俺にとって「家庭」は憧れの場所だった。子どもの頃の俺には「家庭」が無かったからだ。俺と妹は、両親(とりわけ実母)から虐待されて育ってきた。そんな俺と妹にとって、自宅は居心地の良い場所ではなかったし、むしろ吐き気を催すような場所でしかなかった。だからこそ、
たった一人の家族、最愛の妻を癌で喪った。独り遺された男やもめが、暗闇の中でもがき続ける日々の日記。
現在12月30日の午前7時08分。昨日のとおり、自宅のリビングでブログの記事を書いている。38度6分まであった熱は、36度9分まで下がった。インフルエンザは快方に向かっているらしい。だが、鼻が詰まっているくせに鼻水が垂れてくる。咳が止まらず、痰が切れない。食欲がない。
現在12月29日の午前4時40分。早朝ではあるが、自宅のリビングでブログの記事を書いている。インフルエンザの症状は、次第に軽快してきた。38度6分まで上がった体温は、37度1分まで下がっている。鼻詰まりも治ったようだ(鼻水は垂れてくるけれど)。だが、倦怠感(身体のダル
現在12月28日の午前11時51分。自宅のリビングでブログの記事を書いている。昨日の記事に書いた通り、俺はインフルエンザに罹患した。そのせいで、俺は北海道(かみさんの実家)に行くことができず、”ひとりぼっち”で年末年始を迎えることになった。どんなに惨めな日々を送
現在12月27日の午後8時22分。本当ならば、俺はそろそろ札幌(かみさんの実家)に到着しているはずだった。だが…俺は今、自宅にいる。北海道に向かうことができなかったのだ。今朝の6時ごろ。少しダルいな…と感じた。俺は体温計で熱を測った。結果は37度1分。微熱だったので
現在12月26日の午後11時37分。いつもと違い、深夜の自宅でブログの記事を書いている。あと20分ほどで27日になる。仕事納めの日が近づいている。11月27日の早朝。俺はいつものとおり出勤するだろう。そして、いつもとは違い、大きめのカバンに着替えを詰めて、俺は職場に向か
世界でいちばん大切な人を喪えば、誰だって悲しい。その悲しみは、あまりにも激しくて、遺族の心と身体を切り刻み、生きる気力を削ぎ落す。愛する人の死とともに、半身を失って、心にポッカリ穴が開き、周囲の世界が自分から遠ざかってしまう。幸せで、平穏で、笑顔の絶えな
現在12月24日の午前7時12分。いつものとおり、通勤途中にブログの記事を書いている。今日はクリスマス・イブだ。心なしか世間の空気が軽い。かみさんが元気だったなら、二人で美味しい食事と美味しいお酒を楽しみながら、賑やかに会話を楽しんだことだろう。だが、“ひとりぼ
かみさんが元気だった頃の記憶。かみさんと一緒に暮らしていた頃の記憶。それらはとても幸せで暖かい。だが、かみさんとの記憶が胸を締め付けることもある。幸せで楽しかった想い出ばかりだが、それでも俺の胸を抉るのだ。夫婦二人でどこかに出かけたときを想い出す。もう一
かみさんを喪ってから。俺はとても悲しかった。気が狂ったかのように悲しかった。身を引き裂かれたかのように悲しかった。その激しい悲しみが、将来、どう変化していくのだろう…なんて考える余裕はなかった。いつになれば悲しみが消え去るのだろう…なんて考えても見なかっ
仕事が終わって会社を出ると、最寄りの駅まで足早に歩く。道の途中、俺は必ずかみさんに「帰るコール」をする。かみさんが、「もしもし プーちゃん? 帰ってくる~?」と電話に出てくれる。俺は「今から帰るよ」と応える。「今日の夕飯は○○だよ~」、「気をつけて帰って来
このブログの中で、俺は何度も書いてきた。単調で、退屈で、抑揚のない余生が辛い…と書いてきた。そうだ。かみさんが死んでしまった。俺は“ひとりぼっち”になってしまった。それ以来、俺の人生から喜びや楽しみが消え去った。なんのアクセントもない日々が、ダラダラと続
かみさんが亡くなったのは、俺が41歳のときだった。まだ40歳を過ぎたばかりの頃だったのだ。当然、同世代の人々(友人や知人)の中に、俺と同じ体験をした人は一人もいない。それどころか50歳代や60歳代の知人の中にも、配偶者を亡くした人は一人もいなかった。そんな状況の
かみさんが亡くなった。俺はいちばん大切なモノを失った。いちばん大切なモノを失えば、二番目に大切なモノがいちばんになる…というほど単純なものではないらしい。いちばん大切なモノを失うと、二番目以降に大切だったモノも「どうでもよくなってしまう」のだ。俺はかみさ
昨晩のこと。俺はかみさんの夢を見た。夢の中。俺は布団に横たわっていた。俺の左側に何かある(何かいる)。覗いてみると、かみさんだった。あれ?死んじゃったはずなのに、何故かみさんがいるんだ?とは思わなかった。俺は、ごく自然に「かみさんが横にいる」という状況を
土日や祭日はどうしようもない。休日の空虚さに耐えられない。無駄に時間はあるくせに、やりたいことが何もない。話し相手もいやしない。どうやって時間を潰したらいいのか分からず、途方に暮れてしまう。あんまりにも退屈だ。あんまりにもつまらない。心は鬱々と沈み込んで
普通の人たちは、馬鹿にされることはないし、嗤われることもない。悲壮感がないからだ。哀しいとも言わないし、淋しいとも言わないからだ。普通の人たちには家族がいる。自分がいちばん大切にしているモノがある。自分をいちばん大切に想ってくれるモノがある。老後の心配や
俺たち人間は、一人ひとりの顔なんか見ていない。一人ひとりに共感していたら、何にもできなくなってしまうからだろうか。どこかで誰かが泣いている。自分の傍らで、誰かが蹲って苦しんでいる。それらを知っていても、別のことに夢中になれて、笑っていられるのが人間だ。そ
かみさんが逝ってしまった。俺を遺して逝ってしまった。だが…かみさんは俺の傍にいるはずだ。見えないけれど、確かに俺の隣にいるはずだ。だから俺は、かみさんを探した。かみさんの気配を追い求めていた。そうしているうちに、数年の月日が過ぎ去った。しかし、かみさんを
現在12月12日の午前7時24分。いつものとおり、通勤途中にブログの記事を書いている。今朝は4時前に目が覚めた。鬱や不安感はなかった。身体のダルさもなかった。こんなことは久しぶりだ。だが、気分の良い朝だというわけでもなかった。体調の良いときは、かえって神経が鋭敏
かみさんが亡くなった。世界でいちばん大切な人を喪った。俺は“ひとりぼっち”になった。ひとりぼっちで佇んでいた。そこは、あまりにも哀しくて、あまりにも寂しい場所だった。喪失感を埋めたくて、俺は周囲を見回した。かみさんの姿を探し求めたのだ。だが、かみさんは何
すべての人間は、他の人間たちとの関係の網の目の中で生きている。他者との関係があるからこそ、人間は「動物」ではなく「人間」なのだ。かみさんが元気だった頃。俺はたくさんの人々との関係の網の中で生きてきた。最も太く、最も濃密に結ばれていたのは、かみさんだ。かみ
昨晩は熟睡することができた。夜中に何度か目覚めたが、久しぶりにたっぷり眠ることができた。しかし、たくさんの悪夢を見た。目覚める直前は、いつも悪夢だった。何度も目が覚めたのは、悪夢のせいだったのかもしれない。午前5時半に床を出た。直前まで見ていた悪夢のせい
最愛の人を喪ったのに、それでも生きながらえている人々がいる。哀しいだろう。淋しいだろう。悔しいだろう。生きていることが辛いのに、それでも生きなければならず、この世は地獄だな…とタメ息をついている。理由の分からない不安感に脅え、プレッシャーに押し潰されそう
在宅している間は、まだマシかもしれない。話をする相手もいなければ、触れ合うことのできる相手もいないけど、荒んだ心が「何か」に守られているからだ。その「何か」は、自宅の壁だったり、自分の肉体だったり、眠りに落ちてしまうことだったり、”ひとりぼっち”であるこ
かみさんが元気だった頃。俺たち夫婦は「過去」も「未来」も大好きだった。過去は二人の幸せな想い出で満ちていた。夫婦二人で過去を振り返るのは、幸せを追体験することに他ならなかった。あの時あんなことをしたね…あの時あんなものを見たね…あの時あんな話しをしたね…
かみさんが死んでしまった。そして俺は“ひとりぼっち”になってしまった。周囲の人々を見回してみた。友だちには奥さんや旦那さんがいた。中には子どものいる人もいた。義弟は独身だが、義母がいた。義母も“やもめ”だが、義弟がいた。会社の部下たちにも家族がいた。独身
現在12月4日の午前5時54分。いつもより早い時間にブログの記事を書いている。昨晩は早めに寝床に入った。睡眠導入剤を飲み、午後9時半には布団の中にいた。だが、まったく寝付けなかった。時計を見ると、午前3時だった。いくらなんでも寝床を出るには早すぎる。少しでも眠ろ
かみさんの闘病中のこと。病状が悪化するにつれて、かみさんは眠気に加え、倦怠感(ダルさ)を訴えるようになった。だが、癌による疼痛がなかったせいか、苦しむことはなかった。ベッドに横になっている限り、俺とは普通に会話ができていた。倦怠感が辛くても、人間は死にた
ここ最近。いろんな問題が重なっている。やらなきゃいけないことが山ほどある。いくつかは片付けたものの、まだウンザリするほど沢山の課題が横たわる。それらが重圧となっている。俺は態度に出さないが、内心ではイライラしている。ストレスで破裂しそうだ。今朝も、うなさ
かみさんが元気だった頃。俺の一週間は、月曜日の朝にスタートして、金曜日の夜にゴールを迎えた。スタートからゴールまでの間はキツい。肉体的な疲労感もさることながら、精神的なストレスが半端じゃない。障害物もたくさんあるし、アップダウンがとても激しい。苛烈な競争
どうせ死ねないのなら、少しは軽やかに生きてみたい…と思っている。かみさんの後を追えないのなら、せめて心静かに余生を送りたい…と思っている。苦痛で崩れてしまいそうなのに、それでも「普通の人」として生きること。それは「やせ我慢」の連続であり、本当に苦しいこと
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俺にとって「家庭」は憧れの場所だった。子どもの頃の俺には「家庭」が無かったからだ。俺と妹は、両親(とりわけ実母)から虐待されて育ってきた。そんな俺と妹にとって、自宅は居心地の良い場所ではなかったし、むしろ吐き気を催すような場所でしかなかった。だからこそ、
かみさんが元気だった頃。俺はとても幸せだった。俺たち夫婦は満たされていた。なんの不足や欠如もなかった。かみさんが俺の横にいる。こんなに幸せなことはない。だが…かみさんは癌に冒されてしまった。そして、俺を遺して死んでしまった。プーちゃんを遺して死にたくない
かみさんが亡くなってから。俺は基本的に”ひとりぼっち”で過ごしている。北海道(かみさんの実家)に遊びに行ったり、会社で仕事をしている間は別として、自宅にいる限り、時間や空間を共有してくれる人は誰もいない。話をする相手もいなければ、一緒に笑うことのできる相
かみさんが元気だった頃。俺はずっと会社の中枢部門にいた。中枢部門というのは残業がバカみたいに多い。休日出勤も少なくない。おかげで多額の残業代をもらっていたが、自分の時間がないことは辛かった。そして何よりも、かみさんと過ごす時間が少なくなってしまうことが切
あれは確か2017年の2月初旬だった。その頃のブログに書いたとおり、俺は死にかけたことがある。かみさんを喪って自暴自棄になっていた俺は、酒に溺れていた。毎日、ストレートで焼酎を飲んでいた。二日間で一升瓶がカラッポになるペースで飲んでいた。そんな暮らしを数年続
かみさんが亡くなってから、それなりの時間が経過した。暦だけを見れば、それは長い時間だったと言えるだろう。それなのに、俺には「長い時間だった」という実感がない。まるで昨日のことのようだ…なんて言うつもりはないが、ごく最近のことのように感じられてしまう。かみ
産まれた瞬間から、ずっと安全な場所にいたのだろう。すべてが「思いどおり」になって、満たされないことは一つもなかったのだろう。そんなふうに生きてきたならば、人生は楽しいだろうし、世界や人間を肯定できるに違いない。そういう人々からすれば、周囲の人間が自分の「
かみさんが死んじゃった。かみさんがいなくなっちゃった。俺は”ひとりぼっち”になってしまった。ひとりぼっちは、とても淋しい。だからと言って、誰でもいいから寄り添いたいとは思わない。また、誰でもいいから一緒にいて欲しいとも思わない。近づくだけで、不快になって
俺は大学生のときに家出した。実母からの言葉の暴力に耐えられなかったからだ。俺は自分で学費を稼ぎ、生活費や家賃も稼いでいた。家出と同時に、俺は家族を失った。俺は“ひとりぼっち”になったのだ。だが、心細くなんてなかった。むしろ実母との縁を切り、嫌な思い出しか
たぶん俺が幼稚園生だか小学校低学年だった頃だ。父方の祖母が言っていた。神様に“お願いごと”をするのはいいけれど、仏様に“お願いごと”をしてはダメなんだよ。その理由は分からない。だが、その言葉を聞いたとき、俺は軽い衝撃を覚えた。幼少期の俺にとって、神様も仏
毎晩6時に退社する。残業になれば別だけど、それは週に一回から二回程度であって、たいていは6時に家に向かう。そもそも管理職になってからは、残業することがほとんどない。退社してから就寝するまでの間。俺は本当に“ひとりぼっち”だ。途中で夕飯と酒を調達する。そし
現在1月7日の午前7時12分。インフルエンザの発症(12月27日)から12日が経過した。とっくにインフルエンザは治っているだろう。事実、熱は下がっている。だが、相変わらず咳や痰が止まらない。腹は減るのに食欲がない。倦怠感(身体のダルさ)も耐えがたい。そして、なにより
身体がダルい。全身のあちこちが痛む。頭の中がボンヤリしている。いつだって憂鬱だ。かみさんを亡くした悲嘆もあるんだろう。だが、多分それだけではない。恐らく老化も原因のひとつだ。生まれてから今日までの間、使い込んできた精神と肉体とにガタが来ているのだろう。無
かみさんが元気だったころ。俺は「あの世」や「死後の世界」なんて信じていなかった。正確に言えば、「信じていなかった」というより「まったく興味がなかった」のだ。俺にとっては「この世」がすべてだった。何故なら「この世」は最高に楽しくて、最高に幸せで、最高に面白
自分だけのためならば、人間は大して頑張ることができない。途中で頑張ることに疲れてしまい、「もう、この程度でいいや…」と妥協してしまいがちだ。でも…ときに人間は、自分の限界を超えることがある。限界を超えて頑張れることがあるのだ。この世界に守りたい人がいる。
現在1月3日の午前9時23分。自宅のリビングでブログの記事を書いている。インフルエンザの発症から8日が過ぎた。もういい加減に体調が回復してもいい頃だ。確かに熱は下がった。だが、咳や痰が止まらない。なによりも辛いのは倦怠感(身体のダルさ)と食欲の無さだ。寝ていて
朝目覚めると、そこにかみさんはいない。家の中にいるのは俺だけだ。動くものは何もなく、音を発するものも何もなく、温もりを感じるものも何もない。かみさんが死んだ…という現実を再認識し、俺は深く落ちていく。すべてが静止している。空気が凍りついてしまったかのよう
現在1月1日の午後3時33分。自宅のリビングでブログの記事を書いている。38度6分まで上がった熱は、36度6分まで下がっている。だが、いまだに咳や痰は抜けていないし、食欲がまったく無い。倦怠感(全身のダルさ)が半端じゃなくて、一日のほどんどを寝っ転がっている。しかし
2010年。かみさんが亡くなった年だ。この年の正月。例年通り、かみさんと俺は、北海道にあるかみさんの実家に遊びに来た。かみさんは元気だった。本当に元気で、楽しそうだった。癌になっているなんて、これっぽっちも感じることはできなかった。かみさんに誘われるまま、俺
現在12月30日の午前7時08分。昨日のとおり、自宅のリビングでブログの記事を書いている。38度6分まであった熱は、36度9分まで下がった。インフルエンザは快方に向かっているらしい。だが、鼻が詰まっているくせに鼻水が垂れてくる。咳が止まらず、痰が切れない。食欲がない。
幼少の頃、俺は両親から虐待されてきた。父親からは肉体的な暴力を、母親からは精神的な暴力を受けてきた。俺は大学入学とともに家出した。学費も生活費も何もかも、自分で稼いでいくハメになった。だが、親との絶縁は俺を救ってくれた。しかし、虐待の記憶は俺の中にトラウ
昨晩はあまり眠れなかった。睡眠導入剤が効かなかったようだ。ダルくてダルくて仕方がない。気力も無ければ食欲も無い。やらなきゃならないことが沢山あって、プレッシャーを感じているのだろう。眠れなかった日の翌朝は、気分が重くて沈みこんでいる。抗鬱剤を飲んではみた
かみさんが亡くなってから数年が経って、幸せだったはずの「過去」が遠のいていく。たった一つの宝物が失われていくようで、それはとても淋しいことだ。もはや「過去」を取り戻すことができないのなら、「未来」を見据えて生きればいい。だが、かみさんのいない「未来」を想
全身が痛む。身体がダルい。気分は沈みこんでいる。歩くのが辛い。立ち上がるのも億劫だ。座っていることさえ苦痛だ。俺の心身が「眠ること」を欲している。その欲求に従って、酒でも飲んで眠ってしまいたい。自分の意識を消滅させてしまえば楽になれるだろう。意識が無くな
本来、鬱(うつ)というものは、慢性的で、いつでも気分が塞ぎ込んでいる状態を指すんじゃないかと思う。眠っている間以外、いつでも気分が落ちている。それが典型的な鬱なんだろう。かみさんが亡くなって1か月後。俺は心療内科で「抑鬱状態(死別反応)」と診断されて、抗
安全な場所から「地獄」を覗き込んでいる奴らがいる。世界の「中心」に居座って、にやついた顔で「周縁」を眺めている奴らがいる。奴らの目は、好奇心でいっぱいだ。伴侶と死別するって、どんな感じなんだろう?絶望するって、どんな気持ちなんだろう?奴らの目は、優越感で
現在1月12日の午前7時23分。いつものとおり、通勤途中にブログの記事を書いている。今日は金曜日だ。週末の連休を前にして、世間の空気が軽い。週末を家族サービスのために使う人も多いのだろう。かみさんが元気だった頃。俺にとっても、そうだった。休日出勤も少なくなかっ
仕事が終わって退社する。俺はかみさんに「帰るコール」をする。今から帰るね!と言えば、かみさんは気をつけて帰っておいで!と言ってくれる。あるいは、今日の夕飯は○○だよ!と応えてくれる。仕事で疲れきった俺に、かみさんがエネルギーを注いでくれるのだ。自宅の最寄
毎朝5時半には目が覚める。熟睡できた感じはしない。寝床を出るのが辛い。もっと寝ていたいと思う。寝ている間に夢を見る。ろくでもない夢ばかりだが、しばらく経つと、夢の内容を忘れてしまう。起床してから約1時間半後に出勤だ。それまでの間、かみさんにお供えをして、
北海道には、かみさんの家族(俺の義母、義弟のAくん、義弟のBくん)が住んでいる。義母とBくんは、マンションで二人暮らしをしている。そこから歩いて5分ほどの場所に、Aくんが別のマンションで一人暮らしをしている。昨年の12月28日。仕事納めのあと、俺は飛行機で北
かみさんが元気だったころ。俺は怒りや哀しみのような「負の感情」をコントロールすることができたはずだ。かみさんと一緒なら、そもそも哀しいことなんて無かったし、怒りは適当に処理することができたのだ。だが、かみさんを亡くした瞬間、俺は変わってしまった。悲しいの
誰かが占めていた場所がある。その場所は、誰かの死とともに大きな欠落になってしまう。俺に言わせれば、欠落は欠落のままでいいんじゃないか…と思う。だが…その欠落は、時間の経過とともに埋められていく。誰かが意図して埋めたわけではない。ましてや悪意があって埋めて
かみさんが亡くなってから、「再婚すればいいんじゃない?」と言われたことが数回ある。どういうわけか、男性から言われたことは一度しかない。俺に対して「再婚すれば?」と言ったのは、女性ばかりだ。男性に比べ、女性の方が薄情だとか、俺の気持ちが分かってないなどと言
死別してから最初の数年間は、心にポッカリ穴が開いたような、半身を削ぎ落とされてしまったような感覚に囚われ続けていた。いわゆる「喪失感」というヤツだ。それから数年が経つと、喪失感は次第に影を潜めていく。そして代わりに「寂しさ」でいっぱいになってくる。念のた
神なんていないとは思うけど…もしも神がいるのなら、それはとても残忍で、冷酷なんだろう。それはとても嗜虐的で、猟奇的なんだろう。人が苦しみ、人が喘ぎ、人が哭いている。それを嗤いながら見物しているのが神だ。神と名乗る奴は、いつだって悪魔なんだ。・・・かみさん
神なんていないとは思うけど…もしも神がいるのなら、それはとても残忍で、冷酷なんだろう。それはとても嗜虐的で、猟奇的なんだろう。人が苦しみ、人が喘ぎ、人が哭いている。それを嗤いながら見物しているのが神だ。神と名乗る奴は、いつだって悪魔なんだ。・・・神は何も
楽しい時間が過ぎるのは速い…誰から教わったのかは忘れたが、幼少期には既に知っていた言葉だ。かみさんが元気だったころ。1日はあっという間に過ぎ去った。1週間が始まれば、早く週末が来ないかなぁ…と思ったが、すぐに金曜日の夜はやってきた。毎年の夏に海外旅行をす
俺は希死念慮を抱えている。心の底から「死にたい…」と思っている。こんなことを書くと、「死ぬ死ぬ詐欺」という訳の分からない言葉をわざわざ造ってくれる輩がいる。そこまでして他人を嘲笑うことに快感を覚えたい輩を見ていると、ご苦労なことだな…と感じて苦笑する。そ
2010年。かみさんが亡くなった年だ。この年の正月。例年通り、かみさんと俺は、北海道にあるかみさんの実家に遊びに来た。かみさんは元気だった。本当に元気で、楽しそうだった。癌になっているなんて、これっぽっちも感じることはできなかった。かみさんに誘われるまま、俺
かみさんがいない世界を生きてきた。かみさんが亡くなった後も時間が過ぎてきた。当初の激しい「感情」は、次第に薄れていった(ような気がしている)。だが、代わりに別の「感情(というより気分)」が生まれてきた。それは静かだけど重たくて、ドロリとした粘度を持ってい