かみさんが亡くなったのは、俺が41歳のときだった。まだ40歳を過ぎたばかりの頃だったのだ。当然、同世代の人々(友人や知人)の中に、俺と同じ体験をした人は一人もいない。それどころか50歳代や60歳代の知人の中にも、配偶者を亡くした人は一人もいなかった。そんな状況の
たった一人の家族、最愛の妻を癌で喪った。独り遺された男やもめが、暗闇の中でもがき続ける日々の日記。
平成22年5月1日のこと。かみさんが「転移性肝臓癌」と診断された数日後のことだ。かみさんは俺に言ってくれた。「一緒にいてくれて、ありがとう」闘病していた2か月の間、かみさんはたくさんの印象的な言葉を遺してくれたが、「一緒にいてくれて、ありがとう」も、そんな言
1年は、あっという間に過ぎていく。かみさんが亡くなってから今日までの時間も、あっという間に過ぎ去ってしまった。かみさんの死は、遠い過去の出来事ではない。手を伸ばせば届きそうなくらい「ついさっき」の出来事だ。時間の流れが速すぎるのだ。それなのに、1週間はと
かみさんが癌になってしまった。かみさんと俺は、懸命に闘病した。だが…かみさんは逝ってしまった。かみさんの通夜が開かれた。かみさんの告別式が行われた。そして…かみさんは荼毘に付されてしまった。そうだ。かみさんは確かに死んだのだ。誰もが皆、かみさんは死んだと
昨日、「深い眠りを求めて」というタイトルでブログの記事を書いた。そのせいだとは言わないが、昨晩の俺は、久しぶりに熟睡することができた。6時間ほどではあったけど、夜中に目覚めることはなく、朝5時半までグッスリ眠ることができた。熟睡した翌朝は、いつもの鬱(う
昨晩は10時半に寝床に就いた。昨日の記事にも書いたとおり、ギックリ腰の痛みが耐え難い。痛みのせいで、なかなか寝付けなかった。真夜中に目が覚めた。時計を見ると、午前3時半だった。腰痛で目覚めたわけではない。イヤな夢を見て目が覚めたのだ。しかし、まだ2時間は眠
かみさんの仏前に座った。線香をあげて、俺はかみさんの位牌と遺影を見つめた。おやすみなさい…の挨拶が終わり、俺は睡眠導入剤を飲んで寝床に入った。夜10時半を過ぎていた。突然、心臓のあたりに鋭い痛みが走った。仰向けになっても治らない。身体の右側を下にしても治ら
たぶん生きることに意味なんて無い。俺に限ったことではなく、人間なんて、みんながそうなんだ。産まれてきてしまった以上、生きるしかないだけのことだ。死への恐怖が本能に組み込まれている以上、自ら命を断つことが難しいだけのことだ。この世に「生」を受けてしまった以
大切な家族がいる。温かい家庭がある。カネだってあるし、社会的な地位だって持っている。なんの不足もない。なんの欠落もない。なんの渇きも知らない。なんて安楽な人生なんだろう。すべてを持っている。満たされているはずなのだ。これ以上は、もう何も必要としていないは
あるサイトを見た。そのサイトは、某大学病院の医師(精神科医)が運営している。そこに、こんなことが書いてあった。配偶者との死別は、何にも増してストレス度が高いんです。配偶者の死は、遺族にとって大きなストレスになります。ときには遺族の健康が損なわれることもあ
かみさんが亡くなって、しばらく時間が経ってから。俺は会社を休職することになった。その経緯については、昨日の記事に書いたとおりだ。休職するには会社に診断書を提出しなければならない。診断書の病名欄には、「抑うつ状態」と記してあった。また、病気の原因の欄には、
かみさんが亡くなって1か月が経った頃。かみさんの死をきっかけに眠れなくなった俺は、心療内科に通院するようになった。そこで処方されたのは、抗鬱剤と精神安定剤、睡眠導入剤だった。それらの薬を飲みながら、俺はなんとか日常を送っていた。あまりにも激しい悲しみで、
俺はかみさんを喪った。たった一人の家族が亡くなった。俺は家庭を失った。それ以来。俺は“ひとりぼっち”で生きている。ひとりぼっちは淋しい。心がザワザワするほど不安になってしまう。人間は「社会的な動物だ」と言われる。それを身をもって痛感している。人間は“ひと
現在9月17日の午前7時34分。いつものとおり、通勤途中にブログの記事を書いている。今朝、自宅から駅に向かう道中のことだった。楽しいことが何にもないな…と思った。面白いことも何にもないな…と思った。かみさんがいなくなってから、俺の毎日はカラッポだ。朝起きて、か
かつて、俺には「理想の自分像」というべきものがあった。それは、あるべき自分の姿であり、本来の自分のようなものであり、目指してきた自分のあり方だった。かみさんが元気だった頃。自分の実際のあり方は、理想の自分と合致していた。俺はすべてに満足していた。だが、人
かみさんの闘病中のこと。俺が心の中で、常に考えていたことがある。それは「かみさんに俺の命を半分あげよう」ということだった。命を半分あげる?そんなことを考えても、決して実現することはない。冷静に考えれば、「命を半分あげる」なんてできるはずがない。だが、かみ
早朝5時半には起床する。そして、かみさんの仏前に座る。かみさんに線香をあげて、俺は遺影と目を合わせる。かみさんの表情を窺うものの、特段の変化はなく、俺は落胆する。バルコニーに出てみると、まだ人の気配は感じない。みんな寝静まっているのだろう。鬱がひどい。底
頭がぼ~っとしている。それでも無理やり集中力を絞り出している。身体がダルい。それでも無理やり元気を絞り出している。ここ最近、心と身体の疲労感がハンパじゃない。ずっと疲れてはいるけれど、それでも俺は、自分自身にムチを打ち、なんとか毎日を乗り切っている。かみ
夫を亡くした人がいる。妻を亡くした人がいる。80歳や90歳になって亡くしたわけではない。まだ40歳や50歳であるにも関わらず、人生の伴侶を亡くしてしまったのだ。日頃から覚悟をしておくなんて余裕はなかった。それは突然にやってきたのだ。さっきまでは幸せだったのに、突
先週の金曜日の夜からだっただろうか。それとも土曜日に入ってからだろうか。いずれにしても、先週末から鬱(うつ)が酷い。昨晩、かみさんの夢を見た後は、得も言われぬ幸福感に包まれて、一時は鬱も快方に向かっていた。だが、しばらく経つと、また憂鬱な気分になってきた
昨晩、俺は夢を見た。かみさんの夢だった。以前にも似たような夢を見たことがある。かみさんは“光”だった。俺も“光”だった。かみさんと俺は、まるで連星のように、お互いにお互いの周りを回っていた。時折お互いに触れあって、次第に二人の距離が縮まってきた。そして突
休日の朝。俺は平日と同様、午前5時半に起床する。寝床を出たらゴミを捨て、米を炊きながら掃除する。米が炊けたら、かみさんにお供えをする。そして、線香をあげる。しばしの間、かみさんの遺影を見つめる。哀しいような、切ないような、何とも表現しがたい気分だ。これで
かみさんがいない。世界でいちばん大切な人が逝ってしまった。そのとき以来、俺の涙腺は決壊した。あれから時間が経った。それなのに、いまだに涙が零れてしまう。16歳のときに実父が死んでから、一度も泣いたことがなかった俺なのに、今では涙もろくなってしまった。かみさ
かみさんが元気だった頃。俺は自分がかみさんより早く死ぬと思っていた。また、かみさんも自分のほうが長生きすると信じていた。俺が心配だったことがある。そのうちの一つは「俺が死んだあと、かみさんが困窮してしまうのではないか」ということだった。年金なんかアテにな
かみさんが亡くなったばかりの頃だった。俺は人間が隠し持っている「残酷さ」を見せつけられた。もちろん全ての人間が残酷なわけではない。あの時期、俺に寄り添ってくれた人々もいたのだ。義母や2人の義弟、かみさんの親族たち、大学時代の友人たち、会社の先輩や同僚の一
会社に行きたくない。仕事をサボりたい。家から出たくない。世間との関わりを断ち切りたい。朝から酒を飲みたい。酔っ払って寝ていたい。意識のあることが疎ましい。何も考えず、何も感じない「無」になりたい。かみさんが亡くなってから。俺は俗世間から身を引きたいと思っ
今、俺はどんな表情をしているのだろうか。鏡を見ていないので確かめようがない。だが、自分の内面を見つめれば、自分の表情にも想像がつく。たぶん俺は、泣きたいような表情をしているだろう。たぶん俺は、眉間にシワを寄せ、苦痛に歪んだ表情をしているだろう。事実、俺は
かみさんが元気だった頃。俺たち夫婦の朝は、とても賑やかだった。毎朝7時に目が覚めた。俺は顔を洗い、かみさんが作ってくれた朝食を摂り、歯を磨き、スーツに着替えた。かみさんは俺のために「愛妻弁当」を作ってくれた。その間、かみさんはずっと“おしゃべり”をしてい
寝床に就いたのは、22時05分だった。いつもより1時間半ほど早い就寝だ。台風による気圧の低下が原因だろうか。全身がダルいし、眠気も半端じゃなかったのだ。俺はかみさんに線香をあげてから、睡眠導入剤を服用した。そして、布団の中に潜り込んだ。俺は夢を見ていた。誰が
かみさんの死は、俺にとって過去の出来事ではない。今ここにある現実だ。だが、あれから月日が経ったことも事実だ。それにも関わらず、なぜ過去にならないのだろう。多分かみさんの死とともに時間が止まってしまったからだ。アルベルト・アインシュタインが明らかにしたよう
世界はこんなにも広い。そして、そこにはたくさんの人間が棲んでいる。これだけ大勢の人間がいるのに、なぜ俺たちだったんだろう?なぜ俺たち夫婦が、こんな目に合わなきゃならなかったんだろう?なんで容ちゃんだったんだろう?なんで俺だったんだろう?みんな、「なんで?
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かみさんが亡くなったのは、俺が41歳のときだった。まだ40歳を過ぎたばかりの頃だったのだ。当然、同世代の人々(友人や知人)の中に、俺と同じ体験をした人は一人もいない。それどころか50歳代や60歳代の知人の中にも、配偶者を亡くした人は一人もいなかった。そんな状況の
かみさんが亡くなった。俺はいちばん大切なモノを失った。いちばん大切なモノを失えば、二番目に大切なモノがいちばんになる…というほど単純なものではないらしい。いちばん大切なモノを失うと、二番目以降に大切だったモノも「どうでもよくなってしまう」のだ。俺はかみさ
昨晩のこと。俺はかみさんの夢を見た。夢の中。俺は布団に横たわっていた。俺の左側に何かある(何かいる)。覗いてみると、かみさんだった。あれ?死んじゃったはずなのに、何故かみさんがいるんだ?とは思わなかった。俺は、ごく自然に「かみさんが横にいる」という状況を
土日や祭日はどうしようもない。休日の空虚さに耐えられない。無駄に時間はあるくせに、やりたいことが何もない。話し相手もいやしない。どうやって時間を潰したらいいのか分からず、途方に暮れてしまう。あんまりにも退屈だ。あんまりにもつまらない。心は鬱々と沈み込んで
普通の人たちは、馬鹿にされることはないし、嗤われることもない。悲壮感がないからだ。哀しいとも言わないし、淋しいとも言わないからだ。普通の人たちには家族がいる。自分がいちばん大切にしているモノがある。自分をいちばん大切に想ってくれるモノがある。老後の心配や
俺たち人間は、一人ひとりの顔なんか見ていない。一人ひとりに共感していたら、何にもできなくなってしまうからだろうか。どこかで誰かが泣いている。自分の傍らで、誰かが蹲って苦しんでいる。それらを知っていても、別のことに夢中になれて、笑っていられるのが人間だ。そ
かみさんが逝ってしまった。俺を遺して逝ってしまった。だが…かみさんは俺の傍にいるはずだ。見えないけれど、確かに俺の隣にいるはずだ。だから俺は、かみさんを探した。かみさんの気配を追い求めていた。そうしているうちに、数年の月日が過ぎ去った。しかし、かみさんを
現在12月12日の午前7時24分。いつものとおり、通勤途中にブログの記事を書いている。今朝は4時前に目が覚めた。鬱や不安感はなかった。身体のダルさもなかった。こんなことは久しぶりだ。だが、気分の良い朝だというわけでもなかった。体調の良いときは、かえって神経が鋭敏
かみさんが亡くなった。世界でいちばん大切な人を喪った。俺は“ひとりぼっち”になった。ひとりぼっちで佇んでいた。そこは、あまりにも哀しくて、あまりにも寂しい場所だった。喪失感を埋めたくて、俺は周囲を見回した。かみさんの姿を探し求めたのだ。だが、かみさんは何
すべての人間は、他の人間たちとの関係の網の目の中で生きている。他者との関係があるからこそ、人間は「動物」ではなく「人間」なのだ。かみさんが元気だった頃。俺はたくさんの人々との関係の網の中で生きてきた。最も太く、最も濃密に結ばれていたのは、かみさんだ。かみ
昨晩は熟睡することができた。夜中に何度か目覚めたが、久しぶりにたっぷり眠ることができた。しかし、たくさんの悪夢を見た。目覚める直前は、いつも悪夢だった。何度も目が覚めたのは、悪夢のせいだったのかもしれない。午前5時半に床を出た。直前まで見ていた悪夢のせい
最愛の人を喪ったのに、それでも生きながらえている人々がいる。哀しいだろう。淋しいだろう。悔しいだろう。生きていることが辛いのに、それでも生きなければならず、この世は地獄だな…とタメ息をついている。理由の分からない不安感に脅え、プレッシャーに押し潰されそう
在宅している間は、まだマシかもしれない。話をする相手もいなければ、触れ合うことのできる相手もいないけど、荒んだ心が「何か」に守られているからだ。その「何か」は、自宅の壁だったり、自分の肉体だったり、眠りに落ちてしまうことだったり、”ひとりぼっち”であるこ
かみさんが元気だった頃。俺たち夫婦は「過去」も「未来」も大好きだった。過去は二人の幸せな想い出で満ちていた。夫婦二人で過去を振り返るのは、幸せを追体験することに他ならなかった。あの時あんなことをしたね…あの時あんなものを見たね…あの時あんな話しをしたね…
かみさんが死んでしまった。そして俺は“ひとりぼっち”になってしまった。周囲の人々を見回してみた。友だちには奥さんや旦那さんがいた。中には子どものいる人もいた。義弟は独身だが、義母がいた。義母も“やもめ”だが、義弟がいた。会社の部下たちにも家族がいた。独身
現在12月4日の午前5時54分。いつもより早い時間にブログの記事を書いている。昨晩は早めに寝床に入った。睡眠導入剤を飲み、午後9時半には布団の中にいた。だが、まったく寝付けなかった。時計を見ると、午前3時だった。いくらなんでも寝床を出るには早すぎる。少しでも眠ろ
かみさんの闘病中のこと。病状が悪化するにつれて、かみさんは眠気に加え、倦怠感(ダルさ)を訴えるようになった。だが、癌による疼痛がなかったせいか、苦しむことはなかった。ベッドに横になっている限り、俺とは普通に会話ができていた。倦怠感が辛くても、人間は死にた
ここ最近。いろんな問題が重なっている。やらなきゃいけないことが山ほどある。いくつかは片付けたものの、まだウンザリするほど沢山の課題が横たわる。それらが重圧となっている。俺は態度に出さないが、内心ではイライラしている。ストレスで破裂しそうだ。今朝も、うなさ
かみさんが元気だった頃。俺の一週間は、月曜日の朝にスタートして、金曜日の夜にゴールを迎えた。スタートからゴールまでの間はキツい。肉体的な疲労感もさることながら、精神的なストレスが半端じゃない。障害物もたくさんあるし、アップダウンがとても激しい。苛烈な競争
どうせ死ねないのなら、少しは軽やかに生きてみたい…と思っている。かみさんの後を追えないのなら、せめて心静かに余生を送りたい…と思っている。苦痛で崩れてしまいそうなのに、それでも「普通の人」として生きること。それは「やせ我慢」の連続であり、本当に苦しいこと
何故かみさんは癌になってしまったんだろう。何故かみさんは俺を遺して逝ってしまったんだろう。かみさんが元気だった頃。俺たち夫婦は「かみさんが先に逝く」という未来を予想したことはなかった。かみさんと俺とは同年代だ。女性の平均寿命は男性よりも長い。かみさんのほ
夜中に何度も目が覚めて、午前5時半には床を出る。かみさんにお供えをし、線香をあげる。シャワーを浴びたらスーツに着替えて出勤だ。仕事が馬鹿みたいに忙しい。息をつく暇もありはしない。仕事が終わって岐路につく。自宅近くのコンビニで弁当とウィスキーを買う。家に帰
まだ薄暗いけど、空は晴れているようだ。空気もきれいで澄んでいる。普通の人たちから見れば、ちょっぴり寒いけど爽やかな朝なのだろう。だが、俺は普通の人ではない。41歳の時に最愛の人に先立たれてしまった奴だ。だから俺は、爽やかな朝なんて知らない。かつては知ってい
楽しいときには、楽しいと感じていいだろう。嬉しいときには、嬉しいと感じていいはずだ。また、辛いときは、辛いと言いたくなるし、苦しいときには、苦しいと思っていいだろう。そして…悲しいときは、どうしようもないほど悲しいのだ。いちばん大切な人が死んでしまったら
かみさんが亡くなってから、しばらく経った頃のことだった。俺は早く死にたいと思うようになった。かみさんの後を追いたいと思うようになった。俺が死んだら、かみさんに会える(かもしれない)と思ったからだ。もしも会えないとしても、心と身体を引き裂くような悲しみから
みんな、かみさんが亡くなったことを知っている。俺が“ひとりぼっち”になったことを知っている。かみさんが若くして癌になり、生きたかったのに生きられなかったことを知っている。俺が最愛の人を亡くし、心の病になったことを知っている。だが、それらの知識は記憶の片隅
胸がドキドキしている。心臓の鼓動がとても早い。今から3年前のこと。俺は「洞性頻脈」と診断された。不整脈の一種らしい。医者からは「これでは心臓が疲れちゃうよ…」と言われた。原因はハッキリしない。ひょっとしたら、かみさんが亡くなって以来、酒に溺れてきたせいか
昨晩は早く帰宅することができた。疲れきっていた俺は、早めに睡眠薬を飲んで、夜の9時半には寝床に就いた。だが、眠れなかった。睡眠薬を飲んだのに眠れなかったのだ。身体の力が抜けなかった。心の中がザワザワしていた。時計を見ると、既に午前0時を過ぎていた。俺は焦
真夜中に目が覚める。その瞬間、強烈な不安感に襲われる。不安感は腹の奥底で生まれ、そこから噴き出して、血管を通じて全身に行き渡る。身体中の筋肉が震え出す。呼吸が荒くなる。何故こんなに不安なのだろうか。多分いまだに俺は、孤独に慣れていないのだ。俺は不安感に堪
付き合い始めた直後から、かみさんと俺は、暇さえあれば散歩ばっかりしていた(ような気がする)。実際には散歩ばかりしていたわけではない。旅行をしたり、映画を見に行ったり、買い物に行ったり、外食をしたり、ただテレビを見ているだけだったりもしていたはずだ。それな
これを書いている現在、12月8日の午前6時30分。通勤途中にブログの記事を書いている。昨晩(12月7日の木曜日)は11時30分に就寝した。疲れが溜まっていたので早く帰宅して、早く寝たかった。だが、突発的な残業になってしまった。おかげで5時間しか眠れなかった。俺にとって
毎日がつまらない。単調で起伏がなくて、退屈なのだ。それなのに、馬鹿みたいに忙しい。やらなければならないことが、山のようにあるのだ。楽しいことなんか何にもない。嬉しいことも何にもない。いったい何のために俺は生きているんだろうか。いつもと同じ疑問が頭をよぎる
たくさんの辛い出来事があった。両親に虐待されて育ってきた。特に実母は酷かった。言葉の暴力で他人の自尊心を破壊して、快感を覚えるような変質者だった。親に虐待された子どもの多くがそうであるように、学校ではイジメを受けたこともある。辛い毎日だった。学校に行くの
仕事がクソ忙しくて仕方がない。朝8時には仕事を始め、退社は夜8時になってしまう。通勤時間を含めると、拘束時間は13時間ほどになる。俺の錆び付いた身体には相当にキツい。仕事が終われば急いで帰宅する。途中でコンビニに寄り、弁当とウィスキーを買う。家に着いたら
かみさんが亡くなったばかりの頃。身を引き裂かれるような喪失感の中、俺は「現実には起こり得ないこと」が起こることを渇望していた。かみさんを生き返らせたかった。かみさんを取り戻したかった。かみさんに逢いたかった。だが…死んだ人が生き返ることはない。それは誰も
現在12月4日の午前6時40分。いつものとおり、出勤の途中にブログの記事を書いている。ここ最近、俺が誤解を受けていることに気がついた。かみさんが亡くなったあと、俺はすぐに会社に復帰した…と思っている方が少なくないようなのだ。かみさんが亡くなってから、俺は会社を
1日のうちで最も辛いのは朝だ。1日のうちで最も嫌いなのも朝だ。会社に行きたくない…というのではない。仕事がキツい…というのでもない。実際のところ、仕事はとってもキツいけど、それが朝を嫌う理由ではない。平日はもちろんだが、休日だって、朝を迎えれば辛いのだ。
最近ほとんど眠ることができない。昨晩も同様だった。精神安定剤と睡眠導入剤を飲んでいるため、寝付きが悪いわけではない。だが、1時間から1時間半ごとに目が覚めてしまうのだ。寝ている間も熟睡しているわけではない。浅い眠りの中で夢ばかりを見ている。かみさんの夢な
現在12月1日の夜10時20分。いつもとは違い、帰宅の途中でブログの記事を書いている。今日は、かみさんの誕生日だ。できれば休暇を取りたかった。それがダメでも早めに退社して、ケーキを買って帰りたかった。かみさんが亡くなってから。彼女の誕生日にケーキをお供えできなか
かみさんが元気だった頃とは違う。仕事に「やりがい」を見いだせないのだ。かみさんの生前のほうが、はるかに仕事はキツかった。午前様で帰宅することも多かった。休日出勤も少なくなかった。それでも仕事に「やりがい」があったのだ。だが…かみさんがいなくなってから、俺