金曜日になるとホッとする。クソ忙しい日々から解放されて、二日間はゆっくりできるからだ。自宅に帰ると仏壇の前に座り、かみさんに線香をあげる。着替えを済ませ、かみさんに夜のお供えをする。その後はひたすらウィスキーを飲む。テレビは面白くないが、酒のおかげで解放
たった一人の家族、最愛の妻を癌で喪った。独り遺された男やもめが、暗闇の中でもがき続ける日々の日記。
平成22年5月1日のこと。かみさんが「転移性肝臓癌」と診断された数日後のことだ。かみさんは俺に言ってくれた。「一緒にいてくれて、ありがとう」闘病していた2か月の間、かみさんはたくさんの印象的な言葉を遺してくれたが、「一緒にいてくれて、ありがとう」も、そんな言
1年は、あっという間に過ぎていく。かみさんが亡くなってから今日までの時間も、あっという間に過ぎ去ってしまった。かみさんの死は、遠い過去の出来事ではない。手を伸ばせば届きそうなくらい「ついさっき」の出来事だ。時間の流れが速すぎるのだ。それなのに、1週間はと
かみさんが癌になってしまった。かみさんと俺は、懸命に闘病した。だが…かみさんは逝ってしまった。かみさんの通夜が開かれた。かみさんの告別式が行われた。そして…かみさんは荼毘に付されてしまった。そうだ。かみさんは確かに死んだのだ。誰もが皆、かみさんは死んだと
昨日、「深い眠りを求めて」というタイトルでブログの記事を書いた。そのせいだとは言わないが、昨晩の俺は、久しぶりに熟睡することができた。6時間ほどではあったけど、夜中に目覚めることはなく、朝5時半までグッスリ眠ることができた。熟睡した翌朝は、いつもの鬱(う
昨晩は10時半に寝床に就いた。昨日の記事にも書いたとおり、ギックリ腰の痛みが耐え難い。痛みのせいで、なかなか寝付けなかった。真夜中に目が覚めた。時計を見ると、午前3時半だった。腰痛で目覚めたわけではない。イヤな夢を見て目が覚めたのだ。しかし、まだ2時間は眠
かみさんの仏前に座った。線香をあげて、俺はかみさんの位牌と遺影を見つめた。おやすみなさい…の挨拶が終わり、俺は睡眠導入剤を飲んで寝床に入った。夜10時半を過ぎていた。突然、心臓のあたりに鋭い痛みが走った。仰向けになっても治らない。身体の右側を下にしても治ら
たぶん生きることに意味なんて無い。俺に限ったことではなく、人間なんて、みんながそうなんだ。産まれてきてしまった以上、生きるしかないだけのことだ。死への恐怖が本能に組み込まれている以上、自ら命を断つことが難しいだけのことだ。この世に「生」を受けてしまった以
大切な家族がいる。温かい家庭がある。カネだってあるし、社会的な地位だって持っている。なんの不足もない。なんの欠落もない。なんの渇きも知らない。なんて安楽な人生なんだろう。すべてを持っている。満たされているはずなのだ。これ以上は、もう何も必要としていないは
あるサイトを見た。そのサイトは、某大学病院の医師(精神科医)が運営している。そこに、こんなことが書いてあった。配偶者との死別は、何にも増してストレス度が高いんです。配偶者の死は、遺族にとって大きなストレスになります。ときには遺族の健康が損なわれることもあ
かみさんが亡くなって、しばらく時間が経ってから。俺は会社を休職することになった。その経緯については、昨日の記事に書いたとおりだ。休職するには会社に診断書を提出しなければならない。診断書の病名欄には、「抑うつ状態」と記してあった。また、病気の原因の欄には、
かみさんが亡くなって1か月が経った頃。かみさんの死をきっかけに眠れなくなった俺は、心療内科に通院するようになった。そこで処方されたのは、抗鬱剤と精神安定剤、睡眠導入剤だった。それらの薬を飲みながら、俺はなんとか日常を送っていた。あまりにも激しい悲しみで、
俺はかみさんを喪った。たった一人の家族が亡くなった。俺は家庭を失った。それ以来。俺は“ひとりぼっち”で生きている。ひとりぼっちは淋しい。心がザワザワするほど不安になってしまう。人間は「社会的な動物だ」と言われる。それを身をもって痛感している。人間は“ひと
現在9月17日の午前7時34分。いつものとおり、通勤途中にブログの記事を書いている。今朝、自宅から駅に向かう道中のことだった。楽しいことが何にもないな…と思った。面白いことも何にもないな…と思った。かみさんがいなくなってから、俺の毎日はカラッポだ。朝起きて、か
かつて、俺には「理想の自分像」というべきものがあった。それは、あるべき自分の姿であり、本来の自分のようなものであり、目指してきた自分のあり方だった。かみさんが元気だった頃。自分の実際のあり方は、理想の自分と合致していた。俺はすべてに満足していた。だが、人
かみさんの闘病中のこと。俺が心の中で、常に考えていたことがある。それは「かみさんに俺の命を半分あげよう」ということだった。命を半分あげる?そんなことを考えても、決して実現することはない。冷静に考えれば、「命を半分あげる」なんてできるはずがない。だが、かみ
早朝5時半には起床する。そして、かみさんの仏前に座る。かみさんに線香をあげて、俺は遺影と目を合わせる。かみさんの表情を窺うものの、特段の変化はなく、俺は落胆する。バルコニーに出てみると、まだ人の気配は感じない。みんな寝静まっているのだろう。鬱がひどい。底
頭がぼ~っとしている。それでも無理やり集中力を絞り出している。身体がダルい。それでも無理やり元気を絞り出している。ここ最近、心と身体の疲労感がハンパじゃない。ずっと疲れてはいるけれど、それでも俺は、自分自身にムチを打ち、なんとか毎日を乗り切っている。かみ
夫を亡くした人がいる。妻を亡くした人がいる。80歳や90歳になって亡くしたわけではない。まだ40歳や50歳であるにも関わらず、人生の伴侶を亡くしてしまったのだ。日頃から覚悟をしておくなんて余裕はなかった。それは突然にやってきたのだ。さっきまでは幸せだったのに、突
先週の金曜日の夜からだっただろうか。それとも土曜日に入ってからだろうか。いずれにしても、先週末から鬱(うつ)が酷い。昨晩、かみさんの夢を見た後は、得も言われぬ幸福感に包まれて、一時は鬱も快方に向かっていた。だが、しばらく経つと、また憂鬱な気分になってきた
昨晩、俺は夢を見た。かみさんの夢だった。以前にも似たような夢を見たことがある。かみさんは“光”だった。俺も“光”だった。かみさんと俺は、まるで連星のように、お互いにお互いの周りを回っていた。時折お互いに触れあって、次第に二人の距離が縮まってきた。そして突
休日の朝。俺は平日と同様、午前5時半に起床する。寝床を出たらゴミを捨て、米を炊きながら掃除する。米が炊けたら、かみさんにお供えをする。そして、線香をあげる。しばしの間、かみさんの遺影を見つめる。哀しいような、切ないような、何とも表現しがたい気分だ。これで
かみさんがいない。世界でいちばん大切な人が逝ってしまった。そのとき以来、俺の涙腺は決壊した。あれから時間が経った。それなのに、いまだに涙が零れてしまう。16歳のときに実父が死んでから、一度も泣いたことがなかった俺なのに、今では涙もろくなってしまった。かみさ
かみさんが元気だった頃。俺は自分がかみさんより早く死ぬと思っていた。また、かみさんも自分のほうが長生きすると信じていた。俺が心配だったことがある。そのうちの一つは「俺が死んだあと、かみさんが困窮してしまうのではないか」ということだった。年金なんかアテにな
かみさんが亡くなったばかりの頃だった。俺は人間が隠し持っている「残酷さ」を見せつけられた。もちろん全ての人間が残酷なわけではない。あの時期、俺に寄り添ってくれた人々もいたのだ。義母や2人の義弟、かみさんの親族たち、大学時代の友人たち、会社の先輩や同僚の一
会社に行きたくない。仕事をサボりたい。家から出たくない。世間との関わりを断ち切りたい。朝から酒を飲みたい。酔っ払って寝ていたい。意識のあることが疎ましい。何も考えず、何も感じない「無」になりたい。かみさんが亡くなってから。俺は俗世間から身を引きたいと思っ
今、俺はどんな表情をしているのだろうか。鏡を見ていないので確かめようがない。だが、自分の内面を見つめれば、自分の表情にも想像がつく。たぶん俺は、泣きたいような表情をしているだろう。たぶん俺は、眉間にシワを寄せ、苦痛に歪んだ表情をしているだろう。事実、俺は
かみさんが元気だった頃。俺たち夫婦の朝は、とても賑やかだった。毎朝7時に目が覚めた。俺は顔を洗い、かみさんが作ってくれた朝食を摂り、歯を磨き、スーツに着替えた。かみさんは俺のために「愛妻弁当」を作ってくれた。その間、かみさんはずっと“おしゃべり”をしてい
寝床に就いたのは、22時05分だった。いつもより1時間半ほど早い就寝だ。台風による気圧の低下が原因だろうか。全身がダルいし、眠気も半端じゃなかったのだ。俺はかみさんに線香をあげてから、睡眠導入剤を服用した。そして、布団の中に潜り込んだ。俺は夢を見ていた。誰が
かみさんの死は、俺にとって過去の出来事ではない。今ここにある現実だ。だが、あれから月日が経ったことも事実だ。それにも関わらず、なぜ過去にならないのだろう。多分かみさんの死とともに時間が止まってしまったからだ。アルベルト・アインシュタインが明らかにしたよう
世界はこんなにも広い。そして、そこにはたくさんの人間が棲んでいる。これだけ大勢の人間がいるのに、なぜ俺たちだったんだろう?なぜ俺たち夫婦が、こんな目に合わなきゃならなかったんだろう?なんで容ちゃんだったんだろう?なんで俺だったんだろう?みんな、「なんで?
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金曜日になるとホッとする。クソ忙しい日々から解放されて、二日間はゆっくりできるからだ。自宅に帰ると仏壇の前に座り、かみさんに線香をあげる。着替えを済ませ、かみさんに夜のお供えをする。その後はひたすらウィスキーを飲む。テレビは面白くないが、酒のおかげで解放
どうやら俺は勘違いをしていたらしい。人の一生は「右肩上がり」だと思い込んでいたのだ。今日は昨日より良い日だろう。明日は今日より良い日に違いない。そんな幻想に囚われた原因は、俺自身の半生にあるような気がしている。・・・俺と俺の妹は、両親から虐待されて育って
俺を作った男は、酒を飲むと荒れる人だった。普段は優しいのだが、酔っぱらうと幼少期の俺をぶん殴っていた。その男は俺が16歳の時にくたばった。いわゆる突然死だった。俺を産んだ女は、変質的な異常者だった。俺を作った男、俺の妹、そして俺の3人に言葉の暴力を振るって
あの世って、あると思う?死後の世界って、あると思う?そう聞かれたら、大概の人は「無いと思う」とか、「あるわけないじゃん」って答えるんだろう。事実、「死後の世界」で検索すると、「死後の世界があるとか言ってる奴、全員論破する」なんてサイトも出てくるくらいだ。
たった一人の家族を喪った。俺は“ひとりぼっち”になってしまった。ひとりぼっちは寂しい。ひとりぼっちだと不安になってしまう。とりわけ将来が不安だ。孤独死する覚悟はしているが、死ぬまでの老後が不安なのだ。もはや年金や貯金、退職金等だけでは悠々自適の老後は送れ
かみさんが亡くなってから、それなりに時間が経過した。それなのに、なぜ今でも悲しいのだろう。なぜ今でも寂しいのだろう。いまだに俺は、かみさんの死に慣れることができない。かみさんと出会う前。俺は数人の女性と交際した経験がある。彼女たちと別れた後は、イライラし
早朝5時半には寝床を出る。家の中は真っ暗で、静まりかえっている。そして誰の気配も感じない。すべてが静止している。まるで空気までが動きを止めてしまったかのようだ。そうだ。かみさんはいないのだ。俺は“ひとりぼっち”だ。悲しいというよりも寂しい。寂しさに注意を
相変わらず熟睡できない日々が続いている。昨晩(日曜日から月曜日にかけて)は午後10時すぎに就寝したが、朝まで一睡もできなかった。睡眠導入剤を飲んでも眠れない。当然、疲労を残したままで出勤している。眠れない理由は、まったく分からない。心療内科で主治医に相談
この世界の中では、さまざまなことが起きている。この世界の人々は、さまざまな言動をしている。それらは漠然とした基準だが、「善」と「悪」に分けられる。二分法によって世界を認識すること。そういう習性が、われわれ人間には備わっているのだろう。善には報酬を。悪には
仕事が終わって帰路に就く。地下鉄のホームで電車を待っている間、俺は自宅に「帰るコール」をする。かみさんが電話を取る。おしゃべりが好きなかみさんは、夕食のメニューや、その日にあったことを語り始める。電車が来るまでの間、かみさんのおしゃべりに付き合う。彼女の
かみさんがいない。たった一人の家族がいない。それなのに、周囲の人々には家族がいる。俺たちだけが孤独だ。俺たちだけが“ひとりぼっち”だ。とても淋しくて心細い。自分の存在がしぼんでいくみたいだ。自分の身体の芯が凍えるみたいだ。淋しいだけではない。かすかに恐怖
俺の友人たちには夫や妻がいる。俺の部下たちにも夫や妻がいる。また、子どものいる人々もいる。もちろん独身の人がいないわけではない。夫や妻はいるけれど、家庭内別居という人もいる。いろんな人がいるけれど、俺の周囲に夫や妻を亡くした人はいない。もちろん高齢の方々
日本では、年間に約7万人が「孤独死」をしているそうだ。そのうち8割は男性が占めている。孤独死する人々には、いくつかの共通点があるという。① 配偶者との離別や死別によって、“ひとりぼっち”で生活していること、② ほかに家族がいないこと、③ 近所付き合いがな
断片的にではある。しかし、産まれてから物心がついて以来の記憶は、確かに俺の中に残っている。楽しい思い出なんて、ひとつもない。嬉しい思い出なんて、ひとつもない。幼少期以来、自分は安全なところにいなかったからだ。そこには忌まわしい体験の記憶だけが残っている。
目覚めた直後。俺は自分が深く落ち込んでいることに気が付いた。とても哀しかった。とても淋しかった。そして、深い後悔の念にも取りつかれていた。この気分には、直前まで見ていた夢の内容が反映していたのだろう。忘れてしまった夢でありながら、それは俺の中に深い「影」
誰もが死にたくないと思っているわけじゃない。本気で死にたいと思っている奴もいるんだ。ブログで死にたいと呟けば、「こいつは同情を買おうとしているだけだ」と解釈されて、コメント欄を荒らされることも少なくない。また、死にたいと呟く人々を嘲笑するためだけに、わざ
かみさんが亡くなってから数年後。俺は某医療系大学の准教授から、「複雑性悲嘆」と診断された。その当時のことだった。ある女性(Kさん)が俺に言った。死別することで得られるモノだってあるんだよ。死別なんて大したことじゃないんだよ。私の方がアンタなんかより、よっ
かみさんが元気だった頃。俺は自分を大切に生きていたはずだ。自分の心や身体だけではない。一つひとつの言葉、一つひとつの行動、すべてを大切に生きてきたはずだ。だが、かみさんを喪ってしまい、俺は自暴自棄 (やけくそ)になった。そのせいだ。俺はいろいろなモノを壊
夫にとって、妻の役割ってなんだろう。俺にとって、かみさんの役目ってなんだろう。食事の支度をしてくれること?洗濯や掃除をしてくれること?その他、家事全般を引き受けてくれること?違うような気がする。妻にとって、夫の役割ってなんだろう。かみさんにとって、俺の役
世間には、いろんな夫婦がいる。その中には、仲の悪い夫婦も少なくない。俺の親戚(おじ・おば)や友人、部下たちを見回せば、家庭内別居の夫婦なんてザラにいる。何年も口をきいていないとか、顔を合わせばケンカばかりとか、別室で生活していて普段は顔も合わせないとか、
かみさんは何度も言っていた。おじいちゃん、おばあちゃんになっても二人で毎年、海外旅行をしようね…80歳をすぎても二人でいっぱい散歩をしようね…かみさんは俺たち夫婦が長生きできると信じていたのだ。かみさんと俺が一緒に年を取り、二人がじいさん、ばあさんになるこ
かみさんが死んじゃった。たった一人の俺の家族が死んじゃった。俺は“ひとりぼっち”になってしまった。もはや俺の傍には誰もいない。誰も俺を見てはいない。誰も俺の声を聞いていない。誰も俺に触れることはない。誰も俺を気に掛けていない。誰も俺を心配していない。完全
かみさんが亡くなった。俺の伴侶が死んじゃった。俺の最愛の人が亡くなった。この世でいちばん大切な人が死んじゃった。70歳や80歳を過ぎてから亡くなった…のではない。まだ人生の折り返し地点に到達したばかりだった。平均寿命の半分も生きられなかった。かみさんがかわい
毎晩、夜中に目が覚める。目覚める時間はマチマチで、午前2時だったり3時だったりする。その後はほとんど眠れない。もちろん熟睡感は得られない。身体がダルくて仕方がない。惨めな気分がたまらない。ここ1ヶ月以上、毎日そんな状況が続いていた。だが、今朝は身体が軽い
俺の部下の中に、50歳代の女性Hさんがいる。今年の4月から一緒に仕事をしているが、俺は以前から彼女の噂を聞いていた。問題社員として、社内の一部では有名な人だったからだ。自分で方針を立てられない。課長や係長が方針を立ててあげても、そのとおりに動かない。仕事が
ここ数回、ブログに書いてきたとおり、最近は午前3時に目が覚める。ほとんど眠れない…というのは本当に辛い。眠くて眠くて仕方がない。身体がダルいのだ。気分が落ち込むのだ。頭がぼんやりするのだ。昨晩はいつもより酷かった。睡眠導入剤を飲んで、夜の10時に寝床に入っ
伴侶やお子さんを亡くした人々は、周囲の人々から叩かれる。叩かれる人々が、伴侶やお子さんを殺してしまったわけではない。それでも遺族は叩かれるのだ。俺は、そういう場面を何度も見てきた。伴侶を亡くした人々が、自分も死にたい…と呟けば、「じゃあ死ねば?」と言われ
かみさんが癌だと診断された。医者から「余命は年単位ではない」と告げられた。俺の頭から血の気が引いた。まるで血液が凍りついたようで、同時に逆流したようだった。周囲の世界が足元から崩れてしまった。かみさんが、その場にいなかったことは不幸中の幸いだった。医者か
このブログに書いたとおり、最近、睡眠の質が落ちている。先日の3連休以降は、毎晩、午前3時に目が覚めていた。だが、それ以上に睡眠の質が悪化してしまった。昨晩はまったく眠れなかったのだ。頭はぼんやりしていたが、朝まで意識があったのだ。寝る前の酒は控えた。睡眠
3連休に出勤してからだ。俺は毎晩、午前3時に目覚めるようになった。それ以降は、眠ろうとしても眠れない。意識はぼんやりしているが、頭の中は仕事のことでいっぱいだ。仕事がクソみたいに忙しいからだ。眠ろうとしながら仕事のことを考えていると、とても惨めな気持ちに
身体が重たい。別に太ったわけではない。むしろ体重は減っている。とても眠たい。別に夜更かししたわけではない。昨晩はたっぷり寝たはずだ。だが、身体がダルいのだ。半端じゃなくダルいのだ。仕事がクソみたいに忙しいせいかもしれない。あるいは睡眠の質が良くないせいか
11月2日の木曜日。夜遅くまで残業した。疲れが半端じゃなかった。もう若くないんだな…と痛感した。3連休。ゆっくり休めば疲れも取れるだろう。しかし、仕事が貯まっていた。俺は11月3日と4日、休日出勤をした。朝の8時から夜の9時まで働いて、なんとか仕事をやり終えた。11
生きている限り、辛いことがいっぱいある。やらなければならないことはたくさんあるし、無理をしなければならないことも少なくない。イヤなこと、不快なこと、腹の立つことも起こるだろう。逃げ出したくなることもあるし、厭世的な気分になることもある。人間を嫌いになって
かみさんと付き合い始めたのが1990年。翌91年には同棲を始めていた。あの頃の俺たちは勤労学生で、学費も生活費も自分で稼がなくてはならなかった。かみさんと俺には自由になるカネが多くはなかったのだ。そんな二人の見つけた楽しみが「散歩」だ。散歩にはカネがかからない
現在11月3日の午前7時09分。会社に向かう途中でブログの記事を書いている。予想していたとおり、休日出勤になってしまった。昨晩は終電ギリギリまで残業した。全身が痛かった。身体がフラフラした。こんなに疲れたのは久しぶりだった。眠りに就いたのは午前0時を過ぎていた
現在11月2日の午前7時22分。いつものとおり、通勤途中でブログの記事を書いている。明日からは3連休だ。今日1日がんばれば、明日から長い休みが待っている。世間の空気が軽い。いつもの殺伐とした雰囲気が消えて、人々は解放感の中にいる。俺も11月の3連休を楽しみにして
かみさんが亡くなったとき。俺は自分の人生も終わったな…と思った。やりたいことが無くなった。夢も希望も失った。そして、かみさんのいない余生を早く終わらせたいと願った。あれから月日が経った。俺はいまだに喪失感に囚われている。かみさんの死とともに、俺の心にポッ
俺は今、追い詰められている。自分の置かれた状況が耐えがたいのだ。だから逃げ出したい。少しでいいからサボりたい。だが、俺にはサボる度胸もなければ、勇気もない。俺はそんなヘタレなのだ。どうして逃げ出せないのだろうか。たぶん他人の目が気になるからだろう。そんな
先日の記事に「11月3~5日までの3連休は、休日出勤になりそうだ」と書いた。なるべくなら休日出勤を避けるため、10月27日の金曜日、俺は夜遅くまで仕事をしていた。しかし、いくらなんでも忙しすぎる。通常業務と並行して、特別な仕事をしているからだ。通常業務なら部下た
人間にとって、もっとも悲しいことがあったとき。人はどのように対処すればいいのだろうか。人は悲しみと、どのように向き合えばいいのだろうか。それ以前の人生においても、さまざまに悲しいことはあったはずだ。だが、それらを克服することで、人々は悲しい出来事への耐性