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いつか迎えに来てくれる日まで http://blog.livedoor.jp/youchan1201/

たった一人の家族、最愛の妻を癌で喪った。独り遺された男やもめが、暗闇の中でもがき続ける日々の日記。

プーちゃん
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2010/07/09

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  • 男やもめの週末

    金曜日になるとホッとする。クソ忙しい日々から解放されて、二日間はゆっくりできるからだ。自宅に帰ると仏壇の前に座り、かみさんに線香をあげる。着替えを済ませ、かみさんに夜のお供えをする。その後はひたすらウィスキーを飲む。テレビは面白くないが、酒のおかげで解放

  • 誰もが過去を振り返る。

    どうやら俺は勘違いをしていたらしい。人の一生は「右肩上がり」だと思い込んでいたのだ。今日は昨日より良い日だろう。明日は今日より良い日に違いない。そんな幻想に囚われた原因は、俺自身の半生にあるような気がしている。・・・俺と俺の妹は、両親から虐待されて育って

  • 悪夢のような記憶の蓄積

    俺を作った男は、酒を飲むと荒れる人だった。普段は優しいのだが、酔っぱらうと幼少期の俺をぶん殴っていた。その男は俺が16歳の時にくたばった。いわゆる突然死だった。俺を産んだ女は、変質的な異常者だった。俺を作った男、俺の妹、そして俺の3人に言葉の暴力を振るって

  • 最愛の人を喪った者たちは「あの世」を希求する。

    あの世って、あると思う?死後の世界って、あると思う?そう聞かれたら、大概の人は「無いと思う」とか、「あるわけないじゃん」って答えるんだろう。事実、「死後の世界」で検索すると、「死後の世界があるとか言ってる奴、全員論破する」なんてサイトも出てくるくらいだ。

  • 死ぬまで働かなければならない時代だとしても…

    たった一人の家族を喪った。俺は“ひとりぼっち”になってしまった。ひとりぼっちは寂しい。ひとりぼっちだと不安になってしまう。とりわけ将来が不安だ。孤独死する覚悟はしているが、死ぬまでの老後が不安なのだ。もはや年金や貯金、退職金等だけでは悠々自適の老後は送れ

  • 「受け容れる」という心のあり方

    かみさんが亡くなってから、それなりに時間が経過した。それなのに、なぜ今でも悲しいのだろう。なぜ今でも寂しいのだろう。いまだに俺は、かみさんの死に慣れることができない。かみさんと出会う前。俺は数人の女性と交際した経験がある。彼女たちと別れた後は、イライラし

  • 死別後に“ひとりぼっち”になった者たちの朝

    早朝5時半には寝床を出る。家の中は真っ暗で、静まりかえっている。そして誰の気配も感じない。すべてが静止している。まるで空気までが動きを止めてしまったかのようだ。そうだ。かみさんはいないのだ。俺は“ひとりぼっち”だ。悲しいというよりも寂しい。寂しさに注意を

  • 幸せな人々の、幸せな人々による、幸せな人々のための世界

    相変わらず熟睡できない日々が続いている。昨晩(日曜日から月曜日にかけて)は午後10時すぎに就寝したが、朝まで一睡もできなかった。睡眠導入剤を飲んでも眠れない。当然、疲労を残したままで出勤している。眠れない理由は、まったく分からない。心療内科で主治医に相談

  • 善悪の彼岸

    この世界の中では、さまざまなことが起きている。この世界の人々は、さまざまな言動をしている。それらは漠然とした基準だが、「善」と「悪」に分けられる。二分法によって世界を認識すること。そういう習性が、われわれ人間には備わっているのだろう。善には報酬を。悪には

  • こんなのは人間の生き方じゃない。

    仕事が終わって帰路に就く。地下鉄のホームで電車を待っている間、俺は自宅に「帰るコール」をする。かみさんが電話を取る。おしゃべりが好きなかみさんは、夕食のメニューや、その日にあったことを語り始める。電車が来るまでの間、かみさんのおしゃべりに付き合う。彼女の

  • 神の気まぐれ

    かみさんがいない。たった一人の家族がいない。それなのに、周囲の人々には家族がいる。俺たちだけが孤独だ。俺たちだけが“ひとりぼっち”だ。とても淋しくて心細い。自分の存在がしぼんでいくみたいだ。自分の身体の芯が凍えるみたいだ。淋しいだけではない。かすかに恐怖

  • 選ばれてしまった者たち

    俺の友人たちには夫や妻がいる。俺の部下たちにも夫や妻がいる。また、子どものいる人々もいる。もちろん独身の人がいないわけではない。夫や妻はいるけれど、家庭内別居という人もいる。いろんな人がいるけれど、俺の周囲に夫や妻を亡くした人はいない。もちろん高齢の方々

  • 孤独死の条件

    日本では、年間に約7万人が「孤独死」をしているそうだ。そのうち8割は男性が占めている。孤独死する人々には、いくつかの共通点があるという。① 配偶者との離別や死別によって、“ひとりぼっち”で生活していること、② ほかに家族がいないこと、③ 近所付き合いがな

  • 忌まわしい未来

    断片的にではある。しかし、産まれてから物心がついて以来の記憶は、確かに俺の中に残っている。楽しい思い出なんて、ひとつもない。嬉しい思い出なんて、ひとつもない。幼少期以来、自分は安全なところにいなかったからだ。そこには忌まわしい体験の記憶だけが残っている。

  • 命がけの飛躍

    目覚めた直後。俺は自分が深く落ち込んでいることに気が付いた。とても哀しかった。とても淋しかった。そして、深い後悔の念にも取りつかれていた。この気分には、直前まで見ていた夢の内容が反映していたのだろう。忘れてしまった夢でありながら、それは俺の中に深い「影」

  • それは意外に悪くない。

    誰もが死にたくないと思っているわけじゃない。本気で死にたいと思っている奴もいるんだ。ブログで死にたいと呟けば、「こいつは同情を買おうとしているだけだ」と解釈されて、コメント欄を荒らされることも少なくない。また、死にたいと呟く人々を嘲笑するためだけに、わざ

  • いったいオマエが何を知っているというんだ?

    かみさんが亡くなってから数年後。俺は某医療系大学の准教授から、「複雑性悲嘆」と診断された。その当時のことだった。ある女性(Kさん)が俺に言った。死別することで得られるモノだってあるんだよ。死別なんて大したことじゃないんだよ。私の方がアンタなんかより、よっ

  • 壊れるときは一瞬だ。

    かみさんが元気だった頃。俺は自分を大切に生きていたはずだ。自分の心や身体だけではない。一つひとつの言葉、一つひとつの行動、すべてを大切に生きてきたはずだ。だが、かみさんを喪ってしまい、俺は自暴自棄 (やけくそ)になった。そのせいだ。俺はいろいろなモノを壊

  • 俺たち夫婦にとっての、お互いの役目

    夫にとって、妻の役割ってなんだろう。俺にとって、かみさんの役目ってなんだろう。食事の支度をしてくれること?洗濯や掃除をしてくれること?その他、家事全般を引き受けてくれること?違うような気がする。妻にとって、夫の役割ってなんだろう。かみさんにとって、俺の役

  • 死ぬときは一緒が良い。

    世間には、いろんな夫婦がいる。その中には、仲の悪い夫婦も少なくない。俺の親戚(おじ・おば)や友人、部下たちを見回せば、家庭内別居の夫婦なんてザラにいる。何年も口をきいていないとか、顔を合わせばケンカばかりとか、別室で生活していて普段は顔も合わせないとか、

  • 立ち直るって何なんだ?

    かみさんが亡くなってから、それなりに月日が過ぎた。それなのに、俺はいまだに立ち直っていない。より正確に言えば、自分が立ち直っているのか、それともいないのかが分からない。俺には「立ち直る」という言葉がどういう状況を指すのか分からないのだ。・・・時間の経過の

  • かみさんと一緒に歩いた秋

    ネクタイを締めて出勤しようかなぁ…と思えるほどに涼しくなった。網戸だけを閉めて室内にいると、気持ちの良い風が入ってくる。10月も終わりになって、ようやく秋らしくなってきた。かみさんの生前、秋には大きなイベントがなかった。春(ゴールデンウィーク)にはかみさん

  • 私はあなたにいて欲しい。

    平成22年4月30日のこと。かみさんが癌と診断された4日後のことだ。かみさんは不安だっただろう。自分の病気は治ると信じていたものの、それでも不安で仕方がなかったはずだ。もともと気丈夫で、何事にも前向きなかみさんだが、自分が癌だと診断されて、心が穏やかであるはず

  • こんなに狂った世界から…

    現在10月26日の午前7時45分。いつもとは違い、休日出勤の途上でブログの記事を書いている。やるべきことが多すぎる。その大半は、「もっともっと偉くなりたい!」と考えている管理職のアイデア(というより経営陣に対する忖度)によるものだ。同じ管理職でも、俺たちのような

  • 見失ったもの

    かみさんと俺は、いつでも「未来」を見据えていた。将来の自分たちの姿を想像し、語り合うのが好きだった。今度の週末は、どうやって過ごそうか。夏休みには、どこの国に遊びに行こうか。年末年始は、今年も北海道(かみさんの実家)に行こう。こんなふうに具体的なスケジュ

  • 共有 ~分かち合う幸せ~

    かみさんと俺は、約20年間にわたり、さまざまな感情や想いを分かち合って生きてきた。楽しいことや嬉しいことはもちろんのこと、辛いことや苦しいことも、悲しいことも、二人でシェアして生きてきた。かみさんの身に、何か楽しいことや嬉しいことがあると、かみさんは身振り

  • かみさんの魂が寄り添ってくれるはずだ。

    かみさんと俺は、どちらかが本当に辛いとき、必ず相手の傍らに寄り添っていた。お互いを支え、相手の苦しみを少しでも癒してあげたかったのだ。かみさんが原因不明の高熱を出したとき。俺は仕事を休み、かみさんの看病をし、病院にも連れていった。かみさんが人間関係で苦し

  • 哀しみの中の不純物

    かみさんを喪ってから。それなりの時間が経った。当初の数年間、あまりにも激しい悲しみで、心身を引き裂かれたかのようだった。心にポッカリと穴が空いてしまった。周囲の世界がリアリティを失った。すべてが終わったかのようだった。すべてを失ったかのようだった。俺は自

  • 生き地獄

    日曜日の夜のこと。俺の心と身体は疲れきっていた。心は沈み、気分は晴れず、かなり重たい鬱(うつ)状態だった。身体はダルく、全身の血液がドロドロしているかのようだった。明日(月曜日)に備えて早く寝よう。心と身体に休息を与えてあげよう。夜の9時半。俺は睡眠導入

  • 死別をした人々の時間感覚

    かみさんが元気だった頃。時間の経つのが速かった。一日も、一週間も、一ヶ月も、そして一年も、あっという間に過ぎ去った。楽しい時間は速く過ぎるという。かみさんが隣にいたときは、よほど楽しくて、うれしくて、とても幸せだったんだろう。かみさんが亡くなってから。時

  • 死ぬまで苦しめ…と人は言う。

    死はタブー視されて、忌避されている。死を望むことは、否定されている。死が赦されないのなら、せめて生を輝かせるような世界であってほしい。死を望むことが赦されないのなら、せめて生きる意味や悦びを教えてほしい。だが、生を輝かせるための仕組みはない。生きる意味や

  • 見通しは甘かった。

    かみさんが亡くなってから。俺はいつ死んでもいい…と考えるようになった。むしろ早く死にたいと思うようになった。かみさんの後を追いたいと思った。理由は2つある。ひとつは、俺が死んだら、かみさんに会えると思ったからだ。もちろん「あの世」や「死後の世界」の存在を

  • 遺族たちの自律神経

    かみさんが亡くなってから。俺の自律神経は狂ってしまった。交感神経が暴走しているのだ。俺は眠れなくなってしまった。より正確に言えば、真夜中に覚醒してしまうのだ。経験のない人には分からないだろうが、眠れない日々が続くのは本当に辛い。布団に入ったまま悶々として

  • 生きているだけで痛いんだ。

    全身が痛む。身体がダルい。いつでも疲れている。熟睡することができず、1日あたり4時間半くらいしか眠れない。心が重たい。いつだって物悲しい。何をするのも億劫だ。何をする気力も湧いてこない。そうだ。生きているだけで辛いのだ。その上、さまざまな雑事が降りかかり

  • “かりそめ”の安らぎ

    ここ最近、俺は禁酒を続けてきた。先日の記事に書いたとおり、一度は挫折したのだが、その後は順調に禁酒してきた。だが、3連休にふたたび挫折してしまった。飲んだ酒はウィスキー、飲んだ量は3日間で2リットルほど。いくら何でも飲みすぎだ。そのせいだろうか。今朝(10

  • 放射

    伴侶や子どもを亡くした悲しみには「重さ」がある。世界でいちばん大切な人を喪った悲しみには「質量」がある。悲しみの質量は、あまりにも大きい。そのため巨大な「重力」を持っている。その重力が強すぎて、悲しみは自分自身を支えていることができなくなる。自らの質量に

  • 昇華

    1日に何度も仏壇の前に座る。そのたびに、かみさんの位牌や遺影を見つめ、かみさんに想いを馳せる。やっぱり俺は、かみさんのことが愛おしい。この「想い」はなんだろう。自分の「妻」に対する「想い」であることに違いはない。だが、そう単純に割り切れるような「想い」で

  • 慈愛

    かみさんが亡くなった日から。かみさんのために続けてきたことがある。それは「1日に数回、線香をあげること」。そして「朝と晩にお供えをすること」だ。インフルエンザで寝込もうと、肝臓を壊して倒れようと、この2つの習慣だけは守ってきた。その習慣が、俺のかみさんに

  • 初めての家族

    俺を造った男がいる。それは普通、「父親」と呼ばれる。俺を産んだ女がいる。それは普通、「母親」と呼ばれる。俺は、その二人から虐待されて育ってきた。俺の自尊心は破壊された。俺は人間を信頼できなくなった。この二人は生物学的に見れば、俺の「親」だ。だが、子どもを

  • セルフ・ネグレクト

    かみさんが亡くなってから。俺の心と身体は、急速に老化が進んでいる。心は弾みを失って、いつでも鬱(うつ)の症状に苦しんでいる。身体が重たくて、全身のあちこちが痛い。毎晩、熟睡することができない。疲れやすい上に、朝起きた瞬間から疲れている。家の外に出たくない

  • もうイヤだ…と呟いた。

    昨日、「現実逃避もできやしない。」というタイトルでブログを書いた。ここ最近の睡眠障害の苦しさについて述べた記事だった。あんな記事を書いたあとだ。今夜こそは眠れるだろう…と期待して寝床に就いた。だが、眠れなかった。睡眠導入剤を飲んでいるため、寝付きは良かっ

  • 現実逃避もできやしない。

    ここ数日、熟睡できない日が続いている。毎晩、睡眠導入剤を飲んでいる。そのため寝付きは悪くない。だが…3~4時間ほどで目が覚めてしまうのだ。まだまだ眠り足りない。もう少し眠らないと、翌日に差し支えてしまう。布団の中で目を閉じている。眠ろう、眠ろう…と思って

  • ひとりぼっちの疑心暗鬼

    疲れて家に帰ったら、そこには家族が待っている。朝目覚めたら、そこには家族の笑顔がある。自分にとって、いちばん大切な人たちだ。その人たちも、自分をいちばん大切にしてくれる。こんなに幸せなことはないのだが、人間にとって、ごく当たり前の風景でもあるだろう。だか

  • 脱出

    死にたい…と思う。それができないのなら、死ぬまで眠っていたい…と思う。かみさんが死んだあとの余生は、確かに「最期の修行」なのかもしれない。その修行をやり抜くことが、俺の義務なのかもしれない。だが、毎日がとても辛いのだ。生きていることが、あまりにも苦しいの

  • 想像力の限界

    身体にできた傷ならば、視覚で捉えることができるだろう。一方で、心の傷は目に見えない。想像力でしか捉えるができないのだ。脚を骨折して松葉杖をついている人を見れば、座席を譲ってあげよう…と思うだろう。皮膚が裂けて包帯を巻いている人を見れば、痛そうだな…と顔を

  • 誰にも言わない。

    かみさんが亡くなってから。それなりの時間が経ってしまった。だとすると、たとえ鬱(うつ)であろうとも、強い不安感があろうとも、「かみさんが亡くなったことが原因です…」とは言いづらい。もし言ったとしても、誰も納得してくれないだろうし、下手をすれば苦笑されてし

  • 逃げられない遺族たち

    逃げたいと思うことがある。今ここではないどこかに逃げ出したいと思うことがある。今ここは、俺のいるべき場所ではないのだ。今ここは、俺のいたい場所でもないのだ。かみさんが元気だった頃。俺には逃げることのできる場所があった。言うまでもない。それは、かみさんの隣

  • 最愛の人を亡くした人々ばかりで作られた世界

    最愛の人を亡くした人々ばかりで作られた世界があるとする。その世界には、夫を亡くした妻、妻を亡くした夫、子どもを亡くした親たちだけが棲んでいる。誰もが皆、心に深い傷を負い、その激しい痛みに耐えながら、すべてが終わる日を待っている。誰もが皆、すべてを失って、

  • 一線を越えてしまおうか。

    先日の記事にも書いたとおり、数ヶ月前から鬱(うつ)が悪化している。とりわけ平日の朝と休日の丸一日は、鬱で心が落ちている。その影響だろうか。先々週あたりから、俺は毎朝、「一線」を越えてしまいそうになる。一線を越えると言っても「自死」してしまおう…なんて考え

  • 悪化する鬱(うつ)

    日曜日。朝から鬱がひどかった。鬱に加えて不安感もあって、心の中がザワザワしていた。座っていても落ち着かない。寝転がっていても落ち着かない。抗鬱剤と精神安定剤を飲んではみたが、心が乱れて発狂しそうだ。俺はウィスキーをしこたま飲んだ。酔っ払った頃を見計らい、

  • 最期に伝えたかったこと

    平成22年5月1日のこと。かみさんが「転移性肝臓癌」と診断された数日後のことだ。かみさんは俺に言ってくれた。「一緒にいてくれて、ありがとう」闘病していた2か月の間、かみさんはたくさんの印象的な言葉を遺してくれたが、「一緒にいてくれて、ありがとう」も、そんな言

  • ゆっくり流れる時間

    1年は、あっという間に過ぎていく。かみさんが亡くなってから今日までの時間も、あっという間に過ぎ去ってしまった。かみさんの死は、遠い過去の出来事ではない。手を伸ばせば届きそうなくらい「ついさっき」の出来事だ。時間の流れが速すぎるのだ。それなのに、1週間はと

  • かみさんの死を否定できる者

    かみさんが癌になってしまった。かみさんと俺は、懸命に闘病した。だが…かみさんは逝ってしまった。かみさんの通夜が開かれた。かみさんの告別式が行われた。そして…かみさんは荼毘に付されてしまった。そうだ。かみさんは確かに死んだのだ。誰もが皆、かみさんは死んだと

  • かみさんがいないから…

    昨日、「深い眠りを求めて」というタイトルでブログの記事を書いた。そのせいだとは言わないが、昨晩の俺は、久しぶりに熟睡することができた。6時間ほどではあったけど、夜中に目覚めることはなく、朝5時半までグッスリ眠ることができた。熟睡した翌朝は、いつもの鬱(う

  • 深い眠りを求めて

    昨晩は10時半に寝床に就いた。昨日の記事にも書いたとおり、ギックリ腰の痛みが耐え難い。痛みのせいで、なかなか寝付けなかった。真夜中に目が覚めた。時計を見ると、午前3時半だった。腰痛で目覚めたわけではない。イヤな夢を見て目が覚めたのだ。しかし、まだ2時間は眠

  • どうなってもいいじゃん!と思える勇気

    かみさんの仏前に座った。線香をあげて、俺はかみさんの位牌と遺影を見つめた。おやすみなさい…の挨拶が終わり、俺は睡眠導入剤を飲んで寝床に入った。夜10時半を過ぎていた。突然、心臓のあたりに鋭い痛みが走った。仰向けになっても治らない。身体の右側を下にしても治ら

  • 俺は本当に痛いんだ。

    たぶん生きることに意味なんて無い。俺に限ったことではなく、人間なんて、みんながそうなんだ。産まれてきてしまった以上、生きるしかないだけのことだ。死への恐怖が本能に組み込まれている以上、自ら命を断つことが難しいだけのことだ。この世に「生」を受けてしまった以

  • 蒸発する貪欲(どんよく)

    大切な家族がいる。温かい家庭がある。カネだってあるし、社会的な地位だって持っている。なんの不足もない。なんの欠落もない。なんの渇きも知らない。なんて安楽な人生なんだろう。すべてを持っている。満たされているはずなのだ。これ以上は、もう何も必要としていないは

  • そんなことを言われても…

    あるサイトを見た。そのサイトは、某大学病院の医師(精神科医)が運営している。そこに、こんなことが書いてあった。配偶者との死別は、何にも増してストレス度が高いんです。配偶者の死は、遺族にとって大きなストレスになります。ときには遺族の健康が損なわれることもあ

  • 自分の死は、そんなに悪くはない。

    かみさんが亡くなって、しばらく時間が経ってから。俺は会社を休職することになった。その経緯については、昨日の記事に書いたとおりだ。休職するには会社に診断書を提出しなければならない。診断書の病名欄には、「抑うつ状態」と記してあった。また、病気の原因の欄には、

  • かみさんの死を軽んじた奴

    かみさんが亡くなって1か月が経った頃。かみさんの死をきっかけに眠れなくなった俺は、心療内科に通院するようになった。そこで処方されたのは、抗鬱剤と精神安定剤、睡眠導入剤だった。それらの薬を飲みながら、俺はなんとか日常を送っていた。あまりにも激しい悲しみで、

  • 矛盾

    俺はかみさんを喪った。たった一人の家族が亡くなった。俺は家庭を失った。それ以来。俺は“ひとりぼっち”で生きている。ひとりぼっちは淋しい。心がザワザワするほど不安になってしまう。人間は「社会的な動物だ」と言われる。それを身をもって痛感している。人間は“ひと

  • 無意味な人生を楽しむこと

    現在9月17日の午前7時34分。いつものとおり、通勤途中にブログの記事を書いている。今朝、自宅から駅に向かう道中のことだった。楽しいことが何にもないな…と思った。面白いことも何にもないな…と思った。かみさんがいなくなってから、俺の毎日はカラッポだ。朝起きて、か

  • 俺にも存在する意味があったんだ。

    かつて、俺には「理想の自分像」というべきものがあった。それは、あるべき自分の姿であり、本来の自分のようなものであり、目指してきた自分のあり方だった。かみさんが元気だった頃。自分の実際のあり方は、理想の自分と合致していた。俺はすべてに満足していた。だが、人

  • 俺の命を半分あげよう。

    かみさんの闘病中のこと。俺が心の中で、常に考えていたことがある。それは「かみさんに俺の命を半分あげよう」ということだった。命を半分あげる?そんなことを考えても、決して実現することはない。冷静に考えれば、「命を半分あげる」なんてできるはずがない。だが、かみ

  • 誰もが寝ている早朝のこと

    早朝5時半には起床する。そして、かみさんの仏前に座る。かみさんに線香をあげて、俺は遺影と目を合わせる。かみさんの表情を窺うものの、特段の変化はなく、俺は落胆する。バルコニーに出てみると、まだ人の気配は感じない。みんな寝静まっているのだろう。鬱がひどい。底

  • やけくそ

    頭がぼ~っとしている。それでも無理やり集中力を絞り出している。身体がダルい。それでも無理やり元気を絞り出している。ここ最近、心と身体の疲労感がハンパじゃない。ずっと疲れてはいるけれど、それでも俺は、自分自身にムチを打ち、なんとか毎日を乗り切っている。かみ

  • 覚悟をする余裕を与えられなかった遺族たち

    夫を亡くした人がいる。妻を亡くした人がいる。80歳や90歳になって亡くしたわけではない。まだ40歳や50歳であるにも関わらず、人生の伴侶を亡くしてしまったのだ。日頃から覚悟をしておくなんて余裕はなかった。それは突然にやってきたのだ。さっきまでは幸せだったのに、突

  • 脳に負った深い傷

    先週の金曜日の夜からだっただろうか。それとも土曜日に入ってからだろうか。いずれにしても、先週末から鬱(うつ)が酷い。昨晩、かみさんの夢を見た後は、得も言われぬ幸福感に包まれて、一時は鬱も快方に向かっていた。だが、しばらく経つと、また憂鬱な気分になってきた

  • 俺は“あの世”に行っていたのかもしれない。

    昨晩、俺は夢を見た。かみさんの夢だった。以前にも似たような夢を見たことがある。かみさんは“光”だった。俺も“光”だった。かみさんと俺は、まるで連星のように、お互いにお互いの周りを回っていた。時折お互いに触れあって、次第に二人の距離が縮まってきた。そして突

  • 挫折

    休日の朝。俺は平日と同様、午前5時半に起床する。寝床を出たらゴミを捨て、米を炊きながら掃除する。米が炊けたら、かみさんにお供えをする。そして、線香をあげる。しばしの間、かみさんの遺影を見つめる。哀しいような、切ないような、何とも表現しがたい気分だ。これで

  • 人生最期の修行

    かみさんがいない。世界でいちばん大切な人が逝ってしまった。そのとき以来、俺の涙腺は決壊した。あれから時間が経った。それなのに、いまだに涙が零れてしまう。16歳のときに実父が死んでから、一度も泣いたことがなかった俺なのに、今では涙もろくなってしまった。かみさ

  • 看取ってくれる人の不在

    かみさんが元気だった頃。俺は自分がかみさんより早く死ぬと思っていた。また、かみさんも自分のほうが長生きすると信じていた。俺が心配だったことがある。そのうちの一つは「俺が死んだあと、かみさんが困窮してしまうのではないか」ということだった。年金なんかアテにな

  • 死んでも死にきれない。

    かみさんが亡くなったばかりの頃だった。俺は人間が隠し持っている「残酷さ」を見せつけられた。もちろん全ての人間が残酷なわけではない。あの時期、俺に寄り添ってくれた人々もいたのだ。義母や2人の義弟、かみさんの親族たち、大学時代の友人たち、会社の先輩や同僚の一

  • 俺が生きる意味を問う。

    会社に行きたくない。仕事をサボりたい。家から出たくない。世間との関わりを断ち切りたい。朝から酒を飲みたい。酔っ払って寝ていたい。意識のあることが疎ましい。何も考えず、何も感じない「無」になりたい。かみさんが亡くなってから。俺は俗世間から身を引きたいと思っ

  • 悪夢を見たあとの表情

    今、俺はどんな表情をしているのだろうか。鏡を見ていないので確かめようがない。だが、自分の内面を見つめれば、自分の表情にも想像がつく。たぶん俺は、泣きたいような表情をしているだろう。たぶん俺は、眉間にシワを寄せ、苦痛に歪んだ表情をしているだろう。事実、俺は

  • 朝がいちばん嫌いだ。

    かみさんが元気だった頃。俺たち夫婦の朝は、とても賑やかだった。毎朝7時に目が覚めた。俺は顔を洗い、かみさんが作ってくれた朝食を摂り、歯を磨き、スーツに着替えた。かみさんは俺のために「愛妻弁当」を作ってくれた。その間、かみさんはずっと“おしゃべり”をしてい

  • 遺族たちの宿命

    寝床に就いたのは、22時05分だった。いつもより1時間半ほど早い就寝だ。台風による気圧の低下が原因だろうか。全身がダルいし、眠気も半端じゃなかったのだ。俺はかみさんに線香をあげてから、睡眠導入剤を服用した。そして、布団の中に潜り込んだ。俺は夢を見ていた。誰が

  • 今ここにある死別

    かみさんの死は、俺にとって過去の出来事ではない。今ここにある現実だ。だが、あれから月日が経ったことも事実だ。それにも関わらず、なぜ過去にならないのだろう。多分かみさんの死とともに時間が止まってしまったからだ。アルベルト・アインシュタインが明らかにしたよう

  • 世界はこんなにも広いのに…

    世界はこんなにも広い。そして、そこにはたくさんの人間が棲んでいる。これだけ大勢の人間がいるのに、なぜ俺たちだったんだろう?なぜ俺たち夫婦が、こんな目に合わなきゃならなかったんだろう?なんで容ちゃんだったんだろう?なんで俺だったんだろう?みんな、「なんで?

  • 北海道への移住

    ときおり無性に寂しくなってしまう。ひとりで自宅のソファに座り、チビチビとウィスキーを飲んでいるとき(ここ最近は禁酒しているが…)。ひとりでランチに行って、食事をしているとき。ひとりで街中を歩いているとき。いずれも俺が“ひとりぼっち”のときだ。かみさんが死

  • 咽び泣く理由

    物心がついた頃から、俺は泣かない子どもだった。泣いてしまうと、実母から殴られるからだ。実母は子どもを傷つけることを楽しんでいた。小さな子どもが傷つけられれば、泣きたくなるのが当然だ。だが、泣いてしまえばボコボコにされる。殴られないようにするために、幼少期

  • 不条理 ~悪魔は今でも生きている~

    俺の実母はマトモじゃない。俺を虐待し、妹を虐待した。実母は俺たち兄妹を言葉の暴力で傷つけた。俺たちが傷ついている表情を見せるたび、実母は下卑た笑いを浮かべていた。俺や妹を傷つけることに快感を覚えていたのだろう。小学校も高学年になると、俺は実母に反発するよ

  • 案外、近くにいるのかもしれない。

    ここ最近。心の中で、かみさんの名前をで呟くことが多くなった。自宅のリビングで、かみさんの位牌や遺影を眺めているとき。バルコニーの椅子に座り、ぼんやりと空を眺めているとき。電車やバスの窓から外を眺めているとき。さまざまな場面で、俺はかみさんの名前を心の中で

  • 人々との関係を紡ぎたい。

    日曜日はとても辛かった。微熱があったせいでもあるし、腰が痛かったせいでもある。あるいは、下腹部がシクシクと痛むせいでもあった。だが、それ以上に辛かったのは、強烈な不安感に苛まれていたからだ。心身が小刻みに震えていた。自分の芯が溶けてしまいそうだった。かみ

  • どっちも大嫌いだ。

    かみさんが元気だった頃。俺は「平日」も「休日」も好きだった。どっちが好きか? と聞かれれば、もちろん「休日」のほうが好きだったに決まってる。かみさんと一緒に買い物をしたり、散歩をしたり、外食したりの「休日」だ。かみさんと俺が、時間と空間のすべてを共有し、二

  • いざというとき弱いのだ。

    やっぱり俺にはわからない。俺はいったい何のために生きているんだろうか。俺はいったい何のために頑張っているんだろうか。ある「上から目線」の人からは、アンタは会社での立場があるんだから、頑張るのは当たり前だと言われた。課長は経営者側の役職である以上、会社に尽

  • もう二度と、あんな思いはしたくない。

    かみさんが元気だった頃。俺たち夫婦は、よく散歩した。俺は休日出勤をすることも多かったけど、そうでなければ土曜日のたび、かみさんと俺は、ブラブラと散歩した。昼頃に家を出て、二人でのんびり散歩して、帰宅するのは夜10時…ということも多かった。もちろん、ずっと歩

  • どうか早く帰ってきてほしい。

    人間は毎晩、夢を見ているそうだ。だが、たいていは見た夢を覚えてはいない。それどころか、夢を見た記憶さえ残っていないことも少なくない。そんな中、覚えている夢の印象は強烈だ。どんなに荒唐無稽な夢であっても、すみずみまで覚えているし、夢を見ていた間の感情も覚え

  • 最も濃密な関係が失われたとき

    人間という生き物には、「他人と関わりたい」という「コミュニケーション欲」がある。その欲求は、脳の奥深くに刻まれた本能的なものだろう。それぞれの人のコミュニケーション欲が、人々を「関係の網」で結び付けている。誰もが多くの人々との間に結ばれた「関係の網」の中

  • 破裂 ~悲嘆の抑圧~

    毎朝5時20分に目覚まし時計が鳴る。その瞬間、俺は目を覚ます。だが、すぐには寝床から出られない。しばしの間、俺は布団の中でボンヤリしている。すぐに起床できないのには訳がある。目覚めた瞬間、「鬱(うつ)」に襲われるからだ。鬱に抵抗し、起床するには10分程度の時間

  • 恐怖の中で幸福感を覚えること

    酒を飲まなくなってから40日になろうとしている。そのせいか、毎晩、熟睡できており、夜中に目覚めることは少なくなった。また、悪夢にうなされることもなくなった。だが、昨晩、久しぶりに夢を見た。夢の中、かみさんは俺の横にいた。かみさんと俺が窓の外を見ていた。する

  • 2つの選択肢

    かみさんが元気だった頃。俺には「やりたいこと」が山ほどあったし、「なりたい自分」も持っていた。それらは「理想の自分」みたいなものだった。かみさんが癌だと診断された日だ。俺はそれらを追い求めるのを止めた。かみさんの看病に専念したかったからだ。かみさんの病を

  • これが死別というものだ。

    かみさんはいつでも俺の隣にいてくれた。チョロチョロと俺にくっついてきて、俺の横でおしゃべりをしながらニコニコ笑っていた。そんなときのかみさんは、まるで俺の「娘」か「妹」のようだった。かみさんのことが、とても愛おしかった。一方で…かみさんが「母」や「姉」の

  • 雑感 ~台風接近をめぐって~

    現在8月16日の午前7時02分。いつものとおり、通勤途中にブログの記事を書いている。関東地方に台風が接近している。中心気圧は950ヘクトパスカル。東京に上陸する台風としては、歴代最強クラスらしい。俺が起床した朝5時半。とても激しい雨が降っていた。だが、幸いなことに

  • 心配する相手がいないこと

    かみさんの実家がある北海道は、地震が少ない。数年前の「北海道胆振東部地震」のような例外もあるが、めったに大きな地震は起こらない。かみさんが大きな地震を経験したのは、上京してから数年が経った頃だった。1991年、俺と暮らし始めた時期に、かみさんは初めて大きめの

  • 俺たちとは無縁の「あちら側」

    3連休の初日(8月10日)、俺はかみさんの墓参りに行った。その際、墓地は閑散としていた。せっかくの3連休だ。みんな墓参りなんかには行かず、帰省をしたり、旅行をしたりしているのだろう…と思っていた。だが、違ったらしい。今年のお盆は、8月13日から16日までなんだそ

  • 悪夢のような記憶のほうが、幸せな記憶よりも心に残る。

    8月の3連休が終わった。その間、俺はずっと“ひとりぼっち”だった。以前のように、朝から酒を飲み、眠たくなったら寝てしまい、起きたら再び酒を飲む、そんな過ごし方はしなかった。すでに禁酒は(8月12日時点で)33日目を迎えている。泥酔して寝落ちをしなかったせいか、

  • 世界の中心にいる人々の言葉

    旦那が死んだくらいで…嫁が死んだくらいで…子どもが死んだくらいで…いつまでも悲しんでんじゃねぇよ…こんなことを言えるのは、いったいどんな生き物なんだろう?こんなことを奴らには、いったいどんな色の血が流れているんだろう?かつての死別カテゴリーのブログには、

  • こんなにも不条理な世界

    クソ熱い3連休も、最終日を迎えた。予想していた通り、連休は時間がゆっくり流れた。8月10日はメンタルクリニックに通院し、その後、かみさんの墓参りに行った。墓地は閑散としていた。せっかくの3連休に墓参りをする奴なんて、俺くらいなのだろうか。みんな、どこかに遊び

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