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いつか迎えに来てくれる日まで http://blog.livedoor.jp/youchan1201/

たった一人の家族、最愛の妻を癌で喪った。独り遺された男やもめが、暗闇の中でもがき続ける日々の日記。

プーちゃん
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2010/07/09

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  • 断酒継続 ~ひとりぼっちの老後を想う~

    かみさんが元気だった頃。俺たち夫婦は、自分たちの老後について語り合った。おじいちゃん、おばあちゃんになっても二人で一緒に散歩しよう。おじいちゃん、おばあちゃんになっても二人で一緒に旅行しよう。おじいちゃん、おばあちゃんになっても二人で一緒に買い物に行こう

  • 記憶と悪夢 ~断酒の離脱症状~

    アルコール依存症の専門病院のサイトを見ると、酒を止めた後に現れる「離脱症状(禁断症状)」について詳しく知ることができる。また、「断酒 離脱症状」でググっても、数多くの禁断症状の情報を得ることができる。禁酒を始めてから、俺はさまざまな離脱症状に苦しんでいる

  • 断酒に成功した後の余生

    現在6月2日の午前7時29分。いつものとおり、通勤途中にブログの記事を書いている。昨晩で5日間、禁酒が続いた。かみさんが亡くなって以来、酒に溺れてきた俺にとっては辛い5日間だった。とりわけ辛いのは土曜日と日曜日だ。倦怠感やイライラした感覚、経験したことのない酷い

  • 聖域を守りたい。

    俺と同年代の人々。俺より年上の人々。あるいは俺より年下の人々。たくさんの知り合いがいる。その中には義母や二人の義弟もいる。大学時代の友人や、会社で知り合った友だちもいる。こんなに大勢の人々がいるのに、俺だけが異質な立場に置かれている。いつでも話のできる家

  • 伝えられなかった言葉

    かみさんが亡くなってから。いくつか後悔したことがある。そのうちの一つが、「かみさんに伝えておきたかったのに、伝えることができなかった言葉がある」ということだ。かみさんの闘病中。俺はかみさんと語り合い、二人の絆を確かめ合ってきた。だが、どうしても言えないこ

  • 禁酒の影響 ~切ない夢を見る~

    現在5月30日の午前7時35分。いつものとおり、通勤途中にブログの記事を書いている。まだ2日目だが、昨晩も禁酒に成功した。そのせいだろうか。吐き気や嘔吐は治まった。下痢もしなくなった。なんとか食事もできている。だが、さまざまな問題が生じているのも確かだ。最も辛

  • 禁酒を成功させるには

    かみさんが死んでしまった。俺を遺して逝ってしまった。それ以来、俺は酒に溺れてきた。最愛の家族を喪った悲嘆から目を背けるために、俺には“酔い”が必要だった。そして、かみさんの後を追うために、俺は自分を“破壊”したかった。しかし…昨日の記事に書いたとおり、俺

  • かみさんのように逝きたい。

    全身がとてもダルい。呼吸が荒れている。吐き気がする。夜には嘔吐してしまった。下痢も止まらない。食道に違和感がある。胃がシクシクと痛む。腹が減るのに何も食べる気力がない。夜は眠れない。朝には眠気で頭がボンヤリしている。俺の身体はメチャクチャだ。原因は分かっ

  • 失った「光」を取り戻すとき

    かみさんがいない。ひとりぼっちだ。とても哀しい。とても淋しい。とても虚しい。何もない「今」が苦しい。この苦痛を肯定することなんてできないが、だからと言って、逃げ場があるわけでもない。「今」を否定するならば、「過去」には戻れない以上、「未来」に望みを託すし

  • みんな自分が先に死にたいんだ。

    先日、ある新聞に出ていた。男性は「配偶者より先に死にたいと考える人が多い」のだそうだ。日本ホスピス・緩和ケア振興財団が行った調査によれば、「自分が先に死にたいか、後に死にたいか」と質問したところ、既婚男性のうちの8割近くが「自分が先に死にたい」と回答した

  • 余命宣告の選択肢

    これまで、このブログの「闘病記」の中で書いてきたが、俺はかみさんに余命を告げることはなかった。平成22年4月28日、癌研有明病院の医師から、「余命は年単位ではない」と言われたが、俺はそのことをかみさんに伝える気持ちにはなれなかった。かみさんに伝えなかったのには

  • 死を悼む者

    誰かが死んだとしても、悲しいとは限らない。むしろ悲しくないことのほうが多いはずだ。友人や知人が死んだ。会社の同僚が死んだ。近隣の住民が死んだ。名前も知らないどこかの誰かが死んだ。これらはすべて、第三者の死である。いわゆる「三人称の死」だ。彼らが死んだとし

  • 自分を大切にする必要はない。

    現在5月23日の午前7時21分。いつものとおり、通勤途中にブログの記事を書いている。今朝も5時半に目が覚めた。夜中に目覚めることはなく、朝まで熟睡できたはずだった。それなのに、目覚めた直後に感じたのは、強烈な「倦怠感(ダルさ)」だった。身体が重たい。全身の血液が

  • 一日で最も悲しい時間をめぐって

    毎朝5時半くらいに目が覚める。目覚めた瞬間、俺は周囲を見回す。俺の視界にかみさんはいない。目に入ってくるのは、かみさんの遺影だけだ。やはり夢ではないのだな…と思う。かみさんは確かに死んじゃったんだ。俺の気分は沈み込む。淋しいな…と思う。俺はかみさんの仏壇

  • パワハラ ~崩壊の背後にあったこと~

    かみさんが闘病中のこと。俺は介護のために休暇を取らせてもらった。同時に、かみさんの病気が治るまで、俺の管理職への昇進を見送ってほしいと願い出た。当時は周囲の人々に恵まれていた。この2つの希望を聞き入れてくれたのだ。だが…かみさんは亡くなってしまった。俺を

  • 喪失に満ちた人生

    毎晩のように、眠っている間に夢を見る。たまに、かみさんが夢に出てきてくれる。かみさんと俺が“おしゃべり”をしている夢。俺たち二人が一緒に散歩をしている夢。夫婦二人で食事をしている夢。夢の内容は他愛もない。しかし、目覚めた後は、ほんのり温かくて心地好い。だ

  • 普通に生きてみたかった。

    毎朝5時半くらいに目が覚める。俺は体内時計を調整するため、バルコニーに出て外気を吸う。だが、たいていの場合は効果がない。むしろ心がザワザワしてくる。全身の筋肉が小刻みに震えだす。あれは「不安感」だ。やっぱり俺は普通じゃない。やっぱり俺は狂ってる。リビングに

  • 寄り掛かることのできる人

    かみさんが元気だった頃。こんな俺にも「何でも話せる人」がいた。それは言うまでもない。かみさんだ。自分の弱い部分や醜い部分も含め、何でも話せる人の存在は、とても貴重だ。そんな人は、せいぜい家族のうちの誰かくらいしかいないからだ。ひょっとしたら家族にさえ何で

  • Walking Tour ~俺の原点~

    ここ最近、俺は堕ちている。そのことにお気づきの読者さんやメル友さんも多い。ほんの少しでいいから這い上がりたい、前を向きたい、自分を鼓舞したい。そう思って、今回の記事を書く。・・・このブログに「Walking Tour」の動画を貼り付けるのは何回目になるだろうか。何度

  • 心の中の、深くて鋭い傷

    かみさんが亡くなってから約1ヶ月。俺はほとんど眠れなかった。毎晩、布団の中で泣きじゃくっていた。あるいは毎晩、布団の中で咽び泣いていた。朝までほとんど意識を失うことができなかった。自律神経がメチャクチャだったのだろう。意識を失って「無」になれば、強烈な悲

  • 俺だけが違う。

    大学生のときの同級生たちがいる。大学時代は学費や生活費、家賃も自分で稼いでいたため、当時のアルバイト仲間たちもいる。会社には、かつての部下や同僚がいる。もちろん現在の部下や同僚もいる。自宅の近所には、挨拶をする程度の顔見知りもいる。彼らや彼女らは家庭を持

  • こんなに愛おしいと想うのに…

    眠りから覚める。今はいったい何時だろう。俺はそっと目を開く。そしてカーテンの隙間から窓の外を覗く。暗いときはホッとする。もう少し眠れるからだ。まだ世界と関わらなくていいからだ。かみさんのいなくなった世界を見なくて済むからだ。もう少し眠りたいと思う。かみさ

  • 相変わらずヤケクソだ。

    4月頃からだろうか。日曜日は、ほぼ何も食べていない。別にダイエットをしているわけではない。断食修行をしているわけでもない。食欲が湧かないのだ。腹は減るのに何も胃に入れたくないのだ。朝4時から6時の間に目が覚める。目覚めた瞬間に気づくのは、俺の中に深い「淋

  • 受け容れる力

    かみさんは俺のすべてを受け容れてくれた。俺の良いところだけじゃない。ダメなところも含め、全部を受け容れてくれた。おそらく俺は、かみさんにとって「唯一無二」の存在だった。誤解のないように言っておくが、「唯一無二」とは「特殊」という意味ではない。かみさんにと

  • 人生100年の時代なんて地獄だ。

    やたらと「人生100年時代」という言葉が耳につく。この言葉がニュースやCMで使われる場合、そこに陰惨なイメージはあまりない。老後に対する不安より、明るい未来が待っているかのようだ。一緒に過ごせる家族がいてくれて、経済的にも心配が無いのなら、100年の人生も悪く

  • 100年間の恐怖

    人生100年の時代と言われて久しい。長生きするのが素晴らしいことのように語られている。かみさんが元気だった頃ならば、俺たち夫婦も長生きしたいと思っていた。だが、日本人の平均寿命は男女ともに80歳を超える程度だ。日本人の半分は80歳になる前に死んでいるということだ

  • 壊れたからって死ねるとも限らない。

    現在5月9日の午前7時19分。いつものとおり、通勤途中にブログの記事を書いている。身体がダルくて仕方がない。昨晩は、ほとんど眠れなかったからだ。かみさんが亡くなってから、ずっと頼りにしている睡眠導入剤は飲んで寝た。しかし、熟睡できなかったのだ。意識を失いそうに

  • 得体の知れない淋しさ

    5月7日の水曜日。多少の残業をして、夜7時30分すぎに帰宅した。家の中は真っ暗だ。人の気配は、まったく無い。俺は深いタメ息をつき、家に入った。なぜだか知らないが、とても落ち着かない。そして異様に淋しい。平日の夜、こんなに淋しいのは久しぶりだった。俺は心を落ち着

  • 吐き出したくなるような4連休

    ゴールデンウィーク後半は4連休だった。かみさんが元気だったなら、とても楽しい連休だったはずだ。だが…かみさんはいないのだ。かみさんは死んじゃったのだ。ひとりぼっちの4連休なんて、ロクなもんじゃない。家族のいない4連休なんて、ロクなもんじゃない。・・・4連

  • 楽しくなくても生きていかなければならない。

    毎日がつまらない。何にも楽しいことがない。何にも面白いことがない。そんな俺に人々は言う。お酒以外に夢中になれるものを探したほうがいいよ…だが、楽しいことを見つける気力が湧かないのだ。面白いことを探す気力も湧かないのだ。そうだ。かみさんの死によって俺が失っ

  • 火葬

    俺は長生きしたかった。かみさんと一緒に長生きしたかった。80歳になろうとも、90歳になろうとも、二人で手をつないで散歩する。そんな老後を夢見ていた。そんな未来が来ると信じて疑わなかった。俺は人一倍、「生」への執着が強かったのかもしれない。・・・生きること、長

  • 遠ざかる世界

    ある日のこと。俺を取り巻く世界は、俺から遠のいて行った。かみさんが亡くなった日からではない。かみさんが癌と診断された日からだ。周囲の世界は、かみさんと俺を置き去りにし、遠くへ行ってしまった。手を伸ばせば、世界に触れることはできるのに、たとえ触れても何の感

  • かみさんに出会えて良かった…と想う。

    ゴールデンウィークに入ったからだろうか。俺は頻繁にかみさんのことを想い出す。他愛のない日常会話、二人で猫みたいにじゃれていたこと、散歩の途中で一緒に見た風景、海外旅行の思い出、二人で外食を楽しんでいた日々のこと。そういう穏やかで幸せな日々の想い出だ。だが

  • 奪われ続ける人生

    俺は沢山のものを奪われて生きてきた。生まれた瞬間から奪われて生きてきた。俺は親ガチャに外れた。とんでもない両親の下に生まれてしまった。父親はアルコールとギャンブルに依存していた。酔っぱらうと、父親は幼少の俺に暴言を吐いたり、俺を殴ったりしていた。母親は変

  • これ以上、堕ちたくはない。

    かみさんが亡くなってから。俺は堕ちてしまった。階段から落ちたわけではない。椅子から落ちたわけでもない。ましてや管理職から降格されたわけでもない。俺は奈落の底に堕ちたのだ。人として「堕落」してしまったのだ。もはや俺は「人間」ではない。単なる「動物」に堕ちた

  • 遺族の居場所

    現在4月30日の午前7時33分。いつものとおり、通勤途中にブログの記事を書いている。今日はゴールデンウィークの前半と後半の中間だ。平日であるにも関わらず、公共交通機関はいつもより空いている。やはり帰省や旅行をしている人が多いのだろう。座って出勤できるのだけは有

  • 絶対に失ってはならないモノ

    たとえ失ったとしても、取り戻せるものがある。だが、どうしても取り戻せないものだってある。取り戻せないからと言って、悲しいとは限らない。我々は「失ったって、どうでもいいもの」に囲まれているのだ。だからこそ俺たちは生きていける。何かを失うたびに人生が狂ってし

  • 遺族たちのゴールデンウィーク

    今年のゴールデンウィークは「飛び石連休」だ。4月28日月曜日。俺は出勤しなければならない。できることなら朝からウィスキーを飲んで自堕落に過ごしていたかった。だが、そういうわけにもいくまい。俺は鬱っぽい気分のまま家を出た。公共交通機関は、いつもより空いている。

  • これが俺の休日だ。

    休日の朝のこと。平日と同様、早い時間に目が覚める。おそらく5時から5時半くらいだろう。だが、時計を見て時間を確認する気分にはなれない。目を開き、明るい光を見るのが怖いのだ。だから俺は、ジッと目を閉じる。もう一度、眠ってしまいたいと強く願う。そうこうしてい

  • これ以上、惨めにならないように

    現在4月26日の午前11時48分。4月26日は、かみさんが癌と診断された日だ。世間はゴールデンウィークに入った。同じマンションの人々の多くが、どこかに出かけてしまったようだ。俺は心療内科に通院するため街中に出てみたが、周囲の人々は楽しげで、浮き足だっている。キャリ

  • 今でもかみさんのことが愛おしい。

    先日の記事に書いた通り、俺の生活リズムが崩れてしまった。午後10時半には寝床に入るけど、朝までほとんど眠れない日々が続いている。手元に睡眠導入剤がないからだ。眠れないのは本当に辛い。焦りばかりが募り、余計に眠れなくなってしまう。朝を迎え、眠ることを諦める。

  • 何度でも同じことを言う。

    何度でも同じことを言う。俺は目が覚める瞬間が大嫌いだ。かみさんが亡くなってから最初の数年間。朝目覚めると、俺は周囲を見回してかみさんを探した。あれ? なんで容ちゃんがいないんだろう…疑問を抱いた次の瞬間だった。俺は気がついた。あぁ、そうだっけ…容ちゃんは死

  • 崩れたリズム

    いちばん大切な人を亡くした人は、「生活リズム」という言葉をご存じだろう。夜になったらグッスリと寝て、朝になったらスッキリ目覚め、朝食を摂って出勤したり登校したりする。その後は仕事をしたり授業を受けたりして、昼休みになったら昼飯を食う。午後になったら、また

  • ゴールの向こう

    俺は1日に何度も呟いている。帰りたいな…と小声で呟いている。かみさんが亡くなってから、ずっと呟き続けているのだ。もちろん誰かに聞かれてしまったことはない。周囲に人がいないとき。俺が‘ひとりぼっち’になったとき。俺はタメ息をつきながら、「帰りたいな…」と呟

  • 依存症

    先週の土曜日のこと。月に一回通院しているメンタルクリニックに行くはずだった。かみさんが亡くなってから、俺は適応障害だし、複雑性悲嘆だし、睡眠障害だ。とりわけ辛いのは睡眠障害だ。睡眠導入剤(ハルシオンとレンドルミン)を飲まないと眠れない。それなのに、通院す

  • 精神と身体、そして心

    かみさんが癌だと診断された日のこと。俺の精神に”ひび”が入った。かみさんの病状が次第に悪化していくのを見ていた日々のこと。俺の精神も次第に崩れていった。そして…かみさんが息を引き取った瞬間。俺の精神は壊れてしまった。あれから時が経ったのに、いまだに精神が

  • 理想の老後、理想の死

    かみさんが元気だった頃。俺たち夫婦は「老後」について語り合うのが好きだった。心に弾みを失って、肉体は衰えて、人生の終焉が近づいている。そうした「老い」につきまとう寂しいイメージはなかった。マンションのバルコニーで緑茶でも飲みながら、暖かい日光を浴びて、2

  • 違和感と憎悪

    かみさんが亡くなってから。俺の心臓のあたりにポッカリと大きな穴が空いた。自分の半身を削がれたみたいで、心がとても痛かった。そして…周囲の世界が俺から遠ざかり、現実感を失った。俺の最愛の人が死んでしまった。それ以降、俺にとって、世界の姿はすっかり変わってし

  • 今を生きる。

    かつて俺の部下だったHさんという女性がいる。2年間一緒に働いたのだが、とても仕事のできる人だった。当時は係長として俺を支えてくれていた。彼女には、ご主人のほかに2人の娘さんがいた。Hさんは、俺がかみさんを亡くしたことを知っている。かみさんと俺には子どもが

  • 遺影の微笑

    俺は緊張(プレッシャー)を強いられる場面が少なくない。いわゆる「矢面(やおもて)に立つ」機会が多いのだ。会社での管理職という立場上、仕方がないのかもしれない。だが、いまだに俺は、このプレッシャーに慣れることができない。理由は分かっている。俺が“ひとりぼっ

  • 思慕

    死別による悲嘆から立ち直るというのは、どういうことなのだろうか。悲しみを抱えつつ、それでも前向きに生きる(あるいは、悲しみから解放されることで、自然と前向きに生きられるようになる)というのは、どういう意味なのだろうか。俺はその意味を知っているはずだ。父親

  • 早く年を取りたい。

    週末から頭がおかしかった。時間(曜日)の感覚が狂っていたのかもしれない。土曜日の朝のこと。目覚めると、俺は深い鬱状態にあった。ぼんやりした意識の中で、俺は「会社に行きたくないなぁ…」と強く思った。土曜日は休日だ。会社に行く必要なんてない。だが、時間の感覚

  • この世界の奴隷

    心拍数が上がっていく。息が苦しくなっていく。不安感で破裂してしまいそうだ。俺はかみさんの仏前に座る。全身を震わせながら、かみさんに線香をあげる。かみさんの遺影と位牌を見つめる。しかし、強烈な不安感は治まらない。壊れてしまいそうだ。ここまでくると、もはや化

  • 遺族は早く寝床に就く。

    かみさんと俺は、夜が好きだった。夜遅くまで他愛のない会話をするのが好きだった。かみさんが元気だった頃。俺が会社から帰って入浴を済ませると、俺たち夫婦はその日にあったことを語り合った。俺が仕事をしている間、二人は一緒にいられない。その「すき間」を埋めるかの

  • それ以外の過ごし方を知らないのだ。

    週末の金曜日から日曜日のこと。かみさんと俺にとって、最も軽やかで、最も愉しくて、最も嬉しい時間だった。毎週の金曜日。俺は深夜まで残業することが多かったけど、たまには定時で退社することができた。そんな日は、かみさんと有楽町や銀座、築地あたりで待ち合わせをし

  • 抑圧してはならないもの

    毎朝5時半くらいに目が覚める。その瞬間、かみさんが俺の隣にいないことに気づく。しばしの間、俺は呆然とする。いまだに俺は、かみさんがいないことに違和感を覚えるのだ。重力が強すぎる。それに逆らって、心と身体を立て直すのは簡単ではない。だが、なんとか俺は立ち上

  • 期待は裏切られる。

    昨日の記事で、俺はかみさんと「再会」したと書いた。かみさんの夢を見たのだ。俺はかみさんと語り合い、一緒に笑い、触れあうことができた。おかげで俺は、幸福感に満ちた一日を過ごした。こんな夢を見ると、欲が出る。次の晩も同じような夢を見たい、夢の中でもいいから、

  • 再会

    毎晩、帰宅するとウィスキーを飲む。水割りでもないし、ロックでもない。ストレートで飲むので、効果は“てきめん”だ。酒に酔い、俺はかみさんを喪った悲しさから少しばかり自由になれる。虚しい時間ではあるけれど、“ひとりぼっち”の寂しさから自由になれる。しかし、い

  • 孤独に対する恐怖

    仕事が終わって退社をすると、あらゆる人々との関係が切れてしまう。他愛のない会話をする相手は誰もいない。一緒に笑うことのできる相手も誰もいない。これは本物の孤独だ。街中や地下鉄の中には大勢の人がいるけれど、彼らは俺とは無関係だ。俺の歩行を邪魔する障害物にす

  • 今ここではない何処か

    自宅のリビングで酒を飲み、意識が朦朧としているとき。シャワーを浴びて、排水口に流れていく水を眺めているとき。仕事をしている最中、ふと肩の力を抜いたとき。通勤電車の中、やることもなく、ただ座っているとき。かみさんの仏前に座り込み、線香の煙を目で追っていると

  • 自分を嘲笑う。

    どうやらウィスキーを飲み過ぎたらしい。身体がダルくて仕方がないのだ。ちなみに発熱しているわけではない。風邪のような症状も見られない。ただでさえ肝臓の機能が低下しているにもかかわらず、たっぷり酒を飲んだため、さらにダメージを与えてしまったようだ。かみさんが

  • 出勤するまでの約2時間

    毎朝5時半くらいに目が覚める。決してすっきりした目覚めではない。また朝が来てしまったのか…と思うと暗い気持ちになってしまう。俺はかみさんの仏前に座る。そして線香をあげる。その直後からだ。どうしようもないほど不安になるのだ。どうしようもないほど鬱になるのだ

  • 抑揚のない毎日

    かみさんが亡くなってから。それなりに時間が経過した。それなのに…今でも俺の日常は、本当に退屈で、本当に単調で、本当につまらない。・・・平日の俺は、早朝に起床して、ぼんやりと時間を過ごし、スーツに着替えて出勤する。通勤途中に朝飯を食い、会社に着いたら仕事す

  • 俺は絶対にかみさんを忘れない。

    俺と妹は、両親から虐待されて育ってきた。父親は、酔っぱらうと俺を殴った。母親は、言葉の暴力で俺を傷つけ楽しんでいた。こうして俺は、自尊心を破壊されて生きてきた。だから俺は、人間が怖かった。人間不信になって、まともにコミュニケーションを取ることもできなかっ

  • ひとりぼっちが怖いのだ。

    早朝に目覚め、身支度をして出勤し、会社で仕事を始めるまでの時間。あるいは、会社から帰宅して、身体を休め、眠りに就くまでの時間。かつては、かみさんが俺の隣にいた。だから俺は寂しくなかった。空虚でもなかった。だから俺は楽しかった。とても幸せだった。かみさんの

  • 苦しい老化

    かみさんが元気だった頃。俺たち夫婦は、老後について語り合っていた。二人で一緒に年を取っていこう。二人で一緒に長生きをしよう。おじいちゃん、おばあちゃんになっても二人で毎年、海外旅行をしよう。80歳を過ぎても二人でいっぱい散歩をしよう。そして…死ぬときは二人

  • 逃走への誘惑

    かみさんが亡くなってから、俺は“ひとりぼっち”になった。かみさんを喪うとともに、俺は家庭を失った。かみさんがいた頃は、かみさんのために頑張るぞ!と思って生きてきた。かみさんが俺に生きる意味を与えてくれたのだ。かみさんの存在が、俺の気力や体力、努力を支えて

  • 隠棲への意志

    伴侶や子どもと死別するということ。最愛の人を喪ってしまうということ。それが悲しいのは人として当然のことだ。いちばん大切な人を亡くした者であれば、自分の半身を削ぎ落とされてしまったかのような、心にぽっかり穴が開いてしまったかのような、周囲の現実が自分から遠

  • 最後に遺される者

    義母(俺のかみさんのお袋さん)は、夫(俺のかみさんの親父さん)を喪った。さらには自分の娘(俺のかみさん)にまで先立たれてしまった。それ以来、義母はいつも言っている。早く死にたい…と言っている。俺は理由を聞いた。初めて聞いたのは、かみさんが亡くなってから2

  • 心臓のあたりの大きな空洞

    毎朝5時半すぎに目が覚める。全身の筋肉は弛緩している。寝床を出るのがとても辛い。それとは反対に心は緊張して張り詰めている。心臓のあたりに得体の知れない不安感が蹲っている。眠っている間に緊張していたはずはない。心が緊張していたら眠れないはずだ。おそらく目覚

  • 消えた笑顔

    かみさんが亡くなってから。それなりの年月が経った。つい最近のことだ。俺は自分の変化に気が付いた。かみさんが元気だった頃と、かみさんが亡くなった後との俺の変化についてだ。何年も前に気づいていても、おかしくないはずだった。それなのに、俺はつい先日まで気づいて

  • いらない人間

    かみさんが息を引き取った瞬間だった。周囲の世界が現実感を失って、俺から遠ざかっていった。手を伸ばせば触れることはできたのかもしれないが、すべてが質感のないホログラムのように見えていた。周囲と俺との間を透明な壁が塞いでしまった。そして俺は、壁の外側に排除さ

  • まるで罰ゲームみたいだな…

    俺が41歳のとき。かみさんが亡くなった。俺は自分の人生も終わった…と思った。約20年間の幸せで、楽しい日々が終わってしまった…と思った。これからどうやって生きていったらいいんだろうか。想像する未来は、あまりにも暗くて、あまりにも重たくて、あまりにも寂しかった

  • せめて償いをしたいんだ。

    かみさんと俺は、仲の良い夫婦だったと思う。そう思っていたのは、俺たち二人だけではない。俺と同期で入社した女性は、俺たち二人のことを「私にとって、理想の夫婦像」だと言ってくれた。また、かつて俺と同じ部署にいた女性は、「仲の良い夫婦は似てくるって言うけど、二

  • ”風景”の喪失

    ある“風景”を見ていた。それは、とても”きらびやか”で”華やか”だった。俺は気がついた。この“風景”は、かつて俺の傍らにあり、いつでも見たいときに見ていたものだった。他でもない。以前は俺自身のモノだった“風景”なのだ。それなのに…今の俺は、この“風景”を

  • 封印を解く。

    辛いなぁ…と呟きたくなることがある。もしも呟けば、なんで辛いの?と聞いてくれる人も多いだろう。だが、そこで何と応えればいいんだろうか。俺は迷ってしまう。花粉症で目が痒くて辛いんだよ…だとか、膝が痛くて辛いんだよ…と応えれば、大変だよねぇ…という答えが返っ

  • 贅沢は言わないけれど

    かみさんがいなくなってから。良いことなんて、めったに起こらなくなった。それは仕方のないことかもしれない。俺にとっての良いことは、いつでもかみさんと共にあったのだ。些細なことであろうとも、かみさんと一緒にいるだけで、それはとても良いことに感じられた。良いこ

  • 死の向こう側

    とてもゆっくりではある。しかし、その歩みは着実だ。次第に自分の心と身体が弱っていくのが分かる。とりわけ気分や体調の悪い日には、「死」を身近に感じる。それは決して陰惨なものではないし、恐怖の対象でもない。むしろ甘美で柔らかい何ものかなのだ。自分の最愛の人の

  • 朝が大嫌いだ。

    かみさんが元気だった頃。朝目覚めると、かみさんはいつだって俺の横にいた。かみさんと目が合った。かみさんと俺は、自然と笑顔になった。寝室を出ると、俺は出勤の準備だ。その間、かみさんは“おしゃべり”をしながら朝食や「愛妻弁当」を作ってくれた。俺たち夫婦はバタ

  • 世界との不調和

    かみさんが眠るように息を引き取った瞬間。俺は「すべて」が終わったと思った。俺の心に、大きな穴がポッカリと開いた。何かが俺の中から欠落してしまったのだ。俺は悲しみとともに、呆然と立ち尽くした。穴は依然として俺の中にある。何かが足りないのだ。何かが決定的に欠

  • ピークアウト

    全身がダルい。強い不安感で居たたまれない。つまらない。あまりにも退屈だ。ツラい。とても苦しい。寂しい。そして悲しい。時間が経つと、今より良くなるなら堪えてみよう。努力をすれば、今より良くなるなら我慢しよう。だが、事態が好転する見込みがないのだ。明るい未来

  • 金曜日の夜の想い出

    毎週末の土曜日のこと。俺が休日出勤をしない限り、かみさんと俺は、何時間も散歩をしていた。他愛のない会話をしながら、二人でのんびり遠くまで歩くのが好きだった。散歩の終わりには、どこかのレストランや居酒屋に入った。よく冷えたビールなんかを飲みながら、美味しい

  • 音のない世界

    かみさんが元気だった頃。かみさんの隣は空気が軽くて明るくて、暖かかった。俺はかみさんの賑やかな声に耳を傾けていた。その結果、俺の意識はいつでも外の世界に向けられていた。外の世界が俺を受け容れてくれた。とても気持ちが良くて、安心することができた。かみさんの

  • 人間は、自分が最も愛する人のために生きている。

    いったい俺はなんのために生きているんだろうか…かみさんが亡くなってから、ずっと俺が囚われている疑問だ。なんの喜びもないのだ。なんの楽しみもないのだ。なんの生きがいもないのだ。死なないから生きているだけ。痛みも苦しみもなく、眠るように逝けるなら、こんなに幸

  • セルフ・ネグレクト

    以前「闘病記」に書いたことがある。かみさんは、自分の病が治ると信じていたにも関わらず、入院中に二回だけ泣いたことがあるのだ。いずれの時も、かみさんは同じことを言っていた。プーちゃんを遺して死にたくない…プーちゃんを遺して死ぬのはイヤだ…死ぬのが怖い…と言

  • 悲しむ義父

    俺の義父(かみさんの親父さん)は小学校の先生だった。焼酎と釣りが大好きで、とても包容力のある優しい人だった。俺の義母(かみさんのお袋さん)によれば、かみさんは父親似の性格だったらしい。義父は俺をとても気に入ってくれた。まるで本当の息子のように俺を受け容れ

  • 朝が変わってしまった。

    かみさんが元気だった頃。俺たち夫婦の朝は賑やかだった。目覚まし時計が鳴ると、二人は同時に目を覚ました。すると、かみさんと俺の目が合った。かみさんは俺を見て笑顔になってくれた。俺もかみさんを見て笑顔になった。寝室から出ると、かみさんは朝食を作ってくれた。そ

  • 初めから死にたかったわけではない。

    初めから死にたかったわけではない。幼少期に両親から虐待されようと、何度も実母から殺されかけようと、それでも俺は生きていたかった。皮膚を引き裂かれ、内臓を食い破られた。自尊心を破壊され、心を殺された。それでも俺は、死にたいとは思わなかった。当時の俺の周りに

  • 社会との接点が切れるとき

    かみさんが闘病していた時期のこと。ひょっとしたら病気が治るかも知れないと思っていた。どうか治してあげてほしいと全力で祈っていた。かみさんが俺の横で笑っていた。かみさんと一緒にいる全ての瞬間が愛おしかった。あの時期には、まだ希望があった。だが、かみさんは俺

  • 生きる意味を探すこと

    かみさんが亡くなってから。それなりの年月が経過した。あの日以来、俺は“ある疑問”に取りつかれ、その疑問の回答はいまだに得られていない。その疑問。それは「なんのために俺は生きているのだろうか」という疑問だ。かみさんがいなくなった。かみさんと一緒に過ごす日々

  • 【改稿】孤独死の条件

    日本では、年間に約7万人が「孤独死」をしているそうだ。そのうち8割は男性が占めている。孤独死する人々には、いくつかの共通点があるという。① 配偶者との離別や死別によって、“ひとりぼっち”で生活していること、② ほかに家族がいないこと、③ 近所付き合いがな

  • 終焉

    早朝5時半には目が覚める。今日も一日が始まってしまったのか…と深いタメ息をつく。身体がとてもダルいので、会社を休んで寝ていたい。それでも俺は、身体を起こし、かみさんの仏前に座る。ローソクに火を灯し、かみさんに線香を手向ける。かみさんの位牌を見つめていると

  • プーちゃんも一緒に…

    プーちゃんも一緒に…20年以上一緒に暮らしている中で、俺は、かみさんの口から何度もこの言葉を聞いた。プーちゃんも一緒に…この言葉は、かみさんの口癖のようなものだった。・・・かみさんが美味しいものを食べていると、俺にも食べさせてあげたいと想うのだろう。かみさ

  • 絶対的なマイノリティ

    何かの本で読んだ。人は年を重ね、自らが高齢者になると、自然と「死」を意識するようになるのだそうだ。いずれは自分も死ぬ。自分の愛する人も死ぬ。自分も、自分の愛する人も、「死」と無縁ではない。最近、エンディング・ノートとやらが流行しているらしい。これを作るの

  • スピリチュアリズムの暴力

    「魂は光で、エネルギーです」「亡くなった奥様は、別の次元にいるのです」「亡くなった人は、あなたの傍にいます。見えないのは、波動や周波数が異なるからです」「波調が合えば、あなたも奥様の存在を感じることができるはずなのです」「私は死後の世界があることを、科学

  • リアルで身近な死

    若年で伴侶を亡くした人や、お子さんを亡くした人にとって、死はとてもリアルだ。普通の人々なら、いずれは自分も死ぬとは分かっていても、それは遠い未来の話。自分の死の瞬間をリアルに想像することなどあるまい。だが、最愛の人が亡くなれば話は別だ。死は遠い未来のこと

  • 楽になるよ…って、どういう意味だ?

    心電図の音が、次第にゆっくりになっていく。かみさんが遠くに逝ってしまう。とうとう「この瞬間」が来てしまった。それでも俺は、かみさんの意識を取り戻そうとして、彼女の左手をギュッと握った。だが、その行為は虚しかった。しばらくすると、心電図が平坦になった。かみ

  • 安眠を妨げるもの

    かみさんが亡くなって最初の約1ヶ月。俺はまったく眠れなくなってしまった。あまりの激しい悲しみで、俺の交感神経が興奮しきっていたのだろう。あれは地獄だ。布団に入ってからも全身の力が抜けず、激しい悲嘆で頭の中はグチャグチャだった。それが朝まで続くのだ。俺は発

  • 腹の真ん中に空いた穴

    かみさんが亡くなってからの数年間。俺は誰もいない自宅の中で泣いていた。全身が引き裂かれるような激しい痛みで、俺は号泣し、慟哭し、泣き叫んでいた。だが、時間の経過とともに、あの激しい「悲しみ」は姿を変えていった。穏やかなように見えるけど、あまりにも深い「哀

  • 心が折れた。

    かみさんが元気だった頃。俺にはやりたいことが山ほどあった。その中には、かみさんと一緒にやりたいこともあったし、俺がひとりでやりたいこともあった。俺は、それらを実現させるため、日々の努力を重ねてきた。その努力を放棄したのは、かみさんが癌だと診断された直後だ

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