chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
いつか迎えに来てくれる日まで http://blog.livedoor.jp/youchan1201/

たった一人の家族、最愛の妻を癌で喪った。独り遺された男やもめが、暗闇の中でもがき続ける日々の日記。

プーちゃん
フォロー
住所
江東区
出身
未設定
ブログ村参加

2010/07/09

1件〜100件

  • 絶望の誕生

    現在10月3日の午前6時37分。いつものとおり、通勤電車の中でブログの記事を書いている。今朝は午前4時半に目が覚めた。そして、かみさんにお供えをしてからシャワーを浴びた。その間、俺は自分の心身に異変を感じていた。強い不安感と頻脈だ。心がザワザワしていた。心臓がド

  • 脱出

    死にたい…と思う。それができないのなら、死ぬまで眠っていたい…と思う。かみさんが死んだあとの余生は、確かに「最期の修行」なのかもしれない。その修行をやり抜くことが、俺の義務なのかもしれない。だが、毎日がとても辛いのだ。生きていることが、あまりにも苦しいの

  • 決して「終わり」は来ないのだ。

    かみさんが元気だった頃だって、辛いことはたくさんあった。だが、どんなに辛いことであったとしても、必ず「終わり」がやってきた。1日の仕事が終わって退社をし、帰宅をすれば、かみさんが笑顔で待っていた。かみさんの笑顔を見ると、俺の心は弛緩して、身体の緊張がほぐ

  • 共有できないもの

    先日、友人(というより、以前お世話になった先輩)のMさんが連絡をくれた。お互いの近況報告をしていたところ、10月某日に飲みに行くことになった。近況報告の中で、かみさんの話題は出なかった。だが、飲み会の場では出るだろう。Mさんは絶対に聞くはずだ。最近どうして

  • 悲しみの強度を決めるもの

    俺と同じ部署にXさんという主任さんがいる。同じ部署ではあるが、俺の直属の部下ではない。俺とは別の課長の部下だ。1年ほど前のことだった。Xさんの奥さまが亡くなった。自死だったそうだ。その件を聞いたとき、俺はXさんの気持ちが分かる気がした。Xさんは俺と同じ年

  • 救いを求めて呟いている。

    かみさんが亡くなってから、ほんの数か月が経った頃。俺は自分の死を願うようになった。かみさんの後を追いたいと考えるようになった。それが、希死念慮の生まれた瞬間だった。その願いは必ず叶うと信じていた。ネットで多くの記事を見たが、妻に先立たれた男の余命は短い…

  • どうしても許せない奴のこと

    かみさんが亡くなってから5か月ほどが経った時期だった。かみさんを看取ってから半年も経っていない。俺は激しい悲嘆の中にいた。ひとりぼっちのときは(泣いていたのではなく)哭いていた。周囲に誰かがいるときは塞ぎこんでいた。誰とも会話ができないほど堕ちていた。そ

  • 正体の分からないモノ

    息を止めていたわけではない。激しい運動をしたわけでもない。それなのに、呼吸が荒くて息苦しい。心拍数も上がっているようで、心臓がドキドキしている。これは「不安感」の現れだ。不安感は、単なる精神症状ではない。身体症状でもある…という証だろう。かみさんが癌だと

  • 遺族の心を守ってくれるもの

    伴侶やお子さんなど、自分にとって最愛の人を亡くしてしまうこと。世界でいちばん大切な人を喪ってしまうこと。こんなに悲しいことはない。だが、その悲しみは否定され、抑圧されなければならない。さっさと立ち直り、死別以前と同様に生きなければならない。一般的には、そ

  • 彩(いろどり)のある瞬間

    一切の凸凹がない人生だ。なんの抑揚もない人生だ。本当に吐き気がしてしまう。この閉塞感に耐えられないのだ。まるで牢獄の中に閉じ込められているみたいだ。外に出ることの許されない、永遠の禁固刑みたいだ。ここから出たいと思った。だから俺は、必死でもがいてきた。し

  • 天涯孤独 ~秋季彼岸会法要をめぐって~

    9月23日の秋分の日。秋のお彼岸の中日だ。例年通り、俺は菩提寺に行った。秋季彼岸会法要に参列し、かみさんの墓参りをするためだ。自宅の近くからタクシーに乗った。かみさんと散歩をした懐かしい街を通り、俺は菩提寺に向かった。参列者は100人ほどだろうか。俺は周囲を見

  • 乗り越えることはできないが…

    かみさんが亡くなってからの数年間(たぶん約7年間)。俺は、時間があれば「死別」という言葉でググっていた。死別の悲嘆から立ち直る方法を探していたわけではない。いつになったら元の自分に戻れるかを知りたかったわけでもない。最愛の家族を喪って、何をどうしたらいい

  • 夢の中での再会

    9月20日の火曜日。かなり早めに寝床に就いた。まだ午後9時半だった。疲れているはずなのに、なかなか眠れなかった。正確に言えば、眠りは浅く、意識は半分あるような状態が続いていた。ずいぶん経って時計を確認すると、すでに午前3時15分だった。少しでいいから眠りたい。俺

  • 自己破壊的な欲望

    現在9月20日(火)の午前6時41分。いつものとおり、通勤電車の中でブログの記事を書いている。シルバーウイーク前半の3連休が終わった。連休に入る前は、何か楽しいことがあるんじゃないか…と少しだけウキウキしていた。かみさんがいた頃は、二人で連休を過ごすのが楽しか

  • やっぱり俺は、かみさんのことが愛おしい。

    現在9月19日の午前6時ぴったりだ。自宅のバルコニーで缶コーヒーを飲みながらブログの記事を書いている。鬱がひどいわけではない。強い不安感があるわけでもない。あくまでも比較的にだが、今日は精神的に安定しているようだ。こういう日はめったにない。できれば一日、穏や

  • 全身全霊で輝く

    自分の伴侶に対し、「こうしろ、ああしろ」と言うべきではない。また、「こうしたほうがいい、ああしたほうがいい」とも言わないほうがいい。命令するのは最悪だ。たとえ命令でなかろうと、アドバイス(に見える自己満足)だって良くはない。そういうことを言ったときの伴侶

  • だから俺は朝が嫌いだ。

    残業で帰宅が遅くならない限り、俺は早めに就寝するようにしている。午後9時半には睡眠薬を飲み、10時過ぎには夢の中だ。早く寝てしまうのには訳がある。起きていたって、つまらないからだ。かみさんが元気だった頃。俺たち夫婦は、かなり遅い時間まで起きていた。残業の多い

  • 伝えられなかった言葉

    かみさんが亡くなってから。いくつか後悔したことがある。そのうちの一つが、「かみさんに伝えておきたかったのに、伝えることができなかった言葉がある」ということだ。かみさんの闘病中。俺はかみさんと語り合い、二人の絆を確かめ合ってきた。だが、どうしても言えないこ

  • かみさんの痕跡

    かみさんが元気だった頃の金曜日。たまには俺にも定時で退社できる日があった。そんな日の午後、俺はかみさんに電話した。今日は定時で帰れるから、どっかで待ち合わせをして食事でもしない?と“お誘い”するためだった。かみさんは、電話の向こうで弾けるほどに喜んでくれ

  • 真っ黒な未来を見据え…

    9月14日の水曜日。目が覚めて時計を見ると、午前4時28分だった。そろそろ起床しなければならない…と思った。俺の気が滅入ってしまった。もっと眠っていたかったのだ。と言うより、ずっと眠っていたかったのだ。心が乱れないのは眠っている間だけだ。眠ってしまい、意識を失

  • これではあまりに救いがない。

    かみさんが亡くなってからの数年間。俺は何度もかみさんの夢を見た。それらの夢の内容については、このブログにも書いてきた。だが、ここ最近は、かみさんの夢を見ていない。せめて夢の中で会えたなら…と想っていた。そんな昨晩のこと。俺はかみさんの夢を見た。かみさんに

  • 暗い浴室の中で

    9月12日の月曜日。午前5時前に目が覚めた。俺はかみさんの仏壇の前に座り、線香をあげた。そして、かみさんにお供えをした。気分は意外に穏やかだ。楽しいわけではないし、面白いわけでもないけれど、鬱ではないし、不安感もないし、心がザワザワするわけでもない。寝床に就

  • 誰もがみんな、堪えている。

    かみさんが亡くなってから、それなりの時間が経ってしまった。だとすると、たとえメンタル不調であっても「死別が原因です…」とは言いづらい。もし言ったとしても、誰も納得してはくれないだろうし、下手をすれば苦笑されてしまうのがオチだろう。コロナに感染してから「鬱

  • 再び”ひとつ”になれるだろう。

    かみさんが死んだ。俺のいちばん大好きな人は死んじゃった。かみさんは、もういない。それでも俺は、かみさんに逢いたい。たったひとつの俺の望み。それは、かみさんと再会することだ。もしも、かみさんに逢えるなら、ほかには何にもいらない。だが、どんなに逢いたいと想っ

  • 毎日、良い感じで楽しいですよね…

    9月8日(木)の昼休みのことだった。昼食後、俺は20歳代後半の女性の部下から話し掛けられた。コロナの後遺症(倦怠感、ブレインフォグ)が辛かったので、俺は昼寝をしたかった。だが、部下から話し掛けられたら無視するわけにはいかない。俺は部下のおしゃべりに付き合って

  • ふたたび睡眠障害

    新型コロナの陽性判定が出たのは、8月23日の火曜日だった。あれから約2週間が経つが、俺は現在、後遺症に悩まされている。後遺症にはさまざまな症状があるが、俺の場合は強い倦怠感(ダルさ)、ブレインフォグ(頭にモヤがかかったようなボンヤリした状態)、食欲不振、咳と

  • 今も確かに「ここ」にある。

    かみさんを喪ってから。俺はとても悲しかった。気が狂ったかのように悲しかった。身を引き裂かれたかのように悲しかった。その激しい悲しみが、将来、どう変化していくのだろう…なんて考える余裕はなかった。いつになれば悲しみが消え去るのだろう…なんて考えても見なかっ

  • 重力に逆らえないほどダルいとき

    かみさんの闘病中のこと。病状が悪化するにつれて、かみさんは眠気に加え、倦怠感(ダルさ)を訴えるようになった。だが、癌による疼痛がなかったせいか、苦しむことはなかった。ベッドに横になっている限り、俺とは普通に会話ができていた。倦怠感が辛くても、人間は死にた

  • 隠棲への意志

    伴侶や子どもと死別するということ。最愛の人を喪ってしまうということ。それが悲しいのは人として当然のことだ。いちばん大切な人を亡くした者であれば、自分の半身を削ぎ落とされてしまったかのような、心にぽっかり穴が開いてしまったかのような、周囲の現実が自分から遠

  • こんなのは人間の生き方じゃない。

    仕事が終わって帰路に就く。地下鉄のホームで電車を待っている間、俺は自宅に「帰るコール」をする。かみさんが電話を取る。おしゃべりが好きなかみさんは、夕食のメニューや、その日にあったことを語り始める。電車が来るまでの間、かみさんのおしゃべりに付き合う。彼女の

  • そうして俺は目が覚めた。

    夜中に何度も目を覚ます。光も音もうっとうしい。この光と音のせいだ。俺は死にたくなって、自分を破壊したくなる。あまりにも苦しくて、俺は助けを求める。最初に浮かんだのは実母の顔だった。だが、俺や妹を虐待していた実母が俺を助けてくれるはずがない。俺が苦しんでい

  • かみさんがかわいそうだ。

    8月22日(月)に発熱し、PCR検査を受検した。翌23日(火)には陽性判定が出た。だが、24日(水)には熱が下がっていた。全身の倦怠感(ダルさ)と脂汗に加え、食欲がなかったが、それでも熱は下がっていた。25日(木)には倦怠感が悪化したものの、なぜだか俺は、自分が快

  • 自宅療養9日目 ~新型コロナウイルス感染症~

    現在8月31日(水)の午後4時36分。経験したことのない強烈な倦怠感(ダルさ)に苦しんでいる。鼻水や鼻づまり。咳や痰。下痢も止まらない。気になるのは尿が出なくなってきたことだ。下痢はするのに、朝から1回しか尿が出ない。さらには食欲が無い。先週半ばから何も食う気

  • 自宅療養8日目 ~新型コロナウイルス感染症~

    現在8月30日(火)の午前10時42分。依然として熱はない。頭痛も治まったようだ。一方で、咳がひどいし、痰が多い。下痢も止まらない。また、経験したことのないほど強烈な倦怠感が続いている。なによりも辛いのは、普通の生活ができないことだ。トイレに行くのも辛い、シャワ

  • 自宅療養7日目 ~新型コロナウイルス感染症~

    8月22日(月)に発症した。突然、熱を出したのだ。その日のうちにPCR検査を受検した。8月23日(火)には陽性と診断された。この時点では、俺は新型コロナウイルス感染症を舐めていた。熱が下がれば楽になる…と思っていたのだ。そこには理由がある。これまで俺の部下のうち数

  • 自宅療養6日目 ~新型コロナウイルス感染症~

    発症したのは8月22日(月)だった。体温は37度9分まで上がったが、やばいな…という感覚はなかった。発熱以外に目立った症状はなかったからだ。PCR検査の結果が出たのは8月23日(火)。結果は陽性だったが、体調に大きな変化はない。今後は徐々に回復に向かっていくだろう…

  • 自宅療養5日目 ~新型コロナウイルス感染症~

    現在8月27日の午前6時43分。自宅療養も5日目に入った。先日の記事に書いたとおり、熱は下がったし、頭痛もなくなった。だが、依然として倦怠感はツラい。咳が止まらないのも苦しい。息苦しいし、胸が痛い。しかし、耐えがたい身体症状と言えば、それだけだ。今日になり、身

  • 自宅療養4日目 ~新型コロナウイルス感染症~

    昨日の記事の中で、俺は次のように書いている。今が新型コロナウイルス感染症の「頂点」なのだろう…と信じている。明日には楽になっているんじゃないか…と期待している。残念ながら、期待は外れた。熱があるわけではないのだが、倦怠感(ダルさ)が悪化しているのだ。また

  • 自宅療養3日目 ~新型コロナウイルス感染症~

    8月25日の木曜日。昨晩は、睡眠導入剤(ハルシオン、レンドルミン)を飲んで、夜10時半に就寝した。目が覚めたのは、午前3時前だった。4時間半ほどの睡眠だ。当然、眠気は残っていた。俺の意識は朦朧としていた。もう一度、眠ろうと思った。だが、興奮状態で眠りたくても眠れ

  • 自宅療養2日目 ~新型コロナウイルス感染症~

    8月24日の水曜日。午前4時前に目が覚めた。だが、全身の不快感がたまらない。どうしても目を開くことができなかった。俺は不快感に耐えるため、何度も寝返りを打った。しかし、不快感は治まらない。そうしているうち午前6時半を過ぎた。俺はようやく起床することができた。熱

  • 感染 ~新型コロナウイルス感染症~

    8月22日の月曜日。夜9時には寝床に就いた。目が覚めたのは、朝6時59分。ほぼ10時間も眠ってしまった。尿意を催さなかったら、もっと眠っていたに違いない。すぐに熱を測ったが、37度1分。症状は改善しているらしいと思っただが、正午前に再度熱を測ると37度7分。しかも全身の

  • 感染したか? ~新型コロナウイルス感染症~

    こういうことをブログに書くべきか悩んだ。だが、あまりに暇なので、あるがままに書くことにした。8月21日の日曜日。午後10時に就寝した。日付は変わって8月22日の月曜日。夜中の3時に目が覚めた。身体がダルくて仕方がないが、もう少し眠れば体調も回復するだろう。午前5時

  • 休日の夕方

    かみさんが元気だった頃。俺は休日が大好きだった。すべての義務と責任から解放される休日。やらなきゃならないことは何にもない。やりたいことだけをやればいい。そんな休日が大好きだった。かみさんと一緒に散歩した。かみさんと一緒に買い物に行った。かみさんと一緒に外

  • 俺をイライラさせるもの

    ここ数日間、俺はめちゃくちゃイライラしている。何が俺をイライラさせるのか。それは恐らく人間だ。俺を取り巻く人間たちが、俺の神経を逆撫でし、俺の攻撃性を刺激するのだ。だからと言って、すべての人間がウザいわけではない。義母や義弟くんたちが、週末ごとに電話をく

  • これでは気が遠くなる。

    かみさんが元気だった頃。俺は今より遥かに仕事に追われていた。毎日残業ばかりだった。たくさんの残業代をもらえるのは良かったが、終電がなくなってからタクシーで帰宅することも多く、本当にキツかった。土日や祝日に出勤するのも惨めだった。だが、俺は耐えてくることが

  • こんなはずじゃなかった。

    かみさんが亡くなって多少の時間が過ぎた頃。俺の中に希死念慮が生まれた。そこには、いくつもの理由があった。強烈な悲嘆に耐えられなかったからだ。心身を引き裂かれたような、激しい痛みが苦しかったからだ。持っていたモノすべてを失って、自分の人生に絶望したからだ。

  • 決して朝が嫌いではなかった。

    かみさんが元気だった頃。俺たち夫婦は朝7時に起床していた。二人とも寝覚めは良かった。前日に遅くまで残業していても、俺の気分は爽快だった。もちろん寝不足の日も少なくなかったが、かみさんの明るく元気な声が、俺の気持ちを高揚させてくれた。かみさんのおかげだ。俺は

  • たまには自分を大切に

    お盆の帰省ラッシュは8月11日だった。8月14日にはUターンラッシュが始まって、15日からは日常が始まるんだろうと思っていた。8月15日の月曜日。俺は普通に出勤した。パソコンを開くと4通のメールが来ていた。どれも以前の同僚(友人)からのものだった。内容はいずれも同じ

  • 本当に本当に大切なもの

    意識して思い出そうとしているわけではない。だが、ふとした瞬間に思い出す。こちらから記憶をたぐり寄せているわけではない。記憶のほうが、向こうからやってくるのだ。かみさんが癌だと診断されたときのこと。俺が医師から「かみさんの余命は年単位ではない」と言われたと

  • 慣れてなんかいないんだ。

    ひとりで生きることに慣れてきたのかもしれない…と思うときがある。本当に慣れたのであれば、それに越したことはない。かみさんを亡くした俺にとって、ひとりで生きていくことは宿命のようなものだ。回避できない苦しみならば、その苦しみに慣れたほうがいい。苦しみを異物

  • 肉体という名の仮の宿

    なぜだろう。自分の肉体が「異物」みたいに感じられる。自分の精神が、自分の身体に強い違和感を覚えているのだ。この身体の中は、居心地がとても悪いのだ。ここから脱け出したい。ここは俺の居場所じゃない。俺の心が喘いでいる。かみさんがいなくなってから数年が経ち、哭

  • まったく意味を見いだせない。

    現在8月12日の午前6時39分。いつものとおり、通勤電車の中でブログの記事を書いている。朝から身体が疲れている。昨晩、あまり眠れなかったからだ。夜10時過ぎに寝床に入ったが、なかなか寝つけなかった。途中で時計を確認したが、夜12時を過ぎていた。その後、まもなくして

  • 寂しいけれど、仕方がない。

    自宅マンションの駐車場を見ると、車の数がやたらと少ない。早朝の街中を歩いていても、いつもと違って人の姿がない。そうか…世間はお盆休みだったっけ…東京の人口が減っている。大勢の人々が帰省をしたり、旅行をしたりしているのだろう。俺も休暇を取って、羽を伸ばした

  • 退避

    かみさんが元気だった頃。俺は自信に満ちていた。自分は無敵だと思っていた。自分はなんでもできると思っていた。自分が“一番”だと思っていた。振り返って見れば、それは誇大妄想に過ぎない。だが、この自信が俺に“生きやすさ”を与えてくれたのも事実だった。仕事はキツ

  • これから始まる生き地獄

    かみさんが亡くなってから。俺は酒に溺れるようになった。悲しみや寂しさ、喪失感を麻痺させるためだった。それだけではない。もう一つの理由があった。俺は自分の肉体を破壊したかった。できるだけ早く死にたかった。そうだ。俺はかみさんの後を追いたかったのだ。その結果

  • 二つの世界

    テレビのニュースによると、お盆休みの帰省ラッシュは8月11日がピークらしい。どおりでマスコミだけでなく、周囲の人々も賑やかなはずだ。夏休みの過ごし方ばかりが話題になっている。俺にもこんな時代があったよな…と感じる。かみさんが元気だった頃。夏休みは一年のうちで

  • 心臓を引き裂く。

    土日や祭日はどうしようもない。休日の空虚さに耐えられない。無駄に時間はあるくせに、やりたいことが何もない。話し相手もいやしない。どうやって時間を潰したらいいのか分からず、途方に暮れてしまう。あんまりにも退屈だ。あんまりにもつまらない。心は鬱々と沈み込んで

  • 世界はこんなにも広いのに…

    世界はこんなにも広い。そして、そこにはたくさんの人間が棲んでいる。これだけ大勢の人間がいるのに、なぜ俺たちだったんだろう?なぜ俺たち夫婦が、こんな目に合わなきゃならなかったんだろう?なんで容ちゃんだったんだろう?なんで俺だったんだろう?みんな、「なんで?

  • 人生における岐路の中

    かみさんと俺は、散歩が大好きだった。出会った頃から散歩ばっかりしていた。そのことについては、このブログに何度も書いたとおりだ。大学生のとき、俺は学費も生活費も自分で稼ぐ「勤労学生」だったため、カネのかかるデートなんてできなかった。それが散歩をするようにな

  • 今ここにある死別

    かみさんの死は、俺にとって過去の出来事ではない。今ここにある現実だ。だが、あれから月日が経ったことも事実だ。それにも関わらず、なぜ過去にならないのだろう。多分かみさんの死とともに時間が止まってしまったからだ。アルベルト・アインシュタインが明らかにしたよう

  • 男やもめが人間関係に悩むとき

    仕事が忙しいのは辛い。体力的にも精神的にも、とても辛い。だが、それより遥かに辛いことがある。それは人間関係における軋轢だ。もともと俺には人間に対する根強い不信感がある。すべての人間が、潜在的には敵になり得ると思い込んでいる。これは幼少時代、両親から虐待さ

  • 糸を解す(ほぐす)

    かみさんが亡くなった日から、およそ2年の間。俺は毎日、泣いていた。慟哭した日もあった。声を殺して咽び泣いた日もあった。いずれにしても、涙の出ない日はなかった。俺は「現在」と「未来」を失った。残されたのは、かみさんとの幸せな「過去」だけだった。俺は死にたい

  • 目覚めの瞬間

    一日のうちで朝がいちばん辛い。目覚めた直後がいちばん苦しい。布団から出たくないだとか、会社に行きたくないだとか、そういうことだけではない。最も辛いのは、目を開き、光を見ることだ。何よりも辛いのは、目を開き、世界と向き合うことだ。目が覚めた瞬間、俺は固く目

  • 俺の朝はいつだって…

    俺は朝よりも夜のほうが好きだ。明るい場所より暗い場所のほうが好きだ。暗闇に包まれていると、心が落ち着いてくるからだ。哀しくて淋しくもあるけれど、闇の中にいれば、原因不明の不安感で震えることは少ないからだ。身体は疲れているし、ダルくて仕方がないけれど、心が

  • 俺の存在にも意味があったんだ。

    かつて、俺には「理想の自分像」というべきものがあった。それは、あるべき自分の姿であり、本来の自分のようなものであり、目指してきた自分のあり方だった。かみさんが元気だった頃。自分の実際のあり方は、理想の自分と合致していた。俺はすべてに満足していた。だが、人

  • 俺が恐れているとでも思うのか?

    Aさん:みんながアンタ(Bさん)のことを嫌いだって言ってるよ。Bさん:みんなって誰?Aさん:みんなって言ったら、みんなだよ。こういう会話を聞いたことがあるだろう。Aさんの言葉を字義どおりに受け取ってはいけない。実際のところ、Aさんの言う「みんな」は「全員

  • 爽やかな朝

    毎朝4時前後に目が覚める。目覚めた瞬間、俺は全身全霊で「死にたい」と思う。なぜ死にたいのだろうか。心がザワザワするからだ。全身の皮膚が泡立つからだ。心臓がドキドキして張り裂けそうだからだ。血液が沸騰しているみたいだからだ。それらの不快感に耐えられないのだ

  • たまには赦してあげよう。

    7月26日の夜10時半。いつものとおり、睡眠導入剤(ハルシオンとレンドルミン)を飲んで寝床に就いた。薬のおかげで全身の筋肉が弛緩した。だが、いつまで経っても意識があった。眠れなかったのだ。その間、俺は微かにイライラしていた。6月中旬以降の多忙な日々が、俺を興奮

  • どうしても必要な瞬間

    ここ最近、毎日のように言ってるが、6月中旬からクソみたいに忙しい。やることが山のようにある。いずれも単純作業ではなく、相当なプレッシャーを感じる仕事ばっかりだ。ひとつずつ崩していくしかないのだが、精神的に参ってしまった。だからと言って、投げ出すわけにはいか

  • 確実に崩れているのだろう。

    現在7月25日の午前6時27分。いつものとおり、通勤電車の中でブログの記事を書いている。6月中旬からバカみたいに忙しい。おかげで休日もゆっくりすることができない。心も身体も疲れきっている。だが、23日から24日にかけて、久しぶりに週末らしい週末を迎えることができると

  • 些細な光景の中の幸せ

    かつて、かみさんの実家が北海道の旭川市にあった頃のこと。かみさんと俺は、毎年、二人でかみさんの実家に遊びに行った。確か平成18年9月だったと思う。ある日、かみさんと俺は、旭川市の「春光」という街を散歩した。目的地も決めず、ひたすら二人で並んで歩いた。他愛もな

  • 叶わないけど願うのだ。

    俺が会社から帰ってくると、かみさんは、その日にあったことを話して聞かせてくれた。かみさんのおしゃべりは、俺が帰宅した瞬間に始まって、俺が就寝するまでの間、ずっと続いていた。かみさんは専業主婦だったが、朝から晩まで家にこもっていたわけではない。ひとりでブラ

  • 生きてはいるのに生きていない。

    人間は、仕事をするために生きているんじゃない。生きるために仕事をせざるを得ないのだ。かみさんが元気だった頃。俺は生きるために仕事をしてきた。だが、かみさんが亡くなってから、目的と手段が逆転してしまった。俺は今、仕事をするために生きている。だからこそ問うの

  • 世間の空気に触れる。

    現在7月21日の午前6時30分。いつものとおり、通勤電車の中でブログの記事を書いている。今日から小中学校・高校は夏休みに入った。サラリーマンの俺には関係ないが、かみさんが元気だった頃ならば、この時期の前後には海外旅行をしていた。行きたい国は、かみさんが決めてい

  • 男やもめの生活感

    俺は先日、部下の一人(女性)から言われた。課長って生活感がないですよね~俺は忙しかったので、「あ~、そう?」と応えただけだった。だが、その瞬間、違和感を覚えたことも事実だ。生活感がないなんて、生まれて初めて言われたからかもしれない。しかし、それだけではな

  • ボロボロの肉体

    6月中旬からバカみたいに忙しい。たった1か月の間にプレゼンテーションを2回もやらなければならなかった。約30人の部下の人事関係の資料を作らなければならなかった。部下の1人が新型コロナウイルスに感染してしまった。プライベートでは、かみさんの祥月命日の法要を行

  • 隣にいてくれる…という奇跡

    かみさんが癌だと診断される前。かみさんが俺の隣にいることは、当たり前のことだと思っていた。あまりにも当たり前すぎて、隣にいてくれるという「奇跡」に感謝の気持ちを持っていなかった。そんな俺だ。かみさんを傷つけたことがあったかもしれない。かみさんを不安にさせ

  • 空虚な連休

    かみさんが元気だったころ。いちばん好きな曜日は何曜日?と聞かれたら、俺は迷うことなく金曜日と答えていた。金曜日の夜。仕事が終われば「週末」の始まりだ。心も身体もリラックスして、ただひたすら癒しの中にいられる週末だった。かみさんと俺とが全てを共有し、家庭の

  • 案外に良い世界

    現在7月16日の午前6時43分。いつもとは違い、自宅のリビングでブログの記事を書いている。今朝は普段より遅い時間に起床した。目覚めて時計を見てみたら、すでに午前5時31分だった。目覚める直前まで夢を見ていた。楽しい夢ではなかった。ましてや、かみさんと再会する夢でも

  • 連休 ~脳内に保存された記憶~

    現在7月15日の午前6時34分。いつものとおり、通勤電車の中でブログの記事を書いている。明日から3連休だ。かみさんがいたならば、楽しい連休になっただろう。旅行をしたかもしれない。映画を観に行ったかもしれない。あるいは散歩ばかりしていたかもしれない。いずれにして

  • 無条件で受け容れる余裕

    俺がかみさんを犠牲にしたわけではない。俺がかみさんに犠牲にされたわけでもない。ただ、いざというときに、自分を犠牲にしてまで守ってくれる人がいるとしたら、人は安心して生きていけるだろう。自分には、無条件で受け容れてくれる人がいるとしたら、こんなに幸せな人生

  • 心の糸が切れそうだ。

    かみさんが癌だと診断されて、医師から「余命は年単位ではない」と告げられたときだった。俺の頭から血の気が引いた。全身の筋肉から力が抜けた。俺の人生も終わったな…と思った。だが、かみさんの前では明るく振る舞わなければならない。かみさんに「余命は年単位ではない

  • 大切なモノを守るリスク

    かみさんが癌になったとき。俺は休暇を取って、かみさんの傍にいた。当然、会社の人事部門から「✕(バツ)」を付けられた。かみさんを喪ったあと。俺はメンタルを病んで、通算で3年以上も会社を休職した。再び、会社の人事部門から「✕」を付けられた。会社に復帰して相当

  • この世界は腐っている。

    かみさんは、俺のたった一人の家族だ。かみさんは、世界でいちばん大切な人だ。それなのに、かみさんは俺を遺して逝ってしまった。 かみさんは、俺の唯一のアキレス腱だった。それなのに、そのアキレス腱を切られてしまった。唯一の弱点を突かれた俺は、崩れて壊れてしまった

  • 最愛の人と死別した者たちは「あの世」を希求する。

    あの世って、あると思う?死後の世界って、あると思う?そう聞かれたら、大概の人は「無いと思う」とか、「あるわけないじゃん」って答えるんだろう。事実、「死後の世界」で検索すると、「死後の世界があるとか言ってる奴、全員論破する」なんてサイトも出てくるくらいだ。

  • かみさんの生きた証

    前向きに生きるのも良いだろう。明るくたって構わない。ポジティブだって悪くない。最愛の人を亡くしても、その後の生き方はさまざまだ。だが、俺は哀しみを手放すつもりはない。これからもずっと、かみさんを想い続けるだろう。そんな俺を嘲笑い、上から目線で否定する者も

  • 繰り返す喪失感

    7月7日の木曜日。例のくだらないイベント(?)が終わった。冒頭では俺を含め、4人の課長がプレゼンテーションを行った。プレゼンの出来は上々だった。だが、その後のイベント本番の際、俺は恥をかかされた。俺がイベント開催に最後まで批判的だったことが、尾を引いていた

  • 不条理なこと

    俺にとっての世の中は、不条理なことでいっぱいだ。俺が「親ガチャ」にはずれ、両親から虐待されてきたことも。虐待の影響で、俺が周囲から排除されてきたことも。周りの誰もが持っているのに、俺だけが持っていなかったことも。毎日が辛かった。生きているのが苦しかった。

  • 理不尽なこと

    かみさんは理不尽なことが大嫌いだった。世の中の不条理なことには、本気で怒っていた。おそらく正義感の強かった父親(俺の義父)に似たのだろう。俺もかみさんと同じだ。理不尽なことが大嫌いだ。両親から虐待されてきたせいだろう…と言われたことがある。また、かみさん

  • 不眠の背景

    相変わらず熟睡できない日々が続いている。昨晩は午後10時すぎに就寝したが、午前2時半には目覚めてしまった。その後は眠ろうとしても眠れない。当然、疲労を残したままで出勤している。理由は分かっている。くだらないイベント(?)の準備に付き合わされているからだ。

  • 終わりの向こう側

    毎晩、嫌な夢を見る。排除される夢であり、貶められる夢であり、大切なモノを奪われる夢だ。そして午前3時半には目が覚める。最悪の気分だ。毒親の下に生まれて以来、かみさんと出会う前までのロクでもない人生の記憶が、俺の中に燻っている。最愛の人に先立たれた悲しみが

  • この世こそが地獄だ。

    かみさんは俺のたった一人の家族だった。かみさんは俺にとって、最後の最後まで味方でいてくれる唯一の人だった。それなのに…かみさんは死んでしまった。俺には家族がいない。俺には最後の最後まで味方でいてくれる人がいない。どんなに辛いことがあったとしても、俺には家

  • かつて二人で見た風景

    かみさんが元気だったころ。俺はまだ管理職ではなかった。管理職の候補者としての訓練?特訓?を受けていたのだ。入社してから最初の2年は別として、管理職になるまでのあいだ、俺はクソみたいに忙しい部署ばかりに配属されていた。やたらと残業が多かったのだ。定時で帰れ

  • 早いか遅いかだけの違いだと?

    ある方から頂いたコメントを読んで、思い出したことがある。ごく最近のことだ。俺がテレビを見ていたら、出演者が言っていた。夫婦はいずれ死別するんだから。早いか遅いかだけの違いだよ。俺は愕然とした。言っていることに間違いはない。だが、それが夫や妻を亡くした人に

  • 俺たちを癒してくれるモノ

    早朝に目覚めた瞬間から疲れている。身体がダルくて呼吸は荒く、気分は沈み込んでいる。布団から出たくない。会社に行きたくない。そんな自分を自分で奮い立たせなければならない。それによって、俺はますます消耗してしまう。だが…かみさんがいたならば、元気な声で、俺を

  • 若い頃に比べて幸せではない人々

    連日の猛暑に加えて湿気も高い。先日のギックリ腰が原因で、腰にサポーターを巻いていて歩きづらい。仕事がバカみたいに忙しい。かみさんの祥月命日の法事も行った。いずれが原因なのかは知らないが、俺は今、疲れきっている。頭はボンヤリするし、身体がダルくて仕方がない

  • バーンアウト ~祥月命日が過ぎて~

    今年も祥月命日の法事が終わった。かみさんの1周忌以来、毎年続けてきた行事だ。だが、例年とは何かが違う。法事の内容や手順が違ったのではない。俺自身の心の「あり方」が違うのだ。例年ならば、無事に法事を済ませたという安堵感がある。しかし、今年は違うのだ。俺の中

  • 祥月命日をめぐって (7)

    6月27日は、かみさんの祥月命日だ。俺の最愛の人が逝った日であって、世界で一番大切な人が亡くなった日だ。今年も俺は、休暇を取った。雑音を排除して、静かにかみさんを偲びたいと思ったからだ。数年前の6月27日。あの日は1日がとても長かった。かみさんが息を引き取った

  • 死者とのつながり

    かみさんが入院していたときのこと。かみさんは痛みに苦しむことはなかったが、病状が悪くなるにつれ、1日あたりの睡眠時間が長くなっていった。俺はかみさんのベッドの横に座っていたが、かみさんが眠っている間、俺たち夫婦が「つながっていない」ような感覚に襲われた。

  • かみさんの年忌法要をめぐって

    かみさんが亡くなった翌年、1周忌の法要を行った。その翌年は、3回忌の法要だった。それ以降も、毎年の祥月命日のたび、かみさんの法要を行ってきた。参列したのは義母、2人の義弟、そして俺だ。だが、一昨年と昨年はコロナ禍だったため、俺ひとりで祥月命日の法要に参列

ブログリーダー」を活用して、プーちゃんさんをフォローしませんか?

ハンドル名
プーちゃんさん
ブログタイトル
いつか迎えに来てくれる日まで
フォロー
いつか迎えに来てくれる日まで

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用