かみさんが亡くなった。俺はいちばん大切なモノを失った。いちばん大切なモノを失えば、二番目に大切なモノがいちばんになる…というほど単純なものではないらしい。いちばん大切なモノを失うと、二番目以降に大切だったモノも「どうでもよくなってしまう」のだ。俺はかみさ
たった一人の家族、最愛の妻を癌で喪った。独り遺された男やもめが、暗闇の中でもがき続ける日々の日記。
2024年12月
かみさんが亡くなった。俺はいちばん大切なモノを失った。いちばん大切なモノを失えば、二番目に大切なモノがいちばんになる…というほど単純なものではないらしい。いちばん大切なモノを失うと、二番目以降に大切だったモノも「どうでもよくなってしまう」のだ。俺はかみさ
昨晩のこと。俺はかみさんの夢を見た。夢の中。俺は布団に横たわっていた。俺の左側に何かある(何かいる)。覗いてみると、かみさんだった。あれ?死んじゃったはずなのに、何故かみさんがいるんだ?とは思わなかった。俺は、ごく自然に「かみさんが横にいる」という状況を
土日や祭日はどうしようもない。休日の空虚さに耐えられない。無駄に時間はあるくせに、やりたいことが何もない。話し相手もいやしない。どうやって時間を潰したらいいのか分からず、途方に暮れてしまう。あんまりにも退屈だ。あんまりにもつまらない。心は鬱々と沈み込んで
普通の人たちは、馬鹿にされることはないし、嗤われることもない。悲壮感がないからだ。哀しいとも言わないし、淋しいとも言わないからだ。普通の人たちには家族がいる。自分がいちばん大切にしているモノがある。自分をいちばん大切に想ってくれるモノがある。老後の心配や
俺たち人間は、一人ひとりの顔なんか見ていない。一人ひとりに共感していたら、何にもできなくなってしまうからだろうか。どこかで誰かが泣いている。自分の傍らで、誰かが蹲って苦しんでいる。それらを知っていても、別のことに夢中になれて、笑っていられるのが人間だ。そ
かみさんが逝ってしまった。俺を遺して逝ってしまった。だが…かみさんは俺の傍にいるはずだ。見えないけれど、確かに俺の隣にいるはずだ。だから俺は、かみさんを探した。かみさんの気配を追い求めていた。そうしているうちに、数年の月日が過ぎ去った。しかし、かみさんを
現在12月12日の午前7時24分。いつものとおり、通勤途中にブログの記事を書いている。今朝は4時前に目が覚めた。鬱や不安感はなかった。身体のダルさもなかった。こんなことは久しぶりだ。だが、気分の良い朝だというわけでもなかった。体調の良いときは、かえって神経が鋭敏
かみさんが亡くなった。世界でいちばん大切な人を喪った。俺は“ひとりぼっち”になった。ひとりぼっちで佇んでいた。そこは、あまりにも哀しくて、あまりにも寂しい場所だった。喪失感を埋めたくて、俺は周囲を見回した。かみさんの姿を探し求めたのだ。だが、かみさんは何
すべての人間は、他の人間たちとの関係の網の目の中で生きている。他者との関係があるからこそ、人間は「動物」ではなく「人間」なのだ。かみさんが元気だった頃。俺はたくさんの人々との関係の網の中で生きてきた。最も太く、最も濃密に結ばれていたのは、かみさんだ。かみ
昨晩は熟睡することができた。夜中に何度か目覚めたが、久しぶりにたっぷり眠ることができた。しかし、たくさんの悪夢を見た。目覚める直前は、いつも悪夢だった。何度も目が覚めたのは、悪夢のせいだったのかもしれない。午前5時半に床を出た。直前まで見ていた悪夢のせい
最愛の人を喪ったのに、それでも生きながらえている人々がいる。哀しいだろう。淋しいだろう。悔しいだろう。生きていることが辛いのに、それでも生きなければならず、この世は地獄だな…とタメ息をついている。理由の分からない不安感に脅え、プレッシャーに押し潰されそう
在宅している間は、まだマシかもしれない。話をする相手もいなければ、触れ合うことのできる相手もいないけど、荒んだ心が「何か」に守られているからだ。その「何か」は、自宅の壁だったり、自分の肉体だったり、眠りに落ちてしまうことだったり、”ひとりぼっち”であるこ
かみさんが元気だった頃。俺たち夫婦は「過去」も「未来」も大好きだった。過去は二人の幸せな想い出で満ちていた。夫婦二人で過去を振り返るのは、幸せを追体験することに他ならなかった。あの時あんなことをしたね…あの時あんなものを見たね…あの時あんな話しをしたね…
かみさんが死んでしまった。そして俺は“ひとりぼっち”になってしまった。周囲の人々を見回してみた。友だちには奥さんや旦那さんがいた。中には子どものいる人もいた。義弟は独身だが、義母がいた。義母も“やもめ”だが、義弟がいた。会社の部下たちにも家族がいた。独身
現在12月4日の午前5時54分。いつもより早い時間にブログの記事を書いている。昨晩は早めに寝床に入った。睡眠導入剤を飲み、午後9時半には布団の中にいた。だが、まったく寝付けなかった。時計を見ると、午前3時だった。いくらなんでも寝床を出るには早すぎる。少しでも眠ろ
かみさんの闘病中のこと。病状が悪化するにつれて、かみさんは眠気に加え、倦怠感(ダルさ)を訴えるようになった。だが、癌による疼痛がなかったせいか、苦しむことはなかった。ベッドに横になっている限り、俺とは普通に会話ができていた。倦怠感が辛くても、人間は死にた
ここ最近。いろんな問題が重なっている。やらなきゃいけないことが山ほどある。いくつかは片付けたものの、まだウンザリするほど沢山の課題が横たわる。それらが重圧となっている。俺は態度に出さないが、内心ではイライラしている。ストレスで破裂しそうだ。今朝も、うなさ
かみさんが元気だった頃。俺の一週間は、月曜日の朝にスタートして、金曜日の夜にゴールを迎えた。スタートからゴールまでの間はキツい。肉体的な疲労感もさることながら、精神的なストレスが半端じゃない。障害物もたくさんあるし、アップダウンがとても激しい。苛烈な競争
どうせ死ねないのなら、少しは軽やかに生きてみたい…と思っている。かみさんの後を追えないのなら、せめて心静かに余生を送りたい…と思っている。苦痛で崩れてしまいそうなのに、それでも「普通の人」として生きること。それは「やせ我慢」の連続であり、本当に苦しいこと
2024年12月
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かみさんが亡くなった。俺はいちばん大切なモノを失った。いちばん大切なモノを失えば、二番目に大切なモノがいちばんになる…というほど単純なものではないらしい。いちばん大切なモノを失うと、二番目以降に大切だったモノも「どうでもよくなってしまう」のだ。俺はかみさ
昨晩のこと。俺はかみさんの夢を見た。夢の中。俺は布団に横たわっていた。俺の左側に何かある(何かいる)。覗いてみると、かみさんだった。あれ?死んじゃったはずなのに、何故かみさんがいるんだ?とは思わなかった。俺は、ごく自然に「かみさんが横にいる」という状況を
土日や祭日はどうしようもない。休日の空虚さに耐えられない。無駄に時間はあるくせに、やりたいことが何もない。話し相手もいやしない。どうやって時間を潰したらいいのか分からず、途方に暮れてしまう。あんまりにも退屈だ。あんまりにもつまらない。心は鬱々と沈み込んで
普通の人たちは、馬鹿にされることはないし、嗤われることもない。悲壮感がないからだ。哀しいとも言わないし、淋しいとも言わないからだ。普通の人たちには家族がいる。自分がいちばん大切にしているモノがある。自分をいちばん大切に想ってくれるモノがある。老後の心配や
俺たち人間は、一人ひとりの顔なんか見ていない。一人ひとりに共感していたら、何にもできなくなってしまうからだろうか。どこかで誰かが泣いている。自分の傍らで、誰かが蹲って苦しんでいる。それらを知っていても、別のことに夢中になれて、笑っていられるのが人間だ。そ
かみさんが逝ってしまった。俺を遺して逝ってしまった。だが…かみさんは俺の傍にいるはずだ。見えないけれど、確かに俺の隣にいるはずだ。だから俺は、かみさんを探した。かみさんの気配を追い求めていた。そうしているうちに、数年の月日が過ぎ去った。しかし、かみさんを
現在12月12日の午前7時24分。いつものとおり、通勤途中にブログの記事を書いている。今朝は4時前に目が覚めた。鬱や不安感はなかった。身体のダルさもなかった。こんなことは久しぶりだ。だが、気分の良い朝だというわけでもなかった。体調の良いときは、かえって神経が鋭敏
かみさんが亡くなった。世界でいちばん大切な人を喪った。俺は“ひとりぼっち”になった。ひとりぼっちで佇んでいた。そこは、あまりにも哀しくて、あまりにも寂しい場所だった。喪失感を埋めたくて、俺は周囲を見回した。かみさんの姿を探し求めたのだ。だが、かみさんは何
すべての人間は、他の人間たちとの関係の網の目の中で生きている。他者との関係があるからこそ、人間は「動物」ではなく「人間」なのだ。かみさんが元気だった頃。俺はたくさんの人々との関係の網の中で生きてきた。最も太く、最も濃密に結ばれていたのは、かみさんだ。かみ
昨晩は熟睡することができた。夜中に何度か目覚めたが、久しぶりにたっぷり眠ることができた。しかし、たくさんの悪夢を見た。目覚める直前は、いつも悪夢だった。何度も目が覚めたのは、悪夢のせいだったのかもしれない。午前5時半に床を出た。直前まで見ていた悪夢のせい
最愛の人を喪ったのに、それでも生きながらえている人々がいる。哀しいだろう。淋しいだろう。悔しいだろう。生きていることが辛いのに、それでも生きなければならず、この世は地獄だな…とタメ息をついている。理由の分からない不安感に脅え、プレッシャーに押し潰されそう
在宅している間は、まだマシかもしれない。話をする相手もいなければ、触れ合うことのできる相手もいないけど、荒んだ心が「何か」に守られているからだ。その「何か」は、自宅の壁だったり、自分の肉体だったり、眠りに落ちてしまうことだったり、”ひとりぼっち”であるこ
かみさんが元気だった頃。俺たち夫婦は「過去」も「未来」も大好きだった。過去は二人の幸せな想い出で満ちていた。夫婦二人で過去を振り返るのは、幸せを追体験することに他ならなかった。あの時あんなことをしたね…あの時あんなものを見たね…あの時あんな話しをしたね…
かみさんが死んでしまった。そして俺は“ひとりぼっち”になってしまった。周囲の人々を見回してみた。友だちには奥さんや旦那さんがいた。中には子どものいる人もいた。義弟は独身だが、義母がいた。義母も“やもめ”だが、義弟がいた。会社の部下たちにも家族がいた。独身
現在12月4日の午前5時54分。いつもより早い時間にブログの記事を書いている。昨晩は早めに寝床に入った。睡眠導入剤を飲み、午後9時半には布団の中にいた。だが、まったく寝付けなかった。時計を見ると、午前3時だった。いくらなんでも寝床を出るには早すぎる。少しでも眠ろ
かみさんの闘病中のこと。病状が悪化するにつれて、かみさんは眠気に加え、倦怠感(ダルさ)を訴えるようになった。だが、癌による疼痛がなかったせいか、苦しむことはなかった。ベッドに横になっている限り、俺とは普通に会話ができていた。倦怠感が辛くても、人間は死にた
ここ最近。いろんな問題が重なっている。やらなきゃいけないことが山ほどある。いくつかは片付けたものの、まだウンザリするほど沢山の課題が横たわる。それらが重圧となっている。俺は態度に出さないが、内心ではイライラしている。ストレスで破裂しそうだ。今朝も、うなさ
かみさんが元気だった頃。俺の一週間は、月曜日の朝にスタートして、金曜日の夜にゴールを迎えた。スタートからゴールまでの間はキツい。肉体的な疲労感もさることながら、精神的なストレスが半端じゃない。障害物もたくさんあるし、アップダウンがとても激しい。苛烈な競争
どうせ死ねないのなら、少しは軽やかに生きてみたい…と思っている。かみさんの後を追えないのなら、せめて心静かに余生を送りたい…と思っている。苦痛で崩れてしまいそうなのに、それでも「普通の人」として生きること。それは「やせ我慢」の連続であり、本当に苦しいこと
早朝5時半には起床する。俺はかみさんの仏前に座る。そして、かみさんに線香をあげる。かみさんの位牌と遺影を見つめ、俺はかみさんに想いを馳せる。その後、俺はかみさんに朝のお供えをする。再び線香をあげる。かみさんの遺影を見つめ、無理やり笑顔を作ってみるが、遺影
夜中に何度も目が覚めて、午前5時半には床を出る。かみさんにお供えをし、線香をあげる。シャワーを浴びたらスーツに着替えて出勤だ。仕事が馬鹿みたいに忙しい。息をつく暇もありはしない。仕事が終わって岐路につく。自宅近くのコンビニで弁当とウィスキーを買う。家に帰
まだ薄暗いけど、空は晴れているようだ。空気もきれいで澄んでいる。普通の人たちから見れば、ちょっぴり寒いけど爽やかな朝なのだろう。だが、俺は普通の人ではない。41歳の時に最愛の人に先立たれてしまった奴だ。だから俺は、爽やかな朝なんて知らない。かつては知ってい
楽しいときには、楽しいと感じていいだろう。嬉しいときには、嬉しいと感じていいはずだ。また、辛いときは、辛いと言いたくなるし、苦しいときには、苦しいと思っていいだろう。そして…悲しいときは、どうしようもないほど悲しいのだ。いちばん大切な人が死んでしまったら
かみさんが亡くなってから、しばらく経った頃のことだった。俺は早く死にたいと思うようになった。かみさんの後を追いたいと思うようになった。俺が死んだら、かみさんに会える(かもしれない)と思ったからだ。もしも会えないとしても、心と身体を引き裂くような悲しみから
みんな、かみさんが亡くなったことを知っている。俺が“ひとりぼっち”になったことを知っている。かみさんが若くして癌になり、生きたかったのに生きられなかったことを知っている。俺が最愛の人を亡くし、心の病になったことを知っている。だが、それらの知識は記憶の片隅
胸がドキドキしている。心臓の鼓動がとても早い。今から3年前のこと。俺は「洞性頻脈」と診断された。不整脈の一種らしい。医者からは「これでは心臓が疲れちゃうよ…」と言われた。原因はハッキリしない。ひょっとしたら、かみさんが亡くなって以来、酒に溺れてきたせいか
昨晩は早く帰宅することができた。疲れきっていた俺は、早めに睡眠薬を飲んで、夜の9時半には寝床に就いた。だが、眠れなかった。睡眠薬を飲んだのに眠れなかったのだ。身体の力が抜けなかった。心の中がザワザワしていた。時計を見ると、既に午前0時を過ぎていた。俺は焦
真夜中に目が覚める。その瞬間、強烈な不安感に襲われる。不安感は腹の奥底で生まれ、そこから噴き出して、血管を通じて全身に行き渡る。身体中の筋肉が震え出す。呼吸が荒くなる。何故こんなに不安なのだろうか。多分いまだに俺は、孤独に慣れていないのだ。俺は不安感に堪
付き合い始めた直後から、かみさんと俺は、暇さえあれば散歩ばっかりしていた(ような気がする)。実際には散歩ばかりしていたわけではない。旅行をしたり、映画を見に行ったり、買い物に行ったり、外食をしたり、ただテレビを見ているだけだったりもしていたはずだ。それな
これを書いている現在、12月8日の午前6時30分。通勤途中にブログの記事を書いている。昨晩(12月7日の木曜日)は11時30分に就寝した。疲れが溜まっていたので早く帰宅して、早く寝たかった。だが、突発的な残業になってしまった。おかげで5時間しか眠れなかった。俺にとって
毎日がつまらない。単調で起伏がなくて、退屈なのだ。それなのに、馬鹿みたいに忙しい。やらなければならないことが、山のようにあるのだ。楽しいことなんか何にもない。嬉しいことも何にもない。いったい何のために俺は生きているんだろうか。いつもと同じ疑問が頭をよぎる
たくさんの辛い出来事があった。両親に虐待されて育ってきた。特に実母は酷かった。言葉の暴力で他人の自尊心を破壊して、快感を覚えるような変質者だった。親に虐待された子どもの多くがそうであるように、学校ではイジメを受けたこともある。辛い毎日だった。学校に行くの
仕事がクソ忙しくて仕方がない。朝8時には仕事を始め、退社は夜8時になってしまう。通勤時間を含めると、拘束時間は13時間ほどになる。俺の錆び付いた身体には相当にキツい。仕事が終われば急いで帰宅する。途中でコンビニに寄り、弁当とウィスキーを買う。家に着いたら
かみさんが亡くなったばかりの頃。身を引き裂かれるような喪失感の中、俺は「現実には起こり得ないこと」が起こることを渇望していた。かみさんを生き返らせたかった。かみさんを取り戻したかった。かみさんに逢いたかった。だが…死んだ人が生き返ることはない。それは誰も
現在12月4日の午前6時40分。いつものとおり、出勤の途中にブログの記事を書いている。ここ最近、俺が誤解を受けていることに気がついた。かみさんが亡くなったあと、俺はすぐに会社に復帰した…と思っている方が少なくないようなのだ。かみさんが亡くなってから、俺は会社を
1日のうちで最も辛いのは朝だ。1日のうちで最も嫌いなのも朝だ。会社に行きたくない…というのではない。仕事がキツい…というのでもない。実際のところ、仕事はとってもキツいけど、それが朝を嫌う理由ではない。平日はもちろんだが、休日だって、朝を迎えれば辛いのだ。
最近ほとんど眠ることができない。昨晩も同様だった。精神安定剤と睡眠導入剤を飲んでいるため、寝付きが悪いわけではない。だが、1時間から1時間半ごとに目が覚めてしまうのだ。寝ている間も熟睡しているわけではない。浅い眠りの中で夢ばかりを見ている。かみさんの夢な
現在12月1日の夜10時20分。いつもとは違い、帰宅の途中でブログの記事を書いている。今日は、かみさんの誕生日だ。できれば休暇を取りたかった。それがダメでも早めに退社して、ケーキを買って帰りたかった。かみさんが亡くなってから。彼女の誕生日にケーキをお供えできなか
かみさんが元気だった頃とは違う。仕事に「やりがい」を見いだせないのだ。かみさんの生前のほうが、はるかに仕事はキツかった。午前様で帰宅することも多かった。休日出勤も少なくなかった。それでも仕事に「やりがい」があったのだ。だが…かみさんがいなくなってから、俺
11月27日から28日にかけて。昨日のブログに書いたとおり、俺は久しぶりに熟睡することができた。こんな日が続けばいいな…と思っていた。だが、28日から29日にかけて。俺はいつものとおり、細切れにしか眠れなかった。夜中の3時に目が覚めて、その後は浅い眠りの中、不快な