラルンプール国際空港から30分ほどで、車はサイバージャヤに入ります。私は初めのうちは社員寮を希望していました。その寮に一番近いショッピングモール「シャフツバリースクエア」のコンビニに寄ると、お昼に食べるものを買うように勧められました。とりあえず、パンと飲み物を購入し車に戻ります。 そしてまた少し走って、いよいよ寮に到着します。 セキュリティゲートを通り、いくつかの建物を過ぎ、程なくして、ここが部屋だと案内されます。ドライバーさんは荷物を運び入れて、明後日の朝に迎えの車が来るからと言って帰って行きました。 2ベッド2バスルーム。広々としたキッチン、外に洗濯機、洗濯物を乾かすための部屋まであり…
渡馬前日記「英文履歴書も作成できない自分に情けなくて泣いた」
英文履歴書をすぐ送るように言われて、時間をいただけるようお願いして数時間後。準備不足というか...無知というか...思いつきで応募してしまったことを後悔。情けなくてクッションを抱えて泣く私。 全然わからない... 涙ながらに海外勤務経験者に助けを求め、何とか送信。 「次はインタビューです。」と言われて、またまた「インタビュー???」となる。 PCの画面越しに面接をすると言われて、極度に緊張する私。こんなことならマレーシアに行って直接お話ししたいと思いました。 後日、日本人マネージャー、インド人の偉い人とお話しして終了。私から海外での生活についてや、なぜマレーシアを選んだのかなど質問しまくり。マ…
渡馬前日記「英語ができなくても大丈夫!この言葉がきっかけに」
叔母の知人の会社で総務と経理を経験し、その後コールセンターで5年。通信会社の架電業務、ネットショッピングサイトの購入サポート、化粧品メーカー受信業務の夜間責任者、テーマパークのお客様相談室そしてまた通信会社内勤と経験してきました。 結婚後フルタイムの仕事を離れ、10年間フィッティングモデルという仕事をしていました。聞きなれないし、想像もつかない仕事だと思いますが、簡単に言うと、直接アパレル企業へお伺いして、デザイナーやパタンナーが制作した洋服のシルエットなどをチェックするために、試作の洋服を着用するのが仕事です。モデルとつきますが、広告媒体のモデルと違い、基本的に顔が世の中に出ることはありませ…
2015年夏 たまたま観たテレビ番組を思い出し、誕生日にひとり、何気なく現地採用の求人に応募したところ、驚きの早さで返信がきて、とんとん拍子で単身マレーシアへ。日本での仕事は順調ながらも、心は荒み、先が見えない不安を抱えていたところからの急展開。知人0の新天地マレーシアで、英語もろくに話せないバツイチアラフォー子なしの私がどう生きていくのか・・・ せっかくこんな経験ができたのだから、何かしら形に残したいと思いました。2015年からの情報になります。コロナ禍以前の話なので、現在とは状況も違います。マレーシアでの生活をオススメするものではありませんし、キラキラした現地の情報をお伝えするものでもあり…
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