かみさんが亡くなってから。俺は希死念慮に囚われた。世界でいちばん大切なモノを失ってしまったからだ。人生を共に歩んでいく伴侶を喪ったからだ。暖かい家庭を失ったからだ。未来に絶望してしまったからだ。そうだ。俺は消えてしまいたいのだ。だが、自死する度胸なんてあ
たった一人の家族、最愛の妻を癌で喪った。独り遺された男やもめが、暗闇の中でもがき続ける日々の日記。
かみさんが亡くなってから。俺は希死念慮に囚われた。世界でいちばん大切なモノを失ってしまったからだ。人生を共に歩んでいく伴侶を喪ったからだ。暖かい家庭を失ったからだ。未来に絶望してしまったからだ。そうだ。俺は消えてしまいたいのだ。だが、自死する度胸なんてあ
毎朝5時半くらいに目が覚める。だが、すぐに目を開けられるわけではない。光を見るのが疎ましい。身体を動かすのが億劫だ。なぜだか頭痛もしている。全身を不快な「何か」が満たしている。しかし、いつまでも目を閉じているわけにはいかない。苦痛を堪えて目を開き、俺は身
6月13日と14日。土曜日と日曜日で、仕事は休みだった。いずれの日も朝6時に目が覚めた。これまでであれば、目覚めた直後から酒を飲んでいた。カラッポの胃に流し込むウィスキーは、効果てきめんだった。すぐに酔いが回り、数時間後には意識を失った。しばらく眠った後、不快
平成22年の6月17日。かみさんが癌研有明病院に入院していたときのこと。かみさんが俺に言った。めぐりあえて良かった・・・・・・かみさんは、俺と出会えて良かったと言ってくれた。かみさんは、俺と一緒に暮らしてこられて良かったと言ってくれた。かみさんは、俺とともに人生
この記事をスマホで書いている現在。6月14日の午前4時19分である。自宅のバルコニーから空を見上げている。どうやら晴れているらしいのだが、薄暗くて判然としない。まだ「日の出」の前のようだ。空が暗いからだろうか。それとも疲労が溜まってきたからだろうか。あるいは脳
インドで旅客機が墜落したとのニュースが流れていた。離陸してから、わずか30秒後の墜落だったらしい。乗客は242人だった。昨晩そのニュースを見たときは、乗客全員が亡くなったのだろうな…と思った。しかし、翌朝のニュースでは、イギリス人の男性1人が生存していたとのこ
毎朝5時半くらいに目が覚める。かみさんの生前とは違い、スッキリ目覚めることはない。頭の中に霞が掛かっているかのようだ。全身の血液がドロドロになっているみたいだ。心が奈落に堕ちてしまったかのようだ。かみさんが亡くなって以来。目覚めた瞬間の爽快感がなくなった
俺はかみさんを喪った。たった一人の家族を喪った。自分の家庭を失った。そして…最愛の人を亡くしてしまった。祖父母とも死別した。実父とも死別した。叔父や叔母の中にも若くして亡くなった人がいる。同年代の友人も、何人か死んでしまった。だが、かみさん以外の人々との
かみさんが俺の隣にいない。周囲を見渡しても、かみさんの姿は見えない。かみさんは、どこに行ってしまったんだろう…俺はとても動揺した。だが、かみさんはどこかにいるはずだ。かみさんが生きていることを感じる。かみさんの息づかいと気配を感じる。すると俺は気がついた
禁酒を始めてからも、毎朝5時半くらいに目が覚める。酒を断っているせいか、睡眠の質は悪くない。夜中に目覚めることもなくなった。だからといって、スッキリした目覚めというわけではない。心が重たいのだ。頭がボンヤリしているのだ。そのくせに、神経が鋭敏になっている
意識して思い出そうとしているわけではない。だが、ふとした瞬間に思い出す。こちらから記憶をたぐり寄せているわけではない。記憶のほうが、向こうからやってくるのだ。かみさんが癌だと診断されたときのこと。俺が医師から「かみさんの余命は年単位ではない」と言われたと
かみさんが癌だと診断された。医者から「余命は年単位ではない」と告げられた。俺の頭から血の気が引いた。まるで血液が凍りついたようで、同時に逆流したようだった。周囲の世界が足元から崩れてしまった。かみさんが、その場にいなかったことは不幸中の幸いだった。医者か
午前4時に目が覚めた。ずいぶんと早い時間だ。これも断酒の影響なのかもしれない。寝る前に飲んだ睡眠導入剤が残っているんだろうか。心と身体がとても重い。俺は重力に逆らって、重たい身体を寝床から起こした。這いつくばるようにして、かみさんの仏前に座った。ロウソク
自宅には、かみさんが遺したモノがたくさんある。洋服、靴、バッグ、本、料理のレシピ集、茶碗、箸、鍋やフライパンなどの調理道具…挙げていけばキリがない。かみさんが亡くなってから。俺はかみさんの遺品を大切に扱ってきた。壊れないように、痛まないように。かみさん自
かみさんが元気だった頃。俺たち夫婦は、自分たちの老後について語り合った。おじいちゃん、おばあちゃんになっても二人で一緒に散歩しよう。おじいちゃん、おばあちゃんになっても二人で一緒に旅行しよう。おじいちゃん、おばあちゃんになっても二人で一緒に買い物に行こう
アルコール依存症の専門病院のサイトを見ると、酒を止めた後に現れる「離脱症状(禁断症状)」について詳しく知ることができる。また、「断酒 離脱症状」でググっても、数多くの禁断症状の情報を得ることができる。禁酒を始めてから、俺はさまざまな離脱症状に苦しんでいる
現在6月2日の午前7時29分。いつものとおり、通勤途中にブログの記事を書いている。昨晩で5日間、禁酒が続いた。かみさんが亡くなって以来、酒に溺れてきた俺にとっては辛い5日間だった。とりわけ辛いのは土曜日と日曜日だ。倦怠感やイライラした感覚、経験したことのない酷い
俺と同年代の人々。俺より年上の人々。あるいは俺より年下の人々。たくさんの知り合いがいる。その中には義母や二人の義弟もいる。大学時代の友人や、会社で知り合った友だちもいる。こんなに大勢の人々がいるのに、俺だけが異質な立場に置かれている。いつでも話のできる家
かみさんが亡くなってから。いくつか後悔したことがある。そのうちの一つが、「かみさんに伝えておきたかったのに、伝えることができなかった言葉がある」ということだ。かみさんの闘病中。俺はかみさんと語り合い、二人の絆を確かめ合ってきた。だが、どうしても言えないこ
現在5月30日の午前7時35分。いつものとおり、通勤途中にブログの記事を書いている。まだ2日目だが、昨晩も禁酒に成功した。そのせいだろうか。吐き気や嘔吐は治まった。下痢もしなくなった。なんとか食事もできている。だが、さまざまな問題が生じているのも確かだ。最も辛
かみさんが死んでしまった。俺を遺して逝ってしまった。それ以来、俺は酒に溺れてきた。最愛の家族を喪った悲嘆から目を背けるために、俺には“酔い”が必要だった。そして、かみさんの後を追うために、俺は自分を“破壊”したかった。しかし…昨日の記事に書いたとおり、俺
全身がとてもダルい。呼吸が荒れている。吐き気がする。夜には嘔吐してしまった。下痢も止まらない。食道に違和感がある。胃がシクシクと痛む。腹が減るのに何も食べる気力がない。夜は眠れない。朝には眠気で頭がボンヤリしている。俺の身体はメチャクチャだ。原因は分かっ
かみさんがいない。ひとりぼっちだ。とても哀しい。とても淋しい。とても虚しい。何もない「今」が苦しい。この苦痛を肯定することなんてできないが、だからと言って、逃げ場があるわけでもない。「今」を否定するならば、「過去」には戻れない以上、「未来」に望みを託すし
先日、ある新聞に出ていた。男性は「配偶者より先に死にたいと考える人が多い」のだそうだ。日本ホスピス・緩和ケア振興財団が行った調査によれば、「自分が先に死にたいか、後に死にたいか」と質問したところ、既婚男性のうちの8割近くが「自分が先に死にたい」と回答した
これまで、このブログの「闘病記」の中で書いてきたが、俺はかみさんに余命を告げることはなかった。平成22年4月28日、癌研有明病院の医師から、「余命は年単位ではない」と言われたが、俺はそのことをかみさんに伝える気持ちにはなれなかった。かみさんに伝えなかったのには
誰かが死んだとしても、悲しいとは限らない。むしろ悲しくないことのほうが多いはずだ。友人や知人が死んだ。会社の同僚が死んだ。近隣の住民が死んだ。名前も知らないどこかの誰かが死んだ。これらはすべて、第三者の死である。いわゆる「三人称の死」だ。彼らが死んだとし
現在5月23日の午前7時21分。いつものとおり、通勤途中にブログの記事を書いている。今朝も5時半に目が覚めた。夜中に目覚めることはなく、朝まで熟睡できたはずだった。それなのに、目覚めた直後に感じたのは、強烈な「倦怠感(ダルさ)」だった。身体が重たい。全身の血液が
毎朝5時半くらいに目が覚める。目覚めた瞬間、俺は周囲を見回す。俺の視界にかみさんはいない。目に入ってくるのは、かみさんの遺影だけだ。やはり夢ではないのだな…と思う。かみさんは確かに死んじゃったんだ。俺の気分は沈み込む。淋しいな…と思う。俺はかみさんの仏壇
かみさんが闘病中のこと。俺は介護のために休暇を取らせてもらった。同時に、かみさんの病気が治るまで、俺の管理職への昇進を見送ってほしいと願い出た。当時は周囲の人々に恵まれていた。この2つの希望を聞き入れてくれたのだ。だが…かみさんは亡くなってしまった。俺を
毎晩のように、眠っている間に夢を見る。たまに、かみさんが夢に出てきてくれる。かみさんと俺が“おしゃべり”をしている夢。俺たち二人が一緒に散歩をしている夢。夫婦二人で食事をしている夢。夢の内容は他愛もない。しかし、目覚めた後は、ほんのり温かくて心地好い。だ
毎朝5時半くらいに目が覚める。俺は体内時計を調整するため、バルコニーに出て外気を吸う。だが、たいていの場合は効果がない。むしろ心がザワザワしてくる。全身の筋肉が小刻みに震えだす。あれは「不安感」だ。やっぱり俺は普通じゃない。やっぱり俺は狂ってる。リビングに
かみさんが元気だった頃。こんな俺にも「何でも話せる人」がいた。それは言うまでもない。かみさんだ。自分の弱い部分や醜い部分も含め、何でも話せる人の存在は、とても貴重だ。そんな人は、せいぜい家族のうちの誰かくらいしかいないからだ。ひょっとしたら家族にさえ何で
ここ最近、俺は堕ちている。そのことにお気づきの読者さんやメル友さんも多い。ほんの少しでいいから這い上がりたい、前を向きたい、自分を鼓舞したい。そう思って、今回の記事を書く。・・・このブログに「Walking Tour」の動画を貼り付けるのは何回目になるだろうか。何度
かみさんが亡くなってから約1ヶ月。俺はほとんど眠れなかった。毎晩、布団の中で泣きじゃくっていた。あるいは毎晩、布団の中で咽び泣いていた。朝までほとんど意識を失うことができなかった。自律神経がメチャクチャだったのだろう。意識を失って「無」になれば、強烈な悲
大学生のときの同級生たちがいる。大学時代は学費や生活費、家賃も自分で稼いでいたため、当時のアルバイト仲間たちもいる。会社には、かつての部下や同僚がいる。もちろん現在の部下や同僚もいる。自宅の近所には、挨拶をする程度の顔見知りもいる。彼らや彼女らは家庭を持
眠りから覚める。今はいったい何時だろう。俺はそっと目を開く。そしてカーテンの隙間から窓の外を覗く。暗いときはホッとする。もう少し眠れるからだ。まだ世界と関わらなくていいからだ。かみさんのいなくなった世界を見なくて済むからだ。もう少し眠りたいと思う。かみさ
4月頃からだろうか。日曜日は、ほぼ何も食べていない。別にダイエットをしているわけではない。断食修行をしているわけでもない。食欲が湧かないのだ。腹は減るのに何も胃に入れたくないのだ。朝4時から6時の間に目が覚める。目覚めた瞬間に気づくのは、俺の中に深い「淋
かみさんは俺のすべてを受け容れてくれた。俺の良いところだけじゃない。ダメなところも含め、全部を受け容れてくれた。おそらく俺は、かみさんにとって「唯一無二」の存在だった。誤解のないように言っておくが、「唯一無二」とは「特殊」という意味ではない。かみさんにと
やたらと「人生100年時代」という言葉が耳につく。この言葉がニュースやCMで使われる場合、そこに陰惨なイメージはあまりない。老後に対する不安より、明るい未来が待っているかのようだ。一緒に過ごせる家族がいてくれて、経済的にも心配が無いのなら、100年の人生も悪く
人生100年の時代と言われて久しい。長生きするのが素晴らしいことのように語られている。かみさんが元気だった頃ならば、俺たち夫婦も長生きしたいと思っていた。だが、日本人の平均寿命は男女ともに80歳を超える程度だ。日本人の半分は80歳になる前に死んでいるということだ
現在5月9日の午前7時19分。いつものとおり、通勤途中にブログの記事を書いている。身体がダルくて仕方がない。昨晩は、ほとんど眠れなかったからだ。かみさんが亡くなってから、ずっと頼りにしている睡眠導入剤は飲んで寝た。しかし、熟睡できなかったのだ。意識を失いそうに
5月7日の水曜日。多少の残業をして、夜7時30分すぎに帰宅した。家の中は真っ暗だ。人の気配は、まったく無い。俺は深いタメ息をつき、家に入った。なぜだか知らないが、とても落ち着かない。そして異様に淋しい。平日の夜、こんなに淋しいのは久しぶりだった。俺は心を落ち着
ゴールデンウィーク後半は4連休だった。かみさんが元気だったなら、とても楽しい連休だったはずだ。だが…かみさんはいないのだ。かみさんは死んじゃったのだ。ひとりぼっちの4連休なんて、ロクなもんじゃない。家族のいない4連休なんて、ロクなもんじゃない。・・・4連
毎日がつまらない。何にも楽しいことがない。何にも面白いことがない。そんな俺に人々は言う。お酒以外に夢中になれるものを探したほうがいいよ…だが、楽しいことを見つける気力が湧かないのだ。面白いことを探す気力も湧かないのだ。そうだ。かみさんの死によって俺が失っ
俺は長生きしたかった。かみさんと一緒に長生きしたかった。80歳になろうとも、90歳になろうとも、二人で手をつないで散歩する。そんな老後を夢見ていた。そんな未来が来ると信じて疑わなかった。俺は人一倍、「生」への執着が強かったのかもしれない。・・・生きること、長
ある日のこと。俺を取り巻く世界は、俺から遠のいて行った。かみさんが亡くなった日からではない。かみさんが癌と診断された日からだ。周囲の世界は、かみさんと俺を置き去りにし、遠くへ行ってしまった。手を伸ばせば、世界に触れることはできるのに、たとえ触れても何の感
ゴールデンウィークに入ったからだろうか。俺は頻繁にかみさんのことを想い出す。他愛のない日常会話、二人で猫みたいにじゃれていたこと、散歩の途中で一緒に見た風景、海外旅行の思い出、二人で外食を楽しんでいた日々のこと。そういう穏やかで幸せな日々の想い出だ。だが
俺は沢山のものを奪われて生きてきた。生まれた瞬間から奪われて生きてきた。俺は親ガチャに外れた。とんでもない両親の下に生まれてしまった。父親はアルコールとギャンブルに依存していた。酔っぱらうと、父親は幼少の俺に暴言を吐いたり、俺を殴ったりしていた。母親は変
かみさんが亡くなってから。俺は堕ちてしまった。階段から落ちたわけではない。椅子から落ちたわけでもない。ましてや管理職から降格されたわけでもない。俺は奈落の底に堕ちたのだ。人として「堕落」してしまったのだ。もはや俺は「人間」ではない。単なる「動物」に堕ちた
現在4月30日の午前7時33分。いつものとおり、通勤途中にブログの記事を書いている。今日はゴールデンウィークの前半と後半の中間だ。平日であるにも関わらず、公共交通機関はいつもより空いている。やはり帰省や旅行をしている人が多いのだろう。座って出勤できるのだけは有
たとえ失ったとしても、取り戻せるものがある。だが、どうしても取り戻せないものだってある。取り戻せないからと言って、悲しいとは限らない。我々は「失ったって、どうでもいいもの」に囲まれているのだ。だからこそ俺たちは生きていける。何かを失うたびに人生が狂ってし
今年のゴールデンウィークは「飛び石連休」だ。4月28日月曜日。俺は出勤しなければならない。できることなら朝からウィスキーを飲んで自堕落に過ごしていたかった。だが、そういうわけにもいくまい。俺は鬱っぽい気分のまま家を出た。公共交通機関は、いつもより空いている。
休日の朝のこと。平日と同様、早い時間に目が覚める。おそらく5時から5時半くらいだろう。だが、時計を見て時間を確認する気分にはなれない。目を開き、明るい光を見るのが怖いのだ。だから俺は、ジッと目を閉じる。もう一度、眠ってしまいたいと強く願う。そうこうしてい
現在4月26日の午前11時48分。4月26日は、かみさんが癌と診断された日だ。世間はゴールデンウィークに入った。同じマンションの人々の多くが、どこかに出かけてしまったようだ。俺は心療内科に通院するため街中に出てみたが、周囲の人々は楽しげで、浮き足だっている。キャリ
先日の記事に書いた通り、俺の生活リズムが崩れてしまった。午後10時半には寝床に入るけど、朝までほとんど眠れない日々が続いている。手元に睡眠導入剤がないからだ。眠れないのは本当に辛い。焦りばかりが募り、余計に眠れなくなってしまう。朝を迎え、眠ることを諦める。
何度でも同じことを言う。俺は目が覚める瞬間が大嫌いだ。かみさんが亡くなってから最初の数年間。朝目覚めると、俺は周囲を見回してかみさんを探した。あれ? なんで容ちゃんがいないんだろう…疑問を抱いた次の瞬間だった。俺は気がついた。あぁ、そうだっけ…容ちゃんは死
いちばん大切な人を亡くした人は、「生活リズム」という言葉をご存じだろう。夜になったらグッスリと寝て、朝になったらスッキリ目覚め、朝食を摂って出勤したり登校したりする。その後は仕事をしたり授業を受けたりして、昼休みになったら昼飯を食う。午後になったら、また
俺は1日に何度も呟いている。帰りたいな…と小声で呟いている。かみさんが亡くなってから、ずっと呟き続けているのだ。もちろん誰かに聞かれてしまったことはない。周囲に人がいないとき。俺が‘ひとりぼっち’になったとき。俺はタメ息をつきながら、「帰りたいな…」と呟
先週の土曜日のこと。月に一回通院しているメンタルクリニックに行くはずだった。かみさんが亡くなってから、俺は適応障害だし、複雑性悲嘆だし、睡眠障害だ。とりわけ辛いのは睡眠障害だ。睡眠導入剤(ハルシオンとレンドルミン)を飲まないと眠れない。それなのに、通院す
かみさんが癌だと診断された日のこと。俺の精神に”ひび”が入った。かみさんの病状が次第に悪化していくのを見ていた日々のこと。俺の精神も次第に崩れていった。そして…かみさんが息を引き取った瞬間。俺の精神は壊れてしまった。あれから時が経ったのに、いまだに精神が
かみさんが元気だった頃。俺たち夫婦は「老後」について語り合うのが好きだった。心に弾みを失って、肉体は衰えて、人生の終焉が近づいている。そうした「老い」につきまとう寂しいイメージはなかった。マンションのバルコニーで緑茶でも飲みながら、暖かい日光を浴びて、2
かみさんが亡くなってから。俺の心臓のあたりにポッカリと大きな穴が空いた。自分の半身を削がれたみたいで、心がとても痛かった。そして…周囲の世界が俺から遠ざかり、現実感を失った。俺の最愛の人が死んでしまった。それ以降、俺にとって、世界の姿はすっかり変わってし
かつて俺の部下だったHさんという女性がいる。2年間一緒に働いたのだが、とても仕事のできる人だった。当時は係長として俺を支えてくれていた。彼女には、ご主人のほかに2人の娘さんがいた。Hさんは、俺がかみさんを亡くしたことを知っている。かみさんと俺には子どもが
俺は緊張(プレッシャー)を強いられる場面が少なくない。いわゆる「矢面(やおもて)に立つ」機会が多いのだ。会社での管理職という立場上、仕方がないのかもしれない。だが、いまだに俺は、このプレッシャーに慣れることができない。理由は分かっている。俺が“ひとりぼっ
死別による悲嘆から立ち直るというのは、どういうことなのだろうか。悲しみを抱えつつ、それでも前向きに生きる(あるいは、悲しみから解放されることで、自然と前向きに生きられるようになる)というのは、どういう意味なのだろうか。俺はその意味を知っているはずだ。父親
週末から頭がおかしかった。時間(曜日)の感覚が狂っていたのかもしれない。土曜日の朝のこと。目覚めると、俺は深い鬱状態にあった。ぼんやりした意識の中で、俺は「会社に行きたくないなぁ…」と強く思った。土曜日は休日だ。会社に行く必要なんてない。だが、時間の感覚
心拍数が上がっていく。息が苦しくなっていく。不安感で破裂してしまいそうだ。俺はかみさんの仏前に座る。全身を震わせながら、かみさんに線香をあげる。かみさんの遺影と位牌を見つめる。しかし、強烈な不安感は治まらない。壊れてしまいそうだ。ここまでくると、もはや化
かみさんと俺は、夜が好きだった。夜遅くまで他愛のない会話をするのが好きだった。かみさんが元気だった頃。俺が会社から帰って入浴を済ませると、俺たち夫婦はその日にあったことを語り合った。俺が仕事をしている間、二人は一緒にいられない。その「すき間」を埋めるかの
週末の金曜日から日曜日のこと。かみさんと俺にとって、最も軽やかで、最も愉しくて、最も嬉しい時間だった。毎週の金曜日。俺は深夜まで残業することが多かったけど、たまには定時で退社することができた。そんな日は、かみさんと有楽町や銀座、築地あたりで待ち合わせをし
毎朝5時半くらいに目が覚める。その瞬間、かみさんが俺の隣にいないことに気づく。しばしの間、俺は呆然とする。いまだに俺は、かみさんがいないことに違和感を覚えるのだ。重力が強すぎる。それに逆らって、心と身体を立て直すのは簡単ではない。だが、なんとか俺は立ち上
昨日の記事で、俺はかみさんと「再会」したと書いた。かみさんの夢を見たのだ。俺はかみさんと語り合い、一緒に笑い、触れあうことができた。おかげで俺は、幸福感に満ちた一日を過ごした。こんな夢を見ると、欲が出る。次の晩も同じような夢を見たい、夢の中でもいいから、
毎晩、帰宅するとウィスキーを飲む。水割りでもないし、ロックでもない。ストレートで飲むので、効果は“てきめん”だ。酒に酔い、俺はかみさんを喪った悲しさから少しばかり自由になれる。虚しい時間ではあるけれど、“ひとりぼっち”の寂しさから自由になれる。しかし、い
仕事が終わって退社をすると、あらゆる人々との関係が切れてしまう。他愛のない会話をする相手は誰もいない。一緒に笑うことのできる相手も誰もいない。これは本物の孤独だ。街中や地下鉄の中には大勢の人がいるけれど、彼らは俺とは無関係だ。俺の歩行を邪魔する障害物にす
自宅のリビングで酒を飲み、意識が朦朧としているとき。シャワーを浴びて、排水口に流れていく水を眺めているとき。仕事をしている最中、ふと肩の力を抜いたとき。通勤電車の中、やることもなく、ただ座っているとき。かみさんの仏前に座り込み、線香の煙を目で追っていると
どうやらウィスキーを飲み過ぎたらしい。身体がダルくて仕方がないのだ。ちなみに発熱しているわけではない。風邪のような症状も見られない。ただでさえ肝臓の機能が低下しているにもかかわらず、たっぷり酒を飲んだため、さらにダメージを与えてしまったようだ。かみさんが
毎朝5時半くらいに目が覚める。決してすっきりした目覚めではない。また朝が来てしまったのか…と思うと暗い気持ちになってしまう。俺はかみさんの仏前に座る。そして線香をあげる。その直後からだ。どうしようもないほど不安になるのだ。どうしようもないほど鬱になるのだ
かみさんが亡くなってから。それなりに時間が経過した。それなのに…今でも俺の日常は、本当に退屈で、本当に単調で、本当につまらない。・・・平日の俺は、早朝に起床して、ぼんやりと時間を過ごし、スーツに着替えて出勤する。通勤途中に朝飯を食い、会社に着いたら仕事す
俺と妹は、両親から虐待されて育ってきた。父親は、酔っぱらうと俺を殴った。母親は、言葉の暴力で俺を傷つけ楽しんでいた。こうして俺は、自尊心を破壊されて生きてきた。だから俺は、人間が怖かった。人間不信になって、まともにコミュニケーションを取ることもできなかっ
早朝に目覚め、身支度をして出勤し、会社で仕事を始めるまでの時間。あるいは、会社から帰宅して、身体を休め、眠りに就くまでの時間。かつては、かみさんが俺の隣にいた。だから俺は寂しくなかった。空虚でもなかった。だから俺は楽しかった。とても幸せだった。かみさんの
かみさんが元気だった頃。俺たち夫婦は、老後について語り合っていた。二人で一緒に年を取っていこう。二人で一緒に長生きをしよう。おじいちゃん、おばあちゃんになっても二人で毎年、海外旅行をしよう。80歳を過ぎても二人でいっぱい散歩をしよう。そして…死ぬときは二人
かみさんが亡くなってから、俺は“ひとりぼっち”になった。かみさんを喪うとともに、俺は家庭を失った。かみさんがいた頃は、かみさんのために頑張るぞ!と思って生きてきた。かみさんが俺に生きる意味を与えてくれたのだ。かみさんの存在が、俺の気力や体力、努力を支えて
伴侶や子どもと死別するということ。最愛の人を喪ってしまうということ。それが悲しいのは人として当然のことだ。いちばん大切な人を亡くした者であれば、自分の半身を削ぎ落とされてしまったかのような、心にぽっかり穴が開いてしまったかのような、周囲の現実が自分から遠
義母(俺のかみさんのお袋さん)は、夫(俺のかみさんの親父さん)を喪った。さらには自分の娘(俺のかみさん)にまで先立たれてしまった。それ以来、義母はいつも言っている。早く死にたい…と言っている。俺は理由を聞いた。初めて聞いたのは、かみさんが亡くなってから2
毎朝5時半すぎに目が覚める。全身の筋肉は弛緩している。寝床を出るのがとても辛い。それとは反対に心は緊張して張り詰めている。心臓のあたりに得体の知れない不安感が蹲っている。眠っている間に緊張していたはずはない。心が緊張していたら眠れないはずだ。おそらく目覚
かみさんが亡くなってから。それなりの年月が経った。つい最近のことだ。俺は自分の変化に気が付いた。かみさんが元気だった頃と、かみさんが亡くなった後との俺の変化についてだ。何年も前に気づいていても、おかしくないはずだった。それなのに、俺はつい先日まで気づいて
かみさんが息を引き取った瞬間だった。周囲の世界が現実感を失って、俺から遠ざかっていった。手を伸ばせば触れることはできたのかもしれないが、すべてが質感のないホログラムのように見えていた。周囲と俺との間を透明な壁が塞いでしまった。そして俺は、壁の外側に排除さ
俺が41歳のとき。かみさんが亡くなった。俺は自分の人生も終わった…と思った。約20年間の幸せで、楽しい日々が終わってしまった…と思った。これからどうやって生きていったらいいんだろうか。想像する未来は、あまりにも暗くて、あまりにも重たくて、あまりにも寂しかった
かみさんと俺は、仲の良い夫婦だったと思う。そう思っていたのは、俺たち二人だけではない。俺と同期で入社した女性は、俺たち二人のことを「私にとって、理想の夫婦像」だと言ってくれた。また、かつて俺と同じ部署にいた女性は、「仲の良い夫婦は似てくるって言うけど、二
ある“風景”を見ていた。それは、とても”きらびやか”で”華やか”だった。俺は気がついた。この“風景”は、かつて俺の傍らにあり、いつでも見たいときに見ていたものだった。他でもない。以前は俺自身のモノだった“風景”なのだ。それなのに…今の俺は、この“風景”を
辛いなぁ…と呟きたくなることがある。もしも呟けば、なんで辛いの?と聞いてくれる人も多いだろう。だが、そこで何と応えればいいんだろうか。俺は迷ってしまう。花粉症で目が痒くて辛いんだよ…だとか、膝が痛くて辛いんだよ…と応えれば、大変だよねぇ…という答えが返っ
かみさんがいなくなってから。良いことなんて、めったに起こらなくなった。それは仕方のないことかもしれない。俺にとっての良いことは、いつでもかみさんと共にあったのだ。些細なことであろうとも、かみさんと一緒にいるだけで、それはとても良いことに感じられた。良いこ
とてもゆっくりではある。しかし、その歩みは着実だ。次第に自分の心と身体が弱っていくのが分かる。とりわけ気分や体調の悪い日には、「死」を身近に感じる。それは決して陰惨なものではないし、恐怖の対象でもない。むしろ甘美で柔らかい何ものかなのだ。自分の最愛の人の
かみさんが元気だった頃。朝目覚めると、かみさんはいつだって俺の横にいた。かみさんと目が合った。かみさんと俺は、自然と笑顔になった。寝室を出ると、俺は出勤の準備だ。その間、かみさんは“おしゃべり”をしながら朝食や「愛妻弁当」を作ってくれた。俺たち夫婦はバタ
かみさんが眠るように息を引き取った瞬間。俺は「すべて」が終わったと思った。俺の心に、大きな穴がポッカリと開いた。何かが俺の中から欠落してしまったのだ。俺は悲しみとともに、呆然と立ち尽くした。穴は依然として俺の中にある。何かが足りないのだ。何かが決定的に欠
全身がダルい。強い不安感で居たたまれない。つまらない。あまりにも退屈だ。ツラい。とても苦しい。寂しい。そして悲しい。時間が経つと、今より良くなるなら堪えてみよう。努力をすれば、今より良くなるなら我慢しよう。だが、事態が好転する見込みがないのだ。明るい未来
毎週末の土曜日のこと。俺が休日出勤をしない限り、かみさんと俺は、何時間も散歩をしていた。他愛のない会話をしながら、二人でのんびり遠くまで歩くのが好きだった。散歩の終わりには、どこかのレストランや居酒屋に入った。よく冷えたビールなんかを飲みながら、美味しい
かみさんが元気だった頃。かみさんの隣は空気が軽くて明るくて、暖かかった。俺はかみさんの賑やかな声に耳を傾けていた。その結果、俺の意識はいつでも外の世界に向けられていた。外の世界が俺を受け容れてくれた。とても気持ちが良くて、安心することができた。かみさんの
いったい俺はなんのために生きているんだろうか…かみさんが亡くなってから、ずっと俺が囚われている疑問だ。なんの喜びもないのだ。なんの楽しみもないのだ。なんの生きがいもないのだ。死なないから生きているだけ。痛みも苦しみもなく、眠るように逝けるなら、こんなに幸
以前「闘病記」に書いたことがある。かみさんは、自分の病が治ると信じていたにも関わらず、入院中に二回だけ泣いたことがあるのだ。いずれの時も、かみさんは同じことを言っていた。プーちゃんを遺して死にたくない…プーちゃんを遺して死ぬのはイヤだ…死ぬのが怖い…と言
俺の義父(かみさんの親父さん)は小学校の先生だった。焼酎と釣りが大好きで、とても包容力のある優しい人だった。俺の義母(かみさんのお袋さん)によれば、かみさんは父親似の性格だったらしい。義父は俺をとても気に入ってくれた。まるで本当の息子のように俺を受け容れ
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かみさんが亡くなってから。俺は希死念慮に囚われた。世界でいちばん大切なモノを失ってしまったからだ。人生を共に歩んでいく伴侶を喪ったからだ。暖かい家庭を失ったからだ。未来に絶望してしまったからだ。そうだ。俺は消えてしまいたいのだ。だが、自死する度胸なんてあ
毎朝5時半くらいに目が覚める。だが、すぐに目を開けられるわけではない。光を見るのが疎ましい。身体を動かすのが億劫だ。なぜだか頭痛もしている。全身を不快な「何か」が満たしている。しかし、いつまでも目を閉じているわけにはいかない。苦痛を堪えて目を開き、俺は身
6月13日と14日。土曜日と日曜日で、仕事は休みだった。いずれの日も朝6時に目が覚めた。これまでであれば、目覚めた直後から酒を飲んでいた。カラッポの胃に流し込むウィスキーは、効果てきめんだった。すぐに酔いが回り、数時間後には意識を失った。しばらく眠った後、不快
平成22年の6月17日。かみさんが癌研有明病院に入院していたときのこと。かみさんが俺に言った。めぐりあえて良かった・・・・・・かみさんは、俺と出会えて良かったと言ってくれた。かみさんは、俺と一緒に暮らしてこられて良かったと言ってくれた。かみさんは、俺とともに人生
この記事をスマホで書いている現在。6月14日の午前4時19分である。自宅のバルコニーから空を見上げている。どうやら晴れているらしいのだが、薄暗くて判然としない。まだ「日の出」の前のようだ。空が暗いからだろうか。それとも疲労が溜まってきたからだろうか。あるいは脳
インドで旅客機が墜落したとのニュースが流れていた。離陸してから、わずか30秒後の墜落だったらしい。乗客は242人だった。昨晩そのニュースを見たときは、乗客全員が亡くなったのだろうな…と思った。しかし、翌朝のニュースでは、イギリス人の男性1人が生存していたとのこ
毎朝5時半くらいに目が覚める。かみさんの生前とは違い、スッキリ目覚めることはない。頭の中に霞が掛かっているかのようだ。全身の血液がドロドロになっているみたいだ。心が奈落に堕ちてしまったかのようだ。かみさんが亡くなって以来。目覚めた瞬間の爽快感がなくなった
俺はかみさんを喪った。たった一人の家族を喪った。自分の家庭を失った。そして…最愛の人を亡くしてしまった。祖父母とも死別した。実父とも死別した。叔父や叔母の中にも若くして亡くなった人がいる。同年代の友人も、何人か死んでしまった。だが、かみさん以外の人々との
かみさんが俺の隣にいない。周囲を見渡しても、かみさんの姿は見えない。かみさんは、どこに行ってしまったんだろう…俺はとても動揺した。だが、かみさんはどこかにいるはずだ。かみさんが生きていることを感じる。かみさんの息づかいと気配を感じる。すると俺は気がついた
禁酒を始めてからも、毎朝5時半くらいに目が覚める。酒を断っているせいか、睡眠の質は悪くない。夜中に目覚めることもなくなった。だからといって、スッキリした目覚めというわけではない。心が重たいのだ。頭がボンヤリしているのだ。そのくせに、神経が鋭敏になっている
意識して思い出そうとしているわけではない。だが、ふとした瞬間に思い出す。こちらから記憶をたぐり寄せているわけではない。記憶のほうが、向こうからやってくるのだ。かみさんが癌だと診断されたときのこと。俺が医師から「かみさんの余命は年単位ではない」と言われたと
かみさんが癌だと診断された。医者から「余命は年単位ではない」と告げられた。俺の頭から血の気が引いた。まるで血液が凍りついたようで、同時に逆流したようだった。周囲の世界が足元から崩れてしまった。かみさんが、その場にいなかったことは不幸中の幸いだった。医者か
午前4時に目が覚めた。ずいぶんと早い時間だ。これも断酒の影響なのかもしれない。寝る前に飲んだ睡眠導入剤が残っているんだろうか。心と身体がとても重い。俺は重力に逆らって、重たい身体を寝床から起こした。這いつくばるようにして、かみさんの仏前に座った。ロウソク
自宅には、かみさんが遺したモノがたくさんある。洋服、靴、バッグ、本、料理のレシピ集、茶碗、箸、鍋やフライパンなどの調理道具…挙げていけばキリがない。かみさんが亡くなってから。俺はかみさんの遺品を大切に扱ってきた。壊れないように、痛まないように。かみさん自
かみさんが元気だった頃。俺たち夫婦は、自分たちの老後について語り合った。おじいちゃん、おばあちゃんになっても二人で一緒に散歩しよう。おじいちゃん、おばあちゃんになっても二人で一緒に旅行しよう。おじいちゃん、おばあちゃんになっても二人で一緒に買い物に行こう
アルコール依存症の専門病院のサイトを見ると、酒を止めた後に現れる「離脱症状(禁断症状)」について詳しく知ることができる。また、「断酒 離脱症状」でググっても、数多くの禁断症状の情報を得ることができる。禁酒を始めてから、俺はさまざまな離脱症状に苦しんでいる
現在6月2日の午前7時29分。いつものとおり、通勤途中にブログの記事を書いている。昨晩で5日間、禁酒が続いた。かみさんが亡くなって以来、酒に溺れてきた俺にとっては辛い5日間だった。とりわけ辛いのは土曜日と日曜日だ。倦怠感やイライラした感覚、経験したことのない酷い
俺と同年代の人々。俺より年上の人々。あるいは俺より年下の人々。たくさんの知り合いがいる。その中には義母や二人の義弟もいる。大学時代の友人や、会社で知り合った友だちもいる。こんなに大勢の人々がいるのに、俺だけが異質な立場に置かれている。いつでも話のできる家
かみさんが亡くなってから。いくつか後悔したことがある。そのうちの一つが、「かみさんに伝えておきたかったのに、伝えることができなかった言葉がある」ということだ。かみさんの闘病中。俺はかみさんと語り合い、二人の絆を確かめ合ってきた。だが、どうしても言えないこ
現在5月30日の午前7時35分。いつものとおり、通勤途中にブログの記事を書いている。まだ2日目だが、昨晩も禁酒に成功した。そのせいだろうか。吐き気や嘔吐は治まった。下痢もしなくなった。なんとか食事もできている。だが、さまざまな問題が生じているのも確かだ。最も辛
6月17日の月曜日。いつものとおり、睡眠導入剤を飲んでから寝床に就いた。就寝時間は午後11時頃だった。それから何時間が経っただろうか。また夜中に目が覚めた。いつもの中途覚醒とは違い、決して不快な気分ではなかった。その直前まで、俺は夢を見ていたのだ。かみさんの夢
いつも夜中に目が覚めてしまう。その後は朝まで、ほとんど眠ることができない。さすがに疲労が溜まってきた。ダルくてダルくて仕方がない。どうにかして朝まで熟睡したい。ここ最近、ずっとそう思ってきた。16日の日曜日。夜の10時には眠気が襲ってきた。だが、俺は寝床に就
かみさんは神々しい笑顔で逝った。痛がることもなく、苦しむこともなく、眠るように穏やかに息を引き取った。最初に入院していた癌研有明病院であれば、あんなに穏やかには逝けなかっただろう。かみさんの転院を受け入れてくれた帯津三敬病院には本当に感謝している。転院は
まだまだ、やりたいことがたくさんあっただろう。見たいものだって、たくさんあったはずだ。聞きたいものだって、たくさんあったはずだ。食べたいものも、たくさんあったはずだ。行きたいところも、たくさんあったはずだ。死ぬということは、これらをすべて断念せざるを得な
現在6月14日の午前7時37分。いつものとおり、通勤途中にブログの記事を書いている。ここ2日ばかり、睡眠障害が悪化している。以前から悪化していたが、それ以上に悪化してしまったのだ。毎晩、睡眠導入剤を飲んでから寝床に入っている。だが、1時間半ほどで目が覚めてしま
かみさんが元気だった頃。俺たち夫婦は、自分たちの「死期」について、何度か語り合ったことがある。かみさんは、いつも言っていた。死ぬときは二人一緒がいいよね…二人で一緒に死ねたらいいね…俺は笑顔で応じた。そうだね…仲良く暮らしてきた二人。これからも仲良く暮ら
6月27日は、かみさんが俺を遺して逝った日だ。現在6月12日の午前7時24分。いつものとおり、通勤途中にブログの記事を書いている。21日には、義母と2人の義弟が北海道から上京してくれる。22日の土曜日には、俺と一緒にかみさんの墓参りをしてくれることになっている。かみさ
ふとした瞬間、かみさんを想い出す。かみさんの満面の笑顔。かみさんの明るく元気な声。かみさんの仕草。かみさんと交わした何気ない会話。想い出した瞬間、俺はほんのりと幸せな気持ちになれる。かみさんと散歩をしたこと。かみさんと旅行を楽しんだこと。かみさんと食事を
先日のブログに書いたとおり、ここ最近、ずっと熟睡できていない。夜中の2時とか3時半とかに目が覚めて、その後は朝まで眠れない日々が続いている。そのせいだろう。いわゆる「睡眠負債」が貯まっているらしい。週末の日曜日のこと。いつものとおり、午前3時に目が覚めた
かみさんが元気だった頃。配偶者や子どもを亡くした遺族の話を聞いたことがある。遺族たちは、俺の身近な人々ではない。名前はおろか、顔さえ知らない人たちだった。テレビのニュースや新聞を見ると、誰かが死んで、誰かが最愛の人に遺されたという記事が頻繁に出ていた。そ
みんな何のために生きているんだろうか。どうして俺たちは生きているんだろうか。飯を食うためではないだろう。幼稚園や学校に行くためでもないだろう。偏差値の高い学校に進学したくて勉強するためではないだろう。働いてカネを稼ぎ、贅沢するためでもないだろう。大好きな
現在6月7日の午前7時34分。いつものとおり、通勤途中にブログの記事を書いている。またまた週末がやってきた。明日から2連休だ。多くの人々が、家族と過ごす予定を入れているだろう。散歩やサイクリングをする家族。ドライブに行く家族。買い物に行く家族。映画を観に行く家
ここ数週間、まったく熟睡できていない。睡眠の質が落ちているらしく、起床した後も疲労が取れていない。疲れた身体で、かみさんにお供えをして、線香をあげる。疲れた身体でシャワーを浴びる。疲れた身体でスーツに着替えて出勤する。毎日が苦痛でどうしようもない。それで
悲しいことや辛いことは、起こらないほうが絶対に良い。幸せに生きていきたい。穏やかに生きていきたい。誰もが願っているはずだ。生まれてからの約20年。俺には穏やかな日々は無かった。毎日が辛かった。毎日が苦しかった。なんで俺だけが、こんな目に合うのだろう…と歯
ほぼ毎晩、夜中の3時半くらいに目が覚める。その後は朝まで眠れないことも少なくない。俺を眠らせてくれないのは「不安」だ。心の底から噴き出してくる不安感だ。俺を不安にさせるもの。それは俺の中に巣食っている「完璧主義」なのではないか…と気が付いた。絶対に失敗し
現在6月3日の午前7時26分。いつものとおり、通勤途中にブログの記事を書いている。今朝はダルくて仕方がない。週末に酒を飲みすぎたせいだろう。アセトアルデヒドが身体の中に大量に残っているに違いない。ダルいのは、今日に限ったことではない。毎週の月曜日、俺はいつでも
俺は産まれた瞬間から「喪失」に取りつかれていた。俺が「親ガチャ」に外れてしまい、両親が毒親だったからだ。親元にいた頃は、毎日が喪失の連続だった。幼稚園や学校は、俺にとって何かを失う場所だった。大学に入り、親元を離れた。親とは縁を切り、学費も生活費も自分で
日本人男性の平均寿命は80歳を超えている。俺が平均寿命まで生きるとしたら、まだ30年も残されている。かみさんと一緒に暮らしていたなら、30年は長くない。かみさんが横にいてくれることが幸せで、いつだって心は穏やかで、毎日が楽しくて、笑顔が絶えず、あっという間の30
俺は長生きしないだろう。かみさんが亡くなってから、酒に溺れているからだ。内臓も血管もボロボロだ。こんな肉体で長生きするはずはない。かみさんが逝ってしまい、俺は“ひとりぼっち”になった。あまりにも悲しくて、あまりにも寂しかった。自分の半身を引き裂かれたかの
誰もが何かに酔っ払っている。何かに依存しなければ、人間は生きてはいけない。こんな言葉をどこかで聞いたことがある。どこで聞いたんだろうか。もはや覚えてはいない。でも、俺には、この言葉の意味が理解できる気がしている。何かに酔っ払う。何かに依存する。そうでなけ