母方の祖父、小学1年生の時のクラスメイト、そして実の父親。高校2年生の時の友だち、父方の祖父、そして義理の父(かみさんのオヤジさん)。その後、父方の祖母、母方の祖母…かみさんの生前、俺は身近な人との死別を何度か体験してきた。彼らや彼女らが亡くなったとき、
たった一人の家族、最愛の妻を癌で喪った。独り遺された男やもめが、暗闇の中でもがき続ける日々の日記。
母方の祖父、小学1年生の時のクラスメイト、そして実の父親。高校2年生の時の友だち、父方の祖父、そして義理の父(かみさんのオヤジさん)。その後、父方の祖母、母方の祖母…かみさんの生前、俺は身近な人との死別を何度か体験してきた。彼らや彼女らが亡くなったとき、
かみさんが亡くなってから数日後。かみさんのお通夜と告別式を終えた。最後まで俺の傍にいてくれた義理の家族たちも帰っていき、俺は”ひとりぼっち”になった。誰もいない自宅の中だ。俺はかみさんの位牌と骨壺の前に座り、思いっきり泣いた。ああいうのを慟哭というのだろ
松葉杖をついている人。高齢のおじいちゃんやおばあちゃん。小さな子どもを抱いた若い母親。妊娠中の女性。この人は守ってあげなきゃいけない。この人を助けてあげなきゃいけない。電車の中で見かけたら、席を譲ってあげるはずだ。そんなふうに思うのは、誰から見ても、相手
新年度が近づいている。人事異動の季節だ。部下の数名が転出し、数名の新しい部下を迎えることになる。そんなこと、入社してから何度も経験してきたことだ。そもそも俺自身だって何度も異動してきた。一緒に仕事をしてきた同僚が転出していくからって、別に寂しくはない…と
かみさんが死んでしまった。俺の最愛の人が死んでしまった。世界でいちばん大切な人が死んでしまった。俺の足元が崩れ去った。周囲の世界が俺から遠のいた。俺は精神を病んだ。俺は引きこもりになった。引きこもっていた期間は、決して短くはない。その間、周囲は俺に追いつ
仕事が終わって退社する。部下たちと別れ、ひとり家路に就く。すると、ちょっぴり淋しくなって、気分が重くなってしまう。1時間ほどで家に着く。かみさんがいない。家の中は真っ暗で、静まりかえっている。静寂に耐えられない。とても淋しい。底冷えするような淋しさだ。涙
かみさんが亡くなった。あれほど悲しい出来事はない。俺は自分の人生に絶望し、自暴自棄になってしまった。それ以来、俺は酒に溺れている。一度は死にかけたこともある。その後、しばらくは断酒をしていたが、自暴自棄になった者が、断酒を継続できるはずもない。俺は再び酒
かみさんがいなくなった。俺は自分のいちばん大切なモノを失ってしまった。俺は生きる気力を失った。その後の数年間、何にもやる気がしなかった。やりたいことが無くなってしまっただけではない。やるべきこともできなくなってしまったのだ。このままではダメになってしまう
伴侶もいるし、子どもだっている。家庭という最も大切なモノを持っている人は、みんなとってもパワフルだ。俗っぽい欲望をたくさん抱えている。それを隠そうともしない。その欲望を満たすためならば、周囲の人々を自分の踏み台にしてしまうことも厭わない。自分の欲望を満た
今さら気がついたのか?と言われてしまいそうだ。しかし、実際のところ、今さら気がついたのだ。過去から未来に流れる時間軸の中において、俺は過去ばかりを見つめていることに気がついた。一方、周囲の人々は「未来」について語っている。明日のこと。次の週末のこと。ゴー
かみさんは、俺と義母(かみさんのお袋さん)に看取られて逝った。義母は咽び泣いていた。俺は茫然としていた。だが…かみさんは綺麗な笑顔を浮かべていた。その亡骸は、うっすらと輝いているようだった。遺された俺は、深くて大きな喪失感で、心も身体も崩れてしまった。そ
たぶん俺は誤解されている。とりわけ会社の部下たちには、大きな誤解をされている。俺はそんなに明るい奴ではない。俺はそんなに良い奴でもない。だが、部下たちは俺が「普通の人」だと思っているらしいのだ。なぜ誤解されたのだろう。会社では明るく振る舞っているからだろ
世界中でいちばん大切な人が死んでしまった。あまりにも悲しい。気が狂ってしまいそうだ。しかし…時間が経つにつれ、遺族は亡くなった人を忘れていく。かつては、そんな人がいたよな…という記憶は残っても、悲しみは薄れていき、やがては消えてしまう。それは、ごく自然な
かみさんが亡くなってから、それなりに時間が経った。それなのに、いまだに熟睡できない日が少なくない。昨晩も熟睡できなかった。悪夢を見て、夜中に目が覚めた。時計は確認しなかったが、おそらく午前2時頃だっただろう。目覚めた俺は、強い疲労感を覚えた。疲れが全く取
とても怖い夢を見た。かみさんが殺されそうになる夢だ。夢の中の世界でも、かみさんは既に亡くなっていた。それなのに、再びかみさんに死が迫っている。ずいぶん前に亡くなったはずなのに、再びかみさんが死にかけている。今度こそかみさんを守ってあげなければならない。も
かつては俺にも家庭があった。明るくて、賑やかで、とっても楽しい家庭だった。心の底から安らぐことができて、とっても温かい家庭だった。そこにはいつだって、かみさんがいてくれた。元気が良くて、おしゃべりが大好きで、とっても愉快なかみさんだった。気分屋で、ちょっ
人は死んだら「無」になってしまうんだろうか。かみさんは「無」になってしまったんだろうか。俺が死んでも「無」になってしまい、かみさんと再会することはできないんだろうか。それとも「あの世」はあるんだろうか。かみさんの魂は、今でも生きているんだろうか。ひょっと
かみさんが元気だった頃。俺たち夫婦は、とても幸せだった。俺はそのことが、とても嬉しかった。かみさんが元気だった頃。俺たち夫婦の周囲の人々も、とても幸せだった。俺はそのことが、とても嬉しかった。人間は、自分が幸せであれば、周囲の人々の幸せを喜んであげること
俺は「帰りたいな…」と呟いてばかりいる。そのことは以前にもブログに書いたので、覚えていらっしゃる方もいるかもしれない。かみさんが亡くなってから。小さな声で、あるいは心の中で「帰りたいな…」と呟いてばかりいる。会社で仕事をしているときだけではない。平日に一
週に1日か2日しか熟睡できない。そのことは先日、ブログに書いたとおりだ。めったに熟睡できないが、できた日の快感は何とも表現しがたい。とりわけ目覚める直前の感覚は、俺をとても幸福にしてくれる。誰かに見守られているような気がするのだ。誰かに包まれているような
昨日のブログの中で、俺には安心して眠れる場所がない…と書いた。安心して眠れる場所がないにもかかわらず、俺はいつでも眠っていたい。いつでも眠たくて仕方がない。何も見たくないからだ。何も聞きたくないからだ。何も考えたくないからだ。何も感じたくないからだ。眠る
悩み事があったり、ストレスが溜まっていたり、重たい心の荷物を抱えていると、人間は自分の話を誰かに聴いて欲しくなる。自分の心の内側を、どこかに吐き出したくなる。だが、話を聴いてくれる相手が誰なのかによって、どこまでの範囲の話ができるのかは変わってくるものだ
かみさんと俺は、20年以上一緒に暮らした。20年も一緒にいると、些細な言葉でかみさんを傷つけてしまうこともあったし、逆に俺が傷つけられることもあった。だが、夫婦というものは不思議なもので、傷つけられてもすぐに忘れてしまい、次の瞬間には何事もなかったかのように
前向きと後ろ向き。明るいと暗い。ポジティブとネガティブ。その他にもいろいろとあるが、あまりにも単純な二元論だ。そんな陳腐な二元論を見ると、俺は笑ってしまう。いや、違う。笑ってしまうのではなく、「嘲笑ってしまう」のだ。物事を単純化しないと理解できない人は、
生きている限り、何かを得られるのではないか…と期待してみたり、何かが変わるのではないか…と希望を持ったりしてしまう。期待や希望と言っても、それらは明確な輪郭を持っているわけではない。ただ漠然と、何かが良い方向に進んでくれればいいのになぁ…と思っているだけ
現在2月22日の午前7時21分。いつものとおり、通勤途中にブログの記事を書いている。明日から3連休だ。毎度のことだが、連休前には気が滅入る。かみさんがいた頃ならば、あれほど大好きだった連休なのに、“ひとりぼっち”の俺には虚しいだけの時間だ。どうやって過ごしたら
かみさんが亡くなって1ヶ月が経った頃。俺は睡眠薬を飲み始めた。それまでの1ヶ月間。朝まで泣きじゃくり、まったく眠れなかったのだ。しかし、薬のおかげで眠れるようになった。だが、単に眠れるだけだ。悪夢を見ることが少なくないし、熟睡できないことも少なくない。朝
かみさんが亡くなってから数ヵ月。俺は毎晩、泣いていた。より正確に言えば「泣いていた」のではなく「哭いていた」。誰もいない家の中。真っ暗な部屋の中で慟哭していた。朝まで眠れないほどに哭いていた。それからしばらく経つと、心にポッカリ穴が開いたような身体感覚に
現在2月19日の夜7時35分。いつもとは違い、帰宅途中にブログの記事を書いている。最低の1日だった。朝から鬱と倦怠感がひどかったからだ。それだけではない。追い討ちをかけるようにして、「別の問題」が起こったからだ。この問題が何なのか、詳しく語ろうとは思わない。た
かみさんが元気だった頃。俺の一週間は、月曜日の朝にスタートして、金曜日の夜にゴールを迎えた。スタートからゴールまでの間はキツい。肉体的な疲労感もさることながら、精神的なストレスが半端じゃない。障害物もたくさんあるし、アップダウンがとても激しい。苛烈な競争
かみさんが亡くなった直後のことだ。俺はたくさんの人たちから言われた。元気を出せよ!だとか、元気を出しなさい!だとか、元気を出してください!だとか。思い返してみれば、ずいぶんとムチャクチャなことを言われてきたなぁ…と感じる。最初に言われたのは、かみさんの告
早朝4時すぎに目が覚めた。俺はとてもリラックスしていた。こんなに心地好い気分は久しぶりだ。だが、時間が経つにつれ、意識がハッキリしていった。それと並行して不安感が強くなっていった。全身が小刻みに震え始めた。目覚まし時計が鳴るまで耐えられない。俺は布団から
生きているのが面倒くさい。何をするのも面倒くさい。早朝に目覚ましが鳴り、身体を起こすのが面倒くさい。布団から立ち上がるのも面倒くさい。顔を洗うのが面倒くさい。歯を磨くのも面倒くさい。トイレに行くのが面倒くさい。シャワーを浴びるのも面倒くさい。朝の情報番組
以前、第一生命の経済研究所が発表した論文を読んだ。50歳以上79歳以下の男女600名に対し、「死」に関する意識調査を行った。その結果について考察した論文だ。この論文の中で、とりわけ目に付いたのが次の点だった。配偶者や子どもと死別した体験のある人は、「自分の死」を
きっかけがあるのは間違いない。だが、その「きっかけ」を言葉で表現することができない。たぶん言語化できたなら、俺はちょっぴりだけ自由になれるような気がしている。言葉にできないからこそ、俺は蝕まれるんだ。希死念慮が噴き出してくるんだ。どうしようもないんだ。死
いつも一緒だった。かみさんと俺はいつだって一緒だった。二人が離ればなれになるのは、俺が会社に行っている間だけ。それ以外、かみさんと俺はいつでも一緒にいた。散歩をするときも、買い物に行くときも、食事をするときも、テレビを見るときも、かみさんはいつも俺の隣に
俺の理性は知っている。もう二度とキミに逢えないこと。もう二度とキミと語り合えないこと。もう二度とキミと一緒に笑えないこと。もう二度とキミと触れ合えないこと。俺の理性は、その残酷で悲しい現実を知っている。・・・だが、理性とは別のところで、俺はキミが帰ってく
生きていれば、いずれ良いこともあるよ…かみさんが亡くなって以来、時々そんなことを言われる。こんなことを言うのは、俺の親族や友人たち。死がどこか遠くにあると思っている人々だ。生きていれば、いずれ良いこともある…この言葉の中に、「明日は素晴らしい」、「未来は
俺はいまだにかみさんを納骨していない。骨壺は、仏壇の傍らに据え置かれている。俺は一日に数回、かみさんの骨壺に手を合わせ、線香をあげている。それにも関わらず、俺はかみさんの墓参りにも行く。もちろん墓の中はカラッポだ。それなのに、なぜ墓参りに行くのか…と聞か
かみさんが元気だった頃。家の中は賑やかで、暖かかった。かみさんが元気だった頃。俺を包む空気は軽やかで、柔らかかった。かみさんが亡くなった。俺はたった一人の家族を喪って、“ひとりぼっち”になった。家の中は静まり返り、凍てついた。周囲の空気が俺に重く圧し掛か
昨日、「廃人のように」というタイトルでブログを書いた。そこで俺は、「仕事を休めない」と書いた。だが、とうとう俺は耐えられず、2日間、有給休暇を取ってしまった。2月3日(土)と4日(日)。鬱が酷くて身動きできなかった。食料の買い出しにも行けず、胃に流し込ん
平日の朝だ。当然、会社に行かなければならない。それにも関わらず、鬱がひどくて身動きできないことがある。数年前ならこんな日は、何の躊躇もなく会社を休んでしまっただろう。優秀な部下たちに任せておけば、仕事に支障を与えることはなかったからだ。だが、4月に配属さ
かみさんが亡くなってから数年が経とうとする時期だった。その頃の俺は、ようやく慟哭することが減ってきた。代わりに来たのは「鬱」だった。いつでも気分は落ちていた。ため息ばっかりついていた。楽しいことや嬉しいことなんて何にもなかった。いつだって哀しくて、いつだ
かみさんが死んじゃった。俺にとって、世界で一番大切な人が死んじゃった。俺のたった一人の家族が死んじゃった。俺は独りぼっちになってしまった。かみさんが死んじゃった。怖かっただろうに…痛かっただろうに…それでも生きようとしていたのに…俺のために、必死で生きよ
一日中、眠っていたい。24時間ずっと、眠り続けたい。他にしたいこと、やりたいことなんて一つもない。眠ること以外に欲求も欲望もない。死ぬまでずっと、眠り続けていたい。俺のたった一つの欲望。それは永遠に眠り続けることだ。眠っている間は癒しの時間だ。かみさんが亡
あの世や死後の世界の存否に対する俺の基本的なスタンスは、「あるかもしれないし、ないかもしれない。それは生きている限り知りえないだろう。でも、あって欲しいなぁ… また、かみさんに会いたいなぁ…」というものだ。ちなみに、かみさんの生前は、「あの世」があるかどう
他人(ひと)は「忘れろ」と言う。忘れるって何なんだろう?忘れるってどういう意味なんだろう?かみさんを忘れろという意味か?それとも、かみさんを喪った哀しみを忘れろという意味か?どちらの意味なのかは不明だが、いずれにしても、忘れるなんて俺には無理だ。第三者か
先日、「遺族に向けられる下品な好奇心」という記事を書いた。そこにはSさんという人物(俺と同じ課長級で、俺より7歳年上の女性)が出てきた。昨日、社内の大会議室で、Sさんに会った。会議が終わるとSさんが俺に近づいてきた。俺はSさんなんかと雑談したくない。だが
夜中の3時すぎに目が覚めた。決して不快な気分ではなかった。あと2時間半くらいは眠れるなぁ…と思うと、むしろ心地好かった。温かい布団の中から顔を出し、俺はかみさんの写真を見た。壁に飾ってある写真だ。会社に行きたくないな…と思った。今日1日、かみさんと一緒に
家族のいない俺、“ひとりぼっち”の俺にとって、週末(土曜日や日曜日)はとても空虚で退屈だ。やるべきことは、ほとんどない。やりたいことは、まったくない。時間をもて余してしまうのだ。腹は減るが、何を食べたらいいのか分からない。仕方がないので何も食べずに過ごす
いつでも「それ」は、突然やってくる。何の前触れも予兆もないため、心の準備をすることもできやしない。朝目覚めた瞬間、「それ」が自分の中にあることに気づく。もちろん毎日ではない。週に2~3回程度だろう。自分の中に「それ」があると、目を開いて光を見ることがとて
かみさんが亡くなってしまった。たった一人の俺の家族が死んでしまった。俺は家庭を失った。俺はひとりぼっちになってしまった。あれ以来。楽しいことなんて何にもない。面白いことも何にもない。希望もなければ期待もない。どうせ未来は真っ黒だ。だが…俺が死にたい理由は
Sさんという女性がいる。俺と同じく課長だが、年齢は俺より7歳ほど年上だ。Sさんは、彼女の部下たちからの評判が悪い。また、俺の部下たちもSさんを小馬鹿にしている。さらに俺も、Sさんのことが好きではない。嫌いというより鬱陶しいのだ。管理職である以上、部下の前
かみさんが亡くなってから。それなりに時間が経った。時間が経つにつれ、さまざまなものが壊れていった。エアコンが壊れ、新しいものに買い換えた。カーテンが汚れてしまい、新しいものを取り付けた。自宅のパソコンも壊れてしまい、大切にしていたデータの一部が消えてしま
昨晩のこと。原因不明の強烈な不安感に襲われた。かみさんが亡くなって以来(正確に言えば、かみさんが癌だと診断されて以来)、ずっと付き合ってきた不安感だ。腹の底から沸き上がる不安感。俺には耐えられなかった。そこから自由になるためには、俺の意識を消滅させてしま
かみさんは、俺の妻であるだけではなかった。俺の母であり、俺の娘だった。俺の姉であり、俺の妹であり、俺のいちばんの親友だった。かみさんが亡くなった。夫婦二人で手を取り合って、全力で闘ったにもかかわらず、俺たち夫婦は癌という病に負けてしまった。俺はすべてを失
やる気が出ない。身体を動かす気力もない。時折そんな朝がある。かみさんの仏前に座る。線香をあげる。気力がなくて、仏壇の前から立ち上がれない。気力がないなら会社を休んでしまえばいい。だが、やることが沢山あって、休みたいときに休めない。分かってはいるのだが、そ
毎日が憂鬱でしかたがない。かみさんが元気だった頃、あれほどテンションの高かった俺(かみさんは俺よりもテンションが高かったけど)が、今では慢性的な抑鬱状態だ。生きていることが面倒くさくて、早く老人になりたいと願いつつ、日々を送っている。そんな俺にも安息が訪
かみさんの49日法要の日のことだった。読経の後、お坊さんがかみさんの闘病中の写真を見てくれた。明るい笑顔のかみさん、俺に向かってVサインをするかみさん。そんな写真ばかりだった。お坊さんは聞いた。入院中の写真ですか?俺は答えた。ええ。癌だと分かっていたのに、明
不安なことでいっぱいだ。心配事でいっぱいだ。緊張することでいっぱいだ。日々の暮らし。仕事のこと。そして、かみさんのいない“ひとりぼっち”の余生。たくさんの不安が、俺を生きづらくさせている。一日が終わり、眠りに就くまでの間、いつだって俺は、この世界を警戒し
幼少の頃、俺は両親から虐待されてきた。父親からは肉体的な暴力を、母親からは精神的な暴力を受けてきた。俺は大学入学とともに家出した。学費も生活費も何もかも、自分で稼いでいくハメになった。だが、親との絶縁は俺を救ってくれた。しかし、虐待の記憶は俺の中にトラウ
昨晩はあまり眠れなかった。睡眠導入剤が効かなかったようだ。ダルくてダルくて仕方がない。気力も無ければ食欲も無い。やらなきゃならないことが沢山あって、プレッシャーを感じているのだろう。眠れなかった日の翌朝は、気分が重くて沈みこんでいる。抗鬱剤を飲んではみた
かみさんが亡くなってから数年が経って、幸せだったはずの「過去」が遠のいていく。たった一つの宝物が失われていくようで、それはとても淋しいことだ。もはや「過去」を取り戻すことができないのなら、「未来」を見据えて生きればいい。だが、かみさんのいない「未来」を想
全身が痛む。身体がダルい。気分は沈みこんでいる。歩くのが辛い。立ち上がるのも億劫だ。座っていることさえ苦痛だ。俺の心身が「眠ること」を欲している。その欲求に従って、酒でも飲んで眠ってしまいたい。自分の意識を消滅させてしまえば楽になれるだろう。意識が無くな
本来、鬱(うつ)というものは、慢性的で、いつでも気分が塞ぎ込んでいる状態を指すんじゃないかと思う。眠っている間以外、いつでも気分が落ちている。それが典型的な鬱なんだろう。かみさんが亡くなって1か月後。俺は心療内科で「抑鬱状態(死別反応)」と診断されて、抗
安全な場所から「地獄」を覗き込んでいる奴らがいる。世界の「中心」に居座って、にやついた顔で「周縁」を眺めている奴らがいる。奴らの目は、好奇心でいっぱいだ。伴侶と死別するって、どんな感じなんだろう?絶望するって、どんな気持ちなんだろう?奴らの目は、優越感で
現在1月12日の午前7時23分。いつものとおり、通勤途中にブログの記事を書いている。今日は金曜日だ。週末の連休を前にして、世間の空気が軽い。週末を家族サービスのために使う人も多いのだろう。かみさんが元気だった頃。俺にとっても、そうだった。休日出勤も少なくなかっ
仕事が終わって退社する。俺はかみさんに「帰るコール」をする。今から帰るね!と言えば、かみさんは気をつけて帰っておいで!と言ってくれる。あるいは、今日の夕飯は○○だよ!と応えてくれる。仕事で疲れきった俺に、かみさんがエネルギーを注いでくれるのだ。自宅の最寄
毎朝5時半には目が覚める。熟睡できた感じはしない。寝床を出るのが辛い。もっと寝ていたいと思う。寝ている間に夢を見る。ろくでもない夢ばかりだが、しばらく経つと、夢の内容を忘れてしまう。起床してから約1時間半後に出勤だ。それまでの間、かみさんにお供えをして、
北海道には、かみさんの家族(俺の義母、義弟のAくん、義弟のBくん)が住んでいる。義母とBくんは、マンションで二人暮らしをしている。そこから歩いて5分ほどの場所に、Aくんが別のマンションで一人暮らしをしている。昨年の12月28日。仕事納めのあと、俺は飛行機で北
かみさんが元気だったころ。俺は怒りや哀しみのような「負の感情」をコントロールすることができたはずだ。かみさんと一緒なら、そもそも哀しいことなんて無かったし、怒りは適当に処理することができたのだ。だが、かみさんを亡くした瞬間、俺は変わってしまった。悲しいの
誰かが占めていた場所がある。その場所は、誰かの死とともに大きな欠落になってしまう。俺に言わせれば、欠落は欠落のままでいいんじゃないか…と思う。だが…その欠落は、時間の経過とともに埋められていく。誰かが意図して埋めたわけではない。ましてや悪意があって埋めて
かみさんが亡くなってから、「再婚すればいいんじゃない?」と言われたことが数回ある。どういうわけか、男性から言われたことは一度しかない。俺に対して「再婚すれば?」と言ったのは、女性ばかりだ。男性に比べ、女性の方が薄情だとか、俺の気持ちが分かってないなどと言
死別してから最初の数年間は、心にポッカリ穴が開いたような、半身を削ぎ落とされてしまったような感覚に囚われ続けていた。いわゆる「喪失感」というヤツだ。それから数年が経つと、喪失感は次第に影を潜めていく。そして代わりに「寂しさ」でいっぱいになってくる。念のた
神なんていないとは思うけど…もしも神がいるのなら、それはとても残忍で、冷酷なんだろう。それはとても嗜虐的で、猟奇的なんだろう。人が苦しみ、人が喘ぎ、人が哭いている。それを嗤いながら見物しているのが神だ。神と名乗る奴は、いつだって悪魔なんだ。・・・かみさん
神なんていないとは思うけど…もしも神がいるのなら、それはとても残忍で、冷酷なんだろう。それはとても嗜虐的で、猟奇的なんだろう。人が苦しみ、人が喘ぎ、人が哭いている。それを嗤いながら見物しているのが神だ。神と名乗る奴は、いつだって悪魔なんだ。・・・神は何も
楽しい時間が過ぎるのは速い…誰から教わったのかは忘れたが、幼少期には既に知っていた言葉だ。かみさんが元気だったころ。1日はあっという間に過ぎ去った。1週間が始まれば、早く週末が来ないかなぁ…と思ったが、すぐに金曜日の夜はやってきた。毎年の夏に海外旅行をす
俺は希死念慮を抱えている。心の底から「死にたい…」と思っている。こんなことを書くと、「死ぬ死ぬ詐欺」という訳の分からない言葉をわざわざ造ってくれる輩がいる。そこまでして他人を嘲笑うことに快感を覚えたい輩を見ていると、ご苦労なことだな…と感じて苦笑する。そ
2010年。かみさんが亡くなった年だ。この年の正月。例年通り、かみさんと俺は、北海道にあるかみさんの実家に遊びに来た。かみさんは元気だった。本当に元気で、楽しそうだった。癌になっているなんて、これっぽっちも感じることはできなかった。かみさんに誘われるまま、俺
かみさんがいない世界を生きてきた。かみさんが亡くなった後も時間が過ぎてきた。当初の激しい「感情」は、次第に薄れていった(ような気がしている)。だが、代わりに別の「感情(というより気分)」が生まれてきた。それは静かだけど重たくて、ドロリとした粘度を持ってい
かみさんがいなくなって、何度目かの冬が来た。かみさんが元気だったころ。俺たち夫婦は、冬が大好きだったはずだ。しかし…かみさんが亡くなってからは冬が痛い。この季節になると、気が滅入ってしまうのだ。いつもの「訳の分からない不安感」に加え、何故だかとっても物悲
かみさんが元気だった頃のこと。俺は本を読むのが好きだった。主に読んでいたのは日本の歴史、西洋哲学、物理学や天文学、1930年代に書かれた推理小説、経済学や経済事情、かみさんが買ってきた漫画や小説などだった。それらに加え、平成19年に管理職になることが決まってか
現在12月27日の午前7時25分。いつものとおり、通勤途中にブログの記事を書いている。明日28日は「御用納め」だ。定時には退社して、俺は羽田空港に向かう。かみさんの生前と同様、かみさんの実家で年末年始を過ごすのだ。かみさんが元気だった頃。俺たち夫婦は、毎年、かみさ
かつては俺にも家族がいた。かつては俺にも家庭があった。かみさんと俺は、とても幸せだった。この幸せな日々は、いつまでも続くんだ…と信じていた。だが、かみさんは突然、「進行の速い癌」だと診断された。それでも俺たち夫婦は、かみさんの癌を克服し、かつての平穏な日
現在12月25日の午前7時21分。いつものとおり、通勤途中でブログの記事を書いている。今日はクリスマス当日だ。仕事が山を越えたため、俺の部下の半分近くが有給休暇を取っている。みんな家族と一緒に団欒を楽しむのだろう。俺も休暇を取りたかった。23日の土曜日には休日出勤
仕事でクソみたいに忙しい。毎日のように、俺のあずかり知らぬところで大きな問題が発生する。そのたびに、俺は課長として陣頭指揮を執らなければならない。優秀な部下たちが頑張ってもくれるので、なんとか事態を収拾することができる。大きな課題を解決したあとは、それな
12月1日のかみさんの誕生日が過ぎたあと、街は急に賑やかになった。とりわけ夜の街は華やかだ。クリスマスが近いからだろう。自宅のマンションもそうだが、あちこちでクリスマスツリーやイルミネーションを見かける。飲食店も忙しそうだ。道は買い物をしている人々で混んでい
かみさんがいなくなってから。いつだって俺は不安だ。何か悪いことが起きそうな気がしているのだ。何か悲しいことや辛いことが起きそうな気がしているのだ。かみさんが亡くなることより悪いことなんて無い。かみさんが亡くなることより悲しいこと、辛いことなんて無い。その
早朝5時半には床を出る。窓の外はまだ真っ暗だ。空気も凍りついている。あまりにも静かだ。すべてが静止している。俺の周囲に人はいない。人の気配さえ感じない。薄暗い部屋の中。かみさんの遺影だけが微笑んでいる。俺は“ひとりぼっち”だ。起床する直前までは眠っていた
昨晩、俺は夢を見た。かみさんの夢だった。とは言うものの、かみさんに会えたわけではない。かみさんに触れることができたわけでもない。かみさんの声が聞こえたわけでもない。夢の中。俺は長い坂道を下っていた。空を見上げながら、俺はかみさんの名前を呟いていた。呟いて
何故かみさんは癌になってしまったんだろう。何故かみさんは俺を遺して逝ってしまったんだろう。かみさんが元気だった頃。俺たち夫婦は「かみさんが先に逝く」という未来を予想したことはなかった。かみさんと俺とは同年代だ。女性の平均寿命は男性よりも長い。かみさんのほ
夜中に何度も目が覚めて、午前5時半には床を出る。かみさんにお供えをし、線香をあげる。シャワーを浴びたらスーツに着替えて出勤だ。仕事が馬鹿みたいに忙しい。息をつく暇もありはしない。仕事が終わって岐路につく。自宅近くのコンビニで弁当とウィスキーを買う。家に帰
まだ薄暗いけど、空は晴れているようだ。空気もきれいで澄んでいる。普通の人たちから見れば、ちょっぴり寒いけど爽やかな朝なのだろう。だが、俺は普通の人ではない。41歳の時に最愛の人に先立たれてしまった奴だ。だから俺は、爽やかな朝なんて知らない。かつては知ってい
楽しいときには、楽しいと感じていいだろう。嬉しいときには、嬉しいと感じていいはずだ。また、辛いときは、辛いと言いたくなるし、苦しいときには、苦しいと思っていいだろう。そして…悲しいときは、どうしようもないほど悲しいのだ。いちばん大切な人が死んでしまったら
かみさんが亡くなってから、しばらく経った頃のことだった。俺は早く死にたいと思うようになった。かみさんの後を追いたいと思うようになった。俺が死んだら、かみさんに会える(かもしれない)と思ったからだ。もしも会えないとしても、心と身体を引き裂くような悲しみから
みんな、かみさんが亡くなったことを知っている。俺が“ひとりぼっち”になったことを知っている。かみさんが若くして癌になり、生きたかったのに生きられなかったことを知っている。俺が最愛の人を亡くし、心の病になったことを知っている。だが、それらの知識は記憶の片隅
胸がドキドキしている。心臓の鼓動がとても早い。今から3年前のこと。俺は「洞性頻脈」と診断された。不整脈の一種らしい。医者からは「これでは心臓が疲れちゃうよ…」と言われた。原因はハッキリしない。ひょっとしたら、かみさんが亡くなって以来、酒に溺れてきたせいか
昨晩は早く帰宅することができた。疲れきっていた俺は、早めに睡眠薬を飲んで、夜の9時半には寝床に就いた。だが、眠れなかった。睡眠薬を飲んだのに眠れなかったのだ。身体の力が抜けなかった。心の中がザワザワしていた。時計を見ると、既に午前0時を過ぎていた。俺は焦
真夜中に目が覚める。その瞬間、強烈な不安感に襲われる。不安感は腹の奥底で生まれ、そこから噴き出して、血管を通じて全身に行き渡る。身体中の筋肉が震え出す。呼吸が荒くなる。何故こんなに不安なのだろうか。多分いまだに俺は、孤独に慣れていないのだ。俺は不安感に堪
付き合い始めた直後から、かみさんと俺は、暇さえあれば散歩ばっかりしていた(ような気がする)。実際には散歩ばかりしていたわけではない。旅行をしたり、映画を見に行ったり、買い物に行ったり、外食をしたり、ただテレビを見ているだけだったりもしていたはずだ。それな
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母方の祖父、小学1年生の時のクラスメイト、そして実の父親。高校2年生の時の友だち、父方の祖父、そして義理の父(かみさんのオヤジさん)。その後、父方の祖母、母方の祖母…かみさんの生前、俺は身近な人との死別を何度か体験してきた。彼らや彼女らが亡くなったとき、
かみさんが亡くなってから数日後。かみさんのお通夜と告別式を終えた。最後まで俺の傍にいてくれた義理の家族たちも帰っていき、俺は”ひとりぼっち”になった。誰もいない自宅の中だ。俺はかみさんの位牌と骨壺の前に座り、思いっきり泣いた。ああいうのを慟哭というのだろ
松葉杖をついている人。高齢のおじいちゃんやおばあちゃん。小さな子どもを抱いた若い母親。妊娠中の女性。この人は守ってあげなきゃいけない。この人を助けてあげなきゃいけない。電車の中で見かけたら、席を譲ってあげるはずだ。そんなふうに思うのは、誰から見ても、相手
新年度が近づいている。人事異動の季節だ。部下の数名が転出し、数名の新しい部下を迎えることになる。そんなこと、入社してから何度も経験してきたことだ。そもそも俺自身だって何度も異動してきた。一緒に仕事をしてきた同僚が転出していくからって、別に寂しくはない…と
かみさんが死んでしまった。俺の最愛の人が死んでしまった。世界でいちばん大切な人が死んでしまった。俺の足元が崩れ去った。周囲の世界が俺から遠のいた。俺は精神を病んだ。俺は引きこもりになった。引きこもっていた期間は、決して短くはない。その間、周囲は俺に追いつ
仕事が終わって退社する。部下たちと別れ、ひとり家路に就く。すると、ちょっぴり淋しくなって、気分が重くなってしまう。1時間ほどで家に着く。かみさんがいない。家の中は真っ暗で、静まりかえっている。静寂に耐えられない。とても淋しい。底冷えするような淋しさだ。涙
かみさんが亡くなった。あれほど悲しい出来事はない。俺は自分の人生に絶望し、自暴自棄になってしまった。それ以来、俺は酒に溺れている。一度は死にかけたこともある。その後、しばらくは断酒をしていたが、自暴自棄になった者が、断酒を継続できるはずもない。俺は再び酒
かみさんがいなくなった。俺は自分のいちばん大切なモノを失ってしまった。俺は生きる気力を失った。その後の数年間、何にもやる気がしなかった。やりたいことが無くなってしまっただけではない。やるべきこともできなくなってしまったのだ。このままではダメになってしまう
伴侶もいるし、子どもだっている。家庭という最も大切なモノを持っている人は、みんなとってもパワフルだ。俗っぽい欲望をたくさん抱えている。それを隠そうともしない。その欲望を満たすためならば、周囲の人々を自分の踏み台にしてしまうことも厭わない。自分の欲望を満た
今さら気がついたのか?と言われてしまいそうだ。しかし、実際のところ、今さら気がついたのだ。過去から未来に流れる時間軸の中において、俺は過去ばかりを見つめていることに気がついた。一方、周囲の人々は「未来」について語っている。明日のこと。次の週末のこと。ゴー
かみさんは、俺と義母(かみさんのお袋さん)に看取られて逝った。義母は咽び泣いていた。俺は茫然としていた。だが…かみさんは綺麗な笑顔を浮かべていた。その亡骸は、うっすらと輝いているようだった。遺された俺は、深くて大きな喪失感で、心も身体も崩れてしまった。そ
たぶん俺は誤解されている。とりわけ会社の部下たちには、大きな誤解をされている。俺はそんなに明るい奴ではない。俺はそんなに良い奴でもない。だが、部下たちは俺が「普通の人」だと思っているらしいのだ。なぜ誤解されたのだろう。会社では明るく振る舞っているからだろ
世界中でいちばん大切な人が死んでしまった。あまりにも悲しい。気が狂ってしまいそうだ。しかし…時間が経つにつれ、遺族は亡くなった人を忘れていく。かつては、そんな人がいたよな…という記憶は残っても、悲しみは薄れていき、やがては消えてしまう。それは、ごく自然な
かみさんが亡くなってから、それなりに時間が経った。それなのに、いまだに熟睡できない日が少なくない。昨晩も熟睡できなかった。悪夢を見て、夜中に目が覚めた。時計は確認しなかったが、おそらく午前2時頃だっただろう。目覚めた俺は、強い疲労感を覚えた。疲れが全く取
とても怖い夢を見た。かみさんが殺されそうになる夢だ。夢の中の世界でも、かみさんは既に亡くなっていた。それなのに、再びかみさんに死が迫っている。ずいぶん前に亡くなったはずなのに、再びかみさんが死にかけている。今度こそかみさんを守ってあげなければならない。も
かつては俺にも家庭があった。明るくて、賑やかで、とっても楽しい家庭だった。心の底から安らぐことができて、とっても温かい家庭だった。そこにはいつだって、かみさんがいてくれた。元気が良くて、おしゃべりが大好きで、とっても愉快なかみさんだった。気分屋で、ちょっ
人は死んだら「無」になってしまうんだろうか。かみさんは「無」になってしまったんだろうか。俺が死んでも「無」になってしまい、かみさんと再会することはできないんだろうか。それとも「あの世」はあるんだろうか。かみさんの魂は、今でも生きているんだろうか。ひょっと
かみさんが元気だった頃。俺たち夫婦は、とても幸せだった。俺はそのことが、とても嬉しかった。かみさんが元気だった頃。俺たち夫婦の周囲の人々も、とても幸せだった。俺はそのことが、とても嬉しかった。人間は、自分が幸せであれば、周囲の人々の幸せを喜んであげること
俺は「帰りたいな…」と呟いてばかりいる。そのことは以前にもブログに書いたので、覚えていらっしゃる方もいるかもしれない。かみさんが亡くなってから。小さな声で、あるいは心の中で「帰りたいな…」と呟いてばかりいる。会社で仕事をしているときだけではない。平日に一
週に1日か2日しか熟睡できない。そのことは先日、ブログに書いたとおりだ。めったに熟睡できないが、できた日の快感は何とも表現しがたい。とりわけ目覚める直前の感覚は、俺をとても幸福にしてくれる。誰かに見守られているような気がするのだ。誰かに包まれているような
辛いなぁ…と呟きたくなることがある。もしも呟けば、なんで辛いの?と聞いてくれる人も多いだろう。だが、そこで何と応えればいいんだろうか。俺は迷ってしまう。花粉症で目が痒くて辛いんだよ…だとか、膝が痛くて辛いんだよ…と応えれば、大変だよねぇ…という答えが返っ
ものすごく辛いとき。死んでしまえば楽になる。かみさんがいた頃ならば、こんなことは思わなかった。俺たち夫婦は生きたかったからだ。生きることが大好きだったからだ。しかし…今は違う。辛いのならば逃げてしまえばいい。死んでしまえば楽になる。そう考えている。生きて
ここ数週間、いつにも増して気分が重い。特定できるような理由があるわけではない。ひょっとしたら、季節の変わり目のせいかもしれないし、人事異動の時期のせいかもしれないが、理由は自分でも判然としない。なぜだか心が萎えている。他人と関わりたくない。会社に行きたく
かつて未来には希望があった。かつて将来には夢があった。たくさんの障害はあるだろう。だが、それらをすべて乗り越えて、俺は理想に到達するはずだった。その時、かみさんは俺の横にいるだろう。かみさんは俺の横で笑っているだろう。夫婦ともに老けてしまったが、それでも
かみさんがいなくなってから。良いことなんて、めったに起こらなくなった。それは仕方のないことかもしれない。俺にとっての良いことは、いつでもかみさんと共にあったのだ。些細なことであろうとも、かみさんと一緒にいるだけで、それはとても良いことに感じられた。良いこ
最愛の人を亡くした方々ならば、「死別の二次被害」に遭ったことがあるだろう。伴侶やお子さんを喪えば、周囲の人々は、遺族の心を抉るような言葉を掛けてくる。もっと辛い人は他にいくらでもいる…だとか、死別なんて大した問題じゃない…だとか。俺もイヤというほど心無い
かみさんが亡くなって3年ほどが経ったころ。ある女性から、このブログに奇妙なコメントが書き込まれた。自分がいちばん不幸だと思うのは止めてください。伴侶を亡くした人なんて、いくらでもいます。アナタもそのうちの一人に過ぎません。こんなコメントを書く人だ。きっと
かみさんがいなくなってから、ずいぶんと時間が経った。とても長い時間が経ったはずなのに、いまだに俺は、かみさんのいない日々に慣れることができない。食事の支度に困ってしまうというわけではない。掃除や洗濯が面倒だというわけでもない。主婦としての役割を果たしてく
かみさんが元気だった頃。俺は仕事が大好きだった。成果を出せば評価された。評価されれば昇給も速く、昇進するのも速かった。まるでゲームを楽しむかのように、仕事を楽しんでいた。残業が多く、帰宅が午前様になることも多かった。いつでも身体はキツかったけど、それでも
かみさんが闘病中のこと。俺はかみさんの完治を願い、自分にできることは全てやり、そしていつかは夫婦二人の穏やかな日常を取り戻そうとしてきた。だが…俺たち二人の祈りは虚しく、かみさんは息を引き取った。その瞬間、俺の人生が終わった。全身の血液が凍りつき、俺は奈
かみさんが息を引き取った。俺の最愛の家族が亡くなった。それから数年間に渡り、俺は強烈な悲しみに振り回されていた。まるで巨大な台風や地震に襲われて、成すすべもなく翻弄されているかのようだった。身体の半分を奪われるみたいだった。心臓を引き裂かれるみたいだった
俺の周囲にたくさんの人がいる。名前も素性も分からない人ばっかりだ。この人たちは、いったい何のために生きているのだろう。おそらく目的もなければ意味もない。そうだ。死なないから生きているだけなのだ。死なないから「仕方なく」生きているという意味ではない。彼らは
街を歩いているとき。たくさんの人々とすれ違い、たくさんの人々を追い抜いていく。そんなとき、俺は切なくなって、哀しくなってしまう。自分が“ひとりぼっち”であることを痛感し、胸が抉られるような気がするからだ。行き交う人々の背後には、家族の影が見える。誰にでも
伴侶やお子さんを亡くした人にとって、死は身近でリアルで具体的だ。普通の人々であっても、いずれは自分も死ぬことを知っている。だが、それは遠い未来の話。彼らや彼女らにとっての死は、抽象的な「概念としての死」にすぎない。自分の死をリアルに想像することなどあるま
ふとした瞬間、俺は深いタメ息をつきながら、「還りたいな…」と呟く。呟いた直後に我に帰り、「俺はいったい、どこに還りたいんだろうか…」と不思議な気持ちになる。かみさんがいた頃に還りたい。これは偽らざる本心だ。だが、そんなことは不可能であることを、俺の理性は
かみさんが元気だった頃。かみさんの隣は空気が軽くて明るくて、暖かかった。俺はかみさんの賑やかな声に耳を傾けていた。その結果、俺の意識はいつでも外の世界に向けられていた。外の世界が俺を受け容れてくれた。とても気持ちが良くて、安心することができた。かみさんの
俺の実父は、俺が16歳、妹が14歳のときに心筋梗塞で亡くなった。入院はしていたが、死ぬような病気ではなかったので、まさに晴天の霹靂だった。実母は実父を喪った。亡くなってから1ヶ月ほど、実母は毎日、泣いていた。非常に仲の悪い夫婦であったが、やはり悲しいのだろう
かみさんが亡くなってから。それなりの年月が経った。つい最近のことだ。俺は自分の変化に気が付いた。かみさんが元気だった頃と、かみさんが亡くなった後との俺の変化についてだ。何年も前に気づいていても、おかしくないはずだった。それなのに、俺はつい先日まで気づいて
また真夜中に目が覚めた。時計を見ると、午前3時だった。いつものような不快な気分はなく、とても穏やかな目覚めだった。だが、いくら何でも早すぎる。俺は再び目を閉じた。半分だけ眠っているようなボンヤリした頭の中、俺の意志とは無関係に、さまざまなイメージが浮かん
男ヤモメの休日は、掃除や洗濯など最低限の家事から始まる。それが終わると、かみさんに線香をあげ、お供えをする。そして俺は途方に暮れる。夜までには、まだ時間がある。どうにかして時間をやり過ごさなければならない。だが、何をしたらいいのか分からない。かみさんが元