所在地東京都港区芝公園4丁目8−10祭 神徳川家康由 緒1601年、徳川家康が還暦を迎えた記念に自らの像を刻ませた寿像を駿府城に祀ったという。その後、1616年に徳川家康が寿像を祭祀する社殿を増上寺に建立するようにと遺言したそうです。 そん
全国の寺社と御朱印を紹介。 参拝記と御朱印情報を中心に、寺社の歴史や仏像・日本神話のことなどを書いています。
奥能登の観光記(11スポット)|伝統・絶景・パワースポット・神社・恋人の聖地、見どころが多すぎて1日じゃ足りない!|(輪島市・珠洲市編)
奥能登は、その名のとおり能登半島の奥(北部)にある輪島市・珠洲市・能登町・穴水町といった地域の総称です。沿岸の国道249号線は別名・奥能登絶景海道と呼ばれ、手つかずの自然や日本の原風景といえる景色があちこちに点在するエリアとなっておりました
禄剛埼灯台|能登半島の最先端は日本の中心!?|(石川県珠洲市狼煙町)
道の駅 狼煙●道の駅 狼煙輪島市から珠洲市のドライブもとうとう能登半島の最果ての地・狼煙町に到着。狼煙町と書いてのろしまちと読みます。いやはや、カッコいい町名ですね!狼煙町のシンボルといえば禄剛埼灯台!禄剛埼灯台は別名・狼煙の灯台と呼ばれて
ゴジラ岩●ゴジラ岩珠洲市の外浦沿岸にあるゴジラ岩に到着。能登半島は禄剛埼を境に東側の内浦と西側の外浦に分けられているそうです。外浦には荒波で削られた荒々しい岩礁が広がっていて、地球の終わりのような風景が続いていました。そんなこんなで、このゴ
せっぷんとんねる・福が穴|神仏と幸福が集まる洞窟|奥能登曽々木パワーゾーン|(石川県珠洲市片岩町)
曽々木ポケットパーク●奥能登曽々木パワーゾーン輪島市と珠洲市の境目にある奥能登曽々木パワーゾーンに到着。曽々木パワーゾーンには、千体地蔵・福が穴 岩窟不動・せっぷんとんねる(接吻トンネル)・岩倉山(岩倉寺)・窓岩といったパワースポットが点在
垂水の滝|山から海へダイレクトに落ちる滝|(石川県輪島市町野町曽々木)
垂水の滝●垂水の滝国指定名勝・曽々木海岸の断崖にある垂水の滝に到着。垂水の滝と書いてたるみのたきと読みます。垂水の滝は輪島市と珠洲市の境目にある八世乃洞門新トンネルのすぐそばにあります。そのため、珠洲市方面から行く場合は正面に滝を見ることが
窓岩と曽々木海岸|窓岩の作者は源義経さん!?|(石川県輪島市町野町)
窓岩と曽々木海岸●窓岩輪島市と珠洲市のほぼ中間にある窓岩に到着。窓岩とは、国の名勝ならびに国の天然記念物に指定されている曽々木海岸にある奇岩です。奥能登の景勝地として、また曽々木海岸のシンボル的な存在として知られています。ちなみに窓岩と書い
塩の駅 輪島塩・道の駅 すず塩田村|日本で唯一残る製塩法・揚げ浜式を体験学習|(石川県輪島市・珠洲市)
塩の駅 輪島塩●塩の駅 輪島塩輪島市から珠洲市へ向けて国道249号線を走っていると塩の駅 輪島塩を発見。道の駅ならぬ塩の駅!何だか面白そうなので立ち寄ることに。能登といえば揚げ浜式という製塩方法で作られる塩が有名です。揚げ浜式製塩は400年
白米千枚田|日本の原風景!海岸ギリギリまで続く棚田|(石川県輪島市白米町)
白米千枚田●道の駅 千枚田ポケットパーク輪島市から珠洲市へ向けて国道249号線を走っていると道の駅 千枚田ポケットパークに到着。なんと道の駅からは、奥能登を代表する観光スポットである白米千枚田を望むことができるという!ちなみに白米千枚田と書
輪島朝市と輪島工房長屋(沈金体験)|花金 罰金 沈金!|(石川県輪島市河井町)
輪島 朝市通り●輪島 朝市通り岐阜県の高山朝市・千葉県の勝浦朝市とともに日本三大朝市の1つであります輪島朝市。なんと輪島朝市は平安時代から1000年以上も続く日本最古の朝市だという!そんなこんなで、輪島朝市が開かれる朝市通りに到着。がっ!到
見附の社(見附神社)の御朱印情報|能登のシンボル・軍艦島を見守る神社|空海伝説|(石川県珠洲市)
所在地石川県珠洲市宝立町祭 神市杵嶋姫命由 緒804年、唐の長安に渡った空海(弘法大師)が、恵果阿闍梨から金胎両部の潅頂を受け、密教伝来の三杵を授かったといいます。しかし唐の僧たちが三杵を奪い返すため、帰国する空海を海岸まで追い詰めたそうで
須須神社の御朱印|源義経・弁慶ゆかりの神社|大国主の娘を祀る|日本最大のキリコ|(石川県珠洲市)
所在地石川県珠洲市三崎町寺家4−2祭 神・天津日高彦穂瓊瓊杵尊・美穂須須美命・木花咲耶姫命・建御名方命・保食神・武甕槌命社 格式内社(小)・県社由 緒約2000年前、能登半島最東北端の山伏山(鈴ケ嶽)の頂上に創建したのが始まりといいます。そ
重蔵神社の御朱印|輪島朝市の起源となった神社|輪島市最古の漆工芸|(石川県輪島市)
所在地石川県輪島市河井町4−68祭 神天冬衣命・大国主命社 格式内社(小)・県社由 緒社伝によると崇神天皇の御代に鎮座した神社といわれています。平安時代中期に編纂された延喜式神名帳に鳳至比古神社または辺津比咩と記載される式内社で、河井町約1
能満寺の御朱印|雪舟の天井画があるピンク寺|(山口県長門市俵山)
所在地山口県長門市俵山郷2441宗 派真言宗御室派札 所山口十八不動三十六童子霊場 第6番由 緒807年、唐から帰国した空海(弘法大師)が真言密教の道場として建立したのが始まりといいます。かつては21の末寺があり西の高野と呼ばれていたそうで
白猿山薬師寺の御朱印|俵山温泉の守護仏|(山口県長門市俵山)
所在地山口県長門市俵山5108宗 派浄土宗由 緒その昔、猟師が身籠った猿を撃ったという。数日後、湧き出るお湯で傷口を癒す白い猿が出現。すると白い猿は瑠璃光を放って昇天したという。そんなこんなで、その白猿が薬師如来の化身だと悟った猟師は温泉を
所在地山口県長門市仙崎今浦町1776宗 派浄土真宗本願寺派由 緒1492〜1500年に正因法師が開基したお寺だそうです。江戸時代前期と昭和時代に焼失しますが、その都度再建され現在に至るそうです。童謡詩人・金子みすゞの菩提寺として知られ、金子
八阪神社の御朱印|金子みすゞゆかりの祇園社|(山口県長門市仙崎)
所在地山口県長門市仙崎祇園1339番地祭 神素戔嗚命・奇稲田姫命・蛇毒気神由 緒奈良時代、吉備真備が遣唐使として中国に渡った際、素戔嗚尊に守られていることを感じたという。その縁で、733年に日本に帰国した吉備真備が素戔嗚尊を祀る祇園社を創建
長門豊川稲荷の御朱印情報|大寧寺の境内にあるお稲荷さん|(山口県長門市)
所在地山口県長門市深川湯本門前1074由 緒1961年、大寧寺の境内に日本三大稲荷の1つ・妙巖寺の豊川稲荷(愛知県)の御分霊を勧請して創建したのが始まり。長門豊川稲荷とは?●長門豊川稲荷とは?大寧寺の境内にあります長門豊川稲荷に到着。まず最
大寧寺の御朱印|大内義隆の終焉地|境内はまるで石塔の博物館|(山口県長門市)
所在地山口県長門市深川湯本門前1074−1宗 派曹洞宗由 緒1410年、大内氏の一族で、長門国・深川城主の鷲頭弘忠が深川城内に創建したのが始まり。1551年、大内義隆が家臣・陶隆房(晴賢)の謀反に遭い山口から脱出した際、このお寺に逃れたとい
元乃隅神社の御朱印|世界が絶賛した絶景神社|日本一入れにくいお賽銭|旧元乃隅稲成神社|(山口県長門市)
所在地山口県長門市油谷津黄498祭 神宇迦之御魂神・伊弉冉尊由 緒1955年、地元の漁師・岡本斉の枕元に白狐が現れ『われをこの地に鎮祭せよ』というお告げ受けたという。そのことにより、お告げ通り白狐(稲荷神)を祀る元乃隅稲成神社を建立。それが
福徳稲荷神社の御朱印情報|絶景!千本鳥居が映える人気の神社|(山口県下関市)
所在地山口県下関市豊浦町大字宇賀2960−1祭 神倉稲魂大神・大宮能売大神・大市比売大神由 緒この地は日本武尊の父・景行天皇が訪れた地といわれています。現在の資料に『人皇十二代景行天皇 安須の原に御臨幸の砌りに姫菖蒲を叡覧あり、その美景に魅
四王司神社の御朱印|四王司神社の御朱印授与所はここです|アクセス|(山口県下関市)
所在地●四王司神社・山口県下関市松小田131●四王司神社 御朱印授与所・山口県下関市長府中土居本町13-3祭 神長門毘沙門天・大地主神・保食神由 緒神功皇后の三韓征伐の際、神功皇后の使者が戦勝祈願をしたといわれる神社。867年、清和天皇が外
豊功神社の御朱印|龍神が出現した日本一の日の出スポット・満珠・干珠島|歴代長府藩主を祀る|長府藩報国隊ゆかりの神社|(山口県下関市)
所在地山口県下関市長府宮崎町4−1祭 神・応神天皇・武内宿禰・大国主大神・歴代長府藩主14柱など由 緒1917年、長府藩初代藩主・毛利秀元など歴代藩主を祀る豊功社を忌宮神社から現在地に遷座。そしてそれまでこの地にあった櫛崎・松崎・宮崎の各神
日頼寺の御朱印情報|仲哀天皇が仮埋葬された地|長府毛利家ゆかりのお寺|(山口県下関市)
所在地山口県下関市長府侍町1丁目10−2宗 派臨済宗東福寺派由 緒創建年は不詳。もともとは天台宗の寺院で小比叡山 極楽寺という寺号だったそうです。1573~1592年、長府藩初代藩主・毛利秀元が再興し、京都・東福寺から竺雲恵心(仏智大照国師
笑山寺の御朱印情報|長府毛利家の菩提寺の1つ|功山寺の近くにあります|(山口県下関市)
所在地山口県下関市長府川端2丁目4−1宗 派曹洞宗由 緒江戸時代前期、長府藩初代藩主・毛利秀元が廃寺となった潮音院を現在地に移転再建したのが始まりといいます。その後、1652年に第2代藩主・毛利光広が父・穂田元清の霊位を移し、元清の戒名・洞
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所在地東京都港区芝公園4丁目8−10祭 神徳川家康由 緒1601年、徳川家康が還暦を迎えた記念に自らの像を刻ませた寿像を駿府城に祀ったという。その後、1616年に徳川家康が寿像を祭祀する社殿を増上寺に建立するようにと遺言したそうです。 そん
所在地東京都港区芝公園4丁目7−35宗 派浄土宗寺 格大本山札 所江戸三十三ヶ所 第21番由 緒1393年、浄土宗第8祖・酉誉聖聡上人が浄土宗正統根本念仏道場として創建したのが始まり。1598年、江戸城を拡張する際、徳川家康が現在地に移転。
所在地東京都港区芝公園4丁目2−8祭 神天照皇大神由 緒1977年、日本電波塔株式会社が創立20周年を記念して創建された神社です。事業の繁栄と来塔者の安全を祈願して伊勢神宮より御分霊を勧請。この地の氏神・幸稲荷神社の境外末社とのことです。H
所在地東京都港区高輪2丁目11−1宗 派曹洞宗由 緒1612年、徳川家康が幼少期に人質として身を寄せていた今川義元の菩提を弔うため、江戸城に近接する外桜田に創建したのが始まり。しかし1641年に寛永の大火で焼失。その後、1604〜1651年
所在地東京都豊島区巣鴨3丁目35−2宗 派曹洞宗札 所関東百八地蔵霊場 第108番由 緒1596年、萬頂山 集福寺(埼玉県)の扶嶽太助和尚が江戸の神田明神同朋町に創建したのが始まり。その後、1657年に明暦の大火で全焼し、下谷車坂下に移転し
所在地東京都豊島区巣鴨3丁目21−21宗 派真言宗豊山派札 所・御府内八十八ヶ所 第33番・江戸六地蔵尊 第3番・豊島八十八ヶ所 第33番由 緒創建年は不詳ですが、聖武天皇の勅願により行基が開いたお寺と伝わっています。その後、1615年に祐
所在地東京都豊島区巣鴨4丁目35祭 神・天津祖 庚申猿田彦大神・地津主 甲子大己貴神・人津霊 己巳少彦名神由 緒1502年に高さ2.4mの庚申塔を建立したのが始まり。しかし、1653年に材木が倒れて5つに砕けてしまったという。そんなこんなで
所在地東京都杉並区高円寺北2丁目38−12由 緒1716年、高円寺村の講中10人が悪病退散・村民安全を願って建立したのが始まり。当初は真南に向って建っていましたが、1923年の関東大震災で横転してしまい、その後、西向きに建立されたという。ま
所在地東京都世田谷区代沢3丁目27−1宗 派浄土宗由 緒1608年、結城秀康が帰依した越前国・一乗寺の万世和尚に一寺の創建を依頼。そして万世和尚の弟子・孫公和尚が結城秀康の位牌所として創建したのがこのお寺の始まりといいます。明治時代の神仏分
所在地東京都世田谷区代沢3丁目25−3祭 神応神天皇・比売神・神功皇后・仁徳天皇由 緒1469〜1487年、世田谷城の城主・吉良頼康が世田谷城の鬼門にあたるこの地に創建したのが始まり。そして創建後、吉良氏の家臣がこの地に住みつき、下北澤村(
所在地東京都豊島区巣鴨3丁目21−21宗 派真言宗豊山派札 所・御府内八十八ヶ所 第33番・江戸六地蔵尊 第3番・豊島八十八ヶ所 第33番由 緒創建年は不詳ですが、聖武天皇の勅願により行基が開いたお寺と伝わっているそうです。その後、1615
所在地東京都台東区上野4丁目6−2宗 派日蓮宗由 緒1624〜1644年、慈光院の日遣上人が創建。奉安する摩利支天像は、京都で霊夢感得された聖徳太子が自刻と伝わる像で、1708年に徳大寺に安置されたそうです。もともと摩利支天は戦国時代の武将
尾道七佛めぐりとは?尾道市街地には25ヶ寺のお寺さんがあります。そのうちの7ヶ寺が宗派を越えて繋がり、尾道七佛めぐりが誕生しました。そんなこんなで満願成就を目指して、その7ヶ寺を全て巡る。それが尾道七佛めぐりです。●尾道七佛めぐり①持光寺(
住 所広島県尾道市東久保町22−8宗 派真言宗泉涌寺派札 所中国地蔵尊霊場 第9番由 緒1245年、備後国大田庄の荘官・和泉法眼渕信が曼茶羅寺(曼荼羅堂)を建立したのが始まり。1298年、西国巡教をしていた定證上人が曼茶羅寺に住み、荒廃して
所在地広島県尾道市東久保町20ー28宗 派真言宗泉涌寺派寺 格大本山札 所・中国三十三観音霊場 第9番・備後西国三十三観音霊場 第5番・百八観音霊場 第11番由 緒616年に聖徳太子が開基したお寺といわれています。1336年、足利尊氏が九州
所在地広島県尾道市西久保町29−27宗 派真言宗醍醐派寺 格大本山札 所・中国三十三観音霊場 特別霊場・中国四十九薬師霊場 第16番・山陽花の寺二十四か寺 第19番・備後三十三観音霊場 第6番・百八観音霊場 第12番由 緒729〜749年、
所在地広島県尾道市長江1丁目11−11宗 派真言宗醍醐派札 所中国地蔵尊霊場 第10番由 緒創建年は不詳。一説によると、平安時代初期に空海(弘法大師)が入唐した頃にはすでに創建されていたお寺といわれています。901年、菅原道真が大宰府へ左遷
所在地広島県尾道市東土堂町15−1宗 派真言宗単立札 所・中国三十三観音霊場 第10番・山陽花の寺二十四か寺 第20番・備後西国三十三観音霊場 第7番・百八観音霊場 第13番由 緒806年、弘法大師によって開かれたお寺といわれています。その
所在地広島県尾道市東土堂町17−29宗 派曹洞宗由 緒1367年、尾道の道円が発願。そして京都五山の指導者・普明国師を開山とし、室町幕府第2代将軍・足利義詮の寄進で創建されたお寺といいます。創建当初は東西三町の寺領に七堂伽藍を有する大寺院だ
所在地広島県尾道市西土堂町9−2宗 派浄土宗西山禅林寺派由 緒834〜848年、伝教大師(最澄)の高弟・持光上人が天台宗のお寺として創建したのが始まり。創建当初は日輪山 天禅寺と号し、御本尊は聖観世菩薩立像だったそうです。1382年、沙門善
所在地山口県玖珂郡和木町和木1丁目6−18宗 派曹洞宗由 緒1331〜1333年、和木村山ノ下に創建したのが始まり。創建当初は天台宗寺院で黙養寺と称していたそうです。その後、1398年に現在地へ移転し、臨済宗に改宗。そして法昌寺と改称したそ
所在地山口県玖珂郡和木町瀬田1丁目9−1−9祭 神仲哀天皇・応神天皇・神功皇后由 緒創建年は不詳。しかし、1556年の諸神田帳に記述があることから、少なくとも400年以上前には創建されていたと考えられているそうです。 玖珂郡下八社の1つで、
所在地山口県光市大字塩田石城2233番地祭 神大山祇神・雷神・高龗神社 格式内社(小)由 緒社伝によると574年に創建。敏達天皇から石城宮の勅額を賜り、905年に延喜式神名帳に記載された由緒ある神社です。1469年、大内氏14代当主・大内政
所在地山口県光市小周防新宮2175宗 派曹洞宗札 所中国四十九薬師霊場 第23番由 緒1444~1448年に創建。曹洞宗金剛派四道場の1つで、防州五刹に数えられる名刹です。室町時代〜戦国時代、大内氏と毛利氏の庇護を受けて繁栄し、最盛期には1
所在地山口県光市光井3丁目17−1祭 神菅原道真・菅原是善・吉祥女由 緒901年、菅原道真が無実の罪により京都から大宰府へ左遷される際、暴風に見舞われたため、現・光市の戸仲の浦に船を寄せたそうです。その際、神太夫という百姓が家に案内し手厚く
所在地山口県光市室積8丁目6−1宗 派臨済宗建仁寺派由 緒1006年に書写山・円教寺の性空上人が創建したお寺といわれています。創建当初は室積湾を見下ろす山中にあったそうです。その後、室町時代後期に現在地へ移転し、天台宗から臨済宗へ改宗。江戸
所在地山口県柳井市伊陸宮ケ原5441祭 神・木花咲耶姫命・応神天皇・仲哀天皇・神功皇后・大山祇神・中山祇神・麓山祇神・罔象女神・菅原道真由 緒711年、氷室岳の8合目・堂屋敷に奉斎したのが始まり。創建当初は伊賀地と祖生の氏神として崇拝され氷
所在地山口県柳井市姫田4宗 派黄檗宗由 緒創建年は不明。明治の文豪・国木田独歩が、柳井在住時代に自宅(現・独歩旧宅)から光台寺へ向かう道を好んで散策していたといわれています。境内入口と楼門(山門)●境内入口柳井市の人気観光スポット・白壁の町
所在地山口県柳井市柳井3058−1宗 派曹洞宗由 緒飛鳥時代、豊後国(大分県)の真名野長者の娘・ 般若姫が、橘豊日皇子(聖徳太子の父、後の用明天皇)の后となるために上京中、この地に立ち寄り湧き出る清水で喉を潤したそうです。そして般若姫はお礼
所在地山口県熊毛郡平生町宇佐木1166宗 派真言宗御室派札 所・中国三十三観音霊場 特別霊場・周防国三十三観音霊場 第6番・山陽花の寺二十四か寺 第3番・百八観音霊場 第19番・熊毛王国 極楽巡り(閻魔大王)由 緒約1400年前、用明天皇の
所在地山口県大島郡周防大島町日見奥田中973宗 派真言宗御室派札 所・周防大島八十八ヶ所 第19番・周防大島八十八ヶ所 第45番(明星院)・山口県十八不動・三十六童子霊場の第16番・中国楽寿三十三ヶ所観音霊場 第14番由 緒807年、唐から
所在地山口県周南市皿山町7−45宗 派金峯山修験本宗札 所中国四十九薬師霊場 第24番由 緒昭和時代、戦後の動乱期に無常を感じた高塚覚道師が吉野山に修行の場を求めて入峯。そして霊験を得て一宇を購入したのが始まりといいます。HPブログを始めま
所在地山口県周南市遠石2丁目3−1祭 神応神天皇・神功皇后・宗像三女神由 緒622年、宇佐八幡大神のお告げにより神霊を奉安したのが始まり。その後、708年に社殿を造営。平安時代からは石清水八幡宮の別宮となり、本朝四所八幡の1つと称されたとい
所在地山口県周南市鹿野上2872宗 派臨済宗南禅寺派札 所・中国三十三観音霊場 第15番・山陽花の寺二十四か寺 第4番由 緒1374年、大内家11代当主・大内盛見が用堂明機禅師を招いて開山したお寺といいます。明治時代初期まで臨済宗用堂派の本
所在地山口県下松市中市1丁目10−15宗 派真言宗御室派札 所・山口県十八不動三十六童子霊場 第18番・中国楽寿三十三観音霊場 第15番・周南七福神(大黒天)由 緒595年、青柳浦の松に星が降臨し、7日7夜輝き続けて琳聖太子の来朝を擁護する
所在地山口県下松市河内1984番地祭 神天之御中主尊由 緒595年、青柳浦の松に星が降臨し、七日七夜輝き続けて琳聖太子の来朝を擁護するようにとお告げがあったという。597年、百済国の王子・琳聖太子が来日し、桂木山に社殿を建立。そして、鷲頭の
所在地山口県下松市末武上398宗 派真言宗御室派札 所・周防国三十三観音霊場 第12番・周南七福神(寿老神)由 緒閼伽井坊は、709年に豊前国・宇佐八幡宮の御分霊を勧請した花岡八幡宮の社坊9ヶ寺の内、現存する唯一のお寺とのことです。花岡八幡
所在地山口県下松市末武上400祭 神・応神天皇・神功皇后・姫大神(市杵島姫命・田心姫命・湍津姫命)由 緒709年、豊前国・宇佐八幡宮の御分霊を勧請したのが始まり。鎌倉時代、重源上人が社殿を再建。室町時代には大内義隆が社領を寄進。安土桃山時代
所在地山口県美祢市大嶺町東分1620祭 神・天照皇大神・蛭子命・応神天皇・神功皇后・田心姫命・湍津姫命・市杵嶋姫命由 緒その昔、この地は四方を山で囲まれており、中央部には沼が多く存在していたそうです。そんなこんなで、この地の農民が山を伐採し
所在地山口県美祢市大嶺町東分1744祭 神主祭神・天照大神・蛭子大神配祀神・応神天皇・神功皇后・宗像三女神由 緒社伝によると、孝霊天皇の時代に創建。創建当初は、宇周宮または磨能峰宮という社号だったそうです。鎌倉時代、石清水八幡宮の御分霊を合