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いつか迎えに来てくれる日まで http://blog.livedoor.jp/youchan1201/

たった一人の家族、最愛の妻を癌で喪った。独り遺された男やもめが、暗闇の中でもがき続ける日々の日記。

プーちゃん
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2010/07/09

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  • 死ぬときは一緒が良い。

    世間には、いろんな夫婦がいる。その中には、仲の悪い夫婦も少なくない。俺の親戚(おじ・おば)や友人、部下たちを見回せば、家庭内別居の夫婦なんてザラにいる。何年も口をきいていないとか、顔を合わせばケンカばかりとか、別室で生活していて普段は顔も合わせないとか、

  • 立ち直るって何なんだ?

    かみさんが亡くなってから、それなりに月日が過ぎた。それなのに、俺はいまだに立ち直っていない。より正確に言えば、自分が立ち直っているのか、それともいないのかが分からない。俺には「立ち直る」という言葉がどういう状況を指すのか分からないのだ。・・・時間の経過の

  • かみさんと一緒に歩いた秋

    ネクタイを締めて出勤しようかなぁ…と思えるほどに涼しくなった。網戸だけを閉めて室内にいると、気持ちの良い風が入ってくる。10月も終わりになって、ようやく秋らしくなってきた。かみさんの生前、秋には大きなイベントがなかった。春(ゴールデンウィーク)にはかみさん

  • 私はあなたにいて欲しい。

    平成22年4月30日のこと。かみさんが癌と診断された4日後のことだ。かみさんは不安だっただろう。自分の病気は治ると信じていたものの、それでも不安で仕方がなかったはずだ。もともと気丈夫で、何事にも前向きなかみさんだが、自分が癌だと診断されて、心が穏やかであるはず

  • こんなに狂った世界から…

    現在10月26日の午前7時45分。いつもとは違い、休日出勤の途上でブログの記事を書いている。やるべきことが多すぎる。その大半は、「もっともっと偉くなりたい!」と考えている管理職のアイデア(というより経営陣に対する忖度)によるものだ。同じ管理職でも、俺たちのような

  • 見失ったもの

    かみさんと俺は、いつでも「未来」を見据えていた。将来の自分たちの姿を想像し、語り合うのが好きだった。今度の週末は、どうやって過ごそうか。夏休みには、どこの国に遊びに行こうか。年末年始は、今年も北海道(かみさんの実家)に行こう。こんなふうに具体的なスケジュ

  • 共有 ~分かち合う幸せ~

    かみさんと俺は、約20年間にわたり、さまざまな感情や想いを分かち合って生きてきた。楽しいことや嬉しいことはもちろんのこと、辛いことや苦しいことも、悲しいことも、二人でシェアして生きてきた。かみさんの身に、何か楽しいことや嬉しいことがあると、かみさんは身振り

  • かみさんの魂が寄り添ってくれるはずだ。

    かみさんと俺は、どちらかが本当に辛いとき、必ず相手の傍らに寄り添っていた。お互いを支え、相手の苦しみを少しでも癒してあげたかったのだ。かみさんが原因不明の高熱を出したとき。俺は仕事を休み、かみさんの看病をし、病院にも連れていった。かみさんが人間関係で苦し

  • 哀しみの中の不純物

    かみさんを喪ってから。それなりの時間が経った。当初の数年間、あまりにも激しい悲しみで、心身を引き裂かれたかのようだった。心にポッカリと穴が空いてしまった。周囲の世界がリアリティを失った。すべてが終わったかのようだった。すべてを失ったかのようだった。俺は自

  • 生き地獄

    日曜日の夜のこと。俺の心と身体は疲れきっていた。心は沈み、気分は晴れず、かなり重たい鬱(うつ)状態だった。身体はダルく、全身の血液がドロドロしているかのようだった。明日(月曜日)に備えて早く寝よう。心と身体に休息を与えてあげよう。夜の9時半。俺は睡眠導入

  • 死別をした人々の時間感覚

    かみさんが元気だった頃。時間の経つのが速かった。一日も、一週間も、一ヶ月も、そして一年も、あっという間に過ぎ去った。楽しい時間は速く過ぎるという。かみさんが隣にいたときは、よほど楽しくて、うれしくて、とても幸せだったんだろう。かみさんが亡くなってから。時

  • 死ぬまで苦しめ…と人は言う。

    死はタブー視されて、忌避されている。死を望むことは、否定されている。死が赦されないのなら、せめて生を輝かせるような世界であってほしい。死を望むことが赦されないのなら、せめて生きる意味や悦びを教えてほしい。だが、生を輝かせるための仕組みはない。生きる意味や

  • 見通しは甘かった。

    かみさんが亡くなってから。俺はいつ死んでもいい…と考えるようになった。むしろ早く死にたいと思うようになった。かみさんの後を追いたいと思った。理由は2つある。ひとつは、俺が死んだら、かみさんに会えると思ったからだ。もちろん「あの世」や「死後の世界」の存在を

  • 遺族たちの自律神経

    かみさんが亡くなってから。俺の自律神経は狂ってしまった。交感神経が暴走しているのだ。俺は眠れなくなってしまった。より正確に言えば、真夜中に覚醒してしまうのだ。経験のない人には分からないだろうが、眠れない日々が続くのは本当に辛い。布団に入ったまま悶々として

  • 生きているだけで痛いんだ。

    全身が痛む。身体がダルい。いつでも疲れている。熟睡することができず、1日あたり4時間半くらいしか眠れない。心が重たい。いつだって物悲しい。何をするのも億劫だ。何をする気力も湧いてこない。そうだ。生きているだけで辛いのだ。その上、さまざまな雑事が降りかかり

  • “かりそめ”の安らぎ

    ここ最近、俺は禁酒を続けてきた。先日の記事に書いたとおり、一度は挫折したのだが、その後は順調に禁酒してきた。だが、3連休にふたたび挫折してしまった。飲んだ酒はウィスキー、飲んだ量は3日間で2リットルほど。いくら何でも飲みすぎだ。そのせいだろうか。今朝(10

  • 放射

    伴侶や子どもを亡くした悲しみには「重さ」がある。世界でいちばん大切な人を喪った悲しみには「質量」がある。悲しみの質量は、あまりにも大きい。そのため巨大な「重力」を持っている。その重力が強すぎて、悲しみは自分自身を支えていることができなくなる。自らの質量に

  • 昇華

    1日に何度も仏壇の前に座る。そのたびに、かみさんの位牌や遺影を見つめ、かみさんに想いを馳せる。やっぱり俺は、かみさんのことが愛おしい。この「想い」はなんだろう。自分の「妻」に対する「想い」であることに違いはない。だが、そう単純に割り切れるような「想い」で

  • 慈愛

    かみさんが亡くなった日から。かみさんのために続けてきたことがある。それは「1日に数回、線香をあげること」。そして「朝と晩にお供えをすること」だ。インフルエンザで寝込もうと、肝臓を壊して倒れようと、この2つの習慣だけは守ってきた。その習慣が、俺のかみさんに

  • 初めての家族

    俺を造った男がいる。それは普通、「父親」と呼ばれる。俺を産んだ女がいる。それは普通、「母親」と呼ばれる。俺は、その二人から虐待されて育ってきた。俺の自尊心は破壊された。俺は人間を信頼できなくなった。この二人は生物学的に見れば、俺の「親」だ。だが、子どもを

  • セルフ・ネグレクト

    かみさんが亡くなってから。俺の心と身体は、急速に老化が進んでいる。心は弾みを失って、いつでも鬱(うつ)の症状に苦しんでいる。身体が重たくて、全身のあちこちが痛い。毎晩、熟睡することができない。疲れやすい上に、朝起きた瞬間から疲れている。家の外に出たくない

  • もうイヤだ…と呟いた。

    昨日、「現実逃避もできやしない。」というタイトルでブログを書いた。ここ最近の睡眠障害の苦しさについて述べた記事だった。あんな記事を書いたあとだ。今夜こそは眠れるだろう…と期待して寝床に就いた。だが、眠れなかった。睡眠導入剤を飲んでいるため、寝付きは良かっ

  • 現実逃避もできやしない。

    ここ数日、熟睡できない日が続いている。毎晩、睡眠導入剤を飲んでいる。そのため寝付きは悪くない。だが…3~4時間ほどで目が覚めてしまうのだ。まだまだ眠り足りない。もう少し眠らないと、翌日に差し支えてしまう。布団の中で目を閉じている。眠ろう、眠ろう…と思って

  • ひとりぼっちの疑心暗鬼

    疲れて家に帰ったら、そこには家族が待っている。朝目覚めたら、そこには家族の笑顔がある。自分にとって、いちばん大切な人たちだ。その人たちも、自分をいちばん大切にしてくれる。こんなに幸せなことはないのだが、人間にとって、ごく当たり前の風景でもあるだろう。だか

  • 脱出

    死にたい…と思う。それができないのなら、死ぬまで眠っていたい…と思う。かみさんが死んだあとの余生は、確かに「最期の修行」なのかもしれない。その修行をやり抜くことが、俺の義務なのかもしれない。だが、毎日がとても辛いのだ。生きていることが、あまりにも苦しいの

  • 想像力の限界

    身体にできた傷ならば、視覚で捉えることができるだろう。一方で、心の傷は目に見えない。想像力でしか捉えるができないのだ。脚を骨折して松葉杖をついている人を見れば、座席を譲ってあげよう…と思うだろう。皮膚が裂けて包帯を巻いている人を見れば、痛そうだな…と顔を

  • 誰にも言わない。

    かみさんが亡くなってから。それなりの時間が経ってしまった。だとすると、たとえ鬱(うつ)であろうとも、強い不安感があろうとも、「かみさんが亡くなったことが原因です…」とは言いづらい。もし言ったとしても、誰も納得してくれないだろうし、下手をすれば苦笑されてし

  • 逃げられない遺族たち

    逃げたいと思うことがある。今ここではないどこかに逃げ出したいと思うことがある。今ここは、俺のいるべき場所ではないのだ。今ここは、俺のいたい場所でもないのだ。かみさんが元気だった頃。俺には逃げることのできる場所があった。言うまでもない。それは、かみさんの隣

  • 最愛の人を亡くした人々ばかりで作られた世界

    最愛の人を亡くした人々ばかりで作られた世界があるとする。その世界には、夫を亡くした妻、妻を亡くした夫、子どもを亡くした親たちだけが棲んでいる。誰もが皆、心に深い傷を負い、その激しい痛みに耐えながら、すべてが終わる日を待っている。誰もが皆、すべてを失って、

  • 一線を越えてしまおうか。

    先日の記事にも書いたとおり、数ヶ月前から鬱(うつ)が悪化している。とりわけ平日の朝と休日の丸一日は、鬱で心が落ちている。その影響だろうか。先々週あたりから、俺は毎朝、「一線」を越えてしまいそうになる。一線を越えると言っても「自死」してしまおう…なんて考え

  • 悪化する鬱(うつ)

    日曜日。朝から鬱がひどかった。鬱に加えて不安感もあって、心の中がザワザワしていた。座っていても落ち着かない。寝転がっていても落ち着かない。抗鬱剤と精神安定剤を飲んではみたが、心が乱れて発狂しそうだ。俺はウィスキーをしこたま飲んだ。酔っ払った頃を見計らい、

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