ウパマの4つの洞籠墓は海岸沿いの崖の上の方にありました。現在は道路が整備され東西から行くことができますが、昔は今のような道路が無く全方位から侵入することが難しかったようで、急な坂を下り西側から巡回するか、干潮時にリーフ上を東から回り込むかの進入路しかなかったそうです。ここは風葬墓だったわけですが、こんなに侵入するのが難しい場所に、どうやって亡くなった方を運んでいたのか?この崖の上の外城原には島見し当があったようですので、亡くなった方に最後にこの世を見せお別れの儀式をこの場所で行っていたということです。そうなれば、その後はすぐにお墓に亡くなった方を安置となるでしょうが、そこからご遺体を巡回したりして足場の悪い道から運び込むのはかなり難しかったのではないかと思うのですね。沖縄の今帰仁にある崖上にある洞窟のお墓...Vol.401畦布の運濱(ウパマ)②海の中道