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いつか迎えに来てくれる日まで http://blog.livedoor.jp/youchan1201/

たった一人の家族、最愛の妻を癌で喪った。独り遺された男やもめが、暗闇の中でもがき続ける日々の日記。

プーちゃん
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2010/07/09

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  • 何度でも同じことを言う。

    何度でも同じことを言う。俺は目が覚める瞬間が大嫌いだ。かみさんが亡くなってから最初の数年間。朝目覚めると、俺は周囲を見回してかみさんを探した。あれ? なんで容ちゃんがいないんだろう…疑問を抱いた次の瞬間だった。俺は気がついた。あぁ、そうだっけ…容ちゃんは死

  • 崩れたリズム

    いちばん大切な人を亡くした人は、「生活リズム」という言葉をご存じだろう。夜になったらグッスリと寝て、朝になったらスッキリ目覚め、朝食を摂って出勤したり登校したりする。その後は仕事をしたり授業を受けたりして、昼休みになったら昼飯を食う。午後になったら、また

  • ゴールの向こう

    俺は1日に何度も呟いている。帰りたいな…と小声で呟いている。かみさんが亡くなってから、ずっと呟き続けているのだ。もちろん誰かに聞かれてしまったことはない。周囲に人がいないとき。俺が‘ひとりぼっち’になったとき。俺はタメ息をつきながら、「帰りたいな…」と呟

  • 依存症

    先週の土曜日のこと。月に一回通院しているメンタルクリニックに行くはずだった。かみさんが亡くなってから、俺は適応障害だし、複雑性悲嘆だし、睡眠障害だ。とりわけ辛いのは睡眠障害だ。睡眠導入剤(ハルシオンとレンドルミン)を飲まないと眠れない。それなのに、通院す

  • 精神と身体、そして心

    かみさんが癌だと診断された日のこと。俺の精神に”ひび”が入った。かみさんの病状が次第に悪化していくのを見ていた日々のこと。俺の精神も次第に崩れていった。そして…かみさんが息を引き取った瞬間。俺の精神は壊れてしまった。あれから時が経ったのに、いまだに精神が

  • 理想の老後、理想の死

    かみさんが元気だった頃。俺たち夫婦は「老後」について語り合うのが好きだった。心に弾みを失って、肉体は衰えて、人生の終焉が近づいている。そうした「老い」につきまとう寂しいイメージはなかった。マンションのバルコニーで緑茶でも飲みながら、暖かい日光を浴びて、2

  • 違和感と憎悪

    かみさんが亡くなってから。俺の心臓のあたりにポッカリと大きな穴が空いた。自分の半身を削がれたみたいで、心がとても痛かった。そして…周囲の世界が俺から遠ざかり、現実感を失った。俺の最愛の人が死んでしまった。それ以降、俺にとって、世界の姿はすっかり変わってし

  • 今を生きる。

    かつて俺の部下だったHさんという女性がいる。2年間一緒に働いたのだが、とても仕事のできる人だった。当時は係長として俺を支えてくれていた。彼女には、ご主人のほかに2人の娘さんがいた。Hさんは、俺がかみさんを亡くしたことを知っている。かみさんと俺には子どもが

  • 遺影の微笑

    俺は緊張(プレッシャー)を強いられる場面が少なくない。いわゆる「矢面(やおもて)に立つ」機会が多いのだ。会社での管理職という立場上、仕方がないのかもしれない。だが、いまだに俺は、このプレッシャーに慣れることができない。理由は分かっている。俺が“ひとりぼっ

  • 思慕

    死別による悲嘆から立ち直るというのは、どういうことなのだろうか。悲しみを抱えつつ、それでも前向きに生きる(あるいは、悲しみから解放されることで、自然と前向きに生きられるようになる)というのは、どういう意味なのだろうか。俺はその意味を知っているはずだ。父親

  • 早く年を取りたい。

    週末から頭がおかしかった。時間(曜日)の感覚が狂っていたのかもしれない。土曜日の朝のこと。目覚めると、俺は深い鬱状態にあった。ぼんやりした意識の中で、俺は「会社に行きたくないなぁ…」と強く思った。土曜日は休日だ。会社に行く必要なんてない。だが、時間の感覚

  • この世界の奴隷

    心拍数が上がっていく。息が苦しくなっていく。不安感で破裂してしまいそうだ。俺はかみさんの仏前に座る。全身を震わせながら、かみさんに線香をあげる。かみさんの遺影と位牌を見つめる。しかし、強烈な不安感は治まらない。壊れてしまいそうだ。ここまでくると、もはや化

  • 遺族は早く寝床に就く。

    かみさんと俺は、夜が好きだった。夜遅くまで他愛のない会話をするのが好きだった。かみさんが元気だった頃。俺が会社から帰って入浴を済ませると、俺たち夫婦はその日にあったことを語り合った。俺が仕事をしている間、二人は一緒にいられない。その「すき間」を埋めるかの

  • それ以外の過ごし方を知らないのだ。

    週末の金曜日から日曜日のこと。かみさんと俺にとって、最も軽やかで、最も愉しくて、最も嬉しい時間だった。毎週の金曜日。俺は深夜まで残業することが多かったけど、たまには定時で退社することができた。そんな日は、かみさんと有楽町や銀座、築地あたりで待ち合わせをし

  • 抑圧してはならないもの

    毎朝5時半くらいに目が覚める。その瞬間、かみさんが俺の隣にいないことに気づく。しばしの間、俺は呆然とする。いまだに俺は、かみさんがいないことに違和感を覚えるのだ。重力が強すぎる。それに逆らって、心と身体を立て直すのは簡単ではない。だが、なんとか俺は立ち上

  • 期待は裏切られる。

    昨日の記事で、俺はかみさんと「再会」したと書いた。かみさんの夢を見たのだ。俺はかみさんと語り合い、一緒に笑い、触れあうことができた。おかげで俺は、幸福感に満ちた一日を過ごした。こんな夢を見ると、欲が出る。次の晩も同じような夢を見たい、夢の中でもいいから、

  • 再会

    毎晩、帰宅するとウィスキーを飲む。水割りでもないし、ロックでもない。ストレートで飲むので、効果は“てきめん”だ。酒に酔い、俺はかみさんを喪った悲しさから少しばかり自由になれる。虚しい時間ではあるけれど、“ひとりぼっち”の寂しさから自由になれる。しかし、い

  • 孤独に対する恐怖

    仕事が終わって退社をすると、あらゆる人々との関係が切れてしまう。他愛のない会話をする相手は誰もいない。一緒に笑うことのできる相手も誰もいない。これは本物の孤独だ。街中や地下鉄の中には大勢の人がいるけれど、彼らは俺とは無関係だ。俺の歩行を邪魔する障害物にす

  • 今ここではない何処か

    自宅のリビングで酒を飲み、意識が朦朧としているとき。シャワーを浴びて、排水口に流れていく水を眺めているとき。仕事をしている最中、ふと肩の力を抜いたとき。通勤電車の中、やることもなく、ただ座っているとき。かみさんの仏前に座り込み、線香の煙を目で追っていると

  • 自分を嘲笑う。

    どうやらウィスキーを飲み過ぎたらしい。身体がダルくて仕方がないのだ。ちなみに発熱しているわけではない。風邪のような症状も見られない。ただでさえ肝臓の機能が低下しているにもかかわらず、たっぷり酒を飲んだため、さらにダメージを与えてしまったようだ。かみさんが

  • 出勤するまでの約2時間

    毎朝5時半くらいに目が覚める。決してすっきりした目覚めではない。また朝が来てしまったのか…と思うと暗い気持ちになってしまう。俺はかみさんの仏前に座る。そして線香をあげる。その直後からだ。どうしようもないほど不安になるのだ。どうしようもないほど鬱になるのだ

  • 抑揚のない毎日

    かみさんが亡くなってから。それなりに時間が経過した。それなのに…今でも俺の日常は、本当に退屈で、本当に単調で、本当につまらない。・・・平日の俺は、早朝に起床して、ぼんやりと時間を過ごし、スーツに着替えて出勤する。通勤途中に朝飯を食い、会社に着いたら仕事す

  • 俺は絶対にかみさんを忘れない。

    俺と妹は、両親から虐待されて育ってきた。父親は、酔っぱらうと俺を殴った。母親は、言葉の暴力で俺を傷つけ楽しんでいた。こうして俺は、自尊心を破壊されて生きてきた。だから俺は、人間が怖かった。人間不信になって、まともにコミュニケーションを取ることもできなかっ

  • ひとりぼっちが怖いのだ。

    早朝に目覚め、身支度をして出勤し、会社で仕事を始めるまでの時間。あるいは、会社から帰宅して、身体を休め、眠りに就くまでの時間。かつては、かみさんが俺の隣にいた。だから俺は寂しくなかった。空虚でもなかった。だから俺は楽しかった。とても幸せだった。かみさんの

  • 苦しい老化

    かみさんが元気だった頃。俺たち夫婦は、老後について語り合っていた。二人で一緒に年を取っていこう。二人で一緒に長生きをしよう。おじいちゃん、おばあちゃんになっても二人で毎年、海外旅行をしよう。80歳を過ぎても二人でいっぱい散歩をしよう。そして…死ぬときは二人

  • 逃走への誘惑

    かみさんが亡くなってから、俺は“ひとりぼっち”になった。かみさんを喪うとともに、俺は家庭を失った。かみさんがいた頃は、かみさんのために頑張るぞ!と思って生きてきた。かみさんが俺に生きる意味を与えてくれたのだ。かみさんの存在が、俺の気力や体力、努力を支えて

  • 隠棲への意志

    伴侶や子どもと死別するということ。最愛の人を喪ってしまうということ。それが悲しいのは人として当然のことだ。いちばん大切な人を亡くした者であれば、自分の半身を削ぎ落とされてしまったかのような、心にぽっかり穴が開いてしまったかのような、周囲の現実が自分から遠

  • 最後に遺される者

    義母(俺のかみさんのお袋さん)は、夫(俺のかみさんの親父さん)を喪った。さらには自分の娘(俺のかみさん)にまで先立たれてしまった。それ以来、義母はいつも言っている。早く死にたい…と言っている。俺は理由を聞いた。初めて聞いたのは、かみさんが亡くなってから2

  • 心臓のあたりの大きな空洞

    毎朝5時半すぎに目が覚める。全身の筋肉は弛緩している。寝床を出るのがとても辛い。それとは反対に心は緊張して張り詰めている。心臓のあたりに得体の知れない不安感が蹲っている。眠っている間に緊張していたはずはない。心が緊張していたら眠れないはずだ。おそらく目覚

  • 消えた笑顔

    かみさんが亡くなってから。それなりの年月が経った。つい最近のことだ。俺は自分の変化に気が付いた。かみさんが元気だった頃と、かみさんが亡くなった後との俺の変化についてだ。何年も前に気づいていても、おかしくないはずだった。それなのに、俺はつい先日まで気づいて

  • いらない人間

    かみさんが息を引き取った瞬間だった。周囲の世界が現実感を失って、俺から遠ざかっていった。手を伸ばせば触れることはできたのかもしれないが、すべてが質感のないホログラムのように見えていた。周囲と俺との間を透明な壁が塞いでしまった。そして俺は、壁の外側に排除さ

  • まるで罰ゲームみたいだな…

    俺が41歳のとき。かみさんが亡くなった。俺は自分の人生も終わった…と思った。約20年間の幸せで、楽しい日々が終わってしまった…と思った。これからどうやって生きていったらいいんだろうか。想像する未来は、あまりにも暗くて、あまりにも重たくて、あまりにも寂しかった

  • せめて償いをしたいんだ。

    かみさんと俺は、仲の良い夫婦だったと思う。そう思っていたのは、俺たち二人だけではない。俺と同期で入社した女性は、俺たち二人のことを「私にとって、理想の夫婦像」だと言ってくれた。また、かつて俺と同じ部署にいた女性は、「仲の良い夫婦は似てくるって言うけど、二

  • ”風景”の喪失

    ある“風景”を見ていた。それは、とても”きらびやか”で”華やか”だった。俺は気がついた。この“風景”は、かつて俺の傍らにあり、いつでも見たいときに見ていたものだった。他でもない。以前は俺自身のモノだった“風景”なのだ。それなのに…今の俺は、この“風景”を

  • 封印を解く。

    辛いなぁ…と呟きたくなることがある。もしも呟けば、なんで辛いの?と聞いてくれる人も多いだろう。だが、そこで何と応えればいいんだろうか。俺は迷ってしまう。花粉症で目が痒くて辛いんだよ…だとか、膝が痛くて辛いんだよ…と応えれば、大変だよねぇ…という答えが返っ

  • 贅沢は言わないけれど

    かみさんがいなくなってから。良いことなんて、めったに起こらなくなった。それは仕方のないことかもしれない。俺にとっての良いことは、いつでもかみさんと共にあったのだ。些細なことであろうとも、かみさんと一緒にいるだけで、それはとても良いことに感じられた。良いこ

  • 死の向こう側

    とてもゆっくりではある。しかし、その歩みは着実だ。次第に自分の心と身体が弱っていくのが分かる。とりわけ気分や体調の悪い日には、「死」を身近に感じる。それは決して陰惨なものではないし、恐怖の対象でもない。むしろ甘美で柔らかい何ものかなのだ。自分の最愛の人の

  • 朝が大嫌いだ。

    かみさんが元気だった頃。朝目覚めると、かみさんはいつだって俺の横にいた。かみさんと目が合った。かみさんと俺は、自然と笑顔になった。寝室を出ると、俺は出勤の準備だ。その間、かみさんは“おしゃべり”をしながら朝食や「愛妻弁当」を作ってくれた。俺たち夫婦はバタ

  • 世界との不調和

    かみさんが眠るように息を引き取った瞬間。俺は「すべて」が終わったと思った。俺の心に、大きな穴がポッカリと開いた。何かが俺の中から欠落してしまったのだ。俺は悲しみとともに、呆然と立ち尽くした。穴は依然として俺の中にある。何かが足りないのだ。何かが決定的に欠

  • ピークアウト

    全身がダルい。強い不安感で居たたまれない。つまらない。あまりにも退屈だ。ツラい。とても苦しい。寂しい。そして悲しい。時間が経つと、今より良くなるなら堪えてみよう。努力をすれば、今より良くなるなら我慢しよう。だが、事態が好転する見込みがないのだ。明るい未来

  • 金曜日の夜の想い出

    毎週末の土曜日のこと。俺が休日出勤をしない限り、かみさんと俺は、何時間も散歩をしていた。他愛のない会話をしながら、二人でのんびり遠くまで歩くのが好きだった。散歩の終わりには、どこかのレストランや居酒屋に入った。よく冷えたビールなんかを飲みながら、美味しい

  • 音のない世界

    かみさんが元気だった頃。かみさんの隣は空気が軽くて明るくて、暖かかった。俺はかみさんの賑やかな声に耳を傾けていた。その結果、俺の意識はいつでも外の世界に向けられていた。外の世界が俺を受け容れてくれた。とても気持ちが良くて、安心することができた。かみさんの

  • 人間は、自分が最も愛する人のために生きている。

    いったい俺はなんのために生きているんだろうか…かみさんが亡くなってから、ずっと俺が囚われている疑問だ。なんの喜びもないのだ。なんの楽しみもないのだ。なんの生きがいもないのだ。死なないから生きているだけ。痛みも苦しみもなく、眠るように逝けるなら、こんなに幸

  • セルフ・ネグレクト

    以前「闘病記」に書いたことがある。かみさんは、自分の病が治ると信じていたにも関わらず、入院中に二回だけ泣いたことがあるのだ。いずれの時も、かみさんは同じことを言っていた。プーちゃんを遺して死にたくない…プーちゃんを遺して死ぬのはイヤだ…死ぬのが怖い…と言

  • 悲しむ義父

    俺の義父(かみさんの親父さん)は小学校の先生だった。焼酎と釣りが大好きで、とても包容力のある優しい人だった。俺の義母(かみさんのお袋さん)によれば、かみさんは父親似の性格だったらしい。義父は俺をとても気に入ってくれた。まるで本当の息子のように俺を受け容れ

  • 朝が変わってしまった。

    かみさんが元気だった頃。俺たち夫婦の朝は賑やかだった。目覚まし時計が鳴ると、二人は同時に目を覚ました。すると、かみさんと俺の目が合った。かみさんは俺を見て笑顔になってくれた。俺もかみさんを見て笑顔になった。寝室から出ると、かみさんは朝食を作ってくれた。そ

  • 初めから死にたかったわけではない。

    初めから死にたかったわけではない。幼少期に両親から虐待されようと、何度も実母から殺されかけようと、それでも俺は生きていたかった。皮膚を引き裂かれ、内臓を食い破られた。自尊心を破壊され、心を殺された。それでも俺は、死にたいとは思わなかった。当時の俺の周りに

  • 社会との接点が切れるとき

    かみさんが闘病していた時期のこと。ひょっとしたら病気が治るかも知れないと思っていた。どうか治してあげてほしいと全力で祈っていた。かみさんが俺の横で笑っていた。かみさんと一緒にいる全ての瞬間が愛おしかった。あの時期には、まだ希望があった。だが、かみさんは俺

  • 生きる意味を探すこと

    かみさんが亡くなってから。それなりの年月が経過した。あの日以来、俺は“ある疑問”に取りつかれ、その疑問の回答はいまだに得られていない。その疑問。それは「なんのために俺は生きているのだろうか」という疑問だ。かみさんがいなくなった。かみさんと一緒に過ごす日々

  • 【改稿】孤独死の条件

    日本では、年間に約7万人が「孤独死」をしているそうだ。そのうち8割は男性が占めている。孤独死する人々には、いくつかの共通点があるという。① 配偶者との離別や死別によって、“ひとりぼっち”で生活していること、② ほかに家族がいないこと、③ 近所付き合いがな

  • 終焉

    早朝5時半には目が覚める。今日も一日が始まってしまったのか…と深いタメ息をつく。身体がとてもダルいので、会社を休んで寝ていたい。それでも俺は、身体を起こし、かみさんの仏前に座る。ローソクに火を灯し、かみさんに線香を手向ける。かみさんの位牌を見つめていると

  • プーちゃんも一緒に…

    プーちゃんも一緒に…20年以上一緒に暮らしている中で、俺は、かみさんの口から何度もこの言葉を聞いた。プーちゃんも一緒に…この言葉は、かみさんの口癖のようなものだった。・・・かみさんが美味しいものを食べていると、俺にも食べさせてあげたいと想うのだろう。かみさ

  • 絶対的なマイノリティ

    何かの本で読んだ。人は年を重ね、自らが高齢者になると、自然と「死」を意識するようになるのだそうだ。いずれは自分も死ぬ。自分の愛する人も死ぬ。自分も、自分の愛する人も、「死」と無縁ではない。最近、エンディング・ノートとやらが流行しているらしい。これを作るの

  • スピリチュアリズムの暴力

    「魂は光で、エネルギーです」「亡くなった奥様は、別の次元にいるのです」「亡くなった人は、あなたの傍にいます。見えないのは、波動や周波数が異なるからです」「波調が合えば、あなたも奥様の存在を感じることができるはずなのです」「私は死後の世界があることを、科学

  • リアルで身近な死

    若年で伴侶を亡くした人や、お子さんを亡くした人にとって、死はとてもリアルだ。普通の人々なら、いずれは自分も死ぬとは分かっていても、それは遠い未来の話。自分の死の瞬間をリアルに想像することなどあるまい。だが、最愛の人が亡くなれば話は別だ。死は遠い未来のこと

  • 楽になるよ…って、どういう意味だ?

    心電図の音が、次第にゆっくりになっていく。かみさんが遠くに逝ってしまう。とうとう「この瞬間」が来てしまった。それでも俺は、かみさんの意識を取り戻そうとして、彼女の左手をギュッと握った。だが、その行為は虚しかった。しばらくすると、心電図が平坦になった。かみ

  • 安眠を妨げるもの

    かみさんが亡くなって最初の約1ヶ月。俺はまったく眠れなくなってしまった。あまりの激しい悲しみで、俺の交感神経が興奮しきっていたのだろう。あれは地獄だ。布団に入ってからも全身の力が抜けず、激しい悲嘆で頭の中はグチャグチャだった。それが朝まで続くのだ。俺は発

  • 腹の真ん中に空いた穴

    かみさんが亡くなってからの数年間。俺は誰もいない自宅の中で泣いていた。全身が引き裂かれるような激しい痛みで、俺は号泣し、慟哭し、泣き叫んでいた。だが、時間の経過とともに、あの激しい「悲しみ」は姿を変えていった。穏やかなように見えるけど、あまりにも深い「哀

  • 心が折れた。

    かみさんが元気だった頃。俺にはやりたいことが山ほどあった。その中には、かみさんと一緒にやりたいこともあったし、俺がひとりでやりたいこともあった。俺は、それらを実現させるため、日々の努力を重ねてきた。その努力を放棄したのは、かみさんが癌だと診断された直後だ

  • 生まれてこなければ…

    日本人男性の平均寿命は概ね80歳と言われている。20年をひとつの単位とすると、それを4回ほど繰り返せば人生は終わりだ。俺の80年の人生のうち、最初の約20年間には反吐が出る。良い思い出なんて一つもないからだ。ツラいこと、苦しいこと、イヤなことばっかりで、この世界

  • ポケットの中の容子ちゃん (再掲)

    以下は、かみさんと俺との他愛のない会話だ。かみさんが俺に聞いた。ドラえもんの道具の中で、いちばん欲しいのは何?俺はしばらく考えたあと、どこでもドアと応えた。このブログの中で書いてきたとおり、俺たち夫婦は夏休みのたびに海外旅行をしていた。かみさんと俺の趣味

  • 仲の良い夫婦は死別してはならない。

    かみさんはいつも言っていた。死ぬときは二人一緒がいいよね。俺も「そうだね」と応えていた。だが、それは叶わない夢だろう…とも思っていた。男性のほうが、女性より短命だからだ。できれば俺も、かみさんと一緒に死にたい。二人で手をつないで横になり、一緒に逝けたら最

  • いつだって俺は、帰りたい。

    いつだって俺は、心の中で帰りたい…とつぶやいている。いつだって俺は、どこかに帰りたい…と思っている。そのことは以前、このブログにも書いた記憶がある。会社で仕事に追われているときならば、心の中で帰りたい…とつぶやくのは理解してもらえるだろう。だが、帰りたい

  • 楽しい日本?

    俺はかみさんを喪った。世界でいちばん大切なモノを失った。かみさんが亡くなってからの数年間。もはや失うものは何もない…と思っていた。正確に言えば、ごく最近まで失うものは何もないと信じていたような気がする。その背景には、「そう遠くない将来、俺はかみさんの後を

  • 地獄のような苦しみを背負うより…

    俺はガキの頃、実母に殺されかけたことがある。それも一度や二度ではない。数えきれないほど何度もだ。抵抗できないほどの幼少期だった。俺は恐ろしかった。だが、過去の体験の中で、いちばん恐ろしかったか?と聞かれれば、そうではない。かみさんが癌だと診断されたとき。

  • 死別をした人々が受ける圧力

    以下は俺の身に起きたことではない。奥さまを亡くされた40歳代半ばの男性が、職場の上司から言われたことと、その時、その男性が心の中で感じたことを要約したものだ。当然のことながら、この男性の許可を頂いた上で、今回の記事を書いている。ちなみに、その男性が奥さまと

  • 怪物

    外出するのが嫌いだ。買い物に行くのも嫌いだ。会社に行くのも嫌いだ。かみさんが亡くなってから。俺は他人と関わることがイヤになった。死ぬまでずっと、かみさんの仏壇の前で酒を飲んでいたい。死ぬまでずっと、かみさんの骨壺の横で酒を飲んでいたい。酔っ払って、眠くな

  • 【改稿】グリーフワークの「絶対」と「相対」

    私は正しいグリーフワークの道を歩んでいます!時折そんなことを、臆面も無く言う人間を見かける。心理学などで示されたグリーフワークのモデルケースに照らし、自分がそのケースのとおりに立ち直っていることを誇っているのだろう。自分は絶対に正しい。自分と同じ人間も正

  • 世界の果て

    世界の中心で、多くの人々に囲まれていても、俺は淋しい。雑踏の中、人々の笑い声に囲まれていても、俺は淋しい。無視されているわけではない。ましてや、誰かに石を投げつけられるわけではないし、罵詈雑言を浴びせられるわけでもない。ただ単に、かみさんが亡くなったこと

  • やはり俺は、途方に暮れる。

    現在2月14日の午前7時24分。いつものとおり、通勤途中にブログの記事を書いている。明日からまた週末だ。2日間の連休を楽しみにしている人は多いだろう。そんな中、俺は今週も憂鬱だ。かみさんが死んじゃった。家族は誰もいない。俺は“ひとりぼっち”だ。何をしたらいいの

  • 改めて思うんだ。

    本来、家庭というのは、人々にとって最も落ち着ける場所のはずだ。あの優しくて、暖かくて、柔らかい空気に包まれているだけで、なんて幸せなんだろう…と感じることができた。かみさんと出会う前には、俺が知らなかった空気だ。その空気を知らなかった俺に、幸せな家庭を教

  • 痛み

    たぶん生きることに意味なんて無い。俺に限ったことではなく、人間なんて、みんながそうなんだ。産まれてきてしまった以上、生きるしかないだけのことだ。死への恐怖が本能に組み込まれている以上、自ら命を断つことが難しいだけのことだ。この世に「生」を受けてしまった以

  • あぁ、そうだっけ… 死んじゃったんだっけ…

    かみさんが元気だったころ。俺は自宅のバルコニーでタバコを吸っていた。わざわざバルコニーに出ていた理由は、かみさんに受動喫煙をさせたくなかったからだ。かみさんが亡くなってから。相変わらず俺は、自宅のバルコニーでタバコを吸っていた。だが、今のご時世だといろい

  • 高熱と鬱(うつ)

    2月6日の木曜日。朝5時半に目が覚めた。俺は異変に気がついた。ひどい鬱(うつ)状態だったのだ。気分が落ち込んでいる。身体を動かす意欲が湧かない。食欲がまったく無い。トイレに行く気力もないし、シャワーを浴びる気力もない。心と身体が完全に凍り付いてしまったのだ

  • 若年伴侶死別者の置かれた現状

    俺は被害者だ!と主張する人がいる。私は弱者だ!と主張する人もいる。それらの人々の主張に耳を傾けてみる。経済的には逼迫している様子だ。暴力を受けており、安全な暮らしも保障されていないケースも少なくない。確かに弱者であるように見受けられる。だが、声が大きいの

  • 新しい朝

    早朝の4時から5時の間に目が覚める。意識はハッキリしているが、なかなか布団から出ることができない。寒いからではない。夏場でも同じなのだ。俺は眉間に皺が寄るほど固く目を閉じている。心の中で、イヤだ… イヤだ…と呟いている。また1日が始まってしまった。バカバカ

  • 朝を迎える恐怖

    かみさんが亡くなってから。それなりの年月が経過した。激しく身を引き裂く「悲しみ」は、とても深い「哀しみ」に変化していった。かみさんを救えなかった「後悔」と「罪悪感」は、次第に「諦め」へと変わっていった。それら以外にも変わったモノがある。ひとつ挙げるとすれ

  • 俺はやっぱりかみさんのことが大好きだ。

    俺は今でも、かみさんのことが大好きだ。世界で一番、かみさんのことが大好きだ。かみさんは「亡くなった人」だ。その事実を否定するつもりはない。「亡くなった人」を想い続けるから辛いのだ、その想いを断ち切れば、あなたは楽に生きられる。そんなことを言う人もいる。そ

  • 呪詛

    かみさんが死んじゃった。俺にとって、世界で一番大切な人が死んじゃった。俺のたった一人の家族が死んじゃった。俺はひとりぼっちになってしまった。かみさんが死んじゃった。怖かっただろうに…痛かっただろうに…それでも生きようとしていたのに…俺のために、必死で生き

  • 切れば血の出る物語

    今までに数回、次のようなコメントが書き込まれた。「あの世なんてない。死後の世界なんてない」「それどころか、人生に意味なんてない。あるのは偶然の積み重ねだけだ」「人生に意味なんてないという事実に向き合うべきだ」「そうすれば、アナタにも光が見える」こんなこと

  • 安らぎ ~死の疑似体験~

    まただ。また「カラッポ」になってしまった。心が重たくて、気分が落ち込んでいる。微かに不安感も蹲っているようだ。だが、それらは放置しておけばいい。日常の生活に支障はない。問題なのは、無気力になってしまうことだ。会社に行く気力がない。部下たちと雑談する気にも

  • 不幸自慢?

    亡くなった祖父母や両親のことを懐かしみ、思い出を語る人々がいる。また、おじいさん・おばあさんになってから伴侶に先立たれた人が、亡くなった伴侶との思い出を語る場面には、これまで何度も居合わせた。彼らや彼女らの話を聞いていても、周囲は違和感を覚えることはない

  • 消費される遺族たち

    残念ながら、昨晩も不快な気分とともに目が覚めた。予想していたとおり、熟睡できたのは先日だけだったようだ。心が重い。身体が重たい。このまま布団の中で寝ていたい。会社に行きたくない。何にもしたくない。心と身体が悲鳴をあげているからだ。その悲鳴に耳を傾けてあげ

  • 幸せだねぇ…

    うちのマンションはバルコニーが広い。そのスペースを有効活用するために、かみさんが木製の椅子2脚とテーブルを買ってきて、バルコニーに置いた。2脚の椅子のうち、ひとつはかみさんの椅子、もうひとつが俺の椅子だ。春や秋のこと。かみさんと一緒にバルコニーで紅茶やコ

  • メメント・モリ

    メメント・モリ。死を忘れるな…という意味のラテン語だ。本来は、自分もいつか死ぬのだから、今を大切に生きましょうという趣旨の言葉らしい。だが、俺にとっては別の意味を持っている。死が身近であること、死がすぐ隣にあること、死は突然に襲い掛かってくること。それが

  • 孤独な老人たちへの共感

    平日の朝。俺は通勤途中に朝食を摂っている。もっぱら利用するのは、喫茶店やファミレス、蕎麦屋といったところだ。どの店も朝からそれなりに混んでいる。俺は周囲を見回してみる。客層は大半がサラリーマン。その他は明らかに70歳を超えているだろう老人たちだ。誰とも話を

  • 無の境地

    かみさんが亡くなってから。俺はずっと睡眠導入剤の世話になっている。薬が効かない日もあるが、大抵はグッスリ眠ることができる。眠っている間、俺は「無」だ。五感はすべて、その機能を停止したかのようだ。何も見えないし、何も聞こえない。何も考えないし、何も感じない

  • 泥酔の翌朝

    現在1月27日の午前7時32分。いつものとおり、通勤途中にブログの記事を書いている。今日は夜中の3時に目が覚めた。とても不快な気分だった。不安感とでも言えばいいのだろうか。何か悪いことが起きそうな予感と言えばいいのだろうか。それに加え、全身の倦怠感・脱力感がハン

  • 特別なモノ

    誰もが何かを持っている。他のモノとは違う「特別なモノ」を持っている。決して代替できない何かを持っているということ。自分の命よりも大切な何かがあるということ。こんなに嬉しいことはない。それは、人間に生きる力と意味とを与えてくれるのだ。だが、「特別なモノ」を

  • いま目の前にある死

    伴侶やお子さんを亡くした人にとって、死は身近でリアルで具体的だ。普通の人々であっても、いずれは自分も死ぬことを知っている。だが、それは遠い未来の話。彼らや彼女らにとっての死は、抽象的な「概念としての死」にすぎない。自分の死をリアルに想像することなどあるま

  • 俺は朝が大嫌いだ。

    かみさんが元気だった頃。俺は「朝」が大好きだった。ラジオ体操ではないけれど、いつだって新しい朝は、希望の朝だった。俺が目覚めると、隣でかみさんが微笑を浮かべて俺を見つめていた。二人の目が合って、お互いに笑顔になった。こんなに幸せな瞬間があるだろうか。そう

  • 「晩年」が来るのが早すぎた。

    人間は両親から産まれる。産まれた子供は、(普通ならば)両親に慈しまれて成長していく。そうして人間という生き物に対する安心感や信頼感を獲得していく。その後、近所の幼馴染、幼稚園や保育園、学校という共同体を通じて人間関係の結び方を覚えていく。学校を卒業し、社

  • 終末

    かみさんの余命を医師から宣告された時だった。俺を取り巻く世界が崩れてしまった。まるで滝のように、全身の血液が音を立て、頭から足元に落ちていった。だが、俺はかみさんを「死の恐怖」から守るため、自分の中の悲しみや恐怖を抑圧した。かみさんは自分の余命を知らなか

  • みんな悲しんでいる人が嫌いだ。

    ある心理カウンセラーのホームページを見た。そこには、「人間は、伴侶と死別して悲しんでいる人の姿を見ていたくない」、「伴侶と死別して悲しんでいる人の姿、苦しんでいる姿を見たくないのが人間という生き物だ」と書いてあった。まさにその通りだろう。このホームページ

  • 「終わり」の終わりを求めて

    ゆっくり流れる時間を楽しめること。それは“今ここ”を肯定している人にしかできないことだ。生きていることが幸せな人々だけの特権だ。目的地まで、のんびりと歩いていく人。カフェに入って何時間でも飽きずに座っていられる人。やることがなくてボンヤリしていても、虚し

  • かみさんの言葉と自己肯定への第一歩

    何かに追い詰められている。精神的に参ってしまった。そのせいか、ここ最近、悪夢ばかりを見る。目覚めた後の気分は最悪だ。鬱と強烈な不安感に耐えられない。死にたくなる。鬱も不安感も自分にとっての「異物」だ。異物ならば排除できるだろう。だが、排除できないのだ。排

  • 寒空の下で

    俺にとって「家庭」は憧れの場所だった。子どもの頃の俺には「家庭」が無かったからだ。俺と妹は、両親(とりわけ実母)から虐待されて育ってきた。そんな俺と妹にとって、自宅は居心地の良い場所ではなかったし、むしろ吐き気を催すような場所でしかなかった。だからこそ、

  • 壁の外側から見た世界

    かみさんが元気だった頃。俺はとても幸せだった。俺たち夫婦は満たされていた。なんの不足や欠如もなかった。かみさんが俺の横にいる。こんなに幸せなことはない。だが…かみさんは癌に冒されてしまった。そして、俺を遺して死んでしまった。プーちゃんを遺して死にたくない

  • 還ってきたくなったなら…

    かみさんが亡くなってから。俺は基本的に”ひとりぼっち”で過ごしている。北海道(かみさんの実家)に遊びに行ったり、会社で仕事をしている間は別として、自宅にいる限り、時間や空間を共有してくれる人は誰もいない。話をする相手もいなければ、一緒に笑うことのできる相

  • 信頼される歓び

    かみさんが元気だった頃。俺はずっと会社の中枢部門にいた。中枢部門というのは残業がバカみたいに多い。休日出勤も少なくない。おかげで多額の残業代をもらっていたが、自分の時間がないことは辛かった。そして何よりも、かみさんと過ごす時間が少なくなってしまうことが切

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