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琉球史と絡む先祖調査の記録です https://blog.goo.ne.jp/yononushi

琉球が三山時代であった北山王の次男と言われる沖永良部の島主「世之主」 当家のご先祖様であるという伝承をもとに、ご先祖調査をしており、その内容をブログに記録しています。

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2021/02/12

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  • Vol.430 宗家一族の繋がり⑥26~30

    昨年書いたVol.426の20番のクンバテヤですが、その後の子孫の方々の消息が不明でしたが、一族の方から嬉しい知らせがあり、現在も子孫の方々は島外ですが元気に暮らしておられるという情報を頂きました。今回も一族情報の続きです。26.本城(平安功屋)6番本城家の5代目平安功の三男であった宗徳の家系平安功が1800年代の人物であるので、江戸後期あたりに分家した家である。内城の小字である中村の本城家の本家から片平山に分家して屋敷があったようです。平安功→①宗徳→②宗安→③宗佳→④宗善→・・・現代に続く27.本城(片平山)26番の宗徳の長兄であった宗佑熹弟の宗徳と共に本家から分家して片平山に屋敷を移したようである。長男であるが分家するというのは、やはり島の風習だったようですね。宗佑熹の妻は為冝志の妹の兼という娘だっ...Vol.430宗家一族の繋がり⑥26~30

  • Vol.429 宗家一族の繋がり⑤21~25

    新年早々から嬉しいことがありました。お爺様の上花城から別れた一族の方からのご連絡でした。このブログを読んでくださり、離ればなれになっていた一族の方々からご連絡を頂けることは、本当に嬉しいことです。ことし1年も先祖探しの活動が実りあることを願って活動していきたいと思います。昨年に続き、一族の紹介です。21.桂(東宗:アガリゾ)宗の本家8代目平安頴善保の弟である長庵の家系兄である平安統善保が1815年生まれですので、弟である長庵はそれ以降の生まれです。①長庵→②久勝→③久保→④忠博→・・・現代に続く長庵は薩摩の島津家の分家に当たる桂民右衛門という人物の家に養子に入って桂家を継いでいます。その成り行きには、こういったエピソードがありました。桂民右衛門が島津公の命を受けて琉球に向かっている際に、船上で病気になって...Vol.429宗家一族の繋がり⑤21~25

  • Vol.428 新年のご挨拶と、、、②

    前回は新年のご挨拶とともに、急な3号墓の墓石の話になってしまいましたが、その続きを少し書きたいと思います。これが3号墓で、両サイドに大和式の墓石があります。正面右側の墓石に掘られているかもしれない「上嘉鉄西〇居」の文字。喜界島の南西部に上嘉鉄(かみかてつ)という集落があることが分かりましたが、小字名でマチィチャ・ウックダ・ウフドゥンムの付近一帯に大量の土器や石器の破片が出土したことがあったようです。縄文晩期の遺跡であったようです。このように2300年~3000年ほど前から集落があった場所ですが、この集落の1つには上嘉鉄西と呼ばれる場所があるようです。墓石の文字が「上嘉鉄西〇居」であったとしたら、この喜界島の上嘉鉄西の集落の人物であったのか?小字名のマチィチャも気になる言葉です。沖永良部の世之主はマチジョ(...Vol.428新年のご挨拶と、、、②

  • Vol.427 新年のご挨拶と、、、①

    新年あけましておめでとうございます。日頃からこのブログを読んでくださっている皆様、いつもコメントや情報を送ってくださる皆様、大変有難く感謝しております。本業の仕事の方が多忙になっており、思うように調査が進まず発信の方もボチボチといったところですが、今年も少しずつ記録していきたいと思っておりますので、どうぞよろしくお願い致します。ただいまちょうどブログでは宗家一族の繋がりを連載しているところでしたが、今回は新年のご挨拶と、昨日でしたか急に飛び込んできたX(旧Twitter)での「いいね!」のことを少し書きます。ちょうど先祖調査をスタートさせてブログを書き始めた3年ほど前のことなのですが、お爺さまの系統である屋号上花城のお墓があるチュラドゥールのすぐ西側に、3号墓と呼ばれる(本当の墓名ではなく歴史調査用につけ...Vol.427新年のご挨拶と、、、①

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